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ロータリーエンジン

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ロータリーエンジン(Rotary engine)とは、一般的なレシプロエンジンのような往復動機構による容積変化ではなく、回転動機構による容積変化を利用して、熱エネルギーを回転動力に変換して出力する原動機である。

ドイツの技術者フェリクス・ヴァンケルの発明による、三角形の回転子(ローター)を用いるオットーサイクルエンジンが実用化されている。ヴァンケル型ロータリーエンジンとレシプロエンジンとでは構造は大きく異なるが、熱機関としては同等に機能する。

 

ロータリーエンジンの研究は原理的には古くから行われてきたが、その中で唯一実用化されたいわゆるヴァンケルエンジンは、1957年に西ドイツ(当時)のNSU社とWankel社との共同研究により開発に成功した。
レシプロエンジンとは基本的に大きく異なる構造を持っており、エンジン本体にピストンのような往復運動部はなく、ローターの回転運動のみで動作している。またロータリーエンジンの吸気および排気のポートは、ハウジングの側面に設けられた孔がローター自体により開閉されるため、一般的な4ストロークレシプロエンジンのような、往復動する吸排気バルブやこれを開閉するカムシャフトなどの動弁系は必要ない。
4ストロークレシプロエンジンと同様にオットーサイクルやディーゼルサイクルでの熱力学的動作が可能だが、実用化されたのはオットーサイクルのガソリン燃料火花点火機関であり、ガソリンに代えて水素燃料を使える物も試作されている。ロータリーエンジンの性能基準となる「エンジン回転数」は、ローターではなくエキセントリックシャフトの回転数であり、これが4サイクルレシプロエンジンのクランクシャフト回転数に相当する。ロータリーエンジンは1ローター当たり、エンジン回転数1回転に1回単室容積分の空気を吸入するため、1気筒当たり、エンジン2回転に1回単気筒容積分の空気を吸入する4サイクルレシプロエンジンの2倍の吸気回数を持つ。すなわち、ロータリーエンジンの実質吸気量は「単室容積xローター数x2」となる。ロータリーエンジンデビュー期のモータースポーツにおいては、この考え方により、ロータリーエンジンの排気量に係数を掛け、その値をレシプロエンジンの排気量区分に当てはめていた。しかし実際問題としてロータリーエンジンの出力は「単室容積xローター数x1.5」程度の換算吸気量のレシプロエンジンと同等でしか無いため、日本においては自動車税課税時の排気量区分は「単室容積×ローター数×1.5」として換算される[2][注釈 3]。レシプロエンジンの2倍の空気(と燃料)を吸入しながら出力は1.5倍しか得られないため「燃料消費率が3割悪い」という素性を持ち、特にモータースポーツ分野においては燃料タンク容量や燃料消費に伴う車重変化まで考慮するとレシプロエンジンとの平等な排気量換算は不可能である。そのため競技の性格(スプリントか耐久か)によって異なる換算係数が用いられたり、またF1などのように使用を認めない競技がある。
ロータリーエンジンとして「ヴァンケルエンジン」のみを指す場合も多く、また「回転ピストン型エンジン」、時には「ピストンレスエンジン」と呼ばれることもある。自動車用としては、日本ではヴァンケルエンジンを指して「ロータリーエンジン」(「RE」と略記される)と呼ぶことが一般的であるが、それ以外では「Rotary engine」とも、あるいはより限定的に「Wankel engine」とも呼ばれる。航空機用として「ロータリーエンジン」と呼ぶときは、星型エンジン本体(シリンダー側)がプロペラとともに回転し、クランクシャフトは固定されている構造の回転式レシプロエンジンを意味する場合と、本項のヴァンケルエンジンを意味する場合とがある。
なお、ガスタービンエンジンも本項のロータリーエンジンと同様に回転運動により出力を得ているが、これは速度型の内燃機関であり、容積型内燃機関であるロータリーエンジンとは別に分類される。

