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用瀬駅 /因美線

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用瀬駅(もちがせえき)は、恒例行事の「用瀬流しびな」によって知名度の高い駅です。通常は特急列車は停車しない。ただし、旧暦の3月3日に行われる流しびなイベント時に一部の特急列車が臨時停車いたします。かつては急行停車駅でした。鳥取市用瀬地区の玄関駅、鳥取県鳥取市用瀬町用瀬にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)因美線の駅です。背後の山との間には千代川が流れ、駅前を通る古い街道沿いには民家や商店が建ち並んでいます。

島式ホーム1面2線を有し、列車交換が可能な地上駅。駅舎側とホームは鳥取寄りの構内踏切で連絡しています。駅舎側の1番線を上下本線、2番線を上下副本線とした一線スルーとなっており、通過列車は上下線ともその1番線を通過する。


木造駅舎が残っており、付け庇の先端には「JR」ロゴ入りの鬼瓦が鎮座しています。改札外に男女別の水洗式便所があります。駅舎内にはきっぷ売り場跡があります。JR転換後もしばらくは有人駅でしたが、信号自動化と前後して無人化(鳥取鉄道部管理の無人駅)されています。自動券売機が設置されています。

改札横には、伝統行事として知られる「流しびな」のモニュメントが設置されています。


用瀬駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■因美線 下り 智頭・上郡方面 一部2番のりば
2 ■因美線 上り 鳥取方面
通過列車は上下線とも1番線を通過するが、停車列車は原則として下りが1番線、上りが2番線を使用します。ただし、下り列車であっても、通過列車と行違いを行う場合など2番線に入る場合もあります。かつては側線も設置されていたようです。

もちがせ流しびな:旧暦の三月三日、少女たちが桟俵にのせた夫婦びなに、お菓子などを添えて流し、災厄を清流に放ちます。もちがせの流しびなは一年間無病息災で幸せに生活できますようにと願う民俗行事で、県無形民俗文化財に指定されています。流しびなは昔ひな人形を人の代わりに見立て、災いをその人形(ひとがた)にうつして川や海へ流す行事が現在の流しびなの起源です。古くは平安時代から行われてきたとされるこの行事は時代とともに変化しつつ現代に受け継がれています。流しびな行事が行われる際、用瀬の町中では、その家に古くから伝わるひな人形や、ひな人形にまつわるものなどを飾り、個人の家や玄関先を開放しており、楽しみながら町歩きができます。

1919年(大正8年)12月20日 - 因美軽便線(後の因美線)鳥取駅 - 用瀬駅間開業時に設置。当初は終着駅であった。
1922年(大正11年)9月2日 - 軽便線制度廃止により、因美軽便線が因美線に改称され、当駅もその所属となる。
1923年(大正12年)6月5日 - 因美線が当駅から智頭駅まで延伸、途中駅となる。
1928年(昭和3年)3月15日 - 因美南線開業に合わせ、因美線が因美北線に改称され、当駅もその所属となる。
1932年(昭和7年)7月1日 - 当駅を含む鳥取駅 - 津山駅間全通に伴い、因美北線が現在の因美線の一部となり、当駅もその所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。

電報略号 モチ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1919年(大正8年)12月20日
備考 無人駅(自動券売機 有)


因幡社駅 /因美線

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因幡社駅(いなばやしろえき)は鳥取市の南端、鳥取県鳥取市用瀬町宮原にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)因美線の駅です。全国にも珍しい理髪店駅のパイオニア、1970年に駅業務が理髪店に委託されたことで有名な駅です。

赤瓦の木造駅舎です。智頭方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を持つ地上駅(停留所)。かつては相対式ホーム2面2線であったが、片側の線路(2番線)は撤去されました。

そのため、現在は駅舎側の1番線ホームのみを智頭方面行きと鳥取方面行きが共用しています。元2番線のホームが撤去されずに残っています。古い便所がホーム上にあります。


駅舎の駅事務室スペースには理髪店が併設され、出札業務が簡易委託(常備券を発券)されており、月曜日が定休日になっています。広めの待合室にはFRP製の椅子が設置されています。駅の管理は鳥取鉄道部が行う。

1923年(大正12年)6月5日 - 因美線用瀬 - 智頭間延伸時に開業。
1928年(昭和3年)3月15日 - 因美南線開業に合わせ、因美線が因美北線に改称され、当駅もその所属となる。


1932年(昭和7年)7月1日 - 鳥取 - 津山間全通に伴い、因美北線が現在の因美線の一部となり、当駅もその所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。

電報略号 ヤロ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1923年(大正12年)6月5日
備考 簡易委託駅

 

 

 

 

