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新橋駅  東京都交通局(都営地下鉄)

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新橋駅  東京都交通局(都営地下鉄)

 

東京都交通局
1960年(昭和35年)12月4日に押上駅 - 浅草橋駅間が開業した都営浅草線は、1963年(昭和38年)12月12日に当駅まで延伸開業した。当時は1号線を名乗っていたが、1978年(昭和53年)7月1日に現在の路線名に改称した。

なお、1963年(昭和38年)2月28日の人形町駅 - 東銀座駅間の開業時より汐留信号所(初代)として先行使用を開始していた。これは、当駅周辺の土地確保が難航したことなどにより、当初の予定が変更されたためである。この信号所は、東銀座駅発着列車の折り返しのために使用されていた。

1963年(昭和38年)12月12日 - 都営地下鉄1号線東銀座駅 - 新橋駅間延伸により開業。
2015年(平成27年)4月1日 - 新橋駅務区傘下の大門駅を大門駅務管理所大門駅務区に、東日本橋駅を馬喰駅務管理所馬喰駅務区に移管。
2016年(平成28年) 4月1日 - 新橋駅務管理所が廃止。新橋駅務区は馬喰駅務管区馬喰駅務区に統合、浅草橋駅務区は門前仲町駅務管区の傘下となる。

 


東京都交通局
東京都交通局 新橋駅
しんばし
Shimbashi
◄A 09 大門 (1.0km)(0.9km) 東銀座 A 11►
所在地 東京都港区新橋二丁目21-1
北緯35度39分55秒
東経139度45分33.3秒
駅番号 ○A 10


所属事業者 東京都交通局(都営地下鉄)
所属路線 ●浅草線
キロ程 10.5km(西馬込起点)
電報略号 新(駅名略称)
駅構造 地下駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 95,312人/日
-2016年-
開業年月日 1963年(昭和38年)12月12日
備考 直営駅

相対式ホーム2面2線を有する地下駅。

かつては新橋駅務管理所が所在し、東日本橋駅 - 大門駅間(末期は新橋駅 - 人形町駅間)を管轄する新橋駅務区が設置されていた。現在は馬喰駅務管区馬喰駅務区となったが、末期の旧・新橋駅務区傘下の各駅については馬喰駅務区の一部管理業務を当駅が行っている。

当駅と大門駅の間には大江戸線汐留駅とを結ぶ汐留連絡線への分岐があり、大江戸線の車両をE5000形電気機関車牽引で馬込車両検修場へ回送する時に使用される。

大門寄りに非常用の渡り線が設置されており、大江戸線車両の回送時に使用されるが、1968年6月21日に浅草線が大門駅から泉岳寺駅まで延伸するまでは当駅 - 大門駅間が単線運転だったため、この渡り線が活用されていた。開業当時は東銀座寄りにも両渡り線が存在し、汐留信号所(初代)時代から使用されていたが、泉岳寺駅延伸後に撤去されている。

エスカレーターは東銀座寄り改札口とホームを、エレベーターは大門寄り改札口とホームを連絡している。
のりば
番線 路線 行先
1 A 都営浅草線 西馬込・KK 京急線・Pictograms-nps-airport.svg 羽田空港方面
2 押上・KS 京成線・HS 北総線・Pictograms-nps-airport.svg 成田空港方面


オリンパス スーパーツイン 25CC 1961年 片山産業

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オリンパス・スーパーツイン(1960年発売。空冷2ストローク直列2気筒。18万2000円
スーパーツインが発売される前、オリンパス250CCはキングと称し、4サイクル短期筒エンジンで、ドイツのホレックスをモデルにしていた。


スーパーツインはドイツから一転、イタリアのルミに似せた珍しい水平並列2気筒の2サイクルエンジンで、ユニークな形のガソリンタンクとフレームをカバードしたこれまでとは全く違うスタイルで登場した。特に試作車は、マフラーをリヤフェンダーの内に隠されていた。
スーパーツインをベースに、国産初の2サイクルエンジン並列3気筒350CCが試作された。


山産業株式会社(かたやまさんぎょう、KATAYAMA SANGYO)は、第二次世界大戦後のオートバイメーカー乱立期に名古屋市で設立された日本の二輪自動車製造企業である。ブランドネームの「オリンパス(Olympus)」は、ギリシャ神話の神々が住む山として知られるオリンポス山に因む。ブランドネームが重複するオリンパス株式会社とは、資本関係も無い全く別の会社である。

創業
片山産業は1947年に愛知県名古屋市で設立し、当初は旧陸軍造幣廠の賠償機械の保全業務を引き受けていた。
1948年に農業用発動機の製造を始め、1950年からオートバイの製造を開始した。1951年には農業用発動機の生産を打ち切り、完全にオートバイメーカーへと移行した。
オートバイ製造への参入
オートバイ製造に踏み出したきっかけは、名古屋の自転車屋からオートバイ用エンジンの試作を依頼されたことであった。
4サイクル150ccの試作エンジンが完成したところで依頼した自転車屋から引き取りをキャンセルされたため、自社で車体まで製造して完成したのがオリンパス号の第1号車であった。
当時は第一次オートバイブームがピークを迎える時期であり、オリンパス1号車の売れ行きも好調であったことからオートバイの生産1本に絞るようになった。


成長期から衰退へ
エンジンを自社で製造し、フレームなどの部品は他社に発注して自社製エンジンと組み合わせてオートバイを完成させるアッセンブリメーカーで、500坪の敷地の工場で月産150台程度の規模だった。
また完成したオートバイだけでなく、エンジン単体もオリンパスエンジンとして伊藤機関工業(IMC)などの他のアッセンブリメーカーに供給した。
1959年発売の4サイクル250ccのオリンパス・マックスは、ドイツのNSUのオートバイを参考にした信頼性の高いモデルだった。
その一方で2サイクル水平対向2気筒エンジンのオリンパス・クラウンや2サイクル並列2気筒のスーパーツインといった画期的なメカニズムの車種を生み出した。
しかし、これらの新機軸を持つモデルを技術的に熟成される前に市場に出してしまったために発売後に様々な欠陥が見つかり、クレームと返品が続出したことが結果的に片山産業が衰退するきっかけとなった。


転換期から廃業へ
1959年に名古屋を襲った伊勢湾台風は港区などの港湾地区に集中していたオートバイメーカーの工場を直撃し、多くのメーカーが廃業に追い込まれる中、千種区に工場を持っていた片山産業は台風から生き残った数少ないメーカーのひとつだった。
しかし1960年ごろからはオート三輪や軽自動車の台頭によって手軽な運送手段としてのオートバイ産業そのものが転換期を迎え、1961年に片山産業はオートバイ製造から手を引くことを決定した。
以後は徐々に生産台数を減らすと同時に車検整備工場やタクシーの認可を受けるなどの基幹業種を増やしたものの、業績の回復が見込めなかった為、1963年には完全にオートバイ製造事業から撤退し、会社は解散された。

783系「にちりんシーガイア」(JR九州)

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783系「にちりんシーガイア」

にちりんは、九州旅客鉄道(JR九州)が小倉駅・大分駅 - 佐伯駅・宮崎駅・南宮崎駅・宮崎空港駅間を、日豊本線・日南線・宮崎空港線経由で運行する特急列車である。

特急「にちりん」は、1968年10月1日に博多駅 - 西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)間を日豊本線経由で運行していた同名の急行列車を特急に格上げする形で運行を開始した。当時の日豊本線は幸崎駅以南が非電化であったためキハ80系気動車が使用された。その後、1972年に博多駅 - 大分駅間に485系電車を充当して1往復増発され、1974年4月25日に南宮崎駅まで電化が延長されたのを受けて485系充当の列車は宮崎駅まで延長された。

1975年3月10日のダイヤ改正では、「にちりん」は同日全線開業した山陽新幹線と小倉駅で接続する列車として位置づけられ、従来関西方面と日豊本線を直通していた特急「みどり」の九州内区間を編入する(「みどり」は翌年佐世保線の特急として列車名復活)などして8往復に増発され、同時にエル特急の指定を受けた。1979年に日豊本線の電化が完了し、翌年には気動車による運転を終了した。1982年11月15日のダイヤ改正では、夜行列車を除く日豊本線の優等列車が「にちりん」に統一された。

国鉄分割民営化以降は増発と大分駅発着列車を中心に新型車両の投入が進み、1993年頃までに博多駅 - 大分駅間と博多駅 - 南宮崎駅(西鹿児島駅)間がそれぞれ1時間あたり1本ずつの運行にほぼ統一された。この間下関駅・門司港駅発着の列車が設定された時期もあったが、博多駅発着への統一化に伴い前者は1992年3月13日、後者は1997年3月21日をもってそれぞれ廃止された。

1995年4月20日に宮崎駅 - 西鹿児島駅間が「きりしま」として、1997年3月18日に博多駅 - 大分駅間の列車が「ソニック」として系統分割され、「にちりん」は博多駅 - 南宮崎駅・宮崎空港駅間の列車となったが、この頃から九州自動車道の全通により福岡市と宮崎市を結ぶ高速バス「フェニックス号」が大幅に時間短縮された影響で「にちりん」は特に大分駅 - 延岡駅間での利用不振が目立つようになっていた。そのため、2000年3月11日に「にちりん」は大分駅 - 延岡駅を廃止、博多駅 - 大分駅間は「ソニック」に編入、延岡駅 - 宮崎駅間は「ひゅうが」として系統分割する形で大幅に本数が削減された。

その後、「にちりん」の本数自体は2000年3月10日以前の水準に回復していったが、2001年3月3日に小倉駅発着、2003年3月15日・2004年3月13日に別府駅発着に短縮された。2009年以降はさらに別府駅から大分駅発着への変更が進み、2012年3月17日に大分駅発着に統一された。このようにして、「にちりん」は従来の福岡県と大分県・宮崎県間の輸送、および山陽新幹線接続の役割から、大分県・宮崎県間の輸送、および宮崎空港へのアクセスへと役割を移していった(ただし「ソニック」と大分駅での接続の利便性を図ることで、従来の役割も一部残されている)。

「にちりん」の派生列車
特急「にちりんシーガイア」は1993年3月18日に「にちりん」の南宮崎駅発着列車のうち2往復に787系電車を投入した際に与えられた別愛称であるが、当初から「にちりん」と共通の号数が与えられている。列車名は、同年に開業した宮崎市のリゾート施設、シーガイアに因んでいる。2000年3月11日に783系電車での運行となり、翌2001年3月3日には「にちりん」が小倉駅発着に変更されて一部列車が783系での運行になったことから(このとき「にちりんシーガイア」は1往復に削減されたが、2011年3月12日に上り1本が増発された)、以降は博多駅に乗り入れる「にちりん」としての意味合いが強くなっている。なお博多駅 - 宮崎空港駅間の運行距離は413.1㎞(西小倉駅 - 小倉駅間の重複運転部分も含む)で、2016年3月26日のダイヤ改正以降は夜行列車を除き、定期運行を行うJRグループ在来線の優等列車としては最長距離を走っている。

特急「ドリームにちりん」は「にちりんシーガイア」の運行開始に合わせて、それまで門司港駅 - 西鹿児島駅間で運行されていた夜行急行「日南」を、787系投入の上で博多駅 - 南宮崎駅間の特急に変更する形で運行を開始した。2009年3月14日以降はJR九州管内を運行する唯一の定期夜行列車となっていたが、2011年3月10日出発分の運行をもって廃止された。

このほか、1990年3月から1995年3月までは783系充当の列車を「ハイパーにちりん」、1995年4月から1997年3月までは883系電車充当の列車を「ソニックにちりん」の列車名としていた。

列車名の由来
列車名の由来は、太陽を表す「日輪」を平仮名にしたものである。

「にちりん」の名称自体は、博多駅・門司港駅 - 西鹿児島駅間(日豊本線経由)および博多駅 - 熊本駅間(日豊本線・豊肥本線経由)で運行していた急行「ひかり」が、「ひかり」の愛称を東海道新幹線の超特急に使用するのに伴い列車名の変更を余儀なくされ、1964年10月1日から西鹿児島駅発着編成を「にちりん」とした列車が最初である。この「にちりん」は翌年の9月30日に廃止されるが、1965年3月25日に博多駅 - 西鹿児島駅間を運行する急行列車として列車名が復活し、上記の通り1968年に特急に昇格した。

運行概況
「にちりん」は下り13本・上り12本、「にちりんシーガイア」は下り1本・上り2本が運行されている。「にちりん」・「にちりんシーガイア」は通しの号数が振られ、1 - 25号が与えられている。

「にちりん」は下り1本(3号)が小倉駅→ 宮崎空港駅間、上り1本(6号)が宮崎駅→大分駅間、下り3本・上り2本(2・4・21・23・25号)が大分駅 - 南宮崎駅間、上り1本(102号)が佐伯駅→大分駅間、そのほかの列車は大分駅 - 宮崎空港駅間、「にちりんシーガイア」(7・20・24号)は全列車博多駅 - 宮崎空港駅間の運転となる。「にちりん」のうち1・3号以外の列車は、大分駅で「ソニック」と接続し、博多・小倉方面からの直通需要にも配慮されている。特急料金の乗り継ぎ料金制度により、別府駅または大分駅で改札を出ないで「にちりん」と「ソニック」を乗り継ぐ場合は、通しの料金で乗車することができるため、駅や車内での案内も「ソニック&にちりん」(あるいはその逆)と記されている(。

列車番号は「にちりん」「にちりんシーガイア」共通で、号数+5000M(102号は号数+4990M)である。

繁忙期には小倉駅 - 大分駅間で臨時特急が運行されるが、このうち783系・787系で運行される場合は「にちりん8X号・9X号」として、臨時増発されるソニックと通し番号で運行される。2011年度ダイヤまでは別府駅・大分駅発着の定期列車を延長する形でも運行されていた。2015年まで運行されていた485系が充当された場合は、グリーン車なしの編成であった。また、福岡市周辺で大規模コンサートが実施された場合にも、博多駅 - 大分駅で臨時特急が運転されるが、このときも783系・787系で運行される場合は「にちりん19X号」として運行される。2013年には佐伯駅まで「にちりん」として運転するパターンもあった。

2017年3月4日より787系4両編成のうち、5往復(下り5・11・15・21・25号/上り6・10・18・26号)がワンマン運転となり、2018年3月17日のダイヤ改正からは787系4両編成を用いる全列車に拡大している。

停車駅
にちりん
小倉駅- 行橋駅 - 宇島駅 - 中津駅 - 柳ケ浦駅 - 宇佐駅 - 杵築駅 - 亀川駅 - 別府駅 - 大分駅 - 鶴崎駅 - (大在駅) - (幸崎駅) - 臼杵駅 - 津久見駅 - 佐伯駅 - 延岡駅 - 南延岡駅 - (門川駅) - 日向市駅 - 高鍋駅 - 佐土原駅 - (宮崎神宮駅) - 宮崎駅 - 南宮崎駅 - 宮崎空港駅

