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修学院駅 叡山電鉄叡山本線

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修学院駅(しゅうがくいんえき)は、京都府京都市左京区山端壱町田町にある叡山電鉄叡山本線の駅。駅ナンバリングはE05。


駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。両ホームはほぼ全体が上屋に覆われている。無人駅であるが、出町柳方面ホームには自動券売機が設置されている。かつては上下ホーム入り口にスルッとKANSAI共通カード対応自動改札機(ゲートのないタイプ)が設置されていたが、2016年1月31日をもってスルッとKANSAI共通カードへの対応を取り止めた際に運用を停止した直後に撤去されている。出入口は北の北山通側(宝ヶ池駅側)にある。八瀬比叡山口駅・鞍馬駅方面行きホームの南側には男女共用のトイレがある。

下りホームには改札横のスロープ通路から、上りホームにはホーム裏から下記運輸課への入口を介して車椅子等での移動が可能なバリアフリールートが確保されているが、運輸課の定期券販売所やトイレへのバリアフリールートは確保されていない。

ホーム有効長は上下線ともにぎりぎり3両分の長さがあり、1990年代までは単行と2両編成の電車の車両交換が行われていた。長く駅員の手旗合図によってきたが、末期には代用の色灯信号も設置されていた。現行ダイヤでは当駅での車両交換は実施されていない。必要な場合は出町柳まで回送して交換している。

出町柳行きホーム隣のローズマンション2階には叡山電鉄の運輸課があり、定期券販売所では定期券のほか各種乗車券を発売している。大人用回数券については駅前のセブンイレブン京都修学院駅前店でも発売。

当駅で乗務員の交代が行われる列車がある。また、叡山電鉄唯一の夜間滞泊設定駅である。

駅東側の地名「修学院」は現在では「しゅうがくいん」と読むが、駅開設当時は「しゅがくいん」と読んでいた。変遷の経緯や時期には諸説あるが、現在でも修学院離宮をはじめ「しゅがくいん」と発音するものもある。

のりば
■叡山本線(上り) 一乗寺・出町柳方面
京阪線(三条・枚方・大阪方面;出町柳乗り換え)
■叡山本線(下り) 八瀬比叡山口・鞍馬方面


駅周辺

北山通に面し、東大路通の北端部にある。南東側のローズマンション裏には修学院車庫が隣接している。また、駅のすぐ東側に白川通が、西側に川端通がある。京都盆地の北東角にあたり、西側の東大路通と川端通の間にある旧大原街道は古くからの商店街である。当駅のごく周辺は、駅東側のプラザ修学院、駅西側に隣接(ホーム側にも入口あり)したフレスコ修学院店の他、数件のスーパーマーケットも立地する商業地域であるが、駅から少し離れると北山通、白川通沿い以外は住宅地となっている。

東側に広がる住宅地は徒歩圏内としては叡山電鉄沿線で一番大きく、付近には観光名所も多い。このため輸送人員は当駅で半減する。京都市営地下鉄烏丸線の松ヶ崎駅は西へ800メートルほど離れたところにある。

修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)(案内放送あり)
赤山禅院(せきざんぜんいん)(案内放送あり)
曼殊院(案内放送あり)
鷺森神社
松ヶ崎大黒天 - 松ヶ崎駅の方が近い。(案内放送あり)
プラザ修学院
雲母坂 - 900系「きらら」の愛称の由来となった比叡山への登山道。
京都山端郵便局
京都工芸繊維大学 - 松ヶ崎駅の方が近い。
京都大学国際交流会館
京都市立修学院小学校
京都銀行修学院支店
京都信用金庫修学院支店
京都中央信用金庫修学院支店
下鴨警察署修学院交番
五山送り火「妙・法」(左京区松ヶ崎・西山および東山) - 松ヶ崎駅の方が近い。
高野川松ヶ崎橋(北山通)

バスのりば
最寄りバス停は、修学院道あるいは修学院駅前である。
修学院道バス停
白川通(北行)
京都市営バス
5・31号系統:岩倉操車場行
北8号系統:松ヶ崎海尻町(松ヶ崎駅) 北大路バスターミナル行
京都バス
18号系統(土・休日のみ1本の運行):大原行

白川通(南行)
京都市営バス
5号系統:四条河原町 京都駅行
31号系統:祇園 四条烏丸行
北8号系統:高野 北大路バスターミナル行
京都バス
18号系統(土・休日のみ1本の運行):白川通り・銀閣寺道・百万遍・東山通・東山五条(清水寺) 経由 京都駅行

修学院駅前バス停
川端通(北行)
京都バス
10号系統:八瀬バイパス・大原 経由 朽木行
16・17号系統:八瀬駅前 経由 大原行(土・休日1便のみ修学院離宮道経由)
21・23号系統:八幡前・長谷別れ 経由 岩倉実相院行
41・43号系統:八幡前・長谷別れ 経由 岩倉村松行
松ヶ崎駅・前萩町(北山駅) 経由 岩倉村松行

大原・小出石行
川端通(南行)
京都バス
16号系統:川端通・四条河原町 経由 三条京阪行
17号系統:川端通・四条河原町 経由 京都駅行
21・41号系統:高野橋東詰・京阪出町柳駅・河原町通 経由 四条河原町・三条京阪行
京阪出町柳駅行
川端通り 経由 高野車庫行

北山通(西行)
京都市営バス
65号系統 :松ヶ崎海尻町・高木町・高野・烏丸丸太町 四条烏丸行
北8号系統:松ヶ崎海尻町(松ヶ崎駅) 北大路バスターミナル行
京都バス
松ヶ崎駅・前萩町・深泥池・円通寺道・国際会館駅 経由 岩倉村松行(1日1便)
※京都バスの停留所は、市バス松ヶ崎橋停留所の場所に設置されている。

北山通(東行)
京都市営バス
65号系統 :岩倉操車場前行き
北8号系統:高野 北大路バスターミナル行
1997年(地下鉄烏丸線が国際会館駅までの開通時)までは京都市バス(北6号系統;北大路BT(一時期は四条烏丸まで運行していた時期あり) - 大原)もこちらで乗降扱いを行っていた。(停留所名;山端)

その他
京阪電気鉄道との初乗り相互区間同士の乗継割引適用は当駅までとなる[3]。
駅名の「修学院」は駅付近の地域名(旧愛宕郡修学院村)に由来する。修学院離宮が有名なため離宮の名前を採って地名としたと思われがちだが、離宮のほうが地名を採って修学院と称したものであり、地名はかつて当地に存在した比叡山下の寺院である修学院に由来する[4]。

 

開業当時は現在より約100メートル北側にあり、駅出口は現在駅前にあるプラザ修学院の裏の道に面していて、ここが駅前通りとなっていた。駅構造、配線等は現在とほぼ同じであった。駅業務ならびに運輸関係の事務所は駅西側、現在の北山通あたりにあり、駅前通を挟んで離宮道との間(現在の京福マンションの位置)にも事務所や倉庫があった。東側のホーム裏(現在の北山通の位置)は車庫裏というべき場所で、草むした線路の上に廃台車や部品が放置されていた。

1960年代までは出町柳方面行きホームの入口脇に売店があり、出札窓口を兼ねていたが、通常時は上下ホームともに集札は乗務員と駅員によって車両ドア付近で行われており駅への出入は自由であった。

1970年に北山通の建設により南へ約100メートルほど移動し、事務所も現在のトイレ横の建物に移動している。なおこの建物は叡山電鉄として独立してから、出町柳駅隣接のビルが完成するまで本社事務所(2012年現在でも登記上の本店所在地)となっていた。駅前通りにあった商店の多くは駅東側のプラザ修学院(半数は店舗付住宅)に移動した。

1980年頃の東側住宅地は学生アパートなどが多く、駅周辺にも牛丼屋・ハンバーガーショップ・中華レストランといったファーストフード店が進出し、ある意味華やかであった時代である。しかしこれらの店舗は当駅の利用客減少や、京都市内の大学の南部移転などで主な客層である学生が減ったため撤退している。

その一方、修学院車庫では北山通の建設で一部建物の移動ならびに配線変更が行われ、入口に近い所の分岐器が叡山電鉄で唯一の複分岐器となり、倉庫兼休憩所として用いられていたデナ1形の廃車体が撤去されている。その後、ローズマンションが建設され、事務所が構内東側に移転するなどしているが配線等はほぼこの時点のままである。

年表
1925年(大正14年)9月27日 - 京都電燈が経営する叡山電鉄平坦線の駅として開業。
1942年(昭和17年)3月2日 - 京都電燈の鉄軌道事業を京福電気鉄道が承継、京福電気鉄道叡山本線の駅となる。
1970年(昭和45年)- 北山通の開通により南に100メートルほど移動。
1986年(昭和61年)4月1日 - 京福電気鉄道が叡山本線を叡山電鉄に譲渡、叡山電鉄叡山本線の駅となる。

