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西京極駅 阪急電鉄京都本線

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西京極駅(にしきょうごくえき)は、京都府京都市右京区西京極西池田町にある、阪急電鉄京都本線の駅。駅番号はHK-82。

京都市西京極総合運動公園の最寄り駅であり、西京極総合運動公園前という副駅名が付されて野球やサッカーの試合日には多くの利用者で賑わいます。

駅構造
築堤上に相対式2面2線のホームを有する高架駅。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。

改札口やコンコースは下り(梅田方面)ホーム側にある。切符売場には券売機が3台、改札口には改札機は4台。また、上り(河原町方面)ホーム側にはスロープでつながる臨時改札口があり、西京極総合運動公園でのイベント開催日に使用される。

駅舎は1988年(昭和63年)に改築されたもので、旧駅舎のイメージを継承せず、新京阪時代の建築で1984年(昭和59年)頃まで存在した桂駅旧駅舎に似たデザインとなっていて特徴的。

臨時改札口(上りホーム北側)は、当初計画された西院までの貨物線の遺構上に設けられたものである。この先西院地下入口付近までは、複単線構造で三線の線路用地をもつものとなっている。

のりば
号線 路線 方向 行先
1 ■京都本線 上り 河原町方面
2 下り 桂・高槻市・大阪(梅田)・天下茶屋方面


ホームには冷暖房完備の待合室が設置されています。
※実際には構内にのりば番号表記はないが、スマートフォン向けアプリ「阪急沿線ナビ TOKKアプリ」の発車案内機能では、河原町方面が1号線、梅田方面が2号線と表示されている。


副駅名にもなっている西京極総合運動公園で、Jリーグ、プロ野球や関西学生野球などのイベント開催時は、試合開催日の夕方以降に運行される快速急行(2001年以前のダイヤにおいては急行)が臨時停車することがある。

駅名の「西京極」は平安京の西端の南北道路である西京極大路に由来し、西京極大路の延長線上に当駅が存在する。駅が開業した際、この付近は京都府葛野郡京極村であった。

駅周辺
京都市西京極総合運動公園
わかさスタジアム京都(野球場)
陸上競技場兼球技場
補助競技場
京都アクアリーナ
ハンナリーズアリーナ(体育館)
京都西京極郵便局
京都葛野郵便局
京都銀行西京極支店
京都信用金庫西京極支店
京都市立西京極中学校
京都市立西京極小学校
学校法人光華女子学園
京都光華女子大学
京都光華女子大学短期大学部
京都光華中学校・高等学校
光華小学校
光華幼稚園
西京極保育園
衣手神社
花屋町通
天神川通
葛野大路通
京都府道113号梅津東山七条線
国道9号(西五条)

1928年(昭和3年)11月1日 - 新京阪鉄道の高槻町駅(現在の高槻市駅) - 京都西院駅(現在の西院駅)間延伸と同時に開業。
1930年(昭和5年)9月15日 - 会社合併により京阪電気鉄道新京阪線の駅となる。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の駅となる。
1949年(昭和24年)12月1日 - 新京阪線が京都本線に改称され、当駅もその所属となる。
1988年(昭和63年)4月 - 第43回国民体育大会(京都国体)秋季大会に対応するための改良工事が完成。駅舎改築、西側に臨時改札口とスロープを新設。
2013年(平成25年)12月21日 - 駅番号導入。


西京極駅
にしきょうごく
Nishikyogoku
(西京極総合運動公園前)
◄HK-81 桂 (2.1km)(1.8km) 西院 HK-83►
所在地 京都市右京区西京極西池田町2番地
北緯34度59分32.57秒
東経135度43分6.72秒
駅番号 ○HK-82
所属事業者 阪急電鉄
所属路線 ■京都本線
キロ程 40.1km(十三起点)
梅田から42.5km


駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 19,436人/日
-2016年-
乗降人員
-統計年次- (通年平均)17,861人/日
-2017年-
開業年月日 1928年(昭和3年)11月1日


しんかい6500 深海探査艇(海洋研究開発機構)

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しんかい6500は、独立行政法人海洋研究開発機構が所有する大深度有人潜水調査船。2012年現在、世界で2番目に深く潜れる、運用中の潜水調査船である。「しんかい2000」の運用実績をもとに1989年に完成し、2002年11月には「しんかい2000」が運用休止となったため、日本で唯一の大深度有人潜水調査船となっている。

用目的
1989年1月19日、三菱重工業神戸造船所(兵庫県神戸市兵庫区)において進水式が行われ、一般公募により「しんかい6500」と命名された。同年、メーカーによる三陸沖・日本海溝での潜航能力試運転においてテストパイロットを務めた山内満喜男により潜航深度6,527mを記録した。1990年に母船を含むシステムが完成、翌1991年より調査潜航を開始。日本近海だけでなく、太平洋や大西洋、インド洋などで、海底地形、深海生物などの調査を行っており、2007年には通算1000回目の潜航を達成した。
しんかい6500は、その名称が示す通り、6,500mまでの大深度の潜水調査を目的とし、その主な任務は、
地震、地殻を構成するプレートの沈み込み運動、マントル中のプルーム運動など地球内部の動きの調査
深海生物の生態系、進化の解明
深海生物資源の利用と保全に向けた調査
海底に堆積した物質、海底熱水系の調査を通した地球の熱・物質循環の解明
と位置づけられている。
自然科学調査を主目的とするフランス、自然科学および軍事を目的とするアメリカなどが保有する大深度有人潜水調査船を上回る6,500mという目標性能が設定されたのは、日本が世界有数の地震国であり、上記任務のうちでも巨大地震予知に関連するプレート運動の観測が重視されたためである。日本列島の太平洋側海溝で沈み込む海洋底プレートは、およそ水深6,200〜6,300m付近で地中へ沈降を始めており、地震予知の研究にはそれら地点の重点的観測が必要と考えられている。

支援母船「よこすか」
しんかい6500の運用には、その支援母船として同時期に「よこすか」が建造され、しんかい6500はこれに積載されて調査海域まで運ばれる。「よこすか」はしんかい6500の整備施設のほか、収集したデータ・資料のための研究設備も備える。運用上しんかい6500の潜航時間は8時間と定められており、水深6,500mまで潜る場合は片道の潜航時間に約2.5時間必要であるため、水深6,500m地点での調査時間は約3時間となる。調査深度がこれより浅い場合は、調査時間を長く取ることができる。よこすか-しんかい6500間の通常の通信は音波によって行われるが映像は10秒に1コマしか送信できない。

船体構造
船体形状は、ほぼ円形断面であったしんかい2000に対し、しんかい6500は沈降方向に長い楕円形になっている。パイロット2名、研究者1名が乗り込む船体前部の耐圧殻(たいあつこく)は内径2m、床面1.2mで、従来の高張力鋼に代わりチタン合金[注 2]で作られており、約68MPaの水圧にも耐えられるように73.5mmの厚みを持つ。耐圧性能を高めるために極力、真球に近い形状となっており、誤差は0.5mm以内に収められている。酸素など5日間は生命維持ができるようになっている。

耐圧球の前方(パイロット用)と側方左右の合計3箇所には、メタクリル樹脂(アクリル樹脂)製の覗き窓(7cm厚の2枚重ねで計13.8cm)が設置してある。潜行では水圧で最大約9mm凹む。実験では深度約4万メートル相当の水圧で割れているため、地球上の深海において水圧が原因で割れることはない。ハッチは直径50cmでOリング(パッキン)がはめられている。人はもちろん、研究機材などもこの直径より大きな物は積み込めないため小型の物や分離・組み立てができる物に限られる。

船内にはトイレはないため簡易トイレを持ち込む。食事は各々が弁当やサンドイッチなどを持ち込む。以前は万が一、事故などが起こり生還が絶望的になった場合の最期に飲む酒が持ち込まれていた。1年の終わりにその酒の封を開け無事を喜んでいたが現在では酒類の持ち込みは一切禁止となっている。しんかい2000にあったパイロット用の座席は採用されていない。
船体建造に先だって実物大模型を制作し、居住性、操作性、整備上の評価と検討が行われた[2]。

推進力・電力
2012年にスクリューやモーターを追加する改造が行われ、操作性が大幅に向上した。推進力(スクリュー)は、船体後部に主推進スラスターを左右に各1台、船体中央の左右両側に垂直スラスターを各1台、船体前後に水平スラスターを各1台。垂直スラスターを埋め込み式にすることで下降・上昇時の抵抗減少・時間短縮に努めている。後部の推進スラスターは左右独立して推進力の調整が可能で、水平スラスターも併用して左右に旋回する。潜行する際は、そのまま沈むのでは垂直スラスターの推力およびバラストに依る比重しか利用できないため、潜行トリムを取った上で旋回(すなわち前進推力を利用)しながら潜行していくことで、目的深度までの到達時間短縮を図る。
浮力材は、ガラスマイクロバルーン(極小の中空ガラス球)を高強度エポキシ樹脂で固めたシンタクチックフォーム(水との比重は0.53)を船体全体に使用している。特に、しんかい6500で使用されているシンタクチックフォームは、直径88〜105μmと直径40〜44μmの2種のガラスマイクロバルーンを使用、より小さなバルーンで間を埋めることで比重を抑えたまま強度を向上している。浮上する際に排出するバラスト(重り)は、しんかい2000では鉄球のバラストだったが、しんかい6500では鉄板に変更されている。バラストには潜行番号が刻印されているため、いつ、どの潜水船が調査を行ったか分かる。
主蓄電池は当初、軽量で高容量の酸化銀亜鉛電池(酸化銀電池を参照)を1組2群(1群72セル)を潜水毎に入れ替えて使用していたが、2004年からはリチウムイオン電池となり、小型軽量化と整備性改善が図られている。

調査用装備
耐圧殻前方に投光器(メタルハライドライト)とハイビジョンカメラ2台(光出力可能)、デジタルカメラ1台を装備している。前下方に2本のマニピュレーター[注 4]と調査機材や採集サンプルを入れるバスケット2個を備え、これによって調査・標本採集を行う。マニピュレーターは油圧・サーボ弁で動く7関節のマスタースレープ式で、片方で大気中での重さにして約80kgまで持つことが可能。サンプル採集用の吸い込みホースはマニピュレーターで挟んで操作する。操作は船内のジョイスティックで行う。バスケットは300kgまで入れられる。2013年6月の生中継の際には船尾に光ケーブルを収容したスプーラーを取り付けた。また、カラー画像をデジタル処理し音波を使って母船に送る音響画像伝送装置を備える。

乗組員
しんかい6500には専属の整備士はおらず、潜行中の問題にも対処できるようにパイロット(操縦士)自身が整備士を兼務する。パイロットには危険手当として時給2,200円(潜行が300m未満の場合は1,700円)が支給される。コパイロット(副操縦士)は潜行終了後に耐圧殻内に溜まった水(結露・汗など)の排水掃除をするのが伝統となっている。
潜行服はF1ドライバーが着る物と同等の難燃性の繊維が使用されている。化粧品は油性で可燃の可能性があるため化粧は禁止されている。タレントの中川翔子が番組企画で乗り込んだ際には使用する化粧品の可燃試験を行い合格した物だけを使っていた。
平成29年度に向けてパイロットが1人でも潜航可能な改造を予定している。

