Quantcast
Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
Viewing all 3265 articles
Browse latest View live

高見馬場停留場(鹿児島市交通局)1系統・2系統

$
0
0

高見馬場停留場(たかみばばていりゅうじょう)は鹿児島県鹿児島市山之口町および加治屋町にある鹿児島市電の電停。鹿児島中央駅前方面の路線が分岐する運行上の重要停留所で、相互の乗換利用も多数見られます。

市電1系統と市電2系統の乗換駅である。乗換の際、乗客は降車する際に運賃を払い乗換券を受け取ることで、2系統(乗換券は黄色)では加治屋町 - 中郡間、1系統(乗換券は緑)では甲東中学校前 - 鴨池間の任意の電停まで追加運賃なしで乗車できる。ただし、鴨池 - 高見馬場 - 中郡の相互間に限られる。


構造
横断歩道からスロープでホームに連絡します。
1系統・2系統のそれぞれに別個に2面2線の構造の停留場が設置されている。
当駅付近の道路端に信号塔があるが、分岐器の操作は自動化されているため通常は使用されない。
1番線・2番線のりば
2面2線の相対式ホーム。各のりばは電車が通過しない限りいつでも行き来できる。
両のりばに電車接近表示機及びアナウンスがある。
両のりばとも車椅子の使用は可。但し、電動車椅子はホーム幅が規定に足りないため不可。
1番のりば
1系統 - 騎射場、郡元、脇田、谷山方面
2番のりば
1系統 - 天文館、鹿児島駅前方面

3番線・4番線のりば
2面2線の相対式ホーム。地上駅。両ホームとの行き来は電車が通過中でない限りいつでもできる。
両のりばに電車接近表示機及びアナウンスがある。ホーム長は1両分のみ確保されています。
両のりばとも車椅子及び電動車椅子の使用はホーム幅が規定に足りないため不可。
3番のりば
2系統 - 鹿児島中央駅前、神田(交通局前)、郡元方面
4番のりば
2系統 - 天文館、鹿児島駅前方面

周辺
高見馬場はこの周辺の通称で、江戸時代付近に馬場があったことから次第に呼ばれるようになった。現代でも依然として市内交通の要衝であり路線バスの大型停留所も設置されて天文館や鹿児島中央駅前と並び終日乗降客も多い。周辺の様子は道幅の広い電車通りには中央の大手企業が中心に入居する大型オフィスビルや大手ビジネスホテルチェーンが林立しており、内側の通りは、天文館の歓楽街(夜の街)の終末でもある。

鹿児島市立山下小学校 - 元は鹿児島師範学校付属尋常小学校、かつては向田邦子や林芙美子も通っていた。
鹿児島商工会議所ビル(アイムビル)
セブン-イレブン鹿児島二官橋通り店 - 鹿児島市内進出1号店(3店舗)うちの1店舗
鹿児島相互信用金庫本店
鹿児島信用金庫高見馬場支店
九州労働金庫(ろうきん)鹿児島支店
西日本シティ銀行鹿児島支店
肥後銀行鹿児島支店
宮崎太陽銀行鹿児島支店
朝日新聞社鹿児島総支局
鹿児島中央ビル
ドコモ九州鹿児島ビル
あいおいニッセイ同和損保鹿児島ビル
AIG損害保険鹿児島営業支店
明治安田生命鹿児島加治屋町ビル
住友生命鹿児島ビル
大同生命ビル
鹿児島第一海上ビル
鹿児島フコク生命高見馬場ビル
太陽生命鹿児島第2ビル
レム鹿児島(阪急阪神第一ホテルグループ)
東横インI、II
ホテル法華クラブ鹿児島
ホテルエリアワン鹿児島
ブルーウェーブイン鹿児島(旧チサンホテル)
サンデイズイン鹿児島
ドーミーイン鹿児島
華連・ジーノ - 薩摩黒豚料理を提供する県経済連の直営飲食店
示現流兵法所資料館
ザビエル公園 - フランシスコ・ザビエルの記念碑がある。
JR九州バス「高見馬場」停留所


1914年(大正3年)7月22日:山之口馬場~天文館通間が開通したのに伴い、高見馬場として設置される。
1915年(大正4年)12月17日:高見馬場~武駅前間が開通

高見馬場電停
たかみばば
Takamibaba
所在地 鹿児島県鹿児島市山之口町(1系統用)
鹿児島県鹿児島市加治屋町(2系統用)
北緯31度35分14.76秒 東経130度32分54.40秒
所属事業者 鹿児島市交通局
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗降人員
-統計年度- 2,933人/日
-2015年-
開業年月日 1914年7月22日
乗入路線 2 路線
所属路線 鹿児島市電1系統
(線路名称上は第一期線)
駅番号 口08
キロ程 2.0km(鹿児島駅前起点)
◄天文館通 (0.5km)(0.3km) 甲東中学校前►
所属路線 鹿児島市電2系統
(線路名称上は第一期線・第二期線)
駅番号 口08
キロ程 2.0km(鹿児島駅前起点)
◄天文館通 (0.5km)(0.3km) 加治屋町►
備考 系統により使用電停が異なる


吹田駅(JR西日本)東海道本線・日本貨物鉄道

$
0
0

吹田駅(すいたえき)は、大阪府吹田市朝日町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)日本貨物鉄道(JR貨物)東海道本線の駅である。駅番号はJR-A44。「JR京都線」の愛称区間に含まれている。

かつては東海道本線貨物支線(梅田貨物線ならびに北方貨物線)と片町線貨物支線(城東貨物線)の登記上の起終点であったが、実際の貨物線の線路は吹田信号場(旧:吹田操車場)まで続いていた。そのため、吹田貨物ターミナル駅の開業の際に、実態に合わせて当該3貨物線の起終点も同駅に変更され、当駅は東海道本線単独駅となった。
東海道本線において京都支社が管轄する最も西の駅でもある。

駅構造
貨物線をのぞけば、2面4線の島式ホームであるが、普通電車のみが停車する関係で内側の2線のみが使われる。外側は通過列車のみのため、ホームには安全柵が設置されている。また、柱や梁の一部が木製の、古い屋根が現在でも残されている。

東淀川方に両渡り線、および岸辺方に折り返し用の引き上げ線がある関係で、場内・出発信号機を有する。ただし、貨物線の場内信号機は当駅ではなく吹田貨物ターミナル駅の設備であるため、貨物線を経由する列車の運転取扱においては当駅での採時は行われない。

中央口の駅舎はイオン吹田店(旧:ダイエー吹田店)を核店舗とする商業施設「吹田さんくす」の一部になっている。エスカレーターとエレベーターの新設工事が行われていたために、当駅の大阪側の階段は2005年秋から約1年2か月間通行不可能であった。工事完了後、大阪側は大阪駅御堂筋口同様エスカレーターだけとなっている。

中央口切符売場には指定券券売機も含めて各種券売機が設置されています。中央改札口にみどりの窓口、改札機は3台。混雑防止のため、前後にずらして設置されています。

吹田駅東口は地下に改札があり、改札機は4台設置されています。またハートイン・神戸屋がある。ホームと東口改札は当駅北口の再開発後もスロープで結ばれている。トイレは設置されている。

直営駅で、高槻駅の管理下にあるが、茨木駅と共に地区駅長が配置され、当駅は岸辺駅を管轄している。アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCAおよびその相互利用対象カードの利用可能駅である。

のりば
のりば 路線 方向 線路 行先
1 AJR京都線 下り 外側線 (通過列車のみのため閉鎖)
2 A JR京都線 下り 内側線 新大阪・大阪・三ノ宮方面


3 上り 高槻・京都方面
4 AJR京都線 上り 外側線 (通過列車のみのため閉鎖)

ダイヤ
日中時間帯は1時間に8本が停車する。朝ラッシュ時は本数が多くなる。朝6時台には当駅始発の大阪方面行きが設定されている。

国鉄時代の1986年11月1日のダイヤ改正以降、当駅止まりの各駅停車は設定されていなかったが、1995年9月1日のダイヤ改正で当駅始発の新三田行きが朝に3本(新大阪駅→当駅間は回送・塚本駅は通過)設定され、1997年3月8日および1998年10月3日に高槻発に変更になった。2011年3月12日のダイヤ改正で当駅折り返しの各駅停車が再び設定された。

また、2011年3月12日ダイヤ改正までは、当駅京都方の引き上げ線で「タンゴエクスプローラー」の回送列車が折り返す設定があった。事故・各種トラブルなどでダイヤに乱れが生じた場合は、京都方面行きの各駅停車が当駅で運転を打ち切られ、折り返し当駅始発として運転されることが多い。

このため吹田行きの方向幕も設定されている。前述の大阪駅側への両渡り線設置に伴い、ダイヤが乱れた場合には快速電車を新大阪駅発着に変更(新大阪駅~当駅間は回送)の上で、当駅で折り返すことも可能となった。

駅周辺
大和大学
JR西日本吹田総合車両所
JR西日本社員研修センター
アサヒビール吹田工場 - アサヒビール発祥の地でもある。
イオン - 駅ビルを含む商業施設吹田さんくすの中核店舗
メロード吹田 - 吹田駅北側の再開発で1996年に完成した38階建て高層ビル。
吹田市立さんくす図書館
さんくすホール
吹田ケーブルテレビ (SUTV)
吹田勤労者会館(室内プール)
高城B遺跡 - 古墳時代から中世にまで続く集落跡。
「旭通商店街」「新旭町通商店街」「錦通り商店街」「栄通り商店街」「中通り商店街」「本通り商店街」「千日通商店街」「新旭町通食品街」「片山商店街」
阪急電鉄千里線の吹田駅へは、直線距離で600mほど離れている。吹田市民は混同されないように、JRの駅である当駅を「JR吹田」、阪急電鉄の吹田駅を「阪急吹田」と区別している。

JRおおさか東線に開業予定の南吹田駅(吹田市南吹田)とは約2km離れている。両駅間で直通はできず、新大阪駅経由となる。路線バスの乗り入れについては不明である(2018年12月現在)。

バス路線
中央口(JR吹田停留所)
阪急バス
1番のりば
10系統 桃山台駅前行き(大曽根・JR岸辺南口・七尾西・亥子谷・南千里経由)(JR岸辺南口止め有り)
2番のりば
2系統 桃山台駅前行き(吹田市役所前(阪急吹田)・JR吹田北口・片山小学校前・上山手町・亥子谷・南千里経由)(亥子谷止め有り)
3系統 桃山台駅前行き(吹田市役所前(阪急吹田)・吹高口・亥子谷・南千里経由)
4系統 千里中央行き(吹田市役所前(阪急吹田)・JR吹田北口・片山小学校前・原町二丁目・亥子谷・新小川・阪急山田経由)
12系統 千里中央行き(吹田市役所前(阪急吹田)・吹高口・JR岸辺北口・七尾・下山田・山田樫切山・新小川・阪急山田経由)(阪急山田止め有り)
13系統 JR吹田北口行き(循環)(吹田市役所前(阪急吹田)・JR吹田北口・片山小学校前・上山手町・竹谷・原町二丁目経由)
19系統 JR吹田北口行き(吹田市役所前(阪急吹田)・吹高口・上山手町・片山小学校前経由)
20系統 五月が丘南方面行き(循環)(吹田市役所前(阪急吹田)・JR吹田北口・片山小学校前・上山手町・竹谷経由)
3番のりば
31系統 摂津ふれあいの里行き(阪急相川・ダイキン工業前・南摂津駅・鳥飼八防・上鳥飼経由)(ダイキン工業前、上鳥飼止め有り)
4番のりば
10系統 吹田市役所前(阪急吹田)行き
85系統 豊中行き(吹田警察前・水道部前・江坂駅前・服部・豊中市役所前経由)(服部、江坂駅前止め有り)
95系統 江坂駅前行き(吹田警察前・水道部前経由)
5番のりば
86系統 豊中行き(吹田市役所前(阪急吹田)・豊津・江坂駅前・服部・豊中市役所前経由)(服部止め有り)
93系統 江坂駅前行き(吹田市役所前(阪急吹田)・豊津・大池経由)
京阪バス
6番のりば
9A号経路 摂南大学 行き(上新庄駅北口・豊里・京阪守口市駅・八番・大日駅経由)(京阪守口市駅止め有り)
当初はラッシュ時のみの運行であったが後に9号経路(上新庄駅 - 京阪守口市駅)の路線を延長して日中も運行されるようになった。
過去の路線
過去には国鉄バス・近鉄バス・阪急バスなどが国鉄八尾駅(国鉄バス末期は松下厨房器前)に、京阪バスは京阪門真市駅や近鉄八戸ノ里駅などを結んでいた。(吹田八尾線の項も参照)。
東口(JR吹田北口停留所)


阪急バス
1番のりば
2系統 桃山台駅前行き(片山小学校前・上山手町・亥子谷・南千里経由)(亥子谷止め有り)
6系統 阪急千里山行き(片山小学校前・上山手町経由)
13系統 JR吹田北口行き(循環)(片山小学校前・上山手町・竹谷・原町二丁目・片山小学校前経由)
19系統 JR吹田行き(片山小学校前・上山手町・竹谷・吹高口・吹田市役所前(阪急吹田)経由)
20系統 五月が丘南方面行き(循環)(片山小学校前・上山手町・竹谷経由)
21系統 万博記念公園駅行き(片山小学校前・上山手町・亥子谷・新小川・山田樫切山経由)(土休日運行)
2番のりば
4系統 千里中央行き(片山小学校前・原町二丁目・亥子谷・新小川・阪急山田経由)
5系統 桃山台駅前行き(片山小学校前・原町二丁目・亥子谷・南千里経由)
200系統 JR吹田北口行き(循環)(片山小学校前・関西大学(山手ゆにわ遊園前)・片山町二丁目経由)
3番のりば
2・4・19・20系統 JR吹田行き(吹田市役所前(阪急吹田)経由)
2018年12月の吹田市民病院移転に伴い、(吹田)市民病院停留所を廃止し、市民病院前停留所を片山小学校前に名称変更した。

