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修善寺駅 伊豆箱根鉄道駿豆線

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修善寺駅(しゅぜんじえき)は、静岡県伊豆市柏久保にある伊豆箱根鉄道駿豆線の駅である。駅番号はIS13。駿豆線の終点である。

修善寺温泉の玄関口であり中伊豆、西伊豆方面へのバス連絡駅、ここから隣接する市や町にバスが出ている。

2014年(平成26年)に、駅舎の建て替えと北口と南北自由通路を新設し、駅舎には土産物屋や観光案内所、駅弁売り場なども設置された。
なお、この北口の供用開始後も、バスやタクシーの発着は南口となっている。

駅構造
島式ホームと単式ホームの複合型の3面5線のホームを有する地上駅である。駅舎は2014年に新築された平屋の駅舎です。

有人駅で自動券売機、自動改札機(いずれもTOICA・Suicaなどには非対応)などの設備がある。切符売場にタッチパネル式の券売機が2台。


改札機は4台です。頭上には液晶式の発車案内が設置されています。出札口ではJRに直通する乗車券と特急「踊り子」の特急券や新幹線特急券の発券を行っている。

POS端末とマルス端末が設置されており、そのうち乗車券はPOS端末で、特急券はマルス端末で発券される(ただし、踊り子が駿豆線内での料金設定がないため特急券の取り扱いは新幹線・在来線いずれも三島駅発のみ)。


特急「踊り子」号は3・4番線から発車する。普通列車は2・3番線の発着が基本だが、3番線に特急列車が停車している場合は5番線、早朝の1本と折り返し回送列車となる列車は1番線も使用する。

土曜日の夜間に特急「踊り子」が翌日曜日の運用のために留置される。


列車発車時には電子電鈴から発車ベルが鳴る。このベルはホームの島ごとに音程が異なる。
駅舎の中にセブンイレブンが併設されている。


かつては駅構内に機回し線を含めて3本の側線があったが、駅改良工事により機回し線だった線路に5番線ホームが建設され、2012年12月1日より使用開始された。5番線ホームの有効長は3両分であり、普通列車のみが発着できる。残る2本の側線も1本が撤去されている。


駅構内には観光案内所、売店、コンビニが併設されています。

また伊豆箱根鉄道など西武鉄道グループ各社がタイアップを行っているアニメ作品「ラブライブ!サンシャイン!!」のキャラクターパネルなどが設置されている。また、ライブツアーで実際に使用されたSL型の大型セットが2017年11月21日より展示されている。

のりば
1 ■駿豆線普通 伊豆長岡・大場・三島方面(早朝の1本以外は回送)


2 ■駿豆線普通 伊豆長岡・大場・三島方面


3 ■駿豆線普通、■特急「踊り子」号 伊豆長岡・大場・三島・熱海・小田原・横浜・東京方面
4 ■特急「踊り子」号 伊豆長岡・大場・三島・熱海・小田原・横浜・東京方面


5 ■駿豆線普通 伊豆長岡・大場・三島方面(一部列車のみ)

利用状況
「静岡県統計年鑑」によると、2004年度の一日平均乗車人員は2,889人、降車人員は3,270人であった。なお、2001〜2003年度の乗車人員は以下の通りである。

駅周辺
伊豆市役所
静岡県立伊豆総合高等学校
修善寺温泉


修禅寺
狩野川
修善寺虹の郷
日本サイクルスポーツセンター


日本競輪学校
国道136号
静岡県道12号伊東修善寺線
静岡県道80号熱海大仁線
新東海バス修善寺駅前案内所
花月園


1924年(大正13年)8月1日 - 大仁 - 修善寺間開業に伴い開業。
1966年(昭和41年)12月1日 - 貨物営業廃止
1983年(昭和58年)4月27日 - 駅舎完成


2000年(平成12年) - 中部の駅百選に選定される。
2013年(平成25年)10月5日 - 新駅舎一部供用開始。
2014年(平成26年)9月13日 - 新駅舎の完成式典。
2015年(平成27年)3月27日 - 鉄道総研が超伝導送電技術を用いた世界初の列車走行試験に成功。

修善寺駅
しゅぜんじ
Shuzenji
◄IS12 牧之郷 (1.2km)
所在地 静岡県伊豆市柏久保631-7
北緯34度58分44.73秒 東経138度57分1.93秒
駅番号 IS13
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 ■駿豆線
キロ程 19.8km(三島起点)
駅構造 地上駅
ホーム 3面5線
乗車人員
-統計年度- 2,366人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 4,948人/日
-2016年-
開業年月日 1924年(大正13年)8月1日


南海21000系電車 (大井川鐵道21000系)

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南海21001系電車(なんかい21001けいでんしゃ)は、かつて南海電気鉄道に在籍していた一般車両(通勤形電車)。大井川鐵道21000系。大井川鐵道に譲渡された編成は、南海時代の旧塗装である緑の濃淡を塗色として使用しているが、この内21001・21002は譲渡前に休車状態で工場に保管されていた時期に50000系「ラピート」の塗装比較試験に使用されており、このため譲渡に当たっては再塗装が必要となったが、この際、大井川鐵道側の希望でわざわざ旧塗装に戻されたといい、追加譲渡された第2編成もこれにならっている。譲渡の際、六角型の行先標枠が設置された。2017年2月26日には、2編成を併結した4両編成で運転される貸切乗車ツアーが実施された(片側1編成は無動力)。この際に六角型行先標枠を撤去し丸型ヘッドマークを設置する改造を実施していた。また、同年9月には撤去されていたパンタグラフの増設が完了し、南海所属時代への復元を目的とした様々な取り組みがなされている。高野線山岳区間への直通運転(大運転)対応車として、初めてカルダン駆動を採用した車両である。現行の2000系・2300系へと連なる「ズームカー」の系譜の嚆矢となった。増備車であり、南海線7100系と類似する直線基調のデザインに改められた22000系との対比から、「丸ズーム」と呼ばれていた。

 

元・南海電気鉄道高野線の大運転(急行)用車両21000系である。夏期の増発や特急車の検査時代走などで特急「臨時こうや号」運用へ充当する必要から、最後まで扉間に転換クロスシートが残されていた第1・第2編成の先頭車4両を譲り受けた。21002の車内に清涼飲料の自動販売機が設置してある。21003のクーラーが故障し2シーズン非冷房車扱いになっていたが、2015年(平成27年)6月に一畑電車で廃車になった車両からクーラーを調達し、載せ替えている。
21001Fと21003Fは2017年2月26日の南海ツアーで併結運転が行われた。以前にも、多客時に併結運転が行われたことはあるが、その時は21003Fが川根本町の観光PR塗装になっていたため、グリーンの南海塗装同士の併結は営業列車としては初めてだった。
21001Fは2017年3月に、16003Fと交代する形で休車扱いになっている。
21003Fは、従来1台であったパンタグラフを、2017年9月現在、2台に増設して運転している。
21001Fも2018年4月の検査出場でパンダグラフが2台になり、21002車端部に設置されていたジュースの自販機が撤去されロングシート座席に戻されている。 また、16003F同様、車内放送で日本語と英語の案内をするようになり、運賃表示器もLCDに変更され、英語表示もされるようになった。
2018年6月には千頭方21002の種別表示板が南海時代を彷彿させる丸板に変更された。21001も同年7月に丸板に変更された。


21001系
概要
1958年(昭和33年)から1964年(昭和39年)にかけて、モハ21001-モハ21100-モハ21100-モハ21001の全電動車方式による4両編成8本32両が、地元・大阪府堺市に所在していた帝國車輛工業で新製され、南海では1997年(平成9年)まで使用された。クロスシート車は、30000系登場までは、臨時「こうや」に使用されることもあった。

車体
車体は、後述する21201系が先行採用したものを踏襲した、11001系2次車以降の非貫通型(後の初代1000系)を、同じ2扉でも17mに短縮したスタイルの準張殻構造である。車体裾に丸みが付けられている事が示す通り、その断面形状は張殻構造の原則に忠実に従って設計されており、「丸ズーム」という愛称もこれに由来する。
室内は、1962年(昭和37年)に新製された3次車の第4編成までが、11001系と同様の扉間転換クロスシート、1963年(昭和38年) - 1964年(昭和39年)に新製された4・5次車はオールロングシートに変更された。1974年(昭和49年)に第3・4編成は、オールロングシートに改造されている。この際、第1・2編成はセミクロスシートのまま残されたが、これは前述の通り臨時「こうや」として運用されることを考慮してのもので、冬期に実施されていた20000系の定期検査時や同系の故障時、夏期の特急増発時などに重宝された。照明は蛍光灯1列に加えて座席荷棚下に伝統の読書灯が備えられており、これはロングシート車にも継承された。3次車の第4編成からは、乗務員室側開き戸が客室側窓より高くなった。

主要機器
山岳区間に介在する、50パーミルの急勾配を自力走行するためには、最大の駆動力が要求され、全電動車方式を採用したこともさる事ながら、歯車比も12:83=1:6.92とし、当時としては、異例の高ギヤ比となった。その反面、平坦線では高速走行が要求され、モータの牽引力を低下させない目的で補償巻線を装備し、電機子の反作用を打ち消すことで整流を安定させている。これによって、通常は40%程度が限界の弱め界磁率を、25%まで引き上げることが可能となった。山岳区間では30km/h走行、平坦線では100km/h走行が可能である。また、高ギヤ比を生かして起動加速度は3.1km/h/s(初期車は3.5km/h/S)、減速度は4.0km/h/sとなっている。

主電動機は東洋電機製造製TDK-820-Bを装備し、駆動装置も同じく東洋電機が開発した中空軸平行カルダン駆動方式、制御器についても当初は東洋電機製ACD-10を採用した。主回路構成については故障の際を考慮し、各車に1台ずつ制御器を搭載して4個のモータを制御する1C4M制御方式を採用しており、全車に各1基パンタグラフが搭載されていた。また、3次車(21007編成)からは再ノッチ(再力行)ならびに制動開始時に起こるショックを極力緩和するための対策もなされている。これはもともと前年に登場した20000系で、磁気増幅器式スポッティングを付加した制御装置を採用して大成功を収めたことから、これを本系列にも波及させている。

ブレーキシステムは当初より三菱電機製HSC-D電磁直通ブレーキで、制御器の発電制動機能と連動して動作する。また、手ブレーキも残されており、後年保安ブレーキが追加されるなど、急勾配線区で使用される事と過去の事故経験を生かしてブレーキ故障時の暴走事故を防ぐべく、二重三重の備えがなされていたことも特徴であった。

高野線では昭和初期以来AUR系制御器による電力回生ブレーキが使用されていたが、本形式開発の時点では、変電所の整流器が回転変流器からシリコン整流器へ交換されており、余剰電力の吸収が出来なくなっていた。このため本形式では負荷となる列車が存在しない状況での確実な制動が期待できない(回生失効を招く)として、電力回生制動の搭載は見送られている。

台車は第1・2編成が住友金属製鋳鋼ウィングバネ式台車のFS17、第3編成以降がこれにボルスタアンカーを追加して揺動の抑止を図ったFS17A[7]である。

本形式の電装品および台車は、あらかじめモハ1021形(電8形)1024に先行試作品が装備されて本線上で試験走行を繰り返し、実働データを収集の上で採用されており、複雑かつ高度なシステムにもかかわらず、当初より安定した性能を発揮した。

昇圧工事
1973年(昭和48年)に南海本線・高野線系統の架線電圧が直流600 Vから1500 Vに昇圧されることが決定したため、以後も全車が継続して使用される本形式については、冷房化工事と併せて実施されることとなり、1972年(昭和47年)以降検査周期に合わせて近畿車輛で改造工事が実施された。