沿革
1989年: 着水、同年8月11日試験潜航で最大潜航深度6,527mを達成。
1991年: 調査潜航を開始。三陸沖日本海溝(水深6,200m)で太平洋プレート表面の裂け目を世界で初めて確認。
2004年: 太平洋にて5ヶ月間に及ぶ大規模調査航海「NIRAI KANAI (NIppon Ridge Arc and Intra-plate Key processes Apprehension NAvigational Initiative)」を行う。
2007年3月: 通算潜航回数1000回を達成する。
2007年3月: 訓練潜航中に深度5,000m付近でハッチが浮き上がる現象が発見され、同年5月、6月に実施予定となっていた調査潜航を中止し、安全性の確認のための試験潜航を実施している。
2011年7月30日から8月14日の間に三陸海岸沖(水深約3200mから5350m)で深海調査を行い東北地方太平洋沖地震で生じたと推測される亀裂を発見した。
2012年3月:約6億9000万円をかけた建造以来最大となる改造が完了。改造は、船尾の主推進器を、旋回式大型1台から固定式中型2台に、水平スラスターを後部に1台増設。全ての推進器のモーターをより応答性の良いものに換装し、加速・制動性能を向上。
2013年1月:世界一周海底調査「Quelle2013」を開始した。4月末、リオデジャネイロの南東1000km沖合いの水深910mの海底で、地上でしか形成されない花崗岩、海中では作られない石英の砂を多量に発見した。これについて、日本の学者らはアトランティス大陸の痕跡ではないかと考えていることを発表した。なお、文明の痕跡は発見されなかった。しかしながら、花崗岩の存在は海水面上にある大陸の存在を必ずしも意味しない。海水面下にある薄い大陸地殻も世界中に多数存在する。巨大なものでは南太平洋のジーランド、インド洋のセイシェル周辺海域、小規模なものでは日本海の大和堆がその例である。「陸地が存在した極めて強い証拠」と言う下りは地質学の基礎を無視した都市伝説的論議である。
同年6月22日、カリブ海ケイマン諸島沖での水深5000メートル付近の深海熱水噴出域調査がニコニコ生放送でライブ配信された(第1350回潜航)。深海からの生中継は世界初のこと。光ファイバーでの高解像度による熱水噴出孔から吹き出るブラックスモーカーと、その周辺に棲息する深海のエビ類やイソギンチャク類の撮影・配信に成功した。この時の乗員は飯嶋一樹(パイロット、潜航長)、池田瞳(コパイロット)、高井研(JAMSTEC研究員)の3名。


性能諸元
装備の更新など細かな改修のほか、2012年には推進装置の大幅な改造を行っている。
全長:9.7m(改造前9.5m)
全幅:2.7m
全高:3.2m
乗員数:3名(パイロット2名、研究者1名)
最大潜航深度:6,500メートル(設計上、水深6,500mに対し1.5倍の安全率をかけ300mを足した水深10,050mまで耐えられる構造となっている。なお、他国では1.25倍の安全率となっている。)
最大速力:2.7ノット(改造前2.5ノット)
動力:DCブラシレスモーター(改造前は誘導モーター)
主推進器2台、水平スラスター2台、垂直スラスター2台(改造時に主推進器と水平スラスターを各1台ずつ増設)
耐圧殻内径:2.0m
潜航時間:9時間(運用上は8時間)
乗員生命維持時間:129時間(以上)
ペイロード許容重量:150kg
関連法規
船舶安全法および関連法規(船舶設備規程、小形船舶安全規則、潜水船特殊基準など)


登場作品
映画・ドラマ
1999年に公開された「ゴジラ2000 ミレニアム」では、海底にGセンサー(ゴジラ探索用の装置)を設置する役割として、劇中に登場した。
2006年にリメイクされた映画「日本沈没」では「しんかい」シリーズが、わだつみ2000、わだつみ6500という名称で登場するシーンがある。どちらも性能は、実物と同じである。
2015年、テレビドラマ『海に降る』(2015年10月、WOWOW)。
書籍
『海に降る』(朱野帰子、2012年1月13日、幻冬舎、ISBN 978-4344021174)
『青春アドベンチャー』(NHK-FM) でラジオドラマ化。2015年テレビドラマ化。
『ぼくは「しんかい6500」のパイロット』(吉梅剛、2013年7月10日、こぶし書房、ISBN 978-4875592761)海洋研究開発機構・運行管理部探査機運用グループ技術副主幹
『微生物ハンター、深海を行く』(高井研、2013年7月6日、イースト・プレス ISBN 978-4781610061)海洋研究開発機構・深海・地殻内生物圏研究プログラム プログラムディレクター
『有人潜水調査船「しんかい6500」 模型と写真で見る「しんかい6500」の活動と実績』(電撃ホビーマガジン編集部、2012年6月30日、アスキー・メディアワークス、ISBN 978-4048865326)

プラモデル、ブロック、完成品
1/48モデル(各改造前・後、の2種類。バンダイ)。
1/72モデル(各改造前・後、の2種類。ハセガワ)。
レゴブロック「しんかい6500」
タカラマイクロワールド しんかい6500・わだつみ6500
海洋堂 センムの部屋第4弾 しんかい6500(内部構造も見えるようになっている。)

ゲーム
・スプラトゥーン2 オクト・エキスパンション

著名人の乗船
研究者以外の著名人の乗船。
毛利衛(宇宙飛行士) - 2003年3月13日(第733回潜航)南西諸島海溝、6500m。
緒形拳(俳優) - 2006年8月3日(第967回潜航)南西諸島、1525m(テレビ番組『プラネットアース』の企画)。
山根一眞(作家) - 2007年3月15日(第1000回潜航)南西諸島、1526m。
中川翔子(タレント) - 2009年8月25日(第1159回潜航)日本海溝、5351m(テレビ番組『飛び出せ!科学くん』
草彅剛・及川光博(タレント) - 2006年 映画日本沈没の撮影のため
マスコットキャラクター
ロッキー - 6500の6K(=6000、ろっけー)に由来する。

しんかい6500
基本情報
船種 深海探査艇
船籍 日本
所有者 海洋研究開発機構
建造所 三菱重工業神戸造船所
経歴
就航 1989年1月19日
処女航海 1991年
要目
トン数 空中重量 26.7トン
全長 9.7 m
幅 2.7 m
高さ 3.2m
機関方式 電気推進
主機関 無整流子電動機
推進器 主推進器×2基
サイドスラスター×4基
(水平方向2基+垂直方向2基)
速力 2.7ノット
潜航時間 9時間(運用上は8時間)
潜航深度 6,500 m
乗組員 2名+便乗者1名
積載能力 150 kg

 

奥大井湖上駅 大井川鐵道井川線

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奥大井湖上駅
奥大井湖上駅(おくおおいこじょうえき)は、静岡県榛原郡川根本町梅地にある大井川鐵道井川線の駅である。

当駅は井川線の一部が長島ダムの建設によってダム湖に沈むことから1990年に新線に移設された際、新駅として開業したもの。駅構内および鉄橋上からは、ダム建設による切り替え前の旧線の橋を一望できる。

ホームは一部鉄橋上にかかっています。反対側の鉄橋には、遊歩道も併設されています。

海抜は490m。長島ダムのダム湖である接岨湖に突き出た半島状の陸地の突端に位置する。この場所はダム建設以前に谷が大きく蛇行していた部分の尾根にあたり、駅および鉄橋の湖底(つまりかつての谷底)からの高さは70mもある。

前後を2本の巨大な鉄橋「レインボーブリッジ」(東京港の「レインボーブリッジ」より先に命名。そちらとの区別のため「奥大井レインボーブリッジ」とも呼称)に挟まれ、更に周辺に民家等は無く、さながら陸の孤島の様相を呈している。このため「秘境駅」に数えられることもある。

当駅に関しては、2008年4月30日にフジテレビ系列で放送された『ザ・ベストハウス123』の中でとり上げられたほか、2015年4月に放送開始され、タモリやトミー・リー・ジョーンズが出演したサントリー『プレミアムBOSS ブラック』のテレビCM”「プレミアム鉄道」編”のロケ地として当駅を挟むレインボーブリッジが選ばれている。

2017年7月7日~8月6日の土日には、Surprise Trip Letter「まるで海外のような絶景を旅しよう」の企画で奥大井湖上駅のレイクコテージ内に臨時郵便局が開設されている。

期間中、来場者に特製のレターセットがプレゼントされ、臨時ポストに投函するとオリジナルの消印が押されることになっている。

Surprise Trip Letterとは、海外を思わせる驚くほど美しいフォトジェニックな場所から、“まるで海外から届いたかのようなサプライズを施した手紙”をその場で送ることができる企画で、地域や企業計10団体が手掛けている。

駅構造
単式1面1線のホームを持つ。ホームの一部は橋梁上にもせりだしており、駅名通り「湖上」となっている。

駅の出入口は接岨峡温泉側の鉄橋に併設されている歩道で、これを渡ると階段・山道を経由して静岡県道388号接岨峡線に出ることができる。県道には当駅の駐車場も用意されているものの、駐車場と駅との間は片道で20分ほどの時間を要する。利用者はほぼ全員が観光客であり、当駅や展望の良い丘や橋を通ること自体が人気のウォーキングコースとなっている。大井川鐵道では当駅から接岨峡温泉駅までのハイキングコースを案内している。

当駅のホーム上には、幸せを呼ぶ鐘「Happy Happy Bell 風の忘れもの」が設置されており、その脇には「愛の鍵箱」と呼ばれるオブジェが設置されている。「愛の鍵箱」は恋人が愛を誓って錠前をかける場となっており、このための錠前と鍵のセット「愛の恋錠」が過去に販売されている。

駅周辺
天狗石山
レイクコテージ奥大井
駅から少し登ったところにある2階建ての展望施設で、1階は休憩所とトイレ、2階は展望台という構造。常設の売店はおろか自動販売機の類も皆無である。
通年利用できる(冬季も利用制限なし)。

奥大井結婚式」の式場、そして”奥大井恋錠駅”へ
前記『ザ・ベストハウス123』2008年4月30日放送分で「日本の不思議な駅ベスト3」の第1位にランクインされた当駅は一躍脚光を浴びるところとなり、当駅が所在する川根本町の役場や観光協会組織「川根本町まちづくり観光協会」には問い合わせの電話が殺到した。折しも放送から約2年半経過した2010年10月2日に当駅を擁する井川線の新線(アプト)区間が開通20周年を迎えることになっていたこともあり、川根本町まちづくり観光協会は「この風景を広く知ってもらえば観光客がもっと増えるのでは」との思惑から、マスメディアからも注目されると期待できる結婚式イヴェントを企画するに至る。