1876年(明治9年)8月9日 - 官設鉄道の高槻駅 - 大阪駅間に新設開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
1918年(大正7年)8月1日 - 当駅を分岐点として、神崎駅(現在の尼崎駅)方面への貨物支線(北方貨物線)が開業。
1929年(昭和4年)3月15日 - 片町線貨物支線(城東貨物線)が延伸し当駅に乗り入れ。
1934年(昭和9年)6月2日 - 上淀川仮信号場の廃止により、梅田駅方面への貨物支線(梅田貨物線)の分岐駅となる。
1979年(昭和54年)
8月1日 - 現在の中央口駅舎が使用開始となる。
10月 - 駅周辺の再開発が完成し、駅ビルを含む商業施設「吹田さんくす」が開業。
1984年(昭和59年)2月1日 - 当駅での貨物の取り扱いが廃止。アサヒビール吹田工場へ専用線が続き、貨物輸送を行っていた。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、「JR京都線」の愛称を使用開始。
2002年(平成14年)7月29日 - JR京都・神戸線運行管理システム導入。電光掲示板導入。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2007年(平成19年)
1月27日 - エレベーター、エスカレーターの使用を開始。
3月18日 - 駅自動放送を更新。
2012年(平成24年)
4月 - 新大阪・大阪・三ノ宮方面に折り返し設備が新設される。
7月 - 当駅の駅員による、ICOCA悪用の不正乗車事案が発覚(記事)。
10月8日 - 北方貨物線ならびに城東貨物線の起点が当駅から吹田貨物ターミナル駅に改められる。
2013年(平成25年)3月16日 - 梅田貨物線の起点が当駅から吹田貨物ターミナル駅に改められる。
2015年(平成27年)3月12日 - 接近メロディ導入。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。

吹田駅
すいた
Suita
◄JR-A43 岸辺 (2.4km)(3.1km) 東淀川 JR-A45►
所在地 大阪府吹田市朝日町1-1
北緯34度45分47.43秒
東経135度31分25.21秒
駅番号 JR-A44
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
日本貨物鉄道(JR貨物)
所属路線 A 東海道本線(JR京都線)
キロ程 548.8km (東京起点)
京都から35.2km
電報略号 スイ


駅構造 地上駅
ホーム 2面4線(乗降は2面2線のみ)
乗車人員
-統計年度- 22,972人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1876年(明治9年)8月9日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

銀河丸(独立行政法人海技教育機構)

$
0
0

銀河丸 (3代目)


銀河丸(ぎんがまる)は独立行政法人海技教育機構が保有する船舶。代々襲名しており、2015年現在は3代目が就航している。

概要
東京海洋大学海洋工学部(旧東京商船大学)、神戸大学海事科学部(旧神戸商船大学)、海技大学校、商船高等専門学校及び海上技術学校の学生・生徒の航海実習訓練を目的として建造された航海練習船である。

現在運航されているのは3代目であり、2004年6月に就航した。先に就航した僚船の青雲丸をベースにしつつ、運動甲板を後部に移すなどの設計変更が加えられている。なお船名板の船名「銀河丸」と船籍名「東京」の文字は扇千景前(当時)国土交通大臣の揮毫による。

銀河丸の特徴
今後の高度海上交通システムの発展を踏まえ、それを支える船員の養成に適した環境を整える。
低公害エンジンの搭載、毒性の少ない船底塗料の採用、発生廃棄物の効率的な処理など環境へ配慮する。
航海の安全と効率化として、Integrated Bridge System、シミュレータ、ジョイスティック操船装置、高揚力舵等を導入する。また、SOLAS第5章の改正に適応した装置を装備する。
船内及び装置の一部をバリアフリー対応とし、一般公開の際の身体障がい者や高齢者の見学に対応する。
高度な情報処理システムを導入し、船内の情報を有効に活用する。

建造コンセプト
‹ 練習船としての機能の充実
*階段教室や雨天体操場等を採用
*練習船として十分な耐航性を保持
*生活環境の向上
・動揺対策
・分煙対策
・乗組員居室の完全個室化等
* 美観と品位に配慮した船型、構造

研究及びITSに対応
* 船内情報管理システムの高度化
・文書管理の効率化、
・収集データの運航や研究への有効活用
・実習生に対する教育能率、効果の向上
*ITSスペースを配置
・各種実験、研究のための器材の設置スペース
‹ 航海の安全と高度化
* 改正SOLAS条約適応
*航海の安全を向上
・高揚力、大舵角のシリング舵
・離着岸操船等を容易にするシステム操船装置

環境への配慮
地球環境への配慮は社会活動の中で大き
な課題
*低公害エンジンの搭載
*有機スズを使用しない毒性の少ない船底塗料
* 消滅式残飯処理装置で生ゴミを分解
・船外への排出をゼロ
* IMO
、MARPOL規制に対応した焼却炉
* 生活雑排水及び海水バラストタンク
・グレーウォーターの排出規制対応

開かれた練習船(バリアフリー)
・身体障害者や高齢者の車椅子での見学に配慮
*バリアフリー エレベータ
*バリアフリー 通路(見学通路の一部)
*バリアフリー トイレ
*幅広ワーフラダー(90cm)

‹外部との通信
*PHSのAir-H’’
*インマルサットBのHSD
*船舶衛星電話のDOPA
‹セキュリティ
教官系LAN回線と、基幹(一般)系LAN回線との間にファイ
アウオールを設置 実習生用LAN端末からは、教官系LANに侵入できない。

オンボード操船シミュレータ
様々な航行環境の中で船舶を繰り返し操船し、操船スキルを向上させるため、本銀河丸代船ではオンボード操船シミュレータを装備します。
本システムでは、船内LANと連接し実操船データをシミュレータに取り込むことで、実操船をシミュレータ上で再現可能となっています。

操船シミュレータ
実際に船上で搭載されている航海計器(レーダ・ARPA・ECDIS・VHF無線設備等)を操船シミュレータで使用することで航海計器取扱技術の向上も期待できます。

船内情報管理システム
本システムは、(1)航海情報(航海、機関、気象海象、タンク)、(2)運航に関わる計画(航海計画、行動計画、積付計算、その他)、(3)機器来歴管理支援、(4)船内事務(運航、訓練)及び文章管理支援、(5)乗組員・実習生編成作成及び管理支援、(6)実習支援、(7)研究支援、(8)データ収集支援の機能を持って、各機能は有機的に接続されて、システム全体が構築されています。
このような機能を持つ船内LANは、レーダARPA画面及びITV映像も配信し、更にCATV連携により船内TVでの情報を表示させるなどビジュアル化を図っています。

統合化ブリッジシステム
内航船の近代化を踏まえるとともに、航海の安全と高度化を目指して、統合化ブリッジシステム(IBS:Integrated Bridge System)も導入します。
IBS の構成要素として航海・操船機能、通信機能、機関制御機能があります。
特に操船機能に関しては、ネットワークで接続されたマルチファンクションディスプレイ(MFD:Multi Function Display)により、ARPAレーダ/電子海図表示(ECDIS)/航海情報表示(Conning Display)の切り替えが可能となっています。

訓練海域
海事法規に基づいた操船法が理解
(1) 海上交通安全法適用海域
①浦賀水道航路(中ノ瀬水道航路を含む)及び周辺
②伊良子水道航路及び周辺
③明石海峡航路及び周辺
④備讃瀬戸中央付近(瀬戸大橋付近、水島航路を1部含む)
⑤来島海峡航路及び周辺
(2) 港則法適用海域
①東京西航路(晴海専用岸壁、有明専用岸壁を含む)
②横浜港
③神戸港
④関門港(関門海峡)
(3) その他
①三河湾(操船実習実施海域を含む)
②仮想海域


練習船銀河丸(初代)は第二次世界大戦を生き延びた日本郵船の貨客船の雲仙丸(うんぜんまる)を改造し、1955年より練習船として就航しました。

雲仙丸は三菱重工業横浜船渠で建造され、本船は当初、門司 - 大連航路に就航する予定であったが、1942年10月の竣工後、船舶運営会使用船として徴用され、門司 - 上海航路で輸送任務に従事した。

1943年中頃から、新潟 - 羅津航路に転じて運航されたが、1943年10月1日、18時10分ごろ、日本海を航行中、潜水艦の襲撃を受け右舷中央部に魚雷が命中したが不発だったため、被害は機関室へのわずかな浸水のみで、本船は全速で離脱、翌朝、羅津に無事入港した。本船襲撃の4日後には、関釜連絡船崑崙丸が攻撃を受け沈没、多数の犠牲者を出した。

その後、一時的に新潟 - 樺太航路に転配され、新潟 - 羅津間の航路に復帰、敦賀 - 清津航路にも就航した。1945年6月23日、境港の港外で仮泊していた本船は、24日未明に抜錨したが直後に触雷、シャフト貫通部から浸水した。浸水は水密扉の閉鎖により食い止められ、本船は境港で乗客を下船させた後、敦賀港で貨物を揚陸、修理のため富山港の日本海船渠工業へ向かったが、回航の途中、能登半島西岸の羽咋市の砂浜に乗り揚げた。約2週間後、自力で離洲し、修理を受けた。1945年の終戦時には、敦賀 - 清津 - 羅津航路に就航していた。

終戦後は、引揚船となり、1946年12月5日、樺太からの第一陣を乗せて函館港に入港した。ナホトカ、釜山などから4航海を行い、合計4.745名が本船で帰国した。

1949年4月に徴用を解除され、1950年4月から釧路 - 東京航路に就航した。
1954年8月20日、運輸省航海訓練所の練習船銀河丸(初代)となった。
1973年1月、新設された海洋技術開発学校で係留練習船となったが、1974年5月14日、係船されていた上甑島から多度津町の宮地サルベージ多度津船舶解体場へ曳航され、その後、解体された。

独立行政法人海技教育機構(かいぎきょういくきこう、英: Japan agency of Maritime Education and Training for Seafarers)は、船員教育・養成をつかさどる国土交通省所管の独立行政法人。船員および船員になろうとする者に対し船舶の運航に関する学術及び技能を教授すること等を業務とし、教育のための施設として、全国に海技大学校(1校)、海上技術短期大学校(3校)、海上技術学校(4校)を設置、運営しているほか、帆船「日本丸」など練習船5隻を運航している。

業務の概要
船員および船員志望者に対し船舶の運航に関する学術及び技能を教授し航海訓練を行うこと。
船舶の運航に関する高度の学術及び技能ならびに航海訓練に関する研究を行うこと。

銀河丸 (3代目)
基本情報
船種 汽船
所有者 海技教育機構
建造所 三井造船千葉事業所
母港 東京港


信号符字 JFFP
経歴
進水 2003年11月12日 ( 2003年12月12日進水式)
竣工 2004年 6月15日
要目
総トン数 6,185トン
全長 116.40 m
幅 18.00 m
深さ 10.50 m


主機関 三菱7UEC43LS-IIディーゼルエンジン×1基
プロペラ 4翼CPP×1
出力 9,000PS/6,600kW
最大速力 20.5ノット
航海速力 18.62ノット
搭載人員 246名 (うち実習生180名)
積載能力 燃料1612.8キロリットル
船舶番号 137183
IMO番号 9271274

大阪狭山市駅 南海電気鉄道高野線

$
0
0

大阪狭山市駅(おおさかさやましえき)は、大阪府大阪狭山市にある、南海電気鉄道高野線の駅。駅番号はNK65。以前は狭山遊園と名乗った当駅です。遊園地の閉鎖後に現駅名に改称されています。


駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地上駅である。大きな三角屋根が特徴の駅舎です。有効長は8両。改札は各ホームの高野山寄りに独立して設置され、入場後のホーム同士の移動はできない。各ホームには車椅子対応のスロープもある。

駅務室は難波方面ホーム側にあるが、現在は無人駅のため閉鎖されている。待合室は難波方面ホーム後方にある。売店が難波方面ホームにあったが、廃止され現在は自動販売機コーナーになっている。切符売場に券売機は2台。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 高野線 下り 高野山方面


2 高野線 上り なんば方面
ホームの上屋下にはFRP製の椅子が設置されています。

駅周辺
駅周辺は閑静な住宅街。駅周辺には東・西側それぞれに小さな商店街がある。駅西側から狭山池東畔にかけて「狭山新宿」や「新町」と通称される市の中心街が広がっている。このあたりは狭山藩の陣屋町だった所で、陣屋は東除川を境に上屋敷と下屋敷とに分かれていた。下屋敷跡地はさやま遊園として利用されていたが2000年に閉園。現在は高層マンションなどが建っている。

大阪狭山市立狭山中学校・東小学校が近接しており、ホーム内には、両校の生徒・児童の手作りポスターが貼られ、2番線前方からは、狭山中学校のグラウンドが見える。

駅東側は富田林市にある金剛団地に近く、同団地からの利用客も多い。

大阪狭山市役所
大阪狭山市消防署
狭山半田郵便局
大阪狭山市文化会館 (SAYAKAホール)
狭山陣屋跡
狭山池 …日本最古の灌漑用ため池で、現在は治水ダムとして改良されている。かつては競艇場もあった。
大阪府立狭山池博物館
大阪狭山市立郷土資料館
藍野大学短期大学部青葉丘キャンパス
紀陽銀行 狭山支店
関西アーバン銀行 狭山支店
青葉丘病院
サンプラザ パスト狭山店
大阪いずみ市民生活協同組合 コープ狭山池


河内半田駅として開業し、後に南海が経営する遊園地、さやま遊園の最寄り駅として「狭山遊園前駅」に改称した。しかし、2000年4月1日同遊園地が閉園。しばらくはそのままの駅名であったが、2000年12月の高野線のダイヤ改正にあわせて、現在の駅名となった。駅名は一般公募による。現在でも駅構内には、上部が半円形の駅名標があるなど、かつての遊園地の最寄駅としての名残が見られる。

1917年(大正6年)7月5日 - 大阪高野鉄道の狭山駅 - 滝谷駅間に河内半田駅として新設。
1922年(大正11年)9月6日 - 会社合併により南海鉄道の駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日 - 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
1947年(昭和22年)6月1日 - 路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
1950年(昭和25年)4月1日 - 狭山遊園前駅に改称。
2000年(平成12年)12月23日 - 大阪狭山市駅に改称。(狭山町の市政施行(大阪狭山市へ改称)は1987年10月1日)
2012年(平成24年)8月 - 駅係員無人化を開始。


