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Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
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三井ロードヘッダS40型

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1968年の国内初号機
S40型の切削動力は40KW、設備重量15トン

この機械は平山炭鉱で使われていました、制作は三井製作所。
運転手は一人でこれらの仕事をします。岩石を削り、下に落ちた岩石を下にある爪がかき寄せてコンベアーにのせて後にある炭車に自動的に運びます。

ロードヘッダ(Road Header)は別名自由断面掘削機と言われ、機体先端上部に設置してある切削チップが配列されたドラムを回転させて、土や鉱物を掘削する機械です。
主な用途は道路や鉄道トンネル掘削、鉱山の坑道掘削などに使用されております。

自由断面掘削機(じゆうだんめんくっさくき)は、トンネル工事、鉱物掘削等の坑道掘削に使用される土木機械であり、ロードヘッダ、ブームヘッダー、ミゼットマイナー等の商品名で呼ばれる。

 


浅香駅(JR西日本)阪和線の駅

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浅香駅(あさかえき)は、大阪府堺市堺区浅香山町三丁にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅である。駅番号はJR-R27。普通列車のみの停車駅で駅周囲は住宅です。


駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ木造駅舎の地上駅であるが、ホームは盛土上にあり改札口はホームの下(東側)にある。分岐器や絶対信号機がない停留所に分類される。有効長は6両編成分。天王寺方のホームの先端は、1級河川大和川の河川敷にかかっている。和歌山寄りの半分はカーブ上にホームがある。

2011年3月に改札・ホーム間にエレベーターが設置され、堺市の阪和線7駅のバリアフリー対応が完了した(百舌鳥駅は改札・ホーム間スロープの傾斜緩和、鳳駅はエレベーター・エスカレーター設置、他の5駅はエレベーターのみ設置)。

堺市駅が管理し、ジェイアール西日本交通サービスが駅業務を受託する業務委託駅である。ICカード乗車券「ICOCA」が利用することができる。みどりの窓口があり改札口、改札機は2方向に分けて設置されています。

駅北側の大和川橋梁は鉄道写真の撮影スポットとして有名である。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 R 阪和線 下り 鳳・関西空港・和歌山方面
ホームは大きくカーブしています。

2 上り 天王寺・大阪方面
ホームの端は大和川の河川敷にかかっています。

利用状況
天王寺駅 - 東岸和田駅間の阪和線の駅では最小の利用者数である。

阪和線の快速停車駅の1つ天王寺寄りの駅(快速停車駅が連続する堺市駅と熊取駅を除く)は、駅前にUR等の団地が多い津久野駅を除いて乗車人員の少ない傾向にある。

駅周辺
大和川
西除川
堺女子短期大学
香ヶ丘リベルテ高等学校・堺リベラル中学校
堺市立浅香山中学校
堺市立浅香山小学校
堺市立東浅香山小学校
堺市立新浅香山小学校
浅香山公園
浅香山病院
堺市立 北老人福祉センター
浅香山浄水場(ツツジが有名。例年4月末から5月初旬にかけて一般公開)
バス路線
南海バス
堺東駅 方面行き
奥本町・地下鉄北花田駅(イオンモール堺北花田)・河内天美駅 方面行き
JR堺市駅・蔵前西・地下鉄北花田駅(イオンモール堺北花田) 方面行き


1937年(昭和12年)9月3日 - 阪和電気鉄道の杉本町駅 - 阪和堺停留場(現在の堺市駅)間に阪和浅香山停留場(はんわあさかやまていりゅうじょう)として開業。
1940年(昭和15年)12月1日 - 南海鉄道に吸収合併され、南海山手線の駅となる。同時に山手浅香山停留場(やまのてあさかやまていりゅうじょう)に改称。
1944年(昭和19年)5月1日 - 戦時買収により国有化され、鉄道省(国鉄)阪和線の駅となる。同時に駅に昇格し浅香駅に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1993年(平成5年)7月1日 - 阪和線運行管理システム(初代)導入。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2013年(平成25年)9月28日 - 阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
2015年(平成27年)
4月30日 - みどりの窓口営業終了。
5月1日 - みどりの券売機プラス営業開始。
2017年(平成29年)10月22日 - 台風21号による大雨で付近を流れる大和川が氾濫。駅構内が冠水する事態となった。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。


駅番号 JR-R27
所属事業者 JR logo (west).svg西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 R 阪和線
キロ程 7.9km(天王寺起点)
電報略号 アカ
駅構造 地上駅(盛土上)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,238人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1937年(昭和12年)9月3日
備考 業務委託駅
みどりの券売機プラス設置駅
* 改称経歴
- 1940年 阪和浅香山停留場→山手浅香山駅
- 1944年 山手浅香山駅→浅香駅

マツダRX-8(痛車 化物語)

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RX-8(アールエックス-エイト)は、マツダが製造・販売していたロータリーエンジン搭載のスポーツカーである。2003年3月-2012年6月22日の期間、生産された。車両型式「SE3P」

プラットフォームの型式名はRX-7に引き続くFE型だが、マツダのロータリースポーツ車の新規車種として設計・生産され、2003年に発売が開始された。搭載されるエンジンも、型式こそ従来と変わらない13B型であるが、ポートやハウジングを含めほとんどを新設計された自然吸気型13B-MSP型『RENESIS』(RE+GENESISの造語)を搭載した[要出典]。月間1,000台の販売を計画した。


観音開き4ドア
RX-7の後部座席は「ワンマイルシート」と揶揄されるような補助的なもので、乗員の長距離移動には不向きだったが、RX-8ではアメリカ合衆国などの保険の関係により4ドアがフォード側の絶対条件であったため、大人4人が乗れるパッケージが求められた。しかし、4ドアにすると車体が大きくなり重量も増し、ロータリースポーツの旨みである「軽快さ」がスポイルされてしまうので、前後ドアが観音開きになる「フリースタイルドア」を採用した。後部ドアのアウターパネルは、軽量化のためにアルミ製とされた。後部ドアには、ピラーと呼ばれるボディーの上下を結ぶ骨組みが組み込まれたビルトインピラーを他社に先駆け採用した。これによって開口部拡大による車体の剛性低下を防いでいる。後部ドアのドアノブは室内側にのみ存在し、前部ドアが開くことによって初めて開閉が可能となり、前部ドアが後部ドアをロックする役割も兼ね備えている。後部座席への乗り降りには、フロント側のドアを先に開ける事が必須条件になっている(前席の乗員がいない場合には、前席シートを倒した後で身を乗り出してフロント側ドアを開けることで単独降車は可能であり、助手席側後部座席には、助手席シートを倒すレバーも付いている)。前席のシートベルトは後部ドアに取り付けてある為、後部座席へ乗り降りするためには、前席搭乗者のシートベルトも着脱する必要がある。

エンジン
搭載エンジンは『ロータリーエンジン』である。自然吸気(NA)とされ、排気ポートは市販ロータリーエンジンでは初となるサイド排気ポートを採用した。これによって「RENESIS RE」はオーバーラップ0とすることが可能となり、従来のロータリーエンジンと比較して燃費も向上しており、低速トルクも改善されている。吸気ポートは、6ポートのエンジンと4ポートのエンジンの2種類が設定され、6ポートのエンジンのレブリミットは9,000rpm(タイプS)という高回転型ユニットとなっている。ターボチャージャーを廃したことで、伸びやかでストレスなくレブリミットまで回転する、よりロータリーエンジンの旨みを引き出したエンジンとなった。ただし、サイド排気ポート方式には、排気ガスによって水温が上がりやすくなったり、燃焼室に煤がたまりやすくなるという欠点もあった。このエンジンの基となったものを搭載した車が、コンセプトカー「RX-01」(1995年東京モーターショー展示車)にも搭載されている。イギリスの「エンジン・テクノロジー・インターナショナル」が主催する「インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー2003」を、過去最高の審査員50人中44人の得票を得て受賞した。
エンジンの最高出力は、カタログデータで標準モデル(5速MT/4速AT)が210PS、TYPE-E(6速AT)は215PS、TYPE-S(6速MT)250PS(以上マイナーチェンジ前の数値)である。マイナーチェンジ前の210PSモデルは吸気ポートが4つであり、215PS、250PSのモデルは6PI(吸気ポートが6つ)であるが、マイナーチェンジ後に全て6PIで統一された。また後期型はハイパワー版が250PSから235PSに修正されている。この理由はレギュラーガソリンへの適合のためとされているが、より実測出力値に近い数値に合わせたともいわれている。ロータリーエンジン搭載車としては、初めて電子スロットルを採用し、各種走行安定装置(電子制御)も導入されたモデルである。なお、メーカーによる慣らし運転推奨車種(取扱説明書に記載)となっている。

その他
ブレーキキャリパーはフロント/リアとも片押し1ピストンであるが、フロントのディスクローター径はグレードにより大径となる。MT仕様のプロペラシャフトは、カーボンファイバー強化樹脂とスチールを組み合わせた、軽量ワンピース型を採用(AT仕様はスチール製)。パワーステアリングは、モーター制御の電動を採用した。マツダのスポーツカーに継承されてきたフロントミッドシップはさらに推し進めれ、「アドバンストフロントミッドシップ」レイアウトを採用。車両の重量配分はRX-7の最終型であるFD3S型と同様に「前後50対50」の比率を確保し、エンジンの搭載位置をより低くしたため、FD3S型よりもヨー慣性モーメントが5%低減され、高い旋回性能を誇っている[4]。
安全面では、国土交通省による衝突安全性能総合評価において、運転席、助手席とも最高ランクの六つ星を獲得[5]し、ブレーキ性能試験においても100km/hからの停止距離が38.6m(湿潤時は44.4m)と、この記録は試験を行った歴代全車両の中で、2003年販売時点でトップであり、この記録は2015年現在も破られていない。一方、歩行者頭部保護性能試験では頭部保護機能を持ったボンネットを採用しているものの、低いフロント形状の特性ゆえレベル1に留まる。
軽量化のため、全グレードにわたってスペアタイヤは搭載されず、パンク修理キットで代用している(テンパータイヤは販売店装着オプション)。
2005年12月13日放送のプロジェクトX「技術者魂永遠に~新ロータリーエンジン 革命車に挑む~」では、開発者から家族4人で乗ることができる「ファミリーカー」として開発したことが語られている。

モータースポーツ
スーパー耐久にて、一部プライベーターチームによりレースに投入されたが燃費が悪くよい結果は残せず短期間の参戦に終わった。マツダが、アマチュア向きに「RX-8パーティレース」というワンメイクレースを開催していた。改造範囲は限定され、専用のロールバーなども発売されていた。レースの運営は、マツダではなく専業業者が行ったが、現在では終了している。D1グランプリにて、FD3Sのエンジンに換装されたマシンが出走している。2008年3月と2010年1月アメリカにおいて デイトナ24時間レースで 3ローターNAを搭載したRX-8がクラス優勝している。MAZDA-USAでは、20Bペリポートエンジンを搭載したRX-8が、レース用としてコンプリート販売されている。JAF全日本ジムカーナ選手権で川北忠選手のRX-8 typeS(平成15年式)が2010年度SA1クラスにてシリーズチャンピオンを獲得している。

マツダ・RX-8
SE3P型
フロント
MazdaRx-8.JPG
リア
Mazda RX8 rear 20070523.jpg
販売期間 2003年5月 - 2012年6月(生産終了)
乗車定員 4名
ボディタイプ 4ドアクーペ
エンジン 13B-MSP型 654cc×2
13B-RENESIS水素ロータリー 654cc×2(105PS 14.3kgf・m)
駆動方式 FR
最高出力 250PS/8,500rpm
最大トルク 22.00kgf・m/5,500rpm
変速機 4速、6速AT / 5速、6速MT
サスペンション 前・ダブルウィッシュボーン
後・マルチリンク
全長 4,435mm
全幅 1,770mm
全高 1,340mm
ホイールベース 2,700mm
車両重量 1,340-1,360kg
水素車1,460kg
航続距離 ガソリン549km
水素100km

『化物語』(バケモノガタリ)は、西尾維新によるファンタジー小説。〈物語〉シリーズ第1弾(通巻1、2巻目)として講談社BOX(講談社)から刊行された。イラストはVOFANが担当している。2009年にテレビアニメ化、2012年には『化物語 ポータブル』としてゲーム化、2018年に漫画化された。
化物語』は21世紀初頭の日本の田舎町を舞台に高校生の阿良々木暦が「怪異(かいい)」に関わった少女達と出会い、その怪異にまつわる事件を解決していく物語。作者の西尾は「とにかく馬鹿な掛け合いに満ちた楽しげな小説を書きたかった」と語っており、ギャグやパロディ、メタ視点を交えた登場人物同士の会話に多くのページが割かれているのが特徴。
上下巻構成になっており、上巻は『メフィスト』(講談社)2005年9月号から2006年5月号まで連載された第一話「ひたぎクラブ」、第二話「まよいマイマイ」、第三話「するがモンキー」を、下巻はBOX書き下ろしの第四話「なでこスネイク」、第五話「つばさキャット」を収録している。
パッケージイラストは上巻は戦場ヶ原ひたぎ、下巻は羽川翼が描かれている。