その内容は、これまでの一台の制御器で4個の主電動機をつかさどる1C4M方式をやめ、4連を2両単位でユニット化し1M8C化した。難波寄りの奇数車にはパンタグラフ・電動発電機・エアーコンプレッサーなどの補機を搭載し、極楽橋寄りの偶数車には22000系に搭載されているものと同じ日立製作所製MMC-LHTB-20D(1C8M制御)と、これまでの強制通風式に代えて自然通風式に変更されたリボン抵抗器を搭載した。また主電動機は偶数車と奇数車で高圧・低圧の直列つなぎとなるように主回路を構成し、制御器を搭載する高圧側の偶数車のみ絶縁を強化した昇圧対応設計のTDK-820-Eを装架していた22000系の奇数車の主電動機と交換した[10]。ちょうどこのとき2両編成の増結用車両22000系を本形式と同数の32両を建造しており、22000系と仕様を揃えた上で、主電動機を両者で入れ替えることにより高価な主電動機を大改造したり新造品と換装する必要がなくなることでコスト増を回避するという、同数新造ならではの一石二鳥の巧妙な方策をとっている。ただし、TDK-820-Bと-Eでは絶縁強化の関係でブラシ部分の構造が異なっていたため、保守の便を考慮して-Bのブラシ支えを改造し、-E仕様のパーツを共用可能とした。なお冷房装置への給電用としても使用される電動発電機は75 KVA級の大容量モデルが採用された。外観で特徴的なのは自然通風式に変更されたリボン抵抗器で、22000系の物より大容量とされ、その機器箱は台車間のほぼ全長を使い切るほどの容積であったことが挙げられる。

冷房装置は日立製作所製の集中式冷房装置であるFTUR-550-206Dが採用された。これは同時期に南海線用の姉妹車である初代1000系が採用した三菱電機製CU-73と同等品であるが、調達先を分散させている。


1969年(昭和44年)10月に22000系が登場すると、同年11月1日から河内長野駅(のちに三日市町駅→橋本駅)にて増解結が行われるようになると、それの登場に合わせてモハ21001形奇数車において連結器をそれまでのNCB-Ⅱから、60点式電気連結器CE-S747Fを付加したCSD-80廻り子式密着連結器に交換することとなり、まず最初からオールロングシートだった第5 - 8編成に対して実施された。続いて1974年(昭和49年)10月にはセミクロスシートの第3編成、同年12月には同じく第4編成に対しても実施(この2編成に対しては同時にロングシート化も実施)され、そして1982年(昭和57年)8月にはセミクロスシートのまま残された第1編成、さらに翌1983年(昭和58年)2月には同じく第2編成に対しても実施されて、すべての奇数車における連結器交換を完了したが、逆に偶数車はNCB-Ⅱのまま残された。しかし1990年(平成2年)に2000系が登場しているが、そちらの電気連結器は120点式のCE-S760を採用しており、点数および接点構成が異なるため、同年3~4月に22000系ともどもCE-S760に交換して120点式に統一した。

南海21000系電車
南海21000系 旧塗装 (1989年 新今宮駅にて)
南海21000系 旧塗装
(1989年 新今宮駅にて)
基本情報
製造所 帝國車輛工業
主要諸元
編成 4両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
最高運転速度 100(山岳区間30) km/h
起動加速度 3,1 km/h/s
減速度 4,0 km/h/s
編成重量 37.0 t
全長 17,725 mm
全幅 2,720 mm
全高 4,000 mm
台車 住友金属工業製 FS17
主電動機 東洋電機製 TDK-820-B
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
制御装置 東洋電機製 ACD-10

平野駅(JR西日本)関西本線

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平野駅(ひらのえき)は、大阪市平野区平野元町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。駅番号はJR-Q22。駅付近に大型スーパーがあります。


関西本線を所属線としている。旅客駅はアーバンネットワーク内にあり、関西本線は「大和路線」の路線愛称設定区間に含まれている。

このほか当駅からは日本貨物鉄道(JR貨物)の第一種鉄道事業者区間となっている百済貨物ターミナル駅への関西本線支線、およびおおさか東線の正覚寺信号場から分岐するJR西日本の片町線支線(城東貨物線の一部。城東貨物南連絡線とも呼ぶ)が接続しており、貨物列車の運行では両路線が一体となっている。


駅構造
旅客営業を行っている関西本線(大和路線)は、単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームと通過線(天王寺方面)1線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。2・3番のりばが島式ホームとなっている。さらに、北側に貨物専用線を1線有する。橋上駅舎の北口駅前はきれいに区画整備されています。駅南口はそれほど広くはありませんが、路線バスも発着しています。

天王寺駅が管理している直営駅で、ICカード乗車券「ICOCA」が利用できる。みどりの窓口と改札口。改札機は4台。頭上にはLED式の発車案内が設置されています。特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 Q 大和路線 下り 天王寺・JR難波・大阪方面
2・3 上り 王寺・奈良・高田方面
1番のりばが下り副本線、2番のりばが上り本線、3番のりばが副本線である。下り本線は1番のりばと2番のりばの間にホームのない通過線として存在し、快速列車などが通過する。朝ラッシュ時には当駅で通過待ちを行う天王寺・JR難波行きの普通電車がある。なお、運転取り扱い上では、1番のりばが「1番線」、通過線が「2番線」、2番のりばが「3番線」、3番のりばが「4番線」となっている。

 

配線変更工事
かつては、3番のりばが上り本線、2番のりばが上り副本線であった。2番のりばは、城東貨物線からの貨物列車が百済駅(現・百済貨物ターミナル駅)への入線待ちで停車したり、奈良方面行き普通列車が通過列車を待避するのに使用していた。後述の貨物専用線新設工事に伴い、貨物列車は4番線の北側に新設された5番線を2010年5月23日から使用している。その後、2番のりばは上り線改良工事のため一旦使用休止した後、2010年10月30日から上り本線として使用が開始された。これと入れ替わりに3番のりばが改良工事のため使用休止となったが、2011年3月12日から上り副本線として使用が開始された。


百済第一信号場
関西本線上の平野駅から加美駅寄りに設けられた、おおさか東線正覚寺信号場(放出駅方面)へ向かう片町線貨物支線(城東貨物南連絡線)との分岐点にあった信号場である。正式には平野駅構内の扱いであり、独立した信号場ではないが、貨物列車の時刻表では百済第一信号場は採時駅として記載されていた。ただし一時期は独立した信号場として扱われ、こちらが「正覚寺信号場」を名乗っていた。

2010年10月29日までは、放出駅からおおさか東線を経由して百済駅(現・百済貨物ターミナル駅、貨物駅)に向かう貨物列車は関西本線(大和路線)に合流して当駅まで約700mを上り線を逆走する形で平野駅の2番のりばに入り、そこから百済駅へ進入していた。貨物線から百済駅方面へは、関西本線への合流部が百済第1場内、平野駅への進入が百済第2場内、平野駅から百済駅への進入が百済第3場内となっていた。

この信号場は1931年に片町線貨物支線として放出駅 - 平野駅間が開業した際に「正覚寺信号場」(初代)として設置されたが、1939年に八尾駅への片町線貨物支線が開業した際に平野駅の構内扱いとなった。1941年に平野駅から再び独立して「正覚寺信号場」(2代目)となったが、1961年に再度平野駅の構内扱いとなった。なお、「正覚寺信号場」の名称はその後、おおさか東線上の久宝寺駅方面と城東貨物南連絡線(平野駅方面)の分岐点に継承されている。

梅田駅の貨物機能の一部が百済駅に移転に伴う百済駅改修事業の一環として、百済第一信号場 - 当駅間に貨物専用線が新設される工事が行われ、2010年10月30日に貨物専用線の使用を開始し、貨物列車と旅客列車の走行線路が分離された。これにより百済第一信号場は廃止された。


駅周辺
社寺ほか
平野郷
平野町ぐるみ博物館
新聞屋さん博物館
杭全神社
宇賀神社
大念仏寺
全興寺
長寶寺
満願寺
プロムナード平野(旧南海平野線平野駅)
学校
天王寺学館高等学校
平野ドレスメーカー専門学校
大阪市立平野北中学校
大阪市立平野小学校
大阪市立加美北小学校
西平野幼稚園
商業施設
イズミヤ 平野店
イオンタウン 平野
マックスバリュ 平野駅前店
ライフ 平野西脇店
スーパーサンコー JR平野駅前店
ニトリ 平野店
ドラッグストアサーバ 平野西脇店
金融機関
三井住友銀行 平野支店
みずほ銀行 平野支店
大阪平野北郵便局
平野大念仏寺前郵便局
その他
大阪市下水道局平野市町抽水所
大阪市立平野図書館
赤城水産 関西工場
日本電気化学工業所 平野工場
大阪市高速電気軌道 平野駅(南へ約1.2km)
国道25号線

バス路線
大阪シティバス(JR平野駅停留所、南口交差点南側)
30号系統:あべの橋 行(地下鉄南巽・杭全・寺田町経由)/平野区役所前 行(平野南口・地下鉄平野経由)
19号系統:地下鉄今里(地下鉄北巽経由)行/加美東三丁目北 行(加美経由)
なお、2008年3月29日までは、久宝寺六丁目(以前の18A号系統)や松虫通を経由してあべの橋(20号系統)へ至る路線も存在した。また、2014年3月31日までは近鉄八尾駅への路線(9A号系統)も存在した。2018年12月20日までは布施駅への路線(近鉄バス40番)も存在した。

 

 


1889年(明治22年)5月14日 - 大阪鉄道 (初代)が湊町駅(現在のJR難波駅) - 柏原駅間で開通した際に、同線の駅(一般駅)として開業。
1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継、同線の駅となる。
1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化。国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称設定により、関西本線所属となる。
1931年(昭和6年)8月10日 - 片町線貨物支線(城東貨物線)が放出駅から開通。関西本線との合流点に正覚寺信号場(初代)を設置。
1939年(昭和14年)10月15日 - 正覚寺信号場(初代)が当駅に統合され廃止。
1941年(昭和16年)7月25日 - 当駅から再独立する形で正覚寺信号場(2代目)開設。
1961年(昭和36年)12月10日 - 正覚寺信号場(2代目)が再び当駅に統合され廃止。
1963年(昭和38年)10月1日 - 貨物営業廃止(旅客駅となる)。関西本線の貨物支線が百済駅まで開通。
1973年(昭和48年)12月26日 - 駅構内で列車の平野駅列車脱線転覆事故が発生。ATS-Pの開発のきっかけとなった事故である。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。ただし、百済駅への関西本線貨物支線は日本貨物鉄道(JR貨物)に承継。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、関西本線で「大和路線」の愛称を使用開始。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2010年(平成22年)12月4日 - ホームのかさ上げ工事が完成。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。


平野駅
ひらの
Hirano
所在地 大阪市平野区平野元町9-12
北緯34度37分50.65秒 東経135度33分6.21秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 ヒラ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 11,428人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1889年(明治22年)5月14日
乗入路線 旅客線1路線 合計3 路線
所属路線 Q 関西本線(大和路線)
駅番号 JR-Q22
キロ程 167.5km(名古屋起点)
加茂から46.6km
◄JR-Q23 加美 (1.5km)(1.5km) 東部市場前 JR-Q21►
所属路線 関西本線貨物支線
キロ程 0.0km(平野起点)
(1.4km) 百済(タ)►
所属路線 片町線貨物支線
(城東貨物南連絡線)
キロ程 1.5km(正覚寺信号場起点)
◄正覚寺(信) (1.5km)
備考 直営駅
みどりの窓口 有
阪 大阪市内駅

大井川鉄道スロフ300形客車

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大井川鉄道スロフ300形客車
1957年(昭和32年)に中部電力専用鉄道が大井川鉄道(現・大井川鐵道)井川線として旅客営業を開始してから、観光客は増加の一途をたどり、既存の客車では輸送力不足となった。1961年(昭和36年)に製造されたスロニ200形に続いて、1962年(昭和37年)に日本車輌製造で製造されたのが本形式である。

中央にデッキがある密閉型客車で、車掌台と暖房機もデッキ脇の戸袋部分にある。足回りはcトキ200形の台車を流用している。スロフ301 - 304はバス窓(妻窓は2段窓)であるが、1980年(昭和55年)以降に製造されたスロフ305以降は川根両国車両区で製造されるようになり、窓も一段下降窓になった。車内は固定クロスシートで2-1配列、定員は55名で、そのうち座席定員は39名(スロフ301・302は37名)。