大阪狭山市駅
おおさかさやまし
ŌSAKASAYAMASHI
◄NK64 狭山 (1.6km)(1.1km) 金剛 NK66►
所在地 大阪府大阪狭山市狭山四丁目2340番地1
北緯34度30分14.92秒
東経135度33分26.62秒
駅番号 NK 65
所属事業者 南海電気鉄道
所属路線 ■高野線
キロ程 21.8km(汐見橋起点)
難波から21.1km
電報略号 サマシ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 9,245人/日
-2016年-
開業年月日 1917年(大正6年)7月5日
備考 無人駅
*改称経歴
-1950年 河内半田駅→狭山遊園前駅
-2000年 狭山遊園前駅→大阪狭山市駅

園田駅 阪急電鉄神戸本線

$
0
0

園田駅(そのだえき)は、兵庫県尼崎市東園田町にある、阪急電鉄神戸本線の駅。駅番号はHK-05。兵庫県内で最も東に位置する鉄道駅である。

駅構造
各方向ごとの列車の待避が可能な島式ホーム2面4線と、上り待避線外側にある単式ホーム1面の計3面4線を有する高架駅である。通常は島式ホームのみを使用しており、単式のホームは主に園田競馬の開催時などに使用されていた降車専用の「臨時ホーム」とされている(番号は割り振られていない)。

梅田側の本線上には渡り線が設置されており、当駅で三宮方面に折り返す列車は上り本線上で入換をし、下り線ホームに転線する。また、その先の本線南側には留置線(電留線)があるが、レールが錆びているため、長年にわたって使用されていないとみられる。かつてはさらに数本の留置線があった。

改札とコンコースは2階、ホームは3階にあり、改札口は2階の1か所のみ。エレベーターと上り専用のエスカレーターが各方面ホーム毎に1機ずつ設置されているが、エレベーターについては利用に制限がある。

のりば
号線 路線 方向 行先
1・2 ■神戸本線 下り 神戸三宮・新開地・宝塚方面
3・4 上り 大阪(梅田)方面
内側2線(2号線と3号線)が主本線、外側2線(1号線と4号線)が待避線であり、平日・休日ともにほとんどの列車は主本線の2号線と3号線に入線する。待避線の1号線と4号線は、平日のラッシュ時(特に朝)に優等列車の通過待ちを行う列車のみが使用する。

4号線の反対側には、単式の臨時降車ホームが設置されており(線路は4号線と共有)、かつては園田競馬開催時に降車用ホームとして使われていたが、1999年(平成11年)以降は使用されておらず、ホームへ上る階段の前に待合室が設置されたため、実質的に休止状態である(花壇が整備され駅員により手入れされている)。また、1号線は両方向に出発信号機があり、梅田方面への折り返し運転も可能である。ただし通常のダイヤでは、三宮方面を含め当駅で折り返す列車は設定されていない。


地上駅時代の園田駅は、ホームの構成は現在と全く同じで、園田競馬の観客用臨時ホームも有していた。また改札とホームを結ぶ為に地下道が設置されたほか、構内の地下道と平行して南北を結ぶ自由通路があり、線路下付近には双方の地下道間を結ぶ改札口も存在した。

ホーム延長工事など、多少の改装は行われたものの、開業当時とほぼ同じ状態を保っていた園田駅ではあったが、兵庫県と尼崎市が計画していた、駅西方を交差する県道園田橋線との立体交差化の為、園田駅周辺の線路および駅を高架化する事となった。

工事は1974年3月に着工され、従来の線路やホームは撤去されて、単式のホーム2線と通過線2線からなる仮設のホームが設置された。地上駅時代の園田駅は、駅南側に植え込みがあるなど比較的広い構内ではあったが、下り仮線のホーム部分に際しては、阪急の所有する敷地だけでは用地が不足したため、南側に面した道路の一部を尼崎市より借用してホームを建設した。また上り仮線のホームは下り仮通過線の北側に設置され、仮設ホームはいずれも通過線の南側に設置される形となった。地下道には、仮設ホームに通じる階段が設置され、一方元のホームへの階段は、セメントにより埋められた。

梅田側には留置線が1線存在するが、地上駅時代は数編成分が収容可能だった。これは、猪名川付近の経路を変更した際に、新たに橋梁架設工事を行ったために廃線となった本線部分を流用したもので、収容能力が限界に達していた当時の西宮車庫を補う形で使用されていたが、車庫の拡張工事が完成して以降は使用されなくなり、高架工事の際には仮設線路の用地として活用された。また、三宮側の上り線に接する形でもう一本留置線があったが、こちらも高架化工事用地とされ撤去された。

高架線へは、まず上りホームと臨時ホームが1976年10月に完成して切り替えが行われ、上り通過線と仮設ホームが撤去され、元のホーム横の線路が通過線に変更された。続く1977年8月には上り通過線が高架化されて上り仮線は撤去された。一方、下りホームは1978年10月に完成して切り替えられ、この時駅舎も地上の仮駅舎から高架線2階に移設された。最後に残っていた下り通過線は1979年6月30日の終電後に高架線に切り替えられ、引き続き梅田寄南側の留置線建設と駅1階の商業施設や周辺道路の整備を実施し、1980年4月5日に全ての工事が完了して専門店街の『園田阪急プラザ』が営業を開始した。高架下の区画には、『園田阪急プラザ』の他に、レンタサイクルや駐輪場、貸し倉庫などがある。『園田阪急プラザ』は2006年に改装を行い、看板が一新されたほか、1階にスーパーマーケットのKOHYOなどが出店した。

駅周辺
旧川辺郡園田村の村域内に設置されたため園田駅という名称が与えられているものの、所在地は旧園田村の中心部からはかなり離れた東園田町である(旧園田村の中心部は当駅より北西へ2キロメートル離れた食満一丁目付近であり、現在でも尼崎市役所園田支所、園田公民館、園田中学校、園田小学校、園田保健センター(旧園田保健所)、JA兵庫六甲園田などの施設はその周辺にある)。駅の設置前は何もない田園地帯だったが、阪急による宅地開発の結果、当駅周辺に市街地が形成された。東園田町三丁目、四丁目付近は阪急が戦前に開発した宅地であり、今でも規模の大きい邸宅が建ち並んでいる。

駅の北側にはバス用のロータリーがある。大部分は競馬場開催時のシャトルバス用で、普段は閉鎖されており、当駅を起点とする路線バスのうち一路線のみがその一部を常用している。駅の南側からも多数の路線バスが発着するが、ロータリーはなく、既存の道路を使って方向転換している。駅舎の1階と2階は駅ビルの『園田阪急プラザ』として整備されている。

園田阪急プラザ:KOHYO 園田プラザ店 - 駅付近のビルにも『鮮度館 園田店』の名称で出店している。マクドナルド・松屋・マツモトキヨシ・千鳥屋・とよす・ミスタードーナツ・阪急そば・ミーツ・マックハウス・松のや・ABCマート


園田競馬場 - レース開催日や馬券の場外発売日には駅前(北口側)からシャトルバスが運行され、来場客で混雑する[2]。
尼崎市園田地区会館
尼崎市立図書館出張所
尼崎市消防局 北消防署園田分署
尼崎園田郵便局
尼崎東園田八郵便局
聖トマス大学
百合学院中学校・高等学校
尼崎市立園田東中学校
尼崎市立園和小学校 - 園田駅に近いことから、広告の略地図等では「園田小学校」と誤表記されることがある。前述の通り、実際の園田小学校は当駅から北西へ2キロメートル離れたところにある。
三井住友銀行園田支店 - 旧神戸銀行の店舗で当初は駅北側にあった。駅の高架化と同時に園田阪急プラザ内に入り、 太陽神戸銀行 → 太陽神戸三井銀行 → さくら銀行 → 現行名となったのち、2012年9月に駅南側に移転した。
TSUTAYA
ブックオフ
イオン尼崎店 - 南に徒歩20分、阪神バス・24系統で「小園」停留所下車。
コストコ 尼崎倉庫店 - イオン尼崎店に隣接。
田能遺跡 - 阪神バス・20系統「田能」停留所下車。
藻川 - 当駅の西側を南北に流れている。
猪名川 - 当駅の東側を南北に流れている。

東隣の神崎川駅の西側には神崎川を渡る橋梁があるが、台風の接近による高潮や、地震発生後の津波等への対策として、防潮扉が閉鎖される場合がある。その場合は梅田駅 - 当駅間は運休となり、当駅にある折り返し設備を用いて、三宮方面行きのみの運転となる。
ホーム内にあるエレベーターの乗降口にはボタンがなく、利用する際は付近にあるインターホンで駅員に申告する。また、利用者は乗車券類を提示(購入)する必要があるため、エレベーターは必ず2階で停止するようになっている。このようなシステムになっているのは、3階の乗降口がホーム内部にあるのに対し、2階と1階の乗降口は改札外に面しており、不正乗車の問題が生じるためである。
2階の改札内には、南側に向いた団体客専用の有人改札口が設けられているが、通常は改札口に面した出口にシャッターが降ろされ、使用されていない。

時期不明(1930年以降)- 園田競馬場の開設に伴い、年2回の競馬開催日に合わせて、現園田駅とほぼ同じ場所に臨時駅を設置していた。
1936年(昭和11年)10月20日 - 阪神急行電鉄(当時の社名)の神崎川駅 - 塚口駅間に新設開業。開業時は田園地帯の中に駅が存在したが、当初から2面4線の配線であった。
1979年(昭和54年)7月1日 - 高架化が完成。
1980年(昭和55年)4月5日 - 高架駅舎の使用を開始。園田阪急プラザが営業開始。
2013年(平成25年)12月21日 - 駅ナンバリング(HK-05)が導入される。
2014年(平成26年) - ホーム表面の再舗装及び嵩上げ工事が行われる(但し廃止状態の北側単式ホームでは行われず)

園田駅
Sonoda
◄HK-04 神崎川 (3.1km)(3.0km) 塚口 HK-06►
所在地 兵庫県尼崎市東園田町九丁目48番地1
北緯34度45分7.22秒 東経135度26分53.55秒
駅番号 ○HK-05
所属事業者 阪急電鉄
所属路線 ■神戸本線
キロ程 7.2km(梅田起点)
駅構造 高架駅
ホーム 3面4線
乗降人員
-統計年度- -2017年通年平均-
30,701人/日
乗降人員
-統計年次- 37,359人/日
-2016年-
開業年月日 1936年(昭和11年)10月20日
備考 * うち1面は臨時降車ホーム

常盤駅 京福電気鉄道北野線

$
0
0

常盤駅(ときわえき)は、京都府京都市右京区常盤馬塚町にある京福電気鉄道北野線の駅。駅番号はB2。駅周辺はた観光名所ではありませんが、高校に隣接した駅で線内中間駅では最大の乗降客数を誇っています。

朝夕のラッシュ時には、駅北側の新丸太町通が当駅北の踏切によりしばしば渋滞を引き起こしている。

駅構造
相対式2面2線ホームを持つ地上駅。北側の新丸太町通側に主要な出入り口があるほか、南側にもそれぞれのホームにもうひとつの出入り口がある。ホームには緩い勾配の階段で連絡します。この駅と鳴滝駅の間は複線になっている。

駅周辺
京都府立嵯峨野高等学校
京都市立常磐野小学校
京都常盤郵便局
新丸太町通
西方寺
源光寺‐源常の山荘跡に建立された寺だとされている。


その他
当駅に掲示されている写真パネル「嵐電界隈館」の題名は「常盤」であるが、写真には鳴滝駅 - 宇多野駅間を走行する電車が写されている。


駅名は駅のある地域の名前「常盤」に由来する。「常盤」の地名はこの地に山荘を構えた源常に由来するとされている。

1926年(大正15年)3月10日 - 京都電燈が経営する嵐山電鉄北野線が高雄口駅(現在の宇多野駅)から帷子ノ辻駅まで延伸した際に開業。
1942年(昭和17年)3月2日 - 路線継承により京福電気鉄道の駅となる。


常盤駅
ときわ
Tokiwa
◄B3 鳴滝 (0.3km)(0.6km) 撮影所前 B1►
所在地 京都市右京区常盤馬塚町
北緯35度1分14.26秒
東経135度42分17.46秒
駅番号 ●B2
所属事業者 京福電気鉄道
所属路線 ■北野線
キロ程 2.9km(北野白梅町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 相対式2面2線
乗降人員
-統計年度- 1,485人/日
-2017年-
開業年月日 1926年(大正15年)3月10日

三国ヶ丘 南海電気鉄道・西日本旅客鉄道

$
0
0

三国ヶ丘駅および三国ケ丘駅(みくにがおかえき)は、大阪府堺市堺区向陵中町二丁にある、南海電気鉄道(南海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。

正式な駅名表記は、南海は「三国ヶ丘」、JRが「三国ケ丘」とされている。駅番号は南海電気鉄道がNK57、JR西日本がJR-R29。

駅名は摂津国・河内国・和泉国三国の国境の丘の意で、当駅北方に鎮座する方違神社がかつての国境だった。南海電気鉄道の高野線とJR西日本の阪和線が接続する交通の要衝で、乗り継ぎ客が多い。

南海の駅はPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)および「スルッとKANSAI」対応各種カード、JR西日本の駅はICOCAの利用エリアに含まれている。南海の駅は堺東駅が、JRの駅は堺市駅が管理している。

2011年4月から南海電気鉄道は、南海商事と共同で「三国ヶ丘駅改良事業」を進めてきた。東西自由通路の整備・駅舎の橋上化、商業施設のリニューアルに加え、JR西日本の駅部分も含めた構内構造の変更などの工事が行われてきたが、2013年9月7日に東西自由通路と橋上駅舎が完成、商業施設は2014年4月16日、「N.KLASS三国ヶ丘」として一部店舗が先行開業した。同年5月29日には新たに4店舗が開業し、グランドオープンした。屋上には眺望デッキやトレインビューを設けた公園「みくにん広場」を設置している。


