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三雲駅 草津線

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三雲駅(みくもえき)は、滋賀県湖南市三雲荒川にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)草津線の駅である。前駅貴生川から京都方面への通勤通学客が多い駅です。

駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、交換可能駅である。現在の駅舎は3代目で、2017年(平成29年)築である。両乗り場ともに8両編成まで停車が可能であるが、橋上駅舎化と同時に行われたホームの嵩上げは一部のみとなっており、ホームの中間部がスロープ状になっている。

自動改札機は簡易式のものを3台、自動券売機は高額紙幣が使えないタッチパネル券売機1台を備えており、トイレは改札外のみ設置されている。

駅前広場は大変狭く、朝夕は送迎の自家用車やコミュニティバス(湖南市および隣接する甲賀市が運行)で大変混雑していたが、駅南側に仮ロータリーが整備されたのに伴い、2016年3月からは一般車進入禁止となり、さらに橋上駅舎化と同時にバス乗り場も北口から南口仮ロータリーに移設された。

かつては当駅と近江八幡駅・三重県の亀山駅を結ぶJRバスが運行されていたが、2005年までに全て廃止されコミュニティバスに置き換えられている。 草津駅が管理し、ジェイアール西日本交通サービスが駅業務を受託する業務委託駅であるが、みどりの窓口が設置されている。ICOCA利用可能駅。

草津方面停車ホームの南側に引込み線があり、保線車両が使用する。

現在、湖南市東部の都市基盤整備の一環として当駅周辺の再開発工事が進められており、最終的には駅南北に駅前広場が整備される予定である。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 C 草津線 上り 貴生川・柘植方面


2 下り 草津・京都方面

駅周辺
周辺は住宅が多い。国道1号線沿いを中心に商業施設も多い。また、市が管理する駐輪場があり、無料で利用できる。駅北側にコインパーキングエリアが開設されている。
甲西三雲郵便局
滋賀県道13号彦根八日市甲西線
天保義民の丘(近江天保一揆)
カインズモール甲賀店
滋賀銀行
天壇三雲店
さと三雲店
平和堂甲西店
東陶滋賀工場
王将三雲店
ホテル三雲
湖南工業団地
市立三雲東小学校
公立三雲保育園
三雲まちづくりセンター
妙感寺
サテライト湖南コスモス(競輪の場外車券売場)

1889年(明治22年)12月15日 - 関西鉄道の創業路線である三雲駅 - 草津駅間開業により、その終着駅として設置。
1890年(明治23年)2月19日 - 関西鉄道が柘植駅まで延伸し、途中駅となる。
1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道国有化により、日本国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。草津線の所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2017年(平成29年)4月8日 - 橋上駅舎および南北自由通路が使用開始。


三雲駅
所在地 滋賀県湖南市三雲荒川457
北緯34度58分59.68秒
東経136度7分3.02秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 C 草津線
キロ程 20.5km(柘植起点)
電報略号 ミモ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,964人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1889年(明治22年)12月15日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有


三胴船 海上自衛隊(練習艇)

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三胴船

中央の主船体と両脇の副船体の3つの船体をデッキで繋いだトリマランや三胴船と呼ばれる船型もあり、やはり高速航行に適した形状として少数の船が作られている。

水面下に沈んで水と直接接する下部船体が中央に1つ、左右に2つ、細長く平行している船型である。中央船体(センターハル)が大きく、左右の船体(サイドハル)はいくぶん小さく構成されていることが多い。双胴船と同じく上部船体部分は左右方向にも広く取れ、中央船体で主要な重量を支えられるために重量配分が双胴船と比べれば単純となる。
オーストラリアの超高速カーフェリー「トリウムファント」(後に「ドルフィン・ウルサン」と改名)が最初の実用船であったが1年ほどで引退し、さらに大きく早い「ベンチジグア・エキスプレス」(127m, 40kn)がカナリー諸島で就役している。

三胴船は双胴船の欠点である横波による揺れを解決するために、左右の下部船体を小さくすることで横波による揺れの固有振動数を長くして、少しの横波ぐらいでは揺れないようにしている。

双胴船と同様に、センターバウがバウダイビングに対する安全性の確保に貢献する。 中央船体の大きな三胴船は単胴船の左右にアウトリガーを付けて左右復原力を確保した船型とも考えられるため、別名「スタビライズド・モノハル」とも呼ばれている。

双胴船と比べて三胴船はまれであり、主に高速フェリーや外洋レース用として利用されている。
また軍用艦艇ではアメリカ海軍のインディペンデンス級沿海域戦闘艦や、海上自衛隊の水上標的に採用されている。

トリマラン(又はダブルアウトリガーは)あるmultihullの ボートメイン含む船体 と2つの小さなアウトリガー殻(又は「フロート」)横ビームと主船体に取り付けられています。ほとんどのトリマランはレクリエーションやレース用に設計されたヨットです。他はフェリーか軍艦です。

最初のダブルアウトリガーボートは、オーストロネシアの人々によって開発され、現在でも東南アジア海域やマダガスカルの伝統的漁師によって広く使用されています。風下に追いつく ときの後者の不安定性の問題に対処する方法として、それはより古いシングルアウトリガーボートから発展しました。しかし、ダブルアウトリガーボートはミクロネシアとポリネシアのオーストロネシア人の間では発達しませんでした(それは西部メラネシアに存在しますが)、代わりにシングルアウトリガーボートとカタマランが使われます。

Sandeq伝統とダブルアウトリガーヨットオーストロネシア カニの爪帆で Majene、西スラウェシ島、インドネシア
現在の米国の用語のいくつかは、トリマランがこの地域で生まれつきではないにもかかわらず、アウトリガーに関するポリネシアの用語に由来しています。セーリングカタマランとトリマランは、1960年代と1970年代に人気を博しました。

現代の帆走トリマランのアマチュア開発はビクターTchetchet、約24フィート(7メートル)の長さのマリン合板で作られた2つのトリマランを造った米国へのウクライナの亡命者の努力で始まりました。彼は「トリマラン」という言葉を造ったと信じられている。 1950年代及び60年代には、アーサー・ピバーは設計及び構築された他の住宅建築業者によって採択された合板キットトリマランを、しかし現代の基準によって海親切重鎖およびなかったです。それにもかかわらず、これらのうちのいくつかは海洋横断を達成しました。他のデザイナーには、続くジム・ブラウン、エド・ホルストマン、ジョンMarples、ジェイ・カントラ、Chris White、Norman Cross、Derek Kelsall、Richard Newickにより、トリマランクルーザーは新たなレベルの性能と安全性を実現しました。

自家製の動きに続いて、生産モデルが利用可能になりました。長さ19〜36フィート(5.8〜11.0 m)の一部のトリマランは、ロードトレーラーで輸送できる「デイセーラー」として設計されています。F-27 Sport CruiserのようなオリジナルのFarrier - Corsair折りたたみトリマラン- とオリジナルのJohn Westellのスイングウィング折りたたみトリマラン(後にQuorning Dragonflyでも採用されている同じ折りたたみシステムを使用しています)およびトリマランのようなものがあります。

トリマランの概念は旅客フェリーと軍艦の両方にも使用されています。たとえば、2005年には、127メートルのトリマラン(417フィート)のBenchijigua Expressが、カナリア諸島でのサービスのために、Austalによってスペインのフェリー運航会社Fred Olsen、SA に届けられました。最大40ノットのスピードで1,280人の乗客と340台の自動車、あるいはそれと同等のものを運搬することができ、このボートは配達の時点で世界最長のアルミニウム船でした。現代の軍艦は、RV トリトンは、英国の委嘱された防衛請負業者キネティック、2005年10月2000年にアメリカ海軍 Austalによって設計および製造されたGeneral Dynamics LCSトリマランの建設の評価を依頼されました。 DARPAはトリマランの設計を実験、そして2012年に授与されSAICに 4を介してフェーズ2を実行する契約ACTUVプログラム。契約は2015年8月までに完了する予定です。

 

代々木駅(都営地下鉄)

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代々木駅(都営地下鉄)JR山手線、総武本線との乗換駅です。

駅名の由来
当駅に近かった代々木村に因む。

ただし、当駅所在地は代々木村(駅開業時点は合併して代々幡町)ではなく、千駄ヶ谷村(同じく千駄ヶ谷町)であり、在来の代々木地域には含まれない。地元住民にとって代々木といえば、当駅周辺より上原や富ケ谷といった地域を指していた。

開業当時、代々木村に駅がなく(小田急小田原線と京王線は開通前)人口が多かった(合併後で7万人)ことが背景と見られる。


島式ホーム1面2線を有する地下駅である。副駅名は山野美容専門学校前。

北隣の新宿駅は地上に上がるまでに時間を要する。また、東中野駅での乗り換えも一旦屋外へ出る必要がある。そのため、JR山手線、中央・総武線との乗り換えは当駅が至便である。

A3出口とコンコースを結ぶエレベーターは両側にドアがあり、JR北口からも利用できるようになっている。改札内コンコースとホームを結ぶ階段・エスカレーターには、周辺施設パネルが設置されている。

切符売場に券売機は3台。ICカードチャージ機が1台設置されています。改札機は5台、うち2台が出場専用に設定されています。

のりば
番線 路線 行先
1 E 都営大江戸線 六本木・大門・門前仲町方面


2 新宿・都庁前・光が丘方面

利用状況
都営地下鉄 - 2017年度の1日平均乗降人員は37,678人(乗車人員:18,758人、降車人員:18,920人)である[利用客数 2]。
都営大江戸線全38駅中21位。

大江戸線(おおえどせん)は、東京都交通局が運営する鉄輪式・リニアインダクションモーター推進方式を採用した鉄道路線(都営地下鉄)。鉄道要覧には12号線大江戸線と記載されている。都営大江戸線と呼ばれることが多い。

東京都練馬区の光が丘駅と渋谷区の新宿駅を結ぶ放射部と、新宿駅から反時計回りに新宿区の都庁前駅に至る環状部から構成される。環状の路線を形成しているが、山手線などとは異なり、「エンドレス循環型」運転ではなく「6の字型」運転である。なお、起点は都庁前、終点は光が丘である。

路線名の由来は東京の古称である江戸の雅名「大江戸」から。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「マゼンタ」、路線記号はE 。

東京都交通局
東京都交通局 代々木駅
よよぎ
Yoyogi
(山野美容専門学校前)
◄E 25 国立競技場 (1.5km)(0.6km) 新宿 E 27►
所在地 東京都渋谷区代々木一丁目35-5
北緯35度40分58.8秒
東経139度42分6.2秒
駅番号 ○E 26


所属事業者 東京都交通局(都営地下鉄)
所属路線 ●大江戸線
キロ程 27.2km(都庁前起点)
電報略号 代(駅名略称)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線


乗降人員
-統計年度- 37,678人/日
-2017年-
開業年月日 2000年(平成12年)4月20日

TWILIGHT EXPRESS 瑞風 (JR西日本)

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TWILIGHT EXPRESS 瑞風(トワイライトエクスプレス みずかぜ)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が2017年6月17日から運行開始した周遊型臨時寝台列車(クルーズトレイン)である。京阪神地区と山陰山陽エリア間で運行されている。


概要
1989年(平成元年)7月21日から約26年間にわたり運行し、2015年(平成27年)3月12日(始発駅基準)をもって運行を終了した臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」の名称を受け継ぐ形で、2017年(平成29年)6月17日に営業運転を開始した。なお、2015年まで運行していた『初代トワイライトエクスプレス』(機関車が牽引する客車列車)に対し、当列車が『2代目』と呼ばれる事もある。京阪神地区から山陰、山陽エリアで運行され、運行中に沿線での立ち寄り観光を実施する。
列車名の「瑞風」とは「みずみずしい風」のことで、「吉兆をあらわすめでたい風」という意味を併せもつ。また、稲穂が豊かに実る日本の美称として「瑞穂の国」というものがあり、そこに新しい「トワイライトエクスプレス」という風が幸せを運んでくる、という情景をイメージしている。また、「TWILIGHT EXPRESS」がサブタイトル扱いとなっている。
ダイニングカーで提供される料理はフードコラムニストの門上武司がプロデュースし、村田吉弘(和食料亭「菊乃井」三代目主人)、米田肇(レストラン「HAJIME」オーナーシェフ)が監修する。
2017年(平成29年)度グッドデザイン・ベスト100を受賞。

