Quantcast
Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
Viewing all 3251 articles
Browse latest View live

南鹿児島駅(JR九州)

$
0
0

南鹿児島駅(みなみかごしまえき)は、鹿児島県鹿児島市南郡元町にある、九州旅客鉄道(JR九州)・鹿児島市交通局の駅である。


鹿児島でも有数の住宅団地を控え、付近の高校や大学への通学生も含め、朝夕は多くの利用客で賑わいます。

島式ホーム1面2線を持つ地上駅。プレハブデザインの駅舎です。駅舎とホームは構内踏切で連絡している。警報機のみで遮断機は設置されていません。

開業当初は単式ホーム1面1線で列車交換は不可能であった。鹿児島中央駅側下り線側に初代ホームの痕跡が残っている。

JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されている。

IC乗車カード「SUGOCA」の利用が可能で、簡易SUGOCA改札機が設置されている。SUGOCAの販売は行なっていない。

切符売場にはタッチパネル式の自動券売機(ICカード非対応・オレンジカード対応)、ICカードチャージ機が設置されている。

改札口にはICカード専用改札機と液晶式の発車案内が設置されています。

のりば
1 ■指宿枕崎線(下り) 喜入・指宿・枕崎方面
2 ■指宿枕崎線(上り) 鹿児島中央・鹿児島方面

駅前に広場はありません。

利用状況
JR九州 - 2016年度の1日平均の乗車人員は1,263人である。指宿方面から市電に乗り換える利用者が多い。また鹿児島市電との並走区間内でのJR線の近距離利用者も少なくなく、JR定期券の大幅な割安感や混雑時における鹿児島市電の途中区間利用での乗降のしにくさを敬遠していると考えられる。


開設年不詳 - 市電駅が競馬場前として開業。
1944年(昭和19年)10月1日 - 鉄道駅として南鹿児島駅が開業。
1956年(昭和31年)10月1日 - 市電駅が競馬場前から南港入口に改称。
1967年(昭和42年)1月1日 - 市電駅が南港入口から南鹿児島駅前に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の駅が国鉄分割民営化により九州旅客鉄道の駅となる。
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

JR 南鹿児島駅
みなみかごしま
Minami-Kagoshima
◄郡元 (1.3km)(1.4km) 宇宿►
所在地 鹿児島県鹿児島市南郡元町27-18
北緯31度33分19.40秒
東経130度32分38.39秒
所属事業者 九州旅客鉄道(JR九州)
所属路線 指宿枕崎線
キロ程 3.5km(鹿児島中央起点)
電報略号 ミカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 1,263人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1944年(昭和19年)10月1日
備考 業務委託駅


鹿児島市交通局2110形電車

$
0
0

鹿児島市交通局2110形電車(かごしましこうつうきょく2110がたでんしゃ)は、1991年に製造された鹿児島市交通局(鹿児島市電)の路面電車車両である。


1991年に 2111 - 2113 の3両が製造された。車体の基本構造は先に登場した2100形に準ずる。前面は8.5度傾斜がつき、運転台の両脇に窓が取り付けられた。前照灯は2100形に比べ小型化された。側面は1830mmの大型窓が3枚と1300mm窓が一枚で、全ての窓が下段固定・上段引き違いになった。また、側面の方向幕は乗車用の中扉脇に取り付けられた。前扉は2枚折り戸、中扉は4枚折り戸となった。なお、鹿児島市交通局での折り戸の採用は1964年・1965年に製造された200形・210形以来である。車内はオールロングシート。運転台機器は2100形の両手式ワンハンドルマスコン(1軸ツーハンドルマスコン)から従来の2ハンドル形に戻った。

制御装置は鹿児島市交通局初のVVVFインバータ制御(GTOサイリスタ素子・東洋電機製造製)で、台車はFS-90A、集電装置はZ形パンタグラフである。製造は2100形と同じ九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島車両所である。なお2008年に2111が、2009年に2112が、そして2010年に2113号がシングルアームパンタグラフに交換し、2110形は全車がシングアームパンタに交換された。鹿児島市交通局では順次、2100形シリーズのパンタグラフをZ形パンタグラフからシングルアームパンタグラフに交換する予定である。

塗装
2110形は、全て姉妹都市を記念した電車となった。登場当初の塗装は白色ベースで各車異なる色の帯が入っており、2111がイタリア・ナポリで黄色帯、2112がオーストラリア・パースで緑帯、2113号は中国・長沙で赤帯となっていた。落成以来一度も広告塗装、鹿児島市交通局の標準塗装になっていない。車内には姉妹都市の写真が飾られている。また、姉妹都市名がそのまま愛称になっている。2006年には、2113が愛称はそのまま、赤とクリームのツートンカラーに塗り替えられ、車体側面には長沙市の写真が印刷されていた。

姉妹都市電車の統合
2007年、他形式の姉妹都市電車と統合されるとともに塗装も変更され、2111号が白・緑ベースの「鶴岡・大垣」号、2112が青・白ベースの「マイアミ・パース」号、2113が赤・白ベースの「ナポリ・長沙」号となった。なお 2111, 2113 は一時期姉妹都市電車のロゴ・イラスト等が無い状態で運用された。


製造所 九州旅客鉄道 鹿児島車両所
主要諸元
編成 2110形:3両
2120・2130・2140形:各2両
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600V(架空電車線方式)
車両定員 62人(座席30人)
車両重量 19t
全長 12,400 mm
全幅 2,470 mm
全高 3,750 mm
台車 住友金属工業FS-90A(2110形)
住友金属工業FS-90B(2120形)
住友金属工業FS-90C(2130形)
住友金属工業FS-90C(2140形)
主電動機 東洋電機製造TDK-6301-A
かご形三相誘導電動機
主電動機出力 60kw
駆動方式 カルダン駆動方式
制御装置 東洋電機製造製GTO-VVVFインバータ制御
RG629-M(2110形)
RG629-B-M(2120形以降)  
制動装置 電気指令式電磁直通ブレーキ
電力回生ブレーキ
保安装置 デッドマン装置

国鉄6000形コンテナ

$
0
0

国鉄6000形コンテナ(こくてつ6000がたコンテナ)は日本国有鉄道が1960年(昭和35年)から1970年(昭和45年)にかけて製造した11ftの有蓋コンテナである。
埼玉県さいたま市の鉄道博物館で16127が国鉄コキ50000形貨車とともに保存されている。

片側妻扉のみの一方開きで、外法寸法は、高さ2,359mm、幅2,366mm、長さ3,282mm、自重1,0t、荷重5t、容積14,2m3。コンテナ列車の増発にあわせ、5000形コンテナの増備として、1960年(昭和35年)から1970年(昭和45年)にかけて5,180個が製造された。

製造は東急車輛製造と富士重工業の2社で行なわれた。塗装は登場当時淡緑3号だったが、退色と汚れに弱いため、1964年(昭和39年)以降は黄緑6号(山手線色)に変更した。

国鉄6000形コンテナ
全長(内寸法) 3,282mm (3,140mm)
全幅(内寸法) 2,366mm (2,200mm)
全高(内寸法) 2,359mm (2,050mm)
荷重 5t
内容積 14.2m3
自重 1.0t
扉位置 片側妻面
製造初年 1960年(昭和35年)
製造数 5,180個
外面色 淡緑3号→黄緑6号

二軒茶屋停留場 鹿児島市電谷山線

$
0
0

二軒茶屋停留場(にけんぢゃやていりゅうじょう)は、鹿児島県鹿児島市宇宿一丁目にある鹿児島市電谷山線の電停。正式には「二軒茶屋電停」(にけんぢゃやでんてい)と呼ばれる。使用する系統は鹿児島市電1系統のみである。


2面2線の相対式ホーム。隣接して踏切があり、各ホームとの行き来は電車が通過中でない限りいつでもできる。
両のりばに電車接近表示機及びアナウンスがある。
両のりばとも車椅子の使用は可。但し、電動車椅子はホーム幅が規定に足りないため不可。
のりば
非JR線路側
1系統 - 脇田、谷山方面
JR線路側
1系統 - 郡元、騎射場、天文館、鹿児島駅前方面
※のりばの番号は決められてはいない。

周辺
駅のすぐそばに指宿枕崎線が並行している。以前は指宿枕崎線側に当電停と地元住民が利用する生活道路との間の踏切がなく、周辺の線路は立入禁止になっていたが、近道として線路を横断することも多く、当電停付近では人身事故が多発していた。そこで鹿児島市は電停と生活道路との間に新たな人道踏切を設置することをJR九州と協議し、2010年3月18日より使用開始された。

ヤマダ電機テックランド鹿児島本店
ユニクロ新栄店

バス路線(市営バス)
二軒茶屋停留所
3番線(玉里・西紫原線)
14番線(谷山線)
19番線(南紫原線)
33番線(慈眼寺・与次郎線)


1912年12月1日 - 鹿児島電気軌道により設置される。
1928年7月1日 - 鹿児島市に移管(当時は電気局)。

二軒茶屋電停
◄南鹿児島駅前 (0.7km)(0.4km) 宇宿一丁目►
所在地 鹿児島県鹿児島市宇宿一丁目
北緯31度32分59.95秒 東経130度32分28.35秒
駅番号 口20
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電1系統
(線路名称上は谷山線)
キロ程 6.6km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1912年12月1日

新幹線200系電車「222-35」

$
0
0

新幹線200系電車は、かつて日本国有鉄道(国鉄)およびこれを承継した東日本旅客鉄道(JR東日本)が設計・製造・保有した新幹線電車である。1982年(昭和57年)に開業した東北新幹線・上越新幹線の初代営業用車両。

昭和57年(1982)の東北新幹線および上越新幹線の開業に合わせて、昭和55年(1980)に登場。東海道新幹線の青帯に対して、緑帯を配色し、耐雪・耐寒性を向上させたのが特徴です。
東北・上越新幹線で開業から長らく活躍した200系新幹線電車の222形パンタグラフ付き先頭車「222-35」は、平成18年(2007)10月からさいたま市大宮区の「鉄道博物館」に登場当時を想わせるオリジナル塗色の姿で展示されています。


200系は、1982年(昭和57年)の東北新幹線および上越新幹線の開業に合わせて、962形試験車を基本として量産化され1980年(昭和55年)に発表された。100系(1985年登場)よりも発表が早いにもかかわらず系列・形式番号が200系と大きいのは、200系の登場当時の付番体系が、東北・上越新幹線系統の車両の百の位には偶数を、東海道・山陽新幹線系統の車両の百の位には奇数を与えるようなものだったためである。1980年から1986年にかけて688両が製造された後、民営化後の1991年に二階建て車両12両が追加製造され、総製造数は59編成700両である。

E2系以降の新型車両の増備により、1997年から廃車が進み、2013年(平成25年)3月15日限りで定期営業運転を終了し、同年6月までに全車が廃車となった。なお、本系列の廃車によって国鉄時代に製造された新幹線電車が本線上から全て姿を消している。

構造
200系は落成時の営業最高速度に従って番台が区分された。具体的には、1980年から製造された基本番台は営業最高速度が210km/hであるのに対し、1983年以降に製造された1000・1500・2000番台では、いずれも240km/hとなっていた。 なお、基本番台の中にも240km/hおよび275km/hの走行対応が可能なように改造された車両が存在していた。

車体
200系の先頭車には、2種類の前面形状のものがあり、一つは国鉄時代に製造された0系に似た「丸目丸鼻」(ラウンドノーズ)のもの、もう一つは国鉄分割民営化後に製造された100系に似た「流し目」(シャークノーズ)のもの(200番台、2000番台)である。なお、0系に似た先頭車の運転席の側窓は、0系2000番台と同じく開閉可能な状態で製造された。また、200番台は225形もしくは226形中間車からの改造車、2000番台は新製車である。

200系の設計は、正面から見た造形デザインの類似や基本的なサイズ等は0系ベースであるものの、特徴的な曲面を描くスノープラウ・「鼻」の部分が若干伸びていること・雪対策のされた吸気口と雪切り室の空間、といった目立つ造形上の違いだけでなく、実際には以下に述べるように大幅な変更がある。まず第一に雪対策として、0系では床下機器の凸凹に張り付いた雪が凍りつき氷塊となった後に落下して砕石を跳ね上げる等のトラブルがあったことから、車体下部まで一体のボディーマウント構造の2重床構造とし、床下機器は2重床の間にある。これによりトラブルを根絶すると同時に、車輛システムとしては耐雪・耐寒性を向上させ。そのような構造で0系同様の鋼製車体とすると、重量が過大となることから、アルミ合金製である。詳細には、試験車の951形がベースであり、構体骨組は加工性や溶接性に優れた7N01(Al-Zn-Mg)を、車体外周部には耐食性に優れた5083(Al-Mg)を、車体側面部から屋根にかけての曲線部には7N01よりも押し出し加工性に優れた7003(Al-Zn-Mg)を使い分けることで、構体重量7.5t(0系比3tの軽量化)を実現した。ただし後年登場した2階建て車両(248形・249形)は、製造コストや電動機非搭載の観点から普通鋼製となった。

電動機を冷却する際に、外気とともに取り込んだ雪を分離するために、雪切り室が設けられた。先頭部のスカートはスノープラウと一体化した形状である。豪雪地帯を走ることから、線路面上に積雪があっても支障なく走行出来るよう設計され、確認試験も行われた。

車体塗装は、クリーム色をベースに窓の部分に緑14号の帯を配した。この色使いは寒冷地を走行するため雪解けの新芽のイメージから選んだとされている。登場時には「緑の疾風(みどりのはやて)」の愛称があった。

走行機器
主回路制御は0系の低圧タップ制御に替えて、架線からの交流25kVを主変圧器の2次巻線を不等6分割(1:1:2:2:2:2)し、それにサイリスタと呼ばれる半導体素子とダイオードを取付けたブリッジ(整流回路)を取付けて、6分割構成としたサイリスタ・ダイオード混合ブリッジとし、電圧比1の巻線のブリッジをサイリスタによる位相制御とし、他の巻線のブリッジはオン・オフ制御によるバーニア制御の位相制御とすることにより、2次巻線の6分割のブリッジを10分割のブリッジに相当する位相制御とし、それにより整流・制御された直流電源で主電動機を駆動するバーニア連続位相制御が採用されている。

MM'ユニットを採用し、M車(221形・225形)には主制御器と抵抗器が、M'車(222形・226形)には主変圧器・整流装置・補助電源装置・空気圧縮機・集電装置が搭載される。