修学院駅
左のマンション2階に叡山電鉄運輸課がある
しゅうがくいん
Shūgakuin
◄E04 一乗寺 (0.8km)(0.9km) 宝ケ池 E06►
所在地 京都市左京区山端壱町田町14-1
北緯35度3分0.81秒 東経135度47分25.65秒
駅番号 E05
所属事業者 叡山電鉄
所属路線 ■叡山本線
キロ程 2.9km(出町柳起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,858人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)9月27日


今出川駅 京都市営地下鉄烏丸線

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今出川駅(いまでがわえき)は、京都府京都市上京区にある、京都市営地下鉄烏丸線の駅である。副名称にもある通り、周辺には同志社大学とその関連施設が集中し、学生や教職員の利用が目立っています。駅番号はK06

駅構造
烏丸今出川交差点地下に位置する、島式ホーム1面2線の地下駅である。

改札口は南北1箇所ずつある。南改札側のみ駅員が配備されているほか、エレベーターが設置されている。南改札口の改札機は5台設置。南切符売場に券売機は4台。

出入口の番号は5が欠番となっている。北改札口は同志社大学の新館である良心館の地下と直接行き来ができる通路が新設され、大学内のエレベーターを使用し地下1階でエレベーターを乗り継ぐことにより、地上に出ることも可能になった。北改札口の改札機は3台

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 ■ 烏丸線 下り 京都・竹田・近鉄奈良方面
2 上り 北大路・国際会館方面

駅周辺
当地は平安京遷都時には京外であった。いつから市街地化されたか不明だが、室町時代には当駅の西側一帯に花の御所(すなわち室町幕府)が所在し、周囲は市街地となっていた。安土桃山時代には御土居の内側となり、洛中になった。平安時代には陰陽師安倍晴明の屋敷が近くにあり、屋敷跡の晴明神社も当駅から徒歩12分と近い。

現在、花の御所の跡地には大聖寺や同志社大学室町キャンパス(寒梅館)などがある。また、当駅の東側には同志社大学今出川キャンパスもあるなど周辺には同志社関連の教育施設や研究機関が多く所在し、学生街の面も持ち合わせる。

同志社の校地内には国の重要文化財が多く建ち並ぶほか、周辺には京都御苑や相国寺、晴明神社が所在するなど、観光地の色合いもある。

学校法人同志社
同志社大学
今出川キャンパス(案内放送あり)
室町校地(寒梅館)
新町校地
同志社女子大学今出川キャンパス
同志社女子中学校・高等学校
同志社幼稚園
冷泉家時雨亭文庫
京都市上京区総合庁舎
京都市上京区役所
京都御苑(京都御所)
晴明神社(徒歩10分)
白峯神宮
相国寺
承天閣美術館
大聖寺
三時知恩寺
京都府民ホール・アルティ
金剛能楽堂
西陣織会館
カトリック西陣聖ヨゼフ教会
医療法人西陣健康会堀川病院
大阪国税局上京税務署
京都美山高等学校京都事務所
とらや(製菓業)一条店

烏丸今出川交差点
駅のほぼ直上に烏丸今出川(からすまいまでがわ)交差点が存在する。今出川通(京都府道101号銀閣寺宇多野線)と烏丸通(国道367号)が交わっている。また「烏丸今出川」の名称は、交差点周辺地域を指す名称としても使用される。

利用状況
2016年(平成28年)度の1日平均乗降人員は27,675人である。


1981年(昭和56年)5月19日 - 京都市営地下鉄烏丸線の北大路駅 - 京都駅間の開業時に設置し開業する。
2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。
2010年(平成22年)4月 - 駅名標の下に、近隣施設の名称(同志社前)が広告として付記される。

今出川駅
いまでがわ
Imadegawa
(同志社前)
◄K05 鞍馬口 (0.8km)(1.5km) 丸太町 K07►
所在地 京都市上京区岡松町
北緯35度1分48.6秒
東経135度45分33.79秒
駅番号 ●K06


所属事業者 京都市交通局(京都市営地下鉄)
所属路線 烏丸線
キロ程 5.4km(国際会館起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 27,675人/日
-2016年-
開業年月日 1981年(昭和56年)5月29日
2012年(平成24年)11月9日 - 同志社大学良心館への通路を使用開始 。

 

和田河原駅 伊豆箱根鉄道大雄山線

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和田河原駅(わだがはらえき)は、神奈川県南足柄市和田河原にある伊豆箱根鉄道大雄山線の駅。
「わだがわら」と誤読されることも少なくないが、正しくは「わだがはら」である。利用客は中間駅では最大となる主要駅の一つです。

駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅。南側に駅本屋があり、のりばは本屋側から1番線、2番線となっている。切符売場にはタッチパネル式の券売機が1台。有人窓口も併設されています。ホームの富士フイルム方から階段とスロープが降りており、ここから駅本屋へ構内踏切が伸びている。また、構内駅本屋の塚原方には伊豆箱根鉄道和田河原変電所が設置されている。

ホームは島式1面2線。終日列車交換が行われます。

1992年3月25日に供用を開始した駅本屋は、マンションを併設し、テナントも入居する鉄筋コンクリート造り4階建ての建物で、五百羅漢駅のものによく似たデザインとなっている。この建物の一角に待合所と駅事務室が設けられ、自動券売機と簡易PASMO改札機が設置されているほか、定期券などを販売する窓口も設置されている。オープン構造の待合室でFRP製の椅子が並んでいます。コインロッカーも設置されています。

運行時間帯は終日社員が配置される直営駅である。

のりば
1 ■大雄山線 大雄山方面
2 ■大雄山線 小田原方面

 


1925年(大正14年)10月15日 - 開業。
1992年(平成4年)3月25日 - 改築した新駅舎の供用を開始。

和田河原駅
わだがはら
WADAGAHARA
◄ID09 塚原 (1.9km)(0.9km) 富士フイルム前 ID11►
所在地 神奈川県南足柄市和田河原583
北緯35度18分57.0秒
東経139度7分7.0秒座標: 北緯35度18分57.0秒 東経139度7分7.0秒
駅番号 ID10
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 大雄山線
キロ程 8.2km(小田原起点)


駅構造 地上駅
ホーム 島式 1面2線
乗車人員
-統計年度- 1,584人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1925年(大正14年)10月15日

国鉄C11形蒸気機関車 C11形190号機 大井川鐵道

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国鉄C11形蒸気機関車(こくてつC11がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が1932年(昭和7年)に設計した過熱式のタンク式蒸気機関車である。


1940年9月11日竣工として川崎車輌兵庫工場で製造された(製番2361)3次形の1両。同月中に仙台機関区に配置された。1941年(昭和16年)3月31日に尻内機関区、1943年(昭和18年)9月に早岐機関区、1949年(昭和24年)3月1日に伊万里機関区、さらに1950年(昭和25年)10月15日に熊本機関区に転属し、九州地方で使用された。本機は熊本機関区時代に三角線熊本 → 三角間でお召し列車を牽引した経歴がある。

1974年4月25日付けで休車、1974年6月12日付けで廃車となり、1977年(昭和52年)に解体される予定であったが、熊本県八代市在住の個人に買い取られ、1978年(昭和53年)より静態保存されていた。彼が復活を夢見て大切に保管していたことが、大井川鐵道の関係者の目にとまった。2001年(平成13年)6月19日に保存場所から搬出され、同月23日に海上輸送で御前崎港西埠頭に到着、翌日に大井川鐵道へ搬入された。同年8月28日より同鉄道では「C11 190復活プロジェクト」が開始され、翌月に修復作業が開始された。2003年(平成15年)5月に塗装が完了した。外装は、お召し列車牽引の功績を称え、除煙板に金色の社紋が取り付けられ、車体各所にステンレスによる縁取りがなされたお召し仕様のものになった。同年6月16日より試運転を開始、同7月17・18日に募金者対象の試乗会が実施され、翌日に営業運転を開始した。お召し仕様は、2007年(平成19年)の検査で通常の仕様に一時戻されたが、2011年(平成23年)10月7 - 9日に開催されるSLフェスタ2011および全国SLサミットに合わせて、再びお召し仕様に戻された。同鐵道が年一度に開催される夜行運転「ナイトトレイン」の初充当は2008年で、この際にヘッドライト横にシールドビームによる副灯が追加されている。その後は一時的に取り外されているが、現在副灯が追加されている状態とされている。なお、2009年9月9日に、鉄道部品店ジャパレが主催とする団体列車「銀河超特急999号」の牽引機として充当された当日は、TVアニメ版銀河鉄道999の999号を模した装飾を施して運転されている。2016年、イカロス出版「蒸気機関車EX」との大井川鐵道SL復活運転40周年記念タイアップ企画として、当機にK-7形の門鉄デフが期間限定として装着された。これは、当機が現役時代九州地区で活躍していたことにちなんでの企画だが、当機自体は門鉄デフを装着された経歴は持ってはいない。2018年現在、単機での牽引は客車4両まで(以前は5両まで)が可能である。

