Quantcast
Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
Viewing all 3251 articles
Browse latest View live

武之橋停留場(谷山線)

$
0
0

武之橋停留場(たけのはしていりゅうじょう)は、鹿児島県鹿児島市高麗町にある鹿児島市電の電停。使用する系統は鹿児島市電1系統のみである。以前は当電停からも旧交通局に入ることができるように、線路が分岐されていたがほとんど使用されていなかった。
第一期線の終着電停で、谷山線の始発電停であるが、全電車が直通している。


併用軌道上、2面2線の相対式ホーム。各のりばは電車が通過しない限りいつでも行き来できる。
両のりばに電車接近表示機及びアナウンスがある。
両のりばとも車椅子及び、電動車椅子はホーム幅が規定に足りないため不可。
のりば
1番のりば
1系統 - 郡元、脇田、谷山方面
2番のりば
1系統 - 天文館、鹿児島駅前方面
停留所入口へは横断歩道からスロープでホームに連絡します。
※1番のりば、2番のりばの表記は当記事でのみのりばを分かりやすくするために記したものであり、実際には決められてはいない。

周辺
かつては電停名の由来になった江戸時代の石橋「武之橋」(五連眼鏡橋)が間近にあったが、1993年8月6日の豪雨(8.6豪雨)で流失してしまった。背後には交通局の車庫が広があります。

バス路線
鹿児島市営バス二中通停留所
13番線(天保山線)
14番線(谷山線)
15番線(東紫原線)
15-2番線(東紫原線)
16番線(鴨池港・文化ホール線)
16-2番線(鴨池港・文化ホール線、中央駅経由)
18番線(大学病院線)
19番線(南紫原線)
20番線(緑ヶ丘・鴨池港線)
28番線(伊敷・鴨池港線)
29番線 (伊敷ニュータウン・鴨池港線)
30番線(明和・鴨池港線)
33番線(慈眼寺・与次郎線)

歴史
1912年12月1日 - 鹿児島電気軌道により谷山線開業と同時に設置される。
1914年7月3日 - 鹿児島電気軌道が武之橋 - 山之口馬場通(現、高見馬場)間開業、途中駅となる。
1928年7月1日 - 鹿児島市に移管(当時は電気局)。

武之橋電停
たけのはし
Takenohashi
◄新屋敷 (0.5km)(0.2km) 二中通►
所在地 鹿児島県鹿児島市高麗町
北緯31度34分46.24秒 東経130度33分14.7秒
駅番号 口11
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電1系統
(線路名称上は第一期線・谷山線)
キロ程 3.0km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1912年12月1日


伊豆箱根鉄道 三島駅

$
0
0

伊豆箱根鉄道 三島駅は、静岡県三島市一番町にある。 駅番号は伊豆箱根鉄道がIS01。他、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅です。

三島市の代表駅である当駅は、JR東海・JR貨物と伊豆箱根鉄道が使用する駅であり、JR東海の東海道新幹線、JR東海・JR貨物の東海道本線(JR東海が第一種鉄道事業者でJR貨物が第二種鉄道事業者)、伊豆箱根鉄道の駿豆線の合計3路線が乗り入れている。JR東海の駅舎と伊豆箱根鉄道の駅舎は分離されているが、駅構内は隣接し、線路がつながっている。JR東海の南口駅舎は富士山と三嶋大社をイメージしたものになっており、中部の駅百選にも選定された。

東海道本線で運行される列車のうち、当駅に停車するものは普通列車が中心だが、東京駅発着で東海道本線と駿豆線を直通運転する特急「踊り子」も停車している。当駅以西へ向かう特急列車も存在していたが、2007年(平成19年)3月18日の特急「東海」の廃止により消滅した。快速「ムーンライトながら」は下りのみ(臨時を含む)当駅に停車していたが、2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正で臨時列車への格下げと同時に停車駅が見直され、両方向とも当駅通過となった。その他夜の下りホームライナー1本が当駅始発で運転されていたが、始発駅が沼津に変更され、こちらも当駅への停車がなくなった。東海道新幹線の列車は、「こだま」の全列車と、東京 - 岡山間(上下各1本は新大阪発着・下り1本は広島着)の「ひかり」が1日上下6本ずつ(2時間に1本)停車し、「こだま」は当駅発着列車も設定されている。

駅は東海道本線の丹那トンネル開削に伴って1934年(昭和9年)12月に開業した。同時に、1898年(明治31年)に運行を開始した駿豆線も下土狩駅から起点を変更し乗り入れた。この三島駅は2代目であり、駿豆線の起点であった下土狩駅が初代の三島駅であった。1969年(昭和44年)4月には東海道新幹線側にも駅が完成し、1987年(昭和62年)4月に行われた国鉄分割民営化では、それまで日本国有鉄道(国鉄)が運営していた三島駅の旅客営業をJR東海、貨物営業をJR貨物がそれぞれ継承した。JR三島駅の事務管コードは▲520102となっている。

伊豆箱根鉄道
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線から構成される2面3線の櫛形ホームを持つ地上駅である。平屋の鉄骨造駅舎です。南側の単式ホームが7番線、北側の島式ホームが8番線と9番線である。8・9番線のホーム上には売店と休憩所がある。駿豆線に乗り入れる特急「踊り子」はJR東海側の1番線から発着する。

駅舎はホームの東端にあり、JR三島駅南口に隣接している。駅舎内部には駿豆線の改札口やJR線との連絡改札口が開設され、自動券売機(連絡改札口の1台と駿豆線改札口の2台のうち1台はタッチパネル式)と自動改札機が設置されている。立ち食いそば屋は改札口横にあり、改札内外のどちらからでも利用可能。トイレは改札外にある。

その他にコインロッカーが駿豆線の改札前に設置されている。また電車発車時に発車ベルと発車ブザーが流れるが、電車接近放送などの自動放送はない。この発車予告音は、かねてより伊豆箱根鉄道・西武鉄道等の西武グループ各社が協賛しているアニメ作品『ラブライブ!サンシャイン!!』の劇場版公開(2019年1月4日)を記念して、2018年12月13日より同作品の楽曲「HAPPY PARTY TRAIN」に変更されている。但し、新幹線通勤客に配慮し、通勤通学時間帯を避けて午前10時から午後3時までの間で使用される。駿豆線はTOICA非導入であるため、連絡改札口ではTOICAおよび相互利用が可能なICカードは利用できない。

発車標は改札前・ホーム(8・9番線の自動販売機の前のみ)・JRの地下通路の南口へのエレベーターの横に設置されており、すべてLED式である。

ホームの使用状況
番線 路線 行先
7・8・9 ■駿豆線(普通列車) 伊豆長岡・修善寺方面
7番線は使用される頻度が低く、ごく一部の営業列車や回送列車などが使用する。このため、8・9番線に比べるとホーム幅が狭く、売店や自動販売機、ベンチなども設置されていない。

駅周辺
箱根の坂は東海道の難所の一つに挙げられるが、その箱根西坂の麓の宿場町として、また、伊豆国の中心地(ただし三島は伊豆国の北西寄りに位置しているため、駿河国の各地とも接している)として三島は古くから栄えてきたことから、周辺には見どころも多い。源頼朝が平家打倒の旗揚げをした事で有名な三嶋大社は南口から南へ徒歩10分の距離であり、三島市の名勝である楽寿園は南口を出てすぐである。鰻が名物で、これを扱う料理店も駅周辺に散在している。

北西に約1 - 2kmほど行くと御殿場線の下土狩駅がある。ここは当地に駅ができるまで「三島駅」を名乗っており、当時は駿豆線も下土狩駅まで延びていた。

なお、三島市の中心市街地としては、当駅周辺よりも三島大通り商店街に隣接する伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅付近を挙げる場合が多い。また、三島市役所へは三島田町駅が最寄り駅である。

駅から数百メートル進むと伊豆国と駿河国との境目があり、そこは長泉町である。また、西隣の沼津市も駿河国である。南口側と北口側を結ぶ自由通路がないため、駅の周辺は線路を境に分断された形となり、南口周辺と北口周辺では様相が異なっている。伊豆箱根鉄道 - 2016年度の1日平均乗車人員は8,548人であった。駿豆線の駅では最も乗車人員が多い。

伊豆箱根鉄道のある南口
南口駅前(2002年7月6日)
南口側には駅前広場が整備され、環境先進都市を目指している三島市にふさわしい、水と緑が溢れる美しい駅前広場となっている。駅前広場はツインロータリー方式で西側がバス乗り場、東側がタクシーと一般車の乗降場となっている。
観光案内所
三島駅南口観光案内所ステーション
富士・伊豆・箱根観光案内所
公共施設
三島市役所
三島市民文化会館(ゆうゆうホール)
三島市商工会議所
三島市民生涯学習センター(いきいきホール) - 三島市立図書館併設
三島警察署三島駅前交番
郵便局・金融
スルガ銀行三島セントラル支店
清水銀行三島支店
三島信用金庫長泉支店
みずほ銀行三島支店
三菱UFJ銀行三島支店
三島信用金庫本部
宿泊施設
ビジネスホテルあい川
ホテルアルファーワン三島
ホテル昭明館
ホテルセレクトイン三島
ドーミーイン三島
ホテルニューかのや
HOTEL MASSIMO MISHIMA
三島グリーンホテル
三島シティホテル
みしまプラザホテル
旅館山月
公園
楽寿園
白滝公園

伊豆箱根鉄道のある南口:バス
南口バスターミナルには、西武グループの伊豆箱根バス、小田急グループの東海バスオレンジシャトル・西伊豆東海バス・小田急箱根高速バス、富士急グループの富士急シティバス・富士急山梨バス・富士急静岡タクシーが乗り入れている。行先は主に三島市街や沼津・裾野方面であるが、御殿場プレミアム・アウトレット、富士急ハイランド、松崎などの観光地への直通便もある。バス乗り場は1番から6番までで、一部の便を除き当バスターミナル始発である。