()の駅は一部列車のみ停車。
幸崎駅は下り1・3・23・25号/上り102号が停車。
大在駅は上り102号が停車。
門川駅は下り17号/上り4が停車。
宮崎神宮駅は下り17・19号/上り4号が停車。
にちりん(繁忙期増発)

小倉駅 - 行橋駅 - (宇島駅) - 中津駅 - (柳ケ浦駅) - (宇佐駅) - (杵築駅) - (亀川駅) - 別府駅 - 大分駅

8X号・9X号として、ソニックと同じ通し番号で運転。
( )内の駅は一部列車のみ停車。停車パターンは列車によって異なる。
にちりんシーガイア
博多駅 - (吉塚駅) - 香椎駅 - (赤間駅) - 折尾駅 - 黒崎駅 - (戸畑駅) - 小倉駅 - 行橋駅 - (宇島駅) - 中津駅 - (柳ケ浦駅) - (宇佐駅) - (杵築駅) - 別府駅 - 大分駅 - 鶴崎駅 - 臼杵駅 - 津久見駅 - 佐伯駅 - 延岡駅 - 南延岡駅 - (門川駅) - 日向市駅 - (都農駅) - 高鍋駅 - 佐土原駅 - 宮崎駅 - 南宮崎駅 - 宮崎空港駅

( )の駅は一部列車のみ停車。
吉塚駅・赤間駅・杵築駅は下り7号/上り24号が停車。
戸畑駅・宇島駅・柳ケ浦駅・宇佐駅・門川駅・都農駅は上り24号が停車。
小倉駅でスイッチバックをするため、小倉駅到着時には座席の向きを変えるようにとの車内放送が流れる。また西小倉駅 - 小倉駅間は重複運転となるが、小倉駅で途中下車しなければこの区間は運賃・料金計算には含めない。(
にちりん・にちりんシーガイア共に臨時停車を行う場合があり、上記以外の駅に臨時停車を行う場合がある。例として、沿線イベント開催に伴い、築城駅(航空自衛隊・築城基地航空祭開催のため)、中山香駅、浅海井駅(JR九州ウォーキング開催のため)に停車することがある。

また、繁忙期増発以外にも、臨時列車の例として、大分発宮崎空港行きにちりん91号、大分発南延岡行きにちりん92号(延岡での大規模イベント開催に伴う)が設定されたことがある。

使用車両・編成
大分鉄道事業部大分車両センター・南福岡車両区に所属する787系電車、南福岡車両区に所属する783系電車(ハイパーサルーン)が充当されている。787系は大分車両センターに所属する車両が4両編成、南福岡車両区に所属する車両が6両編成(グリーン個室・デラックスグリーン車連結)、783系は5両編成で運転される。

787系は4両編成が「にちりん」8往復(下り1・5・11・15・21・23・25・101号/上り2・6・10・16・18・22・26・102号)に、6両編成が「にちりん」下り3本/上り2本(下り3・13・19号/上り8・14号)と「にちりんシーガイア」上り1本(24号)に充当されている。2011年3月12日の九州新幹線鹿児島ルート全線開通に伴い余剰となった車両で485系電車を置き換えるために日豊本線系統の特急列車に転用したもので、特急「きりしま」「ひゅうが」にも充当されている(ただし6両編成は「ひゅうが」のみで運用)。なお、「にちりんシーガイア」には1993年 - 2000年にも充当されたことがあり、当時連結していたビュッフェも営業していた。現在、ビュッフェは改造されており、半分が4人掛けボックスシート、半分が座席になっている。ボックスシートは3人以上の利用で発券される指定席であるが、にちりん3号・にちりんシーガイア24号では自由席となっている。また、6両編成車にはDXグリーンおよびグリーン車個室が設定されている。

783系は「にちりん」2往復(下り9・17号/上り4・12号)と「にちりんシーガイア」1往復(下り7号/上り20号)に充当され、各車両中央の乗降口を境に宮崎空港/博多寄りのA室と大分・小倉寄りのB室に分かれている。車両自体は「にちりん」には2001年から、「にちりんシーガイア」には2000年からそれぞれ充当されているが、2011年3月12日のダイヤ改正で「にちりん」系統に使われていた車両は博多駅近郊のホームライナーの性格を持つ特急列車に転用され、代わって「かもめ」系統で使用されていた車両で運行されるようになった。なお、両数は新旧の編成とも5両編成だが、乗車定員は現在の車両の方がやや多くなっている[6]。783系は1990年 - 1996年にも「にちりん」に充当されていたが、1995年までは783系の「にちりん」は車両の愛称にちなんだ「ハイパーにちりん」の列車名で運行されていた。


過去の使用車両
キハ80系気動車:1968年10月1日 - 1980年9月30日
583系電車:1980年10月1日 - 1984年1月31日
485系電車:1972年4月27日 - 2011年3月11日
883系電車:1995年3月18日 - 1997年3月21日
1995年4月20日からは、883系で運行する「にちりん」は「ソニックにちりん」の列車名で運行されていた。なお883系は1995年、1997年の投入の際にいずれもダイヤ改正に先行して投入されたため、投入からダイヤ改正までの短期間ではあったが、883系による「にちりん」も運行されていた。
885系電車:2010年9月11日 - 9月26日の土・日・祝日
「がんばれ宮崎!」のラッピングを施した885系電車が「にちりんシーガイア7・20号」に充当された

「にちりん」に関する乗車券等の特例
特急「にちりん」号が関与する乗車券等の特例は、別府駅または大分駅で改札を出ないで「にちりん」と「ソニック」を乗り継ぐ場合は、特急料金の乗り継ぎ料金制度により、通しの料金で乗車することができる。この特例は2003年に「にちりん」が一部別府駅発着になった際に設定されたもので、2012年3月17日に「にちりん」の別府駅発着列車がなくなったため事実上大分駅のみでの接続となったが、規則上は引き続き別府駅における特例も残されている。なお、グリーン車券については適用されない。

にちりんシーガイアに対しては「小倉駅から博多方面と大分方面を引き続き乗車する場合は、西小倉駅 - 小倉駅間は重複乗車となるが、特例により小倉駅 - 西小倉駅間のキロ数は含めないで運賃計算を行う」特例がソニックと同様に適用されている。ただし、小倉駅で途中下車はできない。また特急料金等についても、同様に西小倉駅 - 小倉駅間のキロ数を含めないで計算する。そのため、実際の運行距離から1.6km(小倉-西小倉間0.8kmの往復分)が引かれて運賃計算・特急料金等の計算が行われる。
宮崎駅 - 宮崎空港駅間に関しては乗車券のみで普通車自由席に乗車可能で、この区間のみで普通車指定席またはグリーン車に乗車する際には、指定席券あるいは普通列車用自由席グリーン券を車内で車掌から購入する形となる。また宮崎駅を跨いで乗車する場合、特急料金は自由席特急券のみ宮崎駅以北の区間のみで計算される。

にちりん
にちりんシーガイア
JR kyushu type783 nichirin-seagaia beppu 1.jpg
783系「にちりんシーガイア」(2007年3月 別府駅)
概要
種類 特別急行列車
※宮崎駅 - 宮崎空港駅間は乗車券のみで普通車自由席に乗車可能。ただし種別上はこの区間も特急として扱われる。
現況 運行中
地域 福岡県・大分県・宮崎県
運行開始 1968年10月1日
現運営者 九州旅客鉄道(JR九州)
旧運営者 日本国有鉄道(国鉄)
路線
起点 にちりん:小倉駅・大分駅
にちりんシーガイア:博多駅
終点 にちりん:佐伯駅・宮崎駅・南宮崎駅・宮崎空港駅
にちりんシーガイア:宮崎空港駅
営業距離 413.1 km (256.7 mi) (博多 - 宮崎空港間)
使用路線 JR九州:鹿児島本線・日豊本線・日南線・宮崎空港線
技術
車両 787系電車(大分車両センター・南福岡車両区)
783系電車(南福岡車両区)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 交流20,000 V・60 Hz

神田(交通局前)停留場(鹿児島市電唐湊線)

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神田(交通局前)停留場(しんでん(こうつうきょくまえ)ていりゅうじょう)は、鹿児島県鹿児島市上荒田町にある鹿児島市電唐湊線の電停。使用する系統は鹿児島市電2系統のみである。


1952年の開業時は唐湊と称し、1957年の延長開業時に隣の電停に名前を譲り改称されました。
鹿児島市交通局の移転に伴い、2015年5月1日に神田停留場から改称された。

2線2面のホーム。地上駅。ここで乗務員が交代します。
両のりばとも車椅子及び電動車椅子の使用はホーム幅が規定に足りないため不可。
無人駅で、乗車券などの販売は行っていない。


のりば
1番のりば 上屋が設置されています。
2系統 - 郡元方面
2番のりば
2系統 - 鹿児島中央駅前、天文館、鹿児島駅前方面 高見馬場方面。ホームはカーブしています。
停留所入口へは。横断歩道が車止めを回り込んでホームに連絡します。

周辺
鹿児島市交通局局舎
JR九州鹿児島車両センター(鹿カコ)


歴史
1952年6月1日 - 鹿児島市交通課により唐湊電停として設置される。
1957年3月29日 - 唐湊電停開業に伴い、神田へ改称。
2015年5月1日 - 鹿児島市交通局の移転により神田(交通局前)へ改称


神田(交通局前)電停*
Shinden (Kōtsūkyoku-mae) -
◄市立病院前 (0.3km)(0.3km) 唐湊►
所在地 鹿児島県鹿児島市上荒田町
北緯31度34分23.82秒 東経130度32分26.61秒
駅番号 口15
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電2系統
(線路名称上は唐湊線)
キロ程 4.1km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1952年6月1日
備考 * 2015年に神田から改称

カゴシマシティビュー(鹿児島市 交通局)

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レトロな路面電車風のバス。
鹿児島市内の主な観光スポットを周回しています。カゴシマシティビューは、鹿児島市が運行している観光地周遊バスです。

どの停留所からも乗車でき、好きな停留所で下車できますので、ご自分のペースで観光ができます。
シティビューの専用車両について(3両)
木材を使用した安らぎのある内装で、広い窓や後部の展望席は観光に最適です。


専用車両の3両中、2両につきましては座席を5°外向きに設置しており、さらに展望しやすくなっています。
通常運行時は、車椅子が乗車可能な低床バスで運行します。

 

カゴシマシティビュー (毎日運行)コース
停留所:鹿児島中央駅 ≫ 維新ふるさと館(観光交流センター)前 ≫ 西郷どん大河ドラマ館前 ≫ 天文館 ≫ 西郷銅像前 ≫ 薩摩義士碑前 ≫西郷洞窟前 ≫ 城山 ≫ 西郷洞窟前 ≫ 薩摩義士碑前 ≫ 西郷南洲顕彰館(南洲公園)前 ≫ 今和泉島津家本邸跡(篤姫誕生地)前 ≫仙巌園(磯庭園)前 ≫ 異人館(磯海水浴場)前 ≫ 石橋記念公園前 ≫ 鹿児島駅(かんまちあ)前 ≫ かごしま水族館前(桜島桟橋) ≫ドルフィンポート前 ≫ 金生町 ≫ 天文館 ≫ 鹿児島中央駅

所要
運行時間:1周当たり約80分

全コース乗車1回当たり190円、小学生以下100円。
運賃はお降りの際に、現金を運賃箱に。
ICカード乗車券ラピカ(Rapica)
一日乗車券(大人600円・小児(小学生以下)300円)
キュートでもご利用になれます。
一日乗車券には観光施設の入館料等が割引になるパスポートが付いています。
夜景コースでは、夜景コース専用の一日乗車券、大人200円
小児(小学生以下)100円もご利用になれます。

OH-6 小型ヘリコプター(ヒューズ・ヘリコプターズ社)

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OH-6は、アメリカ合衆国の航空機メーカー、ヒューズ・ヘリコプターズ社が開発した小型ヘリコプター。アメリカ軍における愛称は「カイユース」(Cayuse:アメリカ先住民のカイユース族から」)。機体形状から「フライングエッグ(空飛ぶ卵)」の別名でも呼ばれている。

ら」)。機体形状から「フライングエッグ(空飛ぶ卵)」の別名でも呼ばれている。


1960年にアメリカ陸軍では、L-19 バードドッグやベル47などの観測機の後継機となる軽観測ヘリコプター(LOH)計画の提案要求を各航空機メーカーに提示した。LOHの要求性能は、アリソン製T63-A-5ターボシャフトエンジンの搭載、ペイロード180kg以上、最大速度103kt以上、航続時間3時間以上、4人乗りとされ、機体のサイズもローター直径10.72m、全長10.6m、全高2.87m以内に収め、C-130 ハーキュリーズ輸送機に4機が搭載できることなどであった。


YOH-6A
LOH計画は、10年間で約3,600機が調達される予定であったため、アメリカ国内の航空機メーカー12社が応募し、設計案は22案に上った。このうち、ベル社、ヒラー社、ヒューズ社が最終選考まで進み、1961年5月19日に3社の試作機製造が承認された。試作機は各社5機ずつ製作され、ベルYOH-4A(後のモデル 206)、ヒラーYOH-5A(後のFH-1100)、ヒューズYOH-6Aの名称が与えられて比較評価試験へと移行した。試験は1年間にわたって行われ、1965年5月26日にYOH-6Aが飛行性能の良さと機体価格の安さから採用が決定され、OH-6 カイユースの名称で1,200機が発注された。生産は1965年から開始され、最初の月の生産数は70機に達した。

OH-6は、1966年9月からアメリカ陸軍への引き渡しが開始され、1967年12月にはベトナム戦争に投入されている。OH-6は高い機動性を活かして観測や索敵に活躍し、AH-1G コブラ攻撃ヘリコプター2機とOH-6A 2機が1チームとなったサーチ・アンド・デストロイは高い成果を上げた。しかし、OH-6の生産スケジュールは当初予定より遅れ、追加発注分の機体価格が高騰したため、1,434機で調達は終了となり、1970年8月に量産最終号機が納入された。なお、OH-6の調達中止に伴い、1967年秋に第2次LOH選定が行われ、ベル社のOH-58 カイオワが採用されている。

ヒューズ社は後にマクドネル・ダグラス社の傘下となり、現在はMDヘリコプターズがOH-6を元にした民生機MD 500シリーズの製造販売を続けている。MD500は軍用機としても広く使われており、海上自衛隊ではMD500EをOH-6DAとして導入した他、アメリカ陸軍でもMD530Fを元にした攻撃ヘリコプターをAH-6として採用している。

機体構成
OH-6は、小型軽量で高い整備性と卓越した飛行性能、優れた信頼性と安全性を備えており、特に小型軽量化ではメインローター直径が要求値の10.72m以下に対して8.03m、全長も要求値の12.6m以下に対して9.24mと、大きく下回るものであった。また、最大離陸重量も要求値の1,110kg以下に対して955kgと、約85%に抑えることに成功している。これらにより、運動性能の向上、ペイロードの増加、低い被発見率、低被弾性、空輸の簡素化を実現している。