「奥大井結婚式」と銘打たれたこの結婚式イヴェントは川根本町の地域資源を活かす形で挙行されることで同町が有する豊かな自然を多くの人々に知らしめることを目的としており、当駅を初めとする同町内に所在する施設が式場として用意されているが、これら町内施設のうち当駅が式場として使用されたのは、井川線新線区間開通20周年を迎えた2010年10月2日当日と、2012年の3月と10月の少なくとも計3回となっている。

このうち、初めて当駅を使用して2010年10月2日に結婚式が挙行された際には、参加を希望し応募した19組の中から選ばれた1組のカップルが大井川鐵道の制服姿と純白のウエディングドレス姿で式に臨み、当駅に設置されている鐘を誓いを込めて打ち鳴らす等していたが、この挙式の中で同じく当駅に備え付けられた「愛の鍵箱」にカップルが一緒になって鍵をかけるという演出が行われたことがきっかけとなって、商品としての「愛の恋錠」が企画されると共に「愛の鍵箱」は引き続き当駅ホームに備え付けとなり、更に当駅を”奥大井恋錠駅”の愛称で浸透させることをも目論むようになった。

歴史
1990年(平成2年)10月2日 - 開業。
2001年(平成13年) - 中部の駅百選に選定される。

奥大井湖上駅
おくおおいこじょう
OKUÔI-KOZYÔ
◄ひらんだ (1.3km)(1.6km) 接岨峡温泉►
所在地 静岡県榛原郡川根本町梅地
北緯35度10分4.18秒
東経138度10分50.76秒座標: 北緯35度10分4.18秒 東経138度10分50.76秒
所属事業者 大井川鐵道
所属路線 井川線
キロ程 13.9km(千頭起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 19人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 51人/日
-2016年-
開業年月日 1990年(平成2年)10月2日
備考 終日駅員無配置
標高490m

大鉄アドバンス バス路線 寸又峡線

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大鉄アドバンス
「大鉄バス」の名称で乗合バス事業を、「大鉄観光バス」の名称で貸切バス事業を、「大鉄タクシー」の名称でタクシー事業を、「大鉄観光サービス」の名称で旅行業を行っている。大鉄アドバンス(だいてつアドバンス)はバス事業やタクシー事業を中心とする大井川鐵道の子会社である。

以前は大井川鐵道本体で大井川本線の沿線に路線バス事業を展開していたが、2014年12月時点では寸又峡線と閑蔵線の2路線のみとなっていた。大井川本線と接続するダイヤになっており、観光客利用が多い場合には続行便なども設定される。寸又峡線1路線のみの時期もあったが、2012年4月28日より、井川線に並行する形で閑蔵線の運行を開始した。その後、2015年1月から両路線とも関連会社の大鉄アドバンスに移管され、大井川鐵道本体はバス事業から撤退した。

バス路線
寸又峡線
千頭駅 - 奥泉駅前 - 寸又峡温泉
午前の下り、午後の上りの各1本はもりのいずみにも停車。始発便は、学校の休校日は運休。下り最終便はデマンド運行。千頭駅から寸又峡温泉までの所要時間は40 - 45分。
閑蔵線
千頭駅 - 奥泉駅 - 長島ダム - 接岨峡温泉 - 閑蔵駅前
2012年4月28日運行開始。井川線よりかなり短い30分で千頭駅と閑蔵駅前を結ぶ。1日3往復。運賃も井川線より安い。
このほか、かつては静岡井川線を静岡鉄道バスと、静岡浜松線を遠州鉄道バス・静岡鉄道バスと共同運行していた。また掛川市内にも路線を有していたが、こちらは1988年に掛川バスサービスに全路線を譲渡して撤退している。他にも島田市旧金谷町内にも路線を有していたが、こちらも2004年に撤退し、島田市自主運行バスが代替している。

株式会社 大鉄アドバンス 会社概要
■会社名 株式会社 大鉄アドバンス
■設立 平成18年
■資本金 10,000千円
■業務内容
一般乗用旅客自動車運送事業・一般乗合旅客自動車運送事業・一般貸切旅客自動車運送事業・一般旅行業
■従業員数 117名
■主たる株主 大井川鐵道株式会社
■沿革
昭和 3 年08月 大井川鉄道株式会社の乗合バス部門営業開始(新金谷~島田七丁目間5.6km)

昭和 3 年10月 大井川鉄道株式会社の貸切バス部門として営業開始
昭和35年11月 旅行業部門として株式会社大井川観光ステーション設立
昭和37年08月 大鉄タクシー株式会社設立
平成11年01月 大井川鉄道㈱自動車部の中型バスを大鉄タクシー㈱に移管
平成18年10月 大鉄タクシー㈱と大鉄観光サービス㈱が合併し、株式会社大鉄アドバンスとしてスタートを切る
平成27年01月 大井川鐵道㈱から乗合バス事業(寸又峡線・閑蔵線)を移管
■タクシー
 乗合バス部門 タクシー
金谷東町営業所
〒428-0013 静岡県島田市金谷東二丁目1112番地の2 TEL : 0547-45-2121
タクシー・乗合バス部門
千頭営業所
〒428-0411 静岡県榛原郡川根本町千頭1236-35 TEL : 0547-59-2355
■自動車部
 貸切バス部門 自動車部
貸切営業課
〒428-0013 静岡県島田市金谷東二丁目1112番地の2 TEL : 0547-46-2370(代表)
自動車部
金谷自動車営業所
〒428-0013 静岡県島田市金谷東二丁目1112番地の2 TEL : 0547-45-2400
自動車部
静岡自動車営業所
〒 422-8044 静岡県静岡市駿河区西脇1163-3 TEL : 054-204-0575
■旅行営業部 大鉄観光サービス
  本社営業所
〒428-0013 静岡県島田市金谷東二丁目1112番地の2 TEL : 0547-46-3131
大鉄観光サービス
  静岡営業所
〒422-8044 静岡県静岡市駿河区西脇1163-3 TEL : 054-204-0531
大鉄観光サービス
  浜松営業所
〒430-0929 浜松市中区中央3丁目2-27 TEL : 053-456-0901
■関係会社
大井川鐵道株式会社

 

鳥羽駅 参宮線(JR東海)・(近鉄)

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鳥羽駅(とばえき)は、三重県鳥羽市鳥羽一丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。駅番号は近鉄がM78。大半は近鉄の利用者で、JRの広い構内は閑散としています。

乗り入れ路線
JR東海の参宮線と、近鉄の鳥羽線・志摩線の3路線が乗り入れ、接続駅となっている。いずれの路線も当駅が起終点であるが、近鉄の2路線については鳥羽線列車の約半数がそのまま志摩線に直通する。

近鉄線利用時にはPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)およびPiTaPaと相互利用可能なカードの利用が可能であるが、JR東海利用時にはTOICAを含むこれらのカードの利用ができない。

駅構造
地上駅である。
JRは0 - 2番線を使用し頭端式ホーム1面3線がある。1番線は0番線側の切り欠き部にある。なお、快速「みえ」は主に1番線から、普通列車は主に0番線から発車する。土産物店を併設した、2階建てのコンクリート造駅舎です。

近鉄は3 - 6番のりばを使用し島式ホーム2面4線を持つ橋上駅になっている。ホーム有効長は10両編成分を確保されている。近鉄のりばは鳥羽線建設前のJR線南側から現在の北側に移動している。このため、のりばの番号はJRと続き番号であるが、その順番には並んでいない。

改札口はJRホームに直結しているJR管轄の地上改札と、近鉄管轄の橋上駅舎内の2ヶ所がある。JRと近鉄の乗換は中間改札なしで可能である。ただし、どちらの駅舎も管轄担当社の券売機・窓口しかない。また、津駅・伊勢市駅・松阪駅・桑名駅などとは異なり、JRの乗車券で近鉄の自動改札機を通過することはできないため(有人改札通路を通過することになる)、事実上近鉄とJRで改札口が分離されている。

JR東海の駅は、東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、伊勢市駅が当駅を管理している。近鉄の駅には駅長が置かれ、朝熊駅 - 賢島駅間を管理している。

のりば
JR線のりば
番線 路線 行先 備考
0 ■JR参宮線(主に普通) 松阪・名古屋方面
1 ■JR参宮線(主に快速)
2 1日1本のみ


近鉄線のりば
のりば 主な方向(路線) 行先 備考
3 主に M 近鉄線上り(鳥羽線) 四日市・名古屋・大阪・京都・奈良方面 主に当駅始発の特急
4 主に M 近鉄線下り(志摩線) 鵜方・賢島方面
5 主に M 近鉄線上り(鳥羽線) 四日市・名古屋・大阪・京都・奈良方面
6
近鉄線ホームは下り本線は4番線、上り本線は5番線である。3・4番のりばは発車については上下両方向可能であるが、入線は宇治山田方面からしかできない。ただし、複線化までは3・4番のりばも上下両方向から入線が可能であった。なお、5・6番のりばは上下両方向からの入線・発車に対応しており、賢島方面へ折返し普通列車が出る場合、ホーム賢島寄りから発車する。

特徴
鳥羽観光の拠点駅である。
当初は砂浜に沿った海辺の駅であったが、海側が高度経済成長期に大幅に埋め立てられた。海側の幹線道路、土地はすべて埋立地である。海に近いため、3 - 5mの津波が押し寄せると想定されている。
中之郷方に連絡通路がある。
JR線と近鉄線を結ぶ改札内通路には階段しかなく、エレベーターやスロープは設置されていない。乗り換え用のICカードリーダーの設置もない

JR東海
通常は快速みえと普通列車のみ乗り入れてくるが、時期によっては修学旅行等の臨時列車が乗り入れる事もある。
2016年現在、日中時間帯(11時 - 16時)は快速みえと普通列車がそれぞれ1時間に1本発車し、早朝・夜間は快速みえと普通列車のどちらかが1時間に1本発車する。
JRの列車は夜間滞泊を行わず、そのまま多気駅方面へ折り返す。
1917年(大正6年)から1919年(大正8年)までは出発・到着とも1日8本で、うち急行は出発1本、到着3本が設定されていた。1922年(大正11年)には出発・到着とも1日13本(うち急行5本)に増加、名古屋・湊町・京都・奈良・亀山駅・山田発着便が設定されていた。

駅設備・営業面
JR東海
自動改札機・自動精算機に加え、自動券売機もない。切符の販売・確認・精算・回収は全て、改札に面した窓口の中にいる駅員が手作業で行う。無人時間帯は無人駅と同様に車内精算となる。
駅舎2階に土産物店や飲食店の入る「鳥羽駅名店街」がある