近距離路線
伊豆箱根バス
大岡・自由が丘経由 沼津駅行
新道経由・旧道経由 沼津駅行
旭ヶ丘・加茂・富士見台行
富士急シティバス
裾野駅入口・岩波駅経由 御殿場駅行
裾野駅経由 東急千福ヶ丘行
裾野駅・須山経由 ぐりんぱ行(2014年4月6日まで、スノータウンYetiまで延長運行)・富士花めぐりの里行
富士ビレッチ行
芙蓉台・見晴台・伊豆佐野行
光ヶ丘団地行
下土狩駅・国産電機経由 沼津駅行
下土狩駅経由 桃沢郷行
【快速】長泉なめり駅経由 がんセンター行
駿河平行
桜堤・徳倉循環 三島駅行
東海バスオレンジシャトル
山中・箱根峠経由 元箱根港行
新道経由・旧道経由 沼津駅行
(卸団地)・医療センター経由沼津駅行
サントムーン・静岡医療センター・岡村記念病院経由 三島駅行
西玉川・サントムーン経由 沼商行
新城橋・大平車庫行
川原ヶ谷・三恵台行
遺伝研坂下経由 夏梅木循環
柳郷地行
玉沢行
中距離バス
東海バスオレンジシャトル・西伊豆東海バス
【西伊豆特急】修善寺・堂ヶ島経由 松崎・長八美術館行(一部沼津駅始発)
富士急シティバス
【直通】御殿場プレミアム・アウトレット行
【急行】裾野駅入口・ぐりんぱ経由 富士山新五合目行

高速バス
東海バスオレンジシャトル・小田急箱根高速バス
【三島エクスプレス】 新宿駅西口経由バスタ新宿(新宿駅)行(当駅北口にも停車)
富士急バス・京王バス
【みしまコロッケ号】 渋谷駅経由バスタ新宿(新宿駅)行(当駅北口にも停車)
富士急シティバス
【高速バス 三島・河口湖ライナー】富士山山中湖・富士急ハイランド経由河口湖駅行
深夜便
伊豆箱根バス
【臨時】大場・伊豆長岡・大仁経由 修善寺駅行
三島市コミュニティバス
伊豆箱根バス・東海バスオレンジシャトル
100円バス「せせらぎ号」
富士急静岡タクシー
自主運行バス「きたうえ号」
東海バスオレンジシャトル
自主運行バス「玉沢線」

当駅のJR線と伊豆箱根鉄道駿豆線の連絡線には、数10cmながらデッドセクション(無電区間)が設置されている。これは、両路線とも直流1500Vで電化されているが、両路線の電流を混触させないためである。
駅の南北を結ぶ自由通路の建設計画が、産官学の代表者で組織された三島市南北自由通路推進協議会によって策定されており、2006年現在JR東海との協議が行われている。協議中の計画案は、駅東側に橋上通路を建設する案と、JR在来線上に橋上駅舎を設置し現在の地下通路を自由通路とする案の二つである。
1991年から年に一度、JR東海と伊豆箱根鉄道が合同で1番線で伊豆箱根鉄道の車両(主にテレビアニメ作品仕様以外の3000系電車)を用いて訓練を実施することがある。この時伊豆箱根鉄道の車両が営業運転では入線することがないJR側のホームに入線する。この訓練の様子は静岡県内のメディアなどでも紹介される。


伊豆箱根鉄道 三島駅
みしま
Mishima
(1.3km) 三島広小路 IS02►
所在地 静岡県三島市一番町16-1
北緯35度7分33.3秒
東経138度54分40.8秒
駅番号 IS01
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 ■駿豆線
キロ程 0.0km(三島起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 8,548人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 16,829人/日
-2016年-
開業年月日 1934年(昭和9年)12月1日

三菱・ランサーエボリューション 第3世代(セダン:CT9A/ワゴン:CT9W)(痛車)

$
0
0

 

ランサーエボリューション(LANCER Evolution 、ランエボ)は、三菱自動車工業が生産、および販売していた自動車である。

型式名“GH-CT9A”。通称“エボVII”
ベースモデルは前年にフルモデルチェンジしたランサーセディアになり、エボVI以前のモデルと比べ、おとなしい外観となった。新開発のボディは、サスペンション取付部やボディフレーム結合部の補強や、専用リーンフォースメントの追加、スポット溶接の追加、ストラットタワーバーの採用などにより、エボVI比1.5倍の曲げ剛性を実現した。またランサーエボリューションVIIからヘッドライトにHIDが採用され、以降のエボシリーズはGSRグレードにHIDが標準装備されている。
ベースモデルのランサーセディアのボディが大型化したことや、アクティブ・センター・ディファレンシャル(ACD)の新規採用による重量増から、「大型ボディと重さで運動性が悪くなる」「エボの進化はVIまで」という前評判が囁かれていた[誰によって?] が、実際にはそのような問題は杞憂であった。
前後輪の差動制限を電子制御するACD(電子制御可変多板クラッチ機構)をエボVIIで新規採用した。道路のコンディションに合わせて、『ターマック(舗装路)』・『グラベル(未舗装路)』・『スノー(雪道)』の3モードを車内のスイッチで切り替え、センターデフをコントロール可能で、パーキングブレーキ作動時に作動制限をフリーにする機能も採用された。この機能により、ラリーやジムカーナなどの競技での急旋回が容易になり、前モデルにも増して、旋回性能を高めた。ギア比もエボVI比で、1速がローギアード化され、5速はハイギアード化された。また、これだけの変更点を持ちながら車両本体価格はGSRで299万円[15]と、エボVIよりも安価[16]になり、バーゲンプライスとも取れるほどの価格設定となった。
CP型までは「ランサー GSR/RS エボリューション」という、ランサーGSRまたはRSのエボリューションモデルという表記だったものが、このモデル以降は「ランサーエボリューション GSR/RS」と、ランサーエボリューションで一つの車名であるという表記に変更された。
このモデルより三菱はWRCでの活動をグループAからCS2A・ランサーセディアをベースとしたWRカーに移行(ネーミングのみエボリューションを継承)したが、これはランサーエボリューションとランサーセディアで全長などの違いから、「ランサーエボリューションはランサーエボリューションという単一車種であり、ランサーセディアのバリエーション車種ではない」とされてしまい、販売台数の不足からWRカー規定のホモロゲーションが取得できなかったためである。そのためエボはグループNおよび全日本ラリーやスーパー耐久などの国内レース向けのモデルに特化していくことになる。

三菱・ランサーエボリューションVII
GH-CT9A
Evolution VII GSR
Mitsubishi LANCER EVOLUTION VII (GH-CT9A) front.JPG
製造国 日本の旗 日本
販売期間 2001年2月
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドア セダン
エンジン 4G63型:2.0L 直4ターボ
駆動方式 4WD
最高出力 280PS/6,500rpm
最大トルク 39.0kg-m/3,500rpm
変速機 5速MT
サスペンション 前:マクファーソンストラット式
後:マルチリンク式
全長 4,455mm
全幅 1,770mm
全高 1,450mm
ホイールベース 2,625mm
車両重量 GSR:1,400kg
RS:1,320kg

敷戸駅(JR九州)豊肥本線

$
0
0

敷戸駅(しきどえき)は、大分県大分市大字鴛野(おしの)にある、九州旅客鉄道(JR九州)豊肥本線の駅である。線内の大分県内駅では2位乗降客数の駅。

駅構造
駅舎は国道10号線沿いの余裕のない立地でコンパクトな駅舎です。


JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、マルスはないがPOS端末が設置されている。

また、利用客の増加に伴い1995年12月から自動券売機が設置されている。ICカードSUGOCAは出入場とチャージのみ対応。

当初は2018年3月17日に中判田駅 - 滝尾駅間に駅遠隔案内システム「ANSWER」を導入した上で当駅を無人化する予定であったが中判田駅 - 当駅間は「ANSWER」導入は見送られた。

当駅と大分大学前駅に関しては2018年秋までに駅のバリアフリー工事を完了した上で「ANSWER」を導入し、無人駅化される予定となっている。

駅周辺
駅前に駐輪場があります。
駅の出入口は国道10号に面している。周辺は大規模な住宅団地をはじめとして住宅が多い。

当初は団地入口の交差点付近に設けられる予定であったが、送迎の自家用車が国道を塞ぐおそれがあったため、50 m大分寄りに移動した現在地に建設し、あわせて国道に送迎の自動車が数台程度停車できる停車帯を設けた。

2002年に大分大学前駅が開業するまでは大分大学の最寄り駅でもあった。大分大学までは徒歩で20分ほどかかる。当駅と大分大学前駅との距離はおよそ1.4 kmで、大分市内では最も駅間が短い。

開業当初、駅反対側への敷戸団地へは駅の北側にある敷戸団地入口交差点か南側の島田橋へ迂回する必要があったが、利用客の増加に伴い団地内の道路に歩道を設置したうえで、団地から駅側へしきど新橋を架け、その先に跨線橋を設置することにより300 m程度移動距離を短縮した。

敷戸団地
大分銀行古国府支店敷戸団地出張所
大分敷戸団地郵便局
星和台団地
芳河原台団地
敷戸台団地
寒田団地
宮崎台団地
敷戸保育園
大分市立敷戸幼稚園
敷戸ふない幼稚園
大分市立鴛野小学校
大分市立敷戸小学校
大分市立寒田小学校
大分市立稙田東中学校
大分県立大分工業高等学校
国道10号
大分市医師会立アルメイダ病院
西寒田神社
敷戸神社
敷戸石仏

 

かつて滝尾駅が開業した際、現在の当駅に近い場所に駅を設ける案もあったが、当時滝尾近辺には工場が密集していたため、そちらに駅ができた。当駅は国鉄時代末期に開業した。

大分駅に直通しているためアクセスが良く、当駅の開業により近隣の通勤通学路としての利便性は格段に向上した。当駅は滝尾駅に比べ大幅に利用者が多い。開業当初は無人駅で国鉄OBに名誉駅長を委嘱していたが、その後、臨時に職員が配置されるようになり、さらに正式に有人駅となった。

1987年(昭和62年)
2月22日 - 日本国有鉄道により開設。開業時はホーム長50 mで2両編成の列車に対応していた。同日に牧駅も開業している。
4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
1991年(平成3年)12月25日 - 乗降客増加のためホーム長を91 mに延長し、4両編成対応となる。同時にホーム嵩上げ、および拡幅も行われる。


1995年(平成7年)
2月 - 駅南側に敷戸団地への跨線橋等が完成。
12月1日 - 100 km以内の近距離用自動券売機が設置される。
2011年(平成23年)10月14日 - 券売機上の運賃表示板が落下、乗客が軽傷を負う。
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
2018年(平成30年)秋 - 駅遠隔案内システム「ANSWER」を導入予定。同時に無人駅化される予定。

 

敷戸駅
しきど
Shikido
◄大分大学前 (1.4km)(2.7km) 滝尾►
所在地 大分県大分市大字鴛野
北緯33度11分16.81秒
東経131度36分54.43秒
所属事業者 九州旅客鉄道(JR九州)
所属路線 豊肥本線
キロ程 140.2km(熊本起点)


電報略号 シキ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 1,166人/日(降車客含まず)
-2016年-


