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松阪駅(JR東海 紀勢本線)・(近鉄)

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松阪駅(まつさかえき)は、三重県松阪市京町および京町一区にある、東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。駅番号は近鉄がM64。松阪市の代表駅で特急を含む全列車が停車します。

乗り入れ路線
JR東海の紀勢本線・名松線と、近鉄の山田線が乗り入れており、両事業者が構内を分割して管理する共同使用駅となっている。JR東海の駅としては紀勢本線を所属線としている。また、名松線は当駅が起点である。

このほか、1964年までは三重電気鉄道の松阪線も乗り入れていた。近鉄線利用時にはPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)およびPiTaPaと相互利用可能な交通系ICカードが使用が可能。ただしJR東海利用時にはこれらの利用ができない。

駅構造
5面7線のホームを持つ地上駅。うち、3面4線(単式ホーム1面・島式ホーム2面)がJR用、2面3線(単式ホーム・島式ホーム1面ずつ)が近鉄用となっている。のりばは1番から8番まで存在し、1番ホームと6番ホームが単式ホームで、2・3番ホーム、4・5番ホーム、7・8番ホームがそれぞれ島式ホームとなっている。鉄筋コンクリート3階建ての大きな駅舎です。駅前にはバスターミナルが設置されています。

なお、 1987年から1990年まで一時的に1番線ホームが存在しなかった。旧1番線は名松線用のホームで、線路も2番線とは別に敷設されていたが、同線の列車が5番線ホーム発着に変更されたため廃止、線路を撤去した。その後、旧1番のりばを2番線側に拡張、新たに線路は敷設せずに2番線ホームと線路を共有する形で1番線ホームが復活した。

JR線の1番線ホームと2番線ホームは線路(上り1番線)を共有する。なおその他の線路は3番線から順に上り本線、下り本線、下り1番線となっている。近鉄線は6番線が上り列車用、8番線が下り列車用で、間の7番線は上下列車に対応する待避線である。

駅舎は南北に2つあり、南側(南口)をJR東海が、北側(北口)を近鉄が管理する。駅舎とホームへ跨線橋で連絡している。中間改札は無くJR・近鉄のホームは自由に行き来できるが、不定期で近鉄が4・5番線と6番線の間に臨時の改札口を設けて検札を行っている。

JR東海の駅は駅長・駅員配置駅(直営駅)である。管理駅でもあり、紀勢本線の六軒駅・徳和駅および名松線の各駅を管理している。なお、近鉄の駅長は伊勢中川駅に置かれ、当駅はその被管理駅となっている。

のりば
JR線のりば
番線 路線 方向 行先 備考
1 ■JR紀勢本線 上り 亀山・名古屋方面 線路を共有している
2 (使用されていない)
3 ■JR紀勢本線 上り 亀山・名古屋方面 一部の普通
4 下り 新宮・伊勢市方面 一部の普通は1・5番線
5 ■JR名松線 - 伊勢奥津方面
ホームは跨線橋で結ばれています。
近鉄線のりば
のりば 路線 方向 行先 備考
6 M 近鉄山田線 上り 伊勢中川・津・名古屋・大阪・神戸・京都方面
7 伊勢中川・名古屋方面 待避・折返列車
下り 宇治山田・鳥羽・賢島方面 待避列車
8
上り列車のうち、快速「みえ」は1番線、特急「南紀」は3番線から発車する。普通列車は基本的に1番線からであるが、「みえ」の通過待ちを行う場合は3番線に入る。

駅設備
南口・北口共に自動改札機、自動精算機を設置。自動改札機はいずれもICカードに対応しているがJR線ではICカードは利用できない。改札内に乗り換え用のカードリーダーもないため近鉄でICカードを利用した後にJR線に乗り換える場合は一旦改札を出てJRの乗車券を買い直して再び改札に入る必要がある。
かつては跨線橋の南端より三交百貨店に直結する有人改札口もあったが、同百貨店の閉店により建物は解体、今後の跡地活用方法が決まっていないため現在は有料駐車場となっている。
JRの出札窓口(JR全線きっぷうりば)は南口のみ設置。北口には近距離券売機が1台設置されているのみである。
近鉄の出札窓口は北口・南口ともに設置。定期券の発売は南口のみ取り扱う。
駅売店は近鉄側は橋上通路内に近鉄リテーリングが運営するファミリーマートが、JR側は改札脇にキヨスクと「あら竹」の駅弁売店がある。以前は駅そば店もあったが、2018年3月26日限りで営業を終了した。
JR側の売店では名物駅弁として「元祖特撰牛肉弁当」などがある。すべてあら竹の販売。発売当初、10500円と日本一高い駅弁「極上松阪牛ヒレ牛肉弁当」(改札外の販売を含めるなら、東武日光駅の「日光埋蔵金弁当」150000円版が最高)だったのもこの駅の駅弁である。なお「元祖特撰牛肉弁当」も1959年、150円で売り出した当初は日本一高い駅弁だった。なお、橋上通路内のファミリーマートでも種類は少ないがあら竹の駅弁を販売している。
JR・近鉄とも水洗式便所の設備がある。バリアフリー・オストメイト対応。

停車列車
JR線
当駅を通る全ての旅客列車が停車する。
夕刻に多気方面から当駅終着の紀勢線普通列車が2本設定されている。
快速「みえ」は登場当時、1往復の紀伊勝浦駅発着の列車(現在は特急「南紀」に格上げ)を除き、この駅までの運転だった。


JRは紀勢本線・名松線とも非電化で、近鉄山田線は直流架空電車線方式となっている。
JR紀勢本線と近鉄線の三重県側最南の接続駅であるため、紀勢本線・参宮線の各駅と大阪方面に関して、当駅 - 鶴橋間の近鉄線を介した通過連絡運輸も設定されている。
三重交通・三重急行自動車が、ここから(正確には松阪中央病院発着)、尾鷲・熊野市方面へ「南紀特急バス」を運行している。

駅周辺
松阪公園(松坂城跡)・本居宣長記念館・歴史民俗資料館・御城番屋敷
松阪市役所
松阪市民病院
第三銀行 本店
三菱UFJ銀行 松坂支店
桑名三重信用金庫 日野町支店
継松寺(岡寺観音)
松阪商人の館
本居宣長旧宅
三重県立松阪工業高等学校
松阪市立第一小学校
住友理工松阪製作所
ベルタウン(松阪市駅前通り商店街)
ヤマダ電機テックランド松阪店
服部家具センター松阪店
松阪警察署
紀勢国道事務所
和田金
柳屋奉善
牛銀本店
一升びん宮町店
東横イン


歴史
JR東海
1924年(大正13年)6月の松阪駅前。入獄する上田音市を送る農民たち。
1893年(明治26年)12月31日 - 参宮鉄道の駅として、津 - 宮川の開通時に開業。一般駅。
1907年(明治40年)10月1日 - 参宮鉄道が国有化。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、参宮線所属駅となる。
1929年(昭和4年)8月25日 - 国鉄名松線が権現前駅まで開業。


1937年(昭和12年)12月3日 - 駅舎改築。
1959年(昭和34年)7月15日 - 紀勢本線全通に伴い、参宮線多気以北が紀勢本線に編入され、同線の所属駅となる[7]。
1962年(昭和37年)11月16日 - 新駅舎完成。
1978年(昭和53年)8月4日 - 三交ビル口開設。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物の取扱いを廃止。
1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物の取扱いを廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道が継承

松阪駅
まつさか
Matsusaka
三重県松阪市京町301(JR東海)
北緯34度34分36.8秒 東経136度32分7.9秒座標: 北緯34度34分36.8秒 東経136度32分7.9秒
三重県松阪市京町一区43-1(近鉄)
北緯34度34分38.9秒 東経136度32分10.9秒
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
近畿日本鉄道(近鉄)
電報略号 マサ
駅構造 地上駅
ホーム 5面7線
乗車人員
-統計年度- (JR東海)1,592人/日
(近鉄)7,734人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1893年(明治26年)12月31日(JR)
1930年(昭和5年)3月27日(近鉄)
乗入路線 3 路線
所属路線 ■紀勢本線(JR東海)
キロ程 34.6km(亀山起点)
六軒 (5.5km)(3.0km) 徳和


所属路線 ■名松線(JR東海)
キロ程 0.0km(松阪起点)
(4.2km) 上ノ庄
所属路線 M 山田線(近鉄)
駅番号 M64
キロ程 8.4km(伊勢中川起点)
?M63 松ヶ崎 (2.7km)(1.6km) 東松阪 M65?
備考 共同使用駅
JR東海:駅長配置駅(管理駅)
JR東海:JR全線きっぷうりば 有


E31形 大井川鐵道

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E31形 大井川鐵道

西武E31形電気機関車(せいぶE31がたでんききかんしゃ)は、西武鉄道が使用していた車軸配置B-Bの小型直流用電気機関車である。
1986年(昭和61年)から翌1987年(昭和62年)にかけて、自社所沢車両工場で、E31 - E34の4両が製造された。当時、同社が多く保有していた古典輸入機関車の置き換え用として製造された。


概要
西武鉄道に在籍した電気機関車として本形式は2代目であり、初代は1948年(昭和23年)に東芝で3両が製造された凸型機を模倣して、自社工場である所沢車両工場で1955年(昭和30年)に新製された1両が後年の改番に際してE31形の形式称号を付与されたものであったが、1963年(昭和38年)に他社に譲渡され、形式消滅している。
外観は西武鉄道の在来大型機関車であるE851形のデザインラインを継承して小型化したともいうべき形状で、側面機器室の上部には電気機関車には珍しく大型の窓が4つ並んでおり、その下には大型フィルターが付いている。
台車は1983年(昭和58年)まで国鉄飯田線で運用されていた80系電車の廃車発生品であるDT20A形を履いており、主電動機も351系で使用されていたものを転用した130kWの直流電動機を4基搭載し、吊り掛け式を採用している。釣り合い管の引き通しがあるため、重連総括制御が可能である。
塗装は、クリーム色に朱色の3本の帯というE851形の塗装を反転させたようなデザインになっている。また、電車用台車を使用したことで、ともすれば腰が低すぎ「短足」に見えるのを補う目的で、車体下部を黒く塗りつぶし、外観のバランスをとっている。

 

大井川鐵道:
元・西武鉄道E31形。2010年(平成22年)に西武鉄道から3両を購入。同年9月10日に横瀬車両基地から搬出された。
2014年8月時点では車籍編入されておらず、もっぱら駅構内での入換用として使用されていたが、2017年10月15日よりE34が営業運転を開始した。なお、大井川鐵道は公式SNSなどで、E31形導入に伴う既存電気機関車の引退はないと表明している。
大井川鐵道時代
本形式は当初貨物輸送を行う私鉄への譲渡予定が発表されていたが、実際は異なり貨物営業のない大井川鐵道へ2010年9月に3両 (E32 - E34)が譲渡された。
大井川鐵道向けには、同月10日から13日にかけて横瀬車両基地から新金谷車両区までトレーラーによる陸送で輸送されている。大井川鐵道での用途は大井川本線でのSL急行の補助機関車である。
しかし本機は同社に在籍する既存機より出力が低く、法令手続き・整備等の関係から運用開始時期が未定とされ、無車籍の入換用車両として使われるに留まっていた。
譲渡から6年以上経過した2017年4月30日のニコニコ超会議にて同年度内の整備実施と営業運転投入が発表され、7月21日にE34が整備を終えて本線試運転を行った。そして10月15日のイベント列車よりE34が営業運転を開始した。

