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マツダ・コスモスポーツ 後期型

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1967年5月に国産車初のロータリーエンジン搭載車として発売。1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)までは一時期絶版車となっていたが、同年に復活。1990年(平成2年)からは同年から展開されたユーノスブランドのフラッグシップモデル、ユーノス・コスモとして登場し、1996年(平成8年)まで発売された。
モデルは全てクーペタイプのボディを持っていたが(3代目のみ4ドアセダンも設定)、その性質は世代によって大きく異なっていた。また、3代目以外は世代ごとに異なるサブネームをつけて発売されていた。

初代・コスモスポーツ(1967年 - 1972年)
マツダ・コスモスポーツ(初代)
前期型
製造国      日本
販売期間 1967年5月 - 1972年
設計統括 山本健一
デザイン 小林平治
乗車定員 2人
ボディタイプ 2ドアクーペ
エンジン 10A型982cc2ローター
駆動方式 FR
最高出力 110PS/7,000rpm(L10A)
128PS/7,000rpm(L10B)
最大トルク 13.3kgf·m/3,500rpm(L10A)
14.2kgf·m/5,000rpm(L10B)
変速機 4速MT(前期)/5速MT(後期)
サスペンション 前:ダブルウィッシュボーン
後:ドデオン・チューブ
全長 4,140mm(前期)
全幅 1,595mm
全高 1,165mm
ホイールベース 2,200/2,350mm(前期/後期)
車両重量 940kg(前期)
コスモスポーツは、1967年(昭和42年)5月に2シータークーペモデルとして発売された。同時に世界初の実用・量産ロータリーエンジンを搭載した自動車でもあった。

なお、世界で初めて市販されたロータリーエンジン搭載車は、正確には旧NSUヴァンケル社が1964年(昭和39年)に発売したリアエンジン車のヴァンケルスパイダーである。これに搭載されたエンジンは、ロータリーエンジン特有の多くの課題が未解決のままであり、いわば「見切り発売」であった。またそれは、シングルローターのエンジンであった。これに対し、コスモスポーツに搭載された10A型エンジンは、それらの課題を克服して量産に耐えうるものであった。このため10A型エンジンは、世界初の実用・量産ロータリーエンジンである。また、10A型エンジンは、多気筒(マルチローター)ロータリーエンジンとしても世界初の市販車用エンジンであった。
ロータリーエンジンの特性は、それまで各種のロータリーピストンエンジン理論において証明されていた。しかし、100年以上の理論的蓄積にもかかわらずロータリーエンジンは量産されるには至っていなかった。このため、10A型エンジンの搭載車であるコスモスポーツは、ロータリーエンジンを量産車のエンジンとして最初に搭載した記念すべき存在といえる。
1968年(昭和43年)8月、mazda110Sの名でコスモスポーツを擁してニュルブルクリンクで行われた84時間耐久レース「マラトン・デ・ラ・ルート」に挑戦した。このレースは、生産車のスピードと耐久性が競われる文字通りのマラソンレースで、ポルシェ、ランチア、BMW、SAAB、オペル、シムカ、ダットサンなどと激戦を展開した。結果は、完走を果たすのみならずポルシェ・ランチアに次ぐ総合4位(順位は84時間後の走行距離で決められる)入賞となった。参加59台中、完走はわずか26台であった。
コスモスポーツに搭載された10A型エンジンは、それ以降ファミリアロータリークーペ、サバンナRX-3などに搭載された。10A型エンジンは5つのハウジング(2つの筒と3枚の板)で構成されており、開発目的が量産規模の小さいスポーツカー搭載用であるため、エンジンは0813 13 101cの2台のローターハウジング迄含み全て総アルミニウム合金であった。コスモスポーツ以後の量産モデルでは、サイドハウジング(フロント、インターミディエイト、リアの3枚)が鋳鉄に変更されている。コスモスポーツの10A型エンジンは炭素鋼が溶射されており高価かつ手の込んだものであるのに対し、10A型エンジンより後のエンジンでは、特殊鋳鉄を高周波焼入れ加工したものが採用され、量産化・低コスト化が図られている。また、加工法もコスモスポーツの砂型鋳造に対し金型鋳造とされ、大量生産された。
コスモスポーツは、前期型(L10A型)が1967年(昭和42年)に343台販売されたのを皮切りに、1972年(昭和47年)の後期型(L10B型)の最終販売車まで累計1,176台が販売された。


プロトタイプ
1963年(昭和38年)10月26日から11月10日に開催された第10回全日本自動車ショー(後の東京モーターショー)に、マツダロータリーエンジンとして、400cc×1ローター(35PS)と400cc×2ローター(70PS)の2種類の試作エンジンが出展され、併せて「ロータリーエンジン テスト用試作車(コスモスポーツのプロトタイプ)」の写真パネルも会場に掲示された。車両の展示はなかったが、当時の松田恒次社長が自らコスモスポーツの一次試作車「MAZDA 802 (L402A)」のステアリングを握り、遠路はるばる広島から自動車ショーの会場に乗りつけて話題をさらった。また、帰路には各販売会社、メインバンクの住友銀行、池田勇人首相などを訪問したというエピソードも残っている。なお、初めてコスモスポーツのプロトタイプが一般に公表されたのは、自動車ショーが開催される6日前の1963年10月20日付け朝日新聞紙上においてであり、これは朝日新聞のスクープであった。
ちなみに、一次試作車は少なくとも二種類存在し、「広 5 そ 32-85」のナンバープレート(1963年8月登録)が取付けられた個体は、前後ウインドウスクリーンのウェザーストリップにメッキモールがなく、ワイパーは平行式の3ブレードで、クウォーターピラーのエンブレム取り付け位置は下寄り、カーラジオのアンテナの取付け位置はリアガラスとトランクリッドの間、横長のテールランプは中央に仕切りのある四灯タイプ、という仕様であった。「広 5 そ 57-35」のナンバープレート(1963年10月登録)が取付けられた個体は、前後ウインドウスクリーンのウェザーストリップにメッキモールが有り、ワイパーは平行式の2ブレードで、クウォーターピラーのエンブレム取り付け位置はピラーの中央、カーラジオのアンテナの取付け位置は右リアフェンダー上部、横長のテールランプは中央に仕切りがなく外観上は二灯式に見えるものであった(内部に仕込まれていたランプの数は、32-85車に準じていたと思われる)。
この二台の「MAZDA 802」が、サプライズとして自動車ショーの駐車場に姿を現した。一次試作車は、自動車ショーが開催されるまでに5台製作されている。

翌1964年(昭和39年)の9月26日から10月9日に開催された第11回東京モーターショーに、初めて実車(プロトタイプ)が正式に出展された。出展時の名称は「MAZDA COSMO」であった。搭載されたエンジンは、399cc×2ローターのL8A型(70ps/6,000rpm)。ショー出展車は二次試作車で、一次試作車とはテール部分の意匠が大幅に異なり、量産車に近いものとなっていた。また、サイドウインドウに三角窓が追加され、ワイパーは2ブレードの対向式となり、外観上の特徴の一つであるフロントフェンダーのルーバーが、一次試作車の六つ穴メッキ物から細いスリットのメッキ物に変更されていた。二次試作車までは、ルーフの後部に左右のクォーターピラーまで覆う白いカバーが取付けられていたことも、外観上の大きな特徴であった。二次試作車は複数製作され、ワイパーが平行式2ブレードのもの、ホイールカバーがハーフカバータイプで5穴のホイールが装着されたもの、センターロック式のワイヤースポークホイールが装着されたもの、クォーターピラーの幅が狭いもの、カウルトップの通気口が一次試作車と同様に格子状のもの、フロントフェンダーサイドのエアアウトレットがルーバー状でないもの、ドアのアウターハンドルが長くドアパネルに窪みがないもの、フロントターンシグナルランプのレンズがアンバー色のものなど、様々な仕様が存在した。
1965年(昭和40年)10月29日から11月1日に開催された、第12回東京モーターショーにもコスモスポーツのプロトタイプが出展された。出展車の名称はこの年も「MAZDA COSMO」であった。ショーの会場で配布されたパンフレットには「革命的なエンジンは(中略)ローター数2、単室容積500cc」と記載されていたことから、出展車には491cc×2の10A型エンジン(プロトタイプ)が搭載されていたと考えられる。三次試作車と思われる出展車は、白いルーフカバーが省略されルーフ全面とクォーターピラーが白塗装となり、フルカバータイプのホイールカバーの意匠が少々変更されていた。また、フロントフェンダーのルーバーがフェンダーパネルに直接スリットをプレス成型した簡素なものとなっていた。これは、部品点数と製造ラインでの工数を削減しコストを下げるための設計変更と思われるが、結果的にフロントフェンダーの意匠がFerrari 400SAに酷似してしまったことが悔やまれる。この時の展示車は最終生産型と発表され、全国各地のマツダディーラーに委託して実用化テストを行う事が公表された(その際、詳細を公表せず)。「社外委託試験車」と名付けられた試作車は、車体各部の特徴から三次試作車の「MAZDA COSMO」或いは三次試作車の改良型だったと推察される。社外委託試験は当初、1965年(昭和40年)8月から開始され、貸与される試験車の数は30台の予定であった。
1966年(昭和41年)10月26日から11月8日に開催された、第13回全日本自動車ショーにも続けてコスモスポーツのプロトタイプが出展された。出展車の名称は「MAZDA COSMO SPORTS」だった(市販モデルの名称は「MAZDA COSMO SPORT」)。実用化テストに基づき更なる改良が加えられ、1967年(昭和42年)春発売予定、価格未定とアナウンスされた。
市販までに、社外委託試験は各地のディーラーに貸与された「MAZDA COSMO」47台により、1966年(昭和41年)1月から12月まで1年の期間を費やして実施され、その間、本社では試作車による10万kmに及ぶ連続耐久テストを含み、総距離300万kmにも達する走行テストが行われた。

前期型
コスモスポーツの前期型L10Aには、10A型ロータリーエンジン(491 cc ×2)が搭載された。9.4の高圧縮比とツインプラグによって110 PS /7,000 rpm、13.3 kgf·m /3,500 rpm を発揮した。車重は940kgと比較的軽量であった。
エンジン以外の基本レイアウトは、この時代では常識的であったフロントエンジン・リアドライブであるが、当時の日本製乗用車としては相当に高度なスペックが奢られていた。サスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーン+コイルスプリングの独立懸架、リアは独立懸架こそ断念されたが、バネ下重量の軽減を図り、ド・ディオンアクスルをリーフスプリングで吊る形式が採用された。ステアリングギアにはクイックなラック・アンド・ピニオン形式を採用している。トランスミッションは4速フルシンクロで、ブレーキは前輪がダンロップ型ディスク、後輪はアルフィン・ドラムであった。なおブレーキは前後2系統が独立したタンデムマスターシリンダー式となっており、どちらかが故障した場合に備えた安全性の高いものとなっていた。

ロータリーエンジンは極力低く、そして後方に配され、のちのマツダのアイデンティティーともなるフロント・ミッドシップの発想が既に生かされていた。重量物であるバッテリーは、前期型ではトランクに置かれ、後期型では助手席後部に設けられたツマミで開閉する蓋付きのケースに収められた。

ボディ
ロータリーエンジン搭載用に専用設計されたボディはセミモノコック方式であった。ボディは開口部以外には継ぎ目がなく、ハンドメイドのスペシャルカー然としていた。また、開口部のリッド類は来たるべき高速時代を見越して、全て安全な前ヒンジ(エンジンフードは逆アリゲーター)とされた。デザインにあたっては革新的なロータリーエンジンにふさわしい、大胆かつ斬新なスタイルが望まれた。開発当初、当時の社長である松田恒次から「売り出すつもりのないイメージカーだ」といわれたからこそ、この思い切ったスタイリングが生まれたともいわれる。
全高は1,165 mm と低かった。「軽量コンパクトなロータリーエンジンでなければ成しえないデザインを」という、学芸大卒業のマツダ初のデザイナー小林平治の意図はその低さに結実し、伸びやかなリア・オーバーハング、ボディー中央を走るプレスラインとあいまって、コスモスポーツの未来的なイメージをさらに強調している。ボンネットの低さとエンジンフード(リッド)の小ささは、ロータリーエンジンのコンパクトさを暗示している。また、バンパーを境に上下に分けたテールランプも特徴的である。ただし、全長に比してリアオーバーハングが大きいスタイルのため、運動性の面では不利なものとなり、「スポーツ」の名とは裏腹に、むしろグランドツーリングカーとしての性格が強くなった。

内装
フルパッドのダッシュボードに組み合わされるアルミニウムのインパネは艶消しの黒で統一され、無反射ガラスの7連メーター(左から時計、燃料計、電流計、速度計、回転計、油温計、水温計の順)が整然と並ぶ。内装は天井も含めて黒のビニールレザーのフルトリムとされ、通気性を考慮し、シート中央のみ白黒の千鳥格子柄のウールを使用している。前期型のL10Aは法制化前のため、ヘッドレストが無い。
前後に調節可能(テレスコピック)な3本スポークのウッドステアリングホイール(一部、1970年 - 1971年式:ナルディ社製Φ380)が標準となっている。床敷物は真っ赤な絨毯で、シフトノブは自然に手を下ろした位置にあり、腕を大きく動かすこと無く操作できるショートストロークとなっている。クラリオン製オートラジオ、トグルスイッチを上下に作動させるタイプのセミオート・アンテナ、メーター照度調節、ホーン音質切替え(市街地用、高速用)、2スピードワイパー(払拭中にスイッチを切っても停止位置に復帰するタイプ。高速時の浮き上がりを防止するフィン付き)、さらにマップ・足元(ドア開閉連動)・グローブボックス・トランクの各ランプなども標準で装備されていた。
ドアは二段チェッカーであり、スマートに乗り降りできるように考えられていた。座席の後ろには手荷物を置くためのスペースが設けられ、固定用ベルトも装備されていた。リアガラスは非常に曲率の大きなものが用いられ、室内の開放感を高めた。RX-8、および歴代RX-7のリアガラスは、このオマージュとされる。助手席側サンバイザー裏面には鏡、足元にはフットレスト、グローブボックス脇にはアシストグリップも装備された。
内装のデザインは、相馬亮一をチーフとする内装チームが担当した。

販売価格
価格は148万円で、同時期の趣味性の高い車種で比較すると、いすゞ・117クーペの172万円ほどではないが、ダットサン・フェアレディ2000の88万円、日産プリンス・スカイライン2000GT-Bの94万円と比べるとはるかに高価であった。

走行性能
ロータリーエンジンの走りは、レシプロエンジンとはまさに異次元の感覚をもたらした。当時、ほとんどのレシプロエンジン搭載の国産車は4,000 rpmを過ぎたあたりから騒音と振動が大きくなり、100 km/h を超える高速走行では会話すら困難となり、怒鳴りあうようにしなければならないこともままあった。しかし、ロータリーエンジンはレッドゾーンの7,000 rpmまで静粛かつスムーズに吹けあがった。
カーグラフィック誌によるマツダ製ロータリーエンジン車の燃費テスト結果。
コスモスポーツ (L10A):8.3 km/L(試験距離:公道998 km、サーキット108 km、1967年9月号)
カペラロータリークーペGS:7.07 km/L(試験距離:4,300.6 km、1970年10月号)
サバンナRX-7リミテッド (SA22C):7.68 km/L(試験距離:1,555 km、1978年6月号)
サバンナRX-7 GT-X (FC3S):5.0 km/L(試験距離:1,007 km、1985年12月号)
アンフィニRX-7 type R (FD3S):5.2 km/L(試験距離:970 km、1992年2月号)
各年代の道路事情やテスト条件の相違などから一概に結論付けられないが、以上の車の中では、燃費性能でトップの値を記録している。

