柳ヶ浦駅は、大分県宇佐市住吉町一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。SL時代の宇佐〜杵築の峠越え基地として広い構内を持ち、現在でも始発列車が設定される運行上拠点のひとつで駅は、実質的な宇佐市の中心駅としての機能をもっています。これは、駅前の長洲地区の市街地をはじめ、宇佐市の中心商業地域(四日市地区)や官公庁地域(駅川地区)といった宇佐市の中枢的・中核的な機能を持った地区が、宇佐駅よりも柳ヶ浦駅の方が近いためです。
明治の一時期宇佐駅を名乗っていました。さらに、多数の電車が留置できる広い構内を有しているため、早朝・深夜に発着する普通(快速)電車は宇佐駅よりも多く、小倉・中津方面への通勤・通学の利便性も悪くはない。また、大分方面からの普通列車の折り返し駅であったが、2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正でワンマン運転が中津駅まで延長されたので、改正以降は1日3往復の普通列車が折り返し設定されています。
2007年(平成19年)3月より、当駅を始終点とする博多方面の特急「ソニック」が2往復増発されたため、停車する特急列車の本数も宇佐駅より僅かに多くなった。また、柳ヶ浦に停車し、宇佐を通過する特急もあります。なお、2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正まで運転されていた東京発着の寝台特急「富士」は宇佐駅に停車し、柳ヶ浦駅は通過していました。日出生台への物資輸送の必要性などにより早期に建設されたとされる。日豊線開通時の終点であり鉄道唱歌第二集山陽・九州編でも東九州方面は当駅で「汽車は宇佐にて止まりたり」と引き返し小倉駅へ戻るようになっています。
駅の北側には長洲市街地(宇佐市発足前の旧長洲町市街地)が広がっています。市街地には「○○長洲店」「△△柳ヶ浦店」という店の名前が混在しますが、もともと柳ヶ浦と長洲は駅館川を挟んで別個の町で、当駅のある西側が柳ヶ浦町、東側が長洲町でした。戦後、両町が合併して長洲町となったため、旧柳ヶ浦町地区にも「○○長洲店」という店ができました。隣の豊前長洲駅は柳ヶ浦町と合併する前から、旧長洲町の駅でした。駅に隣接して広い時間制有料駐車場があるが周辺はほぼ一帯が田園地帯。
太平洋戦争中はこの田園地域に宇佐海軍航空隊が存在したために米海軍空母艦載機やB-29による空襲を受け戦災址が点在している。そのため、駅のすぐそばにある踏切は現在も「航空隊踏切」という名称で残されています。宇佐市の中心商業地域(四日市地区)は宇佐駅より当駅のほうが近い。なお、柳ヶ浦高等学校は、当駅より南へ約700m離れたところにあり、近辺には五百羅漢像を有する東光寺があります。江須賀簡易郵便局 大交北部バス「柳ヶ浦駅前」停留所:宇佐市役所方面はのりかえ
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。駅舎は平屋のコンクリート造り駅舎です。互いのホームは跨線橋で連絡しています。1番ホームは下り特急列車、2番ホームは普通列車、3番ホームには上り特急列車が停車もしくは通過することが多い。現在、車両待機線として使用されている線路は、かつて蒸気機関車が一般的であった時代、立石峠を越えるために補助機関車等の連結・切り離しを行ったり、燃料の積込みを行う線路として使用されていました。改札口の頭上には液晶式の発車案内が設置されています。
キヨスクが撤退した待合室の売店では地元農産物などが販売されFRPの椅子が並んで設置されています。
直営駅で、みどりの窓口がある。ICカードSUGOCAの購入が可能。構内裏手には広いヤードがあります。転回列車もあるので留置線に使用しているようです。
1897年(明治30年)9月25日 - 長洲駅(ながすえき)として初代豊州鉄道が開設。
1898年(明治31年)3月1日 - 宇佐駅(うさえき)に改称。
1901年(明治34年)9月3日 - 豊州鉄道を初代九州鉄道が買収。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道が国有化、帝国鉄道庁が所管。
1909年(明治42年)10月15日 - 柳ヶ浦駅に再改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
電報略号 ヤナ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 624人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1897年(明治30年)9月25日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
* 改称経歴
- 1898年 長洲駅→宇佐駅
- 1909年 宇佐駅→柳ヶ浦駅
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。