南海三国ヶ丘駅
プラットホームは相対式ホーム2面2線を有する地上駅で有効長は10両編成分(現在は最大8両編成)。改札口と切符売り場は橋上駅舎内に1か所設けている。かつてはJRとの乗り換え改札を併設した北口と大仙陵古墳(仁徳天皇陵)側に位置する西口の2か所を設けていた。

2011年から始まった橋上駅舎化工事に伴い、2012年にエレベーターとホーム間通路部分が供用開始され、2012年11月には上下ホームの連絡通路が階段を含め完成した。2013年9月7日に橋上駅舎が完成すると同時に、従来の改札口は両者とも廃止され駅舎内の1か所に統括された。改装前のホーム相互間は連絡地下道で結ばれていたが現在は埋め立てられ、かつての階段部には待合室が設けられている。同年5月29日には駅ナカ商業施設の「N.KLASS三国ヶ丘」が開業した。

便所は橋上駅舎に設置されており、男女別の水洗式で多機能トイレも設置されている(これにより上りホームのトイレは2012年10月に、下りホームのトイレは橋上駅舎供用開始と同時に使用停止)。

駅名標は2013年9月6日まで、他駅のようにローマ字表記がなされるべき場所に当該表示はなく、下部に「阪和線 のりかえ」と書かれていた。現在は、新デザインに更新され、他駅同様ローマ字表記となっている。

下りホームには行灯式の簡易な発車標があり、次に来る電車が堺東駅を発車後に、「通過」「北野田方面」「泉北 泉ヶ丘方面」のいずれかが表示されていた。2013年9月7日に改装工事が始まり、発車標は小型なLED式のものに交換され、上りホームにも同型の発車標が新設された。下りホーム側の表示内容は変わらず、新設の上りホーム側は電車の接近と通過のみを知らせるものであった。同時に自動案内放送が更新され、「○番線に」から「○番のりばに」へ、「足元の白線まで」から「黄色の点字タイルまで」に、また言い回しが「~いたします」から「~します」に変更された。

2016年12月20日には、従来のLED式から詳細型のLCD式ディスプレイに交換された。列車種別や発車時刻・通過列車の通過時刻などが表示されるようになり、それと同時に自動案内放送も更新され、1番のりばの列車到着時に北野田方面行きは「泉北線内への、各駅には止まりませんので、ご注意ください。」や、和泉中央行きは「高野山方面への、各駅には止まりませんので、ご注意ください。」などの放送が流れるようになった。しかし、2番のりばの列車は準急行も含め全て「只今到着の電車は、なんば行きです。」としかアナウンスされず誤乗などが問題視されたため、2017年10月に種別・停車駅案内と英語放送を追加した新規収録の自動案内放送に更新された。

JR三国ケ丘駅
プラットホームは掘割部分に相対式ホーム2面2線を有する駅で有効長は8両編成分ある。いずれも分岐器のない棒線駅の構造であるが、踏切長時間鳴動対策のために駅前後の信号機が絶対信号機に変更されたため、停留所ではない。朝ラッシュ時の混雑が激しいため、2007年9月に上りホームの堺市寄りの部分の拡幅が行われた。またバリアフリー対応として上下ホームとも下り側でエレベーター設置工事が行われ、2008年12月20日よりエレベーターの使用を開始した。

東口(旧北口)にある自動券売機は、かつては南海型のものとJR型のものが併設されていたが、2013年9月7日からは改札が分かれたため、東口の南海型の自動券売機はJR型のものに取り換えられた。JR用の出札窓口およびみどりの窓口はないが、2014年5月26日から東口にみどりの券売機プラスが設置された[注 1]。

2014年1月に、南海への乗換改札口があった場所に男女別の便所が設置され、通路を挟んだ向かい側に多機能トイレが新設された。

のりば
南海線のりば
のりば 路線 方向 行先
1 Nankai koya line symbol.svg 高野線 下り 高野山・泉北高速線方面
2 上り なんば方面
JR線のりば
のりば 路線 方向 行先
1 R 阪和線 下り 鳳・関西空港・和歌山方面
2 上り 天王寺・大阪方面
ダイヤ
阪和線はすべての快速列車が当駅に停車しているが、1999年5月9日までは、区間快速と普通のみ停車しており、区間快速が運転されない夕方以降を中心に普通が激しく混雑し、天王寺駅 - 鳳駅間で遅延が常態化していた。そこで、翌10日の改正で当駅を快速停車駅に変更した上で、朝のラッシュ時は和歌山・和泉砂川発の区間快速を鳳駅折り返しの快速に8両編成を充当させて混雑緩和を図ることにした。それに合わせて当時6両分だったホーム有効長を天王寺寄りに2両分延長して8両対応とし、自動放送の詳細化と発車標の設置も行われた。

高野線で準急以下のみ停車する駅では最も利用者が多く、このうち阪和線への乗り換え客が占める割合は約57%に及んでいるが、近くに堺東駅があることや遠近分離、経営戦略上などの観点から区間急行以上の種別は停車しない。これは地下鉄御堂筋線に接続する中百舌鳥駅もほぼ同様である。なお日中以降の北野田・河内長野方面発着の各駅停車は上りは堺東駅で、下りは北野田駅で急行(一部は快速急行・区間急行)と緩急接続を行うため、接続は悪くない。

駅周辺
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の東に位置するが、正面遥拝所のある前方部へは百舌鳥駅が近い。高野線を挟んで駅北側に竹内街道(大阪中央環状線)、駅南側に西高野街道(国道310号)が通っている。


1942年(昭和17年)2月15日 - 南海鉄道の高野線と山手線(旧阪和電気鉄道、現在のJR阪和線)の乗換駅として開業。改札口は現在の西口のみで、阪和線へは高野線の線路を踏切で渡ってから階段に続いていた。
1944年(昭和19年)
5月1日 - 南海山手線が戦時買収私鉄に指定されて国有化、阪和線となる。
6月1日 - 南海鉄道の会社合併により国鉄と近畿日本鉄道の駅となる。
1947年(昭和22年)6月1日 - 近畿日本鉄道から南海電気鉄道への旧・南海鉄道の路線譲渡により、国鉄と南海電気鉄道の駅となる。
1966年(昭和41年)12月1日 - 新今宮駅開業に伴う南海高野線のダイヤ改正で急行通過駅になる。
1986年(昭和61年)11月1日 - 国鉄阪和線のダイヤ改正で区間快速停車駅(当時は朝夕ラッシュ時、夜間のみの運転)になる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)と南海の駅となる[3]。
1993年(平成5年)7月1日 - 阪和線運行管理システム(初代)導入。
1999年(平成11年)5月10日 - JR阪和線のホームが8両編成列車の停車が可能になるよう駅北側に延伸され、ダイヤ改正により快速・B快速の停車駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - JR西日本でICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2013年(平成25年)
9月7日 - 南海高野線の駅舎を橋上化し、JRの駅舎と分離。併せて北口を東口に改称。南海高野線のホームにある地下道が閉鎖され、南海とJRの乗換改札口を廃止。JR西日本の駅がJR西日本交通サービスへの業務委託駅から直営駅に変更となる。
9月28日 - 阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
2014年(平成26年)5月29日 - 駅ナカ商業施設の「N.KLASS三国ヶ丘」が開業。
2018年(平成30年)3月17日 - JR西日本に駅ナンバリングが導入され、使用を開始。

三国ヶ丘駅
みくにがおか
MIKUNIGAOKA
所在地 堺市堺区向陵中町二丁7-1
北緯34度33分54.95秒 東経135度29分34.05秒
所属事業者 南海電気鉄道
西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 ミク(両社とも)
駅構造 南海 - 地上駅
JR西日本 - 地上駅(掘割構造)
ホーム 各2面2線(計4面4線)
乗車人員
-統計年度- (JR西日本)23,947人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- (南海)39,989人/日
-2017年-
開業年月日 1942年(昭和17年)2月15日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■ 南海高野線
駅番号 NK 57
キロ程 12.5km(汐見橋起点)
難波から11.8km
◄NK56 堺東 (1.5km)(0.9km) 百舌鳥八幡 NK58►
所属路線 R 阪和線(JR西日本)
駅番号 JR-R29
キロ程 10.2km(天王寺起点)
◄JR-R28 堺市 (1.4km)(0.9km) 百舌鳥 JR-R30►
備考 改札口は両社個別
JR:みどりの券売機プラス設置駅
^ JRは Mikunigaokaと表記

愛岐トンネル群(旧中央線)

$
0
0

旧逓信省鉄道作業局(日本国有鉄道の項も参照)は、中央本線の高蔵寺駅(愛知県春日井市)~多治見駅(岐阜県多治見市)間に、庄内川(玉野川・土岐川)沿いの約8キロに及ぶ地域に14基のトンネルを造り1900年に開業させた。

その後1966年、電化及び複線化に伴い新トンネルを建設・開業。同時に13基のトンネル(第9号トンネルは新トンネルの建設の時消滅)が放棄され廃線となり、40年以上放置されていた産業遺産である。

愛岐トンネル群保存再生委員会は、このトンネル群を掘り起こし整備し続けている春日井市の市民団体。のちにNPO法人となる。

このトンネル群を買い取るためのナショナルトラスト募金が行われている。 2008年より、3号~6号(定光寺駅~県境)間はある程度整備が進み一般公開(春と秋)が行われている。

また、多治見支部も新たに創立され、7号~14号トンネルの整備に向けての準備が行われている。

2006年春、廃線になり41年間放置されていた鉄道トンネルを発見。調査の結果14基(その後、1基は撤去と判明)の存在が明らかになる。

同年12月中部産業遺産研究会鉄道研究メンバーらによる現地調査が行われ、文化的・歴史的価値の高い評価を得る。2007年6月「旧国鉄トンネル群保存再生委員会」が発足(会員数47名)。愛知県側の民間所有地となっている廃線敷地権者の了解のもと現地の開拓がスタート。

3号トンネルから県境の6号トンネル間1.7キロの1年あまりにわたる整備を踏まえ、2008年春、「作業現場見学会」のタイトルで1日限定の第1回一般公開を行い300人が参加する。

その後、毎年春・秋に一般公開を続け、2009年秋に開催した3日間の「第4回一般公開」には、全国13都府県から14,838人が訪れ、無人駅の「定光寺駅」に40人ものJR職員が対応するなどで混雑した。2010年からは一般公開期間を6日間に拡げて開催している。2013年には春・秋の一般公開に加え、あいちトリエンナーレ2013のパートナーシップ事業として、愛岐トンネル群・アートプロジェクト2013「荒野ノヒカリ」と題し、トンネル群の各所にアート作品を展示する19日間の特別公開を実施した。

2009年には愛知県側敷地の民間地権者からの買い取りを目指し、組織を「特定非営利活動法人 愛岐トンネル群保存再生委員会」に変更、愛知県下初のナショナルトラスト活動を開始した。同年6月には多治見支部を設立、愛知・岐阜県の広域にわたる市民活動を展開しているが、現在は岐阜県側地権者の了解が得られず、7号トンネル以後の調査に着手していない。

また、同2月には経済産業省「近代化産業遺産 続33に「旧国鉄中央線の隧道群」として認定、3月には国土交通省中部地方整備局の「第9回中部の未来創造大賞」特別賞を受賞する。

2010年10月には名古屋市で開かれた生物多様性条約締結国会議(COP10)の主会場(白鳥庭園)にブース出展し、廃線と自然の共生の姿を世界に発信した。

同年、愛知・岐阜両県庁で記者発表を行い、国の重要文化財である群馬県碓氷峠トンネル群の明治期製造のレンガ製トンネル群11基を抜いて国内最多の13基のレンガ隧道群であることを公表した。


緑町駅 伊豆箱根鉄道大雄山線

$
0
0

緑町駅(みどりちょうえき)は、神奈川県小田原市にある、伊豆箱根鉄道大雄山線の駅。駅周辺は住宅地。隣駅小田原からわずか400mの位置です。

駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅で、線路の東側にホームがある。

]無人駅で駅舎はなく、ホームの井細田方に短い上屋と出入り口とが設置されるのみである。

自動券売機の設置はないが、乗車票発行機が1台置かれている。ホームには階段で連絡します。

大雄山方面。ホームは1面1線。駅を出ると急カーブで左に曲ります。

駅周辺
小田原市の市街地に位置し、人家が多い。小田原駅からわずか400メートルほどの所にある小さな駅で、ホームの端から小田原駅の構内を望むことができるほどである。

路線バス
最寄のバス停は広小路で、以下のバス路線が発着する。

富士急湘南バス、箱根登山バス、伊豆箱根鉄道
<小11> 新松田駅(飯泉入口・中堀・西大友経由)(富士急)
<小19> 山北駅(飯泉入口・中堀・西大友・新松田駅経由)(富士急)
<小12> 新松田駅(飯泉入口・中堀・日本新薬・西大友経由)(富士急)
<小14> 新松田駅(飯泉入口・中堀・下千代・下曽我駅・上大井駅入口経由)(富士急)
<小15> 下曽我駅(飯泉入口・中堀・下千代経由)(富士急)
栢山駅(飯泉入口経由)(箱根登山)


関本(飯泉入口・飯田岡・富士フイルム経由)(箱根登山) ※ 平日3本のみ
関本(飯泉入口・富水駅入口・新屋・富士フイルム経由)(箱根登山) ※ 平日1本のみ
船原・小田原フラワーガーデン(市役所・日本たばこ・ミクニ経由)(伊豆箱根)
ミクニ(市役所・日本たばこ経由)(伊豆箱根) ※ 平日2本のみ
久野車庫(荻窪・市役所経由)(伊豆箱根)
<小11,小12,小14,小15,小19> 小田原駅(富士急)
小田原駅東口(箱根登山)
小田原駅(伊豆箱根)


1935年6月14日 新小田原駅 - 相模広小路駅間に緑町駅開業。
1935年6月16日 新小田原 - 緑町間を小田原 - 緑町間に切り替えて小田原駅乗入れが実現。新小田原 - 緑町間と相模広小路駅廃止。

緑町駅
みどりちょう
MIDORICHO
◄ID01 小田原 (0.4km)(1.0km) 井細田 ID03►
所在地 神奈川県小田原市栄町三丁目5-21
北緯35度15分34.6秒
東経139度9分32.2秒座標: 北緯35度15分34.6秒 東経139度9分32.2秒