OH-6は、胴体が独特な卵型をしており、胴体構造はトラス構造のA型フレームとキールがメイン・フレームとなっている。メインローターは4枚ブレードで、ハブに簡単なピンで取り付けられており、容易に折り畳むことができる。ローターブレードはアルミニウム製スパーに1枚のアルミニウム外板を接着した構造で、翼型はNACA0015、捻り下げは7度58分。また、各ローターブレードにはトリムタブが付けられ、ローター・ハブはフレキシブルな15枚のステンレススチール製の板バネを重ね、十文字形に交差させたものをベースとし、この弾性と変形をうまく活かして従来のフラップ・ヒンジとフェザリング・ヒンジを代用するという独特なシステムを採用している。このローター・ハブの機構は、これまでの関節式のものに比べ、整備が単純化され、重量も軽減された上に操縦の応答特性も著しく改善されたという。テイルローターは2枚ブレードで、鋼管スパーにグラスファイバーの外皮を接着した構造となっている。テイル・ブームは細い円錐形のもので、後端にテイルローターほか、上・下の垂直安定板と右舷には30度の上反角を付けた水平安定板が装備され、高速飛行時の縦・横の安定性を高めている。なお、初期型OH-6Aは尾翼がV字型をしていたが、横風安定が良くなかったため、OH-6Dでは横風安定性を高める為にT字型に改良された。

エンジンは、アリソン製T63-A-5Aターボシャフト・エンジンを胴体後部に47度斜め上向きの角度で搭載され、出力はトランスミッションの吸収出力に合わせて188kWに減格されている。エンジン排気は胴体後方に排出し、これによって胴体後部の気流を整えるとともに、わずかにではあるが前進力を得ている。

降着装置はスキッド式で、窒素式オレオ緩衝装置を組み込んで着陸時の衝撃を軽減し、スキッドや胴体下部の必要強度を低下させ、重量の軽減を図っている。

OH-6は基本的に非武装であるが、アメリカ陸軍第160特殊作戦航空連隊で運用しているAH-6 リトルバードでは、胴体両側面にハードポイントが各1ヵ所ずつ増設されてM134ミニガンやハイドラ70ロケット弾ポッド、BGM-71 TOW対戦車ミサイルなどの装備が可能になっている。

また、イスラエル国防軍では、民間用MD 500にTOW対戦車ミサイルやローター上観測カメラなどを追加して、偵察や対戦車戦闘に使用している。

台湾海軍では、保有するギアリング級駆逐艦やノックス級フリゲートのヘリ格納庫にS-70が収まらず、SH-2の台湾への輸出をアメリカ議会が認めなかったため、MD500に捜索レーダーやMAD、Mk46魚雷を搭載したMD500/ASWを艦載対潜ヘリコプターとして用いている。

日本での採用

陸上自衛隊第5対戦車ヘリコプター隊本部付隊のOH-6D
川崎重工業がOH-6Aの日本向けOH-6J及び民間向け369HSをライセンス生産し、1969年(昭和44年)-1979年(昭和54年)まで陸上自衛隊が観測機として117機、海上自衛隊が教育用に3機を導入し海上保安庁でも採用した。同年からはOH-6Dに切り替えられ、1997年(平成9年)の生産終了までに陸自に193機、海自に14機を納入し、海保、民間用なども生産した。川崎での延べ生産数は387機に上る。陸上自衛隊向けのD型は生産途中から、暗視ゴーグル対応操縦席、赤外線監視装置、赤外線照射装置が追加されている。

陸上自衛隊では1997年(平成9年)から後継の観測機である川崎OH-1の調達が進められたが、各対戦車ヘリコプター隊への配備にとどまったことから、今後もOH-6Dの運用が続けられる見込みである。また、陸上自衛隊のヘリ操縦士養成に練習機として使用されたTH-55Jが退役した後は、専らOH-6Dが使用された。2015年2月20日(平成27年)陸自航空学校宇都宮校においての、第197期陸曹航空操縦課程(OH-6コース)の卒業までOH-6Dは練習用ヘリコプターとして使用され、その後は後継のTH-480に一本化された。なお、2002年(平成14年)には大分県玖珠町上空で2機の陸上自衛隊OH-6Dが訓練中に衝突、2機ともに墜落して乗員4名が全員死亡する事故が起きた。

2017年(平成29年)3月末時点での陸上自衛隊の保有機数は44機である。

用途廃止された1機がT-3と共に金沢工業大学航空システム工学科の教材としてキャンパスに展示されている。


海上自衛隊のOH-6DA
海上自衛隊では、川崎での生産終了後、OH-6Dの機体数が足りないことから、アメリカからMD 500Eを5機輸入し、OH-6DAとして教育に使用している。また、中期防衛力整備計画(平成17年度~平成21年度)でOH-6D/DAの後継機(次期回転翼練習機:TH-X)の機種選定が、アグスタ・ウェストランド A109Eとユーロコプター EC 135との総合評価落札方式で行われ、2009年1月ユーロコプター EC135T2+に決定した。2011年6月に第211教育航空隊(鹿屋航空基地)所属機が退役したことにより、OH-6Dの海上自衛隊における運用は終了した。2015年(平成27年)2月12日には、宮崎県えびの市で同じく第211教育航空隊のOH-6DAが墜落し、乗員3名が全員死亡した(OH-6DAえびの墜落事故)。海上自衛隊のOH-6DAは、最終号機が2016年(平成28年)3月31日に除籍されて、全機退役した。

なお、かつてアメリカ海軍のMASH(Manned Anti-Submarine Helicopter)計画にあわせて、海上自衛隊でもOH-6Jの艦載化が検討されていたが、後にアメリカ海軍がMASHを断念してLAMPS(Light Airborne Multi-Purpose System)計画に移行したことを受けて、この計画も放棄されている。

北朝鮮の密輸入
1985年、北朝鮮は第三者であるダミー商社を用い、西ドイツ経由でMD 500を対立しているアメリカから密輸入した。2013年に行われた朝鮮人民軍のパレードにて、その時のものと見られる機体がAT-3にて武装した状態で参列した映像が報じられた。

これらの機体は実戦にて韓国軍が運用している同型機そっくりの塗装を施し、韓国領へ乗り込むために保有していると見られる。アメリカからの部品調達は困難であり部品取りをしながら限定数を運用していると見られる。なお、朝鮮人民軍のアメリカ製の航空機は同機以外では(鹵獲などイレギュラーを除いて)存在しない。


性能・主要諸元
主回転翼直径:8.05m
主回転翼枚数:4枚
胴体全長:7.23m
全長:9.24m
全高:2.73m
空虚重量:538kg
最大離陸重量:1,200kg
エンジン:アリソン 250C20B ターボシャフト
全装備重量:1,361kg
超過禁止速度:281km/h=M0.23
巡航速度:239km/h=M0.19(MD 500は254km/h=M0.20、他は同じ)
実用上昇限度:4,450m
航続距離:361nm
乗員:1名(乗客3名)
用途:観測ヘリコプター
製造者:ヒューズ・ヘリコプターズ社
運用者:
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国(アメリカ陸軍、アメリカ海軍)
日本の旗 日本(陸上自衛隊)他
初飛行:1963年2月27日
生産数:1,420機(OH-6A)
生産開始:1965年
運用開始:1966年
運用状況:現役
ユニットコスト:1万9,860USドル(1966年)

登場作品
映画
『アウトブレイク』
アメリカ陸軍のD型が登場。駐機してあった機体を主人公たちが強奪し、脱出・移動手段として使用する。作中では、UH-1からの追撃を回避して後ろに回り込んだり、ハイウェイを走行中のトラックの真上で低空飛行を行いE-3 セントリーを欺くなど、その機動力と小ささを存分に発揮している。
『アパッチ』
麻薬カルテルの攻撃ヘリコプターとしてD型が登場。スタブウイングにガンポッドと2.75インチロケット弾ポッドを1個ずつ、機首部には照準装置を搭載している。作中では、主人公たちが操縦するAH-64 アパッチと激しい空中戦を繰り広げる。
『ガメラ2 レギオン襲来』
陸上自衛隊のD型が登場。主人公の渡良瀬二佐が、対戦車ヘリコプター隊に随伴して戦闘指揮所から名崎送信所へ向かうための移動手段として使用する。
『ゴジラシリーズ』
『怪獣総進撃』
国連科学委員会の連絡機として登場。フロートを装備しており、作中では、小笠原諸島の第二宇宙空港と怪獣ランド間で運用されている。
『ゴジラvsビオランテ』
陸上自衛隊のD型が登場。ロケット弾を搭載し浦賀水道沖でUH-1Hや海上自衛隊の護衛艦とともにゴジラを攻撃する。その後、超能力者である三枝未希を乗せて芦ノ湖から大阪までの太平洋上でゴジラを捜索し、遠州灘で発見する。
『ゴジラvsキングギドラ』
陸上自衛隊富士偵察隊所属機としてD型が登場。富士山麓上空でUFOを捜索していた最中、謎の光によって撃墜されてしまう。
『ゴジラvsモスラ』
陸上自衛隊のD型が登場。東京へと向けて東京湾内を進むモスラを、UH-1Hや護衛艦とともにロケット弾で攻撃する。
『ゴジラvsデストロイア』
Gフォース所属機としてMD 500Eが登場。三枝未希が搭乗し、冒頭ではバース島の消滅を観測。その後はゴジラジュニアの捜索と誘導にあたる。
『ゴジラ2000 ミレニアム』
陸上自衛隊のD型が登場。北浦に墜落し機能を停止したUFOの周りを飛行して警戒にあたっている。
『地獄の黙示録』
アメリカ陸軍第1騎兵師団所属のA型が登場。ベトコン拠点の村を攻撃するUH-1の着弾観測や索敵を行う。
『首都消失』
陸上自衛隊のJ型が登場。異常物体O対策本部に飛来する。
『宣戦布告』
陸上自衛隊のD型が登場。敦賀半島の山中に潜伏する北東人民共和国[7]の特殊部隊を捜索し、普通科部隊を支援する。
本作は自衛隊の協力を得ることができなかったため、撮影には民間が所有する機体が使用されている。
『日本沈没』(1973年版)
陸上自衛隊のJ型が登場。丹後半島から朝鮮半島へと向かいつつある避難民を乗せた漁船群の上空に飛来し、不法入国になることと津波の襲来を警告する。
『ブルーサンダー』
コクラン大佐の乗機としてD型が登場。
『八岐之大蛇の逆襲』
防衛隊第13連隊所属機としてJ型が登場。米子市に出現した八岐之大蛇に対して出動し、ロケット弾攻撃の着弾観測を行う。
テレビドラマ・オリジナルビデオ
『SFX巨人伝説ライン』
陸上自衛隊のD型が登場。第7話では鹿島港に上陸したゴロマキングを、第10話と第11話では侵攻するバグズンを、第13話では千葉県付近を侵攻するレッドコングを観測する。
『ヴィジュアル・バンディッツ』
第1話に陸上自衛隊のD型が登場。群馬県北西部での巨大生物出現を受けて災害派遣で出動し、黒部一佐を獣害対策本部まで輸送する。
『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』
敵役などとしてD型が度々登場。
『電撃戦隊チェンジマン』
第1話に地球守備隊日本支部所属機としてMD 500Dが登場。隊員らによる訓練を上空から監督する。
『ぼくらの勇気 未満都市』
陸上自衛隊のJ型が度々登場。隔離された千葉県臨海幕原に物資を吊り下げ輸送する。
アニメ・漫画
『空想科学大戦!』
第1話に登場。科学攻撃隊SAMONが要人輸送に使用する。ただし、テールの形状などが実機と異なる。
『クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦』
陸上自衛隊のD型が登場。春日部市から避難する市民の状況を観測する。
『最臭兵器』
陸上自衛隊のD型が登場。主人公の祖母を乗せ、臭気を放ちながら中央自動車道を東京へ向かう主人公の説得にあたる。
『ジオブリーダーズ』
厚生省衛生二課(ハウンド)が使用。
『まりかセヴン』
情報本部(自衛隊情報部とも)所属機としてMD-520Nがたびたび登場。非武装だが、主に観測や輸送などを行う。作中では、「ブラックビートル」という通称で呼ばれている。
小説
『MM9』
自衛隊のD型が登場。第3話では陸上自衛隊第12ヘリコプター隊所属機が、第5話では航空自衛隊小牧基地所属とされる機体が、気特対(気象庁特異生物対策部)の支援にあたる。
『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』
小説・漫画・アニメ版に異世界へ派遣された自衛隊の装備として登場。ヘリコプター部隊で編成された第4戦闘団に配備され、イタリカ戦にて盗賊団に対する着弾観測や索敵を行い、AH-1S対戦車ヘリコプターやUH-1J多用途ヘリコプターを支援する。一連のシーンは、『地獄の黙示録』のパロディとなっている。
『ゼロの迎撃』
シュウ少佐率いる平壌防御司令部の兵士が極秘で行っていたハン大佐の家族救出作戦の際、脱出用のヘリとしてMD 500が使用されるはずだったが、作戦計画が漏れ、MD 500が乗員ごと乗っ取られる。計画より50分も早く到着したMD 500に気づき、シュウ少佐が懐中電灯でモールス信号を送るが無視され、胴体下に吊り下げていたガトリング砲の攻撃を受けてシュウ少佐を除く兵士が殺害され、シュウ少佐も後にMD 500から降りてきた兵士に殺害される。また、主人公の真下三佐が、武力衝突が発生した清洲橋に向かう際に近くを飛行していた木更津駐屯地所属機を使用する。
ゲーム
『ARMA 2』
拡張パック「Operation Arrowhead」に登場。通常の輸送ヘリとして使用できるほかに、UAVとして遠隔操作し、目標にレーザーを照射することでAGM-114 ヘルファイア対戦車ミサイルを誘導することができる。
『Wargame Red Dragon(英語版)』
自衛隊デッキに「OH-6D」の名称で通常型が、「OH-6D TOW」の名称でスタブウイングにBGM-71 TOW対戦車誘導弾を搭載した型が登場する。
『WarRock』
ゲーム内の通称は「豆ヘリ」。機動力・攻撃力は高いが装甲は薄い。
『エアロダンシング』
セガ(後のセガゲームス)が過去に発売していたフライトシミュレーターの金字塔。
『ゴーストリコン アドバンスウォーファイター2』
アメリカ軍攻撃ヘリとして登場し、主人公の指揮下に加わる。
『バトルフィールドシリーズ』
『BFV』
アメリカ陸軍とアメリカ海兵隊のヘリとして登場する。武装としてスタブウイングに2丁のM134 ミニガンを搭載している。
『BF2』
USMCのヘリとして『BFV』同様にスタブウイングに2丁のM134を搭載した機体が登場する。また、UAVを遠隔操作することが可能。
『マーセナリーズ』
北朝鮮反乱軍の偵察ヘリコプターとしてM134と空対地ミサイルを搭載したMD 500が登場するほか、ロシアン・マフィアの偵察ヘリコプターとしてM2重機関銃ポッドと57mm ロケット弾ポッドを搭載したMD 530Dが登場する。
『マーセナリーズ2 ワールド イン フレームス』
ユニバーサル石油が使用するヘリコプターとしてMD 520Nが「ローグ」の名称で登場する。非武装の輸送型が1種類と武装した攻撃ヘリコプター型が3種類登場する。
CM
神戸ポートアイランド博覧会
民間型にゴダイゴが搭乗。白い機体で、機首に「Godiego」と赤くペイントされている。