開業年月日 1987年(昭和62年)2月22日
備考 業務委託駅

鹿児島市交通局新武之橋変電所

$
0
0


大正元年に路面電車の運行を開始以来、電気を送り続けてきた旧武之橋変電所は、開業当時からの姿を残す数少ない建物です。

歴史的・文化的な勝ちも認められたことから、交通局舎・電車施設の上荒田町移転に合わせて、鉄筋コンクリート造の躯体の外壁に旧変電所の石材を再利用し、建築当時を彷彿とさせる姿で耐震性や機能性等を高めた新変電所として移築・整備いたしました。


構造:鉄筋コンクリート造
床面積:145m²
用途:変電所

新屋敷停留場(鹿児島市電1系統)

$
0
0

新屋敷停留場(しんやしきていりゅうじょう)は、鹿児島県鹿児島市新屋敷町にある鹿児島市電第一期線の電停。使用する系統は鹿児島市電1系統のみである。

構造
2面2線の相対式ホーム。各のりばは電車が通過しない限りいつでも行き来できる。
両のりばに電車接近表示機及びアナウンスがある。
両のりばとも車椅子の使用は可。但し、電動車椅子はホーム幅が規定に足りないため不可。


のりば
1番のりば
1系統 - 郡元、脇田、谷山方面
2番のりば
1系統 - 天文館、鹿児島駅前方面
※1番のりば、2番のりばの表記は当記事でのみのりばを分かりやすくするために記したものであり、実際には決められてはいない。

バス路線
鹿児島市営バス新屋敷停留所

14番線(谷山線)
15番線(東紫原線)
15-2番線(東紫原線)
16番線(鴨池港・文化ホール線)
16-2番線(鴨池港・文化ホール線、中央駅経由)
18番線(大学病院線)
19番線(南紫原線)
28番線(伊敷・鴨池港線)
29番線(伊敷ニュータウン・鴨池港線)
30番線(明和・鴨池港線)


歴史
1914年7月3日 - 鹿児島電気軌道により設置される。
1928年7月1日 - 鹿児島市に移管(当時は電気局)。
1989年 - センターポール設置に併せて電停リニューアル。

周辺
南日本放送会館
鹿児島県住宅供給公社ビルA館・B館
MBC学園(県内最大の講座数を誇るカルチャースクール)
鹿児島中央警察署、県警武道館
鹿児島市立甲東中学校
新屋敷温泉
西日本シロアリ本社ビル
鹿児島女子短期大学
西郷どん大河ドラマ館 - 鹿児島市立病院跡地に2018年1月13日から翌年1月14日まで1年の期間限定で開館。

 

新屋敷電停
Shinyasiki
◄甲東中学校前 (0.2km)(0.5km) 武之橋►
所在地 鹿児島県鹿児島市新屋敷町
北緯31度35分2.89秒 東経130度33分13.23秒
駅番号 口10
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電1系統
(線路名称上は第一期線)
キロ程 2.5km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1914年7月3日

日本平ロープウェイ

$
0
0

日本平ロープウェイ(にほんだいらロープウェイ)は、静岡鉄道が運営するロープウェイ。静岡市清水区草薙の日本平山頂西側に所在する日本平駅と、駿河区根古屋の久能山山上に建つ久能山東照宮敷地西側の久能山駅とを約5分で結ぶ。元旦は久能山東照宮初詣に合わせ、0:00より早朝運行をする。

久能山駅(海抜145m、地図) - 日本平駅(海抜269m、地図)
駅数- 2駅(起終点駅含む)
線路全長 - 1,065m
定員 - 55名
運転速度 - 4.7m/s
所要時間 - 5分
最深部 - 90m
三線交走式


あおい号(殿様の駕籠)、たちばな号(お姫様の駕籠)。現在、開業50周年を記念して、駕籠のラッピングがロープウェー2機とも施されている。あおい号が、殿様の駕籠、たちばな号がお姫様の駕籠のイメージ。現在の搬器(大阪車輌工業製)は開業から数えると5代目で、平成2年より運行している。その際設備も改良され、それまで所要6分かかっていたところを1分短縮した。

歴史
1956年(昭和31年)12月工事開始。
1957年(昭和32年)5月31日 開業。
2007年(平成19年)5月 開業50周年を記念して、ラッピング搬器の運行を始める。

東京都交通局5300形電車

$
0
0

東京都交通局5300形電車(とうきょうとこうつうきょく5300がたでんしゃ)とは、東京都交通局(都営地下鉄)浅草線用の通勤形電車である。

概要
車両冷房化などによるサービス向上と老朽化した5000形の置き換えを目的 に1991年(平成3年)3月31日から営業運転を開始した。
MT比4M(電動車)4T(付随車)構成の8両編成27本計216両が在籍する。
本形式のデザインは日立製作所デザイン研究所が行ったものである 。外観デザインは都営浅草線が走行する銀座などの都会的センスあふれるイメージを表現したものとし、内装デザインは浅草・隅田川など下町情緒や東京の粋を感じさせるものとした。
設計にあたっては、21世紀を目指して以下の項目をコンセプトにした 。
都会的センスあふれる斬新なデザイン
明るくさわやかな車内
乗り心地の良い車両
サービス向上で利用しやすい車両
新技術を取り入れメンテナンスフリー化
前面は傾斜した流線型で左右非対称のデザインとし、正面にはプラグドアの非常扉を設置した。行先表示器には都営地下鉄の車両で初めてLED式を採用した。表示器の左右には丸い通過標識灯が設置されている。
アルミニウム合金製車体であるが、大形押し出し形材を多く使用して、車両の軽量化を図っている。特に外観デザインは、先に落成した都営12号線(都営大江戸線)12-000形1次車のイメージを意識している。車体塗色は軽快感と明るさを感じさせる「アーバンホワイト」に、ラインカラーの「レッド」、それを引き締める「ダークブラウン」の2色の帯を配置した。
側面の行先表示器と車側灯の周囲は黒く塗装して一体に見えるようにしている。車体側面は客用ドアが片側3か所、側窓は扉間の2連窓が下降式、車端側は単窓で固定式である。

内装は東京の粋な町である「浅草」をイメージしたものとし、具体的には都営浅草線に沿って流れる隅田川を中心とした早春に川沿いに咲く「桜」を表現することとした。
このことから、化粧板は「桜」をイメージしたもので、壁面を白基調の「トレンドシティ柄」、天井は白色とした清潔感あるデザインとした。床敷物は中央部を石目調グレイッシュピンク色、外側を薄茶色とすることで、「桜の花びらでおおわれた小道」を表現している。
座席はバケット式ロングシートであり、表地の色は背ずり(背もたれ)は「桜」を表現するコーラルピンク色、座面は「土の香り」をイメージするダークグレー色とした。
シルバーシート(現・優先席)は高齢者や障害者への尊重を表現する紫色とした。1人分の座席掛け幅はドア間の8人掛け(一部5人掛け)長いすが460mmだが、車端部は5人掛け(一部は2人掛け)で560mmとやや広めに確保されている。ただし、その後は濃いピンク色、優先席は濃い青色への交換が進んでいる(後述、床敷物も同様、改良点も参照)。
客室は握り棒や袖仕切りなど丸みのあるデザインを採り入れた。荷棚はステンレスパイプ式、側窓の巻き上げカーテンは「隅田川のさざなみ」をイメージしたものとした。
天井はラインフローファン方式を採用し、中央に補助送風機であるラインデリア(先頭車5台・中間車6台)の収納された整風板、両端に冷房吹き出し口がある。消火器は優先席部の座席下に収納されている。連結面間の貫通路幅は1,100mmと広く、貫通扉は2両に1か所片側に設置(4号車と5号車の連結部は両側設置)の両開き式でドアクローザ式である。
つり革は三角形である。後年に乗務員室後部を除きドア上部の線路方向にも増設された。増設部の吊革は最初の増設編成の5303編成のみ丸型、他は通常部と同じ三角形である。2001年頃からは8人掛け部で10個のうち2個、車端部は一般席6個のうち1個(優先席部は3個)を100mm低くしている。また、優先席部は2006年初めからオレンジ色のものに交換されている。

走行機器など
主電動機の1時間定格出力は165kW(5327編成は180kW)で、電動車1両に4基を装備している。主回路制御はGTO素子によるVVVFインバータ制御(三菱電機製T-INV1形、素子容量は4500V・2000A)を採用している。1基のインバータで4個の電動機を駆動する「1C4M」制御である。磁励音は一定の音階のまま起動前進するタイプである。車内では主電動機三相交流化により、都営地下鉄の車両で初めて客室内の主電動機点検蓋(トラップドア)が省略された。
ブレーキ装置は回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキで、遅れ込め制御を併用する。
台車は近畿車輛製の軸箱支持装置に軸ばね(コイルばね)の前後を筒型積層ゴムブッシュにより違う高さで軸箱と連結したダイレクトマウント式の空気ばね台車(電動台車:T-1B (KD302) /付随台車:T-1C (KD302A))を装着している。ただし、直通先である京浜急行電鉄(京急)の車両規定により、ボルスタレス台車は採用していない。基礎ブレーキ装置は、電動車が片押し式踏面ブレーキ、付随車は片押し式踏面ブレーキ併用ディスクブレーキである。レール塗油装置は5310・5316・5326編成の7号車の押上(京成成田・印旛日本医大)側に取り付けられている。
補助電源装置は135kW出力のDC-DCコンバータ方式であり、電源変換は架線からの直流1,500Vを直流600Vに降圧し、空気圧縮機や冷房装置に供給する。さらに、この直流600Vを内蔵の静止形インバータ(SIV)で単相交流200Vに変換、また整流装置で直流100Vに変換するシステムである[7]。
冷房装置は冷却能力48.9kW(42,000kcal/h)の集中式を1基搭載している[7]。制御方式はインバータによる容量可変式を採用し、DCコンバータからの直流600V電源を使用するものである[7]。
編成
直通先である京浜急行電鉄の車両規定に対応するため、制御電動車を先頭車に配した4M4T構成である。

2006年11月3日に5200形が運用を終了したことにより、浅草線の所属車両は本形式とE5000形電気機関車のみとなったが、浅草線に新型車両を2015年度末より順次導入(2015年度は5編成を予定)することとしていた。その後計画は2年程度延期となり、東京都交通局中期計画によると、2017年度に1編成、2018年度に7編成、2021年度までに全27編成を入れ替える計画となっていたが、その後調達計画に大幅な変更があり、2017年度の予算で一挙に19編成を導入することとなった。また、2016年12月6日付でこの新型車両は5500形と型式名が発表された。今後、当形式全27編成を順次新型車両へ置き換えていくとしている。