土師駅 /因美線

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土師駅(はじえき)は、岡山支社管内では最北の駅です。鳥取県八頭郡智頭町大字三吉字又衛門田にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)因美線の駅。周囲はのどかな山村風景が広がります。

隣の智頭駅から北は米子支社鳥取鉄道部の管轄に変わります。指令上の境界は智頭駅です。1999年(平成11年)10月までは当駅および那岐駅も鳥取鉄道部管内でした。土師駅以南は普通列車のみの運行で本数も激減します。

単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。木造駅舎は解体され代わりにスチール製物置風の小さな待合所が建てられました。その背に駅名表示があります。駅前には広い跡地と駅前ロータリーがあり、道路沿いに古い住宅が建ち並んでいますが大きな商店等はありません。

津山駅管理の無人駅となっており、自動券売機や乗車駅証明書発行機も設置されていません。待合室の中にはFRP製の椅子が設置されています。棒線駅のため、津山方面行きと智頭方面行きの双方が同一ホームに発着します。

1932年(昭和7年)7月1日 - 鉄道省(国有鉄道)因美線智頭 - 美作河井間延伸時に開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。

電報略号 ハチ←ハジ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1932年(昭和7年)7月1日
備考 無人駅

 

 

液体式ディーゼル機関車:DD506

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日立製作所で製作された液体式ディーゼル機関車(50t機)です。

1968年2月の日立製作所製である。東水島 - 倉敷貨物ターミナル間の区間列車や駅構内の入換に充当されています。エンジンはDMF31SBの500psを1台搭載しています。今現在、民営の鉄道向けに納入された1エンジン機で現役で稼動している車両の一つです。

ディーゼル機関車は、ディーゼルエンジンを動力源とする機関車の事です。DL(Diesel Locomotive)とも呼ばれます。過去にはディーゼルエンジンと同じ内燃機関であるガソリンエンジンを使用した機関車も存在していたため、内燃機関を動力源とする機関車を一括して内燃機関車と呼んでいましたが、現在日本ではガソリン機関車は用いられていないため、日本の現役内燃機関車の全てがディーゼル機関車となっており、内燃機関車よりもディーゼル機関車の呼称のほうが一般に定着しています。

液体式(流体式)気動車の動力伝達にトルクコンバータ(日本では俗にトルコンと呼ばれる。以後トルコンと略)を用いた方式です。かつては液圧式と呼んでいたが、静油圧駆動方式が登場してから液体式と呼ばれるようになりました。この駆動システムは気動車での使用が一般的であるが、交流電源の整流技術が未発達の頃、クモヤ790形試作交流電車において、回転数の連続可変制御が難しい交流電動機、の段付き(トルク変動)を吸収するために用いられたこともありました。トルコンとは、比較的低粘度の液体(変速機油)を満たして密封したケースの中で、入力軸に油の流れを生むポンプインペラーと、出力軸に油の流れを受けるタービンランナーの二つの羽根車を向き合わせ、それぞれの中間に置かれたステーターと呼ばれる固定子でタービンランナーから戻る油を整流して、戻り油のエネルギーをポンプインペラー側に還元し、トルクを増幅する装置です。このトルク増幅作用が流体クラッチ・フルードカップリングと異なる点です。構造上、入力側と出力側の回転数の差が少なくなるとトルク増幅効果は薄れていき、固定されているステーターが流速の上がった戻り油に対して逆に抵抗となり始め、損失が増えていく。また、トルコンのみでは大きな変速比を得られないため、中・高速域での加速力と低燃費の両立を求められる近年の気動車では、トルコンに頼らない領域(直結段)で、2 - 4段の変速ギアと組み合わされて使われています。これらは、自動車の「オートマチックトランスミッション」と同様の構造と働きであり、遊星歯車機構を電子制御することにより、日本の機械式では果たせなかった多段変速機の総括制御を実現し ました。


国鉄初の量産液体式気動車であるキハ10系(写真は茨城交通に譲渡されたキハ11形)
1950年代に日本国有鉄道(国鉄)に採用され、2010年時点でも一部で使われている液体式変速機であるTC-2とDF115は、ともに戦前に設計された国外の製品を国産化したもので、運転席にある変速切替レバー(中立・変速・直結の3段切替)により、発進時にレバーを「中立」から「変速」に切り替えることにより直変クラッチ部の変速クラッチが作動してエンジンからの動力がトルコンに伝達され、フリーホイール(外輪と内輪の間にコロまたはスチールボールを挿入したもので外輪の回転がコロのくさび効果で内輪に伝達される機構)を経由して出力軸に伝達される。この状態が発進から中速までの速度域を受け持ち、中速から最高速まではレバーを「変速」から「直結」に切り替えることにより直変クラッチ部の直結クラッチが作動してエンジンからの動力を直結で出力軸に伝達を行っていたため、上記のような変速ギアを備えていなかった。両者の切り替え速度は共に45km/hであるが、その操作は運転士の判断による手動である。また、惰行時や制動から停止までは「中立」に切り替え、動力の伝達は行わない。そのため、特に入出力の回転差を吸収する機構が無く衝動が発生しやすい直結段での再力行時には、その時々の速度に応じ、中立位置で予めエンジンを適切な回転数に合わせる「空吹かし」(自動車の運転で言うダブルクラッチ)が必要となる。国鉄形気動車はコストダウンの必要からエンジン回転計は備わっておらず、スムーズな操作には相応の技量が求められる。