車内は製造時期によって異なる部分がある。2次車までは国鉄近郊形とほぼ同様のボックスシートであるが、2次車(スロフ303・304)では1人掛け座席上に荷物棚が設置された。3次車ではバス用の座席をボックスシートの状態に設置したが、スロフ309以降は通常のボックスシートに戻されている。いずれの車両も井川駅に向かって右側が2人掛け、左側が1人掛けとなっているが、これは車窓に大井川が見える側を2人掛けとしたものである。

スロフ310(初代)は1990年(平成2年)に制御客車のクハ601に改造されているが、その後1991年(平成3年)に4両が製造された際に、再びスロフ310(2代)が製造されている。また、2001年(平成13年)に増備されたスロフ316は、車両の半分が開放式の展望デッキとなった状態で登場、展望デッキ部分ではベンチを川側(下り井川行き列車の場合で進行方向右側)に配置している。

2011年(平成23年)には、老朽化したスハフ502の更新改造によりスロフ317が落成。改造は両国車両区。こちらスロフ316と異なり全室客室の従来形となったが、一段下降窓のスロフ305以降では唯一暖房を搭載している。車両自体は2011年前半には完成していたが、土砂崩落による千頭 - 奥泉間の休止により長らく両国車両区内に置かれており、全線開通となった8月12日より営業運転を開始した。

全車とも井川線の主力客車として運用されている。

大井川鉄道スロフ300形客車
基本情報
製造所 日本車輌製造・大井川鐵道両国車両区
主要諸元
編成 1
軌間 1067 mm
車両定員 55
全長 11000 mm
車体長 10400 mm
全幅 1840 mm
全高 2690 mm
制動装置 自動空気ブレーキ

京都駅 京都市営地下鉄

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京都駅
京都市営地下鉄
京都市交通局 : 京都市営地下鉄烏丸線 - 駅番号はK11。地下鉄線の駅は「地下鉄京都駅(烏丸線京都駅)」と呼ばれることが多い。

駅構造
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。改札口は北改札(有人)、中央1改札(有人)、中央2改札(無人)、南改札(無人)の4か所で、JR在来線への乗り換えは中央2改札が、JR奈良線・新幹線および近鉄線との乗り換えは南改札が便利である。

地下鉄の駅はPiTaPaおよびスルッとKANSAI対応各種カードの利用エリアに含まれており、それぞれ相互利用可能な各カードにも対応している。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 Subway KyotoKarasuma.png 烏丸線 下り 竹田・新田辺・近鉄奈良方面
2 上り 四条・烏丸御池・北大路・国際会館方面
可動式ホーム柵が設置されています。


京都市営地下鉄 - 2016年度の1日平均の乗降人員は123,360人である。
同局の駅では第1位。近年は概ね増加傾向である。

 

同電停には伏見線(のちに河原町線に編入)、堀川線、烏丸線が乗り入れていた。

1895年(明治28年)2月1日 - 京都電気鉄道(のち京都市電に統合)の伏見線七条停車場(後の京都駅八条口)- 下油掛(後の京橋)間が開業。
1901年(明治34年)4月12日 - 伏見線が京都駅前電停まで延伸。
1904年(明治37年)12月28日 - 京都電気鉄道堀川線が四条西洞院から延伸し京都駅前に乗り入れ。
1912年(明治45年)6月11日 - 京都市電烏丸線が開業。
1918年(大正7年)7月1日 - 京都電気鉄道が京都市に買収され、京都市電の路線となる。
1929年(昭和4年)1月16日 - 京都市電伏見線が河原町線に編入される。
1961年(昭和36年)8月1日 - 京都市電堀川線(通称:北野線)が廃止。


1977年(昭和52年)10月1日 - 京都市電烏丸線の残存区間(京都駅前 - 烏丸七条)が廃止。
1978年(昭和53年)10月1日 - 京都市電が全廃(河原町線も廃止)。これにより、京都駅前電停は廃止となる。
1981年(昭和56年)5月29日 - 京都市営地下鉄烏丸線の当駅 - 北大路駅間の開通と同時に地下鉄京都駅が開業。
1988年(昭和63年)6月11日 - 京都市営地下鉄烏丸線の当駅 - 竹田駅間が延伸開業。
2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。
2012年(平成24年)9月25日 - Kotochika京都が北改札側に開業。
2013年(平成25年)3月1日 - Kotochika京都が中央改札口側に開業。
2015年(平成27年)12月12日 - 地下鉄線ホームに可動式ホーム柵が設置され、使用を開始。


京都市営地下鉄 京都駅
きょうと
Kyoto
◄K10 五条 (1.0km)(0.8km) 九条 K12►
所在地 京都市下京区東塩小路町
北緯34度59分7.97秒 東経135度45分36.44秒
駅番号 ●K11
所属事業者 京都市交通局(京都市営地下鉄)
所属路線 烏丸線
キロ程 10.3km(国際会館起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 123,360人/日
-2016年-
開業年月日 1981年(昭和56年)5月29日

大井川鉄道E10形電気機関車

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大井川鉄道E10形電気機関車(おおいがわてつどうE10がたでんききかんしゃ)は大井川鉄道(現・大井川鐵道)が1949年(昭和24年)に導入した直流用電気機関車である。

概要
大井川本線の電化に際し、1949年にE101・102が三菱重工、E103が日立製作所で製造された。
車両
小型のデッキを持つ自重45t・軸配置B-Bの箱型電気機関車で、当時の私鉄としては大型のものである。外見は当時製造されていた国鉄EF58形(旧車体)・EF15形と類似していて、同型には神戸電気鉄道ED2001形や小田急デキ1040形、近畿日本鉄道デ31形などが挙げられる。

E101, E102は同じ三菱重工製ながら、ひさしの有無や、車体全高の差異など見て分かる違いが多い。日立製作所製のE103は他機に比べて角ばった外見をしている。全機の共通点として、警笛に電気機関車としては珍しい電車用タイフォンを採用した点が挙げられる。なお、E103はの岳南鉄道移籍時にタイフォンからホイッスルに交換されたが、返却後1エンド側のみタイフォンに復元されている。E101も後述の大規模整備の際にホイッスルに交換された。

運用
登場当初は大井川本線で貨物列車の牽引に使用された。1976年(昭和51年)のSL急行運転開始後はその補助機関車(補機)としての運用が主となり、貨物運用は後の1983年(昭和58年)に廃止された。2001年(平成13年)からはED500形と共通運用でSL急行の補機を務めている。

その他の運用として、1984年(昭和59年)から毎年夏に運転されているビール列車や、イベント時の臨時客車列車の牽引、新金谷車両区での入換作業にも使用されている。まれに工事列車としてホキ800を牽引することもあった。

検査期限切れにより2011年(平成23年)ごろから運用離脱していたE101が2013年(平成25年)春ごろから2014年(平成26年)2月まで新金谷車両区で全般検査等大規模な整備を受けて本線復帰した。このときモーターおよび台車を2011年に廃車解体となった神戸電鉄700形電気機関車のものと交換されている他、タイフォンのホイッスル化や側面に左右2箇所ずつある機器冷却用のルーバーを埋めるなどの改造が施されている。
大井川鐵道は公式SNSなどで、西武E31形電気機関車導入に伴う既存機関車の廃車はないとしているが、製造から70年近く経ち老朽化が進んでいるため今後の動向が注目される。

井川鐵道E10形電気機関車
基本情報
運用者 大井川鐵道
製造所 三菱重工業 : E101, E102
日立製作所 : E103
製造年 1949年
製造数 3両
主要諸元
軸配置 B-B
軌間 1,067 mm (狭軌)
電気方式 直流1500V(架空電車線方式)
全長 12,800 mm
全幅 E101, E102 : 2,708 mm
E103 : 2,700 mm
全高 E101 : 4,135 mm
E102 : 4,200 mm
E103 : 4,040 mm
機関車重量 45.0t
台車 固定揺枕形鋼組立式
動力伝達方式 1段歯車減速吊り掛け式
主電動機 E101, E102 : MB-266-A
E103 : HS-267A
主電動機出力 150kW(電圧1,500V) × 4基
歯車比 18:80=1:4.44
制御装置 電磁空気単位スイッチ式
制動装置 EL14A空気ブレーキ、手ブレーキ、発電ブレーキ
定格速度 31.3 km/h
定格出力 600 kW (1時間定格)
定格引張力 7,000kg

閑蔵駅 大井川鐵道井川線

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閑蔵駅(かんぞうえき)は静岡県静岡市葵区井川字閑蔵にある大井川鐵道井川線の駅である。閉塞区間を短くするために設けられた。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地上駅、交換可能駅である。ホームは構内踏切で結ばれています。駅舎はなく、井川側に待合室とトイレが設置されています。

駅周辺
山間の地であり、建物は少ない。駅付近には閑蔵、新接阻大橋の先に海久保の合わせて2集落があるものの民家の総数は20軒程度と少ない。
大井川
井川村立井川小学校閑蔵分校跡
大井神社


歴史
1959年(昭和34年)8月1日開業
2014年(平成26年)9月2日 - 当駅の約600m南側で崩土のため、当駅を含む接岨峡温泉 - 井川間が運休。
2017年(平成29年)3月11日:接岨峡温泉 - 井川間が復旧。
2018年(平成30年)5月8日:閑蔵-井川間で崩土により不通。不通の間は当駅で折り返しとなる。
2019年(平成31年)3月9日:閑蔵‐井川間再開予定。

閑蔵駅
かんぞう
KANZOU
◄尾盛 (2.7km)(5.0km) 井川►
所在地 静岡県静岡市葵区井川
北緯35度11分30.02秒
東経138度11分40.38秒座標: 北緯35度11分30.02秒 東経138度11分40.38秒
所属事業者 大井川鐵道
所属路線 井川線
キロ程 20.5km(千頭起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 15人/日
-2016年-
開業年月日 1959年(昭和34年)8月1日
備考 終日駅員無配置
標高557m

クメサンケイ 125cc

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クメサンケイ 125cc 1956年 久米産業/名古屋市

昭和30年(1955)に入ると、これまでの60ccから125ccまでが運転免許制から免許不要の許可証だけで乗れるようになり、125ccブームがおこった。

オートバイは用途、設計、特徴などのさまざまな要素によって分類され、その種類は数多い。分類方法には法規に基づく排気量や変速型式を規準にする分類や、用途、構造、特性など、利用者の価値観に基づく分類などが挙げられ、それらを組み合わせた説明がなされている場合が多い。


スポーツ性を重視し、身体を使いつつ、走行すること自体を楽しむタイプ
通勤、通学などの移動手段として利用される比較的小型のタイプ
になるとされ、スポーツ性を重視したものをさらに細分化すると、
舗装道路を快適に走るためのオンロードモデル
路面状況を選ばず走るためのオフロードモデル
に大別できるとされている。さらにスポーツ性を重視したモデルの中でも、オンロード、オフロードともに一般公道での走行ができない、オートバイ競技専用の車両なども存在する。

こうした規準を踏まえたうえで、一般に流通しているオートバイを扱うカタログ雑誌ではネイキッド、スーパースポーツ、ツアラー、メガスポーツ、クルーザー、デュアルパーパス、スクーター、レーサー、ビジネスバイク、などといった分類のもとにオートバイの車種の解説が行われている。
排気量の大きさで区別して、排気量の大きなものを「大型バイク」、排気量の小さなものを「ミニバイク」と分類することもある。例えば駐輪場の管理者などが用いており、何cc以上を大型と見なすか、その線引きについては、さまざまな方法がある。駐輪場などでは実際上は125cc以上で線を引いている例は多いが、文言上は50cc以上としている例もあ。自動車免許での運転が可能な原動機付自転車など、排気量の小さなものを「ミニバイク」と呼ぶことがある。
その車両を使用したレースなどが存在し、レギュレーションから一定の仕様が求められる場合などにおいては厳格な仕様、分類などが当てはめられる場合もあるが、こうした分類はメーカーによる販売戦略を受け、使い勝手の広さをアピールする意図で他の分類を意味する単語が与えられたり、オートバイ雑誌やユーザーなどによって異なる分類がなされ、さらなる細分化がなされることがある。


小田原駅(JR東日本)(JR東海)(JR貨物)(小田急)・箱根登山鉄道・伊豆箱根鉄道

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小田原駅(おだわらえき)は、神奈川県小田原市栄町一丁目および城山一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・小田急電鉄(小田急)・箱根登山鉄道・伊豆箱根鉄道の駅である。

