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東中間駅 筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線

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東中間駅(ひがしなかまえき)は、福岡県中間市東中間三丁目にある筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線の駅。駅番号はCK12。駅周囲には閑静な住宅地が広がっています。

相対式ホーム2面2線の地上駅。上りホームには店舗が併設されている(現在はネイルアートの店)。無人駅。

のりば
ホーム 路線 行先 備考
1 ■筑豊電鉄線 楠橋・筑豊直方方面
下りホームには駐輪場が隣接しています。

2 永犬丸・黒崎駅前方面
ホームにはスロープで連絡します。

ホームは踏切を挟んで千鳥に位置します。
上屋下にはFRP製の椅子が多数並んでいます。


駅周辺
セブン-イレブン福岡中間店(駅の隣)
梅安天満宮(徒歩6分) - 県道中間引野線沿いにある。梅の名所として知られる。
日本郵政徳若郵便局
中間東幼稚園
扇ヶ浦団地
中間市立中間東中学校


2013年度の1日平均乗降人員は730人である。


1956年(昭和31年)10月15日 - 開業。

東中間駅
ひがしなかま
Higashi-Nakama
◄CK11 通谷 (0.5km)(0.7km) 筑豊中間 CK13►
所在地 福岡県中間市東中間三丁目
北緯33度49分12.06秒
東経130度43分16.48秒
駅番号 CK 12
所属事業者 筑豊電気鉄道
所属路線 筑豊電気鉄道線
キロ程 7.2km(黒崎駅前起点)


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 730人/日
-2013年-
開業年月日 1956年(昭和31年)10月15日
備考 無人駅

 


トヨモーター R型改 60CC 1950年

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R型改はエンジンキットで販売されるバイクモーターではなく、車体込みの完成車が欲しいという市場の要望に子与えて制作された完成車。

エンジンを後輪の横に取り付けることで、衣服がエンジンで汚れない利点があったが、一方で、エンジンが車体中央にある一般的なオートバイに見える中付仕様が好まれる傾向もあった。

このR型改はR型のエンジンカバーなどを使用しながら再生された車両である。

トヨモーター R - 1950年。空冷2サイクル単気筒88cc。

国鉄C12形蒸気機関 (C12 222)

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国鉄C12形蒸気機関車(こくてつC12がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式のタンク式蒸気機関車である。軸重制限のある簡易線規格路線用の小型軽量な機関車として設計され、本形式からテンダー式のC56形が派生した。昭和時代に入り主要幹線の整備が一通り終わると、大きな需要の見込めない閑散支線の建設が進められた。しかし折からの経済恐慌が深刻化し、建設費を低く抑えるため簡易線が数多く建設された。このような路線には軸重が軽く、運転コストの低い新形の小型機関車が要求されたため、C12形が製造されることになった。

鉄道省(国鉄)向けとしては1932年(昭和7年)から1940年(昭和15年)まで、および1947年(昭和22年)に282両が製造されている。製造メーカーは川崎車輛、汽車製造会社、日立製作所、日本車輌製造、三菱重工業の5社である。火室は深く設計され焚火(ふんか)しやすく、38号機以降は、アーチ管を増設して伝熱面積を増加し、蒸発量を増やす改良が行なわれている。このほか鉄道省以外に納入され、戦時買収などにより鉄道省に引き継がれ、C12形に編入された同形車が11両 (C12 265 - 275) あるため、ラストナンバーはC12 293となっている。なお、基本的にはデフレクターを装備していないが、C11形と同型のデフレクターを装備した車両も少数だが存在した。


鉄道省以外向けの同形機
小型軽量で軸重が軽いC12形は、国鉄規格の車幅が特認を要するものの地方私鉄や産業用鉄道向けにも最適で、同形機が外地を含む全国各地の私鉄や専用鉄道などに37両が製造・供給されている。このうち11両は、台湾総督府鉄道および樺太庁鉄道向けに製造されたものである。鉄道省向けの製造は1940年(昭和15年)で一段落しているが、民間向けの製造はそれ以後に行なわれたものが多い。これらのうち、樺太庁鉄道に納入された4両は南樺太の内地化により、播丹鉄道(現在の加古川線)に納入された1両、相模鉄道(現在の相模線部分)に納入された2両、小倉鉄道(現在の日田彦山線)に納入された4両は戦時買収により鉄道省籍に編入され、国鉄の番号を与えられた。なお、国鉄籍のC12形にはお召し列車牽引の記録がないが、島原鉄道の4 (→ C1205) は購入後間もない1949年(昭和24年)5月25日に牽引にあたっている。

軍の要請による供出
C12形はC56形とともに軽量小型を買われ、戦時中の作戦に用いるため軍部の徴発を受けることになった。1938年(昭和13年)から1939年(昭和14年)にかけて60両が1m軌間に改造され、北支(中国大陸)の華北交通へと送られている。中華人民共和国成立後は、プレ51形、その後PL51形と改称され、そのうち一部はのちにベトナムに送られ、PL131型として専用線で健在である。1943年(昭和18年)には2両が供出され、1,067 mm軌間のままジャワに送られている。戦後はインドネシア国鉄に編入され、C32形 (C3201, C3202) となって、1970年代まで使用された。

国内に残ったC12形
戦後も国内に残った残存機、および戦後に補充製造された新製機は全国各地の比較的短距離の閑散線区、あるいは入換用として長く使用された。気動車の進出に伴い1959年から廃車が始まったが、貨物輸送のある簡易線などの需要もあり、後継機の開発の遅れから蒸気機関車の末期まで使用された。

保存機
SL末期まで使用された形式にもかかわらず、梅小路蒸気機関車館には収蔵されなかったが、各地で静態保存されており、そのうちの2両が動態復元された。現在、動態保存としての運転が行われているのは1両のみである。

動態保存機
現在、日本国内では真岡鐵道にC12 66が動態で保存されている。
C12 66は1994年に復元されたもので、福島県川俣町の国鉄川俣線(廃線)岩代川俣駅跡地で静態保存されていたものを復活させた。「SLもおか」のメイン牽引機だが、1998年12月に北海道の留萌本線にて走行実績を持つ。これは、NHKの連続テレビ小説『すずらん』の撮影のためのもので、同時に貸し出された高崎車両センターの旧型客車2両と共に、雪深い北の大地を走り抜けた。JR東日本乗り入れ用のATS-SNを装備しているが、上記の北海道以外でのJR線での運転は今のところ実績が無い。ただし、例外として定期検査を受け持つ大宮総合車両センターにおいて、例年5月に開催されるJRおおみや鉄道ふれあいフェアのイベントにも登場している。この際、2014年の開催では大宮工場時代を含め操業120周年を迎えたことから、検査終了間際の時に走行する試験線を利用して高崎車両センターの旧型客車3両及び折り返し用のDE10形を連結して体験乗車を行っている。

このほか、台湾にも同形のCK124が動態で残っており、2008年4月、台湾北部の平渓線で観光列車として月一回の運行が開始された。 また、静態保存機の中でも、鳥取県の若桜鉄道若桜駅に現在置かれているC12 167については、駅構内の専用線路での自力走行を可能にするべく整備が行われ、現在は、コンプレッサーによる圧縮空気を動力源として、展示線にて運転が行われている。将来的に火を入れて、本来の動態保存機としての復元に向けて、復元にかかる費用の募金活動が行われている。同様に明智駅展示のC12 244についても、リニア中央新幹線の開業に合わせて営業運転を行うべく、復元する計画があり、2015年8月10日には明智駅構内を圧縮空気を使用してデモ走行を行った。

静態保存機
小樽市総合博物館をはじめ、全国各地に静態保存機がある
C12 222 - 福岡県北九州市小倉北区・九州旅客鉄道小倉総合車両センター(2003年7月1日まで、福岡県福岡市東区「和白小学校」内にて保存されていた)


国鉄C12形蒸気機関車
基本情報
運用者 鉄道省→日本国有鉄道
製造所 日立製作所、三菱重工業
川崎車輛、汽車製造
日本車輌製造
製造年 1932年 - 1947年
製造数 282両
主要諸元
軸配置 1C1
軌間 1,067 mm
全長 11,350 mm
全高 3,900 mm
機関車重量 50.05 t
動輪上重量 32.00 t(運転整備時)
動輪径 1,400 mm
軸重 10.90 t(第3動輪上)
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程) 400 mm × 610 mm
弁装置 ワルシャート式
ボイラー圧力 14.0 kg/cm2
大煙管
(直径×長さ×数) 127 mm×3,200 mm×16本
小煙管
(直径×長さ×数) 45 mm×3,200 mm×68本
火格子面積 1.30 m2
全伝熱面積 73.3 m2
過熱伝熱面積 19.8 m2
全蒸発伝熱面積 53.5 m2
煙管蒸発伝熱面積 46.1 m2
火室蒸発伝熱面積 7.4 m2
燃料 石炭
燃料搭載量 1.50 t
水タンク容量 5.5 m3
制動装置 自動空気ブレーキ
最高運転速度 75 km/h
最大出力 592 PS
動輪周出力 505 PS
シリンダ引張力 8,290 kg

ひろしまリバークルーズ・WATER TAXI  二代目

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ひろしまリバークルーズ

ひろしまの美しい川を楽しく水上散歩!
ひろしまリバークルーズは広島市内の川を楽しく遊覧しています。
美しいひろしまの川や街並み等、四季折々の風景が楽しめます。


広島がよくわかる観光ガイドもやっています。
通常は「ENKOU」12名乗りの遊覧船で運航しています。
原爆ドームの近くから気軽に乗船できる。


解放感あふれる楽しい遊覧船でひろしまの川をのんびり25分の水上散歩。
ゆっくり進む船から外を見れば、美しいひろしまの町並みを望めます。
川沿いの緑、原爆ドームなど、川面からの景色をお楽しむことができる。
春は桜、秋は紅葉が美しく、四季のうつろいを感じることができるコースです。

所要時間
25分
開催期間
2018年05月01日~2018年11月30日

集合場所MAP
〒730-0051
広島県広島市中区大手町1-9
元安橋桟橋
体験場所
〒730-0051
広島県広島市中区大手町1-9
元安橋桟橋

WATER TAXI
【WATER TAXI】広島駅前「川の駅」発 ⇒ 平和公園行 片道約30分クルーズ 

広島駅前「川の駅」から平和公園までの約30分観光ルートです。
猿猴川・京橋川・本川・元安川の4本の川を通る新観光ルートです。
川面から自然いっぱいの美しい風景をお楽しむことができる。
ひろしまの観光ガイドもしています。

開催期間 2018年05月02日~2018年10月31日
所要時間 30分
料金に含まれるもの 乗船料(税込) 小学生未満の乳幼児は大人1名に付1名無料
1予約あたりの予約可能人数 2人~6人
集合場所 広島県広島市南区猿猴橋町ビックフロント広島広場
広島駅前「川の駅」
(広島駅南口より徒歩5分 エールエール地下広場経由9番出口のすぐそば )

希望が丘高校前駅 筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線

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希望が丘高校前駅(きぼうがおかこうこうまええき)は、福岡県中間市土手ノ内二丁目にある筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線の駅である。

開業時には土手ノ内と称した駅です。駅番号はCK14。ユネスコ世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」のひとつである遠賀川水源地ポンプ室までの最寄り駅となるため、2015年7月10日より世界遺産遠賀川水源地ポンプ室の副駅名がつけられた。