基本情報
運用者 東京都交通局
製造所 川崎重工業(2次車)
日立製作所(1・4・6次車)
日本車輌製造(3・5次車)
近畿車輛(5・7次車)
製造年 1990年 - 1997年
製造数 27編成216両
運用開始 1991年3月31日
投入先 浅草線
主要諸元
編成 8両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V
(架空電車線方式)
最高運転速度 浅草線内 70 km/h
京成線内 105 km/h
京急線・北総線内 110 km/h
設計最高速度 110 km/h
5327編成は 120 km/h
起動加速度 3.3 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
自重 26.0 - 34.5 t
編成重量 242 t
全長 18,000 mm
全幅 2,800 mm
全高 4,050 mm
台車 ボルスタ付空気バネ台車
KD-302・KD-302A形(都形式:T-1B・T-1C形)
主電動機 かご形三相誘導電動機
主電動機出力 165kW
ただし5327編成は180kW
駆動方式 WN駆動方式
歯車比 97:16 (6.0625)
制御方式 GTO-VVVFインバータ制御
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ
保安装置 C-ATS


韮山駅 伊豆箱根鉄道駿豆線

$
0
0

韮山駅(にらやまえき)は、静岡県伊豆の国市四日町にある伊豆箱根鉄道駿豆線の駅である。

駅番号はIS08。旧韮山町役場の最寄駅です。

駅構造
駅舎はコンクリート造駅舎です。相対式ホーム2面2線の地上駅で、1番線は修善寺行き、2番線は三島行きであるが、当駅で列車交換を行わない場合は修善寺行き列車も2番線から発着となる。

以前は早朝、深夜帯は無人駅だったが2006年6月より営業時間内は駅員常駐となった。


発車時には駿豆線内で使用されているアロー株式会社製の発車ベル・発車メロディーが鳴る。

切符売場には券売機が2台設置されています。待合室は狭く長椅子が設置されています。

のりば
1 ■駿豆線(下り) 伊豆長岡・大仁・修善寺方面


2 ■駿豆線(下り) 伊豆長岡・大仁・修善寺方面
■駿豆線(上り) 三島方面


※当駅で列車交換を行わない場合、普通列車修善寺行きは2番線から発車


ホームは構内踏切で結ばれています。

利用状況
「静岡県統計年鑑」によると、2004年度の一日平均乗車人員は1,697人、降車人員は1,689人であった。


駅周辺
伊豆の国市役所韮山支所(旧韮山町役場)
韮山時代劇場・伊豆の国市立図書館韮山分館
静岡県立韮山高等学校
蛭ヶ小島跡 - 平治の乱後、源頼朝が流された地。
韮山城跡
韮山郷土史料館 - 駅東方徒歩20分


江川邸 - 駅東方徒歩20分。韮山代官江川太郎左衛門の屋敷。国の重要文化財。
北条政子産湯の井戸
願成就院 - 運慶作毘沙門天像、不動明王像など重要文化財多数。国指定史跡。
セブンイレブン韮山店
静岡銀行韮山支店
ココス韮山店
エスポット韮山店
国道136号
静岡県道133号韮山韮山停車場線


なお、世界遺産で国の史跡でもある韮山反射炉は当駅ではなく、隣の伊豆長岡駅が最寄りである。

路線バス
乗り場 主要経由地   行先  運行会社     備考
韮山駅 江馬      千代田団地  伊豆箱根バス
韮山高校前・多田 富士美幼稚園  沼津登山東海バス 登校日1本運行
韮山高校前・多田  奈古谷温泉口 沼津登山東海バス 登校日運行
韮高前       江川邸  伊豆箱根バス     平日土曜運行


1900年(明治33年)8月5日 - 北条駅(ほうじょうえき)として開業。
1919年(大正8年)5月25日 - 韮山駅に改称。

韮山駅
にらやま
Nirayama
◄IS07 原木 (1.3km)(1.6km) 伊豆長岡 IS09►
所在地 静岡県伊豆の国市四日町747-1
北緯35度3分11.58秒 東経138度56分43.59秒
駅番号 IS08
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 ■駿豆線
キロ程 9.8km(三島起点)


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,480人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 2,952人/日
-2016年-


開業年月日 1900年(明治33年)8月5日
備考 1919年 北条駅から改称

百舌鳥駅(JR西日本)阪和線

$
0
0

百舌鳥駅(もずえき)は、大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲(もずせきうん)町二丁にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅である。駅番号はJR-R30。駅周辺は百舌鳥古墳群と呼ばれるエリアで、その中でも最大規模を誇る大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の最寄り駅です。

仮名「もず」よりも漢字「百舌鳥」の方が字数が多いという、あまり例をみない珍しい駅名である。

駅構造、駅舎はコンパクトな木造駅舎です。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、分岐器のない棒線駅の構造であるが、踏切長時間鳴動対策のために駅前後の信号機が絶対信号機に変更されたため、停留所ではない。

上下線別々に改札口があり、入場後のホーム間の移動はできない。上下線共に改札口は日根野側にある。ホームは6両編成まで停車可能な長さであるが、上りはホームの全ての部分に上屋があるのに対し、下り側は2両目の途中までしか上屋がない。改札とホームとはスロープだけで結ばれている構造だが、バリアフリーの面では非常に好ましい形となっている。

2009年にスロープの傾斜角が変更(より緩やかになり、また昇降中の中間地点に平坦部が設けられた)、駅サイン類が最新型に変更、多機能型トイレが設置(上り駅舎)されるなど、駅舎のリニューアル工事が行われた。

切符売場には券売機が2台と定期券発売機が1台。鳳駅が管理し、ジェイアール西日本交通サービスが駅業務を受託する業務委託駅である。駅係員は上り線側のみに常駐しており、下り線側は朝夕ラッシュ時以外無人である。また、2007年4月1日より一部時間をのぞいて駅業務は休止されており、休止時間中はオペレーターがインターホンで遠隔対応する形をとっている。改札口には改札機は2台。

かつては西口にみどりの窓口が存在したが、2014年2月5日をもって営業を終了し、2月6日よりみどりの券売機プラスが稼動した。ICカード乗車券「ICOCA」が利用することができる。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 R 阪和線 下り 鳳・関西空港・和歌山方面
2 上り 天王寺・大阪方面


駅周辺
駅南の踏切は閉鎖時間が長いため、歩道橋が設置されています。周辺は百舌鳥古墳群と呼ばれるエリアで、百舌鳥駅はその中心古墳である仁徳天皇陵(大仙陵古墳)の最寄り駅である。

仁徳天皇陵(大仙陵古墳)
御廟山古墳
いたすけ古墳
長塚古墳
大仙公園
堺市博物館
自転車博物館
堺市立中央図書館
日本庭園
百舌鳥八幡宮
万代寺
円通寺
大阪府立堺支援学校
堺歯科衛生士専門学校


バス路線
南海バス(もず駅前停留所)
大仙中町(旧:工業学校前)・賑町経由 堺東駅前行き(5、40系統)
土師・深井駅経由 あみだ池行き(40系統)
なお、堺東駅前行きは踏切の東側に降り場が、西側に乗り場がある。西側の乗り場はもともとは深井駅行きと変わらない位置にあったが、民家の前で車道との隙間も少なく、大仙公園の入り口近くにまで移動している。このため、駅からは250mほど離れている。

1929年(昭和4年)7月18日 - 阪和電気鉄道の阪和天王寺駅(現在の天王寺駅) - 和泉府中駅間開業時に仁徳御陵前停留場(にんとくごりょうまえていりゅうじょう)として設置。
1938年(昭和13年)5月 - 百舌鳥御陵前停留場(もずごりょうまえていりゅうじょう)に改称。
1940年(昭和15年)12月1日 - 阪和電気鉄道が南海鉄道と合併、南海山手線の停留場となる[1]。
1944年(昭和19年)5月1日 - 南海山手線が国有化され、鉄道省(国鉄)阪和線所属となる[1]。同時に駅に昇格し百舌鳥駅に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる[1]。
1989年(平成元年) - 大仙公園で開催の「オランダフェスティバル・ダッハらんど'89大阪」に合わせ、昼間時に一部の快速列車が臨時停車。
1992年(平成4年)11月1日 - みどりの窓口営業開始。
1993年(平成5年)7月1日 - 阪和線運行管理システム(初代)導入。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[2]
2010年(平成22年)2月20日 - 駅舎リニューアル工事が完了。
2013年(平成25年)9月28日 - 阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
2014年(平成26年)
2月5日 - みどりの窓口の営業が終了。
2月6日 - みどりの券売機プラスが稼動開始。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。


百舌鳥駅*
もず
Mozu
◄JR-R29 三国ケ丘 (0.9km)(1.3km) 上野芝 JR-R31►
所在地 堺市堺区百舌鳥夕雲町二丁166
北緯34度33分29.02秒
東経135度29分18.99秒座標: 北緯34度33分29.02秒 東経135度29分18.99秒
駅番号 JR-R30
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 R 阪和線
キロ程 11.1km(天王寺起点)
電報略号 モス
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 3,960人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1929年(昭和4年)7月18日
備考 業務委託駅
みどりの券売機プラス設置駅
* 改称経歴
- 1938年 仁徳御陵前停留場→百舌鳥御陵前停留場
- 1944年 百舌鳥御陵前停留場→百舌鳥駅

川内橋親柱と平佐川

$
0
0

大正3年(1914)6月1日の国鉄川内線(鹿児島~川内間)開通を飾る事業として、同年5月に駅前の原田町通(現昭和通)を横断していた平佐川に架けられた川内橋は、親柱4本(直径40センチメートルで安山岩製)をもつ。橋長約9メートル、幅員約7メートルと立派な石橋であったと推定されています。


 川内橋の名の由来は、古来から当地周辺が川内八カ郷(平佐郷・高城郷・水引郷・高江郷・隈之城郷・百次郷・山田郷・中郷)の商業の中心であり、『川内まち(センデンマチ)』と呼ばれていたことにあり、国鉄川内線の駅名も『川内町駅』と名づけられました。
 当時の川内橋架橋位置については、現川内駅から国道3号に向かって約100メートルの地点にあり、跡地に標柱を設置してあります。」