運行区間
2015年6月18日に発表された内容によると、運行ルートは以下のとおりである。また、同年11月6日には山陽コース(上り)1泊2日において呉線乗り入れ、2016年5月20日には山陰コース(上り)、山陽・山陰コース(周回)において伯備線乗り入れが追加発表された。また、2016年7月8日の発表では萩駅から乗車が可能となった。
2018年7月7日より平成30年7月豪雨の影響で運休となったが同年7月18日より運転再開した。ただし、山陽本線が一部不通のため「山陽・山陰周遊コース」のみ「山陰コース 2泊3日」として運行ルートを往復での山陰本線経由に変更、山陽コースを休止し山陰コースに変更している。なお、山陰コースについては変更がない。同年10月3日より山陽本線の復旧に伴い、ほぼ元のコースルートに戻る予定となっていたが、平成30年台風24号により山陽本線の一部区間が再び不通となったために同年10月3日始発の「山陽・山陰周遊コース」は運休となった。同年10月20日より山陽本線の全線復旧により山陽ルート・周遊コースは元のルートで運転再開した。また、呉線経由のコースについては別途復旧次第となる。


山陽コース(下り)1泊2日
1日目: 京都駅・大阪駅 → 倉敷駅 → (五日市車中泊)
2日目:(五日市車内泊)→ 岩国駅 → 下関駅
山陽コース(上り)1泊2日
1日目: 下関駅 → 宮島口駅 → (車中泊)
2日目:(車内泊)→朝に呉線を折り返し(※三原駅→広駅→三原駅)→ 尾道駅 → 大阪駅・京都駅
山陰コース(下り)1泊2日
1日目: 大阪駅・京都駅 → 城崎温泉駅 → (車中泊)
2日目:(車内泊)→ 東萩駅・萩駅 → 下関駅
山陰コース(上り)1泊2日
1日目: 下関駅 → 出雲市駅 → (車中泊)
2日目:(車内泊)→朝に伯備線を折り返し(※伯耆大山駅→岸本駅→伯耆大山駅)→鳥取駅 → 京都駅・大阪駅
※冬季は伯耆大山駅から江尾駅の折り返し運行                     
山陽・山陰コース(周遊)2泊3日
1日目: 京都駅・大阪駅 → 岡山駅 → (下関車中泊)
2日目:(下関車内泊)→ 宍道駅・松江駅 → (車中泊)
3日目:(車内泊)→朝に伯備線を折り返し(※伯耆大山駅→岸本駅→伯耆大山駅)→ 東浜駅 → 京都駅・新大阪駅
※冬季は伯耆大山駅から江尾駅の折り返し運行 (車中泊)
山陰コース 2泊3日(山陽本線の一部区間不通によるもの)
1日目:大阪駅・京都駅 → 城崎温泉駅 →(浜田駅折り返し・車中泊)
2日目:(浜田駅折り返し・車中泊)→ 宍道駅・松江駅 → (車中泊)
3日目:(車中泊)→朝に伯備線を折り返し(※伯耆大山駅→岸本駅→伯耆大山駅)→ 東浜駅 → 京都駅→ 新大阪駅
※2018年7月18日以降は山陽本線不通により「山陽・山陰コース(周遊)2泊3日」から1日目のみ変更して、山陰本線経由での「浜田駅折返し」となっているが、山陽本線の復旧に伴い同年10月3日の運行から元の周遊コースに戻る予定だったが、平成30年台風24号により山陽本線一部区間の不通が再度発生し同年10月3日始発は運休となった。同年10月24日に元の周遊コースに戻る。

車両
車両のデザインは、「美しい日本をホテルが走る」がコンセプトとなっている。これは、JR西日本の車両に共通するコンセプトである「安全で、明るく、広く、静かで、快適」を追求し、洗練された上品さと心休まる懐かしさを感じる「上品さの中の懐かしさ」・「ノスタルジック・モダン」としている。モダンデザインの美の基準として単純化された形・色・素材・光・運動を統合した美に装飾的な5本の流線を繋いだ構成となっている。また、機能を可視化するというアプローチから、視野を比較的に広く確保しやすい高運転台を採用し、空気の流れを考慮した展望デッキを設けることで、新しい印象でありながら、懐かしい雰囲気も感じられる外観としている。車両のエクステリアデザインは、建築家の浦一也・インダストリアルデザイナーの福田哲夫の両名が担当した。
車内のインテリアデザインは、20世紀前半に流行した、直線的・機械的でコンパスで描いたような同心円などのデザイン様式である「アール・デコ」様式を採用している。床や壁、天井などの内装全般や、車内の案内表記のサイン・家具・備品類・アートまで行き届かせ、職人の手仕事により作られた西日本地区の伝統工芸品である、彫刻によるスイッチプレート・釘隠・陶芸・カットガラス・ハンガー彫刻などが取り入れられ、これにより、車内のデザインに彩りが生まれ、落ち着きある空間を創造している。また、それらの素材には、メラミン化粧板・アルミ基板の練付合板・不燃木が使用されている。
車内の案内表記のサインは、アール・デコ様式のデザインを基本とし、施設名称・NOTICE系・WAY-FINDING系の3種類に分離している。WAY-FINDING系においては、共用スペースがある1・10号車やラウンジがある5号車に向かう乗客に対して直感的に分かるシンプルなデザインとしている。

編成は10両編成で、寝台車6両、ダイニングカー1両、ラウンジカー1両、展望スペース付き先頭車2両により構成される。客室は1両あたり1室と3室の2クラスがある。定員は30名程度を予定していたが、最終的には定員34名のツアー募集となった。

2014年5月21日に先頭車デザインとスイート車車内の初期イメージ図が公開された。その後、2015年9月16日に正式な当列車の外装・内装デザインが公開された。2016年2月22日には、近畿車輛と川崎重工業が製造を担当していることが公式サイトで公表された。この時に、近畿車輛で製作中の先頭車の塗装前の状況も公表された。
2016年3月30日に、川崎重工業製の5両が黒くラッピングされた状態で、DE10に牽引され吹田貨物ターミナル(以下吹田タ)へ甲種輸送された。輸送されたのはツイン寝台車(4号車はシングル・ツイン)である。吹田タに到着したこの5両のうち3両は、DD51牽引で網干総合車両所宮原支所(以下宮原)へ搬入された。残り2両(2号車と9号車)は未完成の内装を仕上げるために、吹田総合車両所(以下吹田)へ搬入された。宮原に搬入された3両の内、3号車(キサイネ86-301)が同年6月30日に吹田に搬入された。
2016年8月15日には、近畿車輛が製造を担当していたキイテ87-1・キイテ87-2が甲種輸送で宮原に搬入された。宮原到着後は、既に搬入されていたキサイネ86-1・101と連結して4両編成に組成され、同年9月下旬から試験走行が開始された。残りの3両(キシ・キラ・キサイネ)は、同年12月13日に、近畿車輛から甲種輸送で宮原に搬入された。これで、TWILIGHT EXPRESS 瑞風に使用される87系寝台気動車10両の1編成全てが揃った。同年12月19日に、10両編成での初の試運転が実施された。その後は、編成を再び5両編成に組成して山陰線を経由して後藤総合車両所に回送された。その後は、試運転を経て2017年2月13日に宮原に返却回送された後、同年2月23日には、同所にて黒いラッピングが外されてTWILIGHT EXPRESS 瑞風の真の姿がお披露目された。
また、車籍としては、キイテ87-1,2・キサイネ86-1,101の4両が2016年9月29日に、他の6両が2016年12月19日の新製扱いとなっている。
点検に関しては、2017年12月31日にキイテ87-1+キシ86-1+キラ86-1+キイテ87-2の4両が後藤総合車両所に入場していることから担当車両所とされている[RF 15]。
2018年5月11日の5号車のラウンジカーにおいて食器洗浄用水質の一部項目で「不適合」な検査結果が検出されたことを受け、食品衛生法に基づいた編成全体の水タンクで飲用に適合での点検が行われたために同年5月12日始発(山陰コース(下り))・同年5月16日始発(山陽・山陰コース(周遊))が運休となり、同年5月21日始発(山陽コース(上り))から運転再開となった。

形式
甲種輸送や公式サイトの情報によって、当列車で使用される車両の形式名は「87系寝台気動車」であることが分かった。
近年、JR西日本が新製・運用する気動車では3桁形式が使われているが、この列車のテーマの一つである「ノスタルジックモダン」に基づき国鉄形気動車や現在もJR東海が新製・運用する気動車に見られるような2桁形式を採用している。 また5号車のラウンジカーの形式は「キラ86」という、これまでにない形式となった。

塗装・ロゴマーク
先代のトワイライトエクスプレスと同じく緑色が基本となっているが、色合いはより艶やな「瑞風グリーン」となっている。 帯色は先代ではイエローとシルバーだったが、本系列ではゴールド帯である。
ロゴデザインについては「瑞風」の「M」を沿線の山並みに見立て、吹き抜ける風を「トワイライトエクスプレス」の象徴であり、そのロゴデザインに使用されていた天使で表現した。また、列車名の「TWILIGHT EXPRESS」はサブタイトルになる。
また甲種輸送の際に黒くラッピングされた車体には、「TWILIGHT EXPRESS MIZUKAZE」「SPRING 2017 DEBUT」といった文字も記載されていた。このラッピングは2017年2月23日まで継続された。

車体
車体は、寝台がある2・3・4・8・9号車では、静粛性や床下に搭載された水タンクなどの重量物などを考慮して、枚の板の間にトラス状の補強が入った大型押し出し成形材のアルミニウム合金を溶接で接合したアルミダブルスキン構造となっている。展望室がある1・10号車、ラウンジがある5号車、食堂車がある6号車では、エンジン発電機や主回路を構成する機器類を搭載するため、鋼製溶接構造としている。7号車は、寝台がある車両だが、ダブルデッカー構造のため、鋼製溶接構造としている。また、鋼製車両では、車両軽量化が必要とされるため、耐候性鋼材やSUS(ステンレス)材を積極的に使用している。これにより、車体強度を十分に確保しながらの軽量化が図られている。床構造は、床板にSUS、詰物にエポキシ樹脂または発泡樹脂。上敷物に塩化ビニルまたは大理石としている。
そのほかにも、前面衝撃吸収構造と、オフセット衝突や側面衝突対策などの、各種衝突対策構造を、225系と同様の設計と解析手法で適用している。また、アルミや鋼製などの材質に関係なく最新の安全対策を標準として設計されている。
乗務員室の窓には、飛来物の貫通を防ぐ機能のついた電熱線入り3次曲面熱線吸収合わせミガキガラスと、客室側窓の、IRカット中間膜や、Low-Eなどが入っている熱線吸収複層合わせガラスをそれぞれ採用している。
放送装置は、車内放送・車外放送・乗務員間連絡・各車個別放送・緊急放送の機能が備わっており、車内放送・車外放送・車内+車外放送の3モード切替が可能となっている。

動力方式
使用される車両には動力分散方式が採用されている。編成は、10両編成のうち動力車を1・5・6・10号車とし、4M6Tとなっている。ディーゼル発電機にて発電した電力と、蓄電池の電力とを組み合わせて、三相誘導電動機をVVVFインバータ制御により駆動させるシリーズ式ハイブリッドシステムである。
主回路の構成は、最初にディーゼル発電機からの交流440V・60Hzは整流装置で直流600Vに変換する。その後はIGBT素子により、2レベル三相電圧形PWN制御インバータ装置によるVVVFインバータ制御により三相交流に変換して、センサレスベクトル制御により三相誘導電動機を駆動させる方式としている。また、整流装置とインバータ装置との間に、直流電圧600V・容量40Ahの主回路用リチウムイオン蓄電池が接続されており、インバータ装置には主回路蓄電池の充電用にチョッパ制御機能が付いている。主回路の制御装置はインバータ装置1基で電動機1基を制御する1C1M構成を1群とし、それを2群としたユニットを2つ搭載している。三相誘導電動機は1両に4台搭載されている。主回路の制御装置の素子の冷却方式は、走行風自冷方式から水冷方式に変更されている。これにより、装置自体が外形寸法で小さくなり、体積比では92%の削減となっている。これにより、装置は大幅に小形化・軽量化された。また、それに付属するフィルタ回路も同様に水冷方式に変更することで、装置全体の小形化が図られている。このため、制御装置を屋根上に搭載することが可能となり、空調装置と並んで搭載している。また、ディーゼル発電機と主回路用蓄電池には、自動消火装置を設置して火災に備えている。
ディーゼル発電機は、JR西日本の気動車で既に実績がある、電子式燃料制御のSA6D140HE-3形ディーゼルエンジンに出力400kVAのWDM115形発電機を直結させている。エンジン回転数1800rpm(1分間当たり1800での回転数)で、発電機からの出力電源・周波数は交流440V・60Hzの一定となっている。これを、床下の車体中央部に、2つのエンジン冷却装置とともに燃料タンクを挟んで2台搭載している。2台は並列運転されており、列車の空調装置や照明装置などの負荷に供給する電力や動力車の駆動に必要な電力を供給している。そのため、補助電源装置の搭載は省略されている。
これらの動力装置類を、1・10号車である展望室車のキイテ87、6号車である食堂車のキシ86、5号車であるラウンジ車のキラ86の4両の動力車に集中配置させており、客室に寝室がある付随車には、これらの動力装置類を配置しないことで、車内の静粛性を図っている。
リチウムイオン蓄電池は、万が一の発火などを考慮して、動力車の隣に連結された付随車のキサイネ86の床下に搭載されており、力行時での電力アシストやエンジン発電機停止中での力行用の電源として使用可能である。また、蓄電池は回生ブレーキ時での回生電力による充電のほか、惰行時でのエンジン発電機からの電力を充電することが可能としている。また、蓄電池の冷却方式はヒートパイプ式を採用している。
主電動機は、直流600V用として、内部の清掃などを大幅に低減できる、全閉式の三相かご形誘導電動機のWMT108形であり、出力は130kWである。車両に搭載するぎ装時での寸法の制約から、省スペース化を図るため固定子の磁極のコイルの巻き数を低減させている。また、固定子の極数を4極から6極にすることで、必要な性能を確保している。
ブレーキ方式は回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキを採用している。応荷重制御、遅れ込め制御、車輪の滑走を検知して再粘着させる滑走制御のほか、直通予備・救援・耐雪・抑速ブレーキを備えている。電空ブレンディング制御により、停止するまで回生ブレーキによる電気ブレーキでの制動が可能である。また、基礎ブレーキで使用される、ブレーキシリンダーの圧力制御や、車輪の滑走による滑走再粘着制御は、台車単位で行われる。
車両の制御回路は、最新の伝送線による伝送制御ではエンジン制御や発電制御などに新規に開発する必要があるため、従来の指令線を使用している。そこに、機器状態の表示や、運転士・車掌支援・検修支援、サービス機器を操作できる、モニター装置を取付けた構成としている。