駅番号 ID02
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 大雄山線
キロ程 0.4km(小田原起点)


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 208人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1935年(昭和10年)6月14日

五百羅漢駅 伊豆箱根鉄道大雄山線

$
0
0

五百羅漢駅(ごひゃくらかんえき)は、神奈川県小田原市扇町五丁目にある伊豆箱根鉄道大雄山線の駅。駅周辺は住宅地。

また駅周辺には駅名の由来となった五百羅漢のある玉宝寺や、多古城址など、旧跡が多数立地します。

駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅。のりばは南側が1番線、北側が2番線。

ホームの井細田方の端が階段となっており、ここから構内踏切を通って北側の駅本屋へ行く。

また構内穴部方の北側には、伊豆箱根鉄道大雄山線保線支区の二階建ての建物がある。

1989年(平成元年)8月に改築された駅本屋はマンションを併設するほかテナントも入る、4階建ての建物である。

この建物の一角に駅事務室と待合所が設けられており、自動券売機と乗車票発行機が一台ずつ置かれているほか、定期券などを販売する窓口もある。

なお、建物や駅入口に表示された当駅の英語表記は「500 RAKAN STATION」となっている(ホームの駅名標や路線図では「GOHYAKURAKAN」や「Gohyakurakan」を使用)。

終日、社員の配置される直営駅である。

のりば
1 ■大雄山線 大雄山方面


2 ■大雄山線 小田原方面
早朝、深夜以外は必ず列車交換が行われます。

駅周辺
駅前を県道720号が走る。駅名の由来となった五百羅漢像のある玉宝寺や、多古城址など、周辺には旧跡が多く存在する。

駅の構内穴部方で大雄山線をまたいでいる小田急小田原線は当駅の南300メートルほどの所に足柄駅を置いている。

小田急小田原線の足柄駅と螢田駅の間の車窓から、当駅の姿を望むことが可能である。

路線バス
駅前の県道720号に「五百羅漢」バス停が置かれ、以下のバスが発着する。

箱根登山バス
栢山駅
関本(飯田岡・富士フイルム経由) ※ 平日3本のみ
関本(富水駅入口・新屋・富士フイルム経由) ※ 平日1本のみ
小田原駅東口

1925年(大正14年)10月15日 - 開業。
1989年(平成元年)8月 - 駅舎改築。

五百羅漢駅
ごひゃくらかん
GOHYAKURAKAN
◄ID03 井細田 (0.9km)(0.8km) 穴部 ID05►


所在地 神奈川県小田原市扇町五丁目11-10
北緯35度16分30.7秒
東経139度9分20.7秒座標: 北緯35度16分30.7秒 東経139度9分20.7秒


駅番号 ID04
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 大雄山線
キロ程 2.3km(小田原起点)


駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 730人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1925年10月15日

 

アプトいちしろ駅 大井川鐵道井川線

$
0
0

アプトいちしろ駅(アプトいちしろえき)は静岡県榛原郡川根本町梅地にある、大井川鐵道井川線の駅である。開業時は川根市代と称した駅ですが、長島ダム建設に伴うルート変更で、若干井川よりの当地に移転開業となりました。

駅構造
単式1面1線のホームを持つ。ホームは構内踏切で結ばれています。隣の長島ダムまでは日本で唯一のラック式鉄道区間となり、駅で機関車の連結、解放が行われます。
アプト式機関車用の留置線と検修設備を有する。
トイレはホームにある。

駅周辺
奥泉発電所
大井川
大井川ダム
旧大加島トンネル -旧線のトンネル。現在は遊歩道として利用している。ミステリートンネルの愛称がつけられている。
歴史
1959年(昭和34年)8月1日 川根市代駅として開業。現在の位置より奥泉駅寄りにあった。
1990年(平成2年)10月2日 長島ダム建設に伴う新線上に移転し、アプトいちしろ駅に改称。

アプトいちしろ駅
アプトいちしろ
ABT ICHISHIRO
◄奥泉 (2.4km)(1.5km) 長島ダム►
所在地 静岡県榛原郡川根本町梅地
北緯35度10分3.28秒
東経138度8分40.92秒座標: 北緯35度10分3.28秒 東経138度8分40.92秒
所属事業者 大井川鐵道
所属路線 井川線
キロ程 9.9km(千頭起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 3人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 4人/日
-2016年-
開業年月日 1959年(昭和34年)8月1日
備考 終日駅員無配置
ローマ字表記は駅名標の記載による
標高396m

新豊橋駅 豊橋鉄道渥美線

$
0
0

新豊橋駅(しんとよはしえき)は、豊橋鉄道渥美線の起点駅です。愛知県豊橋市花田町西宿にある豊橋鉄道渥美線の駅である。駅番号は1。

東海旅客鉄道(JR東海)・名古屋鉄道(名鉄)の豊橋駅東側および豊橋鉄道東田本線の駅前停留場に隣接しており、乗り換えが可能である。


駅構造
2008年(平成20年)6月5日に西へ(旧国鉄荷貨物取扱所の跡地の一部)50m程移設され、島式ホーム1面2線化しダイヤを組みやすくするとともに、交互発車により常時ホームに列車を停車させておき、発車を待つ乗客の着席性・居住性を向上させた。

駅舎は3階建てのビルとなっており、1階に改札などの駅務機能、2、3階はテナントスペースとなっており、2008年12月に全館オープンした。自動券売機や列車案内表示機などは名鉄で使われているものと同じものが使われている。manaca用の簡易改札機とチャージ機は設置されているが、自動改札機は設置されていない。当駅は名鉄の駅ではないがμstar stationも設置されており、JRが管轄している名鉄豊橋駅を補完している。

当駅の有人窓口では豊鉄の切符のほか、ミューチケットなど名鉄の切符も購入できる。

のりば
1 ■渥美線 高師・大清水・三河田原方面
2 ■渥美線 高師・大清水・三河田原方面
旧駅・旧線跡には、2009年にココラアベニューとJRF豊橋駅前駐車場がオープンしている。


新豊橋駅ビル
フロア 施設 備考
3階 東進衛星予備校豊橋駅前校 予備校
2階 ファミリーマート新豊橋駅店 コンビニエンスストア chao via 豊橋店 居酒屋(ビアバル)
1階 新豊橋駅 ジェムウォッチ 時計店


駅周辺
豊橋駅・ステーションビル「カルミア」・ホテルアソシア豊橋
豊橋鉄道東田本線駅前停留場
豊鉄ターミナルビルエモア
豊橋鉄道本社
豊鉄ターミナルホテル
ココラアベニュー
ココラフロント
穂の国とよはし芸術劇場PLAT
豊橋警察署駅前交番
豊橋グリーンホテル
豊橋市駅前公共第2駐車場
豊鉄豊橋駅前パーキング(月極専用)
豊鉄花田パーキング(月極専用)
牟呂用水:通称「水上ビル」が建ち並ぶ一帯

 


開業時は、単式ホーム1面1線を持つ地上駅で、駅舎は平屋であった。

1927年(昭和2年)
10月1日 - 豊橋駅前駅として渥美電鉄が新豊橋駅(初代、後の花田駅)から延伸開業。
10月13日 - 新豊橋駅(2代)に改称。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。
1945年(昭和20年)6月20日 - 豊橋空襲により駅舎被災。
1954年(昭和29年)10月1日 - 豊橋鉄道への譲渡により同社の駅となる。
1970-72年 - 移転、0.1km短縮。
2008年(平成20年)6月5日 - 移転、新駅舎供用開始。北出入口オープン。
2008年(平成20年)12月4日 - 駅舎2-3階部分、テナントビルとして供用開始(新豊橋駅ビル)。
2009年(平成21年)3月2日 - 東出入口オープン。

新豊橋駅
しんとよはし
Shintoyohashi
(1.0km) 柳生橋 2►
所在地 愛知県豊橋市花田町西宿41番地
北緯34度45分44秒
東経137度22分58.6秒
駅番号 1
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 0.0km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 9,049人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 18,228人/日
-2017年-
開業年月日 1927年(昭和2年)10月1日
乗換 豊橋駅(JR・名鉄線)
駅前停留場(豊橋鉄道東田本線)
備考 駅員配置駅 5:45-23:30
* 1927年(昭和2年)10月13日 豊橋駅前駅より改称

東淀川駅 東海道本線

$
0
0

東淀川駅(ひがしよどがわえき)は、大阪府大阪市淀川区宮原二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅である。駅番号はJR-A45。「JR京都線」の愛称区間に含まれている。隣駅新大阪とわずか700mの距離に位置する。

概要
特急・新快速・快速は停車せず、普通(京阪神緩行線)のみが停車する。
駅名が「東淀川駅」となっている理由は、当初所在地が大阪市東淀川区に属していたからである。1974年7月22日に大阪市の区の増設が行われ、22区制から26区制に変更されたのに伴い旧東淀川区も東西に2分割され、東半分は東淀川区の区名を継承し、西半分は淀川区となった。この東西分割が東海道本線の東端に沿って行われたため、当駅は東淀川区ではなく淀川区に取り込まれることとなり、所在地の区名との同一性は失われた。

東海道本線における大阪支社の管轄対象駅では最も東にある。JRの特定都区市内制度における「大阪市内」の駅であり、東海道線としては最も東になる。

駅構造
自由通路付き橋上駅舎を有する木造駅舎の地上駅。駅舎の改札内に男女別水洗トイレと多機能トイレがある。エレベーターはホームそれぞれに1台ずつ、駅外から駅舎に入るためのエレベーターが東西に1台ずつ、計4台ある。

エスカレーターはホームから駅舎へ上がるエスカレーターがそれぞれのホームに1台ずつ、駅外から駅舎に入るためのエスカレーターが東西に1台ずつ、計4台あり、いずれも上りのみ。東口切符売場にはタッチパネル式券売機が3台、改札機は2台。LED式の発車案内が設置。

自由通路は自転車の通行にも対応しているため、駅外から駅舎内に上がるためのつづら折れの長いスロープも東西に一つずつ設置されており、駅舎内の自由通路部分も自転車通行に対応するためか、(タイル張りなどではなく)アスファルト舗装になっている。

乗り場は島式ホーム2面4線(乗降は2面2線のみ)の配置になっている。下り列車の出発相当の信号機は新大阪第1場内信号機だが、ひめじ別所駅のように「下りが停車場・上りが停留場」ではなく上下とも『停留場』である。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。各駅停車のみが停車するので、内側の2線を使用している。外側線に面した1、4番のりばには柵が設置されている。

ホームの有効長は長いものの、列車は吹田寄り(北側)に停車する。ホーム屋根も新大阪寄りには設置されていない。

アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCA利用可能駅(相互利用対象カードも利用可能)である。直営駅であるが駅長は配置されておらず、新大阪駅が当駅を管理している。

2019年春におおさか東線の放出駅 - 新大阪駅間が開通すると、おおさか東線の列車は新設のデルタ線を経て神崎川の北方から梅田貨物線に入り、当駅の西に並走している梅田貨物線上を走ることになるが、当駅におおさか東線用のホームを設置する計画は特に発表されていない(並走する一部の路線にホームが設置されていないという例は、大阪近郊では阪急の中津駅や南海の今宮戎駅および萩ノ茶屋駅などがある)。

のりば
のりば 路線 方向 線路 行先
1 AJR京都線 下り 外側線 (通過列車のみのため閉鎖)
2 A JR京都線 下り 内側線 新大阪・大阪・三ノ宮方面
3 上り 高槻・京都方面
4 AJR京都線 上り 外側線 (通過列車のみのため閉鎖)
上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。


ダイヤ
日中時間帯は1時間に8本が停車する。朝ラッシュ時は本数が多くなる。


駅周辺
やや古いアパートなどが多い住宅街。駅前には商店街がある。駅の東側から西側へ抜けるには、橋上駅舎と一体になった自由通路を使う。自由通路は自転車も通行可能。
東淀川駅東商店街
東淀川西淡路郵便局
日本基督教改革派大阪教会
長柄人柱碑
東三国駅(Osaka Metro御堂筋線)

バス路線
大阪市営バス(東淀川駅前停留所)
11A号 - 新大阪駅東口行(1日5便のみ。引き続き東淀川区役所前行として運行)

 

戦前の新幹線計画である「弾丸列車計画」において、弾丸列車線の「新大阪駅」になる予定であった駅が、この東淀川駅である。 駅そのものは、1940年4月1日、沿線の工業発展による人口増加を受け、東海道本線上に先行して設置された。

戦後、東海道新幹線の建設の際、「将来の山陽新幹線の延伸を考えて北方貨物線に並行して建設した方がいい」ということで建設計画が変更され、南側の東海道本線と北方貨物線の分岐点に設置されたのが、1964年10月1日に開業した現在の新大阪駅である。

当駅は新大阪駅の開業時に至近となるため、国鉄はそれを代替駅として廃止する方針であったが、周辺住民から苦情が出たために存続したと言われている。

当駅と新大阪駅の間の営業キロが0.7kmと、JR線としては極端に短い理由は、上記のような経緯による。

2018年までは東口・西口双方に平屋の駅舎があり、駅舎間、およびホーム同士は地下道で連絡していた。地下道は一部が仕切られていて東西の自由連絡通路として使用されていた。トイレは東口駅舎内にのみ設置されていた。2018年に橋上駅舎が建設された。

年表
1940年(昭和15年)4月1日 - 鉄道省東海道本線の吹田駅 - 宮原信号場(現在は廃止)間に新設開業。旅客扱いのみ。
1974年(昭和49年)7月22日 - 大阪市の分区に伴い、駅の在地が東淀川区から淀川区となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、「JR京都線」の愛称を使用開始。
2002年(平成14年)7月29日 - JR京都・神戸線運行管理システム導入。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2007年(平成19年)3月18日 - 駅自動放送を更新。
2011年(平成23年)4月11日 - 東改札口と3、4番のりばホームを結ぶ跨線橋(エレベーターのみで昇降可能)、および東駅舎内に多目的トイレが設置され、使用を開始。
2013年(平成25年)9月14日 - 自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換。
2015年(平成27年)3月12日 - 接近メロディ導入。
2018年(平成30年)
1月31日 - みどりの窓口の営業がこの日をもって終了。
2月1日 - みどりの券売機プラス利用開始。
3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。
11月11日 - 東西自由通路と橋上駅舎の供用を開始、同時に東西の地上駅舎と地下通路、駅北側および南側の踏切が閉鎖。
開かずの踏切と橋上化
東淀川駅の北側にはかつて北宮原踏切(北宮原第1踏切・北宮原第2踏切)が、同じく南側には南宮原踏切があったが、いずれも「開かずの踏切」として長い間問題視されていた。踏切以外に線路を渡る手段としては、付近に歩道橋と前述の地下道があったがいずれもバリアフリー非対応であり、交通弱者は踏切を横断するしかなかった。