高校3年生の阿良々木暦は春休みにとんでもない『事件』に巻き込まれて以来、人とは少しだけ異なった部分があった。
『事件』を通じて親しくなったクラス委員長の羽川翼と共に文化祭の準備をしていた5月のある日、ひょんなことから2年間ろくに会話すらしたことがない病弱なクラスメイト戦場ヶ原ひたぎの秘密を知る。彼女には、およそ体重と呼べるものがほとんど無かったのである。暦は秘密を知った日の放課後、ひたぎから秘密をばらさないようにと猟奇的な脅しを受け、口許をホチキスで刺される。それにもめげずに彼女の問題解決に対する協力を申し出る。暦は事件の後遺症として他人よりも異常に傷の治りが早くなっており、ひたぎの負わせた傷もすっかり塞がっていた。ひたぎによると、2年前に1匹の不思議な蟹に出会い、重さを根こそぎ持っていかれたのだという。彼女の体重は平均的な体格にもかかわらず5kgしかなかった。
春休みに遭遇した事件解決に際し、暦と翼は怪異に詳しい忍野メメという風来坊のオッサンの力を借りた。暦とひたぎはメメに相談するため、彼がねぐらにしている学習塾跡の廃墟ビルに向かう。メメはそこで金髪の少女で『吸血鬼の成れの果て』という忍野忍と暮らしていた。「助けるんじゃない。君が勝手に助かるんだ。ボクは力を貸すだけだ」と語るメメ。メメによるとひたぎの体重を奪った蟹もやはり怪異であるという。ひたぎはメメの力を借り、自分の体重を奪った怪異と再会するのだが、それには彼女自身が抱え持つ別の問題が関係していた。
『事件』の影響から怪異に纏わり付かれるようになった暦。暦に助けられて以降、毒舌ツンデレながら好意を抱くようになるひたぎ。しかし、暦とひたぎが親しくなったことで暦の周囲は再び慌ただしくなっていった。

1601号車(横浜市電1600型)

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1600形は戦後、木造車の改造で急造した単車800形の代替車として、交通局滝頭工場で6両製造された最後の新車。1957年(昭和32年)製。外観は大阪市電3001形の車体に、京都市電700形の4枚折戸を取り付けたような車体となっていて、軽快で近代的な印象を受ける。

横浜市電としては最終・最新の車輛であるのと同時に、最初で最後の前・中扉の車輛です。ただ横浜市電では前中式の乗降扉配置が車掌に嫌われたのか、ワンマン改造はされないまま1970年(昭和45年)の本牧線廃止を機に全車廃車された。ワンマン運転することを前提に設計したからこのような扉配置にしてあるのかは不明。


1957年(昭和32年)に6輛が滝頭工場で製造された。2輛ずつ、3箇所の営業所に均等に配属された。

中型ボギー車で横浜市電最後の新車でした。大阪市電3000形をベースにしたようです。


横浜市電1600型が履いているのはKL21D台車です。スポーク車輪を使ってます。

既に1500型が軽快なデザインを採用していたが、こちらは更に近代的な姿となり、丸みを帯びた全金属製車体が採用されている。前年に製造された大阪市電の3001形と意匠が似ている面もあり、大型窓を中心に左右に小窓を配した前面窓や大型方向幕を採用した点などは類似している。前照灯はこの時期には珍しくシールドビームが採用され、これは後に従来車にも反映されることとなった。

車内はロングシートであるが、室内灯には大型の蛍光灯が採用され、より明るい車内となっている。軽快なデザインとは裏腹に走行機器類は従来から進歩はなく、むしろ制御方式は直接制御に戻るなど逆行している。ただし台枠にエアタンクを組み込むなど、乗り心地の向上を図った工夫も凝らされている。交通局の威信をかけて自社で製造された車両ではあるが、新造から年数の経っていない車両にもかかわらず、特徴となっていた折り戸や左右非対称となる車体構造が災いしてワンマン化対象から外れ、登場からわずか12年の1969年から翌年にかけて全車廃車されてしまい、市電全廃まで活躍できなかった。現在はトップナンバー1両が市電保存館に静態保存されている。


全長は12m・定員は100名

横浜市電は横浜市中心部(概ね1927年以前の市域)を主として運行していた。車両は単車が比較的後年まで多く使用され、塗色も青を基調としたものが採用されていた(上半分クリーム・下半分青、上下青・窓回りクリーム等、最末期は黄色に青帯)。運転系統は循環系統が多く、特徴の一つとされていた。前身の横浜電気鉄道以外には買収路線が無い。ワンマン運転化は遅れ、全廃一年前に漸くすべてワンマン運転となった。

戦後、市街地が急拡大し、また交通量も増加。輸送力や路線網、渋滞の原因となった路線敷等あらゆる意味で市電は中途半端な存在となり、根岸線の開通や交通局の財政悪化も繋がって全線廃止への一途を辿った。

市電廃止後、7両の市電車両(523・1007・1104・1311・1510・1601・電動貨車10)が横浜市電保存館にて保存されている。また、久良岐公園に1両(1156)、中田小学校に1両(1508)、野毛山動物園にも休憩スペースとして1両(1518)が静態保存されているほか、軌道に敷設されていた御影石3000枚が神奈川大学横浜キャンパスに移され、1号館前の東屋に敷かれている。ほかに神奈川県警交通安全センターに1両(1505)が現存しているようだが、かなり荒れ果てている模様。東京都電や大阪市電などの車両が大量に他の路線に譲渡されたのに対し、横浜市電から他の事業者に譲渡された車両はない。

長崎源之助と村上勉による絵本『はしれ ぼくらのしでんたち』(偕成社、1974年)では廃止後に車両が魚礁となる描写があるが、2017年の調査では魚礁化の構想はあったものの事実は確認できなかったとされている。また、廃止時には横浜市民という条件をつけて37両が民間供出され、この絵本にもその模様が描かれた。モデルとなった車両について、2017年現在現存するものはないが、供出車両として登場する6両中3両については実際の譲渡内容を踏まえたものであったことが確認されている(車番や用途については脚色あり)。このうち、緑区の後谷公園に設置された1504号はのちに図書館となり、1986年の解体後に後を継いだ自治会館にも「しでん文庫」の名称が残されるとともに、車輪を設置した記念碑が建てられている。

工学部前停留場(鹿児島市電唐湊線)

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工学部前停留場(こうがくぶまえていりゅうじょう)は、鹿児島県鹿児島市郡元一丁目にある鹿児島市電唐湊線の電停。使用する系統は鹿児島市電2系統のみである。停留所名由来の鹿児島大学工学部の最寄に位置し、大学関係者が多数利用しています。

2面2線の相対式ホーム。地上駅。両ホームとの行き来は電車が通過中でない限りいつでもできる。
両のりばとも車椅子及び電動車椅子の使用は、ホーム幅が規定に足りないため不可。
無人駅で、乗車券などの販売は行っていない。

のりば
1番のりば
2系統 - 郡元方面


2番のりば
2系統 - 鹿児島中央駅前、天文館、鹿児島駅前方面
ホーム幅は狭く、上屋は設置されていません。

周辺
鹿児島大学工学部・理学部・法文学部・教育学部
T.T BOWL 鹿児島大学前店 - 総合アミューズメント施設
歴史
1957年3月29日 鹿児島市交通局により大学通電停として設置される。
日時不明 - 大学通から工学部前へ改称。


工学部前電停
Kōgakubumae
◄唐湊 (0.2km)(0.2km) 純心学園前►
所在地 鹿児島県鹿児島市郡元一丁目
北緯31度34分6.09秒 東経130度32分30.82秒
駅番号 口17
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電2系統
(線路名称上は唐湊線)
キロ程 4.6km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1957年3月29日

 

トヨモーターE8型(90cc 1955年頃)

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トヨモーターのバイクモーターの中でも、90CCの降臨横付のエンジンは創業以来の主力製品だった。「10万人の愛車を誇る」とうたわれたE8型は改良を重ねながら1953年から58年まで生産された一番のロングセラーモデル。

当時、バイクモーターで主流だった40CC~60CCよりもパワーがあり重量物運搬用のほか、輪タクにも使用された。

この車両には、本来、横付用のE8型が中付用に改造されて搭載されている。劣化が激しいが「E8 TOYOMOTOR」と書かれたエンジンカバーのデザインから、1955年以降のE8型である。

富士フイルム前駅 伊豆箱根鉄道大雄山線

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富士フイルム前駅(ふじフイルムまええき)は、神奈川県南足柄市狩野にある、伊豆箱根鉄道大雄山線の駅。富士フィルムの事業所最寄駅です。事業再編の影響で利用客は大きく減少している様子です。

駅構造
単式ホーム1面1線を有し大きな木造駅舎をもつ地上駅。駅前に大きなソテツがあります。東西に走る線路の南側にホームが置かれ、ホームの大雄山方から南に下りる階段で駅本屋に至る。

駅本屋は1階建てで、内部には自動券売機と乗車票発行機が1台ずつ設置されている他、木製ベンチの待合所がある。駅本屋の出口は西側に開けており、本屋の南側には時計台を有する公衆トイレが設置されている。無人駅(朝と夕方の通勤時間帯のみ有人改札)。駅の大雄山方に星ヶ崎踏切があり、駅北側に抜けることができる。

ホームの幅は広く、上屋も立派で長めに設置されています。。


駅周辺
駅前を狩川の支流である貝沢川が流れ、筏場橋が架かる。筏場橋を渡って駅前の道を南に向かうと、100メートルほどで県道74号の狩野交差点に出る。

県道と交差した後もさらに南に向かい、大泉河原橋で狩川を渡ると、富士フイルム神奈川工場足柄サイトに至る(ただし、工場正門(来客者受付)へは隣の和田河原駅から向かう方が近い)。その他、駅周辺には南足柄市立向田小学校(北東500メートル程度)、浮泉の池(南西1キロ程度)、極楽寺(南1キロ程度)がある。駅周辺には住宅地・商業地が広がっている。

小田原百貨店南足柄店



1956年(昭和31年)8月13日 - 開業。
1992年(平成4年)3月 - 自動券売機を設置。

富士フイルム前駅
ふじフイルムまえ
FUJIFILM-MAE
◄ID10 和田河原 (0.9km)(0.5km) 大雄山 ID12►
所在地 神奈川県南足柄市狩野60-1
北緯35度19分3.6秒
東経139度6分32.0秒座標: 北緯35度19分3.6秒 東経139度6分32.0秒


駅番号 ID11
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 大雄山線
キロ程 9.1km(小田原起点)
駅構造 地上駅
ホーム 単式 1面1線
乗車人員
-統計年度- 649人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1956年(昭和31年)8月13日

JR九州813系電車

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JR九州813系電車
813系電車(813けいでんしゃ)は、九州旅客鉄道(JR九州)の交流近郊形電車。

421系・423系や715系など、日本国有鉄道(国鉄)から承継した近郊形電車の取替えを目的として1994年(平成6年)3月から製造されている。

九州北部向けの近郊形車両として811系に代わって増備され、811系と併用することを前提としているが、JR九州としては初のVVVFインバータ制御(東芝製GTOサイリスタ素子)が採用されたほか、車両デザインを水戸岡鋭治率いるドーンデザイン研究所が手掛けたため、外観・車内・搭載機器ともに811系から大幅な変更がなされた。水戸岡が近郊型電車のデザインを手掛けたのは本形式が初となる。また、長期にわたって製造されていることから、製造年によって細部が異なっている。登場当初は、811系が4両固定編成であったため編成の自在度を上げることを目的として2両編成であったが、1995年から3両編成が加わり、しばらくこの二種の編成が混在していたが、2003年(平成15年)までに2両編成に中間車を組み込み、全編成が3両編成に統一された。

811系、815系、817系との相互連結も可能なため柔軟な運用が組めるのが特徴で、長編成での運転が多い鹿児島本線や日豊本線では811系、817系3000番台と、一時的に長編成が必要な福北ゆたか線(筑豊本線・篠栗線)、長崎本線では817系とそれぞれ併結運転されることも多い。

車体
車体はビードプレス処理の軽量ステンレス製幅広車体であり、片側3箇所に両開き客用扉が設置されている。乗降扉には扉数を表す数字が記されている事が特徴である。停車中は扉の選択開閉(ドアカット)が可能である。窓配置は811系と同じく扉間3枚であるが、開閉可能な窓(下降式)は扉間の中央にある窓と車端部の窓のみで、その他は固定窓である。