西武E31形電気機関車
基本情報
運用者 西武鉄道、大井川鐵道
製造所 西武所沢車両工場
製造年 1986年 - 1987年
製造数 4両
引退 2010年
主要諸元
軸配置 B-B
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1500V(架空電車線方式)
全長 10,950 mm
全幅 2,740 mm
全高 4,200 mm
機関車重量 40.7 t
台車 DT20A
動力伝達方式 1段歯車減速、吊り掛け式
主電動機 MB-146D形×4基
歯車比 19:64=1:3.41
制御方式 重連総括制御、
抵抗制御、直並列2段組合せ制御
制御装置 電磁空気単位スイッチ式
制動装置 EL14AS直通兼自動空気ブレーキ、
手ブレーキ

定格速度 33.0km/h (1時間定格)

定格出力 520kW (1時間定格)
定格引張力 5,300kg (1時間定格)

三島田町駅 伊豆箱根鉄道駿豆線

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三島田町駅(みしまたまちえき)は、静岡県三島市北田町にある伊豆箱根鉄道駿豆線の駅である。

駅番号はIS03。駅は三島市役所の最寄駅で特急列車も停車する主要駅ですが、中心部からは若干外れている。東海道本線乗換の通勤通学客の利用客が多い。

駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の複合型2面3線を有する地上駅である。2階建ての大きな駅舎です。有人窓口あり。


3番線は主に回送列車や臨時列車が普通列車を待避する際に使用されていたが、2009年2月14日のダイヤ改正によりこの3番線から毎日発着していた回送列車の設定がなくなり、同時に営業列車が1日に1本(上り56列車)のみ発着するようになった。


ほぼ全ての列車が当駅で交換を行う。
特急「踊り子」の停車駅であるが、以前に運転されていた「快速」は当駅を通過し、次の三島広小路駅に停車していた。

待合室はかつて入居していた系列の旅行会社、売店はともに閉店したようで、閑散としています。
自動改札機、売店の設置駅である。


2009年1月中旬頃より、1・2番線に発車メロディー・ベルが導入され、アロー株式会社製の曲が2曲使われている。発車メロディー導入以前、発車合図は全ホームともブザーであった。

切符売場には券売機が2台設置されています。


のりば
1 ■駿豆線(下り) 大場・伊豆長岡・大仁・修善寺方面
■駿豆線(上り) 三島方面(1日2本のみ使用)


2 ■駿豆線(上り) 三島・熱海・小田原・横浜・東京・沼津・静岡方面
3 ■駿豆線(上り) 三島方面(定期列車では12:17発56列車のみ使用)
■駿豆線(下り) 大場・伊豆長岡・大仁・修善寺方面(定期列車はなし)
修善寺方面のホームは緩く右にカーブしています。

1. ^ 上り2列車(5:59発)と208列車(6:42発)は当駅で列車交換を行わないため、駅舎に近い1番線から発車する。
2. ^ 3番線は、上記に掲載した列車の他、ダイヤが乱れた場合の収拾や、臨時列車や貨物列車などが定期列車を待避する場合などで使用する。

駅周辺
駅前広場は整備されている。商店などは少なく、賑わいに欠ける。
三島市役所
佐野美術館
三嶋大社
三島郵便局
静岡県道143号三島田町停車場線
イトーヨーカドー三島店
ノジマ三島店
スーパーカドイケ三島田町店 - 駅のすぐ隣にある。かつて、伊豆箱根鉄道関連会社のタマチゴルフショップがあった場所。
三島信用金庫二日町支店
三島市市営中央駐車場
駅のテナント
伊豆箱根トラベル三島田町支店


交通機関
路線バス
伊豆箱根バス
田町駅 - 三島広小路駅 - 旧道・新道・国道1号線 - 沼津駅
田町駅 - 三島駅 - 旭ヶ丘 - 加茂 - 富士見台
コミュニティバス
100円バス「せせらぎ号」
西回り:田町駅 - 大社前・市役所 - 三島駅 - 広小路 - 佐野美術館 - 田町駅
東回り:田町駅 - 佐野美術館 - 広小路 - 三島駅 - 大社前・市役所 - 田町駅
「せせらぎ号」は西回りと東回りでは経路・停留所・運行会社に若干の違いがある(伊豆箱根鉄道・東海バスオレンジシャトル)。
自主運行バス「ふれあい号」
運行事業者は伊豆箱根交通。
無料送迎バス
田町駅 - 三島函南農協 - 三島社会保険病院
田町駅 - 大場駅 - 熱海日金山霊園(毎月第二日曜日のみ)
タクシー
改札を出て左手、バスのりばの前方にタクシーのりばがある。


利用状況
「三島市統計書」によると、2006年度の一日平均乗車人員は1,753人、降車人員は1,660人であった。

 

1898年(明治31年)
5月20日 - 三島町(現・三島田町) - 南条(現・伊豆長岡)間開業により、三島町駅として開業。
6月15日 - 三島(現・御殿場線下土狩駅) - 三島町間開業により、中間駅となる。
1919年(大正8年)5月25日 - 旧伊豆鉄道線三島 - 当駅間電化。これに伴い、後の伊豆箱根鉄道軌道線(旧駿豆電気鉄道)が乗り入れを開始。


1949年(昭和24年)4月1日 - 伊豆箱根鉄道軌道線の乗り入れが廃止される。
1956年(昭和31年)2月1日 - 三島田町駅に改称。
1964年(昭和39年)12月1日 - 貨物営業廃止。
1967年(昭和42年)4月2日 - 三島田町駅総合駅舎完成。
1973年 (昭和48年)1月1日 - 手小荷物営業廃止


三島田町駅
みしまたまち
Mishima-Tamachi
◄IS02 三島広小路 (0.7km)(0.9km) 三島二日町 IS04►
所在地 静岡県三島市北田町3-62
北緯35度6分59.55秒 東経138度55分4.66秒
駅番号 IS03
所属事業者 伊豆箱根鉄道
所属路線 ■駿豆線
キロ程 2.0km(三島起点)
駅構造 地上駅
ホーム 単・島式 2面3線


乗車人員
-統計年度- 1,406人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 2,760人/日
-2016年-
開業年月日 1898年(明治31年)5月20日

阿木駅 明知鉄道明知線

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阿木駅(あぎえき)は、岐阜県中津川市阿木にある明知鉄道明知線の駅である。駅番号は8。駅周囲は農村地帯ですが、最寄に高校が立地し、朝夕は通学利用で賑わいます。

駅構造
1面1線の単式ホームを持つ地上駅。古い木造駅舎です。無人駅である。もう1面ホームがあるが、国鉄明知線転換以降使用されていない。

駅舎を利用して歯科医院がある。明智側に側線があり、アケチ1形が留置され、倉庫に使用されている。

ホームは1面1線。国鉄時代は交換駅で、旧ホームも残っています。

駅周辺
中津川市阿木地区の中心地。この駅から阿木地区市街地が始まる。近くを阿木川が流れている。

中津川市立阿木小学校
中津川市立阿木中学校
中津川市立阿木高等学校
水資源機構阿木川ダム
国道363号


歴史
1933年(昭和8年)5月24日 - 国鉄明知線 大井~阿木間開通時に開業。一般駅。
1961年(昭和36年)5月21日 - 貨物の取扱を廃止(旅客駅となる)。
1974年(昭和49年)12月1日 - 荷物の取扱を廃止。
1985年(昭和60年)11月16日 - 明知鉄道に転換。同時に無人駅となり、ホーム1面1線を廃止。


阿木駅
あぎ
Agi
◄9 飯沼 (2.3km)(2.8km) 飯羽間 7►
所在地 岐阜県中津川市阿木
北緯35度23分58.68秒
東経137度27分32.63秒座標: 北緯35度23分58.68秒 東経137度27分32.63秒
駅番号 8
所属事業者 明知鉄道
所属路線 明知線
キロ程 9.9km(恵那起点)
電報略号 アキ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 126人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1933年(昭和8年)5月24日

明智光秀ラッピング列車(明知鉄道)

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明智光秀ラッピング列車(明知鉄道)

戦国武将明智光秀が主人公の2020年NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」にちなみ、第三セクターの明知鉄道(岐阜県恵那市明智町)が今月から運行を予定している光秀列車のラッピングデザインが決まった。市の魅力を全国に発信し、観光客の増大と地域の活性化を図るため明知鉄道の車両を活用し「明智光秀ゆかりの地恵那市」をテーマとしたラッピング列車です。戦国時代の戦乱を赤、金色の波模様で表現し、空想上の動物麒麟、甲冑(かっちゅう)姿の光秀を描き入れた。

 大河ドラマが放送されるのを前に、光秀ゆかりの地、明智町のある恵那市が沿線の観光振興を図ろうとデザインを公募した。応募27点の中から、広告代理店プラン・エディターズ(名古屋市)のデザイナー梛野和久さんの作品を採用した。

 デザインは、両側面に麒麟と光秀を描いたほか、正面にも光秀を配置。家紋のキキョウも描き入れた。外国人観光客にも親しんでもらえるデザインを意図したという。

 運行は30日から21年3月までの予定。

川根小山駅 大井川鐵道井川線

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川根小山駅(かわねこやまえき)は静岡県榛原郡川根本町奥泉字小山にある、大井川鐵道井川線の駅である。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ交換可能駅で側線を備える地上駅。駅舎はなく、ホームにログハウス風の待合所が設置されています。その待合所には丸太を活かした長椅子が設置されています。

駅周辺
民家はほとんどなく、定期利用者は観光客を除いて老婦人一人しか利用しない。(テレビ東京の所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ! 2017/09/22OAで判明) 駅のある小山地区は大井川による水力発電の発祥の地である。待合所の裏には駐輪場があります。

大井川
小山つり橋
歴史
1959年(昭和34年)8月1日開業


川根小山駅
かわねこやま
KAWANE KOYAMA
◄土本 (1.9km)(1.7km) 奥泉►
所在地 静岡県榛原郡川根本町奥泉字小山
北緯35度8分30.47秒
東経138度8分27.62秒座標: 北緯35度8分30.47秒 東経138度8分27.62秒
所属事業者 大井川鐵道
所属路線 井川線
キロ程 5.8km(千頭起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 0.5人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 3人/日
-2016年-
開業年月日 1959年(昭和34年)8月1日
備考 終日駅員無配置
標高354m