2016年5月11日、JR西日本は東淀川駅を橋上化し自由通路を設置、北宮原と南宮原踏切ならびに駅地下通路を廃止する計画を発表した。踏切の廃止と自由通路の新設は大阪市との共同事業で、2018年末までに供用を開始することを目指し、自由通路にはバリアフリー対策として、エスカレーターとエレベーター、スロープが設置されるという。

年表にもある通り、2011年4月11日にはエレベーターのみで昇降可能な跨線橋がすでに設置されていた(それにより東口から2、3番のりばへの構内バリアフリールートが一応は確保されていた)が、橋上駅舎の建設は、その跨線橋を大規模に拡張する形で行われたものである。工事は予定通り進み、橋上駅舎および自由通路は2018年11月11日に供用を開始した。その結果、開かずの踏切問題も解消された。

東淀川駅
旧東口駅舎(2007年3月)
旧東口駅舎(2007年3月)
ひがしよどがわ
Higashi-Yodogawa
◄JR-A44 吹田 (3.1km)(0.7km) 新大阪 JR-A46►
所在地 大阪市淀川区宮原二丁目3-17
北緯34度44分23.77秒
東経135度30分16.56秒
駅番号 JR-A45
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 A 東海道本線(JR京都線)
キロ程 551.9km(東京起点)
京都から38.3km
電報略号 ヒヨ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線(乗降は2面2線のみ)


乗車人員
-統計年度- 8,262人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1940年(昭和15年)4月1日
備考 直営駅
みどりの券売機プラス 有
阪 大阪市内駅

ホンダS2000(痛車GRANRODEO)

$
0
0


S2000(エスにせん)は、本田技研工業がかつて生産・販売していたSシリーズ第4弾のスポーツカーである。
本田技研工業創立50周年記念として、1998年に発表され、1999年4月に29年ぶりに販売されたFR車である。環境性能を追求し、10・15モード燃費は、11~12km/Lである。ベストカーのスポーツカー企画では100点を獲得するなど本格的なスポーツカーとして君臨した。 かつてNSXの専用生産工場として建設された同社栃木製作所高根沢工場で1999年の登場時より生産されていたが、2004年4月にホンダの完成車一貫生産構想に基づき、高根沢工場での生産を中止し、以後は同社鈴鹿製作所の少量車種専用ライン、TDラインへ生産を移管していた。
2006年の販売チャネル統合以前の取扱い販売店はベルノ店。

車体
オープンカーでありながらスポーツカーとしての運動性能を実現するために、クローズドボディと同等以上の剛性確保を目指し、閉断面の大型フロアトンネルと前後のサイドメンバーとを水平につなぐ「ハイXボーンフレーム構造」を採用した。あわせて、フロントピラーへは二重鋼管を内蔵し、乗員後方に高強度のロールバーを設置し、ツインドアビームを採用するなどにより、乗員の傷害軽減に配慮した構造も採用した。また、ボンネットは軽量化を実現するために、アルミが採用されている。

パワープラント
駆動方式はホンダとして、S800以来29年ぶりとなるFRである。エンジンは前車軸より後方に置かれ、車体の前後重量バランスを50:50にすることに成功した。エンジンルームに縦置きにされた直列4気筒 DOHC VTEC NA 2.0L「F20C」エンジンは最高出力250PS(125PS/L)を発生し、許容回転数は9,000rpmである。市販車においてこのような高回転型エンジンは稀であり、そのピストンスピードはF1エンジンに匹敵する。トランスミッションは6速MTのみでAT車の設定はなく、9,000rpmという高回転を許容するため、ホンダが独自で開発したものである。操作フィーリングの向上をめざし、36mmという短いシフトストロークを実現している。

2004年からの北米仕様向けモデルは、エンジンを「F22C」に変更した。従来の「F20C」を元に、シリンダーのボア径はそのままにストロークを84.0mmから90.7mmに延長し、排気量を2.2Lに拡大した。許容回転数は8,000rpmに下げられた。これは主に北米市場からの「乗りやすさ」を求めた要望によるもので、常用域におけるトルク増加が目的とされている。日本においても2005年11月のマイナーチェンジ時にエンジンを「F22C」に変更された。

1995年 - 東京モーターショーにオープンスポーツカーのコンセプトカーとしてホンダ・SSMが参考出展される。その後、反響を受けて市販化への開発に着手。開発には上原繁をはじめとしたNSX開発陣が携わった。
1998年10月4日 - ツインリンクもてぎで行われた、本田技研工業 創立50周年記念イベント「ありがとうフェスタinもてぎ」で、ホンダの歴代社長がパレードする車に使用され、お披露目される。
1999年4月15日 - S800の後継のオープンスポーツカーとして発売開始。車種は1グレードのみで338万円。
2000年7月14日 - VGS(可変ギアレシオステアリング)を装備した「type V」が追加された。これに伴い、サスペンションやスタビライザーを柔らかく変更。
2001年9月14日 - 初のマイナーチェンジ。ここで多数の改良がされる。リアスクリーンをタイマー付き熱線入りガラスに変更。内/外装色に新色が追加され、それらと幌色の組み合わせを選択できる「カスタムカラープラン」を導入。エンジンフィールの向上、サスペンションのセッティングが見直され、先の「type V」でされたようにスタビライザーを弱くし、よりマイルドな動きをするようにされた。インテリアでは、ウインドディフレクターは標準装備、フットレストがペダル同様にアルミに、シフトノブがアルミの削りだしから本皮巻きに変更された。センタートンネルのカーペットの生地が毛玉になりにくい素材になった。
2003年10月17日 - 2年ぶりのマイナーチェンジ。外観上はフロントバンパーの両サイドに設けられたダクトが中央寄りに配置変更され、ヘッドライトの意匠が変わり、テールライトにLEDが採用される。性能面では17インチホイールの採用に伴い、ボディ剛性の強化、サスペンションセッティングの見直しを行い、安定性を増した。また、スタビライザーの強さも弱められ、よりマイルドになっている。トランスミッションにカーボンシンクロナイザーを採用し、シフトフィーリングが改善されている。
2004年4月 - 本田技研工業高根沢工場の閉鎖に伴い、鈴鹿製作所TDラインに移行。日本国内仕様における車台番号はAP1-200万番台。
2005年11月24日 - 日本仕様がマイナーモデルチェンジで排気量が2.2Lとなり、型式がAP1→AP2に変更された。エンジンの最高出力は250→242PSに、許容回転数は9,000→8,000rpmへと落とされたが、低中速のトルクが向上した。スロットルボディにはDBWを採用。外観上の変更はなく、ホイールのデザイン変更に留め、内装ではドアに設けられたサイドポケットの変更のほかに、メーターに時計と外気温表示の追加がされた。
2006年 - モデルの北米仕様も同様の改良が施され、ギア比もローレシオ化された。日本仕様には設定されなかったクルーズコントロールが設定されており、250km/hまで設定できるようになっている。
2007年4月4日 - ニューヨーク国際オートショーで「CR」プロトタイプを発表。「CR」とは休日などにモータースポーツを楽しむ人達を指す「クラブレーサー(Club Racer)」の略。「クラブマン」と同じ意味合いである。変更点はボディ剛性を保ちながらの40kgの軽量化と、スプリングやダンパーを中心とした足回りの強化。外観では専用のフロント・リアスポイラー、ヘッドレスト・フェアリングなどの空力部品やソフトトップに代わる脱着式のアルミ製ハードトップなど。
2007年10月22日 - AP2初のマイナーチェンジが行われ、2008年モデルとして発表された。このマイナーチェンジでS2000では初となる電子制御システム(ABSとTCSに加え、横滑りを制御するシステム)を持つVSAが採用される。先に発表された北米仕様である「CR」の国内仕様として「TYPE S」が設定された。「TYPE S」はサーキット走行を重視した「CR」とは異なり、日常使用でのワインディング走行を重視したモデルであり、空力面とサスペンションセッティングを煮詰め直すことで、従来の標準仕様モデルよりも高速域の安定性と操縦感を向上させている。また、「TYPE S」は上原繁が本田技術研究所在職最後に手掛けた車となった。なお、「type V」は2008年モデル移行時に廃止されている。
2009年1月27日 - 同年6月に生産終了することを発表。
8月4日 - 生産終了の発表後も注文が相次いでいたため生産を続けていたが、週内に生産を終了することを発表した。これにより、再びホンダのラインナップからFR車が消滅した。

ホンダ・S2000(4代目)
AP1/2型
AP1型(1999年4月-2005年11月)
Honda S2000 (AP1) front.JPG
AP2型(2005年11月-2009年8月)
Honda S2000 AP2 Tx-re.jpg
AP2型 Type-S(2007年10月-2009年8月)
2007 Honda S2000 TypeS.jpg
販売期間 1999年-2009年
乗車定員 2人
ボディタイプ 2ドア オープン
エンジン F20C型:2.0L 直4 DOHC VTEC
F22C型:2.2L 直4 DOHC VTEC
駆動方式 FR
最高出力 F20C型:250PS/8,300rpm
F22C型:242PS/7,800rpm
最大トルク F20C型:22.2kgf·m/7,500rpm
F22C型:22.50kgf·m/6,500-7,500rpm
変速機 6速MT
サスペンション 前:ダブルウィッシュボーン
後:ダブルウィッシュボーン
全長 4,135mm
全幅 1,750mm
全高 1,285mm
ホイールベース 2,400mm
車両重量 AP1型:1,240-1,260kg
AP2型:1,250-1,270kg
先代 ホンダ・S800
後継 ホンダ・S660
※実質的にはビートの後継車だが、SシリーズとしてはS2000の後継となる。

GRANRODEO(グランロデオ)は、KISHOW(谷山紀章)とe-ZUKA(飯塚昌明)の2人で構成される日本の音楽ユニット。Lantisとハイウェイスターに所属している。略称は「ロデオ」、「グラロデ」、「GR」。ファンクラブ名は「ロデオ組」。男性ファンを「RODEOBOY(RB)」、女性ファンを「RODEOGIRL(RG)」と呼ぶ。

2005年、TVアニメ『君が望む永遠』の主人公・鳴海孝之のキャラクターソングを作成する際、CV担当の声優・谷山紀章(KISHOW)が作詞、同アニメ(及びゲーム)の楽曲を多く手掛けていたギタリスト・飯塚昌明(e-ZUKA)が作編曲を担当したことが結成のきっかけ。アージュの斉藤Kとランティスの伊藤善之、そして谷山と3人でカラオケに行った際、熱唱する谷山を見て「歌ってもらおう」と決めたという。
ほぼ全ての作詞をKISHOWが、全ての作編曲をe-ZUKAが手掛ける。2人が好むハードロック、ヘヴィメタル調を主軸としつつ、ポップス、オルタナ、ミクスチャー、メロコア、パンク、ブラスロック、AOR、ファンク、フォークなど、枠にこだわらない様々なタイプの楽曲を発表している。
メンバーはe-ZUKAとKISHOWのみ。ライブはドラムス・長井"VAL"一郎とベース・瀧田イサムをサポートに加えた4ピース体制で行われているが、ドラムスの長井"VAL"一郎に関しては2017年2月19日をもって専属のライブサポートから離れることになった。その理由は明らかにされていない。その後のドラムスサポートはSHiNに変更された。

 

木曽福島駅(JR東海)中央本線

$
0
0

木曽福島駅(きそふくしまえき)は、長野県木曽郡木曽町福島にある、東海旅客鉄道(JR東海)中央本線の駅である。駅番号はCF30。

日本四大関所の一つ、福島関所が置かれ、中山道木曽十一宿最大の宿場町、木曽地方では最大の市街地を持つ木曽町における代表駅であり、木曽地域としての観光等の拠点にもなっている。


特急「(ワイドビュー)しなの」をはじめすべての旅客列車が停車する。

駅構造
島式ホーム1面2線を有する2階建ての地上駅。

駅舎とホームは地下通路で連絡している。

留置線を持つので、当駅始発・終着の列車が深夜早朝帯に数本運転されている。

駅長・駅員配置駅(直営駅)である。管理駅として、大桑駅 - 洗馬駅間の各駅を管理している。JR全線きっぷうりば、自動券売機が設置されている。

みどりの窓口はオープンカウンター式です。

改札口にラッチの残っている。頭上にはLED式の発車案内が設置されています。

待合室が設置あり、キヨスク(株式会社たちばな(長野市)運営)も営業、飲み物やお土産・新聞・雑誌を販売している。

構内に、D51 775号機が静態保存されている。国鉄時代には木曽福島機関区が存在していた。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 CF 中央本線 下り 塩尻・長野方面


2 上り 中津川・名古屋方面


駅周辺
町役場などがあり、木曽町の中心的役割を担っている。

木曽町役場
長野県木曽青峰高等学校
長野家庭裁判所 木曽福島出張所
木曽福島郵便局
木曽町役場 木曽福島支所(旧・木曽福島町役場)
イオン木曽福島店 (旧サティ)
八十二銀行福島支店
松本信用金庫木曽福島支店
長野銀行木曽支店
国道19号
国道361号


バス路線
おんたけ交通 - チャオ御岳スノーリゾート、濁河温泉方面
木曽町生活交通システム - 木曽町内各地
王滝村営バス - 御岳田の原方面
上松町コミュニティバス - 倉本方面
バスのりば
バス発車時にはバス出札所(駅向かい側・観光案内所併設)からの案内放送がなされる。

 