駅周辺
JR側
鳥羽駅前商店街
赤福鳥羽支店(JR側徒歩3分)
伊良子清白の家
賀多神社
日和山展望台
鳥羽錦町郵便局
常安寺

バス路線(鳥羽バスセンター)
駅敷地内ではなく国道42号を挟んだ向かい側に鳥羽バスセンターがあり、駅とは連絡橋でつながっている。

1911年(明治44年)7月21日 - 参宮線山田(現在の伊勢市) - 鳥羽間延伸により、その終着駅として開業。
1926年(大正15年)
4月10日 - 駅改築工事の竣工式を挙行。
8月15日 - 東京との直通列車の運行開始。
1929年(昭和4年)7月23日 - 志摩電気鉄道(現在の近鉄志摩線)鳥羽 - 真珠港間が開業。
1944年(昭和19年)2月11日 - 会社合併により、志摩電気鉄道の路線は三重交通の一路線となる。
1953年(昭和28年)
9月29日 - 東京とを結ぶ急行「伊勢」が復活。
秋頃 - 国鉄鳥羽駅のプラットホームに上屋を設置。
1957年(昭和32年)9月21日 - 名古屋行き快速「志摩」運行開始。
1964年(昭和39年)2月1日 - 三重交通から鉄道事業が分社化され、旧志摩電の路線は三重電気鉄道に承継。
1965年(昭和40年)4月1日 - 近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併。旧志摩電の路線は近鉄志摩線となる。
1969年(昭和44年)12月10日 - 標準軌化工事のため近鉄志摩線営業休止、バス代行を行う。
1970年(昭和45年)3月1日 - 近鉄志摩線が標準軌化工事を完成させ営業を再開。近鉄鳥羽線の五十鈴川 - 当駅間が開業して全通。近鉄の駅が北側に新築移転。
1971年(昭和46年)6月13日 - 三重交通の鳥羽バスターミナルが完成。
1972年(昭和47年)3月14日 - 東京行き急行「伊勢」廃止。
1974年(昭和49年)
1月6日 - 火災により国鉄駅舎と日和山エレベーター焼失。
10月1日 - 国鉄駅の営業範囲が「旅客、荷物、車扱貨物」へ改正される。
1975年(昭和50年)10月14日 - 国鉄駅舎完成、営業を開始。
1982年(昭和57年)10月1日 - 国鉄駅の営業範囲が「旅客、荷物」へ改正される。
1985年(昭和60年)3月14日 - 国鉄駅の営業範囲が「旅客」へ改正される。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道と近鉄の駅になる。
1993年(平成5年)8月1日 - JR駅の0番線ホーム増設。
1999年(平成11年)7月23日 - 近鉄新駅舎竣工。
2001年(平成13年) - 第3回「中部の駅百選」に選定。
2007年(平成19年)4月1日 - 近鉄の駅でPiTaPa使用開始。
2015年(平成27年)9月1日 - 近鉄の駅で「ご当地入場券」を発売開始

鳥羽駅
とば
Toba
所在地 三重県鳥羽市鳥羽一丁目8-13
北緯34度29分11.31秒
東経136度50分34.03秒
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
近畿日本鉄道(近鉄)
電報略号 トハ
駅構造 地上駅(一部橋上駅)
ホーム 3面7線[1]
乗車人員
-統計年度- (JR東海)337人/日
(近鉄)2,001人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1911年(明治44年)7月21日(JR)
1929年(昭和4年)7月23日(近鉄)
乗入路線 3 路線
所属路線 ■参宮線(JR東海)
キロ程 29.1km(多気起点)
◄(臨)池の浦シーサイド (3.7km)
所属路線 M 近鉄鳥羽線
駅番号 M78
キロ程 13.2km(宇治山田起点)
伊勢中川から41.5km
◄M77 池の浦 (2.6km)
所属路線 M 近鉄志摩線
キロ程 0.0km(鳥羽起点)
(1.0km) 中之郷 M79►
備考 共同使用駅
JR東海:業務委託駅
JR東海:JR全線きっぷうりば 有

JR貨物20D形コンテナ

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JR貨物20D形コンテナ
JR貨物20D形コンテナ(JRかもつ20Dがたコンテナ)は、日本貨物鉄道(JR貨物)が2006年(平成18年)より20B形コンテナの置き換え用、及び20C形コンテナの後継として製作・運用している12ft有蓋コンテナである。
通常のコンテナよりも天地寸法が大きく、車両限界の関係からコキ50000系への積載が禁止されている。ただし、車両限界に余裕がある線区や、特認区間では、この限りではない。

構造
両側開きで、全高は2,600mmと、通常のコンテナよりも高くなっており、かさ高品の輸送に対応している。内容積は19.5㎥、荷重は5.0t。 本形式では、新たに妻面上部に鋼製の簡易通風器が設けられたことが大きな特徴である。
外部塗装はJRFレッドと称されるフロンティアレッド一色で、向かって右上に配されるJRFのロゴマークは20C形に比べて大きくなった。また、本形式は規格外コンテナであるため、それを示す白色の帯が全ての面の上部に引かれているほか、規格外であることを示す菱形マーク(通称ハローマーク)と『全高H=2600』の表記、さらにはオレンジ色で『コキ50000積載禁止』の注意書きがコンテナ側面に記されている。

製造状況・現況
2006年に200個が東急車輛製造和歌山製作所により製作された。 2013年度に総合車両製作所和歌山事業所にて201 - 499までの番号が製造され増備に至った。2013年度増備分は形状が変更されたと共に表記類もマイナーチェンジされた。 2017年(平成29年)1月5日現在、446個を保有している。
2018年3月17日のダイヤ改正コキ50000形の営業運転が終了することにより、背高コンテナの運用上の制限がなくなるため、2018年度は2650個の増備が予定されている。

R貨物20D形コンテナ
全長(内寸法) 3,715mm (3,647mm)
全幅(内寸法) 2,450mm (2,275mm)
全高(内寸法) 2,600mm (2,354mm)
内容積 19.5m3
扉位置 両側側面
製造初年 2006年(平成18年)
製造メーカー 東急車輛製造
製造数 499個
外面色 赤紫色(JRFレッド)

大仁駅 伊豆箱根鉄道駿豆線

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大仁駅(おおひとえき)は、静岡県伊豆の国市大仁にある伊豆箱根鉄道駿豆線の駅である。

駅番号はIS11。特急「踊り子」の停車駅。近くに温泉街がある。

駅構造
大きくカーブした島式ホーム1面2線を有する地上駅。平屋の木造駅舎です。

1番線の両側のホームは、かつて大仁駅が終点だった名残であり、現在は駅舎側のホームは使用されていない。 駅舎に隣接して貨物ホームが存在したが、今は跡地に駐車場が建設されている。

切符売場にはタッチパネル式の券売機が2台。有人窓口も営業しています。


改札口の改札機は2台。頭上にはLED式の発車案内が設置されています。

のりば
1 ■特急「踊り子」(下り) 修善寺方面
■駿豆線(下り) 修善寺方面


2 ■特急「踊り子」(上り) 伊豆長岡・大場・三島・熱海・小田原・横浜・東京方面
■駿豆線(上り) 伊豆長岡・大場・三島方面
■駿豆線(下り) 修善寺方面(当駅で列車交換を行わない列車)

ホームは広く大きな上屋あります。

当駅で列車交換を行わない下り列車は2番線から発車する。これは構内踏切の遮断を避けるためである。


2009年10月12日より2010年3月31日まで、当駅が最寄り駅だった大仁高等学校の校歌が発車メロディーとして使用されていた(高等学校の統廃合により、大仁高等学校は現在、伊豆総合高等学校となっている)。

利用状況
「静岡県統計年鑑」によると、2004年度の一日平均乗車人員は1,751人、降車人員は1,763人であった。

駅周辺
2006年、駅前ロータリーに足湯が設置された。
大仁温泉
大仁神社
東芝テック大仁事業所
水晶山


静岡県立大仁高等学校
大仁ホテル
修善寺道路大仁南IC
国道136号


アピタ大仁店
狩野川
ヤマダ電機テックランド修善寺店(南東へ徒歩15分)

城山

路線バス
乗り場      系統    主要経由地      行先           運行会社 備考
              大仁駅前    大仁小学校・田京駅 宗光寺下 新東海バス 休日1本
                   大仁小学校・浮橋 亀石峠     新東海バス
              瓜生野        修善寺駅       新東海バス


1899年(明治32年)7月17日 - 南条(現・伊豆長岡) - 大仁間開業により、当駅開業。
1899年(明治32年)12月25日 - 帝国議会議長宛に、大仁駅を起点として、 下田港までに至る下田鉄道敷設請願書を提出。実現せずに構想だけで終わる。
1924年(大正13年)8月1日 - 大仁 - 修善寺間開業により、中間駅となる。


2009年(平成21年)10月12日 - 大仁高校の創立90周年を記念して、発車メロディを同校の校歌をアレンジしたものに変更。2010年3月まで。
2015年(平成27年)3月27日 - 田京 - 修善寺間で、 鉄道総研が超伝導送電技術を用いた世界初の列車走行試験に成功。大仁駅に超電導送電システムを設置して試験走行を実施した。

大仁駅
おおひと
Ohito
◄IS10 田京 (2.4km)(2.0km) 牧之郷 IS12►
所在地 静岡県伊豆の国市大仁584
北緯34度59分40秒 東経138度56分15秒


駅番号 IS11
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 ■駿豆線
キロ程 16.6km(三島起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線


乗車人員
-統計年度- 1,262人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 2,546人/日
-2016年-
開業年月日 1899年(明治32年)7月17日

ハローキティ新幹線 新幹線500系電車

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ハローキティ新幹線
2018年6月30日より運行を開始した、サンリオのキャラクター「ハローキティ」とのコラボレーション企画による編成。ハローキティと新幹線という組み合わせに、JR西日本社内では反対する声も一部上がったものの、賛成する声が大半を占め、サンリオ側も山陽新幹線が走行するエリアを中心に8府県をハローキティで盛り上げるというスケールの大きさに「光栄です」と、まったく異論はなかった。

車両デザインはサンリオとJR西日本との共同で実施され、前述のエヴァ新幹線が運行を終了した2018年5月末より改造が行われた。外観は白をベースカラーとし、窓沿いにピンクのリボンをまとったものとされた。

1号車はフリースペース「HELLO! PLAZA」として、山陽新幹線沿線及び山陰の8府県(大阪府・兵庫県・鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県・福岡県)を期間限定の入れ替え制で紹介するコーナーとしており、運行開始時は「山陰デスティネーションキャンペーン」に合わせ、鳥取県と島根県のご当地「ハローキティ」と地域紹介を掲示する。また、物販カウンターが設けられ、ハローキティの限定グッズや地域の特産品が購入できる。2号車は特別内装車「KAWAII! ROOM」として、フォトスペースが設けられる他、枕カバーや日よけなどにハローキティがちりばめられたデザインとなっている。

地域を「つなぐ」「結ぶ」という思いが詰まったリボンをモチーフにデザイン。
先頭車両(1・8号車)では制服を着たハローキティのイラストがお出迎え。
各号車には、地域限定デザインのハローキティがお目見え。