 

古くから城下町、東海道の宿場町として栄えた小田原市の中心駅である。神奈川県西部のターミナル駅であり、箱根観光の拠点ともなっている。近年は外国人旅行者も多い。

当駅は、1920年(大正9年)10月に国府津駅を起点とする熱海線(現在の東海道本線)の終着駅として開業した。その後、1927年に小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)、1935年に大雄山鉄道(現・伊豆箱根鉄道)と箱根登山鉄道が乗り入れ、さらに1964年には東海道新幹線の開業と同時に駅が設置され、現在は1日約15万人の利用がある。1987年4月の国鉄分割民営化によって、日本国有鉄道の路線であった東海道新幹線と東海道本線は前者がJR東海、後者がJR東日本と別会社による運営となり、また貨物営業はJR貨物に継承された。

現在は、JR東日本・JR貨物の東海道本線(JR東日本が第一種鉄道事業者、JR貨物が第二種鉄道事業者)、JR東海の東海道新幹線、小田急電鉄の小田原線、箱根登山鉄道の鉄道線、そして伊豆箱根鉄道の大雄山線が乗り入れている。このうち小田急と箱根登山鉄道は直通運転を行っている。旅客駅のみであるが同一駅構内の乗り入れ鉄道事業者数5社はかつて日本最多であった。各線とも2003年に完成した橋上駅舎によって結ばれている。

JR東日本東海道本線の駅には、東京駅発着系統と、新宿駅経由で高崎線に直通する湘南新宿ライン、東京駅・上野駅経由で東北本線(宇都宮線)・高崎線に直通する上野東京ラインが停車する。湘南新宿ラインは原則として当駅までの運転である。なお、運転形態の詳細については「東海道線 (JR東日本)」を参照。東海道新幹線は1日15本(下り8本、上り7本)の「ひかり」と、「こだま」が停車する。また当駅に停車する下りの「ひかり」は早朝を除き名古屋駅まで停車しない。その他はいずれの路線も当駅終着・始発の列車が多い。

またJR東日本が発行するフリー切符のうち、休日おでかけパスは東海道線内当駅までがフリーエリアとなる。JR小田原駅の事務管コードは、▲460126となっている。

駅構造
小田原駅ホームの番号設定は、乗り入れている鉄道事業者すべてに通しで振られている。 南側から次のようになっている。

1・2番線:伊豆箱根鉄道
3 - 6番線:JR東日本
7 - 11番ホーム:小田急・箱根登山鉄道
(12番ホームは欠番)
13・14番線:JR東海
高架駅の新幹線以外は地上駅である。JR東日本・小田急・箱根登山鉄道は地上3階、JR東海は地上1階、伊豆箱根鉄道は地上2階にそれぞれ改札口・駅事務室がある。小田急と箱根登山鉄道は同一改札内である。

2003年3月30日に橋上駅舎が完成し、同年12月20日に「アークロード」の愛称を持つ東西連絡通路が完成した。これにより連絡通路が完成し、東口・西口間の通行が可能になった。東西自由通路は16メートルの広い幅の通路でエスカレーター・エレベーターが設置されている。自由通路内には小田原市の観光案内所がある。

2005年6月25日には旧東口JR駅舎の跡地に地上5階地下1階の駅ビルが完成し、地上1 - 5階は「小田原ラスカ」としてオープンした。駅ビルの完成に合わせて、東西バスターミナルのレイアウトが変わり、東口にはペデストリアンデッキが設置された。エスカレータ・エレベーター・多目的トイレが構内に設置されている。

JR東日本
直営駅(駅長配置)で管理駅として、早川駅を管理する。地上にある島式ホーム2面4線を使用している。その外側に貨物線2線と留置線2線がホームに平行して通っている。留置線は熱海方にも設置されている。鶴見駅から続く東海道貨物線との複々線区間の終端であり、当駅以西は旅客列車・貨物列車とも同一線路を走行する。

当駅が始発・終点になる列車が多く、湘南新宿ラインと通勤快速は熱海方面には行かない。土曜と休日を中心に運転される「伊豆クレイル」も、当駅が始発・終点になっている。一部の上り快速「アクティー」は当駅で始発の普通列車に接続する。一部の上り普通列車は当駅で快速「アクティー」・特急「踊り子」の待ち合わせをする。また、熱海発の上り普通列車が当駅始発の快速「アクティー」や湘南新宿ライン特別快速との接続を取ることもある。一部の列車は当駅で特急列車の通過待ちも行う。

特急は、「踊り子・リゾート踊り子」の全列車が停車し、「スーパービュー踊り子」は一部の列車が停車する。また朝に限り当駅始発の「湘南ライナー・おはようライナー新宿」の通勤列車が運行され、夜間は「湘南ライナー・ホームライナー小田原」・通勤快速の終点となっている。「ホームライナー小田原」と平日ダイヤの通勤快速、土休日ダイヤの快速「アクティー」の一部は、当駅で先行していた熱海方面の普通列車に接続する。深夜には臨時快速「ムーンライトながら」の下りが停車する。快速「アクティー」は当駅 - 熱海駅間は各駅に停車するが、2004年10月15日までは早川駅・根府川駅を通過する列車も設定されていた。2010年度までは当駅始発・終着である湘南新宿ラインの特別快速が土休日ダイヤで2往復が熱海駅まで延長運転する日があった(早川駅・根府川駅は通過)。

かつては、当駅で下り普通列車の付属編成切り離しや、上り普通列車の車両連結が行われていた。東京方に、付属編成用の引き上げ線2線が存在するが、使用停止となっている。

当駅始発の列車に乗車する場合は、ドアの横にあるボタンで開ける必要がある(空調の関係などのため)。なお、発車1分位前になるとすべてのドアが開くので通常通り乗車できる。ただし、当駅折り返し列車において遅延が発生している場合など、停車時間が短い場合やその他、車掌などの判断でドアを閉めない場合もある。また、当駅始発ではない列車は全ての扉、当駅始発の湘南ライナー・おはようライナーに関しては乗車可能な扉のみが開くので通常通り乗車できる。

のりば
番線 路線 方向 行先 備考
3・4 JT 東海道線 下り 熱海・伊東・沼津方面
5・6 上り 横浜・品川・東京・上野方面
(上野東京ライン) (国府津・平塚・大船方面)
上野駅から■宇都宮線・■高崎線へ直通
JS 湘南新宿ライン 北行 横浜・渋谷・新宿方面 大宮駅から■高崎線へ直通

なお、3・6番線が本線、4・5番線が副本線である。当駅始発列車は4・5番線を使用するが、早川方向から回送して当駅から営業運転に入る列車は、6番線より発車するのも少ないながら設定されている。案内上では上記のように案内されているが、湘南新宿ラインの列車は当駅始発のみのため、現在は6番線から湘南新宿ラインの列車が発車することは原則としてない。
東海道線東日本区間では、上野東京ラインへの乗り入れに合わせ、2013年にATOS放送のプログラムを更新、さらに2015年2月には上野東京ライン対応の内容に更新された。
夜間滞泊設定駅である。
駅構内設備
3番・4番線ホーム 新幹線からの乗り換え改札口
3番・4番線ホーム
新幹線からの乗り換え改札口
エレベーター・エスカレーターはすべてのホームに設置。トイレはコンコース内に多目的トイレがある。売店は、「KIOSK小田原1号店」「NEWDAYS mini小田原1号店」がホーム東京方、弁当売店が各ホーム真ん中よりにある。JR東海東海道新幹線との連絡通路がある。ホーム有効長は15両編成対応である。


貨物取扱
JR貨物の駅は車扱臨時取扱駅となっている。

1984年1月までは小田急電鉄との貨物列車の連絡があり、それ以降も、1994年まで小田急電鉄や箱根登山鉄道の車両の搬入や搬出が当駅で行われていた(その後松田駅 - 新松田駅を結ぶ連絡線に変更)。

2018年現在、定期での貨物列車の発着はないが、まれに伊豆箱根鉄道大雄山線で使用されている車両が検査などで大場工場との間を回送する場合に、当駅と三島駅の間で東海道本線を経由して甲種輸送列車が運行される。三島駅では、大場工場へ通ずる駿豆線に接続している。

特筆すべき点として、当駅にはJR線と大雄山線を介する授受線がなく、直接東海道貨物線の本線と大雄山線の線路が直接渡り線で繋がっているだけである。この間には無架線地帯が存在するため、甲種輸送の際に電気機関車と輸送車両との間に控車となる空のコンテナ車3両(2012年までは有蓋車)を連結し、輸送車両を相手方の線路に押し込み、相手方の機関車もしくは電車がそれを受ける形で授受が行われる。これにより、電気機関車および電車が無架線地帯に侵入することなく授受を行うことができる。ただし、東海道貨物線および大雄山線の線路を長時間ともに支障するため、JR側では貨物列車の時刻変更、伊豆箱根鉄道側では小田原駅を発着する列車の着発線変更および一部運休が実施される。

なお、東海道貨物線の上りから大雄山線へ通ずる東海道貨物線下り本線への転線は不可能なため、大場工場を出場して当駅まで輸送される列車については一度相模貨物駅まで運行され、機関車を反対に付け替えたあとに当駅まで輸送される。このため、控車となる貨車は相模貨物駅からの連結となる。小田原駅までの輸送完了後はやはり東海道貨物線上り本線へ転線が不可能なため、沼津駅まで控車を輸送する。

発車メロディ
2014年11月1日より、発車メロディが『お猿のかごや』に変更された。横浜支社管内でのご当地メロディー導入は8駅目、東海道線東日本区間では品川駅・平塚駅・茅ケ崎駅に次いで4駅目の導入となる。

駅構内の店舗
*印は駅西口直結の新幹線エントランスとなるアスティ小田原内。
小田原市役所アークロード市民窓口
Odakyu MART
スターバックス*
BECK'S COFFEE SHOP
箱根そば
小竹林
三省堂書店*
小田急トラベル
KIOSK
NEWDAYS
ベルマート*
トレタッテ
駅弁
東華軒などが販売している。主な駅弁は下記の通り[9]。

小腹だから…。
あじさいちらしずし
こゆるぎ茶めし
鯛めし
桜海老とじゃこの海物語
デラックスこゆるぎ弁当
金目鯛西京焼弁当
鰺の押寿し
筑波山麓豚弁当
小鰺押寿司
つまんで良し、食べて良し 酒肴弁当
鯵と小鯛の押寿し
うなぎ、金目鯛と銀鮭のあいのせ御膳
神奈川牛肉弁当
伝承 鰺の押寿し
金目鯛炙り寿司
さがみ弁当
黒毛和牛三昧
しらす膳

駅周辺
東口(表口)
駅周辺は、神奈川県の西湘地区を代表する市街地であるが、商業施設の撤退が相次ぎ、市街地の発展に陰りが出ている。市はお城通り地区にて地上8階地下1階の複合ビル建設を主体とした再開発事業をすすめていたが、事業施工者(アーバンコーポレイション)が経営破たんしたことにより、計画は頓挫していた。その後、2016年12月26日に再開発の事業者を万葉倶楽部に再度選定。2019年中頃の完成予定で再開している。万葉倶楽部は図書館・コンベンション・ホテルなどが入る広域交流施設に加えて、宿場町の賑わいを再現した和風の大規模広場を整備する提案を行っている。

東口のバスロータリー地下には地下街の小田原地下街 HaRuNe小田原がある。この地下街は1976年11月にアミーおだちかとして開業し、2007年6月に一度閉鎖したが、小田原市と地元の経済団体により再生が検討され、2009年4月に「地域資源や情報発信機能などを備える施設として再生を図る」という方針を小田原市が決定し、再生の為の計画・事業を経た上で2014年11月1日に再開業した。

駅開設前の1901年に、この付近に神奈川県第二中学校が開校した。同校は駅開設に伴って、1914年に北西の八幡へ移転し、現在の神奈川県立小田原高等学校となった。駅東口には「小田原高等学校発祥之地」の石碑が建っている。