車体の大部分は無塗装であるが、側面に飾り帯を配していたこれまでのステンレス製車両とは異なり、飾り帯を廃してJR九州のロゴマーク(英社名)を配置した。側扉は室内・室外とも赤色に塗装されている。また、ドーンデザイン研究所がデザインしたJR九州車両に共通的な特徴であるが、車体側面にロゴ文字が入り、車両番号表記は1文字ずつ正方形の枠で囲っているスタイルである。前頭部は普通鋼製で、窓下にもガラスを取り付けている。縁と幌枠及び歩み板は側面扉と同じ赤色に塗装されている。貫通扉は黒色で、前述の英社名ロゴおよび、国鉄時代から続くつばめマークをステッカーで張り付けている。前頭部の他の部分は黒色が配されている。福北ゆたか線用車両は前面部が黒、前頭部が銀色、貫通扉のステッカーはCTロゴとなっている。

前面には貫通扉が設けられている。非常用の位置づけであった811系と異なり貫通扉を常用する構造になっており、貫通幌および幌枠、歩み板などを装備している。分割併結時の作業性向上のために811系で搭載された自動解結装置のほか、新たに半自動式の幌装置が取り付けられた。装置の使用は1995年4月20日に行われたダイヤ改正時より使用されている。貫通扉を常用とする815系や817系と連結する際には各編成間の貫通が可能であるが、非常用の811系編成と連結する際は貫通とはならない。

前照灯(電球)・および尾灯(LED)は811系同様にコンパートメント化されている。特筆事項として、JR九州の近郊型・通勤型電車では唯一フォグランプを装備している。フォグランプは前照灯の内側に設置され、前照灯とは独立してオンオフが可能である。しかし、フォグランプの使用頻度が少ないため、200番台以降ではフォグランプは廃止された。200番台以降ではプラスチック板のみのダミーに置き換えられている。

主要機器
TR401K台車
パンタグラフ
架線からの単相交流20kVを主変圧器で降圧した上で、サイリスタ位相制御で直流に変換した後、VVVFインバータで三相交流電源とし、その交流電源で主電動機(MT401K)を駆動する。

M-TAユニットを採用し、M車(クモハ813・モハ813形)にはVVVFインバータ・補助電源装置、TA車には主変圧器(TM401K)・サイリスタ位相制御装置(RS405K)・集電装置が搭載される。設計時から、ユニット間に付随車を挟んで3両編成の組成も可能であった。

主回路制御方式は、GTO素子によるVVVFインバータ(PC400K)1基で1基の電動機を制御する、1C1M構成のVVVF制御である。インバータ装置は東芝製である。本形式は、これまでの抵抗制御式車両に比べて大きな性能を持つために消費電力の増加と地上設備への負担が懸念されたため、主回路装置には1次電流抑制機能を持たせ、車両性能の負担を最小限に抑えると共に負荷電流の低減を図っている。それにより、415系の77パーセントの消費電力を実現している。

集電装置(PS400K)は、下枠交差式パンタグラフで、制御車のクハ813形に設置している。

台車はヨーダンパ付き軽量ボルスタレス台車のDT401K(電動車)、TR401K(制御車・付随車)が採用されている。車輪径を810mmに縮めたことで、床面高さは811系より55mm低い1125mmとなった。

主電動機にはJR九州では初めて三相誘導電動機を搭載した。主電動機出力は150kW、歯車比は1:6.50で、1M2T編成における起動加速度は2.0km/h/s、最高速度は120km/hである。また、6.50の歯車比はこの形式以降に製造された近郊形・通勤形車両に採用されている。

補助電源装置は、3次巻線方式の静止形インバータを搭載している。セクション通過時の瞬間停止を防止するために直流100ボルトのシール鉛バッテリーはフローティング充電方式を採用している。異常時に6両までの給電に対応するため、バッテリー容量は15kVAとしている。空気圧縮機は、誘導電動機駆動式のものを搭載する。

ブレーキ装置は電気指令式で、811系と同様に発電ブレーキを搭載する。基礎ブレーキは電動台車がユニットブレーキによる踏面片押し式、付随台車が1軸1ディスクと踏面片押し式ブレーキの併用である。VVVFインバータ装置との電空協調のため、ブレーキの制御装置はマイコン制御による受量器方式となっている。

消費電力は0番台-300番台において、415系の約77パーセントと、同様の駆動方式である883系の76%を超え、JR化後の車両の中で最も消費電力が大きい車両となった。これは、回生ブレーキを装備しないこと、GTOサイリスタを制御する電流がすべて熱損失になること等に起因する。

1000番台・1100番台については、817系3000番台と同等の機材のため、消費電力については改善されている。

車内設備
811系と同等の車内設備とするため、座席は転換クロスシートが採用されている。座席モケットは200番台までは赤色と黒色の豹柄模様であったが、300番台以降は茶色と黒色の市松模様となった。座席の枕の部分は独立している。優先席は枕の色が他の座席と異なっている(通常席:黒〔赤系〕・こげ茶色〔茶系〕、優先席:灰色)。さらに2006年末より、視認性を高めるため「優先席」表示がされた白色の座席枕カバーが装着されている。壁はモノトーン調で、床、貫通扉は青色に塗装されている。日本海側のドアの上にLED車内案内装置が取り付けられており、近郊形である事を理由に内容は次駅案内のみとなっている。南福岡車両区及び、直方運輸センター所属車では英語表記も行われる。ドア上にはドアチャイムも設置している。

415系1500番台と窓ガラス寸法を共通にしたため、811系と同様に新製時から座席と窓配置が合っていない。

トイレは上り門司港側制御車のクハ813形に設けられている。循環式で、臭気対策としてシャッターを設けている。便器は0・100・200番台が和式、300・1000・1100番台が車椅子対応の洋式である。811系まではトイレは鹿児島側に設置されていたため、従来車とは異なる位置となった。

大形くずもの入れを車端部に設置しているのも811系と共通するが、中間車では811系の2箇所(両端ドア部)に対し本系列では1箇所(八代側車端ドア部のみ)である。

冷房装置は、811系と同様に集中式の単相クーラーを1基 (AU403K - 42,000kcal/h) を屋根上に搭載する。811系のものと形式(AU403K)は同じだが、AU75Gタイプのキセの上にメッシュ状のカバーが装着されているため、外観は異なる。一部にカバーが撤去されている車輌があり、それらではAU75Gタイプのキセが見られる。暖房装置は腰掛け下にあり、運転室後部の袖仕切りに薄型温風ヒーターを設置して暖房効果を高めている。


形式
クモハ813形(0・100・200・300番台)
サハ813形(100・200・300・400・500番台)
クハ813形(0・100・200・300・1000・1100番台)
クハ812形(1000・1100番台)
モハ813形(1000・1100番台)
編成は0・100・200・300番台が八代側からクモハ813形(Mc) - サハ813形(T) - クハ813形(TAc)、1000・1100番台が八代側からクハ812形(Tc') - モハ813形(M) - クハ813形(Tc)である。かつて存在した2両編成は八代側からクモハ813形 - クハ813形の組成であった。

車両番号は基本的には編成毎に同じ番号で揃えられている。また、編成自体にも「Rxxx」の編成番号が与えられている。「R」は813系であることを示し、「xxx」は車両番号に対応している。後から組み込んだ中間車については、編成番号と車両番号が一致していない(400番台車については、下1桁は併結相手の0番台〔=編成番号〕と合わせてある)。車両に表示される編成番号は「Rxxx」だが、正式な編成番号は南福岡車両区配置車が「RMxxx」、筑豊篠栗鉄道事業部直方車両センター配置車が「RGxxx」である。

なお、1994年の1次車落成時点では編成番号が「Dxxx」だったが、1年程度で現行の「Rxxx」に変更され、現在「D」は485系を表す記号とされている。

運用
1994年に落成した0番台9本は南福岡車両区に配置された[1]。当初は421系が配置されていた大分電車区(現・大分鉄道事業部大分車両センター)の運用をそのまま引き継いだため、常に2本の編成を連結した4両単位で使用され、専ら普通列車で運用されていた。しかし翌1995年に100番台が製造されると、0番台も含め運用が大きく変更され、811系との併結運転を開始するとともに、快速列車にも使用されるようになった。また、同年のダイヤ改正で長崎本線(鳥栖 - 肥前山口間、定期列車としての長崎駅までの運用実績あり)および日豊本線での運転が開始された。その後も増備が進められ(配置は全て南福岡区)、運転区間がさらに拡大されている。

1997年には200番台の大量増備があり、423系の置き換えだけではなく、北九州・福岡都市圏の鹿児島本線普通列車に充当されていた415系の運用も置き換えたため、同年11月改正では、同都市圏の鹿児島本線は日中のほとんどの普通・快速列車が811系・813系の運用とされたが、同時に日豊本線では、日中のほとんどの普通列車が415系での運用とされ、本系列は朝・夕方以降の運用が中心とされた。

また、715系の老朽取替えのために福岡都市圏だけでなく長崎本線や佐世保線での運用も一時期増加したが、2001年のダイヤ改正で817系によるワンマン運転を開始して以降、同線での本系列の運用はごく一部に限られている。長崎本線系統の運用縮小と前後して、本系列はおおむね福岡都市圏の利用客の多い区間に使われるようになったことにより、付属車を組み込んで2003年までに全て3両編成となった。これに伴う鹿児島線系統の列車両数は増加傾向が見られたほか、一部は福北ゆたか線向けに直方運輸センターへ転属した車両もある。

その後鹿児島本線門司港 - 荒尾間のうち、小倉 - 折尾間、鳥栖駅以南の普通列車の一部が817系などに置き換えられたが、813系の運用傾向・範囲に大きな変化はなく、当該区間では終日811系・813系の運用がされている。2009年3月改正では長崎本線運用が減少し(肥前大浦駅 - 長崎駅から撤退、415系に置き換え)、日中の日豊本線での運用が増加している。

過去には熊本地区での運用があったが、2008年3月改正で熊本地区から撤退、より輸送力のある415系1500番台に置き換えられた。

南福岡車両区所属の車両は、日豊本線のワンマン運転開始に伴い、日豊本線(小倉 - 中津)を3両で運用する場合は専らワンマン対応車両(1000・1100番台)が充当されるようになった。ワンマン運転できる編成は20編成あり、日中は同区間を中心に運用されている。 直方運輸センター所属の車両は導入当初、福北ゆたか線では整理券方式の運賃収受を行っていたために昼間での運用がなかったが、2006年3月改正で駅での運賃収受に変更となったためにほぼ終日運用に入ることが可能となった。

2015年現在では、主に以下の路線で使用されている。

その他
全番台に共通するが、先頭の排障器(スカート)が大型化(乗務員室昇降ステップ組込み)され、2005年7月にR003編成をもって旧来の四角い断面のものは消滅した。
2016年には中間連結部分の転落防止幌を装備をした車両が登場し、随時取り付けが行われている。
南福岡所属の100番台についても2005年秋頃より車外スピーカーの設置が進められ、2008年秋までに完了した。
R001 - 007, 009, 102 - 113,R014 - 019, 201 - 236はATSのチャイム音を止める警報持続スイッチが運転席上部に移設されている。ただし、300, 1000, 1100番台(9次車以降)は、落成時点から運転席上部に設置されている。
直方運輸センター所属の編成は、817系に準じてドア付近にはCTステッカーが、前面の貫通扉には「Commuter Train 813」のロゴ等が入れられている。
0,100番台にあった車内放送用オルゴールは、車内放送用マイクに支障する故障が頻発したため撤去された。
2010年頃には運転席の右上にATS-DKの表示機が取り付けられた。これにより従来のATS-SKに加え、連続パターン照査による速度照査がより強化された。
広告車両(ラッピング車両)の例として、2004年にR214に「コカ・コーラ C2」のラッピングが、2011年にR222・2012年にR206に「人吉球磨広域行政組合」のラッピングが、2013年にR218に「スペースワールド」のラッピングが施された。811系のような塗装変更は行われず、側面の窓と窓の間にステッカーを貼る形で実施された。
九州鉄道記念館に設置されている811系運転シミュレーターでは、2011年のリニューアルの際、R205編成で撮影した映像を使用している。

運用者 九州旅客鉄道
製造所 近畿車輛
九州旅客鉄道小倉工場(4次車まで)
製造年 1994年 - 2009年
主要諸元
編成 3両
軌間 1,067mm(狭軌)
電気方式 交流20,000V (60Hz)
(架空電車線方式)
最高運転速度 120 km/h (曲線通過+15km/h)
設計最高速度 120 km/h (曲線通過+15km/h)
起動加速度 2.0 km/h/s
編成定員 254人(立席)+144人(座席)=398人 (1000番台)
編成重量 92.7t(1000番台)
全長 20,000 mm
車体長 19,500 mm
全幅 2,985 mm
車体幅 2,935 mm
全高 4,295 mm
車体 ステンレス
台車 ロールゴム式ボルスタレス台車(ヨーダンパ付)
DT401K・TR401K
主電動機 かご形三相誘導電動機
駆動方式 TD継手式中実軸平行カルダン駆動方式
編成出力 150kW×4=600kW
制御方式 サイリスタ位相制御+GTOサイリスタ素子VVVFインバータ制御(0・100・200・300番台)
PWMコンバータ制御+IGBT素子VVVFインバータ制御(1000・1100番台)
制動装置 発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ(0・100・200・300番台)
回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ(1000・1100番台)
保安装置 ATS-SK、ATS-DK、EB装置、防護無線