当時、機械式、電気式との比較で論じられていたこの方式の長所短所は、次のとおりです。
長所
気動車・小型機関車に使用する場合は、電気式よりも低コスト・軽量・コンパクトに仕上がる。電気式よりも軽量のため、軸重が軽く、支線へも入線することが可能である。
総括制御可能。
機械式よりも運転操作は容易。
同規模の電気式と比較して起動時の牽引力が大きい。
短所
変速機の構造が極めて複雑で高価である。
大量の変速機油が必要で、以前はシールの品質管理や組み付けも難点とされた。
トルコン内の滑り現象による損失が避けられず、動力伝達効率が80 - 85%程度と、電気式にやや劣る。
大出力エンジンへの適応性では、電気式に劣る
変速機油の過熱を抑える必要があるため、変速段のままでの長時間の力行に適さない。
鉄道用の液体式変速機は、1930年代にドイツやスウェーデンなどで開発された。日本では鉄道省で1936年から試験が行われていたが、戦時体制下での燃料統制もあって本格採用は遅れ、1953年の国鉄キハ44500形気動車から制式採用となった。以来、在来車の換装も含め、国私鉄を問わず日本のディーゼル鉄道車両のほとんどが液体式変速機を用いるほどの普及を示している。
世界的に、気動車や小型ディーゼル機関車に多く用いられるが、一時のドイツや日本では、大型ディーゼル機関車にも好んで使われた。多彩な方式があるが、日本で広く用いられているものは以下の2方式いずれかの系統に属する。

東水島駅 /水島臨海鉄道港東線

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東水島駅は、岡山県倉敷市潮通三丁目にある水島臨海鉄道港東線の貨物駅です。駅周辺は水島臨海工業地帯で、多くの大規模工場が集まっています。

地上駅。1面2線のコンテナホームのほか、数本の側線が引かれています。かつては、駅構内の西側から分岐し南へ向かう2つの専用鉄道が存在しました。先に開通したジャパンエナジー水島製油所への専用鉄道は、同製油所で生産されたガソリンなどの燃料油、潤滑油、ノルマルパラフィンなどの発送が行われていました。潤滑油発送は晩年まで続き、2003年ごろに廃止されました。

次に開通した三菱化学水島事業所への専用鉄道は、同事業所で生産されたアルデヒドなどの化学薬品の発送が行われていたが、1990年代に廃止されました。取り扱いはコンテナ貨物:12ftコンテナ、20ftコンテナ、ISO規格20ft海上コンテナと車扱貨物を取り扱います。

1962年(昭和37年)7月1日 - 倉敷市営鉄道の日鉱前駅として開業。

駅名の「日鉱」は、駅南側にあるジャパンエナジーの前身、日本鉱業の略称である。

1969年(昭和44年)7月1日 - 日本鉱業専用鉄道運輸開始。

1970年(昭和45年)4月1日 - 水島臨海鉄道に譲渡。

1971年(昭和46年)10月 - 三菱化成(現・三菱化学)専用鉄道運輸開始。

1972年(昭和47年)3月15日 - 0.3km東へ移転、東水島駅に改称。コンテナ貨物の取扱を開始。

 

所属路線港東線

キロ程3.6km(水島起点)

駅構造地上駅

開業年月日1962年(昭和37年)7月1日

備考貨物専用駅

 

三菱自工前駅 /水島臨海鉄道

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三菱自工前駅は、岡山県倉敷市水島海岸通二丁目にある、水島臨海鉄道の駅。周辺はすべて三菱関連の工場で民家、商店はありません。水島本線旅客営業の終点で、西埠頭線の分岐駅。

三菱自工前駅を発着する旅客列車は朝夕の通勤時間帯のみの運行でしたが、2007年3月18日のダイヤ改正以降昼間時間帯も一部列車が発着するようになりました。三菱自動車工業水島製作所への通勤客・用務客がほとんどです。