後期型
1968年(昭和43年)7月には早くもマイナーチェンジ(L10AからL10Bに形式変更)が行われ、ラジエーターエアインテークの拡大、ブレーキ冷却口の新設、ホイールベース・トレッドの拡大、トランスミッションの5速化、前後ブレーキへのハイドロマスター(倍力装置)が装着された。ラジアルタイヤ標準化(155HR15)、ポートタイミングの変更にともなう吸入効率向上によるパワーアップ(110 PS /13.3 kgf·m → 128 PS /14.2 kgf·m)等を施された。この結果、最高速は185 km/h → 200 km/h、0-400 m 加速も16.3秒 → 15.8秒となった。
マイナーチェンジによって、当時としては高級品であったヂーゼル機器製のカークーラーがオプションで装着可能となった。このヂーゼル機器製クーラーの価格は40万円を超えたという。ユニットは座席後ろの手荷物スペースに置かれたため、冷風は後方から吹き出す形であった。コスモスポーツ専用設計のクーラーであったため効きは悪くなかったが、スナッチが発生しにくいロータリーはTOPギアで低速走行が可能であったため、当時の取扱説明書では「クーラ装着車はクーラ作動時、シフトをTOPおよびO・Tにし、エンジン回転1,500rpm以下の低回転でノロノロ運転している場合オーバ・ヒート気味になることがありますので、このような場合はシフトを2速か3速にして運転してください。」と注意を促している。
また室内のウォッシャー・ワイパー・ディマー・ターンシグナルの4スイッチが、1本のコンビネーション・レバーにまとめられた。3点式シートベルト、調整可能なヘッドレストも後期型より装備された。パーキング(エンジン始動時自動消灯)や非常灯も装備された。
この後期型(L10B)の価格は158万円であった。なお、車両型式名はL10Bとなり、エンジンの排気量は変わらず型式も10A型のままであったが、ポートやキャブレター、マフラーなどの仕様が数回変更された。


コスモスポーツの発売に合わせ、東洋工業は、1967年6月1日の新聞各紙に「世界の注目をあつめてロータリーエンジン搭載車いよいよ登場!」と題する全面広告を出した。その広告は全面であることを生かし、市販量産車としては世界初のエンジンであること、耐久性、革新性、スムーズさ、スタイリング、保証制度、装備、発表会の告知等を訴えるものであった。その翌日の6月2日、今度はトヨタ自動車が2000GTの全面広告を出しており、当時のトヨタのマツダ・ロータリーに対する対抗意識が垣間見える。
その後、6月6日から11日にかけて、東京都中央区日本橋の高島屋で、コスモスポーツ発表会が開催された。コスモスポーツ1号車が出品され、展示会・撮影会・試乗会といった内容であった。
松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助は松田恒次と親交があり、ロータリーエンジンを評価して、コスモスポーツの顧客第一号となった。
翌1967年(昭和42年)には、調布 - 八王子間が開通した中央自動車道に、高速パトロールカーとして警視庁第八方面交通機動隊に配備された。

1971年 (昭和46年)の特撮テレビ番組『帰ってきたウルトラマン』にて、防衛チームMATの専用車両「マットビハイクル」として後期型が登場している。その未来的なフォルムを生かして、大きな改造は無くほぼ量産車そのままの外観で使用されている。また、同作のオマージュ要素が強い「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」にもNERV官用車として登場している。
また俳優・歌手の京本政樹がこのコスモスポーツを愛車としており、俳優の千葉真一も当初、愛車としていた。


五位堂駅 近畿日本鉄道(近鉄)大阪線

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五位堂駅(ごいどうえき)は、奈良県香芝市瓦口にある、近畿日本鉄道(近鉄)大阪線の駅である。副駅名は「真美ヶ丘ニュータウン前」(まみがおかニュータウンまえ)。ニュータウンの玄関駅で、特急以外の全列車が停車する主要駅のひとつです。駅番号はD23。

駅名が香芝市五位堂ではなく同市瓦口に位置するにもかかわらず「五位堂駅」と名乗っている。この命名の経緯については、開業時に駅名を五位堂と瓦口のどちらにするかを巡って論争があったことはわかっているが、五位堂が選ばれた正確な理由は近鉄などの記録にも残っていないとされてい。

開業当時の所属自治体は北葛城郡五位堂村であった。
ちなみに、和歌山線のJR五位堂駅は香芝市五位堂に位置する。

駅構造
島式ホーム2面4線を持つ待避可能な地上駅で、橋上駅舎を有する。ホーム有効長は1987年(昭和62年)に215メートルになっており、10両編成分である。

出入口は北・北東・南西の3箇所に設けられているが、改札口は1箇所のみである。

駅名標・発車標などの各種案内表示には、長らく外国語表記がほとんど見られなかったほか、下りエスカレーターが設置されていない。一部の構内案内表示を除き、大半の構内案内表示に英語表記入りのものに更新されたほか、2009年度における国土交通省の交通施設バリアフリー化設備費補助金事業によって当駅へのエレベーター・障害者対応トイレ設置に関する費用交付が決定し、2011年より供用を開始している。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1・2 D 大阪線 下り 大和高田・大和八木・榛原・伊勢志摩・名古屋方面
3・4 D 大阪線 上り 河内国分・布施・大阪上本町・大阪難波・尼崎・神戸三宮方面
内側2線(2番線と3番線)が主本線、外側2線(1番線と4番線)が待避線である。なお、3番線と4番線は伊勢中川方面への発車にも対応している。
1番線の名張方には10両編成対応の引き上げ線があり、当駅終着の電車や回送列車が一度引き上げ線に入線した後、3・4番線ホームへの入線が可能になっており、3番線・4番線は五位堂検修車庫・高安検車区五位堂車庫への接続線がある。


営業面に関して、大和高田駅が管理する有人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。
定期券・特急券ともに窓口(一部時間帯のみ)および専用の自動発売機で購入が可能。
近鉄リテーリングが運営する売店の設置駅に指定されている。


ダイヤ面では特急以外の全一般列車が停車する。
当駅では特急列車との待避や緩急接続が頻繁に行われており、当駅発着の列車も設定されている。
朝と夕方は快速急行・急行と準急以下の列車、日中は上りの大多数と下りの一部の急行が区間準急以下の列車との緩急接続が行われている。


大阪方面からは、当駅終着または折り返しの準急・区間準急・普通列車が夕方のラッシュ時を除き、最終列車までのほぼ全時間帯にわたって設定されている。日中の当駅発着列車については、平日の下り到着列車は普通列車として運転され、上り始発列車は区間準急として運転されるパターンが基本となっている(土休日はこの逆)。
名張方面からは、夜間に大和朝倉駅と大和八木駅から当駅終着の普通列車が各1本、早朝に当駅始発の大和八木行き普通列車が2本、榛原行き(平日のみ)普通列車と伊勢中川行き急行が各1本設定されている。
日中は急行が毎時3本、区間準急(近鉄八尾駅 - 名張駅間各駅停車)が毎時3本、当駅折り返しの区間準急または普通列車が毎時1本停車している。


駅周辺
近鉄の五位堂検修車庫が1982年(昭和57年)に開設され、高安検車区五位堂車庫も立地している。

真美ヶ丘ニュータウン
文教施設など
畿央大学
奈良県立香芝高等学校
香芝市立香芝東中学校
広陵町立真美ヶ丘中学校
香芝市立五位堂小学校
香芝市立真美ヶ丘東小学校
香芝市立真美ヶ丘西小学校
香芝市立五位堂幼稚園
香芝市立真美ヶ丘東幼稚園
葛城自動車学校
香芝自動車学校
主な商業施設
エコール・マミ ショッピングセンター(北館は、近鉄プラザ 真美ヶ丘店)
郵便局・金融機関
香芝別所郵便局
香芝五位堂郵便局
りそな銀行 香芝支店
南都銀行 真美ヶ丘支店
大和信用金庫 香芝支店

路線バス
(※2016年3月19日現在) 奈良交通および京成バスの路線が発着している(後者はやまと号の共同運行のみ)ほか、香芝市コミュニティバスと香芝市デマンド交通の乗降場所にも設定されている。


1927年(昭和2年)7月1日- 大阪電気軌道八木線(現在の大阪線)の恩智 - 高田間開通と同時に開業する。
1941年(昭和16年)3月15日 - 参宮急行電鉄との合併により、関西急行鉄道の駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日 - 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。


1963年(昭和38年)1月 - 待避線が設置される(同時に大和高田駅が高架化・待避線を撤去)。
1987年(昭和62年) - 現駅舎の供用を開始する。区間快速急行および急行の停車駅に追加される。
2001年(平成13年)3月22日 - 快速急行の停車駅に追加される。
2007年(平成19年)4月1日 - 当駅におけるPiTaPaの供用を開始する。


五位堂駅
ごいどう
Goido
(真美ヶ丘ニュータウン前)
◄D22 近鉄下田 (1.4km)(1.7km) 築山 D24►
所在地 奈良県香芝市瓦口268
北緯34度32分5.18秒
東経135度43分5.32秒
駅番号 D23
所属事業者 近畿日本鉄道(近鉄)
所属路線 D 大阪線
キロ程 27.1km(大阪上本町起点)

電報略号 コイ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 14,174人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1927年(昭和2年)7月1日

対人地雷

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対戦車地雷に比べ殺傷能力は低いが、1個数百円で大量生産でき、「悪魔の兵器」とも呼ばれる。約80カ国に数千万個が埋められたとされ、エジプト、イラン、アフガニスタン、カンボジアなどが多い。07年の死傷者は世界で約600人。うち26%が18歳以下の子どもだった。99年に使用や製造などを全面禁止するオタワ条約が発効、日本など約160カ国が批准したが、米国やロシア、中国などはしていない。


対人地雷は、人間を負傷させることを目的に設計された兵器です。様々な種類がありますが、5キロ以上の圧力がかかったり、圧力が除かれたり、起爆装置につけられているワイヤが引っ張られたり、振動、・傾斜に反応したりすると爆発します。素材も金属だけでなくプラスチックや木材などがあります。

対人地雷は「悪魔の兵器」と呼ばれていますが、それは・敵と味方、兵士と民間人を区別しない
――対人地雷はいったん敷設されると、敵と味方の区別なく、誰でも殺傷します。家畜も被害に遭います。・一度敷設された地雷は、長期に渡わたって脅威を保持し続ける――今でも第2次世界大戦で使用された対人地雷が見つかるように、対人地雷は何十年にもわたって威力を持ち続けるからです。

対人地雷は100年以上前から使用されています
対人地雷は、1800年代のアメリカ南北戦争で初めて使われました。その後、第1次世界大戦、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争といった大規模な戦争で使用されたほか、フォークランド紛争(英国対アルゼンチン)、また、コロンビアやスリランカ、ネパール等では国内の紛争で使用されて来ました。


多くの場所で、地雷は地元の人々に向けて使われています。反政府武装勢力(ゲリラ)は、市民の協力を得るために、また市民たちが他の敵対勢力に食べ物を与えたり助けたりしないように、市民を標的とし、市民を苦しめ、混乱させるために地雷を使うのです。

地雷は世界各地で使用されて来ました
地雷は、これまで世界88の国・地域で発見されました。アフガニスタン、ボスニア、カンボジア、チェチェン、コロンビア、モザンビークなどは、特に地雷によってひどい被害を受けています。チリ、エジプト、エチオピア、インド、イラク、イスラエル、韓国、コソボ、ラオス、ニカラグア、セネガル、タジキスタンなど、80以上の国と地域が今でも地雷問題を抱えています。

岩村駅(明知鉄道明知線)

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岩村駅(いわむらえき)は、岐阜県恵那市岩村町にある明知鉄道明知線の駅である。駅番号は5
旧岩村町の代表駅で、女城主の悲話で知られた岩村城址は日本三大山城の一つ。

駅構造
上り線と下り線が斜交いに向き合う2面2線の相対式(千鳥式)ホームを持つ地上駅。明知線内唯一の列車交換(行違い)可能駅となっている。跨線橋などは無く、構内踏切で連絡している。

有人駅である。切符売場に簡易型の券売機が設置されています。。駅舎内には「御用承り処」と称する観光案内所がある。待合室には造り付けの長椅子と木製の長椅子が設置されています。

駅周辺
基本的には住宅地だが、広い駅前広場を持つ。徒歩3分ほどで岩村町商店街に出る。

岩村地域振興事務所(旧・岩村町役場)
岩村城跡(日本100名城 日本三大山城)
中馬街道
岩村本通り(重要伝統的建造物群保存地区)
恵那市立岩邑小学校
恵那市立岩邑中学校
岐阜県立恵那特別支援学校(旧岐阜県立岩村高等学校)
国道257号
国道363号
国道418号


バス
恵那市自主運行バス

2001年(平成13年)に「中部の駅百選」に選定された。
2012年(平成24年)の映画「キツツキと雨」に、そのままの名称、外観で登場。
2013年(平成25年)11月11日の21:00からTBS系列で放送された秋のドラマ特別企画『命~天国のママへ~』の撮影ロケ地として、架空駅「かしも(加子母)」駅の設定で岩村駅が選定されている。


2004年3月29日まで、腕木式信号機が稼働していたが、2006年4月11日に構内にて腕木式信号機を「産業遺産」として復活させ、駅員の指導の下で見学者が実際に動かせるモニュメントとした。
窓口では硬券の乗車券類を発売している。窓口営業時間は10:00~16:00のみ。それ以外の時間は無人となり、自動券売機での発売のみとなるため定期券・回数券、硬券の乗車券類等は購入できない。

 


1934年(昭和9年)1月26日 - 国有鉄道明知線阿木駅 - 当駅間開通時に開業。一般駅。
1974年(昭和49年)12月1日 - 車扱貨物・チッキの取扱を廃止(旅客駅となる)。
1985年(昭和60年)11月16日 - 明知鉄道に転換。
2004年(平成16年)3月29日 - 閉塞方式変更により、腕木式信号機使用停止。


岩村駅
いわむら
Iwamura
◄6 極楽 (1.3km)(3.3km) 花白温泉 4►
所在地 岐阜県恵那市岩村町2367-2
北緯35度22分7.91秒
東経137度26分3.62秒座標: 北緯35度22分7.91秒 東経137度26分3.62秒
駅番号 5
所属事業者 明知鉄道
所属路線 明知線
キロ程 15.0km(恵那起点)
電報略号 イム
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 343人/日
-2010年-
開業年月日 1934年(昭和9年)1月26日

TOYODA TRIKE 豊田TRIKE

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TOYODA TRIKE

トライク(英: Trike)は、3つの車輪が車両中心線に対して左右対称な二等辺三角形に配置されたオートバイである。三輪バイクと呼ばれることもある。前輪が2輪で後輪が1輪のトライクは逆トライク、リバーストライクとも呼ばれる。オートバイのようにリーンできるものはそれぞれリーニングトライク、リーニングリバーストライクと呼ばれる。ただし、オートバイの後部が荷台になっている貨物運搬用のものは日本では一般にはトライクと呼ばれず、伝統的にオート三輪と呼ばれている。
なお、英語で trike とは3個の車輪を意味し、日本でもスポーツタイプの三輪自転車をトライクと言う事がある。また、自動車タイプのもの(三輪自動車 )も英語では trike である。

TOYODA TRIKE 諸元表
全長 1765mm 1630mm
全幅 580mm
全高 1150mm
軸距 1296mm 1136mm
輪距 212mm
サドル高 795?895mm
車両重量 30Kg 28Kg
乗車定員 1名
アシスト
速度範囲 比例補助 0km/h 以上 ? 10km/h 未満
逓減補助 10km/h 以上 ? 24km/h 未満
標準アシスト走行距離 70km …(路面状況や走行条件によって変化)
電動モーター形式 DCブラシレスモーター
モーター定格出力 240W
変速機 内装5段(ラピッドファイヤーシフター変換式)
車輪寸法 前 16inx1.75 … (406㎜×44.5㎜)…2輪
後 20inx1.75 … (508㎜×44.5㎜)…1輪
制動形式 前 ディスクブレーキ×2
後 カンチ式ブレーキ×1
懸架方式 前 センタリングスプリング装備シンクロシステム
後 コイルスプリングサスペンション