駅名にもある高校から徒歩5分に位置し、朝夕は多くの通学利用で賑わっています。

駅構造
相対式ホーム2面2線。

のりば
ホーム 路線 行先 備考
1 ■筑豊電鉄線 楠橋・筑豊直方方面
ホームは構内踏切で結ばれています。

2 永犬丸・黒崎駅前方面
上りホームには定期券発売所が設置されています。

駅周辺
駅周辺は細い路地が入り組む住宅街となっている。駅前に駐輪場があり、奥にはトイレも設置されています。

希望が丘高等学校(徒歩5分)
ハローディ中尾店(徒歩約10分)
土手ノ内郵便局
八幡製鉄所遠賀川水源地ポンプ室


2013年度の1日平均乗降人員は955人である。

1958年(昭和33年)4月29日 - 土手ノ内駅(どてのうちえき)として開業。
2008年(平成20年)10月1日 - 希望が丘高校前駅に改称。
この改名に伴い、改称記念式典が行われたほか、記念乗車券などの発売も行われた。
2013年(平成25年)5月1日 - 定期券・回数券発売所閉鎖。
2015年(平成27年)7月10日 - 副駅名・世界遺産遠賀川水源地ポンプ室駅が追加された。

希望が丘高校前駅*
きぼうがおかこうこうまえ
Kibōgaoka-Kōkōmae
(世界遺産遠賀川水源地ポンプ室)
◄CK13 筑豊中間 (0.9km)(1.4km) 筑豊香月 CK15►
所在地 福岡県中間市土手ノ内二丁目26-16
北緯33度48分31.52秒
東経130度42分41.38秒


駅番号 CK 14
所属事業者 筑豊電気鉄道
所属路線 筑豊電気鉄道線
キロ程 8.8km(黒崎駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗降人員
-統計年度- 955人/日
-2013年-
開業年月日 1958年(昭和33年)4月29日


備考 無人駅
* 2008年土手ノ内駅から改称。

485系電車(クハ481-256)特急列車にちりん

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485系電車(485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。
1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化では地上設備の低廉性などから交流電化を推進し、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。さらに特急列車の運転区間が地方線区に拡大され、上述の異電源方式区間への直通運転要求に応えるために製造されたのが本系列である。1964年(昭和39年)から関西⇔北陸・九州用に直流/交流60Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東⇔東北用に直流/交流50Hz対応の483系電車が製造された。1968年からは交流の周波数が50・60Hz両対応となった485系電車が製造され、本系列の統一形式名となった。
1971年には派生系列として信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63形補助機関車との協調運転に対応した489系電車の製造も開始された。
本系列は1979年(昭和54年)まで製造が行われ、四国を除く日本各地の特急列車に投入された。当初は主に東京・大阪・名古屋などの大都市圏と交流電化された東北・北陸・九州方面直通特急で、山陽・東北・上越の各新幹線開業後は新幹線連絡特急などで運用された。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)・東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)に継承され、引続き特急運用に投入された。ただしJR北海道へは改造用種車として付随車のみの継承であったが、1両も改造されずに全車廃車となった。1990年代以降では団体専用列車用ジョイフルトレインへの改造も施工された。しかし新幹線の延伸開業などによる運用の減少・老朽化・後継系列の置換えにより廃車が進行。2017年3月3日に定期運用が終了した。

外観・設備
外観は151・161系→181系の流れを踏襲しており、先頭部は同様のボンネット型を採用した。ただし1972年以降製造の後期形クハ481形は、ほぼ同時期に登場した183系電車と同様のデザインに変更されたため定員が8人増加した。
床下機器の寸法に合わせ床面の高さを近郊形・急行形の車両よりも10mm高い1,230mmとし、屋根高さも151系に比べて120mm高くなった。運用路線のプラットホーム高さに合せるべく扉にはステップを設置し、東北・北陸などの寒冷地区投入を考慮した耐雪耐寒構造で製造された。また側扉は当初は普通鋼製であったが、1968年以降の製造車は内側が無塗装のステンレス製に変更された。
サービス面では側面行先表示に当初は従来通りサボを使用したが、481系・483系では自動巻取式方向幕搭載準備工事が国鉄車両としては初めて施工され、1968年以降製造された485系では新製時より搭載された。表示器は当初18コマ、中期形以降は40コマ対応となり後に後者へ統一された。
冷房装置は、前期形ではAU12形分散式冷房装置1基ないし2基をキノコ形ケースに収め先頭車は5基、中間車は6基を屋根上に搭載する。ただしモハ480形・モハ482形・モハ484形・モハ488形は、パンタグラフや交流機器などの艤装スペースとの関係からAU12形は3基搭載に制限され冷房能力が不足するため車内機器室に床置形のAU41形を3基搭載する。しかし後期形以降では大幅に変更された。
主要機器
制御方式は、直流電化区間では架線電源をそのまま使用し、交流電化区間では変圧器で降圧後に整流器で直流にする401系・421系電車からの一貫した手堅い間接式の機器構成を踏襲したMM'ユニット方式による抵抗制御を採用。M車には山岳区間での使用も考慮して抑速ブレーキを搭載した自動ノッチ戻し機構付きのCS15系制御装置を、M'車には交流区間で直流電源を供給する主変圧器・主整流器などの機器を搭載する。
主電動機は定格出力120kWのMT54系直流直巻電動機を特急形電車としては初めて搭載。歯車比22:77(1:3.50)によりMT比1:1でも20‰程度の勾配を登坂可能で経済性が向上し最高運転速度は120km/hとされた。
台車は揺枕吊を廃止したインダイレクトマウント式空気バネ台車DT32A形を電動車に、TR69A型を付随車に装着。増備中に何度か改良型へのマイナーチェンジも実施した。
パンタグラフは設計段階でBT饋電方式の交直・交交セクション通過時トラブルを懸念して1基搭載案があったものの直流区間では離線対策から2基搭載使用となった。国鉄末期以降は架線の損耗減少対策から130km/h運転を実施していた湖西線を除いて原則として第2パンタグラフの使用中止もしくは撤去した。ただしJR東日本の一部車両では架線霜取のため2基使用を行う。
新造車
横軽区間用協調機器を搭載する489系を除き主変圧器の対応周波数に関係しない制御・付随車は481形が483系・485系でも引続き増備された[注 1]。またサロ481形九州配置車は1980年に食堂車の連結が中止されたため1979年以降に洋式トイレ・洗面所を車販準備室に変更する改造を施工したほか、サシ481形は食堂営業廃止による不連結や他形式への改造により1989年に廃形式となった。

481系
交流60Hz対応車で新製時には向日町運転所(後の京都総合運転所→現・吹田総合車両所京都支所)へ集中配置された。
北陸本線金沢 - 富山操車場(現・富山貨物)間交流電化完成により1964年10月1日のダイヤ改正で新設された「雷鳥」「しらさぎ」への充当を目的にモハ481形・480形電動車ユニット11組22両と制御・付随車19両の計41両が新製されたが、車両落成が同年10月末と遅れた影響などにより運転開始は12月25日に延期された。
翌1965年には151系で運転されていた九州特急「つばめ」「はと」の下関以西電気機関車牽引ならびに山陽本線上り広島 - 八本松間補助機関車連結解消目的の置換えで増備された。
クハ481形 (201 - 263)
貫通型への設計変更のほか、210KVA MGと容量を2,100l/minへ変更したMH113-C2000形CPを床下搭載とした上で連結面車体長も21,000mmと短縮されたが、客室スペースは拡大されたため定員は0・100番台から8名増の64名となった。
2016年10月2日付でJR九州大分車両センター所属の256が廃車され区分消滅。
構造的にはクハネ581形・583形同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すが、外扉の開閉は空気シリンダーにより自動化された。正面の列車名表示器は貫通扉幅の制約から小型化された手動式である。
営業運転での正面貫通路の使用開始は1985年3月14日ダイヤ改正による「くろしお」からで、それ以前から使用する見込みのない車両は腐食防止や隙間風対策の観点から外扉の溶接もしくは貫通路を完全に埋込む改造が施工された。
分割併合運用については1976年から長崎本線・佐世保線の「かもめ」・「みどり」でも実施されたが、この時は正面貫通路を一切使用していない。
本区分は全部で63両が製造されたが、新造時にその2/3に当る201 - 224・227 - 230・235 - 238・254 - 263の42両が青森運転所に、225・226・231 - 234・239 - 253の21両が向日町運転所に集中配置された。
青森には100番台車も10両が配置されていたが、200番台配置に伴い全車が向日町運転所に早期転出となった。これは当時東北本線系統と奥羽本線系統の特急を福島駅で分割・併合運転する計画があり準備段階として集中配置を行ったもののホーム有効長の問題・奥羽本線板谷峠急勾配によるM:T比2:1の制約・新形式導入の必要性や輸送量などの諸事情等で計画は白紙に戻された。さらに欠点である隙間風や居住性の悪さが乗務員から敬遠され、300番台以降の非貫通型クハに置換えが進み青森配置車は国鉄時代に北陸・九州地区へ全車転出した。
青森配置車の203・204・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた。これらは分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものだったが、数回テストされたにとどまり、1976年に撤去された。
運転室への昇降は、1972年製造車が足場を設ける方式、1973年製造車が0・100番台と同様の階段式を採用