主要諸元
全長 - 12.650m
全高 - 3.900m
全幅 - 2.936m
重量 - 66.05t
空重量 - 51.69t

伊豆長岡駅 伊豆箱根鉄道駿豆線

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伊豆長岡駅(いずながおかえき)は、静岡県伊豆の国市南條にある伊豆箱根鉄道駿豆線の駅である。駅番号はIS09。特急「踊り子」の停車駅。

所在地は旧伊豆長岡町ではなく旧韮山町にあたるが、駅正面の南條交差点から約50~100メートル先の青い橋(千歳橋)が伊豆長岡町の出入口となっており、伊豆長岡温泉への観光アクセス利用がアピールされている。

以前は駅の北側に伊豆箱根バスの社員寮があったが老朽化にともない解体撤去され、駐車場となっている。

駅構造
ガラスを多用した鉄骨造駅舎です。


駅舎併設の単式ホーム1面1線と、島式ホーム1面2線からなり線内唯一、エレベータも併設されて跨線橋で結ばれている。


駅舎側から3,2,1番線となり、1番線の隣には行き止まりの側線がある。

原則として駅舎に隣接する3番線を上り列車が、跨線橋を渡った島式ホームの2番線を下り列車が使用するが、交換時以外は全ての列車が3番線を使用する。


1番線ホームの東側にある側線に隣接して、かつて貨物ホームとして使用されていた単式ホーム(跨線橋で結ばれていない)がある。この側線は貨物輸送の廃止後は工臨車両の待機場所として使われることがある。


切符売場に自動改札機と自動券売機が設置されている。現在自動券売機は2台ともタッチパネル式となっている。改札口に改札機は3台。LED式の発車案内もあります。


駅舎の中にヤマザキショップが併設されている。また、舞台となっていることもあり、店内には西武鉄道グループ各社がタイアップをしているアニメ作品「ラブライブ!サンシャイン!!」のグッズ売り場もある。

また、駅舎には「ラブライブ!サンシャイン!!」のイラスト装飾が施されていたが、派手な屋外広告を禁止する伊豆の国市の条例に違反するとの指摘を受け、2018年3月30日に別のイラストに張り替えられた。


発車合図音は2・3番線については2007年末期にブザーから鎌田信号機製の電子音のものに変更されている。1番線については従来通りブザーを使用している。
2010年7月17日に 跨線橋へのエレベーターの供用が開始され、駿豆線で初のエレベーター設置駅となった。


のりば
1 ■駿豆線 (定期列車では上り回送のみ使用)
■駿豆線 臨時折り返し列車待機線(上下兼用)


2 ■特急「踊り子」(下り) 大仁・修善寺方面
■駿豆線(下り) 大仁・修善寺方面※


3 ■特急「踊り子」(上り) 大場・三島・熱海・小田原・横浜・東京方面
■駿豆線(上り) 大場・三島方面
■駿豆線(下り) 大仁・修善寺方面※


※ 列車交換を行わない場合、下り普通列車は改札側3番線から発車
ホームの東側には貨物ホーム跡が残っています。


路線バス
伊豆箱根バス
伊豆長岡駅 - (温泉駅循環) - 伊豆長岡駅
伊豆長岡駅 - 伊豆・三津シーパラダイス
伊豆長岡駅 - (温泉駅・長岡リハビリ病院・沼津市役所経由) - 沼津駅


駅周辺
伊豆長岡温泉
韮山温泉
伊豆の国市役所(旧伊豆長岡町役場)
JA伊豆の国本店
静岡県立伊豆中央高等学校
順天堂大学医学部附属静岡病院
伊豆の国パノラマパーク


マックスバリュ伊豆長岡店
ウエルシア伊豆長岡店
ウエルシア伊豆長岡駅前店
ドラッグストア クリエイトSD伊豆長岡店
エース伊豆長岡店
エスポット韮山店
ガスト伊豆長岡店


源氏山公園
韮山反射炉 - 世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つ。
国道136号
静岡県道131号古奈伊豆長岡停車場線
静岡県道132号韮山反射炉線


利用状況
「静岡県統計年鑑」によると、2004年度の一日平均乗車人員は2,777人、降車人員は2,804人であった。

 

 

 


1898年(明治31年)5月20日 - 三島町(現・三島田町) - 当駅間開業により、南条駅として開業
1899年(明治32年)7月17日 - 南条 - 大仁間開業により、中間駅となる
1919年(大正8年)5月25日 - 伊豆長岡駅に改称
1966年(昭和41年)1月2日 - 貨物営業廃止


1986年(昭和61年)10月21日 - 新駅舎完成
2009年(平成21年)12月24日 - 跨線橋へのエレベーター設置などのバリアフリー対応工事開始
2010年(平成22年)7月17日 - 当日より跨線端のエレベーター供用開始

伊豆長岡駅
いずながおか
Izunagaoka
◄IS08 韮山 (1.6km)(2.8km) 田京 IS10►
所在地 静岡県伊豆の国市南條773-2
北緯35度2分23.03秒 東経138度56分50.71秒
駅番号 IS09


所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 ■駿豆線
キロ程 11.4km(三島起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線


乗車人員
-統計年度- 2,392人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 4,857人/日
-2016年-


開業年月日 1898年(明治31年)5月20日
備考 1919年 南条駅から改称

 

奈良井駅(JR東海)中央本線

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奈良井駅(ならいえき)は、長野県塩尻市大字奈良井にある、東海旅客鉄道(JR東海)中央本線の駅である。連続テレビドラマ「おひさま」のロケ地

季節によっては臨時の特急列車や快速列車が当駅に停車する。

駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅。

木曽平沢方単線、薮原方複線の交換可能駅でもある。留置線、跨線橋を有する。跨線橋が設置される前はホームの南端と駅舎の間に構内踏切があったが、現在もその名残がある。

駅舎は開業当時からの回廊付きの木造で、宿場町の雰囲気に合うよう所々手を入れている。

木曽福島駅管理の簡易委託駅である。観光案内所も併設されています。

待合室は格子窓に渋めの長椅子があります。

旧中山道の鳥居峠越えを控え(藪原間の鳥居トンネル)、JR東海の駅では934mと最も標高が高い駅である。

のりば
番線 路線 方向 行先 備考
1 CF中央本線 下り 塩尻・長野方面


2 待避等一部列車
上り 中津川・名古屋方面


3
ホームは簡素な屋根付き跨線橋で結ばれています。

駅周辺
旧中山道奈良井宿は、駅の南側すぐの場所にある。駅前広場の一部は、奈良井宿観光用の駐車場も兼ねている。

観光地である奈良井宿の玄関駅だが、特急等の優等列車については、臨時停車を除いて停車はなく、鉄道を利用する観光客はあまり多くない。

 

かつて駅裏に奈良井営林署貯木場があり奈良井川ぞいに奈良井森林軌道(黒川軌道)が敷設されていた。昭和29年に水害により休止のち廃止撤去されトラック輸送に変わったが貯木場ものちに廃止された。軌道敷は奈良井ダムの湖底になっている。

木曾の大橋
中山道 奈良井宿
国道19号
道の駅奈良井木曽の大橋

バス
塩尻市地域振興バス楢川線

 

1909年(明治42年)12月1日 - 国有鉄道中央東線 塩尻~当駅間延伸と同時に開業。旅客及び貨物の取扱を開始。
1910年(明治43年)10月5日 - 中央東線が藪原駅まで延伸、途中駅となる。


1911年(明治44年)5月1日 - 線路名称改定。当駅を含む中央東線が中央本線に改称される。
1972年(昭和47年)11月30日 - 貨物の取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる。


奈良井駅
ならい
Narai
◄木曽平沢 (1.8km)(6.6km) 藪原►
所在地 長野県塩尻市大字奈良井
北緯35度58分8.66秒 東経137度48分55.78秒
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 CF中央本線
キロ程 243.2km(東京起点)
153.7km(名古屋起点)
電報略号 ライ


駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 63人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1909年(明治42年)12月1日
備考 簡易委託駅
標高:933.8m(JR東海で最高)

 