清澄白河駅 東京都交通局・東京地下鉄

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清澄白河駅(きよすみしらかわえき)は、東京都江東区白河一丁目にある、東京都交通局(都営地下鉄)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。

都営地下鉄の大江戸線と、東京メトロの半蔵門線が乗り入れ、接続駅となっている。それぞれ駅番号が制定されており、大江戸線がE 14、半蔵門線がZ 11である。

駅名の由来
隣接する付近の2つの地名、「清澄」と「白河」に由来する。なお、計画上の仮称は「清澄」であった。

東京都交通局
島式ホーム2面3線を有する地下駅である。中央の線は折り返し用で、両側にホームがある。当駅から木場車両検修場への引き込み線が存在するため、当駅発着の列車が設定されている。乗務員交替は当駅で行われている。

ホームの壁面には20世紀の高度経済成長期に江東区で多く生産された工業製品のスクラップの再利用物が展示されており、「20世紀文明の化石」というデザインテーマがある。4番線は左からビッグバンに始まる宇宙・銀河系・太陽系・日本列島誕生、さらに東京・江東地区、地下鉄などを表現し、都市の再生で締めくくっている。また、1番線は左から東京の街・公共交通・自動車・工業・金融・コンピュータ・愛と続き、未来の展望を表現している。2011年4月23日からホームドアの使用を開始した。

のりば
番線 路線 行先
1・2 E 都営大江戸線 両国・上野御徒町・春日方面
3・4 門前仲町・大門・六本木方面
2・3番線ホームは線路を共用している。
大江戸線の駅の多くは都庁前行と光が丘行で発車標に「○○方面(経由)」が表記されているが、当駅ではそれが表記されていない。
2・3番線ホームには、「反対方向の電車に注意」という接近表示器が設置されている。
大江戸線環状部の駅で唯一、1・2番線ホームに都庁前 - 光が丘間の路線図が表記されている。

東京メトロ
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。

住吉側に折り返し用の引き上げ線がA線(押上方面)・B線(渋谷方面)間に1編成のみ収容かつ両線から入線可能な留置線が設けられており、ラッシュ時を中心に当駅で渋谷方面へ折り返す列車が多く設定されている。

水天宮前側改札へ向かう出口付近は開削工法、それ以外はシールド工法で建設されている。

のりば
番線 路線 行先
1 Z 半蔵門線 大手町・渋谷・中央林間方面
2 押上〈スカイツリー前〉・久喜・南栗橋方面

駅周辺
当駅は、清洲橋通りと清澄通りが交差する清澄三丁目交差点付近の地下に立地する。周辺は、清澄、白河、三好、平野、深川となる。

駅周辺は清洲橋通りや清澄通りなどに沿って、店舗、マンションなどが建ち並ぶ。2000年代以降は同潤会清砂通アパートの建替として建設されたイーストコモンズ清澄白河をはじめ、付近に高層マンションが多数建設されている。近隣に大江戸線の乗務員基地である清澄乗務管理所が設置されている。

カッコ内は駅出入口番号を示している。

清澄庭園(東京都指定名勝)(A3)
江東区立深川図書館 (A3)
霊巌寺 (A3)
深川江戸資料館 (A3)
江東区役所 白河出張所
東京都現代美術館(A3:大江戸線 B2:半蔵門線)
最寄り出入口は、都営大江戸線と半蔵門線とで位置が異なっている。
木場公園(地下は大江戸線の木場車両検修場になっている) (A3:大江戸線 B2:半蔵門線)
江東区深川老人センター・江東区平野児童館 (A3)
のらくろード (A2)(旧夜店通り、あるいは「ファミロード」)
江東区森下文化センター (A2)
田河水泡・のらくろ館
芭蕉稲荷 (A1)
江東白河郵便局 (B2)
コンフォートホテル東京清澄白河 (B1)


2000年(平成12年)12月12日 - 都営地下鉄大江戸線全線開通と同時に開業。
2003年(平成15年)3月19日 - 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)半蔵門線押上延伸で半蔵門線の駅が開業、乗換駅となる[2]。
2004年(平成16年)4月1日 - 営団地下鉄民営化。半蔵門線は東京メトロに継承。
2011年(平成23年)4月23日 - 都営地下鉄大江戸線の駅でホームドアの供用開始。

所属事業者 東京都交通局(都営地下鉄)
東京地下鉄(東京メトロ)
電報略号 清(東京都交通局、駅名略称)
キシ(東京メトロ)
駅構造 地下駅
ホーム 2面3線(大江戸線)
1面2線(半蔵門線)
乗降人員
-統計年度- (東京都交通局)39,825人/日
(東京メトロ)52,793人/日
-2015年-
開業年月日 2000年(平成12年)12月12日[1]。
乗入路線 2 路線
所属路線 ●都営地下鉄大江戸線
駅番号 ○E 14
キロ程 13.3km(都庁前起点)
◄E 13 森下 (0.6km)(1.2km) 門前仲町 E 15►
所属路線 ●東京メトロ半蔵門線
駅番号 ○Z 11
キロ程 12.5km(渋谷起点)
◄Z 10 水天宮前 (1.7km)(1.9km) 住吉 Z 12►

歩哨所

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複哨及び歩哨は、次の一般守則に基づいて行動する。
警戒要領 誰何(すいか)
1.絶えず敵方を監視し、併せて四周を警戒し、すべての兆候に注意する。 敵に関し発見したならば、速やかに前哨長に報告する。
2.出入りを許す者は、味方の部隊、幹部、斥候、巡察、伝令として、 その他の者については前哨長の指示を受ける。近づく者には銃を構えて確かめ、 彼我不明の時は誰何(すいか)する。3度誰何しても答えない者は、捕獲するか、刺・射殺する。 車両は停止させて取り調べる。
3.出発する斥候からは、任務、経路、帰来地点、時刻等の概要を聞き、 自己の見聞した状況を知らせ、帰来する斥候からはその見聞した状況を聞く。
4.銃を手から離してはならない。夜間は着剣する。歩哨は喫煙せず、また、命令なく坐臥してはならない。
歩哨の一般守則であり、入隊すると暗記させられるものだ。 特に、普通科や施設科などの戦闘職種では、演習などに於いて、それに基づいた高度な行動や任務が要求される。

警衛所の歩哨が夜間の巡察に出る場合は、単独行動はせず、2名一組で巡察します。これを復哨(ふくしょう)と言います。復哨の勤務要領は、野外勤務の『歩哨』の教則に基いて行います。なお歩哨は、立哨に上番している時、あるいは巡察している時は小銃、銃剣、弾薬を携行します。
歩哨の任務としては、夜間の歩哨は銃剣を着剣する事になっていますが駐屯地内では夜間といえども銃剣は着剣しません。また演習場内に於いても戦闘訓練中の歩哨も着剣はしません。これは平時の訓練であるのと訓練事故防止の為です。

駐屯地警衛隊
駐屯地警衛隊(ちゅうとんちけいえいたい)とは、陸上自衛隊の駐屯地において警戒及び営門出入者の監視に当たる特別勤務の1つである。

駐屯地における入出門者の警戒監視と駐屯地内の規律の維持を目的に設けられており、主に駐屯部隊が持ち回りでその任務に就く。

部隊規模は数名から十数名で各部隊に割り振られており、その警備に関しては駐屯地だけでなく駐屯地に隷属する分屯地やそれに準ずる施設等多岐に渉る。上番する隊員は、銃剣または警棒を装備して駐屯地内を巡回し、要所に設置してあるタイムカード等を使って巡回したことを証明する。彼らは、万一の際は自衛隊格闘術を駆使して対処しなければならない。ただし、駐屯地内に設置されている弾薬庫の警備に上番する隊員に関しては、自衛隊法95条に基づく武器弾薬の防護のため、平素より実弾を込めた弾倉と銃剣を身につけ、小銃を装備することが認められている。基本的に駐屯部隊がその任に就くものの、小規模駐屯地に関しては近隣の部隊からの支援]を受ける場合の他に外部に委託し警備幹部や警衛司令等管理する者のみ自衛官という場合も存在する。

陸上自衛隊服務規則第55条に定めがあるものの、細部は各駐屯地司令(実際は警備幹部が立案)が定めており、必ずしもこの編成・階級通りとは限らない。

警衛司令:原則2等陸曹以上の陸曹または准尉・陸尉
営舎係(分哨長):2等陸曹または3等陸曹
歩哨係:2等陸曹若しくは3等陸曹
歩哨:2曹~陸士
らつぱ手:3曹若しくは陸士
操縦手:3曹若しくは陸士長(通常歩哨との兼務)
上記の他に、駐屯地所在部隊には増加警衛用の待機人員が指定されており、平時は課業終了時から約2時間と起床時から1時間程度の時間において登退庁時における営門の開門・入出門者の警戒等の任務が付与される場合がある。

なお中央即応連隊や空挺団、対馬警備隊に関しては88式鉄帽、防弾チョッキ、小銃等を装備した状態で正門の警備をしていることが確認できる。

海上自衛隊 ストレッッチャー

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艦艇内で壁沿いにコンパクトに収納されている。折りたたみ式。
ストレッチャー(英語: stretcher)は、動けない怪我人や病人を搬送するための器具である。


病人や負傷者を搬送するため枠に麻布などを張った持ち手部分をもつ器具。最も基本的な構造としては、人の身長より長い棒またはパイプを左右に配し、その間に丈夫な布を渡して縫いつけたもの。これに傷病者を乗せ、二人以上の人が前後から支えて運ぶ。折り畳み式のものもある。また、傷病者の体を固定するためのベルトを供えたものもある。
かつて日本では災害の折など、雨戸の戸板や畳を担架がわりにすることもあったが、担架の普及に伴い、あまり見られなくなった。しかし、緊急性があり用意できない場合は現代でも使用される場合がある。
プロスポーツの会場ではたんかを事前に用意してあることがほとんどである。特にサッカーなど接触プレイの多い競技においては何らかの負傷を負う選手が多いためである。またたんか1つでは足りない場合もあるので2つ以上用意されていることが多い。たんかで運ぶ役割を担う者は大学のサッカー部など一般人が担当することもある。

大日本帝国陸軍のたんかは四三年式たんか、三五年式たんか、吊たんか、安南たんかなど数種類である。いずれも組立式で、格納、携行に便利なようにできている。これらのほかに最寄りの材料で応用、急造することもある。
四三年式たんかは、総重量 4.3 kg 、床(とこ)1個、轅(ながえ)、横鉄、帯紐(おびひも)2個および負紐(おいひも)2個からなる。 床は矩形のズック製で、両長辺は轅を通すために長く管状で、裏面の両端近くにはそれぞれ1条の力帯があり、患者車で吊るための吊環が力帯の両端にある。 一端に関節があり、轅の牝螺にはまる。 負紐の両端は管状でこれに柄を通す。 運搬者はたんかの両端にいて、負紐を肩にかけ、柄を両手で提げて搬送する。 運搬は最少前後2人で可能であるが、長距離には堪えぬために4人で提送または担送される。 四三年式たんかが戦時、平時ともに最も多く使用される。三五年式たんかもおおむねこれと同様の構造である。
吊たんかは総重量 19.4 kg 、四三年式たんかの負紐の代わりに弾力性のある吊金(つりがね)を用いたもので、これに鉄棒1本が附属し、両端を前後2人で担いで運搬する。 この式は被運搬者の全身をおおう日覆(赤十字章が付される)、息杖(いきづえ)が附属する。 吊たんかは患者車の動揺に耐えがたい頭蓋、胸部、腹部の臓腑を負傷した者、脊柱、大腿の骨折などの重傷者を搬ぶのに用いられる。安南たんかは吊たんかに類似し、2人で肩で担う。天幕状の日覆(赤十字章が付される)が付せられる。

唐湊停留場(鹿児島市電唐湊線)

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唐湊停留場(とそていりゅうじょう)は、鹿児島県鹿児島市郡元一丁目にある鹿児島市電唐湊線の電停。難読駅として知られる当停留所です。使用する系統は鹿児島市電2系統のみである。停留場名の由来ですが所在地の住所が郡元ということで、指宿枕崎線西方の地名を拝借したということのようです。