構造
構成
ロータリーエンジン本体の構成部品の概略。燃料供給系・吸排気系・潤滑系・冷却系・電気系などは、一部構造は異なりながらもレシプロエンジンと同様に別途設けられるが、上述のとおりローター自体が弁機能を呈するので動弁系は不要である。なお相当部品名は、レシプロエンジンに対するものである。
ローター
ピストンとコネクティングロッドに相当するもので、ローターハウジングのトロコイド曲線に内接する3葉の内包絡線で構成された、三角形(ルーローの三角形)をしたもの。中心にはローターベアリングを介してエキセントリックシャフトがはめられる丸い穴部があり、その縁にはサイドハウジングのギヤ部とかみ合う内歯の歯型(インターナルギヤ)が設けられている。
シール
ピストンリングに相当し、ローターに取り付けられている。ピストンリングは通常2-3本で円筒面に対し気密を保つが、ロータリーエンジンのシール類は数も多く、平面に対して長い範囲で気密を保ちながら摺動しなければならない。
アペックスシール
ローターの各頂点に取り付けられ、隣接する作動室との気密を保つ。ペリフェラルポートの場合は、吸排気バルブにも相当する。
サイドシール
ローターの側面とサイドハウジングとの間の気密を保つ。
コーナーシール
アペックスシールとサイドシールとのつなぎ目で気密を保つ。
オイルシール
ピストンリングではオイルリングに相当し、作動室への潤滑油の余分な流入を防ぐ。
エキセントリックシャフト
クランクシャフトに相当するもので、それと同様にエンジンからの出力軸となる。ローターの取り付く位置のみ芯がずれて太くなっている偏心軸である。右下の動作図ではローター中央の白い部分がこの偏心部で、サイドハウジングに通される回転軸は図中のBの位置となる。
ハウジング
シリンダーやシリンダーヘッドに相当し、点火プラグの取り付け部や吸排気ポートが設けられている。
ローターハウジング
内側面が2ノードのペリトロコイド曲線というまゆ型であり、この内部でローターやエキセントリックシャフトの偏心部が回転する。ローターおよびサイドハウジングとともに燃焼室を構成する。吸排気ポート側と向かい合うくびれ部分(右下図では右側中央)に点火プラグが取り付けられるが、縦長の燃焼室となるために多くはツインプラグとされ、市販以外では3プラグの採用例もある。
サイドハウジング
ローターハウジングの側面(右下図の手前および奥の面)をふさぐものである。エキセントリックシャフトの回転軸が通る部分があり、ローターに接する面のその部分の周囲には、外歯のステーショナリギヤ(右下図の茶色のもの)が突起状に固定され、これがローターの内歯とかみ合う。ローターのギヤとステーショナリギヤとの歯数比は3:2である。

