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養老鉄道600系電車

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近鉄600系電車(きんてつ600けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道(近鉄)が同社養老線において運用する目的で、1992年から従来車各形式を改造して投入した一般車両(通勤型電車)である。
2007年の養老鉄道発足に伴う養老線の同社への移管に際しては、近鉄を所有者としたまま養老鉄道へ貸与する形で運用された。その後2014年4月1日付で形式・車両番号はそのままに養老鉄道に譲渡され、近鉄からは形式消滅した。さらに2018年1月1日付で所有者が一般社団法人養老線管理機構となり、養老鉄道に無償で貸与する方式となった。

近鉄各線で用いられている20m級4扉車体を持つ標準型一般車両のうち、比較的車齢の高い旧型の余剰車を、ローカル線である養老線の輸送改善向けに改造・改装して転用したグループであり、狭軌仕様への統一、比較的低速な養老線での運用に合わせた電動車比率の抑制(もしくはモーターの低出力型への変更)が行われている。当系列の導入に伴い、特殊狭軌線(内部線・八王子線)と鋼索線以外の近鉄線旅客用車両からは、吊り掛け駆動方式と非冷房の車両が消滅した。
転入時にワンマン運転対応改造と車外スピーカー設置が行われた。本線系の車両と異なり増結・解結は頻繁に行われないことから、ク530形使用時代のク510形を除いて貫通幌が撤去され、本線系の車両とは若干異なる顔つきになっている。
2013年以降、養老鉄道養老線の新型ATS導入に伴い、2016年までに当系列では601F・602F・604F・606F・611F - 614F・621F・623F - 625Fに車上装置設置工事が行われた。
2016年以降に検査出場した一部編成のパンタグラフが、従前のひし形および下枠交差型からシングルアーム式に交換されており、2017年10月時点では601F・606F・611F・614F・623Fのパンタグラフが交換されている。

車体塗装
本線系列車と同じ塗装(アイボリー(白)とマルーン(赤)の塗り分け)で、近鉄時代から養老鉄道への運営移管当初まではこの塗装で運転されていた。2008年7月6日に最後のツートンカラーである601Fがツートンカラー惜別イベントを実施し、ツートン車は姿を消した。ただし、本線系統の登場時の塗装を再現した復刻塗装車として定期運用に就く車両もある。

600系
養老鉄道600系電車
主要諸元
編成 2両・3両編成
台車 Mc車:KD-101/KD-48
T車:KD-61A
Tc車:KD-39C

1992年登場。本線系統の増結用車両が転用されたため、この系列の前身となる改造元車両の出自は雑多である。
転用改造後は中間に南大阪線用サ6150形改造のサ550形を挿入した3両編成(Mc-T-Tc)と、2両編成(Mc-Tc)がある。
種車が製造時期の異なる様々な形式から捻出されたため、標識灯・尾灯の形状やロングシートの形状、座席のひじ掛けの形状や背面高さが異なっている。3両編成は団体専用列車への充当を考慮してサ550形にトイレが設けられていた。


主要機器
Mcの主電動機は6000系の電動車を電装解除して捻出したMB-3082Aであり、出力は3両編成が135kW、2両編成が75kWであったが、現在は全車135kWに統一されている。養老線転属にあたって一部車両のMc車はKD-101形空気バネ台車を新製した以外は、6800系や6000系からの発生品を改造の上で流用した金属バネ台車のKD-39C形 (Tc車) やKD-48形 (Mc車) を装着する。なお、シュリーレン式台車の新製はこのKD-101をもって最後となった。制御装置は1C4M制御のVMC形である。集電装置はMc車連結側に1基搭載するが、606Fは種車の下枠交差型を引き続き搭載した。電動発電機はHG-634形(120kVA)をTcに、圧縮機はD-3-F形をMcとTに装備している。
改造
2008年11月から2013年12月にかけて601F・606F・602F・604Fの順にB更新(2回目の車体更新)が五位堂検修車庫で施工され、内外装材の交換、側面窓の一部固定化とサ550形のトイレの撤去が実施され、トイレのあった場所は立席スペース化された。先に更新された後述の610系や625系と異なり、雨樋の形状が変更されている。
廃車
2016年までに4両の除籍車両が発生しており、605Fは2001年6月に、603Fは2016年4月に廃車された。2016年4月現在は3両編成が2本、2両編成が2本の計10両が在籍している。

近鉄600系電車(3代)
養老鉄道600系電車
基本情報
製造所 近畿車輛
主要諸元
編成 2両・3両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
最高運転速度 65 km/h
車体長 20,720 mm
車体幅 2,709 mm・2,736 mm
全高 4,146 mm
車体高 4,037 mm
主電動機 MB-3082A
主電動機出力 135kW
駆動方式 WNドライブ
編成出力 540kW
制動装置 電磁直通ブレーキ
保安装置 近鉄型ATS
備考 電算記号:D


揖斐駅 養老鉄道養老線

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揖斐駅(いびえき)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町脛永字山王元434にある養老鉄道養老線の鉄道駅である。駅は市街地中心から大きく外れた立地です。路線終端駅。


駅構造
単式1面1線の地平駅。古い大きな木造駅舎です。駅前広場も整備されています。

広い待合室があり造り付けの長椅子が設置されています。改札口にはラッチ。


以前は広大な構内で、貨物輸送のため複数の線路があった。列車別改札を実施している。

駅営業面
有人駅。
きっぷうりば(出札窓口)があり、往復乗車券、回数乗車券、定期乗車券(養老鉄道線内相互間)を発売している。簡易型の券売機が1台。

駅周辺
揖斐川町の中心部は脛永橋で粕川を渡り、さらに揖斐川を渡ったところにある。

かつては中心部まで東から名鉄揖斐線(2005年4月1日廃止)が伸びていて、本揖斐駅(黒野駅 - 本揖斐駅間は2001年10月1日廃止)が置かれていたが、現在は当駅が町の玄関口となっている。

駅には駐輪場があります。

国道417号


バス
駅前には近鉄揖斐駅バスのりば(きんてついびえきバスのりば)がある。揖斐川町コミュニティバスが乗り入れる。2006年(平成18年)10月1日より、名阪近鉄バスの揖斐郡揖斐川町及び大野町の一部路線が揖斐川町コミュニティバスに移管される(名阪近鉄に運行委託)。この日から、名阪近鉄・大垣揖斐線の池田町役場 - 近鉄揖斐駅の区間が廃止されたため、近鉄揖斐駅バスのりばに乗り入れるのは揖斐川町コミュニティバスのみとなる。

揖斐黒野線:大野バスセンター行(旧名鉄揖斐線の代替バス)
揖斐川北部線:広瀬・道の駅星のふる里ふじはし行、東津汲行、北方平行
揖斐町線:本揖斐行
横蔵線:横蔵行、谷汲山行
春日線:美束行、古屋行、川合行
その他
2007年(平成19年)9月30日までは、営業上近鉄で最も北に位置する駅であった。この駅から、京都駅までの片道運賃が最も高く(生駒鋼索線を除く)、3,000円を越えていた。

歴史
1919年(大正8年)4月27日:養老鉄道(旧)池野 - 揖斐間延伸時に開業。
1922年(大正11年)6月13日:合併により揖斐川電気の駅となる。
1928年(昭和3年)4月6日:鉄道事業譲渡により養老電気鉄道の駅となる。
1929年(昭和4年)10月1日:合併により伊勢電気鉄道養老線の駅となる。


1936年(昭和11年)5月20日:分離譲渡により養老電鉄の駅となる。
1940年(昭和15年)8月1日:合併により参宮急行電鉄の駅となる。
1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道との合併により関西急行鉄道の駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日:南海鉄道(南海電気鉄道の前身)との合併により近畿日本鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)10月1日:近畿日本鉄道からの経営分離に伴い、養老鉄道(新)の駅になる。

揖斐駅
いび
IBI
◄美濃本郷 (2.3km)
所在地 岐阜県揖斐郡揖斐川町脛永字山王元
北緯35度28分13.01秒
東経136度34分20.36秒
所属事業者 養老鉄道
所属路線 養老線
キロ程 57.5km(桑名起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 1,478人/日
-2015年-
開業年月日 1919年(大正8年)4月27日
備考 終日駅員配置

 

M61 バルカン(米軍)

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M61 バルカン (M61 Vulcan) は、アメリカ合衆国のゼネラル・エレクトリック (GE) 社が開発した20mmガトリング砲。航空機関砲や艦艇・地上部隊用の低高度防空用機関砲として用いられる。
日本においては、開発時のコードネーム、および製品名であるバルカン(Vulcan:ローマ神話に登場する火神。ギリシア神話の鍛冶神ヘーパイストスに相当する。) の名で知られる。製品名としての「バルカン砲」。「バルカン」とは、M61 ガトリング砲に付けられた製品名、つまり固有名詞であり、銃器の分類を示す一般名詞ではない。「バルカン砲」が指すのはM61 シリーズのみである。

しかし、英語圏においても、ガトリング砲全般や連射機構に外部動力を要する銃器、つまり機関銃や機関砲をVulcan Cannon(バルカンカノン)と呼び、バルカン砲は連発式銃器を指す通称として浸透していることが窺える。

M61は、20mmのガトリング砲で、6本並べた砲身を反時計周りに回転させて連射を行う。現在、M61、M61A1、M61A2 の3モデルが存在し、信頼性が高い事などから1958年にロッキードF-104 スターファイターに搭載されて以来、アメリカ空軍の機関砲を搭載した戦闘機のほぼすべてに採用されている。また、CIWS(近接防御火器システム)の一つ、ファランクスなどにも使用されている。
開発は1946年から開始されている。これは、航空機の高速化を見込んで航空機関砲の発射速度増大が必要となり、その方法として多砲身機関砲・ガトリング砲に注目したためである。発射速度が非常に高いところを目標としたために、砲身を動作させる外部動力にガス動作式は不安があり、電気動作式となっている。開発が完了したのは1956年のことである。