社名 豊田TRIKE株式会社 (トヨダトライクカブシキカイシャ)
資本金 4億325.5万円  資本準備金 3億3,212.5万円
役員 代表取締役 豊田 浩之
本社所在地 〒107-0062 東京都港区南青山2-24-5 レマン南青山 101 TEL: 03-6434-1199
開発本部 〒471-0016 愛知県豊田市千石町5-18
生産本部 〒447-0003 愛知県碧南市雁道町4-1 ㈱五十鈴製作所内
事業内容 【3輪電動アシスト自転車の開発製造販売】個人用・商用・介護用など
【自転車関連商品の製造販売】サイクルパーツ各種
沿革 2015年11月 設立

飯羽間駅 明知鉄道明知線

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飯羽間駅(いいばまえき)は、岐阜県恵那市岩村町飯羽間字光学にある明知鉄道明知線の駅である。駅番号は7。恵那市岩村町飯羽間地区の中心駅。駅周囲は人家も少なく、閑散としています。


駅構造
1面1線の単式ホームのみを持つ地上駅。駅舎のない無人駅です。

ホームには待合室が設置されています。ホームにはスロープで連絡します。

駅周辺
駅前には駐輪場。
駅周辺には田園風景が広がる。
国道257号
岩村町富田地区(日本一の農村景観指定地区)


1959年(昭和34年)1月10日 - 国鉄明知線の駅として開業。旅客駅。
1985年(昭和60年)11月16日 - 明知鉄道に転換。


飯羽間駅
いいばま
Iibama
◄8 阿木 (2.8km)(1.0km) 極楽 6►
所在地 岐阜県恵那市岩村町飯羽間
北緯35度23分13.92秒
東経137度26分14.92秒座標: 北緯35度23分13.92秒 東経137度26分14.92秒


所属事業者 明知鉄道
所属路線 明知線
キロ程 12.7km(恵那起点)
電報略号 7


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 42人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1959年(昭和34年)1月10日

 

阪急3300系電車

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阪急3300系電車(はんきゅう3300けいでんしゃ)は、1967年(昭和42年)に登場した阪急電鉄の電車(通勤形電車)である。大阪市営地下鉄6号堺筋線への相互直通運転用として、阪急と大阪市交通局の協議の上で設計された。

概要
1967年から1969年(昭和44年)までの短期間に120両が製造され、1979年には付随車6両が増備された。1968年に登場した神宝線向けの5000系は、車体各所の設計が3300系と共通している。

車体・接客設備
車体寸法は従来の阪急標準車体より幅が100mm広くなり2,800mmに、長さは100mm短くなり18,900mmとされた。神宝線へは車体幅が車両限界に抵触するため、入線不可能である。

車体寸法の協議の際、阪急は外板幅2,700mm、車体長18,300mm、連結面間19,000mmの阪急標準車体を、大阪市は外板幅2,800mm、車体長18,000mm、連結面間18,700mmの地下鉄標準車体をそれぞれ主張した。幅については、大阪市は車体幅の広いP-6の走る路線への直通であると指摘し、また阪急側も神戸高速線より直通する2,780mm幅の山陽電鉄車両の受け入れもあり、阪急標準車体を断念して外板幅2,800mmとすることになった。長さについても折り合いがつかず、阪急標準車体より100mm短い寸法とされた。
正面は交通局の要請から前面左側窓上に小型の手動式方向幕が設置され、標識灯は左右とも外側に寄せられた。手動式方向幕は堺筋線直通列車の運用のみに使用され、阪急線内運用では従来車同様に運行標識板を使用した。
側窓は下降窓の開口高さを床面から1,200mmに抑え、車両限界の狭い地下鉄線で必要な保護棒を省略した。非常時の正面からの脱出の妨げにならないよう、前面貫通扉と乗務員室仕切り扉の開閉順序が逆になった。
乗務員室は、保安装置の搭載数増加により客室側に100mm拡大され、1,150mmとなった。乗務員室仕切り壁の車掌台側の窓にはガラスが設置され、車内放送の共鳴防止を図った。車掌スイッチは従来の阪急方式から地下鉄方式の押し棒式になり、取り付け位置も低い位置に変更され、乗務員室側扉の開き勝手も従来と逆になった。

主要機器
電動車はMM'ユニット方式を採用した。地下区間での故障時推進が行えるよう、電動車の比率(MT比)が高く取られ、主電動機1台あたりの出力は130kWに下げられている。駆動方式は中空軸平行カルダン、定格速度も低めの設定だが、歯車比は京都線標準の5.25で、弱め界磁制御範囲が広く高速運転も可能である。5300系以降の車両とは異なり、地下区間での加速度切り替えは行わない。
台車は乗り心地向上を目的として阪急初のS型ミンデン空気バネ台車を採用し、M車はFS369、T車はFS69を装着した。電動・付随台車とも車輪径は860mmで一体圧延車輪を採用、基礎ブレーキは片抱き式、空気ばねの有効径は480mmである。この台車は神戸線5000系でも使用され、以後の新造車でも改良を加えながら8000系・8300系まで採用が続いた。
運転台は主幹制御器とブレーキハンドルが個別の2ハンドル車であるが、堺筋線内で運転士が駅出発時に警笛を使用する関係上、電気笛が標準装備されている。ブレーキシステムは初代1300系以来採用されている発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。

形式
2017年9月に形式呼称が変更された。変更後の形式は、各形式の項目末尾に記す。
新規製造形式
3300形(3301 - 3348、48両)
梅田・天下茶屋方を向く制御電動車。パンタグラフと制御器を搭載し、3400形または3800形とユニットを組む。中間車化された車両も存在し、中間車化の上電装解除された車両は後述の3890形に改番されている。下記編成図ではMc、またはMo(中間車化改造車)と表記。新形式呼称では、Mc3300形(運転台撤去車はM3300形)と表記。
3350形(3351 - 3368、18両)
河原町・北千里方を向く制御車。3両が中間車化されている。下記編成図ではTc、またはTo(中間車化改造車)と表記。新形式呼称では、Tc3350形(運転台撤去車はT3350形)と表記。
3800形(3801 - 3818、18両)
MGとCPを搭載し、3300形とユニットを組む中間電動車。下記編成図ではM’と表記。新形式呼称では、M3800形と表記。
3400形(3401 - 3430、30両)
河原町・北千里方を向く制御電動車。1969年製造分のみ。MGとCPを搭載し、3300形とユニットを組む。後述の連結解放運転案に基づいて製造されたため、当初から中間に組み込まれていた車両が多く、冷房改造時に大半の車両が中間車化された。電装解除され3390形に改番されたものも3両存在し、1両のみ中間車化後に電装解除され3890形に改番されている。現在も運転台を残しているのは6+2両編成の2両側を組成するための3両のみ(2016年に3426が廃車された為、以降は3425・3427のリニューアル車2両のみ)であり、営業運転で先頭に立つ機会はない。下記編成図ではM'c、またはM'o(中間車化改造車)と表記。新形式呼称では、Mc3400形(運転台撤去車はM3400形)と表記。
3850形(3851 - 3861〈奇数番のみ〉、6両)
付随車。下記編成図ではTと表記。初期に製造された4+3両編成の4両側にのみ組み込むため、奇数番車のみが製造された。後に付随車が増備された際は別形式の3950形となったため、結果偶数番車は欠番のままになった。新形式呼称では、T3850形と表記。
3950形(3951 - 3956、6両)
1979年に追加製造された付随車。上述の通り5300系の中間付随車5850形と同様の車体を持つ冷房準備車として製造され、新製時から車体に冷房風洞が組み込まれていたため車高が通常の3300系より高い。新製時のモニター屋根も通常の3300系中間車のものとは違い、少し高く屋根全長より短いものだった。また、台車の形状や車側表示灯の位置も通常の3300系とは違い、5300系に準じたものになっている。下記編成図ではTと表記。新形式呼称では、T3850-1形と表記。
改造・改番形式
3350形(3390番台:3391 - 3393、3両)
3400形を電装解除した制御車。下記編成図ではTcと表記。新形式呼称では、Tc3350-1形と表記。
3850形(3890番台:3891 - 3895、5両)
3300形、3400形を運転台撤去、電装解除した付随車。構内運転に使用できる程度の運転用機器が残されている他の運転台撤去車と異なり、運転用機器が完全撤去されている。下記編成図ではTo(3300形改造車・菱形パンタグラフも撤去)、T'o(3400形改造車)と表記。旧運転台の向きは、3400形から改造の3895番車のみ京都・北千里向き、3300形から改造の3891~3894番車は梅田・天六(天下茶屋)向きである。新形式呼称では、向きを問わずT3850-2形と表記。

製造
当初は、堺筋線への直通運転の詳細が未確定なこともあり、暫定的に本線の急行など優等列車用としてMT比4M3Tの7両編成(Mc-M'-T-Tc+Mc-M'-Tc)で落成した。車番の下1桁を揃えるため、付随車の3850形は偶数番が欠番となっている。
直通運転の計画が明らかになり、阪急側は5両編成14本を用意することなった。地下線内の故障列車の救援推進を考慮し、協定により編成内の3分の2を電動車とするため、5両編成ではユニットの関係から4M1Tとなった。
自社線内のダイヤ検討の過程で高槻市駅で5連+2連の連結解放を行う案が浮上し、その対応のために当初計画のなかったMc'車を製造することになり、3400形が登場した。3400形の形式は神戸・宝塚・京都方の先頭車に100番を加えるきっかけとなった。3400形は増備が続けられ、4M1Tの5両編成に組成変更された。一部の編成では、しばらく6M1Tの7両編成で本線急行に使用された編成も存在した。連解運用を考慮して3332 - 3348と3408 - 3424の34両に自動式の密着連結器を装備したが、結果として連結解放運転は実現しなかった。1979年(昭和54年)には、堺筋線の6両編成化を目的として付随車6両が追加製造された。車体は当時増備中の後継の冷房車5300系に準じ、断面形状が若干異なるものの、5300系の5850形と同一とした。冷房装置は搭載せず準備工事車として竣工し、車両形式も3950形となった。天井見付は従来の車両とは大きく異なり、平天井部に当時冷房改造が進行中であった2300系などから流用した丸形のファンデリア(換気装置)が並ぶ独特のタイプである。

短期間に120両が製造されたため、登場当初は本線の普通列車のほか急行にも使用された。1969年12月6日の堺筋線直通を開始し、当初は5両編成で運用された。1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会(大阪万博)期間中には「EXPO準急」にも大阪市60系とともに運用された。
1979年には3950形が増備され、全編成が6両編成となった。この6両編成化の時期に、一部制御電動車の電装解除が行われている。
1989年(平成元年)12月のダイヤ改正で高槻市 - 動物園前間の一部列車が8両化されたのに伴い、3300系の6M2Tの8両編成が登場した。8両編成は5300系8両編成との共通運用で、3300系は再び急行にも充当されている。その後も8連化が進められ、1994年3月には8両編成13本、6両編成3本となった。3326Fの8両編成は、中間車の6両全車が運転台撤去車のみで組成された。
1990年代には堺筋線に入線する編成について同線用の音声合成式自動放送装置が取り付けられた(阪急線内では使用しない)。
2003年(平成15年)から9300系の導入で8両編成が増加したため、2300系7両編成置き換えを目的として8両編成から7両編成に組成変更された編成が登場している。7両編成は堺筋線に入線しないため、一部の電動車は付随車化改造されて4M3T構成となっている。2005年には3322と3422が付随車化され、3894と3895に改番された。
2007年のダイヤ改正では特急のロングシート車運用にも充当されたが、2010年の特急の115km/h運転化で3300系の運用はなくなった。

2011年時点では7両編成と8両編成が存在し、京都線・千里線で運用されている。7両編成は準急以下の種別に、8両編成は快速急行から普通までの各種別で運用されている。なお、河原町駅2号線発着は7両編成車で、大阪市営地下鉄堺筋線の乗り入れは8両編成車で行っている。また7両固定編成の車両が検査などで運用を離脱して本数が不足する場合には、8両編成の本系列が暫定的に7両編成となって運用されることがある。
2014年から1300系が導入されたことにより、2300系を置き換えるための8両編成の7両編成化が進行し、3327F,3324F,3330F、3309Fが脱車、編成組み替えなどによって7両固定編成となった。2019年7月現在、8両編成5本40両、7両編成8本56両の計96両が在籍する。

阪急3300系電車
基本情報
運用者 阪急電鉄
製造所 ナニワ工機
アルナ工機(3950形)
製造年 1967年 - 1969年、1979年
製造数 126両
運用開始 1967年
投入先 京都線(地下鉄堺筋線直通)
主要諸元
編成 7両・8両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V
(架空電車線方式)
最高運転速度 阪急線内 110 km/h
堺筋線内 70 km/h
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 3.3 km/h/s (MT比6M2T時)
2.9 km/h/s (MT比4M3T時)
減速度(常用) 4.5 km/h/s
減速度(非常) 5.0 km/h/s
車両定員 座席48・立席92(先頭車)
座席52・立席98(中間車)
座席48・立席102(簡易中間化改造車)
自重 24.3 t(3350形簡易中間化改造車)
- 36.0 t (3300形)
全長 18,900 mm
全幅 2,809 mm
全高 3,730 mm (通常、冷房改造前)
→4,020 mm (冷房改造後)
4,120 mm (3300形)
4,040 mm (3950形)
車体 普通鋼
台車 M車(電装解除車): FS-369
T車: FS-069、FS-069A(3950形)
主電動機 東洋電機製造 TDK831-A
主電動機出力 130 kW × 4
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 1:5.25
制御方式 抵抗制御
制御装置 東洋電機製造 ES583
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
(常用)
電気指令式ブレーキ
(非常)
保安装置 ATS,WS-ATC
デッドマン装置
備考 起動加速度は45km/hまでの値

 

三条京阪駅 京都市営地下鉄東西線

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三条京阪駅(さんじょうけいはんえき)は、京都市東山区にある、京都市営地下鉄東西線の駅。駅番号はT11。地下鉄開業以前の京阪京津線時代は三条駅または京津三条駅。京阪京津三条駅の代替として設置されました。

京阪電気鉄道(京阪)本線・鴨東線の三条駅と、地下の改札外コンコースを通じて繋がっている。

駅構造
ホームは地下4層にあり、他の東西線の駅と同様、複線島式ホーム(1面2線)で、ホームドアが設置されている。改札口の改札機は7台。頭上には通行案内が設置されています。

東西線の駅は駅ごとにステーションカラーが制定されており、当駅のステーションカラーは牡丹色である。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 T 東西線 下り 京都市役所前・烏丸御池・太秦天神川方面


2 上り 御陵・六地蔵/びわ湖浜大津方面(京津線)
ホームの天井が低い。

 

駅施設は第三セクターである京都高速鉄道株式会社が建設した。
なお、京阪京津線の御陵駅から京津三条駅までが地下鉄東西線に置き換えられて廃止となった経緯から、当初は京津三条駅の後継にあたる当駅までの乗り入れを予定していた。

しかし、当駅付近では折返線など運転のために必要なスペースが確保できなかったため、開業時は一駅先の京都市役所前駅までの乗り入れとなった(2008年の東西線延伸の際に一部列車の乗り入れ区間を太秦天神川駅まで延長)。

 