大井川鉄道DB1形ディーゼル機関車

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専用鉄道時代
井川線が大井川電力(当時)の専用鉄道であった時代に、市代駅 - 千頭駅 - 崎平駅間の運材輸送を行なうために、当初はガソリンエンジンを搭載した機関車として製造された。
その設計はプリマス製産業用内燃機関車を範とする、当時の加藤製作所製産業用機関車の標準設計に従うもので、ボルトで組み立てられた鋳鋼製の台枠を特徴とする。
大井川電力専用線を762mmから1,067mmに改軌した1936年(昭和11年)に6両が製造され、1938年(昭和13年)にはさらに1両が増備された。7両ともエンジンはブダ製ガソリンエンジン (64PS) を搭載し、機械式変速機とチェーンによる2軸駆動であった。連結器はピン・リンク式連結器(朝顔型連結器)を装備していた。
日本が戦時体制に入った1940年(昭和15年)には、全車両が代用燃料化されたが、この時には代用燃料装置を搭載した台車を別に連結して対処した。第二次世界大戦が終わった後もしばらくは代用燃料での運行が続いたが、1950年(昭和25年)ごろにはガソリンの供給が安定したことから、代用燃料の使用を終了している。また、1953年(昭和28年)には全車両のエンジンを東日本重工業製DB5Lディーゼルエンジン (85PS/1,200rpm) に換装している。
専用鉄道が井川駅まで延長された翌年の1955年(昭和30年)10月には2両が増備されたが、これは新造車ではなく、中部電力東上田発電所の建設に使用されていたものであった。この2両はエンジンが当初よりディーゼルエンジンで、日野DA55 (85PS) が搭載されており、連結器も通常の並形自動連結器であったが、他の7両も含めた井川線の全車両が、同年12月に小型の自動連結器に交換された。

1959年(昭和34年)に井川線が専用鉄道から地方鉄道に転換されると、主に旅客列車の牽引に使用されるようになり、客車への通電用ジャンパ連結器も装備した。当時の井川線旅客列車の所要時間は全線で2時間前後であり、本来は入換・工事用の機関車である本形式での運用は無理があったというが、千頭駅・井川駅の両駅に転車台を設置し、長時間のバック運転(逆機)を解消するなどの対策が行われていたという。多客時には本線で重連運転を行うこともあった。
1962年(昭和37年)にはDB4形が中部電力の高根水力発電所建設現場に転出、1969年(昭和44年)にはDB6形も同所へ転出し、7両体制となったが、1982年(昭和57年)にDD20形が登場すると、旅客列車の牽引もDD20形で行なうことになり、同年にDB1形・DB2形が廃車となった。1984年(昭和59年)にはDB3形・DB5形・DB7形の3両も廃車となり、後から転入してきたDB8形・DB9形だけが残った。
2007年10月現在、地方鉄道の車籍を有する機関車では最後となる機械式ディーゼル機関車であり、イベント時に千頭駅 - 川根両国駅間などで客車を牽引することがあったが、井川線で2009年(平成21年)3月29日より自動列車停止装置 (ATS) が使用開始されることにより、ATS装置の取り付けが車体構造上不可能な当機は本線走行ができなくなることから、同年3月28日に行われたさよなら運転をもって本線運用から離脱した。その後は川根両国車両区での入換動車として使用されている。
2014年(平成26年)夏に大井川本線で蒸気機関車C11 227による「きかんしゃトーマス号」が走ることに伴い、千頭駅構内でトーマスフェアー(7月12日 - 9月28日のきかんしゃトーマス号運転日)が催されることになり、DB9もトーマスの仲間ラスティーとして改装され展示された。2015年(平成27年)には川根両国駅にてラスティーが展示されている。
2016年からはトーマスかジェームス運転日に千頭駅構内で「ラスティーの遊覧貨車」として千頭駅構内を遊覧している。

大井川鉄道DB1形ディーゼル機関車
運用者 大井川鐵道
製造所 加藤製作所
製造年 1936年 - 1938年
製造数 9両
投入先 井川線
主要諸元
軸配置 B
軌間 1,067 mm
全長 4,980 mm
全幅 1,829 mm
全高 2,438 mm
機関車重量 8.3t
燃料搭載量 400 L (1個搭載)
動力伝達方式 機械式
機関 東日本重工業製 DB5L
歯車比 6.8:1
制動装置 自動空気ブレーキ
最高速度 20 km/h
出力 85 PS

相模沼田駅 伊豆箱根鉄道大雄山線

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相模沼田駅(さがみぬまたえき)は、神奈川県南足柄市沼田にある伊豆箱根鉄道大雄山線の駅。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。東側のホームに小田原方面、西側のホームに大雄山方面の列車が発着する。

二つのホームの飯田岡方には共に階段があり、それを降りた所で構内踏切が両ホームを結んでいる。

駅本屋は西側のホームの飯田岡方西側にあり、改札口が構内踏切に直結する。その他、東側のホームの飯田岡方にトイレが、駅本屋の飯田岡方に伊豆箱根鉄道大雄山線電気支区の建物が置かれている。

1981年(昭和56年)2月築の駅本屋は2階建てで、1階は駅事務室および待合所、2階は職員用の会議室となっている。

この内部には、自動券売機と乗車票発行機が一台ずつ設置されているほか、定期券などを販売する窓口も設けられている。終日、社員の配置される直営駅である。
ICカードをタッチする簡易改札もある。

ホームは相対式2面2線。大きく右にカーブしています。ホーム間は構内踏切で結ばれています。

駅周辺
駅前は自転車置き場になっております。
駅周辺では小田原市と南足柄市の市境が錯綜しているが、駅は南足柄市沼田に所在する。駅の西側を県道74号が走り、東側を狩川が流れる。

駅近くに香料工場があるが、主に住宅地が広がる。全線のほぼ中間に位置し、電気支区が併設される主要駅で、ほぼ終日にわたって列車交換が行われています。

駅周辺の旧跡としては、西約400メートルの所に天野康景の墓のある寿伝山西念寺(浄土宗)がある他、八乙女神社や沼田城址なども存在する。

さがみ信用金庫沼田支店
相鉄ローゼン富水店
ユニクロ小田原富水店
小田急小田原線富水駅 - 徒歩約20分

路線バス
県道74号上に沼田バス停が置かれており、以下の路線バスが発着する。

箱根登山バス
関本(富士フイルム経由) ※ 平日3本のみ
小田原駅東口 ※ 平日のみ


1925年(大正14年)10月15日 - 開業。
1981年(昭和56年)2月27日 - 駅舎竣工。


相模沼田駅
さがみぬまた
SAGAMINUMATA
◄ID06 飯田岡 (0.7km)(1.0km) 岩原 ID08►
所在地 神奈川県南足柄市沼田68
北緯35度17分31.6秒
東経139度8分2.3秒座標: 北緯35度17分31.6秒 東経139度8分2.3秒
駅番号 ID07
所属事業者 伊豆箱根鉄道


所属路線 大雄山線
キロ程 5.0km(小田原起点)
駅構造 地上駅
ホーム 相対式 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,496人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1925年(大正14年)10月15日


東野駅 明知鉄道明知線

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東野駅(ひがしのえき)は、岐阜県恵那市東野にある明知鉄道明知線の駅である。駅番号は10。
駅の周囲は農村風景が広がり、利用客も少なく閑散としています。かつては交換駅だった。


駅構造
1面1線の単式ホームを持つ地上駅。ホーム隣接地に医療法人「恵雄会」の介護施設があり、施設の1階が待合室になっている。


ホームは1面1線。
ホーム中央には短い上屋が設置されています。

駅周辺
田園風景の広がる岐阜県恵那市東野地区の中心地。
朝には岐阜県立恵那高等学校への通学生も若干利用する。
恵那市立東野小学校
岐阜県恵那総合庁舎
水資源機構阿木川ダム

路線バス
東濃鉄道バス小野川線の東野駅前停留所がある。
小野川方面/恵那市役所前・恵那駅前方面

 

1933年(昭和8年)5月24日 - 国鉄明知線 大井~阿木間開通時に開業。一般駅。
1959年(昭和34年)10月15日 - 貨物の取扱を廃止(旅客駅となる)。
1961年(昭和36年)10月21日 - 荷物の取扱を廃止。
1985年(昭和60年)11月16日 - 明知鉄道に転換。

東野駅
ひがしの
Higashino
◄11 恵那 (2.6km)(5.0km) 飯沼 9►
所在地 岐阜県恵那市東野
北緯35度26分46.73秒
東経137度25分43.64秒座標: 北緯35度26分46.73秒 東経137度25分43.64秒
駅番号 10
所属事業者 明知鉄道
所属路線 明知線
キロ程 2.6km(恵那起点)
電報略号 ヒシ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 27人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1933年(昭和8年)5月24日

岩原駅 伊豆箱根鉄道大雄山線

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岩原駅(いわはらえき)は、神奈川県南足柄市岩原にある、伊豆箱根鉄道大雄山線の駅。駅周囲は住宅地です。

駅構造
単式ホーム1面1線を有する駅舎のない地上駅。線路の西側にホームが置かれ、塚原方の端の階段を使って駅に出入りする。

ホームの出入り口付近に上屋と券売機小屋が置かれ、自動券売機と乗車票発行機が一台ずつ設置されている。無人駅である。
ICカードをタッチする簡易改札もある。

ホームには階段で直接連絡します。ホーム上屋は大雄山方面、北側の一部に設置されるのみです。
小田原方面のホームは先端に向けて非常に幅が狭くなっています。ホーム待合所、上屋下にFRP製の長椅子が数脚設置されています。

駅周辺
駅の西側を県道74号が走り、東側を狩川が流れる。駅の南300メートルほどの所に南足柄市立岩原小学校がある他、駅の南西約1キロメートルの所には岩原城址と岩原八幡神社とがあり、比較的近い。