発射速度は戦闘機に搭載する場合、毎分4,000発と6,000発の切り替え式(最大で毎分7,200発、試験的に行った記録では12,000発)で、毎分6,000発の発射速度で射撃する場合、およそ2tの反動が生じる。ただし、ガトリング砲全般にいえることであるが、発射開始から規定の回転数までのスピンアップに時間がかかる(風車発電式ガンポッドで数秒、電動式で1秒弱、油圧式で0.3秒程度)ため、その間はスペック通りの発射速度は発揮できない(油圧式の場合、射撃開始後1秒間の発射速度は毎秒70発程度)ほか、銃身の回転が安定していないため、集弾も回転方向にぶれる傾向がある。M61A1では給弾機構に改良が加えられ、当初F-22用として開発されたM61A2では砲身の肉厚を削ることで耐久性を犠牲にしつつもスピンアップ時間の大幅な短縮に成功している。なお、射撃停止には0.5秒程度の時間を要する(この間、砲弾は発射されないが、供給される砲弾が未使用のまま弾倉へ収容される)ほか、砲身の加熱による影響から、1回の発射時間は2秒以内(おおむね100 - 200発相当)に制限されている。

システム全体の重量は140-190kgあり、軽量化したM61A2でも96kgほどになる。なお、FOD(エンジンの異物吸入による損傷)防止のため、航空機搭載タイプでは空薬莢は回収される。砲身長は標準で1.52m。信頼性に優れ、故障が発生する確率は100,000発に1回程度とされている。また、砲身寿命はおよそ12,000 - 18,000発、システム全体の寿命は150,000発程度である。
使用弾種としては、重量100グラムのM50 シリーズが主に用いられており、M56榴弾やM56A1焼夷榴弾、M53徹甲焼夷弾、M53A1徹甲焼夷弾、M56A3焼夷榴弾、さらには新型のPGU-28半徹甲焼夷榴弾などが使用される。ただし、口径20mmでは、1弾あたりの破壊力が小さいと懸念する向きもある。対艦ミサイル迎撃用であるバルカン・ファランクスでは装弾筒付き高速徹甲弾 (APDS) が使われるが、これはアメリカ軍では劣化ウラン製、日本やオーストラリアなどではタングステン合金製である(アメリカ海軍でも1988年以降はタングステン合金製弾芯を使用しているとされている)。

諸元(M61A1)
種類:回転式多砲身機関砲
砲身数:6砲身
口径:20mm
弾薬:20x102mm弾
機構:油圧駆動・電気雷管式撃発
全長:1.88m
直径:0.34m
砲身重量:114.5kg
全備重量:298kg
発射速度:毎分 4,000発、または6,000発(最大:7,200発、試験的に行った記録では12,000発)
規定発射速度到達時間:約 0.3秒
最大連続射撃時間:2秒
砲弾収束性:8ミル
射撃時反動:約 2t(射撃速度:毎分6,000発)
砲口初速:1,036m/秒
有効射距離:約 810m(航空機による空対空射撃)/約 1,490m(CIWSなどによる地対空射撃)
砲弾全長:168mm
砲弾総重量:257g
砲弾発射重量:約100g
信管重量:約11g

御室仁和寺駅 京福電気鉄道北野線

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御室仁和寺駅(おむろにんなじえき)は、京都府京都市右京区御室小松野町にある京福電気鉄道北野線の駅。2007年3月18日までの駅名は御室駅(おむろえき)。駅ナンバリングはB5。その名のとおり世界遺産仁和寺の最寄り駅であり、駅前から仁和寺の山門である「二王門」が見える。

駅構造
相対式2面2線ホームを持つ列車交換が可能な地上駅。寺社造の木造駅舎です。木製のラッチも設置されています。

北野白梅町駅方面行きホームにのみ駅舎がある。駅舎には改札口や出札口もあるが、現在は無人駅であり通常は使用されていない。

だが、仁和寺の「さくらまつり」の時期など、特に混雑が予想される場合は、集札業務を行うこともある。この場合、改札口にスルッとKANSAI用のカード読み取り機が設置される。

なお、出札口は「のりばご案内」の掲示板で塞がれている。駅舎正面に掲げられた額には御室仁和寺駅に改称になったあとも「驛室御」と旧字体・右横書きの旧駅名が掲げられたままである。

ホームにはスロープで連絡します。ホーム幅は比較的広く確保されています。ホームの上屋下には造り付けの長椅子が設置されています。通常ダイヤでは列車交換は行われません。

駅周辺
仁和寺
京都市立御室小学校
京都市立双ヶ丘中学校

バスのりば
京福御室駅前バス停(廃止)
京都バス
発着するバスは非常に少ないながら京都駅からの84系統が運行(当所終着の便のみで当所発の便はなし)されていたが、2007年7月に廃止された。
御室仁和寺バス停
北に200メートルほど歩いたところにある仁和寺の山門前にある。
京都市営バス:10・26・59系統
西日本ジェイアールバス:高雄・京北線
京都バスは土休日のみ京都駅前からの到着便が1本だけ運行されていたが、2008年以降に系統そのものが廃止された。

1925年(大正14年)11月3日 - 京都電燈が経営する嵐山電鉄北野線の御室駅として開業。
1942年(昭和17年)3月2日 - 路線継承により京福電気鉄道の駅となる。
2002年(平成14年)- 第三回近畿の駅百選に認定される。
2007年(平成19年)3月19日 - 御室仁和寺駅に改称。

 

御室仁和寺駅
おむろにんなじ
Omuro-Ninnaji
◄B6 妙心寺 (0.4km)(0.4km) 宇多野 B4►
所在地 京都市右京区御室小松野町
北緯35度1分35.59秒
東経135度42分49.87秒
駅番号 ●B5
所属事業者 京福電気鉄道
所属路線 ■北野線
キロ程 1.7km(北野白梅町起点)


駅構造 地上駅
ホーム 相対式2面2線
乗降人員
-統計年度- 564人/日
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)11月3日

 

 

 

 

 

 

京福電気鉄道モボ21形電車

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京福電気鉄道モボ21形電車(けいふくでんきてつどうモボ21がたでんしゃ)は、京福電気鉄道に在籍する路面電車車両。

概要
1994年(平成6年)に平安京遷都1200周年を記念する行事が行われた際、京福電気鉄道の協賛の一環として登場した、モボ621形を設計基本とするレトロ調車両である。

1994年(平成6年)に2両が製造された。車番は母体となったモボ621形の下2桁の続番(モボ621形は621~625の5両が製造)で26および27となっている。

車体は前面非貫通型・15m級片側客用扉2個の普通鋼製であり、前面窓には3枚窓を採用し、運転台上に前照灯を、前面窓上に行先表示幕を、下両側に標識灯を、右上にワンマン運転用のサイドミラーを装備している。側扉に楕円型戸袋窓を採用、側窓には保護棒が設置されている。また、屋根はダブルルーフ(2重屋根構造・ダミー)となっており、冷房室外機の目隠しにも使われている。車体はブラウンで塗装され、側扉・側窓周りに26はゴールドの、27はシルバーの装飾帯が配されている。なお、嵐電車両は、2010年の開業100年を契機に車体色が「京紫」に変更されたが、当形式は変更されていない。

車内はロングシートを装備し、座席両端には木目調の化粧版が採用されている。シートの色は茶色であったが、2012年秋頃から順次抹茶色に交換された(優先席部分を除く)。照明には白熱灯を模したカバーを有する特別な蛍光灯が採用され、側扉付近には実際に白熱灯が使用されている。また、当初は、運転台後部に乗車整理券発行機と料金箱が設置されていたが、2002年7月1日の均一運賃制移行・スルッとKANSAI導入に伴い、乗車整理券発行機は撤去され、料金箱には路線バス同様のカード処理機が取り付けられている。網棚・吊革はモボ121形からの流用品である。

制御装置は電動カム軸式抵抗制御であり、主要機器類は主電動機としてモボ121形126・121から流用したSE129B(44.8kW)を2基、駆動装置は吊り掛け駆動方式を採用、台車は同じくモボ121形から流用したBWE12を履いている。また、四条大宮・北野白梅町寄りにZ型パンタグラフが設置されている。

運用
1994年(平成6年)6月にワンマン運用で運転を開始し、嵐山本線四条大宮~嵐山間、北野線北野白梅町~帷子ノ辻間の全線で運用されている。

また、春と秋の観光シーズンの土曜・休日に行われる北野白梅町~嵐山間の直通運転に際してはモボ21形が優先的に運用される。

その他
2007年3月15~21日に開催された「京都太秦シネマフェスティバル」の一環で、同年3月10日から21日まで、車体外部に映画ポスターが貼られていた。

妙心寺駅 京福電気鉄道北野線

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妙心寺駅(みょうしんじえき)は、京都府京都市右京区花園天授ケ岡町にある京福電気鉄道北野線の駅。駅ナンバリングはB6。棒線駅で妙心寺への最寄り駅。

駅構造
千鳥式配置の2面1線ホームを持つ地上駅。ホーム上に発車標は設けられていない。

北野白梅町行きホームには雨水の貯水タンクと右京区役所等のコミュニティボードがある。ホームにはバリアフリー対応のスロープで連絡します。

駅周辺
上下線ホームを挟んだ踏切で京都府道101号銀閣寺宇多野線と交差し、下記バス乗り場(特に山越方面)は停留場からやや離れた府道上にある。

妙心寺
京都竜安寺郵便局
京都市立御室小学校


バスのりば
京都市営バス「嵐電妙心寺駅前」停留所(2017年3月18日よりバス停留所名を「京福妙心寺駅前」から「嵐電妙心寺駅前」に改称。)
10号系統:(四条河原町経由)三条京阪行/宇多野・山越行
26号系統:(四条烏丸経由)京都駅行/宇多野・山越行
西日本JRバス「嵐電妙心寺駅前」停留所
京都駅行
栂ノ尾・周山行

1925年(大正14年)11月3日 - 京都電燈が経営する嵐山電鉄北野線の駅として開業。
1942年(昭和17年)3月2日 - 路線継承により京福電気鉄道の駅となる。

妙心寺駅
みょうしんじ
Myōshinji
◄B7 龍安寺 (0.4km)(0.4km) 御室仁和寺 B5►
所在地 京都市右京区花園天授ケ岡町
北緯35度1分35.94秒
東経135度43分6.6秒
駅番号 ●B6
所属事業者 京福電気鉄道
所属路線 ■北野線
キロ程 1.3km(北野白梅町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 千鳥式2面1線
乗降人員
-統計年度- 471人/日
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)11月3日

近鉄3200系電車 (通勤形電車)

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近鉄3200系電車(きんてつ3200けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道(近鉄)の保有する一般車両(通勤形電車)。