駅周辺
地下鉄開業以前から、バス停の名称や地域名として「三条京阪」と呼ばれている。これは周辺の地名ではなく、京阪三条駅前のことを三条通京阪前と呼んでいたものが変化したもの。なお、京阪の駅名は三条駅となっており、「京阪」を冠しない。

1997年(平成9年)10月12日 - 京都市営地下鉄東西線の醍醐駅 - 二条駅間の開通と同時に開業。
2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。

三条京阪駅
さんじょうけいはん
Sanjo Keihan
◄T10 東山 (0.6km)(0.5km) 京都市役所前 T12►
所在地 京都市東山区大橋町
北緯35度0分33.4秒 東経135度46分25.5秒
駅番号 ●T11
所属事業者 京都市交通局(京都市営地下鉄)
所属路線 東西線
キロ程 12.1km(六地蔵起点)


駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 26,816人/日
-2017年-
開業年月日 1997年(平成9年)10月12日
乗換 三条駅(京阪本線・鴨東線)

 


明知鉄道アケチ100形気動車

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明知鉄道アケチ100形気動車 (あけちてつどうアケチ100がたきどうしゃ)は、2017年(平成29年)に1両が製造された明知鉄道の気動車である。

概要
1989年(平成元年)に製造されたアケチ6形1両の代替用として2017年(平成29年)に1両、アケチ12の代替用として2018年(平成30年)に1両がそれぞれ製造された。 ロングシート、正面貫通式、両運転台、トイレなしである。明知鉄道の車両として初めて18 m級の車体が採用された。ブレーキが電気指令式となったため、従来車と併結して運転することができない。

車体
明知鉄道の気動車として初めて18 m級の車体を採用した。前面は貫通式、乗務員室は左側で、乗務員室側にのみ乗務員用扉が設けられた。幅1,000 mmの引戸の客用扉が両車端に設けられ、車椅子スペースが1箇所設けられた。扉間に窓6組があり、両端のものが上段固定、下段上昇、中央の4組が固定式である。戸袋部に窓はなく、トイレは設置されなかった外部塗装はアケチ101がアケチ1形と同様、 クリーム色で、車体裾に下に行くほど細くなる朱色の帯が3本巻かれ、車体側面中央部と正面貫通扉部は明知鉄道の頭文字Aが意匠化されている。アケチ102については、クリーム色と朱色の塗装が反転したような塗装となっている。

車内はロングシートで、椅子表布はグリーン、壁は木目調とされた。

走行装置
エンジンは新潟原動機製横形直列6気筒DMF13HZディーゼルエンジン(243kW / 2,200 rpm)を採用、日立ニコトランスミッション製TACRN22-1601液体変速機を介して2軸駆動の台車に伝達される。台車はボルスタレス空気ばね、積層ゴム軸箱支持のNF01QD/Tが採用された。制動装置は電気指令式ブレーキが採用され、抑速用に液体式リターダが併用される。保安装置としてATS-STが装備された。

空調装置
暖房装置はエンジン排熱を利用した温風式である。冷房装置は機関直結式のもの2台が装備された。


運用
1989年(平成元年)に製造されたアケチ6の代替用として岐阜県鉄道老朽化施設整備計画に基づいてアケチ101が新造され、2017年(平成29年)4月8日から営業運転を開始した。また、2018年(平成30年)にはアケチ12の代替用としてアケチ102が新造された。なお、電気指令式ブレーキを採用したため従来のアケチ10形とは連結運転ができない。

明知鉄道アケチ100形気動車
基本情報
運用者 明知鉄道
製造所 新潟トランシス
製造初年 2017年
製造数 2両
運用開始 2017年4月8日
主要諸元
軌間 1,067 mm
最高速度 80 km/h
車両定員 119名
(座席50名)
自重 31.9 t
全長 18,500mm
車体長 18,000 mm
全幅 3,093mm
車体幅 2,800mm
全高 3,946.6 mm
車体高 3,660 mm
床面高さ 1,150 mm
車体 普通鋼
台車 枕ばね:ボルスタレス式空気ばね
軸箱支持積層ゴム式
NF01QD/T
車輪径 960 mm
固定軸距 2,100 mm
台車中心間距離 13,000 mm
機関 新潟原動機製直列横形6気筒DMF13HZディーゼルエンジン
機関出力 243 kW (330 PS) / 2,000 rpm
変速機 液体式(TACRN22-1601)
変速段 変速1段、直結2段
制動装置 電気指令式ブレーキ、液体式リターダ
保安装置 ATS-ST

多気駅(JR東海) 参宮線

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多気駅(たきえき)は、三重県多気郡多気町多気にある、東海旅客鉄道(JR東海)の駅である。駅は町の中心からは離れており、特急停車駅ではあるものの、周囲にそれほど活気はみられません。

乗り入れ路線
当駅の所属線である紀勢本線から、参宮線が分岐する。交通の要衝として、特急「南紀」を含む全ての列車が停車する。

線路名称上は参宮線の起点駅であるが、紀勢本線松阪方面からの特急以外の列車については当駅から参宮線に直通するものが多く、運転系統上では紀勢本線新宮方面への普通列車の多くが当駅始発となっている。

分岐駅においては、本線の方がまっすぐ伸びており、支線の方が大きく曲がる形で分岐するのが通常であるが、当駅は例外で、本線である紀勢本線のほうが大きく曲がっており、支線である参宮線のほうがまっすぐになっている(JR東海では岐阜駅や大府駅なども同様)。これは、亀山駅から参宮線の鳥羽方面が初めにあって、紀勢線の相可方面が後から建設されたという歴史的経緯による。

駅構造
島式ホーム2面4線を有する地上駅で鉄骨造駅舎です。駅舎とホームは跨線橋で連絡している。

駅長・駅員配置駅(直営駅)である。管理駅として、紀勢本線で相可駅 - 阿曽駅間の各駅、および参宮線の外城田駅を管理している。JR全線きっぷうりばが設置されているが、係員が駅構内の入換係員と兼務のため、窓口が閉鎖されている時間帯が一日数回ある。自動券売機の設置はなく、乗車券類はすべて窓口のマルス端末での発行となる。自動改札機は設置されていない。広い待合室があります。

駅構内に乗務員区所である伊勢運輸区がある。ホームにLED発車標が設置されている。

のりば
番線 路線 方向 行先 備考
1・2 ■紀勢本線 上り 亀山・名古屋方面 一部は3番線から発車
3・4 下り 尾鷲・新宮方面 一部は1番線から発車
■参宮線 - 伊勢市・鳥羽方面


ホームは島式2面4線。跨線橋で結ばれています。
上りは2番線、下りは4番線を本線としているため、快速や特急は全てこのホームを使用する。副本線である1・3番線は始発列車の発車に使われることが多いが、例外もある。

貨物取扱・専用線
当駅では、かつて臨時車扱貨物のみを取り扱い、定期貨物列車の設定はなかったが、2016年(平成28年)4月1日の亀山駅 - 鵜殿駅間貨物営業廃止に伴い、貨物取り扱いは廃止された。

参宮線の東側に沿ってダイヘン三重事業所へ続く専用線があり、そこを発着する変圧器などを輸送する特大貨物輸送列車が年に数回ほど運行されることがあった。

駅周辺
駅名のみならず、所在地も「多気郡多気町多気」となっているが、役場をはじめとした町の中心的施設はほぼ全てが相可(隣駅の紀勢本線相可駅周辺)にあるため、当駅周辺には若干の市街地が広がっているものの、目立った施設があるわけではない。
松阪市、多気郡明和町との境界に近く、松阪市法田町、明和町岩内等が利用圏に入っている。

多気駅前郵便局
多気郡農協相可支店多気ATMコーナー(平日のみ稼動)
松阪警察署多気警察官駐在所
櫛田川
神山一乗寺(一乗寺)
ダイヘン三重事業所
国道42号
伊勢本街道
ヤマザキショップフドノ店

バス路線
多気町町営バス
幹線バス: 下河田、波多瀬公民館、大石
予約運行型小型バス(でん多)
1系統(西相鹿瀬線) 相可駅
2系統(西池上・下佐奈線) 相可駅


1893年(明治26年)12月31日 - 参宮鉄道 津駅 - 宮川駅間の開通時に相可駅(初代)として開業。
当時は現在でも多気町の中心的集落となっている相可村への入口としての役割が強かったらしく、駅名が相可となっていた。
1907年(明治40年)10月1日 - 参宮鉄道の国有化。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。参宮線所属駅となる。
1923年(大正12年)3月20日 - 紀勢東線が栃原駅まで開通。相可駅(2代目)開業により相可口駅に改称。


1959年(昭和34年)7月15日 - 多気駅に改称。同時に参宮線の当駅から亀山方と紀勢東線が紀勢本線に編入され、紀勢本線所属に変更。
1971年(昭和46年)11月 - この頃、ダイヘン三重事業所への専用線が運用開始。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物取扱を廃止。
1987年(昭和62年)
3月31日 - 貨物取扱を、変圧器などに限り再開。
4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
2016年(平成28年)4月1日 - 亀山駅 - 鵜殿駅間貨物営業廃止に伴い、日本貨物鉄道の駅廃止。

多気駅*
たき
Taki
所在地 三重県多気郡多気町多気76-1
北緯34度30分58.69秒
東経136度34分22.12秒
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
電報略号 タキ
駅構造 地上駅


ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 612人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1893年(明治26年)12月31日
乗入路線 2 路線
所属路線 紀勢本線
キロ程 42.5km(亀山起点)
◄徳和 (4.9km)(3.9km) 相可►
所属路線 参宮線
キロ程 0.0km(多気起点)
(3.3km) 外城田►
備考 駅長配置駅(管理駅)
JR全線きっぷうりば 有
* 改称経歴
- 1923年 相可駅(初代)→相可口駅
- 1959年 相可口駅→多気駅

JR東日本E231系電車

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JR東日本E231系電車
E231系電車(E231けいでんしゃ)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の直流一般形電車。

概要
老朽化および陳腐化が進んだ首都圏の通勤車両(103系、201系、205系ならびに301系)および近郊形車両(113系ならびに115系)の置き換え用として開発、投入された。0番台は2000年(平成12年)3月より中央・総武緩行線(習志野電車区)に、次いで近郊タイプが同年6月より東北本線(宇都宮線)(小山電車区)に、500番台が2002年(平成14年)4月より山手線(山手電車区)に、そして800番台が2003年(平成15年)5月より地下鉄東西線直通用に、それぞれ順次投入され、現時点ではその運行範囲は宇都宮線、常磐線、成田線、東海道本線、伊東線、高崎線、上越線、両毛線、横須賀線、武蔵野線、湘南新宿ライン、上野東京ラインにまで拡大している。
 省エネルギー化と生産コスト、メンテナンスコストの大幅な削減を目的にJR東日本が1990年代に開発した「新系列車両」の技術に加え、運行制御システムへの新機軸の採用により、その後の鉄道車両の開発にも大きな影響を与えた。本系列の開発目標としては「ライフサイクルコストの低減」「サービス向上」がある。本系列はJR東日本と東急車輛製造が共同開発した車両であり、東急車輛製造のほかに川崎重工業やJR東日本新津車両製作所でも製造されている(ただし、グリーン車は新津で製造された実績がない)。
 運用路線は首都圏近郊区間全域に拡大しており、2010年(平成22年)現在ではJRグループで同一系列の最多配置両数を誇り、2011年夏に総生産両数は2,736両に達した。山手線用の6扉車サハE230-500番台104両と中央・総武緩行線用の6扉車サハE230-0番台3両が廃車になったほか、サハE231-4600番台1両がE235系に編入されたため、2015年4月1日現在の在籍数は2,628両である。
 車両のデザイン開発は榮久庵憲司主宰のGKインダストリアルデザインが担当している。本系列の開発により、JR東日本は平成18年度地球温暖化防止活動環境大臣表彰(対策技術導入・普及部門)を受けた。その理由は省エネルギー化およびリサイクル可能部品の多数使用、さらに他社での技術採用により鉄道業界全体の省エネなどに貢献しているとする点である。さらに、本系列およびNEトレインの開発・導入によってJR東日本は「省エネ車両の継続的導入と世界初のハイブリッド鉄道車両の開発・導入」という理由により、第16回地球環境大賞の文部科学大臣賞を受賞した。

機器構成
本系列は従来の通勤形電車・近郊形電車の区分を統一した一般形電車として設計され、その動力性能は歯車比 7.07、最高速度 120 km/h 、起動加速度 2.5 km/h/s(500・800番台と近郊タイプは除く)である。VVVFインバータ機器の性能向上と主電動機の強化(高回転に対応した設計のMT73形の採用)により、近距離用の通勤形電車である209系(歯車比 7.07、最高速度 110 km/h、起動加速度 2.5 km/h/s)と同等の加速力を維持しつつ、中距離電車用の近郊形電車であるE217系(歯車比 6.06、最高速度 120 km/h、起動加速度 2.0 km/h/s)と同等の最高速度を達成している。MT73形主電動機は三菱電機・東芝・東洋電機製造の3社で製造されている。
ブレーキ方式は電気指令式空気ブレーキと電力回生ブレーキを組み合わせた方式で、電動車では停止寸前まで電力回生ブレーキが使用可能なほか、空気ブレーキの遅れ込め制御も併用している。これには後述する TIMS による編成単位での遅れ込め制御を行うことで、各付随車で制輪子の磨耗を均等にすることを可能としている。なお、山手線用の500番台と東西線直通用の800番台は純電気ブレーキにも対応している(直通予備ブレーキ・耐雪ブレーキ・近郊タイプのみ抑速ブレーキ付き)。近郊タイプ先頭車のTIMS配電箱ではTIMS端末演算ユニット(IMS = TIMSに使うソフトウェアの名称)、配電盤 (NFB) 、接地スイッチ (GS) に、ATS-Pなども内蔵されている。ブレーキなどに空気を供給する電動空気圧縮機 (CP) は209系やE217系等で実績のあるクノールブレムゼ製の低騒音形スクリュー式を搭載する。本系列では除湿装置を含めて装置全体を一体箱に収納したものとなっている(コンプレッサユニット箱)。
台車には209系と同じく軸梁式のボルスタレス式台車を使用し、動力台車はDT61系・付随台車はTR246系が採用されている(ただし、サハE231形4600番台はE233系タイプのTR255A形)。近郊タイプのヨーダンパはE217系と同じくグリーン車にのみ取り付けられており、通勤タイプも含めた普通車は全車両が取り付け準備のみである(将来の速度向上を考慮したもの)。なお、ヨーダンパは後年になり撤去されている。先頭車の前位側台車には留置時の手歯止め設置を省略できるように駐車ブレーキを設置している。集電装置には従来の空気シリンダと手動リンクに代わる「電磁鉤外し」方式のシングルアーム式パンタグラフ(PS33B形・ただし、900番台はPS33形、0番台のB80 - 82編成はPS33D形)が採用され、折りたたみ高さは全車 3,980 mm に統一されており、中央本線の高尾以西の狭小トンネル区間の走行が可能である。そのため、パンタグラフを持つモハE231形には、車両番号の前に高尾以西へ入線可能な事を示す「◆」マークが付いている。
 車両に搭載される機器の制御方法がそれ以前に製造されていた車両系列とは大きく異なり、非常ブレーキなどを除くほぼすべての機器の制御を TIMS (Train Information Management System) と称する情報管理システムを通じて行っている。通信のインタフェースには RS-485 (伝送速度2.5 Mbps)を用いている。これは高速データ通信技術を用いて列車の動力制御、室内設備、保守点検などを一つのシステムとして統合・管理するもので、機能別に独立していた従来の制御系統・電気配線を大幅に簡素化し、製造コストの削減を達成した。また、各機器の自己診断機能や動作履歴の記録機能などによる車両の点検作業の自動化・迅速化など点検・保守作業の簡略化も同時に実現している。
空調装置には集中式のAU725形(系列)の能力 48.84 kW (42,000 kcal/h) または能力向上を図ったAU726形(系列)の 58.14 kW (50,000 kcal/h) を各車に搭載している(近郊タイプのグリーン車を除く)。この空調装置は年間を通してTIMSによる全自動空調制御(暖房器・送風機の制御を含む)を採用した新開発のものである。これはTIMS内のカレンダー機能による季節認識機能や室内外の温度や湿度・乗車率等から判断して「冷房・暖房・除湿・送風モード」から自動選択し、ファジィ制御により各車両毎に最適制御するものである。
 AU725形を搭載するのは基本的に初期に製造された車両が該当し、0番台中央・総武緩行線用の4扉車全車(後のB80 - 82編成も同様)、0番台常磐快速線・成田線用、500番台1次車の4扉車と初期の近郊タイプとなっている。ただし、0番台中央・総武緩行線および500番台でもドア開口部の大きい6扉車は能力向上形のAU726形を搭載している。その後、500番台2次車以降に製造した車両や800番台、国府津車両センター向け新製投入以降の近郊タイプでは近年のヒートアイランド現象などの気象状況を考慮して全車両が能力向上形のAU726形を搭載している。