1号車は、いろんな地域の魅力と触れ合える 特別な展示スペースに。
2号車は、みんなが楽しめるよう、 おしゃれにかわいく飾りつけられている。
フォトスポットでは、新幹線の旅の思い出をハローキティといっしょに撮れる。


2号車は、みんなが楽しめるよう、 おしゃれにかわいく飾りつけられている。
フォトスポットでは、新幹線の旅の思い出をハローキティといっしょに撮れる。

ハローキティ新幹線の運行は海外メディアでも報じられ、報道公開の模様を、仏女性ファッション誌「ELLE」のウェブサイトが「これだけはいつか乗りたい」と写真付きで紹介したほか、英公共放送のBBCも男性ニュースキャスターが興奮ぎみに報じている。

ハローキティ新幹線に乗るには?
きっぷ※のみでご乗車が可能。
自由席もあります!きっぷは当日購入も可能!
※特急券と乗車券のきっぷが必要。
※2号車KAWAII! ROOMは自由席。
※1号車HELLO! PLAZAにも、自由に入退場できる。


室駅  養老鉄道養老線

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室駅(むろえき)は、岐阜県大垣市木戸町にある、養老鉄道養老線の駅。

駅構造
揖斐方面に向かって左側に1面1線の単式ホームをもつ地上駅。

養老線の路線が桑名・養老方面と揖斐方面に分岐する地点の近くに位置するが、ホームがあるのは揖斐方面の路線のみである。従って、揖斐行きと大垣行きのみが発着する。

駅員無配置駅である。改札窓口が閉鎖された跡が残っています。

駅舎はあるものの、現在は単なる待合スペースになっており、駅舎を経由しなくてもホームに入場することができる。

待合室には。FRP製の椅子が設置されています。

ホームの先端部は幅が狭くなっています。


ホーム待合所には立派な造り付けの長椅子が設置されています。


駅周辺
木戸公園
スイトピアセンター
大垣市図書館
大垣室町郵便局

 

 


歴史
1916年(大正5年)4月1日 - 養老鉄道(旧)の大垣 - 東赤坂間に貨物駅として新設開業。
1922年(大正11年)6月13日 - 合併により揖斐川電気の駅となる。
1928年(昭和3年)4月6日 - 鉄道事業譲渡により養老電気鉄道の駅となる。


1929年(昭和4年)10月1日 - 合併により伊勢電気鉄道養老線の駅となる。
1936年(昭和11年)5月20日 - 分離譲渡により養老電鉄の駅となる。


1940年(昭和15年)8月1日 - 合併により参宮急行電鉄の駅となる。
1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道との合併により関西急行鉄道の駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日 - 南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身)との合併により近畿日本鉄道の駅となる。
1956年(昭和31年)9月10日 - 旅客営業開始。
2007年(平成19年)10月1日 - 近鉄からの経営分離に伴い、養老鉄道(新)の駅になる。


室駅
むろ
MURO
◄大垣 (1.1km)(1.3km) 北大垣►
所在地 岐阜県大垣市木戸町134-3
北緯35度22分2秒
東経136度36分23秒座標: 北緯35度22分2秒 東経136度36分23秒
所属事業者 養老鉄道
所属路線 養老線
キロ程 44.1km(桑名起点)


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 625人/日
-2015-
開業年月日 1916年(大正5年)4月1日
備考 無人駅

近江鉄道ホキ10形 

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近江鉄道のホキ10形は、3両(ホキ11 - ホキ13)が在籍する。ホキ11, ホキ12は1985年(昭和60年)7月、ホキ13は1986年(昭和61年)2月、自社彦根工場製である。ホキ11・ホキ12は、ホキ1形(ホキ1, ホキ2)の、ホキ13はセキ31形(セキ31)の車籍を引き継いでいる。車体塗色は黄色である。

砕石(バラスト)散布用のホッパ車である。営業用貨車の形式を称するが、実態は事業用(軌道保守用)車両である。

国鉄ホキ800形貨車の同形車・同系車です。
一部の事業体では同一設計で製作された車両を保有しており、バラストの輸送や撒布に使用されている。一部に軌間の異なる(1,372mm、1,435mm)ものや緩急車、運転台を装備するものも存在する。

主要諸元
専用種別 砕石(バラスト)
化成品分類番号 なし
軌間 1,067 mm
全長 12,800mm、13,300 mm
全幅 2,742 mm
全高 2,900 mm
荷重 30 t
実容積 18 m3
自重 18.1 t
換算両数 積車 5.0
換算両数 空車 1.8
台車 TR41C、TR225
車輪径 860 mm
軸距 1,650 mm
台車中心間距離 9,200 mm
最高速度 75 km/h

三島二日町駅 伊豆箱根鉄道駿豆線

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三島二日町駅(みしまふつかまちえき)は、静岡県三島市南二日町にある伊豆箱根鉄道駿豆線の駅である。駅番号はIS04。

市街地外れの工場に隣接する立地で、朝夕の通勤通学客が利用の中心です。1932年12月15日に開業した。


駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎はコンパクトな木造駅舎。
2006年6月より駅員の駐在時間が延長されたが、駅員が常駐するまでには至っていない。


自動券売機は2台設置されている。
改札口には簡素なラッチが設置され自動改札機は設置されていない。また頭上には時刻表が掲げられています。
列車接近放送は永楽型のものが使用されている。

上り列車、下り列車でいずれも女声が流れ、発車時にはブザーが鳴る。以前は車掌がブザーを鳴らしていたが現在は駅員が鳴らしている。このブザーは付近の踏切にも連動している。

のりば
1 ■駿豆線(下り) 大場・伊豆長岡・大仁・修善寺方面


■駿豆線(上り) 三島方面


上屋は北端の改札口付近のみの設置です。

小さな待合室の横にバリアフリーのスロープがあります。

利用状況
「三島市統計書」によると、2006年度の一日平均乗車人員は1,431人、降車人員は1,554人であった。


駅周辺
横浜ゴム三島工場
森永製菓三島工場


南二日町広場(静岡県立三島南高等学校跡地)
ミシマスイミングクラブ
ノジマ三島店
三島警察署
国道1号
国道136号

三島二日町駅
みしまふつかまち
Mishima-Futsukamachi
◄IS03 三島田町 (0.9km)(2.6km) 大場 IS05►


所在地 静岡県三島市南二日町23-54
北緯35度6分41.34秒 東経138度55分31.53秒


駅番号 IS04
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 ■駿豆線
キロ程 2.9km(三島起点)


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線


乗車人員
-統計年度- 1,482人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 3,009人/日
-2016年-
開業年月日 1932年(昭和7年)12月15日

C10形蒸気機関車 C10 8 大井川鐵道

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大井川鐵道で動態保存されている。1930年(昭和5年)に製造された、日本国有鉄道(国鉄・製造時は鉄道省)のタンク式蒸気機関車である。

1930年(昭和5年)7月24日に川崎車輌で製造された(製番1363)。同年8月2日に大宮機関区に新製配置され、東北本線や高崎線の旅客列車に使用された。1932年(昭和7年)9月1日に高崎機関庫に転属してからは新小岩機関区や田端機関区、水戸機関区に貸し出された。1941年(昭和16年)3月31日には仙台機関区に転属、そして1949年(昭和24年)3月1日に盛岡機関区に所属してからは、山田線の旅客列車に使用された。1961年(昭和36年)3月31日に会津若松機関区会津線管理所に所属し、会津線の旅客・貨物列車に使用され、1962年(昭和37年)3月31日に廃車となった。
その後、同年8月に岩手県宮古市のラサ工業に譲渡され、同社工場と宮古駅を結ぶ専用線の貨物輸送と、宮古駅構内の入れ換え作業に使用された。国鉄の無煙化後も使用されたが、ディーゼル機関車の入線により予備機となり1979年(昭和54年)4月に再び運用を終了し、1986年(昭和61年)11月に再び廃車となった。

1987年(昭和62年)3月に宮古市に譲渡され、観光列車としての使用のため、同市によって修復された。同年4月17日に動態復活し、7月19日より宮古駅付近と宮古港出崎埠頭を結ぶ旧国鉄臨港線で「SLしおかぜ号」として保存運転が行われていた。しかし同線は海沿いを走るとはいえ、実際には堤防沿いを走るので海はほとんど望めず、1990年(平成2年)1月3日に運転を終了し、休車となった。
宮古市は譲渡先を探していたが、適当なタンク機関車を探していた大井川鉄道(現・大井川鐵道)と意見が一致したため、1994年(平成6年)4月17日に同鉄道へ譲渡された。なお、大井川鉄道への譲渡話は、ラサ工業時代から度々あったというが、最後までなかなか結論が出なかったという経緯を持っている。同月22日に保存場所から搬出され、同24日に大井川鉄道へ搬入された。新金谷車両区での整備や千頭駅での有火展示会を経て、1997年(平成9年)9月に営業運転開始に向けての試運転が行われた。同月25日に車籍復活し、翌月14日にC11 227との重連で営業運転を開始した。外観はC11・C12形と同様のタンク機関車だが、リベットを多数使用しているので、古典的な雰囲気が出ている[5]。現存するC10形は同機が唯一で、それ以外の車両は廃車後、すべて解体処分された。2018年(平成30年)現在、単機での牽引は客車4両まで(以前は5両まで)が可能である。

主要諸元
全長:12.65m
全高:3.940m
全幅:2.936m
重量:69.70t
空重量:55.51t
燃料:3 t
火室面積:1.60 m2

登場した作品
いずれも大井川鉄道(現・大井川鐵道)のC10 8が登場した。
コンピューターゲーム:SL

池野駅 養老鉄道養老線

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池野駅(いけのえき)は、岐阜県揖斐郡池田町池野259-4にある、養老鉄道養老線の駅である。主として通学・通勤用に利用される駅です。

養老鉄道開業時の終着駅で、約100年の歴史を誇る当駅ですが、池田町の中心部からは外れた立地で、周囲に賑わいは感じられません。


駅構造
相対式2面2線のホームを持つ行違い可能な地上駅。駅舎はコンクリート造駅舎です。独立した待合室がありFRP製の椅子が設置されています。


下りホーム側に駅舎が設けられている。駅舎反対側の上りホームへの移動は北池野駅側の構内踏切を利用する。なお、現在は上りホーム側からも出入りが可能となった。

池野駅プラットホーム
ホーム 路線 行先
(駅舎側) ■養老線(下り) 揖斐行き
(反対側) ■養老線(上り) 大垣・養老・桑名方面

上りホームは幅も狭く、簡易な造りです。


ホームは構内踏切で結ばれています。


駅営業面
21世紀初頭まで有人駅でしたが無人駅です。
揖斐方面側にある駅舎内に自動券売機が設置されている。稼働時間は5:00頃 - 21:10頃まで。片道乗車券と手回り品切符が購入できる。