主制御器は、電動カム軸式である CS47 を採用する。発電ブレーキにおいて抵抗器を使用したバーニアチョッパ制御が行われるため、転換カムと抵抗カムのほかにフリーホイールダイオードや過飽和変流器を搭載する。保守点検が必要となるカム接触器や電磁接触器を機器前面に、コイルや抵抗器を後面に配置し、重量は940kgである。

主変圧器は、送油風冷式外鉄形である TM202 を採用する。一次巻線は2,350kVA、主回路用の二次巻線は2,100kVA、補助電源回路用の三次巻線は250kVAの定格容量を備える。シリコーン油とポリアミド絶縁物を主体とする特別A種絶縁を採用することにより、TM201(0系)と比較して容量比で64%の小型・軽量化がなされ、ボディーマウント構造や耐寒性材料の採用により耐寒耐雪対策が図られている。また、点検する部品を車体の一側面に集中させて向けることで保守や点検を容易化を図り、ボディーマウント内の空気を冷却用として使用している。

主電動機は、直流直巻式電動機 MT201 を採用する。連続勾配や降雪時の走行抵抗増加対策で連続定格出力が 230kW に増強され、冷却方式を雪切り装置による他力通風方式に変更した[8]。他力通風方式を採用することで冷却ファンが不要となり、スペースを活用して鉄心を20mm延長することで MT200B(0系)と同寸法ながら出力を向上させた。さらに、長さ68mmの長尺ブラシを採用して摩耗代を長くとり、軸受構造には第2グリース室を設けて潤滑寿命を長くすることで無保守走行距離の延を図っている。

台車
電動車台車はDT201、付随車台車はTR7002と呼称され、電動車は0系と同等のものを装着する。着雪による動作不良を防ぐために、バネ部分にカバーが装着されている。

ブレーキは、電動車では0系と同じく発電ブレーキを高速域での減速に使い、低速域では空圧油圧変換式ベンチレーテッド車輪ディスクブレーキを使用する。H編成組成時に新製された2階建て車両の248・249形は200系唯一の付随車であったが、同じく付随車2階建て車両を有していた100系とは異なり、渦電流ブレーキを設置せず、ディスクブレーキを車軸に2枚設置した。

IS式軸箱支持装置、枕バネは0系と同様に採用された。

運転台
主速度計は0系が針が横に動くアナログ指針式であったが、本系列では、LEDランプが横に向かって点灯するバーグラフ式となり、0系と同じく右奥に故障した際に使用されるバックアップの補助速度計が配置されているが、補助速度計は格納式となっており、前方視野を妨げないよう常時使用しない場合においては収納され、必要な場合のみ横にある取出しハンドルを操作することで、バネの力で上昇する仕組みとなっている。車両故障が発生した場合には、0系がユニット表示灯と呼ばれる表示装置により、列車のどの車両に異常が発生したかを表示灯で確認してから、人間がその車両まで行き故障個所に対処しなければならなかったのに対し、本系列では、運転台にいながらにして故障表示や必要な各種情報を表示するとともに機器の遠隔解放ができるシステムが装備された。日本の鉄道車両では初めて運転台に単色プラズマキャラクタディスプレイによるモニタ支援装置を装備した。9.6kbpsのFSK (Frequency Shift Keying) モデム伝送によるもの。ドットマトリクスによる片仮名・アルファベット・数字のみを、8行×33文字(合計264文字を同時に表示可能)で表示していた。

たとえば走行中は、2行目に「ウンテンジョウタイ」、4行目に「TIME 00:00:00 キロ 12.2」、5行目に「SPEED 206 ノッチ B 3 」、6行目に「ATC 110 ジョウヨウ * 」7行目に「カイホウ」などのように表示されていた。

これらは21世紀初頭の現在においても通用する設備であり、乗務員の作業が大幅に軽減された。

車内設備
普通車の座席は0系と同様の海側3列、山側2列の合計横5列配置で、0系で試行されたオレンジ基調の簡易リクライニングシート (D-23, D-32) が採用された。本系列では座席前後間隔は980mm、3列座席は集団離反で回転出来ないものとなった。後年、モケットは交換された。

1987年(昭和62年)に登場した200, 2000番台は100系と同じ1,040mm間隔となり、フリーストップ式のリクライニングシート、3列座席も回転出来るようになった。ただしこの200, 2000番台は先頭車のみで、当時、中間車は3列座席回転不可能だったため、格差が生じていた。

後年、JR東日本は3列席を「本体部のみ回転」させる方式を考案した。これは両端の手すりを残して回転させるもので、座席間隔を広げることなくフリーストップのリクライニングシート化を実現させた。まずは1990年(平成2年)にH編成の中間車のうち、指定席普通車となる車両を座席交換し、さらに該当車両は拡大した。なお、この方式は西日本旅客鉄道(JR西日本)も0系で採用した。

後述のK編成リニューアルに関しては、簡易リクライニングだったものに関してはE4系と同等品に交換された。普通車の3列座席も全体が回転する構造となっているが、両端のひじ掛けを曲げる、背すりを鉛直にするなどの工夫で座席間隔980mmのまま回転可能とした。既に「本体部のみの回転」だったものに関してはモケットの張り替えのみが行われた。

空調機器は多雪地域・寒冷地を走行する事から冷房専用のAU82形となり屋根上の車体端部に設置した、暖房は電気ヒーターを別に使用した。これは、0系のAU56・57 (ヒートポンプ式)では比較的温暖地の東海道・山陽でも暖房能力が不足気味であった事から変更された。

222形 (M’c)
普通席を備える制御電動車。奇数各形式とペアを組んで使用される。八戸・新潟向き運転台を備え、集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。先頭形状は221形と同じ。1991年以降、-25, 26, 30, 34, 35, 1001 - 1003, 1501 - 1510, 1512, 1515, 1517, 1518には400系もしくはE3系との併結用に分割・併合装置が先頭に納められている。

222-35(E35→F56編成12号車→K11編成8号車→K31編成10号車)
埼玉県さいたま市大宮区の鉄道博物館に保存されており、車内や床下が見学できる。また、併結用連結器の展開・収納も実演されている。

新幹線200系電車
G45編成 大宮駅
G45編成 大宮駅
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
製造所 川崎重工業・近畿車輛・東急車輛製造・日本車輌製造・日立製作所
製造年 1980年 - 1986年・1991年
製造数 700両
運用開始 1982年6月23日
運用終了 2013年3月15日(定期運用)
2013年4月14日(臨時運用)
廃車 2013年6月
投入先 東北新幹線・上越新幹線・長野新幹線(現・北陸新幹線)
主要諸元
編成 8両(8M/ G・K編成)
10両(10M / G・K編成)
12両(12M/ E・F・H編成)
13両(12M1T / H編成)
16両(14M2T / H編成)
軌間 1,435 mm
電気方式 交流25,000V 50Hz
(架空電車線方式)
最高運転速度 210 km/h(E・G編成)
240 km/h(F・K編成)
245 km/h(H編成)
275 km/h(F90 - F93編成)
設計最高速度 250 km/h
起動加速度 1.6 km/h/s
減速度(常用) 2.6 km/h/s
編成定員 749名(K編成10両・先頭車1500番台売店無)
895名(F編成12両・先頭車1500番台)
1,235名(H編成16両・先頭車2000番台)
885名(E編成12両・全車基本番台)
いずれも組成方法や組込み車両の相違により総定員は多少異なる
編成重量 697 t(F編成)
編成長 250.3 m(10両K編成)
全長 25,150/26,050 mm
25,000 mm(中間車)
全幅 3,380 mm
全高 4,470 mm
車体高 4,000 mm
車体 アルミニウム合金
普通鋼(248・249形)
台車 IS式ダイレクトマウント空気ばね台車
DT201(電動車)
TR7002(付随車)
主電動機 直巻整流子電動機MT201形
主電動機出力 230 kW
駆動方式 WN駆動方式
歯車比 2.17
編成出力 12,880 kW(16両H編成)
11,040 kW(E,F,12・13両H編成)
9,200 kW(10両G,K編成)
7,360 kW(8両G, K編成)
制御方式 サイリスタ連続位相制御
制動装置 発電ブレーキ(チョッパ連続制御)・電気指令式空気ブレーキ
保安装置 ATC-2型、DS-ATC
Wikipedia laurier W.png第23回(1983年)
ローレル賞受賞車両

C51形蒸気機関車(c51 5)

$
0
0

C51形蒸気機関車(C51がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院(1920年、鉄道省に改組)が1919年に開発した、幹線旅客列車用の大型(のちには中型)テンダー式蒸気機関車である。
当初18900形と称したが、1928年6月にC51形と改称された。愛称はシゴイチ。

島安次郎の指導のもと、9600形の設計を担当した朝倉希一が設計主任となって開発が行われた。
諸外国で高速機関車に好んで用いられる「パシフィック形軸配置」(2C1=先輪2軸、動輪3軸、従輪1軸)を国産設計の蒸気機関車としては初めて採用し、設計にあたってはアメリカ合衆国から輸入したアルコ社製8900形の装着したコール式1軸心向外側軸箱式従台車が参考にされ、このことから8900形に続くものとして18900形という形式名が与えられた。
常用最高速度を100km/hとして計画され、設計当時のドイツの機械学会の推奨する動輪の常用最大回転数から逆算で1,750mmという設計当時の狭軌用蒸気機関車では世界最大の動輪直径が導出された。この動輪サイズは以後国鉄の旅客用大型蒸気機関車の標準サイズとなり、太平洋戦争後のC62形に至るまで踏襲された。
このような大直径動輪を採用するとボイラーの中心高が引き上げられるが、8900形と同時期にドイツから輸入されたボルジッヒ社製8850形でボルジッヒ社の推奨に従いボイラー中心高を2,438mmとして問題なかったことと、これを参考として8850形を上回るボイラー中心高として設計された9600形が好成績を挙げていたことなどから、8850形をやや下回る2,400mmに抑えつつも高いボイラー中心高を許容している。

ボイラーは通常の3缶胴構成で、缶胴部の内径と火床面積を8900形と同一としているが、伝熱面積の増大を図って煙管長が5,500mmと8900形に比して500mm延伸され、この値は以後の国鉄制式蒸気機関車の標準値となっている。
台枠は設計当時としては一般的な25mm厚の板材による板台枠である。

動輪は1,750mm径のスポーク式で、28962号機までは17本のスポークを備えていたが、折損事故対策として28963号機(のちのC51 164)以降は18本に増強されている。
弁装置はワルシャート式で、ピストン棒を長くしてメインロッドを短縮する設計の8900形とは異なり、ベルリーナ社製8800形に倣ってピストン棒を短縮しメインロッドをやや長くし、第2動輪を主動輪としている。
テンダーは当初、上縁を直線で通した17m³形だったが、18940号機(のちのC51 41)以降は、石炭8t、水17tを積載可能な8-17形が標準形テンダーとなっている。なお、後期分ではC53形と同じく石炭搭載量を12tに拡大した12-17形テンダーのものも見られる。また、1930年の超特急「燕」運行開始時に専用牽引機に指定されたC51 171、208、247 - 249は東京 - 名古屋間ノンストップ運転実現のためにテンダーを水槽容量の大きいC52形の20m³後期形と振り替え、かつ水30tを積載可能な水槽車(「燕」運用時代はC51 247 - 249の番号が与えられていた。後のミキ20形)を増結する関係上、水槽車との間には給水管、テンダー上部には通風管や幌枠を設ける改造が実施されている。いずれも鋼板組立式台枠、板ばねのボキー台車を装着する。
28901号機 (C51 102) 以降では空気ブレーキ装置の装備が始まった。歩み板を2段として歩み板と動輪の間にスペースを取り、第2動輪上の歩み板下に空気だめが取り付げられ、運転室床面から歩み板への距離も上に延長され高くなっている。

なお、広軌改築論が取り上げられていたこの時期、改軌を是とする島安次郎ら工務局技術陣が狭軌の能力の限界を示すために設計されたといわれる。
しかし、実際には改築論者の技術側の筆頭である島は当初、将来広軌改築が成った時に火室を拡幅出来ることと、牽き出し時に動輪の軸重が一時的に増す利点から従輪無しの機関車を考え、また計画図を書いていた。
島は8620形の設計サンプルとして8700・8800・8850・8900の4形式を輸入した際に、アルコ社製の8900形がメーカー側の主張に従い従輪付きのパシフィックに仕様変更されたことに抗議の念を持っていたが、本形式はその後の政治状況の変化で広軌改築を諦めざるを得なくなったが故に、狭軌で火室拡大を実現するため、やむなく従輪ありの8900形を基本として、8850形の高重心を許容する設計や8800形の弁装置周りの設計を参考としつつ、日本風に設計しなおしたものであった。こうして完成した本形式の性能は当時の国産内地向け蒸気機関車としては飛躍的なもので8900形に並び、鉄道院首脳陣も「これ程の機関車があれば狭軌で十分」として、結局は広軌論者が主流をなしていた工務局自らが改軌論争に止めを刺す結果となってしまった。

製造
1919年から1928年の間に、鉄道院(省)浜松工場・汽車製造(大阪)・三菱造船所(神戸)において、合計289両が製造された。
最初の18両は国鉄各工場で部品を分担製造し、浜松工場で最終組立を行なうといった珍しい手法が採られた[9]。これは試作的なものだったらしく、性能試験などを行なった後、民間メーカーでの量産が開始された。量産形のうち大部分の249両は汽車会社が独占的に製造、他に三菱造船所が1926年から22両を製造している。

