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キハ40形1000番台

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国鉄キハ40系気動車)は、1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけて日本国有鉄道(国鉄)が製造した一般形気動車(ディーゼル動車)である。
これは国鉄の車両称号規程に則った制式の系列呼称ではないが、同一の設計思想により製造された気動車の形式を便宜的に総称したものである。具体的には、キハ40形(2代)、キハ47形、キハ48形の3形式およびこれらの改造により発生した派生形式を指す。

車齢が若かったこともあり、国鉄時代に本系列に対して行われた改番を伴う改造は、キハ40形1000番台の1例のみである。また、冷房改造についても、鹿児島地区での降灰対策のためバス用クーラーを使用した改造がキハ40形5両およびキハ47形10両に実施されたのみに止まっている。本系列に対する性能・接客両面での改良・改造が本格化するのは、国鉄分割民営化後のことである。
キハ40形1000番台
キハ40形1000番台は、1979年(昭和54年)4-5月に宇都宮運転所へ新製配置し烏山線で運用していたキハ40形2000番台(2011-2020:何れも富士重工宇都宮製作所が製造)のうち水戸運転所へ転出した3両(2018-2020:その後東北地区へ転出)を除く7両(2011-2017)からトイレを撤去し改番(1001-1007)したもので、国鉄時代に本系列に対して行われた改番を伴う改造の唯一例である。改造工事は大宮工場で施行、1986年(昭和61年)11月末から翌1987年(昭和62年)3月末の間に竣工した。定員は98名。当初は屋根上の水タンクも存置され外観上の変更はほとんど無かったが、外装塗色は新製配置時からの首都圏色(朱色5号の単色塗装)から烏山線独自のローカル色(白地に緑色M字様帯模様の2色塗装)に変更した。なお水タンクは後年撤去している。改造後も烏山線用として宇都宮運転所に配置、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化にあたり全車JR東日本に承継されている。民営化後の1990年(平成2年)には東北地区に転出した1両(1006:当初小牛田運輸区に転配、一時新庄運転区を経て現在は秋田車両センター配置)を除きワンマン運転対応改造と座席のロングシート化工事を施行し定員を144名に増員した。1991年(平成3年)と1995年(平成7年)には同じく2000番台各1両(高崎運転所配置の富士重工製2087および水郡線営業所配置の新潟鉄工所製2139)に1000番台化工事を施し(それぞれ富士重工宇都宮製作所およびJR東日本郡山工場で施行)計2両が本番台として竣工、宇都宮運転所に配置、計9両(2013年時点で宇都宮運転所配置8両、秋田車両センター配置1両)が本番台となっている。これらのうち1000番台への改造前に冷房装置を搭載していた1008を除き、1995年から1996年にかけて冷房装置(AU34)を搭載した。
トイレ無し(屋根上の水タンク撤去済み)
冷房装置あり
乗降扉の半自動対応あり(乗降扉横に押しボタン式のドア開閉装置、ドア開閉時チャイム音)
宇都宮運転所の8両(1001-1005, 1007-1009)はロングシート車(ロングシートの中央部には消火器とくず物入れを設置)、ワンマン運転(後乗り前降り)対応(車内案内自動放送装置、外部スピーカー、乗降口案内表示器の設置)
秋田車両センターの1両(1006)はセミクロスシート車
なお、2011年4月15日に開通88周年を迎える烏山線の「烏山線全線開通88周年記念事業」として1003および1007をそれぞれ2010年12月および2011年4月より旧国鉄一般気動車色(朱色4号+クリーム4号、標準色)に塗装変更しているほか、1004および1005はそれぞれ2012年12月および2013年6月より旧国鉄首都圏色(朱色5号、近郊色)に塗装変更している。これらの塗装変更は何れも郡山総合車両センターで施行している。
キハ40 2011 - 2017・2087・2139 → 1001 - 1009