岩原駅と塚原駅は、大雄山線の中でも最も駅間距離が短い区間の一つである。『日本の私鉄 1』(山と渓谷社、吉川文夫)によると、岩原地区と塚原地区の住民が、自分の所に駅の設置を願って譲らないため、両地点に駅を設置したためと説明されている。

路線バス
県道74号上に「岩原公民館前」バス停が置かれており、以下のバス路線が発着する。

箱根登山バス
関本(富士フイルム経由) ※ 平日のみ
小田原駅東口(飯田岡経由) ※ 平日のみ
狩川橋・小田原駅東口(富水駅入口経由) ※ 平日2本のみ
グリーンヒル ※ 平日2本のみ

1925年(大正14年)10月15日 - 開業。
1992年(平成4年)3月 - 券売機を設置。


岩原駅
いわはら
IWAHARA
◄ID07 相模沼田 (1.0km)(0.3km) 塚原 ID09►
所在地 神奈川県南足柄市岩原270-1
北緯35度17分56.2秒
東経139度7分43.2秒座標: 北緯35度17分56.2秒 東経139度7分43.2秒
駅番号 ID08
所属事業者 伊豆箱根鉄道


所属路線 大雄山線
キロ程 6.0km(小田原起点)
駅構造 地上駅
ホーム 単式 1面1線
乗車人員
-統計年度- 748人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1925年(大正14年)10月15日
備考 無人駅

大井川鉄道DD20形

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大井川鉄道DD20形ディーゼル機関車(おおいがわてつどうDD20がたディーゼルきかんしゃ)は、1982年に大井川鉄道(当時)が導入を開始したディーゼル機関車である。日本国内向けの鉄道車両では初めてアメリカの大手エンジンメーカー・カミンズ社設計のエンジンを採用した車両で、日本国有鉄道(国鉄)との比較においては電車以外の分野で私鉄技術が先行した数少ない事例とされている。1986年までに6両が製造され、同社井川線の全列車の動力車として使用されている。大井川鉄道では、元来中部電力専用鉄道であった路線を1959年8月より井川線として営業を行っていた。この路線は利用者数の季節波動が大きく、閑散期には客車1両程度でも十分であったが、繁忙期は客車を10両編成にしても満員になる状態であった。当時、井川線では小型8トン級のDB1形機関車と大型35トン級のDD100形機関車が運用されていたが、DB1形では客車2両の牽引が限界であり、逆にDD100形では年間輸送量に対しては過大であった。どちらの機関車も製造から20年以上は経過しており、旧式エンジンの保守が困難で、出力にも余裕がなく、連続上り勾配でオーバーヒートを起こすこともあった。しかし、当時長島ダムの建設に伴い、井川線の施設を保有していた中部電力から「長島ダムの建設を機に井川線を廃止したい」という意向が示されており、これに対して当時親会社の名古屋鉄道から大井川鉄道に出向していた白井昭や地域住民が井川線の存続に向けて運動を展開しているという状況で、井川線の存廃の方向性が決まっていなかったため、新しい機関車は製造されていなかった。その後1978年に、中部電力がダム建設によって水没する井川線の路線付け替えを決定したことを受けて、新型機関車の使用を検討することになった。

この当時、日本の私鉄における内燃動力車(ディーゼル機関車・気動車)において、国鉄の使用していないエンジンの導入検討をした事業者はなかったと考えられている。しかし、白井は「300馬力以上のエンジンなら欧米製のほうが保守の上で有利である」と判断し、世界的に遅れていた日本製の鉄道車両向けエンジンを使わず、世界的に内燃動力車で広く使用されており、船舶用機関としても多数採用例のあるアメリカの大手エンジンメーカーであるカミンズ製のエンジンを採用することによって、保守と出力余裕を持たせることにした。ただし、エンジンの部品がヤード・ポンド法によるサイズであるという懸念はあったが、静岡県内の漁船の多数がカミンズ製エンジンを使用しており、共同補修で解決できると判断、導入に踏み切った。また、新型機関車では欧米の鉄道と同様に固有名を付与することとし、モデル名を「ロートホルン形」とした上で、車両ごとに異なる愛称を設定することにした。こうして、設計検討に3年を費やし、新たな井川線の主力機関車として登場したのが、ロートホルン形である。ロートホルン形は全長8.7mの車両として製造された液体式ディーゼル機関車である。それまでの井川線の機関車では重連総括制御ができなかったため、重連での運転の際には運転士が2人乗務する必要があったが、ロートホルン形では重連総括制御を可能とした。単機では客車5両まで、重連であれば客車10両まで牽引可能である。また、井川線だけではなく大井川本線でも速度的に運行が可能な設計としたほか、将来は制御車を連結してプッシュプルトレインを可能にすることも考慮した。、アプト式区間を含む路線付け替え後に活用されている。井川線の終点井川駅は海抜700m近い高所であるため、寒冷地対策を十分に行った。ただし、ほとんど降雪がないため、耐雪対策は行われていない。

車体
DD100形は凸形車体を有しているが、井川線では急曲線が多いため、前方視野が不良であった。このため、ロートホルン形では両運転台の箱型車体として見通しをよくした。車体材質は普通鋼製である。運転台に出入りする乗務員扉は片側だけに設けられ、運転席横の側窓はユニットサッシの側引き戸を設けた。正面のガラスは1枚ガラスとしており、ワイパーは2連連動式とし。前照灯は上部に固定式のヘッドライト2灯を設けたほか、下部には曲線で自動的に進行方向を向くヘッドライト1灯を設けた。正面下部には空気管・ジャンパ連結器・タイフォンを装備した。

主要機器
ロートホルン形の最大の特徴は、前述のカミンズ製エンジンを日本で初めて採用したことである。ただし、カミンズNT-855シリーズのエンジンは、1990年にJR各社で採用が開始された時点を基準にしても、それより四半世紀近く前に設計されたもので、決して斬新ではなく、どちらかといえば保守的な設計といわれている。ロートホルン形に採用されたエンジンはNT-855L形で、カミンズと技術提携・ライセンス契約をしていた小松製作所で製造されたエンジンである。ターボチャージャーを装備することによって省燃費化を図っており、定格出力は355ps・回転速度は2,100rpmである。変速機は大井川鉄道では初採用となるトルクコンバータ方式で、新潟鉄工所の2速トルクコンバータ付変速機であるTDCN-22-2001A形を採用した。駆動方式は全歯車駆動式で、減速比は1速が12.575、2速が6.147である。制動装置(ブレーキ)はDL14B形空気ブレーキを採用した。それまで井川線で使用されていたAR系空気ブレーキでは、長編成の際の緩解不良が発生、それに伴いフラットが発生することがあったが、このブレーキでは単独緩め扱いなどを可能にすることで解決策としている。最高速度は40km/hである。 その他機器乗務員室(運転室)の機器配置は、着座した際に左側に主幹制御器(マスコン)が、右側にはブレーキ弁が配置された。マスコンにはEB装置が装備されているほか、スイッチ類はスイッチ自体が発光する自照式スイッチを大幅に取り入れている。また、井川寄りの運転台(2エンド側)には、自動案内放送装置が設けられた。台車は日本車輌製造のNL-45形で、撒水装置を装備している。

沿革
運行に先立ち、1981年末から1982年初頭にかけて、機関車の外部塗装デザインについて鉄道雑誌などで公募が行われた。この公募には1,500件あまりの応募があり[18]、その中からベースカラーをチャペルローズ(赤系統)とし、モスグリーンの帯を巻くというデザインが採用された。1982年1月にDD201 "ROT HORN" とDD202 "IKAWA" が竣工し、運用を開始した。 "ROT HORN" と "IKAWA" の導入に伴い、DD100形のうちDD102と、DB1形のうちDB1・DB2が廃車となった。ロートホルン形が国鉄で採用実績のないエンジンを搭載したことは、当時の日本国内ではほぼ唯一の事例であり、また日本においては気動車よりもはるかに先行したものであるとされ、この時期の私鉄車両全体においても国鉄との比較において注目すべき事例とされている。また、開発に携わった白井は、カミンズ製エンジンの導入を「すべてに優れ成功」としている