2面2線の相対式ホーム。地上駅。両ホームとの行き来は電車が通過中でない限りいつでもできる。
両のりばとも車椅子及び電動車椅子の使用はホーム幅が規定に足りないため不可。
無人駅で、乗車券などの販売は行っていない。停留所入口へは横断歩道から車止めを回り込んでホームに連絡します。


のりば
1番のりば
2系統 - 郡元方面
2番のりば
2系統 - 鹿児島中央駅前、天文館、鹿児島駅前方面
ホーム幅は狭く、上屋は設置されていません。

周辺
停留場の郡元方面、左手に鹿児島大学キャンパスが広がっています。
鹿児島大学農学部・共同獣医学部


歴史
1957年3月29日 - 鹿児島市交通局により設置される。

唐湊電停
Toso
◄神田(交通局前) (0.3km)(0.2km) 工学部前►
所在地 鹿児島県鹿児島市郡元一丁目
北緯31度34分13.9秒 東経130度32分27.79秒
駅番号 口16
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電2系統
(線路名称上は唐湊線)
キロ程 4.4km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1957年3月29日

集電装置(架空電車線方式)トロリーポール

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集電装置(しゅうでんそうち)とは、鉄道車両やトロリーバスが電気を得るための装置をいう。集電器(しゅうでんき)とも呼ばれ、代表例としてパンタグラフが挙げられる。電車では通常、編成内の電動車に装備されるが、重量配分や取り付け位置の制約等の関係で無動力の制御車や付随車に取り付けられる事例もある。架空電車線方式では、集電装置は車両の屋根上に設置される。

トロリーポール
トロリーポール(trolley pole)とは、鉄道車両やトロリーバスの屋根上に取り付けられ、架線(トロリー)に接触させて集電する装置の一種。「ポール」または「電棍」(でんこん)とも呼ばれる。本体は鉄・軽金属・ステンレス鋼等のパイプで出来ており、先端部分にはトロリーホイールと呼ばれる滑車状の車輪、またはスライダーシューと呼ばれるU字断面のすり板が取り付けられており、架線にはめ込む様に接触させる。鉱山鉄道などでは事故防止の観点から、木製のポールに絶縁材で被覆された電源ケーブルを組み合わせたものも用いられた。トロリーポールは架線に対して斜めに角度を付けてトロリーホイールやスライダーシューを接触させて使用し、架線に突っ込む方向で使用すると離線した時にトロリーポール自体もしくは架線や架線を支持する吊架線(スパンワイヤー)の損傷につながるため、なびく方向で使用するのが原則である。車両の速度が向上するにつれ、架線を外れたトロリーポールが架線や吊架線を切断する事故も増えたため、ぜんまいばねの働きで引き紐を巻き取り、トロリーポールの跳ね上がりを防ぐレトリバー(レトリーバー、トロリーキャッチャー)が考案された。

電気鉄道黎明期には幅広く使用されたが、架線に対して斜めに接触させて使用し架線の高さが変位すると架線に対するトロリーポールの接触角度も変位するので、架線との接触面に加わる圧力(架線を押し上げる力)の変動が大きい。かつ質量が大きく剛性も低い(しなる)ため、

架線追従性が悪く、架線にはめこんであるトロリーホイールやスライダーシューが架線から外れてしまう離線が起こりやすい。
一旦離線が発生すると再度乗務員により架線に着線させる操作が必要である。
走行中に離線が発生するとトロリーポールが上に跳ね上がって架線や架線の吊架線を切断する事故が起こりやすい。
分岐器通過時各トロリーポールに操作員(通常は車掌が兼務)が必要で貫通路も使用しにくい。
という問題があり、高速化、大出力化、長編成化には不向きであった。

そのため、曲線や分岐が多く連結運転が多用された日本では電気鉄道の発展に伴い1920年代以降パンタグラフへの移行が急速に進展したが、トロリーポールには、構造が単純で製造コストも低い、本体のサイズが大きく作用範囲が広いため、架線の上下左右の偏倚や張力変動に強い、架線をさほど高い精度で設置しなくても使用できるので架線の設置、及び維持コストを低廉化できる、といった理由から、その後も長きにわたり路面電車や小規模な地方私鉄用として使われ続けた。

アメリカではインターアーバンを中心にその後もトロリーポールを使用する例が多数見られた[注釈 4]。路面電車では1929年(昭和4年)からPCCカーが開発されて1936年(昭和11年)に基本仕様が完成。以降量産して全米各地で使用され、マサチューセッツ州ボストン市を走るレッドラインのマタパン(Mattapan)支線では2012年(平成24年)現在でも使用中であり、スライダーシュー付きのトロリーポールを使用している。ペンシルベニア州フィラデルフィアのSEPTAでも、1980年代にPCCカーの代替として導入された川崎重工製軽快電車がトロリーポールを装備して登場し、使用されている。また、アメリカではサンフランシスコ市営鉄道のFライン、ウィスコンシン州ケノーシャなど、トロリーポールを装備したPCCカーのような旧型路面電車を市中で復活運行している例も複数ある。

トロリーポールには進行方向に対して1本(シングルポール)のものと2本(ダブルポール)のものがある。戦前の日本では、大都市の路面電車を中心に、線路からの帰電が漏電して地下埋設した水道用の鉄管を腐食(電食)させる事例があり、これを防ぐために架線に帰電する方式としたため、2本となった。その後、水道管の材質が電気の影響の少ない鉛等に変更されたため、戦後はすべて1本に変更されている。トロリーバスでは構造上地面への帰電が不可能であり、架線に帰電するためすべて2本となっている。

小型の車両では、屋根の中央に取り付けられ、進行方向が変わる場合は乗務員が引き紐で旋回させていた。日本ではこの作業はポール回しと呼ばれる。その後車両の大型化に伴い、進行方向ごとに1対を備えるようになり、2本ポールの場合は合計4本となる。この場合、常に後ろ側を使用し、終端部で乗務員が上げ下ろしを行っていた。ポールを上げるには組み込まれたバネの復元力を利用するが、架線への追従性を確保するためにビューゲルやパンタグラフと比較して押し上げる力が強力で、かつ架線にピンポイントで正確にトロリーホイールやスライダーシューをはめ込む必要があってトロリーコード(引き紐)を操り操作するには熟練が必要であった。また、分岐、転線の際は、本線側の架線から分岐側の架線への架け替えが必要となるため、乗務員は天候にかかわらず身を乗り出してポール操作を行わなくてはならず、大きな負担になった[3]。分岐部でトロリーポールを下げて付け替える手間を軽減するために、軌道側の分岐器よりも進行方向やや奥側に架線の分岐部を設置し、走行中にトロリーコードを分岐側に軽く引くだけでトロリーポールの転線が完了する様に改良されたが、離線も発生しやすいので従来の付け替え作業を行うタイプと併用されていた。

トロリーバスは道路状況によっては架線の直下を大きく外れて走る必要があるが、U字断面で水平・垂直方向に可動式のスライダーシューを装着して架線追従性を高める改良がされたトロリーポールはこの使用状況に向いており、2012年(平成24年)現在もトロリーポールが使われている。スライダー式はトロリーバス用として開発されたが、架線への追従性に優れていたため鉄道でも高速運転を行う路線を中心にホイール式から変更された例がある。

トロリーバスの場合は進行方向が一方のため、終端部には転回線が設けられており、途中の分岐が少ない。トロリーポールの上げ下ろしは(1)数少ない分岐(2)入出庫時(3)電化区間の鉄道線の踏切をわたる場合離線や車両故障時等で、路面電車より頻度を低くして表定速度の向上による高速化を狙っている。トロリーポール自体も当初は路面電車用と同様の構造だったが、高速化に対応し、また離線時の架線や吊架線の切断事故防止のために、後年はほとんどのケースでレトリバー(トロリーキャッチャー)を取り付けた。

手動で操作する架線分岐器が開発され、車庫構内や停留所など停車して操作可能な場所で使用された。自動化した架線分岐機構も開発され、世界各国のトロリーバスで使用されたが、構造が複雑なことと、後述するビューゲルやパンタグラフの普及により、手動式・自動式ともに鉄道や路面電車では一般化しなかった。

電気鉄道の黎明期にはさまざまな試行錯誤が行われ、トロリーポールもその起源の完全な特定には今後の研究が待たれるが、1888年(明治21年)にアメリカのダービーホース鉄道(DERBY HORSE RAILWAY)でヴァン・デポール(Van Depoele)の電気品を使用した電気機関車がトロリーポールを用いている。また同年、アメリカのリッチモンドユニオンパッセンジャー鉄道(Richmond Union Passennger Railway)がフランク・スプレイグ(Frank Julian Sprague)考案の電気鉄道システムを採用して開通、やはりトロリーポールを使用している。日本の営業用鉄道におけるトロリーポールの使用は、1895年(明治28年)2月1日の京都電気鉄道(1918年(大正7年)に京都市電/京都市交通局により買収)を持ってその嚆矢とする(1890年(明治23年)5月4日から東京・上野公園でトロリーポールを使用した『東京電燈スプレーグ式電車』(鉄軌道の分野ではスプレーグと表記する事がある)が走っているが、内国勧業博覧会開催期間中の限定運行でありサンプル的存在)。ホイール式は1975年(昭和50年)12月の京福電気鉄道嵐山本線・北野線、スライダー式は1978年(昭和53年)10月の京福電気鉄道叡山平坦線・鞍馬線(現・叡山電鉄叡山本線・鞍馬線)を最後に旅客用鉄道で使用する路線はなくなり、現在は乗客を乗せる車両では明治村等の保存用鉄道でのみ用いられている。一方、トロリーバス向けスライダー式は、日本に2路線のみ現存するトロリーバス路線の立山黒部アルペンルート内に含まれる関西電力関電トンネルトロリーバスと立山黒部貫光立山トンネルトロリーバスのみで使用されている。

 

 

三菱・デリカD:5(痛車 魔法少女リリカルなのは)

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三菱・デリカD:5(痛車 魔法少女リリカルなのは)
デリカ D:5(DELICA D:5、デリカ ディーファイブ)は、三菱自動車工業が製造・販売しているSUV・ミニバン型の乗用車である。フロントエンジンの1BOXミニバンの先駆けともなったデリカスペースギアの後継車であり、世界で唯一のオールラウンダーミニバンをコンセプトに開発されている。生産は「パジェロの町」岐阜県加茂郡坂祝町にあるパジェロ製造が担当。

車名の由来
「デリカ」は荷物を運ぶ車(=Delivery Car)の略で、当代はその「デリカ(DELICA)」の「5代目」から「D:5」となった。また、デリカD:2の登場を機に5段階でもっとも大きいモデルという意味も込められ、これを機に三菱のミニバンシリーズは今後「デリカ○○」のネーミングで統一されることとなった。
なお、2WD(FF)モデルの「C2」とは“Casual 2WD”の略でより身近で使い勝手の良い2WDという意味を込めており、エアロバージョンの「ROADEST」とは“道”を意味する「Road」と“最上級”を意味する「~est」の掛け合わせで、オンロードでの走りの良さを予感させるスタイリッシュなエアロ仕様を纏った上級モデルをイメージしている。
また、デリカ伝統の特別仕様である「シャモニー(CHAMONIX)」はフランス・アルプスのリゾート地に、「ジャスパー(JASPER)」はジャスパー国立公園に由来。
歴代モデルと同様に、冬季限定車は「シャモニー」、夏季限定車は「ジャスパー」という位置づけとなっている。