駅周辺
国道417号…駅のすぐ西側を通っている。この国道の西側には池野の市街地が広がっている。
岐阜県立池田高等学校
雲上の桜
池田山
池田温泉
霞間ヶ渓公園
東海自然歩道
池田の森


歴史
1913年(大正2年)7月31日:養老鉄道(旧)養老 - 池野間開通時に、終着駅として開業。
1919年(大正8年)4月27日:当駅から揖斐への延伸により、途中駅となる。
1922年(大正11年)6月13日:合併により揖斐川電気の駅となる。
1928年(昭和3年)4月6日:鉄道事業譲渡により養老電気鉄道の駅となる。
1929年(昭和4年)10月1日:合併により伊勢電気鉄道養老線の駅となる。
1936年(昭和11年)5月20日:分離譲渡により養老電鉄の駅となる。
1940年(昭和15年)8月1日:合併により参宮急行電鉄の駅となる。
1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道との合併により関西急行鉄道の駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日:南海鉄道(南海電気鉄道の前身)との合併により近畿日本鉄道の駅となる。
2002年(平成14年)2月:駅員無配置駅となる。
2007年(平成19年)10月1日:近畿日本鉄道からの経営分離に伴い、養老鉄道(新)の駅となる。
2009年(平成21年):上りホーム側にも出入口が設置される。
2017年(平成29年)4月1日:駅構内に「まちづくり工房霞渓舎(かけいしゃ)」オープン。
※昭和の終わり頃に駅舎が建て替えられている。それまでは木造の駅舎であった。

池野駅
いけの
IKENO
◄北神戸 (1.6km)(0.9km) 北池野►
所在地 岐阜県揖斐郡池田町池野259-4
北緯35度26分11.53秒
東経136度34分42.32秒
所属事業者 養老鉄道
所属路線 養老線
キロ程 53.5km(桑名起点)
電報略号 イケ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 842人/日
-2015年-
開業年月日 1913年(大正2年)7月31日
備考 無人駅

園田駅 阪急電鉄神戸本線

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園田駅(そのだえき)は、兵庫県尼崎市東園田町にある、阪急電鉄神戸本線の駅。駅番号はHK-05。兵庫県内で最も東に位置する鉄道駅である。

駅構造
各方向ごとの列車の待避が可能な島式ホーム2面4線と、上り待避線外側にある単式ホーム1面の計3面4線を有する高架駅である。通常は島式ホームのみを使用しており、単式のホームは主に園田競馬の開催時などに使用されていた降車専用の「臨時ホーム」とされている(番号は割り振られていない)。

梅田側の本線上には渡り線が設置されており、当駅で三宮方面に折り返す列車は上り本線上で入換をし、下り線ホームに転線する。また、その先の本線南側には留置線(電留線)があるが、レールが錆びているため、長年にわたって使用されていないとみられる。かつてはさらに数本の留置線があった。

改札とコンコースは2階、ホームは3階にあり、改札口は2階の1か所のみ。エレベーターと上り専用のエスカレーターが各方面ホーム毎に1機ずつ設置されているが、エレベーターについては利用に制限がある。

のりば
号線 路線 方向 行先
1・2 ■神戸本線 下り 神戸三宮・新開地・宝塚方面
3・4 上り 大阪(梅田)方面
内側2線(2号線と3号線)が主本線、外側2線(1号線と4号線)が待避線であり、平日・休日ともにほとんどの列車は主本線の2号線と3号線に入線する。待避線の1号線と4号線は、平日のラッシュ時(特に朝)に優等列車の通過待ちを行う列車のみが使用する。

4号線の反対側には、単式の臨時降車ホームが設置されており(線路は4号線と共有)、かつては園田競馬開催時に降車用ホームとして使われていたが、1999年(平成11年)以降は使用されておらず、ホームへ上る階段の前に待合室が設置されたため、実質的に休止状態である(花壇が整備され駅員により手入れされている)。また、1号線は両方向に出発信号機があり、梅田方面への折り返し運転も可能である。ただし通常のダイヤでは、三宮方面を含め当駅で折り返す列車は設定されていない。


地上駅時代の園田駅は、ホームの構成は現在と全く同じで、園田競馬の観客用臨時ホームも有していた。また改札とホームを結ぶ為に地下道が設置されたほか、構内の地下道と平行して南北を結ぶ自由通路があり、線路下付近には双方の地下道間を結ぶ改札口も存在した。

ホーム延長工事など、多少の改装は行われたものの、開業当時とほぼ同じ状態を保っていた園田駅ではあったが、兵庫県と尼崎市が計画していた、駅西方を交差する県道園田橋線との立体交差化の為、園田駅周辺の線路および駅を高架化する事となった。

工事は1974年3月に着工され、従来の線路やホームは撤去されて、単式のホーム2線と通過線2線からなる仮設のホームが設置された。地上駅時代の園田駅は、駅南側に植え込みがあるなど比較的広い構内ではあったが、下り仮線のホーム部分に際しては、阪急の所有する敷地だけでは用地が不足したため、南側に面した道路の一部を尼崎市より借用してホームを建設した。また上り仮線のホームは下り仮通過線の北側に設置され、仮設ホームはいずれも通過線の南側に設置される形となった。地下道には、仮設ホームに通じる階段が設置され、一方元のホームへの階段は、セメントにより埋められた。

梅田側には留置線が1線存在するが、地上駅時代は数編成分が収容可能だった。これは、猪名川付近の経路を変更した際に、新たに橋梁架設工事を行ったために廃線となった本線部分を流用したもので、収容能力が限界に達していた当時の西宮車庫を補う形で使用されていたが、車庫の拡張工事が完成して以降は使用されなくなり、高架工事の際には仮設線路の用地として活用された。また、三宮側の上り線に接する形でもう一本留置線があったが、こちらも高架化工事用地とされ撤去された。

高架線へは、まず上りホームと臨時ホームが1976年10月に完成して切り替えが行われ、上り通過線と仮設ホームが撤去され、元のホーム横の線路が通過線に変更された。続く1977年8月には上り通過線が高架化されて上り仮線は撤去された。一方、下りホームは1978年10月に完成して切り替えられ、この時駅舎も地上の仮駅舎から高架線2階に移設された。最後に残っていた下り通過線は1979年6月30日の終電後に高架線に切り替えられ、引き続き梅田寄南側の留置線建設と駅1階の商業施設や周辺道路の整備を実施し、1980年4月5日に全ての工事が完了して専門店街の『園田阪急プラザ』が営業を開始した。高架下の区画には、『園田阪急プラザ』の他に、レンタサイクルや駐輪場、貸し倉庫などがある。『園田阪急プラザ』は2006年に改装を行い、看板が一新されたほか、1階にスーパーマーケットのKOHYOなどが出店した。

駅周辺
旧川辺郡園田村の村域内に設置されたため園田駅という名称が与えられているものの、所在地は旧園田村の中心部からはかなり離れた東園田町である(旧園田村の中心部は当駅より北西へ2キロメートル離れた食満一丁目付近であり、現在でも尼崎市役所園田支所、園田公民館、園田中学校、園田小学校、園田保健センター(旧園田保健所)、JA兵庫六甲園田などの施設はその周辺にある)。駅の設置前は何もない田園地帯だったが、阪急による宅地開発の結果、当駅周辺に市街地が形成された。東園田町三丁目、四丁目付近は阪急が戦前に開発した宅地であり、今でも規模の大きい邸宅が建ち並んでいる。

駅の北側にはバス用のロータリーがある。大部分は競馬場開催時のシャトルバス用で、普段は閉鎖されており、当駅を起点とする路線バスのうち一路線のみがその一部を常用している。駅の南側からも多数の路線バスが発着するが、ロータリーはなく、既存の道路を使って方向転換している。駅舎の1階と2階は駅ビルの『園田阪急プラザ』として整備されている。

園田阪急プラザ:KOHYO 園田プラザ店 - 駅付近のビルにも『鮮度館 園田店』の名称で出店している。マクドナルド・松屋・マツモトキヨシ・千鳥屋・とよす・ミスタードーナツ・阪急そば・ミーツ・マックハウス・松のや・ABCマート


園田競馬場 - レース開催日や馬券の場外発売日には駅前(北口側)からシャトルバスが運行され、来場客で混雑する[2]。
尼崎市園田地区会館
尼崎市立図書館出張所
尼崎市消防局 北消防署園田分署
尼崎園田郵便局
尼崎東園田八郵便局
聖トマス大学
百合学院中学校・高等学校
尼崎市立園田東中学校
尼崎市立園和小学校 - 園田駅に近いことから、広告の略地図等では「園田小学校」と誤表記されることがある。前述の通り、実際の園田小学校は当駅から北西へ2キロメートル離れたところにある。
三井住友銀行園田支店 - 旧神戸銀行の店舗で当初は駅北側にあった。駅の高架化と同時に園田阪急プラザ内に入り、 太陽神戸銀行 → 太陽神戸三井銀行 → さくら銀行 → 現行名となったのち、2012年9月に駅南側に移転した。
TSUTAYA
ブックオフ
イオン尼崎店 - 南に徒歩20分、阪神バス・24系統で「小園」停留所下車。
コストコ 尼崎倉庫店 - イオン尼崎店に隣接。
田能遺跡 - 阪神バス・20系統「田能」停留所下車。
藻川 - 当駅の西側を南北に流れている。
猪名川 - 当駅の東側を南北に流れている。

東隣の神崎川駅の西側には神崎川を渡る橋梁があるが、台風の接近による高潮や、地震発生後の津波等への対策として、防潮扉が閉鎖される場合がある。その場合は梅田駅 - 当駅間は運休となり、当駅にある折り返し設備を用いて、三宮方面行きのみの運転となる。
ホーム内にあるエレベーターの乗降口にはボタンがなく、利用する際は付近にあるインターホンで駅員に申告する。また、利用者は乗車券類を提示(購入)する必要があるため、エレベーターは必ず2階で停止するようになっている。このようなシステムになっているのは、3階の乗降口がホーム内部にあるのに対し、2階と1階の乗降口は改札外に面しており、不正乗車の問題が生じるためである。
2階の改札内には、南側に向いた団体客専用の有人改札口が設けられているが、通常は改札口に面した出口にシャッターが降ろされ、使用されていない。

時期不明(1930年以降)- 園田競馬場の開設に伴い、年2回の競馬開催日に合わせて、現園田駅とほぼ同じ場所に臨時駅を設置していた。
1936年(昭和11年)10月20日 - 阪神急行電鉄(当時の社名)の神崎川駅 - 塚口駅間に新設開業。開業時は田園地帯の中に駅が存在したが、当初から2面4線の配線であった。
1979年(昭和54年)7月1日 - 高架化が完成。
1980年(昭和55年)4月5日 - 高架駅舎の使用を開始。園田阪急プラザが営業開始。
2013年(平成25年)12月21日 - 駅ナンバリング(HK-05)が導入される。
2014年(平成26年) - ホーム表面の再舗装及び嵩上げ工事が行われる(但し廃止状態の北側単式ホームでは行われず)