1983年6月にはDD203 "BRIENZ" とDD204 "SUMATA" が導入され、その後にはDD100形DD108と[20]DB1形DB3・DB5・DB7が廃車となった.1986年7月にはDD205 "AKAISHI" とDD206 "HIJIRI" が増備され、これによって井川線の本線用機関車はロートホルン形に統一された。当時の井川線の標準色に変更された "ROT HORN" 登場当時の塗装デザインに変更された "BRIENZ"当時の井川線の標準色に変更された "ROT HORN"登場当時の塗装デザインに変更された "BRIENZ"なお、塗装デザインについては、 "BRIENZ" と "SUMATA" 以降の増備車からは当時の井川線の標準色である赤地にクリーム帯に変更され、その後 "ROT HORN" と "IKAWA" についても変更された。その後、塗装デザインは赤地に白い帯が入ったものとなっている。1990年秋に、井川線の一部区間が長島ダムによって水没するためによる付替が行われ、新経路のうちの急勾配部分にはアプト式が導入された。アプト式区間では、補機として、ED90がいずれの向き行きについても勾配の下側に付き、井川側行きでは補機がプッシュ、千頭側行きでは補機がプルとなる、補機付きの編成となる。これに伴い、井川線全線においてそれまでは進行方向先頭に機関車を連結していたのを変更し、機関車は常に千頭側として、反対側に制御客車を連結してプッシュプル運転を行うこととした。井川線の客車や貨車に引き通し線を増設する改造が行われ、井川側の先頭車とするクハ600形も登場した[32]。ロートホルン形は前述のようにこのような運用を考慮した設計としてあった。井川行きの列車では制御客車から本機関車が総括制御される。増結や運用上の都合で本機関車が編成中間に入る場合も、先頭車両から中間の本機関車が総括制御される。2007年までに、搭載しているエンジンをオリジナルのカミンズ製エンジンに換装している。また、2009年8月1日の開業50周年イベントにあわせ、DD203 "BRIENZ" がロートホルン形登場当時に公募で決定した塗装デザインに変更された。2014年9月に発生した土砂崩れのため2年半運休になっていた接岨峡温泉~井川が2017年3月に復旧開通したのを記念してDD206"HIJIRI"が2代目のカラーに変更された。2018年1月現在DD206のみ前照灯がLED化されている。これによりDD20形は初代(203)2代目(206)3代目(201・202・204・205)のカラーが揃ったことになる。

車両一覧
DD201 "ROT HORN"
ブリエンツ・ロートホルン鉄道に由来。
DD202 "IKAWA"
路線名にして終点の井川に由来。
DD203 "BRIENZ"
島田市の姉妹都市でもあるブリエンツ村に由来。
DD204 "SUMATA"
沿線の名勝、寸又峡に由来。
DD205 "AKAISHI"
流域の山、赤石岳(日本百名山の一つ)に由来。
DD206 "HIJIRI"
流域の山、聖岳(日本百名山の一つ)に由来。

DD20形ディーゼル機関車
ロートホルン形
基本情報
運用者 大井川鐵道
製造所 日本車輌製造
製造年 1982年 - 1986年
製造数 6両
主要諸元
軸配置 B-B
軌間 1,067mm
全長 8,700mm
全幅 1,848mm
全高 2,700mm(DD201・DD202)
2,691mm(DD203以降)
空車重量 19.0t
運転整備重量 20.0t
台車 日本車輌製造 NL-45
動力伝達方式 液体式
機関 小松製作所・カミンズ NT-855L
機関出力 335ps(2,100rpm) × 1基/両
変速機 新潟鐵工所 TDCN-22-2001A
2速トルクコンバータ
歯車比 12.575(1速)
6.147(2速)
制動装置 DL14B空気ブレーキ
手ブレーキ
保安装置 ATS
最高速度 40 km/h

京都市役所前駅 京都市営地下鉄東西線

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京都市役所前駅(きょうとしやくしょまええき)は、京都市中京区にある、京都市営地下鉄東西線の駅。駅番号はT12。東西線の駅ごとに設定されているステーションカラーは韓紅花(からくれない)。浜大津方面からの直通列車は大半が当駅折り返しとなります。

河原町御池交差点の直下に位置しており、六地蔵駅まで路線が延伸された前後より駅名標に「河原町御池」と付記された。

駅構造
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。改札口は1箇所のみ設けられており、ゼスト御池の東端部に接している。

切符売場の券売機は4台。また改札口の改札機も4台。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 T 東西線 下り 烏丸御池・太秦天神川方面


2 上り 御陵・山科・六地蔵/びわ湖浜大津方面(京阪京津線)
ホームは他の駅より幅は広めに確保されています。

京阪電気鉄道(京阪)京津線へ乗り入れる列車(1日64往復)のうち11往復が当駅で折り返しとなり、西方にある引き上げ線を使用する。なお、御陵駅とは異なり当駅始発列車であっても発車時の自動放送は行われていない。

京津線への乗り入れについては、2008年に二条駅から太秦天神川駅まで延伸する前は全列車が当駅で折り返していたが、当駅から一駅先にある烏丸御池駅で烏丸線に乗り換える乗客からの不満の声もあった。なお、2018年3月17日の改正で、京津線からの乗り入れは朝時間帯を除いて太秦天神川駅発着に統一された。

駅周辺
名所・旧跡など
本能寺
池田屋跡
島津創業記念資料館
高瀬川
行政・公共施設
京都市役所
京都市消防局
京都市御池地下駐車場
主な商業・宿泊施設
ゼスト御池 - 駅の階上にある地下街。
寺町通商店街
京都ホテルオークラ - ゼスト御池と直結している。
京都ロイヤルホテル
ザ・リッツ・カールトン京都
金融機関など
日本銀行京都支店
京都寺町二条郵便局
京都三条御幸町郵便局
京都御池柳馬場郵便局


路線バス
空港連絡バスを除く一般的な路線バスの最寄りのバス停は、京都市役所前および河原町御池である。京都市営バス(市バス)・京都バス・京阪バスにより運行され、以下の路線が乗りいれている。

市バスについては地下鉄東西線開業時にバス停名が駅にあわせたものに変更され、京都バスについても2017年3月18日より市バスに合わせる形で改称された。

南方にある河原町三条バス停も市バスと地下鉄との連絡停留所扱いとなっており、経由するバスの本数が比較的多い。


開業前の段階では「市役所前駅」となる予定であった。

1997年(平成9年)10月12日 - 京都市営地下鉄東西線の醍醐駅 - 二条駅間の開通と同時に開業。これと同時に、駅と一体的に建設された地下街「ゼスト御池」と公営の大規模な地下駐車場も開業した。
2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。


京都市役所前駅
京都市役所前駅
京都市役所前駅
きょうとしやくしょまえ
Kyoto Shiyakusho-mae
(Kyoto City Hall)
(河原町御池 Kawaramachi Oike)
◄T11 三条京阪 (0.5km)(0.9km) 烏丸御池 T13►
所在地 京都市中京区下丸屋町
北緯35度0分39.61秒
東経135度46分7.78秒
駅番号 ●T12
所属事業者 京都市交通局(京都市営地下鉄)
所属路線 東西線
キロ程 12.6km(六地蔵起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 28,240人/日
-2017年-
開業年月日 1997年(平成9年)10月12日

花白温泉駅 明知鉄道明知線

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花白温泉駅(はなしろおんせんえき)は、岐阜県恵那市山岡町馬場山田にある明知鉄道明知線の駅である。駅番号は4。山間の小さな無人駅です。

駅構造
1面1線の単式ホームのみを持つ地上駅。ホームにトイレと待合室が設置されています。駅舎のない無人駅である。

駅周辺
駅前に「花白の湯」という温泉入浴施設がある。人家は多めだが商店はない。駅前に駐輪場あり。

飯高観音万勝寺
国道363号
その他
駅名の変更時に車内の自動放送の音声は変更されず、2016年12月時点でも「花白」のままになっている。


1967年(昭和42年)11月15日 - 国鉄明知線の花白駅として開業。旅客駅。
1985年(昭和60年)11月16日 - 明知鉄道に転換。
2011年(平成23年)3月12日 - 花白温泉駅に改称。
2012年(平成24年)3月17日 - ダイヤ改正により急行大正ロマン号の停車駅となる。

花白温泉駅
はなしろおんせん
Hanashiroonsen
◄5 岩村 (3.3km)(1.4km) 山岡 3►
所在地 岐阜県恵那市山岡町馬場山田
北緯35度21分18.25秒
東経137度24分25.96秒座標: 北緯35度21分18.25秒 東経137度24分25.96秒


駅番号 4
所属事業者 明知鉄道
所属路線 明知線
キロ程 18.3km(恵那起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 17人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1967年(昭和42年)11月15日

 

広島市消防局南消防署水上張所

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宇品海岸 -
かつて水上消防署であったが現在は南消防署に併合された。

広島市消防局
1979年(昭和53年)
水上消防署を新設。

消防署(しょうぼうしょ)は、消防(消火活動や救助活動など)を専門に行う消防機関、あるいはその建築物。

日本の消防の消防署は、消防(消火・火災予防・救急・救助)を専門に行う消防機関、あるいはその建築物。上位に消防本部(自治体により消防局と呼称、東京都は東京消防庁)がある。

組織
消防本部を有する市町村にあって、本部に併設(東京消防庁に限り、本部直轄の「中央消防署」はない)、あるいは、当該自治体内に何箇所かに設置され、出動に備えている。分署や出張所、駐在所などを持つ消防署もある。
地方自治体などによってその名称及び組織は、異なる。また消防庁長官が「長官命令」を発した場合は、全国の消防局が当該現場まで日本国内の全ての災害現場まで部隊を派遣可能である。