その他の機器
台車横に搭載されている空気圧縮機はVベルト駆動によるスクロール式のWMH3119-WRC680形を採用しており、1・10号車に各1台、2・9号車に各3台搭載している。
空気タンクは二室空気だめ(元空気タンク・制御空気タンク)、供給空気タンク、直通予備ブレーキタンクを床下に搭載しており、元空気タンクの空気圧力は780-880kPaである。
JR西日本の新型車両にも搭載されている車両異常挙動検知システムを装備しており、車体には車両挙動センサーが取付けられている。
保安装置は、ATS-P・ATS-SW・ATS-DWの機能を統合した統合型ATS車上装置を装備している。
冷房装置は、屋根置き形ユニットクーラ方式を採用しており、出力が23.26kWのWAU706A-G1・WAU710と出力が7.0kWのWAU711がある。WAU706A-G1は10・6・5・1号車に各2台、WAU711は9・8・4・3・2号車に各5台、WAU710は7号車に2台搭載している。
蓄電池は、走行用のリチウムイオン蓄電池のほかに、直流100V・容量60Ahのニッケル水素蓄電池を2・9号車に各2台1、4・7・10号車に各1台搭載しているほか、直流24V・容量175Ahの鉛蓄電池を1・5・6・10号車に各1台搭載している。
照明関係・液晶車内表示器・モニタ装置・主幹制御器・遮断器盤・継電器盤・車掌操作盤・床下機器箱等はコイト電工が納入していることを運行開始後の2017年7月21日に公表している。この功績に伴い、2018年5月21日にJR西日本から感謝の盾を授与されている。

台車
台車は227系電車をベースとした軸箱支持装置が軸梁式の軽量ボルスタレス台車である。パーキングブレーキ付の付随台車のWTR250Aは付随車の2・9号車、パーキングブレーキなしの付随台車のWTR250形は付随車の3・4・7・8号車、動力台車のWDT69形は動力車の1・5・6・10号車がそれそれ採用している。基礎ブレーキは、動力台車がユニット式の片押し踏面ブレーキ、付随台車が車輪にブレーキディスクを2枚取付けたディスクブレーキとユニット式の片押し踏面ブレーキの2つを併用したものを、それぞれ採用している。この台車には、ヨーダンパーの他に、車体に取付けられた加速度センサーにより、左右の車体の揺れを抑える空気圧式の動揺防止制御装置(フルアクティブサスペンション)、同じく車体に取付けられた加速度センサーにより、空気ばねに平行して取付けたダンパの減衰力を切替えて車体の上下振動を緩和させる油圧式の可変減衰上下動セミアクティブダンパを採用して、乗り心地の向上を図っている。この、油圧式の可変減衰上下動セミアクティブダンパを含めた「可変減衰上下動ダンパーによる上下制振制御システム」については鉄道総合技術研究所と日立オートモディブシステムとの共同開発であり、同じクルーズトレインである「TRAIN SUITE 四季島」でも使用されている。
連結器
1・10号車の展望デッキ側に密着連結器を備え、車両間の連結器には密着連結器に加えて電気連結器を装備している。

車両詳細
展望車 キイテ87-1・2
編成の両端にある展望車で、流線型となった先頭部にはオープンデッキ型開放デッキと運転台から車体中央部は屋根まで続く大きな窓を活かしたハイデッカー式側面展望スペースを備えた動力車。先頭部にオープンデッキ型開放デッキがあるのは、客車ではジョイフルトレイン等でよく見られたが、気動車の先頭部に採用されたのは恐らくこの87系が初となる。さらに開放デッキ上にある庇部分には小型のライトが複数設置され、最後尾時に点灯する。また運転台の後方部分がガラスで仕切られており、側面展望室側から前方の景色が見られるように配慮されている。運転台は2階にあり展望デッキと側面展望室の間にある通路から階段を使って出入りし、その通路は乗務員扉やオープンデッキにも繋がっている。展望室直後の後部側のスペースは、サービスクルー用寝室スペースとなっている。走行中、前面開放デッキは安全の面から編成の最後尾のみ開放され、1号車と10号車ともに展望室には運転室後方に椅子と4人掛けソファーがあり、床はカーペット敷きであるが、カーペットの色と4人掛けソファーの向きが異なっている。流線型のフォルム、丸形ヘッドライトや運転室の位置などには晩年のボンネットスタイルを彷彿とさせ、「ノスタルジック・モダン」としての懐かしさを演出している。定員8名で排気筒は運転台後ろと車端部外側の2ヶ所に設置され、先頭部にある二重丸状のライトは中央部がフォグランプ付きHID型ヘッドライト、内側部分がテールライトとなっている。また側面展望室の床下部分には機械室用の作業扉が側面に4つ設置されており、床下にディーゼルエンジンと発電機を各2台と空気圧縮機を1台、主電動機を4台搭載しているため、先頭車の重量が58.3 tという機関車並みの重量となった。
2人用の寝台設備を備えた車両でツインルームであり、寝室・シャワールーム・トイレ・洗面所で構成されており、動力を持たない付随車である。1両につき3室ある寝台の内装と引戸には、岡山県のクワ、鳥取県のカゴノキ、島根県のカシ、広島県のミズメ、山口県のシイノキなどの中国地方の各県の木材を用いており、各所に沿線各地の伝統工芸品を誂えている、寝室は収納式ベットを採用することで昼間は収納して広くゆったりとしたリビングスペースにすることができる。寝室には、ライティングディスク・スタンド照明・腰掛・スツールが設けられている。また、一部の窓は開閉できるようになっており、個室の入口の引戸と可動壁を開放することで通路側の大窓から景色を見ることができる。2・9号車に共用便所と3・8号車に共用シャワー室をそなえているほか、業務用としてサービスクルー室を備えている。定員6名。また、2・9号車には床下に走行用のリチウムイオン蓄電池と空気圧縮機を3台搭載している。
ロイヤルツイン・ロイヤルシングル寝台車 キサイネ86 401(4号車)
編成の4号車に連結される車両で、動力を持たない付随車である。瑞風発表当初はシングルルームは設定されていなかったが、様々なニーズに対応するために後に正式デザイン発表時にシングル寝台が2室追加され、旧A寝台のロイヤルの延長線上にある1人用個室である。このロイヤルシングルは。ベット・ライティングディスク・スタンド照明・シャワールーム・トイレ・洗面所で構成されており、エキストラベット機能[注 7]を活用する事で、2名で使用する事が可能で、更に4号車には車椅子に対応したユニバーサル仕様のツインルームを1室備え、乗降口とそこからツインルームまでの通路と部屋の入口が車椅子でも通れるように幅が大きく取られている。この車両でも他のツイン寝台車と同じく通路側の大窓から景色を見ることができる。その他に車掌室・業務用室・食堂車用の食材庫(冷蔵庫)を備えている。定員は2・3・8・9号車と同じ6名で、これはエキストラベット込みの定員数となっている。また、床下に走行用のリチウムイオン蓄電池を搭載している。
スイート寝台車「ザ・スイート」 キサイネ86-501(7号車)
1両1室という、世界的にも希少な広いスペースを持った車両で室内にはエントランスやプライベートバルコニー、リビング・ダイニング・寝室・トイレ2箇所(玄関横とユニットバス内)・バスタブ付バスルームを備えた大変豪華な車両で、特にバスルームは夢空間のオロネ25 901「デラックススリーパー」以来の設備となる。瑞風の寝台クラスの中では最上級価格である120-125万円となる予定で、寝室&リビングの通路側には天井まで届く大きな窓、バスルームにも横長の窓と天窓が設置される一方、寝室・ソファー側の窓は非常に小型であり、左側面と右側面で窓の表情が大きく異なる。またこのスイート車のみダブルデッカー構造の鋼製車両とし、リビングと寝室は階下に通路を配置することで広い個室空間を実現した。その他プライベートバルコニー部分の窓は他の寝台車と同じ開閉可能な窓で、バスルームには非常用のドアがあり、通路側に出られるようになっており、大窓側には大窓下に小型のルーバーを4つ装備している。この車両でもキサイネ86 401と同じく、エキストラベットを活用する事で最大4名まで対応している。隣の6号車に食堂車であるキシ86を連結してるため、食材庫を備えている。また、床下に走行用のリチウムイオン蓄電池を搭載している。
ダイニングカー「ダイナープレヤデス」 キシ86-1(6号車)


食堂車はフォーマルな雰囲気としつつも心地良い空間としており、車両の約半分が車内での調理の様子や香りなどのライブ感を伝えるため、オープンキッチンスペースとなっており、残りの部分を2人卓のテーブル6つ、4人卓のテーブル2つの配置に合わせて大形窓が配置された食事スペースが20人分ある。この車両には、床下にディーゼルエンジンと発電機を各2台と主電動機を4台搭載しているため、先頭車のキイテ87と同じく、58.3 tという機関車並みの重量となった。
トワイライトエクスプレスの食堂車と同じく、「ダイナープレヤデス」の愛称を冠している。
ラウンジカー「サロン・ドゥ・ルゥエスト」 キラ86-1(5号車)
編成の中央に連結されているラウンジカーである。木を多用した落ち着いた空間としており、乗客同士の会話や「瑞風のおもてなし」を楽しむことができるようになっている。乗降口側の車端部には2人用の座席個室とトイレ設備、そこからバーカウンター、立礼の茶の卓、ブティックスペースが設けられている。またこの車両も4号車と同じく乗降口が拡幅されたタイプとなっている。この車両には、床下にディーゼルエンジンと発電機を各2台と主電動機を4台搭載しているため、先頭車のキイテ87と同じく58.3 tという機関車並みの重量となった
ダイニングカーと同様に本車両にも愛称が付けられており、フランス語で「西のサロン」を意味する「サロン・ドゥ・ルゥエスト」となっている。これはトワイライトエクスプレスのサロンカーに付けられていた「サロンデュノール」の愛称を、瑞風の運行区間に合わせて改変したものである。
ラウンジを表す「キラ」の形式記号は国鉄を通じても初の形式となった。

バス
2016年11月29日の記者発表で、瑞風の運行開始日の公表とともに「瑞風バス」の運行が発表された。車種はいすゞ自動車製ガーラ(2014年マイナーチェンジモデル)。瑞風のデザインを手がけている浦一也がデザインを監修し、瑞風の車両と同じ世界観とした。
運行・車両管理は中国ジェイアールバスが行う。

待合ラウンジ・モニュメント設置
運行開始に合わせ、車両インテリアを監修した浦一也のデザインによる以下の始発3駅でラウンジやモニュメントを設置する。
京都駅:ホテルグランヴィア京都15階フランス料理「ラ・フルール」跡(ラウンジ設置)
大阪駅:ホテルグランヴィア大阪20階「クリスタルルーム」(ラウンジ設置)
下関駅:下関駅8、9番のりば(のりば・モニュメント設置)