車体設備
本系列は、車体形状や装備の違いにより通勤タイプと近郊タイプの2つに大別できる。基本設計は共通であり、量産効果による車両製造コストの低減を図っている。
 車体は軽量ステンレス製で、前面部にはFRP(ガラス繊維強化プラスチック)製のカバーで覆う構造が用いられている。車体構造はE217系や209系500番台に準じたものであり、近郊タイプだけでなく、通勤タイプにも 2,950 mm の拡幅車体を採用している。ただし、例外として800番台は東京地下鉄線内の車両限界の関係から 2,800 mm 幅である。また、床面高さはレール面から 1,165 mm に低減され、さらに靴擦り(クツズリ)部分を傾斜させ、先端部の高さを 1,150 mm とした(900番台は 1,180 mm で、傾斜もない)。これにより、ホーム (1,100 mm) との段差解消と低重心化が図られている。E217系から採用された運転室構体への衝撃吸収構造を本形式も採用している。
車体諸特性
項目 特性
心皿間距離 13,800mm
片側出入口個数 4扉
相当曲げ剛性 5.8×1014(N・mm2)
相当ねじり剛性 176.9×1012(N・m2/rad)
曲げ固有振動数 構体12.7Hz
ねじり固有振動数 構体3.0Hz
主材料 SUS301L、SUS304
構体質量 M車5.1 t、T車4.8 t
車体形状は、製造した車両メーカーにより細部に差異が生じている。これは各車両メーカーが得意とする加工方法で車両の製造を行えるように若干の仕様の相違を許容しているためで、前述の量産効果に加えて車両製造コストの低減に寄与している。具体的には、近郊タイプおよび800番台では車体妻面部の処理・縦雨樋の形状・ドア横の柱の処理・内装の素材などが異なっている(下写真参照)。また、長期間にわたって製造が行われたため、同一のタイプ・番台においても製造時期により細かな仕様の変更(各車両連結部分への貫通扉の設置、傾斜式戸閉機構の採用、7人かけ座席間枕木方向へのつり革増設、火災対策としての天井整風板の素材変更など)が行われている。
車外妻面形状は東急・新津製は補強ビードがなく、フラットとなっており、縦雨樋は丸管である。また、屋根と妻面の接合部には段差がある。一方、川重製は横方向に補強ビードがあり、縦雨樋形状は角管である。また、屋根と妻面の接合部はフラットとなっている。
車内ドア周囲形状は東急・新津製はドア横にステンレス部材が使用され、ドア上部の点検フタはFRP成形品となっている。また、荷棚下に化粧板の継ぎ目(赤矢印)がある。一方、川重製はドア横には天井まで一体成形のFRPパネル材が使用され、ドア上部の点検フタは出っ張らない形状となっている。また、一体成形品のために化粧板のような継ぎ目はない。
全車両に前面排障器(スカート)が設置されているが、2005年度以降の新津車両製作所製の一部編成から踏切事故などの被害を軽減するためV字型で尖がっている強化型のものに変更された。なお、2007年夏頃から500番台や初期の近郊タイプなどの標準スカートを搭載する編成も、新津車両製作所]製の一部編成に使用されていた大型スカート(強化型)に変更する改造が始まっている(。
 側窓は209系500番台(本系列900番台落成時はこの仕様)と異なり、先頭車後位寄りを除く各ドア間にある窓ガラスは全て開閉可能な下降窓と固定窓の組み合わせとなっている。これは停電が発生した際など非常時における車内換気を考慮したものである。窓ガラスには可視光線、日射熱線、紫外線の透過率が低く(可視光透過率44%・日射熱線76%カット・紫外線96%カット)、乗用車でも採用が進んでいる汎用性の高いグリーン色の熱線吸収ガラス(UVカット)を採用している。このため、車内の側窓カーテンの設置は省略している。

車内設備・放送
車内は内板を白色系とし、床敷物には灰色を、座席表地は青色系を使用している(座席表地は500番台を除く)。ただし、優先席部では赤色の斜めストライプ柄の表地を使用している。座席構造は側構体で支持する片持ち式ロングシート/セミクロスシートを採用している。座席本体はリサイクル性にも配慮して、座席クッション素材にポリエステル樹脂成形品を使用し、表地の張り替えを容易にしている。その後、2001年(平成13年)3月以降の増備車では座り心地の改善のため、クッションの改良などを実施している。
車内では使いやすさも考慮して0番台からは荷棚と座席前のつり革高さを低下させている(209系500番台では荷棚は 1,770 mm から 1,730 mm に、つり革は 1,700 mm から 1,680 mm になった)。また、各先頭車の連結面側には車椅子スペースを設置している(800番台を除く)。連結面間の貫通扉は基本的に各電動車 (M - M') ユニット(モハ231形 - モハ230形)の両端に設置されている。ただし、火災対策基準の省令変更後に増備した車両では、省令に沿って傾斜式による自動閉機構付きの貫通扉が各車両片側に配置されている。他系列と同様に優先席付近のつり革は2008年春までにE233系と同じ形状のオレンジ色のものへ交換した。
 209系・E217系・E501系などと同様のドアチャイムを採用しているほか、車内案内設備としてLED式車内案内表示器(500番台は液晶ディスプレイを用いたトレインチャンネル)によって各種情報を表示している。LED式の場合、1段タイプと2段タイプの2タイプが存在するが、共通点として次駅案内が表示され、漢字→ローマ字→カタカナの順に表示される。一部の車両では旅客への案内向上のため、VIS と称する情報提供装置を搭載している。
 2段タイプのものは上段に行先・次駅案内・出口案内などを表示し、下段は所要時間表示・乗り換え案内・ニュース・運行情報などを表示する。また新たな列車運行情報が入電した時はアラート音が鳴る。非常ブレーキ取扱時にはディスプレイに「急停車します」と赤字で表示される。

乗務員室
乗務員室は基本的に209系で採用したユニット構造の運転台としている。主幹制御器は東芝製の左手操作式ワンハンドルマスコンが採用されている。保安機器では緊急停止装置(EB装置)と緊急列車防護装置(TE装置)を標準装備している。各番台とも乗務員室内には異常時に、非常用ハシゴとしても使用可能な補助腰掛が設置されている。
 0番台・500番台・800番台、近郊タイプの初期落成車ではアナログ計器式の速度計・圧力計・各種表示灯類を配置し、TIMSモニターは1画面を設けている。また、情報提供装置 (VIS) を搭載する常磐快速線用0番台および500番台では将来の情報量の増加を考慮して計器盤右側にTIMS第2モニター画面の準備工事がされている。
 その後の東海道線向け以降の近郊タイプでは見やすさや機能性、コストダウン等のため、速度計・圧力計・各種表示灯類を液晶モニター画面 (LCD) に集約したグラスコックピット方式に変更した。この方式の場合、液晶モニターは3画面が用意され、左からNo.1メータ表示器、TIMS表示器、No.2メータ表示器とされ、1画面が故障しても相互にバックアップが出来るなど冗長性も確保されている。乗務員室背面仕切壁は、運転席背後に非常救出口を、中央に遮光幕付きの大窓、助手席側に仕切扉窓を配置するものである。また、途中の増備車から大窓部の下に埋め込み形の手すりが設置されている。


形式
クハE231形 (Tc)
普通席を備える奇数向き制御車。運転台を備える。

500番台
山手線用E231系500番台 (2017年8月21日 / 秋葉原)
山手線用E231系500番台
(2017年8月21日 / 秋葉原)
基本情報
製造所 新津車両製作所
製造年 2002年 - 2005年
製造数 52編成572両
運用開始 2002年4月21日
投入先 山手線、中央・総武緩行線
主要諸元
編成 山手線:11両編成 (6M5T)
中央総武:10両編成 (6M4T)
最高速度 120 km/h
起動加速度 3.0 km/h/s
減速度(常用) 4.2 km/h/s
車両定員 先頭車:147(座席43)名
中間車:162(座席54)名
4600番台中間車:160(座席52)名
600番台中間車:160(座席54)名
6扉車(廃車済):162(座席30)名
6扉車座席収納時:160(座席0)名
車体長 19,500 mm
車体幅 2,950 mm
床面高さ 1,165 mm
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
保安装置 山手線:ATC-6(登場時)、D-ATC
中央総武:ATS-P

北野白梅町駅 京福電気鉄道北野線

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北野白梅町駅(きたのはくばいちょうえき)は、1925年の開業時には現在地より東の今出川通上に位置する中間駅として開駅しています。京都府京都市北区下白梅町にある京福電気鉄道北野線の駅。駅ナンバリングはB9。1958年の京都市電今出川線延伸に伴い、北野~当駅間を京都市電に路線譲渡する形で廃止、移転開業して現在に至っています。


駅構造
頭端式3面2線ホーム、コンクリート造りの駅舎を持つ地上駅。ホーム全体がドーム状の屋根で覆われている。乗車は中央のホームから行う。降車は両端のホームへ行うことが多い。トイレは1番線側の降車ホームの端に設置されている。駅前広場は3方向(東・北・南)とも道路に囲まれており、どこに行くにも信号つきの横断歩道を渡る必要がある。切符売場ではタッチパネル式の券売機が1台。フリー切符や回数券も発売しています。

のりば
1 ■北野線 帷子ノ辻・嵐山方面
2 ■北野線 帷子ノ辻・嵐山方面
通常は1番線のみ使用する。駅員配置駅だが、18時までの勤務である。18時までに到着する列車では、改札口で運賃を支払う。18時以降は他の無人駅と同様、下車時に運転士に運賃を支払う。

駅周辺
駅前は京都市内の幹線道路である西大路通と今出川通が交わる「北野白梅町」交差点に面し、交通量も多い。

イズミヤ白梅町店 - 駅南側すぐ
北野天満宮 - 東へ500m
天神川
京都大将軍郵便局
大将軍八神社
洛星中学校・高等学校
櫻谷文庫
平野神社
バス路線
市バスとJRバスでバス停名が異なる。


京都市交通局(市営バス)
Aのりば(今出川通東行西側)
51号系統:烏丸御池 四条河原町・三条京阪 行き
102号系統(洛バス):出町柳駅・銀閣寺・錦林車庫 行き
203号系統:出町柳駅 銀閣寺・錦林車庫方面
Bのりば(今出川通東行東側)
10号系統:四条河原町・三条京阪 行き
50号系統:二条城・西洞院通 京都駅 行き
52号系統:七本松通・二条駅・四条大宮 四条烏丸 行き
55号系統:二条駅・四条大宮 四条烏丸 行き
101号系統(洛バス):二条城・四条烏丸・京都駅 行き
Cのりば(今出川通西行)
10号系統:宇多野・山越 行き
Dのりば(西大路通南行)
15号系統:四条河原町・三条京阪 行き
快速202号系統:【快速】西大路四条 西大路駅・九条車庫 行き
203号系統:西大路四条 四条河原町・祇園 方面
204号系統:円町・銀閣寺 方面
205号系統:西大路四条・西大路七条 京都駅 方面
快速205号系統:【快速】西大路四条 京都駅 方面
Eのりば(西大路通北行南側)
26号系統:宇多野・山越 行き
Fのりば(西大路通北行北側)
15号・50号・52号・55号系統:立命館大学前 行き
51号系統:小松原児童公園前 立命館大学前 行き
101号・102号系統(洛バス):金閣寺・大徳寺・北大路バスターミナル 行き
快速202号・快速205号系統:【快速】立命館大学 行き
204号系統:金閣寺・北大路バスターミナル・高野 方面
205号系統:金閣寺・北大路バスターミナル ・下鴨神社 方面
MN205号系統:金閣寺・烏丸北大路 行き
北野バス停

西日本ジェイアールバス
京都駅行 / 栂尾・周山行 / 立命館大学・一条通方面 循環バス

 


1925年(大正14年)の北野線の開業時には設置されていなかったが、1943年(昭和18年)の京都市電西大路線の全通に際して開業した。開業時の駅名は白梅町駅(はくばいちょうえき)であったが、1958年(昭和33年)7月に北野線の当駅 - 北野間が休止され、北野駅に代わって当駅が新しい終着駅となったのちに、北野駅と白梅町駅の両駅名を合わせる形で改称された。「北野」は当駅のある地域を示す地域名であり、「白梅町」は当駅のある町の名前である。

開業時の駅設備は路面電車停留場のような簡素な造りであったが、駅名改称の翌月に現在の駅舎が設けられた。

1925年(大正14年)11月3日 - 京都電燈が経営する嵐山電鉄北野線の北野 - 高雄口(現在の宇多野)間が開業。
1943年(昭和18年)10月1日 - 白梅町駅として開業。
1958年(昭和33年)
7月 - 今出川通の拡幅と京都市電今出川線の延伸に伴い、北野 - 白梅町間は京都市電に路線を譲る形で休止。当駅が終着駅となる。
9月16日 - 北野 - 白梅町間が廃止。同時に白梅町駅は北野白梅町駅に改称。
雑誌「鉄道ファン」連載記事「電車をたずねて」の嵐電の記事によると、以前の駅は現在の位置でなく、専用軌道から路面区間に入って交差点を進み、交差点の東に路面式の白梅町電停があったという。この位置では京都市電が延長すると邪魔になるため、交差点西つまり現在の位置に専用軌道の駅として北野白梅町駅を新設した。つまり北野線自体も廃止区間以上に若干短縮されていることになる。


北野白梅町駅
きたのはくばいちょう
Kitano-Hakubaichō
(0.7km) 等持院 B8►
所在地 京都市北区北野下白梅町
北緯35度1分38.67秒
東経135度43分51.05秒
駅番号 ●B9
所属事業者 京福電気鉄道
所属路線 ■北野線
キロ程 0.0km(北野白梅町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 櫛形3面2線
乗降人員
-統計年度- 3,436人/日
-2017年-
開業年月日 1943年(昭和18年)10月1日

スクリュープロペラ

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スクリュープロペラ (screw propeller) は、船などに装備され水中で動作する、推進機の種類である。スクリュープロペラの回転翼が水をかくことによって、回転軸方向に揚力を作り、推進する力を得る。

単にプロペラ、水面下に隠れて見えない事から外輪に対し暗車とも呼ばれる。巻き込まれると危険であるため船尾【艫(トモ)】に注意を促す記述が書かれていることがある(たとえば横浜にある氷川丸を後方から見ると「双暗車注意」と書いてある)。