運用
従来と比較して飛躍的な性能向上を実現した機関車で、牽引力・高速性能・信頼性において高い水準を達成した。1920年代から1930年代には主要幹線の主力機関車として用いられた。
1930年から1934年まで超特急「燕」の東京 - 名古屋間牽引機を務めたことは有名である。
また、C51 239は僚機C51 236とともにお召し列車の専用機関車に指定されており、1928年11月の昭和天皇のご大礼から1953年5月の千葉県下植樹祭までに牽引回数104回という大記録を打ち立てた、昭和時代後半のEF58 61に匹敵する存在であった。
しかし、輸送量の増加や、重量の大きな鋼製客車の主流化などによる牽引定数の増大に伴い、後続のC53形やC59形などに任を譲り、1930年代以降東海道・山陽本線の優等列車牽引からは退いて地方幹線に転ずる。
1939年には、陸軍の要請により16両(C51 8・28・30・33 - 35・88・95・96・116・130 - 132・173・175・178。いずれも住山式給水加熱器を装備)が標準軌仕様に改造のうえ供出され、中国の華中鉄道に送られた。主に江南を中心に南京 - 上海間で運転された。中華人民共和国成立後も存在し1951年ㄆㄒ9形(注音記号パシ)となり、のちSL9形となったが、1990年には存在せず形式消滅している。
戦後も適度な大きさから地方幹線の旅客列車牽引に重用されたが、製造年が古いため、動力近代化計画が実行に移されると早々に廃車が進められ、1965年に全車が運用を退いた。最終廃車は1966年2月廃車のC51 251である。
なお、晩年に至るまでの改造は非常に多岐に渡り、末期には原形に近いスタイルを保った車両を見つけるのは困難であったとされる。

保存機
廃車が早かったため公園や公共施設での保存車は皆無だが、鉄道保存展示施設や鉄道施設での保存例はある。C51 5が青梅鉄道公園→鉄道博物館に、C51 44が秋田総合車両センターに(カットモデル)、C51 85が鹿児島総合車両所に(カットモデル)、お召機のC51 239が京都鉄道博物館(旧梅小路蒸気機関車館)に保存されている。

C51形蒸気機関車:主要諸元

全長 - 19,994mm
全高 - 3,800mm
軌間 - 1,067mm
軸配置 - 4-6-2 (2C1) - パシフィック
動輪直径 - 1750mm
シリンダー(直径×行程) - 530mm×660mm
ボイラー圧力 - 13.0kg/cm2
火格子面積 - 2.53m2
全伝熱面積 - 167.8m2
過熱伝熱面積 - 41.4m2
全蒸発伝熱面積 - 126.4m2
煙管蒸発伝熱面積 - 115.0m2
火室蒸発伝熱面積 - 11.4m2
ボイラー水容量 - 5.8m3
大煙管(直径×長サ×数)- 140mm×5500mm×18
小煙管(直径×長サ×数)- 57mm×5500mm×18
機関車運転重量 - 67.75t
動輪軸重(最大) - 14.61t
炭水車重量 - 43.87t
機関車性能 -
シリンダ引張力 - 11700kg
粘着引張力 - 10860kg
動輪周馬力 - 1175PS
最高速度 - 95km/h(試験最高速度 99.1km/h)

鴨池停留場 鹿児島市電谷山線

$
0
0

鴨池停留場(かもいけていりゅうじょう)は、鹿児島県鹿児島市鴨池二丁目にある鹿児島市電谷山線の電停。鹿児島県庁の最寄電停ですが約1km離れており、当停留所より南東の県庁・与次郎方面への路線延伸が検討されています。

2面2線の相対式ホーム。併用軌道上相対式2面2線の電停です。両ホームとも車椅子の使用は可(電動車椅子は不可)。

のりば
1番線
1系統 - 郡元、脇田、谷山方面
2番線
1系統 - 二中通、天文館、鹿児島駅方面
かつては高架駅で、鴨池動物園を横断しており昭和30年代末までは駅舎もあったが、専用軌道から併用軌道に変更となった際に取り壊された。

歴史
1915年7月1日 - 鹿児島電気軌道により設置される。
1917年11月10日 - 停車場位置変更
1928年7月1日 - 鹿児島市に移管(当時は電気局)。

バス路線

鴨池バス停
14番 (谷山線) 
19番 (南紫原線) 


周辺
イオン鹿児島鴨池店専門店街
鹿児島市役所鴨池市民サービスステーション
グランガーデン鹿児島(高齢者介護付き分譲マンション)
鹿児島市営鴨池市民球場
鹿児島市営鴨池ドーム
鹿児島県立鴨池野球場
鹿児島県立鴨池陸上競技場
志学館大学付属めぐみ幼稚園
南日本銀行鴨池支店
都市基盤整備公団 鴨池市街地住宅
鹿児島市立科学館
鹿児島市立図書館
鹿児島市夜間医療センター
日本赤十字社鹿児島献血センター


鴨池電停
かもいけ
Kamoike
◄騎射場 (0.5km)(0.3km) 郡元►
所在地 鹿児島県鹿児島市鴨池二丁目
北緯31度33分54.86秒 東経130度33分1.37秒
駅番号 口15
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電1系統
(線路名称上は谷山線)
キロ程 4.6km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1915年7月1日

 

鹿児島市内周遊バス(まち巡りバス せごどん号)鹿児島交通株式会社

$
0
0

鹿児島市内を走る観光バス2種類の一つ。観光バス、せごどん号は鹿児島中央駅を中心に鹿児島市街地の主要観光地を巡る路線バスです。西郷隆盛をイメージしたイラストが目印。

路線バスで鹿児島市の主要観光地、西郷銅像、城山展望所、仙巌園、石橋記念公園、天文館、維新ふるさと館等へご案内します。

また平成30年1月13日からは新たに大河ドラマ「西郷どん」を記念して開館する「せごどん大河ドラマ館」へもご案内します。
1日 27便、8時台から18時台に約20分おきに運行しております。(一周の所要時間 約60分)
※交通事情により遅れる場合がございます。
運行時刻 始発8時55分、最終17時35分(1周約60分・鹿児島中央駅発)

まち巡りバスの車内でWiFiがご利用いただけます。
お持ちのスマートフォンやタブレットを使って、車内で観光情報の検索やSNSでの共有などにご活用ください。
事前登録していただくと乗車時にすぐにご利用いただけます。
https://exsupport.sbwifi.jp/WISL/entry!entryWebInputInit.action


主な観光地をドライバーが生の声で簡単に案内してくれたり音声案内もあるが窓に装飾シールを貼ってあり車窓からの景色は楽しめない席もある様子。1日乗車券はあるのだが市バス・市電で一日乗車券は使えない。もう一つの観光バス、シティビューバスより運行本数が多い。


停留所
1 鹿児島中央駅 Kagoshima-Chuo (Central) Station
2 維新ふるさと館前 Museum of the Meiji Restoration
3 せごどん大河ドラマ館 Segodon Taigadorama-kan
4 ザビエル公園前 St. Francis Xavier Park
5 西郷銅像前 Statue of Saigo Takamori
6 薩摩義士碑前 Monument of Satsuma Gishi
7 西郷洞窟前 Saigo Cave
8 城山 Shiroyama
9 西郷洞窟前 Saigo Cave
10 薩摩義士碑前 Monument of Satsuma Gishi
11 南洲公園入口 Nanshu Park
12 異人館前 Foreigner’s Residence
13 仙巌園前 Senganen Garden
14 磯海水浴場前 Iso Beach
15 石橋記念公園前 Ishibashi Park
16 かごしま水族館前・桜島桟橋 Kagoshima City Aquarium & Sakurajima Ferry Terminal
17 ドルフィンポート前 Dolphin Port
18 鹿児島ブランドショップ前 Kagoshima Brand Shop
19 天文館 Tenmonkan

1日乗車券は、まち巡りバス(あっちゃん号・せごどん号)に1日中何回でもご乗車できます。
鹿児島市内各施設でのお得な割引制度があります。

一日乗車券購入はまち巡りバス車内、鹿児島中央駅観光案内所(東口)、鹿児島市内各宿泊施設

お問い合せ先 いわさきバスネットワーク乗合事業部 電話番号099-258-0668



1311号車(横浜市電1300型)

$
0
0

車掌が乗務していた最後の車両。登場時は3000型と名乗っていた。最大30両が在籍し、行き先表示が大きいものと小さいもの。運転手側のドアが自動ドアのものと手動のものなど微妙に仕様の違うものが存在した。

ほぼ全路線で使用されていたが、500型と同様高馬力なため、坂道の多い3系統生麦=東神奈川駅前=横浜駅前=御所山=長者町5丁目=山元町)、7系統で使用されることが多く、特に本牧線廃止以降は1300型は3系統専用車両となったため、全廃の1年前3系統の廃止に伴い廃車となった。このため、3系統廃止時には、通常1500型で製作されていた装飾電車が1300型(1301号・1303号)で製作された。


終戦直後の1947年(昭和22年)に汽車会社で製造された3扉車です。

全長は約14m・定員は120名

戦後混乱期における輸送力の確保を目的に製造された車両で、戦後初めて製造された大型ボギー車となった。全長13.6mと1000型よりも大型化されており輸送力向上に貢献したが、物資が不足していた時代に製造された車両であり、製造当初は比較的簡素化された車両も存在していたようである。当初は3000型という形式がつけられていたが、翌年に1300型へと改番されている。1947年中に一挙に30両が製造されており、大型車体を駆使することで復興期の輸送に一役買っている。

尚、1300型と同形の車両は大阪市電や西鉄にも導入されており、同車は戦後間もなくの時期を代表する車両と言っても過言ではない。1961年以降には車体更新が行われ、ウィンドヘッダーの一部撤去や戸袋窓にHゴムが用いられるなど体質改善がなされた。

ただし同車はワンマン化対応はなされず、路線縮小と同時に廃車が進み1971年までに全車両が廃車された。尚、ツーマンのまま存置された車両の中では最も遅くまで活躍した車両となっている。現在は1311号車が市電保存館に静態保存されている。

地方の路面電車が都電のスタイルを真似をすることが多かったようですがこの電車は大阪市電1700形に良く似ています。


旧形式は3000型でしたが、戦前製の2600型(=後の1200型)があったので、それに続けて付番したようです。

郡元停留場 鹿児島市電

$
0
0

郡元停留場(こおりもとていりゅうじょう)は鹿児島県鹿児島市鴨池一丁目にある鹿児島市電の電停。

当駅とは別に鹿児島市郡元二丁目にある郡元(南側)停留場(こおりもと(みなみがわ)ていりゅうじょう)がある。

市電1系統と市電2系統の乗換駅で、2系統は終点ともなっている。乗換の際、乗客は降車する際に運賃を払い乗換券を受け取ることで、降車後一時間以内に限り、2系統(乗換券は黄色)では中郡~加治屋町間、1系統(乗換券は緑)では甲東中学校前~谷山間の任意の電停まで無料で乗車できる。また、ICカード乗車券(RapiCaまたはいわさきICカード)での乗車の場合、上記の条件を満たしかつ乗換えが必須となる電停から乗車した場合に限り自動的に無料となる。

なお、JR郡元駅は当電停ではなく、純心学園前電停に近い。

郡元は2つの乗り場・降り場からなっており、鹿児島市鴨池にある方(歩道橋がある電停)を郡元、鹿児島市郡元にある方を郡元(南側)と呼ぶことで実質的に「別の停留所」として区別している。なお、鹿児島市交通局のホームページでは、郡元(南側)の電停を「郡元南」とする表記も見られる。

乗換ができるのは郡元電停だけであり、郡元(南側)電停があるのは、谷山方面からきた電車を2系統に、もしくは2系統からきた電車を谷山方面に直接誘導する際に使われる(この運行形態は平日の朝ラッシュ時、および鹿児島市中心部での通行止めの際および早朝・深夜時間帯の出入庫系統に適用される)。

郡元停留場及び郡元停留場(南側)とも2面2線の相対式ホームになっており、各のりばは電車が通過しない限りいつでも行き来できる。両のりばに電車接近表示機があり、アナウンスが行われる。また、系統によってホームが分かれているのではなく、進行方向によって分かれている。

両駅両のりばとも車椅子の使用は可。但し、電動車椅子はホーム幅が規定に足りないため不可となっている。

郡元電停の騎射場寄り、南側電停の谷山寄りにそれぞれ渡り線がある。

当駅付近の道路端に2階建ての信号扱所があるが、分岐器の操作は自動化されているため通常は使用されない。

のりば
郡元電停
1番線(イオン側)

1系統-脇田、谷山方面
2系統-神田(交通局前)、鹿児島中央駅、鹿児島駅方面
2番線(イオン反対側)

1系統-騎射場、天文館、鹿児島駅方面
2系統-終点
郡元(南側)電停
1番線(イオン側)

1系統-脇田、谷山方面
2番線(イオン反対側)

1系統-騎射場、天文館、鹿児島駅方面
早朝・深夜時間帯の出入庫系統―工学部・交通局前方面
※1番のりば、2番のりばの表記は当記事でのりばを分かりやすくするために記したものであり、実際には決められてはいない。


周辺
イオン鹿児島鴨池店(旧ダイエー鹿児島店)
店内に臨時乗車券発売所、RapiCa発行・積増(チャージ)機が設置されている。
鹿児島県庁舎
鹿児島市医師会病院
鹿児島市中央保険センター


路線バス
当電停に最寄の停留所は鴨池停留所である。また、中郡停留所も比較的近い(当電停前交差点から唐湊方向へ150mほど)が、バスの郡元停留所は当電停から400m以上離れた国道225号上にあり、むしろ涙橋電停に近いので注意が必要。つまり「郡元」は、JR・市電・バスで全て異なる箇所に設置されている。

鴨池停留所
鹿児島市営バス
北行
14番線・19番線:市役所前(市電1系統と並行、新屋敷・天文館経由)
南行
14番線(谷山線):慈眼寺団地(郡元停留所・南鹿児島駅前・谷山電停経由)
19番線(南紫原線):紫原(郡元停留所・南鹿児島駅前経由)


鹿児島交通
北行
2番線(動物園線):鹿児島駅前・水族館(市立病院前・天文館経由)
4番線(イオン鹿児島線):鹿児島駅前(新屋敷・鹿児島中央駅・天文館経由)
5・6・7・8・14番線:金生町(新屋敷・市立病院・天文館経由)
知覧線・加世田線:金生町(大門口経由)
指宿線・知覧線・枕崎線:金生町(新屋敷・中央駅・天文館経由)
南行
2番線(動物園線):動物園(谷山駅前経由)
4番線(イオン鹿児島線):卸本町・慈眼寺団地(イオン・交通安全センター経由)
5番線(七ツ島線):卸本町・七ツ島一丁目(谷山電停・交通安全センター経由)
6番線(慈眼寺団地線):慈眼寺公園・慈眼寺団地(谷山駅経由)
7番線(慈眼寺団地線):国際大学・慈眼寺団地(谷山駅経由)
8番線(中山団地線):ふれあいスポーツランド(竹ノ迫・希望ヶ丘・中山団地経由)
14番線(大学病院線):大学病院(郡元経由)
知覧線:知覧(特攻観音入口)(谷山駅・平川経由)
指宿線:指宿・山川桟橋(谷山駅・平川・喜入経由)
枕崎線:川辺高校・枕崎(谷山駅経由)
加世田線(普通):大坂・加世田(谷山駅・白川経由)
中郡停留所
鹿児島市営バス
9番線(武岡・鴨池港線):鴨池港/武岡ハイランド(鹿大正門前・高麗橋・中央駅経由)