堺市駅(JR西日本)阪和線

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堺市駅(さかいしえき)は、大阪府堺市堺区東雲西町一丁にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅である。駅番号はJR-R28。

JRにおける堺市の中心駅で、特急列車をのぞく、すべての種別の列車が停車する。

かつては時刻表では堺市の代表駅として記載されていた。現在代表駅と記載されているのは、実質的な中心駅である南海高野線の堺東駅と南海本線の堺駅である。 ただし、当駅に停車する関空・紀州路快速系統の列車は大阪駅(梅田地区)と直結していてそこではJR京都線・神戸線・宝塚線や北陸・山陰方面への特急列車とも接続しているため梅田地区へのアクセスや遠距離乗車は堺駅や堺東駅よりも当駅の方が便利である。

全国の「~市駅」と通称される駅の中で政令指定都市にある駅は堺市駅が唯一である。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有する。有効長は8両編成分。分岐器のない棒線駅の構造であるが、踏切長時間鳴動対策のために駅前後の信号機が絶対信号機に変更されたため、停留所ではない。改札口は1ヶ所のみ。

バリアフリーの対応としては上下ホームにエレベーターがそれぞれ1つずつ設置されている。エスカレーターはない。車椅子利用者のために上下ホームにそれぞれ1つずつスロープが設けられておりインターホンで駅員を呼び出して出入りができたが、下りホーム側のスロープは改札外のエレベータが完成後に使用不可となっている。

駅改札口階は2階にあり、改札外の東側の北区方面はエレベーターが設置されている。西側堺区方面の改札近くにはエレベーターは設置されていないが、ペデストリアンデッキによってバスターミナル向かい側のベルマージュ堺の2階フロア、および駅舎横のJR堺市駅NKビルの3階フロアと直結しており、ベルマージュ堺またはJR堺市駅NKビルの営業時間内に限りエレベーターやエスカレーターを使用できる。

オープンカウンター式のみどりの窓口。駅長が配置された直営駅であり、管理駅として鶴ケ丘駅 - 三国ケ丘駅間の各駅を管轄している。また、ICOCAが利用可能。切符売場に券売機が4台。指定席券売機も設置されています。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 R 阪和線 上り 天王寺・大阪方面


2 下り 鳳・関西空港・和歌山方面
2013年9月に阪和線運行管理システムが更新されるまでは、発車標に発車時刻が表示されず、代わりに「先発」「次発」「次々発」と表示されていた。

 

利用状況
2016年(平成28年)度の1日平均乗車人員は12,120人である。阪和線・関西空港線の途中駅では三国ヶ丘駅・鳳駅・和泉府中駅に次ぐ第4位の利用者数である。1987年の御堂筋線なかもず駅延伸以降、利用者数は大幅に減少した。1994年度と1998年度は熊取駅よりも下回ったが、1998年度以降は12,000人程度で横ばい傾向が続いており、1999年度からは再度第4位となっている。


駅南側を長尾街道が東西に伸びる。

かつて当駅の南東一帯には大日本帝国陸軍の衛戍地が置かれており、駅東側は当駅から陸軍施設への経路に沿って形成された古くからの商業エリアである。戦後に練兵場跡地に金岡団地、馬場跡地の金岡公園の東に新金岡団地が造成されて人口が急増したが、駅東側は現在も雑然としている。長尾街道沿いの商店街には、当駅西方に鎮座し、堺の語源を象徴する方違神社をイメージしたアーチが設けられている。

堺市街側となる駅西側には大阪刑務所があり、昭和中期以降は駅前広場までその官舎がせり出していたが、1999年に建替えによって生じた余地がベルマージュ堺として再開発された。なお、長尾街道のバイパス道路(一部重複)となる堺大和高田線は、当駅付近で南へ迂回するため駅前には乗り入れていない。

駅名が一時期「金岡駅」だったため、駅周辺(特に旧金岡村にあたる駅南東側)には「金岡温泉」「堺金岡幼稚園」「金岡ブックセンター」など「金岡」を冠した店舗や施設が現在も残っている。駅前にある銀行も池田泉州銀行は「堺市駅前支店」(旧泉州銀行店舗)だが、りそな銀行は「金岡支店」である。1960年代には金岡劇場もあった。

公共施設
堺市立文化館
堺アルフォンス・ミュシャ館
与謝野晶子文芸館(2015年2月28日閉館。「さかい利晶の杜」に「与謝野晶子記念館」として移設)
堺市立中央図書館 堺市駅前分館
堺市立勤労者総合福祉センター(サンスクエア堺)
堺市立斎場
大阪刑務所
大阪医療刑務所
商業施設
ベルマージュ堺
イズミヤ阪和堺店
ザ・ダイソー ベルマージュ堺店
スーパー玉出堺店
スーパーはやし堺市駅前店
JR堺市駅NKビル
医療施設
国立病院機構近畿中央胸部疾患センター(旧:国立療養所近畿中央病院)
学校
大阪健康福祉短期大学
堺市立長尾中学校
堺市立東三国丘小学校
堺市立三国丘小学校
近畿管区警察学校
その他
東雲公園
方違神社
紅谷庵
金岡団地
矯正協会常設展示場(CAPIC大阪)
堺中央メモリアルホール


バス路線
堺大和高田線を走る南海バスは東西両方向行とも一旦当駅前のロータリーに入ってから目的地に向かっている。

路線バスの停留所名は「阪和堺市駅前」である。高速バスとイオンモール堺北花田間のバスの行き先では「JR堺市駅前」となっている。

南海バス
23・25系統 堺東駅・堺駅 行/高見ノ里駅経由河内松原駅 行
S1系統 堺東駅・堺駅西口経由匠町 方面行
S4系統 堺駅西口経由匠町 方面行
S6系統 綾の町電停前経由匠町 方面行(朝ラッシュ時のみ)
30系統 地下鉄北花田駅(イオンモール堺北花田)行
35系統 地下鉄新金岡駅・労災病院前経由三国ヶ丘駅・堺駅南口 行
高速バス(鎌倉・藤沢線) 藤沢駅南口・鎌倉駅東口・大船駅東口・戸塚駅東口(江ノ電バスと共同運行)
高速バス(柏崎・長岡線) 柏崎駅前 - 曽地 - 西山 - 長岡インター - 長岡駅東口バスターミナル - 栄 - 東三条駅前 - 越後交通三条営業所(越後交通と共同運行)


当駅は、大日本帝国陸軍による騎兵第4連隊および輜重兵第4大隊の南河内郡金岡村(当時)への移転計画に伴って設置された。堺駅・堺東駅のように、開業当初から堺市街の西玄関・東玄関を担うような駅ではなかったが、戦後の宅地造成、とりわけ金岡団地・新金岡団地の建設以降に利用者が急増し、優等列車停車駅に昇格した。

1932年(昭和7年)
2月2日 - 阪和電気鉄道の杉本町駅 - 仁徳御陵前停留場(現在の百舌鳥駅)間に堺市停留場として開業。
月日不明 - 阪和堺停留場(はんわさかいていりゅうじょう)に改称。朝夕ラッシュ時のみ運行する「準急」が停車。
1940年(昭和15年)12月1日 - 阪和電気鉄道が南海鉄道に吸収合併され、同社山手線の堺金岡停留場(さかいかなおかていりゅうじょう)に改称。
1944年(昭和19年)5月1日 - 南海山手線が国有化され阪和線となり、駅に昇格の上、金岡駅(かなおかえき)に改称。
1952年(昭和27年)9月1日 - ダイヤ改正で急行停車駅になる。
1958年(昭和33年)10月1日 - 阪和電気鉄道以来の種別である特急が「快速」、急行と準急が「直行」に改称される。快速は朝夕ラッシュ時のみ、直行は全列車が停車。
1965年(昭和40年)3月1日 - 堺市駅に改称し堺市の代表駅となる。同日から運転を開始した特急「あすか」が停車するようになる[3]。
1967年(昭和42年)9月30日 - 「あすか」廃止。
1968年(昭和43年)10月1日 - 直行が「区間快速」に改称(全列車停車、快速は朝夕ラッシュ時のみ停車)。
1972年(昭和47年)3月15日 - すべての快速が停車するようになる。
1983年(昭和58年)3月27日 - 橋上駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1993年(平成5年)7月1日 - 阪和線運行管理システム(初代)導入。
1999年(平成11年) - ベルマージュ堺の開業に伴い、駅西口と繋がるペデストリアンデッキを設置。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。駅西側に複合ビル「JR堺市駅NKビル」開業。
2013年(平成25年)9月28日 - 阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
2015年(平成27年)7月1日 - 改札外の東側(北区方面)にエレベーターが完成する。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。


駅番号 JR-R28
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 R 阪和線
キロ程 8.8km(天王寺起点)
電報略号 サシ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 12,120人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1932年(昭和7年)2月2日
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
* 改称経歴
- 開業数ヵ月後 堺市停留場→阪和堺停留場
- 1940年 阪和堺停留場→堺金岡停留場
- 1944年 堺金岡停留場→金岡駅
- 1965年 金岡駅→堺市駅

新幹線800系電車(九州新幹線 つばめ)

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つばめは、九州旅客鉄道(JR九州)が主に九州新幹線の博多駅 - 鹿児島中央駅間で運行している特別急行列車である。後述のように一部、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽新幹線に乗り入れる列車もある。2011年の九州新幹線全線開業以降は、種別を示す色として水色が用いられることがある。九州新幹線の全線開業以前は同線唯一の列車名であった。

九州新幹線の列車愛称は速達種別ごとに「みずほ」「さくら」「つばめ」の3本立てとされ、「つばめ」の愛称は「九州新幹線区間を運行する各駅停車列車」の位置づけ(東海道・山陽新幹線における「こだま」と同じ)となっている。

列車名の由来
「つばめ」の列車名は、鳥類の「ツバメ」にちなんでおり、その起源を1930年10月まで遡り、戦前・戦後を通じ日本国有鉄道(国鉄)を代表する特急列車の名称とされてきた、伝統ある列車名である(国鉄時代の特急については「つばめ (列車)」の項を参照)。1975年3月に廃止されて以降、「この名称に釣り合うだけの格式のある列車がない」という理由で、しばらくの間用いられることはなかった。

国鉄分割民営化後の1992年7月、JR九州が鹿児島本線の特急の列車名として再び起用した。同社は名称復活に関し、JRグループ各社から事前に了承を得るという手続きを行っている。その後、2004年3月に九州新幹線が名称を引き継いだのが現在の新幹線「つばめ」である。

九州新幹線の部分開業の際、「つばめ」の名称は公募により決定し、得票数では第1位が「はやと」で「つばめ」は第5位であったが、「はやと」は採用されなかった。これは、「はやと」が九州というより鹿児島県のイメージが強いこと、東北新幹線の「はやて」と紛らわしいからとされる[要出典]。なお、「はやと」の名前は九州新幹線開業と同時に設定された肥薩線吉松駅発着の特急「はやとの風」に用いられた。

運行概況
全列車が各駅停車として運行される。号数は、運行区間別に割り振られている「こだま」や「さくら」と異なり、運行区間にかかわらず運行順に300号 - 357号の連番が与えられている。

「つばめ」は博多駅 - 熊本駅間の区間運行が基本で、毎時1 - 2本が運行される。博多駅 - 鹿児島中央駅間直通の「つばめ」は朝夕の通勤・通学時間帯中心の運行となり、日中の熊本駅 - 鹿児島中央駅間は「さくら」のみが運行され、「つばめ」は運行されない。このほか早朝・夜間に博多駅 - 筑後船小屋駅間、熊本駅・川内駅 - 鹿児島中央駅間の区間運行列車が運行されている。

日中「つばめ」の運行されない熊本駅 - 鹿児島中央駅間では、毎時2本運行の「さくら」のうち1本が同区間の各駅に停車して「つばめ」の代替となっており、新八代駅 - 鹿児島中央駅間の各駅と「さくら」の大半が通過する筑後船小屋駅・新大牟田駅・新玉名駅などの相互間を利用する乗客の利便性を図るため、上述の「さくら」が熊本駅で「つばめ」と接続するダイヤとしている。また、博多駅では日中に山陽新幹線の「のぞみ」と、早朝・夜間は「こだま」と接続している。

2012年3月17日のダイヤ改正で、熊本駅発新下関駅行き上り列車1本、鹿児島中央駅発小倉駅行きの上り列車1本の計2本で山陽新幹線に乗り入れる「つばめ」が設定された。この時、「つばめ」が定期列車として本州の路線に乗り入れるのは、1975年に岡山駅 - 西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)間の特急「つばめ」が廃止されて以来37年ぶりであった。2013年3月16日のダイヤ改正で一旦定期列車の山陽新幹線への乗り入れは消滅したが、2017年3月4日ダイヤ改正により、熊本発小倉行きつばめ306号が設定され、再び山陽新幹線に乗り入れを開始した。なお、「つばめ」では車内販売の営業は行われない。

停車駅・運行区間
小倉駅 - 博多駅 - 新鳥栖駅 - 久留米駅 - 筑後船小屋駅 - 新大牟田駅 - 新玉名駅 - 熊本駅 - 新八代駅 - 新水俣駅 - 出水駅 - 川内駅 - 鹿児島中央駅

博多駅 - 鹿児島中央駅:下り2本(307・353号)/上り6本(308・314・340・348 - 352号)
博多駅 - 熊本駅:下り23本(309 - 351・355号)/上り19本(302 - 306・310・312・316 - 338・342 - 346号)
小倉駅 - 熊本駅:上り1本(306号)
博多駅 - 筑後船小屋駅:下り1本(357号)/上り1本(300号)
熊本駅 - 鹿児島中央駅:下り2本(303・305号)/上り1本(354号)
川内駅 - 鹿児島中央駅:下り1本(301号)/上り1本(356号)

使用車両・編成
車両は800系、およびN700系(8両編成)が使用されている。
記号凡例
G=グリーン車指定席
指=普通車指定席
自=普通車自由席
S=喫煙ルーム
800系
800系は「つばめ」の運行開始当初から使用されており、現在も「つばめ」の大半で使用されている。

九州新幹線の全線開業以前は「つばめ」が唯一の列車愛称であったことから、800系の車体には「つばめ」としてのみ運行することを前提とした標記が多く描画されていた。その後、2011年3月12日の九州新幹線全線開業によって「さくら」としても運行されることとなり、標記は新しいものに変更することがJR九州より発表され、2011年1月に新標記の編成が運行を開始した。現在は全編成が新しい標記に変更されている。