動作
エキセントリックシャフトの偏心部がローターの穴に通されていて、エキセントリックシャフトの回転によりその軸心のまわりをローターが公転するが、この両者間では自由に回転できるようになっている。ローターが自転1回転の間に3回公転、すなわちエキセントリックシャフトが3回転するように、またローターの各頂点がローターハウジングのトロコイド面をなぞるように、シャフトとローターの偏心量やローター中心からアペックスまでの距離が設計されている。また、ローターとシャフトの位相がずれて回転不能にならないようにサイドハウジングとのギヤのかみ合いによって制御されている。
ローターとローターハウジングの間の作動室容積は、ローターの1回の自転の間に拡大と縮小を2回ずつ生じるが、この間に4ストロークエンジンがクランクシャフト2回転で行うのと同様の工程(オットーサイクル)を1サイクル実行する。このサイクルがローターの3辺の上で位相をずらしてそれぞれ進行しているので、ローターの自転1回、すなわち公転3回の間に3回の燃焼・膨張行程がある。ローターの自転運動ではなく公転運動がエキセントリックシャフトを回転させて出力となる。
4ストロークレシプロエンジンと比較すると、
1回の燃焼・膨張行程に要する出力軸の回転数は、ロータリーエンジンでは1ローターあたり1回転であり、対して4ストロークレシプロエンジンでは1気筒あたり2回転である。
1つのオットーサイクルに要する出力軸の回転数は、ロータリーエンジンでは3回転(1080°)であり、対して4ストロークレシプロエンジンでは2回転(720°)である。
ロータリーエンジンの「吸気」「圧縮」「膨張」「排気」の各行程は270°(1080÷4=270)あり、対して4ストロークレシプロエンジンでは180°(720÷4=180)である。
ロータリーエンジンの各行程は270°と長いため、複数ローター間の膨張行程の重なりが4ストロークレシプロエンジンより多い。これによりロータリーエンジンのトルク変動(慣性トルク)は4ストロークレシプロエンジンより少なくなり、2ローター(4ストロークエンジンの4気筒に相当)でも6気筒並み、3ローター(4ストロークエンジンの6気筒に相当)で8 - 12気筒並みの滑らかさとなる。
吸排気ポート
ハウジングに設けられる吸排気ポートは、その位置・形状により分類される。
基本となるポート
サイドポート
サイドハウジングに設置されたポート。ローターが回転しガスを吸排気する方向とポート口の方向が90度曲がっているため、抵抗が増えて効率に難があり、また排気ポートに採用した場合は、曲がり角となる排気ポート周辺に熱だまりが起こりすすも発生しやすい。その一方でポート位置・形状の自由度は高く、オーバーラップ(ひとつの作動室に吸気・排気の両ポートが同時に開いている時間)を小さく抑えることが可能なため、低回転での安定回転やトルクを確保しやすい。ただし外周寄りの位置でローター回転方向にポートを拡大(レシプロエンジンでのバルブカム作用角の拡大に相当)した場合には、ローターの頂点がポート上を通過するようになって隣接する作動室同士がつながってしまうこともある。吸気ポートとしては、マツダの大多数の市販車用エンジンに採用されている。「RENESIS」13B-MSPエンジンでは排気もサイドポートとして、ゼロオーバーラップを実現している。
ペリフェラルポート
ローターハウジングのトロコイド面に設置されたポート(右上図の通りの位置)。高回転での吸排気効率に優れた形式であるが、ローターの頂点がポートを通過するときに隣接する作動室とつながり、また吸排気ポートのオーバーラップを小さくできず、吸排気間の吹き抜けを起こしやすい。結果として排出ガス値や燃費の悪化を招く。上記13B-MSPを除くほとんどのエンジンで排気ポートに採用され、吸気ポートでは主に競技用エンジンに採用されるほか、NSUのエンジンなどにも採用例があった。
応用的なポート
クロスポート/コンビネーションポート
低回転用のプライマリー(サイドポート)と高回転用のセカンダリー(ペリフェラルポートの場合もある)の2つの吸気ポートを組み合わせたもの。高回転時に吸気系内の制御でセカンダリーポートを機能させることで、ポートタイミングの最適化とともにポート面積が拡大される。
ブリッジポート
吸気サイドポートの一種であり、競技用エンジンやチューニングなどで出力向上のためにサイドポートをハウジング外側へ拡大(レシプロエンジンでのバルブ径やバルブリフトの増加に相当)した場合に、アペックスシールやサイドシールの破損や脱落を防ぐ目的でシールの通過位置のみにサイドハウジング内壁を残したものである。残された内壁部分がポートにかかる橋のように見えるので、ブリッジポートと呼ばれる。
オギジュアリーポート
Auxiliary port、すなわち補助ポート。13B-MSP(6PI仕様)が採用した3番目の吸気サイドポートや、上記ブリッジポートで分割されたポートの一方などの呼称で、主に高回転域での吸気量増大に寄与し、さらなる出力向上を目的として追加されたポートである。ブリッジポートの一方をローターハウジングのトロコイド面にまで広げ、なかばペリフェラルポートとした競技用エンジンも存在し、このようなポートをオギジュアリーポートとしている場合もある。

