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国鉄415系電車 JR九州

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国鉄415系電車 日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直流両用近郊形電車。
国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)と九州旅客鉄道(JR九州)に継承されたほか、JR東日本が設計・製造した車両や西日本旅客鉄道(JR西日本)が113系を改造・編入した車両が存在します。

401系・421系は交直両用近郊形電車として1960年に、それぞれ50Hz・60Hz専用として登場した形式である。403系・423系はこれらの出力増強形としてそれぞれ1966年・1965年に50Hz・60Hz専用として登場した形式である。415系はこれらを50Hz・60Hz両用として1971年に登場した形式である。50Hzの401系・403系は電動車のみ異なり、制御車(クハ401)は共通とされ、60Hzの421系・423系も電動車のみ異なり、制御車(クハ421)は共通とされた。50Hzの401・403系と60Hzの421・423系の両系列の間では、制御車は415系が登場するまでクハ401、クハ421と分けられていた。一方、415系は制御車の形式をクハ411とした。基本設計については415系まで踏襲されている部分が多いが、運用線区の違いなどから行先票(サボ)受の位置が異なるなど外観等に多少の差異が見られる。

車体構造は153系を基本としている。すなわち全金属製セミモノコック構造で、車体幅を2.9mとし裾を絞った断面形状であり、車体長も同様に中間車で19.5mである。ただし近郊形として通勤使用を考慮し70系同様のデッキなし片側3ドアとした上、新たに101系と同じ1.3m幅の両開き扉を採用した。座席配置も70系のものを改良したセミクロスシートで、中間車の場合、扉間は扉近くの2人掛けロングシートに4人掛けボックスシ−トが4組挟まれ、車端部には3人掛けロングシートに4人掛けボックスシ−トが2組で、座席定員は76人(70系は車端部ロングシートのみで、座席定員は72人)、153系と比較して通路幅は540mmに対して860mmと広くとられ、座席は幅が狭く窓側の肘掛けが省略されている[1]。便所は70系同様クハに設けられた。これらの構造は、以後長らく新性能近郊形電車の標準となった。

クハ401・421形の前面は、153系と同様に併結運転の便を図って貫通路を設けたデザインで、初期製造車はクハ153形0番台と同様に運転室のフロントガラスが大きい低運転台構造[2]だったが、401系は1962年製造分のクハ401-23から、421系は1961年11月製造のクハ421-17以降から、それぞれクハ153形500番台と同様、踏切事故対策である高運転台に変更され、以後長らく近郊形電車で使われ続けるデザインとなった。また、403系・423系用を含め屋上通風器など他の部分についても同時期のクハ111形に合せた改良が行われている。
台車は電動車用が101系と同一のDT21B形、付随車用がDT21B形をベースに台車枠形状などを付随車用に変更したTR64形とした。ブレーキ機構は価格的な面からディスクブレーキを使用せず踏面制輪子とした。なおクハ401-47・421-41以降はクハ111形と同様にディスクブレーキ付きのTR62形とし、ブレーキ容量増大を図った。


国鉄カルダン駆動方式の電車としては初の両開き3扉構造の近郊形である。交流電化区間と直流電化区間を直通運転する必要があることから、交流・直流の接続を車上切換方式による交直両用電車の実用第1号として開発された。1961年(昭和36年)6月の常磐線取手駅 - 勝田駅間の交流電化に備えて新製された系列が401系で、同時に既電化区間の関門トンネルを挟んだ山陽本線小郡駅(現・新山口駅) - 下関駅間の直流電化[3]および鹿児島本線門司港駅 - 久留米駅間の交流電化に伴い新製された系列が421系である。1966年(昭和41年)までの間に401系4両編成25本計100両と421系4両編成23本計92両が製造された。
1960年(昭和35年)に両系列ともに量産先行試作車から製造が開始された。401系の量産先行試作車4両編成2本の落成時にはまだ常磐線の交流電化と配置される予定の勝田電車区(現・勝田車両センター)が完成していなかったため、宇都宮機関区(現・宇都宮運転所)に暫定配置され、最初の試運転は東北本線で実施された。その後該当区間の電化設備が完成次第、営業開始に備えて運行試験が行われた。421系は60Hzで電化されていた北陸本線で試運転が行なわれた後、九州での試験運転を行なった。
また、関門トンネル通過時や海岸線沿いを走行した時に付着した海水による塩分や塵害による汚損などにより碍子の閃絡事故が相次いで発生したため、一部列車を客車や気動車で代走させる事もあった。
1962年(昭和37年)には鉄道友の会から第2回ローレル賞を受賞した。

411・415という中途半端な形式が採用され、クハ411形が300番台として301番から製造されたのは415系登場時に、401系・403系の411系・413系[17]への形式変更、およびクハ401形・クハ421形のクハ411形0番台(1 - 90)・100番台(101 - 206)への改番が計画されていたからだが、実現には至らなかった。


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