C11形蒸気機関車 40号機(福知山駅展示保存)

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福知山駅南口公園には、かつて福知山機関区に所属し北近畿一帯の鉄道輸送に貢献したC11形蒸気機関車 40号機が、同機関区で使用されていた転車台に載せられ展示保存されている。


国鉄C11形蒸気機関車(こくてつC11がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が1932年(昭和7年)に設計した過熱式のタンク式蒸気機関車である。老朽化した種々雑多な支線・区間運転用機関車群の代替用として、1930年に設計されたC10形の改良増備車として設計・製造された軸配置1C2の小型タンク式蒸気機関車である。

C11形蒸気機関車
基本情報
運用者 鉄道省 → 日本国有鉄道
北海道旅客鉄道
大井川鐵道
真岡鐵道
東武鉄道
製造所 汽車製造・川崎車輛
日立製作所・日本車輌製造
製造年 1932年 - 1947年
製造数 381両
愛称 Cのチョンチョン
主要諸元
軸配置 1C2
軌間 1,067 mm
全長 12,650 mm
全高 3,900 mm
機関車重量 66.05 t(運転整備時)
動輪上重量 36.96 t(運転整備時)
動輪径 1,520 mm
軸重 12.40 t(第3動輪上)
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程) 450 mm × 610 mm
弁装置 ワルシャート式
ボイラー圧力 14.0 kg/cm2
のちに15.0 kg/cm2
ボイラー水容量 3.8 m3
大煙管
(直径×長さ×数) 127 mm×3,200 mm×24本
小煙管
(直径×長さ×数) 45 mm×3,200 mm×87本
火格子面積 1.60 m2
全伝熱面積 103.0 m2
過熱伝熱面積 29.8 m2
全蒸発伝熱面積 73.2 m2
煙管蒸発伝熱面積 63.2 m2
火室蒸発伝熱面積 10.0 m2
燃料 石炭
燃料搭載量 3.00 t
水タンク容量 6.8 m3
制動装置 自動空気ブレーキ
最高運転速度 85 km/h
最大出力 783 PS
定格出力 610 PS

筑豊電気鉄道 (楠橋車庫・楠橋電車営業所)

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楠橋車庫
1959年10月17日に完成し、筑豊電鉄唯一の車庫である。当初は2線であったが1962年に3・4番線が、1976年に5・6番線が増設された。車両の日常検査を担当する。

工場機能はなく、全般検査・重要部検査については、1992年以前は西鉄北九州線砂津工場で、以降は黒崎工場で施行される。

鉄道の日にちなんだイベント筑豊電気鉄道 『 うごく電車学校』も楠橋車庫にて開催されています。

筑豊電気鉄道 楠橋車庫(北九州市八幡西区楠橋下方三丁目 1 番 14 号)
       楠橋電車営業所(北九州市八幡西区楠橋下方三丁目1番14号)


加美駅(JR西日本)関西本線

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加美駅(かみえき)は、大阪府大阪市平野区加美鞍作(かみくらつくり)一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)関西本線の駅である。駅番号はJR-Q23。「大和路線」の愛称区間に含まれている。駅周囲は住宅地で、中小の工場も多く、下町然とした雰囲気があります。


駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。分岐器や絶対信号機がない停留所に分類される。

トイレ(男女、多目的ともに水洗式)は2番のりばにある。エレベーターは改札内(奈良方面と天王寺方面に1台ずつ)と改札外(南口に1台)に合計3台設置されている。待合室は設けられていない。ホーム有効長は6両。キヨスクは撤去された。切符売場の券売機は3台。

八尾駅が管理している直営駅で、ICカード乗車券「ICOCA」が利用することができる。みどりの窓口があり改札口の改札機は4台。頭上にはLED式の発車案内が設置されています。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 Q 大和路線 上り 王寺・奈良・高田方面
2 下り 天王寺・JR難波・大阪方面
上下線で異なる上屋長がある。

バリアフリー化工事
2014年(平成26年)9月頃よりバリアフリー化の工事が開始され、2015年11月28日からエレベーターが使用開始、2016年1月13日に多目的トイレを含む全ての工事が完成した。バリアフリー化後は、エレベーター3基(改札内上り、改札内下り、改札外南側)、階段の2段手すり、内方線付点字ブロック、多機能トイレ(下りホーム)が整備された。工事の進捗に伴い、2014年12月20日から改札外の南側階段が使用停止されたため、朝・夕時間帯(6時30分~9時および16時~22時)のみ下りホーム直結の南改札口が設置されていた。

利用状況
2008年度に特に乗車人員が減少(-946人)したが、これは当駅から北東約100mの場所におおさか東線の新加美駅(2008年度の乗車人員は1日平均1,302人)が開業した影響である。


駅周辺
近接しておおさか東線の新加美駅が存在するが、乗換駅とはみなされておらず、両駅を介した運賃通算の制度なども設けられていない。よって平野方面からおおさか東線を利用するには、隣の久宝寺駅で乗り換えとなる。なお、ダイヤ乱れ、長時間運転見合わせになった時は新加美駅へ迂回乗車の案内がされる。

駅周辺には中小企業の工場が多い。タクシー乗り場はなく、ロータリーも整備されていない。

駅南側
重要文化財 奥田邸
がんこ平野郷屋敷
菅原神社
浄土真宗本願寺派 善正寺
浄土真宗本願寺派 鞍作寺
鞍作公園
平野加美西郵便局
平野区役所加美出張所
大阪市立平野区老人福祉センター
大阪市立加美南中学校
大阪市立加美南部小学校
大阪市立平野図書館
松井記念病院
JA大阪市 加美南支店
スーパーサンコー加美店
コーナンPRO 平野店
アイコム 本社
大阪府道5号大阪港八尾線(地平の関西本線をアンダーパスでくぐっている)
駅北側
おおさか東線 新加美駅
久宝寺緑地
平野加美東郵便局
大阪市営加美絹木住宅
大阪市立加美中学校
大阪市立加美小学校
大阪市立加美東小学校
平野ドライビングスクール
加美自動車教習所
大阪シティ信用金庫 加美北支店
万代 加美店
ドラッグストア サーバ 平野加美東店
ヤマト運輸 平野加美営業所
寺崎電気産業 加美工場


バス路線
大阪シティバス(加美停留所)
19号系統:JR平野駅経由 地下鉄今里 行 / 加美東三丁目北 行


1909年(明治42年)
4月1日 - 国有鉄道の自働車(蒸気動車)専用乗降場として、八尾駅 - 平野駅間に新設開業。
10月12日 - 線路名称制定により、関西本線所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、「大和路線」の愛称を使用開始。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。


2015年(平成27年)11月28日 - エレベーターの使用を開始。
2016年(平成28年)1月13日 - バリアフリー化工事がすべて完成。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。
2018年(平成30年)11月30日 - みどりの窓口の営業を終了。
2018年(平成30年)12月1日 - みどりの券売機プラスの営業を開始。

加美駅
かみ
Kami
◄JR-Q24 久宝寺 (1.7km)(1.5km) 平野 JR-Q22►
所在地 大阪市平野区加美鞍作一丁目1-37
北緯34度37分36.56秒
東経135度34分2.07秒
駅番号 JR-Q23
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 Q 関西本線(大和路線)
キロ程 166.0km(名古屋起点)
加茂から45.1km
電報略号 カミ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 9,111人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1909年(明治42年)4月1日
備考 直営駅
みどりの券売機プラス設置駅
阪 大阪市内駅

大阪天満宮駅 JR東西線

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大阪天満宮駅(おおさかてんまんぐうえき)は、大阪府大阪市北区東天満二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)JR東西線の駅である。大阪天満宮の最寄駅で、地下鉄2線との乗換も多く、線内で2位の利用客です。駅番号はJR-H43。駅シンボルは、大阪天満宮の神紋に因み、「梅」である。

当駅周辺の路線
以下の路線とも近接している。なお、当駅の駅名標には(地下鉄谷町線 堺筋線 南森町駅)の表記がある。当駅の計画段階の仮称も「南森町」であった。
Osaka Metro logo.svg大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) - 南森町駅
T 谷町線(駅番号:T21)
K 堺筋線(駅番号:K13)


なお、地下鉄側の車内自動放送では「JR東西線は乗り換えです」と線名を添えて案内される。JR東西線が開業した当初は「JR線」で案内されていたが、後に現在のように改められている。これは、同じJRの別路線と接続する東梅田駅や扇町駅との区別のためである。

駅構造
島式ホーム1面2線を有する地下駅。8両編成対応。双方とも、京橋寄り1両分(8両編成の8号車部分)はホーム扉がなく、停車しない。改札口は東西2ヶ所。地上への出入口は京橋寄りに2ヶ所、北新地寄りに1ヶ所。さらにコンコース北新地寄りの連絡通路から前述の大阪市営地下鉄南森町駅へつながっている。

直営駅(北新地駅の被管理駅)かつICOCA利用可能駅。2012年3月28日、JR東西線では北新地駅に続いて2番目にホーム扉(腰高式)が設置された。この際に京橋寄りの8号車部分は柵で仕切られ、立ち入りできなくなっている。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 H JR東西線 下り 北新地・尼崎方面
2 上り 京橋・四条畷・松井山手方面

ダイヤ
日中時間帯は1時間あたり区間快速・普通電車がそれぞれ4本の合計8本が停車する。朝ラッシュ時は本数が多くなる。

大阪天満宮の本社(本殿)は南向きであり、表門も境内の南側にある。当駅は天満宮の北にあるため、参拝の際は裏門から入り本社の後ろを通って行くことになる。
毎年4月に造幣局で開催の「桜の通り抜け」イベント時には、当駅が近隣の大阪城北詰駅、天満橋駅(大阪市営地下鉄)と共に最寄り駅の一つとして案内される。

駅周辺
大阪天満宮(通称:天満天神)
国道1号(曽根崎通)
大阪府道・京都府道14号大阪高槻京都線
財務省所管 独立行政法人 造幣局大阪本局
大阪市立扇町総合高等学校
大阪市立堀川小学校
天満天神繁昌亭
FM802
象印マホービン本社
東亜通商本社
関西高速鉄道本社
駅の上を走る曽根崎通の歩道には無料の駐輪場が設置されている。

 

1996年(平成8年)5月16日 - 駅名を「大阪天満宮駅」に決定。仮駅名は「南森町駅」であった。
1997年(平成9年)3月8日 - JR東西線の尼崎駅 - 京橋駅間の全線開通と同時に開業。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。


2008年(平成20年)3月15日 - おおさか東線の放出駅 - 久宝寺駅間の部分開業によるダイヤ改正に伴い、新設された直通快速の停車駅となる。
2011年(平成23年)3月8日 - JR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム導入。接近メロディ導入。
2012年(平成24年)3月28日 - 可動式ホーム柵の使用を開始。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。