九州新幹線全線開業
2011年(平成23年)3月12日:九州新幹線が全線開業。
「リレーつばめ」の運行を終了。
「つばめ」は九州新幹線内の各駅停車として運行し、ほとんどの列車は博多駅で東京・名古屋方面発着「のぞみ」・新大阪駅発着「ひかりレールスター」と同一ホームで接続。
2012年(平成24年)3月17日:熊本駅発新下関駅行きと鹿児島中央駅発小倉駅行きの上り2本が新たに設定され、山陽新幹線に乗り入れ開始[。
2013年(平成25年)3月16日:山陽新幹線への定期列車の乗り入れがなくなり、再び九州新幹線内のみの運行となる。
2016年(平成28年)
4月14日:平成28年熊本地震発生に伴い、九州新幹線全線で運転見合わせ。
4月20日:新水俣駅 - 鹿児島中央駅間で運転を再開。全列車「つばめ」として運行。
4月23日:博多駅 - 熊本駅間で運転を再開。全列車「つばめ」として運行。
4月27日:全線で運転を再開。全列車「つばめ」として運行。
4月28日:九州新幹線内での「みずほ」「さくら」の運転を再開。ただし、一部区間の速度制限により「変更ダイヤ」での運行となり、大半の「つばめ」が鹿児島中央駅発着となる。
7月4日:通常ダイヤと同じ本数、運行区間に戻る。
2017年(平成29年)3月4日:熊本駅発小倉駅行きの上り1本が設定され、再び山陽新幹線への定期列車の乗り入れ開始。

800系は、九州旅客鉄道(JR九州)に在籍する新幹線電車である。九州新幹線の初代車両として2004年(平成16年)に登場した。

JR九州は同社初となる新幹線車両を製作するにあたり、東海旅客鉄道(JR東海)および西日本旅客鉄道(JR西日本)から車両技術や車両保守などの技術供与を受けた。このことによって開発時間の短縮とコストの低減を図っている。基本的な構造は700系と変わらないが、先頭形状や内装表面、座席、機器配置などは変更されている。

日立製作所(ただし台車は川崎重工業製)により2004年3月の開業を前に6両編成5本30両(編成番号・U001 - U005)が導入されたが、新幹線車両の全般検査サイクルが約2年であり、それを控えて予備編成を用意する必要性が生じたことから、2005年(平成17年)夏にさらに1本 (U006) が増備された。九州新幹線全線開業に向けて、デザイン等のマイナーチェンジを行った新800系3編成(U007 - U009)が投入され、従来からの6編成と合わせて9編成となり、2009年より運転を開始した。

エクステリアおよびインテリアデザインは水戸岡鋭治とドーンデザイン研究所が、車内放送の音楽は向谷実が手がけた。2005年に鉄道友の会ローレル賞・日本産業デザイン振興会グッドデザイン賞を受賞した。

 

構造
700系を基本に開発・製造されているため、モータ制御等の制御装置についてはほぼ700系と共通である。ただし、35‰(パーミル)の急勾配での起動に対応するため、全車両電動車 (M) とするとともに、起動時引張力を増加させる事ができるようにしている。その結果主電動機の定格出力は700系と変わらないものの、起動加速度は2.5km/h/sに強化されている。営業最高速度は、500系や700系より遅い260km/hである。

車両外観
空力的な理由から「カモノハシ」のようなものとなった700系の先頭形状は採用せず、シャープな形状である。これは700系の先頭形状のコンペで提出されながら不採用となり、その案を設計した日立製作所で保存されていたものに少しアレンジを加えて復活させたものである。CFDや風洞実験により、260km/h対応として設計された。先頭形状を700系のままにせず新たに設計し直したのは、JR九州側、特に当時の社長石原進の意向による。また、JR九州側からの制約は、最前部のノーズポイントを上げることと、運転席前面ガラスの角度をある程度つけることであった。
新800系と呼ばれる U007 - U009編成はヘッドライトの形状が変更され、そのカバーガラスも曲面的でやや膨らんだ形のものとなった。
出入口付近に設置してある行先表示器は3色LED式を採用する。


車体
700系と同じく、中空押出型材を用いたアルミダブルスキン構造となっている。700系と平行して800系を製造することによって製造コストの抑制が図られている。ただし、重量が大きい主変圧器搭載のMp車にパンタグラフが搭載されていることから、各車の輪重バランスを均一化するためにMp車の屋根は軽量なシングルスキン構造となっている。
塗装
白地に金色とコーポレートカラーである赤色のラインが入る。そして、屋根は赤色塗装であるが、これはパンタグラフの摺り板の粉で生じる汚れを目立ちにくくするために設定されたものである。車体には、100系以降の東海道・山陽新幹線の車両に用いられていた白3号 (N9.2) ではなく、より明るい白 (N9.5) を採用しており、水戸岡は『たぶん一番白い列車』と述べている。
各車両の客用ドア横には赤色の大きな文字で号車番号が表記されているが、これは新八代駅で「リレーつばめ」から乗り換える際に、短い時間で乗車車両を探し出せるように配慮されたものである。なお787系電車においても「リレーつばめ」対応改修工事実施時に同じ配慮がなされ、金色の同字体を採用している。
完成当初は全車両側面の号車表示部分に、当時のJR九州社長石原進の揮毫による「つばめ」と列車名が書かれていたが、全線開業後に本系列は「さくら」の一部でも使用されることとなり、乗客の混乱を防止するため、列車名を消去した上に2011年1月から3月にかけて、先頭車の運転側の800系のイメージとするロゴマークと車体全体のつばめのイメージとするロゴデザインに変更された

主要機器
電源・制御機器
架線からの単相交流25kVを主変圧器で降圧した上で、主変換装置で単相交流から直流に変換後、さらに三相交流へと変換して主電動機を駆動する。
Mc+Mp+M2ユニットを採用し、Mc車(821形・822形)には主変換装置1基・空気圧縮機が、Mp車(826形)には主変圧器(WTM206K)・集電装置が、M2車(827形)には主変換装置2基が搭載される。
主変換装置(WPC200K)は、IGBT素子を利用した3レベルPWMコンバータ+3レベルPWMインバータで構成されている。主電動機4基を並列接続して回路を構成し、1C4M制御を採用する。
主電動機(MT500K)は、連続定格出力275kWを有するかご形三相誘導電動機であり、1両あたり4基搭載する。
台車・ブレーキ装置
台車は直進安定性に優れた走行特性を示す軸梁式の軸箱支持機構を備えたアンチヨーダンパ付きのボルスタレス台車のWDT205Kを装着する。駆動方式はWNドライブである。乗り心地向上のため、全車両にセミアクティブサスペンションが搭載されている。
ブレーキ装置については、700系と同様に回生ブレーキを装備するほか、緊急制動時の滑走対策のために先頭車の台車にセラジェットも装備されている。また、急勾配対策として抑速ブレーキの機能が追加されている。
定速装置が装備されているが、営業運行中は使用しない。
集電装置
800系のパンタグラフ
騒音・軽量化対策としては、700系のような大型の碍子カバーやパンタグラフカバーは装備せずに、東日本旅客鉄道(JR東日本)が開発しE2系1000番台で採用された低騒音碍子付きのシングルアーム式パンタグラフ(PS207K形)を装備している。この結果、700系に採用されているシングルアームパンタグラフ(TPS301形・パンタカバーなどを含む)と比較して約650kgの軽量化に成功している。

内装・設備
3号車座席
全車両普通車のモノクラス編成であり、座席は横に4席並び、2列+2列配置となっている。日本の「和」を基本コンセプトとする独自の意匠が施されている。木材にはすべて不燃処置が施されている。
奇数号車の博多寄りには便所・洗面所が設置されているが、便所はサクラ材の手すりで温かさを、洗面所には八代のイグサの縄のれんで伝統の技を演出した。1, 5号車には、車椅子スペースとバリアフリー対応トイレが設けられている。
2号車には公衆電話が、4号車には自動販売機が設置されている。
U001 - U006編成(0番台)
号車ごとの内装
号車 木の色 織物色
1・4 桜色 緑青
2・6 柿渋色 瑠璃
3・5 楠色 古代漆
妻面にクスノキ、座席に西陣織のモケット、日よけに木製のブラインドを採用。座席の基部も木製とされた。客室用座席は京都府京田辺市の住江工業製、運転席用座席は、700系と同様、レカロ製のセミバケットシート「RECARO 24H CHAIR」を採用。号車によって腰掛木材と表皮材料の色の組み合わせが異なっている。
後に増備される1000,2000番台(通称:新800系)の5号車に採用された多目的室は、既存の800系への設置改造も行われる。
出入り台の壁は柿渋色、客用ドアは古代漆色という伝統色、手すりや握り棒は熊本産のサクラ材が使用されている。
デッキと客室を仕切るドア上部に設置されている車内案内表示器には車両案内、停車駅案内、ニュース(西日本新聞ニュース)が表示される。後に車内後方座席からの視認性向上を目的として、新800系(U007 - U009編成)同様、車内中央の天井部にも車内案内表示器が設置された。
U007 - U009編成(1000,2000番台)
1000番台のU007編成
2009年夏から登場した新800系(U007 - U009編成)は、乗り心地改良のため、従来よりも座面を35mm深く、着席時の背もたれの角度が7度から8度に変更されている。新たに荷台下面と窓枠下の小テーブル(かまち)も木製となったほか、電話室の暖簾に久留米絣が採用されている。

号車によって腰掛木材と表皮材料の色の組み合わせが異なっている。

号車ごとの内装
号車 座席織物 妻壁(前) 妻壁(後)
1 赤の唐松模様の西陣織 クスと博多織
2 ワインレッドの革張り 金箔と柄入り金箔 ハードメープル
3 カーマインのツイード 金箔とハードメープル
4 アイビー柄のゴブラン織 金箔とハードメープル
5 オレンジ系のツイード ハードメープル 金箔と柄入り金箔
6 赤のアイビー柄の西陣織 クスと博多織
すべての腰掛から車内案内表示器の視認性を高めるため、背板の高さを25mm、腰掛座面を15mm、合わせて床面から40mm低くし、さらに車内の天井にも車内案内表示器が設置されている。後に既存編成(U001 - U006編成)でも同様に車内の天井部に車内案内表示器が設置された。

形式および車種
電動車3両を1ユニット (Mc+Mp+M2) とする構成で700系の4両1ユニットから1ユニットあたりの車両数は1両減らされている。そのため、運転室後部に機器室を設置しそこに減らした車両分の機器を搭載している。このため500系と同様に運転室後部の客用ドアは設置されていない。

開業初期から所属している編成(U001 - U006編成)は0番台を、2009年以降に増備される編成のうち、U007, U009編成は1000番台を[21]、U008編成は2000番台を名乗る。検測機能を搭載できることから区別されている(#検測機能を参照)。車体番号のハイフン以下一桁の数字は0番台からの連番である。例えば、U007編成821形の場合は、821-1007となる。

普通席を備える制御電動車。U編成1号車として使用。鹿児島中央向き運転台、便所、洗面所、車椅子対応設備を備え、主変換装置、静止形変換装置、電動空気圧縮機などを搭載する。定員46名。
822形 (Mc)
普通席を備える制御電動車。U編成6号車として使用。博多向き運転台、電話室を備え、主変換装置、補助電源装置、電動空気圧縮機などを搭載する。定員56名。
826形0番台(826-6) 826形100番台(826-106)
826形0番台(826-6)
826形100番台(826-106)
826形 (Mp, Mpw)
普通席を備える中間電動車。
0, 1000, 2000番台 (Mp)
U編成2号車として使用。電話室を備え、主変圧器、静止形変換装置、補助電動空気圧縮機、集電装置などを搭載する。定員80名。
100番台 (Mpw)
U編成5号車として使用。便所、洗面所、車椅子対応設備を備え、主変圧器、補助電動空気圧縮機、集電装置などを搭載する。2009年以降、1100, 2100番台車両と同様の多目的室、車販準備室の設置工事が行われた。その際16・17ACD席と14・15B席を撤去したため、定員66 → 58名と減少する。
1100, 2100番台 (Mpw)
U編成5号車として使用。便所、洗面所、車椅子対応設備、多目的室、車販準備室を備え、主変圧器、補助電動空気圧縮機、集電装置などを搭載する。定員58名。
827形0番台(827-6) 827形100番台(827-106)
827形0番台(827-6)
827形100番台(827-106)
827形 (M2, M2w)
普通席を備える中間電動車。
0, 1000, 2000番台 (M2w)
U編成3号車として使用。便所、洗面所を備え、主変換装置2台などを搭載する。定員72名。
100, 1100, 2100番台 (M2)
U編成4号車として使用。乗務員室、自動販売機を備え、主変換装置2台などを搭載する。定員72名。


運用
九州新幹線内の「さくら」「つばめ」で運用されている 。
九州新幹線部分開業時
2004年3月13日の九州新幹線の新八代駅 - 鹿児島中央駅間開業と同時に「つばめ」の愛称で運用を始した。
当時、新八代駅発着の全列車は鹿児島本線の特急「リレーつばめ」と接続を行っており、同列車とは相互で同一ホーム上で接続を行っていた。

2009年8月22日の「つばめ42号」より、新800系(1000番台・U007編成)の運用が開始された。

九州新幹線全線開業に伴う運用
九州新幹線全線開業後、800系は九州新幹線内折り返し列車に限定して運用されている。2011年1月以降、列車電話の事業者をソフトバンクテレコムから山陽新幹線と同じNTTコミュニケーションズに順次変更している。
2012年3月17日現在
さくら
博多駅 - 鹿児島中央駅間:9本
博多駅 - 熊本駅間:14本すべて
つばめ
博多駅 - 鹿児島中央駅間:5本
博多駅 - 熊本駅間:45本
博多駅 - 筑後船小屋駅間:2本
川内駅 - 鹿児島中央駅間:下り1本
山陽新幹線への乗り入れ
JR西日本の管轄である山陽新幹線との直通列車にはN700系7000番台・8000番台が運用されており、800系は使用されていない。当初は新下関駅発着の「さくら」に使用する計画があったが見送られた。

構造上は山陽新幹線への乗り入れも可能であり、2011年1月には乗り入れ対応のため山陽新幹線で試運転を行っている。

検測機能
U007,U009編成(1000番台)には軌道の検測を可能とする装置を、U008編成(2000番台)には電力、信号、通信の検測を可能とする装置が搭載可能である。U001編成は線路および架線の検測機能を持っており、車両番号の末尾に「K」の文字が加えられていたが、前述の編成増備に伴いその任を解かれ、2010年3月31日付けで車番変更(車両番号から「K」が除かれる)が行われた。

ただし、他の検査専用車両のように検査機器を常時設置しているわけではなく、検査実施時のみ機器を搭載して検測を行う。外観上の違いはパンタグラフ付近に計測用のカメラと投光器が装着されている点で、それ以外には他編成との違いはない。この架線計測装置には明電舎の「カテナリーアイ」を使用している、これは、車両の屋根上に小型カメラ2台とラインセンサを搭載して走行中にトロリー線を約3cm間隔で検測する装置であり、従来の計測装置と比べて大幅な省スペース化が図られている。