シャーシ・ボディ
ボディには、ほ乳類の肋骨の様な4つの環状型の骨格構造(リブボーンフレーム:ほ乳類の肋骨のように、ボディフレームの結合部の断面を確保することによって生まれた、環状型の骨格構造)と、アンダーボディには大型のクロスメンバー(剛性補強部品)と低床設計を採用。
2007年度の自動車アセスメントの衝突安全性能試験総合評価は最高6スター(★★★★★★)を獲得した。
所謂世界戦略シャシである三菱・GSプラットフォームの小型車版PMを用いて作成された車両。
同一シャシを用いる車両は非常に多く、三菱社内だけでも、ギャランフォルティス、アウトランダー、RVR、エクリプスクロスなど、主力中型乗用車のほどんどが共通プラットフォームとなる。(例えば、フロントタワーバーやプレース強化など、車体フレーム強化部品にこれらの車種は完全互換の軸間を持っている。)ほかにも、シトロエン・プジョーにも共通する車両が多くある。
エンジン
当初は、4WDのみの設定だったため4B12型 直列4気筒DOHC16バルブ(MIVEC) 2,359cc(170馬力)のみが搭載された。その後、2WD(FF)モデルが追加された。エンジンには4B12型が搭載されていたが後に燃費性能に優れた専用エンジンとして、4B11型 直列4気筒DOHC16バルブ(MIVEC) 1,998cc(150馬力)が搭載されたがマイナーチェンジ時に、新たに燃費性能に優れた4J11型 直列4気筒SOHC16バルブ 1,998cc(150馬力)を搭載することなった。トランスミッションはINVECS-III 6速スポーツモード付CVT。
そして、2012年12月26日に スターワゴンやスペースギアの歴代デリカのディーゼルファンの強い要望に応え、4WD車にミニバン初のクリーンディーゼルエンジン 4N14型 直列4気筒DOHC16バルブICターボコモンレールDI-D 2,267cc(148馬力)を追加設定した。トランスミッションはINVECS-II 6速スポーツモード付A/T。
サスペンション
サスペンションは、フロントに マクファーソンストラット式 リヤには、クルマの上下動や制動時、旋回時などでさまざまな力が加わった際も、正しい姿勢を確保できるトレーリングアーム式マルチリンクを採用されている。先代 デリカスペースギアよりもトレッドを拡大することにより、操縦安定性と乗り心地・旋回性能が向上した。
四輪駆動システム
今回から初代アウトランダーをベースにしているため、電子制御4WDを採用している。燃費のよい「2WD」、路面状況や走行条件に応じて、前後に駆動力を適切に配分する「4WDオート」、強力なトラクションが得られる「4WDロック」の3つのモードをダイヤル式のドライブモードセレクターで、走行中でも簡単に切り替えることができる。しかし機械式のローギアを備えたスターワゴン及びスペースギアから比べるとオフロード性能は落ちたと言われている。

三菱・デリカD:5
CV1W/CV2W/CV4W/CV5W型
フロントバンパープロテクター非装着車(-2018年4月)
フロント
Mitsubishi Delica D5 003.JPG
リヤ
Mitsubishi Delica D5 004.JPG
車内
Delicad5interior.jpg
製造国 日本の旗 日本
販売期間 2007年1月 -
設計統括 野村真三(プロジェクトマネージャー)
デザイン 矢野和雄
乗車定員 7人
8人
ボディタイプ 5ドアSUV型ミニバン
エンジン 2WD車
4B11 2.0L 直列4気筒DOHC16バルブ(MIVEC)
(2009年12月~2011年12月)
4J11 2.0L 直列4気筒SOHC16バルブ
(2011年12月~)
4WD車
4B12 2.4L 直列4気筒DOHC16バルブ(MIVEC)
4N14 2.2L 直列4気筒DOHC16バルブICターボコモンレールDI-D
駆動方式 FF/電子制御4WD
最高出力 2WD車
2.0L 150PS/6,000rpm
2.0L 150PS/6,000rpm
4WD車
2.4L 170PS/6,000rpm
2.2L 148PS/3,500rpm
最大トルク 2WD車
2.0L 20.1kg・m/4,200rpm
2.0L 19.4kg・m/4,200rpm
4WD車
2.4L 23.0kg・m/4,100rpm
2.2L 36.7kg・m/1,500~2,750rpm
変速機 INVECS-III CVT(ガソリン車)
INVECS-II 6AT(ディーゼルターボ車)
サスペンション F マクファーソンストラット式
R トレーリングアーム式マルチリンク
全長 4,730mm
全幅 1,795mm
全高 1,825-1,870mm
ホイールベース 2,850mm
車両重量 1,690-1,910kg
先代 三菱・デリカスペースギア


『魔法少女リリカルなのは』(まほうしょうじょリリカルなのは、英: Magical girl lyrical Nanoha)は、独立UHF系各局で2004年10月1日から12月24日にかけて全13話が放送されたテレビアニメ作品。『魔法少女リリカルなのはシリーズ』の第1期作品。
キャッチコピーは「魔法少女、はじめました。」
タイトルロゴの副題英文は「Magical girl lyrical Nanoha. She whispers some words mildly in your heart, and makes your gentle days.」と記されている。
当初『リリカルなのは』は既存のゲーム作品からのスピンオフであり、その原作となったゲーム『とらいあんぐるハートシリーズ』のシナリオを担当した都築真紀が、本作『リリカルなのは』においても全話の脚本を担当している。ただし、ゲームに登場する『リリカルなのは』は『とらいあんぐるハート』という土壌があって初めて成立するものであることから原作の『リリカルなのは』の部分だけをアニメ化してもうまくいかないと考え、都築は当初から「ゲームをそのままアニメ化することは難しい」という持論を持っていた。したがって都築は、本作『魔法少女リリカルなのは』において登場人物の設定を流用しつつも、その内容についてはオリジナルで行くことに決めていた。テレビアニメは当初から深夜のUHFアニメと決まっていたため、深夜帯に視聴する層にアピールするため、派手なアクションを取り入れたとも語っている[1]。本来の都築の魔法少女観は『とらいあんぐるハート3 ビジュアルファンブック』で語られているように、ハートフルな往年の女児向け魔法少女モノのイメージであるが、前述の事情や1クールという短い放送期間の都合で直球で作ると往年の魔法少女ファンすら喜ばない「魔法少女アニメのパロディ・二次創作」に評価が落ち着いてしまうので、それを避けるために本作ではその基本構造は本質的な骨子以外あえて無視している[2]。なお、原作版の構造はそれとは全く逆で、『とらいあんぐるハート3』までのシリーズをプレイしてきたプレイヤーの中に培われた作品への思い入れを「魔法少女アニメのパロディ」的な様式美の中で発露させることによって、感動へと昇華させる形となっている。
ストーリー前半はいわゆる魔法少女アニメのような感じだったが、母を救うために同じくジュエルシードを集めるなのはのライバルとなるフェイトの登場によりそれぞれの目的のぶつかり合いにより次第に「魔法バトルアクション」と言うべきものになっていった。一方で、恋愛もまた「アニメで表現するのは難しい」テーマだと考えていたようで[3]、原作では重要な要素だった男女間の恋愛というものは本作ではほとんどなく、代わりになのはとフェイトの少女間の友情を描いている。
従来は単なる「道具」としてしか描かれないことが多かった「魔法の杖」を、自立判断し英語でしゃべるパートナーとして描いている。担当声優に母語話者を起用した。
キャラクターの名称には自動車関連の名称が多く使用されている。

 

今池駅 筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線

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今池駅(いまいけえき)は、福岡県北九州市八幡西区里中二丁目にある、筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線の駅である。駅番号はCK07。周辺は住宅地が広がっています。


駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅である。無人駅。駅舎はなく、ホーム上屋壁背面の駅名看板が駅の存在を主張するのみです。


のりば
ホーム 路線 行先 備考
1 ■筑豊電鉄線 永犬丸・楠橋・筑豊直方方面
2 黒崎駅前方面

ホームは警報機付きの構内踏切で結ばれています。構内踏切を挟んで千鳥に位置します。

駅周辺
駅の周辺は閑静な住宅街が広がっている。駅の西側は山林だったが、急速に住宅団地が開発された。


北九州市立竹末小学校
福岡県立北筑高等学校
北九州市立西部障害者福祉会館
北九州テクノパーク八幡西
八幡厚生病院


利用状況
2013年度の1日平均乗降人員は1,548人である。

1970年(昭和45年)12月20日 - 駅開業


今池駅
いまいけ
Imaike
◄CK06 森下 (0.9km)(0.8km) 永犬丸 CK08►
所在地 北九州市八幡西区里中二丁目
北緯33度50分45.35秒
東経130度44分23.06秒
駅番号 CK 07
所属事業者 筑豊電気鉄道
所属路線 筑豊電気鉄道線
キロ程 3.7km(黒崎駅前起点)


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 1,548人/日
-2013年-
開業年月日 1970年(昭和45年)12月20日

 


鹿児島市交通局

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鹿児島市交通局(かごしましこうつうきょく)は、鹿児島県鹿児島市の交通部門。市電(路面電車)と路線バスを運営する。なお、鹿児島市営の交通事業として他に桜島フェリーが存在するが、これは鹿児島市船舶局が運営しており、交通局とは関係しない。

鹿児島市電
日本最南端の路面電車事業であり、全国の同事業の中でも数少ない健全運営を誇る。年間延べ約1千万人の利用客があり、特に谷山 - 天文館通間、鹿児島中央駅前 - いづろ通間は利用率が高い。
鹿児島市電の停留所は「電停」と呼ばれ、JRの駅と区別される。各電停にはバスロケーションシステムの表示端末が設置されており、後方3電停以内にいる電車の位置がわかるようになっている。鹿児島中央駅の地下通路においてはピクトグラムがJR線と紛らわしいが、JR線は列車の前面、市電は電車の側面である。

現存路線・系統
路線
以下の4路線(計13.1km)から成り立っている。軌間は(廃止路線も含め)全線1435mm。
第一期線(武之橋 - 鹿児島駅前)- 1914年12月20日全線開通
第二期線(高見馬場 - 鹿児島中央駅前)- 1915年12月17日全線開通
谷山線(武之橋 - 谷山) - 1912年12月1日全線開通、涙橋 - 谷山は専用軌道
唐湊線(鹿児島中央駅前 - 郡元) - 1959年12月20日全線開通
運行系統
以下の2つの系統が運行されている。両系統とも平均5分間隔で運行されており、天文館通 - 鹿児島駅前にいたっては1分間隔で運行されている時間帯もある。
■1系統〈青〉(鹿児島駅前 - 市役所前 - 天文館通 - 高見馬場 - 武之橋 - 郡元 - 谷山)
■2系統〈赤〉(鹿児島駅前 - 市役所前 - 天文館通 - 高見馬場 - 加治屋町 - 鹿児島中央駅前 - 郡元)
その他、平日の臨時運行があり、鹿児島駅前 - 鹿児島中央駅前 - 郡元(南側) - 谷山の直通系統(こちらは土曜も一部運行)、鹿児島駅前発鹿児島中央駅前経由脇田行き、脇田始発の1系統がある。さらに、7月の「かごしま夏祭」、11月の「おはら祭」の時には、高見馬場 - 朝日通間が歩行者天国になる関係で、谷山→騎射場→鹿児島中央駅前→郡元→谷山およびその逆方向の字状運行、朝日通 - 鹿児島駅前の区間系統が臨時運行される(「おはら祭」本祭の11月3日は字状運行のみ)。
廃止路線・系統
路線
以下の2路線を有していたが、いずれも1985年9月30日をもって廃止された。
戦前から[要出典]伊敷線は国道3号線、上町線は国道10号線の渋滞により廃止を望む声も多かった。上町線は1945年4月に日本本土空襲により破壊、1948年に経路を変更して復旧されたが、モータリゼーションの進行により存続の危機に晒されたためこれらの不採算路線を廃止し存続を図った。
上町線(市役所前 - 清水町)- 1961年4月1日全線開業、1945年4月空襲により休止、1948年12月28日再開
伊敷線(加治屋町 - 伊敷町)- 1961年12月16日全線開業
運行系統
上記路線の廃止に伴って下記系統が現在の系統に再編された。下記のほか、かつて朝ラッシュ時には、通常利用されない渡り線を利用して環状運転する臨時の系統も存在した(現在でも一部残存)。なお臨時系統での乗換券の発行は無かった。
1系統(現在と同じ)
2系統(清水町 - 市役所前 - 天文館 - 高見馬場 - 西鹿児島駅前(現・鹿児島中央駅前)- 郡元)
3系統(鹿児島駅前 - 市役所前 - 天文館 - 高見馬場 - 加治屋町 - 伊敷町)
計画路線
鹿児島市は、谷山電停からJR谷山駅までの延伸計画について、2002年度からその可能性を調査していたが、2006年4月、県道の渋滞を招くなどの理由から断念することを表明した。しかし、鹿児島市・鹿児島市議会・地元谷山の住民や商店街・周辺の教育機関などから要望があり、JR谷山駅から慈眼寺駅周辺の線路高架計画に基づき再検討されている。なお、他方面(県庁・与次郎・ウォーターフロント地区方面等)への延伸も検討されており、2012年度の鹿児島市の当初予算案にウォーターフロント地区への観光向け路線の調査検討費用が計上され、桜島フェリー乗り場、種子屋久航路の高速船乗り場を通るルートなどが検討されており、鹿児島市により以下の5ルート案が2012年2月20日に示された。

マイアミ通りA
いづろ通 - 桜島フェリーターミナル
マイアミ通りB(既存路線利用の周回路線)
いづろ - 市役所前
マイアミ通り・鹿児島駅
いづろ - 鹿児島駅前
みなと大通りB
市役所 - 種子屋久高速船ターミナル
大門口・みなと大通り(既存路線利用の周回路線)
いづろ - 大門口 - 市役所前

車両
元々は自局発注(一部は自局製造)と大都市圏(主に東京と大阪)で廃車となった車両を譲り受けたものが半数ずつという状況であった。他社からの譲り受けは1970年代の700・800形を最後に行われていない。