「川内橋が架けられた大正3年(1914)5月当時、平佐川は、平佐村と隈之城村との村境として福昌寺前から川内橋下を流れ、蛇行しながら鳥追の杜に至り春田川と合流していました。 この蛇行した区間は、戦災復興土地区画整理事業(昭和22年~昭和40年)に先立ち、隈之城川に流れ込むように改修が行われました。これにより川内橋も昭和20年頃には撤去されました。
 その川内橋の親柱が、平成8年(1996)に冷水町(旧鹿児島県川内土木事務所跡地)の造成工事中に一部欠損はあったものの4本とも発見され、平成16年(2004)3月13日の九州新幹線の開業(鹿児島中央~新八代)を記念して、川内駅前通の歴史を伝えるモニュメントとして再び設置することとなりました。」

キャプトンRTS 600CC 1955年 みづほ自動車製作所

$
0
0

 

4サイクルエンジン、2気筒600CC、28馬力。キャプトンの最大排気量車。陸王、メグロと並ぶ国産の大型オートバイの代表である。
キャプトンは、国産オートバイが量産化され始めた戦前の1935年に誕生した。スタイルはイギリスのアリエルをモデルとし、エンジンはアメリカのインデアン社のアローエンジンをコピーしている。
販売価格は当初300,000円だったが、全国均一価格として何と215,000円まで値下げして世間を驚かせた。

みづほ自動車製作所(みづほじどうしゃせいさくじょ)は1923年から1956年まで存在した日本のオートバイメーカーである。メグロと並ぶ大型車の一流メーカーで、キャブトン(Cabton)の名は今日まで知られる。

名古屋市にて内藤正一が1923年に起こし、1927年キャブトン第一号を発表した。発売元は大阪・中川幸四郎商店であり、「キャブトン」という名はCome And Buy To Osaka Nakagawa (「大阪中川まで買いに来たれ」)の頭文字を並べたものである。4ストローク、350cc、サイドバルブ車が主だった。戦前の最盛期には年に360台の生産を行なった。
メグロと同様第二次世界大戦によって一時オートバイの生産をやめざるを得なくなったが戦後いちはやく復活、愛知県犬山市に工場を開設し、1946年にバイクモーター(自転車に取り付けるエンジン。モペッド参照)である「ビスモーター」を発売した。
やがて本格的なオートバイの生産に戻り、英国車風の4ストローク車を専ら生産した。排気量は350ccから600cc程度と当時としては大型であり、単気筒ないし並列2気筒OHV車が主だった。1954年頃の最盛期には資本金1億円、従業員800人を数えた。


大型車の需要が限られる一方で小型車の人気が高まったことから時流に乗って250ccや125ccの小型車も発売、量産による廉売戦略に打って出たが大型車イメージの強いキャブトンのメーカーが廉価な小型車を生産したことはブランドイメージのぶれを生じ、またその生産過程で品質管理面がおろそかになってユーザーの不評を買ったことで市場で「名門失墜」の悪評を招き、経営をより悪化させることになった。
最終的には資金繰りに行き詰まり、1956年に倒産した。ライバルのメグロが厳しい経営状況でもブランドイメージを保ち、川崎重工業(カワサキ)にその技術的系譜を継承させたのとは対照的な末路であった。
1954年11月に公開された東宝映画「ゴジラ」において、劇中の南海サルベージ社の壁にカレンダーのポスターが見られる。

キャブトンマフラー
みづほ自動車製作所の製品を引き継ぐメーカーはなかったが、キャブトンの名はマフラーに残っている。しかし誤って「キャプトン」と呼称する人も多い。
オートバイの後方に水平に延びる円筒状のマフラーで、途中、一様に太くなっている部分が一カ所だけ存在し、そこからはまた元の太さに戻るものを通称「キャブトンマフラー」と呼ぶ。トライアンフやBSAなど当時の英車によく似た形状だが、直線的で外連味のない無骨なデザインがキャブトンの特徴である。
このタイプのマフラーは汎用の社外品として販売されるほか、同時代のライバルであった目黒製作所の後継となるカワサキのW1S、W3や、その後のエストレヤやW400/W650などの旧車風な雰囲気を狙ったモデルに多く採用される。関係は不明だがトヨタ・2000GTのマフラーも類似の形状である。

JR貨物19D形コンテナ

$
0
0

JR貨物19D形コンテナ(JRかもつ19Dがたコンテナ)は、日本貨物鉄道(JR貨物)が製造している、鉄道輸送用長さ12ftの5トン積み有蓋コンテナである。

概要
本形式は19B形の改良型であり、相違点は脚部四隅に船積用のツイストロック式の金具が付属したことである。
2017年(平成29年)2月5日現在、35,095個使用されている。2017年には、50000番台を突破した。
登場時は旧型の国鉄コンテナの老朽取換用として製造されていたが、後に18D形などのJR初期に製造されたコンテナも置き換えている。2017年11月現在も仕様変更を重ねながら、JR貨物の主力コンテナ形式として19G形と共に増備が続いている。
初期に製造された本形式は老朽化が進んでおり、内張りを張り替えて塗装変更する更新工事を施して使用されている。しかし近年、新たに製造された本形式により、初期製造の個体も置き換えが進み、廃棄されたり静脈物流専用のW19D形や死重用途のZD19D形に改造されたりしている。
なお、廃棄された19D-5001が、整備の上、鉄道博物館においてコキ50000に積載状態で展示されている。

構造
両側扉二方開きで、外法寸法は高さ2,500mm、幅2,450mm、長さ3,715mm。最小内法寸法は高さ2,252mm、幅2,270mm、長さ3,642mm。側入口は高さ2,187mm、幅3,635mm。床面積は8.3m2、内容積は18.7m3。最大積載量は5t。
塗装は19B形に準じており、赤紫色(JRFレッド)一色に、白抜きで側面および妻面の右上にJRFマーク、側面中央には横長で菱形状の線が配されている。
初期に製造された個体は、側面左下にJRマークと「日本貨物鉄道株式会社」の文字が入れられていたが、すぐに「JR貨物」へ変更となった。
量産途中で、エコレールマークのシールが貼り付けられるようになった。
量産が進むと、側面左上に「環境にやさしい鉄道貨物輸送」(前期)、「環境にやさしい鉄道コンテナ」(後期)とキャッチコピーが書かれたステッカーが貼られるようになった。このステッカー貼り付けは本形式から始まっている。
老朽化が目立つ個体については、内張りを交換する更新工事が施されている。同時に塗装も専用のものに塗り直されており、白線が消されたうえに、JRFマークが小さくなっている。更新工事の実施を示す表記については、製造番号の後ろに「◇(ひしがた)」の記号が付いたもの、「更新」の英訳である「Renewa」の頭文字「R」を追記したものがあり、中には目印がない個体があるなど、多種多様である。


1996年 - 東急車輛大阪製作所にて第一号が落成。
2001年 - 東急車輛大阪製作所にて屋根リブが追加された新形状である5000番台が設計、製造された。
2003年 - 東急車輛大阪製作所にて両開き通風コンテナの試作を開発。19D-12101、12102。
2007年 - 30000番台の製造開始、東急製・中国国際海運集装箱(CIMC)製共に外枠設計の見直しがなされた。
2009年 - 鉄道コンテナ50周年を記念して、国鉄コンテナに使用された黄緑6号を基調としてロゴマークや文字を黒に塗り、大型のエコレールマークステッカーを貼り付けた個体が50個製作された。
2012年 - 日本製の製造所が東急車輛製造から総合車両製作所へと変更になる。
2014年 - 最新ロットの42000番台からは、塗装が大きく変更されている。赤紫色を基調としている点は従来と変わらないが、JRFマークと白線が廃止され、側面右上にJRマーク、その下に「JR貨物」の文字が入れられている。妻面右上にも「JR貨物」の文字がある。また、キャッチコピーのステッカー貼り付けも省略されている。
なお、2011年(平成23年)後半に試作コンテナとして、19D-90001と19D-90002の2個が東急和歌山製作所で製造された。ドアロッドが4本となっており、荷票受・表示票受の位置や、リブの形状も既存のものとは大きく異なっている。塗装は黄緑6号を基調とし、側面左上にJRマーク、その下に「JR貨物」の文字が入れられており、左下にはエコレールマークを貼り付けている。これらの個体は宇都宮貨物ターミナル→札幌貨物ターミナル→苫小牧貨物駅→宇都宮貨物ターミナル間の限定運用となっており、のちに限定運用を示す表記が側面右上に追加されている。19G形でも同じ仕様の試作コンテナが2個製造されている。
2016年4月には、京都鉄道博物館での展示用として28901番が総合車両製作所で製造された。貨物輸送には使用されず、展示用として特別に製造された。

9D形コンテナ(19D-18097)
全長(内寸法) 3,715mm (3,642mm)
全幅(内寸法) 2,450mm (2,270mm)
全高(内寸法) 2,500mm (2,252mm)
荷重 5t
内容積 18.7m3
自重 1.5t
扉位置 両側側面
製造初年 1996年(平成8年)
製造メーカー 東急車輛製造、JINDO他
外面色 赤紫色(JRFレッド)、黄緑6号

 

津久野駅(JR西日本)阪和線

$
0
0

津久野駅(つくのえき)は、大阪府堺市西区津久野町一丁にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅である。駅番号はJR-R32。戦後に設置され、泉北ニュータウンへのバス乗継客で賑わった当駅だが、地下鉄御堂筋線の中百舌鳥延伸以来利用減が続いており、優等通過駅乗降客数最大の地位も杉本町に奪われた。

駅構造
築堤上に相対式ホーム2面2線をもつ地上駅。和歌山寄りですぐ石津川を越えるため、川岸の位置にある駅入口より堤防を越える必要のある線路が一段高い位置にあり、駅自体は高架駅の形となっている。分岐器のない棒線駅の構造であるが、踏切長時間鳴動対策のために駅前後の信号機が絶対信号機に変更されたため、停留所ではない。

改札口は南側にある。南海バスのバスのりばがあり、泉北ニュータウン方面に向かってバス路線が延びている。対して北側には改札口はなく、線路をくぐるトンネル状の通路を通り一旦南側に出てから改札口を利用しなければならない。

阪和線運行管理システムの更新前は、当駅の自動放送は上野芝駅と同様に行先の案内が「天王寺行き」「鳳方面行き」に固定された簡易型自動放送であった。

また、2009年春に改札口に3段表示、ホームに2段表示のLED式発車標が設置されたが、阪和線運行管理システムの更新前は、種別・行先・時刻・乗車位置などが表示されず、列車遅延時の運行情報やマナー啓発・お知らせ、列車接近時に接近案内が流れるのみで表示内容が限定されていた。改札口に改札機は4台。2009年3月、コンコースと上下ホーム間にエレベーターが設置された。