1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけて計888両が製造され、日本全国の非電化路線に投入された。2014年現在でもJR旅客鉄道各社に多数が在籍し、主に普通列車用として広く用いられている。電車に近い車体構造の大型気動車で、客室設備の改善や走行機器の刷新なども図られている。その一方で、それ以前の在来型気動車と比較してエンジン出力は若干増加したものの重量も増加しており、動力性能はほとんど向上していない。
客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別されるが、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いや、便所の有無などによって番台区分されている。国鉄分割民営化後は、各社ごとに使用線区の事情に応じた改造がきめ細かに実施され、派生形式や区分番台が多くなっている。なお、近年では事故や災害、地方路線の運用見直しや、より高性能で維持費の低廉な新型気動車への置き換えにより、廃車や保留車が発生している。

1950年代中期に量産された、国鉄初期の液体式気動車であるキハ10系は、1970年代に至って著しく老朽化・陳腐化が進行し、ことに接客設備面での劣悪さと台車設計の欠陥が問題となっていた。キハ10系は車体断面が狭く座席の設計に難があったが、台車の心皿荷重上限が小さく、座席の交換は重量増となるため、またロングシート化などの格下げ改造も定員増=荷重増となるため、いずれも困難で、交換用台車の新製などの改造予算確保よりも新車製造予算の確保が優先されたため、無煙化が一段落ついた1970年代後半まで抜本的な対策を講じられることもないまま、そのまま放置されていた。
一方で1970年代の国鉄は労使紛争が激しく、組合側は労働環境の改善を強く要求していた。その一環として、国鉄車両にも安全対策や整備性の改善が求められ、国鉄ではこの時期に1960年代に設計された量産形式を基本としつつ、随所を強化改良したマイナーチェンジ車を製造していた。本系列もその方針の下に全体に耐久性を高め、1950年代後半に製造されたキハ55系とキハ20系の老朽化進行も視野に入れつつ、それらの代替用一般形車両として開発された。


1974年(昭和49年)に開発されたキハ66系をベースにしており、車体や制御回路、変速機、ブレーキ方式などの基本構造は同系を踏襲しているが、搭載エンジンについてのみ大出力型ではなく、当時の国鉄の技術力・予算に見合った設計・出力のものとしている。また、国鉄時代には全国で大規模な車両の配置転換を行っていたことから、暖房やラジエーターをはじめ酷寒地向けを基本として設計された箇所が多く、温暖地で寒地向けの番台が使用されるなど、地域によっては多くの部分が過剰装備となっている(逆に寒冷地で温暖地向けの車輌が使用されていることもある)。
なお、本系列から北海道向け車両を別形式とせずに同一形式内での番台区分としたのも特徴である。

全長21.3 m(車体長20.8 m)、幅2.9 mという急行形気動車並の大型車体である。酷寒地や海岸沿いでの使用を考慮して外板、屋根板、床板には車両用耐候性高張力鋼板 (SPA) を用いており、耐久性を高めているが、板厚は例えば同じSPAを使用した201系電車と比較すると、外板厚が2.3 mmに対して国鉄気動車標準の1.6 mm, 屋根板厚は1.6 mmに対して1.2 mmと薄く、台枠に設けた軽量孔とともに軽量化にも一応配慮している。落成時期の関係から、製造当初は全車が朱色5号と呼ばれる明るい朱色一色、一部地域で「首都圏色」と呼ばれる塗装で落成しており、従来の一般形気動車の標準塗装であったクリーム4号と朱色4号の2色塗り分けで落成した車両は存在しない。これに対し、本系列と車体設計が類似する機器流用車であるキユニ28形は、1978年10月の「車両塗色および表記基準規定」改正に先立つ1978年2月から3月にかけて落成したキユニ28 1 - 6の6両のみが規定通り旧標準色の2色塗り分けとなっている。
前頭部はキハ66系のものを踏襲したもので、踏切事故・衝突対策として高運転台化、運転室長さの350 mm拡大、前面の外板を4.5 mm厚に強化、床下前面にスカートを装着している。運転台窓は運転席からの視認性に配慮した側面部に回り込んだパノラミックウィンドウを用い、前照灯は前面窓上にRBS-24V形150/50 Wシールドビームが2灯、尾灯は在来形気動車よりも高い位置に40 Wのものが2灯、それぞれ左右に振り分けて設置され、貫通路直上には列車種別表示器も設けられている。なお、これらの構成は設計年次が近いキユニ28形などの改造車も同様で、当時の標準設計であった。側窓は酷寒地形を除き、外はめ式のアルミ合金製2段ユニット窓として工数を削減している。酷寒地形は小型の1段上昇窓で、FRP製窓枠による内窓を組み合わせた二重窓構造とし、冬季の車内保温を図っている。