大阪天満宮駅
Ōsakatemmangū
(地下鉄谷町線 堺筋線 南森町駅)
◄JR-H42 大阪城北詰 (1.3km)(1.4km) 北新地 JR-H44►
所在地 大阪市北区東天満二丁目10先
北緯34度41分50.66秒 東経135度30分48.39秒


駅番号 JR-H43
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
(関西高速鉄道)
所属路線 H JR東西線
キロ程 2.2km(京橋起点)
木津から47.0km
電報略号 オテ
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線


乗車人員
-統計年度- 25,010人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1997年(平成9年)3月8日
乗換 南森町駅(地下鉄谷町線・堺筋線)
備考 直営駅
みどりの窓口 有
阪 大阪市内駅

 

マツダ・アクセラ(初代)BK5P/BKEP/BK3P型(痛車ストライクウィッチーズ)

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アクセラ(AXELA)は、マツダが製造・販売する乗用車である。日本国外向けの車名はMazda3(マツダ3 )。ファミリアの事実上の後継車である。

長年親しまれた「ファミリア」(北米では「プロテージュ」、欧州などでは「マツダ323」)に代わる世界戦略車として、ボディサイズを拡大し、あらゆる面での実力を引き上げて開発された。ボディタイプは4ドアセダンと「スポーツ」と称する5ドアハッチバックの2種類を用意し、ファミリア同様、日米欧の3極をはじめ世界展開される、同社の中核車種である。なお、マツダにおいては小型乗用車に分類されているが、ボディサイズは他社のそれより一回り大きく、実質的にミドルセダン(1,800~2,000ccクラス)に相当する。

特に、ヨーロッパにおけるCセグメント車の市場を見据え、ボルボ・S40・V50とフォード・フォーカスとプラットフォームを共用して基本設計され、近年の大型化の流れを受けて全幅は1,745 - 1,770mmあり、エンジンの排気量にかかわらず全車3ナンバーとなる。ただし、ドアミラーを含めた車幅は日本の道路事情を考慮して5ナンバー車と同等の数値に抑えている。「スポーツ」の全長は3代目ランチア・デルタを除けば、同クラスハッチバック車としては最長である。

マツダスピードアクセラにはL3-VDT型2.3L直噴ガソリンターボエンジン「MZR 2.3 DISI(ディジー) TURBO」、LSD、6速MTが搭載された。補強された5ドアハッチバックボディが採用され、ホイールには18インチアルミホイール、ブレーキは前輪・12.6インチ(320mm)、後輪・11インチ(280mm)という大きいサイズのものが採用された。

欧州でのCセグメントというフォルクスワーゲン・ゴルフVやプジョー・307、オペル・アストラ等の超激戦区に本格投入された日本車の代表格。走りにこだわる欧州のユーザーに高い評価を得ており、2004年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーにてゴルフと並ぶ同率2位(日本車中1位。総合1位はフィアット・ニューパンダ)を獲得。アテンザに並ぶ新生「マツダ」の代表格となっている。2005年度にマツダはさらなる増産を決定。2006年8月末時点で国内生産累計台数は100万台を突破した。生産開始から3年2か月での達成は、マツダ車として過去最短記録である。その後、2008年10月末時点で世界累計生産200万台を、2011年4月26日時点で世界累計生産300万台を達成した。

マツダ・アクセラ(初代)
BK5P/BKEP/BK3P型
セダン(前期型、2003年10月 - 2006年6月)
04-06 Mazda3 s.jpg
セダン(後期型、2006年6月 - 2009年6月)
2007-Mazda3-Sedan.jpg
アクセラスポーツ 23S(前期型)車内
Mazda-axera-車内.JPG
販売期間 2003年10月 - 2009年
設計統括 谷岡彰(開発主査)
デザイン 土田康剛
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
5ドアステーションワゴン[2][補足 1]
エンジン ZY-VE型 1.5L 直4 DOHC
LF-DE型 2.0L 直4 DOHC
LF-VE型 2.0L 直4 DOHC
L3-VE型 2.3L 直4 DOHC
L3-VDT型 2.3L 直4 DOHCターボ
※LF-VE型は4WD車専用、L3-VDT型はMSアクセラ専用
駆動方式 FF/4WD
変速機 5速MT
6速MT(MSアクセラ専用)
4速AT
5速AT
サスペンション 前:マクファーソンストラット
後:マルチリンク
全長 4,480 - 4,540mm(セダン)
4,400 - 4,485mm(スポーツ)
4,435mm(MSアクセラ)
全幅 1,745 - 1,750mm
全高 1,500 - 1,510mm
ホイールベース 2,640mm
車両重量 1,180 - 1,380kg(セダン)
1,210 - 1,400kg(スポーツ)
1,390kg(MSアクセラ)
別名 Mazda3(日本国外)
先代 マツダ・ファミリア

『ストライクウィッチーズ』 (英: STRIKE WITCHES、中: 強襲魔女) は、島田フミカネおよびProjekt Kagonish原作・角川書店企画のメディアミックス作品。コラム・漫画・小説・アニメなどがある。ファンからは「SW」「スト魔女」「ストウィ」「スウィッチ」「ストパン」の愛称でも親しまれている。

島田がコンプエース創刊号から連載していた、大戦中の空軍・陸軍兵器を擬人化したメカ少女のイラストコラム系企画であり、当初からメディアミックス企画として展開されることを念頭に置いて立ち上げられたものである。
しかし、OVAが出たのは2007年であり、同年には島田がキャラクター原案として携わった『スカイガールズ』が先にテレビアニメ化された。『スカイガールズ』と比較して、「ストライカーユニットと呼ばれる脚に装備する機械で飛行する」という島田の独特なデザインになっている。そのためか、クレジットでも原作と表記されている。また、作品の舞台となる世界では魔法が存在し使用されている。戦闘服は軍服および普段着の上着であり、島田のデザインの特徴が表れている。
OVA版制作は発表されたものの、その後の本作アニメの制作を担うGONZOの親会社であるGDHの経営不振によるアニメ制作の方針転換の影響をまともに受ける形で、販売時期と形態について二転三転、2007年1月1日にフィギュア・イラスト集とのセット販売で「ストライクウィッチーズ 2×2+3Dボックス 〜機械化乙女秘めごとパック〜」がとらのあなで限定発売された。
その後、2007年12月に再度アニメ製作が発表、2008年7月よりテレビアニメが放送開始され、同年10月まで全12話が放送された。漫画版も、月刊コンプエースで2008年3月号より再度、連載開始され、2009年1月号まで連載された。
アニメ版は平成20年度(第12回)文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品アニメーション部門/長編(劇場公開・テレビアニメ・OVA)に選ばれている。
DVD第6巻とアニメ公式サイトにおいて第2期の制作が発表され、2010年7月から同年9月まで放送された。

野志駅 明知鉄道明知線

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野志駅(のしえき)は、岐阜県恵那市明智町野志にある明知鉄道明知線の駅である。駅番号は2。新参駅で、飯沼に次ぐ全国第2位の30‰という急勾配上に位置します。


駅構造
1面1線の単式ホームのみを持つ地上駅。無人駅である。駅舎はなく、ホームに待合室が設置されています。ホーム待合室。FRP製の椅子が設置されています。

勾配30‰の線路に面して設置されており、鉄道駅の中では、同じく明知鉄道の飯沼駅に続く全国第3位 の急勾配上の駅である。構内に「線路勾配30」と示した標識がある。


1994年(平成6年)12月15日 - 明知鉄道の駅として開業。


駅周辺
駅前には駐輪場。
国道363号
弥勒殿 地元民からは「お弥勒さん」と親しまれている、耳の病気にご利益があるとされるお寺。耳病平癒満願成就の際には錐12本を奉納する風習がある。祭られている弥勒尊仏は、天平年間に行基菩薩によって作られた高さ約1mの加羅木像で、恵那市有形文化財に指定されている。


野志駅
のし
Noshi
◄3 山岡 (3.4km)(2.0km) 明智 1►
所在地 岐阜県恵那市明智町野志
北緯35度19分18.98秒
東経137度23分22.3秒座標: 北緯35度19分18.98秒 東経137度23分22.3秒
駅番号 2
所属事業者 明知鉄道
所属路線 明知線
キロ程 23.1km(恵那起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 7人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1994年(平成6年)12月15日

 

ペンシルロケット 宇宙航空研究開発機構(JAXA)

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ペンシルロケットは、将来のロケット旅客機開発の実現を睨んだロケット推進の研究を目的として、東京大学生産技術研究所AVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamics:航空及び超音速空気力学)班が開発した、一連の小型ロケットシリーズである。開発名は「タイニー・ランス」。

太平洋戦争後の日本における初の実験用ロケットである。1954年に年間予算560万円で開発が開始された。予算の制約から超小型の火薬式ロケットを実験装置として使用し、鉛筆(ペンシル)のようであるところからこの愛称が生まれた。これについて実験を主導した糸川英夫は、米ソの大型の実験機を縮小して実用化するという発想から、小さな物を巨大化して実用にするという「逆転の発想」を用いたものだと後に説明している。

国際地球観測年(IGY)において高層大気観測を行うという方針が1955年に決定されたため、AVSA班の方針もロケット旅客機から観測ロケットへ変更された。

合計150機あまりが発射された。ロケットとしては非常に小さく、また、能力も実用に耐えうるような代物ではなかったものの、単体でロケットシステムとして成立しており、ノーズコーンや尾翼の材質、形状、重心の変化等による空力特性の変化による分散の影響などが調べられた。後のカッパロケットやラムダロケットの開発時におけるフラッター現象の解析においては、これらのデータが有効に活用されたという。

国分寺実験
1955年3月に工学博士の糸川英夫が、東京都国分寺市でペンシルロケットの水平発射実験を行った。この実験は全長230mmのペンシル標準型を使用して行われ、長さ1.5mの水平発射台から発射されたロケットがスクリーンを貫きながら飛翔するというものだった。最初の実験は3月11日に行われ、3月23日までに29機のペンシルロケットが発射された。尾翼の取り付け角度や弾頭の重量などにバリエーションがあり、様々なロケット側の条件で基礎的なデータが収集された。

千葉実験
1955年6月には当時千葉県千葉市にあった東京大学生産技術研究所に場所を移し、50mの船舶用実験水槽を改造したピットにおいて、引き続きロケットを水平発射する実験が行われた。この実験では全長300mmに大型化したペンシル300型や、二段式ペンシル、無尾翼ペンシルなどが使われた。実験中、発射台に装着される途中だった二段式ペンシルが配線ミスの為に誤って発射されるという事故が起きたが、大事には至らなかった。しかし、以後2段式ペンシルの第2段着火に同型の時限装置が用いられる事はなかった。