運行開始に合わせた駅改修・新築工事による乗降駅変更
運行開始に合わせ、宮島口駅と東萩駅を改修する計画となっている。また、立ち寄り駅でもある岩国駅(山陽コース・下り2日目)に関しては、現在駅橋上化工事を実施している都合上、乗客の円滑な観光地案内のために、2018年(平成30年)春の工事終了まで「南岩国駅」で乗降となる計画であったが、2018年11月現在も工事延期により南岩国駅の乗降扱いが続いている。また、尾道駅南口駅舎も観光周遊での「尾道のまちへの玄関口」「せとうちエリアへの玄関口」として建て替えた上で、2018年(平成30年)夏頃に開業計画していたが、2018年度末に完成を計画先延ばしとなり、2019年3月10日に新駅舎開業となった、宍道駅は2017年5月18日に改修完了した。東浜駅についても2017年4月12日に駅改修完成した。
以下の通りの駅改修・建て替えを行う計画(一部の駅は改修完了済み)である。また、当列車を利用者以外の訪問者である乗客も意識したものとなっている。
宮島口駅:専用入り口を設置。駅は宮島を印象付ける色合いとし、ガラスでの美装化を実施した上で、駅構内に使用する木材は廿日市市産のものを使用する。そして、訪日外国人の利用が多い事に対応するために、駅構内だった土産物店を駅構外に移転し「おみやげ街道」を新築する。また大きな荷物対応のために手荷物預り所の機能を強化する。また、外国語対応も可能な係員を配置する。運行開始までに駅改修は完了している。
東萩駅:専用入り口を設置。駅外観は萩城下町・風景のイメージである「格子」や「なまこ壁」の装飾したものへと改装。
尾道駅:尾道水道や駅前広場側である南口駅舎を開放的な吹き抜けのある空間とし、観光周遊に安全性・利便性を高めたトイレ・コンコースの改修と専用出入口の設置。初代尾道駅舎(1891年(明治24年)当時)の雰囲気を復刻させ、2019年3月10日にリニューアル駅舎の開業が行われた。
宍道駅:内部ホールの壁面をガラス化、外観壁の白化、床材は来待石で格子・腰壁は木材を活用した改修をする。また、専用入り口の設置。2017年5月18日に改修完了し。
城崎温泉駅:街並みを重視からの調和した外観とし、2016年8月時点で駅舎が建設からの約90年間も継承してきた、アール・デコ調のデザインのままとする。内装も「街並みとの調和」を重視し、床面には「大谿川(おおたにがわ)」・「玄武岩」・「柳」をモチーフのデザインで施工する。地元風景を題材に地元作家の伝統的な工芸品を設置し、一方で床面デザインの「大谿川」の対岸ではデジタルサイネージでの情報発信での施工をし、乗客には城崎温泉の魅力を伝える事を目的としている。待合室では「再生の歴史」・ラウンジでは「自然との共生」を紹介する。また、専用入り口も設置する予定で2016年8月末に着工され、同年11月5日に完成した。
東浜駅:周りの風景に溶け込むことを狙った、ステンレス鏡面仕上げの天井や待合室の全面透明ガラス窓を特徴として、駅前広場やトイレの整備も実施されることになった。また、近くの旧保育所施設を改修してレストラン「AL MARE」(アル・マーレ、イタリア語で海辺の意)とすることになり、浦富海岸の眺望するために遊歩道・東屋を新設。2017年4月12日に新駅舎の完成した。

沿革
2014年(平成26年)5月21日:臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」の後継となる山陽・山陰のJR西日本管内のみのクルーズトレインが発表される。
2015年(平成27年)
2月19日:「トワイライトエクスプレス」の後継となるクルーズトレイン列車名称に「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」と名称が決まり、「TWILIGHT EXPRESS」はサブタイトル扱いとなっている。
3月12日(発駅基準):大阪-札幌間の「トワイライトエクスプレス」の運行終了。
6月18日:追加ルート以外の全体の運行コース(運転区間)が決まる。
2016年(平成28年)
2月22日:近畿車輛と川崎重工業が製造を担当していることが公式サイトで公表された。
3月21日(発駅基準):当列車に先駆けてツアー運行された団体専用列車『特別な「トワイライトエクスプレス」』が運行終了。
3月30日:川崎重工業製の5両(2・3・4・8・9号車)が黒ラッピングされた状態で出場する。
8月15日:近畿車輛製造の2両(1・10号車)が同様に黒ラッピングされた状態で出場し、キイテ87-1・2、キサイネ86-1・101との4両で接続される。
8月27日:試運転に先駆けて、4両編成状態にて後藤車両センターに移動しての点検・整備開始。
9月下旬:4両編成状態にて本格的な試運転開始の計画。
11月29日:記者会見で運行開始が2017年6月17日に決定する。同時に「瑞風バス」運行が発表される。
12月13日:近畿車輛製造の3両(5・6・7号車)が出場し、1編成10両全体が完成する。
12月19日:10両編成での試運転開始。
2017年(平成29年)
2月23日:黒ラッピングが外され、運用形式での披露目となる。
6月17日:営業運転開始。
10月4日:グッドデザイン・ベスト100受賞と発表。
2018年(平成30年)
5月11日:5号車のラウンジカーにおいて食器洗浄用水質の一部項に「不適合」な検査結果が検出され、食品衛生法に基づいた編成全体の水タンクで飲用に適合での点検が行われたために運休。
5月21日:点検終了により運転再開。
7月7日:平成30年7月豪雨の影響で運休。
7月18日:運転再開。ただし、豪雨の影響により山陽本線が一部区間不通となったために全体的に山陰本線経由のコースでの当面は運行計画となる。
10月2日:山陽本線の復旧を見込み、ほぼ元のコースでの運行再開となる計画だったが(呉線区間を除く)、平成30年台風24号により山陽本線の一部区間が再び不通になり運休が決定した。
10月20日:山陽本線の全線復旧により、山陽コース・周遊コース(呉線区間を除く)の運転再開。

TWILIGHT EXPRESS 瑞風
概要
国 日本の旗 日本
種類 寝台列車(臨時列車)
現況 運行中
地域 西日本
前身 寝台特急「トワイライトエクスプレス」
運行開始 2017年6月17日
運営者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
路線
起点 下関駅、大阪駅、京都駅
終点 下関駅、大阪駅、京都駅
使用路線 東海道本線(JR京都線)、山陽本線、呉線、山陰本線、伯備線
車内サービス
クラス A寝台のみ
就寝 「ロイヤルツイン」(2・3・8・9号車)
「ロイヤルシングル」(4号車)
「ザ・スィート」(7号車)
食事 ダイニングカー「ダイナープレヤデス」(6号車)
展望 展望車(1・10号車)
その他 ラウンジカー「サロン・ドゥ・ルゥエスト」 (5号車)
技術
車両 JR西日本87系寝台気動車
軌間 1,067 mm
最高速度 110km / h

土本駅 大井川鐵道井川線

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土本駅(どもとえき)は、静岡県榛原郡川根本町奥泉字土本にある大井川鐵道井川線の駅。陸の孤島で、周囲は人家も少なく秘境感にあふれる立地です。


駅構造
単式ホーム1面1線の地上駅。無人駅である。駅舎はなく、ホームに待合所が設置されています。ホーム待合所に椅子は設置されていません。TBS系列で放送された「月曜ミステリー劇場 早乙女千春の添乗報告書16 静岡湯けむりツアー殺人事件」(2004年10月18日放送)のロケがこの駅で行われ、作品では「鬼形駅」として登場する。

駅周辺
周囲に民家は4軒ほどしか存在しない。
大井川
池の谷キャンプ場


歴史
1959年(昭和34年)8月1日 開業
2010年(平成22年)8月28日 土砂崩れの恐れがあるため千頭 - 奥泉が運休。代行バスは当駅に停車しないため、当駅は休止となる。
2011年(平成23年) 8月12日 運休区間再開

土本駅
どもと
DOMOTO
◄沢間 (1.5km)(1.9km) 川根小山►
所在地 静岡県榛原郡川根本町奥泉字土本
北緯35度8分9.53秒
東経138度8分21.07秒座標: 北緯35度8分9.53秒 東経138度8分21.07秒
所属事業者 大井川鐵道
所属路線 井川線
キロ程 3.9km(千頭起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 0.2人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 1人/日
-2016年-
開業年月日 1959年(昭和34年)8月1日
備考 終日駅員無配置
標高325m

 

国鉄D51形蒸気機関車775号機

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木曽福島駅に保存されている。775号機は、中央西線SLさよなら列車を牽引した機関車です。

木曽福島機関区に来る前は、糸魚川や福井という北陸に居たためでしょうか、運転席の窓は着雪防止の旋回窓付きです。

屋根つきで保管されています。経年劣化により破損が見られます。運転室内の機器もそろっていますが計器類は全て破損しているとの事。


①所在地
   長野県 木曽郡木曽町 福島字梅ノ内2010-14 JR木曽福島駅前 
②車歴
  製造: 1942年9月11日 汽車製造 No.2258
  配置: 1948年7月1日 福井
  配置: 1957年11月1日 福井
  配置: 1968年4月1日 米原
  配置: 福井
  移動: 1971年6月18日 木曽福島
  廃車: 1973年8月26日 木曽福島
保存時契約当事者
 国有鉄道:長野鉄道管理局長 相手方:長野県木曽福島町長 1973年10月24日
 JR発足時の移管先:JR東日本
③保存に関わる情報
  管理:   所有: JR東日本(無償貸与)

D51形蒸気機関車(D51がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。
主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、国鉄における所属総数は1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。この記録は現在も更新されていない。
この他に、台湾総督府鉄道向けに32両、胆振縦貫鉄道(1944年(昭和19年)に国有化)向けに5両(再掲)が製造され、戦後はソビエト連邦サハリン州鉄道向けに30両、台湾鉄路管理局向けに5両、朝鮮戦争における国連軍向けの標準軌仕様機が2両製造されており、製造総数は1,184両に及ぶ。


また、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には、西日本旅客鉄道(JR西日本)に1両(200号機)が継承され、翌1988年(昭和63年)には東日本旅客鉄道(JR東日本)で1両(498号機)が復籍し、この2両が動態保存されている。JR東日本の498号機は復籍後の初仕業で来日中のオリエント急行を牽引して復活、西日本の200号機は2017年(平成29年)に山口線のSLやまぐち号で、本線運転に復帰した。
「デゴイチ」の愛称は、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。また、「デコイチ」という愛称もある。

運用者 鉄道省→日本国有鉄道→西日本旅客鉄道・東日本旅客鉄道

製造所 川崎車輛、汽車製造、日立製作所、日本車輌製造、三菱重工業、鉄道省浜松工場・大宮工場・鷹取工場・小倉工場・長野工場・土崎工場、郡山工場・苗穂工場
製造年 1935年 - 1945年
製造数 1,115両
引退 1975年12月24日
愛称 デゴイチ・デコイチ
主要諸元
軸配置 1D1
軌間 1,067 mm
全長 19,730 mm
全高 3,980 mm
機関車重量 78.37 t(運転整備)
炭水車重量 47.40 t(運転整備)
総重量 125.77 t
動輪径 1,400 mm
軸重 14.30 t
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程) 550 mm × 660 mm
弁装置 ワルシャート式
ボイラー圧力 14 kg/cm2(初期型)
15kg/cm2(標準型)
ボイラー水容量 6.0 m3
大煙管
(直径×長さ×数) 140 mm×5,500 mm×35本
小煙管
(直径×長さ×数) 57 mm×5,500 mm×94本
火格子面積 3.27 m2
全伝熱面積 221.5 m2
過熱伝熱面積 41.4 m2
全蒸発伝熱面積 168.8 m2
煙管蒸発伝熱面積 147.4 m2
火室蒸発伝熱面積 17.5 m2
燃料 石炭
燃料搭載量 10.0 t
水タンク容量 22.0 m3
制動装置 自動空気ブレーキ
保安装置 ATS-P/Ps(498号機),ATS-SW/ATS-P(200号機)
最高運転速度 85 km/h
最大出力 1,400 PS
定格出力 1,280 PS

大山崎駅 阪急電鉄京都本線

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大山崎駅(おおやまざきえき)は、京都府乙訓郡大山崎町大字大山崎小字明島にある、阪急電鉄京都本線の駅。駅番号はHK-75。所在地大山崎町は古くから交通の要衝で現在も駅付近で鉄道3路線と国道171号線に名神高速道路が絡み合うように進んでいます。

駅構造
東海道新幹線の線路に沿って相対式ホーム2面2線を有する高架駅。ホームの水無瀬駅側では新幹線の列車が良く見える。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。改札口は地上部にあり、京都府道67号(西国街道)に面する1か所のみ。

切符売場に券売機は2台、改札口の改札機は3台です。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■京都本線 上り 京都(河原町)・嵐山方面
ホームはゆるくカーブしています。
2 下り 高槻市・淡路・大阪(梅田)・天下茶屋方面

 

駅周辺
駅周辺はかつて山崎宿がおかれた宿場町で、両側に山が迫り京阪間においては平地の幅が狭い場所である。その狭窄部に桂川、宇治川、木津川の三川が流れ込み、当地で合流し淀川となる。京阪間を走る鉄道も当駅付近で集結し、阪急京都本線のすぐそばをJR東海道本線(JR京都線)や東海道新幹線が並走するほか、淀川を挟んだ対岸にも京阪本線が通じている。