キハ40形、キハ48形は車体両端2か所に1 m幅の片開き扉、キハ47形はやや車体中央寄り2か所に1.3 m幅の両開き扉を設けている。いずれもステップ付で半自動扉であるが、ドアエンジンは在来車のような当初からの半自動式用ではなく、自動式用ドアエンジンの指令回路のみを変更して半自動動作に対応させており、人力での開閉はやや重い。キハ40形・キハ48形の寒地・酷寒地形は、いずれも客室と出入り台の間に仕切り扉を設けたデッキ付きとし、寒冷時の保温を図った。
運転台は機器配置・座席形状とも人間工学に配慮した構造となっている。また、投入線区の運用実態に配慮して製造時より側面にタブレットキャッチャーとその防護板を設け、タブレット閉塞式での通過運転に対応した。客室内壁の化粧板は、在来形気動車に比してやや明るい色調でまとめられている。初期に投入された車両は、キハ40形・キハ48形は薄茶色、キハ47形は淡緑色であるが、中期以降の車両は、北海道・本州以南用ともクリーム色となっている。座席はボックスシートを基本としてドア付近にのみロングシートを配したセミクロスシートとした。ボックスシートはシートピッチをキハ58系までの急行形車両と同等の1,470 mmとし、一般形気動車として初めて人間工学を採り入れた新形状のものとした。
暖房はキハ22形やキハ56系と同じ温水暖房式であるが、機関廃熱(機関冷却水)および機関予熱器での軽油燃焼による熱を使用して床下の熱交換器で温風を作り車内に循環させる方式を採用した。機関の冷却水を床下の熱交換器に通し、ここに外気および室内空気を循環させて暖める。なお、気温が低い時、下り勾配、停車時など、機関の廃熱だけでは冷却水温が上がらない場合には、機関始動用の機関予熱器を使用して補助的に加熱する。1両あたり2基搭載された熱交換器により暖房能力は公称30,000 kcal/hとなり、従来の軽油燃焼式温風暖房に比して著しく強力な暖房能力を得た。これは機器搭載に床下スペースを必要とするという難点があるものの、温水管を車体内に引き通す必要がなく、構造も単純であった。加えて運転室内には自動車用温水暖房装置が併設されている。
なお、その後の新形気動車ではエンジンの直噴化などで熱効率が上昇して機関の発熱が著しく減少したため、温水式暖房を採用する場合、熱源となる機関発熱が減少する下り勾配などで暖房能力が低下する、あるいは寒冷地では根本的に暖房能力が不足する、という問題が発生した。そのため、それらは変速機内装のコンバータブレーキの使用によって温度が上昇した変速機油を補助熱源とすることで下り勾配での暖房能力の不足を補う(直噴機関搭載で始動に不要として機関予熱器を省略したJR東日本キハ100・キハ110系など)、厳寒時の始動用に搭載されている機関予熱器を暖房熱源として常用する(JR北海道キハ150形など。ちなみにキハ150形の機関予熱器はそれ単体で本系列の暖房用熱交換器の公称能力〔空気と水の温度差50度の時の能力〕と同じ30,000 kcal/hの発熱能力を備えている)といった対策を講じている。これらは共に自動車用温水暖房を採用しているが、他社では機関の動作状態に影響されず、しかも構造簡易で確実な動作が得られる軽油燃焼暖房へ回帰した例も多い。
このように基本的な居住性は電車に近づいていたが、冷房装置は製造の段階では設置されず、準備工事の施工も見送られた。当時は地方路線の冷房化は時期尚早であると判断されたことに加え、国鉄の制式気動車では、連続定格出力150 - 180 PSと非力なDMH17系エンジンが標準だった(ただし本系列製造開始時点では同180 PSのDMH17C・H系に事実上収斂していた)期間が長かったという事情もあり、バスと同様の機関直結式冷房装置を採用することはそもそも不可能に近かった。そのため当初より冷房装置を搭載した特急形気動車では一部車両に大型のディーゼルエンジンを動力源とする発電セットを搭載して4 - 5両単位で給電を行うシステムを採用し、後に冷房を追加した急行形気動車でもコンパクトな発電ユニットを搭載して自車含め3両単位での電力供給を行うシステムを採用していた。DMH17系に代わるべき新型機関として本形式で制式採用されたDMF15HSAは、後述するようにDMH17系と比較して2割程度の出力増を実現したが、前述したように車体重量が大型化や事故対策などで大幅に増加したことから、満足できる走行性能が得られない状況であった。そのため、さらなる自重増を招く発電セットの搭載も、標準状態でさえ決して充分とは言いがたい機関出力をさらに低下させる直結式冷房装置の搭載も、共に採用したくとも採用できないのが実情であった。このことには利用者のみならず、バスとの競合などから冷房付きの新型車を切望していた各鉄道管理局の担当者からも失望の声があがった。
便所はFRPユニット組み立て式(初期製造車のみ化粧板を使用する通常構造)で、キハ40形は出入り台側から内開き扉、キハ47形・キハ48形は側面の客室側引き戸から出入りする方式とし、水タンクは屋根上搭載の重力給水式として、ポンプや空気配管を不要としている。汚物処理装置は搭載を考慮して機器搭載スペースを確保する準備工事が実施されたが、製造当初は地方路線の汚物処理施設整備がほとんど進んでおらず、便所搭載車は全車が従来通りの垂れ流し式として竣工した。