単式ホーム1面1線を持つ地上駅です。ホームの幅は大変狭い。ホームへはスロープでの連絡になっています。高いホーム上屋には折り畳み式のベンチがずらりと並べられています。無人駅です。旅客営業は当駅までですが、この先倉敷貨物ターミナル駅まで貨物線が延びています。

1972年(昭和47年)9月17日 - 開業。

1983年(昭和58年)4月1日 - 西埠頭線の起点が水島駅から当駅に変更。

2007年(平成19年)3月18日 - 昼間時間帯にも一部列車の運行開始。

開業年月日1972年(昭和47年)9月17日

乗入路線 2 路線

所属路線水島本線

キロ程10.4km(倉敷市起点)

◄水島 (1.2km)(0.8km) 倉敷貨物ターミナル►

所属路線西埠頭線

キロ程0.0km(当駅起点)

 

 

 

 

小森江駅 JR九州鹿児島本線

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小森江駅は、JR化後最初のダイヤ改正で設置された駅ですが、戦前には下関からの貨物航路が当駅付近に就航し、貨車の積み卸しが行われていました。丁度山陽本線が地中にて九州に「上陸」する地点、福岡県北九州市門司区小森江三丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅です。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。駅舎は三角屋根の二つの母屋を連ねたような鉄骨造平屋。高速痛か列車の心配をする必要がないせいか、上りホームと駅本屋とは門司側にある構内踏切で連絡しています。簡易ホームですが車椅子用のバリアフリー対策は施されています。各設備は屋内ではなく、軒下にあります。駅前にはロータリーはありますが狭く、また市立の大きな病院が近く、その駐車場の方が幅を利かせています。

のりば
1 ■鹿児島本線(下り) 小倉・折尾・博多方面
2 ■鹿児島本線(上り) 門司港行き


九州交通企画が駅業務を行う業務委託駅です。また、マルスは無いがPOS端末機が設置されています。窓口は早朝、深夜は営業していません。事務室と待合室の間にある改札口には自動改札機、簡易型が設置されています。SUGOCAは、「無記名式SUGOCA乗車券」のみを自動券売機で発売。JRの特定都区市内制度における「北九州市内」の駅です。

1988年(昭和63年)3月13日 - 九州旅客鉄道が開設。
なお旅客駅の開設は昭和末期だが、1911年(明治44年)から1942年(昭和17年)までの間は下関駅まで関森航路という貨物専用鉄道連絡船が開設され貨車を上下し作業をしていた。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 コモ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,593人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1988年(昭和63年)3月13日
備考 業務委託駅

倉敷貨物ターミナル駅 /水島臨海鉄道水島本線

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倉敷貨物ターミナル駅(くらしきかもつターミナルえき)は、岡山県倉敷市水島西通二丁目にある水島臨海鉄道水島本線の貨物駅です。貨物駅だが車両基地が併設されており、旅客列車用車両が乗り入れています。

私鉄とは思えない広大な操車場です。駅周辺は水島臨海工業地帯で、多くの大規模工場が集まっている場所です。

地上駅。水島臨海鉄道の車両基地や運転区、CTCセンターが構内に置かれています。

車両基地の南側に、三菱自動車水島新車点検物流センターが置かれています。ここでは沿線にある同社水島製作所で生産された自動車にカーオーディオなどのオプション用品を取り付ける作業が行われており、一部の軽自動車は併設されたモータープールから12フィートコンテナに積載され、鉄道輸送されています。

なお、当駅は車扱貨物のみを取り扱っている。コンテナ貨物は取り扱っていないため、軽自動車搭載のコンテナは東水島駅発送扱いとされます。

また、駅西側へ伸びるJFEスチール西日本製鉄所倉敷地区への専用鉄道が残っています。現有の気動車やディゼル機関車の数々を見ることが出来ます。JRから譲り受けたキハ20型気動車を国鉄色に塗り直したキハ20型203・205の連結車など。

1965年(昭和40年)8月20日 - 倉敷市営鉄道の川鉄前駅が開業。

駅名の「川鉄」は、駅西側にあるJFEスチールの前身、川崎製鉄の略称である。

1970年(昭和45年)4月1日 - 水島臨海鉄道に移管。

1983年(昭和58年)4月1日 - 倉敷貨物ターミナル駅開業。川鉄前駅廃止。

1996年(平成8年)5月14日 - 当駅発の軽自動車輸送開始。

1998年(平成10年)9月1日 - 水島新車点検物流センター完成。

所属路線水島本線

キロ程11.2km(倉敷市起点)

駅構造地上駅

開業年月日1983年(昭和58年)4月1日

備考貨物専用駅、車両基地併設。

 

 


艦載救難作業車P-25J 護衛艦いせ

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艦載救難作業車P-25J

艦上での航空機の事故時に速やかに人命を救助するとともに、航空機および艦の被害を局限する目的で使用されます。いよいよ最期時はこの作業車でヘリを海へ押し出し落とすとの事です。