ATC仕様変更
山陽新幹線との直通運転を行うN700系7000番台・8000番台が東海道新幹線仕様のデジタルATCを搭載するため地上設備の仕様変更を行い、また、車上設備の変更も行われた。変更の対象になったのは既存の6編成と2009年夏に投入された1編成。地上設備(新八代 - 鹿児島中央)と車上設備に計10億円をかけて改修を行った。
仕様変更に伴い、2009年6月13日から同年12月末にかけて土日を中心に、営業時間外に800系を使用しての試験が行われた。同年9月までは 120km/h 以下、同年10月からは260 km/h での試験が行われた。

運用者 九州旅客鉄道
製造所 日立製作所
製造年 2003年 - 2010年
製造数 9編成54両
運用開始 2004年3月13日
投入先 九州新幹線
主要諸元
編成 6両編成(全車電動車)
軌間 1,435 mm
電気方式 交流25,000V 60Hz
(架空電車線方式)
最高運転速度 260 km/h
起動加速度 2.51 km/h/s
編成定員 392名(U001 - U006編成)
384名(U007 - U009編成)
(全席普通席)
編成長 154.7 m
全長 27,350 mm(先頭車)
25,000 mm(中間車)
全幅 3,380 mm
車体高 3,650 mm
車体 アルミニウム合金
台車 軸梁支持方式
WDT205K
主電動機 かご形三相誘導電動機 MT500K
主電動機出力 275 kW × 4基
駆動方式 WN駆動方式
編成出力 6,600 kW
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ、抑速ブレーキ
保安装置 KS-ATC、ATC-1型
備考 台車は川崎重工業製


サルムソン 2(単発複葉複座 偵察 軽爆撃機)

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サルムソン 2はフランスのサルムソン社が開発した単発複葉複座の偵察、軽爆撃機である。第一次世界大戦ではブレゲー 14と共にフランスの主力偵察機の一つであった。


本機はソッピース1½ ストラッター、ドゥラン A.R.の後継機として開発された。1917年4月29日に初飛行、部隊配備は同年10月からはじまった。総生産機数は約3,200機が生産され、うち2,200機がサルムソン製で、残りはラテコエール、アンリオ等で生産され、一部は複操縦式の練習機2D2として生産された。

機体構造は垂直、水平尾翼の翼面全てが動くオールフライングテールで機動性が優れていたが、設計そのものはごく常識的であった。しかし操縦士と機銃手とが離れており意思疎通に不便が生じた。更に性能向上型が計画されるも、終戦の為全てキャンセルされてしまった。

フランスで制式採用された他、アメリカ派遣軍が700機購入した。戦後は、チェコスロバキア、ポーランドが使用。日本ではライセンス生産も行われた。


乙式一型偵察機
1919年(大正8年)に来日したフォール教育団の教材用として、まず29機が輸入されサ式二型偵察機として制式採用、1921年(大正10年)には51機を輸入し乙式一型偵察機と改称した。同時に陸軍では本機の国産化に着手し、修理という名目で1920年(大正9年)末に国産1号機を完成させた。その後航空補給部で約300機の生産を行った。この時陸軍はエンジンのライセンス製造権は取得していたものの機体の製造権は取得しておらず、後に特許権侵害としてサルムソン社から抗議を受けることとなった(最終的には、川崎が間に立って両者を和解させた)。陸軍砲兵工廠でも約300機生産されたといわれるが、これについては誤りだとする資料も複数ある。

また飛行機分野への進出を狙っていた川崎造船飛行機部(現:川崎重工業)もエンジン、機体両方のライセンス権を取得し、陸軍からの国産化の指示を受けて1922年(大正11年)に試作機2機を完成させた。その後1927年までに約300機生産した。この機体が川崎における最初の量産機となった。日本における総生産機数は約900機(誤りとされる砲兵工廠生産分を除けば600機)にもなり、当時としては記録的な生産数であった。

1928年(昭和3年)に八八式偵察機が登場するまで主力偵察機として活躍し、1933年(昭和8年)頃まで前線部隊で使用された。満州事変、第一次上海事変にも一部の機体が参加している。第一線を退いた後は多数の機体が民間に払い下げられ、飛行学校や新聞社等で愛用された。


また飛行機分野への進出を狙っていた川崎造船飛行機部(現:川崎重工業)もエンジン、機体両方のライセンス権を取得し、陸軍からの国産化の指示を受けて1922年(大正11年)に試作機2機を完成させた。その後1927年までに約300機生産した。この機体が川崎における最初の量産機となった。日本における総生産機数は約900機(誤りとされる砲兵工廠生産分を除けば600機)にもなり、当時としては記録的な生産数であった。

1928年(昭和3年)に八八式偵察機が登場するまで主力偵察機として活躍し、1933年(昭和8年)頃まで前線部隊で使用された。満州事変、第一次上海事変にも一部の機体が参加している。第一線を退いた後は多数の機体が民間に払い下げられ、飛行学校や新聞社等で愛用された。

性能諸元
全長:8.50 m
全幅:11.75 m
全高:2.90 m
自重:780 kg
全備重量:1,290 kg
発動機:サルムソン9Za 水冷星型9気筒 230 hp
最大速度:188 km/h
上限高度:6,250 m
航続距離:500 km
武装
7.7mm機銃×1(前方固定)、7.7mm機銃×1(後方旋回)
乗員:2名
保存機
かかみがはら航空宇宙科学博物館 (復元機)

 

 

串木野駅(JR九州)鹿児島本線

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串木野駅(くしきのえき)は、鹿児島県いちき串木野市曙町にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅である。新幹線開業により特急列車は廃止。

いちき串木野市の代表駅で、当駅 - 鹿児島中央駅の折返し電車も設定されている。

駅名の由来
開業当時の地名(日置郡串木野村)が由来。「串木野」の地名の由来はよく判っておらず、諸説がある。

冠岳神社の祭神の櫛御気命(くしみけのみこと)から「くしきの」が発生したという説。
串木野はかつては葦の生い繁った沼沢地であったといい、 アイヌ語ではそれを「くしきの」という説。
伝承として、藩寺社方御修甫の猪田大明神を奥州丹沢郡より祠官入枝志摩丞の先祖が招請して、五反田川を船で渡り浜ヶ城近くまで来た時、朽木の大木が横に伏せ一行の行く手を阻んだので、その夜は仮小屋を作り一泊し、翌朝目覚めてみると大木は跡形もないので、一同「ふしぎのう」と言ったのが「くしきの」の地名になったという説。
木屋の屏風岩に臥木があり、「臥木野」と名づけられ、後に串木野と改めたという説。

駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームは駅本屋より高い位置に存在し、両者は地下道で結ばれる。1913年竣工の木造駅舎を老朽化のため2006年12月に解体、プレハブの仮駅舎での営業を経て、新駅舎が2007年3月18日に開業した。黒を基調とした駅舎になった。

JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、みどりの窓口が設置されている。

改札口ではIC乗車カード「SUGOCA」の利用が可能で、簡易SUGOCA改札機が設置され液晶式の発車案内が設置されています。SUGOCAはみどりの窓口で購入できる。

切符売場にはタッチパネル式の自動券売機(ICカード・オレンジカード対応)、ICカードチャージ機が設置されている。

待合室には長椅子が設置されています。


のりば
のりば 路線 方向 行先
1 ■鹿児島本線 上り 川内方面
ホームには立派な上屋があります。


2 ■鹿児島本線 下り 伊集院・鹿児島中央方面

駅周辺
あたりはいちき串木野市の中心部。市街は当駅から南西方面に広がる。市役所は南方向に徒歩20分ほど。駅前広場が整備されている。

いちき串木野市役所(旧・串木野市役所)

いちき串木野市立串木野小学校
いちき串木野市立串木野中学校
いちき串木野警察署串木野駅前交番
串木野郵便局
鹿児島県立串木野高等学校(南西へ約1.5km)
串木野新港(甑島商船が発着、西へ約2.5km)
薩摩金山蔵(北へ約3km)


バス路線
駅前広場にバス停があるが、国道3号線沿いのマツモトキヨシ串木野駅前店(林田バス(現鹿児島交通)串木野営業所跡)付近にも停留所がある。

鹿児島交通(串木野新港、羽島、野下、神村学園前、湯之元、天文館・いづろ、鹿児島空港、川内方面など)
いちき串木野いきいきバス(全路線)

歴史
1913年(大正2年)12月15日 - 川内線として串木野駅から東市来駅間が開通したのに伴い、鉄道院が開設。
1914年(大正3年)6月1日 - 川内線が延伸し、川内町駅(現在の川内駅)から串木野駅までの区間が開通する。
1927年(昭和2年)10月17日 - 八代 - 川内 - 鹿児島間全通により鹿児島本線に制定命名
1987年(昭和62年)
2月15日 - みどりの窓口開設。


4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2004年(平成16年)3月13日 - 九州新幹線開業に伴うドリームつばめ廃止に伴い鹿児島中央駅→川内駅間で運行される快速列車の停車駅となる。当駅発車後はノンストップで川内駅に向かっていた。
2005年(平成17年)10月1日 - 当駅発着の列車が設定される。
2006年(平成18年)12月8日頃 - 改築のため木造駅舎を解体、プレハブ仮設駅舎での営業を開始。
2007年(平成19年)3月18日 - 新駅舎での営業を開始。また、鹿児島中央発最終便の快速列車が廃止され、全区間各駅停車の普通列車に置き換えられた。
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。


所属事業者 九州旅客鉄道(JR九州)
所属路線 鹿児島本線
キロ程 12.0km(川内起点)
門司港から361.2km
電報略号 クシ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 903人/日(降車客含まず)
-2015年-
乗降人員
-統計年度- 1,812人/日
-2015年-
開業年月日 1913年(大正2年)12月15日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

三ツ子島(旧呉海軍病院三ツ子島消毒所・空母天城着底地)

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三ツ子島(みつごじま)は、広島県呉市の倉橋島の北約100 mの広島湾上に浮かぶ無人島である。三子島の表記もある。南側の大きな島と北側の小さな島の2島を総称した名前で、面積は約0.1 平方キロメートルある。呉市音戸町渡子に属する。

南側の大きな島は、メキシコ産の工業塩を輸入し貯蔵するための場所として利用されている。運営しているのは三ツ子島埠頭株式会社で、日本の工業塩の75%を担っている。
北側の小さな島は、長さ約276 m、幅約43 m、周囲約580 m、面積約7600 平方メートル、標高約20 メートルで、2つのこぶのような岩山がある。

昭和初期以降、この島には大日本帝国海軍が伝染病予防のための消毒施設(検疫所)として「呉海軍病院三ツ子島消毒所」を置いていた。元々海軍は明治時代には広島湾内にあった似島消毒所を用いていたが、老朽化と組織再編に伴いこの地に消毒所を設けることとなり、1923年(大正12年)9月着工、1928年(昭和3年)11月竣工した。この建物の基礎が今も島に残されている。天城 (雲龍型空母)は呉港外の三ツ子島沿岸にて停泊係留され、飛行甲板上に樹木を並べて島に偽装し、対空浮き砲台として使用された。島に空母天城は碇泊されていたが呉軍港空襲により損傷し浸水横転のうえ着底している。


2009年に財務省中国財務局呉出張所は、国有地であった三ツ子島の北側の小島を入札で売却することを発表した。2010年2月9日に入札が行われ、個人10人と8法人が参加し、南側の島で工業塩集積所を運営している三ツ子島埠頭株式会社が1億1万円で落札した。同社は、工業塩集積所の近隣で何らかの活動が行われると自社の操業に悪影響が出る可能性があることを理由として入札に参加し、島は現状のままで管理するとしている。

筑豊電鉄(株)西山変電所

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鉄道変電所
電気鉄道に電力を供給する鉄道変電所には、通常の変電所とは異なる特殊な点がある。

直流電化区間では、電力会社から供給される三相交流を直流に変換して供給している。三相交流をまず変圧器で所要の電圧に降圧し、ブリッジ回路などで整流器につないで所定の直流電圧を得ている。かつては回転変流機や水銀整流器を用いて直流へ変換していたが、サイリスタや近年ではPWM整流器などが用いられるようになっており、こうした点では交直変換所と同じである。ただし、交流から直流へ変換するのみで、逆に直流から交流への逆変換機能は無いのが普通である。

しかし、回生ブレーキが用いられるようになると、制動時に電車の運動エネルギーが電気エネルギーに変換されるが、この回生電力を他の車両で消費しきれない場合は変電所に送り返されてくるので、これを電力網に回生できるように変電所に逆変換装置を設置する必要が生じた。このための設備は回生インバータと称されている。また電力網に回生電力を返還する機能が無く、変電所に設置した抵抗器で熱に変えて捨てるだけのものもある。

電力会社の送電線から遠く離れた地点で変電所を増設できずに電圧降下が問題になったり、回生電力を吸収しなければならなかったりする場合には、架線と接続した蓄電装置が設置されることがある。これはフライホイール・バッテリーを使ったりその他の蓄電池を用いたりすることがある。回生電力や、電車が走行していない時間帯の電力を蓄電池に蓄積して、負荷が高い時間帯に放出することで、回生時の電圧上昇を抑制し力行時の電圧降下を補償する仕組みとなっている。

交流電化区間では、単に変圧器で電圧を変換するだけで架線へ電力を供給している。ただし、交流電化の鉄道では一部を除き単相負荷であるため、スコット結線変圧器やウッドブリッジ結線変圧器などの三相二相変換変圧器を用いて二相に変換した上で、複線の上下線にそれぞれを供給するか、あるいは変電所の前を中心に両側に供給している。上下線に別の位相を供給する方式を上下線別異相饋電方式、両方向へ供給する方式を方面別異相饋電方式と呼んでいる。その他の遮断器や断路器などの設置に関しては通常の変電所と同様である。

森下駅 筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線

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森下駅(もりしたえき)は、福岡県北九州市八幡西区森下町にある、筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線の駅である。駅番号はCK06。周囲は低層住宅が広がってます。

駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅である。無人駅。駅舎はなく、ホームにスロープで連絡します。

のりば
ホーム 路線 行先 備考
1 ■筑豊電鉄線 永犬丸・楠橋・筑豊直方方面
2 黒崎駅前方面

ホームには待合所。上り下りの両ホームには上屋があり下にはFRP製の椅子が多数設置されています。

利用状況
2013年度の1日平均乗降人員は542人である。

駅前には駐輪場があります。

駅周辺
瀬板の森 北九州ゴルフコース
北九州市立八幡特別支援学校
鷹見神社
北九州市立竹末小学校
北九州市立鷹ノ巣幼稚園
八幡図書館大池分館

1956年(昭和31年)10月15日 - 駅開業。

森下駅
もりした
Morishita
◄CK05 穴生 (0.5km)(0.9km) 今池 CK07►
所在地 北九州市八幡西区森下町
北緯33度51分13.6秒
東経130度44分27.69秒
駅番号 CK 06
所属事業者 筑豊電気鉄道
所属路線 筑豊電気鉄道線
キロ程 2.8km(黒崎駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 542人/日
-2013年-
開業年月日 1956年(昭和31年)10月15日
備考 無人駅