概要
1984年に登場した1420系は近鉄では初採用のGTOサイリスタ素子を搭載したVVVFインバータ制御方式の試作形式として投入され、大阪線にて長期的な試験運用が行われたが、この結果を基に各部仕様変更を加えて、近鉄では初の量産型VVVFインバータ制御車両として1986年1月に4両編成3本の計12両が登場した。本系列の登場に伴って、800系の一部車両が伊賀線に転属している。

車体構造では奈良線系統や特急車では標準の最大車体幅2,800mmの大型車体を引き続き採用し、従来車の鋼製から8000系8069Fで試験採用されたアルミニウム合金車体を本格的に採用して、左右対称となった中間車の窓配置など、以降の近鉄一般車両の標準となった仕様が多く取り入れられている。各部仕様は車体材質を除けば大阪線・名古屋線用急行車の5200系にも採用された。

車内はロングシートで、インテリア面では内装材は1420系と同様にサンドウェーブ柄の化粧板に、マルーン調の床材を引き続き採用しているが、ロングシートの仕様はひじ掛けが化粧板仕上げとなった新しいものに変更されており、以上の車内デザインは2000年に登場するシリーズ21まで近鉄一般車両の標準仕様となった。
電算記号KLである。

車体形状
車体材質はアルミニウム合金を採用しており、当時の最新鋭一般車両である8810系と比較して1両あたり約4tの軽量化を実現している。

車体前面は本系列特有のデザインとされ、左右非対称の曲面ガラスを備えて車体上部を若干傾斜させた「く」の字型の断面で、地下鉄線走行を考慮して貫通扉は中心部より左側に寄せられた非常扉とされ、緊急脱出用に特化している。また、この部分の車両番号表記も他の車両とは異なり、運転席窓右下に記されている。車体塗装は一般車では初めてマルーンとシルキーホワイトの塗装となり、後に在来車も本系列に合わせて塗装変更され、専用色が採用されているシリーズ21を除いた近鉄一般車の標準塗装となった。なお、本系列では落成当初から裾部のマルーン塗装は省略されている。

京都市営地下鉄乗り入れの関係から車体長は汎用型特急車両と同じ20500mmとなっており(他の一般車両は20720mm)、その分連結面の長さが短い。
主要機器・性能
3000系とは異なって他編成との併結は行わないことを前提に設計されているため、電気指令式ブレーキを採用し、奈良線走行時の非常時を考慮してブレーキ読替装置を備えているが、連結器は電気連結器を省略した密着連結器を装備している。運転台は登場時の3000系と同じく、デスクタイプの横軸2ハンドルマスコンを採用した。主電動機の出力は165kW、制御装置は1C4M制御のGTO-VVVFインバータ制御装置を搭載している。歯車比は1986年製が5.73、1987年製が6.31と異なるが、混結に支障はない。制動装置には3000系や8800系以降の近鉄車両で標準となった回生ブレーキと、奈良線の山岳区間運用を考慮して抑速ブレーキを併せて標準装備しており、標準軌線の全線での走行を可能とする[1]。以上の機器設計に基づく電動車負担による回生制動と前述の車体軽量化により、在来車と比較して約40%の電力削減を図った。台車は両抱き踏面制動方式のシュリーレン式空気バネ台車である近畿車輛製KD-93系を装着。集電装置は各電動車の京都寄りに1基ずつ搭載するが、モ3800形は6両化の際に奈良寄りにも増設して1編成4基搭載とされた。車両性能は営業最高速度105km/hを確保している。

配置
2018年4月現在、7編成42両が西大寺検車区に配置されている。
運用
運用は3220系と共通で増解結の無い列車を中心に限定運用が組まれており、主に京都線系統(京都駅 - 近鉄奈良駅・橿原神宮前駅)と地下鉄烏丸線で運行されるが、両系列合わせて車両数に余裕があるため近鉄線内で完結する運用や、地下鉄烏丸線内の区間列車にも運用される(その場合、京都線直通列車と違い、種別表示のない黒抜き文字の京都市交用専用幕が表示される)。この他にも検査入場時や試運転時には大阪線、大阪難波駅での折り返しのため電留線のある阪神なんば線桜川駅まで走行する。

近鉄3200系電車
基本情報
運用者 近畿日本鉄道
製造所 近畿車輛
製造年 1986年 - 1988年
製造数 7編成42両
投入先 (近畿日本鉄道)難波線・大阪線・奈良線・京都線・橿原線・天理線
(京都市交通局)烏丸線
主要諸元
編成 6両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1500V
最高運転速度 近鉄奈良線・京都線:105 km/h
地下鉄烏丸線:75 km/h
全長 20,500 mm
全幅 2,800 mm
全高 4,040 mm
車体 アルミニウム合金
台車 M車:KD-93/KD-93B
Tc車・T車:KD-93A/KD-93C
主電動機 三菱電機MB-5014-A2
MB-5023A
主電動機出力 165 kW
駆動方式 WNドライブ
歯車比 5.73 (86:15)
6.31 (101:16)
編成出力 1,980 kW
制御方式 GTO-VVVFインバータ制御
制御装置 三菱電機製MAP-174-15VD10
制動装置 電気指令式空気ブレーキ
(回生・保安ブレーキ付)
保安装置 近鉄型ATS
CS-ATC
備考 電算記号:KL

ミッキーマウス新幹線

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JR九州新幹線にはミッキーマウスがラッピングされてる車両があるのデスね。
以下ニュースより「JR九州(九州旅客鉄道)は、ミッキーマウスのスクリーンデビュー90周年を記念した、九州新幹線での旅をアピールする「Go! Waku Waku Trip with MICKEY」プロジェクトの一環として、第2弾となるラッピング新幹線「JR九州 Waku Waku Trip 新幹線 ミッキーマウス&ミニーマウスデザイン」の運行を8月1日から開始した。」
ホームでは旅行客がワイワイ写真撮影してました。




見てるだけで、なんかワクワクする列車でした。
😅😅

北神戸駅 養老鉄道養老線

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北神戸駅(きたごうどえき)は、岐阜県安八郡神戸町大字北一色字別当野575-2にある、養老鉄道養老線の駅。

神戸町北の集落に立地されています。1986年に設置された新しい駅です。

駅構造
1面1線の単式ホームを持つ地上駅。駅舎はコンパクトな木造駅舎です。トイレは簡易型が設置されています。

入口からはバリアフリー対応の緩いスロープを上ってホームに入る。

入口付近に小さな窓口があるが、当初から駅員無配置駅となっているため閉鎖されている。

棒線駅のため、揖斐行きと大垣行きの双方が同一ホームに発着する。

ホームは無人駅としては幅が広く、上屋も2両分程度整備されています。

駅周辺

駅には駐輪場があります。

神戸町立北小学校

神戸町立図書館 - 庭に愛好家が寄贈した列車模型展示場があり、不定期で公開されている。
岐阜県立池田高等学校


歴史
1986年(昭和61年)3月27日:近畿日本鉄道養老線の駅として開業。養老線の駅では最後に開業した駅である。開業式典においては当時中部地方随一といわれた神戸町立神戸中学校ブラスバンド部による演奏があった。


2007年(平成19年)10月1日:近鉄からの経営分離に伴い、養老鉄道の駅になる。

北神戸駅
きたごうど
KITA-GŌDO
◄広神戸 (1.6km)(1.6km) 池野►
所在地 岐阜県安八郡神戸町大字北一色字別当野575-2
北緯35度25分47.62秒
東経136度35分40.39秒


所属事業者 養老鉄道
所属路線 養老線
キロ程 51.9km(桑名起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線


乗降人員
-統計年度- 590人/日
-2015年-
開業年月日 1986年(昭和61年)3月27日
備考 無人駅

東赤坂駅 養老鉄道養老線

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東赤坂駅(ひがしあかさかえき)は、岐阜県安八郡神戸町大字中沢字村西124-6にある、養老鉄道養老線の駅。朝夕の通学利用が中心の駅です。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ行違い可能な地上駅。駅員無配置駅で駅舎もなく、上下ホームとも直接大垣寄りの入口からホームに入る形になる。

構内踏切は設けられていないため、大垣寄りにある公道の踏切を使用しなければならない。

東赤坂駅プラットホーム
ホーム 路線 行先
(西側) ■養老線(下り) 揖斐行き


両ホームに待合所が設置されています。待合室にはFRPの椅子があります。
(東側) ■養老線(上り) 大垣方面
両ホーム入口の上屋下には、乗車駅証明書発行機が設置されています。

駅周辺
浄円寺
普野神社
八幡神社
日比野五鳳記念美術館 - 広神戸駅が最寄りであるが、当駅近くの生家には碑が建っている。


大垣女子短期大学
大垣市立赤坂中学校
神戸町立南平野小学校
赤坂菅野簡易郵便局
国道417号
中山道…駅のすぐ南を踏切で横切る道路。大垣市との境界も兼ねている。
美濃赤坂駅 - 東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線、当駅南西約2.2キロ。


歴史
1914年(大正3年)1月1日 - 養老鉄道(旧)の駅として開業。
1922年(大正11年)6月13日 - 合併により揖斐川電気の駅となる。
1928年(昭和3年)4月6日 - 鉄道事業譲渡により養老電気鉄道の駅となる。
1929年(昭和4年)10月1日 - 合併により伊勢電気鉄道養老線の駅となる。
1936年(昭和11年)5月20日 - 分離譲渡により養老電鉄の駅となる。
1940年(昭和15年)8月1日 - 合併により参宮急行電鉄の駅となる。
1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道との合併により関西急行鉄道の駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日 - 南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身)との合併により近畿日本鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)10月1日 - 近鉄からの経営分離に伴い、養老鉄道(新)の駅になる。


東赤坂駅
ひがしあかさか
HIGASHI-AKASAKA
◄北大垣 (2.1km)(2.8km) 広神戸►
所在地 岐阜県安八郡神戸町大字中沢字村西124-6
北緯35度23分38.79秒
東経136度36分3.22秒
所属事業者 養老鉄道
所属路線 養老線
キロ程 47.5km(桑名起点)


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 398人/日
-2015年-
開業年月日 1914年(大正3年)1月1日
備考 無人駅

火災防護衣(耐熱服) 自衛隊の装備

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火災防護衣(かさいぼうごい)は、自衛隊の装備。火災の現場で使用される。化学防護隊に配備されている。