にちりんは、九州旅客鉄道(JR九州)が小倉駅・大分駅 - 佐伯駅・宮崎駅・南宮崎駅・宮崎空港駅間を、日豊本線・日南線・宮崎空港線経由で運行する特急列車である。
「にちりん」の派生系統で、博多駅 - 宮崎空港駅間を鹿児島本線・日豊本線・日南線・宮崎空港線経由で運行する特急「にちりんシーガイア」、および同じく「にちりん」の派生系統でかつて運行されていた夜行特急「ドリームにちりん」を含めた日豊本線で運行されていた。
特急「にちりん」は、1968年10月1日に博多駅 - 西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)間を日豊本線経由で運行していた同名の急行列車を特急に格上げする形で運行を開始した。当時の日豊本線は幸崎駅以南が非電化であったためキハ80系気動車が使用された。その後、1972年に博多駅 - 大分駅間に485系電車を充当して1往復増発され、1974年4月25日に南宮崎駅まで電化が延長されたのを受けて485系充当の列車は宮崎駅まで延長された。
1975年3月10日のダイヤ改正では、「にちりん」は同日全線開業した山陽新幹線と小倉駅で接続する列車として位置づけられ、従来関西方面と日豊本線を直通していた特急「みどり」の九州内区間を編入する(「みどり」は翌年佐世保線の特急として列車名復活)などして8往復に増発され、同時にエル特急の指定を受けた。1979年に日豊本線の電化が完了し、翌年には気動車による運転を終了した。1982年11月15日のダイヤ改正では、夜行列車を除く日豊本線の優等列車が「にちりん」に統一された。
国鉄分割民営化以降は増発と大分駅発着列車を中心に新型車両の投入が進み、1993年頃までに博多駅 - 大分駅間と博多駅 - 南宮崎駅(西鹿児島駅)間がそれぞれ1時間あたり1本ずつの運行にほぼ統一された。この間下関駅・門司港駅発着の列車が設定された時期もあったが、博多駅発着への統一化に伴い前者は1992年3月13日、後者は1997年3月21日をもってそれぞれ廃止された。
1995年4月20日に宮崎駅 - 西鹿児島駅間が「きりしま」として、1997年3月18日に博多駅 - 大分駅間の列車が「ソニック」として系統分割され、「にちりん」は博多駅 - 南宮崎駅・宮崎空港駅間の列車となったが、この頃から九州自動車道の全通により福岡市と宮崎市を結ぶ高速バス「フェニックス号」が大幅に時間短縮された影響で「にちりん」は特に大分駅 - 延岡駅間での利用不振が目立つようになっていた。そのため、2000年3月11日に「にちりん」は大分駅 - 延岡駅を廃止、博多駅 - 大分駅間は「ソニック」に編入、延岡駅 - 宮崎駅間は「ひゅうが」として系統分割する形で大幅に本数が削減された。
その後、「にちりん」の本数自体は2000年3月10日以前の水準に回復していったが、2001年3月3日に小倉駅発着、2003年3月15日・2004年3月13日に別府駅発着に短縮された。2009年以降はさらに別府駅から大分駅発着への変更が進み、2012年3月17日に大分駅発着に統一された。このようにして、「にちりん」は従来の福岡県と大分県・宮崎県間の輸送、および山陽新幹線接続の役割から、大分県・宮崎県間の輸送、および宮崎空港へのアクセスへと役割を移していった(ただし「ソニック」と大分駅での接続の利便性を図ることで、従来の役割も一部残されている)。
「にちりん」の派生列車
特急「にちりんシーガイア」は1993年3月18日に「にちりん」の南宮崎駅発着列車のうち2往復に787系電車を投入した際に与えられた別愛称であるが、当初から「にちりん」と共通の号数が与えられている。列車名は、同年に開業した宮崎市のリゾート施設、シーガイアに因んでいる。2000年3月11日に783系電車での運行となり、翌2001年3月3日には「にちりん」が小倉駅発着に変更されて一部列車が783系での運行になったことから(このとき「にちりんシーガイア」は1往復に削減されたが、2011年3月12日に上り1本が増発された)、以降は博多駅に乗り入れる「にちりん」としての意味合いが強くなっている。なお博多駅 - 宮崎空港駅間の運行距離は413.1㎞(西小倉駅 - 小倉駅間の重複運転部分も含む)で、2016年3月26日のダイヤ改正以降は夜行列車を除き、定期運行を行うJRグループ在来線の優等列車としては最長距離を走っている。
特急「ドリームにちりん」は「にちりんシーガイア」の運行開始に合わせて、それまで門司港駅 - 西鹿児島駅間で運行されていた夜行急行「日南」を、787系投入の上で博多駅 - 南宮崎駅間の特急に変更する形で運行を開始した。2009年3月14日以降はJR九州管内を運行する唯一の定期夜行列車となっていたが、2011年3月10日出発分の運行をもって廃止された。
このほか、1990年3月から1995年3月までは783系充当の列車を「ハイパーにちりん」、1995年4月から1997年3月までは883系電車充当の列車を「ソニックにちりん」の列車名としていた。
列車名の由来
列車名の由来は、太陽を表す「日輪」を平仮名にしたものである。
「にちりん」の名称自体は、博多駅・門司港駅 - 西鹿児島駅間(日豊本線経由)および博多駅 - 熊本駅間(日豊本線・豊肥本線経由)で運行していた急行「ひかり」が、「ひかり」の愛称を東海道新幹線の超特急に使用するのに伴い列車名の変更を余儀なくされ、1964年10月1日から西鹿児島駅発着編成を「にちりん」とした列車が最初である。この「にちりん」は翌年の9月30日に廃止されるが、1965年3月25日に博多駅 - 西鹿児島駅間を運行する急行列車として列車名が復活し、上記の通り1968年に特急に昇格した。


クハ481-256
JR九州大分車両センターに所属していた元Do32編成の小倉方先頭車。2016年10月2日の廃車[40]と同時に小倉総合車両センター構内で静態展示保存。
国鉄485系電車
(481系・483系・485系・489系)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
西日本旅客鉄道
九州旅客鉄道
製造所 川崎車両→川崎重工業
日立製作所笠戸事業所
日本車輌製造
東急車輛製造(現・総合車両製作所)
汽車製造
近畿車輛
製造年 1964年 - 1979年
製造数 1,453両
運用開始 1964年12月25日
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
交流20,000V(50Hz/60Hz)
最高運転速度 120 km/h*
設計最高速度 160 km/h
起動加速度 1.3 km/h/s (MT比1:1)- 1.6 km/h/s (同2:1)
車体 普通鋼
台車 DT32・TR69
インダイレクトマウント空気バネ台車
主電動機 MT54形直流直巻電動機
主電動機出力 120 kW × 4
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 22:77(1:3.50)
定格速度 72.0 km/h (全界磁)・116.0 km/h (40%界磁)
制御方式 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
制御装置 CS15系制御器
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
勾配抑速ブレーキ
保安装置 ATS-S(登場時)
ATS-P(一部)
ATC-L(3000番台の一部)
備考 * 基本値。湖西線で130km/h、津軽海峡線で140km/h運行を実施。

筑豊香月駅 筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線

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筑豊香月駅(ちくほうかつきえき)は、北九州市八幡西区高江二丁目にある筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線の駅である。駅番号はCK15。駅の立地は香月市街地で駅南側は田園風景が広がってます。

頭に「筑豊」と付くのは、かつて国鉄香月線にも「香月駅」があり、区別のために会社名を冠していた名残である。

駅構造
駅舎はなく、相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。無人駅。ホームにはスロープで連絡します。

のりば
ホーム 路線 行先 備考
1 ■筑豊電鉄線 楠橋・筑豊直方方面


2 永犬丸・黒崎駅前方面
上りホームには、半オープン式待合室が設置されています。


駅周辺
駅前には駐輪場があります。。
駅南側は楠橋駅付近まで広大な水田地帯となっている。一方、北側は閑静な住宅街。一般的に香月と呼ばれる市街地区域からはやや離れた位置にある。

セブン-イレブン (八幡高江店)- 駅からすぐ。
香月中央公園
西鉄バス北九州・香月自動車営業所(駅から約1km)
市営楠北団地
筑豊電鉄香月変電所
北九州市立香月小学校
黒川
福岡県道61号小倉中間線(駅から数百m先)

バス路線
駅東側に西鉄バス北九州の「筑鉄香月」停留所がある。駅名と停留所名が異なっている。黒崎、小倉砂津行きのバスが運行されている。なお、夕方には当停留所始発の香月営業所行きが運行されている。

タクシー
有限会社かつきタクシーの車両(トヨタのコンフォートとプリウスを採用している)が駅周辺に数台待機している。

 

2013年度の1日平均乗降人員は686人である


1958年(昭和33年)4月29日 - 開業。

 

筑豊香月駅
ちくほうかつき
Chikuhō-Katsuki
◄CK14 希望が丘高校前 (1.4km)(1.3km) 楠橋 CK16►
所在地 北九州市八幡西区高江二丁目
北緯33度47分58.89秒
東経130度43分7.44秒
駅番号 CK 15
所属事業者 筑豊電気鉄道
所属路線 筑豊電気鉄道線
キロ程 10.2km(黒崎駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 686人/日
-2013年-
開業年月日 1958年(昭和33年)4月29日
備考 無人駅

トヨタ・2000GT

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トヨタ・2000GT
2000GT(にせんジーティー)は、トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハ発動機への生産委託で1967年から1970年までトヨタブランドで生産されたスポーツカータイプの乗用車である。型式は、「MF10」と「MF12L」。極少数ながら廉価版として、SOHCエンジンの2300ccモデルが北米市場向けに限り製造された。

開発までの経緯:トヨタ側の事情:1960年代前半の日本におけるモータリゼーション勃興期、トヨタ自動車にとって最大の競合メーカーである日産自動車はフェアレディ、また四輪車メーカーとしては新興の本田技研工業はSシリーズをそれぞれ市場に送り出し、いずれも軽快なオープンボディのスポーツカーとして日本国内外で人気を集めた。これらのスポーツカーは、レースなどでもメーカーの技術力をアピールし、メーカーのイメージアップに大きく貢献する存在だった。一方のトヨタ自動車は、日産自動車と並んで日本を代表する最大手自動車メーカーでありながら、1960年代前半にはスポーツカーを生産していなかった。社外の企業である久野自動車により、クラウンのシャーシを利用して浜素紀のデザインした個性的な4座オープンボディを架装したスペシャリティ・モデルの試作などは行われていたが、そのシャーシやエンジンなどはスポーツカーと呼ぶには非常に未熟なもので世に出ることはなく、自社のイメージリーダーとなるようなスポーツモデルが存在していなかった。トヨタ自動車のスポーツカーには、1962年から大衆車パブリカのコンポーネンツを用いて系列会社の関東自動車工業(関東自工)で試作を進めていた「パブリカ・スポーツ」があり、1962年以降の原型デザイン公開を経て、トヨタ・スポーツ800の名で1965年から市販された。しかしこれは1000cc未満のミニ・スポーツカーであり、2000cc超の乗用車を生産する自動車メーカーであるトヨタのイメージリーダーとしては格が不足していた。このため、輸出市場やレースフィールドで通用する性能を持った、より大型の本格的なスポーツカー開発が考えられるようになった。

当初トヨタ自動車はスポーツ800と同じく、関東自工に生産委託する予定でこの計画をスタートした。1964年5月頃から開発体制の構築が進められ、プロジェクトリーダーの河野二郎、デザイン担当の野崎喩、エンジン担当の高木英匡、シャシーと全体レイアウト担当の山崎進一、河野のアシスタント兼運転手の細谷四方洋、実務担当の松田栄三の6名が招集された。開発コードは「280A」と名付けられ、同年9月から基礎研究、11月にはシャーシやスタイリングの基本設計が順調に進められた。280Aは美しいスタイリングに6気筒DOHCエンジン、4輪ディスクブレーキなどの当時の先進メカニズムを盛り込んだグランドツーリングカーとして構想され、12月上旬には早くも強度計算まで完了した設計図が完成した。

ヤマハ発動機側の事情:ヤマハ本社にて展示されている2000GT、3台しか生産されなかったゴールド塗装車のうちの1台。シャシー番号10132 ヤマハ発動機では1959年に『ヤマハ技術研究所』を設立。その中で安川力を主任とする研究室が四輪車の試作を行っており、世界初の全アルミ製エンジンを製作するなど意欲的にスポーツカー開発に挑戦した。しかし一方で開発に莫大な金を費やした上四輪発売には至らず、さらに当時発売していたスクーターのクレーム対応に追われるなどでヤマハの経営難も重なり、1962年に技術研究所と安川研究室は解散させられた。だがヤマハの川上源一社長はなんとか安川たちの熱意に応えるべく、銀行を仲介して日産との提携による四輪開発に持ち込んだ。こうして日産自動車主導の下に、再び安川研究室は高性能スポーツカー『A550X』に携わったが、日産側の事情により1964年(昭和39年)半ばに頓挫した。共同開発:川上社長はA550X開発中止と見るや、トヨタ自動車専務の豊田英二に相談。ちょうどトヨタ側も280Aのような前例の無い高性能スポーツカーを関東自工で生産できなさそうなことに悩みを抱えていたため、ここに両社のニーズが合致した。同年12月28日にトヨタ側の開発メンバーがヤマハに赴き、技術提携を結んだ。このときA550X試作車を実見しているが、2000GTのシャーシの基本設計は各種計算含めすでに完成しており、影響されることは無かった。翌1965年(昭和40年)1月より、トヨタ側の開発陣がヤマハ発動機に出張しながら、ヤマハの安川研究室の十数名を主導して2000GTの開発プロジェクトを推進していった。開発プロジェクトは順調に進み、4月末に最終設計図が完成。計画開始からわずか11か月後の8月に試作車の第1号車が完成し、トヨタ自動車に送られた。