本系列は標準機関として従来のDMH17系エンジンに代えてDMF15HSA形(連続定格出力220 PS/1,600 rpm, 連続定格出力時燃料消費率185 g/PS/h, 最大出力250 PS/2000 rpm)を搭載する。このDMF15HSAは水平シリンダ形の予燃焼室式直列6気筒機関であり、TB11B形排気タービン過給器を装備、補機類はCW750D空気圧縮機、DM99AもしくはDM99B形4kVA交流発電機などで、いずれも歯車駆動としてVベルトを廃している。
この機関は、1963年に開発されたDMH15HS形の派生形であり、排気タービン過給器あり、中間冷却器なしの構成としたものである。しかし機関出力が小さいため、後に中間冷却器を追加したり、別の機関に取り替えた車両も存在する。

変速・直結各1段を備えるDW10形を装備する。これはキハ65形・キハ66系に搭載されたDW9形をベースに開発されたもので、トルクコンバータの構成は在来標準形のDF115・TC-2形(3段6要素)に対して、DW4形・DW9形やDE10形用のDW6形(2000番台[注釈 1])などと同じ中高速での引張力を確保するとともに、エネルギー損失を抑制した1段3要素となり、クラッチはいずれも湿式多板式で、変速、直結が各3枚、逆転機が8枚の構成、変速機油冷却は従来の空冷式から油冷却器による水冷式に変更となっている。変速機油は、従来のDF115・TC-2形では軽油が用いられていたのに対して、本形式では潤滑系の油を共用することとし、シール機構の簡略化を図った。また、逆転機を台車に装架するのが困難な2軸駆動車用のDW9の構造を踏襲して逆転機を変速機内に内蔵し、台車側には推進軸の方向転換と最終減速段を受け持つ減速機を装架している。なお、変速と直結の切替は変速機の入力軸と出力軸の回転差を検出してエンジンの吹き上げ、アイドル指令を出し、最適な回転数で切り替える半自動式とすることでショックのない変速を狙ったほか、変速機の特性の異なる手動変速の在来形気動車との併結に対応している。なお減速比は2.995と従来の一般形気動車よりもわずかに大きくされている。
トルクコンバータの構成の違いにより、起動時の動輪周引張力はキハ20系(定格出力180 PSのDMH17C形エンジン搭載車。変速機としてDF115A形ないしはTC2A形を搭載)の2,500 kg弱に対して2,400 kg弱と低く、車両重量の増大も相まって起動直後の特性で不利となり、「キハ40系=低出力」のイメージを強める一因となっている。ただし、例えば10 km/hではキハ20系の約1,800 kgに対し約2,100 kg, 50 km/hでは約600 kgに対し約800 kgと逆転しており、本来は特急・急行形用として開発された変速機を流用したが故の、中高速域を重視した特性が表れている。いずれも駆動方式は1軸駆動で内よりの第2軸を駆動し、逆転機は変速機に内蔵するため、台車にはキハ65形・キハ66系の第2減速機と共通(厳密には減速機支え装置の取り付け方向が推進軸と同じ側ではなく反対側となるため、完全に同一仕様ではない)のGB122形減速機が装架されている。