小田原は、中世に東海道五十三次のうち、江戸より数えて第九の宿場が置かれ、交通の要所として栄えた町であった。しかし、1889年(明治22年)、箱根八里の険阻なるを嫌い、東海道本線が現御殿場線の経路をもって開業すると小田原宿は凋落の途を辿ることになる。東海道本線の開通に先立ち、1888年(明治21年)、国府津より小田原を経て箱根湯本へと馬車鉄道が開業して『鉄道唱歌』に「国府津降りれば馬車ありて酒匂小田原遠からじ」と歌われこそしても、交通の動脈を外れた小田原宿の衰退は抗いようがなく、110軒を数えたとされる旅籠が次々と廃業に追い込まれた。小田原において必死な鉄道誘致がなされたことは必然のことである。

1920年(大正9年)、果たして地元の熱意が実ったか、国府津 - 熱海間に熱海線が開業し、ついに東京・横浜より小田原へ直接列車が乗り入れることとなる。これにより、箱根観光や湯治の拠点として、町は地位を回復するに至ったのである。そのため熱海線の開業日は町を挙げての祝賀行事が催され、並走区間を廃した小田原電気鉄道(1900年(明治33年)に馬車鉄道から路面電車に転換)さえも花電車を走らせて熱海線開業を祝った。

熱海線は、丹那トンネル開削によって勾配のきつい御殿場経由から熱海経由へ東海道本線のルートを切り替え、輸送力の増強を目指したものの内、一部区間が暫定開業したといえるものであった。昭和に入り、小田原急行鉄道(現・小田急小田原線)が開業し、さらに丹那トンネルの開通で熱海線が東海道本線に昇格すると、その地位はさらに高まった。その後大雄山鉄道(現・伊豆箱根鉄道大雄山線)・箱根登山鉄道の構内乗入れと東海道新幹線の開業、さらに国鉄分割民営化によるJR東日本・JR東海の発足を経て5社が同一構内に収まる形態となり現在に至る。


1920年(大正9年)10月21日 - 熱海線国府津駅 - 当駅間開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災により駅舎一部倒壊。
1925年(大正14年)3月25日 - 熱海線が熱海駅まで全線開通。
1927年(昭和2年)4月1日 - 小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)新宿駅 - 当駅間が開通。
1934年(昭和9年)12月1日 - 国鉄駅を東海道本線所属に変更。
1935年(昭和10年)
6月16日 - 大雄山鉄道線(現・伊豆箱根鉄道大雄山線)が当駅に乗り入れ。
10月1日 - 箱根登山鉄道が当駅に乗り入れ。
1948年(昭和23年)10月 - 小田急ロマンスカー運行開始。
1950年(昭和25年)3月1日 - 湘南電車運行開始。
1964年(昭和39年)10月1日 - 東海道新幹線の停車駅となる。
1973年(昭和48年)5月20日 - 新設の西湘貨物駅に貨物取扱業務を集約、当駅での取扱を廃止。
1976年(昭和51年)11月 - 東口広場整備と地下街が完成。
1979年(昭和54年)10月1日 - 小田原駅 - 大船駅間複々線化(東海道貨物線)完成。
1980年(昭和55年)10月1日 - 東海道新幹線「ひかり」が停車開始。
1986年(昭和61年)11月1日 - 国鉄駅での荷物取扱を廃止。
1987年(昭和62年)
3月31日 - 国鉄駅での貨物取扱を再開。
4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海道本線は東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海道新幹線は東海旅客鉄道(JR東海)、貨物取扱業務は日本貨物鉄道(JR貨物)が継承。
2001年(平成13年)11月18日 - JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
2002年(平成14年)12月1日 - 湘南新宿ライン運行開始。
2003年(平成15年)
3月30日 - 新駅舎へ切り替え・東西自由通路暫定開通。エレベーター・エスカレーター・多目的トイレが事業者ごとに設置される。
12月20日 - 東西自由通路完全開通。開通に伴い、新幹線高架下も再整備され飲食店など出店。
2005年(平成17年)6月25日 - 東口に駅ビル(小田原ラスカ)オープン。
2006年(平成18年)3月18日 - 箱根登山鉄道の車両による小田原駅乗り入れが廃止。全列車が小田急の車両による箱根湯本行きに統一。
2008年(平成20年)3月15日 - 60000形MSE車によるロマンスカーの東京メトロ千代田線への直通運転を開始。急行の箱根登山鉄道への乗り入れを廃止。準急の新松田以西運行中止に伴い準急停車駅から外れる。新11番ホーム使用開始。
2013年(平成25年)8月19日 - 東海道線のうち、当駅始発列車において、乗車の際ドアの脇にあるボタンを押して扉を開閉する方式に変更(ただし、遅延等で停車時間が短い場合等、車掌等の判断で実施しない場合もある)。
2014年(平成26年)11月1日 - JR東日本の発車メロディが「お猿のかごや」に変更される。
2015年(平成27年)6月30日 - 新横浜駅 - 当駅間を走行中の東海道新幹線車内で焼身自殺発生。当該列車は当駅で運転中止となり負傷者が救護される。。
2018年(平成30年)
3月17日 - 小田急小田原線からの下り各駅停車の箱根登山鉄道への乗り入れを行わなくなり、各駅停車で新松田方面から箱根湯本方面へ行く場合は、当駅での乗り継ぎが必要になった。
6月9日 - 午後10時ごろに新横浜駅 - 当駅間を走行中の東海道新幹線「のぞみ265号」(東京駅21:23発新大阪行き最終列車)車内で殺人事件が発生。男女3人が負傷し、このうち男性1人が意識不明の重体となり小田原市内の病院に搬送されたが死亡した。この影響で東海道新幹線は、当該列車を含む一部の下り列車が運転を見合わせた。なお当該列車はその後当駅で運転を打ち切り、三島車両所へ回送。後続の列車を代わりの「のぞみ」として新大阪駅へ輸送された。


高架上にある相対式ホーム2面2線を使用している。ホームの間に2線の通過線がある。「こだま」号の大半は、この駅で通過列車を待ち合わせる。(時間帯により2本まとめて待ち合わせるほか、下り「ひかり」1本のみ後続の「のぞみ」に当駅で抜かれる。)

 

のりば
番線 路線 方向 行先
13 ■ 東海道新幹線 下り 名古屋・新大阪方面
14 上り 新横浜・東京方面
駅構内設備
エレベーター・エスカレーターはすべてのホームに設置されている。トイレはコンコース内に多目的トイレがある。各ホーム中央部と東京寄りにKIOSKが、またコンコース2階にある待合室にも売店がある。改札の外(アスティ小田原)には飲食店・コンビニエンスストア・書店がある。JR東日本との連絡通路がある。


JR東海
JR東海 小田原駅
おだわら
Odawara
◄新横浜 (55.1km)(20.7km) 熱海►
所在地 神奈川県小田原市城山一丁目1-1
北緯35度15分23秒
東経139度9分17.5秒座標: 北緯35度15分23秒 東経139度9分17.5秒
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 ■東海道新幹線
キロ程 83.9km(東京起点)
電報略号 オタ
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 10,787人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1964年(昭和39年)10月1日
備考 駅長配置駅(管理駅)
JR全線きっぷうりば 有


JR東日本 小田原駅
おだわら
Odawara
◄JT 15 鴨宮 (3.1km)(2.1km) 早川 JT 17►
所在地 神奈川県小田原市栄町一丁目1-9
北緯35度15分21秒
東経139度9分20秒
駅番号 □JT 16
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 ■東海道本線
キロ程 83.9km(東京起点)
電報略号 オタ←ヲタ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 34,363人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1920年(大正9年)10月21日
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有

近鉄7000系電車

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近鉄7000系電車(きんてつ7000けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道(近鉄)の所有する同社東大阪線(現・近鉄けいはんな線)用の一般車両(通勤形電車)である。


近鉄東大阪線(現・近鉄けいはんな線)の開業に向けて製造された車両で、Osaka Metro中央線に乗り入れるため、集電方式は直流750Vの第三軌条方式となっている。車内放送装置には近鉄のワンマン運転に対応していない車両では初めて自動放送装置が搭載された(ただし初期はテープ放送であった)。コスモスクエア・長田寄りからク7100(Tc)-モ7200(M)-サ7300(T)-モ7400(M)-モ7500(M)-ク7600(Tc) の6両編成を組成している。愛称はスーパー・エレクトロニック・コミューター。電算記号はHL(0番台)。

1987年に鉄道友の会ローレル賞受賞、1986年には通商産業省(当時)グッドデザイン商品(当時)に選定された。鉄道車両がグッドデザイン商品に選定されたのはこれが初めてであった。
試作車
乗務員扉の高さが低い先行試作車の7602
1984年7月にク7103-モ7503-モ7502-ク7602の4両が東大阪生駒電鉄の車両として先行試作され、完成部分の路線にて走行試験を行った。この先行試作車両は他車と比べて乗務員扉の高さが低いのが特徴である。1986年の東大阪線開業時にはこの4両は近鉄に編入され、量産車と共に6両編成を組成した。

量産車
1986年の東大阪線開業に合わせて製造され、先述の試作車を含めて6両編成8本48両(7101F - 7108F)が用意された。1989年には7110Fが増備されたが、増備車が日立製制御装置だったため、三菱製に割り当てる奇数番号の編成を飛ばしたことにより、第9編成は欠番となってい。なお、7101F - 7105Fが軌道線、7106F - 7108F・7110Fが鉄道線所属とされている。

車体デザイン
車体は全普通鋼製、車体長は19mと近鉄標準の20.7mと比べ短いが、車体幅2,900mmと近鉄の車両の中でも最も広く、検査回送時に走行する他線区の車両限界を考慮して、側面とTc車前面は腰部から上部までが直線に傾斜しており、裾を1500Rの滑らかな曲線で大きく絞った独特なスタイルをしており[1]、断面上で広幅が最大となっている窓下の位置に座席を配置することで車内空間と立席定員数を確保している。正面形状は連結を考慮しない非常用の貫通扉を装備したデザインとされ[1]、塗装はパールホワイトにソーラーオレンジとアクアブルーの帯という他の近鉄一般車と大きく異なったものとなっており、側面帯には「◎KINTETSU」(◎は近鉄社紋)のロゴが入る。このカラーリングは東大阪線時代に開業した各駅の意匠にも使用されている。

大阪線五位堂検修車庫で検査を受けるため、回送の際には編成を分割、集電靴とドアステップが取り外され電動貨車に牽引される。

前照灯は運転台より下に配されている。南海電気鉄道を除く関西大手私鉄で前照灯が運転台より下に配されている車両は少なく、近鉄では本系列と後述の7020系、50000系「しまかぜ」の3形式しか存在しない。

主要機器
制御装置は1C4M制御(1台で主電動機4個を制御)のGTO素子VVVFインバータ制御が採用され、制御装置のメーカーは末尾が奇数の編成は三菱電機製、偶数の編成は日立製作所製と異なる。主電動機は三菱電機製のかご形三相誘導電動機を採用して電動車1両に4基搭載、モーター出力は140kWである。
台車は近畿車輛製KD-92形(筒形ゴムブッシュ軸箱案内方式)を採用し、ホイールベース間隔は2,100mm。集電装置はTC-19形を採用し、M車とTc車コスモスクエア側の台車に設置されている。Tc車に圧縮機と補助電源装置として120kVAのサイリスタ発電装置を装備している。制動装置はHRDA-1形(回生ブレーキ連動の全電気指令電磁直通ブレーキ)を採用。冷房装置は両端屋根に設けたCU-78形(能力20,000kcal/h)のユニットクーラーからダクトを通してラインデリアを併用して送風している。運転台は横軸2ハンドル式デスクタイプ、連結器は大阪市交通局型の密着連結器を両Tc車とTc-M-T間およびM-M-Tc間にそれぞれ装備している。

改造
車体更新
2006年3月27日のけいはんな線の開業に合わせて、2004年に増備用として次項で述べる7020系が登場したことから、本系列も2004年から2006年にかけて車体更新工事が行われた。外装は妻面の窓構造を除いた各部仕様が7020系とほぼ同一に更新され、行先表示器のLED化、車体側面の社名ロゴや車両番号も7020系に準じたデザイン・字体に変更された。車内インテリアも7020系に準じた内装材に交換されたが、座席モケットが本系列独自のデザインに変更され、座席のバケットシート化は行われていない。主要機器は更新以前の仕様をそのまま使用しているが、最高速度向上に伴う制御装置の一部部品の交換も行われた。