2000GTの高性能エンジンや良質な内装には、ヤマハ発動機のエンジン開発技術や日本楽器の木工技術が大いに役立てられている。ヤマハ発動機は戦時中に航空機用の可変ピッチプロペラの装置を製造していた技術・設備を活用するため、1950年代中期からモーターサイクル業界に参入して成功、高性能エンジン開発では10年近い技術蓄積を重ねていた。また1950年代後半以降のモーターサイクル業界では、四輪車に先駆けてSOHC・DOHC弁配置の高効率なエンジン導入・研究が進んでいた。このような素地から、ヤマハはトヨタ・クラウンのM型直6エンジンにDOHCヘッドを備えたエンジンを製作することができた。またヤマハ発動機は楽器メーカー(日本楽器製造)から分立した企業で、楽器の材料となる良質木材の扱いに長けていたことを活かし、インストルメントパネルとステアリングホイール(ともに前期型はウォールナット、後期型はローズウッド製)の材料供給・加工までも担当した。

一方でそれまでのヤマハの四輪自動車製作は、せいぜいYX30を2台試作するのが限界だったため、一台の自動車をまとめ上げるノウハウはトヨタが一手に引き受けた。またクラッチ・トランスミッション・ディファレンシャルギア・ドライブシャフトなどの駆動系に関してもトヨタ側が設計・供給している。わずかな期間で一台のスポーツカーにできたのは、トヨタの力に拠るところが大きい。

生産
市販車の本格生産は、ヤマハ発動機に委託された。ただし四輪生産のノウハウのないヤマハが生産しても高品質を維持するため、ワイパーのきしみや水漏れのようなものはトヨタ側の基準で厳しくチェックされた。鈑金・溶接・車体組立・エンジン組立・塗装の工程は、ヤマハ発動機が静岡県磐田市に新設した3号館工場で手作業によって行われ、FRPパーツ類は新居工場(浜名郡新居町)が製造し、内装パネル関係は日本楽器製造(現・ヤマハ株式会社、当時は親会社)、ボディのプレス関係は1950年代にバイクメーカーとして活躍し、ヤマハの傘下に入った北川自動車工業(後のヤマハ車体工業、1993年4月にヤマハ発動機に吸収合併)の他、(株)畔柳板金工業所(現・畔柳工業)といった、トヨタ系試作プレスメーカーも担当した。クラッチはクラウンの流用で、トヨタ系列企業であるアイシンが供給。トランスミッションも同じくアイシンの供給だが、これがアイシン史上初の乗用車向けトランスミッションとなっている。

発売価格
当時の2000GTの価格は238万円で、トヨタ自動車の高級車であるクラウンが2台、大衆車のカローラが6台買える程に高価であった。1967年(昭和42年)当時の日本における大卒者の初任給がおおむね2万6000円前後であったから、21世紀初頭の日本においては1500万円から2000万円程度の感覚にも相当する、一般の人々にとっては高嶺の花の超高額車であった。

それでも生産に手間がかかり過ぎてコスト面で引き合わない価格設定であり、この事から常に赤字計上での販売であった。トヨタ自動車にとっては「高価な広告費」とも言うべきものであった。

マイナーチェンジ:市販開始から2年後の1969年8月に、マイナーチェンジが行われた。 これにより登場型(1967年5月から1968年3月生産)と、1次改良型(1968年4月から1969年7月生産)、2次改良型(1969年8月から1970年10月生産)に大別される。

1次改良型以降はフロントウインカーレンズの色が白色から橙色に変更。
2次改良型のみフォグランプとフォグランプリムが共に小型化され、グリルと直線的に一体化。
2次改良型のみフロントウインカーレンズの形状および大型化。
2次改良型のみリアサイドリフレクターの形状および大型化。
2次改良型のみオイルクーラーの冷却用ルーバーパネルが凸型から凹型に。
2次改良型のみインストルメントパネルの意匠変更。
2次改良型のみステアリングホイールのホーンボタンの形状変更および大型化。
2次改良型のみヘッドレストの追加装備。
2次改良型のみドアインナーハンドルの形状変更。
2次改良型のみクーラーの追加装備。
2次改良型のみトヨグライド(3AT)搭載モデルの追加。
2300GT

諸元
DOHCエンジン、5段フルシンクロメッシュ・トランスミッション、4輪ディスクブレーキ、ラック・アンド・ピニオン式ステアリング、リトラクタブル・ヘッドライトは、トヨタ自動車ではこの車から本格採用された。これらは1980年代以降、量産自動車において珍しくない装備となっているが、1960年代中期においてこれらを全て装備した自動車は、当時としては最上の高性能車と言えた。軽量化のために専用デザインの鋳造マグネシウム製ホイールを用いたことも異例である。

ボディ
当時のスポーツカーデザインの基本に則って、長いボンネットと短い客室部を低い車高に抑えつつ、全体に流麗な曲線で構成されたデザインは、先行して開発されていたジャガー・Eタイプ(1961年)などの影響を指摘されることもあるが、当時の日本の5ナンバー規格の枠内でコンパクトにまとめられながら、その制約を感じさせない美しいデザインとして評価が高い。ヘッドライトを高さ確保のため小型のリトラクタブルタイプとし、固定式フォグランプをグリルと併せて設置したフロント・ノーズの処理も独特の魅力があった。

このデザインはトヨタ自動車のデザイナーであった野崎喩を中心にデザインされたことが21世紀に入ってから明らかにされ、晩年の野崎本人によってスケッチやデザイン過程についての談話も公表されている。野崎は2000GTのデザイン以前の1963年に、デザインを学ぶためアメリカのアートセンター・スクールへ留学した経験があり、その当時のスケッチが2000GTのモチーフになったという。

ただし特に日本国外では(ヤマハ発動機が日産自動車とのスポーツカー共同開発を目論んだ経緯から)、それ以前にシルビア(初代)のデザインを監修した[注釈 7]とされるドイツ系アメリカ人デザイナー、アルブレヒト・フォン・ゲルツが、2000GTのデザインも手がけたという説が、広く流布している。しかしゲルツ本人は晩年の1996年8月、日本の自動車雑誌『ノスタルジックヒーロー』誌によるアメリカでのインタビュー(1997年 同誌61号に掲載)で、トヨタ・2000GTへの自身の直接関与を否定している。

ゲルツ・デザイン説の正確な出所は不明だが、日産A550X開発時にゲルツと日産がアドバイザー関係であったこと、および、A550Xもトヨタ・2000GTもリトラクタブルライトのファストバック・クーペという類似性を持ち、後者が前者の改良デザインとも見なせることが風説の原因と見られる。前述の「ヤマハへの開発丸投げ・買い取り」評の存在や、当時のトヨタ自動車に自社で(もしくはさらに広い意味で、「当時の日本人のセンスでは」)このようなデザインを行えるはずがない、という先入観も、ゲルツ・デザイン説が広まる要因となっているようである。

内装はヤマハ製のウッドステアリングとインストルメントパネルをはじめ、回転計などを追加した多眼メーター類や豊富なアクセサリーの装備で、2人の乗員に充分な居住性を確保しながら「高級スポーツカー」らしい演出を図っている。この時代の日本車としては、異例の高級感がある良質な仕上がりであった。ハンドブレーキがダッシュボード下部配置で引き出し・押し込みで操作する「ステッキ型」であることが、特異な点と言える(このタイプのハンドブレーキレバーは、普通の乗用車やトラックではコラムシフトとの併用で前席横3人掛けを可能とする目的で1960年代前後に多用されていたが、2座スポーツカーではあまり例がない)。

ボディーカラー
ボディーカラーは、前期型は3色である。
ペガサスホワイト
ソーラーレッド
サンダーシルバーメタリック
前期型では特注色として少数台生産された次の3色が、後期型で正式採用され、計6色となった。
ベラトリックスイエロー
アトランティスグリーン
トワイライトターコイズメタリック(ブルーメタリック)
カタログにゴールドモデルはなかったが、特別にゴールドに塗装された車両が3台存在した。前期型2台と後期型1台である。

前期型2台(シャシー番号10130と10132)は1967年第14回東京モーターショー出展用として製作された。1台(10130)は同ショーにてスタンドコンパニオンを演じた人気モデルツイッギーの所有となり、イギリスに渡った[注釈 9]。その後、1980年頃に米国トヨタ販売が入手したが、レストア時、レッドに塗り替えてしまった。現在はToyota USA Automobile Museumが所蔵しており、2006年、引火事故による塗装損傷の修復を契機に2000GT研究の第一人者である吉川信の手によりオリジナルのゴールドに復元された。

もう1台(10132)は、同ショーで一目惚れして購入した日本のオーナーが長らく所有していたが、自分亡き後の終の住み処にふさわしい場所としてヤマハ発動機に寄贈された。その後レストアされ、現在は同社コミュニケーションプラザに展示されている。これら2台の塗色はゴールドと称しているがメタリック成分が少ないため、現代の感覚から言えば黄土色と言った方が近い。

後期型1台(10232)はシャシー番号上は前期型に属する(正式な後期型は10401?)。1969年の第16回東京モーターショー出展用として先行製作され、メタリック感を向上した「アフレアゴールド」にて塗装された。モーターショー出展後の行方は不明である。

シャーシ・パワーユニット
古典的スポーツカーらしくボディとは別体となるシャーシは、ジャガー・Eタイプやロータス・エランなどでの先行例に倣ったX型バックボーンフレームで、低重心・高剛性を実現した。トヨタはそれ以前にX型バックボーンフレームを、より一般乗用車向けな形態で導入していたゼネラル・モーターズに倣って2代目クラウンに採用してもいた。2000GTのシャーシが短期間で開発できたのは、これらの著名な先行メーカー製品での手法を巧みに取り込んだという一面もある。
サスペンションについては、前後輪ともコイル支持によるダブル・ウィッシュボーンとして操縦性と乗り心地の両立に成功している[注釈 13]。また、操縦性に配慮してステアリング機構はラック・アンド・ピニオン式とし、高速域からの制動力確保を企図して日本初の4輪ディスクブレーキ仕様とした。
エンジンは、クラウン用として量産されていた当時最新鋭の直列6気筒7ベアリングSOHCエンジンである「M型」(1,988cc・105PS)のブロックを流用し、ヤマハの開発したDOHCヘッドに載せ替えるなどして強化した「3M型」を搭載した。このクラスのエンジンとしては小型軽量であり、前車軸より後方寄りにエンジン搭載する、後年で言う「フロント・ミッドシップ」レイアウトが可能であった。
3M型は、キャブレターを三国工業(現・ミクニ)がライセンス生産したソレックス型3連キャブレターとし、150PS/6,600rpm(グロス値)という、当時の日本製乗用車の中でも最強力クラスの性能を得た。これにフル・シンクロメッシュの5速MTを組み合わせた2000GTは、0 - 400m15.9秒の加速力と、最高速度220km/h(最大巡航速度は205km/h)を実現、当時の2L・スポーツモデルとしては世界トップレベルに達した。
しかし、ベースが量産型実用エンジンということもあり、ノーマル状態では極限までの高性能は追求せずに、公道用のGTカーとしての実用性をも配慮したチューニングが為されている。このため3M型は、その外見的なスペックの割には低速域から扱いやすいエンジンであったという。