1959年12月20日 旧ダイエー側の郡元電停が開業。同時に2系統工学部前~郡元間開業し、同線への乗換駅となる。
1990年 涙橋架け替え決定の為、当電停旧ダイエー側 - 涙橋電停電停間をセンターポール化計画に追加される。
1992年 センターポール化される。
※なお、1959年9月30日まで隣の涙橋電停が郡元を名乗っており、翌10月1日に新川に改名、1967年に涙橋に改称している。


所在地 鹿児島県鹿児島市郡元二丁目
北緯31度33分43.3秒
東経130度32分55.47秒
駅番号 口17
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電1系統
キロ程 5.0km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1929年6月9日
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 5,742人/日
-2015年-
開業年月日 1959年12月20日
乗入路線 2 路線
所属路線 鹿児島市電1系統
(線路名称上は谷山線)
駅番号 口16
キロ程 5.0km(鹿児島駅前起点)
◄鴨池 (0.3km)(0.0km) 郡元(南側)►
所属路線 鹿児島市電2系統
(線路名称上は唐湊線)
駅番号 口20
キロ程 5.6km(鹿児島駅前起点)

本田技研工業 ライフ(Life)4代目 痛車魔法少女まどか☆マギカ

$
0
0

 

ライフ(Life)は、かつて本田技研工業が生産・販売を行っていた軽自動車である。1970年代に生産された初代は、ショートファストバック(2ボックス)型のセダンと、バックドア(ハッチバック)機構を持つショートカムバック型のワゴン / バンの設定があり、同じプラットフォームを使う派生車種として、セミキャブオーバー型バンのライフステップバンとピックアップトラックのライフピックアップがあった。横置きエンジン + 前輪駆動のレイアウトは、前作の「N360」や「Z」と同様であるが、エンジンは空冷から水冷に変更された。

初代の生産終了以降「ライフ」の名を引き継ぐモデルはなかったが、長いブランクを経て1997年に発表された軽トールワゴンとしてライフは復活した。2代目以降のモデルは八千代工業で製造され、その2代目はボディ形状から「ステップバンの再来」などと言われた。

1997年に軽トールワゴンとして復活して以来、長らくホンダにおける軽自動車の中心としてモデルチェンジを繰り返しながらも生産や販売が続けられた。しかしN-BOXを中心とする「Nシリーズ」の展開そしてN-WGNの生産開始を機に、2014年4月に生産・販売を終了した。

車名の由来
Life:英語で生命、生活を意味する。
Dunk:英語で『叩き込む』、転じてバスケットボールのダンクシュートの意味。ホンダでは2014年よりスクーターの車名(ホンダ・ダンク)として再使用している。
DIVA:ラテン語で『女神』の意味。
PASTEL:画材の一つであるパステルのこと。

4代目 JB5/6/7/8型(2003年 - 2008年)開発コンセプトは「ハートフルテクノロジー」。主に女性をターゲットに開発され、広告展開された。「Hondaメイドのおいしいデザイン」をテーマとする丸みを帯びたワンモーションフォルムとなり、ボクシーな先代、先々代とは印象の異なるスタイルになった。全高は軽トールワゴンとしては低い1,575㎜(4WD車は1,595㎜)に抑えられ、先代の途中からオプション設定となっていたルーフレールや手回しのウィンドウ、手動ドアロック、アクセサリーソケットレスといった極端な営業車系のグレードは完全に廃止された。またFF軽では標準装備とはいかないEBD付ABSも当初は標準装備であるなど安全面も配慮された。
エンジンも新開発のP07A型が搭載され、先代と同じくNAとターボの2種類が設定された。トランスミッションはMTが廃止されATのみとなり、変速数は3速から4速となった。

多機能表示ディスプレイがスピードメーターの横に設置し、価格面よりも走りやインテリアなどの質感が重視された。どの方向からでも握りやすく、アイスクリームのスプーン等をイメージしたと言われる丸型のドアハンドルを装備し、ボディカラーもアイスクリームをイメージした「バニラクレム」「マッチャクレム」「カラメルクレム」が新開発された。先代のコラムシフトに代わり、全グレードに当時の軽自動車ではまだ珍しかったインパネシフトが採用された。

主に若い女性層をターゲットに想定していたが、走行性などにおいては重厚感を打ち出しており、現在でも評価が高い。オートカー・ジャパンの軽自動車対決テストでは2位となった。
発表時のグレード体系は「C」・「F」・「D」及び各グレードのターボ仕様(「Cターボ」・「Fターボ」・「Dターボ」)の6グレードで、先代で設定されていたターボエンジン搭載の派生モデル「ダンク」はDターボ(後のディーバ)になる形で廃止となった。2004年12月発売に、ダンク後継のスポーティ版特別仕様車「ディーバ」が人気を博し、2005年10月の一部改良を期に、カタロググレードに昇格し、専用デザインのバンパーが与えられた。同時に、「Dターボ」は「ディーバ」のターボ仕様に、2006年9月のマイナーチェンジ時に「D」は「ディーバ」の自然吸気エンジン仕様にそれぞれ統合された。

ホンダ・ライフ(4代目)
JB5/6/7/8型
製造国 日本
販売期間 2003年9月 – 2008年11月
乗車定員 4人
ボディタイプ 5ドア 軽トールワゴン
エンジン P07A型:660cc 直3 SOHC
駆動方式 FF / 4WD
変速機 4速AT
サスペンション 前:マクファーソン式
後(FF):車軸式
後(4WD):ド・ディオン式
全長 3,395mm
全幅 1,475mm
全高 1,575-1,595mm
ホイールベース 2,420mm
車両重量 840-950kg
先代 ダンク (ディーバ)

魔法少女まどか☆マギカ
『魔法少女まどか☆マギカ』(まほうしょうじょまどかマギカ)はシャフト制作による日本のテレビアニメ作品。2011年1月から4月まで毎日放送 (MBS) ほかで深夜アニメとして放送された。全12話。略称は「まどか」、「まどマギ」
願いを叶えた代償として「魔法少女」となり、人類の敵と戦うことになった少女たちに降りかかる過酷な運命を、優れた魔法少女となれる可能性を持ちながらも傍観者として関わることになった中学生・鹿目まどかを中心に描く。本作はすでに類型が確立している魔法少女ものというジャンルに新たな切り口を導入することを意図した作品であり、題名に魔法少女を冠してはいるが、いわゆる魔法少女ものというよりも魔法少女をモチーフにしたダーク・ファンタジーとしての作風が色濃い。「マギカ (Magica)」は、「魔法の」を意味する形容詞「magicus」の女性形。

2000年代後半より、数多くのテレビアニメシリーズを世に送り出してきた新房昭之監督・シャフト制作のタッグによる、オリジナルアニメ作品である。企画の発端には、過去に『ひだまりスケッチ』シリーズ、『化物語』で新房とアニメ制作を行った岩上敦宏が関わっており、プロデューサーとして参加している。

ニトロプラス所属の虚淵玄が脚本を、『ひだまりスケッチ』の原作を手掛ける漫画家の蒼樹うめがキャラクター原案をそれぞれ担当。虚淵が描く緻密で重厚な設定のストーリーに、蒼樹のかわいらしい絵柄のキャラクターが組み合わされており、こうした組み合わせは岩上の提案による。音楽は梶浦由記が担当した。主要登場人物たちの敵となる「魔女」のデザインや戦いの場となる異空間の描写には劇団イヌカレーが起用され、「メルヘンホラー」とも形容される独自の世界が描かれている。

放送期間中には東日本大震災の影響により最終回の放送が1か月延期されるといった出来事はあったものの、オリジナル作品ゆえに先の読めない視聴者の興味を引きつけるストーリーが注目を集め、結果的には「近年最大の話題性」と評されるまでに至り、日本市場におけるテレビアニメのBD売り上げでは本作の1-3巻が歴代3位までを占める記録を残してい。様々な賞を受賞しており、2015年に読売新聞主催で行われたここ10年の日本の作品のポップカルチャーNo.1を決める「SUGOI JAPAN Award」ではグランプリを、 2011年には第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で大賞を、2012年には第11回東京アニメアワードテレビ部門優秀作品賞を受賞した。2013年には、グッズの売り上げ総額が約400億円に達し、国内外をつなぐ経済圏を作り上げつつあると日本経済新聞が報じている。2017年にNHKで行われた「発表!あなたが選ぶアニメベスト100」では約1万タイトルの中から男性票で第1位、男女合わせた総合ランキングでも第3位を獲得した。

メディア展開としては、テレビアニメ本編の内容を元にした漫画、小説、ゲーム化のほか、世界設定を共有する外伝漫画作品の展開も行われた。劇場映画化もされ、2012年には総集編となる『[前編] 始まりの物語』『[後編] 永遠の物語』、2013年には完全新作となる『[新編] 叛逆の物語』が公開され、[新編]の興行収入は深夜アニメの劇場版作品として、初の20億円の大台突破を記録している。このほか、本作をモチーフにしたカフェや、文化庁メディア芸術祭受賞に伴う展示なども行われた。
ジャンル 魔法少女、ダーク・ファンタジー、SF
アニメ
原作 Magica Quartet
監督 新房昭之
シリーズディレクター 宮本幸裕
脚本 虚淵玄
キャラクターデザイン 蒼樹うめ(原案)、岸田隆宏
音楽 梶浦由記
アニメーション制作 シャフト
製作 Madoka Partners、毎日放送
放送局 毎日放送ほか
放送期間 2011年1月7日 - 4月22日
話数 全12話
その他 放送休止期間あり(詳細)
鹿目まどか
暁美ほむら
巴マミ
美樹さやか
キュゥべえ
佐倉杏子 悠木碧
斎藤千和
水橋かおり
喜多村英梨
加藤英美里
野中藍

テンプレート - ノート
プロジェクト アニメ
ポータル アニメ
『魔法少女まどか☆マギカ』(まほうしょうじょまどかマギカ)はシャフト制作による日本のテレビアニメ作品。2011年1月から4月まで毎日放送 (MBS) ほかで深夜アニメとして放送された。全12話。略称は「まどか」、「まどマギ」

 

国鉄C12形蒸気機関車 C12形164号機 大井川鐵道 

$
0
0

大井川鐵道でかつてC12 164が動態保存されていた。赤いプレートがおしゃれなSL。新金谷駅の転車台で見学できます。国鉄C12形蒸気機関車(こくてつC12がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式のタンク式蒸気機関車である。

1937年(昭和12年)9月に日本車輌製造で製造された(製造番号 484)。同年9月12日に上諏訪機関区に新製配置され、1949年(昭和24年)3月1日に岡山機関区に転属してからは、周辺の駅や機関区などの構内の入れ換え作業や、貨物列車に使用された。1961年(昭和36年)3月31日には厚狭機関区に転属し、宇部線等で石灰列車に使用された。1973年(昭和48年)3月末に運用を終了し、木曽福島機関区で保管され、同年9月20日に廃車となったが、同24日に静岡県榛原郡本川根町(現・川根本町)に引き取られ、千頭駅で展示されていた。大井川鉄道(現・大井川鐵道)で修復され、再び走行が可能となった。

1976年(昭和51年)7月9日よりC11 227を動態保存している同鉄道で、予備機として使用されることになり、まれにC11 227と重連で運転されたこともある。しかし、1984年(昭和59年)5月に検査切れのために休車になり、千頭駅で保管された。その後、本機の復活を目指す団体「公益財団法人日本ナショナルトラスト」が現れたことにより、市民の募金で1987年(昭和62年)に動態復元され、同年7月25日に臨時SL急行「トラストトレイン」(1か月に1回運行)として運転を開始した。しかし、2005年(平成17年)にATSの設置を義務付けられたため、同年4月23日をもって運転を休止、翌月から休車扱いとなった。ATS装置設置費用確保のための募金活動を実施したが、募金総額は半分程度しか集まらず、かつ休車扱いとなってから5年以上が経過してATSの整備だけの問題ではなくなってきていたことから、日本ナショナルトラストは同機の動態保存としての維持を終了し、再度静態保存に移行することを募金協力者に通知した。現在、大井川鐵道が車体の塗装を整備した上で、2011年(平成23年)に新設した新金谷駅の転車台での展示車両として活用中である。

2016年(平成28年)9月28日、大井川鐵道が日本ナショナルトラストと同年9月1日付で寄託契約を締結し、再び動態保存運転への再復活に向けて乗り出した。


主要諸元
全長 - 11.350m
全高 - 3.900m
全幅 - 2.946m
重量 - 50.0t
空重量 - 39.00t

新幹線500系電車

$
0
0

新幹線500系電車は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が保有する新幹線電車である。

JR西日本は、自社の路線である山陽新幹線の航空機に対する競争力強化の一環として、より一層の高速化を目指して「500系」を開発した。車体強度・台車強度・力行性能などすべて320km/h対応として設計・計画され、1996年1月から1998年12月にかけ、16両編成9本合計144両が製造された。当初は山陽新幹線区間限定で「のぞみ」運用を中心として運転を開始し、その後東海道新幹線での営業運転を開始し、後続系列である700系の最高速度が285km/hと低く抑えられたこともあり、「のぞみ」の中でも特に速達性を重視した運用に長く充当された。
1996年1月に1編成、1997年7月から1998年12月にかけて8編成の全9編成・144両が川崎重工業車両カンパニー(旧1 - 6号車)・近畿車輛(旧7・8号車)・日立製作所笠戸事業所(旧9・10・13 - 16号車)・日本車輌製造(旧11・12号車)の各社が製造した。新製時はすべて16両で組成され、編成記号はW。3次に分けて製造された(W1:第1次車(量産先行車)、W2 - W6:第2次車、W7 - W9:第3次車)。1997年3月22日のダイヤ改正で営業運転を開始し、山陽新幹線区間での営業最高速度は300km/hを実現した。当初新大阪駅 - 博多駅間の「のぞみ」に投入され、最短2時間17分となった。
高速化に伴う騒音、特にトンネル微気圧波対策のために、非常に長い前頭部形状と円形(回転放物面体)に近い断面型を持ち、歴代の新幹線車両のうちでも特異な部類に入る。これにより、運転台直後の乗降ドアがないことをはじめ、車両と客用扉の配置や車両ごとの定員が異なるなど他系列と共通使用できないという運用上の問題や、騒音対策として客室断面積を小さくしたため内壁が大きく内側に傾いており窓側座席の居住性に問題があった。また、軽量化と高強度化を両立すべくアルミニウム合金の銀ロウ付けによるハニカム構造を車体に採用するため、製造費が高価であった。徹底して高速性能を追求したために、製造コストや居住性の問題、特に東海道新幹線内での他系列との定員の違い、車両性能を持て余すなどの点が問題となった。2007年に最高速度300km/hの高速性能と居住性の両立を目指した後継車両として、東海旅客鉄道(JR東海)・JR西日本の両社が共同開発したN700系が営業運転を開始し、同系の増備により所要数が充足されたことから、500系は2010年2月28日に定期「のぞみ」運用から離脱した。
これに伴い余剰となった全9編成のうち、量産先行車のW1編成を除く8編成(W2 - W9編成)については2008年から2010年にかけて8両のV編成に改造短縮され、山陽新幹線の「こだま」に転用され、2010年2月限りで「のぞみ」および東海道新幹線での運用から撤退した。
東海道新幹線内で「のぞみ」の停車しない駅(小田原駅・熱海駅など)にも非常時対応などのために、Wと表記された500系の停車位置目標が設置されていた。
第41回(1998年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。1996年には通商産業省(現・経済産業省)のグッドデザイン商品選定(現在の財団法人日本産業デザイン振興会・グッドデザイン賞)の商品デザイン部門での選定を受けた。