全ての部隊が複数あり、交代勤務でいつ起きるか分からない任務に従事する。各分署(消防署ではない)に配置された個別の部隊は「小隊」で、消防・救急の各部門が「中隊」、分署も含めた消防署全体は「大隊」、消防本部まで行動する場合は「連隊」になる。

業務
消火活動
火災の鎮火、危険物・化学・薬品などの爆発の鎮火などである。ポンプ隊・はしご隊が配置され担当する。

火災の鎮圧
消防本部で受けた119番通報は、現場地区を担当する消防署の「通信室」(受付を兼ねている)に送られ出動指令となる。これは通信回線による音声だけでなく、活動記録を残すためファクシミリを用いた文書でも送られる。
火災の調査
火災現場の調査を通して、出火原因の調査などを行う。
出火場所の広報
消防車のサイレン音を聞いた人から代表番号に問い合わせが殺到すると業務に支障を来すので、消防本部から専用テレホンサービスの電話番号が公開されている(通報を元に通信指令室がコンピュータを使って発する出動指令のデータがそのまま活用され、合成音声でアナウンスされる)。2010年代からは、希望者に対して電子メール配信がされる自治体も出ている。
消火栓の断水・減水届
火災被害証明
消防車迂回道路工事の届出受付
救急搬送
救急患者の搬送
救急隊2個隊または3個隊が配備される。

救助活動
一般救助
交通救助(交通事故)
山岳救助(山岳救助隊)
水難救助(水難救助隊)
NBC災害(化学救助隊)

飯田岡駅 伊豆箱根鉄道大雄山線

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飯田岡駅(いいだおかえき)は、神奈川県小田原市飯田岡にある伊豆箱根鉄道大雄山線の駅。


駅構造
単式ホーム1面1線を有しブロック造の駅舎を持つ地上駅。線路の北側にホームがあり、その北側に駅舎とトイレがある。駅舎は相模沼田方、トイレは穴部方に置かれており、トイレへはホーム側から出入りが可能である。狭い待合室スペースがある。

無人駅であるが、朝夕は駅係員が駐在する。駅舎内部には自動券売機と乗車票発行機とが1台ずつ設置されている。 ICカードをタッチする簡易改札もある。

ホームの上屋はほぼ全面に設置されています。

駅周辺
駅の東側には狩川が流れ、駅前に飯田岡橋が架かる。狩川の対岸には施設が集積している。駅前には駐輪場

小田原市立富水小学校
小田原市立泉中学校
小田原飯田岡郵便局
飯田神社
福田寺
スーパーふるぎや飯田岡店
駅の西側には県道74号が走り、飯田岡のバス停がある。

小田原フラワーガーデン
小田原市環境事業センター
県立おだわら諏訪の原公園
これらの施設は、駅から南西側に急坂を越えた所にあるため、徒歩でのアクセスはしにくい。

路線バス
駅西の県道74号上に飯田岡バス停が置かれ、以下のバス路線が発着する。

箱根登山バス
関本(富士フイルム経由) ※平日3本のみ
小田原駅東口 ※平日のみ

1926年(大正15年)5月19日 - 飯田岡停車場新設届を鉄道大臣に提出。正確な開業日は不詳。

飯田岡駅
いいだおか
IIDAOKA
◄ID05 穴部 (1.2km)(0.7km) 相模沼田 ID07►
所在地 神奈川県小田原市飯田岡545
北緯35度17分17.0秒
東経139度8分20.8秒座標: 北緯35度17分17.0秒 東経139度8分20.8秒
駅番号 ID06
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 大雄山線
キロ程 4.3km(小田原起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 925人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1926年5月


鹿の瀬駅・飯森高原駅(御岳ロープウェイ)

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御岳ロープウェイは一般的に「ゴンドラリフト」と呼ばれ、約80台のカプセル型の搬器(ゴンドラ)が連続して循環している。

索道は日本の法律では鉄道事業法により運営されるが、「鉄道事業」ではなく「索道事業」に分類されているため、鉄道の一種とされることは少ない。


*待たずに乗れる!座って乗れる!ロープウェイ*
ゴンドラはおよそ20秒間隔で発着運行し時刻表はない。


営業時間内でいつでもご乗車できる。
ゴンドラ1台につき定員6名で座って乗車となる。


標高1,570mの鹿の瀬(かのせ)駅から御嶽山七合目2,150mの飯森高原(いいもりこうげん)駅まで全長2,330m、標高差580mを片道約15分で往復運行。

気象条件悪化によるロープウェイ運休の場合。
条件が悪化する場合、お客様の安全を優先するため天候が回復するまでロープウェイの運行を休止する。


---- 気象悪化による運休の場合 -----
1. 原則として雷、風、雨などの影響がおさまるまで運休。
2. 天候状況によりロープウェイの運行再開まで数時間に及ぶ場合がある。
3. ロープウェイが運休になった場合、六合目駐車場からロープウェイ山麓駅(鹿の瀬駅)まで臨時バスにて送迎。山頂駅(飯森高原駅)から六合目(中の湯)まで徒歩で下りることになる。 
4. 施設内には山頂駅までの作業道があるが山岳作業道のため人の送迎はできない。ただし、体調の悪い方や身障者の方などこちらで必要と判断した場合は送迎することがあるとの事。


飯森高原駅(いいもりこうげんえき)は標高2,150m。ゴールデンウィークは山頂駅には残雪が多く、雪の世界を楽しめる。標高2,150mの山頂駅舎からは、中央アルプス・北アルプス・乗鞍岳などの大パノラマが広がります。

山頂駅屋上展望台は、鏡を張り巡らせた《ミラーデッキ》があります。飯森高原駅周辺には 高山植物園や御嶽社があります。

御嶽社の祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)です。 大己貴命は「男女の縁結び」「家庭円満」「子宝」「子孫繁栄」の神様とも言われています。

鹿ノ瀬駅(かのせえき)は標高1,570m。山麓駅周辺にはお花畑が広がっています。鐘の鳴る丘は、御岳ロープウェイ鹿ノ瀬駅(山麓駅)の近く、 お花畑の散策の小道を少し上がったところにあります。 御嶽山を背景に記念撮影をするのに最適ですが支柱や鐘の老朽化による整備中のため閉鎖してます。

ゴンドラは日本ケーブル製。日本ケーブル株式会社(にっぽんケーブル)は、東京都千代田区神田錦町に本社を置く、索道と立体駐車場等の製造とスキー場などを運営する企業である。千葉県習志野市に工場が有る。日本ケーブルは、世界初の単線自動循環式8人乗りゴンドラや日本初のパルスゴンドラ、強風にも強い自動循環式フニテル、チェアリフトの搬器とゴンドラの搬器が1本のワイヤロープを共用し運行するコンビリフトを建設している。

日本では、索道を架空した索条(ワイヤーロープ)に搬器(ゴンドラ)を懸垂して旅客または貨物を運送する施設の総体と定義している。搬器の形状別によって大別される。

普通索道:扉を有する閉鎖式の搬器を使用して旅客または旅客および貨物を運送する索道(ロープウェイまたはゴンドラリフト)。
特殊索道:外部に解放された座席で構成されるいす式の搬器を使用して旅客を運送する索道(リフト)。
また、運転の仕方、索条の本数などによって以下のように分類しており、それぞれの組み合わせによって区別している。

交走式:2個の搬器が停留場間を交互に往復する索道(ロープウェイ)。
循環式:搬器が停留場間を循環する索道(リフト)。
滑走式:搬器はなくバーやロープを懸垂する索道(Tバー・Jバーリフト・ロープトゥなど)。
複線式:支索に搬器を懸垂し、えい索と平衡索によって運転する索道。
単線式:1本の索条に搬器を懸垂して稼動させる索道。
複式単線:単線のうち停留場間で索条を複数にした索道。

十条駅 京都市営地下鉄烏丸線

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十条駅(じゅうじょうえき)は、京都府京都市南区東九条南石田町にある、京都市営地下鉄烏丸線の駅。駅周囲は工場と住宅が混在した場所です。駅番号はK13。

駅構造
十条通と烏丸通が交差する十条烏丸交差点の地下に位置する。島式ホーム1面2線を有する地下駅。改札口は1箇所のみ。切符売場には券売機は3台。改札口の改札機は4台。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 ■ 烏丸線 下り 竹田・新田辺・近鉄奈良方面