7020系
近鉄7020系電車
2006年3月27日のけいはんな線生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間の開業に伴い、運行距離が伸びる分の車両不足を補うために2004年から2005年にかけて6両編成4本(24両)が新製され、2004年12月1日に営業運転を開始している。既存の7000系をベースに、同時期に製造されていた「シリーズ21」に準拠したバリアフリー設備の設置や細部の設計変更などを施している[1]。ただし、近鉄では本形式は「シリーズ21」の一形式として扱われていない[1]。電算記号は7000系と同じくHL(20番台)。
コスモスクエア・長田寄りからク7120(Tc)-モ7220(M)-サ7320(T)-モ7420(M)-モ7520(M)-ク7620(Tc)の6両編成を組成している。7000系とは異なり、本系列では車両に対する愛称は命名されていない。

主要機器
7000系はGTO素子によるVVVFインバータ制御を採用しているが、本系列ではIGBT素子によるVVVFインバータ装置を採用しており、4編成全車が三菱電機製の制御装置に統一されている。電動機出力は7000系の140kWから145kWに増強され、高速運転性能を向上させている。

車体デザイン
基本的な意匠は7000系とほぼ同じであるが、側窓形状(一段下降窓から左右一体の上下2分割式窓、上段は内側に開く)や行先表示器がLED式となり側面にも設置されたこと、正面窓のワイパー増設、側面帯内の「◎KINTETSU」ロゴおよび車両番号のフォント変更、片持ち式の座席、妻面窓の大きさが差違点である。

車内インテリア
車内は同時期に製造されていた9020系・9820系など他のシリーズ21車両をベースとしているが、床材は乗降口部分のノンスリップ加工が省略された代わりに耐摩擦加工が施され、黄色の砂模様を散りばめて視認性を向上させた。座席の基本構造やモケットの材質そのものは9020系などと同一になっているが、「らくらくコーナー」は設置されていない。以上の仕様は、床材のデザインは7000系と2006年以降の車体更新車両に継承され、座席モケットのデザインは7000系や5200系を除いた車体更新車両に継承されており、7000系更新車との内装の差異は座席構造と車内照明カバーの有無のみとなっている。

近鉄7000系電車

近鉄7020系電車
共通事項
基本情報
運用者 近畿日本鉄道
製造所 近畿車輛
投入先 (近畿日本鉄道)けいはんな線
(大阪市交通局)中央線
主要諸元
編成 6両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流750V第三軌条方式
最高運転速度 近鉄線内: 95 km/h
地下鉄線内: 70 km/h
編成長 108,400 mm (6両編成)
全長 18,900 mm
全幅 2,900 mm
全高 3,745 mm
車体 普通鋼
主電動機 かご形三相誘導電動機
駆動方式 WNドライブ
制御方式 VVVFインバータ制御
制動装置 回生ブレーキ併用
全電気指令式電磁直通空気ブレーキ
保安装置 WS-ATC
デッドマン装置
備考 電算記号:HL
都市型ワンマン運転に対応

大雲寺前停留場 岡山電気軌道清輝橋線

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大雲寺前停留場(だいうんじまえていりゅうじょう)は岡山県岡山市北区中央町および表町三丁目にある岡山電気軌道清輝橋線の停留場である。駅番号はS07

停留所の位置する交差点は、国道30号線をはじめ6つの国道、県道の起終点となる交通の要衝です。駅名の由来は近くの大雲寺です。

構造
島式ホーム1面2線。上屋は設置されていません。停留所入口へは横断歩道からスロープでホームに連絡します。

周辺
岡電バス・両備バス・下電バス「大雲寺前」バス停
大雲寺
あいおいニッセイ同和損害保険岡山支店
ダスキン岡山中央センター
木下サーカス本社
岡山ユニバーサルホテル

大雲寺交差点は、岡山県岡山市北区東中央町にある一般国道、岡山県の主要地方道・一般県道の起・終点となっている交差点である。
起点
↓国道30号
↑国道53号(柳川筋)
↑国道180号(柳川筋)
←岡山県道21号岡山児島線
←岡山県道162号岡山倉敷線
終点
→国道250号(東山通り)


歴史
1928年(昭和3年)3月18日 柳川 - 当駅間の開通と同時に大雲寺町停留場として開業。
1938年(昭和13年)2月7日 移設。
1970年(昭和45年)11月1日 大雲寺前停留場に改称。


大雲寺前停留場 *
だいうんじまえ
Daiunzi-mae
◄S06 新西大寺町筋 (0.3km)(0.2km) 東中央町 S08►
所在地 岡山市北区中央町・表町三丁目
北緯34度39分23.99秒 東経133度55分34.5秒
駅番号 ○S07
所属事業者 岡山電気軌道
所属路線 ■清輝橋線
キロ程 1.1km(柳川起点)
岡山駅前から1.6km
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1928年(昭和3年)3月18日
* 1970年に大雲寺町停留場から改称。

有栖川駅 京福電気鉄道嵐山本線

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有栖川駅(ありすがわえき)は、京都府京都市右京区嵯峨野神ノ木町にある京福電気鉄道嵐山本線の駅。駅ナンバリングはA9。


開業当初の駅名は嵯峨野駅(さがのえき)で、これは駅が当時の住所で京都府葛野郡太秦村大字嵯峨野にあったことによる。ところが観光客向けの案内においては、天龍寺や大覚寺などの名所がある嵐山を含む一帯を指してしばしば「嵯峨野」と呼ぶことが多く、嵯峨野めぐりの観光客が誤って当駅で下車することが多かったことから、1975年に有栖川駅と改称した。有栖川は、当駅と隣の車折神社駅との間に位置する川の名前である。

駅構造
千鳥式2面2線ホーム。踏切を挟んで四条大宮行きを車折神社駅寄り(西側)、嵐山行きを帷子ノ辻駅寄り(東側)に配置している地上駅。踏切を通過する道路へは各ホームとも階段、スロープで連絡する。なお、道路は踏切部分も含めて道幅が狭く、最も近い幹線道路である三条通へは50メートル程であるが自動車の離合が不可能な場所がある。


両方面の乗場は踏切を挟んで千鳥に位置します。

駅周辺
周辺には閑静な住宅地が広がっています。
京都嵯峨野郵便局
神ノ木弁財天(神ノ木神社)
大国屋(スーパー)
天山の湯(天然温泉・スーパー銭湯)
京都バス本社


1910年(明治43年)3月25日 - 嵐山電車軌道の嵯峨野駅として開業。
1918年(大正7年)4月2日 - 会社合併により京都電燈が経営する嵐山電鉄の駅となる。
1942年(昭和17年)3月2日 - 路線継承により京福電気鉄道の駅となる。
1975年(昭和50年)8月9日 - 有栖川駅に改称。

有栖川駅
ありすがわ
Arisugawa
◄A8 帷子ノ辻 (0.5km)(0.5km) 車折神社 A10►
所在地 京都市右京区嵯峨野神ノ木町
北緯35度0分54.94秒
東経135度41分39.99秒


駅番号 ●A9
所属事業者 京福電気鉄道
所属路線 ■嵐山本線
キロ程 5.7km(四条大宮起点)
駅構造 地上駅
ホーム 千鳥式2面2線
乗降人員
-統計年度- 2,115人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)3月25日

安全パトロール艇 はつはるⅡ

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安全パトロール艇 はつはるⅡ
洋上における安全指導をする際、海上安全指導員が乗船する安全パトロール艇は、全国で約1,200隻が指定されています。

海のボランティア
海上保安庁では、安全なマリンレジャーを推進するため、安全航行に関する周知・啓発活動を自主的に実施している方々をマリンレジャーのリーダーとして位置づけて「海上安全指導員」として指定するとともに、海上安全指導員が活動する船艇を「安全パトロール艇」として、指定しています。 安全パトロール艇として指定を受けて沿岸で安全パトロール等に活躍しています。

海上安全指導員制度は、健全かつ安全なマリンレジャー活動を推進させるため、昭和49年に海上保安庁により発足され、今年で、46年を迎えます。この海上安全指導員制度は、民間有志による安全活動を行っている方々(ボランティアによるマリンレジャーリーダー)を管区海上保安本部長が「海上安全指導員」として指定し、海上における安全航行に関するマナー周知、当該海域の各種情報の提供等の安全活動を行っています。

海上安全指導員は、次の1~7までの要件を満たし、又はこれと同等以上の適性を有すると管区海上保安本部長が認めた方が申請により指定されます。 [1年更新]
年齢が25歳以上であること。(就業者の場合は20歳以上25歳未満でも可)
法令に違反し懲役、禁固又は罰金刑の執行終了後、2年以上を経過していない者でないこと。
過去2年間海事関係法令に違反して処分を受けていないこと。
指導員の取り消し後、2年以上経過していない者でないこと。
小型船舶操縦士免許取得後1年以上経過し、当該免状が有効であること。
養成講習を受講していること。
小安協等の会長の推薦があること。

原木駅 伊豆箱根鉄道駿豆線

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原木駅(ばらきえき)は、静岡県伊豆の国市原木にある伊豆箱根鉄道駿豆線の駅である。駅番号はIS07。駅の東側には広大な田園風景が広がっています。

駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎は平屋の鉄骨造駅舎です。無人駅。

切符売場にタッチパネル式の券売機が1台。駅舎側が2番線となっており、当駅で列車交換を行わない場合、修善寺行は2番線から発車する。ホームの韮山寄りには駅構内踏切がある。

かつては1番線ホームに隣接する側線があったが長年使用されておらず、やがて架線が撤去され、2013年には側線そのものが撤去された。現在、側線に隣接した側のホームにはフェンスが設置されている。

無人駅であるが、乗車証明書発行機とインターホンもある。インターホンは伊豆長岡駅につながる。

待合室に造り付けの木製長椅子があります。

普通列車全列車ワンマン化と同時に一部時間帯を除き駅員が配置されるようになった。

のりば
1 ■駿豆線 (下り) 伊豆長岡・大仁・修善寺方面
(一部列車のみ)


2 ■駿豆線 (下り) 伊豆長岡・大仁・修善寺方面
(上り) 大場・三島方面
ホームは構内踏切で結ばれています。

駅周辺
住宅地であり、ほとんど商店はないが、駅前に喫茶店が存在している
国清寺
毘沙門堂
観音堂

路線バス
乗り場 系統 主要経由地 行先 運行会社 備考
原木駅南 江馬口・韮山駅・多田 富士美幼稚園 東海バスオレンジシャトル 登校日1本運行
江馬口・韮山駅・多田 奈古谷温泉口 東海バスオレンジシャトル 登校日運行

 

利用状況
「静岡県統計年鑑」によると、2004年度の一日平均乗車人員は341人、降車人員は377人であった。

1898年(明治31年)5月20日 - 三島町(現・三島田町) - 南条(現・伊豆長岡)間開業と同時に、当駅開業。
1971年(昭和46年)5月1日 - 無人駅となる。

原木駅
ばらき
Baraki
◄IS06 伊豆仁田 (1.5km)(1.3km) 韮山 IS08►
所在地 静岡県伊豆の国市原木763-3
北緯35度3分55.50秒 東経138度56分37.22秒
駅番号 IS07
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 ■駿豆線
キロ程 8.5km(三島起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 344人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 675人/日
-2016年-
開業年月日 1898年(明治31年)5月20日
備考 無人駅

消防用被服(防火衣)自衛隊の装備

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火災現場で着る防火衣は、耐熱性の素材でできていて、約800~1200℃の熱に30秒間耐えられる検定を受けたものです。防火ヘルメットは、顔を保護する収納式のシールドと、首まわりを火傷から守る防火衣と同じ素材のしころというものが付いています。

