その他にコインロッカーが駿豆線の改札前に設置されている。また電車発車時に発車ベルと発車ブザーが流れるが、電車接近放送などの自動放送はない。この発車予告音は、かねてより伊豆箱根鉄道・西武鉄道等の西武グループ各社が協賛しているアニメ作品『ラブライブ!サンシャイン!!』の劇場版公開(2019年1月4日)を記念して、2018年12月13日より同作品の楽曲「HAPPY PARTY TRAIN」に変更されている。但し、新幹線通勤客に配慮し、通勤通学時間帯を避けて午前10時から午後3時までの間で使用される。駿豆線はTOICA非導入であるため、連絡改札口ではTOICAおよび相互利用が可能なICカードは利用できない。
Image may be NSFW. Clik here to view. 歴史 1914年7月3日 - 鹿児島電気軌道により設置される。 1928年7月1日 - 鹿児島市に移管(当時は電気局)。 1989年 - センターポール設置に併せて電停リニューアル。 Image may be NSFW. Clik here to view. 周辺 南日本放送会館 鹿児島県住宅供給公社ビルA館・B館 MBC学園(県内最大の講座数を誇るカルチャースクール) 鹿児島中央警察署、県警武道館 鹿児島市立甲東中学校 新屋敷温泉 西日本シロアリ本社ビル 鹿児島女子短期大学 西郷どん大河ドラマ館 - 鹿児島市立病院跡地に2018年1月13日から翌年1月14日まで1年の期間限定で開館。
Image may be NSFW. Clik here to view. あおい号(殿様の駕籠)、たちばな号(お姫様の駕籠)。現在、開業50周年を記念して、駕籠のラッピングがロープウェー2機とも施されている。あおい号が、殿様の駕籠、たちばな号がお姫様の駕籠のイメージ。現在の搬器(大阪車輌工業製)は開業から数えると5代目で、平成2年より運行している。その際設備も改良され、それまで所要6分かかっていたところを1分短縮した。
Image may be NSFW. Clik here to view. バス路線 南海バス(もず駅前停留所) 大仙中町(旧:工業学校前)・賑町経由 堺東駅前行き(5、40系統) 土師・深井駅経由 あみだ池行き(40系統) なお、堺東駅前行きは踏切の東側に降り場が、西側に乗り場がある。西側の乗り場はもともとは深井駅行きと変わらない位置にあったが、民家の前で車道との隙間も少なく、大仙公園の入り口近くにまで移動している。このため、駅からは250mほど離れている。
Image may be NSFW. Clik here to view. 川内橋の名の由来は、古来から当地周辺が川内八カ郷(平佐郷・高城郷・水引郷・高江郷・隈之城郷・百次郷・山田郷・中郷)の商業の中心であり、『川内まち(センデンマチ)』と呼ばれていたことにあり、国鉄川内線の駅名も『川内町駅』と名づけられました。 当時の川内橋架橋位置については、現川内駅から国道3号に向かって約100メートルの地点にあり、跡地に標柱を設置してあります。」
Image may be NSFW. Clik here to view. 「川内橋が架けられた大正3年(1914)5月当時、平佐川は、平佐村と隈之城村との村境として福昌寺前から川内橋下を流れ、蛇行しながら鳥追の杜に至り春田川と合流していました。 この蛇行した区間は、戦災復興土地区画整理事業(昭和22年~昭和40年)に先立ち、隈之城川に流れ込むように改修が行われました。これにより川内橋も昭和20年頃には撤去されました。 その川内橋の親柱が、平成8年(1996)に冷水町(旧鹿児島県川内土木事務所跡地)の造成工事中に一部欠損はあったものの4本とも発見され、平成16年(2004)3月13日の九州新幹線の開業(鹿児島中央~新八代)を記念して、川内駅前通の歴史を伝えるモニュメントとして再び設置することとなりました。」
名古屋市にて内藤正一が1923年に起こし、1927年キャブトン第一号を発表した。発売元は大阪・中川幸四郎商店であり、「キャブトン」という名はCome And Buy To Osaka Nakagawa (「大阪中川まで買いに来たれ」)の頭文字を並べたものである。4ストローク、350cc、サイドバルブ車が主だった。戦前の最盛期には年に360台の生産を行なった。 メグロと同様第二次世界大戦によって一時オートバイの生産をやめざるを得なくなったが戦後いちはやく復活、愛知県犬山市に工場を開設し、1946年にバイクモーター(自転車に取り付けるエンジン。モペッド参照)である「ビスモーター」を発売した。 やがて本格的なオートバイの生産に戻り、英国車風の4ストローク車を専ら生産した。排気量は350ccから600cc程度と当時としては大型であり、単気筒ないし並列2気筒OHV車が主だった。1954年頃の最盛期には資本金1億円、従業員800人を数えた。
Image may be NSFW. Clik here to view. 大型車の需要が限られる一方で小型車の人気が高まったことから時流に乗って250ccや125ccの小型車も発売、量産による廉売戦略に打って出たが大型車イメージの強いキャブトンのメーカーが廉価な小型車を生産したことはブランドイメージのぶれを生じ、またその生産過程で品質管理面がおろそかになってユーザーの不評を買ったことで市場で「名門失墜」の悪評を招き、経営をより悪化させることになった。 最終的には資金繰りに行き詰まり、1956年に倒産した。ライバルのメグロが厳しい経営状況でもブランドイメージを保ち、川崎重工業(カワサキ)にその技術的系譜を継承させたのとは対照的な末路であった。 1954年11月に公開された東宝映画「ゴジラ」において、劇中の南海サルベージ社の壁にカレンダーのポスターが見られる。