酷寒地形・寒地形は本形式用に新開発のDT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形空気ばね台車を、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルばね式のDT22D形・TR51C形を採用した。ただし、台車に逆転器を搭載しなくなった分、枕梁の軽量化を行っている。
酷寒地形・寒地形は枕ばねを空気ばねとしたが、これは寒冷地域でコイルばねの間に雪が詰まって固着・凍結し、ばねが効かなくなる問題があったこと、北海道には地盤の悪い低規格路線が多いこと、軽量化(DT44形が5,510 kg, TR227形が4,690 kg, 重量の増したDT44A形でも6,240 kg, TR227A形で5,400 kgである)、構造の簡略化、省力化などを考慮したもので、軸ばねは通常通りコイルばねであるが、ゴムで被覆したいわゆる「エリゴばね」として、雪咬みを防止している。初期に製造された車両は軸箱支持方式がペデスタル式で、荷重を軸箱直上の軸バネで伝えるDT44形(動力台車)・TR227形(付随台車)形であったが、以降は制輪子交換を容易にするためにそれぞれ乾式円筒案内式のDT44A形・TR227A形に変更された。枕ばね方式は保守面での制約などから、空気ばねを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなくボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気ばねを挿入するインダイレクト方式(国鉄では165系電車などに大量採用されたDT32・TR69系台車で採用された支持方式)として基本構造をDT32系と共通化しており、空気ばね・ボルスタアンカ・LV4-1形空気ばね自動高さ調整装置などは同系列と同一品を使用している。枕ばねを横剛性の高いダイアフラム型空気ばねとして揺れ枕吊りを廃止したことや、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、旧態依然としたDT22・TR51系コイルばね台車を装着する一般的な急行形気動車を超える快適な乗り心地が実現された。また、制輪子自動スキマ調整器が付きブレーキシリンダストローク調整作業も省力化されている。

本系列の初回生産グループである昭和50年度3次債務車は、各車間で各種電気信号の伝達を行うために用いるジャンパ連結器として、在来の一般形気動車と共通の制御用KE53形(接点数15)を2個と放送回路用KE66形(接点数2。在来の気動車と同様、片栓ジャンパ線を連結面を外から見て左側〔運転台の助手席側〕に、栓受けを右側に装備)を1個、それに電磁自動空気ブレーキ指令用のKE67形(接点数2。栓受は連結器の胴受の下に設置)を1個の合わせて4個のジャンパ連結器を実装して落成した。冷房装置を備えない一般形気動車ではこの4個のジャンパ連結器の搭載が必須条件であった。なお、冷房搭載の急行形気動車ではこれに加えて冷房制御用のKE53形1個と高圧電源供給用のKE8形(接点数2)1個が搭載される。
だが、技術の発達に伴って後追いでジャンパ連結器を追加していった結果成立した、芯線数の少ないジャンパ連結器を多数接続するこの構成は、複数の異なった形式を併用する上では互換性確保のために不可避の仕様だったものの、車両の増解結作業を非常に煩雑なものとし、保守上も部品点数が増えて望ましいものではなかった。このためそれら全てを、本系列の設計の基本となったキハ66系で2両ユニットの連結面間に使用されていた、新世代の多芯ジャンパ連結器であるKE91形(接点数90)へ集約・置換することが検討され、2回目の生産ロットとなった昭和52年度1次債務車でその準備工事として、妻面向かって左下に大きな縦長の窪みを設け、将来ここにKE91形を格納する計画とした。
しかし、昭和53年度本予算車ではジャンパ連結器格納用の窪みはそのままに、新たに設計されたKE93形(キハ183系などに使用されている接点数61の気動車用多心ジャンパ連結器。昭和53年度2次債車までは60ピン接続)1個で従来のKE53形2個を置き換えるように計画が変更された。このKE93形には在来の気動車との併結を考慮して、KE94形アダプタ(KE53形2個分の信号線をKE93形1個に変換接続するための二股アダプタ。KE93形に取り付けて使用)が用意され、これをKE93形にボルトで固定することで、KE53形2個を備える一般形気動車と併結可能としている。
なお、KE53形2個の接点数は合計で30にしかならず、KE93形では信号線の割り当てのない、多数の空き接点が存在する。これはKE66・67形相当の信号線の割り当て予約など、将来的な割り当て信号線数の増大を見込んで当初より接点数に余裕を与えられているためであり、それゆえKE93形をKE94形を併用せずに単独で使用する際には、KE66・67形や冷房用のKE53形1個の接続が不要となる。