山崎の合戦跡
水無瀬神宮
桜井駅跡
関大明神社
妙喜庵
待庵
アサヒビール大山崎山荘美術館
大山崎町歴史資料館
大念寺
宝積寺
山崎聖天
天王山
酒解神社
大山崎瓦窯跡 (国指定史跡)
サントリー 山崎蒸溜所
山崎駅前郵便局
淀川
大阪染工
旧西国街道(京都府道67号西京高槻線)
国道171号
JR京都線山崎駅へは、250メートル程の距離で、乗換え客は少なくない。

バス路線
最寄り停留所は、西国街道上にある阪急大山崎で、阪急バス、京阪バスにより運行されている。また、中央競馬開催日には、山崎駅前から京都競馬場への臨時バス淀競馬場線が、年始には八幡市駅までの臨時バスが運行される。

80系統:JR山崎行/阪急東向日行(阪急西山天王山・阪急長岡天神・ JR長岡京経由 )(阪急バス)
13号経路:JR山崎行/京阪淀駅行(京阪バス)
かつては高槻市営バスが当駅前から柳谷方面への路線を運行していたが、定期運行は1975年(昭和50年)に廃止された。その後は柳谷観音参拝用の臨時バスとして、平成初期頃まで高槻市営バスが運行していた。

開業当時、大阪側は高槻町駅(現在の高槻市駅)まで7.1キロメートルにわたって駅がなかった。

1928年(昭和3年)11月1日 - 新京阪鉄道の高槻町駅 - 京都西院駅(現在の西院駅)間延伸と同時に開業。
1930年(昭和5年)9月15日 - 会社合併により京阪電気鉄道新京阪線の駅となる。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の駅となる。
1949年(昭和24年)12月1日 - 新京阪線が京都本線に改称され、当駅もその所属となる。
1963年(昭和38年)
4月24日 - 高架化工事のため東海道新幹線の線路を借用し、仮設ホームを置いて営業。
12月29日 - 高架線竣工。現ホームに移設。
2001年(平成13年)3月24日 - ホーム延伸により8両編成対応ホームになる。

大山崎駅
おおやまざき
Oyamazaki
◄HK-74 水無瀬 (2.0km)(2.5km) 西山天王山 HK-76►
所在地 京都府乙訓郡大山崎町大字大山崎小字明島13番地2
北緯34度53分29.45秒
東経135度40分53.72秒
駅番号 ○HK-75
所属事業者 阪急電鉄
所属路線 ■京都本線
キロ程 27.7km(十三起点)
梅田から30.1km
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 7,184人/日
-2016年-
乗降人員
-統計年次- (通年平均) 5,876人/日
-2017年-
開業年月日 1928年(昭和3年)11月1日

東急7200系電車 大井川鐵道

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東急7200系電車(とうきゅう7200けいでんしゃ)は、1967年(昭和42年)3月27日に営業運転を開始した東京急行電鉄(以下 東急)の通勤形電車。
1967年から1972年(昭和47年)にかけて53両が導入され、田園都市線、東横線、目蒲線、大井町線、および池上線で使用されたが、1000系、および新3000系による置き換えならびにVVVF制御車両7600系への改造などにより、2000年(平成12年)8月4日をもって通常の営業運転を終了し、同年11月12日に池上線と東急多摩川線でさよなら運転を行った。
その後は1991年(平成3年)に電気検測車(試験車)およびその動力車へ改造された事業用車2両が在籍していた。ただし、デヤ7200は2013年11月に除籍されたが 、デヤ7290は2013年度末時点で在籍している。1998年(平成10年)には軌道検測車サヤ7590が導入された

大井川鐵道:元・十和田観光電鉄のモハ7204・モハ7305である。東京急行電鉄7200形デハ7211・デハ7259を、十和田観光電鉄が譲り受けた際に両運転台化・ワンマン化改造したものである。2012年(平成24年)の同社線廃線後は車庫で保管されていたものを2014年(平成26年)6月に譲渡を受けた[14]。導入にあたっては車両費1,000万円・輸送費900万円・改造費6,100万円で合計8,000万円の支出となった。運行開始時期は同年の冬を予定していたが、整備と各種申請が遅れ、営業運転は翌年の2015年(平成27年)2月23日からとなった。

両運転台のため単行での運転も可能だが、当面は2両編成で運転している。2016年(平成28年)9月には金谷 - 新金谷間の限定運用ながら単行で営業運転した。
片側3ドア車だが、中央のドアは有人駅(営業時間中のみ)停車時のみ使用され、それ以外の場合では締切扱いとなる。車内はロングシートである。

東急では1962年(昭和37年)から東横線の輸送力増強および地下鉄日比谷線乗り入れ用として7000系を設計・導入し、1966年(昭和41年)からは田園都市線の溝の口駅 - 長津田駅間延伸用に引き続き7000系を増備した。
しかし、7000系は地下鉄乗り入れに必要な性能を満たすため全電動車方式であり、東横線では急行用としてもその性能が生かされたが、東横線以外の各線(田園都市線、目蒲線、および池上線)では必ずしもそこまでの性能を必要としておらず、導入費および保守費の高さが問題となっていた。
そこで、7000系の両数が134両に達した1967年(昭和42年)に、MT比(動力車と付随車の構成比)を1対1としたモデルチェンジ車として、7200系を設計・導入した。
車体は7000系同様の18m級オールステンレス車体(アルミ合金で製造された2両を除く)で、側面の客用ドアは3か所。ただし、正面は「く」の字状に上下左右に折れ曲がった「ダイヤモンドカット」と呼ばれる特徴的なデザインを有する。

構造
車両番号の下2桁が50番台の車両は東洋電機製造製の制御装置を搭載し、それ以外の車両は日立製作所製の制御装置を搭載する。なお、当初は東洋車についても0番台であったが、途中で変更・改番されており、併せて日立車にも改番が発生した。
抵抗制御方式、界磁調整器(東洋車)もしくは界磁制御器(日立車)による回生ブレーキを使用している。主電動機出力110kW、歯車比は日立製・東洋製とも5.73である。
旧5000系と同じく1M方式で、電動車と付随車(制御車)の組み合わせにより自在に経済的な編成を組成することが可能である。同系よりも定格速度は低い。起動加速度はMT比1:1で2.5km/h/s[2]、2:1で2.8km/h/s[3]、3:1で3.2km/h/sである。
目蒲線・池上線での運用を考慮し、車幅を地方鉄道車両定規に収め、当時の東急の鉄道線全線に入線可能とした。地上線専用として屋根・天井が高くなった車体断面は8000系へとつながる。
東急の軌道線用のデハ150形に続いて、関東大手私鉄の鉄道線用車両で戦後初めて1段下降式窓を採用した。
目蒲線と池上線での運用時は、両線で初の冷房車となった。冷房装置は8000系と同一の分散式を各車に4基搭載する。
台車は電動車がTS-802形、付随車はPIII-707形パイオニア台車とした。
連結面は広幅貫通路であるため、後の3両編成化時に連結面と編成中間に組み込まれたデハ7200形の運転台側を連結する際は、8500系の付随車代用としてクハ8000形を組み込んだ編成の当該連結面や貫通扉増設車の連結面と同様に、連結面側の貫通路をステンレス板で狭めて対応していた。

運用
多摩田園都市の開発により急速に乗客が増加していた田園都市線へ1967年(昭和42年)から1968年(昭和43年)にかけて導入されたほか、1972年には1編成のみではあるが目蒲線初の冷房車として目蒲線にも導入された。
当初は田園都市線(1967年当時は大井町駅 - 二子玉川園駅 - 長津田駅間)用として製造された。本系列登場時の同線は大井町駅 - 鷺沼駅間を4両編成で、同駅で2両を切り離して以西を2両編成で運転していたため、2両+2両の編成を基本としていた。
全盛期には目蒲線(現・目黒線および東急多摩川線)用の3両編成1本を除いて田園都市線(現行の大井町線区間も含む)と東横線で使用された。そして1980年代半ば以降は目蒲線と池上線で使用された。なお、東横線での急行運用時は7000系・6000系・8000系と同様に先頭車の前面と側面に「急行」の種別板を装着して運用していた。

形式
当初の計画ではデハ7200形 (Mc)、デハ7300形 (M)、サハ7400形 (T)、クハ7500形 (Tc) の4形式を予定していたが、実際に製造されたのは下記の4形式53両[9]である。なお、以下に示す番号は改番後のものである。

デハ7200形
1967年に登場した渋谷向き制御電動車。オールステンレス車が22両(日立車12両:デハ7201 - 7212、東洋車10両:デハ7251 - 7260)とアルミ車が1両(日立車:デハ7200)製造された。
デハ7300形
1969年に登場した中間電動車。オールステンレス車が3両(日立車2両:デハ7301 - 7302、東洋車1両:デハ7351)製造された。
当初は4両編成用の中間車として製造されたため電動発電機と空気圧縮機を搭載していなかったが、3両編成化を考慮して1980~81年にかけて全車がこれらの機器を搭載した。この際空気圧縮機のみは旧品のC-1000形が流用されたが(デハ7200・7400形はHB-1500形)、1987年にHS-20G形に交換されている。
デハ7400形
1969年に登場した中間電動車。オールステンレス車が4両(日立車2両:デハ7401 - 7402、東洋車2両:デハ7451 - 7452)製造された。
デハ7300形と違い、製造当初より電動発電機と空気圧縮機を搭載するため形式が分けられた。東洋車がデハ7300形より1両多いのは下記の目蒲線用新製冷房車に3両編成の中間車として製造されたためである。デハ7402から7600系に編入改造されたデハ7673も当初は本形式のままであったが、更新時にデハ7670形に編入されている。
クハ7500形
1967年に登場した桜木町向き制御車、オールステンレス車が22両(日立車12両:クハ7501 - 7512、東洋車10両:クハ7551 - 7560)とアルミ車が1両(日立車:クハ7500)製造された。冷房化後は電源用の電動発電機または静止形インバータを搭載した。

東急7200系電車
7200系ステンレス車 (2000年8月3日 / 鵜の木駅)
7200系ステンレス車
(2000年8月3日 / 鵜の木駅)
基本情報
運用者 東京急行電鉄
製造所 東急車輛製造
製造年 1967年 - 1972年
製造数 53両
運用開始 1967年3月27日
運用終了 2000年
主要諸元
編成 最終時4両編成
過去2両・3両・6両・8両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V(架空電車線方式)
最高運転速度 100 km/h
設計最高速度 100 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s(MT比1:1)
2.8 km/h/s(2M1T 3両編成)
3.2 km/h/s(3M1T 4両編成)
減速度(常用) 3.5 km/h
減速度(非常) 4.5 km/h
車両定員 先頭車140(座席48)人
中間車150(座席56)人
自重 デハ7200形33.3→34.0t(アルミ車30.0t)
クハ7500形21.0→24.0または24.5t(アルミ車17.9t)
・非冷房→冷房化後 カッコはアルミ車改造前
全長 18,000 mm
全幅 2,744 mm(先頭車)
2,740 mm(中間車)
全高 4,100 mm
車体 アルミニウム(デハ7200・クハ7500)
ステンレス(それ以外)
台車 電動車TS-802形
付随車PIII-707形→PIII-708形(一部TS-839形に再交換)
主電動機 直流複巻電動機
日立製作所:HS-833-Irb
東洋電機製造:TDK-841-A1
主電動機出力 110 kW × 4
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 86:15=5.73
制御方式 抵抗制御
制動装置 回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
保安装置 東急形ATS


井細田駅 伊豆箱根鉄道大雄山線

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井細田駅(いさいだえき)は、神奈川県小田原市扇町三丁目にある伊豆箱根鉄道大雄山線の駅。

駅周囲は住宅が多く、線内の無人駅では最大の利用客数です。

駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。線路の西側にホームが、ホームの西側に駅舎があり、ホームと駅舎とは階段で結ばれる。平屋のコンクリート造駅舎です。

先端は幅が狭く、上屋も設置されていません。上屋下には長椅子が多数設置されています。

無人駅だが、朝晩の通勤時間帯のみ、委託を受けた乗車券回収員が集札業務を行っている。

コンクリート造りの小さな駅舎には伊豆箱根鉄道の不動産センターが入っていたが、2006年(平成18年)3月15日で廃止となった。

駅舎の内部には自動券売機と乗車票発行機がそれぞれ1台ずつ設置されており、その他乗車券回収員の事務室もある。

ICカードの簡易改札もある。切符売場。タッチパネル式の券売機が1台。

改札口。ICカード専用改札機が設置されています。利用の多い朝夕は集札要員も派遣されています。

駅周辺
駅の西側すぐの所に小田原市立足柄小学校がある。北西300メートルほどの所に小田急小田原線の足柄駅があり、五百羅漢駅も含めて至近距離に3つの駅が置かれていることになる。なお、駅前の道路の歩道は非常に狭い。