手袋は、ケプラーという切れにくい素材でできています。なので、全身が火傷やけがから保護されています。重さは約5キロです。

一般的に消防士が着用する最新の防火服にはISOの耐熱基準が適用されています。
データ的には、防火衣の表面に80キロワット/平方メートルの熱量を受けた場合、防火衣の裏側の温度が24度上昇するまでに13秒以上確保できなければならないとされ、また、火炎の熱ですぐに燃えないよう炎を水平に10秒間接炎させ、穴があいたり溶けたりしない難燃性能が必要とされています。


素材は熱に強く切れにくいケブラー及びザイロンという繊維を使用していますが、あくまで防火衣であり、耐熱服(さらに特殊な仕様)とは異なります。

 


長島ダム駅 大井川鐵道井川線

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長島ダム駅(ながしまダムえき)は静岡県榛原郡川根本町犬間にある、大井川鐵道井川線の駅である。長島ダム建設に伴う路線切替により設置された駅で、当駅以北は再び非電化区間となります。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ。時計台を持つ駅舎です。千頭方面にアプト式機関車用の留置線を有する。駅舎内は木をふんだんに使用した待合室があります。

ホームは構内踏切で結ばれています。

駅周辺
長島ダム
長島ダムふれあい館
接岨湖(長島ダムによってできた人造湖)
静岡県道388号接岨峡線
旧寄倉トンネル(旧井川線のトンネルであり全体の3分の1ほどが残され遊歩道として利用)



ホームからは長島ダムの巨大な姿と、アプト式区間の急勾配を眺望できる。
アプトいちしろ駅から長島ダム駅付近の旧線のトンネルは遊歩道として整備されており、ミステリートンネルの愛称がつけられている。照明はなく、歩行には懐中電灯等が必要である。(懐中電灯は、長島ダムふれあい館やアプトいちしろ駅等で貸出を行っている)

長島ダム駅
ながしまダム
NAGASHIMA DAMU
◄アプトいちしろ (1.5km)(1.2km) ひらんだ►
所在地 静岡県榛原郡川根本町犬間
北緯35度10分8秒
東経138度9分25.6秒座標: 北緯35度10分8秒 東経138度9分25.6秒
所属事業者 大井川鐵道
所属路線 井川線
キロ程 11.4km(千頭起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 8人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 25人/日
-2016年-
開業年月日 1990年(平成2年)10月2日
備考 終日駅員無配置
ローマ字表記は駅名標の記載による
標高485m

信長バス 岐阜乗合自動車株式会社

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信長バス
岐阜市内の主要地を巡回する市内ループ線に「信長バス」。

バスの車体には岐阜市ゆかりの武将「織田信長」をデザインし、さらにバス車内には大名屋敷をイメージした装飾を施されている。

2012年7月16日より、織田信長のイラストをあしらい、座席にハイバックシートを装備したループ線専用の三菱ワンステップ車8台が導入され、後年さらに1台増車された。ただし、代車として一般車で運行されることもある。

 

2014年4月27日より、市内ループ線の信長バスと対となる濃姫がラッピングされた三菱の中型ノンステップバスが2台運行されている。

市内ループ線の「信長バス」のデザインが一新される。市民に親しみやすいようアニメーション風の信長へ。11月1日から2両の運行を始め、さらに7両を来年9月までに順次更新する。

 新ラッピングバスには、岐阜城を背景に銃を持つ信長を描いた。デザインは車両ごとに変え、最終的にデザインの異なる9種類のバスをそろえる。


岐阜乗合自動車株式会社(ぎふのりあいじどうしゃ)は、岐阜県岐阜市に本社を置く名鉄グループのバス会社である。通称は岐阜バス(ぎふバス)。岐阜乗合自動車は1943年に、岐阜地区・中濃地区の戦時統合で以下の12業者を統合して誕生している。

かつては名鉄グループに名古屋三菱ふそう自動車販売があったことから、コミュニティバス関係を除いて路線バスは長らく三菱ふそう製に統一されてきたが、岐阜市営バスからの路線譲渡に併せていすゞと日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)の両社製の車両が登場した。岐阜市営バスからのいすゞ製路線バス移籍に伴い、数十年ぶりに川崎重工系車体が復活し、さらに2005年には岐阜バスでは初となるAT車の日野製大型ノンステップバスが岐阜西営業所に配置され、一時期4メーカーが導入されていた。その後岐阜市営バスからの移籍車は経年によって全車廃車され、現在は三菱・日野のみで運行されている。
また柿ヶ瀬営業所には三菱のハイブリッドノンステップ車(エアロスターHEV)・日野のハイブリッドノンステップ車(ブルーリボンシティハイブリッド)がそれぞれ配置されている。日野車は当初は市内ループ線を中心に運用されていたが、現在はグループ共通色となって他営業所に転属している。

観光バスおよび高速バスは路線バスと同じく現在ほとんどが三菱ふそう製だが、系列の華陽自動車興業(現華陽オートテック)が輸入代理店であったことから、一時期はベルギーのバンホール社製のバスを大量に保有し、中型車は一般路線でも運行していた。また、ごく一部にベンツ製が存在した。2006年以降、観光バスでは日野・セレガも増備されている。

路線バスは2005年の新車より名鉄グループ統一仕様となったため、塗装は新グループ共通色を採用している。岐阜バスの場合は側面に細い金帯が塗られ、前面と後面にも金帯がある車両も存在する。主な車両は公式HPで閲覧可能


岐阜乗合自動車株式会社
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 岐阜バス
本社所在地 日本の旗 日本
〒500-8722
岐阜県岐阜市九重町4丁目20番地
北緯35度24分48.2秒 東経136度46分55.6秒座標: 北緯35度24分48.2秒 東経136度46分55.6秒
設立 1943年4月21日
業種 陸運業
法人番号 3200001001437
事業内容 一般乗合旅客自動車運送事業
一般貸切旅客自動車運送事業
不動産業他
代表者 代表取締役社長 黒川 公男
資本金 3億4100万円(2019年03月31日時点)
純利益 3億5809万2000円(2019年03月31日時点)
純資産 60億2561万8000円(2019年03月31日時点)
総資産 121億4701万4000円(2019年03月31日時点)
従業員数 682人
決算期 3月31日
主要株主 名古屋鉄道 66.9%
岐阜市 2.6% 他
主要子会社 めいほう高原開発(持分法適用会社)
外部リンク http://www.gifubus.co.jp/

川根両国駅 大井川鐵道井川線

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川根両国駅(かわねりょうごくえき)は、静岡県榛原郡川根本町千頭にある、大井川鐵道井川線の駅である。井川線の車両、乗務員基地を併設する運転上の拠点駅です。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地上駅。ホーム横の2本の線路は側線・留置線である。 駅舎らしきものはあるが、これは両国乗務区の建物である。
井川線の車両整備を行う両国車輌区と保線区を併設する。かつては千頭駅から当駅近くまで貨物専用線が井川線と並行しており、複線のようになっていたが、1960年代後半には遊休施設となっていた。これを活用して、1970年から蒸気機関車の運行が開始された。これが大井川鐵道の蒸気機関車動態保存のルーツである。しかし、千頭駅近くの道路拡張に支障することから、千頭駅から当駅までの専用線は廃止されることになり、1989年(平成元年)11月26日限りで当該専用線による運行は廃止された。

駅周辺
大井川
駅そばには吊橋(両国吊橋)が架かる。
静岡県道77号川根寸又峡線

歴史
1935年(昭和10年)5月30日 - 開業。
1936年(昭和11年)11月19日 - 軌間を762mmから1067mmへ改軌。寸又川専用軌道(後の千頭森林鉄道)が乗り入れるため、千頭駅 - 沢間駅間は762mm軌条が残され、三線軌条となる。
1959年(昭和34年)8月1日 - 中部電力専用鉄道が大井川鐵道に引き継がれ、大井川鐵道井川線となる。同時に、旅客営業を開始。
1969年(昭和44年) - 千頭森林鉄道の廃止に伴い千頭駅 - 沢間駅間の762mm軌条が撤去される。
1970年(昭和45年) - 千頭 - 川根両国間に並行する側線を往復するミニSL列車の運行開始。
1989年(平成元年)11月26日 - ミニSL列車の運行終了。

川根両国駅
かわねりょうごく
KAWANE RIYOUGOKU
◄千頭 (1.1km)(1.3km) 沢間►
所在地 静岡県榛原郡川根本町千頭
北緯35度7分0.70秒
東経138度8分26.06秒座標: 北緯35度7分0.70秒 東経138度8分26.06秒
所属事業者 大井川鐵道
所属路線 井川線
キロ程 1.1km(千頭起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 3人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 8人/日
-2016年-
開業年月日 1959年(昭和34年)8月1日
備考 駅員配置駅(運転扱いのみ)
標高307m

 

竹田駅 京都市営地下鉄・近畿日本鉄道(近鉄)

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竹田駅(たけだえき)は、京都府京都市伏見区竹田桶ノ井町にある、京都市営地下鉄・近畿日本鉄道(近鉄)の駅。近鉄京都線との乗換駅で、車両基地も併設される運行上の重要拠点駅です。駅番号は烏丸線がK15、近鉄がB05。


概要
京都市営地下鉄烏丸線と、近鉄京都線の2路線が乗り入れる。近鉄は、特急を除くすべての列車が停車するが、1988年に地下鉄烏丸線が当駅に延伸するまでは、普通列車しか停車しなかった。

京都市交通局と近鉄の共同使用駅で駅自体は京都市交通局が管轄しているため、駅の設備は概ね京都市交通局仕様となっている。かつては近鉄が管轄していたが、烏丸線の京都駅 - 当駅間延伸開業、近鉄京都線・京都市営地下鉄烏丸線の相互直通運転開始で現在の形となった。

駅構造
駅舎は北側と南側の2箇所にあり、いずれも橋上駅である。橋上の北駅舎東口は駅前広場が整備され、路線バス、タクシーが乗り入れています。北切符売場には券売機は3台。北改札口の改札機は6台。

ホームは2面4線の島式ホームが方向別に使用されており、内側の地下鉄線を外側の近鉄線が抱き込むような線形となっている。2・3番線は地下鉄烏丸線系統と近鉄線との相互直通運転の列車が、1・4番線は近鉄京都駅発着の列車が使用する。同一方向であれば地下鉄と近鉄は同一ホームで乗り換えられるので利便性が高い。ただし、近鉄特急は当駅を通過するので、京都駅または近鉄丹波橋駅で乗り換える必要がある。

2・3番線の南方には近鉄の線路に挟まれる形で2編成分の引き上げ線がある。2番線に到着した地下鉄烏丸線の線内折り返しの車両は一旦引き上げ線に入ったのち折り返して3番線に進入し、国際会館行きとなる。また、駅の北西にある地下鉄竹田車両基地への入出庫のため、2・3番線の北方で本線から分岐する渡り線が設置されている。

のりば
のりば番号は、東側から1 - 4番が付与されている。

地下鉄の線内折り返し列車は2番のりばで降車扱いののち、伏見方にある引上線へ入線、折り返して3番のりばで乗車扱いを行う。ただし、駅到着後に竹田車両基地へ直接入庫する車両(逆も同様)は、この引上線を使用しないのが原則だが、使用する列車もある。

のりば 路線 方向 行先 備考
1 B 近鉄京都線 下り 丹波橋・新田辺・大和西大寺・奈良方面 近鉄京都始発
2 烏丸線からの直通列車
3 ■ 烏丸線 上り 地下鉄京都・四条・国際会館方面
4 B 近鉄京都線 東寺・近鉄京都方面


旅客向けの設備
乗車カードは、「スルッとKANSAI」対応カードおよび「PiTaPa」については両社局で利用が可能であり、当駅でも自動改札機での利用が可能である。なお、かつて近鉄で供用されていた「Jスルーカード」については自動改札機に直接通すことができず、乗車時は自動券売機で切符に、降車時は自動精算機で出場証に引き換える必要があった。

案内表示もおおむね他の地下鉄駅(烏丸線の各駅)と共通仕様だが、駅名標は基本的には地下鉄仕様となっているものの近鉄線ホーム(1・4番線)側はデザインが少し異なるほか、列車案内表示機(ソラリー)や近鉄の列車に関する自動放送は近鉄仕様のものを使用しており、両社局の仕様が混在している。なお、2番線からの地下鉄→近鉄の直通列車発車時には、自動放送は地下鉄仕様だが、発車ブザーは近鉄仕様のものが使用されている。