走行性能
速度       約24Km/h
制動時停止距離  約9m
旋回クリアランス 約11m
エンジン ディーゼル(6700cc)
総重量      8.55t
サイズ           4.75×1.78×1.63(m)

車載消化装置
ターレットノズル      約1892.5L/mini(500g/mini)
ハンドライン        約360L/mini(95g/mini)
AFFFタンク       約227L
水タンク          約2839L
AFFF油圧タンク     約26L
水ポンプヒーター循環タンク 約6L

12月19日(木)のつぶやき

水島駅 /水島臨海鉄道

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水島駅は倉敷市水島地域の代表駅です。岡山県倉敷市水島東千鳥町にある、水島臨海鉄道の駅。周囲は住宅が減り、工場等が増えてくる。日中時間帯と夜間の一部列車は当駅で折り返しとなります。

島式ホーム1面2線の高架駅。ホーム三菱自工前駅方には、乗務員詰所があります。ホーム下コンコースから直通のエレベーターが設置されています。貨物用の側線があります。券売機のほか日中のみ有人駅で定期券等が発売されています。

高架下にトイレが、ホーム上と高架下に待合室があります。高架下の待合室には長椅子が少数設置されるのみ売店などはありません。逆にホーム上屋下には多数の椅子が設置されています。駅前にロータリーがありタクシーの待ち合わせがあります。駅前には小さいながらもバスターミナルがあります。出張需要もあるようで、空港行きのバス路線(下電バス)も発着します。高架下には「パークアンドライド」用、10台分の鉄道利用者専用駐車場があり通勤定期利用者は月1,000円〜1,500円で駐車可能です。市街地中心からは離れた立地ですが、倉敷市駅に次いで利用は多く、中間駅では唯一の有人駅となっています。

1992年に高架化されるまでは、単式ホーム1面1線+貨物通過用1線の地上駅で、終日無人です。また、駅の南側の国道430号と交わるところにあった踏切は有人式でした。瀬戸大橋開通以前は、駅南方の水島港から三洋汽船の丸亀行きのフェリーが運航されており、全国版の時刻表に当路線が港へのアクセスとして掲載されていました。

1948年(昭和23年)8月20日 - 開業。

1952年(昭和27年)4月1日 - 倉敷市が水島工業都市開発から施設譲受し、倉敷市交通局の駅となる。

1970年(昭和45年)4月1日 - 水島臨海鉄道が倉敷市交通局から施設譲受し、水島臨海鉄道の駅となる。

1983年(昭和58年)4月1日 - 西埠頭線の起点が当駅から三菱自工前駅に変更。

1992年(平成4年)9月7日 - 高架化事業完成。これに伴って日中に限り駅員が配置される。

駅構造高架駅

ホーム1面2線

乗車人員

-統計年度-453人/日(降車客含まず)

-2009年-

乗降人員

-統計年度-1,267人/日

-2009年-

開業年月日1948年(昭和23年)8月20日

乗入路線 2 路線

所属路線水島本線

キロ程9.6km(倉敷市起点)

◄常盤 (0.6km)(1.2km) 三菱自工前►

所属路線港東線

キロ程0.0km(当駅起点)

常盤駅 /水島臨海鉄道水島本線

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常盤駅は、岡山県倉敷市水島東常盤町にある、水島臨海鉄道水島本線の駅です。

駅前にはスーパーがある。商店もあるが、飲み屋、スナックなどが比較的多い。周囲は住宅地と商業地が混在して商店街は駅西側に東側はほとんど住宅地です。

単式ホーム1面1線の駅舎のない高架駅です。無人駅である。地上からホームに直結した出入り口があります。ホームから水島駅と栄駅が目視できます。階段降り口の脇はそのまま側道が通っており、広場のようなスペースは特に設けられていません。ホームの幅はかなり狭い。高架下には駐輪場があります。

1992年(平成4年)9月7日 - 開業。

所属路線水島本線

キロ程8.6km(倉敷市起点)

駅構造高架駅

ホーム1面1線

乗車人員

-統計年度-101人/日(降車客含まず)

-2009年-

乗降人員

-統計年度-278人/日

-2009年-

開業年月日1992年(平成4年)9月7日

備考無人駅

 

 

大型破壊機救難消防車 A-MB-3

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破壊機救難消防車は、航空自衛隊における空港用化学消防車の呼称です。飛行場を持つ基地に配備され、基地業務群施設隊消防小隊によって運用されています。