道川実験
1955年8月からは秋田県の道川海岸でロケットを斜め上方に打ち上げる実験を行った。8月6日午後2時18分に行われた最初の打ち上げは、発射台の欠陥によってロケットが発射直後に砂浜に落下し失敗に終わった。発射台はただちに改良され、午後3時32分の二度目の実験で打ち上げに成功した。使用されたのはペンシル300型で、燃料に含まれていた四塩化チタンにより煙をひきながら16.8秒間ほど飛行した後、700m離れた海面に落下した。到達高度は600mだった。ペンシルロケットの斜め打ち上げ実験は8日で終了し、計画はより大型のベビーロケットに受け継がれた。総飛翔数は6機であった。

構成・諸元
日本油脂の固体推進剤製造設備の関係から、即座に供給可能な推進薬の例として朝鮮戦争時バズーカ用に生産された全長123mm、直径9.5mm、内径2mm、1本5,000円のダブルベース火薬が提示され、このサイズに合わせて機体の設計が行われた。推進薬としては前述のダブルベース火薬をベースに、過塩素酸カリウムを減量しグラファイトを増量するなど、組成を変更し安全性を高めたものを村田勉が新たに開発した。推進剤の点火薬としては黒色火薬が用いられた。機体の材料には太平洋戦争中航空機用として製造され富士精密工業の材料倉庫に眠っていたジュラルミン チ-201 を使用し、熱環境が厳しい先端部には真鍮やステンレスを用いている。機体の設計は垣見恒男、ノーズコーンや尾翼の設計は玉木章夫が行った。

ペンシル
全長:230mm
重量:0.202kg
外径:18mm
ペンシル300
全長:300mm
重量:0.251kg
外径:18mm
二段式ペンシル
全長:460mm
重量:0.367kg
外径:18mm


再現実験と顕彰・記念活動
宇宙科学研究所では2005年、原点であるペンシルロケットの実験から50周年となるのを記念して再現実験を実施した。実験は能代多目的実験場で行われた後、幕張メッセで行われたイベントで披露された。

2005年、スペースシャトルミッションSTS-114において、野口聡一宇宙飛行士によってペンシルロケットの実物が国際宇宙ステーションへと持ち込まれた。

国分寺市は、実験の一つが行われた4月12日を「国分寺ペンシルロケット記念日」として、“日本の宇宙開発発祥の地”であることをアピールする展示会などを開いている。

実機展示
日本
宇宙航空研究開発機構(JAXA)相模原キャンパス
国立科学博物館
ロケット発祥の地碑(東京都杉並区桃井3丁目、日産自動車荻窪工場跡地)
アメリカ
スミソニアン航空宇宙博物館

 

(臨時駅)池の浦シーサイド(JR東海)参宮線

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池の浦シーサイド駅(いけのうらシーサイドえき)は、三重県伊勢市二見町松下にある、東海旅客鉄道(JR東海)参宮線の駅(臨時駅)である。
毎年夏期限定で開業していたが、2018年(平成30年)は営業休止となった。2016年(平成28年)の営業日数は4日で、計16本(8往復)停車した。海水浴客の便宜を図って開業した駅であるが、駅前に干潟があるものの、最寄りの海水浴場「池の浦シーサイドパーク」までは徒歩で15分程度かかり、利用者のほとんどは鉄道ファンである。

駅構造
駅舎はなく、堤防上にホームが設置されるのみの無人駅です。単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは長さ60m(2両編成分)、幅2mあり、ベンチや待合室はない。駅舎はなくホームを隔てたフェンスの向こうは海である。駅入口付近には建物とベンチが長年手入れされない状態で放置されていたが現在は撤去されている。営業期間外にはホーム入り口がフェンスで閉ざされている。駅の管理は伊勢市駅が行っている。

駅周辺
粟皇子神社
池の浦シーサイドパーク - 当駅は本来、この海水浴場を訪れる海水浴客の利用を見越して開業したが、駅には海水浴場への案内標識すらない。500mほどの砂浜が続く遠浅の海水浴場で、更衣室や温水シャワーが整備されている。
マコンデ美術館
国際リゾート短期大学校跡地

1989年(平成元年)7月、池の浦海水浴場への誘客を目指して地元の二見町と池の浦観光協会の要望を受けて開業した。東海旅客鉄道が設置する臨時新駅はナゴヤ球場正門前駅に次ぐ2例目であった。当時、池の浦海水浴場の利用客は4万人おり、東海旅客鉄道では1万人の利用を見込んでいた。開業1年目の1989年(平成元年)は7月16日から8月31日まで(47日間)営業し、名古屋からの臨時快速列車を含む1日33本が停車した。
1990年(平成2年)には95日営業し、普通列車だけでなく快速「みえ」も停車し、海水浴客や潮干狩り客が利用した。1995年(平成7年)には30日間に縮小したが、1日あたりの停車本数は上下線各9本ずつあった。しかし競合する海水浴場が増えたことや周辺の保養所が減少したことを背景に利用者が減少、2002年(平成14年)には海水浴客はほとんどいなくなった。この頃には年間停車日数が10日前後になった。
停車日数・本数が減少する中、二見町では駅の存続要望を続けてきた。それどころか通常駅への昇格も要望している。市町村合併で二見町が伊勢市となってからは池の浦シーサイド駅が話題に上ることはなくなり、伊勢市二見総合支所の担当者も「廃止されてもやむを得ない」と朝日新聞にコメントしている。2008年(平成20年)時点で東海旅客鉄道は「わずかながらも利用者はいるので、当面廃止予定はない」としている。2016年(平成28年)の営業日は7月30日、7月31日、8月6日、8月7日の4日で、1日あたりの停車は列車2往復(下りが10時58分と13時58分、上りが11時38分と14時33分)、すなわち年間の停車数は16本であった。
2018年(平成30年)5月31日、JR東海は2018年の営業は行わないと中日新聞により報道された。2017年は30人程度まで利用客が減少し、今後の回復の見込みがないためとしている。今後の駅の存廃は未定で、伊勢市側も存続を求めていない。
1989年(平成元年)7月16日 - 開業

鉄道ファンには知られた場所で、鉄道撮影に訪れる者も少なくない。2016年(平成28年)7月30日の1番列車で池の浦シーサイド駅に降り立った清水浩史によると、その時の降車客は20人弱で全員が鉄道ファンであり、海水浴客はいなかったという。

池の浦シーサイド駅
ホーム(2009年9月21日)
ホーム(2009年9月21日)
いけのうらシーサイド
Ikenoura-seaside
◄松下 (1.7km)(3.7km) 鳥羽►
所在地 三重県伊勢市二見町松下1769-18
北緯34度29分28.94秒
東経136度48分48.16秒
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 参宮線
キロ程 25.4km(多気起点)
電報略号 イケ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 8人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1989年(平成元年)7月16日
備考 臨時駅
2018年(平成30年)より営業休止

丸太町駅 京都市営地下鉄烏丸線

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丸太町駅(まるたまちえき)は、京都府京都市中京区にある、京都市営地下鉄烏丸線の駅。駅番号はK07。駅の北東は京都御苑。駅周辺には京都府庁や私立学校が立地するため、利用は比較的多くなっています。駅名は、烏丸線と交叉する、丸太町通に由来する。

駅構造
烏丸通と丸太町通が交差する「烏丸丸太町」交差点の地下に位置する、島式ホーム1面2線の地下駅。

改札は有人改札口が国際会館寄りの北側に、無人改札口が竹田寄りの南側にある。1 - 4番出口へは有人改札口、6・7番出口は無人改札口、5番出口は丁度中間にある。北切符売場にタッチパネル式の券売機が3台設置。


のりば 路線 方向 行先
1 ■ 烏丸線 下り 京都・竹田・近鉄奈良方面
2 上り 北大路・国際会館方面
ホームは白を基調としたデザインです。


駅周辺
京阪鴨東線の神宮丸太町駅とは1キロメートルほど離れている。
駅北東方面
京都御苑 - 京都御所
京都地方裁判所・京都簡易裁判所
中京警察署丸太町交番

駅北西方面
京都府庁
京都府警察本部
京都放送(KBS京都)
平安女学院大学国際観光学部、 平安女学院高等学校・中学校
京都建築専門学校
京都第二赤十字病院
護王神社

駅南東方面
京都新聞社本社
日本経済新聞社・テレビ大阪京都支局
京都府立総合社会福祉会館(ハートピア京都)
京都市子育て支援総合センターこどもみらい館
京都市立中京もえぎ幼稚園
京都ハリストス正教会
数研出版京都本社

駅南西方面
京都商工会議所
成基学園本部ビル
バス路線
最寄りのバス停は、丸太町通と烏丸通との交差点にある烏丸丸太町(地下鉄丸太町駅)である。

利用状況
2016年(平成28年)度の1日平均の乗降人員は21,796人である。


1981年(昭和56年)5月29日 - 京都市営地下鉄烏丸線の北大路駅 - 京都駅間の開業に際し設置し開業する。
2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。
2010年(平成22年)4月 - 駅名標の下に、近隣施設の名称(平安女学院)が広告として付記される。

丸太町駅
まるたまち
Marutamachi
◄K06 今出川 (1.5km)(0.7km) 烏丸御池 K08►
所在地 京都市中京区大倉町
北緯35度0分59.66秒
東経135度45分34.3秒
駅番号 ●K07


所属事業者 京都市交通局(京都市営地下鉄)
所属路線 烏丸線
キロ程 6.9km(国際会館起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 21,796人/日
-2016年-
開業年月日 1981年(昭和56年)5月29日


783系「みどり」(JR九州)

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みどりは、九州旅客鉄道(JR九州)が博多駅 - 佐世保駅間を、鹿児島本線・長崎本線・佐世保線経由で運行している特急列車である。

特急「みどり」は、1976年7月1日に長崎本線と佐世保線が電化開業した際、それまで小倉駅・博多駅 - 佐世保駅間を運行していた急行列車「弓張」の一部を気動車から電車特急化する形で運行を開始した。

その際、鹿児島本線内の線路容量の関係から長崎駅発着の特急「かもめ」と小倉駅・博多駅 - 肥前山口駅間で連結運転とされたが、この連結および佐世保線内の輸送需要の関係上、当時の特急列車としては異例の短編成となる4両編成とされ、以降現在まで基本的に4両編成で運行されている(早朝・夜間に8両編成を充当する列車あり)。国鉄分割民営化以降は特急の短編成化が各地で進み、2両・3両編成で運転される特急列車も各地で見られるようになったが、「みどり」が3両以下で運行された事例は国鉄民営化の前後に臨時列車の一部が3両で運行された事例と、2009年8月24日、2011年6月25日・26日に運行された団体専用列車の例(いずれも3両で運転)のみで、定期列車では一度もない。

1980年10月1日・1982年11月15日の国鉄ダイヤ改正の2段階に分けて「弓張」はすべて「みどり」に格上げされ、博多駅 - 佐世保駅間を鹿児島本線・長崎本線・佐世保線経由で運行する昼行優等列車は「みどり」に統一された。