舶用のスクリュープロペラは、海事従事者の間では略して一般にプロペラと呼ばれることが多く、スクリューと略されることは少ない。ペラと略す業界もある。現代船では金属で作られ、回転軸であるボス部分と2枚以上のブレードまたはプロペラ翼と呼ばれる翼面部分から構成される。金属材料としては銅系が多用されており、電蝕により船体の材料である鋼の側にダメージが入るため、近傍に「ジンク」と呼ばれる亜鉛材による「犠牲になる」部品を配置する。近年は代替材料の研究開発も進められている。形状が楕円、あるいは扇形に近く、飛行機のプロペラに比べて翼が短く広い。ブレードは小型船では枚数が少なく、大型船では多い傾向にある。

一般に船尾部に付けられ、プロペラの直後に舵がある。この配置により、スクリュープロペラが発生する流れの向きを変えることで舵が効くというメカニズムであるため、(一般の商船などでは)後退時には前進時と対称に舵が効くわけではない。このことは危険回避などの緊急時に「前進のまま転舵により回避する」か「後退により回避する」か、どちらかを選ばねばならないというジレンマの原因になっている。エンジンとスクリュープロペラを結ぶ回転軸(駆動軸)をプロペラシャフトという。構造上、駆動側とプロペラ側の軸を一致させられないこともあり、途中に自在継手を入れ、軸が斜め、あるいは少しずれていることもある。

船舶の動力推進機構は、蒸気船の時代までさかのぼる。それ以前の船舶は、帆走および櫂、艪、水流にまかせるなどの自然力、人力に依存していた。スクリュープロペラが普及したのは蒸気機関が船舶の動力源として用いられるようになって、しばらくしてからのことである。蒸気船が登場したころ、推進機構はスクリュー式ではなく外輪式がさかんに用いられていた。スクリュー式推進機構の優位性が認められるようになったのは19世紀中ごろのことである。当時外輪式に代わる推進機構を公募していたイギリス海軍省は、スクリュープロペラの発明を見い出したが、当時の軍首脳らは船底に穴を開けるというイメージをマイナス要因ととらえたため、なかなか採用されなかった。最終的に外輪式との優劣を決定するための公開実験を数回行い、同じ重量、エンジン出力を持つスクリュー船と外輪船を文字通り「綱引き」させ、スクリュー船の優位性を決定づけた。以後スクリュープロペラは船舶の推進機構として不動の地位を得て現在に至っている。

近代には、設計理論の進展、加工技術の進歩により、スクリュープロペラは様々な用途の船舶に向け、要求を満たすべくより特殊化された形状を持つようになったものもある。いくつか例を挙げると、潜水艦用として、静粛性を向上させるためにブレードを細長くした「ハイスキュー・プロペラ」や、商船や客船用に、推進効率を向上させて燃費を向上させる「二重反転プロペラ」、従来マイナス要素であったキャビテーション現象を逆に利用した超高速艇用「スーパーキャビテーション・プロペラ」などがある。また、一般的なスクリュープロペラからは革新的な変形タイプである「シュナイダープロペラ」や「ウォータージェット推進」などといった方式もある。

ウォリー・シラー(ルイス・アンド・クラーク級貨物弾薬補給艦) 

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ルイス・アンド・クラーク級貨物弾薬補給艦(ルイス・アンド・クラークきゅうかもつだんやくほきゅうかん、英語: Lewis and Clark-class dry cargo ship)は、アメリカ海軍が運用する補給艦の艦級。

ウォリー・シラー (補給艦):ウォリー・シラー (USNS Wally Schirra, T-AKE-8) は、アメリカ海軍の補給艦。ルイス・アンド・クラーク級貨物弾薬補給艦の8番艦。艦名は宇宙飛行士のウォリー・シラー海軍大佐に因む。ウォリー・シラーは2008年4月14日にカリフォルニア州サンディエゴのナショナル・スチール・アンド・シップビルディング社で起工する。2009年3月8日にシラー大佐の未亡人、ジョセフィーヌ・シラーによって命名、進水し、2009年9月1日に就役した。

艦名はそれぞれアメリカにとっての新天地を開拓した人名からつけられた。探検家や宇宙飛行士の名と並んで、日本との開国交渉を行ったマシュー・ペリーの名が9番艦に命名されている。

アメリカ海軍では従来、マーズ級およびシリウス級などの戦闘給糧艦 (T-AFS) によって食料・補修部品・その他の生活物資の補給を、スリバチ級やキラウエア級などの給兵艦 (T-AE) によって武器・弾薬の補給を行っていた。しかし、冷戦の終結を受けて戦闘補給部隊は大幅に削減されていたうえ、残る艦も多くが老朽化が進んでいた。このことから、戦闘給糧艦と給兵艦を統合・合理化するとともにヘンリー・J・カイザー級給油艦 (T-AO) と組んで高速戦闘支援艦 (AOE) の代役も果たせるものとして計画されたのが、ルイス・アンド・クラーク級である。

計画名はACD(X) (auxiliary dry cargo ship) とされて1992年より計画され、1995年度計画からは省かれたが、一度は1996年度計画に盛り込まれた。キラウエア級とマーズ級の艦齢延伸計画(後に断念)が優先されたことから、1998年度から2003年度にかけての艦艇新造計画からは落とされたが、1999年度計画で再度復活し、2000年度計画より建造が開始された。

設計
ルイス・アンド・クラーク級は食料・補修部品・生活物資・武器・弾薬の補給を行うほか、限定的に燃料の補給も考慮されている。艦容はキラウェア級やマーズ級と類似しており、艦橋構造物が艦尾側に設けられ、前方に補給ステーション、後方にヘリコプター甲板が設定されている。動力は統合電気推進方式で、推進機用電源及び船内機器用電源をFM/MAN B&W 9Lおよび8L 48/60ディーゼル発電機4基によって総発電量35.7メガワットを確保している。推進機はアルストム社製の推進電動機(11,262 bkW / 120 rpm)2基をタンデムに配置し、固定ピッチ・プロペラ1軸を駆動する。

洋上移送
補給ステーションとしては、ドライカーゴ用のものを左舷に3か所、右舷に2か所設定している。また、給油に対応したステーションが両舷に1か所ずつ設定されているほか、右舷側には受油口も設けられている。
この他にも、岸壁で貨物の揚降に用いるため、力量5トンのクレーン4基が設置されている。


物資格納
弾薬とドライカーゴのための貨物倉2か所、冷蔵・冷凍食品とドライカーゴのための貨物倉1か所、特殊貨物および予備部品のための貨物倉3か所が設けられている。また、01甲板レベルにも特殊貨物および予備部品のための保管庫1か所が設けられた。
艦内での物資移送に用いるため、力量4トンの貨物用エレベータ4基を備えている。なお、標準的な搭載内容は下記の通りである。
貨油(艦艇燃料)3,728キロリットル(23,450バレル、3,242トン)
真水200トン(52,800バレル)
冷蔵・冷凍食品1,716トン(5,543 m3)
ドライカーゴ6,675トン(21,181 m3)

ルイス・アンド・クラーク級
貨物弾薬補給艦
基本情報
種別 貨物弾薬補給艦 (AKE)
命名基準 アメリカ合衆国の探検家
運用者 アメリカ海軍
就役期間 2006年 -
前級 シリウス級(AFS)
キラウエア級(AE)
要目
軽荷排水量 26,118 t
満載排水量 42,528 t
全長 210.00 m
垂線間長 200.47 m
最大幅 32.20 m
吃水 9.12 m
機関方式 統合電気推進
主機 ・ディーゼル発電機×4基
・電動機×2基
推進器 スクリュープロペラ×1軸
出力 22,524 kW (30,205 hp)
電力 35.7 MW
速力 20ノット
航続距離 14,000海里 (20kt巡航時)
乗員 民間人124名+軍人11名
兵装 なし
※ファランクス 20mmCIWS搭載可能
搭載機 UH-46D / MH-60Sヘリコプター×2機
レーダー デッカ・ブリッジマスター 航海用
電子戦・
対抗手段 AN/SLQ-25 対魚雷デコイ装置

ウォリー・シラー (補給艦)
性能諸元
排水量 軽貨:23,852トン
満載:40,298トン
全長 210 m (689 ft) 全長
199.3 m (654 ft) 水線長
全幅 32.3 m (106 ft) 全幅
32.3 m (106 ft) 水線幅
吃水 9.1 m (30 ft) maximum
9.4 m (31 ft) limit
機関 ディーゼル・電気推進(31,500hp) 1軸推進
最大速力 20ノット (37 km/h)
航続距離 14,000海里/20ノット
乗員 軍人49名、民間人123名
兵装 7.62mmまたは12.7mm機関銃 2-6挺
艦載機 ヘリコプター 2機

天橋立駅京都丹後鉄道)宮津線

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天橋立駅(あまのはしだてえき)は、京都府宮津市字文珠にある、WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)宮津線の駅である。駅番号はT15。「宮豊線」の愛称区間に含まれている。京都、大阪方面からの特急列車の大半が当駅止まりとなります。

日本三景の一つに数えられ、全国的に有名な観光地、天橋立への鉄道での玄関口であり、丹後観光の拠点ともなる駅である。また、2000年に、第1回近畿の駅百選にも選ばれている。2015年5月に駅舎及び駅周辺が改装された。

電化路線である宮福線の宮津駅から延長する形で宮豊線の当駅までの区間も電化されており、JR線からの電車特急が当駅まで乗入れてくる。

駅構造
単式・島式の複合型2面3線のホームと留置線2線を持ち、列車交換や待避が可能な地上駅である。駅舎は伊根の舟屋をデザインしたという大きな木造駅舎です。単式の3番のりば側に駅舎があり、島式の1・2番のりばへは階段の跨線橋か、エレベーターの跨線橋で連絡している。KTR線内に15駅ある有人駅の一つで、KTRの直営駅である。改札口にはラッチが残っており頭上にはLED式の発車案内があります。待合室は広くキオスク、観光案内所が併設されています。

丹後半島北部に位置する、伊根町(当駅から丹海バスを利用)の舟屋を模した駅舎は、1991年に日本鉄道建築協会賞を受賞している。駅舎に観光案内所「丹後観光情報センター」を併設する。また、第三セクターの鉄道駅としては珍しく、みどりの窓口がある点も特筆される。かつてはキヨスクも設置されていたが、2016年2月29日に閉店した。切符売場には簡易型の券売機が1台。有人窓口にはマルスが設置され、JRの指定券も購入可能です。

のりば
のりば 路線 方向 行先 備考
1 ■宮豊線 上り 宮津・西舞鶴・福知山方面 一部列車のみ
下り 網野・久美浜・豊岡方面
2 ■宮豊線 下り 網野・久美浜・豊岡方面 通常はこのホーム
上り 宮津・西舞鶴・福知山方面 当駅始発の一部
3 ■宮豊線 上り 宮津・西舞鶴・福知山方面 通常はこのホーム
ホームの上屋は長く立派なものです。

かつては駅舎側のホーム(現在の3番のりば)を1番のりばと扱い、島式ホーム(現在の1・2番のりば)は3・2番のりばとなっていたが、WILLER TRAINSへの移管以降に下り線側(駅舎反対側)からの付番に改められ、現在の付番となった。

3番のりばが上り本線、2番のりばが下り本線(ただし上り方面への発車も可能)、1番のりばが上下副本線である。1番のりばの向こう側には更に留置線が1本存在し、この線路は特急「はしだて」の一番列車(当駅終着後約3時間後に折り返し発車)の折り返しまでの待機などに使われている。通常は2・3番のりばを使用するが、折り返し列車もあるため多少の変更がある。当駅止まりの特急(および宮福線快速)は主に2番のりば(一部は3番のりば)に到着して折り返す。宮津方面からはどのホームにも入線できるが、豊岡方面からは1・3番のりばのみ入線可能。

駅周辺
天橋立(当駅下車、徒歩すぐ)
天橋立温泉「智恵の湯」(当駅 駅前)
天橋立海水浴場
天橋立公園(当駅から、徒歩)
天橋立ビューランド
天橋山智恩寺
天橋立ホテル(駅前)
玄妙庵(皇族が宿泊する旅館)

バス
丹後海陸交通
ぐるっと丹後周遊バス(ぐるたんバス)<天橋立駅→丹後半島の各観光スポット→網野駅→浜詰・夕日ヶ浦> ※2014年7月19日~11月30日の土・日・祝に運行
高速バス(峰山方面には乗車できない他、天橋立駅から宮津天橋立インターまでの停留所では下車できない。)
京都行き<天橋立駅→高速長岡京→京都駅>※1日3往復運行
大阪行き<天橋立駅→宝塚インター→大阪(阪急梅田)・新大阪>※1日3往復運行
ニュープリンス高速バス:WILLER EXPRESS 大崎駅・東京駅行き


タクシー
京都タクシー宮津営業所
日本交通宮津営業所

利用状況
年間を通して観光利用の大変多い駅であるが、JR西日本の「かにカニ日帰りエクスプレス」が運行される冬場や、ゴールデンウイーク、夏の海水浴シーズンになると、特に海水浴客で大賑わいとなり、この時は駅員を増配置して対応している。

1925年(大正14年)7月31日 - 鉄道省(→国鉄)の宮津駅 - 丹後山田駅(現・与謝野駅)間の延伸と同時に開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1990年(平成2年)
4月1日 - 北近畿タンゴ鉄道への宮津線移管により、同鉄道の駅となる。
7月 - 駅舎が改築される。
1996年(平成8年)3月16日 - 宮津駅から当駅まで電化。JR西日本の電車特急(はしだて・文殊)が運転開始。
2013年(平成25年) - 一部管理駅業務を宮津駅から移管される。
2015年(平成27年)
4月1日 - WILLER TRAINSへの移管により、京都丹後鉄道宮豊線の駅となる。
5月22日 - 駅舎と駅前広場が改修され、駅舎は和風の装いに改められた


天橋立駅
あまのはしだて
Amanohashidate
◄14 宮津 (4.4km)(3.7km) 岩滝口 T16►
所在地 京都府宮津市字文珠314-2
北緯35度33分27.62秒 東経135度10分57.15秒
駅番号 T15
所属事業者 WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)
所属路線 宮津線(宮豊線)*
キロ程 29.1km(西舞鶴起点)
電報略号 タテ


駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 425人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)7月31日
備考 有人駅(KTR直営駅)
みどりの窓口 有
* 1990年 西日本旅客鉄道から移管

 



 


リフティングマグネット(電磁タイプ 油圧ショベル)

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リフティングマグネット(リフマグ)とは、マグネットの基本特性である「吸引力」を応用した製品です。様々な用途に利用でき、汎用性に優れた製品です。
 電磁式と永磁式とがあり用途に応じて使いわけます。ワークの材質・形状や、搬送の方向などによって磁力は異なります。


リフティングマグネット(電磁タイプ)
磁力の強さを容易に調整でき、枚数制御吊りが可能です。
大型化および連結形化ができます。
遠隔操作や作業の自動化が可能です。

強力な電磁石により磁性のあるものを吸い付ける。金属の選別や鉄スクラップの移動に。電磁石の電源は油圧ショベルに内蔵した油圧発電機により得る場合が多い。

二見浦駅(JR東海)参宮線

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二見浦駅(ふたみのうらえき)は、三重県伊勢市二見町三津にある、東海旅客鉄道(JR東海)参宮線の駅である。旧二見町の代表駅です。景勝地の二見浦への観光客、大半は自動車利用で、広い構内は閑散としています。

景勝地の二見浦は「ふたみがうら」だが、駅名は「ふたみのうら」である。

快速「みえ」は全列車が停車する。鳥羽方面へ当駅を出てすぐのところにある二見トンネルは参宮線唯一のトンネルである。

駅構造

島式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームと駅舎との間は、地下道で結ばれている。

伊勢市駅管理の無人駅。かつては直営駅でJR全線きっぷうりばもあったが、のちに東海交通事業による簡易委託駅となった。その後2011年3月31日をもって簡易委託は終了し無人化された。