概要
全備重量:約14kg
火災の際、高熱のため被服で活動できない現場において使用される。一般の消防士が装着する耐熱服と変わらない。
雲仙普賢岳の噴火の災害派遣にて使用された。
製作
日本エンコン

耐熱服は,一般防火服では耐えられない高熱環境のもとで着用する特殊防火服であり,最近では火災様相の変化から,その使用が次第に増えている。耐熱服は,アスベスト・アノレミナイズド布の登場によって実用化したもので,幾多の改良を経て現在に至った。耐熱服は,フード,上衣,ズボン,手袋および長靴を組み合せたものであり,服体の主儲成は,表地,中間地および裏地の 3種を重ねて縫製したものである。

龍安寺駅 京福電気鉄道北野線

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龍安寺駅(りょうあんじえき)は、京都府京都市右京区谷口垣ノ内町にある京福電気鉄道北野線の駅。駅ナンバリングはB7。龍安寺の最寄駅ですが、道なりで約1km離れています。


駅構造
相対式2面2線ホームを持つ列車交換可能な地上駅。駅舎はない。駅西側に主要な出入り口があるが、北野白梅町方面行きホームには東側にも小さな出入り口があり、立命館大学方面はこの小さな出入口を使うよう案内がある。昼間ダイヤでは、この駅で列車交換を行う。ホームの上屋下には長椅子が設置されています。

ここから等持院駅方にある踏切から先、道路が平行する区間は等持院駅まで複線分の用地が確保されている。複線化によって鳴滝 - 常盤間のように駅間で電車が行き違う事ができる様にする為と思われるが、残りの当駅から前者の踏切までの区間は民家が密集して、用地の確保が困難である事から実現していない。ダイヤは、北野白梅町行きが先に入線し、帷子ノ辻行きを待つ事が多い。

駅周辺
立命館大学衣笠キャンパス
龍安寺
西日本JRバス「妙心寺北門」停留所

当初は龍安寺(竜安寺)へ至る道筋にあることから竜安寺道駅(りょうあんじみちえき)と名付けられたが、2007年(平成19年)に駅名が変更された。駅名変更時に「龍」の字体が正式駅名になった。

1925年(大正14年)11月3日 - 京都電燈が経営する嵐山電鉄北野線の竜安寺道駅として開業。
1942年(昭和17年)3月2日 - 路線継承により京福電気鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)3月19日 - 龍安寺駅に改称。

 

龍安寺駅
りょうあんじ
Ryōanji
◄B8 等持院 (0.2km)(0.4km) 妙心寺 B6►
所在地 京都市右京区谷口垣ノ内町
北緯35度1分40.22秒
東経135度43分16.08秒
駅番号 ●B7
所属事業者 京福電気鉄道
所属路線 ■北野線
キロ程 0.9km(北野白梅町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 相対式2面2線
乗降人員
-統計年度- 1,058人/日
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)11月3日

三原港

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三原港
北側の三原駅とは、徒歩約10分の場所にある。尾道港同様、架橋の影響で縮小・廃止された航路もあるが、近隣の島々とのカーフェリー・旅客船が運航されている。


2015年(平成27年)11月13日にビジター桟橋と三原港湾ビルが、「みはら海の駅」として広島県内16か所目となる海の駅に認定された。


三原港一帯は2012年(平成24年)7月28日にみなとオアシスの登録をしていて、三原港湾ビルを代表施設とするみなとオアシス三原として地域活性化拠点ともなっている(同一港湾内での複数登録は全国初)。

古くから海上交通の要衝として発展し、1864年には松浜に船だまりが築造された。1900年に特別貿易港としての糸崎港が開港。

1936年には糸崎町・三原町他が合併して三原市発足、糸崎港と三原港が一体となった。

1953年に尾道港と合併。1975年以降、三原内港地区は旅客専用港として整備された。


航路
ほうらい汽船
高速船
三原 - 生口島(沢) - 生口島(瀬戸田)
マルト汽船
高速船
三原 - 小佐木島 - 佐木島(向田) - 生口島(沢) - 生口島(瀬戸田)
一部の便が 小佐木島 と 向田 に寄港する。
土生商船


高速船
三原 - 佐木島(鷺) - 因島(重井西) - 因島(因島モール) - 因島(土生) - 生名島(立石)
フェリー
三原 - 佐木島(鷺) - 因島(重井西)
三原海陸運輸
フェリー
三原 - 佐木島(向田)

嵐電天神川駅 京福電気鉄道嵐山本線

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嵐電天神川駅(らんでんてんじんがわえき)は、京都府京都市右京区太秦下刑部町にある京福電気鉄道嵐山本線の駅である。2008年の地下鉄東西線延伸開業に伴い設置された新駅。駅ナンバリングはA5。「右京区総合庁舎前」の副駅名を持つ。

駅構造
相対式ホーム(停留場)2面2線を持つ地上駅である。駅前後で線路は大きくカーブしています。併用軌道区間であるが、安全地帯ではなくプラットホームが設置されているのに加えて、ホーム全体を覆う上屋も設置されている。プラットホームにはベンチも設置されている。横断歩道からホームにはバリアフリー対応のスロープで連絡します。また、地下鉄太秦天神川駅の3番出入口から嵐電天神川駅までの通路にも屋根が設置されている。

計画当初は、三条通東側歩道に隣接するように設置される予定だったが、その後計画変更により三条通北行き南行き車線の中央に設置されることになった。ホームと三条通両側の歩道はホーム東側の信号機を備えた横断歩道で連絡する。

のりば
1 ■嵐山本線(下り) 帷子ノ辻・嵐山方面
2 ■嵐山本線(上り) 西院・四条大宮方面


駅周辺
太秦天神川駅(京都市営地下鉄東西線)
SANSA右京(右京区総合庁舎・京都市交通局)
大日本印刷太秦工場
その他
嵐山本線では2007年3月19日に駅ナンバリングが導入されたが、その時点では当駅は未開業であったので、前の番号A6は欠番となっていた。

 

 


2008年1月16日に京都市営地下鉄東西線の二条 - 太秦天神川間が延伸開業し、蚕ノ社駅 - 山ノ内間に同線太秦天神川駅との乗り換えのための駅として設置されることになった。当駅は東西線の延伸から2か月余り遅れて同年3月28日に開業したため、当駅開業までの期間は、隣の蚕ノ社駅が東西線との乗り換え駅としての役割を担っていた。

設置費用の6億4300万円のうちの6億1600万円は京都市が負担し、2007年11月中に着工した。京福電鉄にとって、既設路線の中間駅新設は、1956年開業の鹿王院駅に次いで、52年ぶりで2駅目である。なお臨時駅の中間駅としては、現・えちぜん鉄道の三国芦原線仁愛グランド前駅が、京福電鉄時代の1992年に開業した例がある。

東西線の太秦天神川駅延伸時から京阪電気鉄道京津線電車の乗り入れ区間も京都市役所前駅から同駅に延伸したため、嵐電天神川駅の開業で東西線のみならず京津線・石山坂本線沿線から嵐山・嵯峨野へのアクセスが向上した。

年表
2008年(平成20年)3月28日 - 開業


嵐電天神川駅
らんでんてんじんがわ
Randen-Tenjingawa
(右京区総合庁舎前)
◄A4 山ノ内 (0.9km)(0.2km) 蚕ノ社 A6►
所在地 京都市右京区太秦下刑部町
北緯35度0分36.78秒
東経135度42分54.17秒
駅番号 ●A5
所属事業者 京福電気鉄道
所属路線 ■嵐山本線
キロ程 3.7km(四条大宮起点)
駅構造 地上駅
ホーム 相対式2面2線
乗降人員
-統計年度- 5,019人/日
-2017年-
開業年月日 2008年(平成20年)3月28日
乗換 太秦天神川駅(京都市営地下鉄東西線)

マルト汽船「さんろまんすII」

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定期航路:三 原(山陽新幹線) ~ 小佐木島 ~ 向 田 ~ 沢 ~ 瀬戸田(耕三寺・平山郁夫美術館)

三原~瀬戸田の高速船運航と、小佐木島・佐木島(向田地区)の生活航路を一隻で担う。

 

航路:三原⇔向田・小佐木・瀬戸田
総トン数:19t
航海速力:23kn
旅客定員:48人
建造所:早美造船(1983)
運航:マルト汽船
〒723-0014
三原市城町3丁目1番1号 0848-64-8527(しまなみ海運)
(港湾ビル2階208号)


宇多野駅 京福電気鉄道北野線

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宇多野駅(うたのえき)は、京都府京都市右京区宇多野長尾町にある京福電気鉄道北野線の駅。駅ナンバリングはB4。開業時から高雄口と称した当駅ですが、2007年に周辺の地名ととった現駅名に改称されています。

駅構造
現在の駅の各種掲示。ラインカラーの青で統一されている。写真パネル「嵐電界隈館」も見える。
千鳥式2面1線ホームを持つ地上駅。帷子ノ辻方面行きホームには東側のみに1ヶ所、北野白梅町方面行きホームには2ヶ所に出入り口がある。北野白梅町方面行きホームの向かい側に、かつて行き違い設備があったことを偲ばせる苔むしたホーム跡がある。

戦後は長らく北側ホームのみであったが、1982年の車両のワンマン式化に際し、現在の帷子ノ辻行きホームが新たに後付けで設けられた。

駅周辺
当駅と隣の鳴滝駅との間では、線路の両脇にソメイヨシノが植えられ桜並木となっており、「嵐電 桜のトンネル」と呼ばれている。

京都市立宇多野小学校
嵯峨野病院
聖イエス会本部、嵯峨野教会
京都宇多野郵便局
福王子神社
その他、寺院多数。
西日本JRバス、京都市営バス「福王子」停留所

その他
かつてABC系で放送された土曜ワイド劇場『京都殺人案内』には、劇中で音川刑事(藤田まこと)の自宅の最寄駅という設定で登場し、ロケが行われた事がある。2018年4月上映の『ママレード・ボーイ』のロケ地としても使用された。


開業時の駅名は高雄口駅(たかおぐちえき)で、当地が駅北西にある景勝地高雄への玄関口に当たる地であることに由来する。かつての駅名標には、旧仮名遣いに則り平仮名で「たかをぐち」と表記されていたのが特徴。