降灰のために夏季に窓を開放することができない鹿児島という都市の持つ特殊事情のため、災害対策の一環という位置付けで車両の冷房化を他の公共交通機関に先駆ける形で急ピッチで推進した。この結果、1986年には国鉄の鹿児島車両所(現・JR九州鹿児島車両センター)所属車両にも先駆けて、常用車両の完全冷房化を完了している(常用ではない700形は1991年に改造)。

1989年以降は市電の復権とバブル景気の後押しもあり、相次いで新造車を登場させている(2100形 - 2140形)ほか、車体更新により延命が図られた車両も存在する(800形→9500形)。2002年に就役した1000形は日本初の純国産超低床電車である。

2012年12月より、鹿児島市における路面電車の運行開始から100周年を迎えたことを記念して「観光レトロ電車」が導入された。形式番号は100周年を記念することから100形とされた。


鹿児島市営バス
2004年11月1日の5町編入以前の鹿児島市内全域に路線を持つ。ただし、桜島町のバス事業を引き継いだことから旧桜島町域にも路線を保有している。鹿児島市内の観光地を巡る路線バス「カゴシマシティビュー」や桜島の西側の観光地を巡る路線バス「サクラジマアイランドビュー」も運行している。それとは別に定期観光バスも運行している。貸切バス事業も行っている。

鹿児島市交通局
Kagoshima City Transportation Bureau
鹿児島市交通局本局
鹿児島市交通局本局
種類 地方公営企業
略称 市電、市バス
本社所在地 日本の旗 日本
〒890-0055
本局:鹿児島県鹿児島市上荒田町37番20号
バス事業課:鹿児島県鹿児島市新栄町22番28号
設立 1928年(昭和3年)7月1日
業種 陸運業
事業内容 乗合バス、路面電車、貸切バス
売上高 4,724,959千円(2005(平成17)年度)
従業員数 331名(2006(平成18)年4月1日現在)
外部リンク http://www.kotsu-city-kagoshima.jp/

トーマス 100CC 1957年トーマスオウトユニオン社

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トーマスオウトユニオン社が製作したトーマス(1957年)。トヨモーターを創業した川真田和汪が業績不振から辞任に追い込まれ、再興を期す為に再挑戦した。


川真田和汪はドイツの会社形態を参考に、全国初の部品メーカーが参加する協同組合生産方式の会社を名古屋市内に設立した。
トーマスエンジンは、強制空冷式で2サイクル100CC、5馬力、二段変速。横付け・中付け・農発用の三通りに使用でき、実用本位のバイクモーターであった。

しかし、時代は、完成車タイプのオートバイが主流であり、スポーツタイプに移っていき、また、50CCで手軽な乗用タイプのモペットオートバイが台頭。トーマスの販売は短期間に終わった。

八尾駅(JR西日本)関西本線

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八尾駅(やおえき)は、大阪府八尾市安中町三丁目にある八尾市の代表駅、西日本旅客鉄道(JR西日本)関西本線の駅である。駅番号はJR-Q25。「大和路線」の愛称区間に含まれている。駅は中心部からは外れており閑散としています。

 

駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を有する。分岐器や絶対信号機がない、停留所に分類される。後述するように、かつては竜華操車場(現在の久宝寺駅付近にあった)からの貨物線がこの駅まで延びており、上り線と下り線の間にその線路が敷かれていた。この名残で互いの線路は一線分離れている。

駅長が配置された直営駅であり、管理駅として関西本線の河内堅上駅 - 加美駅間各駅とおおさか東線の新加美駅を管理しているが、柏原駅には地区駅長を配置し、河内堅上駅・高井田駅・志紀駅を管轄しているため、当駅が全面的に管理下においているのは久宝寺駅・加美駅・新加美駅のみである。橋上駅舎は3階建てであり、2階は改札階、3階はJRの駅設備となっている。

ICカード乗車券「ICOCA」が利用することができる。2012年(平成24年)2月25日(土)に、それまで設置されていた継続定期券自動発行機を置き換える形で、北口にみどりの券売機が設置された。

現在は橋上駅舎の自動きっぷうりばに移設されている。切符売場には券売機が3台と指定席券売機が1台設置されています。改札口に改札機が4台。うち1台はICカード専用機です。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 Q 大和路線 上り 王寺・奈良・高田方面
2 下り 天王寺・JR難波・大阪方面


駅舎橋上化工事
2011年(平成23年)5月よりJR八尾駅周辺整備事業により、構内の渋川踏切の改良と橋上駅舎の工事が行われ、橋上駅舎は2013年(平成25年)7月6日(土)の始発電車より使用開始された。橋上駅舎には、エレベーター2基(上り下り両ホームに各1基ずつ)、エスカレーター4基(上り用・下り用を上り下り両ホームに各1基ずつ)、多機能トイレ(2箇所)が設置され、バリアフリー化が図られた。また、自由通路にも、エレベーター2基(南北に各1基)、エスカレーター4基(上り用・下り用を南北に各1基ずつ)が設置された。普通電車のみが停車するが、橋上駅舎の使用開始と同時に、ホーム上の発車標が小型タイプから幅広タイプに置き換えられた。

工事の進捗に伴い、2011年12月17日(土)始発列車より北駅舎が西側の旧ハート・イン八尾店の建物を利用した仮駅舎に移転した。 さらに、2011年12月23日(金)始発列車より南駅舎が西側に建設されたプレハブの仮駅舎に移転し、あわせてホーム西側に設けられた仮設の跨線橋が使用開始された。下りホームは仮設の跨線橋と南駅舎の移転にあわせて延伸され停車位置も移動したため、王寺寄り2両分は使用されていない。橋上駅舎の使用開始後も未使用のままである。また、上りホームについても橋上駅舎の使用開始と同時に王寺方面に延伸され停車位置が移動したため、天王寺寄り2両分は使用されていない。

従来は上家を支える柱や架線柱が線路に近いところに設置されていたことから安全上のリスクがあったが、橋上化にあわせて新しく天王寺寄りに延伸された上屋を支える柱は線路際から離して設置(王寺寄りの上屋はホーム上に柱が無いタイプ)、架線柱は上下間にある貨物線跡に設置された単柱に移設された。この対策は、JR西日本のリスクアセスメントの具体例にも挙げられている。

橋上駅舎完成に先立ち、2012年(平成24年)7月に渋川踏切改良工事が概ね完成した。安全性向上に向けた具体的な取り組み内容を紹介する安全ポスター Vol.54 の写真は、改良後の当踏切である。 また、北側駅前の道路整備によりJR八尾駅北交差点の信号が2014年(平成26年)7月17日午前6時より運用開始された。 さらに、南側駅前広場・アクセス道路等整備は2014年度(平成26年度)末までの工程となっていたが、2015年(平成27年)3月31日午前10時より使用開始された。

貨物線
かつては、阪和線杉本町駅への貨物支線(阪和貨物線)が分岐していた(正確には当駅と久宝寺駅の間にあった竜華信号場が分岐点)が、2004年6月末をもって休止されており、2009年3月31日付で廃止された。また、片町線貨物支線(城東貨物線)の書類上の終端駅となっていたが、こちらも2008年3月15日に廃止されおおさか東線へ移行した(終端も久宝寺駅となり、路線名称上当駅は経由しなくなった)。

 

利用状況
1996年度の乗車人員は1日平均15,545人であり天王寺駅~王寺駅の途中駅では最も利用者が多かったが、1997年春のダイヤ改正より隣の久宝寺駅(1996年度の乗車人員は1日平均5,469人)が快速停車駅となったことに伴い、乗車人員が減少し、2010年度にはついに久宝寺駅の方が乗車人員が多くなった。それでも、関西本線内で他線への乗り換え路線がない途中駅としては最も乗車人員が多い。

駅周辺
すぐ南は奈良街道に沿った旧龍華町大字植松の集落であり寺社が多い。さらに南の国道25号沿いに中規模の商業施設やカーディーラーが多く並んでいる。八尾市役所や福祉会館・八尾保健所・八尾郵便局などの公共施設は、約1.6km北東にある近鉄八尾駅との中間にある。市名を冠する駅であるが、八尾市の中心核は近鉄八尾駅周辺であり、市役所や近鉄の駅に行く場合は路線バスを利用するのが良い。平成23年発行の八尾市都市計画マスタープランでは副次核に位置づけられており、今後は地域の特色を重視した良好な商業地環境の形成を図る方針となっている。

北側
長瀬川
常行院
八尾市立安中小学校
八尾市立成法中学校
大阪府立八尾高等学校
八尾警察署
八尾駅前郵便局
八尾郵便局
大阪シティ信用金庫 JR八尾駅前支店


南側
渋川神社
大聖勝軍寺(太子堂)
法覚寺
善良寺
称念寺
伝往寺
八尾市立永畑小学校・永畑幼稚園
八尾市立龍華小学校・龍華幼稚園
八尾市役所龍華出張所・龍華コミュニティセンター・八尾市立龍華図書館
グルメシティ 八尾店
ドン・キホーテ 八尾店
エディオン 八尾太子堂店
コーナン 南植松店
スーパードラッグシグマ 植松店
バス路線
近鉄バス(JR八尾駅前停留所)
北行き(駅向かい)
70・72番(八尾線) 近鉄八尾駅前 行(八尾郵便局・八尾市役所前経由)
07番(久宝寺線) アリオ八尾 行(光南町・八尾市役所前経由、近鉄八尾駅前は経由せず)
南行き(駅舎側)
70番(八尾線) 藤井寺駅 行(八尾南駅前経由)
73番(八尾線) 八尾南駅前 行(若林口経由)
07番(久宝寺線) JR久宝寺駅 行(八尾市立病院前経由)
かつては吹田八尾線(近鉄・阪急バス・京阪バス)と国鉄バス東大阪線が当駅から千里丘駅・国鉄吹田方面へ路線を運行していた。

1889年(明治22年)5月14日 - 大阪鉄道 (初代)の湊町駅(現在のJR難波駅) - 柏原駅間の開通時に、同線の駅(一般駅)として開業。
1900年(明治33年)6月6日 - 関西鉄道が大阪鉄道の路線を承継。関西鉄道の駅となる。
1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化。国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、関西本線所属となる。
1980年(昭和55年)10月1日 - 貨物の営業が廃止され、旅客駅となる。
1987年(昭和62年)
4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
9月5日 - 京都駅 - 白浜駅間を阪和貨物線経由で運転された臨時特急列車「ふれ愛紀州路」の停車駅となる(土曜日が白浜行き、日曜日が京都行き)。翌年も同じ運行形態で運転された「しらはま」(1989年春廃止)が停車した。これに伴い、当駅 - 奈良駅間にB特急料金が設定された。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、「大和路線」の愛称を使用開始。
2000年(平成12年)10月1日 - 近鉄バスとの連絡定期券が利用可能になる。


2003年(平成15年)
2月24日 - レンタサイクル駅リンくんが北口から東へ約30mの遊休地(旧貨物ホーム跡地)で営業を開始(橋上駅舎工事のため2012年春にさらに東側へ移転)。
11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2008年(平成20年)3月15日 - おおさか東線開業に伴い、片町線貨物支線(放出駅 - 八尾駅間)廃止。
2009年(平成21年)
3月31日 - 関西本線貨物支線(八尾駅 - 杉本町駅間)廃止。
10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2011年(平成23年)
6月20日 - 11:00の営業をもって北口改札横にあったキヨスクが閉店。
6月22日 - 当日の営業をもって北口改札横にあったハート・イン八尾店が閉店。
12月17日 - 駅舎橋上化工事に伴い、北駅舎が仮駅舎(旧ハート・インの建物)に移転。
12月23日 - 南駅舎が仮駅舎に移転、仮設の跨線橋が使用開始。
2013年(平成25年)
6月29日 - 橋上駅舎完成記念見学会が開催される。
7月6日 - 橋上駅舎および自由通路の使用が開始される。改札前にハート・イン八尾店がオープン。
2015年(平成27年)
3月31日 - 10:00に南側の駅前広場が使用を開始。
7月2日 - ハート・イン八尾店がリニューアル工事のためこの日の営業をもって一時閉店。
9月2日 - セブン-イレブン ハートインJR八尾駅改札口店がオープン。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。

駅番号 JR-Q25
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 Q 関西本線(大和路線)
キロ程 163.1km(名古屋起点)
加茂から42.2km
電報略号 ヤオ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 13,065人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1889年(明治22年)5月14日
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有

180SX 日産自動車(痛車Hatsune MikuCat Food )

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180SX(ワンエイティエスエックス)とは、日産自動車が製造していたクーペ型の乗用車である。日本ではSXの部分を省略し、ワンエイティと呼ばれることが多い。
S13型シルビアとは姉妹車(同型番車種)で、同様に「901活動」の成果が盛り込まれた車種の一つである。ガゼールとともにシルビアの姉妹車として知られる。
SXの車名は当初、S10型ニューシルビアの北米向けとして生まれ、その後もシルビア/ガゼールの日本国外向けに用いられていた。