大型破壊機救難消防車とも呼ばれており、自衛隊最大の消防車。航空機事故等に対処する為に開発された高性能消防車で火災消火や人命救助にあたります。8輪駆動車で高い機動性を持ち キャビン上の放水銃はコクピット内から操作出来ます。2011年福島第一原子力発電所事故での放水にも出動しました。

乗員 5人
車輌重量 31,520kg
最大積載量 11,150kg
全長 11,950mm
全幅 3,100mm
全高 3,780mm
最高速度 100km/h
登坂能力 tanΘ0.62
最小回転半径 11.9m
タンク容量 300リットル
エンジン 形式:RH10E 気筒数:V10×2 総排気量:26,507cc×2 最高出力:450ps/2,200rpm×2
トランスミッション 形式:常時噛合式 変速段数:前進4段、後進2段
製作 東急車輌製造
備考 新型航空機に対する消火及び人命救助用に1989年度から配備された。A-MB-1、A-MB-2に比べてずいぶん未来的なデザインの車輌である。
不整地走行可能なシャシー(全輪駆動8×8、リヤエンジン900ps)に耐蝕アルミニウム軽合金製構造ボディーを架装した国内最大の空港用化学消防車として、東急車輌製造が製造している。消火装置は運転室内からの遠隔油圧操作方式で、事故機に追随しながらの放水が可能となっている。水槽容量は12,500リットル、薬液槽容量は850リットルで、最大射程80m・吐出量6000/3000リットル切替式のターレットノズルを装備している。

 

Mk 38 25 mm 機関砲 ブルーリッジ装備

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アメリカ海軍の艦載機関砲システム。1門のM242 25mm機関砲とMk 88銃架から構成されており、また、mod 2では光学照準装置も追加されています。
1977年、アメリカ海軍はそれまで使用していたMk 10 20mm機関砲およびMk 16 20mm機関砲の更新が必要であると考えるようになりました。この時期までに、既に対空射撃能力に優れたMk 15 20mmCIWSが導入されていたことから、対水上射撃能力が重視されることとなった。この要求に基づいて開発されたMk 38 mod 0の配備は1986年に開始されました。


Mk 38で採用されたM242機関砲は、陸軍のM2ブラッドレー歩兵戦闘車で既に採用されていたもので、外部動力によりチェーンを介して駆動させる、いわゆるチェーンガンです。発射速度は高くないが、信頼性に優れている優秀な機関砲です。

初期のMod 0, Mod 1は、簡素な人力操作式で、照準・操作の両方が砲側の射撃員によって行われます。現在では、イスラエルのタイフーンシステムを元にした改良型のMod 2の配備が開始されています。Mod 1からの変化は給弾機構を改良し、電子照準装置や測距装置を備え、砲塔を安定化して遠隔操作式となった。日本の海上保安庁の20 mm RFSに類似した性格を持ち、艦艇から洋上の脅威(小型高速艇、機雷、沿岸の敵部隊等)に対して射撃を加えることができる。近年、特に洋上対テロ用途のため、戦闘艦艇・補助艦艇に幅広く搭載されています。
また、サイクロン級哨戒艇の主兵装として、Mk 96が開発されました。遠隔操作式の砲塔は安定化されています。そのほか、発射速度を上昇させたMk 46 Mod 0というタイプが開発され、MH-60Sナイトホーク・ヘリコプターに搭載されて空中から機雷を探知・撃破するRAMICS(Rapid Airborne Mine Clearance System)計画に使用されます。

 

南小倉駅 JR九州日豊本線

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南小倉駅は、小倉北区の南西部、福岡県北九州市小倉北区木町三丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。付近には大学や高等学校が多く存在し朝夕は通勤者や通学者が多い。特に朝夕は多数の通学客で賑わいます。

元々は第二次大戦直前に山田弾薬庫(現・山田緑地)への専用線を敷設した際、その分岐点に設置された信号場がこの駅の前身です。その専用線は現在廃止され、末端部分を除きその跡地のほとんどが道路になっています。


城野駅から日豊本線に乗り入れる日田彦山線の列車の利用も可能です。なお日豊本線の快速列車は全て停車するが、日田彦山線の快速列車は停車しません。

島式ホーム1面2線を持つ地上駅で橋上駅舎を備える。屋根上の灯り取り窓がある平屋のコンクリート駅舎です。駅舎は特に外界とは遮断されていないオープンな構造です。1番のりばが日豊本線下りおよび日田彦山線直通、2番線が日豊本線上りです。ホーム幅はそれほど広くなく、ラッシュ時はかなりの混雑となります。下り方に簡易改札機と券売機のある臨時改札口があります。