ちなみにローマ字表記は「TAKAOGUCHI」となっていたが、近隣にある一部の観光案内図には「TAKAWOGUCHI」と表記されているものもあった。

1925年(大正14年)11月3日 - 京都電燈が経営する嵐山電鉄北野線が北野 - 高雄口間で開業した際に高雄口駅として開業。
1926年(大正15年)3月10日 - 高雄口 - 帷子ノ辻間が開業。帷子ノ辻駅で嵐山本線と繋がる。


1942年(昭和17年)3月2日 - 路線継承により京福電気鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)3月19日 - 宇多野駅に改称。

宇多野駅
うたの
Utano
◄B5 御室仁和寺 (0.4km)(0.5km) 鳴滝 B3►
所在地 京都市右京区宇多野長尾町
北緯35度1分37.89秒
東経135度42分34.82秒


駅番号 ●B4
所属事業者 京福電気鉄道
所属路線 ■北野線
キロ程 2.1km(北野白梅町起点)


駅構造 地上駅
ホーム 千鳥式2面1線
乗降人員
-統計年度- 493人/日
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)11月3日

京福電気鉄道モボ2001形電車

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京福電気鉄道モボ2001形電車(けいふくでんきてつどうモボ2001がたでんしゃ)は京福電気鉄道に在籍する路面電車車両。

概要:2000年(平成12年)の嵐山本線開業90周年記念に、モボ501形の置換え用として登場した、新「嵐電スタイル」の車両であると共に、京福電気鉄道(嵐山本線・北野線、以下嵐電)初のカルダン駆動車である。2000年(平成12年)から2両が武庫川車両工業(現・阪神車両メンテナンス)で製造された。

制御方式はVVVFインバータ制御を採用し、素子には2レベルIGBT(1,700V、800A)素子が使用されている。但し路面区間におけるブレーキ性能の安定性と沿線への誘導障害対策の面から回生ブレーキは装備されていない。主要機器類は主電動機として東洋電機製造製の60kWのもの[1]を2基、駆動装置はWNドライブを採用、台車はFS94を履いている。歯車比は72:11(6.55)である。また、四条大宮・北野白梅町寄りにこれもまた京福電気鉄道初のシングルアームパンタグラフが設置されている。運転台は両手、片手でも運転可能なワンハンドルマスコン(1軸ツーハンドルマスコン)を採用している。

車体はモボ611形・モボ621形・モボ631形に準じた前面非貫通型・15m級2扉の普通鋼製となっており[1]、前面窓には1枚窓を採用し、前面窓上に前照灯を、下両側に標識灯を、左上に行先方向幕を、右側にワンマン運転用のサイドミラーを装備している。ダークアイボリーで塗装され、前面および側窓下がダークグリーンで塗装されている。

車内には、ロングシートを装備している。また、当初は、運転台後部に乗車整理券発行機と料金箱が設置されていたが、2002年7月1日の均一運賃制移行・スルッとKANSAI導入に伴い、乗車整理券発行機は撤去され、料金箱には路線バス同様のカード処理機が取り付けられている。

運用開始時から2001号車は運賃表示器と一体になった次駅案内表示器、2002号車は運賃表示器と別になった次駅案内表示器が設置されていた。現在は、2連の液晶モニターに交換され、次駅表示や現在位置・運賃などが表示できるようになっている。

運用
2001年(平成13年)3月に2001号車、同年11月に2002号車がワンマン運用で運転開始した。

2018年(平成30年)7月現在、2両が在籍し、嵐山本線四条大宮~嵐山間、北野線北野白梅町~帷子ノ辻間の全線で運用されている。また、主要機器類などの違いから他系列との併結ができないため、朝夕ラッシュ時や行楽期の2両連結時はモボ2001形同士の2連で運転される。

また、2両とも長らく「京紫」色へ塗色変更されていなかったが、2018年6月に2002号車のみ塗色変更された。2001号車は「京つけもの もり」ラッピングを継続していた。「京紫」色へ塗色変更される前の2002号車は「DO YOU KYOTO?デー」ラッピングが施され、ラッピング解除後に短期ではあるけれど従来色のまま運用されていた。

2018年9月には「京つけもの もり」ラッピング塗装であった2001号のラッピングが解除されると共に「京紫」色へと塗装変更された。そのためモボ2001形から従来塗装は消滅した。また、短期間「京紫」塗装であった2002号はこれと同時に2001号に代わり「京つけもの もり」ラッピングが施された。

その他
2015年(平成27年)現在、嵐電に在籍するカルダン駆動車はモボ2001形2両のみ。つまりモボ2001形が登場した2001年(平成13年)以前はカルダン駆動車はまったく在籍せず、すべて吊掛け駆動車だったことになる。これは全車両が同一性能をもつという計画の下、1990年代後半までモボ101形の主要機器類を踏襲した車両を製造し続けたことによる。この為、抵抗制御やチョッパ制御などと言ったVVVF制御の世代前のカルダン駆動車が存在しない路線に、いきなりVVVF制御車を投入した事例は極めて珍しい。
2001号車は、源氏物語千年紀を記念して、2008年1月から「紫のゆかりちゃん号」としてラッピング車両として運行された。当初は2008年中のみの運行予定であったが、2009年末まで1年間延長して運行された。
2002号車は、NHK京都放送局 地上デジタル放送キャンペーンのため、液晶テレビが両運転台後部の中央上側に1台ずつ設置され、京阪の名物であるテレビカーが嵐電でも実現した。放送内容は四条大宮・北野白梅町方のテレビはデジタル総合テレビを、嵐山方のテレビはデジタルデータ放送を映示したが、音声は流していなかった。音声はFMラジオで聴取するように案内があった。
2002号車は、2014年3~11月まで自社広告ラッピング車両として運行された。

撮影所前駅 京福電気鉄道北野線

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撮影所前駅(さつえいしょまええき)は、京都府京都市右京区太秦上ノ段町にある京福電気鉄道北野線の駅。東映京都撮影所の至近に位置し、併設された東映太秦映画村への観光利用で賑わっています。駅番号はB1。駅へは山陰本線をアンダークロスして撮影所前に到着します。

北野線全線開通から90周年を記念し、JR嵯峨野線(山陰本線)太秦駅との乗り換えの利便性を図り設置が決められた駅である。駅がある太秦地区は北野線全線開通と同じ年に設立された阪東妻三郎プロダクションを前身とする東映京都撮影所が立地するなど、日本の映画産業の一端を担った土地柄であることから、撮影所前と名付けられた。

京福電気鉄道の新駅開業は、2008年に開業した嵐電天神川駅以来8年ぶり。

駅構造
停車中の車両の進行方向右側の扉は開かない。
単線を挟む形の2面相対式の地上駅。方面別ホームのため、進行方向左側の扉だけが開く。
ホームにはバリアフリー対応のスロープが設置されています。

ホームの上屋はホーム全面に整備されています。ホーム幅は狭く、簡素なパイプ式椅子を設置しています。スロープの分だけ下りホームが南側にずれ、千鳥配置となっています。

駅周辺
東映京都撮影所
東映太秦映画村
JR嵯峨野線(山陰本線)太秦駅

 


歴史
2016年(平成28年)
3月30日 - 記念式典を挙行。
4月1日 - 開業。

撮影所前駅
さつえいしょまえ
Satsueisho-mae
◄B2 常盤 (0.6km)(0.3km) 帷子ノ辻 A8►
所在地 京都市右京区太秦上ノ段町1-5
北緯35度0分56.7秒
東経135度42分10秒座標: 北緯35度0分56.7秒 東経135度42分10秒
駅番号 ●B1
所属事業者 京福電気鉄道
所属路線 ■北野線
キロ程 3.5km(北野白梅町起点)


駅構造 地上駅
ホーム 相対式2面1線
乗降人員
-統計年度- 586人/日
-2017年-
開業年月日 2016年(平成28年)4月1日
乗換 太秦駅(嵯峨野線)

修正 国鉄117系電車(濃黄色)編成番号C103(岡山電車区・100番台)

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117系電車(117けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1979年から製造した直流近郊形電車。1979年から1986年にかけて、主に老朽化した153系の代替用として216両が製造され、1987年の国鉄の分割・民営化時には東海旅客鉄道(JR東海)に72両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に144両がそれぞれ承継された。

京阪神地区の東海道本線・山陽本線で運行している新快速には、1972年からそれまでの113系に代えて、山陽新幹線岡山駅開業に伴う山陽本線急行の淘汰で余剰となった153系が投入されていた。153系はこの時点では113系と異なり、既に冷房装置を搭載していたが、製造初年が1958年と古く、座席がボックスシートであり、並行する阪急電鉄京都線や京阪電気鉄道京阪本線の特急車両がいずれも転換クロスシートを採用していたのに比べると見劣りしていた。また、本来は急行形車両として設計された車両であり、デッキを有する客室構造はラッシュ時の輸送に難点があった。


117系は153系のこうした問題点を解消し、かつ、並行私鉄に対抗できる客室設備を備え、京阪神地区の輸送事情に適合する車両として設計された。客室設備は1975年に北九州地区に投入されたキハ66・67系を基本としており、それまで一貫して車両の標準化を推進してきた国鉄が地域の事情に応じて設計、製造した嚆矢となっている。
新造開始後、本系列による新快速には153系時代の「ブルーライナー」に対して、「シティライナー」という新たな愛称が与えられた。
さらに、1982年には東海道本線名古屋地区の快速に使用されていた153系の置換え用として、「東海ライナー」という愛称で名古屋地区にも投入されている。

車体
全長20 mで、各種の腐食対策が施された鋼製車体に片側2か所の半自動対応の両開扉を設置する。
屋根部分は張り屋根となっており、車両妻面上部には押え用金具を確認することができる。車体番号は、車両側面にステンレス製の切り抜き文字を張り付けている。
外観から見た側面の構造は先行するキハ66・67系・阪急2800系などに類似しているのが特徴で、戸袋部を除いて2段上昇式の窓を2セットずつ1組としたユニット窓が並ぶ。このため、窓配置は制御車がd1D(1)2222(1)D(1)2(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)、中間電動車が2(1)D(1)2222(1)D(1)2という独特の形態である。
客用扉窓および戸袋窓に設置するガラスの支持方式を、従来のHゴム式から押え金式に変更した。
前面形状も独自のもので、157系に類似する「鼻筋」の通った流線形の構体に高運転台、左右各2灯を腰部に備えた前照灯、中央窓下に設けられた列車種別表示器とタイフォン(警笛)、と従来にないデザインとなっている。
塗装はクリーム(クリーム1号)を基本とし、マルーン(ぶどう色2号)の細帯が窓下に入る構成である。