180SXは、S13型シルビアの日本国外輸出型である北米向けの240SXがベースとなっており、スポーツ・スペシャリティであるZX、SX、NXの日産クーペラインナップの中核モデルであった。これを日本仕様として仕立て直し、発売したモデルである。キャッチコピーは『日産からのプレゼンテーションです。』および『for FR Pilot』というもの。発売当時としてはまだ珍しかったフルレンジ電子制御ATを採用しているが、車の性格上販売数の9割以上がMTであった。
ヘッドランプに角型2灯式のリトラクタブルヘッドライトを採用、ボディスタイルはハッチバックを持つファストバッククーペとなっている。リトラクタブルヘッドライトの採用はデザインのためだけではなく、北米の法規上、S13型シルビアのヘッドランプの高さでは認証が取れないため、S12型シルビア / ガゼール同様リトラクタブルヘッドライトを採用した。
日本国内へはS13型シルビアより1年遅れで投入されているが、これには好調な売れ行きながら、発売後一定期間が経ち新味のやや薄れたS13型シルビアへのテコ入れ策として、営業側からS12型シルビア/ガゼールに存在していたハッチバッククーペ投入の強い販売要請を受けたことが背景にある。なお、北米向け240SXおよび欧州向け200SXは、S13型シルビア用のノッチバッククーペボディに180SX用のリトラクタブルヘッドライトを含むフロント回りを装着して販売された。
エンジンやトランスミッション、サスペンションなどの車としての基本構造は全てS13型シルビアと共通である。その他、車体周りでは、ステアリングホイールのデザインを除くインテリアとドアパネル、フロントウインドシールドなども共通となっている。
販売当時はスタイリッシュなFRスポーツとして外観や機能性に高い評価を受け、若者を中心に支持を得た。北米ではS13型240SXとして販売され、外観や車名の類似性もあり「240Zの再来」と言われた。

日本国内ではシルビアがS14型にフルモデルチェンジした後も、S14型シルビアのメーカー側の想定外の販売低迷もあり、S15型にバトンタッチするまでの間、180SXはモデルチェンジすることなく一世代古いS13型のまま販売され続けた。その間、クーペ市場の人気低迷による販売台数の減少は避けられず、生産工場も九州工場から高田工業、そして日産の関連会社である日産車体へと順次移管され、最後期はZ32コンバーティブルと同様、組み立てラインに乗せられず、ほぼ手作業で生産されていた。
180SXが販売されていた期間はおよそ10年間であるが、その間に数度の小規模・大規模なマイナーチェンジは受けたものの、前述の通りフルモデルチェンジをされることはなく、基本的なスタイルや性能はほとんど変化しなかった。
生産終了後から約20年が経つ現在でも、軽量な5ナンバーボディで後輪駆動方式(FR)を採用している点が近年では希少になったことや、姉妹車のS13型シルビアとほぼ同じ構造でスポーツ走行にも適した設計であったことからアフターマーケットにてスポーツ走行用の改造パーツが充実しており、シルビアと共にスポーティーカーとして一定の人気がある。また、車の性格上、姉妹車及び他社の類似車種同様にメーカー側の想定外の事態として若者の無謀運転による死亡事故が全国各地で相次いだ。そのため現在でも国産車としては任意保険料率の高い車種である。なお、型式にKが付くのがそれぞれ1800CC及び2000CCのハイキャス付きグレードである。総生産台数については、あくまで日本仕様である180SXに対してのものであり、国外仕様の240SXについては、台数にカウントされていない。

車名の由来
「180」はデビュー当初搭載されたCA18DET型エンジンの排気量である180cL(1.8L・1,800cc)を表し、「SX」は日産の輸出用ミドルサイズ・スポーティークーペに対するネーミングである。なお、1991年のマイナーチェンジ時にSR20DET型エンジンに変更され、排気量は2,000ccとなったが、車名は「200SX」とはならずに「180SX」のまま販売が続けられた。
ベースモデルである北米仕様車の240SXの車名は、搭載されているKA24E型エンジンの排気量2,400ccからきており、180SXはそれにならって付けられた名称である。また他車種ではあるが、同時期販売されていたZ31型およびZ32型フェアレディZは、日本国内仕様のテールエンドに「300ZX」(Zの北米仕様車と同様のネーミング)の表記が見られた。
なお、欧州仕様車の200SXには当初CA18DET型エンジンが搭載されているが、「200SX」の車名で販売されていた。のちに日本仕様と同様に2,000ccのSR20DET/SR20DE型エンジンに換装され、名実共に200SXとなっている。
取扱販売店
プリンス店系列(スカイライン販売会社)、チェリー店系列(パルサー販売会社)で販売されていた。

初期型(RS13/KRS13型、1989年-1991年)
日本では1989年に日産プリンス、チェリー系列で販売が開始された。ただし、それに先立ち米国では2,400ccのKA24E型SOHCエンジンを搭載し、「240SX」(トゥー・フォーティー・エスエックス)として販売されていた。また欧州では、日本仕様と同じ1,800ccのCA18DET型DOHCターボエンジン(175PS)を搭載し、「200SX」(トゥー・ハンドレッド・エスエックス)として販売されていた。S12ガゼールの事実上の後継車種だが、ガゼールを販売していた日産モーターは後継としてS13シルビアを扱うようになった。
初期型の特徴としては、日産の翼形グリルをイメージしたダミーのグリルがフロントバンパーにあること、前席シートがヘッドレスト一体型なことである。グレードは「TYPE I」と「TYPE II」で、「TYPE I」はスピーカーや電動ドアガラスが付かないなど競技用のベース車用途を対象にしていた。なお、HICAS-IIと呼ばれる四輪操舵システムをメーカーオプションで用意していた。タイヤサイズは、前後とも195/60R15となっている。エンジンは全グレード同じである。
1990年には500台限定の特別仕様車「TYPE II レザーセレクション」を発売。シートが全て革張りで本革ステアリング、シフトノブ、エアロパーツ、フッ素コーティング塗装のスーパーレッドを採用し、スカイライン、ローレル、セフィーロと共通のアルミホイールが標準で装備された。このモデルはフロントグリルのデザインが独特であるため中古市場では不人気モデルで、ほとんど流通していない。
HICASⅡ / SUPER HICAS
登場時は先進的なシステムとして注目されたが、ユーザーには不評であった。ドリフト時にリアが妙な動きをするといった理由により、わざわざHICAS搭載車を選択する理由が存在しなかった。そのため中古市場では他のグレードより相場が安く、人気が無かったため程度のよい個体が多かったが、後にHICASキャンセラーというアフターパーツが登場したため、あえてHICAS搭載車を目当てにするユーザーが増えた。そのため現在では他のグレードと相場は変わらない。なお、2017年まではHICASキャンセラーを用いた4輪操舵から2輪操舵への変更は改造申請が必要であり、変更を行った車両は原則として改造車の扱いを受けたが、同年4月から当該改造が検査項目から除外され、申請は不要になった。
中期型(RPS13/KRPS13型、1991年-1996年)
中古市場では最も台数の多いモデルである。 1991年のマイナー・チェンジにより、エンジンを従来のCA18DET型からSR20DET型2,000ccDOHCターボエンジン(205PS)に変更。なお、S13型シルビアも同時期にエンジンがCA18DET型からSR20DET型へ変更された。
このときフロントバンパーのデザインが大きく変わり、ダミーのグリルが廃止されボンネットとバンパーの段差がなくなった。外見が違うため、初期のCA18エンジン搭載車を「RS13型」または初期型、SR20エンジン搭載車を「RPS13型」または中期型と区別することも多い。ただし、オプションのサイドデカールに関してはこれ以降も「RS13」と書かれている。
タイヤサイズは205/60R15にワイド化されており、同時にアルミホイールのデザインも変更されている。また、四輪操舵システムはSUPER HICASに進化している。その他安全装備の強化として後席シートベルトの3点化、サイドドアビームの追加、燃料系へのロールオーバーバルブの追加、ヒーター付ドアミラーの設定(寒冷地仕様車)が実施されている。フロントシートは一般的なヘッドレスト分割式に変更されている。
1992年に、標準装備が充実した新グレード「TYPE III」が追加される。新型のデジタル表示式オートエアコンは「TYPE III」のみに標準装備となっていた。
1993年にシルビアがS14型にフルモデルチェンジを行ったが、180SXはS13型のまま販売が継続された。なお、欧州版200SXはS14型に切り替わっている。
1994年にはグレード名が変更され、「TYPE III」は「TYPE X」に、「TYPE II」は「TYPE R」となり、「TYPE I」は廃止された。エンジンのロッカーカバーの塗色は赤色から黒色に変更となった。また、エアコンの冷媒がR134aに変更されている。同年4月以降は生産は高田工業に委託された。
1995年5月には運転席SRSエアバッグが標準装備となったほか、アルミホイールのデザイン、ドアミラーとパワーウインドウのスイッチ形状が変更されている。また、それまでブラック一色であったドアミラーがボディ同色になった。オーディオは一新され、「TYPE X」用のオーディオはCD付きとなった。
1996年1月に「TYPE R」をベースとした限定車「TYPE R スポーツ」が300台限定で発売された。主な装備は、専用ボディカラープラチナホワイトパール(QN0)、ストラットタワーバー、サイドシルプロテクター、ニスモスポーツマフラー、オーディオレス等である。
後期型(RPS13型、1996年-1998年)
180SX 後期型のリアビュー(オプションのカーボン調リアガーニッシュ装着)
1996年秋にビッグマイナーチェンジを行い、後期型となる。フロントバンパー、スカイライン風の丸型リアコンビネーションランプ、大型リアウイング、リアブレーキの容量アップ、ABSの標準装備化、アルミホイールのデザイン変更、キーレスエントリーの採用(TYPE Xのみ)、一部内装の変更などの仕様変更がされる。また、SR20DE型2,000cc自然吸気(NA)エンジンを搭載したグレード(TYPE S)も設定された。 ハンドルは3本スポークと4本スポーク、どちらもキューブに装着されていたもの。
1997年には「TYPE S」を元に装備充実を図ったグレード(TYPE G)も追加され、ボディカラーにイエローが新設された(スーパーレッドは廃止)。
生産移管後は受注生産扱いであったため、ハンドメイドに近い形態で細々と生産されていたが、1998年12月にシルビアに統合され生産終了となった。

日産・180SX
RS13/RPS13/KRS13/KRPS13型
販売期間 1989年5月 – 1998年12月
乗車定員 4人
ボディタイプ 3ドア クーペ
エンジン 前期型:CA18DET
中後期:SR20DET
後期(S,G):SR20DE
駆動方式 FR
最高出力 175PS/6,400rpm(CA18DET)
205PS/6,000rpm(SR20DET)
140PS/6,400rpm(SR20DE)
最大トルク 23.0kgf·m/4,000rpm(CA18DET)
28.0kgf·m/4,000rpm(SR20DET)
18.2kgf·m/4,800rpm(SR20DE)
変速機 5速MT
フルレンジ電子制御4速AT
サスペンション 前:マクファーソンストラット式
後:マルチリンク式
全長 4,520mm
全幅 1,690mm
後期型 Type-X,S:1,695mm
全高 1,290mm
ホイールベース 2,475mm
車両重量 1,220-1,240kg(AT搭載車)
姉妹車 日産・シルビア(S13型)
総生産台数 約115000台
先代 日産・ガゼール
後継 日産・シルビア (S15型)

三菱 ハ42-21ル(ハ214ル)航空機用空冷星型エンジン

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ハ42は、第二次世界大戦期に三菱重工業が開発・製造した航空機用空冷星型エンジン。

日本初の空冷18気筒エンジン。同じく三菱の空冷14気筒の火星を18気筒化したもの。昭和14年に計画され、昭和14年8月に初号機が完成。昭和15年6月に審査運転を終了。陸軍にはハ104として採用され、四式重爆撃機などに搭載されることとなった。性能向上型として水メタノール噴射装置を導入したハ114が試作されたが物にならず(本エンジンの元になった火星においても水メタノール噴射を導入した二◯型は不調を起こしやすかったという)、そのため再設計したハ214があるが、こちらはごく少数が試作されたのみである。ハ42は陸海軍統合名称であるが、海軍において2,000馬力級の主力エンジンは小型の誉であったため、大型のハ42は結局、海軍機には採用されなかった。

ハ42-21ル(ハ214ル)
過給機:ターボチャージャー
その他:水メタノール噴射装置
離昇馬力 
2,300 hp/2,600 rpm / ブースト+500 mmhg
公称馬力 
一速全開 2,130 hp/2,500 rpm / ブースト+300 mmhg (高度1,600 m)
二速全開 1,750 hp/2,500 rpm / ブースト+300 mmhg (高度8,300 m)

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