のりば
1 ■日豊本線 (下り) 城野・行橋・大分方面
    ■日田彦山線     田川後藤寺・日田方面
2 ■日豊本線 (上り) 小倉・門司港・下関方面


九州交通企画が駅業務を遂行する業務委託駅で、みどりの窓口が設置されています。
自動改札機を備え、ワイワイカード・SUGOCAの使用が可能。なお、城野駅方面にある臨時改札口の自動改札機は当初簡易型が導入されていました(2011年、JR九州標準の自動改札機に変更された)。

改札口にはLED式の発車案内が設置されています。駅構内にコンビニエンスストア「生活列車」が1992年3月に開店したが、2001年(平成13年)7月に閉店しました。

1941年(昭和16年)8月20日 - 運輸通信省が南小倉信号場を設置。
1943年(昭和19年)10月1日 - 駅に昇格し南小倉駅として旅客取り扱い開始、但し定期券利用の乗降客のみ扱った。
1944年(昭和19年)12月1日 - 切符利用の乗降客も利用出来るようになる。
1970年(昭和45年)11月1日 - 山田弾薬庫専用線の使用中止。
1973年(昭和48年)7月31日 - 山田弾薬庫専用線廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2008年(平成20年)3月17日 - エレベーター設置。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 ミコ←ミコラ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 5,155人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1944年(昭和19年)12月1日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有
北九州市内駅

 

 


栄駅 /水島臨海鉄道水島本線

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水島臨海鉄道水島本線の栄駅(さかええき)は、岡山県倉敷市水島東栄町にあります。周辺は住宅地と商業地(会社など)がひろがるばかりで、それほどの賑わいはありません。

駅前広場は整備されていて大きなモニュメントがあります。

単式ホーム1面1線の高架駅。無人駅ですが階下には駅舎が設置されています。駅舎内にはゴミ箱、公衆電話、自販機があります。

1992年に高架化される以前の地上駅時代は相対式ホーム2面2線+中線1線であり、列車はこの駅で行き違いを行っていました。ホームからは弥生駅と常盤駅を目視することができます。


ホームへのエレベーターが備わっています。なお、地上にはトイレも完備されています。高架下には5台分の鉄道利用者専用駐車場と駐輪場が確保されています。

1986年(昭和61年)3月3日 - 開業。
1992年(平成4年)9月7日 - 高架化事業完成。

所属路線 水島本線
キロ程 8.2km(倉敷市起点)
駅構造 高架駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 161人/日(降車客含まず)
-2009年-
乗降人員
-統計年度- 418人/日
-2009年-
開業年月日 1986年(昭和61年)3月3日

 

 

弥生駅 /水島臨海鉄道水島本線

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弥生駅は、岡山県倉敷市水島東弥生町にある、水島臨海鉄道水島本線の駅。駅の周囲はほとんど住宅地です。駅前は整備され緑地帯やモニュメントがあります。

相対式ホーム2面2線の高架駅。無人駅ですが開業時に設置された古参駅です。駅舎はなく、それぞれのホームに直結した出入り口、階段があります。

エレベータなどバリアフリー設備は設置されていません。ホームには長い上屋、屋根があります。その上屋下には椅子が設置されています。高架下には駐輪場があり掲示板に時刻表と運賃表が掲示されています。


1992年に高架化される以前の地上駅時代は1面1線であり、交換設備は隣の栄駅にありました。貨物列車の交換を考慮してか、駅の有効長はかなり長く取られています。

1948年(昭和23年)8月20日 - 開業。
1952年(昭和27年)4月1日 - 倉敷市が水島工業都市開発から施設譲受し、倉敷市交通局の駅となる。
1970年(昭和45年)4月1日 - 水島臨海鉄道が倉敷市交通局から施設譲受し、水島臨海鉄道の駅となる。
1992年(平成4年)9月7日 - 高架化事業完成。

駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 202人/日(降車客含まず)
-2009年-
乗降人員
-統計年度- 477人/日
-2009年-
開業年月日 1948年(昭和23年)8月20日
備考 終日駅員無配置駅

 

 

 

浦田駅 /水島臨海鉄道水島本線

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浦田駅は、岡山県倉敷市福田町浦田にある、水島臨海鉄道水島本線の駅です。駅前を交通量の多い県道福田老松線(通称:大高街道)が走り、都計道路の三田五軒屋海岸通線・江長高架橋と立体交差によって連絡しており、下津井電鉄「浦田駅前」バス停もあるなど交通の便に恵まれている場所です。県道とは用水路一本隔てた所に駅がある形です。

かつて当駅北400mに位置した五軒屋駅は1976年に廃止となり移転し改名開業した形といえます。
単式ホーム1面1線の地上駅。無人駅である。駅舎はなく、ホームに待合所が設置された簡易駅。列車は整理券使用のワンマン運転の為、乗車駅証明書発行機等もありません。