当初は「弓張」と同様に一部列車が小倉駅まで乗り入れていたが、1980年10月1日以降はすべて博多駅発着に統一されている。

1986年11月1日の国鉄ダイヤ改正でいったん「かもめ」と「みどり」の連結運転がなくなり、博多駅と長崎県方面を結ぶ特急列車は「かもめ」と「みどり」が1時間あたり1本ずつ運転されるのが基本となった。その後は「かもめ」が増発された場合に、増発分の「かもめ」に783系を充当し「みどり」との連結運転を行っていたが、2011年3月12日の九州新幹線全線開通に伴い、鹿児島本線の容量に余裕が生じたこともあって、783系を使用した「かもめ」に787系を充当し、「かもめ」と「みどり」の連結運転は廃止され、長崎本線方面の特急列車を1時間あたり2 - 3本運転する体勢となった。

「みどり」の列車名の由来
「爽やかな感じのする色」の「緑」と、「太陽と緑の国」と呼ばれる九州にちなむとされる。ただし、列車愛称の項にもあるとおり、「(昼行)特別急行列車には抽象名称を用いる」という慣例もある。「みどり」の列車名を使用した列車は、1961年10月から1975年3月まで、京阪神対九州を山陽本線経由で運転されていた特急列車でも使用され、1965年10月から1967年9月までは一部編成が佐世保駅に乗り入れていた。

なお、2001年に佐世保市において、翌年の市制100周年に合わせて列車名を「九十九島(くじゅうくしま)」に改称しようという市民運動が起こり、市内を中心に署名を収集してJR九州へ提出した。この改称自体は2017年時点まで実現していないが、2013年5月6日に本来「みどり」として上り2本運行される予定だった臨時列車が、下り1本を追加の上で両方の名前を重ねた「九十九島みどり」の列車名で初めて運行され[1]、以降「有田陶器市みどり」以外の臨時列車はすべて「九十九島みどり」として運行されている。ちなみに「九十九島」の名前で運行された列車は、1962年8月から博多駅 - 佐世保駅間を筑肥線・松浦線平戸口駅経由で運行開始した準急列車がある(その後1963年6月に大村線経由で長崎駅発着に延長、1966年3月に急行に格上げされ、1968年9月まで運行された)。

定期列車は全列車博多駅 - 佐世保駅間において16往復が運転されている。原則として1時間あたり1本運行される。列車番号は全区間、号数+4000Mである。

一部の列車では博多駅 - 早岐駅間で、大村線ハウステンボス駅発着の特急「ハウステンボス」を併結する(併結する列車は右表を参照)。併結する「ハウステンボス」の号数は「みどり」に合わせられている。なお「ハウステンボス」が5往復運転の日には、早岐駅で「みどり7・11・16・18号」に接続するシャトル列車「ハウステンボスリレー号」が、早岐駅 - ハウステンボス駅間に運転されていたが、2017年11月30日限りで運行終了した。

また、1976年7月1日(運行開始)から2011年3月11日まで(1986年11月1日 - 1988年3月12日を除く)、全列車あるいは一部列車で「かもめ」との連結も行っていたため、「ハウステンボス」が運行開始した1992年3月25日以降、列車によっては博多駅 - 肥前山口駅間では3階建て列車(3編成連結列車)で運行されていた。「かもめ」との連結運転終了時点で、JRグループが運行する列車の中で、3階建て列車を組むのは「かもめ・みどり・ハウステンボス」のみであった。なお、これらの連結は「みどり」に時間帯によって「かもめ」・「ハウステンボス」の一方または両方を連結する形で行われるため、「みどり」を欠いた「かもめ・ハウステンボス」の連結列車は設定されたことがなかった。

臨時列車はゴールデンウィーク・お盆・年末年始などのピーク期に設定され、有田陶器市期間中(4月29日 - 5月5日)に運行される列車は「有田陶器市みどり」、それ以外の列車は「九十九島みどり」の列車名で運行している。「有田陶器市みどり」は元々「有田陶器市号」の列車名で運行されていた臨時特急が、2000年に「みどり」の臨時列車扱いとなり、2010年運行分から現行の名前になったものである。

ダイヤは「有田陶器市みどり」「九十九島みどり」共通で90 - 96号の下り3本・上り4本が設定されている。「有田陶器市みどり」は2往復(下り91・93号、上り94・96号)が運行される。「九十九島みどり」は運行日によって本数は異なるが、片道のみの運転であることが多い。運行区間は96号が佐世保駅→吉塚駅間(博多駅→吉塚駅間は普通列車。列車番号は博多駅で変わる)、それ以外が博多駅 - 佐世保駅間である。91・96号のダイヤを用いて「ハウステンボス91・96号」が運行されることがあるが、この場合も96号は博多駅から普通列車に変わって吉塚駅まで直通する。

なお「有田陶器市みどり」「九十九島みどり」はいずれも「ハウステンボス」の併結は行わない。

南福岡車両区に所属する783系電車(ハイパーサルーン)、787系電車が充当されている。

783系は2000年3月11日ダイヤ改正より運用されており、3往復(下り1・29・31号/上り4・6・10号)を除く13往復に充当されている。全車両中央の乗降口を境に早岐寄りのA室と佐世保/博多寄りのB室に分かれており、駅や車内でもそのように案内されている。基本的に「みどり」用4両編成(右編成図中の5 - 8号車)で運行されるが、4往復(下り21・23・25・27号/上り2・8・30・32号)または5往復(前述の4往復と下り19号/上り28号)では「ハウステンボス」用4両編成を1 - 4号車として増結し8両で運行される。

かつて「ハウステンボス」編成を連結する列車の一部は、「ハウステンボス」編成を肥前山口駅や早岐駅で増解結するものもあったが、2016年3月26日のダイヤ改正で「ハウステンボス」編成も全て佐世保駅まで乗り入れるようになっている。

4両で運行する列車の号車番号が1号車からではなく5号車から始まるのは、「ハウステンボス」(1 - 4号車)の博多方向に連結運転される際の号車番号に基づいているためで、単独運転の列車でもこれを踏襲している形である。2011年3月11日までの「かもめ」との連結運転を行っていた列車は「かもめ」が1 - 5号車、「ハウステンボス」が7 - 10号車、「みどり」が11 - 14号車となっていた。また、この運用のために、もともと中間車だった車両を改造した貫通型車両のクロハ782形100番台が早岐駅方向(5号車)に連結されており、「ハウステンボス」編成との連結時には貫通路が設けられ両編成間(4・5号車間)の行き来が可能になっている。

787系は2011年3月12日ダイヤ改正より運用されており、いずれもDXグリーン席・グリーン個室連結で、下り29・31号/上り4・6号の2往復は7両編成、下り1号/上り10号の1往復は6両編成が充当されている(なお1・10号は「ハウステンボス」を併結する場合は783系「みどり」編成で運行)。もともとは「リレーつばめ」などで運用されていた車両で、九州新幹線鹿児島ルートの全線開業に伴う大幅な運用変更により「みどり」でも運用されるようになった。なお、臨時列車では2004年から2010年までにも充当された実績があり、当時から「みどり」用の行先表示も設けられていた。787系の充当開始時点では6両編成であったが、2014年3月15日ダイヤ改正から7両編成に増結され、それまで指定席扱いだった普通車の4人用ボックスシートが自由席に変更された。

かつて、上り列車の佐賀駅→博多駅間で、783系は最後部車両のB室を除く普通車指定席(「ハウステンボス」併結列車ではすべての普通車指定席)、787系は2号車を除く普通車指定席の空席に、自由席特急券で着席可能の特例が設けられていたが、2018年3月改正で廃止された。

なお「有田陶器市みどり」「九十九島みどり」は783系4両・5両・8両編成のいずれかで運行されるが、「九十九島みどり」に限り稀にDXグリーン席・グリーン個室を連結した787系で運行されることがある。

1976年から2000年までは485系電車が充当されていた。1990年以降JR九州は自社所有の485系について、外装を赤一色にするなどのリニューアルを行い、「みどり」の車両に関しても「MIDORI EXPRESS」として同様の措置が取られたが、列車名と塗色が一致しなかったことから「赤いみどり」と揶揄された。なお、485系は定期列車からの撤退後も2006年までは臨時列車の一部に充当されていた。

また、2002年10月21日に佐賀駅・肥前山口駅発着の「かもめ」1往復が佐世保駅まで延長されたのに伴い、列車名が「みどり」に変更されたが、この列車には翌2003年3月14日まで885系電車が充当されていた。

みどり
概要
種類 特別急行列車
※早岐駅 - 佐世保駅間は乗車券のみで普通車自由席に乗車可能(種別上はこの区間も特急)。
現況 運行中
地域 福岡県・佐賀県・長崎県
運行開始 1976年7月1日
現運営者 九州旅客鉄道(JR九州)
旧運営者 日本国有鉄道(国鉄)
路線
起点 博多駅
(臨時列車は吉塚駅発着あり)
終点 佐世保駅
営業距離 117.0 km (72.7 mi)
平均所要時間 約1時間50分
運行間隔 1本/1時間
列車番号 号数+4000M
使用路線 JR九州:鹿児島本線・長崎本線・佐世保線
車内サービス
クラス グリーン車・普通車
座席 グリーン車座席指定席
普通車座席指定席
普通車自由席
技術
車両 783系電車(南福岡車両区)
787系電車(南福岡車両区)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 交流20,000 V・60 Hz

神戸電鉄 三田駅

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神戸電鉄の三田駅(さんだえき)は、兵庫県三田市駅前町にある、神戸電鉄の駅番号はKB29。北神地区から大阪方面へはJR福知山線経由が最短経路となるため、朝夕は多くの通勤通学客で賑わう駅です。

駅舎はJR三田駅改良工事により設置されたペデストリアンデッキに隠れた平屋の洋風駅舎です。切符売場に券売機が3台。有人窓口も営業しています。改札口に改札機は5台。うち4台がICカード対応の新型に更新されています。改札脇には売店

三田市を代表する駅で、JR・神戸電鉄共に全営業列車が停車する。JRの駅はICOCA、神戸電鉄の駅ではPiTaPaおよびスルッとKANSAI対応各種カードの利用エリアに含まれており、相互利用可能なカードにも対応している。
神戸電鉄の駅には当駅を終点とする三田線に加え、横山駅から分岐する公園都市線の列車も乗り入れている。冬場には車内温度維持のため、停車中は各車両の三田寄りの1つをのぞいてドアを閉め切る措置を執っている(神戸電鉄社内では「限定開」と称されている)。