鳳駅が管轄している直営駅である。一部の時間帯は改札窓口が閉鎖されている。休止時間帯の問い合わせはインターホン越しに鳳駅の駅員が対応している。改札口はICカード乗車券「ICOCA」に対応している。

2012年4月15日をもってみどりの窓口が廃止され、代替としてみどりの券売機プラスが設置されている(これ以降も、市販の「JR時刻表」などでは、「みどりの窓口設置駅」として扱われている)。「エクスプレス予約」や「e5489」による切符の受け取りが可能である。切符売場に券売機は2台。指定席券売機も設置されています。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 R 阪和線 下り 鳳・関西空港・和歌山方面
2 上り 天王寺・大阪方面

利用状況
2016年(平成28年)度の1日平均乗車人員は8,796人である。
阪和線内で普通列車のみ停車する駅としては1986年度以降最多で、最ピーク時は鳳駅に次ぐ乗車人員を記録していた。しかし、1987年度に大阪市営地下鉄御堂筋線が中百舌鳥駅まで延伸されたことでその後は減少傾向が続き、2001年度に1万人を下回った。2008年度に杉本町駅を下回り、普通列車のみ停車する駅でも最多ではなくなった。さらに2012年度には上野芝駅をも下回ったが、2015年度には再び同駅を上回った。


駅周辺
公共・医療機関
日本郵便鳳郵便局
家原大池公園・家原大池体育館
堺市立総合医療センター
馬場記念病院
学校
堺市立津久野小学校
堺市立津久野中学校
堺市立浜寺中学校
商業施設
イトーヨーカドー津久野店
デイリーカナート向ヶ丘店
天牛堺書店津久野店(第1号店)
その他
家原寺(行基生誕の地)
踞尾八幡神社
津久野キリスト恵み教会
泉北2号線

バス路線
南海バス(津久野駅前)
1番乗り場 津久野線 18系統:堺市立総合医療センター北、上野芝駅前、南陵通1丁、一条通経由堺東駅前行き
2番乗り場 津久野線 18・特18系統:家原寺町、平岡町経由堀上緑町1丁(向ヶ丘第二団地方面循環)行き
特18系統は津久野駅前始発
3番乗り場 津久野線 81・特81系統:毛穴南、鈴の宮団地、八田荘団地経由深井駅行き
4番乗り場 泉北・泉ヶ丘地区線 11・11-1系統:平岡町、中深井、八田荘団地、伏尾経由泉ケ丘駅行き
5番乗り場
泉北・泉ヶ丘地区線 12・12-2・12-3系統:毛穴南、八田西団地、小代、宮山台2丁、若竹大橋経由泉ヶ丘駅行き
12-3系統は若竹大橋止め
泉北・栂地区線 33・33-1: 毛穴南、八田西団地、小代、堺西高校前経由栂・美木多駅行き
過去には南海高野線、泉北高速鉄道線、大阪市営地下鉄御堂筋線中百舌鳥駅行きのバスも運行されていたが、休止となり、その後現在は堺市立総合医療センター前発着(M1系統)として運行されている。
津久野駅前には乗り入れていない。
堺市立総合医療センターへのアクセス
深井(特81系統)、泉ヶ丘(11-1・12-2・12-3系統)、栂・美木多(33-1系統)の各駅と津久野駅前を結ぶ各系統は、病院の営業時間帯のみ堺市立総合医療センター前を経由する。
堀上緑町1丁行き(18・特18系統)は、院内停留所ではなく病院東側の堺市立総合医療センター東停留所に停車する。
堺市乗合タクシー
Dルート 深井駅前行き
デマンド式であり、平日1日5往復の運行となっている。

 

駅所在地は堺市編入以前の旧泉北郡踞尾村(つくのむら)にあたり、駅開業時の大字も踞尾本町や踞尾宮本町のように「踞尾」表記だった。しかし、向ヶ丘団地建設に伴って当駅を設置する際、頻度の少ない漢字に国鉄が難色を示した。地元と協議の結果、駅名は以前から当て字として使われていた「津久野」表記で決着し、駅開業から4年後には大字も再編されて津久野町となり、現在に至っている。

1960年(昭和35年)9月1日 - 国鉄阪和線の上野芝駅 - 鳳駅間に新設開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1993年(平成5年)7月1日 - 阪和線運行管理システム(初代)導入。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[2]。
2012年(平成24年)
4月1日 - みどりの券売機プラスの使用を開始。
4月15日 - みどりの窓口廃止。
2013年(平成25年)9月28日 - 阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。

津久野駅
つくの
Tsukuno
◄JR-R31 上野芝 (1.3km)(1.4km) 鳳 JR-R33►
所在地 堺市西区津久野町一丁2-1
北緯34度32分32.07秒
東経135度28分5.98秒座標: 北緯34度32分32.07秒 東経135度28分5.98秒
駅番号 JR-R32
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 R 阪和線
キロ程 13.7km(天王寺起点)
電報略号 ツノ
駅構造 地上駅(盛土上)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 8,796人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1960年(昭和35年)9月1日
備考 直営駅
みどりの券売機プラス設置駅

タンク・コンテナ(国鉄T15型タンクコンテナ)

$
0
0

タンク・コンテナ (tank container) は、油類、化成品、各種ガス、濃縮果汁、原酒、食品原料などの液体や気体を輸送するためのタンクを備えたコンテナである。洗浄技術の向上によりさまざまな用途に転用でき効率的な運用を図ることができることからISO規格長さ20ftのものの普及が急速に進んでいるが、特殊化成品や各種ガスの小ロット輸送用の長さ10ft型および、ヘリウムガスなどの各種軽量ガス輸送用の40ft型も存在し、日本国内でも化学工業地帯を主体として運用されている。特に近年の医療機器で重要視されている画像診断装置の一種であるMRI装置の冷却に欠かせないヘリウムガスは、全量を輸入に頼っている為に、この専用コンテナでの輸入事例が年々活発に行われている。

積荷の性質や用途により、(危険物用)と、(非危険物《普通品》用)の二種類に大きく区別され、更に(完全液体類)と、液体(液化)類と気体類の両用となる、いわゆる(ガス類)用のタンクコンテナに構造的にも分類される。このために様々なコンテナ外観・タンクの高さ・口径種類の他、積荷により加温・保温機能や、逆に冷凍コンテナと同様に専用の給電コンセントから送電を受けたりあるいは、画像のように外付けの発電機と接続する給電式の冷却用外機設備を片妻側に備えて、積荷の品質管理を行うなどの各種装置を備えている。変り種としてはタンクコンテナ全体的には非常に稀な事例となるものの、そのコンテナの外観はドライコンテナと同様に完全な箱型であり、その構造を利用して積載容量を最大限に引き出せる方式として、構造的に圧力に弱い為に積荷に圧力を加えない、主にアスファルトや特殊なオイル系の積荷用に運用されている。
なお、外観は20ft型および、40ft型のタンク・コンテナなるも、積荷は粉末状、または、粒状の穀物・化成品・鉱物・食品などを専用に運ぶコンテナも存在するが、液体状ではない乾燥した粉末や粒状積荷の場合は、コンテナ構造区分コードでバルク・コンテナ(ホッパ・コンテナともいう)となる。

国鉄タンクコンテナは1965年から製造され増備されてきたが、タンクコンテナは積載品の関係で輸送区間,荷主が限定されていたため、1970年の私有コンテナ制度発足とともに私有コンテナへ移行し、増備が中止された。

T15形式
1968年に製造されたラッテクス輸送用でタンク体はステンレス鋼(SUS27)を使用し、エポキシ樹脂の内面処理を施し、断熱材に60mmのガラス綿を使用した。
番号 積載物 輸送区間 荷主
1- 6 ラテックス 汐留 - 梅田、湊川
汐留 - 広島、岐阜
汐留 - 笠寺、岡山 丸紅飯田


81式射撃指揮装置2型(FCS-2)海上自衛隊

$
0
0

81式射撃指揮装置2型(FCS-2)は、日本で開発された射撃指揮装置(FCS)。艦砲と個艦防空ミサイル(短SAM)の射撃指揮に用いられており、いずれも海上自衛隊の護衛艦に装備されている。


1950年代末より、ソビエト連邦軍はK-10S(AS-2「キッパー」)(英語版)空対艦ミサイルやP-15(SS-N-2「スティクス」)艦対艦ミサイルなど対艦ミサイルの配備に着手した。1967年のエイラート事件を受けて、西側諸国においてもこれらの脅威がクローズアップされ、対艦ミサイル防御(ASMD)が急務となった。

海上自衛隊では、当時進めていた第3次防衛力整備計画ではこれらの施策が間に合わなかったことから、第4次防衛力整備計画での導入を目指していた。これに応じて、ASMDに対応した新型GFCSとして開発されたのが本機である。

開発は、昭和45年度より、「小型射撃指揮装置」として着手された。開発計画は砲制御部とミサイル制御部に区分され、砲制御部は下記のような開発線表が計画されていた。またミサイル制御部については、昭和50年度での委託研究が計画されていた。

昭和45年度 - 委託研究
昭和46~47年度 - 試作
昭和48年度 - 陸上技術試験
昭和49~50年度 - 海上技術・実用試験
技術試験までは順調に進展したものの、試作品の重量が過大であったために、追尾レーダーの精度を左右するサーボ機構の追従・応答性に不安が残るなどの問題が指摘された。また予算確保にも問題が生じたことから開発線表の1年延長が決定され、昭和49年度にも引き続いて陸上技術試験を行ったのち、昭和50年度より護衛艦「むらくも」の第2方位盤を試作機に換装しての海上技術・実用試験が開始された。しかし試験において、レーダー送信機の不調(国産電子管の絶縁低下・輸入増幅管の動作不良)という問題が発生し、その解決に半年を要したため、海上技術・実用試験も昭和51年度まで延長された。これにより、試験完了見積もりが昭和53年度にずれ込んだことから、当初計画されていたしらね型(50DDH)での採用は断念され、オランダのシグナール(現在のタレス・ネーデルラント)社からWM-25を輸入して装備した。

海上技術・実用試験では、特に冬季のシークラッター(海面反射)のために目標追尾が安定しないという問題が発生し、ドップラー処理を利用したMTT(Moving Target Tracker)、MTI(Moving target indication)が新たに開発されて組み込まれた。その他、重量軽減や電子防護機能向上策なども施され、昭和53年度より試験が再開された。しかしながら、これらの問題が解決された後にも、射撃指揮装置としての最重要機能である射撃精度と弾着観測精度が目標値に達しないという、重大問題が残った。このことから、1978年2月、実用実験隊(現在の艦艇開発隊)司令の下に、関東地方の技術研究本部・海上幕僚監部および実施部隊の幹部を糾合して支援グループが編成され、またメーカーである三菱電機でも、鎌倉製作所の専門家を結集したグループが設置され、官民の力を結集したプロジェクトが発足した。両グループの精力的な取り組みによって問題は解決され、同年8月の対空射撃を経て、海上技術・実用試験は10月に成功裏に終了、1979年3月に、81式射撃指揮装置として制式化された。