駅舎は夫婦岩をモチーフとした前面がガラス張りのものであり、1993年に建てられた。それ以前は大きな木造駅舎であった。

待合室の天井は高く開放的です。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■参宮線 下り 鳥羽方面


2 ■参宮線 上り 松阪・名古屋方面
ホームは島式1面2線。他に側線が数本設置されています。


駅周辺
二見浦(ふたみがうら)
夫婦岩
二見興玉神社
堅田神社


御福餅本店
伊勢夫婦岩ふれあい水族館シーパラダイス(旧称・二見シーパラダイス)
伊勢・安土桃山文化村(旧称・伊勢戦国時代村)
国道42号
光の街団地
三重県営サンアリーナ
光の街団地、三重県営サンアリーナは、二見浦駅と五十鈴ケ丘駅の中間地点の南側にある。
バス路線
伊勢市コミュニティバス「おかげバス」
二見ルート
松下広場
五十鈴川駅前(いせトピア経由)

1911年(明治44年)7月21日 - 参宮線の山田(現・伊勢市) - 鳥羽間延伸により開業。
1942年(昭和17年)7月6日 - 木造平屋の駅舎が完成。
1953年(昭和28年)9月頃 - 客車留置線(約300m)を新設。
1983年(昭和58年)12月21日 - 駅員無配置駅に切りかえられるが、二見町内居住の国鉄職員OBの協力と二見町の補助により、乗車券委託販売駅となる。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道の駅となる。
1993年(平成5年)2月20日 - 新駅舎が完成。
2011年(平成23年)4月1日 - 簡易委託終了により無人化。

 


二見浦駅
ふたみのうら
Futaminoura
◄五十鈴ケ丘 (3.5km)(2.3km) 松下►
所在地 三重県伊勢市二見町三津70
北緯34度30分14.22秒
東経136度46分37.86秒
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 参宮線
キロ程 21.4km(多気起点)


電報略号 フラ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 255人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1911年(明治44年)7月21日[1]
備考 駅員無配置駅

さみだれ (護衛艦)海上自衛隊 part1

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さみだれ (護衛艦)海上自衛隊 part1
さみだれ(ローマ字:JS Samidare, DD-106)は、海上自衛隊の護衛艦。むらさめ型護衛艦の6番艦。艦名は「五月雨」に由来し、この名を受け継ぐ日本の艦艇としては旧海軍の白露型駆逐艦「五月雨」に続いて2代目。

むらさめ型護衛艦(むらさめがたごえいかん、英: Murasame-class destroyer)は、海上自衛隊の護衛艦の艦級。汎用護衛艦(DD)の第2世代として、03・08中防に基づき、平成3年度から平成9年度にかけて9隻が建造された。ネームシップの建造単価は609億円であった。
発展型のたかなみ型(10〜13DD)およびあきづき型(19〜21DD)とともに、護衛隊群の基準構成艦となっている。

海上自衛隊では、第1世代の汎用護衛艦(DD)として昭和52年度計画より2,900トン型(はつゆき型; 52DD)を、また昭和58年度計画からは改良型の3,500トン型(あさぎり型; 58DD)を建造し、昭和61年度計画までに、両型あわせて20隻が整備された。これにより、8艦8機体制の4個護衛隊群の所要は充足され、護衛艦隊のワークホース(基準構成艦)の近代化は一段落したと判断されたことから、護衛艦の整備は地方隊向けに移行して、同年度より2,000トン型(あぶくま型; 61DE)の建造が開始されていた。

しかしDEの整備を継続した場合はその間はDDが建造されず、かつDDを艦齢いっぱい使用する場合は、52DDの代艦建造は25年後の2002年となる。周辺諸国海軍の近代化を考慮すると、これでは護衛隊群の任務遂行能力が相対的に大きく低下する懸念があった。このことから海上幕僚監部では、平成元年度でDEの建造を打ち切るかわりに、新世代のDDの建造を再開し、これによって護衛隊群から押し出されるはつゆき型(52DD)を地方隊に配備することで、旧型DEの更新に充当する方針とした。これは、護衛隊群は新鋭DD、地方隊はDEと旧型DDという構図を崩すことになることから、内局や政府部内からの反発も強かった。しかし護衛隊群の護衛艦の更新を継続し、質的な水準の確保をはかるためには必要な施策であることから、最終的には承認された。そして、この方針に基いて、第2世代のDDとして開発されたのが本級である。

検討を開始した時点では4,900トン型、その後検討を重ねて排水量を削減し、概算要目作成時には4,700トン型とされた。この時点では、従来のあさぎり型(58DD)をベースとして、航空艤装を全通甲板の1層上の01甲板に設けた案と、はるな型(43/45DDH)をベースとして、航空艤装を全通甲板上に配置した案の2案が俎上に載せられていた。その後、03中防計画にあたり、「汎用護衛艦でありながらミサイル護衛艦並みの排水量を有することは認められない」との理由から、4,400トン型に削減された。

この削減は、主要装備はそのままに、保養室・自習室等の専用区画の廃止や事務区画のスペース削減、船体傾斜の緩和等を行うもので、スペースデザイン上かなりの困難が予想されたことから、重量面で不利なはるな型ベースの案は一旦棚上げされて、あさぎり型ベースの案が検討された。しかしRCSの低減、乗員の動線の確保、居住性の向上等について、従来以上の性能の向上を図ることは困難であることが判明し、再びはるな型ベースの案が検討されることになった。この結果、艦内区画配置の自由度や抗堪性、航洋性・耐航性の面で多くの恩恵があることが確認されたことから、重量管理を厳格化することを条件に、はるな型ベースの案が採用されることになった。

設計
計画番号はF120。
船体
本型では、技術の急激な進歩及び艦艇要員という人的資源の減少を背景として、パッシブ対潜戦に対応して水中放射雑音の一層の低減を求められたほか、航空運用能力の強化や居住性の改善を図った結果として、船体は汎用護衛艦としてはかなり大きくなった。上記のように変遷したものの、最終的に、58DDと比べると、全長で14メートル、幅で2.8メートルの大型化となった。

航走雑音の低減を考慮して、船型は細長くなっており、これまでで最もやせた形状とされ、船首水線部の入射角も、実績で最小に近い角度とされた。これにより、凌波性・砕波性は優れたものとなっている。またレーダー反射断面積(RCS)低減のため、船体・上部構造物ともに傾斜が付されており、船体舷側は外側に、上部構造物や煙突壁面は内側にそれぞれ7度傾けられているほか、壁面の合わせ目は鋭いエッジとしている。また大型のラティスマストにも電波吸収体が貼り付けられている。マストのモノポール化も検討されたものの、重心の上昇、重量の増加等の理由から見送られた。

第1世代DDでは飛行甲板は艦中央の01甲板レベルに配置されていたが、本型では幅が増加した分だけ発着艦が容易となったことから、わざわざ1甲板分高める必要がなくなり、上記の経緯もあって、上甲板レベルとされた。しかしこれにより、今度は係留装置などとの干渉をさける必要が生じたことから、こんごう型(63DDG)と同様に、艦尾甲板の舷側部はなだらかに傾斜している。これを初代むらさめ型(31/32DDA)を始めとする初期の海上自衛隊護衛艦の設計上の特徴であったオランダ坂に喩えて、ミニ・オランダ坂とも称する。

居住性向上策として、61DEと同様に2段ベッド化が図られている(従来艦は3段ベッド)が、これは大幅な省人化によって達成されたものであった。ただし有事等には3段化することで、乗員数を60人程度増加することもできる。本型では、更に科員居住区の小部屋化(12名程度)も図られた。また乗員の平均身長の増加に対応して、艦内の応急甲板は甲板間高さを増している。このほか、節労に寄与する各種機器を導入するととも に、動線上でも配慮することで、省力化が図られている。

機関
主機方式は、58DDと同様のCOGAG方式が踏襲された。58DDでは同機種4基であったのに対し、本型では2機種2基ずつとなっているという点でははたかぜ型(56DDG)に近いが、本型では更に巡航機と高速機のメーカーも異なっており、このようにメーカーの異なるガスタービンエンジンを採用することは世界的にも珍しい。巡航機はロールス・ロイス社製のスペイSM1C(1基あたり13,500馬力)、高速機はゼネラル・エレクトリック社製のLM2500(1基あたり16,500馬力)である。また航走雑音の低減を図るため、大直径・低回転のプロペラを採用し、舵面積は極力大きくとり、縦長・垂直装備としてプロペラ後流の最大活用を図った。

機関配置は、あさぎり型で採用されたシフト配置を踏襲しており、前後に2つの機械室が設けられている。前方の第1機械室には1号ガスタービン(LM2500)と2号ガスタービン(SM1C)が設置されており、減速機を介して左推進軸を駆動する。同様に、後方の第2機械室には3号ガスタービン(LM2500)と4号ガスタービン(SM1C)が設置されて、右推進軸を駆動する。主機配置の関係から、前部煙突は左寄りに、後部煙突は右寄りに配置されている。なお省力化のため、機械室の無人化(Mゼロ化)が行なわれている。

また主発電機としては、川崎重工業M1A-25ガスタービンエンジン(出力1,500 kW)を原動機とした発電機3セットが搭載された。これは第1世代DDで採用されたM1Aシリーズの発展型であった。なお、主発電機をガスタービン駆動発電機3基で構成する方式は、こんごう型(63DDG)より採用されたものであったが、本型を含む第2世代DDではいずれも踏襲されている。

装備
艦の指揮中枢となる戦闘指揮所(CIC)は船体内の第2甲板に設置されており、戦闘システムの中核となる戦術情報処理装置は新世代のOYQ-9である。OYQ-9は新世代の電子計算機であるUYK-43 1基とUYK-44 1基を中核として、ワークステーションとしてAN/UYQ-21が配置されているほか、CICにはイージス・ディスプレイ・システム(ADS Mk.2)に類似した大画面液晶ディスプレイ(LCD)2面構成の情報表示プロジェクタが設置され、戦術情報の表示を効率化している。

また本型では、OYQ-9とのインターフェースを取って、OYQ-103 対潜情報処理装置(ASWCS)が搭載されており、これによって全武器システムとのデジタル連接が実現された。データリンクとしてはリンク 11およびリンク 14、また、哨戒ヘリコプターのヘリコプター戦術情報処理装置(HCDS)との連接用にORQ-1 TACLINKを装備している。また後にデジタル化したORQ-1Bが開発され、「はるさめ」などに試験搭載された。

対空戦
艦橋前方に76ミリ速射砲、Mk.41 VLS、高性能20mm機関砲、煙突間にMk.48 VLSが配置されている
対空兵器システムは、基本的には58DDと同じ能力であるが、レーダー射撃指揮装置を同機種2基とすることで同時2目標対処を可能とするとともに、ミサイルを垂直発射化したものとなっている。

個艦防空ミサイル(短SAM)の垂直発射機(VLS)としては、16セルのMk.48が艦の中央部の煙突間に配置されている。搭載するミサイル数は第1世代DDと同数であるが、従来は8発撃つとミサイルをランチャーに装填する必要があったのに対して、VLSではその必要がなくなり、即応弾数は倍になった。ミサイルとしては、当初は従来型シースパローをもとにVLSに対応させたRIM-7M(PIP)が搭載されていたが、平成16年度から24年度にかけて発展型シースパロー(ESSM)の運用能力が付与された。これは「むらさめ型等の短SAMシステム換装」と称されており、VLSをMk.48 mod.4 VLSに換装した。Mk.48 mod.4 VLSに装填されるキャニスタはMk.20 キャニスタであり、ESSM搭載数は1セルあたり1発のままである。

砲熕兵器も第1世代DDのものが基本的に踏襲されており、主砲としては76ミリ単装速射砲(コンパット砲)を艦首甲板に1基装備した。また近接防空用については、高性能20mm機関砲(CIWS Mk.15 mod.12; ファランクス ブロック1)2基を搭載している点では第1世代DDと同様であるが、設置位置は、艦橋前部とハンガー上に変更されている。CIWSを艦首尾線上に配置することで、襲来する対艦ミサイルへの火力集中と、艦の暴露面積の縮小を図ったものである。なお、1番艦「むらさめ」は2016年度の定期検査においてCIWSをBlock1Bに換装しており、その他の艦も順次換装されていくと思われる。

射撃指揮装置(FCS)としては、第1世代DDでは、主砲用(GFCS)としてはFCS-2-2xシリーズを、短SAM用(MFCS)としてはFCS-2-12を搭載していたため、特に短SAMによる目標の同時処理能力は1個に制約されていた。本型では、当初は同時多目標対処可能な完全新型機であるFCS-3の搭載が検討されていたものの、開発スケジュールの遅延と重量容積の増加のために、これは実現しなかった。しかし砲・短SAMの双方を管制できる改良型であるFCS-2-31を2基搭載することで、同時2目標対処は可能となった。

なお、対空捜索用のレーダーとしては、アクティブ・フェーズドアレイ(AESA)アンテナを用いた3次元レーダーであるOPS-24Bを搭載した。原型機であるOPS-24は、あさぎり型の後期建造艦(60・61DD)で装備化されたものの、航空自衛隊のレーダーサイトで用いられていたJ/FPS-3をもとに最小限の改正で艦載化したこともあって搭載後より問題が多発し、用兵者からの評価は惨憺たるものとなっていた。このことから、本型搭載のOPS-24Bでは、ほぼ新造に近いレベルの抜本的な改良が施されている。


対水上戦
90式艦対艦誘導弾 4連装発射筒
本型は、90式艦対艦誘導弾(SSM-1B)による長距離対水上打撃力を備えている。SSM-1Bは1号型ミサイル艇で装備化された国産の艦対艦ミサイルで、従来使用されてきたハープーンよりも優れた精度と対妨害性を備えている。発射機はハープーンと同様の4連装発射筒で、2基の発射筒は、艦中央部、第1煙突後方に搭載されている。なお攻撃指揮装置としては対艦ミサイル艦上装置2形を備えており、SSM-1Bとハープーンの双方の発射管制機能を有している。このため、実運用上はハープーンを搭載している例も多く見られる。

対水上捜索用のレーダーとしては、58DDと同じくOPS-28が搭載されている。これはCバンドで動作し、遠距離での精密捜索能力に優れており、水上の目標のみならず、低空を飛行する巡航ミサイル(シースキマー)などの探知にも使用される。

また、ソマリア沖海賊の対策部隊派遣などで近距離の小型水上目標に対応することを想定して、艦橋側面のチャフ甲板および格納庫上の両舷に12.7mm重機関銃M2の銃座を設置しているほか、艦橋構造物前には防弾板が装着されている。

対潜戦
海上自衛隊の第1世代DD(52・58DD)は、対潜戦能力という面では、元々は狭域陣形でのアクティブ戦を中心としており、途中から戦術曳航ソナーやソノブイによるパッシブ戦能力を付与したものであった。しかし当時の趨勢としては、潜水艦へのステルス艦型導入や水中吸音材の使用によって、従来のアクティブ・ソナーによる探知が困難となり、より本格的なパッシブ戦能力の導入が求められていた。これに応えて、本型では当初よりアクティブ・パッシブの両機能が具備され、SH-60Jと連携した広域陣形での対潜戦が主体となった。