路線が並行する当駅から地下鉄烏丸線・近鉄京都線の京都駅までの運賃は路線ごとに異なっており、2012年1月時点では近鉄京都駅の方が安い。また、当駅以南から京都駅まで向かう場合にも近鉄・地下鉄線で運賃の不整合が生じており、近鉄京都駅までの乗車券で地下鉄京都駅で下車しようとすると追加運賃が生じる。なお、地下鉄線列車の当駅発車前には、近鉄京都駅までの乗車券で地下鉄京都駅まで乗車すると、地下鉄運賃が別途必要となる旨、車内放送で注意喚起が行われている。

当駅で下車したのちの京都市営地下鉄への乗り継ぎは非常にスムーズだが、地下鉄で下車する場合は地下鉄きっぷ改札口は通れない。ガラス窓改札で専用ボタンを押して地上の駅員との会話を行い、手元付近のセンサーに近鉄切符をかざしたのち、地下鉄の運賃分を支払って下車することになる(以前は差額のみの請求であったが、2015年頃から近鉄竹田 - 近鉄京都間の運賃を無効扱いとした上で地下鉄運賃全額を請求する形態に改められている。これは京都市交通局側の制度の一部変更により、地下鉄分の運賃を全額徴収することに変更されたためである)。現駅舎の使用開始から京都市営地下鉄が延伸するまでの約1年間は近鉄管理駅だった。

利用状況
京都市交通局 - 2016年度の1日平均乗降人員は19,192人である。近鉄線との1日平均連絡人員は32,457人であり、これらを合算した1日平均乗降人員は51,649人である。
近畿日本鉄道 - 2015年11月10日の1日乗降人員は10,806人である。この値には、京都市交通局線との連絡人員を含まない。連絡人員を含む1日平均乗降人員は49,570人である。

駅周辺
周辺にはこれといった集客施設もなく、乗降客数の割に駅前は閑散としています。駅前の駐輪場は名神高速道路の高架下に設置されています。
名所・旧跡
城南宮
源氏物語花の庭
安楽寿院
公共施設・文教施設
京都府総合見本市会館(パルスプラザ) - 当駅からバスでおよそ5分。
京都市青少年科学センター
京都市立竹田小学校
その他の主な施設
京都市交通局竹田車両基地 - 駅の北西側に所在している。
京セラ本社 - 当駅からバスでおよそ5分。
京都竹田郵便局
伏見力の湯


他の交通との連絡など
一般路線バスは、駅東口および西口の交通広場にそれぞれバス停(バス停名は「竹田駅東口」「竹田駅西口」)が設置されている。当駅の東、約800メートルの名神高速道路上に深草バスストップ(京都深草バス停)が設けられており、高速バス路線が停車する。また、同じく約1.2キロメートルの位置には京阪本線の藤森駅がある。

主な道路
名神高速道路 - 北駅舎のすぐ南側を高架構造で東西に通過しており、高架下の一部は駐輪場に供されている。
名神高速道路 京都南インターチェンジ - 国道1号などに接続している。
油小路通(新油小路通、新堀川通) - 比較的近年に供用を開始した、南北方向の都市計画道路である。上部に、京都高速道路(阪神高速8号京都線)が敷設されている。
阪神高速8号京都線 城南宮北出入口 - ハーフインターチェンジであり、逆方向への出入となる城南宮南出入口と対を成している。
竹田街道(国道24号・府道115号) - 東約500メートルの位置にある、南北方向の路線である。
京阪国道(国道1号) - 西へ約1キロメートルの位置にある、南北方向の路線である。
路線バス
駅前には以下の路線が乗り入れており、京都市交通局(市バス)・京阪バス・近鉄バス・中央交通バス・泉観光バスより運行されている。

竹田駅東口

市バス:81号系統:竹田街道経由 京都駅行/中書島経由 横大路車庫行

急行105号系統:稲荷大社前経由 京都駅行/中書島経由 横大路車庫行
南5号系統:稲荷大社前経由 京都駅行/中書島経由 横大路車庫行
臨南5号系統:JR藤森駅経由 藤森神社方面行
南8号系統:桃陵団地・中書島経由 横大路車庫行
京阪バス
2号経路:勧修寺・小野駅・醍醐天皇陵・醍醐三宝院・石田駅経由 醍醐バスターミナル行
近鉄バス
10番:桃陵団地前・清水町西経由 向島駅前行


竹田駅西口

市バス
18号系統:四条大宮・二条駅西口行/久我石原町行
南1号系統:下桂経由/桂高校前経由 桂駅東口行
南2号・特南2号系統:樋爪口・免許試験場前(南2系統のみ)経由 JR長岡京東口行
南3号系統:伏見警察署・中書島経由 横大路車庫前行/国道下鳥羽経由 京阪中書島・伏見港公園行
京阪バス
6号経路:桃山南口・東余熱利用センター・石田駅経由 醍醐バスターミナル行
24号経路:パルスプラザ前・伏見警察署前経由 京阪中書島行
24A号経路:パルスプラザ前・伏見警察署前・京阪中書島・横大路経由 京阪淀駅行
中央交通バス
ウェルカムライナー:新宿駅・東京駅・東京ディズニーシー行
高山・奥飛騨温泉郷行
泉観光バス
NETWORK:新宿駅・東京駅・東京ディズニーシー行

 

 

歴史
1928年(昭和3年)11月15日 - 奈良電気鉄道の京都 - 桃山御陵前間開通時に城南宮前駅(じょうなんぐうまええき)として開業。現在の竹田駅より約350メートル南にあった。
1940年(昭和15年)1月 - 竹田駅に改称する。
1963年(昭和38年)10月1日 - 近畿日本鉄道への合併により同社の駅となる。
1987年(昭和62年)7月9日 - 旧駅舎より約350メートル京都方の現在地に移転し、新駅の供用開始。
1988年(昭和63年)
6月11日 - 京都市営地下鉄烏丸線の京都駅 - 当駅間が延伸開業し乗り入れを開始する。これに伴い、京都市交通局の管轄駅となり、近鉄京都線の急行・準急停車駅となる。
8月28日 - 近鉄京都線と京都市営地下鉄烏丸線の間で、当駅を介した相互直通運転を開始する。
1998年(平成10年)3月17日 - 同日のダイヤ変更で新設された近鉄京都線の快速急行の停車駅となる。
2000年(平成12年)3月15日 - 烏丸線国際会館 - 近鉄奈良間を直通する急行の運転を開始する。
2003年(平成15年)3月6日 - 同日のダイヤ変更により近鉄京都線の快速急行が廃止となる。
2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる

竹田駅
たけだ
Takeda
所在地 京都市伏見区竹田桶ノ井町
北緯34度57分24.82秒 東経135度45分22.01秒
所属事業者 京都市交通局(京都市営地下鉄)
近畿日本鉄道(近鉄)
電報略号 タケタ(近鉄)
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗降人員
-統計年度- (京都市交通局)51,649人/日**
-2016年-
(近鉄)10,806人/日
-2015年11月10日-
開業年月日 1928年(昭和3年)11月15日
乗入路線 2 路線
所属路線 京都市営地下鉄烏丸線
駅番号 ●K15
キロ程 13.7km(国際会館起点)
◄K14 くいな橋 (0.7km)(-km) (伏見***)►
所属路線 B 近鉄京都線
駅番号 B05
キロ程 3.6km(京都起点)
◄B04 上鳥羽口 (1.1km)(1.3km) 伏見 B06►
備考 共同使用駅(京都市交通局の管轄駅)
* 1940年に城南宮前駅から改称
** 近鉄との直通人員含む
*** 一部列車は近鉄京都線と相互直通運転実施

JR貨物タキ1000形貨車

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タキ1000形貨車は、1993年から製作されているガソリン専用の貨車(タンク車)である。日本石油輸送または日本オイルターミナルが所有する私有貨車で、日本貨物鉄道(JR貨物)に車籍編入されている。


1984年2月ダイヤ改正で貨物列車の輸送体系が拠点間直行方式に改められて以降、貨物列車の運用は行先別・荷種別に集約する「専用列車」への転換が進行した。コンテナ列車は従来よりコキ50000系やコキ100系などを用いた最高速度95km/h以上の高速貨物列車が主体となったが、タンク車など一般の車扱貨物に用いられる貨車は依然として最高速度は75km/hにとどまり、到達時分の短縮やダイヤを組成する際の懸案事項となっていた。

これを受け、専用列車のうち特に占める割合の大きい石油類専用貨物列車の高速化を図る目的で製作されたのが、本形式である。タンク車初の高速貨車として開発された本形式は、輸送効率と高速走行とを両立させた形式として、2016年現在も製作が続いている。

車体の基本構造はタキ43000形のフレームレス構造を踏襲したが、本形式では車高を下げてタンク体の形状を変更し、昇降ハシゴ・タンク上部の踏み板は軽量化のためアルミニウム合金を使用した。タンク体が大型化したため、車両限界に抵触しないよう手すり高さを低くしている。以上の仕様変更によって荷重はタキ43000形の43tから45tに増大した。台車はコキ100系のFT1形を基本とし、車高を下げるため直径810mmの小径車輪を用いたFT21形を採用した。最高速度は従来車両の75km/hから95km/hに向上している。軸重は15tのままで、運用線区は限定される。


外部塗色は所有者によって異なり、車体帯や標記類の有無で以下のパターンが存在する。日本石油輸送所有の車両は、タキ43000形243000番台の後期車と同一のグリーンとグレーの2色塗り分けとされた。新日本石油の油槽所と製油所の間で使用される一部車両については、タンク体右側に新日本石油の「ENEOS」ブランドマーク とエコレールマークの標記が施されており、アメリカ空軍横田基地のジェット燃料輸送に使用されている車両は、積載物を表す米軍表記(JP-8等)が施されている。日本オイルターミナル所有の車両は、同社伝統の青15号(インクブルー)で塗装されている。初期の車両 (93 - 102・303 - 347・373 - 417・443 - 462) はスカイブルーと銀色の帯を入れていたが、2004年 - 2005年製の643 - 676はタキ43000形・タキ44000形と同様の青単色塗装で導入されるようになり、2006年度以降製作の693 - 752は同社の40周年記念としてカラフルな「矢羽」をあしらったステッカーを車体に貼付していたが、いずれも後年の検査時に順次青単色塗装に変更されて消滅している。


2000年に日本オイルターミナル所有の338 - 347の10両が日本石油輸送に移籍し、全般検査まで旧社紋部分の上に新社紋を貼付する暫定措置を施された。2007年以降も同様の移籍車両が発生し、それらも検査時の再塗装まで暫定的に社紋の張り替えが行われている。2016年9月までに968両が製造され、日本オイルターミナルと日本石油輸送の両社が従来用いてきたタキ9900形・タキ35000形などの35t積タンク車、安全性は高いが積載効率に劣るタキ38000形 (36t積) やタキ40000形 (40t積) 、老朽化したタキ43000形の43t積車両を順次置き換えている。

主に名古屋地区から東北地区の地域で石油専用列車に使用され、線区によっては本形式のみの編成やコキ100系・コキ200形との混結で組成された最高速度95km/hの高速貨物列車(列車種別:高速貨B)にて運転されている。日本オイルターミナルでは本形式のみで組成された高速貨物列車の愛称を「スーパーオイルエクスプレス」と命名している。


JR貨物タキ1000形貨車
基本情報
車種 タンク車
運用者 日本貨物鉄道
所有者 日本石油輸送
日本オイルターミナル
製造所 日本車輌製造、川崎重工業
製造年 1993年 -
製造数 968両(2016年9月現在)
常備駅 郡山駅、根岸駅他
主要諸元
車体色 グリーン/グレー、青15号、他
専用種別 ガソリン
化成品分類番号 燃32
軌間 1,067 mm
全長 13,570 mm
全幅 2,960 mm
全高 3,918 mm
荷重 45 t
実容積 61.6 m3
自重 17.2 t
換算両数 積車 6.0
換算両数 空車 1.8
台車 FT21
車輪径 810 mm
台車中心間距離 9,370 mm
最高速度 95 km/h

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