登場時の6両編成はパンタグラフが一般的な電動車ユニット2両の中央寄りではなく、一方の外側寄りに搭載されていることが特徴。

JR東海所属0番台車の車内
このクリームとマルーンの2色塗装は新快速のルーツである急行電車に使用されていた52系や、戦後の1950年に製造された80系の塗装に類似した、大阪鉄道管理局伝統のカラースキームに則った塗色が選ばれている。従来、国鉄の近郊形電車は電気方式が同じであれば同一の塗装を施すルールとなっていたが、本系列ではそのルールを打破して系列専用色が採用され、以後、105系などで地域固有色が採用される先駆けとなった。

冷房装置の両脇に設置された新鮮外気導入装置
冷房装置は国鉄標準のAU75B集中式冷房装置を屋根中央に搭載するが、その前後にキハ183系や781系などと同様に新鮮外気導入装置を設置している。そのため、従来の車両に取り付けられていた押込式通風器は廃止されている。
座席は全席転換クロスシートでつり革は一切設けられず、車内妻面の化粧板を木目調の仕上げとして、さらに蛍光灯には乳白色のグローブ(カバー)が取り付けられるなど、近郊形電車としては破格の高級感を演出している。天井は平天井となったが、両隅(荷棚上部)に境目があり角張っている。この処理は製造初年が近い781系や185系も同様であり、本系列以前では新幹線0系や京成旧AE形にも見られた特徴である。また、編成中に1か所、和式便所を備える。
なお、当初計画された車体は前面形状が異なり、客用ドアは実際に採用されたものより各々910mm車端寄りにあり、車体塗色は711系に倣い赤2号にクリーム4号で、車端部にロングシート、室内化粧板は薄茶色6号、屋根に押し込み式通風器があるというキハ66に近いものであった。


主要機器
設計当時の標準品を多用しているが、最高速度が従来の近郊形電車の標準である100km/hから110km/hに引上げられた関係から、その多くは上位機種を採用している。
電源・制御機器
MM'ユニットを採用し、M車(モハ117形)には主制御器・抵抗器 (MR136)・集電装置が、M'車(モハ116形)には電動発電機・電動空気圧縮機が搭載される。
主制御器は CS43(381系)の流れをくみ、信頼性と保守性を考慮して417系で使用し、実績のあった電動カム軸式の CS43A で、抵抗制御と直並列制御を組み合わせて加減速を行う。勾配抑速ブレーキや条件が整っていれば並列段からの再加速が可能である。当時すでに16 - 17年に亘って増備が継続していた113系では153系と共通のCS12系が、115系では165系と共通のCS15系がそれぞれ最終増備車まで搭載されたが、新形式の本系列には、カム軸機構の改良などにより内部動作の多段化が行われスムーズな加速を可能とした、当時最新のCS43Aが採用されることになった。主制御器1基で2両8基分の主電動機を制御する1C8M方式である。主電動機は当時の国鉄電車の標準機種の一つであり、113系などと共通の直流直巻式整流子電動機であるMT54Dを装備し、歯車比も従来の近郊形と同様の1:4.82とされた。
制御用や冷房用電源として、東芝が原設計を担当した電動発電機 MH135-DM92 を採用する。103系や113系・115系などで採用された実績のあるタイプであり、集電装置からの直流1,500Vを電源として三相交流440V 60Hz(定格容量160kVA・4両給電)を出力する。
空気圧縮機は、集電装置からの直流1,500Vを電源とした2段圧縮直結駆動式の MH113B-C2000M を搭載する。


台車
台車は高速走行時の走行特性やDT24系空気バネ台車を装着していた153系からの置き換えであることなどを考慮し、近郊形標準のDT21系金属バネ台車ではなく、特急・急行形で使用実績のあるインダイレクトマウント空気バネ台車であるDT32E(電動車)・TR69H(制御車)を採用する。
集電装置
集電装置は設計当時に直流形電車の標準品であったPS16系菱形パンタグラフであるが、アルミニウム製の枠を使用し、湖西線での運用を考慮してばね部分にカバーを施した耐寒耐雪仕様のPS16Jが採用されている。
連結器
連結器は国鉄標準の柴田式密着連結器を採用するが、153系の運用形態を踏襲し、ラッシュ時に6両編成を2編成組み合わせて12両編成で運用する計画であったことから、増解結作業の容易化のために、連結器には国鉄初となる自動解結装置と電気連結器が採用されている[注釈 12]。
形式と編成
本系列の編成、および構成する諸形式を以下に示す。本系列は、電動車4両・制御付随車2両によるMT比2:1の6両編成を基本として計画・製造された。これは設計当時における国鉄の標準的な構成である。後年の編成組み換えにより、電動車2両・制御付随車2両による4両編成(MT比1:1)と電動車6両・制御付随車2両による8両編成(MT比3:1)が加わった。本系列においては、各派生番台も含め中間付随車は存在しない。
クハ117形 - 奇数(東海道本線上で東京より)向きの先頭に連結される制御車(Tc)。
モハ117形 - パンタグラフ、制御器を搭載する電動車(M)。モハ116形とユニットを組んで使用される。
モハ116形 - 電動発電機(MG)、空気圧縮機(CP)を搭載する電動車(M')。モハ117形とユニットを組んで使用される。
クハ116形 - 偶数(東海道本線上で神戸より)向きの先頭に連結される制御車(Tc')。
新造時の各番台の概要
0番台
1979年から製造された基本番台である。
1979年9月12日に川崎重工業兵庫工場で量産先行試作車となる第1編成6両が竣工し、各種性能試験と習熟運転の合間に鉄道記念日イベントの一環として同年10月13・14日に大阪・京都・神戸・姫路の各駅で車両展示会を開催した。
営業運転は1980年1月22日に第1編成を当時運行されていた新快速・快速の内、分割併合を伴わない単独運用に充当する形で開始された。
その後は同年3月末までに8編成48両が宮原運転所(現:網干総合車両所宮原支所)に出揃って同数の153系(クハ165形を含む)が捻出され、このうち状態不良の25両を廃車、名古屋鉄道管理局へ19両、長野鉄道管理局へ1両、広島鉄道管理局へ3両をそれぞれ転属し、各局に在籍する153系老朽車との置き換えや車両増に充当された。
これにより新快速は本系列8編成、153系13編成となった。さらに同年4月から7月にかけて2期目の置き換え作業が実施され、本系列が13編成新造されて予備編成を含めた新快速運用の必要数である6両編成21本(126両)が宮原運転所に揃ったことで、1980年7月10日には全新快速運用の本系列への置き換えが完了し、1972年3月以来約8年に渡って新快速に使用されていた153系が完全に淘汰された。153系は状態不良車39両が廃車され、27両は名古屋鉄道管理局へ、12両は東京南鉄道管理局へ転属となり、それぞれ153系状態不良車との置き換えが実施された。
さらに1982年には、名古屋地区用として、扉の半自動機能使用停止措置(戸閉機械は従来車と同一)および自動解結装置の省略、パンタグラフの暖地仕様化、クハ117形へのトイレの設置など一部仕様を変更の上、大垣電車区に6両編成9本(54両)が投入されている。


100・200番台
国鉄の分割民営化直前に実施された1986年11月1日のダイヤ改正にともなう、京阪神地区の新快速増発用および名古屋地区の編成短縮(6両→4両)[注釈 17]による快速増発用に投入された増備車である。4年ぶりの増備であることから、その間の技術の進歩や運用実績を反映し、各部の設計が変更されている。主な変更点は以下の通り。
車端部の配電盤など、デッドスペースを減らして扉回りの立席スペースを拡大。
側窓を外はめ式のユニット構造から、2列1組のバランサー付き1段下降式に変更。
車体裾部にステンレス材を使用するなど台枠付近の防錆構造を強化[。
台車のDT50C(電動車)・TR235B(制御車)への変更と、これに伴う床面高さの45mm引き下げ(1235mm→1190mm)。
座席のセミバケットタイプへの変更。
冷房装置のAU75Eへの変更。
本番台車は京阪神地区用に6両編成3本(18両)、名古屋地区用に先頭車のみ18両(クハ117形、クハ116形各9両)、計36両が投入された。
クハ117形は、0番台では名古屋地区向けの増備車においてトイレ付きに変更されていたが、京阪神地区向けは従来車に合わせて再びトイレなしに変更された。一方、名古屋地区向け車は従来の6両編成を3両ずつに分割の上、それぞれに新造の先頭車を連結するという方式で投入されることとなった。よって、名古屋地区向けでは全ての編成で1両だけ形態の異なる先頭車が連結されることになった。なお、編成中のトイレを1箇所とするため、クハ117形100番台は京阪神地区向けと同仕様のトイレなしで、クハ116形は京阪神地区向けと異なるトイレなし仕様の200番台として投入された。なお、名古屋地区向けは編成短縮と同時に神領電車区に転属し、中央西線快速の増発にも充てられた。


運用
本系列は新造以来国鉄分割民営化まで、京阪神・名古屋両地区において新快速・快速を中心に運用された。
国鉄の分割民営化に際しては、京阪神地区への投入車は全車JR西日本に、名古屋地区への投入車は全車JR東海に承継され、両者間でのやりとり(連結・譲受など)は現在まで皆無となっている。2013年3月16日のダイヤ改正で、JR東海所属車は全て定期運用を失い、2013年度中に全て廃車された。

JR西日本
新快速運用からの撤退と転用
JR西日本発足時、144両(6両編成24本)が宮原電車区に配属されていた。
1988年3月13日ダイヤ改正で運用範囲を彦根から米原まで延長するなど勢力を拡大し、翌1989年3月11日ダイヤ改正では朝ラッシュ時間帯に2編成連結した12両編成「新快速」での運転を開始した。しかし、同時に221系が登場し、徐々に新快速での運用を縮小することとなる。1990年3月10日のダイヤ改正から新快速の最高速度を115km/hに引き上げた。また、新たに福知山線(JR宝塚線)での運用を開始することになり、48両(6両編成8本)が福知山色(クリーム10号に緑14号の帯)に塗装変更された。