本系列のデザインは鉄道のみならず多くの工業製品などのデザインを手がけるドイツのアレクサンダー・ノイマイスター社によって行われ、それまでの車両と比べると高速性に主眼を置いたデザインとなっている。(同社は福岡市交通局3000系電車や、ドイツ鉄道 (DB) のICE3のデザインも手がけている。)
内装のデザインについては、前述の構造上の制約から来る車内空間やシートピッチの減少を和らげるべく配慮されており、カラースキームや照明についても利用客の視覚に優しいものとなっている。
なお、design(en:Design)という語には元来機構の設計といった意味も含まれているが、日本語の「デザイン」ではもっぱら表面形状や彩色、インテリアやエクステリアなどのみについてを指していることが多いこと(なお、こちらを特に区別する語としては「スタイル」がある)、といった背景がある。

高速時のトンネル微気圧波問題のため、先頭車両は全長 (27m) の半分以上の15mにわたり断面を徐々に窄めており、尖ったジェット戦闘機のような外観である。この15mという長さは、320km/h営業運転を前提にして、航空宇宙技術研究所のCFDで解析を行っている。空力上の問題を解決した形状であるものの、先頭車の客席減少や運転席からの視野も限られるなど、マイナス面もある。また、同じく300km/h超での微気圧波対策として、車体高を300系と同等まで維持しつつ車体断面積を縮小するため、客室自体に影響の少ない部分(車体の裾や荷棚部分)を削り、300系比1割減の10.2m2まで縮小した。そのため、車体断面も他の車両と一線を画す円形である。
運転室のガラスは各種の航空機や電車にガラスを納入している Saint-Goban-Sully(本社フランス)社の製品を用いている(700系の前面ガラスも同社の製品)。車体(天井)の傾斜により、乗務員室から1・2列目の座席は棚の空間が狭くなるため、座席配置を2-2(C席なし)とし、専用の荷物置きを設置することで対処している。
高剛性を保ちつつ軽量化し、車両の防音性能を向上させるため、厚さ30mmのろう付けしたアルミハニカムパネルを側構体と気密床に使用したアルミハニカムパネル構造を採用している。これは、六角形のハニカムコアを2枚のアルミ合金で挟み、ろう付けしてパネルにしたものを組上げて車体を製造する方式で、これにより、1両あたりの車体構体重量は300系より0.6tの軽量化を実現しており、その他にも、制振材付きアルミ押出形材、吸音材、遮蔽板を使用して、従来と比べて1割以上の騒音低減を実現している。しかし、この構造は製造時において使用される炉の関係で大型パネルを製作することができず、結果的には、車体の製造コストが大幅に上昇したため、次に登場した700系はアルミ中空大型押出形材による中空構造の大型アルミパネルを使用して、支柱や垂木を不要とし、製造コストを低減させたアルミダブルスキン構造を採用したため、500系のみの構造となっている。
床下機器は、ユニット化されたものを床面から吊り下げ、車体下側の気流に配慮して、ボディの形状に合わせた点検ふたを兼ねたカバーで車体下半分を覆う構造とした新ボディマウント構造を採用しており、床下機器の配置もそれに応じてパターン化され、メンテナンスが必要な機器を山側に揃えて、メンテナンス性を向上させている。また車体断面も円形に近く、それに伴い側窓も曲面ガラスを用いる。このため、車体とホームに若干の隙間が生じてしまったため、W2編成製造以降に隙間を埋めるための小さなフィンが取り付けられた。これはW1編成でテストを行って騒音値について調べてから装着された。
車体側面の段差をなくし、空気抵抗や騒音を低減するため、旅客乗降用ドアは閉じた時に車体側面との段差を生じないプラグドアを採用し、客室窓のガラス外側にポリカーボネートを張ることで段差を小さくしている。
出入口付近に設置してある行先表示器は100系V編成に引き続き3色LED式を採用。新たに自由/指定席表示部分もLED式に変更された。行先表示器に関しては、上部に列車名と行先を表示しながら下部での停車駅のスクロール表示などを可能にした。
2004年に東海道新幹線区間へのデジタルATC導入に備えて、全編成にデジタルATC対応の車上設備が増設されたが外観上の変化はない。
製作費は1両当たり約3億円、1編成46億円と700系よりも10億円弱余分にコストが掛かったことや、当時「のぞみ」運用の受け持ちの関係(9編成そろった後の東海道・山陽新幹線大型ダイヤ改正である1999年3月13日時点では東京駅 - 博多駅の定期「のぞみ」運用は14往復、それをJR東海の300系・700系と折半して7往復ずつ担当、加えて新大阪駅 - 博多駅間を1往復を運用できる数が予備編成を含めて9編成)があったため、9本が製造された。

ライトグレーを基調に、窓部分にブルーとダークグレーの帯を配し、ノーズ上部から天井部分にかけてはグレイッシュブルーで塗装された。この塗装は、一部色を変更のうえで山陽新幹線区間限定列車となる「ひかりレールスター」(ライトグレー地に、窓部分がダークグレーとサニーイエローの帯)や「こだま」(ライトグレー地に、窓部分がダークグレーとフレッシュグリーンの帯)にも踏襲された。
先頭車両の運転席両脇には、“JR500 WEST JAPAN”の文字が施されている。なお、W1編成落成時には施されていなかった。


車内
旧8 - 10号車はグリーン車、ほかは普通車で、基本的な座席配置・サービスは300系と同じである。
普通車は、瀬戸内海をイメージしたバイオレットでまとめられている。奇数号車の座席にはローズ系の、偶数号車にはブルー系のモケットが使用されている。座席背面にテーブルが設置されている。
グリーン車は、グレイッシュベージュでまとめられている。肘掛け部分にテーブルが内蔵され、取り出して使用することができる。照明は半間接照明が採用された。
旧3号車博多寄り、旧7号車の東京寄り、旧11号車の博多寄り、旧15号車博多寄りには車販準備室が設けられた。そのうち旧7・11号車には車販準備室を兼ねたサービスコーナーを設置していたが、2003年10月のダイヤ改正時に廃止され、車販準備室のみになった。
前述のとおり高速化を追求した円筒形状の車体断面であることから、特に窓際の席の居住空間がやや狭くなっている。反面、インテリアカラー、グリーン車の座席、側窓吹寄せ部の処理などに居住性改善のための工夫が伺える。
この形式から車内の電光掲示板の駅名の表示が上から降りてくる形式になっている。これは700系のJR西日本編成(JR東海から移籍した編成を除く)とN700系の8両編成(JR九州所属の編成を含む)でも行われている。
旧偶数号車の博多寄りにはデッキと独立した電話室が設置された。吸音化粧板を使用し、騒音の低減を図っている。携帯電話の普及に伴って一部号車のものは撤去され、最終的に旧2・6・12・16号車まで削減された。
奇数号車にある洗面台と洗面台の間には冷水器と紙コップが設けられていたが、700系には当初から設けられていなかったこともあり、700系デビュー以降は300系とともに冷水器は使用停止となり、冷水器の箇所は板で塞がれた。
ロングノーズのため運転席を大きく後ろに下げる必要があり、先頭車の乗車定員が300系より12名減少する。このため、JR東海から設計段階で300系の定員(1,323人)を下回らないことが強く要請された。その対策として運転席寄りの客用扉を廃止したり、普通車座席の前後間隔(シートピッチ)を詰めたり(1,040mm → 1,020mm)、洗面所を2箇所から1箇所に減らすことによって300系と同等以上の総座席数(300系より1名多い1,324名)を確保したものの、車両ごとの座席数が300系と異なりダイヤでも他車種と区別する必要が生じたため、ダイヤが乱れた時の運用変更にも問題が生じることになった。
さらに2003年10月のダイヤ改正で「のぞみ」の1 - 3号車が自由席となったが、先頭車に客用扉が1箇所しかないため乗降に時間がかかってダイヤの乱れにつながる要因にもなっていた。

運転台
従来の新幹線と同じく、右側にマスコンハンドル、左側ににブレーキハンドルが配置されている。ブレーキハンドルは、一般的な新幹線車両の縦軸・水平回転式と異なり、221系電車をはじめとしたJR西日本の在来線車両が主に採用する横軸・前後回転式を採用している。前後回転式のブレーキハンドルを採用しているのは、国内の新幹線車両では500系が唯一である。また、700系の派生形式である台湾高速鉄道700T型も同様のハンドルが採用されている。
また、側窓は天井部分にまで及ぶ曲面となっているため、遮光幕は従来のロールアップ式ではなくアコーディオンカーテンとなっている。
主要機器
初代新幹線である0系以来となる、16両全車に主電動機が1両あたり4基ずつ搭載される全電動車方式を採用している。高速走行によって増大する走行抵抗に対応するため、64基の電動機による出力は300系の約1.5倍である18,240kW(約2万5千馬力)(W2編成以降は17,600kW)にも上り、地上を走行する旅客輸送機関として史上空前の動力を備えている。
また、M-M1-Mp-M2の4両を1単位として主変圧器(Mp車に搭載)や主変換装置(M1・M2車に搭載)といった主要機器を各車に集約分散搭載するユニット方式を採用、前述した車体軽量化の努力と合わせて、編成重量も後継となるN700系と同等な700tに抑えられ、車輪駆動方式鉄道車両としては世界最高(最小)の重量出力比を実現している。また、乗客定員1人あたり車体重量も約520kgと、軒並み1tを超えている他国の高速鉄道車両[要出典]より軽量である。

発車から4分程度で300km/hに達することが可能な加速力があり、また曲線や駅通過時の減速から素早く加速することによって、他国に比べて線路条件の厳しい山陽新幹線で世界記録となる表定速度を実現した。320km/hでの運転でも環境面での条件を十分にクリアしていた。しかし、W1編成が完成する前に起きた兵庫県南部地震後に非常制動距離の厳守が必須になったことや、総合的な費用対効果の検討から若干の余裕を見て300km/hとなった。

架線からの単相交流25kVを主変圧器で降圧した上で、主変換装置で直流に整流、その後三相交流に変換して主電動機を制御するVVVFインバータ制御方式である。
主変圧器 (WTM205) は強制風冷式を採用し、5,400kVAの容量を備える。
主変換装置 (WPC5) は500系900番台のシステムを踏襲し、GTOサイリスタ素子を使用した、PWMコンバータ2基+VVVFインバータ1基で構成されており、制御方式を3レベル制御にすることにより、電圧・電流波形が交流の正弦波により近い形となり、電流波形がひずむことにより発生するひずみ成分(高調波)の抑制を図っている。M1・M2車に2基ずつ搭載され、各装置が1両分4基の主電動機を制御する1C4M方式である。機器の軽量化を図ることを目的に、主変換装置1台で8基の主電動機を制御する1C8M制御方式も検討されていた。しかし、半導体技術の進歩によるGTO素子の大容量化がなされ、それによってコンバータ・インバータ間の直流電圧を上げることが可能になり、インバータの軽量化を実現した。そのため、1C8M制御方式は採用されなかった。
補機類の電源は主変圧器の3次巻線(単相交流440V 60Hz)である。空気圧縮機、空調装置などはこれを電源とするが、ATC、列車無線、補助空気圧縮機などが利用する電源は定電圧装置、補助変圧器、整流装置などを介して交流100V、直流100Vが供給される。
空調機器 (WAU601) は、効きの悪さを指摘された300系から改善するため、室外機を床下に2台、室内機を天井部分に8台搭載した、マルチエバポレーター・セパレート方式を採用した[20]室内機から客室へのダクトを短くすることで空調の効きの悪さを改善した。
主電動機
WMT204形かご形三相誘導電動機を1両あたり4基搭載する。W1編成は連続定格出力285kWであったが、W2編成以降は走行抵抗の予想以上の低下により連続定格出力は275kWとなっている。軽量化のため、フレームレス構造、アルミブラット構造を採用した。また、軸受けの電蝕防止のために、セラミックス絶縁軸受けを使用している。
ブレーキ
300系に続き主電動機を発電機として用いることでブレーキ力を確保する回生ブレーキを主体としつつ、従来どおりの空気圧動作のディスクブレーキも併用する回生ブレーキ付き電気指令式ブレーキを搭載する。
なおディスクブレーキについては、W1編成による試運転の結果を反映して、セラミック噴射装置を1・8・9・16号車に搭載している。これにより、悪天候時に300km/hで走行している状態からブレーキを掛けても、270km/h走行時の300系と同等の制動距離で停止できる性能を確保している。