1910年(明治43年)11月25日 - 国有鉄道中央西線が上松駅から延伸した際の終着駅として開業。旅客及び貨物の取扱を開始。
1911年(明治44年)5月1日 - 当駅から中央東線(当時)宮ノ越駅まで路線延伸し途中駅となる。同時に中央東線・中央西線が統合され中央本線に改称され、当駅も中央本線所属となる。


1980年(昭和55年)1月31日 - 貨物の取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる。
1992年(平成4年) - 駅弁販売が廃止される。

木曽福島駅
きそふくしま
Kiso-fukushima
◄原野 (5.5km)(7.3km) 上松 CF29►
所在地 長野県木曽郡木曽町福島
駅番号 CF 30
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 CF 中央本線
キロ程 263.8km(東京起点)
133.1km(名古屋起点)
電報略号 ソマ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 771人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1910年(明治43年)10月5日
備考 駅長配置駅(管理駅)
JR全線きっぷうりば 有
キヨスク有
標高:775.3m


JR九州キハ140形・キハ147形(国鉄キハ40系気動車)

$
0
0

 

国鉄キハ40系気動車(2代目)(こくてつキハ40けいきどうしゃ)は、1977年から1982年にかけて日本国有鉄道(国鉄)が製造した気動車(ディーゼル動車)である。
これは国鉄の車両称号規程に則った制式の系列呼称ではないが、同一の設計思想により製造された気動車の形式を便宜的に総称したものである。具体的には、キハ40形(2代)、キハ47形、キハ48形の3形式およびこれらの改造により発生した派生形式を指す。

1977年から1982年にかけて計888両が製造され、日本全国の非電化路線に投入された。電車に近い車体構造の気動車で、当時の在来気動車に比し、客室設備の改善や走行機器の刷新などが図られている。一方、在来の気動車よりエンジン出力は若干増加したものの重量も増加しており、動力性能はあまり向上していない。
本系列は客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別され、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いと便所の有無によって番台区分される。国鉄分割民営化後は、JR各社が使用線区の事情に応じた改造を実施し、区分番台が多くなっている。2017年時点でもJR東海を除く旅客鉄道各社が保有し、主に普通列車用として用いているが、近年では事故や災害、地方路線の運用見直しや、新型気動車への置き換えにより、廃車や保留車が発生している。

開発の経緯
1950年代中期に量産された国鉄初期の液体式気動車であるキハ10系は、そのエンジンの非力さを軽量化で補う方針であったが、当時の技術との兼ね合いもあり、同時期の客車や電車よりも車体断面が小さく、接客設備や台車も簡素なものとなった。そのため、1970年代に入ると早くも陳腐化が顕著となりはじめ、特に座席と台車設計の不備による乗り心地の悪さは問題となっていた。キハ10系は台車の心皿荷重上限が小さく、重量増となる座席の交換や、ロングシート化(定員増 = 荷重増)が困難で、交換用台車の新製などの改造予算確保より新車製造予算の確保が優先され、1970年代後半まで抜本的な対策が講じられなかった。
一方で1970年代の国鉄は労使紛争が激しく、組合側は労働環境の改善を強く要求していた。その一環として、国鉄車両にも安全対策や整備性の改善が求められ、国鉄ではこの時期に1950年代から1960年代にかけて設計された量産形式を基本に随所を改良したマイナーチェンジ車を製造し続けていた。本系列もその方針の下にキハ10系のほか、1950年代後半に製造されたキハ55系とキハ20系の老朽化も視野に入れ、それらの代替用として開発された。
本系列は、1974年に開発されたキハ66系をベースにしており、車体や制御回路、変速機、ブレーキ方式などの基本構造は同系を踏襲しているが、搭載機関は同系搭載の12気筒から、基本設計を共通化しつつ6気筒として出力を半分に落とし、当時の国鉄の技術力・予算に見合った設計としている。また、国鉄時代には全国で大規模な車両の配置転換を行っていたことから、暖房やラジエーターなど酷寒地向けを基本として設計された箇所が多く、温暖地で寒地向け車両が使用される場合は過剰装備となる。
なお本系列ではそれまでの気動車のように北海道向け車両を別形式とせず、同一形式内での番台区分としたのも特徴である。


全長21.3 m(車体長20.8 m)、幅2.9 mで既存の急行形気動車同等の大型車体である。酷寒地や海岸沿いでの使用を考慮して[要出典]外板、屋根板、床板には当時の鋼製車両標準の車両用耐候性高張力鋼板 (SPA) を用いて耐久性を向上させている。板厚は例えば同じSPAを使用した201系電車と比較すると、外板厚が2.3 mmに対して国鉄気動車標準の1.6mm、屋根板厚は1.6 mmに対して1.2 mmと薄く、台枠に設けた軽量孔とともに軽量化に配慮している。製造当初の車体塗装は朱色5号(明るい朱色)一色である。
前頭部形状はキハ66系を踏襲し、踏切事故対策として高運転台化、運転室長さの350 mm拡大、前面の外板の4.5 mm厚への強化、床下前面へのスカートの装着をしている。運転台窓は運転席からの視認性に配慮して側面部に回り込んだパノラミックウィンドウとし、前照灯は前面窓上にRBS-24V形150/50 Wシールドビームが2灯、尾灯は在来形気動車よりも高い位置に40 Wのものが2灯、それぞれ左右に振り分けて設置され、貫通路直上には列車種別表示器が設けられている。この構成は設計年次が近いキユニ28形なども同様で、当時の標準設計であった。側窓は寒地形、暖地形は外はめ式のアルミ合金製2段ユニット窓として工数を削減している。一方、酷寒地形は小型の1段上昇窓で、FRP製窓枠による内窓を組み合わせた二重窓構造とし、冬季の車内保温を図っている。
キハ40形、キハ48形は車体両端2か所に1 m幅の片開き扉、キハ47形はやや車中央寄り2か所に1.3 m幅の両開き扉を設けており、いずれもステップ付の半自動扉である。ドアエンジンは両開き式はキハ45形と同じTK106形、片開き式はキハ46形と同じTK105形で、在来車のような半自動式用ではなく自動式用ドアエンジンの指令回路を変更して半自動動作としており、人力での開閉はやや重い。キハ40形、キハ48形の寒地・酷寒地形は客室と出入り台の間に仕切り扉を設けたデッキ付きとし、寒冷時の保温を図った。
運転台は機器配置・座席形状とも人間工学に配慮した構造である。また、投入線区の運用実態に即し、側面にタブレットキャッチャーとその防護板を設け、タブレット閉塞式での通過運転に対応した。客室内壁の化粧板は、在来形気動車に比してやや明るい色調であり、初期の車両は、キハ40形・キハ48形は薄茶色、キハ47形は淡緑色であるが、中期以降の車両は、北海道・本州以南用ともクリーム色となっている。座席はボックスシートを基本としてドア付近にのみロングシートを配したセミクロスシートとした。ボックスシートはシートピッチをキハ58系までの急行形車両と同等の1,470 mmとし、一般形気動車として初めて人間工学を採り入れた新形状のものとした。
便所はFRPユニット組み立て式[注釈 4] で、キハ40形は出入り台側から内開き扉、キハ47形・キハ48形は側面の客室側引き戸から出入りする方式とし、水タンクは屋根上搭載の重力給水式として、ポンプや空気配管を不要としている。汚物処理装置は搭載を考慮して機器搭載スペースを確保する準備工事が実施されたが、当初は地方路線の汚物処理施設整備が進んでおらず、便所搭載車は全車が従来通りの垂れ流し式であった。

従来のDMH17系機関に代えてDMF15HSA形(連続定格出力220 PS/1,600 rpm、連続定格出力時燃料消費率185 g/PS/h、最大出力250 PS/2000 rpm)を搭載する。この機関は水平シリンダー形の予燃焼室式直列6気筒機関であり、TB11B形排気タービン過給器を装備、補機類はCW750D空気圧縮機、DM99AもしくはDM99B形4kVA交流発電機などで、いずれも歯車駆動としてVベルトを廃している。
この機関は、1963年に開発されたDMF15HS形の派生形であり、排気タービン過給器あり、中間冷却器なしの構成としたものである。
液体変速機・減速機
変速・直結各1段のDW10形を装備する。これはキハ65形・キハ66系に搭載されたDW9形をベースにとしたもので、液体変速機の構成は在来標準形のDF115・TC-2形(3段6要素)に対して、DW4形・DW9形やDE10形用のDW6形などと同じ中高速での引張力を確保するとともに、エネルギー損失を抑制した1段3要素となり、クラッチはいずれも湿式多板式で、変速、直結が各3枚、逆転機が8枚の構成となっている。なお、変速と直結の切替は変速機の入力軸と出力軸の回転差を検出して機関の吹き上げ、アイドル指令を出し、最適な回転数で切り替える半自動式とすることでショックのない変速としたほか、変速機の特性の異なる手動変速の在来形気動車との併結に対応している。 変速機油冷却は従来の空冷式から油冷却器による水冷式に変更となっているほか、変速機油は、従来のDF115・TC-2形では軽油を用いていたが、本形式ではエンジンオイルを共用してシール機構の簡略化を図った。また、逆転機を台車に装架するのが困難な2軸駆動車用のDW9の構造を踏襲して逆転機を変速機内に内蔵し、台車側には推進軸の方向転換と最終減速段を受け持つ減速機を装架している。なお減速比は2.995と従来の一般形気動車よりもわずかに大きくされている。
液体変速機の構成の違いにより、起動時の動輪周引張力はキハ20系(定格出力180 PSのDMH17C形機関搭載車。変速機としてDF115A形ないしはTC2A形を搭載)の2,500 kg弱に対して2,400 kg弱と低く、車両重量の増大と相まって「キハ40系=低出力」のイメージを強める一因となっている。一方で、例えば10 km/hではキハ20系の約1,800kgに対し約2,100kg、50km/hでは約600kgに対し約800kgと逆転しており]、当初特急・急行形用として開発された変速機の中高速域を重視した特性が表れている。駆動方式は1軸駆動で車両内側よりの第2軸を駆動しており、台車にキハ65形・キハ66系の第2減速機と共通 のGB122形減速機が装架されている。
台車
酷寒地形・寒地形は本形式用に新開発のDT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形空気ばね台車を採用した。一方、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルばね式のDT22D形・TR51C形を採用しているが、台車に逆転器を搭載しなくなった分、側梁を軽量化している。DT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形は枕ばねを空気ばねとしたが、これは寒冷地域でコイルばねの間に雪が詰まって固着してばねが効かなくなる問題があったこと、北海道には地盤の悪い低規格路線が多いこと、軽量化、構造の簡略化、省力化などを考慮したもので、軸ばねはコイルばねをゴムで被覆したいわゆる「エリゴばね」として、雪咬みを防止している。初期に製造された車両は軸箱支持方式がペデスタル式で、荷重を軸箱直上の軸バネで伝えるDT44形(動力台車)・TR227形(付随台車)であったが、以降は制輪子交換を容易にするため、軸箱支持方式を乾式円筒案内式としたDT44A形・TR227A形に変更された。枕ばねは保守面での制約などから、空気ばねを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなく、ボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気ばねを挿入するインダイレクト方式(国鉄では165系電車などに広く採用されたDT32・TR69系台車で採用された支持方式)として基本構造をDT32系と共通化しており、空気ばね・ボルスタアンカ・LV4-1形空気ばね自動高さ調整装置などは同系列と同一もしくは一部変更品を使用している。枕ばねを横剛性の高いダイアフラム型空気ばねとして揺れ枕吊りを廃止したことや、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、DT22・TR51系コイルばね台車を装着する一般的な急行形気動車を超える乗り心地となった。また、各形式とも制輪子自動スキマ調整器によりブレーキシリンダストローク調整作業を省力化している。
ブレーキ
キハ66系と同じく、12系以降の新型客車で実績のあったCL空気ブレーキに電磁弁を加えた「CLE空気ブレーキ装置」(C: 3圧式制御弁付、L: 応荷重装置付、E: 電磁弁付をそれぞれ示す)とした。これは従来型気動車の標準ブレーキ装置であったDA1系自動空気ブレーキのA動作弁に代えて三圧式制御弁 (KU-1B) を使用し、ブレーキ弁によるブレーキ管 (BP) の減圧と並行して各車のC13-4AまたはA14-4電磁弁を制御する、電磁自動空気ブレーキである。このCLEブレーキはDA1系と比較してKU1B制御弁により空気圧指令時のブレーキ応答性が向上し、BPの最大減圧量が1.4kg/cm2から1.8kg/cm2となってブレーキ制御範囲が拡大されたほか、U5A応荷重弁により荷重に応じブレーキシリンダ圧力が自動的に増減される。また、電磁弁の付加により空走・込め時間の短縮による列車衝動の緩和や保ち作用が可能となる、あるいは非常ブレーキ動作時の伝達促進が得られるなど、作動性や操作性、整備性、それに保安性が改善された。床下の制御弁関係はC26Aブレーキ制御装置として1つの機器箱内にユニット化し、電熱ヒーターを装備して凍結防止を図り、加えて直通予備ブレーキ装置と耐雪ブレーキ装置を装備している。なお、DA1系自動空気ブレーキやDAE1系電磁自動空気ブレーキを搭載する在来気動車とも相互に併結可能であるが、DA1系自動空気ブレーキ搭載車との混用の場合、電磁弁が使用不能となるため最大連結両数に制約が生じ、ブレーキの応答性能も低下する。

JR九州
JR九州には、キハ40形36両(すべて2000番台)とキハ47形106両(0番台61両・500番台2両・1000番台41両・1500番台2両)の計142両が承継された。2012年にJR四国で廃車されたキハ47形2両(0番台1両・1500番台1両)を譲り受けている。廃車は、1993年の日豊本線竜ヶ水駅の土石流災害で被災したキハ40形2両のみである。2016年時点で142両を所有し、九州島内各地(長崎地区を除く)で運用している。
本系列に対して初めて冷房改造が行われたのが九州であり、民営化後も1987年から1989年にかけて全車に対して冷房改造が実施された。国鉄時代はバス用の装置を転用したサブエンジン式のAU34、民営化後はAU34を改良したAU600Kを搭載した。また、近年[いつ?]は全車の屋根上の通風器が撤去されている。ワンマン改造は、大多数に対し施行済みであるが、線区の事情に応じて数種の方式がある。また機関出力向上は1990年から数種の方法で行われており、それぞれ新形式または新番台区分となった。