2 上り 京都・四条・国際会館方面

改札内コンコースは休日昼間、人気もなく閑散としています。

利用状況
2016年(平成28年)度の1日平均の乗降人員は7,184人である。


駅周辺
西村製作所
任天堂 本社開発棟
京阪バス 本社
京都札ノ辻郵便局
十条通
烏丸通
阪神高速8号京都線 鴨川西出入口・鴨川東出入口
路線バス
地下鉄十条駅前
京都市交通局(市営バス)
16系統:京都駅八条口アバンティ前行/東寺 京都駅(烏丸口)行
84系統:葛野大路 太秦天神川駅行/京都駅八条口アバンティ前行
京阪バス
「ダイレクトエクスプレス直Q京都号」:大阪国際大学行/松井山手駅行/京田辺市役所行/関西外大学研都市キャンパス行/田ノ口行/京阪交野市駅行/なんば(OCAT)行/ホテル京阪ユニバーサル・タワー行
学研けいはんな線:けいはんなプラザ行
山科急行:醍醐寺行/合場川行
京都鴨川十条
十条通を東へ徒歩約4分、タイムズ鴨川西ランプ内。
京都駅・八条口観光バス駐車場に停車していた高速バスが、同駐車場の工事のため2015年2月26日から停留所を一時的にこちらに変更していた。
同駐車場工事完了に伴い、2017年1月31日限りで大半の便が停留所を京都駅八条口に戻す。

歴史
1988年(昭和63年)6月11日 - 京都市営地下鉄烏丸線の京都駅から竹田駅までの延伸開通に伴い開業する。
2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。
2010年(平成22年)4月 - 駅名標の下に、近隣施設の名称および商品名(「NSスリッター 西村製作所前」)が広告として付記される。

十条駅
じゅうじょう
Jujo
◄K12 九条 (0.7km)(1.2km) くいな橋 K14►
所在地 京都市南区東九条南石田町
北緯34度58分19.62秒
東経135度45分34.79秒
駅番号 ●K13
所属事業者 京都市交通局(京都市営地下鉄)
所属路線 烏丸線
キロ程 11.8km(国際会館起点)


駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 7,184人/日
-2016年-
開業年月日 1988年(昭和63年)6月11日

旧陸軍の軍用桟橋跡記念碑 旧国鉄宇品線のモニュメント

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宇品線(うじなせん)は、広島県広島市の広島駅から南下し宇品駅までを結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。現在は廃止されている。
軍用鉄道宇品線は広島駅と宇品港を結ぶ線路で日清戦争開戦の明治27年にわずか16日で完成させた線路です。


日清戦争の人員・物資輸送のための軍事専用線として建設された。開戦の1894年(明治27年)には山陽鉄道(現・山陽本線)が広島駅まで開業したため、この広島駅と宇品港(現・広島港)とを連絡するために、陸軍省の委託により山陽鉄道が軍用線を建設することになり、同年8月4日着工、8月20日竣工、8月21日に開業した。

以後、宇品港から日清戦争・日露戦争・太平洋戦争に出征・復員する兵士や物資の輸送を担った。1897年(明治30年)には山陽鉄道が陸軍省から借入れて一般旅客営業を開始し、1906年(明治39年)には鉄道国有法(同年施行)に基づき国有化されたが、1919年(大正8年)に旅客営業はいったん廃止され貨物専用線化された。旅客営業が復活したのは昭和初期であり、その運行は芸備鉄道(現・芸備線の前身)に1930年(昭和5年)から委託されたが、1937年(昭和12年)の芸備鉄道買収・国有化により再び国鉄に移管された。戦争期間中の一般旅客の利用は軍の規程により、基本的に認められていなかった。1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下に際しては、比較的被害が少なかった南段原駅 - 宇品駅間で被爆者の輸送が行われた。

戦後は沿線の学校、大学病院、県庁仮庁舎、工場などへの通勤・通学および貨物輸送を行っていた。広島駅では1番線ホーム東側切欠き部の0番線に発着していた。しかし市内の復興が進行するとともに県庁を始めとする沿線の公共施設が市の中心部へと転出、また同様に広島駅 - 広島港を結ぶ広島電鉄皆実線・宇品線(路面電車)やバス路線の利便性との差が大きくなり客足が減少、営業係数が4000を超える全国有数の赤字路線となった。定期券客をのぞいて旅客営業は1966年(昭和41年)限りで廃止(同時に広島駅0番線も廃止され、市販の時刻表にも非掲載となる)。その定期券旅客扱いおよび貨物扱いも1972年(昭和47年)に廃止され、国鉄の営業線としては使命を終えた。

その後は「宇品四者協定線」として通運業者四者(広島県経済連・日本通運・トナミ運輸・広島運輸)が、広島駅東側に位置する貨物駅の東広島駅(現・広島貨物ターミナル駅) - 宇品貨物取扱所間の国鉄側線扱い(準専用線)として使用していたが、1986年(昭和61年)に廃止された。

六管桟橋は宇品港が開港された13年後の明治35年に建設されました。宇品港の軍用桟橋として建設されたのが六管桟橋で、築港当時の唯一の遺構だそうです。ちなみに、「六管」とは第六管区海上保安本部のこと。戦後、六管の桟橋として使われていたため、この名前がつけられたそうです。
陸軍の兵站拠点である宇品港から兵士や物資を輸送船に乗せるための突堤で市民からは「陸軍桟橋」と呼ばれていました

当時、山陽本線の終点は広島駅で「広島駅から宇品港まで鉄道を繋げれば兵士や物資をそのまま船に積んで大陸まで輸送できる」という目的で敷設され、終点の宇品港には陸軍運輸部宇品支部が設置されました。

日清戦争は元より太平洋戦時中も兵士や物資を運ぶのにフル稼働で、兵站拠点となった宇品港の基幹輸送システムでした。
当時の賑わいは文部省唱歌「港」や、現在港周辺にある公園の記念碑などで窺い知ることが出来る。なお、宇品港は終戦まで陸軍船舶司令部が置かれ軍用港として用いられ、戦後は引揚援護局が置かれ復員および引揚者の受け入れ港となった。

戦後は国鉄として主に貨物の輸送を続けていましたがモータリゼーションの発達と自動車の普及、何より宇品港が戦前のような兵站拠点でなくなった事により残念ながら昭和61年に廃線となりました。

飯沼駅 明知鉄道明知線

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飯沼駅(いいぬまえき)は、岐阜県中津川市飯沼字市之坪にある明知鉄道明知線の駅である。駅番号は9。

駅構造
1面1線の単式ホームのみを持つ地上駅で、無人駅である。住民の要望によって明知鉄道になってから設立された駅である。

開業(1991年)から1996年までは普通鉄道としては日本で最も勾配が急な場所にある駅であった。

本来は駅設置が認められていない1000分の33(33パーミル)の急勾配中に設けられている。開業にあたっては、監督官庁である運輸省(当時)の担当者立ち会いのもと、停車・発進の安全性確認テストを繰り返し、特認により設置が認められた。 ホーム待合室外壁の下部には、当駅が33パーミルの勾配上にあることを示す小看板が取り付けられている。


駅周辺
人家は少なく商店もない。飯沼地区中心地まで数百メートル離れている。根ノ上高原

歴史
1991年(平成3年)10月28日 - 明知鉄道の駅として開業。

飯沼駅
いいぬま
Iinuma
◄10 東野 (5.0km)(2.3km) 阿木 8►
所在地 岐阜県中津川市飯沼
北緯35度25分6.81秒
東経137度27分40.62秒座標: 北緯35度25分6.81秒 東経137度27分40.62秒
駅番号 9
所属事業者 明知鉄道
所属路線 明知線
キロ程 7.6km(恵那起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 21人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1991年(平成3年)10月28日

清掃船「すいようⅡ」

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清掃船「すいようⅡ」は、広島港、五日市・廿日市市港等の港湾及び、江田島、宮島の島嶼部を含む周辺海域の海上ゴミを収集し、廿日市市の広島県のゴミ処理場へ陸揚げ後、産業廃棄物として処理しています。


部名船  名     船種・船質 総トン数  主機関馬力            速 力   建造年月日

広島支部 すいようⅡ 汽船鋼船  15トン  ディーゼルエンジン351馬力×2基  9.0Kt    平成16年10月

一般社団法人広島県清港会に所属。一般社団法人広島県清港会は広島県内の主要港湾及びその周辺海域において、海上の漂流物・汚物等を除去し、もって航行船舶の安全港内の整とん及び海洋汚染の防止に寄与し、港湾の美観の保持及び公衆衛生の向上に資することを目的としています。

昭和40年代初期、広島県内の主要な港湾海域は我が国経済の急速な発展により、船舶や河川から排出した塵埃・樹皮・流木等の漂流物によって汚染され、船舶の航行障害、漁業等に弊害をもたらした。このため、汚染された海域をきれいにするため、港湾及び周辺海域に利害を有する企業・団体は関係市町村及び、海上保安部等と協力し各地区に海上の清掃活動を行う組織を立ち上げ、昭和45年10月に広島清港会、同47年9月に尾道糸崎港清港会、同50年1月に福山清港会を設立した。その後変遷を経て、昭和55年4月に各地区の清港会が統合され、第六管区海上保安本部長の認可を受け (社)広島県清港会として発足しました。平成25年4月1日付けで、一般社団法人広島県清港会に移行しました。

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