1991年3月16日ダイヤ改正では早朝深夜を除いて新快速の最高速度が120km/hとなった関係で、新快速運用は米原 → 大阪と大阪 → 野洲の2本のみとなり新快速の運用が縮小したことから、6両編成10本(C11 - C20編成)を8両編成5本と4両編成5本に組み替え、4両編成は奈良線快速に、6・8両編成は米原 - 網干・播州赤穂間の快速列車に充当した。同年9月14日に北陸本線(米原 - 長浜)直流電化が完成したことから、運用範囲が長浜まで拡大している。
1992年3月14日ダイヤ改正では、岡山・広島地区の115系非冷房車置き換えと岡山地区の快速「サンライナー」(岡山地区への転用を参照)充当のため岡山電車区・広島運転所(現・下関総合車両所広島支所)へ転属した。サンライナー向けに投入する編成は4両編成であり、その他組み替えで発生した余剰車を115系へ改造し組み込み115系非冷房車を置き換えた(。これにより、117系として、初めて車両数が減少した。また、福知山線混雑対策として座席のセミクロス化を行った。
新快速用に残った117系も、片側2扉という構造で乗客数の増加に対応できず、さらに120km/h運転に対応できないことから日中とラッシュ時の新快速運用への充当が困難になり、1992年3月14日のダイヤ改正以降は新快速運用は原則的にダイヤと輸送力に余裕がある朝晩のみ、それも大阪駅 - 京都方面間限定とした。そして、1999年5月11日のダイヤ改正から新快速の西明石 - 草津 間130km/h運転開始に伴い、定期新快速運用が終了した。


2016年現在、原形をとどめるのは、吹田総合車両所京都支所(旧:京都総合運転所)の8両編成2本16両のうちの12両。残り4両にはトイレの増設とバリアフリー対応化改造が行われた。2004年10月10日に「リバイバル新快速」として、限定運用ではあったが再び新快速運用に充当された。また、2009年4月には湖西線の臨時列車で再び新快速運用に充当された。
しかし他線区へ転用された車両も、福知山線(JR宝塚線)では221系による丹波路快速が2000年3月11日に運転が開始されたことによって運用が削減。奈良線では2001年3月3日から221系によるみやこ路快速の運転開始に伴って運用が終了する一方、紀勢本線・和歌山線・山陽本線下関地区で運用が開始するなど、さらなる運用範囲の変化が発生している(下関地区の運用は2016年1月に終了)。

福知山線(JR宝塚線)へ転用された]編成は、当初塗装を変更したのみで客室設備は変更しなかった。[しかし、片側2扉では乗降に時間を要することから、通勤時間帯を中心に慢性的な遅延が発生していた。そこで、混雑緩和対応策として改造されたグループが本番台である。車両番号は元番号+300となり、1992年3月以降に計58両が改造された。改造内容を以下に示す。
乗降扉に近い転換クロスシート3列を撤去してロングシートを設置
ブレーキに応荷重装置を追加し、元空気ダメ圧力を変更した。
新旧番号対応
モハ117/116-3 - 16, 19, 20, 41, 42 → モハ117/116-303 - 316, 319, 320, 341, 342
クハ117/116-2 - 8, 10, 18, 20, 21 → クハ117/116-302 - 308, 310, 318, 320, 321
京都地区への転用
300番台改造が施しても福知山線(JR宝塚線)のラッシュ輸送に対応しきれないため、ラッシュ時には乗客の比較的少ない朝晩の列車が運用の主体になり、2000年3月から同線から撤退を開始。JR福知山線脱線事故を受けたATS-P保安装置設置を期に、機器未搭載だった残りの車両も運転再開(2005年6月19日)を前に全て撤退した。これらの車両を転用したのが始まりである。
当初は宮原運転所所属のままだったが、2006年5月から6月にかけて京都総合運転所に転属した。湖西線・JR嵯峨野線(現在は運用終了)・JR琵琶湖線・草津線で運用されている。(2006年10月21日の湖西線・北陸本線永原から敦賀での直流転換がなされたが、地上設備の関係で従前の通り湖西線永原が北限である。)2002年から2009年にかけて福知山色の車両は順次オリジナル塗装に戻されたが、現在は緑単色塗装への変更が進んでいる。なお、2007年から2009年にかけてATS-P保安装置の取り付けが行われた。


岡山地区への転用

下関から転入した100番台(E-07編成)。この編成のみ前面窓枠が黒く塗装されている。

1992年に0番台4両編成6本(24両)が岡山電車区に転用され、快速「サンライナー」などで使用開始した。転用に際して、吹田工場で外部塗色を白に赤のグラデーションに塗り替え、トイレの汚物処理装置を循環式からカセット式に交換している。これらは1999年に後藤総合車両所でワンマン運転対応改造を施工されたが、車内で運賃を収受しないことから運賃箱などは設置されていない。転用車は次のとおり。
編成番号 クハ117 モハ117 モハ116 クハ116 備考
E01 9 18 18 9 2015年9月14日廃車
E02 11 22 22 11 2015年9月9日廃車
E03 13 26 26 13 2015年10月13日廃車
E04 15 30 30 15
E05 17 34 34 17
E06 19 38 38 19
E07 101 101 101 101 2015年8月12日転入
E08 102 103 103 102 2015年8月30日転入
E09 103 105 105 103 2015年10月2日転入
100番台4両編成3本(12両)を宮原総合運転所から借入し、E11 - E13編成として岡山地区でのローカル運用を中心に米子地区での多客輸送臨時列車としても運用した。しかし100番台に装備されていたトイレの循環式汚物処理装置の抜き取り設備が岡山電車区にはなく、設備のある後藤総合車両所を拠点とする米子地区での運用時以外はトイレ使用停止状態で使用したため運用上の制約を生み、2005年10月までに下関車両管理室(現下関総合車両所)へ転用した。2010年2月8日に網干総合車両所に検査入場していたE05編成が濃黄色一色に塗り替えられて以降、順次塗装変更を行っていたが2016年7月のE04編成への施工をもってサンライナー色は消滅となった。
2015年に下関総合車両所運用研修センターから100番台4両編成3本(12両)が転入し、0番台4両編成3本(12両)を廃車とした。転入に際しては、汚物処理装置のカセット式への換装とE08・E09編成の濃黄色への塗り替えが行われた。
2016年7月から、サンライナー色消滅に伴いサンライナーのイラストが描かれた前面幕の表示を中止し、種別文字のみを表示するようになった。
同年10月19日から2017年9月まで、E05編成が地元のサッカークラブ・ファジアーノ岡山FCのラッピングを施した「ファジアーノ岡山ラッピングトレイン」として運行された。
115系3500番台への改造
1992年に本系列を「サンライナー」へ転用する際、短編成化(6両→4両)によって発生した余剰中間電動車が山陽地区で使用されている115系の先頭車と混結できるよう改造されたものである。

新旧番号対応
モハ117/116-17, 21, 23, 25, 27, 29, 31, 33, 35, 37, 39, 303, 315, 316→モハ115/114-3501 - 3514
紀勢本線・和歌山線への転用
2000年3月に、福知山線(JR宝塚線)用の300番台4両編成2本が福知山色のまま日根野電車区へ転属し、G801編成、G802編成として和歌山線全線で使用されるようになったのが始まりである。それまでの和歌山線専用の同区113系湘南色車(G416編成・G417編成)による朝夕ラッシュ時の運用をそのまま移管する形で運用された。なお、運用の間合いで阪和貨物線の路線維持回送列車(錆取り列車)としても使用された。
運用上の常駐先であった新和歌山車両センター(現:吹田総合車両所日根野支所新在家派出所)のトイレ汚物処理設備が同車の循環式に対応しておらず、トイレは使用停止とされていた。2編成配置2運用使用であったため、日根野電車区での検査実施時には同区113系(阪和色車または湘南色車)が代走した。
2001年3月、先述の通りみやこ路快速の運転開始によって宮原総合運転所所属車による奈良線運用が消滅したため、同所0番台の6両編成1本(C14編成)が原色のまま日根野電車区へ転属前提で貸し出された。このうち4両が予定通りG803編成として就役し、上記113系の検査代走の置き換えに使用された。
同年12月、宮原総合運転所で余剰となった300番台先頭車(ともに308号)の2両と、上記G803編成とならなかった2両(40号電動車ユニット)が接客設備が異なったまま組み合わされ、ワンマン運転対応改造と外部塗装のオーシャングリーン地にラベンダー帯化が施工された上で、「G804編成」として翌年1月から和歌山線で運行を開始した。その後同区配置の残りの編成も順次ワンマン改造・塗装変更が行われた。
2002年3月、宮原総合運転所から下関車両管理室に貸出され、宇部線「きらら博」臨時快速列車として使用されていた4両編成1本(C12編成)が返却時に転入し、4両編成5本の陣容(G801 - G805編成)となった。この時日根野電車区所属車の運用範囲が阪和線日根野 - 和歌山間、紀勢本線(きのくに線)和歌山 - 紀伊田辺間にも拡大。同時に全編成がワンマン対応、塗装変更され、和歌山線でワンマン運転を開始した。ただし、4両編成のために無人駅でも全扉開放となることから不正乗車防止の観点から、扉扱いや車内放送を行わない特別改札車掌が乗務して車内改札を行うことが多い。
この際、運用上の拠点も循環式汚物処理装置の抜き取り設備が設置されている日根野電車区になったことから、トイレも使用可能となった。同年11月、所属が新和歌山車両センターに変更され、阪和線と紀勢本線御坊 - 紀伊田辺間での定期運用が消滅した。この際に各編成のトイレの汚物処理装置を循環式から使い捨てのカセット式へ交換し、トイレの使用可能状態を維持している。さらに2008年8月、所属が日根野電車区に戻された。2012年現在は和歌山線で運用されているが、日根野電車区の113系の臨時検査入場などで編成不足が起きた場合、代走として紀勢本線を走行することもある。ただし、不足が2本以上の場合は本系列は使用されず、奈良電車区の221系を使用する。しかし日根野区所属の117系は2014年春のダイヤ改正できのくに線(和歌山 - 御坊)での運用が減少した。
吹田工場に検査入場していたG3編成(現:SG3編成)が青緑色一色に塗り替えられ、2012年4月2日に出場した。
2015年11月と2016年1月に300番台4両編成2本(8両)が下関総合車両所運用研修センターから転属。転属車のうち先頭車4両を廃車した上で、中間車4両をSG1・SG2編成に組み込み、代わりに0番台4両を廃車した。