発売開始1年前の1966年には、サントリービールのキャンペーン「スコール・クイズ」の1等賞品にもなっていた。ビールのうんちくにまつわるやや難解な30問のマニアックなクイズが出題され、応募総数46万6,259通のうちの全問正解者13万2,745名の中から厳正な抽選が行われた。1等賞品(サントリービール博士賞)のトヨタ2000GTを獲得したのは、新潟県に住む女性であった。
印象的かつ魅力的なデザインに収められた丸型テールランプレンズは、実は当時のトヨタのマイクロバス用のパーツを流用したものであった。2000GTに限らず、多くの有名な少量生産スポーツカーには、外装パーツに量産車からの流用品を用いるケースが見られる。
トヨタ自動車の工場見学に行くと、おみやげとしてもらえるモデルカーは長らく2000GTであった。1999年にプリウスのモデルカーに交代し、以後は歴代プリウスが起用されている。このモデルカーは、車軸が回転できるようになっており、内蔵するバネにより添付のカタパルトから発進させ、走らせて遊ぶことが可能。一般向けの販売はされていない、非売品である(トヨタ博物館で2006年12月に開催された特別展「プラモデルとスロットカー」では、一日限定200個という数ではあるが、小中学生向けの体験工作イベント用として無料配布された。工場見学の際にもらえるものはもっともポピュラーな実車の色であるアイボリーなのだが、このイベントで配布されたものは水色だった)。また、歴代のモデルカーはトヨタのショールームであるトヨタ会館にも展示されており、そこには黄色の2000GTモデルカーや化粧箱、組み立て説明書等も展示されている。トヨタの記録では1970年以降2000GTだったとされており、それ以前のモデルが何であったのかは不明。
当時純正として装着されていた独自デザインの「マグネシウムホイール」は2000GTのアイデンティティの一つとも言えるアイテムであるが、製造から30-40年程経過し、マグネシウムに生じやすい「腐食」が発生して、オリジナルコンディション維持に努めるオーナーを悩ませている事例が多い。これを代替するため、オーナーズクラブからの要望もあり、ある有名ホイールメーカーから同一デザインで材質だけをアルミニウム合金に変更したアルミホイールが限定製作されている。
愛知県の自動車修理・レストア業者であるロードスターガレージ有限会社が、2000GTのレプリカを製作している。2009年の東京オートサロンではフェアレディZ (S30型)ベースのレプリカを展示した。近年、ユーノス・ロードスターをベースとしたレプリカが完成し[注釈 19]、市販を開始した。また、2014年には同じく愛知県にあるロッキーオートが2000GTの開発関係者らの監修のもとに精巧なレプリカを完成させ、市販することを公表した。

トヨタ・2000GT
販売期間 1967年 - 1970年
デザイン 野崎喩
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドアクーペ
エンジン
MF10型 1988cc 3M型直列6気筒 DOHC

MF12L型 2253cc 2M-B型直列6気筒 OHC
駆動方式 FR
最高出力 MF10型 150ps/6600rpm , MF12L型 140PS/5800rpm
最大トルク MF10型 18.0kgf・m/5,000rpm , MF12L型 20.5kg-m/3800rpm
変速機 2000GT専用5速MT(他に3速ATの設定あり)
サスペンション 4輪ダブルウィッシュボーン(コイルスプリング)
全長 4,175mm
全幅 1,600mm
全高 1,160mm
ホイールベース 2,330mm
車両重量 1,120kg
シャーシ X型バックボーンフレーム

 


さいたま新都心駅(JR東日本)東北本線

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さいたま新都心駅(さいたましんとしんえき)は、埼玉県さいたま市大宮区吉敷町四丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅である。旧大宮操車場の再開発により建設された「さいたま新都心」の玄関口で、駅周辺の官公庁やオフィス街への通勤客を中心に、多数の利用されている駅です。

概要
2000年5月5日のさいたま新都心の街開きに先立って開業した。業務地区としてのさいたま新都心は中央区と大宮区にまたがって整備されている(なお、町名としての新都心は地区内の西側・中央区に位置する)が、駅は東側の大宮区に所在している。

乗り入れ路線
乗り入れている路線は、線路名称上は東北本線1路線のみであるが、当駅には電車線を走る京浜東北線電車、および中距離電車である宇都宮線(東北線)・高崎線(隣の大宮駅から分岐)の列車が停車し、旅客案内ではそれぞれ別路線として案内されている。

なお、宇都宮線・高崎線の列車は列車線で運行される上野駅発着系統、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車する。

旅客ホームが設置されていない東北貨物線上を走行する湘南新宿ラインや武蔵野線直通列車などは通過する。池袋駅・新宿駅・渋谷駅方面は浦和駅・赤羽駅または田端駅で、湘南新宿ライン・埼京線または山手線への乗り換えとなる。

JU 宇都宮線・高崎線:上野駅 - 尾久駅 - 大宮駅を経て小山駅・宇都宮駅方面(宇都宮線)並びに大宮駅から分岐して熊谷駅・高崎駅方面(高崎線)を結ぶ東北本線の中距離電車。上野駅発着系統と、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ライン系統がある。- 駅番号「JU 06」


JK 京浜東北線:東北本線の大宮駅以南で主に各駅停車運転する通勤電車。横浜駅から根岸線への直通運転も実施。 - 駅番号「JK 46」


駅構造
電車線と列車線それぞれの上下線間に1面2線、合計2面4線の島式ホームが配置された地上駅で、橋上駅舎を有している。1階がホーム、2階がコンコースと自由通路となっている。建物の設計は、埼玉県狭山市出身の建築家である鈴木エドワードとJR東日本によって行われた。

オープンカウンター式のみどりの窓口・自動改札機・指定席券売機が設置されている。また、社員配置駅(管理駅)として与野駅を管理下におく。エレベーターはエスカレーターとともにコンコースとホームを連絡する。このうち1・2番線とを結ぶエレベーターは駅事務所などがあるコンコースの上の階まで通じており、そこへは関係者以外は立入禁止となっている。

京浜東北線は、大宮駅発着のすべての列車が停車する。宇都宮線と高崎線はいずれも上野東京ラインなど、上野駅発着の普通列車のみの停車で、湘南新宿ライン系統および快速「ラビット」(宇都宮線)・「アーバン」(高崎線)・通勤快速などの速達列車はすべて通過となる。

隣接するさいたまスーパーアリーナで大規模なイベントが開催され多数の来場客がある場合でも、快速の臨時停車などの措置は原則として行われていない。上野東京ラインの東海道線快速「アクティー」は、宇都宮線区間は普通(各駅停車)で運転される為、当駅に停車する(逆に、当駅を通過する快速「ラビット」・「アーバン」は、東海道線内は各駅に停車する)。

当駅は東北貨物線の大宮操車場に隣接しており、4番線の西側には、貨物列車の待避線が多数設けられている。貨物線は上下本線が離れており、側線に囲まれているため、当駅開設から現在まで、貨物線にホームを設ける計画はない。

貨物線を走る湘南新宿ラインの新宿方面行や武蔵野線直通列車は4番線の脇を通過し、大宮方面行は側線群を挟み、やや離れたさいたまスーパーアリーナ側を通過する。そのため、工事や事故の影響で本来当駅停車の宇都宮・高崎線(上野東京ライン)が東北貨物線へ臨時で迂回運転をする場合は、普通列車であっても当駅通過となる。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 JK 京浜東北線 南行 浦和・赤羽・東京・横浜方面
2 北行 大宮行


3 JU 宇都宮線(東北線)・高崎線 上り 赤羽・東京・横浜・大船方面
(上野東京ライン)


4 下り 大宮・小山・宇都宮・熊谷・高崎方面

2番線ホームの方面標識には、駅名の後に「方面」もしくは「行」という文字の表示がなく、「大宮」とのみ表記されている。


発車メロディ
1 JK JR-SH5-3
2 JK 希望(ゆめ)のまち
3 JU 朝の静けさ
4 JU 美しき丘

2017年度の1日平均乗車人員は54,255人で、JR東日本管内の駅では浅草橋駅に次いで90位。新幹線が停車する大宮駅や、市中心駅の浦和駅と比べて少ないだけでなく、中距離列車の停車しない南浦和駅に比べても少ないが、さいたま新都心の開発に伴い、利用者は年々増加している。2016年には5万人を超えた。

さいたま新都心付近、特にさいたまスーパーアリーナでのイベント開催時には非常に混雑する。大規模イベント開催日には、イベント前から、帰りの切符購入・カードへのチャージを呼び掛ける放送が構内に響き、終了後には、各ホームに安全・警備のための係員が増員される。また、列車発車時には客扱終了合図の取り扱いも行われる。

開業以来の1日平均乗車人員は下表のとおりである。年度全体の乗車人員を365(閏日が入る年度は366)で除して1日平均乗車人員を求めており、計算で生じた小数点以下の値は切り捨てているため、定期外と定期の和は必ずしも合計と一致しない。

 

2000年(平成12年)
4月1日 - 同年5月5日のさいたま新都心の街開きに先駆けて開業。
10月13日 - 当駅の東西自由通路が、日本産業デザイン振興会のグッドデザイン賞を受賞。
2001年(平成13年)
2月13日 - 当駅が彩の国さいたま景観賞を受賞。
11月18日 - ICカード「Suica」の利用が可能となる。
2017年(平成29年)9月23日 - 京浜東北線ホームでホームドアの使用開始。埼玉県内のJR線では初。

さいたま新都心駅
さいたましんとしん
Saitama-Shintoshin
所在地 さいたま市大宮区吉敷町四丁目261-1*
北緯35度53分38.13秒
東経139度38分0.81秒
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 サタ


駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 54,255人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 2000年(平成12年)4月1日


乗入路線 3 路線
所属路線 ■宇都宮線**
(東北本線列車線)
駅番号 □JU 06
キロ程 28.7km(東京起点)
東京から尾久経由で28.9km
◄JU 05 浦和 (4.5km)(1.6km) 大宮 JU 07►
所属路線 ■京浜東北線**
(東北本線電車線)
駅番号 □JK 46
キロ程 28.7km(東京起点)
大宮から1.6km
◄JK 45 与野 (1.1km)(1.6km) 大宮 JK 47►


備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
* 正式な所在地。駅西側は中央区にまたがる。
** いずれも正式な線路名称は東北本線。

 

三菱ふそう・エアロスター(2PG-MP38FM)

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三菱ふそう・エアロスター(2PG-MP38FM)
型式(エアサス)・ノンステップ

エアロスター(Aero Star )は、三菱ふそうトラック・バスが製造している大型路線バスの名称である。

エアロスター(2代目)
三菱ふそう・エアロスター(2代目)
エアロスター(2代目)は1996年9月に発売を開始した。発売当初は先代と区別するためか、ニューエアロスターの呼称が用いられたが、次第にエアロスターと表記されるようになったため、ここではエアロスター(2代目)として扱う。

ラインナップには当初ツーステップバス(交通バリアフリー法施行以降は自家用及び高速バス向けとなる)とワンステップバスのみが設定されたが、1997年には国産初の本格的なノンステップバスの発売が開始された。

トランスミッションは、初代エアロスターと同じフィンガーコントロールトランスミッション(FCT)の5速マニュアルと機械式オートマチックトランスミッション(INOMAT)、アリソン製トルクコンバータ式オートマチックトランスミッションが存在する。

車体は呉羽の後身であるMBMで設計したこともあり、どちらかというと先代のK型ボディーを基調にモデルチェンジした感じになっており、初代モデルのMP2/6系に比べやや丸みを帯びていながらも正面からの上部への絞り込みがほとんど抑えられ、垂直線を強調した全体的にボクシーなスタイルへと変わった。内装も旧モデルの名古屋製作所製M型ボディーにあったような、乗降口上部や冷房ダクト端部などの樹脂成形品の使用が少なく、インパネの形状もシンプルになっており、初代型に比べややオーソドックスな内装に戻っている。