ヒラノパルモビール 50CC 1961年 平野製作所

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2サイクルエンジン、50CC、3馬力。スイスのパルカ社から技術導入し、国産で初めて実用化された折りたたみ式のタランク型ポータブルスクーター。

シートは2人乗り用。持ち運びできるようになっていたが、重量は43KGあり、もと抱えるには大変。当初は輸出専用車として製造されたが国内でも価格49,000円で一部販売された。
20年後の1981年に同じアイデアで、ホンダから50CCのモトコンボが発売された。

平野製作所(ひらのせいさくしょ)はかつて日本に存在したモペッド、スクーター、織機、アイスクリームストッカー等を製造するメーカー。
1920年2月に愛知県名古屋市中川区に織物機械のメーカーとして創業。(1940年7月に株式組織に変更。)
1930年代に入るとオート三輪の製造にも少数ではあるが着手している。
1953年にスクーターの製造も始め、ヒラノポップC28-60を発表。
1954年にはC28-60のモデルチェンジであるC29-60と100ccのヒラノポップ100を販売した。
1955年にはヒラノポップポニーCP、ヒラノモペットST1を販売した。
1956年には165ccのヒラノポップ165と121ccのヒラノポップマンリーCMを販売。
1957年には121ccのヒラノマンリーFNと80ccのヒラノポップポニー80を販売。
1958年にはヒラノポップマンリーFNの一部の車種にバッテリーフラッシャーを追加。
1959年にはヒラノポップマンリーFNの標準装備とした。
1960年には175ccのヒラノポップマンリーFEの他、フランス、バルモビルスクーターを参考に海外輸出用として生産した日本初の折り畳みスクーター、ヒラノバルモビル50を発売した。
1961年10月には名証2部に上場。その後繊維業不況が起こったため資金繰りが悪化し、1962年10月に銀行取引停止処分を受けて倒産。

首都圏新都市鉄道TX-2000系電車

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首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線(以下、つくばエクスプレス)開業時に導入された日立製作所製のA-trainである。同時期に導入されたTX-1000系をベースに設計されたが、主に電装品が異なり、茨城県内(守谷駅 - つくば駅間)で採用する交流電化区間にも対応したものとなっている。形式称号の "TX" はつくばエクスプレスのアルファベット表記 "Tsukuba eXpress" に由来する。

2003年(平成15年)3月に先行試作車6両編成1本(6両)、翌2004年(平成16年)1月から7月にかけて量産車6両編成15本(90両)が落成し、いずれも2005年(平成17年)8月24日のつくばエクスプレス開業と同時に営業運行を開始した。

その後、全線での利用客の増加に伴って輸送力増強のための車両増備が必要となったことから、2008年度に開業時の量産車をマイナーチェンジした1次増備車6両編成4本(24両)を新製した。この増備車は2008年(平成20年)8月12日より営業運転を開始しており、その後の10月1日のダイヤ改正より朝ラッシュ時の列車増発が図られた。

さらにその後、2012年度には1次増備車を基本とした2次増備車6両編成3本(18両)を新製した。この増備車は2012年7月上旬より営業運転を開始しており、その後の10月15日に行われたダイヤ改正より列車増発が図られた。この結果、2012年9月現在で6両編成23本(138両)が在籍している。

なお、本系列の輸送力増強に伴う増備車は首都圏新都市鉄道が監修した資料(2012年度増備車落成時点)[4]において、2008年度増備車は1次増備車(一次増備車)、2012年度増備車は2次増備車(二次増備車)との記載があり、本項目ではこの呼称(太字の呼称)を用いる。

車体外観
車体は片側4か所の両開き客用扉を有する。車体のサイズは全長20m・幅2950mm級で、その幅は日本の軌間1067mm路線の中では最大級、いわゆる「幅広車体」を採用している。材質はアルミニウム合金で、最新のダブルスキン構造を採用した。表面に酸化被膜を形成する加工を施して腐食を防いでおり、無塗装である。アクセントとして車体側面上部に赤色のテープによるラインを貼り付けている。前面デザインは鋭いラインとV字型のガラスが特徴で、高速感を出したものとなっており、路線内のトンネル区間や地下区間で非常時の避難を目的に貫通扉を持つ。

TX-1000系とはほぼ同じ外観で一見すると見分けが付かないが、本系列は高圧の交流電化区間を走行するため、屋根上の集電装置(パンタグラフ)周囲は絶縁のための碍子が多数設置されている。また、車両番号を表示するプレートの色が、TX-1000系の紺色に対して、本系列では赤色である。

1次増備車からは外観デザイン(形状)に変更はないが、前面フロントガラス下部にスピード感を表すスカーレットのVラインを配置した 。側面は駅停車時に車両と可動式ホーム柵を識別しやすくなるよう車体全長に白色とスカーレットのラインを配置したほか、戸袋部TXマークの上にもスカーレットのラインを追加している。

内装
車内は白色を基調とし、客用ドアも同色の化粧板仕上げである。各ドア下部には滑り止めを兼ねた黄色い点字ブロックが貼り付けられているのに加え、ドアの開閉に合わせてドアチャイムが鳴動するなど視覚障害者にも配慮したものとなっている。また、編成中2両(2号車・5号車)に車椅子スペースを持つ。

座席は全車両住江工業製であり、ロングシートを基本とするが、編成の中央部分の2両(3号車・4号車)はボックスシートとロングシートの混在するセミクロスシート配置とした。クロスシートのうち通路側の座席には肘掛部分に収納式テーブルを装備している。これらの座席はいずれも表面に凹凸をつけることで着席区画を明確化したバケットシート仕様であるほか、座席を壁面だけで支えることによって足元を広く使えるようになっている。なお、混雑緩和を目的として23編成のうち16編成においてボックスシートをロングシートに改造することが首都圏新都市鉄道より発表されており、2017年4月27日の時点で第54編成と第56編成の2編成がロングシート化の改造を終えて運用に就いている。

また、着席区画の明確化と同時に混雑時につかむことができたり、着席・起立時の補助とすることもできたりする握り棒(スタンションポール)が設置されている。つり革は握りやすい三角形タイプで、優先席部分はオレンジ色としてある。

側面の窓は大きな1枚ガラスを用いており、開放的な雰囲気となっている。1990年代以降の新型車両では紫外線カット機能付きのガラスを採用する代わりにカーテンを廃するものも出てきたが、本系列では透明ガラスと巻き上げカーテンを採用した。この窓は開閉不能であるが、空調設備が故障した時の換気用として車両連結面(妻面)に開閉可能な小窓を設置している。

乗客用車内案内表示装置としてLED式の文字スクロールによるものと路線図式のものが設置されている。他事業者では路線図式のものはLED式の文字スクロールによる表示に取って代わったところが多く、新たに採用しているところは少ない。また、自動放送装置を搭載しており、日本語と英語に対応している。

増備車の変更点
1次増備車より
1次増備車から火災対策の強化として天井部の空調装置ルーバの材質をアルミ合金製に変更したほか、床敷物を塩化ビニル材からゴム材に変更した。ドア戸袋部の引き込まれ防止ゴムの材質を硬くし、乗客の荷物等が引き込まれるのを防止できるようにした。座席モケットのクッション材を改良し、より柔らかいものにした。

また、安全対策から7人掛け座席間の枕木方向につり革を増設、女性専用車にもなるつくば方先頭車1号車と優先席部にある一部のつり革(落成時からオレンジ色)のつり高さを50mm低くした。このほか、車内の非常用ドアコックなどの、車内ステッカーの一部を蓄光式ステッカーに変更、乗務員室背後の電磁鎖錠用の通行表示灯(仕切開戸解錠時に通行可を表示)を大型化した。

1次増備車以降は座席やガラスに記載される「優先席」のロゴが異なり、また携帯電話のマナーを記載したステッカーも別のものに変更されている。

2次増備車より
2次増備車では省エネルギー化のため、室内灯を蛍光管式からLED照明に変更し 。LED照明を採用することで蛍光灯よりも消費電力は約23%削減されている。座席については座り心地を改善するために座席構造を根本的に見直している]。ロングシート、クロスシートともに座席フレームの構造を改良することで座席詰め物を厚くさせた他、バケット形状が変更されており、座席座り心地の大幅な改善が図られてい。

冬期の車内環境を改善するため、ロングシート車では約20%(1基あたりの容量は750W→960Wまたは750Wに)、クロスシート車では約10%(1基あたりの容量は400W→750Wまたは450Wに)暖房容量の増加が図られている。同時に取り付け位置を若干下げたことにより、床面付近の足元温度を約3℃向上させ、車内輻射熱の増加が図られている。

視覚障害者への配慮として従来からのドア開閉チャイムに加えてドア開案内チャイムを付加し、駅停車中に5秒間隔でチャイムを鳴動させている。つり革はロングシート一般席部のつり革のつり位置を50mm下げ、床面高さ1,600mmに統一した。また、車内換気量増加のため、各車の車端部優先席部と車椅子スペース部の側窓を200mm開閉できるように改良した。

無線LAN
第60編成は落成時から、他編成は改造により無線LAN機器を搭載。2005年8月24日の開業日から翌2006年(平成18年)7月31日まで列車内無線LAN接続トライアル用に供された。

無線LAN接続商用サービス開始の決定により、2006年7月31日までに全16編成が無線LAN接続対応となり、商用サービスは同年8月24日から開始された。当初はNTTドコモの「Mzone」と「moperaU「公衆無線LAN」コース」のみが提供されていたが、同年11月9日からは東日本電信電話(NTT東日本)の「フレッツ・スポット」も提供が開始された。なお、トライアルユーザーに対しては8月24日から1か月間商用環境の体験キャンペーンなどが実施された。

乗務員室
運転台のマスター・コントローラーはワンハンドル仕様で、力行とブレーキが一体化しており、左手だけで操作する。また、ワンマン運転対応のために客用ドア開閉スイッチを運転台部分に併設する。運転台にはTIS(車両制御情報管理装置)と呼ばれる三菱製のモニタ装置があり、各車両の状態が一目でわかるようになっている。

1次増備車からは運転士用放送操作器のマイクのコードを延長して利便性を向上させたほか、右側面部に携帯無線機の置き台を新設、非常ブレーキ押しボタンの形状が変更されている。また、遮光対策として、フロントガラス上部に遮光フィルムの貼り付けを実施したほか、光線ヨケ(遮光板)を透明品から黒色の不透明品に変更・サイズを大型化した。

走行機器など
主制御機器(走行用モーターの制御装置)には日立製のIGBT素子によるVVVFインバータ(回生ブレーキ対応)を採用しており、主変換装置にPWMコンバータとともに搭載されている。1基のVVVFインバータが制御する主電動機の数を2台に制限することで、制御装置が故障した時も自力走行できることを目標にしている。主電動機(走行用モーター)も日立製のかご形三相誘導電動機で、EFO-K60形を電動車1両に4台搭載する。車軸への動力伝達はTD平行カルダン駆動方式、歯車比は1:6.53で起動加速度3.0km/h、最高速度130km/hに対応している。台車は川崎重工業製のヨーダンパ付きのボルスタレス台車であり、電動車がKW167、付随車がKW168を名乗る。

交直流電車であるため、直流1,500Vと交流50Hz 20,000Vとの両方の電源に対応できるように、屋根上に交直切換器・交流遮断器・直流・交流避雷器などの電源切替に必要な機器類を搭載している。床下には主変圧器を搭載しており、直流区間では、架線からの電源が直接に主変換装置に搭載されているVVVFインバータに送られているが、交流区間では交流電源を主変圧器により降圧させ、主変換装置に搭載されているPWMコンバータで直流に変換された後にVVVFインバータに送られている。また、交直切替は自動切り替え機能を搭載し、TX-1000系と同じく車内の照明や冷暖房の電源用として静止形インバータ (SIV) を搭載。交流区間でSIV装置が使用できるように、補助回路用の交直切替器と主変圧器の2次側にある3次巻線からの交流1,444Vを直流1,250Vに変換する高圧補助整流装置を搭載している。

増備車において機器類に大きな変更点はないが、2次増備車ではそれまでのスクリュー式空気圧縮機(除湿装置一体型・吐出量1,600L/min)からオイルレス式空気圧縮機(除湿装置一体型・吐出量1,600L/min)に変更されている。

保安装置
ATCとATO、TASCを搭載し、運転士のボタン操作一つで加速から停車までを自動で行うようになっている。

更新工事
内装

朝夕ラッシュ時に女性専用車両を設定(2005年9月1日 - )
乗務員室内に無線LAN (NTT, WIPAS) のアンテナを設置(2005年夏 - 2006年夏)
第51 - 第59編成のボックスシート部にテーブルを設置(2006年1月 - 2006年3月)
優先席付近のつり革の色の変更(2007年頃)
運転・走行機器:マスター・コントローラーの取っ手部分の交換(2010年)

首都圏新都市鉄道TX-2000系電車
製造所 日立製作所笠戸事業所
主要諸元
編成 6両(4M2T)
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V
交流20,000V/50Hz
(架空電車線方式)
最高運転速度 130km/h
起動加速度 3.0km/h/s
減速度(常用) 4.2km/h/s
減速度(非常) 4.4km/h/s
編成定員 916(うち座席318)
編成重量 206.3t
車体長 中間車20,000mm
先頭車20,800mm
車体幅 2,950mm
車体高 4,070mm
台車 川崎重工業KW167(電動車)
川崎重工業KW168(付随車)
ボルスタレス台車、ヨーダンパ付き
主電動機 かご形三相誘導電動機
日立製作所 EFO-K60形
主電動機出力 190kW
駆動方式 TD継手式中実軸平行カルダン駆動
歯車比 98:15 (6.53)
編成出力 3040kW
制御装置 PWMコンバータ+VVVFインバータ制御
(IGBT素子)
日立製作所 CI-HR2420AorB形
制動装置 CS-ATC連動回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキ
全電気ブレーキ
保安装置 CS-ATC, ATO
備考 ミュージックホーン搭載



南鹿児島駅前電停 鹿児島市電

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南鹿児島駅前は専用軌道区間に入ってすぐの位置にあります。停留所名にある通り、JR南鹿児島駅前に位置し、若干ながら乗換利用もあるようです。

駅舎はなく、ホームに待合所が設置されています。専用軌道区間ということもあり、電停というよりも駅といった雰囲気です。


相対式ホーム2面2線を持つ。隣接する踏切で両ホームとの行き来ができる。道路側のホームに谷山方面、JR駅側のホームに鹿児島駅前方面の電車が発着する。両のりばともホーム幅が規定に足りないため車椅子の使用は不可。両のりばに電車接近表示機及びアナウンス装置がある。