富士フイルム神奈川工場小田原サイト
小田原高等看護専門学校
アマゾン小田原フルフィルメントセンター


路線バス
駅側の路端に井細田駅前バス停が置かれており、以下のバス路線が発着する。なお、小田原駅発の逆向きのバス路線はない。

伊豆箱根バス
小田原駅行き ※ 平日4本、土休日2本のみ
市役所経由小田原駅行き ※ 平日1本のみ


1926年(大正15年)11月24日 - 開業。

井細田駅
いさいだ
ISAIDA
◄ID02 緑町 (1.0km)(0.9km) 五百羅漢 ID04►
所在地 神奈川県小田原市扇町三丁目21-1
北緯35度16分7.0秒
東経139度9分26.4秒座標: 北緯35度16分7.0秒 東経139度9分26.4秒


駅番号 ID03
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 大雄山線
キロ程 1.4km(小田原起点)


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 1,720人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1926年11月24日

ペイロードフェアリング(ロケット)

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ペイロードフェアリング(英: Payload fairing)は、打上げ用ロケットを構成する重要な要素の一つで、ロケットの先端部分の部品である。ペイロードフェアリングは、ロケットの上昇中に空気力(英語版)や空力加熱(英語版)からペイロードを保護する役割を果たす。大気圏離脱後にフェアリングは分離し、ペイロードが宇宙空間に露出する。

フェアリングは、通常、空気力学的考察から円錐筒の形をしている。2つに分離するフェアリングはクラムシェル・フェアリング(clamshell fairing)と呼ばれる。ペイロードが人工衛星である場合、衛星フェアリングとも呼ばれる。ロケットの先端部分の部品であることから、ノーズフェアリングと呼称することもある。

フェアリングがペイロードだけでなく、ロケットの上段部も囲んでいる場合がある。ペイロードがブースターの中心構造とフェアリングの両方に取り付けられている場合、バフェッティングや突風による振動が原因で、ペイロードは慣性荷重と同様にフェアリングの曲げ荷重の影響を受けることがある。

966年6月、ATDA(Augmented Target Docking Adapter)がAtlas SLV-3によって軌道へ投入された。ジェミニ9-A号がATDAにドッキングするためランデブーすると、宇宙飛行士はATDAのフェアリングが分離していないことを発見した。予定されたドッキングは中止となった。
1999年、IKONOS-1衛星がAthena IIによって打ち上げられたが、フェアリングが開かず失敗した。
2009年2月24日、NASAのOCO衛星が軌道投入に失敗した。原因はトーラスXLロケットのフェアリングが分離に失敗し、フェアリングの質量が余剰となったためと推定されている。衛星は南極近海のインド洋に落下した。
同様のことが2009年8月25日韓国初となる人工衛星の打上げを行ったナロ号にも起こっている。フェアリングの片側が分離に失敗し、その結果としてSTSAT-2A衛星は予定された軌道から外れ地球に落下した。
2011年3月4日、NASAのグローリー衛星を打ち上げるときにも打ち上げ失敗が起きた。2009年のOCOの打上げ時と同様、打上げ機がリフト・オフした後、フェアリング分離に失敗し、衛星は所定の軌道に乗れなかったのである。これによってオービタル・サイエンシズ社のトーラスXLロケットは2回連続打上げ失敗となった。

製造業者
RUAG Space - チューリッヒを拠点とするスイスの会社。欧州宇宙機関と共同してアリアンロケット、ヴェガロケットのフェアリングを製造している。また、アトラス Vの5m径フェアリングの製造も行っている。
川崎重工業 - 1993年にH-IIロケットのフェアリングを納入して以降、H-II、H-IIAロケット、H-IIBロケット、イプシロンロケットのフェアリングを納入している。
スペースX - ロケットメーカがフェアリングまで製造するのは異例だが、スペースX社はファルコン9v1.1ロケットの5m径フェアリングを自社開発・製造している。

 

木曽平沢駅(JR東海)中央本線

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木曽平沢駅(きそひらさわえき)は、長野県塩尻市大字木曽平沢にある、東海旅客鉄道(JR東海)中央本線の駅である。また、広域地域名がつくものの、日本国内で「平沢」の名称がつく唯一の駅である。木曽漆器の里として知られる旧楢川村の中心に位置する駅です。

普通列車のみの停車であるが、毎年6月第1金曜から3日間にわたって開かれる「木曽漆器祭り」の際には一部の特急「しなの」が臨時停車する。

駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ交換可能な地上駅である。跨線橋を有する。

駅舎は鉄骨造で1960年移転新築したもの。無人化後も暫くは臨時出札を行っていたが、現在は完全な無人駅となっている。改札口ラッチは撤去されています。木曽福島駅管理。旧荷物窓口は特産品展示場になっています。待合室には長椅子の設置。

毎年6月上旬に駅周辺の平沢地域一帯で行われる「木曽漆器祭」の際には、特急「(ワイドビュー)しなの」の一部列車が臨時停車し、JR東海社員が出札・精算等の業務に当たる。

また、臨時快速「ナイスホリデー木曽路」も当駅に停車する。また、青空フリーパスの中央西線の東端でもある。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 CF中央本線 下り 塩尻・長野方面


2 上り 中津川・名古屋方面
ホームには待合室が設置されています。

駅周辺
平沢は塩尻市に合併される前の旧楢川村の中心地で、駅を中心に小さな集落を形成している。国道19号線は駅より一段高い場所を通っている。


塩尻市役所楢川支所
国道19号
道の駅木曽ならかわ
木曽漆器館

バス
塩尻市地域振興バス - 平沢駅下

1930年(昭和5年)6月5日 - 国有鉄道中央本線の贄川 - 奈良井間に新設開業。旅客及び貨物の取扱を開始。開業当時は列車交換のできない構造だった。
1959年(昭和34年)12月 - 交換駅化に伴い、駅舎を520m名古屋寄りの現在の位置に移転する。


1972年(昭和47年)11月30日 - 貨物の取扱を廃止。
1980年(昭和60年) - 無人駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる。


木曽平沢駅
駅舎(2013年11月)
駅舎(2013年11月)
きそひらさわ
Kiso-hirasawa
◄贄川 (5.2km)(1.8km) 奈良井►
所在地 長野県塩尻市大字木曽平沢
北緯35度58分42.93秒 東経137度49分51.22秒
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 CF中央本線
キロ程 241.4km(東京起点)
155.5km(名古屋起点)
電報略号 キソ


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 46人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1930年(昭和5年)6月5日
備考 駅員無配置駅
標高:914.9m

 

国際展示場正門駅 東京臨海新交通臨海線(ゆりかもめ)

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国際展示場正門駅(こくさいてんじじょうせいもんえき)は、東京都江東区有明三丁目にある東京臨海新交通臨海線(ゆりかもめ)の駅である。

日本最大のイベント会場である国際展示場の最寄駅で、コミックマーケットをはじめとした多数のイベントへの来訪者で駅は賑わっています。駅番号はU 11。

駅構造
島式ホーム1面2線の高架駅である。切符売場にタッチパネル式の券売機が6台。改札口に改札機は7台。精算機も3台設置されています。

のりば
番線 路線 行先
1 U ゆりかもめ 有明・豊洲方面


2 青海・台場・新橋方面
他駅に比べてホーム幅は広くとられています。

利用状況
2016年度の1日平均乗車人員は9,915人である。


駅周辺
駅名の通り、東京国際展示場の真正面に位置する。この駅付近には東京国際展示場以外には施設が少ないため、利用客数は、国際展示場でのイベントの有無により大きく異なる。

東京国際展示場(東京ビッグサイト)
東京ファッションタウン (TFT)
有明フロンティアビル
東京テレポートセンター
有明セントラルタワー
東京ベイ有明ワシントンホテル
ホテルサンルート有明


パナソニックセンター東京
TOC有明
アニヴェルセル 東京ベイ
東京ベイコート倶楽部ホテル&スパリゾート
ホテルトラスティ東京ベイサイド
武蔵野大学有明キャンパス
東京都水道局有明給水所、東京都水の科学館
シンボルプロムナード公園
水の広場公園
有明西ふ頭公園
(株)ゆりかもめ本社
ゆりかもめ車両基地

バス
最寄り停留所は、東京都道484号豊洲有明線の終点の東京ビッグサイト交差点付近にある国際展示場正門駅前である。以下の路線が乗り入れ、東京都交通局により運行されている。なお、近傍の東京ビッグサイトにある東京ビッグサイト停留所も利用可能である。急行05系統(江東区城東シャトル)・直行03:日本科学未来館行、新木場駅・西大島駅経由錦糸町駅行急行06系統(江東区深川シャトル):日本科学未来館行、門前仲町経由森下駅行


水上バス
東京ビッグサイト乗船場(有明客船ターミナル)があり、東京都観光汽船、東京水辺ラインの水上バスが発着する。

フェリー
東京港フェリーターミナルまで徒歩25分。
オーシャントランス(オーシャン東九フェリー) : 東京-徳島-新門司
フェリー利用者向けにりんかい線国際展示場駅前から無料送迎車が運行されている。


1995年(平成7年)11月1日 - 開業。
2019年(平成31年)3月16日 - 駅名を東京ビッグサイト駅に改称予定。


国際展示場正門駅
こくさいてんじじょうせいもん
Kokusai-tenjijō-seimon
◄U 10 青海 (1.1km)(0.7km) 有明 U 12►
所在地 東京都江東区有明三丁目6-15
北緯35度37分48.8秒 東経139度47分28.9秒
駅番号 U11
所属事業者 ゆりかもめ
所属路線 東京臨海新交通臨海線
キロ程 11.3km(新橋起点)


駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 9,915人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 20,008人/日
-2016年-
開業年月日 1995年(平成7年)11月1日
備考 無人駅

ダイハツ・ミラトコット

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ミラ トコット(Mira TOCOT)は、ダイハツ工業が製造・販売しているハッチバック型(軽セダン)の軽自動車。その名の通りミラシリーズに属しており、単に「トコット」とも呼ばれる。
2018年6月25日、ダイハツの基幹車種である2代目ミライースの派生モデルとして発売された。2018年3月に終売となったミラココアの実質的な後継車でもある。

プラットフォームは2代目ミライースで先行採用されたGA-Aプラットフォームが用いられる。エンジンは出力38kW(52ps)、DVVT付き自然吸気の水冷直列3気筒 KF-VE型を搭載する。

2代目ミライース同様に「スマートアシストIII(以下、スマアシIII)」が採用されており、搭載グレードが設定されているが、ミラトコットでは「スマアシIII」の構成機能の一つである誤発進抑制制御(前方)機能に用いられるソナーセンサーが、2代目ミライース同様に配置されているヘッドランプ真下(左右2か所)に加えて、フロントフェイス付近(左右2か所、中央の「TOCOT」アルファベットエンブレムを挟むかたちで配置)にも配置された4か所に強化されている違いがある。軽自動車では初採用となる装備もあり、パノラマモニターとコーナーセンサーを同時に設定[注 1]したほか、SRSサイドエアバッグ(運転席・助手席)&SRSカーテンシールドエアバッグ(前/後席)は全車標準装備されている。


デザイン
ボディは角に丸みを持たせたスクエア基調となっており、ランプはヘッドランプ(Bi-Angle LEDヘッドランプ)・リアコンビネーションランプ(LEDストップランプ)共に丸モチーフとなる。バックドアには2代目ミライース同様に電気スイッチ式のオープナーが採用されている。

ボディカラーは新規色となる「セラミックグリーンメタリック」、「ジューシーピンクメタリック」、「サニーデイブルーメタリック」を含む8色を設定するほか、一部グレード・カラーにはフロントバンパー・ルーフ・バックドアアッパーにフィルムを装着した2トーン仕様「デザインフィルムトップ」がオプション設定されており、トコットではキャンバス地調/アイボリーが設定されている。

また、純正アクセサリーには、「アナザースタイルパッケージ」が設定されており、ロアスカート・フルホイールキャップ・ドアアウターハンドル・ドアミラーにパールホワイトを用いた「スイートスタイル」、メッキガーニッシュやメタル調シルバーのフルホイールキャップなどで構成された「エレガントスタイル」、外内装の随所にブラックを用いた「クールスタイル」の3種類が設定されている。本パッケージは交換を伴う一部のパーツを工場で装着するため、車両注文時のみの対応となる。