FCS-2-31
「はやぶさ」装備のFCS-2-31C
射撃指揮装置2型-31はFCS-2シリーズの最新型で、砲・対空ミサイルの発砲・発射管制を行う。追尾レーダーのアンテナが露出した外見上はFCS-2-2xに類似している。また、右側には複合センサー(TVカメラ、IRカメラ、レーザ測距儀)が併設されている。レーダー方位盤の型式はDIR 2-31とされている。

搭載艦艇
むらさめ型護衛艦(03DD - 09DD)- FCS-2-31 - 31A
たかなみ型護衛艦(10DD - 13DD) - FCS-2-31B - 31F
はやぶさ型ミサイル艇(11PG - 13PG) - FCS-2-31C

開発国 日本の旗 日本
就役年 1979年
送信機
形式 2-12:進行波管(TWT) +交差電力増幅管 (CFA)
2-2x:マグネトロン
周波数 X (I) バンド
アンテナ
形式 警戒レーダ: スロットアレイ
追尾レーダ: カセグレンまたはPESA型
直径・寸法 警戒レーダ: 1.5 m×0.45 m
追尾レーダ: 約1 m径
走査速度 警戒レーダ: 60 rpm
方位角 全周旋回無制限
仰俯角 警戒レーダ: -1〜+30°
追尾レーダ: -1〜+85°
探知性能
探知距離 30 km (目標RCS 1m2)
探知高度 15 km (目標RCS 1m2)

JR三国ヶ丘駅・阪和線(JR西日本)/ 南海高野線

$
0
0


三国ヶ丘駅および三国ケ丘駅(みくにがおかえき)は、大阪府堺市堺区向陵中町二丁にある、南海電気鉄道(南海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。南海高野線との接続駅で利用客が多く、天王寺と和歌山を除く途中駅では最大の利用者がある。

正式な駅名表記は、南海は「三国ヶ丘」、JRが「三国ケ丘」とされている。駅番号は南海電気鉄道がNK57、JR西日本がJR-R29。

駅名は摂津国・河内国・和泉国三国の国境の丘の意で、当駅北方に鎮座する方違神社がかつての国境だった。


南海の駅はPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)および「スルッとKANSAI」対応各種カード、JR西日本の駅はICOCAの利用エリアに含まれている。南海の駅は堺東駅が、JRの駅は堺市駅が管理している。

2011年4月から南海電気鉄道は、南海商事と共同で「三国ヶ丘駅改良事業」を進めてきた。東西自由通路の整備・駅舎の橋上化、商業施設のリニューアルに加え、JR西日本の駅部分も含めた構内構造の変更などの工事が行われてきたが、2013年9月7日に東西自由通路と橋上駅舎が完成、商業施設は2014年4月16日、「N.KLASS三国ヶ丘」として一部店舗が先行開業した。同年5月29日には新たに4店舗が開業し、グランドオープンした。屋上には眺望デッキやトレインビューを設けた公園「みくにん広場」を設置している。

JR三国ケ丘駅。駅ビルを併設した橋上駅舎です。
プラットホームは掘割部分に相対式ホーム2面2線を有する駅で有効長は8両編成分ある。いずれも分岐器のない棒線駅の構造であるが、踏切長時間鳴動対策のために駅前後の信号機が絶対信号機に変更されたため、停留所ではない。朝ラッシュ時の混雑が激しいため、2007年9月に上りホームの堺市寄りの部分の拡幅が行われた。またバリアフリー対応として上下ホームとも下り側でエレベーター設置工事が行われ、2008年12月20日よりエレベーターの使用を開始した。

東口(旧北口)にある自動券売機は、かつては南海型のものとJR型のものが併設されていたが、2013年9月7日からは改札が分かれたため、東口の南海型の自動券売機はJR型のものに取り換えられた。JR用の出札窓口およびみどりの窓口はないが、2014年5月26日から東口にみどりの券売機プラスが設置された。駅前広場には路線バスも乗り入れており、西口に比べると賑わいが感じられます。

2014年1月に、南海への乗換改札口があった場所に男女別の便所が設置され、通路を挟んだ向かい側に多機能トイレが新設された。

南海線のりば

のりば 路線 方向 行先
1 Nankai koya line symbol.svg 高野線 下り 高野山・泉北高速線方面
2 上り なんば方面


JR線のりば
のりば 路線 方向 行先
1 R 阪和線 下り 鳳・関西空港・和歌山方面
2 上り 天王寺・大阪方面

阪和線はすべての快速列車が当駅に停車しているが、1999年5月9日までは、区間快速と普通のみ停車しており、区間快速が運転されない夕方以降を中心に普通が激しく混雑し、天王寺駅 - 鳳駅間で遅延が常態化していた。そこで、翌10日の改正で当駅を快速停車駅に変更した上で、朝のラッシュ時は和歌山・和泉砂川発の区間快速を鳳駅折り返しの快速に8両編成を充当させて混雑緩和を図ることにした。それに合わせて当時6両分だったホーム有効長を天王寺寄りに2両分延長して8両対応とし、自動放送の詳細化と発車標の設置も行われた。

高野線で準急以下のみ停車する駅では最も利用者が多く、このうち阪和線への乗り換え客が占める割合は約57%[8]に及んでいるが、近くに堺東駅があることや遠近分離、経営戦略上などの観点から区間急行以上の種別は停車しない。これは地下鉄御堂筋線に接続する中百舌鳥駅もほぼ同様である。なお日中以降の北野田・河内長野方面発着の各駅停車は上りは堺東駅で、下りは北野田駅で急行(一部は快速急行・区間急行)と緩急接続を行うため、接続は悪くない。

利用状況
西日本旅客鉄道 - 2016年度の1日平均乗車人員は24,000人で、同社の駅の中では42位である[JR 1]。阪和線の途中駅では最も多い。

駅周辺
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の東に位置するが、正面遥拝所のある前方部へは百舌鳥駅が近い。
高野線を挟んで駅北側に竹内街道(大阪中央環状線)、駅南側に西高野街道(国道310号)が通っている。
駅ナカ
N.KLASS三国ヶ丘
天牛堺書店
ミーツ
アンスリー
成城石井
リトルマーメイド
ドトールコーヒーショップ
東出口
かつて駅横にショップ南海が存在していた。ロータリーにはバス停とタクシー乗り場がある。
堺市立堺高等学校
清恵会第二医療専門学院
堺向陵中町郵便局
大阪信用金庫 三国ヶ丘支店
湯川家具 堺本店
三国ヶ丘FUZZ
はや 総本店


西出口
ロータリーにはタクシー乗り場のみ。バス停は国道310号(さんとお線)沿いにある。
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
堺市上下水道局
清恵会医療専門学院
コーナン三国ヶ丘ショッピングセンター
コーナン 堺三国ヶ丘店
ジョーシン 三国ヶ丘店
ヒマラヤスポーツ 堺三国ヶ丘店
セリア 三国ヶ丘店
キリン堂 三国ヶ丘店

1942年(昭和17年)2月15日 - 南海鉄道の高野線と山手線(旧阪和電気鉄道、現在のJR阪和線)の乗換駅として開業。改札口は現在の西口のみで、阪和線へは高野線の線路を踏切で渡ってから階段に続いていた。
1944年(昭和19年)
5月1日 - 南海山手線が戦時買収私鉄に指定されて国有化、阪和線となる。
6月1日 - 南海鉄道の会社合併により国鉄と近畿日本鉄道の駅となる。
1947年(昭和22年)6月1日 - 近畿日本鉄道から南海電気鉄道への旧・南海鉄道の路線譲渡により、国鉄と南海電気鉄道の駅となる。
1966年(昭和41年)12月1日 - 新今宮駅開業に伴う南海高野線のダイヤ改正で急行通過駅になる[4]。
1986年(昭和61年)11月1日 - 国鉄阪和線のダイヤ改正で区間快速停車駅(当時は朝夕ラッシュ時、夜間のみの運転)になる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)と南海の駅となる[3]。
1993年(平成5年)7月1日 - 阪和線運行管理システム(初代)導入。
1999年(平成11年)5月10日 - JR阪和線のホームが8両編成列車の停車が可能になるよう駅北側に延伸され、ダイヤ改正により快速・B快速の停車駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - JR西日本でICカード「ICOCA」の利用が可能となる[5]。
2013年(平成25年)
9月7日 - 南海高野線の駅舎を橋上化し、JRの駅舎と分離。合わせて北口を東口に改称。南海高野線のホームにある地下道が閉鎖され、南海とJRの乗換改札口を廃止[6]。JR西日本の駅がJR西日本交通サービスへの業務委託駅から直営駅に変更となる。
9月28日 - 阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
2014年(平成26年)5月29日 - 駅ナカ商業施設の「N.KLASS三国ヶ丘」が開業。
2018年(平成30年)3月17日 - JR西日本に駅ナンバリングが導入され、使用を開始。


三国ヶ丘駅
みくにがおか
MIKUNIGAOKA
所在地 堺市堺区向陵中町二丁7-1
北緯34度33分54.95秒 東経135度29分34.05秒
所属事業者 南海電気鉄道
西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 ミク(両社とも)
駅構造 南海 - 地上駅
JR西日本 - 地上駅(掘割構造)
ホーム 各2面2線(計4面4線)
乗車人員
-統計年度- (JR西日本)24,000人/日(降車客含まず)
-2016年-
(南海)20,059人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- (南海)39,804人/日
-2016年-
開業年月日 1942年(昭和17年)2月15日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■ 南海高野線
駅番号 NK 57
キロ程 12.5km(汐見橋起点)
難波から11.8km
◄NK56 堺東 (1.5km)(0.9km) 百舌鳥八幡 NK58►
所属路線 R 阪和線(JR西日本)
駅番号 JR-R29
キロ程 10.2km(天王寺起点)
◄JR-R28 堺市 (1.4km)(0.9km) 百舌鳥 JR-R30►
備考 改札口は両社個別
JR:みどりの券売機プラス設置駅
^ JRは Mikunigaokaと表記

 

石炭車セム1形(セム1号車)