ホームに一部上屋屋根があります。ホーム上屋下の待合所にはFRP製の椅子が少数設置されています。駅南には駐輪場が設置され大勢の方が利用されている様子です。

1988年(昭和63年)3月13日 - 開業。

駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 278人/日(降車客含まず)
-2009年-
乗降人員
-統計年度- 597人/日
-2009年-
開業年月日 1988年(昭和63年)3月13日
備考 無人駅

 

 

 

SH-60F オーシャンホーク 米海軍 第51軽対潜ヘリ飛行隊第11分遣隊(DET-11)

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アメリカ海軍 厚木基地に駐屯する第51軽対潜ヘリ飛行隊第11分遣隊(DET-11)のSH-60F オーシャンホーク。SH-60は当初、駆逐艦などに搭載されるLAMPS Mk IIIの多目的ヘリコプター、SH-60B シー・ホークとして開発されました。その後、派生型として、航空母艦搭載の艦上対潜哨戒用としてSH-60F オーシャンホークが開発。

1987年より配備されはじめたSH-60F オーシャンホーク。これは、SH-3H シーキングの後継として航空母艦に搭載され、空母戦闘群周辺での対潜作戦を担当する、いわゆるCVヒーロー(HELO)である。前任機のシーキングは各国で長く使用されている名機であったが、SH-60Fは、より小型でありながら、それよりも優れた飛行性能を備えています。
CV HELOは、正式名称を空母内側ゾーン対潜ヘリコプター(Aircraft Carrier Inner Zone Anti-Submarine Warfare Helicopter)と称し、空母戦闘群の護衛艦、およびそれらが搭載するLAMPSヘリコプターの対潜バリアーを突破してきた潜水艦を撃破することを目的としている。従って、その担当水域は比較的狭く、かつ、護衛艦部隊の警戒をかいくぐれるような敵は静粛性に優れていることが予想されるので、対潜センサーとしては、アクティヴ・モードのディッピングソナーを使用します。また、ディッピングソナーは、ソノブイよりも目標捕捉精度が高い(方位解析精度3度、測距精度45メートルと言われる)ため、敵潜水艦が近ければ、ソナー探知に続いて即座に攻撃を行なうことができるが、これは、空母という護衛対象が間近にいることを考えると、極めて重要な特性です。
SH-60Fは、基本的にSH-60Bをベースとしてはいるが、このように求められる任務が異なるので、設計変更された部分も多い。まず、LAMPS Mk III用の電子装備に代わり、内側ゾーン用の対潜アビオニクスが搭載され、ソノブイ投射機はAQF-13ディッピングソナーに変更された。ディッピングソナーの運用に対応して、自動操縦システムのプログラムも書き換えられており、例えば前進飛行から、より迅速にホバリングに移れるようになりました。また、対水上捜索も不要なので、APS-124レーダーも撤去されたが、これは外見からSH-60BとSH-60Fを区別するための重要な識別点です。さらに、駆逐艦などよりはるかに安定した空母の飛行甲板で発着するので、RASTも撤去されました。

また、多目的の使用を考慮しなくて良いため、航続距離延長のために機内に燃料タンクが増設され、空母から50 kmを進出して、100ノットでの移動とホバリングしてのソナー吊下げを繰り返しつつ、10パーセントの燃料を残して4時間の作戦行動が可能となっています。ただし、空母搭載機の事故などの際に捜索救難を実施するため、救助ホイストは残されています。

エンジン: ゼネラル・エレクトリック T700-GE-401C ターボシャフトエンジン × 2,
全長: 19.76m 幅:2.36m
ローター全長: 16.36m
最大速度: 334 km/h 
最大航続距離: 6000 km
馬力:1662軸馬力


福井駅 /水島臨海鉄道水島本線

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水島臨海鉄道水島本線の福井駅は、岡山県倉敷市福井にある駅です。駅周辺は住宅と農地が混在し、工場や学校もあり、沿線では比較的閑静な場所にあります。駅のすぐ横にJFEの関連会社の社宅もあります。

単式ホーム1面1線の地上駅。無人駅である。駅舎、待合室はない。ホーム上にはわずかに屋根がある。
平成に開業した新参駅ですが、最寄に位置する高校への通学利用が多く、乗降客数は線内でも多い。立地には余裕がなく、駅前広場はありません。ホームの幅は狭くホームとは柵で仕切られています。駅前には駐輪場が窮屈な感じで設置されています。ホーム上屋下の待合所にはFRP製の椅子が設置されています。


1989年(平成元年)3月29日 - 開業。

駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 324人/日(降車客含まず)
-2009年-
乗降人員
-統計年度- 644人/日
-2009年-
開業年月日 1989年(平成元年)3月29日
備考 無人駅

 

 

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