頭端式2面2線のホームを持つ地上駅。2番線のみ両側にホームが設けられているが、現在は1面2線のみの片扉扱いとなっている。

ホームの有効長は5両だが、5両編成が入線したことはない。4両・3両編成用のITV装置とホーム確認用ミラーが設置されている。

かつては、ニッポンレンタカーの店舗があったあたりに貨物用ホームが設けられていた (2015年12月現在、駐車場になっている)。

のりば
番線 路線 行先
1・2 ■三田線 有馬口・ウッディタウン中央・鈴蘭台・新開地方面
日中は1番線に公園都市線の列車、2番線に三田線の列車が発着する。

夜間停泊の運用が設定されている。1番線には翌朝に新開地行きとなる4両編成が、2番線には翌朝の公園都市線の運用に入る3両編成がそれぞれ夜間留置されている。

ダイヤ
平日・休日ともに、新開地方面行きとウッディタウン中央方面行きが終日を通して交互に発車しており、それぞれ1時間あたり4本ずつの合計8本が運行されている(早朝・深夜は例外あり)

頭端式2面2線のホームを持つ地上駅。2番線のみ両側にホームが設けられているが、現在は1面2線のみの片扉扱いとなっている。

ホームの有効長は5両だが、5両編成が入線したことはない。4両・3両編成用のITV装置とホーム確認用ミラーが設置されている。

かつては、ニッポンレンタカーの店舗があったあたりに貨物用ホームが設けられていた (2015年12月現在、駐車場になっている)。

のりば
番線 路線 行先
1・2 ■三田線 有馬口・ウッディタウン中央・鈴蘭台・新開地方面
日中は1番線に公園都市線の列車、2番線に三田線の列車が発着する。

夜間停泊の運用が設定されている。1番線には翌朝に新開地行きとなる4両編成が、2番線には翌朝の公園都市線の運用に入る3両編成がそれぞれ夜間留置されている。

ダイヤ
平日・休日ともに、新開地方面行きとウッディタウン中央方面行きが終日を通して交互に発車しており、それぞれ1時間あたり4本ずつの合計8本が運行されている(早朝・深夜は例外あり)


歴史
1899年(明治32年)1月25日 - 阪鶴鉄道が有馬口駅(現在の生瀬駅)から延伸した際に、終着駅として開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。
1907年(明治40年)8月1日 - 阪鶴鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。阪鶴線所属駅となる。
1912年(明治45年)3月1日 - 線路名称改定。阪鶴線の福知山駅以南が福知山線に改称し、当駅もその所属となる。
1915年(大正4年)4月16日 - 有馬鉄道(後の国鉄有馬線)が開業し、国鉄三田駅へ乗り入れ開始[2]。
1919年(大正8年)3月31日 - 有馬鉄道が国有化され、国有鉄道の有馬軽便線(1922年より有馬線)となる。
1928年(昭和3年)12月18日 - 神戸有馬電気鉄道三田線開業により、同線の三田駅が開業。
1943年(昭和18年)7月1日 - 有馬線が不要不急線に指定され休止。
1947年(昭和22年)1月9日 - 神戸有馬電気鉄道と三木電気鉄道の会社合併により、三田線の駅は神有三木電気鉄道の駅となる。
1949年(昭和24年)4月30日 - 神有三木電気鉄道の社名変更により、三田線の駅は神戸電気鉄道の駅となる。
1981年(昭和56年)4月1日 - 国鉄での貨物の取り扱いを廃止、および国鉄と神戸電気鉄道の接続線を廃止。
1987年(昭和62年)
3月19日 - 三田市と住宅・都市整備公団の負担により国鉄三田駅が橋上駅舎化される。総工費3億7000万円。
4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅は西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)
3月13日 - 路線愛称の制定により、「JR宝塚線」の愛称を使用開始。
4月1日 - 神戸電気鉄道の社名変更により、三田線の駅は神戸電鉄の駅となる。
4月 - 神戸電鉄三田駅を改装。
1991年(平成3年)3月 - 神戸電鉄三田駅のホームを改良し、4両編成が入線できるようになる[2]。
2003年(平成15年)11月1日 - JR西日本でICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2007年(平成19年)9月21日 - JR三田駅NKビルが開業。
2009年(平成21年)4月20日 - JR三田駅北広場が完成。
2011年(平成23年)3月8日 - JR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム導入。JR西日本に接近メロディ導入。
2014年(平成26年)4月1日 - 神戸電鉄で駅ナンバリングが導入され、使用を開始。
2018年(平成30年)3月17日 - JR西日本で駅ナンバリングが導入され、使用を開始。

神戸電鉄 三田駅 SANDA

◄KB28 三田本町 (1.0km)
所在地 兵庫県三田市駅前町1-30
北緯34度53分18.41秒
東経135度13分47.89秒
駅番号 ○KB29
所属事業者 神戸電鉄
所属路線 三田線
(公園都市線直通含む)
キロ程 12.0km(有馬口起点)
湊川から32.0km
新開地から32.4km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 8,333人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1928年(昭和3年)12月18日

シニアカー コモビ(COMOVE)豊田鉄工

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シニアカー コモビ(COMOVE)豊田鉄工

コモビ(COMOVE)は、豊田鉄工が開発した新しい概念のシニアカー。これまでのシニアカーのイメージをくつがえすデザインを目指し、スタイリッシュさとコンパクトさを追求しました。また、機能面にもアクティブシニアを応援するこだわりが。簡単に折りたためるため、ご家庭で収納するときに場所をとらないことはもちろん、車に載せるのも容易です。将来的には公共交通機関でも持ち運べるようにすることで、シニアの行動範囲を広げることを目指しています。

自転車感覚で簡単に運転でき、3輪タイプで小回りがきくので狭い路地や歩道での走行も安心です。充電はご家庭のコンセントから。4時間で満充電でき、最大15kmの走行が可能です。


シニアカーとは高齢者向けに作られた、三輪または四輪の一人乗り電動車両(バッテリーカー)。日本の道路交通法では車両ではなく歩行者扱いとなるため、車道ではなく歩道を通行する。

基本的に、電動式車椅子の発展型である。なお、シルバーカーは手押し車である。
概要
高齢者の間でゲートボールが流行していた頃に、電動車いすを製造していたスズキ株式会社がコートまでの移動手段として発売したものが始まり(スズキでは「セニアカー」の商標を使用)。運転免許証は不要で、自動車の運転経験がなくても楽に扱えることから、歩行に難儀している高齢者に歓迎されて広まった。福祉用具とされているため、購入に当たって消費税は課されない。

日本工業規格ではハンドル形電動車いす、道路交通法では原動機を用いる身体障害者用の車いすとの呼称を使っている。製造メーカーあるいは販売店によっては電動カートという呼び方も存在する。ちなみに欧米でも電動車いすの製品は多く販売されており、ハンドル型は power scooter というキーワードで検索できる。

基準
「原動機を用いる身体障害者用の車いす」の法的要件は、道路交通法施行規則第一条の四によって

車体の大きさは、次に掲げる長さ、幅及び高さを超えないこと。
長さ 百二十センチメートル
幅 七十センチメートル
高さ 百二十センチメートル
車体の構造は、次に掲げるものであること。
原動機として、電動機を用いること。
六キロメートル毎時を超える速度を出すことができないこと。
歩行者に危害を及ぼすおそれがある鋭利な突出部がないこと。
自動車又は原動機付自転車と外観を通じて明確に識別することができること。
と定められており、これを満たす製品は国家公安委員会の型式認定を受けることもできる。

また、JISでは当初「電動車いす」内での扱いだったが、多発する事故に対応して経済産業省は2008年12月に個別の基準を制定し、このとき「ハンドル形電動車いす」という呼称が採用された。外観の特徴として、車輪の大きな車椅子ではなく、原動機付き自転車に似たハンドルとミラーを備えているので、道路交通法上の車両の一種と誤解されやすい。

注意点
法規に疎い、あるいは前後不覚の運転者が車道を通行し、自動車に追突される事故が発生している。尾灯のない機種もあるため、特に夜間の使用には注意を要する。
充電を忘れ、出先でバッテリーが切れて身動きが取れなくなることがある。
道路交通法上は「歩行者」に分類されるため、シニアカーと歩行者との衝突事故があっても、交通事故ではないとされ、加害例が把握しにくい。また、シニアカーに衝突され負傷し、後遺症が残ったとして、損害賠償訴訟に発展している例もある。
対人・対物損害賠償保険への加入義務がないため、事故が起これば、高額の損害賠償を支払わざるを得なくなる。このため、事故に備えて任意保険を販売している保険会社も見られるが、加入率や支払件数が明らかにされていない 。また、販売店によっては購入時に1年間の保険加入を付けている場合もある。

松ヶ崎駅 京都市営地下鉄烏丸線

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ヶ崎駅(まつがさきえき)は、京都府京都市左京区松ヶ崎六ノ坪町にある、京都市営地下鉄烏丸線の駅である。駅番号はK02。駅周辺は新興住宅地です。

駅構造
駅は北山通の下にあり、地下1階が改札口1箇所のあるコンコース階、地下2階が島式ホーム1面2線の地下駅である。地下1階と地下2階はエレベーターとエスカレーターそれぞれ1機と階段2箇所でつながれている。

出入口は2箇所あり、1番出入口が東側(国際会館側)、北山通南側歩道上に、2番出入口が西側(北山側)、北山通北側歩道上につながっている。

1番出入口には上りのエスカレーターが、2番出入口にはエレベーターがある。2番出入口には京都市が運営する駐輪場が併設されている。切符売場の券売機は3台。改札口の改札機は4台。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 ■ 烏丸線 下り 四条・京都・竹田・近鉄奈良方面


2 上り 国際会館方面
方面表記は、京都市交通局がウェブサイトで使用しているものを示している。

駅周辺
高野川を挟んで東へ800 mほどのところに叡山電鉄(叡電)叡山本線の修学院駅がある。北側には五山送り火の妙の宇山(西山)と法の宇山(東山)がある。

松ヶ崎では平安京遷都直後から米作りが行われた記録があるほか、源氏物語の夕霧の帖にも「松が崎」の名が現れている。稲作を中心とし、麦や菜種を裏作で作る豊かな土地だったが、「と呼ばれる地域の定めに従い、豊かさを維持するために分家が厳しく禁じられ、江戸時代を通じてほとんど人口が変動しなかった。 1922年(大正11年)には上京区小山上総町(後の北大路バスターミナル付近)から鞍馬に至る路線の支線として上京区柴竹初音町から分岐し、松ヶ崎村を通って二軒茶屋にいたる路線が京都電燈関係者により申請されたが、認可前に山端(後の宝ヶ池駅)を起点として二軒茶屋を目指すよう変更されている(後の鞍馬電気鉄道→叡山電鉄鞍馬線)。大正末期から松ヶ崎地区の南側から徐々に宅地化がすすみ、1985年(昭和60年)の北山通開通、1997年(平成9年)松ヶ崎駅開業により、店舗やマンションなどが増えていっている。

妙円寺(松ヶ崎大黒天)
涌泉寺
左京区総合庁舎: 2011年5月に吉田地区から移転。
京都工芸繊維大学
京都市立松ヶ崎小学校
京都ノートルダム女子大学
ノートルダム学院小学校
宝が池公園
京都市宝が池公園運動施設球技場