台車は直進安定性に優れた走行特性を示す軸梁式の軸箱支持機構を備えたボルスタレス台車である、WDT205を装着する。駆動方式は300系以前と同様、信頼性の高いWNドライブを採用する。
乗り心地の改善を図り、軸箱剛性のアップ、空気バネ左右間隔の拡大、非線形バネの採用、台車枠と車体の間で連結されているアンチヨーダンパーの減衰係数の変更などを行ってあるが、先頭車両運転台寄りの台車は、先頭形状との兼ね合いで、他の台車に比べて空気バネ間隔が250mm縮小されている。メンテナンスフリー化を図るため、軸受けには密封グリス潤滑円錐ころ軸受を採用している。
両先頭車両とパンタグラフ搭載車両、それにグリーン車の各台車には車体に働く左右方向の振動加速度を抑えるセミアクティブサスペンションが搭載されている。先行量産車のW1編成に関しては、比較検討を行う目的から車両動揺の大きい1・16号車にフルアクティブサスペンション、5・8・9・10・13号車セミアクティブサスペンションが搭載されていたが、営業運転開始を前に全車セミアクティブサスペンションに換装されている。
車輪径、軸距は300系と同じく860mm、2,500mmである。

編成中の2か所(W編成の5・13号車)に設置された集電装置 (WPS204) も騒音低減のため、伝統的な菱形の構造を廃し、公式には「翼型パンタグラフ」と呼ぶ、断面が楕円形の支柱上部に翼型の舟体を設けた構造(T字型)とした。これにはF1で蓄積された空力技術や、音もなく滑空するフクロウの羽根を参考にした騒音低減のためのボルテックスジェネレータも使われている。ホーン部分に5mmの穴を開けることによって、エオルス音と呼ばれるカルマン渦が引き起こす空力音を低減する。これに用いられているダンパーは、F1用ショックアブソーバーの製作で300km/h以上でのデータとノウハウを数多く持つ、ショーワに依頼された。
集電装置からの騒音を低減させた結果、300系で採用されていたパンタグラフ下部まで覆う大型のパンタグラフカバーではなく、碍子のみを覆う小型の碍子カバーが採用された。
ほかの新幹線車両のパンタグラフは金属ばね上昇式であるが、翼型パンタグラフでは空気上昇式を採用している。このため、長時間の停電などにより車両の圧縮空気が減圧した場合には、パンタグラフが自然降下し、保護接地スイッチ (EGS) による架線地絡ができなくなってしまう。そのため、EGS用にバネ上昇式の予備シングルアームパンタグラフを碍子カバー内に設けている。
また、東海道・山陽新幹線を走行する車両のうち、0系から300系までは静電アンテナが運転席直上(700系・N700系は先頭車連結面寄り)にあったが、500系では碍子カバー内に設置され、目視確認できなくなった。
落成時のW1編成は9号車516形東京寄りにも集電装置を搭載していたが、試験・予備用としての扱いであったため、後に撤去された。W2編成以降には新製時から搭載されていない。

奇数形式と偶数形式2両ずつ、計4両の電動車 M+M1+Mp+M2 で1ユニットを構成する。車両の製作・整備費の低減と軸重の分散化を図るため300系より1ユニットあたりの両数が増えている。
515形 (MS)
グリーン席を備える中間電動車。W編成9号車として使用。便所・洗面所を備え、空気圧縮機・補助電源装置・セミアクティブサスペンションなどが搭載されている。定員64名。
516形 (M1S)
グリーン席を備える中間電動車。W編成10号車として使用。乗務員室・荷物室・公衆電話を備え、主変換装置・補助電源装置・セミアクティブサスペンションなどが搭載されている。定員68名。
518形 (M2S)
グリーン席を備える中間電動車。W編成8号車として使用。乗務員室、公衆電話を備え、主変換装置・セミアクティブサスペンションなどが搭載されている。定員68名。
521形 (MC)
普通席を備える制御電動車。W編成1号車として使用。博多向き運転台、便所・洗面所を備え、空気圧縮機・補助電源装置、セミアクティブサスペンション(521-1のみアクティブサスペンション)などが搭載されている。定員53名。
522形 (M2C)
普通席を備える制御電動車。W編成16号車として使用。東京向き運転台、公衆電話を備え、主変換装置・セミアクティブサスペンション(522-1のみアクティブサスペンション)などが搭載されている。定員63名。
525形 (M')
普通席を備える中間電動車。W編成5・13号車として使用。便所・洗面所を備え、空気圧縮機・補助空気圧縮機・補助電源装置・集電装置・セミアクティブサスペンションなどが搭載されている。定員95名。
526形 (M1)
普通席を備える中間電動車。W編成2・6・14号車として使用。公衆電話などを備え、主変換装置などが搭載されている。定員100名。
527形
普通席を備える中間電動車。
0番台 (Mp)
W編成3・15号車として使用。便所・洗面所を備え、主変圧器などが搭載されている。定員90名。
400番台 (Mpk)
W編成7号車として使用。便所・洗面所・車内販売準備室(旧売店)を備え、主変圧器などが搭載されている。定員75名。
700番台 (Mpkh)
W編成11号車として使用。便所・洗面所・車内販売準備室(旧売店)、車椅子対応設備を備え、主変圧器などが搭載されている。定員63名。
528形 (M2)
普通席を備える中間電動車。
0番台
W編成4号車として使用。公衆電話などを備え、主変換装置などが搭載されている。定員100名。
700番台
W編成12号車として使用。公衆電話(車椅子対応のため、0番台よりも入り口が広く、電話台が低くなっている)などを備え、主変換装置などが搭載されている。定員100名。

基本情報
運用者 西日本旅客鉄道
製造所 川崎重工業車両カンパニー
近畿車輛
日立製作所笠戸事業所
日本車輌製造
製造年 1995年(量産先行車)・1997年 - 1998年
製造数 144両
主要諸元
編成 16両(W編成・全電動車)
8両(V編成・全電動車)
軌間 1,435 mm
電気方式 交流 60Hz 25,000V(架空電車線方式)
最高運転速度 270 km/h(東海道区間)
300 km/h(山陽区間・W編成)
285 km/h(V編成)
120 km/h(博多南線)
設計最高速度 320 km/h
起動加速度 1.6 km/h/s
1.92 km/h/s(高加速度設定時)
減速度(常用) 0 - 70km/h時:2.70km/h/s(常用最大)
120km/h時:2.24km/h/s(常用最大)
230km/h時:1.45km/h/s(常用最大)
320km/h時:1.12km/h/s
減速度(非常) 0 - 70km/h時:3.64km/h/s(非常)
230km/h時:2.03km/h/s(非常)
320km/h時:1.57km/h/s
編成定員 W編成:計1,324名[200名]
V編成:計557名(普通車のみ)
[ ]内はグリーン車
編成重量 満車700.0t、自重629.6t(W1編成)
自重350.0t(V編成)
編成長 W編成:404 m
V編成:204 m
全長 先頭車 27,000 mm
中間車 25,000 mm
全幅 3,380 mm
全高 4,490 mm
車体高 3,690 mm
車体材質 アルミニウム合金
台車 軸梁式ボルスタレス台車 (WDT205)
主電動機 かご形三相誘導電動機WMT204(285kW/275kW)
駆動方式 WN駆動方式
歯車比 2.79
編成出力 285kW×64 = 18,240kW(W1編成)
275kW×64 = 17,600kW(W2 - W9編成)
275kW×32 = 8,800kW(V編成)
制御装置 VVVFインバータ制御(GTOサイリスタ素子)WPC5 (5400kVA)
制動装置 回生併用電気指令式空気ブレーキ(応荷重装置付き)
保安装置 ATC-1型、ATC-NS
備考 320 km/h走行時の加速余力は0.26km/h/s、均衡速度は365 km/h。
脚注
^ 旧1 - 6号車を製造
^ 旧7・8号車を製造
^ 旧9・10・13 - 16号車を製造
^ 旧11・12号車を製造
Wikipedia blueribbon W.PNG第41回(1998年)
ブルーリボン賞受賞車両

 

 

 

 

 

千頭駅 大井川鐵道 大井川本線・井川線

$
0
0

千頭駅(せんずえき)は静岡県榛原郡川根本町千頭にある、旧本川根町の中心に位置する大井川鐵道の駅で大井川本線と井川線が乗換となる主要駅。
寸又峡温泉への玄関口となっており、駅の海抜は299.8mである。中部の駅百選選定駅。

駅構造
3面5線のプラットホームをもつ大きな駅舎の地上駅である。1 - 4番線は2面4線の頭端式ホームであり、大井川本線のSL急行および普通列車が発着する。改札から大井川本線のホームへは段差を通ることなく利用できる。ホームは低いホームですで構内には多数の留置線が設置されています。

6番線は井川線が発着するホームであり、大井川本線のホームとの間にある中間改札を通って行くことができる。他のホームよりも高さが低くなっている。井川線の線路は、駅舎の横を通り抜けて川根両国方面に伸びており、頭端式ホームではなく単式ホームのようになっている。なお、井川線ホームの反対側にも大井川本線用の線路が敷かれているが、定期列車では使用されることはなく、5番線の案内もない。

待合室に椅子が多数設置されて、土産屋やうどん屋が営業している。

駅前は多数の飲食店や土産物屋が軒を連ねており、週末を中心にSL乗車の観光客などでかなりの賑わっています。

また、駅付近は広大な車庫になっており、夜間滞泊が設定されている。金谷寄りのところに転車台があり、現在はほぼ毎日使用されている。この転車台は、1897年(明治30年)にイギリスで製造された転車台であり、東赤谷駅から1980年(昭和55年)7月20日に移設され、同年11月12日に使用を開始した。手動式で、駅員や機関士が5人がかりで蒸気機関車 (SL) を方向転換させる。かつてはイベントや映画の撮影でしか使用されていなかったが、2011年(平成23年)9月に新金谷駅に設置された転車台が、同年10月7日から使用を開始したことに伴い、双方の転車台で原則的に常時SLの方向転換が実施されるようになった。

49616(9600形)が静態保存されている。49616は2014年(平成26年)3月、きかんしゃトーマス号運転開始に先がけてD51風に改造されトーマスのキャラクター「ヒロ」になった。2015年(平成27年)4月には、以前大代川側線に留置されていたC12 208を「パーシー」に改造したほか、ラスティー (DB9) も登場し当駅で同列車の運転を盛り上げている。


かつては当駅から川根両国駅近くまで貨物専用線が井川線と並行しており、複線のようになっていたが、1960年代後半には遊休施設となっていた。これを活用して、1970年(昭和45年)からSLの運行が開始された。これが大井川鐵道のSL動態保存のルーツである。しかし、当駅近くの道路拡張に支障することから、当駅から川根両国駅までの専用線は廃止されることになり、1989年(平成元年)11月26日限りで当該専用線による運行は廃止された。

また、沢間駅から千頭森林鉄道が井川線に乗り入れて当駅まで運行されており、千頭駅に併設された千頭土場で木材を降ろしていた。千頭森林鉄道の廃止後、トラック輸送に切り替わってからも千頭土場は活用されたが、林業の衰退により閉鎖され、跡地は現在道の駅奥大井音戯の郷とその駐車場となっている。

のりば
1 - 4 大井川本線 金谷方面
6 井川線 井川方面


駅周辺
SL資料館
奥大井観光案内所(川根本町まちづくり観光協会)
道の駅奥大井音戯の郷
大井川
川根本町役場総合支所
千頭郵便局
川根本町立本川根小学校
川根本町立本川根中学校
静岡県道77号川根寸又峡線
国道362号
大鉄タクシー (大井川鐵道 グループ会社)
川根ガス株式会社 千頭営業所
JA大井川 本川根支店
小長谷城趾
川根本町文化会館
路線バス
大井川鐵道

千頭駅 - 奥泉駅 - 寸又峡温泉
千頭駅 - 奥泉駅 - 長島ダム - 接岨峡温泉 - 閑蔵駅前

1931年(昭和6年)12月1日 - 開業。
1935年(昭和10年)5月30日 - 大井川専用軌道(のちの中部電力専用鉄道)が開業。同時に寸又川専用軌道(のちの千頭森林鉄道)が沢間駅 - 当駅間で大井川専用軌道に乗り入れを開始。
1936年(昭和11年)11月19日 - 大井川専用軌道が軌間を762mmから1067mmへ改軌。寸又川専用軌道が乗り入れるため、当駅 - 沢間駅間は762mm軌条が残され、三線軌条となる。
1959年(昭和34年)8月1日 - 中部電力専用鉄道が大井川鐵道に引き継がれ、大井川鐵道井川線となる。
1969年(昭和44年) - 千頭森林鉄道の廃止に伴い当駅 - 沢間駅間の762mm軌条が撤去される。
1970年(昭和45年) - 当駅 - 川根両国駅間に並行する側線を往復するミニSL列車の運行開始。
1989年(平成元年)11月26日 - ミニSL列車の運行終了。


千頭駅
せんず
SENZU
所在地 静岡県榛原郡川根本町千頭1216-5
北緯35度6分27.79秒
東経138度8分11.69秒座標: 北緯35度6分27.79秒 東経138度8分11.69秒
所属事業者 大井川鐵道
駅構造 地上駅
ホーム 3面5線
乗車人員
-統計年度- (大井川本線)390人/日
(井川線)129人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- (大井川本線)827人/日
(井川線)233人/日
-2016年-
開業年月日 1931年(昭和6年)12月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 大井川本線
キロ程 39.5km(金谷起点)
◄崎平 (2.3km)
所属路線 井川線
キロ程 0.0km(千頭起点)
(1.1km) 川根両国►
備考 標高:299.8m

T58-IHI-10M2ターボシャフトエンジン

$
0
0


ゼネラル・エレクトリックT58は、アメリカのあるターボシャフトヘリコプターの使用のために開発されたエンジン。1955年に初めて稼働し、1984年まで生産に残り、6,300台が作られました。1959年7月1日、民間ヘリコプター使用のFAA認証を取得した最初のタービンエンジンとなった。エンジンは、ライセンス組み込み、さらにによって開発されたデハビランドとして英国でノームに、西ドイツによってKlöckner-フンボルト-ドゥーツ、 、また製アルファロメオ及びIHI社。

ターボシャフトエンジン(Turboshaft engine)はジェットエンジン/ガスタービンエンジンの一種。ジェットエンジンが排気の噴出力を推進力として利用するのに対し、タービン排気より軸出力を取り出し、それを用いる方式である。戦車や船舶用ガスタービンなども軸出力を用いている点では同等であるが、航空機用エンジンとして用いられている場合、ターボシャフトエンジンと呼ばれる。特にヘリコプター向けとして用いられている。