本系列ではあらゆる面で刷新が行われたが、電車並みの丈夫な構造と追加装備は重量増加の原因となった。自重36 tから37 t, 断熱材補強など酷寒地対策を施した車両は約40 tにも達する。本系列による代替の対象となったキハ10系は1エンジン車で公称自重が28 tから32 t程度であり、これと比較すると1割から2割程度自重が重いことになる。これに対し、搭載機関の連続定格出力220 PSはあまりに非力であり、単位重量あたりの出力ではキハ10系とキハ20系の1エンジン車とおおむね同等、2エンジン車のキハ51やキハ52などには完全に劣る。車重と変速機設定が災いし、勾配の程度にもよるが登坂時には全出力状態でも従来の気動車同様30 km/hを下回ることも少なくない。本系列(暖地向け車)を使用した普通列車の速度種別設定は「停気F1」で、10パーミル勾配における均衡速度は51 km/hにとどまる。電化区間へ乗り入れる場合は、電車に比べ甚だしく加速力が劣るため足並みが揃わず、ダイヤ組成の障害にもなった。「戦前のキハ42000形ガソリンカーにも劣る低性能車」と批判された。キハ42000は伝達効率が高いものの総括制御のできない機械式変速機を搭載し、しかも車体長が19 m級で車体幅も狭くして軽量化を図っているなど本系列と設計思想が異なる点が多いが、単位重量あたりの出力や加速性能では実際に本系列を凌駕する。キハ40系の搭載機関出力は竣工の段階で既に不十分であり、この発言も両車を比較することにより本系列の車体重量に対する機関出力の不足を指摘することが目的であった。
発進時には、全負荷状態でもエンジンが轟音を立てるばかりでなかなか動き出さず、搭載されている変速機 (DW10) が在来の3段6要素変速機よりも発進時に不利な特性ということもあって、液体変速機を長々と空転させた末に数拍おいて動き出す状態であった。中速域においても、変速機の特性を生かすには、同系変速機を搭載するキハ181系やキハ66系などと同様、変速段を使用して65 km/h付近まで5ノッチで引っ張る運転操作が求められたが、通常45 km/hで変速-直結の切替を行なうTC2A・DF115A形変速機搭載の車両と併結した際や、DMH17系エンジン搭載車の運転に慣れていた運転士が運転する場合には、1段3要素の変速機の特性を活かしきる前に例えば50 km/h程度で直結に切り替えられてしまうと、変速段で約800 kgあった動輪周引張力が直結段では約500 kgとなってしまうなど、性能を出し切れない場面が多く見られた。
DMF15HSエンジン自体の定格時燃料消費率は185 g/PS/hであり、旧来のDMH17系エンジン(190 g/PS/h)と大差なく、 後年のDMF14HZA(154 g/PS/h)などの直噴エンジンと比べるともともと燃費は悪かった。また過熱防止のため全出力運転が5分までに制限されるDMH17系エンジンと異なり、DMF15HS系エンジンは全出力運転の時間制限がなかった。このため運行中は降坂・定速時以外ほぼ全出力で運転できてしまい、かえって相当時間に渡って過負荷を強いられることから、燃料消費量も増化した。後にJR東海がエンジン換装を行った際には、燃費が換装前の71%に改善されたほどである。DMH17系エンジンを1基搭載する車両の代替は一応可能であったものの、加減速の多い仕業や勾配路線には明らかに不向きであった。
また、古くから国鉄在来線では急勾配線区や冬季の排雪走行に適応する単行運転可能な気動車が不足していたが、強力車については余剰が予想されるキハ58系の格下げで対応するという方針であったため、キハ40系では勾配線区向けの形式は製作されなかった。しかしながらその後もキハ58系の需給調整は上手く行われず、依然として適当な代替車が不足し続けた。キハ53形500番台改造投入やキハ54形新製など、単行運転可能な2エンジン搭載車が導入されたものの、ごく一部の地域への導入であり、その他の地域では、経年のキハ20系の2エンジン車であるキハ52形が、同系列の1エンジン車が淘汰された後も2010年3月まで残存した。たとえばJR西日本が大糸線のキハ52形をキハ40形に置き換える計画を立て、線内で走行試験を行ったが、出力不足で計画は中止されたという事例がある。これらの問題に対応し、JRに現在残存しているキハ40系の多くが300 PS以上の高出力直噴エンジンに換装、もしくは過給器・燃料噴射系交換などによる既存エンジンの強化で性能改善を図っているが、自重過大という本系列の構造的な弱点を完全に克服するまでには至っていない。