バス路線
最寄りのバス停は、松ヶ崎駅前および松ヶ崎海尻町である。以下の路線が乗り入れ、京都市交通局(市バス)および京都バスにより運行されている。

利用状況
2016年(平成28年)度の1日平均乗降人員は11,786人である。

 

1997年(平成9年)6月3日 - 京都市営地下鉄烏丸線の北山駅から国際会館駅までの延伸開通に伴い開業。
2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。

 

松ヶ崎駅
まつがさき
MATSUGASAKI
◄K01 国際会館 (1.6km)(1.0km) 北山 K03►
所在地 京都市左京区松ヶ崎六ノ坪町
北緯35度3分5.96秒
東経135度46分37.61秒
駅番号 ●K02
所属事業者 京都市交通局(京都市営地下鉄)
所属路線 烏丸線
キロ程 1.6km(国際会館起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 11,866人/日
-2015年-
開業年月日 1997年(平成9年)6月3日

 

しなの (列車)(JR東海・JR東日本)

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しなのは、東海旅客鉄道(JR東海)および東日本旅客鉄道(JR東日本)が名古屋駅 - 長野駅間を中央本線・篠ノ井線・信越本線経由で運行する特別急行列車である。

「しなの」は、1953年に名古屋駅 - 長野駅間で準急列車として運転を開始し、当初は毎日運転の不定期列車であったが、1956年11月に定期列車化された。1959年には新型車両を投入して急行列車に変更され、所要時間も1時間短縮された4時間40分前後になった。1965年ごろには、中央西線でも特急列車を運転しても採算がとれるほどの需要があったが、急勾配であるために高出力のエンジンを搭載した気動車の開発が必要なことから、キハ91形が試作されて試験が行われた結果、高出力特急気動車のキハ181系が新製投入され、1968年10月から特急列車化された。

1973年5月に中央西線が電化されると、7月からは一部の列車に振り子式車両の381系電車が投入されて電車化が開始され、1975年3月から全列車が電車で運転されるようになった。1995年からは制御付き自然振り子方式の383系電車が投入され、翌1996年12月1日には長野駅発着の定期列車は383系に統一された。
なお本列車は、全JRの中で最後までエル特急を名乗った列車であった。現在、名古屋駅と長野県内の主要停車駅間で回数券が発売されている他、JR東日本管内では信州特急料金回数券を持っている場合に、普通車指定席の空席も利用出来る。またJR東海管内でも、しなの回数券(名古屋駅 - 中津川駅間)が発売されている。列車名は、長野県の大部分の国名である信濃国が由来となっている。

運行概況
2016年3月26日現在の運行概況、定期列車はすべて名古屋駅 - 長野駅間で13往復(名古屋発7時 - 19時台、長野発6時 - 19時台)である。臨時列車では、松本駅発着の列車や大糸線白馬駅発着の列車が運転されることがある。定期列車の列車番号は基本的に1000M+号数である。

長野県や岐阜県東部(中央本線中津川駅 - 塩尻駅間と篠ノ井線区間)の山間部を通過するため、山地の局地的な大雨のほか、冬季は積雪の影響で遅延することが多い。またそれ以外の時期でも、単線区間の行き違いや、塩尻駅での中央東線からの列車の接続待ちなどの影響により、数分の遅れが発生することが日常化している。なお、本列車群のみならず、追い越しなどの関係で大雨や積雪などとは直接の関係がない名古屋地区での中央線の快速列車と普通列車や、多治見駅で接続する太多線の列車、さらにはかつて大阪駅直通だった9号・16号の場合は乗り入れ先の西日本旅客鉄道(JR西日本)アーバンネットワーク各線にまでもその遅れの余波が及ぶことが多かった。

2016年3月26日のダイヤ改正に伴い、利用が低迷していた大阪駅発着の列車の名古屋以西が廃止されて全列車が名古屋駅 - 長野駅間の運転になり、これにより旅客3社を直通する昼行列車は消滅した。主な理由としては、名古屋で東海道新幹線に乗り換える客の増加が挙げられる。

停車駅
名古屋駅 - (金山駅) - 千種駅 - 多治見駅 - (恵那駅) - 中津川駅 - (南木曽駅) - (上松駅) - 木曽福島駅 - 塩尻駅 - 松本駅 - (明科駅) - (聖高原駅) - 篠ノ井駅 - 長野駅

中央西線を中心に急曲線が多いことから、制御付き自然振り子式車両の383系電車(JR東海神領車両区所属)が使用されている。かつて運行されていた大阪駅発着の列車では、東海道本線内において振り子式車両の運転が少なく、振り子式車両の車体傾斜に対応した架線の張り方ではないため、台車の振り子機能は使われなかった。JR西日本管轄区間では、新快速などとともに130km/h運転を行っており、また同社が運転する車両で唯一、左手ワンハンドル式マスコンの車両だった。

383系電車は1995年から使用されており、6両編成での運転が基本で、長野方先頭車は非貫通・パノラマ型のグリーン車となっている。利用状況に応じて増結されることがあるが、増結用編成は長野方先頭車が貫通型グリーン車の4両編成と、普通車のみで長野方先頭車が貫通型の2両編成の2種類があり、最大10両編成で運転される。基本編成との走行距離の均一化を図るため、増結用編成のみ(4両+2両)の定期運用も組まれている。臨時列車には、増結用の4両編成のみの運用もあるが、2両編成単独で使用されることはなく、どの列車にもグリーン車が最低1両組み込まれている。383系を使用する列車は、「ワイドビューしなの」と案内・報道されることが多いが、これは「ワイドビュー形車両を使用するしなの号」の意を表す通称であって、列車名は「(ワイドビュー)しなの」、または単に「しなの」と表記・呼称するのが正しく、これはほかの“ワイドビュー”の通称を持つ列車についても同様である。いずれの編成も、名古屋方先頭車は貫通型の普通車である。


2001年(平成13年)9月8日・9日・15日・16日:臨時特急「あずさ木曽号」が、183系9両編成により東京駅(8時18分発)→ 上松駅(12時46分着)間で運転される。中央本線の特急列車として、また国鉄分割民営化後初の東西直通運転となる。
2003年(平成15年)10月1日:急行「ちくま」が臨時列車に変更。
2005年(平成17年)3月1日:金山駅に上りの早朝1本・下りの夜1本のみが停車する。また3月25日 - 9月25日の間は2005年日本国際博覧会(愛知万博)開催に伴い、会場最寄り駅である八草駅(会期中は「万博八草駅」)のある愛知環状鉄道線に接続する高蔵寺駅に4往復が停車。
2007年(平成19年)
3月18日:ダイヤ改正により、金山駅の停車列車が下り1本から3本になる。また、禁煙車が増え、喫煙車は指定席車1両になる。
7月:毎週金曜日名古屋駅(20時00分)発松本行き、毎週土曜日松本(7時25分)発名古屋行きの臨時特急「しなの」91号・92号が設定される。車両はグリーン車を含む増結用4両編成で、全席禁煙車で運転。
2008年(平成20年)
3月15日:ダイヤ改正により、名古屋駅を17時以降に発車する列車の時刻が変更され、17時から19時まで40分発になる。また、車掌が車内放送で、姨捨駅付近にて日本三大車窓に数えられる善光寺平の景色と姨捨駅の通過時刻について説明をするようになった。ただし、寝覚の床の説明はこれ以前からあった。
5月6日:この日名古屋駅 - 白馬駅間にて運転された臨時特急「しなの」81・84号の運転をもって、381系が運用から全て離脱。
2009年(平成21年)
3月14日:ダイヤ改正により、それまで千種駅・多治見駅を通過していた、下り「しなの」13号が両駅に停車するようになる。これにより、千種駅・多治見駅・中津川駅・木曽福島駅・塩尻駅・松本駅・篠ノ井駅の7駅がすべての「しなの」の停車駅となる。
6月1日:「しなの」が全車禁煙になる。
2010年(平成22年)12月4日:特急「いなほ」の運転区間短縮により、しなの16号が在来線定期昼行特急列車最長距離になる。
2012年(平成24年)3月17日:車内販売営業区間が名古屋駅 - 塩尻駅間に短縮される。
2013年(平成25年)3月16日:車内販売を廃止。
2014年(平成26年)
7月9日:大雨の影響で南木曽駅 - 十二兼駅間の橋りょうの橋桁が流出したため、全列車運休となる。
8月6日:坂下駅 - 野尻駅間の復旧に伴い運転再開。
2016年(平成28年)
3月26日:大阪駅 - 名古屋駅間が廃止され、全列車が名古屋駅 - 長野駅間の運転になる。在来線定期昼行特急列車最長距離の座は「にちりんシーガイア」に譲る。
2017年(平成29年)
7月1日・8月26日・9月9日︰信州ディスティネーションキャンペーンによる臨時列車として東西直通の臨時特急「木曽あずさ」号を新宿→南木曽間で運転。
7月2日・8月27日・9月10日:臨時特急「木曽あずさ」号を南木曽→新宿間で運転。
7月8日・7月9日・9月23日・9月24日:信州ディスティネーションキャンペーンによる臨時列車として東西直通の臨時特急列車「諏訪しなの」号を名古屋-茅野間で運転。
2018年(平成30年)
3月17日︰ダイヤ改正を機に、エル特急の呼称を廃止。
7月28日・7月29日・8月25日・8月26日 : 信州アフターディステネーションキャンペーンによる臨時列車として東西直通の臨時特急列車「木曽あずさ」号を新宿-南木曽間で運転予定[19]。
9月8日・9月9日:信州アフターディステネーションキャンペーンによる臨時列車として東西直通の臨時特急列車「諏訪しなの」号を名古屋-小淵沢間で運転。

概要
国 日本の旗 日本
種類 特別急行列車
現況 運行中
地域 愛知県・岐阜県・長野県
前身 急行「きそ」「ちくま」
運行開始 1968年10月1日
運行終了 2016年3月26日(東海道本線)
運営者 東海旅客鉄道(JR東海)
東日本旅客鉄道(JR東日本)
旧運営者 日本国有鉄道(国鉄)
西日本旅客鉄道(JR西日本)
路線
起点 名古屋駅
終点 長野駅・ 白馬駅・ 松本駅
営業距離 250.8 km(名古屋 - 長野間)
運行間隔 13往復
使用路線 JR東海:中央本線(名古屋 - 中津川間中央線 (名古屋地区))
JR東日本:篠ノ井線・信越本線
車内サービス
クラス グリーン車・普通車
座席 グリーン車指定席
6・8両編成:1号車
10両編成:1号車・7号車
普通車指定席
6両編成:2 - 4号車
8両編成:2 - 6号車
10両編成:2 - 6号車・8号車
普通車自由席
6両編成:5・6号車
8両編成:7・8号車
10両編成:9・10号車
技術
車両 383系電車(神領車両区)
軌間 1,067 mm
電化 直流1,500V(383系)
最高速度 130 km/h

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