概要
ターボシャフトエンジンのエンジンの構造は、燃焼部と出力部に分けられる。燃焼部はターボジェットエンジンと同等の構造であり、圧縮機、燃焼室、タービン[1]と吸排気口などからなる。出力部は、タービン部に付加されており、排気はフリータービンにより回転軸出力として取り出される。圧縮機・タービン軸と連結されていないフリータービンを用いることにより、安定した軸出力が得られ、クラッチや変速機を介してローターなどを回転させる。また、圧縮機には、小型のものには遠心式を、大型のものには軸流式が使用されている。

ターボシャフトエンジンには次のような特性がある。
出力当たりの重量が小さい
出力当たりの容量が小さい
エンジン自体の振動が少ない
エンジン自体のオーバーホールの間隔が長い
エンジン自体の冷却装置が必要ない(エンジン周りの換気やエンジンの滑油温度を調整するための滑油冷却器は必要である)
エンジン自体が高価である
エンジンの空気流量が多い
吸入口での着氷やエンジンから排出される排気ガスによる取入れ空気の汚染
地上の塵埃・海上での空気に含まれる塩分や異物の吸入による圧縮機のブレードの腐食劣化や損傷
ターボシャフトエンジンの中には「逆流型燃焼室」を備えたタイプもある[2]。

ターボプロップエンジンとの比較
ターボプロップエンジンでは、軸出力のほか、排気を一部推進力に利用しているが、ターボシャフトエンジンでは排気を推進力としては用いない点が異なる。ターボプロップエンジンではフリータービンを用いたものもあるが、圧縮機・タービン軸と連結された回転軸より軸出力を取り出している。


最初の実用的なターボシャフトエンジンはフランスのチュルボメカ アルトウステであり、1947年に開発された。ターボシャフトエンジンは、それまでヘリコプターに用いられていたレシプロエンジンに比較して、燃費の悪化こそあるものの、最近の技術の進歩により、タービン入口温度と圧縮機の圧縮比の増大により熱効率が改善しており、あまり問題ではなくなってきている。また、小型・軽量で安定した高出力を有し、振動も少ないという利点がある。チュルボメカ アルトウステを搭載したアルエット II(1955年初飛行)はヘリの高度記録を樹立するなど、良好な性能を発揮し、ターボシャフトエンジンの有効性を示した。

T58:デザインと開発
開発は、ヘリコプターのターボシャフトの重量が180ポンド(800ポンド)を下回り、800馬力(600キロワット)を提供する1953年の米海軍の要件に始まりました。エンジンゼネラルエレクトリックは、最終的に250ポンド(110kg)の体重を計量し、1,050馬力(780kW)を納入し、すぐに生産を開始しました。最初の飛行は1957年に修正されたSikorsky HSS-1で行われ、2年後にCT58-100変異の民間認証が取得されました。
T58には多くの珍しい機能が組み込まれています。

1)全軸圧縮機。このパワーブラケットの他のほとんどのターボシャフトは、最終コンプレッサーステージとして遠心ユニットを備えています。その結果、圧縮機の後部にあるブレードは非常に小さく(0.5インチ未満)非常に薄くなります。

2)部分速度での圧縮機の取り扱いは、ユニットの前部にある複数の可変ステータの列によって容易になる。これは、エンジンが初めて導入されたときにはかなり新しい機能でした。

3)単一段パワータービン。エンジンの後部に動力を供給します。高温の排気流は、斜めのジェットパイプによって、出力軸から離れて横向きに転向される。

4)燃焼器は、逆流ではなく直線状の環状設計である。

エンジンの主な生産バージョンは1,400馬力(1,044kW)を開発しているT58-GE-10でした。最も強力なバージョンであるT58-GE-16は、1,870馬力(1,390kW)を生産しています。

パワータービンの取り外しによってターボジェットに変換された2つのT58は、Maverick TwinJet 1200のエンジンとして使用されました。

キャロル・シェルビーのタービン車は、1968年のインディアナポリス500のレースに入力されたT58sを搭載しました。自動車は可変吸気口を使用して最大許容吸気口径についてUSAC規制を回避し、失格となっていた。

GE T58、Lycoming T53 / T55のようなターボシャフトエンジンは、ポートやオフショアVeなどの高性能パワーボート、スケーター「ジェットセット」やミスティック・パワーボート「マイ・ウェイ」のようなカタマラン船、ウォータージェット川のレーサー不自然な災害と水上飛行機。これらのボートのいくつかは、彼らが開かれたコックピットの遊覧船であるにもかかわらず、200mphを上回って走る。


仕様(T58-GE-8)
一般的な特性
タイプ:フリーパワータービンターボシャフト
長さ: 55 cm(1,397 mm)
直径: 16インチ(406mm)
乾燥重量:減速ギアボックスなしの285ポンド(129 kg)、減速ギアボックス付きの391 lb(177 kg)
コンポーネント
コンプレッサー:可変インレットガイドベーン+可変インシデンスステータを最初の3つのステージで備えた10段の軸流圧縮機
燃焼器: 2つのマニホールドに16個のバーナノズルを有する環状燃焼チャンバ
タービン: 2xガスジェネレータタービンステージ+ 1xフリーパワータービンステージ
燃料タイプ:航空灯油
パフォーマンス
最大出力: 1,250馬力(932.12 kW)
全体的な圧力比: 8.3:1
空気質量流量: 26,300 rpmで12.4 lb(5.62 kg)/ s
特定の燃料消費量: 0.64 lb /(hp h)(0.389 kg /(kWh))、最大連続定格時
パワー対重量比:減速機なしの6.1 hp / lb(10.024 kW / kg)
イプ ターボシャフト
国籍 アメリカ
メーカー GE航空
ファーストラン 1955年 4月
主な用途 ボーイングバートールCH-46シーナイト
カマンSH-2シーパス
シコルスキーSH-3シーキング
バリアント ロールスロイス・グノーム

 


北浜駅 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)堺筋線

$
0
0

北浜駅(きたはまえき)は、大阪府大阪市中央区北浜一丁目にある、京阪電気鉄道京阪本線・大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)堺筋線の駅。駅番号は京阪がKH02、大阪市高速電気軌道がK14。駅周辺には大阪証券取引所や多数の証券会社事務所が集中しています。


島式ホーム1面2線を有する地下駅である。

改札・コンコースは地下2階、ホームは地下3階にある。改札口は京阪北浜駅寄りの北改札と、旧三越大阪店寄りの南改札の2か所がある。北改札切符売場。券売機は3台。

当駅は、堺筋本町管区駅に所属しており、堺筋本町管区駅長が管理している。

車イス対応のエレベーターは改札内北改札口とコンコース間と改札外B2FコンコースとB1F京阪駅との連絡コンコース間に設置されている、B1Fと地上間は隣接する大阪証券取引所ビルのエレベーターが使用可能。おむつ交換台や車イスに対応した多目的トイレ北口改札外と南口改札内の2箇所に設置され、南北両改札口にはAEDが配備されている。

のりば
ホーム 路線 行先
1 K 堺筋線 堺筋本町・日本橋・天下茶屋方面
2 天神橋筋六丁目・北千里・高槻市・河原町方面

 

大阪市高速電気軌道(Osaka Metro) - 2016年11月8日の1日乗降人員は68,094人(乗車人員:33,391人、降車人員:34,703人)である[11]。
堺筋線の駅では堺筋本町駅、南森町駅、日本橋駅に次ぐ第4位。


駅周辺
大阪取引所(旧・大阪証券取引所)や証券会社が集まる大阪の金融センターである。また、駅南側の道修町周辺は製薬会社や薬問屋が多い。

京阪中之島線 なにわ橋駅
難波橋
中之島公園
大阪市立東洋陶磁美術館
少彦名神社
くすりの道修町資料館
関西棋院
北浜郵便局
大阪伏見町郵便局
小西家住宅(コニシ本社)
泊園書院跡
大阪活版所跡
大阪俵物会所跡
大阪金相場会所跡
大阪会議開催の地
両替商創業の地跡(天五に平五・十兵衛横丁)
ダイワロイネットホテル大阪北浜
ブライトンシティー北浜
The Kitahama(2005年に5月閉店した三越大阪店跡地)
教育機関
大阪市立開平小学校
法人・店舗等
日本経済新聞社 大阪本社
三井住友銀行 大阪中央支店
大阪シティ信用金庫 本店
大分銀行 大阪支店
南都銀行 大阪中央営業部
京都銀行 大阪営業部
五感 北浜本館
カプコン本社
サミーツアー サン太陽トラベル本社
小野薬品工業 大阪支店
アニメーションDo
廣田証券
かつて存在した施設
三菱銀行大阪支店(→譲渡→あいおい損害保険)
大阪市信用金庫本店
三越大阪店(2005年5月閉店)
日商岩井大阪本社ビル(→トレードピア淀屋橋)


バス路線
最寄り停留所は、堺筋と土佐堀通が交差する北浜一丁目交差点付近にある北浜二丁目である。以下の路線が乗り入れ、大阪シティバスにより運行されている。

62号系統:天満橋・上本町六丁目・あべの橋経由 住吉車庫前 行/大阪駅前 行

 


1963年(昭和38年)4月16日 - 京阪本線淀屋橋駅 - 天満橋駅間開通と同時に京阪北浜駅開業。
1964年(昭和39年)4月30日 - 大阪証券ビル東出入口竣工。
1969年(昭和44年)12月6日 - 堺筋線天神橋筋六丁目駅 - 動物園前駅間開通と同時に地下鉄北浜駅開業。
なお地上には、1968年(昭和43年)4月30日まで大阪市電の北浜二丁目電停があった。
1979年(昭和54年)1月20日 - 京阪駅に点字運賃表設置。
1980年(昭和55年)5月1日 - 朝夕のラッシュ時に禁煙タイム実施。
1985年(昭和60年)4月22日 - 京阪北浜駅、ホームを8両編成対応に延長され使用開始。
1987年(昭和62年)
1月25日 - 京阪北浜駅、中央改札口使用開始。
6月24日 - 京阪北浜駅、冷房化。


1988年(昭和63年)9月1日 - 京阪北浜駅、駅構内「終日禁煙」を実施。
1993年(平成5年)6月1日 - 京阪北浜駅、駅改良工事竣工、車椅子対応エスカレーター・車椅子対応トイレ設置。
2005年(平成17年)3月31日 - 淀屋橋駅 - 北浜駅間地下コンコースをリニューアル。
2013年(平成25年)9月30日 - 京阪北浜駅、防災監視盤更新工事が完成。
2014年(平成26年)12月19日 - 京阪駅に「ホーム異常通報装置」を設置。
2015年(平成27年)11月24日 - 京阪駅に2番ホームに足下灯を設置。
2016年(平成28年)6月7日 - 京阪駅のきっぷうりばに自動定期券発行機を設置。ただし、当駅は通勤定期券・通学定期券ともに継続定期しか購入できないため、新しく定期券を購入する際は淀屋橋駅や天満橋駅、京橋駅などを利用する必要がある。
2018年(平成30年)4月1日 - 大阪市交通局の民営化により、堺筋線の駅は大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅となる。

駅番号 K14
所属事業者 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro Logo.svgOsaka Metro)
所属路線 K 堺筋線
キロ程 1.3km(天神橋筋六丁目起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 33,391人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 68,094人/日
-2016年-
開業年月日 1969年(昭和44年)12月6日

フライバードTN 150CC 1951年 土井産業

$
0
0



土井産業は、戦時中、航空機用の部品を専門に制作していた。戦後いち早く、その技術を生かして1949年からオートバイに着手した。フライバードTNは、第一号車で、直立単気筒(OHV)150CC,4サイクル、手動2段変速。直立したエンジンヘッドはタペットカバーもなく、バルブスプリングむき出しのエンジンは、戦前のイギリス車をモデルにしている。およそ5,000台製造した。
戦後初のビッグレース、1953年の名古屋T.Tレースには改良型のABと共に出場した。

空冷4サイクル 単気筒(OHV)143cc ボア・ストローク55. 0 X60.0mm 2ポート排気式 最高速度80km/h 始動キック 前進2段(右手動式) サスペンション前ガータースプリングホーク(松葉式) 後リジット 車重80kg ヘッドライト(自転車用発電機) ホーン ゴムラッパ式

土井産業株式会社(どいさんぎょう、Doi Sangyo Co., Ltd. )とは、愛知県小牧市に本社を置く建設機械や土木特殊機械の修理・メンテナンス・販売を行う会社である。
1944年4月25日 - 土井航空機工業株式会社を設立。
1945年8月 - 社名を土井産業株式会社に変更。
1948年3月 - 自社製ミシンの製造開始。
1951年3月 - 軽自動二輪車(フライバード号)の製造開始。 
1953年6月 - 建設機械・特殊車輌の整備、 改造製造の研究部を設立。建設機械一般の整備に従事。
1959年9月 - 神戸製鋼所(コベルコ)の中部地区指定工場(建設機械部門・コンプレッサ部門)となる。
1962年2月 - 小牧工場(現在の小牧営業所)完成し操業開始
1965年1月 - 神戸製鋼所及び神鋼商事の販売代理店となる。
1972年2月 - 東海営業所開設
1974年12月 - 静岡営業所開設
1976年11月 - デンヨーの販売代理店、サービス工場となる。
1976年12月 - 豊橋営業所開設
1983年10月 - 神戸製鋼所建設機械の中部地区総代理店となる。
1984年4月 - ヤンマーディーゼルの販売代理店、サービス工場となる。
1986年6月 - 神鋼コベルコ建機の販売指定代理店、サービス指定工場となる。
1997年7月 - コベルコ・コンプレッサの販売代理店サービス指定工場 となる。
1997年12月 - 本社新社屋完成
1999年10月 - コベルコ建機の販売指定代理店、サービス指定工場となる。
2004年4月 - コベルコクレーンの販売指定代理店、サービス指定工場となる。
2007年3月 - コベルコクレーン、コベルコ・コンプレッサと資本提携

伊豆箱根鉄道 小田原駅

$
0
0


頭端式ホーム1面2線(残り1面は未使用)を使用している。ダイヤ上、列車は1番線と2番線を交互に発着している。駅番号はID01。

のりば
番線 路線 行先
1・2 ■大雄山線 相模沼田・和田河原・大雄山方面


駅構内設備
駅舎は独立した建物になっており、駅の2階に当たる。コンコース内に多目的トイレがある。売店は改札内にあり、駅3階には系列の旅行会社がある。東西自由通路との連絡通路がある。