2017年10月11日に発表・発売された。平成28年排出ガス規制・平成27年度重量車燃費基準をクリアしている。燃費基準+5%達成車も設定されている。また、ツーステップ仕様は廃止された。
左サイドミラーのステー部にサイドカメラが標準装備されている。

ノンステップバス、乗降口のステップが低く、車体が通常バスより長いのが特徴です。このバスは広市内の27号線(中山線)をメインに走っています。

◆平成28年排出ガス規制適合モデル。
◆サイドビューカメラとその液晶モニタを標準搭載。
◆外観上では屋根上クーラー(デンソー製)形状が変更されたためQKG-代との判別は簡単


全長 :11.26m
ホイールベース:5.55m
全高:3.09m
全幅:2.49m
車両総重量:15115kg
乗車定員:77人(運転席含む)
エンジン(直6TI):6M60(T2)…出力199kW(270PS)/2500rpm トルク785N・m(80kg・m)/1100-2400rpm 総排気量…7545c

指宿のたまて箱 (JR九州)

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指宿のたまて箱(いぶすきのたまてばこ)は、九州旅客鉄道(JR九州)が指宿枕崎線の鹿児島中央駅 - 指宿駅間で運行している特急列車である。愛称「いぶたま」。

JR九州は新幹線の開業効果を沿線外にも広めるため観光列車の新設を行っており、「指宿のたまて箱」も2011年(平成23年)3月12日の九州新幹線(鹿児島ルート)の全線開業にともなって翌13日から運転を開始した。特別快速「なのはなDX」を置き換えて、指宿枕崎線では初めての定期特急列車の運転となった。当列車は日本で最も南を運行する特急列車となっている。

平日昼に指宿駅を発着する列車では、指宿市役所職員の有志が沿線や駅ホームに立ち、手を振って歓迎する光景がみられる。
列車名の由来
薩摩半島の最南端にある長崎鼻一帯に伝わる浦島太郎伝説の玉手箱にちなんでおり、「いぶたま」の愛称で運転される。

運行概況
日中3往復運行されている。所要時間は約55分で前身の「なのはなDX」とほぼ同じ。
全席指定席となっている。

列車は2両運転時は車掌の乗務しないワンマン運転で、客室乗務員が乗務し検札や車内販売・観光案内などを行う。3両運転時には車掌が乗務する。

停車駅
鹿児島中央駅 - 喜入駅 - 指宿駅

特別快速「なのはなDX」の代替であるものの、途中の停車駅は喜入駅のみに削減されている。
使用車両
通常は2両編成で、キハ47形気動車の改造車(キハ47 8060・キハ47 9079)で運転されている。土・日・祝日や連休などの繁忙期には1両増結(キハ140 2066)して3両編成で運行される。また、地方交通線である指宿枕崎線の軌道の不整によるレールの継目部の落込みである継目落ちにより発生する上下振動を低減するため、減衰力制御弁付きの可変減衰上下動ダンパを初めて採用しており、台車の枕ばね(コイルばね)に平行して取付けられていた、従来の上下動オイルダンパと交換する形で装備されており、車体には4つの加速度センサーと制御装置を搭載して、加速度センサーにより検知された上下振動加速度を元に制御装置が減衰力指令値を計算して、可変減衰上下動ダンパにその指令値を送り、減衰力を可変させることで上下振動を抑制している。

デザインは水戸岡鋭治。小倉工場で約1億6000万円をかけて改造された。外部塗装は海側(下り方向に向かって左側)側面と前面の海側半分が白色、山側(下り方向に向かって右側)側面と前面の山側半分が黒色。

車内は2人掛け回転リクライニングシート、大型のテーブルが設置された4人用のコンパートメント席・ソファー席・海側の窓側を向いた1人掛け席が用意されており、座席の種類はバラエティに富んだものになっている。このほかにも子供用に海側を向いたキッズチェアが用意されており、その後ろには保護者が監視するためのソファー席が用意されているが、これらはフリースペースの設備の一部のため、マルスでの座席番号の割り当てはない。また浦島太郎伝説にちなみ、ドアが開いた際には玉手箱の煙に見立てたミストが連結面寄りの噴出口より噴射される。

車両検査時は「はやとの風」で運用されている車両を使用する場合もあった が2012年(平成24年)3月19日からは元「はやとの風」用のキハ140 2066が塗装変更され予備車・増結車として加わっている。

また、専用車両の検査の際は1両ずつ検査に出し、残った1両と予備車両(キハ140 2066)で運行される。このため、専用編成が検査に出ている時期は土日であっても2両で運行される場合がある。また、予備車両は「はやとの風」の予備車両としても使用されるため、「はやとの風」の車両が検査に出ている時期も常時2両編成で運行される。

指宿枕崎線の観光特急として
2011年(平成23年)3月12日:特別快速「なのはなDX」を廃止し、代替として特急「指宿のたまて箱」を鹿児島中央駅 - 指宿駅間に3往復新設。しかしこの日は東北地方太平洋沖地震による津波警報発令で指宿枕崎線が運休となっていたため、実際の運転開始は翌13日からである。
2012年(平成24年)3月19日:元「はやとの風」用のキハ140 2066が予備車・増結車として加わり、3両体制となる。
2014年(平成26年)
2月4日:指宿駅 - 枕崎駅で臨時列車として試験的に運行。
6月21日:午前11時5分頃、生見駅 - 薩摩今和泉駅間で、指宿発鹿児島中央行き「指宿のたまて箱2号」が線路内に流入した木および土砂に乗り上げ、1両目のほぼ半分が脱線、乗客・乗員47名中、乗客13名と乗員2名の計15名が負傷。
6月28日:喜入駅 - 指宿駅間の運行再開。「指宿のたまて箱」は引き続き運休し、「指宿のたまて箱」と同じ運転時刻・停車駅で全車自由席の臨時快速列車を運転開始。
7月12日:「指宿のたまて箱」運転再開。


指宿のたまて箱

概要
国 日本
種類 特別急行列車
現況 運行中
地域 鹿児島県
前身 特別快速「なのはなDX」
運行開始 2011年3月12日
運営者 九州旅客鉄道(JR九州)
路線
起点 鹿児島中央駅
終点 指宿駅
営業距離 45.7 km (28.4 mi)
使用路線 指宿枕崎線
車内サービス
クラス 普通車
座席 普通車指定席
技術
車両 キハ140形2000番台・キハ47形8000・9000番台気動車(鹿児島車両センター)
軌間 1,067 mm
電化 非電化

新木屋瀬駅 筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線

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新木屋瀬駅(しんこやのせえき)は、福岡県北九州市八幡西区木屋瀬一丁目にある、筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線の駅である。駅番号はCK17。筑豊電鉄では最も新しく、2004年に設置された当駅です。


駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅である。無人駅。

のりば
ホーム 路線 行先 備考
1 ■筑豊電鉄線 筑豊直方方面
ホーム間は構内踏切で結ばれています。幅は広く、前後には緩勾配のスロープが続いています。


2 楠橋・永犬丸・黒崎駅前方面
ホームには小さな待合所がありFRPの椅子が設置されています。
バリアフリー対応のスロープでホームに連絡します。


駅周辺
駅の周辺は田んぼとやや遠巻きに住宅街。西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽新幹線、九州自動車道の高架が当駅を挟んで線路を横切る。

ミスターマックス八幡西店
マックスバリュー真名子店
エフコープ生活協同組合八幡西支所
八幡慈恵病院
倉成観光バス

 

2013年度の1日平均乗降人員は224人である。

 


2004年(平成16年)4月28日 - 駅開業。
筑豊電鉄で最も新しい駅で、筑豊電鉄単独の駅としては今池駅以来34年ぶりの新駅となった(2013年(平成25年)現在)。


新木屋瀬駅
しんこやのせ
Shin-Koyanose
◄CK16 楠橋 (0.6km)(0.5km) 木屋瀬 CK18►
所在地 北九州市八幡西区木屋瀬一丁目
北緯33度47分1.62秒
東経130度43分28.34秒
駅番号 CK 17
所属事業者 筑豊電気鉄道
所属路線 筑豊電気鉄道線
キロ程 12.1km(黒崎駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 224人/日
-2013年-
開業年月日 2004年(平成16年)4月28日
備考 無人駅

JR貨物UM8A形コンテナ

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UM8A形コンテナは、日本貨物鉄道(JR貨物)輸送用として籍を編入している12ft私有コンテナ(無蓋コンテナ)である。

無蓋コンテナ以外の他形式では、形式を表す1~2桁の数字は全てコンテナの内容積で決定されているが、無蓋コンテナのみ床面積で付与されている。 これによりm3の算出は、厳密には端数四捨五入計算の為に、内容積7.5 ~ 8.4m3の間に属するコンテナが対象となる。 また形式によっては、ドライコンテナと同等の高さがあったり、逆に1/8サイズの板型の様に八段(12ftの場合)又は、1/4サイズの薄型の様に四段(20ftの場合)に積み上げてやっとドライコンテナと同等の高さに達するなど、他形式ではタンクコンテナ以外では見られない様に、見た目が多種多彩に入り乱れているのも無蓋コンテナ形式の特徴となっている。

127, 468, 639
日東工業所有、高圧受電設備輸送専用。積載時はコキ50000形式貨車積載禁止。

遠賀野駅 筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線

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遠賀野駅(おんがのえき)は、福岡県直方市大字感田にある、筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線の駅である。駅番号はCK19。駅周辺は住宅地で、おもに朝夕の通勤通学利用としての駅です。

駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅である。無人駅。

のりば
ホーム 路線 行先 備考
1 ■筑豊電鉄線 筑豊直方方面
ホーム上屋下の一部は待合室風に囲まれています。
2 楠橋・永犬丸・黒崎駅前方面
ホームにはスロープで連絡します。
上下線ホーム間に踏切がありますが遮断機、警報機ともありません。


駅周辺
ホーム裏の駐輪場がありますが吹きさらしで上屋がありません。
国道200号
東和苑団地
直方感田郵便局
老人ホーム感田
ルミエール直方店
ゲオ木屋瀬店
トライアル直方店
コスモス薬品ディスカウントドラッグコスモス感田店
セブンイレブン直方感田店
はま寿司直方感田店
菜の花大橋(宗像市、鞍手町方面)
感田保育園


2013年度の1日平均乗降人員は391人である。

1959年(昭和34年)9月18日 - 駅開業。


遠賀野駅
おんがの
Ongano
◄CK18 木屋瀬 (1.3km)(1.3km) 感田 CK20►
所在地 福岡県直方市大字感田
北緯33度46分9.13秒
東経130度43分50.25秒
駅番号 CK 19
所属事業者 筑豊電気鉄道
所属路線 筑豊電気鉄道線
キロ程 13.9km(黒崎駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 391人/日
-2013年-
開業年月日 1959年(昭和34年)9月18日
備考 無人駅

 

神戸電気鉄道3000系電車

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神戸電気鉄道3000系電車(こうべでんきてつどう3000けいでんしゃ)は、神戸電鉄(神鉄)が神戸電気鉄道時代の1973年に導入した通勤形電車。

概要
沿線の乗客の増加と旅客サービスの向上に対応するため、神鉄の保有車両数が100両を突破[1]した1973年に製造が開始されたアルミ合金製車体の冷房車で、また初の新造両開き3扉車である。大きく分けて1973年から1981年まで製造された前期型と、増備中断期間を経て1989年から新造が再開され、1991年まで製造された後期型に分けられる。
4両編成で組成され、先頭車デ3000形・中間車デ3100形の全車が電動車である。電動機出力は75kWで、1両に4基搭載される。制御装置は電動カム軸式自動総括制御で発電ブレーキ機能を有する。機器は奇数車の床下一杯に搭載するほか、偶数車にも分けて搭載される。
1974年の鉄道友の会ローレル賞(当時は投票制)の選定では、西日本鉄道2000形電車の獲得票数455票に120票余り及ばず、次点となった。

