湖山駅(こやまえき)は、鳥取県鳥取市湖山町東一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅です。やや南西に湖山池があり、旧国道9号線が近傍を走っています。 1995年の鳥取大学前駅開業までは鳥取大学・鳥取商業高校・鳥取西工業高校(2001年から鳥取湖陵高校)・鳥取農業高校(2001年に鳥取湖陵高校へ合併、跡地は2004年から鳥取緑風高校となった)の最寄り駅であったため、通学利用が多かった。やや遠いが、鳥取港、布勢総合運動公園にも駅としてはもっとも近い。どちらにもバスがあるが当駅に近いバス停は分かりづらく、鳥取駅からバスに乗ったほうが行きやすい。駅前にはタクシーが基本的に常駐しています。快速列車は上下線とも約半数程度が停車。この駅から鳥取駅方面は平坦ですが、この駅西方から鳥取大学前駅西方にかけては丘陵地となるため勾配があります。
湖山オフレールステーション:JR貨物の貨物取扱施設で、旅客駅の東側・鳥取市湖山町東5丁目に位置します。鳥取鉄道部西鳥取車両支部に隣接しており取扱貨物はコンテナ貨物のみで、12ftコンテナのみを取り扱います。貨物列車の発着はなく、姫路貨物駅との間にトラック便が1日2往復設定されています。1997年より貨物列車の発着がない自動車代行駅になりトラック輸送に転換されました。2004年に当駅 - 伯耆大山駅間のJR貨物の第二種鉄道事業が廃止になりJR貨物湖山駅は廃止され、湖山コンテナセンターが設置されその後2006年の貨物駅の名称整理の際に現在の名称に変更されました。
2面2線の相対式ホームを持ち、列車交換が可能な地上駅。以前は単式・島式2面3線であったが、2003年、鳥取県鉄道高速化事業により鳥取駅寄りの分岐について一線スルー化工事が行われ、通過列車が1番線(単式側)を通過するようになりました。同時に、3番線(上下副本線)を撤去し、1番線を上下本線、2番線を上下副本線とした2面2線となった。また、互いのホームは跨線橋で連絡している。 3番線があった場所の隣に保線車両の留置線が存在する。駅舎は英文字表記の駅名に大きく張り出した庇が特徴の洋風木造駅舎です。駅舎は大幅にリニューアルされていますが、原型は明治40(1907)年4月のものらしいです鳥取鉄道部が管理し、ジェイアール西日本米子メンテックが駅業務を受託する業務委託駅であり、日中(昼休憩あり)のみPOS端末による窓口発券を行う。比較的広めの待合室にはキオスクが入っていてFRP製の椅子が設置されています。
ホームの使用状況
ホーム 路線 方向 行先
1・2 ■山陰本線 上り 鳥取・浜坂方面
下り 倉吉・米子方面
通過列車及び行違いを行わない停車列車は上下線とも1番のりばを通る。
反対方向からの通過列車と行違いを行う停車列車は、上下線とも2番のりばに停車する。3番線は撤去されています。裏手には貨物留置線があります
停車列車同士の行違いの場合は、鳥取方面行(上り)が1番のりば、米子方面行(下り)が2番のりばに入る。
1907年(明治40年)4月28日 - 官設鉄道の鳥取仮停車場 - 青谷駅間延伸により開業。客貨取扱を開始。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陰本線の所属となる。
1968年(昭和43年)6月27日 午前3時40分ごろ - 当駅構内で大阪発大社行きの急行「おき」を牽引中だったDD54 2が、 駅構内のポイント通過中に異常音に気付き非常ブレーキをかけたところ、推進軸(ユニバーサルジョイント)が突如破損、落ちた推進軸が線路に突き刺さり機関 車は脱線転覆、続く客車6両が脱線する、いわゆる「棒高跳び事故」を起こした。いちはやく異常に気付き減速したため、相対速度が低かったことから乗員乗客 の一部が軽傷を負っただけで人命の被害は無かった。事故車となったDD54 2は修理され現役復帰したが、DD54形ディーゼル機関車のエンジン本体や液体変速機の故障が多発し、推進軸が折れる事故が多発した結果、1966年に DD54 1が落成したばかりにもかかわらず、1978年までに全車退役廃車となった。
1974年(昭和49年)12月12日 - 鳥取駅の貨物取扱業務を移管。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
1997年(平成9年)10月1日 - 貨物列車の設定が廃止、自動車代行駅となる。
2004年(平成16年)4月1日 - JR貨物湖山駅が廃止。代替として湖山コンテナセンターが設置される。
2006年(平成18年)4月1日 - 湖山コンテナセンターが湖山オフレールステーションに改称。
電報略号 コヤ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1907年(明治40年)4月28日
備考 業務委託駅
POS端末設置