谷山寄りに渡り線がある。

当電停は涙橋電停付近から谷山電停まで続いている専用軌道上にある。

のりば
ホームは2面2線。千鳥に配置されています。
上りホーム(JR駅舎側)

1系統 - 郡元、騎射場、天文館、鹿児島駅前方面
下りホーム(JR駅舎反対側)

1系統 - 谷山方面
谷山方面には渡り線が設置され、折り返し運転も可能となっています

駅周辺
駅裏手の斜面の上は紫原台地と呼ばれ、紫原団地がある。駅前には居酒屋が軒を並べる一角がある。駅の周辺では幹線道路が交差しておりロードサイド店が進出している。交通量が多いため渋滞が発生する。

鹿児島市営バス・鹿児島交通バス乗り場
紫原陸橋
国道225号
志學館中等部・高等部
志學館大学
鹿児島市立南小学校
鹿児島市立南中学校
宮崎太陽銀行鹿児島南支店
南郡元郵便局
仁愛会病院
尾辻病院
自遊空間南鹿児島店
鹿児島第二合同庁舎:鹿児島地方気象台・第十管区海上保安本部
国家公務員宿舎
びっくりドンキー
とんかつ浜勝
ヤマダ電機鹿児島本店
独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構鹿児島支部鹿児島職業能力開発促進センター)(愛称:ポリテクセンター鹿児島)
トヨタカローラ鹿児島㈱本店

鹿児島市交通局
南鹿児島駅前電停
みなみかごしまえきまえ
Minami Kagoshimaekimae -
◄涙橋 (0.5km)(0.7km) 二軒茶屋►
所在地 鹿児島県鹿児島市南郡元町
北緯31度33分19.44秒
東経130度32分38.91秒
駅番号 口19
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電1系統
(線路名称上は谷山線)
キロ程 5.9km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 1,326人/日
-2015年-

架線作業車(南海電気鉄道)

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屋根上に油圧式の作業台を装備し、架線の張替や点検に活躍します。
定低速油圧駆動方式により一定速度での走行が可能です。


接地用パンタグラフにより、架線の残留電圧をレールに落とすことができます。


架線検測装置、電車線測定装置を備えます。 昇降旋回作業台、クレーンを装備しています。

 

尾盛駅 大井川鐵道井川線

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尾盛駅(おもりえき)は静岡県榛原郡川根本町犬間にある、大井川鐵道井川線の駅である。

駅構造
単式1面1線のホームを持つ地上駅
使用されていないホーム上の建物は、待合室ではなく倉庫。


駅周辺
大井川
駅周辺に民家は全くなく、その上駅に通じる公道も全くない。このため、一部のルートなどを経て徒歩で到達する方法を除いては、鉄道でしかこの駅へ来ることはできない。そのため全国でもトップレベルの秘境駅の一つに数えられることもある。

井川線の車内放送によると、かつてはダム建設関係者のために周辺に多数の宿舎や小学校もあり、医師も常駐していた。また南アルプス深南部の大無間山から前無間山、風不入(かぜいらず)などのピークを通り、尾栗峠を経由してこの駅に降りるルートもある。その後廃道となった後も、このルートを通る登山者がいるという。また、かつては接岨峡温泉駅からの遊歩道(主に旧公道を再利用したもの)があったが、崩れてしまった箇所が多くあるため廃道になっており、到達は不可能である。

利用状況
2008年度の年間乗降客数は574人である。

歴史
1959年(昭和34年)8月1日 - 開業
2014年(平成26年)9月2日 - 閑蔵駅の約600m南側で崩土のため、当駅を含む接岨峡温泉 - 井川間が運休。
2017年(平成29年)3月11日:接岨峡温泉 - 井川間が復旧。

尾盛駅
おもり
OMORI
◄接岨峡温泉 (2.3km)(2.7km) 閑蔵►
所在地 静岡県榛原郡川根本町犬間
北緯35度11分31.9秒
東経138度10分27.6秒座標: 北緯35度11分31.9秒 東経138度10分27.6秒
所属事業者 大井川鐵道
所属路線 井川線
キロ程 17.8km(千頭起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 0.4人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 1人/日
-2016年-
開業年月日 1959年(昭和34年)8月1日
備考 無人駅
標高526m

トヨタ・エスティマ2代目ハイブリッド(痛車)

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エスティマ(ESTIMA )は、トヨタ自動車、トヨタ車体が1990年から生産する大型ミニバンである。初代は、トヨタ自ら「天才タマゴ」というキャッチコピーを用い、印象的な丸みを帯びた外観を強調するプロモーションを行った。現在も日本のミニバン市場を代表する車種である。

エスティマハイブリッド
エスティマハイブリッドは、2001年6月に登場したトヨタ自動車ではプリウスに次いで二番目、ミニバンでは初となる市販のハイブリッドカーである。重量がおよそ1.85トン、排気量2.4リットルのガソリンエンジンを搭載する車両ながら10・15モードで18.0km/L(マイナーチェンジ後は18.6km/L)の低燃費を達成している。
エスティマハイブリッドに搭載されているハイブリッドシステムTHS-C(Toyota Hybrid System-CVT )は、前輪を駆動させるアトキンソンサイクルの2AZ-FXE型、排気量2,362cc、131馬力/5,600rpm、19.4kgm/4000rpmガソリンエンジンを13kW/1,130-3,000rpm、11.2kgm/0-1,130rpmのジェネレータ兼モータでアシスト、エンジン動力は効率の良いCVTを通して前輪のみに伝えられる。
後輪への動力伝達はプロペラシャフトを用いず、ジェネレータを兼ねる18kW/1,910-2,500rpm、11kgm/0-400rpmのモータをリアアクスルに搭載し、このモーターのみで駆動される世界初の電気式四輪駆動システムE-Fourを搭載する。またベルト駆動によってエンジンスタートを行い、スタート後はエンジン動力によって回されオルタネーターの役割をするスタータージェネレータを搭載することもTHS-Cの特徴である。


ブレーキシステムは、旋回時の横滑りを抑えるVSC、発進時などのタイヤの空転を抑えるTRC、ブレーキ時のタイヤのロックを抑えるABS、急ブレーキなどの際にブレーキ量を上げるブレーキアシストを統合制御するECB(Electronically Controlled Brake system、電子制御ブレーキシステム)により四輪を独立して制御、油圧ブレーキと回生ブレーキの比率を適切にコントロールして運動エネルギーの回収能力を上げているほか、各機構を統合制御により、従来の機構では車両の安定性が限界に来る直前に制御を始めるものを、車両がより安定しているうちから制御を始める事で各機構の効果を高めて車両の安定性を上げている。
運転制御については、停車時にはエンジンを停止してガソリンの消費を抑え、発進時はバッテリ残容量が少ない時などを除いてモータのみで発進、全開加速など必要に応じて後輪も駆動させる。通常走行時はエンジンのみで走行する他、高負荷時はエンジンをモータがアシストする。バッテリ残容量減少時にはエンジン動力を走行とジェネレータの駆動に二分し、走行しながら充電することも可能である。また、上記のスタータージェネレータを併用することでさらに充電量を増やすことも可能である。エスティマハイブリッドはプリウスと比べモータよりもエンジンがメインとなっている。
減速時には前後のモーターを使った回生ブレーキにより運動エネルギーを電気エネルギーに変え、Ni-MHバッテリーに貯める。回生ブレーキ使用時はエンジンに動力が伝わらないように切り離すことで、効率良く回生が行われるようにしている。
また、ハイブリッドシステムを搭載したことにより、室内に備えられているAC100Vのコンセントから最大1,500Wの電力を供給することができるようになった。

グレード構成は、THS-C、E-Four、ECBなど装備する標準グレードと、標準グレードの装備の他にディスチャージヘッドライトやアルミホイール、クルーズコントロールを装備するGエディション、それぞれにシートが7人乗りの物と8人乗りの物の全4タイプになる。
外装はプロジェクタータイプのヘッドライトを搭載するなど主に前後の灯火類が変更され、THS-Cを搭載しない通常のエスティマと差別化がされている。

203年7月に行われたマイナーチェンジではTHS-Cを改良して10・15モード燃費を向上させたほか、エアコンコンプレッサをエンジンが作動時にはエンジン出力で、エンジンが停止時にはコンプレッサに内蔵されたモータで駆動する世界初の「2Wayコンプレッサー」を採用し、エアコン使用時の燃費を向上させている。
ハイブリッド化の欠点として、バッテリーを三列目シート下部に設置する為に通常のエスティマと比べ荷室が狭くなる他、三列目シートのシートアレンジが制限されている。マイナーチェンジと同時に登場した、同じTHS-Cを搭載するアルファードハイブリッドではバッテリーの設置位置が前席下部に変更されこの点が改良されている。
プリウスやエスティマのガソリンエンジン車が、初代から現行モデルにおいて日本国外でも発売されているのに対し、エスティマハイブリッドは日本国内のみの展開となっている。
3代目の移行に伴い、2006年1月に生産および販売終了。

上海アリス幻樂団(シャンハイアリスげんがくだん)とは同人ゲーム・同人音楽を制作している日本の同人サークルである。上海アリス幻楽団と表記される場合もあるが、こちらの表記も認められている[2]。代表作は「東方Project」シリーズ。
サークルはZUN(ずん)により運営されている。
ZUNは1995年に東京電機大学の非公認サークル「Amusement Makers」に入部、1998年12月まで「ZUN Soft」という個人制作のブランド名で弾幕系シューティングゲーム「東方Project」旧作品(PC-98版)の開発や発表などを行っていた。コミックマーケット55(1998年12月)で頒布した『怪綺談』を最後に大学卒業・就職に伴ってゲームの個人制作活動は休止していたが、その後も「Amusement Makers」の他のメンバー達(現・サークル「瞬殺サレ道?」)の「西方Project」作品(2000年『秋霜玉』、2001年『稀翁玉』)の作曲や東方Projectからのゲストキャラクターの部分などに携わっている。

コミックマーケット61(2001年12月)に音楽サークルとして参加する予定で、サークル名「上海アリス幻樂団」として申し込みするも落選。次のコミックマーケット62(2002年8月)でWindows版の「東方Project」(『紅魔郷』)と音楽CD『蓬莱人形』を頒布した。これを期にウェブサイト名も夏コミ前(2002年7月)に『東方幻想空間「博麗神社」』から現在の『上海アリス幻樂団』に変更、現在に至る。

音楽サークルとして立ち上げたものの個人ゲーム制作も復帰させた理由としては『プロギアの嵐』をやっていて新作シューティングゲームを創ってみたくなったこと、冬コミに落選して次の新作音楽CDを当面考える必要がなくなり半年の制作期間が生まれたこと、シューティングゲームのボスの段階が変わるごとに段階の名称が登場するシステムを誰かが出す前に発表したかったこと、ゲームのほうが音楽を聞いてもらえると思ったこと、仕事としてゲーム開発に携わり溜まったストレスの発散、Windowsでゲームを作ることでWindowsプログラミングとDirectXを覚えるためでもあったことなどがZUNから挙げられている。
ゲームの制作以外にも、ZUN名義で東方Projectに関する書籍も出版している。主に原作・文章部分などを担当。

馬喰横山駅(都営地下鉄)新宿線

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馬喰横山駅(ばくろよこやまえき)は、東京都中央区日本橋横山町にある、東京都交通局(都営地下鉄)新宿線の駅である。駅番号はS 09。馬喰駅務管区の所在駅である。JR馬喰町駅と浅草線の東日本橋の連結部に位置し、3線相互の乗り換え利用可能駅です。

駅名の由来
隣接する付近の2つの地名、「日本橋馬喰町」と「日本橋横山町」に由来する。


連絡通路を経由して、都営地下鉄(都営浅草線)とJR東日本路線(総武快速線)への乗り換えが可能である。
東京都交通局(都営地下鉄)
都営浅草線(東日本橋駅) - 共に都営地下鉄の駅であるが、改札外の徒歩連絡扱いとなっている。自動改札機はピンク色のものとオレンジ色のものの2種類が別々に設置されており、このうち後者は都営浅草線への乗り換え専用となっている。なお、定期券・PASMO・Suicaはどちらの改札機でも乗り換えが可能である。
東日本旅客鉄道(JR東日本)
総武快速線(馬喰町駅) - 岩本町方に乗り換え専用改札がある。改札業務は東京都交通局が行っている。

駅構造
中柱のある相対式ホーム2面2線の地下駅。改札口は地下1階と地下3階(馬喰町駅に連絡)、ホームは地下2階にある。

馬喰駅務管区の所在駅であり、馬喰駅務区として新宿線浜町駅 - 東大島駅間および浅草線新橋駅 - 東日本橋駅間を、本八幡駅務区として船堀駅 - 本八幡駅間を管理している。

駅構内には定期券発売所(東京都営交通協力会委託)、メルシー馬喰横山店がある。

のりば
番線 路線 行先 備考
1 S 都営新宿線 神保町・新宿・KO 京王線方面 新宿駅から KO 京王線へ直通
(新宿~笹塚駅間は KO 京王新線へ直通)
2 森下・大島・本八幡方面

利用状況
2016年度の1日平均乗降人員は111,877人(乗車人員:55,839人、降車人員:56,038人)である[2]。新宿線内では新宿駅、神保町駅に次ぐ第3位。

駅周辺
国道6号(江戸通り)
東京都道302号新宿両国線(靖国通り)
清洲橋通り
東日本橋三丁目郵便局
中央区立日本橋中学校 - 徒歩6分
バス路線
最寄りの停留所は次の通り。

東日本橋駅

都営バス
秋26:葛西駅行
馬喰町周辺の清洲橋通りは東行一方通行のため、秋葉原駅方面は江戸通りを西へ数分のところにある小伝馬町停留所から利用する。
馬喰横山駅
日立自動車交通
江戸バス 北循環:中央区役所行
富沢町
日の丸自動車興業
メトロリンク日本橋Eライン:地下鉄水天宮前駅方面

1978年(昭和53年)12月21日 - 開業。浅草線東日本橋駅・国鉄(現・JR東日本)総武快速線馬喰町駅と3駅同時乗り換え業務を開始。
1997年(平成9年)12月24日 - 急行停車駅となる。
2015年(平成27年)4月1日 - 東日本橋駅が新橋駅務管理所新橋駅務区から馬喰駅務管理所馬喰駅務区の傘下となる。
2016年(平成28年)4月1日 - 馬喰駅務管理所が馬喰駅務管区に改組。新橋駅務管理所新橋駅務区は馬喰駅務管区馬喰駅務区に移管される。

駅番号 ○S 09
所属事業者 東京都交通局(都営地下鉄)
所属路線 ●新宿線
キロ程 8.1km(新宿起点)
電報略号 喰(駅名略称)
駅構造 地下駅
ホーム 2面2線


乗降人員
-統計年度- 111,877人/日
-2016年-
開業年月日 1978年(昭和53年)12月21日
乗換 東日本橋駅(浅草線)
馬喰町駅(JR総武快速線)
備考 駅務管区所在駅

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