車体
車体は1000系列と同様の18m級であるが、軽量化を図るためアルミ合金製となった。側面は1,300mm幅の両開き扉を片側に3ヶ所配置し、バランサーを設置した大型の1枚下降窓を配する。前面は非貫通の折妻構成の2枚窓を採用、窓下に丸型のヘッドライトを2つ配置、窓上には種別と行先を表示する方向幕と尾灯が設置されている。塗装はアルミ地肌を生かしたクリアラッカー仕上げに、赤を基調とした塗装から『ウルトラマン電車』のニックネームがある。
1978年製の3007編成からは、尾灯がそれまでの凸型から凹型に変更された。建造が再開された1989年製の3013編成から塗装が変更され、先頭車側面にKマーク、側面種別・行先表示器を種別用と行先表示用とに分割・大型化。併せて内装も一新されて親会社の阪急8000系に似たものになった。さらに3015編成からは運転台のマスコンハンドルの形状も変更された。

主要機器
制御装置・主電動機
主電動機は1000系列と同系列のMB-3054-C直流直巻電動機(75kW×4/両)を採用。制御方式はいわゆるMM'ユニット方式、制御単位は1C8Mで、2・4・6両での組成が可能。直並列制御を行うため制御器は多段式のABFM-108-15MDHを採用、制御装置を3000形奇数車 (cM) と3100形奇数車 (M) に搭載、電動機を4個ずつ直列として2群を、直列17段・並列8段・弱め界磁4段の計29段で制御する。また、下り急勾配区間用の定速度抑速制御装置を設置、マスコンからの指令により乗客の多少、勾配の変化(40~50‰)、車輪径の変化などにかかわらず補助電源装置からの添加励磁電流の制御により定速度抑速運転が行われる。駆動装置はWNドライブ方式を採用し、歯車比は7.07である。
台車
3013編成まではKW-12ウイングばね軸箱守式軸箱支持方式ダイレクトマウント空気ばね台車を採用。3015編成と3017編成のみ軸梁式のKW-67を装着する。
集電装置
PT-4808-A-M下枠交差型パンタグラフを採用している。3000形奇数車 (cM) と3100形奇数車 (M) の神戸方の屋根上に搭載している。
ブレーキ
ブレーキ装置は従来と同様HSC-D電磁直通空気ブレーキを採用するほか、非常電制については非常ブレーキ操作後一定時間(3秒間)空制が作用しない場合、気圧スイッチでこの状態を検知、自動的に空気ブレーキの作用しない車両のみ非常電制が作用、制動距離が伸びるのを防止する。 保安ブレーキも併せて装備する。
補助電源・空気圧縮機
補助電源装置は定速度抑速制御装置や冷房を搭載した関係から大容量のMG-111-S電動発電機を採用。容量は75kVAである。後期グループでは前記のMGに代えて70kVAのNC-FAT70A静止形インバータを採用。電動空気圧縮機はC-2000電動空気圧縮機を採用。吐出容量は毎分2100リットルである。これら補機類は3000形偶数車 (M'c) と3100形偶数車 (M') に搭載する。
冷房装置
神戸電鉄初の冷房車として集約分散式の冷房装置を採用した。前期グループはCU-18(8,500kcal/h×4)を装備、後期グループでは1000系列の冷房付新造車(一部)と冷房改造車で採用された省エネタイプのCU-193R(10,500kcal/h×3)を装備する。冷風吹出口も前期グループはスポット方式、後期グループはラインフロー方式と異なる。

運用
有馬線、三田線、粟生線の各線で運用されている。入線有効長が3両分であった三田線の道場南口以北と粟生線の志染以西は長らく入線実績がなかったが、三田線は1991年3月、粟生線は2001年6月に4両対応化が実施され全区間の運用を開始した。公園都市線は3両編成のみのため、定期運用は実施されていない。
編成
3000系は4両編成が9本(36両)製造されたが、3001編成が2014年3月31日付で廃車された。更に2018年2月には6500系の増備で3003編成が廃車となった。2018年4月現在は4両編成7本(28両)が在籍し、5000系に次ぐ在籍数である。
デ3000形制御電動車 (cM・M'c) とデ3100形中間電動車 (M・M') からなる全車電動車の4両編成で、有馬方から cM-M'-M-M'c の順に編成される。奇数車 (cM・M) には三菱電機製の電動カム軸式制御装置と定速度抑速制御装置を、偶数車 (M'c・M') には補助電源装置(電動発電機(前期グループ)または静止形インバータ (SIV・後期グループ))・電動空気圧縮機 (CP) ・蓄電池 (BT) が搭載されている。パンタグラフ (PT) は奇数車の神戸寄り車端部に付けられている。

神戸電鉄3000系電車
基本情報
運用者 神戸電鉄
製造所 川崎重工業
製造年 1973年 - 1991年
製造数 36両
投入先 有馬線、三田線、粟生線
主要諸元
編成 4両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流 1,500 V
最高速度 80 km/h
起動加速度 2.7 km/h/s
減速度(常用) 3.3 km/h/s
車両定員 先頭車:130名(座席48名)
中間車:140名(座席56名)
自重 奇数先頭車:33.7 t
偶数先頭車:34.0 t
奇数中間車:32.9 t
偶数中間車:33.4 t
編成長 72.560 m
全長 18,140 mm
全幅 2,700 mm
全高 4,120 mm (パンタ付車)
3,930 mm (パンタ無し車:前期グループ)
3,975 mm (パンタ無し車:後期グループ)
床面高さ 1,180 mm
車体 アルミニウム合金
台車 ウイングばね軸箱守式ダイレクトマウント空気ばね台車
KW-12(3013編成以前)
軸梁式空気ばね台車
KW-67(3015編成以降)
車輪径 860 mm
固定軸距 2100 mm
台車中心間距離 12000 mm
主電動機 MB-3054-C 直流直巻電動機
主電動機出力 75 kW
搭載数 4 基/両
駆動方式 WNドライブ
歯車比 99:14
編成出力 1200 kW
制御方式 抵抗制御(1C8M、発電ブレーキ付)
定速度抑速制動制御装置
制御装置 ABFM-108-15MDH 電動カム軸式自動総括制御
制動装置 HSC-D形電磁直通空気ブレーキ(発電ブレーキ付き)・保安ブレーキ・非常電制
保安装置 神鉄形ATS 防護無線


いすゞ・BXボネットバス(型式:BXD30)

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いすゞ・BX(いすゞ・ビーエックス)は、いすゞ自動車が1947年(昭和22年)から1970年(昭和45年)にかけて製造・販売していたバス車両である。


1945年以前のBXバス及びそのルーツ
1925年(大正14年) - 東京石川島造船所 自動車部製 ウーズレー・CG型バス 全国の私営/公営バスとして採用される。
1929年(昭和4年) - スミダ・M型バス
1930年(昭和5年) - スミダ・LB型低床式省営バス
1937isuzuBX40.JPG
1932年(昭和7年) - スミダ・R型低床式バス完成 35人乗り
1933年(昭和8年) - スミダ・S型6輪バス
             いすゞ・BX35バス 16人 - 20人乗り
             いすゞ・BX40バス 21人 - 29人乗り
             いすゞ・BX45バス 25人 - 33人乗り
1935年(昭和10年) - スミダ・BT型バストラクター 水平シリンダーの直6を床下に置くアンダーフロアーエンジントレーラーバス。トラクターにも客室があり、閑散時は切り離して親のみでの運用が可能。エアブレーキ装備。(ボディ架装は脇田自工)
1940年(昭和15年) - いすゞ・BX50ディーゼルバス
1941年(昭和16年) - いすゞ・BX60ディーゼル中型バス
1942年(昭和17年) - いすゞ・BB60ディーゼル大型バス
「いすゞ」は車名であって、会社名ではない。
スミダ・BT型バストラクターを除き、上記はいずれもフロントエンジン・ボンネットバスである。

1946年以降のBXバス
フロントエンジンバス
1947年(昭和22年)、BX80ボンネットバスが登場する。ガソリンエンジントラックTX80をベースに、前寄運転席の専用低床フレームにした車両である。

1948年(昭和23年)にはBX91が登場する。 BX80のエンジンをディーゼルトラックTX61用DA43型に変更したディーゼルボンネットバスで、ハイドロバックブレーキ(倍力装置付きブレーキ)を装備。車内は前向きの座席だと7列装備でき、三方シートだと立ち席を入れて50名以上の定員を確保できた。第一号車は東海自動車に納入されている。

1949年(昭和24年)にはBX91ベースのキャブオーバーバス、BX92が登場する。運転席がフロントオーバーハングへ移設されている。同年には同じくBX91ベースの長尺モデル、BX95に移行する。ヘッドランプ、フェンダー及びバンパーに改良が加えられ、スタイルが一新した。定員も前向きシートで54名、三方シートで62名に増えた。

1950年(昭和25年)にはBX91ベースの左ハンドル車、BX93も登場した。当時外国だった沖縄県その他に輸出されている。

キャブオーバー型の登場後、乗車定員を増やしたいボンネットバスユーザーの為にBX92改造指示書が架装メーカーに配布された。
1955年(昭和30年)にはBX91ベースでホイールベース4mの最小モデル、BX41が登場する。主に山間地や自家用に用いられた。また、同型のBX43、ガソリンエンジン車も製造された。
1956年(昭和31年)には105PSのDA110形エンジンが開発され、ホイールベース4mのBX131、同4.15mのBX141、同5.2mのBX151/BX152へ移行となった。これに前後してボンネットのラジエーターカバー(フロントグリル)の吸気口(スリット)が大型化し、後年まで親しまれる形状となった。
1958年(昭和33年)には118PSのDA120形エンジンが登場、BX331/BX341/BX352に移行する。
1959年(昭和34年)にはDA120形が125PSに増強され、BX521/BX531/BX552に移行した。同時にボンネットの形状が変わり、フードの開閉方式が中央ヒンジのバタフライ式から、後ろヒンジで1枚跳ね上げのアリゲーター式となり、幅も拡大されて箱型となったフェンダーと一体化した。灯火類やラジエターグリルもリニューアルされている。

1961年(昭和36年)には130PSのDA640形エンジンが開発されたことから、BX721/BX731/BX752に移行した。
1962年(昭和37年)にはキャブオーバー車がモデルチェンジし、BX721E/731Eが登場している。これらは1963年(昭和38年)にBXD20E/BXD30Eに移行し、1964年(昭和39年)にBF20/BF30系となる。その後もキャブオーバーバスシャーシーは特装車等の需要があった為、BF系は195PSのDH100形エンジンを搭載した後継のBD30/40系にモデルチェンジし、1970年代まで製造された。
1962年(昭和37年)、フロントグリルのプレス変更とともに、いすゞの全社的な型式(かたしき)称号の変更に伴い、BXD20/BXD30/BXD50に変更となって登場した。エンジンは従来のままDA640形で、BXD20がホイールベース4m、BXD30が4.3m、BXD50が5.2mとなっている。1964年(昭和39年)からTXDのモデルチェンジに伴い、ヘッドランプが4灯化され、同時にフロントグリルも変更となった。過渡期には以前からのフロントグリルに4灯タイプのヘッドランプの車も製造された(画像参照)。1967年(昭和42年)に製造が中止となり、長きにわたる歴史に幕が引かれた。