東日本旅客鉄道(JR東日本)には、キハ40形117両(500番台92両・1000番台7両・2000番台18両)・キハ47形28両(0番台3両・500番台12両・1000番台2両・1500番台11両)・キハ48形74両(500番台41両・1500番台33両)の計219両が承継された。
東北地方など寒冷地での使用が多いこともあり、本格的な冷房化改造は東海以西の各社より遅かった。また民営化後の高出力車キハ100系・110系導入により、収容力は大きいが機関出力の小さい40系気動車は比較的平坦でワンマン運転に適さない線区に配置されている。他社に比べて数は少ないが、線区の事情に応じたワンマン運転対応工事や座席の変更の他、冷房装置 (AU26J-A×2) の搭載、機関のカミンズ製DMF14HZ (300 PS/2,000 rpm) への換装も継続的に実施されている。秋田地区の男鹿線用車と新潟地区の羽越・磐越西線で運用される車両には、更新時に混雑対策としてロングシート化とデッキの撤去も実施された。なお、五能線などではキハ40形でデッキの仕切りがある車両とワンマン対応の仕切りが無い車両が混在する。
青い森鉄道線・八戸線・津軽線・大湊線(快速しもきた・その直通列車)で運用されているキハ40 516 - 518とキハ48 539・556 - 559はトイレが撤去され、器材室に変更されている。ドアには「器材室」「トイレは他の車両です」と表示されている。形式と番号の変更を伴う改造は、前述のキハ40形1000番台2両とジョイフルトレインへの改造にともなう8両のみであるが、ジョイフルトレイン(イベント用列車)への改造は多く、現在までに8タイプが登場している。
同社では余剰による淘汰が開始され、2006年4月までにキハ40形13両とキハ48形2両の計15両が余剰により廃車となっている。2002年に廃車されたキハ40 511は会津鉄道に譲渡の上で展望気動車「風覧望(ふうらんぼう)」(AT-400形401)に改造され、現時点に於ける本系列唯一の譲渡例である。
2011年3月11日の東日本大震災による津波により、キハ48 502・1512(石巻線女川駅停車中の1639D)[22]、キハ48 552・1544(気仙沼線松岩駅 - 最知駅間の2942D)が流出し大破、廃車になっている。
また、女川駅隣接の温泉施設「ゆぽっぽ」に1両(旧キハ40 519)が保存され、車内を畳敷きとした上で休憩室として利用されていたが、こちらも津波で流され大破している

 

 

 

 

 

 

 


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