型式 LA550S/560S型(2018年-)
2018年6月25日
発表、および販売開始[1]。キャッチフレーズは「いつもの自分に、ラクしトコット。」で、CMキャラクターにはちびまる子ちゃんの主人公達を22歳にしたという設定の実写映像で、吉岡里帆(まる子役)、奈緒(たまえ役)、竜星涼(花輪役)が出演、ナレーションもキートン山田が担当する。
JC08モードの燃料消費率は、2WD車は29.8 km/L、4WD車は27.0 km/Lで、全車平成32年度燃費基準(2WD車は+20%、4WD車は+10%)を達成する。
グレード体系は「L」・「X」・「G」の3種類が用意されており、「L」は「スマアシIII」の有無が選択可能で、「スマアシIII」付の場合は「L"SA III"」となる。また、「X」と「G」は「スマアシIII」が標準装備されているため「X"SA III"」・「G"SA III"」となる。
2018年7月26日
発売から1か月間(7月25日まで)の累積受注台数が月間目標(3,000台)の3倍となる約9,000台となったことが発表された。
車名の由来
「To Character(自分らしさの表現)」「 To Comfortableness(安全安心・運転のしやすさ)」「 To Convenience(使いやすさ)」から着想を得た造語。

ダイハツ・ミラトコット
LA550S/560S型
乗車定員 4名
ボディタイプ 5ドア ハッチバック
エンジン KF型:
658cc 直列3気筒DOHC
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
最高出力 38kW (52PS)/6,800rpm
最大トルク 60N・m (6.1kgf・m)/
5,200rpm
変速機 CVT
サスペンション 前:マクファーソン・ストラット式コイルスプリング
後:トーションビーム式コイルスプリング(2WD)
後:3リンク式コイルスプリング(4WD)
全長 3,395mm
全幅 1,475mm
全高 1,530mm(2WD)
1,540mm(4WD)
ホイールベース 2,455mm
車両重量 720kg(2WD)
790kg(4WD)
ブレーキ 前:ディスク(2WD)
前:ベンチレーテッドディスク(4WD)
後:リーディング・トレーリング
先代 ダイハツ・ミラココア
プラットフォーム GA-Aプラットフォーム

ひらんだ駅 大井川鐵道井川線

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ひらんだ駅(ひらんだえき)は、静岡県榛原郡川根本町犬間にある大井川鐵道井川線の駅である。駅周囲は人家もなく、閑散としています。長島ダム建設に伴う新線区間の駅です。 漢字では「平田」(ひらんだ)と書くが、難読のため駅名は平仮名とすることとなった。

駅構造
単式1面1線のホームを有する地上駅。駅舎はなく、ホームに待合所が設置されるのみの無人駅です。駅へは急な階段で連絡します。

駅周辺
接岨湖(長島ダムによってできた人造湖)
奥大井接岨湖カヌー競技場
川根唐沢駅跡(ひらんだ駅開業前の廃駅で現在は接岨湖に沈んでいる。ひらんだ駅のやや南方にあった)
天狗石茶屋-近隣住民の主婦たちによって営業されている茶屋。駅から2.7㎞。
歴史
1990年(平成2年)10月2日 - 長島ダム建設に伴う新線上に開業。

ひらんだ駅
ひらんだ
HIRANDA
◄長島ダム (1.2km)(1.3km) 奥大井湖上►
所在地 静岡県榛原郡川根本町犬間
北緯35度9分53.34秒
東経138度10分4.54秒座標: 北緯35度9分53.34秒 東経138度10分4.54秒
所属事業者 大井川鐵道
所属路線 井川線
キロ程 12.6km(千頭起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 0.2人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 0.4人/日
-2016年-
開業年月日 1990年(平成2年)10月2日
備考 終日駅員無配置
標高485m

 

三島広小路駅 伊豆箱根鉄道駿豆線

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三島広小路駅(みしまひろこうじえき)は、静岡県三島市広小路町にある伊豆箱根鉄道駿豆線の駅である。駅番号はIS02。駅は市街地中心部に近い立地で、かつては当駅から沼津駅前までの軌道線が連絡していました。

駅構造
単式ホーム1面1線の地上駅。2階建ての駅舎です。三島夏祭り等の時はかなり混雑するため、構内が広いつくりとなっている。しかし修善寺よりのホームの先端はかなり狭く危険であり通過列車が来る場合は駅員がコーンを立てる。


自動改札機、売店の設置駅。タクシーのりばは改札口を出て正面。タクシー乗り場は元路面電車乗り場。軌道線撤去の名残で、駅前は広くなっています。
接近放送は女声の放送が流れる。時間帯によって詳細な放送になることがある。流れるタイミングはまちまちで、流れないこともある(駅員が駅員室の外で手動で操作をしており、改札で対応していると操作できないことがあるため)。また、発車時に発車ブザーが鳴るが電子音ではない(以前は1箇所のみにありトランペット型だった)

自動券売機も4台設置されており、内1台がタッチパネル式となっている。改札口の改札機は3台。頭上にはLED式の発車案内が設置されています。

のりば
■駿豆線(下り) 大場・伊豆長岡・大仁・修善寺方面


■駿豆線(上り) 三島方面

利用状況
「三島市統計書」によると、2006年度の一日平均乗車人員は2,396人、降車人員は2,319人であった。

駅周辺
近くに商店街があり周辺はにぎわっている。

伊豆国分寺が徒歩で行ける距離にある。
レンタサイクル「かわせみ号」、三島駅南口観光案内所・三嶋大社駐車場・広小路駐輪場の3か所での乗り捨てが可能。
飲食店・スーパー・ショップ等
マックスバリュ三島本町店
キミサワ広小路店
ミスタードーナツ三島広小路店
天神屋広小路店
パステリア地中海(イタリア料理店)
桜家
つばさ寿司
グルッペパン屋(石渡食品)
手芸専門店 タカシマ屋 本店
居酒屋等
笑笑三島広小路駅前店
坐・和民三島広小路駅前店
串特急三島広小路店
庄や三島広小路店
築地日本海三島広小路店
さかなや道場三島広小路店
医療機関・薬局
三島中央病院(旧:関病院)
アリスすずき薬局
ウエルシア薬局(旧:キミサワ薬局→ハックドラッグ)
金融機関
静岡銀行三島中島支店
三島信用金庫西支店
三島信用金庫本店
宿泊施設
三島プラザホテル
駐車場
広小路シンコウパーク
本町パーキング
タワーズショップパーキング(マークス・ザ・タワー)
付近を通過する県道
静岡県道22号三島富士線 - 駅東(箱根、三嶋大社)側。
静岡県道145号沼津三島線 - 駅西(沼津)側。旧道と呼ばれる。
過去に駅周辺にあったもの
伊豆箱根トラベル広小路支店 - 三島田町駅にある田町店との統合により消滅。
ユニー - 現在はその敷地にマンションとキミサワ広小路店がある。


バス路線
三島広小路駅の付近を通過するバスは以下の通り。
なお「新道」「旧道」とは当駅すぐ西方で分岐する2つの道路を指しており、駅から西(沼津側)を見て左へ分岐する道路が「旧道」、右へ分岐する道路が「新道」である。旧道はかつての軌道線、その迂回路として作られたのが新道。三島広小路駅周辺は、三島バイパスが完成・開通するまでの国道1号(当時「一級国道1号」、1952年に指定)であった。

西向き
富士急シティバス
駅東側、三石神社の前から発着。沼津高専行・がんセンター行(日中は快速として短絡経路を運行するため、当駅前は経由しない)・駿河平行・桃沢郷行がある。どの路線も下土狩駅を経由する。
東海バスオレンジシャトル
駅西側、旧道沿いのキミサワ広小路店があるマンション前(旧:広小路ショッピングセンター・ユニー三島広小路店)から発着。主に、新道経由・旧道経由・サントムーン経由・(柿田-医療センター経由)沼津行及び沼商行等がある。
伊豆箱根バス
駅前、伊豆箱根トラベルから発着、主に、大岡-自由ヶ丘経由沼津行がある。また新道・旧道経由は駅西側から発着する。
三島市コミュニティバス (100円バス)「せせらぎ号」
駅東側、三石神社の前(広小路東)から発着。東まわり。


東向き
東海バスオレンジシャトル
駅前広小路交番向かい・新道側から発着、三島駅行、三島大社・川原ヶ谷方面行など。
100円バス「せせらぎ号」
新道側から発着。西回り。
富士急シティバス・伊豆箱根バス
三島駅南口行・三島田町駅行が駅約50m西方の新道上にあるバス停を発着する。


その他の特徴
駅の隣に交通量の多い道路にかかっている踏切があるため停車時間が短い。
駅前の道路は交通量が多い割りに信号がないため、通行の際は自動車歩行者問わず注意が必要である。
駅前のユニー跡地に地上15階建ての大型マンションが建設された。1階には、地元食品スーパーキミサワがある。
駅近くにうなぎ屋(桜家)があり、駅から出ると風向きによりうなぎを焼く香りがただよってくる。
1963年(昭和38年)までは、路面電車の伊豆箱根鉄道軌道線が同駅から沼津駅前まで延びていた。
三島夏祭り等、祭りの際には、この付近から三島大社までの通りが歩行者天国となる。
珍しくも駅の中に踏切の非常ボタンが2つある(駅の南側隣の広小路踏切用。)。


1898年(明治31年)5月20日 : 豆相鉄道、三島町(現・三島田町) - 三島(現・下土狩)間延伸。現在地点には駅なし。
1906年(明治39年)10月1日 : 駿豆電気鉄道、沼津停車場前(後の沼津駅前) - 三島六反田間開業。
1907年(明治40年)7月19日 : 豆相鉄道を伊豆鉄道に譲渡。
1908年(明治41年)8月3日 : 駿豆電気鉄道、三島六反田 - 三島町間開業。沼津方面への路線とは伊豆鉄道線の踏切で分断されており、乗り場も別々だった。
1908年(明治41年)10月1日 : 伊豆鉄道が軌道線との平面交差承認。軌道線三島町 - 沼津停車場前間直通開始。
1912年(明治45年)4月1日 : 駿豆電気鉄道が伊豆鉄道を買収。
1914年(大正3年) : 鉄道線に広小路連絡所開業。
1914年(大正3年)末 : 軌道線三島六反田 - 三島町間休止。
1915年(大正4年)1月18日 : 軌道線三島六反田 - 三島町間廃止。
1916年(大正5年)10月5日 : 駿豆電気鉄道が富士水力電気と合併。
1917年(大正6年)11月5日 : 富士水力電気の鉄道・軌道事業を駿豆鉄道に譲渡。
1919年(大正8年)5月25日 : 鉄道線三島 - 三島町間電化。軌道線が三島町まで乗り入れ開始。
1928年(昭和3年)4月18日 : 広小路連絡所を三島広小路と改称。
1934年(昭和9年)12月1日 : 鉄道線三島(旧) - 三島広小路間廃止。三島(新) - 三島広小路間開業。
1938年(昭和13年)4月6日 : 駿豆鉄道が駿豆鉄道箱根遊船に社名変更。
1940年(昭和15年)11月28日 : 駿豆鉄道箱根遊船が駿豆鉄道に社名変更。
1949年(昭和24年)4月1日 : 軌道線、営業列車の三島町までの直通運転を廃止。
1957年(昭和32年)6月1日 : 駿豆鉄道が伊豆箱根鉄道に社名変更。
1959年(昭和34年)9月7日 : 鉄道線の架線電圧昇圧。軌道線車庫を長沢へ移転し、鉄道線への軌道線回送列車の直通運転廃止。


1963年(昭和38年)2月5日 : 軌道線全線廃止。
1964年(昭和39年)9月17日 : 三島 - 大場間自動閉塞化。
1967年(昭和42年)3月25日 : 三島 - 修善寺間自動信号化。
1972年(昭和47年)10月1日 : 三島広小路駅での手小荷物営業廃止。
1972年(昭和47年)12月 : ATS導入。
1978年(昭和53年)12月 : 列車無線・地震計設置。
1985年(昭和60年)11月1日 : CTC導入。
2002年(平成14年)1月25日 : 三島広小路駅での自動改札供用開始。
2006年(平成18年)12月18日 : 緊急地震速報警報システム運用開始。
2007年(平成19年)3月31日 : CTC更新。
2009年(平成21年)4月1日 : 特急「踊り子」を除く列車でのワンマン運転開始。

三島広小路駅
三島広小路駅舎
三島広小路駅舎
みしまひろこうじ
Mishima-Hirokoji
◄IS01 三島 (1.3km)(0.7km) 三島田町 IS03►
所在地 静岡県三島市広小路町4-16
北緯35度7分8.48秒 東経138度54分40.38秒
駅番号 IS02
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 ■駿豆線
キロ程 1.3km(三島起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 1,934人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 3,871人/日
-2016年-
開業年月日 1928年(昭和3年)4月18日


ひかり(高速船)小豆島豊島フェリー

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1994年9月竣工(高松-土庄航路での就航は2008年12月16日)。38総トン、全長21.0m、全幅4.7m、深さ2.0m、主機:GM 12V-71TA×2 1250ps、航海速力25ノット、最高速力29.0ノット。
旅客定員98名。三保造船所(大阪)建造。


2015年10月3日まで小豆島フェリー(小豆島急行フェリー)高松⇔小豆島(土庄)航路に就航。2015年10月4日 新オリーブマリン就航により予備船となる。本航路への就航2016年1月1日[2]。 第十二かもめ(今治高速船)→第十二西日光(三原観光汽船)→ひかり。