キハ140形・キハ147形
篠栗線などのスピードアップ用に機関を換装して出力増強を図ったものである。1990年から1993年にかけてキハ40形2000番台9両とキハ47形30両(0番台17両・1000番台13両)が改造され、それぞれ形式をキハ140形とキハ147形に改めたが、番号は原番のままである。1990年に改造したキハ47形7両には新潟鐵工所製のDMF13HZA、4両には神鋼造機製のDMF14HZを試用したが、キハ140形と1991年以降のキハ147形にはコマツ製のSA6D125-HD1(いずれも360 PS/2,000 rpm)を搭載した。また、変速機は新潟・コマツ製機関搭載車には新潟コンバータ製DW14系が、神鋼製機関搭載車には同社製のSCR1.0-4を搭載した(いずれも変速1段・直結2段)が、台車は従来通り1軸駆動のままであり、空転を起こしやすい傾向がある。 なお、神鋼造機製の機関を搭載した車両は、後にコマツ製機関および新潟製変速機に再換装された。
キハ40 2039 - 2041・2061・2062・2067・2125・2127 → キハ140(同番)
キハ47 49・50・53・54・58・59・61・90・91・104 - 107・182 - 185・1030・1032・1033・1043 - 1045・1055・1057・1058・1068・1069・1081・1125 → キハ147(同番)
2004年には、特急「はやとの風」および観光列車「いさぶろう」・「しんぺい」に使用するための車両が本形式から改造されている。

国鉄キハ40系気動車(2代目)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
北海道旅客鉄道
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道
四国旅客鉄道
九州旅客鉄道
製造所 新潟鐵工所、富士重工業
製造年 1977年 - 1982年
製造数 888両
主要諸元
軌間 1,067 mm
最高速度 95 km/h
全長 21,300 mm
全幅 2,900 mm
車体 普通鋼
動力伝達方式 液体式
機関 DMF15HSA
機関出力 220 PS
変速機 DW10
制動装置 CLE自動空気ブレーキ
備考 原型車のデータ

山岡駅(明知鉄道明知線)

$
0
0

山岡駅(やまおかえき)は、岐阜県恵那市山岡町上手向にある明知鉄道明知線の駅である。駅番号は3。旧山岡町の代表駅です。駅は中心市街地からは大きく東に外れた立地です。

駅構造
1面1線の単式ホームを持つ地上駅。ホームにはカーポート風の上屋が設置されています。無人駅。

寒天資料館、レストランを併設した寒天加工所「かんてんかん」との合築駅舎です。

かつては、1面2線の島式ホームであったが、片方の線路は北側に一部だけ残され、そこに留置されたアケチ1形が倉庫として使用されている。それ以外は撤去され整備されている。1988年から一時期駅舎が学習塾として使用されていた。待合室には木製の長椅子が設置されています。


駅周辺
駅前に駐輪場。
寒天村パーク
国道363号
バス
恵那市自主運行バス

1934年(昭和9年)6月24日 - 国鉄明知線 岩村~明知間開通時に、遠山駅(とおやまえき)として開業。一般駅。
1956年(昭和31年)12月20日 - 山岡駅に改称。
1974年(昭和49年)12月1日 - 車扱貨物・荷物の取扱を廃止(旅客駅となる)。同時に無人駅化。


1985年(昭和60年)11月16日 - 明知鉄道に転換。
2014年(平成26年)3月15日 - ダイヤ改正により急行大正ロマン号の停車駅となる。


2014年(平成26年)7月26日 - 駅前のヘルシーハウス山岡が山岡駅かんてんかんとしてリニュアルオープン。同時に倉庫として使用されているアケチ1を再塗装。
2016年(平成28年)7月15日 - 山岡駅かんてんかん隣の倉庫として使われていたアケチ1形(アケチ1号)が改装され、山岡駅かんてんかん 森の列車カフェとしてオープン。


山岡駅
やまおか
Yamaoka
◄4 花白温泉 (1.4km)(3.4km) 野志 2►
所在地 岐阜県恵那市山岡町馬場山田
北緯35度21分0.48秒
東経137度23分44.4秒座標: 北緯35度21分0.48秒 東経137度23分44.4秒


駅番号 3
所属事業者 明知鉄道
所属路線 明知線
キロ程 19.7km(恵那起点)
電報略号 ヤマ
トホ(改称前)


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 55人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1934年(昭和9年)6月24日

 

丸山漆器店大谷石蔵 (国登録有形文化財)

$
0
0

 

長野県塩尻市奈良井
昭和中/1961
石造3階建、瓦葺、建築面積33㎡
1棟
長野県塩尻市大字奈良井字城1096-1他
登録年月日:20131224
登録有形文化財(建造物)
奈良井駅北側に建ち、石造三階建、切妻造、妻入、桟瓦葺である。大谷石積で、階境に水切を廻らし、妻にペディメントを表す。二階と三階の妻面に石庇付の窓を設ける。特徴的な外観をもち、丁寧に施工された石蔵で、伝統産業である漆器生産の様相を伝える。栃木県宇都宮大谷から運び、石工を招いて建築された。


URL http://www.city.shiojiri.lg.jp/tanoshimu/bunkazai/kunibunkazai.html
アクセス JR奈良井駅から徒歩3分
登録年:平成25年
員数:1棟
所有者:丸山氏
備考:
石造三階建、切妻妻入、桟瓦葺、昭和36年(1961)築、産業3次

大谷石(おおやいし)は軽石凝灰岩で、栃木県宇都宮市北西部の大谷町付近一帯で採掘される石材である。柔らかく加工がしやすいことから、古くから外壁や土蔵などの建材として使用されてきた。軽くて軟らかいため加工しやすく、さらに 耐火性に優れている。このため住宅(かまど、石塀・防火壁、門柱、敷石・貼石など)、蔵や倉庫、大きな建築物の石垣、斜面の土止め石(擁壁)といった幅広い用途を持つ。耐火性・蓄熱性の高さからパンやピザを焼く窯や石釜の構造材としても用いられる。


産地に近い宇都宮周辺では古くから、石蔵をはじめとした建築物の外壁、プラットホーム、石垣や階段、門柱に大谷石が盛んに利用されている。テレビ番組とのタイアップにより当初は宇都宮駅東口に設置された餃子像や、1932年に建設された宇都宮カトリック教会(通称:松が峰教会)も大谷石造である。
同じく地元にある下野国分寺や宇都宮城などの築造にも古くから使われた。多孔質の独特な風合いが広く知られるようになったのは、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが、帝国ホテル旧本館(東京)に用いてからである。


地下から切り出した直後は水分が多いため青みがかっており、乾燥するにつれ茶色っぽい白色に落ち着く。表面に点在する茶色の斑点は「ミソ」と呼ばれる。「ミソ」が大きい荒目より、小さい細目(さいめ)が高級品とされる。
多孔質故に風雨に晒される野外では劣化が早く、第二次世界大戦後はコンクリートに押された。近年は厚さ2cm程度に薄くスライスする技術が開発されたほか、見た目の美しさが再評価されている。さらに吸湿や消臭、音響効果があることも分かり、住宅や店舗の内装、音楽ホールへの利用が広がっている。

 

祇園駅 福岡市地下鉄空港線

$
0
0

祇園駅(ぎおんえき)は福岡県福岡市博多区祇園町に所在する福岡市地下鉄空港線の駅である。博多駅からわずか700mの距離。駅周囲はオフィスビルが密集するビジネス街です。駅番号はK10。

駅のシンボルマークは福岡市出身のグラフィックデザイナー、西島伊三雄がデザインしたもので駅近くの櫛田神社に奉納される博多祇園山笠で走る法被姿の若者をアレンジしたものである。


駅構造
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。切符売場の券売機は4台。改札口の出場専用の改札機が4台設置されています。


大博通り直下に位置し、コンコース階に博多駅との地下連絡通路がある。
地下連絡通路内に有料駐輪場が設置されている。


地上のエレベーター昇降口は博多祇園山笠の舁山を模している。


のりば
1 空港線 博多・福岡空港方面


ホーム中央には冷房待合室があります。


2 天神・姪浜・筑前前原方面


利用状況
2016年(平成28年)度の1日平均乗車人員は6,898人である。空港線の駅では最も少ない。

駅周辺
駅周辺はオフィスビルが密集するビジネス街となっている。なお、櫛田神社が近いため、毎年夏の博多祇園山笠の時期には周辺が大変混雑し、交通規制もしかれる。

キャナルシティ博多
福岡県赤十字血液センター(献血ルーム・キャナルシティ)
マックスバリュ博多祇園店(旧:ダイエーグルメシティ博多祇園店)
旧ユニード本店の所在地でもある。
福岡ファッションビル
TVQ九州放送本社
福岡商工会議所
博多区役所
博多警察署
櫛田神社
承天寺
東長寺
「博多町家」ふるさと館
聖福寺
福岡市立特別支援学校博多高等学園
出来町公園(初代博多駅跡地の一部)
JR九州バス「祇園町」停留所

祇園駅
ぎおん
Gion
◄K09 中洲川端 (1.0km)(0.7km) 博多 K11►
所在地 福岡市博多区祇園町
北緯33度35分38.56秒
東経130度24分52.84秒
駅番号 ○K10
所属事業者 福岡市交通局
所属路線 空港線
キロ程 9.1km(姪浜起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 6,898人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1983年(昭和58年)3月22日


歴史
1983年(昭和58年)3月22日 - 開業

祇園駅
ぎおん
Gion
◄K09 中洲川端 (1.0km)(0.7km) 博多 K11►
所在地 福岡市博多区祇園町
北緯33度35分38.56秒
東経130度24分52.84秒
駅番号 ○K10
所属事業者 福岡市交通局
所属路線 空港線
キロ程 9.1km(姪浜起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 6,898人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1983年(昭和58年)3月22日

 

伊豆箱根鉄道1300系電車(伊豆箱根鉄道駿豆線用:通勤形電車)

$
0
0


伊豆箱根鉄道1300系電車(いずはこねてつどう1300けいでんしゃ)は、伊豆箱根鉄道駿豆線用の通勤形電車である。


概要
老朽化が進行した1100系(元西武701系)の代替目的で、西武鉄道より新101系を譲り受けたものである。譲渡に際しては西武車両において各種改造を施工した上で入線し、2008年(平成20年)12月14日より営業運転を開始した。2010年(平成22年)2月現在、3両編成2本が在籍する。

外観
譲渡に際しては、4両編成と2両編成を組み合わせて、クモハ1300形 - モハ1400形 - クハ2200形から構成される3両編成を組成した。先頭車前面には排障器(スカート)が設置された。一方、転落防止幌は撤去され、台座のみが残存している。その他車体周りには目立った改造は施工されていないため、塗装を除く外観については比較的原形を保っている。

車体塗装は従来車と同様、白地に「ライオンズブルー」と呼ばれる青帯を巻いたものであるが、側面青帯部分については従来車が太帯と細帯を組み合わせた2本帯であったのに対し、本系列では太帯1本のみと若干簡略化されたものとなった。また、客用扉は西武在籍当時と同様にステンレス無塗装とされている。前面は新101系の特徴である運転席周りのブラックフェイスを踏襲し、左右窓上には種別表示器および行先表示器がそれぞれ設置されている。

なお、行先表示器には駿豆線初となる英字表記が追加された。また、3000系第6編成(最終編成)に設置されている側面行先表示器は西武在籍当時と同様に設置されていない。運用開始当初、種別表示器は7000系とは異なり種別を表示せず白地無表示とされていたが、2010年4月1日にワンマン運転が開始されて以降、種別表示器に「ワンマン」表示を掲出するよう変更された。

2016年12月10日から、1301編成は、新101系の落成当初の塗装を再現した「イエローパラダイストレイン」として運転されている。2017年からは、「反射炉ビヤガー電車」「ハロウィン電車」などのイベント列車には本編成を優先的に充当している。

主要機器
基本的に西武在籍当時から変化はなく、主電動機はHS-22436-03RB、主制御器は電動カム軸式MMC-HTB-20Eと、いずれも日立製作所製のものを搭載する。台車は電動車が住友金属工業製ペデスタル式空気バネ台車FS372、制御車が同FS072である。なお、電動空気圧縮機 (CP) 等の補機については種車が2両編成の制御電動車であったことから、入線に際して換装による出力増強が行われた。[注釈 4]パンタグラフは東洋電機製造製PT-4320Sを中間電動車に2基搭載している。制動装置は発電制動併用電磁直通空気制動 (HSC-D) である。

その他、譲渡に際してワンマン運転関連の機器が追加され、運転台にワンマン・ツーマン切替スイッチ、戸閉め放送スイッチが新設されている。また同時に各車両の各客用ドアには車両・ドア位置案内プレートが、各車両の車端部(外側も含む)には号車番号表記が貼付けられた。号車表記は修善寺側から1号車・2号車・3号車となっている。

内装
座席配置は西武在籍当時同様オールロングシートである。譲渡に際しては化粧板張替え等改修が施工され、カラースキームが西武2000系更新車と同様とされたほか、座席間にスタンションポールが新設された。客用扉上部鴨居部分には発光ダイオード (LED) 式車内案内表示器が千鳥式に設置されている。また、駿豆線車両では初採用となる客用扉開閉時に鳴動するチャイムが設置され、ドアチャイム動作前後には扉開閉アナウンスが流れる仕様となっている。


伊豆箱根鉄道1300系電車
1300系 (三島駅 2010年8月)
1300系
(三島駅 2010年8月)
基本情報
製造所 東急車輛製造
主要諸元
編成 3両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
(架空電車線方式)
設計最高速度 120 km/h
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
全長 20,000 mm
全幅 2,850 mm
全高 4,246 mm
台車 FS372・FS072
主電動機 直流直巻電動機 HS-22436-03RB
主電動機出力 150 kW / 個
駆動方式 中空軸平行カルダン
歯車比 15:86=1:5.73
編成出力 1200kW
制御装置 抵抗制御 MMC-HTB-20E
制動装置 発電制動併用電磁直通空気制動
(HSC-D)

Viewing all 3265 articles
Browse latest View live