園田駅
Sonoda
◄HK-04 神崎川 (3.1km)(3.0km) 塚口 HK-06►
所在地 兵庫県尼崎市東園田町九丁目48番地1
北緯34度45分7.22秒 東経135度26分53.55秒
駅番号 ○HK-05
所属事業者 阪急電鉄
所属路線 ■神戸本線
キロ程 7.2km(梅田起点)
駅構造 高架駅
ホーム 3面4線
乗降人員
-統計年度- -2017年通年平均-
30,701人/日
乗降人員
-統計年次- 37,359人/日
-2016年-
開業年月日 1936年(昭和11年)10月20日
備考 * うち1面は臨時降車ホーム

JR東海キハ85系気動車

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キハ85系気動車(キハ85けいきどうしゃ)は、東海旅客鉄道(JR東海)の特急形気動車。JR東海発足後の新形式第1号であり、そしてJR東海が運行する特急列車に掲げる「ワイドビュー」を最初に冠した車両でもある。

概要
JR東海が保有するキハ80系の置き換えおよび所要時間短縮のために開発され、1989年から製造された。1989年2月から高山本線の特急「ひだ」に使用され、1992年からは紀勢本線の特急「南紀」にも使用されている。1989年の通商産業省グッドデザイン商品(現・日本産業デザイン振興会グッドデザイン賞)に選定され、1990年にはブルーリボン賞を東日本旅客鉄道(JR東日本)651系電車と争ったが、次点となった。外観デザインは手銭正道、戸谷毅史、木村一男、松本哲夫、福田哲夫による。

仕様・構造
車体
車両軽量化とメンテナンスフリーのため、車体はステンレス鋼を用いた軽量構体を採用する。外部塗色は、側窓上部にダークグレー、側窓下部にはJR東海のコーポレートカラーであるオレンジの帯を巻く以外は無塗装である。先頭部は衝突事故がおきたときなどに復旧が難しいため普通鋼製とし、腐食防止のために白色塗装を行っている。本系列の意匠をはじめとする基本構成は、JR東海で以降新製される在来線用車両の多くに基本仕様として踏襲されている。観光路線である高山本線や紀勢本線への投入が前提であったことから、眺望性の確保について様々な配慮がなされており、非貫通型先頭車の運転席後部を全面ガラス張りとした上、三次曲面のフロントガラスと運転台上方の天窓で前面展望を確保している。方向幕は列車愛称・行先用と号車・座席種別用を上下別に配置している(キハ84-300のみ左右別配置)が、後者をLED式としている車両(初期車)もある。

駆動系
本系列の最大の特徴は、日本製の国内向け旅客車両としては数十年ぶりに輸入ディーゼルエンジンが搭載されたことである。日本国外の設計によるエンジンは、1950年代にディーゼル機関車用のエンジンが日本でライセンス生産された例があるが、気動車用としては戦後例のない試みである。これは、貿易摩擦により「内需拡大」が叫ばれていたバブル経済期において、気動車の高性能化のため、国鉄型内燃機関において低出力(当時の気動車用エンジンは出力よりも信頼性&耐久性が重要視されていた)に甘んじていた日本製品にこだわることなく低コストで優良なエンジンを求め、同時に同車の先進性を新機軸によって訴求することを狙ったものである。

採用されたのは、アメリカ合衆国のディーゼル機関メーカーであるカミンズ社の直列6気筒・排気量 14 L の直噴式ターボディーゼル機関 NT-855 系である。各国のカミンズ社工場・ライセンス契約したメーカーによって種々の仕様で製造される汎用性の高い機関で、本系列のものはカミンズ・イギリス工場製の水平シリンダー形 NTA855-R1 (JR東海形式:C-DMF14HZ 形、350 ps / 2,000 rpm)で、1両に2基を搭載する。高出力の駆動機関と自動制御化された多段式液体変速機(新潟コンバーター製C-DW14A 変速1段・直結2段 自動式)と組み合わせることで、著しい速度向上を成し遂げ、「電車に匹敵する性能の気動車」と評された。

ブレーキ装置
キハ80系の自動空気ブレーキに対して応答性に優れる電気指令式空気ブレーキが採用され、機関ブレーキ・コンバータブレーキも装備する。これは気動車として初めて電気指令式ブレーキが採用された事例である。

台車
台車はヨーダンパ付きボルスタレス台車のC-DT57形が採用された。

各形式
0番台(1 - 14)
「ひだ」用として製造された非貫通タイプの普通先頭車。先頭部は大型曲面ガラスとルーフウインドウによって構成され、前面展望に配慮してある。定員60名。

JR東海キハ85系気動車
基本情報
運用者 東海旅客鉄道
製造所 日本車輌製造・新潟鐵工所・富士重工業
製造年 1989年 - 1992年
製造数 80両 + 代替車1両
運用開始 1989年2月18日
投入先 高山本線・紀勢本線ほか
主要諸元
軌間 1,067 mm
最高運転速度 120 km/h
車体 ステンレス
台車 C-DT57形
円錐積層ゴム式ボルスタレス台車(ヨーダンパ付)
動力伝達方式 液体式
機関 カミンズ製C-DMF14HZ*ディーゼルエンジン × 2基
機関出力 350 PS
変速機 変速1段、直結2段(自動変速) 減速比2.28
制動装置 機関ブレーキ・コンバータブレーキ併用電気指令式ブレーキ
保安装置 ATS-ST、ATS-PT
備考 *カミンズ社での呼称はNTA855-R1

 


東大垣駅 樽見鉄道樽見線

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東大垣駅(ひがしおおがきえき)は、岐阜県大垣市和合本町1丁目にある樽見鉄道樽見線の駅。大垣駅から当駅附近までJR東海道本線が並走する。


駅構造
島式ホーム1面2線を持つ地上駅。駅舎は鉄骨造駅舎。駅開業時に有した行き違い設備は国鉄時代の合理化によりいったん廃止されたが、樽見鉄道への転換時に復活して現在に至っている。構内(ポイント切り替え機の中)の線路の長さは、客車5両とディーゼル機関車1両の計6両が入るためには十分だったが、ホームは2両分しかなかった。

多客期に機関車を含め最大6両で客車運行したときには、ホームにかかっている客車2両のみ車掌室でドアのロックを解除し、乗客が扉を手で開けて乗降した。末期は機関車1両+客車2両の3両体制であったため、問題はなかった。駅舎入り口に小さな木製の駅名看板があります。

現在は無人駅である。樽見線がタブレット閉塞方式であった1988年までは駅員が配置されていた。現在でも妻面に出入り口のあるモルタル駅舎が残っている。

駅舎には樽見線全線で使用していたタブレット閉塞器が保存されている。駅周囲は住宅地。一般客の利用は多くなく、付近に立地する高校への通学利用が大半を占めているようです。

ホームは島式1面2線。中央に小さな待合所が設置されています。


ホーム待合所には造り付けの長椅子が設置されています。

駅周辺
駅のすぐ南を東海道本線が走っており、ホームからは目の前を何本も走り抜けていく東海道本線の列車がよくみえる。

なお駅のやや西方から大垣方の樽見鉄道は東海道本線と道床を同じくしており、国鉄時代には東海道本線の架線柱も樽見線の北側にあった。
東方約1kmの揖斐川橋梁で揖斐川をわたる。


ソフトピアジャパン
国道21号
小野簡易郵便局
大垣市立小野小学校
岐阜県立大垣商業高等学校
大垣和合簡易郵便局
大垣市役所和合地区センター


歴史
1956年(昭和31年)3月20日 - 国鉄樽見線 大垣駅 - 谷汲口駅間開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
1964年(昭和39年)8月20日 - 貨物の取扱を廃止。


1984年(昭和59年)10月6日 - 樽見線の樽見鉄道への転換により、樽見鉄道の駅となる。
1988年(昭和63年)11月11日 - 無人化。

東大垣駅
ひがしおおがき
Higashi-Ōgaki
◄大垣 (2.7km)(1.8km) 横屋►
所在地 岐阜県大垣市和合本町
北緯35度22分30.62秒
東経136度38分45.85秒座標: 北緯35度22分30.62秒 東経136度38分45.85秒
所属事業者 樽見鉄道
所属路線 樽見線
キロ程 2.7km(大垣起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 132人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1956年(昭和31年)3月20日

かさど丸タグボート

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かさど丸
タグボート(曳船)
IMO番号 9310472 総トン数 209 トン
船舶番号 136195 全 長 37.50 m
信号符字 JK5631 型 幅 9.00 m
型深さ 3.99 m
船 籍 日本 航海速力 15.21 kt
船籍港 広島 最高速力 15.89 kt
造船所 金川造船 旅客定員 12 人
乗組員 4 人
竣工年月 2004.03 馬 力 4000 ps
出 力 2942 kw
船 主 日本栄船、中電環境テクノス
運 航 日本栄船

タグボート(英語: Tugboat)は、船舶や水上構造物を押したり引いたりするための船。引船、曳船(ひきぶね・ひきふね、曳船はえいせんとも)、あるいは押船(おしぶね)と言う。青函連絡船では補助汽船と呼ばれた。

サイズはさまざまであり、港湾で船舶が岸壁・桟橋に着岸・離岸するのを補助したり、河川や運河で艀(はしけ)などを動かしたりするために使われる数十トン級の小型のものから、外洋で救命ボートと同じ用途で海難・水難事故の被害者の救助や、大型プラントを海上輸送するために使われる数千トン級の大型のもの(オーシャンタグ)まで幅広い。

自身の船体を輸送対象に直に接触させて押すこともあるため、船体の外周には防舷物として古タイヤや樹脂などの緩衝材(フェンダー)が設けられている。

作業性を求めて作業デッキは低い位置に設けられている船が多く、一般的に荒天にはあまり強くないといわれる。

動力
動力は自身の船体を動かすだけでなく、自身よりはるかに大きく重い他船や構造物をも動かす必要があるため、自身の船体サイズには不相応な強力なエンジンを搭載している(たとえば、2000トン級では10000馬力程度のエンジンを搭載していることが普通である)。ただし、エンジンやスクリューは速度よりもトルクを重視した低速型のセッティングになっており、馬力の割に速度は出ない。 ハーバータグ GT250トン前後 出力4,000馬力前後 / GT200トン 出力3,400馬力前後 

港湾内などで使われるタグボートの場合、小さな船体に機動性が求められるため、スクリューには特殊な構造が用いられ、舵の機能を持たせたものが多い。

野志駅

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野志駅(のしえき)は、岐阜県恵那市明智町野志にある明知鉄道明知線の駅である。駅番号は2。新参駅で、飯沼に次ぐ全国第2位の30‰という急勾配上に位置します。