小豆島豊島フェリー
小豆島豊島フェリー株式会社(しょうどしまてしまフェリー)は、香川県小豆郡土庄町(小豆島)にある海運会社。2014年6月1日に四国フェリー系列になり、2014年10月にそれまでの「小豆島フェリー株式会社」から社名変更した。現在、小豆島フェリーを名乗る会社は同じ四国フェリー系列で小豆島急行フェリーから社名変更した別の会社である。

航路
宇野港 - 豊島(家浦港) - 豊島(唐櫃港) - 小豆島(土庄港)
航路距離26km、1日にフェリー3.5往復(宇野→土庄3便、土庄→宇野3便、家浦→宇野1便:初便、土庄→家浦1便:終便)、旅客船5往復。所要時間はフェリーが宇野〜土庄が1時間29分、旅客船が60分。
この航路はもとは小豆島急行フェリー(現・小豆島フェリー)が運航していたが、1976年に当社が譲渡を受けて運航を行っている。
2013年4月1日より、フェリー1隻を小型の旅客船に代替、ダイヤを変更した。それまではフェリー2隻で1日8往復(宇野発最終便と宇野着初便は家浦港止めとなるため、小豆島へは7往復の運航、唐櫃港は1往復が通過)であった。


船舶
他の小豆島関連航路に比べると小さな船を使用している。

鞍馬口駅 京都市営地下鉄烏丸線

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鞍馬口駅(くらまぐちえき)は、京都府京都市上京区上御霊中町にある、京都市営地下鉄烏丸線の駅。京都市北区との境界に位置する。駅番号はK05。


当駅の駅名は烏丸通と鞍馬口通の交差点である烏丸鞍馬口に由来し、その鞍馬口通の名前の由来となった京の七口の一つである鞍馬口(鞍馬街道の起点)は当駅の東約500メートルの出雲路橋西詰(北区鞍馬口町)にある。

しかし、その駅名からしばしば鞍馬寺などがある鞍馬地区へのアクセス拠点と勘違いされるが、当駅から鞍馬地区までは直線距離で北へ10キロメートル近く離れており、直接連絡するバス路線もない。

烏丸線における鞍馬方面へのアクセスは国際会館駅から京都バスの利用 または 徒歩などで叡山電鉄(叡電)鞍馬線岩倉駅を経由する移動が適切であり、烏丸線国際会館行きの車内では、当駅到着前に終点までの乗車を促す案内が車内放送にてなされている。

駅構造
島式1面2線のホームを持つ地下駅である。改札口は1箇所のみ設置されている。改札機は4台。

1番出入口には。エレベータが併設されています。

切符売場には券売機は5台あります。改札内コンコースは白を基調としたデザインです


のりば
のりば 路線 方向 行先
1 ■ 烏丸線 下り 京都・竹田・近鉄奈良方面


2 上り 北大路・国際会館方面


駅周辺
上御霊神社
烏丸通(国道367号)
鞍馬口通
紫明通
本法寺
茶道資料館
京都鞍馬口医療センター(旧:社会保険京都病院)健康管理センター
アークレイ京都本社(京都研究所)
擁翠園
京都府立清明高等学校

バス路線
最寄りのバス停は、烏丸鞍馬口である。以下の路線が京都バスにより運行されている。

 


歴史
1981年(昭和56年)5月29日 - 京都市営地下鉄烏丸線の開通と同時に開業する。
2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。


鞍馬口駅
くらまぐち
Kuramaguchi
◄K04 北大路 (0.8km)(0.8km) 今出川 K06►
所在地 京都市上京区上御霊中町
北緯35度2分13.76秒
東経135度45分33.44秒
駅番号 ●K05
所属事業者 京都市交通局(京都市営地下鉄)
所属路線 烏丸線
キロ程 4.6km(国際会館起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 10,087人/日
-2017年-
開業年月日 1981年(昭和56年)5月29日

 

大井川鉄道cトキ200形貨車

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大井川鉄道cトキ200形貨車(おおいがわてつどうcトキ200がたかしゃ)は大井川鐵道井川線で使われている貨車。

概要
木製のあおり戸と妻板をもつ、2軸ボギー無蓋車である。日本国有鉄道(国鉄)トキ10形を縮小したような形状で、「トキ」を称するものの荷重は16トンで、国鉄でいえば"ム"級の荷重に過ぎない。1953年(昭和28年)に、井川線が中部電力の専用線として全通するのに備えて製造された形式である。

三菱重工業および近畿車輛で25両ずつ、合計50両が製造され、当時ダム建設で大井川を流送できなくなった木材輸送に主に用いられ、cワフ0形と連結して大井川本線にも乗り入れた。また、井川線として旅客営業が開始されてからは、乗客が多く客車だけでは足りない場合に、旅客列車に使用されたこともある。

その後は、貨物輸送の減少と旅客輸送の増加から、廃車解体されたり、同社スロニ200形・スロフ300形・スハフ500形・クハ600形などの客車に改造されるなどして数を減らしているが、2006年(平成18年)現在9両が在籍しており、事業用として石炭ガラの輸送などにも使用されている[1]。井川線において井川寄りに連結した制御客車(クハ600形)から千頭寄りに連結した機関車を制御するための引き通し線を、日本の貨車としては極めて珍しく持ち、ジャンパ線の存在が写真からも見て取れる。

大井川鉄道cトキ200形貨車
トキ228 川根両国駅にて
トキ228 川根両国駅にて
基本情報
製造所 三菱重工業・近畿車輛
主要諸元
軌間 1,067 mm
車両重量 8.95t
全長 11,000 mm
車体長 10,400 mm
全幅 1,830 mm
車体幅 1,650 mm
全高 1,865 mm
制動装置 自動空気ブレーキ

 

恵那駅(明知鉄道)

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明知線は当駅が起点である。明知線は元々は中央本線ともども日本国有鉄道(国鉄)の路線であり、当駅も国鉄の単独駅であったが、明知線が第1次特定地方交通線への指定を経て1985年に明知鉄道に転換されたため、現在の形となった。

駅構造
明知鉄道
JR東海の1番線の東側にある頭端式ホーム1面1線を有する地上駅。JRのホームとは網で仕切られている。2階建ての鉄骨造駅舎です。

明知鉄道発足時に中央本線との連絡線が撤去され、JR線とは繋がっていない。

駅舎はJR駅舎の東側にあり、2階部分には歯科医院が入居している。窓口では一日フリー切符や他の割引切符、硬券の乗車券類を発売している。窓口営業時間は 7:30~20:35。それ以外の時間は無人となり、自動券売機のみの発売のため定期券・回数券や一日フリー切符、硬券の乗車券類等は購入できない。連絡改札口があるが自動化されておらず、JR東海をTOICA等で利用後に明知鉄道に乗り換える利用客は、JR東海の改札を出た後で明知鉄道の乗車券を購入し、改めて明知鉄道の改札口に入る必要がある(逆の場合も一旦改札を出る必要がある)

切符売場には簡易型の券売機が1台。脇にはオリジナルグッズを販売する売店が営業しています。

細長い待合室があります。

ホームは1面1線。上屋は長めに設置されています。


明知鉄道株式会社(あけちてつどう、英: Akechi railroad company )は、岐阜県恵那市に本社を置く鉄道会社である。

沿線自治体などが出資し、旧日本国有鉄道特定地方交通線を引き継いだ鉄道路線である明知線を運営している第三セクター方式の鉄道会社である。地元では明鉄(あけてつ)と略されている。

路線
明知線 恵那 - 明智(25.1km・第1種鉄道事業)
なお終点の明知駅は明知鉄道として開業時に町名に合わせて明智駅と改称。このため会社名・線名と終着駅名が異なった表記となっている。


1985年(昭和60年)
5月21日 - 明知鉄道株式会社 設立。
11月16日 - 明知線開業。アケチ1形を5両導入。
1987年(昭和62年)8月1日 - イベント列車(寒天列車)運転開始。以後さまざまなイベント列車を運行[6]。
1989年(平成元年)4月 - アケチ6形を1両導入。
1991年(平成3年)10月28日 - 東野 - 阿木間に飯沼駅開業。
1994年(平成6年)12月15日 - 山岡 - 明智間に野志駅開業。
1997年(平成9年) - アケチ10形を1両導入。
1998年(平成10年)- アケチ10形を2両増備。
1999年(平成11年)- アケチ10形を2両増備。
1999年(平成11年)10月 - 明智駅が「中部の駅百選」に認定。
2001年(平成13年)10月 - 岩村駅が「中部の駅百選」に認定。
2004年(平成16年)3月25日 - 腕木式信号機とタブレット・スタフ閉塞方式を廃止。特殊自動閉塞方式へ移行[6]。
2008年(平成20年)12月25日 - 飯羽間 - 岩村間に極楽駅開業。
2011年(平成23年)3月12日 - 花白駅を花白温泉駅に改称。急行「大正ロマン号」運転開始。
2012年(平成24年)3月3日 - 日中の一部列車に命名権を導入。
2013年(平成24年)6月1日 - つり革広告を一般個人にも開放。
2017年(平成29年)
3月31日 - アケチ6形が運用終了
4月8日 - アケチ100形を導入。
2019年(平成31年)3月16日 - 日本郵便の郵便物等の客貨混載輸送を開始。


明知鉄道 恵那駅
えな
Ena
(2.6km) 東野 10►
所在地 岐阜県恵那市大井町302-2
北緯35度27分18.9秒
東経137度24分30.5秒
駅番号 11
所属事業者 明知鉄道
所属路線 明知線
キロ程 0.0km(恵那起点)
電報略号 エナ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 857人/日
-2016年-
開業年月日 1985年(昭和60年)11月16日

国鉄オハ35系客車 大井川鐵道

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国鉄オハ35系客車(こくてつオハ35けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道の前身である鉄道省が製造した、車体長20m級鋼製客車の形式群である。
なお、「オハ35系」の呼称は国鉄が定めた制式の系列呼称ではなく、1939年(昭和14年)より製造が開始されたスハ33650形(のちのオハ35形)と同様の車体構造を持つ制式鋼製客車を総称する、趣味的・便宜的な呼称である。

大井川鐵道のSL急行に使用される客車として、オハ35が5両・オハフ33が2両使用されている。オハ35 149は小倉工場製造のノーヘッダー試作車、オハフ33 469は戦後製の半切妻車であるが、それ以外の車両は戦前製の標準的な仕様の車両である。国鉄時代に電気暖房を装備していた車両もあるが、大井川鐵道では暖房用電源の供給源がないため使用されておらず、番号も原番号に戻されている。なお以前はオハ35はオハ35 857を加えた6両で稼働していたが、当車両は老朽化により2011年に休車の後2016年に廃車、同年に解体された。

概要
1929年(昭和4年)より製造が開始された鉄道省制式20m級鋼製客車であるスハ32系客車の改良型として、1930年代後半より各車種が製造された。

車体
構造面では従来600mm幅が標準であった側窓が1,000mm幅を標準とするように変更され、台枠などを中心に過剰な補強材の省略が進んで軽量化され、かつ従来リベット接合が多用されていたその組み立てについても溶接への移行が進むなど、スハ32系の基本構造に従いつつ全面的な設計のリファインが実施されているのが特徴である。

ただし、その量産が戦前と戦後にまたがって長期に渡って継続された結果、その車体構造は製造時期によって大きく異なったものとなった。

特に戦後形では大きな変化が見られ、1946年(昭和21年)度発注分はほぼ戦前と同一の仕様であったが、以後は製作の容易化などを目的として順次仕様変更が行なわれ、車端の出入台部で屋根が絞られ3面折妻となっていたものが、外妻アーチ桁の設計を変更することなどで出入台部の絞りを残したままで切妻化され、さらに長桁の絞りがなくなり雨樋が直線になるなどの変化が生じた。

なお、本系列については戦前には1941年(昭和16年)度まで北海道向けが製造されず、窓の開閉時に開口部を最小限に抑えられ防寒の点で有利な狭窓のスハ32形とスハフ32形(いずれも二重窓仕様)が継続生産されたが、以後はこれに代えて本系列が北海道向けとして製造されている。

台枠は当初スハ32系の本州向け最終グループ(1938年度発注分)の構造を継承するシンプルな設計の溝形鋼通し台枠であるUF38(2軸ボギー車)・UF51(3軸ボギー車)が採用されたが、その後車載蓄電池の設計変更による取り付け座の小型化でUF116(2軸ボギー車)などに変更されている。


国鉄オハ35系客車
オハフ33 48
オハフ33 48
基本情報
運用者 鉄道省→日本国有鉄道
製造年 1939年 - 1950年
主要諸元
軌間 1,067 mm
全長 20,000mm
全幅 2,900mm
制動装置 自動空気ブレーキ

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