$
0
0

筑豊炭田の石炭輸送に使用されていた2軸石炭車。

九州で永く愛用されていた、2軸石炭車。元は九州鉄道所有の9t積み鋼製石炭車ソブで日車製も一部にある。明治末期に製造された「テタ」(鉄製炭車) 国有化でテタ12000形が元で、大正期に「増トン工事」2t→15tと拡大が行われ、現在の形になり、昭和3年に大改番でセム1形となりました。 因みにセム1形の内、1~2181は昭和3年改番前はテタ15000M44形 でした。 これはそのトップナンバーで直方石炭記念館に保存。

セム1号車は明治37年当時の九州鉄道行橋製作所で製造され、そ の後明治40年に九州鉄道が国有化された時に同時に移管された。両数は3千両に達し、改造車の関係で番号が10000代のインフレ飛び番も存在する。(セム3140~セム8000の数形式が間に入っている)。この車は鋼製炭箱、エアブレーキ装備である。

炭箱も原型から大型化するが、時期によって木板で継ぎ足したもの、鋼板で大型化したもの2種類ある。エアーブレーキ未施工のまま一生を終えたものもいる。改造の積み重ねが更新になって寿命が延び、若松工場ではセム1号車を意識的に廃車時に保留し保存した。九州鉄道での製造時は輸入鋼材を使っていたようで台枠に英国の鋼材メーカーの陽刻がある。

甲東中学校前停留場(鹿児島市電1系統)

$
0
0

甲東中学校前停留場(こうとうちゅうがっこうまえていりゅうじょう)は、鹿児島県鹿児島市樋之口町にある鹿児島市電の電停。鹿児島市交通局の敷設する市内第一期線のうちの1駅で、鹿児島市電1系統が使用する。
鹿児島市立病院移転に伴い2015年5月1日に市立病院前停留場から改称された。

構造
2面2線の相対式ホーム。地上駅。各のりばは電車が通過しない限りいつでも行き来できる。
両のりばに電車接近表示機及びアナウンスがある。
両のりばとも車椅子の使用は可。但し、電動車椅子はホーム幅が規定に足りないため不可。
無人駅で、乗車券などの販売は行っていない。

のりば
甲東中学校側ホーム
乗り場入口、ホームには横断歩道からスロープで連絡します。
1系統 - 騎射場、郡元、谷山方面
旧市立病院側ホーム
ホーム幅は広くありません。
1系統 - 天文館、鹿児島駅前方面

周辺
教育施設
鹿児島市立甲東中学校
警察署
鹿児島中央警察署


バス路線(市営バス)
甲東中学校前バス停
14番・谷山線
15番・東紫原線
15番-3 ・東紫原線
19番・南紫原線
28番・伊敷・鴨池港線
29番・伊敷NT・鴨池港線
30番・明和・鴨池港線

歴史
1914年7月3日 鹿児島電気軌道により設置される。駅名は樋之口町(てのくちちょう)。
1928年7月1日 鹿児島市電気局に移管。
1933年1月26日 鹿児島市交通課に移管。
1948年10月10日 市立病院前 (初代) に改名。
1952年10月1日 鹿児島市交通局に移管。
2015年5月1日 市立病院移転により、甲東中学校前へ改称[1]。
かつて樋之口町に存在していた鹿児島市立病院の最寄の停留場であったため、長らく市立病院前という名前であったが、病院の移転に伴い2015年に現在の名前に改称された。同じ日に、移転先の最寄であるたばこ産業前停留場が当電停と入れ替わる形で「市立病院前停留場」に改称されている。


その他
かつて当電停と高見馬場電停間に山之口馬場という電停があった。1943年5月5日に廃止となっている。


甲東中学校前電停*
(Koto Junior High School)
◄高見馬場 (0.3km)(0.2km) 新屋敷►
所在地 鹿児島県鹿児島市樋之口町
北緯31度35分9.44秒 東経130度33分10.67秒
駅番号 口09
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電1系統
(線路名称上は第一期線)
キロ程 2.3km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1914年7月3日
備考 * 2015年に市立病院前から改称

JR九州N700系つばめ

$
0
0

JR九州N700系つばめ

つばめは、九州旅客鉄道(JR九州)が主に九州新幹線の博多駅 - 鹿児島中央駅間で運行している特別急行列車である。一部、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽新幹線に乗り入れる列車もある。2011年の九州新幹線全線開業以降は、種別を示す色として水色が用いられることがある。

九州新幹線の全線開業以前は同線唯一の列車名であった。

九州新幹線の列車愛称は速達種別ごとに「みずほ」「さくら」「つばめ」の3本立てとされ、「つばめ」の愛称は「九州新幹線区間を運行する各駅停車列車」の位置づけ(東海道・山陽新幹線における「こだま」と同じ)となっている。

列車名の由来
「つばめ」の列車名は、鳥類の「ツバメ」にちなんでおり、その起源を1930年10月まで遡り、戦前・戦後を通じ日本国有鉄道(国鉄)を代表する特急列車の名称とされてきた、伝統ある列車名である(国鉄時代の特急については「つばめ (列車)」の項を参照)。1975年3月に廃止されて以降、「この名称に釣り合うだけの格式のある列車がない」という理由で、しばらくの間用いられることはなかった。

国鉄分割民営化後の1992年7月、JR九州が鹿児島本線の特急の列車名として再び起用した。同社は名称復活に関し、JRグループ各社から事前に了承を得るという手続きを行っている。その後、2004年3月に九州新幹線が名称を引き継いだのが現在の新幹線「つばめ」である。

九州新幹線の部分開業の際、「つばめ」の名称は公募により決定し、得票数では第1位が「はやと」で「つばめ」は第5位であったが、「はやと」は採用されなかった。これは、「はやと」が九州というより鹿児島県のイメージが強いこと、東北新幹線の「はやて」と紛らわしいからとされる[要出典]。なお、「はやと」の名前は九州新幹線開業と同時に設定された肥薩線吉松駅発着の特急「はやとの風」に用いられた。

全列車が各駅停車として運行される。号数は、運行区間別に割り振られている「こだま」や「さくら」と異なり、運行区間にかかわらず運行順に300号 - 357号の連番が与えられている。

「つばめ」は博多駅 - 熊本駅間の区間運行が基本で、毎時1 - 2本が運行される。博多駅 - 鹿児島中央駅間直通の「つばめ」は朝夕の通勤・通学時間帯中心の運行となり、日中の熊本駅 - 鹿児島中央駅間は「さくら」のみが運行され、「つばめ」は運行されない。このほか早朝・夜間に博多駅 - 筑後船小屋駅間、熊本駅・川内駅 - 鹿児島中央駅間の区間運行列車が運行されている。

日中「つばめ」の運行されない熊本駅 - 鹿児島中央駅間では、毎時2本運行の「さくら」のうち1本が同区間の各駅に停車して「つばめ」の代替となっており、新八代駅 - 鹿児島中央駅間の各駅と「さくら」の大半が通過する筑後船小屋駅・新大牟田駅・新玉名駅などの相互間を利用する乗客の利便性を図るため、「さくら」が熊本駅で「つばめ」と接続するダイヤとしている。また、博多駅では日中に山陽新幹線の「のぞみ」と、早朝・夜間は「こだま」と接続している。

2012年3月17日のダイヤ改正で、熊本駅発新下関駅行き上り列車1本、鹿児島中央駅発小倉駅行きの上り列車1本の計2本で山陽新幹線に乗り入れる「つばめ」が設定された。この時、「つばめ」が定期列車として本州の路線に乗り入れるのは、1975年に岡山駅 - 西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)間の特急「つばめ」が廃止されて以来37年ぶりであった。2013年3月16日のダイヤ改正で一旦定期列車の山陽新幹線への乗り入れは消滅したが、2017年3月4日ダイヤ改正により、熊本発小倉行きつばめ306号が設定され、再び山陽新幹線に乗り入れを開始した。

なお、「つばめ」では車内販売の営業は行われない。

停車駅・運行区間
小倉駅 - 博多駅 - 新鳥栖駅 - 久留米駅 - 筑後船小屋駅 - 新大牟田駅 - 新玉名駅 - 熊本駅 - 新八代駅 - 新水俣駅 - 出水駅 - 川内駅 - 鹿児島中央駅

博多駅 - 鹿児島中央駅:下り2本(307・353号)/上り6本(308・314・340・348 - 352号)
博多駅 - 熊本駅:下り23本(309 - 351・355号)/上り19本(302 - 306・310・312・316 - 338・342 - 346号)
小倉駅 - 熊本駅:上り1本(306号)
博多駅 - 筑後船小屋駅:下り1本(357号)/上り1本(300号)
熊本駅 - 鹿児島中央駅:下り2本(303・305号)/上り1本(354号)
川内駅 - 鹿児島中央駅:下り1本(301号)/上り1本(356号)
使用車両・編成
車両は800系、およびN700系(8両編成)が使用されている。

N700系(8両編成)
N700系(8両編成)は主に山陽・九州新幹線直通の「さくら」「みずほ」などで運用されているが、通勤・通学時間帯などを中心に「つばめ」でも運用されている。また、山陽新幹線乗り入れ列車はすべて本系列が担当する。

九州新幹線全線開業
2011年(平成23年)3月12日:九州新幹線が全線開業。
「リレーつばめ」の運行を終了。
「つばめ」は九州新幹線内の各駅停車として運行し、ほとんどの列車は博多駅で東京・名古屋方面発着「のぞみ」・新大阪駅発着「ひかりレールスター」と同一ホームで接続。
2012年(平成24年)3月17日:熊本駅発新下関駅行きと鹿児島中央駅発小倉駅行きの上り2本が新たに設定され、山陽新幹線に乗り入れ開始。
2013年(平成25年)3月16日:山陽新幹線への定期列車の乗り入れがなくなり、再び九州新幹線内のみの運行となる。
2016年(平成28年)
4月14日:平成28年熊本地震発生に伴い、九州新幹線全線で運転見合わせ。
4月20日:新水俣駅 - 鹿児島中央駅間で運転を再開。全列車「つばめ」として運行。
4月23日:博多駅 - 熊本駅間で運転を再開。全列車「つばめ」として運行。
4月27日:全線で運転を再開。全列車「つばめ」として運行。
4月28日:九州新幹線内での「みずほ」「さくら」の運転を再開。ただし、一部区間の速度制限により「変更ダイヤ」での運行となり、大半の「つばめ」が鹿児島中央駅発着となる。
7月4日:通常ダイヤと同じ本数、運行区間に戻る。
2017年(平成29年)3月4日:熊本駅発小倉駅行きの上り1本が設定され、再び山陽新幹線への定期列車の乗り入れ開始。

Viewing all 3251 articles
Browse latest View live