最大の変更点は、OYQ-103 対潜情報処理装置(ASW Control System: ASWCS)によるシステム化の導入である。汎用護衛艦(DD)においては、あさぎり型の最終艦(61DD)よりOYQ-101 ASWDSが導入されていたが、これはあくまでセンサーからの入力を統合するためのものであった。その後、こんごう型護衛艦(63DDG)において、米国のAN/SQQ-89に範を取り、システム統合をより進展させたOYQ-102 ASWCSが装備された。本型のOYQ-103は、このOYQ-102の経験を生かして開発されたものであり、OYQ-9と連接されるとともに、水測予察器やソナー、曳航ソナー(TASS)、ソノブイ信号処理装置(SDPS)などのセンサー、VLSや魚雷発射管などの対潜兵器、更にはヘリコプター・データリンク(TACLINK)を介して哨戒ヘリコプターのヘリコプター戦術情報処理装置(HCDS)とも連接されている。

船体装備ソナーとしては、新開発のOQS-5を搭載した。これは、昭和59年度から平成元年度にかけて開発されていたOQS-Xの成果を踏まえて開発されたものであり、ラバーウィンドーを採用した点では58DDのOQS-4A(II)と同様であるが、装備位置は4次防以前の艦と同様の船首装備式(バウドーム)に戻された。なお第1世代DDでは、中周波式のOQS-4シリーズをいずれも船底装備式(ハルドーム)としていたが、特に52DDにおいては、機関室の騒音からの隔離不十分や艦首波の影響などのために、ソナー性能の深刻な低下を招いていた。

曳航ソナー(TASS)も、新型のOQR-2が搭載された。これは、第1世代DDに後日装備された86式えい航式パッシブソーナーOQR-1と比してアレイの径が細く、その分長さを伸ばして方位精度を増したものとされている。また第1世代DDでは後甲板におけるTASSの投入・揚収作業は危険を伴い、特に夜間・荒天時の作業は安全確保上特別の配慮が必要であったのに対し、本型では艦尾はエンクローズされて曳航ソナーの装備区画が艦内に取り込まれ、艦尾には油圧駆動による水密扉が設けられている。

さみだれ (護衛艦)海上自衛隊 part2

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68式3連装短魚雷発射管
対潜兵器は基本的に第1世代DDと同構成だが、アスロックの発射機として、従来用いられてきた8連装発射機(Mk.16 GMLSあるいは74式アスロックランチャー)にかえて、垂直発射式のMk.41 mod.9 VLS(16セル)が搭載された。搭載位置は艦橋構造物前方で、甲板内に収容されている。Mk.48を含め、これらの垂直発射装置は、汎用護衛艦としては初めての搭載例である。魚雷発射管としては、68式3連装短魚雷発射管HOS-302を艦中部両舷に装備している。

なお魚雷対策用の曳航式デコイについても、58DDと同じく、アメリカ製のAN/SLQ-25ニクシーが装備された。


電子戦
マスト
第1世代DDにおいては、当初はNOLR-6電波探知装置(ESM)とOLR-9ミサイル警報装置(RWR)、OLT-3電波妨害装置(ECM)が搭載されていた。その後、60DDからはRWRの機能を統合した新型のNOLR-8電波探知装置が搭載されるとともに、OLT-3と連接して電子戦システムが構築されるようになっていた。

本型では統合を更に推し進めて、電子攻撃と電子戦支援を兼用できるNOLQ-3電波探知妨害装置が搭載されている。これは63DDGで搭載されたNOLQ-2と同系列で、アメリカ海軍のAN/SLQ-32にほぼ匹敵するものと見られている。

またデコイ発射機としては、チャフロケットシステム(Mk.137 6連装デコイ発射機)が艦橋構造中段の両舷に2基ずつ設置されている。ここから投射される弾薬としては、従来のチャフロケット弾やIRデコイ弾(フレア)などのほか、平成7年度計画艦以降では投棄型電波妨害機も搭載されている。

航空機
艦載ヘリコプターとしては、当初からSH-60J哨戒ヘリコプターの搭載を想定しており、艦尾甲板のヘリコプター甲板にはRAST(Recovery, Assist, Secure and Traverse)発着艦支援装置が設置されている。またSH-60Kの開発後は同機の搭載にも対応した。

なお海自DDでは、艦載ヘリコプターの定数はいずれも1機となっている。58DDではSH-60クラスのヘリコプター2機を格納可能なように拡張したものの、設計の最終段階で急遽行われた措置であったために、あくまで必要に迫られた場合に応急的に2機を収容できるスペースを確保したという程度で、実際に2機搭載が行われることはなかった。これを踏まえて、本型では当初よりSH-60ヘリコプター2機の収容を前提とした設計が行われることになった。RAST発着艦支援装置の機体移送軌条は1条しかないため、運用には若干の困難が伴うものの、自衛隊インド洋派遣やソマリア沖海賊の対策部隊派遣の際には、実際に2機での運用(1機搭載、1機格納)が実施されている。

 

艦歴
「さみだれ」は、中期防衛力整備計画に基づく平成7年度計画4,400トン型護衛艦2235号艦として、石川島播磨重工業東京第1工場で1997年9月11日に起工され、1998年9月24日に進水、2000年3月21日に就役し、第4護衛隊群第4護衛隊に編入され呉に配備された。
2001年5月16日から8月3日の間、護衛艦「ひえい」、「ちょうかい」とともに米国派遣訓練に参加。
2002年9月17日、テロ対策特別措置法に基づき、「ひえい」と共にインド洋に派遣。同年12月まで任務に従事し、2003年1月3日に帰国した。
2003年9月4日から8日にかけて護衛艦「しらね」とともにロシア・ウラジオストックを訪問、8日にはウラジオストック沖で日露共同訓練に参加した。
2004年2月15日、テロ対策特別措置法に基づきインド洋に派遣。同年5月まで任務に従事し、6月29日に帰国した。
2006年、環太平洋合同演習 (RIMPAC) に参加。


2008年3月26日、護衛隊改編により第4護衛隊群第8護衛隊に編入された。
同年7月9日、オーストラリア海軍主催の多国間海上共同訓練カカドゥ2008に参加するため呉基地を出港する。7月30日に豪・ダーウィンに寄港、8月20日に呉基地に帰投する。
2009年3月14日、ソマリア沖の海賊対策のために護衛艦「さざなみ」と共に第1次派遣海賊対処行動水上部隊を編成し呉を出航、3月30日オマーンのサラーラ沖に到着した夕方から護衛活動を開始し、4月11日には、船員法第14条に基づきアデン湾西部でマルタ船籍商船を追跡していた不審船に対しソマリ語音声で海自艦艇を名乗り、不審船の商船追跡を中止させた。派遣期間中、計41回(121隻)の護衛活動を実施し、8月16日に帰国。
2011年3月7日、日中中間線に程近い白樺ガス田付近を警戒監視中のところ、中国国家海洋局所属のヘリコプターが水平約70m、高度約40mまで異常接近し翌8日に日本政府は中国政府に抗議している。
2011年6月20日、第9次派遣海賊対処行動水上部隊として護衛艦「うみぎり」と共にソマリア沖・アデン湾に向かい呉基地から出航、34回の護衛を実施し同年12月3日帰国した。
2011年8月1日、編成替えにより第4護衛隊群第4護衛隊に編入された。


2013年11月13日、第17次派遣海賊対処行動水上部隊として「さざなみ」と共にソマリア沖へ向けて出航した。 同年12月10日から、第151合同任務部隊(CTF-151)の活動に初めて参加し、ゾーンディフェンスを行った。また、2014年3月2日には、エンジン故障で漂流中のイエメン船を救助する等の活動をし、同年5月17日に帰国した。
2017年4月23日から護衛艦「あしがら」とともにアメリカ合衆国海軍空母「カール・ヴィンソン」(CVN-70)を中心とした空母打撃群とともに共同巡航訓練を実施した。
‪2018年12月2日、第32次派遣海賊対処行動水上部隊としてソマリア沖・アデン湾に向けて呉基地から出航する。

登場作品
映画・テレビドラマ
『永遠の0』
「むらさめ」のヘリコプター格納庫や艦首・艦内などが、空母「瑞鶴」のものとして撮影に使用されている。
『ゴジラ×メカゴジラ』
「はるさめ」が登場。冒頭にて、千葉県館山市の港に停泊している。
『空へ-救いの翼 RESCUE WINGS-』
「はるさめ」が登場。クライマックスにて、主人公が乗る航空自衛隊のUH-60J救難ヘリコプターが燃料不足に陥ったことで、給油を行うため緊急着艦する。
『バトルシップ』
「あけぼの」が登場。冒頭にて、あたご型護衛艦「あたご」とともに、リムパック演習に参加するためパールハーバーに停泊しており、その後、リムパック演習に参加している様子が映されている。
『亡国のイージス』
「いかづち」と「はるさめ」が登場。
「いかづち」は、架空の護衛艦「うらかぜ」役で登場しており、反乱を起こした架空のイージス護衛艦「いそかぜ」と交戦し、「いそかぜ」から発射された2発のハープーンをシースパローと62口径76ミリ速射砲で迎撃するが、防ぎきれなかった1発が命中し、撃沈されてしまう。
「はるさめ」は、架空の護衛艦「はるかぜ」役で登場しており、現場に復帰した主人公の仙石先任伍長の新たな配属先となる。
『夢で逢いましょう』
「はるさめ」が登場。


アニメ・漫画
『WXIII 機動警察パトレイバー』
海上自衛隊の水中レイバー「りゅうじん」の運用護衛艦「DDL-181 つるぎ」の直衛(先導)艦として登場。また、船体にナックルラインの描写が見られる。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
国連軍の艦艇として登場。冒頭にて、国連軍の戦車隊やこんごう型護衛艦とともに、沿岸部から使徒の迎撃に当たる。
『ジパング』
アニメ版第1話に艦名不詳の同型艦が3隻登場。架空のイージス護衛艦「DDH-181 あすか」とともに、アメリカ海軍との合同演習に参加している。
『タクティカルロア』
直接の登場ではないが、「はるさめ」が取材協力艦となったことから、同作品の主役艦である「パスカルメイジ」の艦番号は、スタッフの「はるさめ」への感謝として「102」とされた。


小説
『MM9』
第1巻に架空艦「ひさめ」「しぐれ」が登場。直島諸島の荒神島に眠っていた怪獣「クトウリュウ」に対応すべく出動するも、目覚めたクトウリュウに2隻とも撃沈される。
『日本北朝鮮戦争 竹島沖大空海戦』
調査船「うずしお」の護衛艦隊構成艦として「ゆうだち」と「きりさめ」が登場。
「ゆうだち」は「うずしお」に乗り込んだ敵に対して機銃掃射を行い、「きりさめ」は敵潜水艦発見を知らせるため警笛を鳴らす。
『防衛庁特殊偵察救難隊』
第2巻と第4巻に「きりさめ」が登場。
第2巻では、難民の乗った船団に紛れて日本の領海に侵入しようとする東社会人民共和国海軍の高速戦闘艇群と戦闘を行い、数艇を撃沈するも、魚雷と機関砲による攻撃を受け損傷してしまう。
第4巻では、第2巻での戦闘で受けた損傷を修理するためにドック入りし、その際にイージスシステムを搭載する改修が行われる。復帰後、東人共和国が西日本へ侵攻してきたことで編成された、西日本統合任務艦隊に所属する第81任務艦隊の旗艦となり、艦隊を率いて再び東人共和国海軍と戦闘を繰り広げる。


ゲーム
『戦闘国家シリーズ』
日本の基本装備として組み込まれる。
その他
『JMSDF FLEET POWERS』
第1巻に「むらさめ」と「はるさめ」が登場。海上自衛隊の全面協力で実物の取材が行われており、対空戦闘訓練における実弾を使用した主砲の射撃、艦載ヘリの着艦・発艦訓練、洋上給油、CICをはじめとする艦内の様子などが映されている。
『奇跡体験!アンビリバボー』
番組内再現ドラマ「海の武士道」の撮影に「いかづち」が使用されている

さみだれ
基本情報
建造所 石川島播磨重工業東京第1工場
運用者 海上自衛隊
艦種 汎用護衛艦(DD)
級名 むらさめ型護衛艦
母港 呉
所属 第4護衛隊群第4護衛隊
艦歴
発注 1995年
起工 1997年9月11日
進水 1998年9月24日
就役 2000年3月21日


要目
基準排水量 4,550トン
満載排水量 6,100トン
全長 151m
最大幅 17.4m
深さ 10.9m
吃水 5.2m
機関 COGAG方式
主機 IHILM2500ガスタービン × 2基
川崎スペイSM1C × 2基
出力 60,000PS
推進器 スクリュープロペラ × 2軸
最大速力 30ノット


乗員 165名
兵装 62口径76mm単装速射砲 × 1門
Mk.15 Mod12 高性能20mm機関砲(CIWS) × 2基
90式艦対艦誘導弾 (SSM-1B)/ ハープーン4連装発射筒 × 2基
Mk.41 Mod6 VLS (VLA SUM) × 16セル
Mk.48 Mod4 VLS (ESSM 短SAM) × 16セル
HOS-302 3連装短魚雷発射管 × 2基
搭載機 SH-60J/K 哨戒ヘリコプター × 1/2機


C4ISTAR OYQ-9 戦術情報処理装置
OYQ-103 対潜情報処理装置
レーダー OPS-24B 対空
OPS-28D 水上
OPS-20 航海用
81式射撃指揮装置2型-31 × 2基
ソナー OQS-5
OQR-2C 曳航式
電子戦・
対抗手段 NOLQ-3-1 電波探知妨害装置
Mk.137 デコイ発射機 × 4基
その他 SLQ-25 対魚雷デコイ

極楽駅 明知鉄道明知線

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極楽駅(ごくらくえき)は、岐阜県恵那市岩村町飯羽間にある明知鉄道明知線の駅である。駅番号は6。

2008年に開業した、明知線で最も新しい駅。駅名は公募に寄せられた案のうち、駅所在地付近の字名および駅近くに鎌倉時代から南北朝時代にかけて存在した寺院「極楽寺」に由来して決められた。極楽寺駅や極楽橋駅は他の鉄道で先例があったが、極楽駅は日本初であることも理由であった。

仏教において浄土を意味する縁起が良い駅名であることから、駅自体を目的に訪れたり、硬券の切符を買い求めたりする旅行者も多い。プラットホームには地蔵菩薩像や、地元岩村藩出身の儒者・佐藤一斎の『言志四録』の一文を刻んだ碑文などが置かれている。

建設費は約2160万円。地元岐阜県に本社があるスーパーマーケットのバローから1,080万円(費用の半額に相当する)の寄付金が寄せられた。バローは新駅設置に前後して、駅前にショッピングセンターを開業している)。

駅構造
1面1線の単式ホームのみを持つ地上駅。ホームに簡易な待合室が設置されています。無人駅である。ホームは愛知万博開催時に愛知環状鉄道 万博八草駅(現・八草駅)のホーム拡張に使われたものを再利用している。ホームにはスロープで連絡します。

駅周辺
バロー岩村店
V・drug
暮しの衣料マツオカ岩村店
ホームセンターバロー岩村店
ゲンキー岩村店

2008年(平成20年)12月25日 : 開業。
2012年(平成24年)3月17日 - ダイヤ改正により急行「大正ロマン号」の停車駅となる。(下り列車のみ)
2017年(平成29年)3月4日 - ダイヤ改正により上り列車も急行「大正ロマン号」の停車駅に。これにより上下列車とも停車
2018年(平成30年)3月17日 - ダイヤ改正により平日上り最終快速列車が通過となる。

極楽駅
ごくらく
Gokuraku
◄7 飯羽間 (1.0km)(1.3km) 岩村 5►
所在地 岐阜県恵那市岩村町
北緯35度22分47.14秒
東経137度25分57.23秒座標: 北緯35度22分47.14秒 東経137度25分57.23秒
駅番号 6
所属事業者 明知鉄道
所属路線 明知線
キロ程 13.7km(恵那起点)
駅構造 地上駅
ホーム 単式 1面1線
乗車人員
-統計年度- 55人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 2008年(平成20年)12月25日

 

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