伊豆箱根鉄道株式会社(いずはこねてつどう、英: IZUHAKONE Railway Co., Ltd. )は、神奈川県の小田原・箱根地区と静岡県の伊豆地区において、鉄道事業、船舶事業、レジャー・サービス業、不動産業、自動車道事業等を行っている西武グループの企業である。本社所在地は静岡県三島市大場300。地元ではその社名から「いずっぱこ」あるいは「いずはこ」と呼ばれている。2017年(平成29年)11月5日に、前身の駿豆鉄道から創業100周年を迎えた。

駿豆線・大雄山線とも沿線に高校、工場などがあり通勤、通学輸送としての面が強いが、駿豆線に関しては沿線に観光地が多くJRより特急列車が乗り入れているために観光客も多い。

駿豆線と大雄山線はそれぞれ静岡県内、神奈川県内に路線があり、両線は直接つながっていない。駿豆線は三島駅で、大雄山線は小田原駅で東海道本線と連絡しており、両線を乗り継ぐ場合は東海道本線を介して乗り継ぐことになる。また車両の検査や修繕などは駿豆線にある大場工場で行っているため、大雄山線の車両の検査の際は東海道本線小田原 - 三島間を甲種輸送して同工場に入出場している。

現有路線
駿豆線 : 三島駅 - 修善寺駅 19.8km
大雄山線 : 小田原駅 - 大雄山駅 9.6km
十国鋼索線(箱根十国峠ケーブルカー) : 十国登り口駅 - 十国峠駅 0.3km
廃止路線
軌道線 : 三島広小路停留場 - 沼津駅前停留場 5.9km
湯河原索道線(湯河原ロープウェー) : 湯河原峠駅 - 鞍掛山駅 0.9km
駒ヶ岳鋼索線(箱根駒ヶ岳ケーブルカー) : 駒ヶ岳登り口駅 - 駒ヶ岳頂上駅 0.7km
移管路線
駒ヶ岳索道線(箱根駒ヶ岳ロープウェー) : 箱根園駅 - 駒ヶ岳頂上駅 1.8km - 2016年2月1日にプリンスホテル(箱根園)に移管。
車両
駿豆線はJRからの乗り入れもあり全車両が20m車であるが、大雄山線は車両限界の関係から18m車以下である。同線は自社発注車の5000系で統一されたのに対して、駿豆線には譲受車も在籍しているので、平均車齢は大雄山線の方が低い。

また西武鉄道グループの会社らしくケーブルカーの外装はライオンズカラー、旅客用電車の外装はライオンズブルーの帯となっている。ライオンズブルーは西武より採用が早かった。


現有車両
駿豆線
7000系
3000系
1300系(元西武新101系)
電気機関車

ED31形
貨車

ホキ800形
ワブ11形
トム60形
トム500形

伊豆箱根鉄道 小田原駅
おだわら
ODAWARA
(0.4km) 緑町 ID02 ►
所在地 神奈川県小田原市栄町一丁目1-5
北緯35度15分22.5秒
東経139度9分22.5秒
駅番号 ID01
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 ■大雄山線
キロ程 0.0km(小田原起点)
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 8,858人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1935年(昭和10年)6月16日

マツダ・AZ-ワゴン4代目 MJ23S型(痛車けいおん!)

$
0
0

AZ-ワゴン(AZ-WAGON)は、マツダが販売していた軽トールワゴンである。スズキ・ワゴンRのOEM車種。ラインナップは基本的に同一で、ドレスアップモデルの「カスタムスタイル」(スズキ・ワゴンRスティングレー相当)も設定していた。AZは、マツダのディーラー網のひとつであるオートザムの略。

2008年9月29日、フルモデルチェンジ。ワゴンRとの違いはペンタゴングリルと専用のフロントバンパー(吹き抜けになっている部分が五角形)が与えられている程度でほかはワゴンRと共通である。グレード体系はノーマルタイプが「XF」・「XG」・「XS」・「XT」の4グレード、「カスタムスタイル」が「XS」・「XT」・「XT-L」の3グレードとなった。なお、この代からターボ車(XT、カスタムスタイルXT、カスタムスタイルXT-L)と「カスタムスタイルXS」にCVTが搭載された(「カスタムスタイルXS」は4AT車も用意されている。なお、この時点でターボ車を除くノーマルタイプにはCVT車の設定が無かった)。また、廉価グレードの「XF」は2WD・4ATのみの設定である。(ワゴンRの廉価グレードである「FA」では、5MT車(2WD/4WD)や4AT・4WD車も設定されている)

2009年6月5日、「XS」をベースに、LEDサイドターンランプ付ドアミラー、フルオートエアコン、本革巻ステアリングホイール、タコメーター付き自発光式メーターパネル(カスタムスタイルと同一品)、シートリフター&チルトステアリング等を装備し、質感や快適性を向上した特別仕様車「XSスペシャル」を発売(特別装備の内容は同年5月に発売されたワゴンRの「FXリミテッドII」とほぼ同等である)。なお、「XSスペシャル」の2WD車には4AT車と共に、CVT車が設定された。

2009年10月、仕様変更。ノーマルタイプは「XF」・「XS」・「XT」を廃止する替わりに、特別仕様車として発売していた「XSスペシャル」をカタロググレードに格上げした(同時に4WD車をCVTに変更)。「カスタムスタイル」は「XS」の4WD・4AT車を廃止。また、ボディカラーの整理も行われ、「クリアベージュメタリック(ノーマルタイプ専用)」と「クラッシーレッドパール(「カスタムスタイル」専用)」を廃止した。

2010年8月23日、一部改良。CVT車(「XSスペシャル」・「カスタムスタイルXS」)は6代目マツダ・キャロルにも採用されている副変速機構付CVTに置換され、加速性能と燃費性能を向上。これにより、4WD・CVT車において、既に適合されている環境対応車普及促進税制における自動車取得税・自動車重量税の減税額を75%に引き上げた。また、5MT車を除く全車にエコドライブインジゲーターを追加し、シートとドアトリムのデザインを変更。「XG」にはボディカラーに「アクアベールブルーパールメタリック」を追加。「カスタムスタイルXT」も副変速機構付CVTに置換されて加速性能を向上させ、15インチタイヤ&アルミホイールを採用すると共に、オーディオレス化。また、2WD車は「平成17年排出ガス基準75%低減レベル(☆☆☆☆)」を取得し、新たに環境対応車普及促進税制に適合した。なお、グレード体系が一部見直され、「カスタムスタイルXT-L」を廃止、「カスタムスタイルXS」はCVTのみの設定となった。

2011年12月21日、特別仕様車「XSリミテッド」・「カスタムスタイルXSリミテッド」を発売。「XSスペシャル」・「カスタムスタイルXS」をベースに、ヘッドランプをブラックメッキに変更し、セーレンの「ラックススエード」を採用したシート表皮、ブルーステッチ付専用本革巻ステアリングホイール、リモート格納ミラー、運転席シートヒーター(2WD車のみ、4WD車はベース車に標準装備)を装備し、オーディオレス化。さらに、前者はディスチャージヘッドランプ(ロービーム、オートレベリング機構付)、ルーフアンテナ、ガンメタリック塗装の14インチアルミホイール、アームレストボックスも装備し、インパネやドア内側をブラックで統一。後者はドアミラーLEDサイドターンランプと15インチアルミホイールも装備し、インパネ・フロントドアトリム・フロントスピーカーにブルーイルミネーションを施した。

2012年10月25日、販売終了。OEM元のワゴンRのフルモデルチェンジに伴い、マツダが販売するOEM車種もフルモデルチェンジされた際、車名をフレアに変更し、AZ-ワゴンの車名は18年の歴史に幕を降ろした(エアロシリーズの名称「カスタムスタイル」は継承)。

販売期間 2008年 - 2012年
乗車定員 4名
ボディタイプ 5ドア 軽トールワゴン
エンジン K6A型 660cc 直3 DOHC VVT
K6A型 660cc 直3 DOHC ターボ
駆動方式 FF/4WD
変速機 CVT/4AT/5MT
サスペンション 前:ストラット式
後:I.T.L式
全長 3,395mm
全幅 1,475mm
全高 1,660mm
(カスタムスタイルは1,675mm)
ホイールベース 2,400mm
車両重量 800 - 930kg
製造事業者 スズキ
姉妹車/OEM スズキ・ワゴンR(4代目)
後継 マツダ・フレア

けいおん!
『けいおん!』(K-ON!)は、かきふらいによる日本の4コマ漫画作品、およびそれを原作としてメディアミックスで製作される作品群。
部員0で廃部寸前の私立桜が丘女子高等学校(桜が丘高校)軽音部。唯、律、澪、紬の4人の生徒がバンドを組み、ゼロから部活動を行っていく。途中からは新入生の梓も加わり、5人となる。軽音部の結成から卒業までの3年間を描く。
原作の展開
芳文社の月刊4コマ漫画誌『まんがタイムきらら』にて2007年5月号から連載を開始。『まんがタイムきららキャラット』では数回のゲスト掲載を経て、2008年10月号からしばらく隔月連載された。2009年6月には『まんがタイムきららフォワード』(8月号)にもゲスト掲載された。
2010年9月9日発売の『まんがタイムきらら』2010年10月号をもって完結、連載を終了。その後『まんがタイムきらら』2011年3月号において、同年春より「再始動」すると発表、詳細を同年4月号で明らかにすると告知、『まんがタイムきらら』2011年5月号より唯・澪・律・紬の卒業生4人の大学進学後を描いた「大学編」で連載を再開し、同時に『まんがタイムきららキャラット』2011年6月号より梓・憂・純の在校生3人を描いた「高校編」の連載を開始することが発表され、同年4月よりそれぞれ連載を再開した。

大学編は『まんがタイムきらら』2012年7月号(唯・澪・律・紬の大学1年の学祭)で、高校編は『まんがタイムきららキャラット』2012年8月号(梓・憂・純の学祭終了後、軽音部卒業)でそれぞれ連載終了し、まんがタイムきららにおける連載開始から5年3か月(半年間のブランクも含む、大学生編・在校生編は1年3か月)の歴史に幕を閉じた。単行本は『けいおん!』全4巻、大学編の単行本『けいおん! college』と高校編の単行本『けいおん! highschool』各1巻ずつの計全6巻が発売されている。

本格的なバンド活動の描写よりも、メンバーたちののんびりとした日常を描写することに視点が置かれている。作者のかきふらいは初連載作品として本作を手がけるにあたり、大学時代に経験したバンド活動を題材に選び、主人公・平沢唯を音楽の初心者に設定することで、音楽に詳しくない読者にも読める漫画を目指したという。
作中での時間経過が現実とリンクしており、第1話が掲載された『まんがタイムきらら』2007年5月号(同年4月発売)で新入生として登場した主人公たちは毎年4月になるたびに進級している。また、作中で行われる季節のイベントも、そのエピソードの掲載時期に則したものになっている。ただし、高校3年生の冬を迎えた2010年1月号辺りから徐々に時間経過にずれが生じ、主人公たちの卒業式を描いた最終回は2010年10月号に掲載された。
2018年6月発売の『まんがタイムきらら』7月号にて、新作となる「けいおん!Shuffle」が同誌2018年8月号から掲載されることが発表された。
登場人物たちについて
原作では音楽に関する言及が少なく、登場人物たちの詳しい音楽性や嗜好ジャンルは語られていない。嗜好ジャンルについては、テレビシリーズ第1期BD封入特典のキャラクター・プロフィールカードに記述されている。

登場人物の名前は放課後ティータイムのメンバーの姓が音楽グループのP-MODELのメンバー、他の登場人物の姓がthe pillowsのメンバーにちなんだものになっていることがファンの間から指摘されており、P-MODELのメンバーの一人であった平沢進は、自身のTwitterのフォロワー数が増えたことに関して「間違えてないか?私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない」と本作に言及するツイートを残した。さわ子を含む登場人物はパートもそれぞれ同姓の人物と揃っているが、梓のみ異なっている。

 

牧之郷駅 伊豆箱根鉄道駿豆線

$
0
0

牧之郷駅(まきのこうえき)は、静岡県伊豆市牧之郷にある伊豆箱根鉄道駿豆線の駅である。

駅番号はIS12。旧修善寺町北端の小集落に位置する小駅です。

駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。

駅舎のない無人駅で、1番線には乗車駅証明書発行機が、2番線にはタッチパネル式自動券売機と隣の修善寺駅につながるインターホンがある。

自動券売機は2009年に駿豆線の普通列車全てがワンマン化された際に設置されたタッチパネル式のもので、この自動券売機が稼働していない時間帯のみ2番線の乗車駅証明書発行機が使用される。


特急列車同士のすれ違いをすることがある。


接近放送があり、上下ホームともに女性の声による案内放送が流れる。また、接近表示機からは電子音が流れる。

のりば
1 ■駿豆線(下り) 修善寺方面


2 ■駿豆線(上り) 大仁・伊豆長岡・大場・三島方面


ホームは線内の他駅とは異なり、上下線で発着ホームが分離されています。


ホームへは緩やかなスロープで直接連絡します。


立派な上屋が設置されています。

駅周辺
吉原山玉洞院 - 駅東方。曹洞宗の寺院。伊豆八十八箇所霊場5番札所。
静岡県道80号熱海大仁線
狩野川


利用状況
「静岡県統計年鑑」によると、2004年度の一日平均乗車人員は246人

 

 

 

 

1924年(大正13年)8月1日 - 大仁 - 修善寺間開業と同時に開業。
1971年(昭和46年)5月1日 - 無人駅となる。


2015年(平成27年)3月27日 - 田京 - 修善寺間で、 鉄道総研が超伝導送電技術を用いた世界初の列車走行試験に成功。


牧之郷駅
まきのこう
Makinoko
◄IS11 大仁 (2.0km)(1.2km) 修善寺 IS13►
所在地 静岡県伊豆市牧之郷535-2
北緯34度59分19.15秒 東経138度57分15.68秒


駅番号 IS12
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 ■駿豆線
キロ程 18.6km(三島起点)


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 232人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 457人/日
-2016年-
開業年月日 1924年(大正13年)8月1日
備考 無人駅

Viewing all 3251 articles
Browse latest View live