データー
型式:BXD30
登録年:昭和43年5月
全長:8.29m
全幅:2.44m
前項:2.95m
ホイルベース:4.30m
エンジン所つ力:130ps
車両総重量:8220kg
乗車定員:座席24人/立ち席24人

鴻池新田駅 (JR西日本)片町線

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鴻池新田駅(こうのいけしんでんえき)は、大阪府東大阪市西鴻池町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)の駅である。駅番号はJR-H37。駅周辺は商業地として賑わっています。

駅構造
相対式ホーム2面2線を有する高架駅。8両編成対応。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。改札口は地上に1ヶ所のみが設置される。ホームは屋根で覆われているのは、7両編成3~6号車部分しかない。

切符売場には券売機が4台と定期券発売機が1台。

株式会社ジェイアール西日本交通サービスによる業務委託駅(四条畷駅の被管理駅)かつICOCA利用可能駅。改札口の改札機は6台。ICカード専用機の導入は1台です。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 H 学研都市線 下り 京橋・北新地・尼崎方面


2 上り 四条畷・松井山手方面
大きな上屋下には冷暖房完備の待合室が設置されています。

ダイヤ
日中時間帯は1時間あたり4本が停車する。夕方は京橋駅 - 四条畷駅間の往復運転列車が4本追加される。なお、朝夕のラッシュ時には1時間に約8本程度の列車が停車する。

駅周辺
駅北側の寝屋川を渡ると大東市である。大阪市鶴見区とも隣接する。国鉄末期と比べると停車本数が減らされ、近隣の門真南駅への地下鉄の延伸も行われたが、周囲は商業地として今も栄えている。駅東側の高架下からイオン鴻池店にかけて商店街、商業施設等が続く。

名勝・公共施設など
鴻池新田会所
鴻池スカイランド
東大阪北インターチェンジ - 近畿自動車道
学校
太成学院大学(鴻池スポーツキャンパス)
太成学院大学中学校・高等学校
大阪府立城東工科高等学校
大阪府立茨田高等学校
鴻池学園高等専修学校
鴻池生活科学専門学校
大東市立諸福中学校
商業施設
鴻池グラナリーコート
イオン鴻池店(旧鴻池サティ)


バス路線
近鉄バス鴻池新田駅停留所
15番 小阪駅前 行(荒本駅前経由)
その他
2029年を開業目標とした大阪モノレールの延伸に伴い、(仮称)鴻池新田駅が開業予定。

1912年(明治45年)4月21日 - 国有鉄道桜ノ宮線の住道駅と徳庵駅との間に開業。
1913年(大正2年)11月15日 - 線路名称改定。桜ノ宮線が片町線に編入され、当駅もその所属となる。
1970年(昭和45年) - 高架化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、「学研都市線」の愛称を使用開始。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2011年(平成23年)3月8日 - JR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム導入。接近メロディ導入。
2018年(平成30年)
3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。
7月1日 - ジェイアール西日本交通サービスによる業務委託駅となる。

鴻池新田駅
こうのいけしんでん
Kōnoikeshinden
◄JR-H36 住道 (2.4km)(1.9km) 徳庵 JR-H38►
所在地 大阪府東大阪市西鴻池町一丁目1-1
北緯34度41分55.74秒
東経135度35分52秒
駅番号 JR-H37
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 H 片町線(学研都市線)
キロ程 37.9km(木津起点)
電報略号 コケ
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 13,558人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1912年(明治45年)4月21日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

フォード モデルA

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フォード モデルA

モデルAの登場は、1927年の10大ニュースにランクされるほどの一大センセーションを巻き起こした。モデルAも実用車という観点においてはフォードの姿勢を完璧につらぬいているが、すべてがまったく新設計のモデルだったのである。

世界でもっとも知られた自動車のひとつ、T型フォードの後継モデルとして1927年に登場したのがモデルAです。エドセル・フォードによって採用されたボディデザインは上級モデルのリンカーンにも通じるものがあり、多くのユーザーをひきつけることになりました。

そのボディもセダンボディのほか、クーペ、コンバーチブル、ロードスター、ステーションワゴンなど、バリエーション豊富にラインアップ。エンジンには3.3リッター直列4気筒エンジンを搭載。
ギヤシフト3速トランスミッションや4輪ブレーキなども取り入れられ、よりモダンなモデルへと生まれ変わったのです。発売とともに好調な売れ行きを示したフォード・モデルAはカスタマイズのベース車両としても利用され、当時はもちろん、現在でもカスタムビルダーに人気の車両となっているのです。モデルAは1932年まで生産が続けられ、モデルBに引き継がれますが、各ボディタイプを合わせて、500万台近くが生産されました。

 

 

車両データ / Vehicle Data
全長 / Length
3851mm
全幅 / Width
1673mm
全高 / Height
1825mm
車両質量 / Vehicle Mass
1000kg
ホイールベース / Wheelbase
2628mm
エンジン形式 / Engine Type
水冷直列4気筒L-頭型
Water-cooled, in-line4, L-head
総排気量 / Total Displacement
3286cm3
最高出力 / Maximum Output
40/30/2200(HP/kW/min-1)

木屋瀬駅 筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線

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木屋瀬駅(こやのせえき)は、福岡県北九州市八幡西区木屋瀬五丁目にある、筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線の駅である。駅番号はCK18。

周辺には新しい集合住宅も建ち並んでますが木屋瀬はかつて遠賀川の水運と、長崎街道の宿場町として栄え、駅周辺の旧街道沿いには昔ながらの街並みが残っています。


駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅である。無人駅。木屋瀬 - 筑豊直方間開業以前はここが終点だったが、現在は折り返し設備も無い。駅に隣接してサンリブ木屋瀬店があり賑わっています。


のりば
ホーム 路線 行先 備考
1 ■筑豊電鉄線 筑豊直方方面


2 楠橋・永犬丸・黒崎駅前方面
ホームにはスロープで連絡します。


駅周辺
国道200号
福岡県道73号直方水巻線
福岡県道280号植木上上津役線
北九州市立木屋瀬小学校


サンリブ木屋瀬店
木屋瀬郵便局
北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館
長崎街道 木屋瀬宿

バス路線
『ふれあいバス』 - 八幡南地区おでかけ交通運営委員会が事業主体となり、第一観光バスが運行。木屋瀬電停前 - 茶屋の原(廃止)、星ケ丘。

2013年度の1日平均乗降人員は951人である。

1958年(昭和33年)4月29日 - 筑豊中間駅 - 当駅間の延伸に際し開業。
1959年(昭和34年)9月18日 - 筑豊直方駅までの延伸により中間駅となる。


木屋瀬駅
こやのせ
Koyanose
◄CK17 新木屋瀬 (0.5km)(1.3km) 遠賀野 CK19►
所在地 北九州市八幡西区木屋瀬五丁目
北緯33度46分43.88秒
東経130度43分29.17秒
駅番号 CK 18
所属事業者 筑豊電気鉄道
所属路線 筑豊電気鉄道線
キロ程 12.6km(黒崎駅前起点)


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 951人/日
-2013年-
開業年月日 1958年(昭和33年)4月29日
備考 無人駅

三菱・6代目ランサー(痛車初音ミク)

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ランサー (LANCER) は、三菱自動車工業が生産している自動車の名称である。なお、日本国内においてはスポーツセダンのランサーエボリューション、および商用モデルのランサーカーゴを除くオリジナルのランサーは(ランサーの名称としては)2010年4月まで生産されていた(2010年5月をもって販売終了)

派生モデルとしてハッチバッククーペのランサーセレステ(1975年 - 1981年)や世界ラリー選手権のベース車として開発されたランサーエボリューション(1992年 - )等が存在する。
三菱自動車の歴史において、先行して生産されていた小型乗用車のコルトが、コルトギャランのミドルサイズカーに移行した後、スモールセダンの充実を図るために誕生した車種。その後さらにハッチバックを主体としたミラージュも誕生したことで、車格の住み分けと販売の充実を狙ったが、その誕生由来にある通り、ギャランへの接近、ミラージュとの共有など、販売と設計の方針において、やや一貫性に欠けるところもあった。
その誕生から、国内他社先行の競合車との宣伝競争が顕在化するセグメントであり、特にラリーを中心とした競技参加を積極的に進めてきた車種でもある。競技参加により、海外輸出、生産でも、三菱自動車のスモールセダンの主体を成す車種であった。
競技実績や販売数に伴い、比較的高年齢層で車名が知られている。


三菱・ランサーセディア 三菱・ランサー(6代目)
CS2/5/6A/5W型
販売期間 ランサーセディア:2000年5月 - 2003年2月
ランサー2003年2月 - 2010年5月
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアノッチバックセダン
エンジン 直4 1.5/1.8/2.0Lガソリン
駆動方式 FF/4WD
変速機 5速MT/4速AT/CVT
サスペンション 前:マクファーソンストラット
後:マルチリンク
全長 4,535mm
全幅 1,695mm
全高 1,430mm(ラリーアートは1,415mm)
ホイールベース 2,600mm
最小回転半径 4.9m(ラリーアートは5.2m)
最低地上高 150mm(ラリーアートは135mm)
後継 日本:
1.5Lモデルを除きギャランフォルティスに統合

初音ミク
初音ミク(はつね ミク、Hatsune Miku)は、クリプトン・フューチャー・メディアから発売されている音声合成・デスクトップミュージック (DTM) 用のボーカル音源、およびそのキャラクターである。
ヤマハの開発した音声合成システム「VOCALOID」に対応したボーカル音源で、メロディや歌詞の入力により合成音声によるボーカルパートやバックコーラスを作成することができる。息継ぎ、強弱も入力可能。また、声に身体を与えることでより声にリアリティを増すという観点から女性のバーチャルアイドルのキャラクターが設定されている。
初音ミクは、クリプトン・フューチャー・メディア(以下クリプトン)が2007年から展開している、ヤマハが開発した音声合成システムVOCALOIDにより女声の歌声を合成することのできるソフトウェア音源で、対応エンジンのバージョン、声質の違いにより複数の製品が発売されている。最初の製品は、2007年8月31日に、声に歌い手としての身体を与えることでより声にリアリティを増すという観点からソフトウェア自体をバーチャルアイドル(バーチャルシンガー)と見立ててキャラクター付けした製品シリーズ「キャラクター・ボーカル・シリーズ(CVシリーズ)」の第1弾として発売された。初音ミクは「未来的なアイドル」をコンセプトとしてキャラクター付けされている。名前の由来は、未来から来た「初めての音」から「初音」、「未来」から「ミク」。発売元のクリプトンはキャラクター画像については非営利であればほぼ自由な利用を認めており、ユーザーによる歌声の利用だけでなくキャラクターを用いた創作活動をも促進する形がとられている。
動画を中心に初音ミクが「歌っている」歌という形をとった、あるいは初音ミクを題材とした、10万曲以上に上るとされる楽曲や、イラスト、CGによるプロモーションなど様々な作品が発表されており、初音ミクはこうした多くのユーザーの手による多彩な創作物から形づくられる、消費者生成メディア (CGM) により成立している女性アイドルという性格を持つ。ユーザーによる創作物の中には、キャラクター利用の許諾を受けた上でCD、書籍などの形で商業展開が行われているものもある。また、キャラクターとしての人気の高さからゲームソフトや、キャラクターフィギュアなど関連商品、CG映像を使ったライブなど企業の企画からなる商業展開も多く行われているが、それらについてもフィギュアにアイテムとしてネギを付属させるなど、ユーザーによる創作から広まった流行を取り入れることも行われている。

 

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