下関地区への転用
2005年3月ダイヤ改正にともない、新山口 - 下関間の車両数不足により宮原総合運転所所属車を転用して運用を開始した。
2005年3月ダイヤ改正以前は、新山口 - 下関間でJR九州が所有する415系電車を一部便で使用していた。しかし同ダイヤ改正にて415系の下関以東への乗り入れは中止となり、新山口 - 下関間で車両が不足する事態となった。この事態に伴って宮原総合運転所所属の100番台2編成を岡山電車区に転属、岡山電車区から下関総合車両所への貸出という形で下関地区での運用を開始した。その後、100番台1編成と300番台2編成が下関での運用に追加される。2007年11月より正式に下関総合車両所の所属となった。
転用に際しての塗装変更は行われず、100番台はクリーム地にマルーン帯のオリジナル塗装、300番台は白地に緑色の2本帯を巻いた福知山線塗装のまま転用された。ただし前面の表示幕は使用されなかった。
2015年に、岡山電車区へ100番台4両編成3本(12両)が、吹田総合車両所日根野支所新在家派出所へ300番台4両編成1本が、それぞれ転出した。2016年1月に最後まで残った300番台4両編成1本が吹田総合車両所日根野支所新在家派出所に転出し、2016年4月時点では下関地区への配置はなくなっている。
転用車は。
編成番号 クハ117 モハ117 モハ116 クハ116 備考
C101 101 101 101 101 2015年8月12日転出
C102 102 103 103 102 2015年8月30日転出
C103 103 105 105 103 2015年10月2日転出
C104 302 311 311 302 2015年11月27日転出
C105 303 312 312 303 2016年1月25日転出

 

JR東海
民営化後の運用
民営化直後は、JR東海名古屋地区都市圏輸送(東海道本線、中央西線)の主力車として重用された。しかし、混雑の激しい中央西線ではその車体構造ゆえ乗客を捌き切れなくなり、1988年には3扉ロングシートの新製車211系5000番台に置換えられて撤退し全車が大垣電車区に転属した。東海道本線においては、後継の311系の登場によりメインの新快速を同系に譲ったものの快速用の主力として使用されてきた。しかし、1999年の313系投入に伴う運転速度引き上げが行われると、東海道本線の日中のダイヤは快速が最高速度120km/hとなり、普通についても211系5000番台3両編成 (2M1T) の走行性能を基準とするダイヤ編成となったため、最高速度、起動加速度ともに対応できない117系は日中の運用がほぼ皆無となり、朝晩のラッシュ時における金山 - 米原間の快速が中心となり、主に4両編成を2本連結した8両編成で運転された他、平日、あるいは土休日に1本程度の新快速運用が復活した。日中には浜松 - 豊橋間や大垣 - 米原間の運用が見られたが、ほとんどの編成は大垣車両区や留置線を多数備えた熱田駅、大府駅、豊橋駅構内などに留置されるようになった。2006年10月改正以降は大垣 - 米原間の日中の普通運用の大半を占めるなど、多少運用が増加した他、2008年3月改正以降は平日朝に増発された岡崎駅発着の新快速列車にも使用されるようになった。2011年3月改正では一部の快速、新快速運用は残存したが、岡崎以東の運用は消滅している。
改造
車内は、運転席直後や車端部の転換クロスシートをロングシートに改造された車両が存在したが、特に改番等は行われていなかった。また、晩年当時の運用状況を鑑みた追加改造や、転落防止幌および車椅子スペース整備改造も行われなかった。2009年からは一部の編成にはATS-PT設置工事が施された。
車体外見
塗装は311系登場の1989年にJR東海のコーポレートカラーであるアイボリーにオレンジ帯の試験塗装編成が登場したあと、全車が塗り替えられた。当時は雨樋に1本、窓下に太帯と細帯各1本の計3本の帯が入っていたが、1999年頃より試験塗装と同じ塗り分けに変更され、側面帯が窓下1本に簡略化された。
また前面の快速幕は、当時は白地に黄色で「快速」と表記され、文字の周りが黒く縁取りされており、視認性に問題があったため塗装簡略化とほぼ同時に交換された。列車番号表示器はJR東海では本来の目的では使用されないため、当系列の場合には大垣車両区における編成番号を表示していた (S1 - S18) 。
S11編成は2009年8月に落成当時のクリーム地にマルーン帯の車体塗装に変更された。これは同年10月に佐久間レールパークで開催される見学ツアーでの運行に合わせ、登場時の塗色を再現したものであった。


S9編成は2010年8月1日から同年9月26日までの土曜日・休日に飯田線で運行される観光列車「そよかぜトレイン117」用として、同年7月に改造工事が施工された。2号車に組成されるモハ116-45は客用扉部分に走行中でも外気を取り入れることが可能な展望柵を設置し、客用扉間の座席を撤去した上で窓に向けてベンチを配した「ウィンディスペース」に改装され、他の3両についても一部の座席の背もたれ部を撤去し大型テーブルが設置されていた。
引退
2010年に313系4次車が投入されると、捻出された311系や313系0番台によって本系列の一部の運用が置き換えられ、2010年度中にATS-PT未設置の5編成20両が廃車された。このうちS1編成が、旧塗装を復元させたうえでリニア・鉄道館で静態保存されている。展示スペースの関係上、元の4両編成ではなくモハ116を外した3両編成での保存展示となっている。
2013年3月16日のダイヤ改正で、JR東海の本系列は定期運用から退いた。2013年8月5日、JR東海の所有する本形式としては最後まで残った「トレイン117」が浜松まで回送された。同年12月27日と12月30日に残存していた車両のほとんどが廃車され、少数残った車両も2014年1月27日付で廃車され、ここにJR東海の117系は全廃された。
今後の予定
JR西日本が1編成(6両編成を想定)を2020年夏までに改造し、新たな長距離列車に投入する計画が2017年6月の社長定例会見で明らかになった。「多様性」「カジュアル」「くつろぎ」をコンセプトに内装を全面改装し、個室及び1列+2列シートのグリーン車とコンパートメント車両、ノビノビ座席を備えた普通車とすることが想定されている。デザインはえちごトキめきリゾート雪月花の設計・プロデュースや中村駅のリノベーションを手がけた川西康之が担当する。期間を定めて京阪神と山陰・山陽方面を結ぶ複数の区間で運行される予定。
保存車
元S1編成であるクハ117-30、モハ117-59、クハ116-209 - リニア・鉄道館(名古屋市港区)、2010年11月に同館へ搬入された。

 

国鉄117系電車   基本情報 運用者 日本国有鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道 製造所 川崎重工業
近畿車輛
日本車輌製造
東急車輛製造(100番台のみ) 製造年 1979年 - 1986年 製造数 216両 主要諸元 編成 4両編成 (2M2T)
6両編成 (4M2T)
8両編成 (6M2T) 軌間 1,067 mm 電気方式 直流 1,500V 最高運転速度 110 km/h
(西日本車は115km/h) 設計最高速度 120km/h 起動加速度 1.8 km/h/s 減速度(常用) 3.5 km/h/s 減速度(非常) 5.0 km/h/s 車両定員 64(席)+ 8(立)= 72名(中間車) 自重 最小 31.3 t(トイレなし先頭車)
最大 43.7 t(中間電動車) 全長 20,000 mm 全幅 2,946 mm 全高 4,066 mm 台車 ウイングばね式インダイレクトマウント空気ばね台車
DT32E・TR69H(0番台)
円錐積層ゴム式ボルスタレス台車
DT50C・TR235B(100・200番台) 主電動機 直巻整流子電動機 MT54D 主電動機出力 120kW / 基 駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式 歯車比 1:4.82 制御方式 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁制御 制御装置 CS43A・電動カム軸接触器式 制動装置 電気ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
抑速ブレーキ
手ブレーキ 保安装置 ATS-SW(JR西日本車)
ATS-ST・ATS-PT(JR東海車) 備考 Wikipedia laurier W.png 第21回(1981年ローレル賞受賞車両


太秦広隆寺駅 京福電気鉄道嵐山本線

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太秦広隆寺駅(うずまさこうりゅうじえき)は、京都府京都市右京区太秦組石町にある京福電気鉄道嵐山本線の駅。

駅のすぐ北西に広隆寺があり、楼門前の併用軌道を横切る電車の姿は京福電鉄(嵐電)沿線のハイライトの一つである。併用軌道と専用軌道の接点に位置する駅です。駅ナンバリングはA7。

駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。各ホーム西端の斜路で三条通と連絡する。通常は駅員無配置駅となるが、多客期の週末を中心に駅員が配置される場合がある。

嵐山駅方面行きホームは、大きく右にカーブしています。ホームに面して商店の入口や民家の玄関、路地の入口があり、ホームが道路として利用されている。そのため、ベンチの類がまったく設置されていない。乗場入口へはバリアフリー対応のスロープがあります。

駅周辺
広隆寺
京都市消防局右京消防署
右京警察署
東映太秦映画村
京都市立太秦小学校
京都府道112号二条停車場嵐山線
大酒神社

その他
車内で流れる車内放送で、当駅の隣の駅を発車した直後に放送される当駅名のアナウンスのBGMにテレビドラマ『暴れん坊将軍』のテーマ(2014年3月までは『水戸黄門』の主題歌「あゝ人生に涙あり」の一節)が流れる。東映太秦映画村や東映京都撮影所の最寄り駅であるためである。

 

1910年(明治43年)3月25日 - 嵐山電車軌道の太秦駅(うずまさえき)として開業。
1914年(大正3年)頃 - 太子前駅(たいしまええき)に改称。


1918年(大正7年)4月2日 - 会社合併により京都電燈が経営する嵐山電鉄の駅となる。
1942年(昭和17年)3月2日 - 路線継承により京福電気鉄道の駅となる。
1944年(昭和19年)4月16日 - 太秦駅に再改称。
2007年(平成19年)3月19日 - 太秦広隆寺駅に改称。


太秦広隆寺駅
Uzumasa-Kōryūji
◄A6 蚕ノ社 (0.5km)(0.8km) 帷子ノ辻 A8►
所在地 京都市右京区太秦組石町
北緯35度0分48.58秒
東経135度42分29.69秒
駅番号 ●A7
所属事業者 京福電気鉄道
所属路線 ■嵐山本線
キロ程 4.4km(四条大宮起点)


駅構造 地上駅
ホーム 相対式2面2線
乗降人員
-統計年度- 1,414人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)3月25日

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