駅構造
1面1線の単式ホームのみを持つ地上駅。無人駅である。駅舎はなく、ホームに待合室が設置されています。ホーム待合室。FRP製の椅子が設置されています。

勾配30‰の線路に面して設置されており、鉄道駅の中では、同じく明知鉄道の飯沼駅に続く全国第3位 の急勾配上の駅である。構内に「線路勾配30」と示した標識がある。


1994年(平成6年)12月15日 - 明知鉄道の駅として開業。

駅周辺
駅前には駐輪場。
国道363号
弥勒殿 地元民からは「お弥勒さん」と親しまれている、耳の病気にご利益があるとされるお寺。耳病平癒満願成就の際には錐12本を奉納する風習がある。祭られている弥勒尊仏は、天平年間に行基菩薩によって作られた高さ約1mの加羅木像で、恵那市有形文化財に指定されている。


明智駅
のし
Noshi
◄3 山岡 (3.4km)(2.0km) 明智 1►
所在地 岐阜県恵那市明智町野志
北緯35度19分18.98秒
東経137度23分22.3秒座標: 北緯35度19分18.98秒 東経137度23分22.3秒
駅番号 2
所属事業者 明知鉄道
所属路線 明知線
キロ程 23.1km(恵那起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 7人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1994年(平成6年)12月15日

 

ラッピングトレイン「SHINOBI-TRAIN」

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SKR312号車ラッピングトレイン「SHINOBI-TRAIN」

信楽高原鐵道でも「忍びトレイン」
車内には「黄金色の幸福の忍者」が1車両に1体ずつ紛れ込んでいるとのこと。

信楽高原鐵道SKR300形気動車
基本情報
製造所 富士重工業
製造年 1995年
製造数 1両
引退 2015年10月3日
消滅 2015年10月4日(紀州鉄道に譲渡)
主要諸元
軌間 1,067 mm
編成定員 94名(座席44名)
自重 25.10 t
全長 15,500 mm
全幅 3,090 mm
全高 4,010 mm
車体 普通鋼製


台車 動台車:FU34D
従台車:FU34T
機関 PE6HT
機関出力 250PS
変速機 液体式
搭載数 1基 / 両
保安装置 ATS-SW
紹介コメント SKR311号車と同仕様で導入しました。

JRでは
JR草津線で運行されるラッピングトレイン(写真なし)
滋賀県および同県草津市、栗東市、甲賀市、湖南市、日野町、三重県伊賀市で組織する「JR草津線利用促進プロジェクトチーム」による。
草津線は草津市の草津駅と伊賀市の柘植駅を結ぶ36.7kmの路線。沿線にはいわゆる「甲賀忍者」「伊賀忍者」の根拠地があったことから、「忍者」による町おこしなどが行われています。
滋賀県内のJR線にフルラッピングを施した電車が走るのは初めて。
「JR草津線利用促進プロジェクトチーム」は、「忍者」という世界的なコンテンツをより活かすために「しのびとれいん」を企画。

東淀川駅 東海道本線

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東淀川駅(ひがしよどがわえき)は、大阪府大阪市淀川区宮原二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅である。駅番号はJR-A45。「JR京都線」の愛称区間に含まれている。隣駅新大阪とわずか700mの距離に位置する。

概要
特急・新快速・快速は停車せず、普通(京阪神緩行線)のみが停車する。
駅名が「東淀川駅」となっている理由は、当初所在地が大阪市東淀川区に属していたからである。1974年7月22日に大阪市の区の増設が行われ、22区制から26区制に変更されたのに伴い旧東淀川区も東西に2分割され、東半分は東淀川区の区名を継承し、西半分は淀川区となった。この東西分割が東海道本線の東端に沿って行われたため、当駅は東淀川区ではなく淀川区に取り込まれることとなり、所在地の区名との同一性は失われた。

東海道本線における大阪支社の管轄対象駅では最も東にある。JRの特定都区市内制度における「大阪市内」の駅であり、東海道線としては最も東になる。

駅構造
自由通路付き橋上駅舎を有する木造駅舎の地上駅。駅舎の改札内に男女別水洗トイレと多機能トイレがある。エレベーターはホームそれぞれに1台ずつ、駅外から駅舎に入るためのエレベーターが東西に1台ずつ、計4台ある。

エスカレーターはホームから駅舎へ上がるエスカレーターがそれぞれのホームに1台ずつ、駅外から駅舎に入るためのエスカレーターが東西に1台ずつ、計4台あり、いずれも上りのみ。東口切符売場にはタッチパネル式券売機が3台、改札機は2台。LED式の発車案内が設置。

自由通路は自転車の通行にも対応しているため、駅外から駅舎内に上がるためのつづら折れの長いスロープも東西に一つずつ設置されており、駅舎内の自由通路部分も自転車通行に対応するためか、(タイル張りなどではなく)アスファルト舗装になっている。

乗り場は島式ホーム2面4線(乗降は2面2線のみ)の配置になっている。下り列車の出発相当の信号機は新大阪第1場内信号機だが、ひめじ別所駅のように「下りが停車場・上りが停留場」ではなく上下とも『停留場』である。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。各駅停車のみが停車するので、内側の2線を使用している。外側線に面した1、4番のりばには柵が設置されている。

ホームの有効長は長いものの、列車は吹田寄り(北側)に停車する。ホーム屋根も新大阪寄りには設置されていない。

アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCA利用可能駅(相互利用対象カードも利用可能)である。直営駅であるが駅長は配置されておらず、新大阪駅が当駅を管理している。

2019年春におおさか東線の放出駅 - 新大阪駅間が開通すると、おおさか東線の列車は新設のデルタ線を経て神崎川の北方から梅田貨物線に入り、当駅の西に並走している梅田貨物線上を走ることになるが、当駅におおさか東線用のホームを設置する計画は特に発表されていない(並走する一部の路線にホームが設置されていないという例は、大阪近郊では阪急の中津駅や南海の今宮戎駅および萩ノ茶屋駅などがある)。

のりば
のりば 路線 方向 線路 行先
1 AJR京都線 下り 外側線 (通過列車のみのため閉鎖)
2 A JR京都線 下り 内側線 新大阪・大阪・三ノ宮方面
3 上り 高槻・京都方面
4 AJR京都線 上り 外側線 (通過列車のみのため閉鎖)
上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。


ダイヤ
日中時間帯は1時間に8本が停車する。朝ラッシュ時は本数が多くなる。


駅周辺
やや古いアパートなどが多い住宅街。駅前には商店街がある。駅の東側から西側へ抜けるには、橋上駅舎と一体になった自由通路を使う。自由通路は自転車も通行可能。
東淀川駅東商店街
東淀川西淡路郵便局
日本基督教改革派大阪教会
長柄人柱碑
東三国駅(Osaka Metro御堂筋線)

バス路線
大阪市営バス(東淀川駅前停留所)
11A号 - 新大阪駅東口行(1日5便のみ。引き続き東淀川区役所前行として運行)

 

戦前の新幹線計画である「弾丸列車計画」において、弾丸列車線の「新大阪駅」になる予定であった駅が、この東淀川駅である。 駅そのものは、1940年4月1日、沿線の工業発展による人口増加を受け、東海道本線上に先行して設置された。

戦後、東海道新幹線の建設の際、「将来の山陽新幹線の延伸を考えて北方貨物線に並行して建設した方がいい」ということで建設計画が変更され、南側の東海道本線と北方貨物線の分岐点に設置されたのが、1964年10月1日に開業した現在の新大阪駅である。

当駅は新大阪駅の開業時に至近となるため、国鉄はそれを代替駅として廃止する方針であったが、周辺住民から苦情が出たために存続したと言われている。

当駅と新大阪駅の間の営業キロが0.7kmと、JR線としては極端に短い理由は、上記のような経緯による。

2018年までは東口・西口双方に平屋の駅舎があり、駅舎間、およびホーム同士は地下道で連絡していた。地下道は一部が仕切られていて東西の自由連絡通路として使用されていた。トイレは東口駅舎内にのみ設置されていた。2018年に橋上駅舎が建設された。

年表
1940年(昭和15年)4月1日 - 鉄道省東海道本線の吹田駅 - 宮原信号場(現在は廃止)間に新設開業。旅客扱いのみ。
1974年(昭和49年)7月22日 - 大阪市の分区に伴い、駅の在地が東淀川区から淀川区となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、「JR京都線」の愛称を使用開始。
2002年(平成14年)7月29日 - JR京都・神戸線運行管理システム導入。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2007年(平成19年)3月18日 - 駅自動放送を更新。
2011年(平成23年)4月11日 - 東改札口と3、4番のりばホームを結ぶ跨線橋(エレベーターのみで昇降可能)、および東駅舎内に多目的トイレが設置され、使用を開始。
2013年(平成25年)9月14日 - 自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換。
2015年(平成27年)3月12日 - 接近メロディ導入。
2018年(平成30年)
1月31日 - みどりの窓口の営業がこの日をもって終了。
2月1日 - みどりの券売機プラス利用開始。
3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。
11月11日 - 東西自由通路と橋上駅舎の供用を開始、同時に東西の地上駅舎と地下通路、駅北側および南側の踏切が閉鎖。
開かずの踏切と橋上化
東淀川駅の北側にはかつて北宮原踏切(北宮原第1踏切・北宮原第2踏切)が、同じく南側には南宮原踏切があったが、いずれも「開かずの踏切」として長い間問題視されていた。踏切以外に線路を渡る手段としては、付近に歩道橋と前述の地下道があったがいずれもバリアフリー非対応であり、交通弱者は踏切を横断するしかなかった。

2016年5月11日、JR西日本は東淀川駅を橋上化し自由通路を設置、北宮原と南宮原踏切ならびに駅地下通路を廃止する計画を発表した。踏切の廃止と自由通路の新設は大阪市との共同事業で、2018年末までに供用を開始することを目指し、自由通路にはバリアフリー対策として、エスカレーターとエレベーター、スロープが設置されるという。

年表にもある通り、2011年4月11日にはエレベーターのみで昇降可能な跨線橋がすでに設置されていた(それにより東口から2、3番のりばへの構内バリアフリールートが一応は確保されていた)が、橋上駅舎の建設は、その跨線橋を大規模に拡張する形で行われたものである。工事は予定通り進み、橋上駅舎および自由通路は2018年11月11日に供用を開始した。その結果、開かずの踏切問題も解消された。

東淀川駅
旧東口駅舎(2007年3月)
旧東口駅舎(2007年3月)
ひがしよどがわ
Higashi-Yodogawa
◄JR-A44 吹田 (3.1km)(0.7km) 新大阪 JR-A46►
所在地 大阪市淀川区宮原二丁目3-17
北緯34度44分23.77秒
東経135度30分16.56秒
駅番号 JR-A45
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 A 東海道本線(JR京都線)
キロ程 551.9km(東京起点)
京都から38.3km
電報略号 ヒヨ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線(乗降は2面2線のみ)


乗車人員
-統計年度- 8,262人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1940年(昭和15年)4月1日
備考 直営駅
みどりの券売機プラス 有
阪 大阪市内駅

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