長所・短所
4ストロークレシプロエンジンとの比較で、長所・短所がある。

長所
同程度の出力で比較すると、冷却装備を考慮しても軽量且つコンパクトである。エンジン搭載位置の自由度が高くなり、ミッドシップレイアウトに頼らずとも均等な前後重量配分で低慣性モーメントのスポーツカーを、軽量・コンパクトに仕上げることが可能である。また、搭載自由度の高さは電気自動車のレンジエクステンダーなどにも向く。
出力軸1回転あたりの燃焼回数が2倍となるため、同じ総排気量でも出力が高い。
ローターの公転運動をともなってはいるが偏心量は小さく、低振動・低騒音(機械騒音)である。
同回転数で1サイクルの時間が1.5倍となり、上記燃焼回数の増加と合わせてトルク変動が小さく、エンジンの回転が滑らかである。
動弁系がないためエンジン本体の部品点数が少なく、またバルブ駆動に伴う摩擦損失がない。
燃焼温度が低いためノッキングしにくく、燃料のオクタン価の影響を受けにくく、ある程度粗悪な燃料にも耐える。
燃焼温度が低いため、排気ガス中の窒素酸化物(NOx)濃度が低い。
短所
燃焼室が扁平で表面積が大きく、また、ローターの回転に伴って燃焼室が移動するため、冷却損失が大きい。同程度のエンジン外形寸法や出力で比較すると、大掛かりな冷却装置が必要となる。
上記により低回転域の燃焼安定性が悪く、熱効率も低く、その域でのトルクとレスポンスは同出力のレシプロエンジンと比べて劣る傾向にある。街乗りなど主に低回転域で走る際には、燃費および運転性(ドライバビリティ)で不利である。
排気バルブがなく排気ポートが急激に開くため、排気騒音が大きく排気温度も高い。
燃焼室が扁平かつ縦長で、トレーリング側(吸気ポート寄り)の隅部が完全燃焼しづらく、排気ガス中に未燃焼燃料の炭化水素(CnHm)濃度が高い。
シールの総延長が長いため、摩擦損失が大きい。
各シールにかかる負荷方向・摺動速度が常に変動していること、角になっている部分も摺動シールでの密閉を要求されることからシーリングの確実性・耐久性の確保が困難である。
トロコイド面の潤滑のために作動室内へのオイル供給が必要で、オイル消費量が多くなる。
ローターの製造公差に合わせて寸法違いのシールを多数用意する必要があり、その選択と組付けにも熟練工の技を要する(手作りとなる)ため、ライン生産に向かない。
特に長所のうちの「低振動、低騒音」は、往復運動を回転運動に変換するのではなく、もともとが回転運動である本エンジンの構造に由来するものであり、当初は性能でもレシプロエンジンを大きく引き離して未来のエンジンともてはやされ、世界中の自動車メーカーが開発を行う大きな理由となった。


端間駅 西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線

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端間駅(はたまえき)は、福岡県小郡市福童にある西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線の駅。

駅の周辺には昔ながらの住宅地が広がる長閑な立地。駅番号はT23。


駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。平屋の駅舎です。 ホームは緩やかにカーブしている。

切符売場に券売機は1台。有人窓口も設置されています。改札口の改札機は2台。

のりば
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■天神大牟田線 下り 久留米・柳川・大牟田方面


2 上り 二日市・福岡(天神)方面
ホーム間は構内踏切で結ばれています。

駅周辺
小郡市総合保健福祉センター「あすてらす」(天然温泉の「満天の湯」の他、トレーニングルームなどがある)
小郡スイミングスクール端間校

バス路線
小郡市コミュニティバス端間駅前バス停がすぐそばにある。かつては本郷駅~肥前麓駅を結ぶ西鉄バスの路線が端間駅前を通っていた。

歴史
1924年(大正13年)4月12日 - 開業。
1969年(昭和44年) - 駅舎改築。
1999年(平成11年) - 駅舎改築、自動改札機設置。
2017年(平成29年)2月1日 - 駅ナンバリングを導入

 

端間駅
はたま
Hatama
◄T22 西鉄小郡 (2.0km)(3.0km) 味坂 T24►
所在地 福岡県小郡市福童
北緯33度22分41.02秒
東経130度33分2.63秒
駅番号 T 23
所属事業者 西日本鉄道
所属路線 ■天神大牟田線
キロ程 30.7km(西鉄福岡(天神)起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 1,725人/日
-2017年-
開業年月日 1924年(大正13年)4月12日

八瀬比叡山口駅 叡山電鉄叡山本線

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八瀬比叡山口駅(やせひえいざんぐちえき)は、京都府京都市左京区にある叡山電鉄叡山本線の終着駅。駅ナンバリングはE08。

概要
駅名の通り比叡山への西の入口で、叡山ケーブル・叡山ロープウェイを乗り継いで比叡山山頂に向かうルートを構成している。京都電燈によって開業して以来、駅名が「八瀬」→「八瀬遊園」→「八瀬比叡山口」と変わっている。周辺は開業当時から京都電燈や地元が中心となり開発され、一時期駅名となった遊園地「八瀬遊園」が開設されるなど観光地として賑わった。現在では一部の休日を除けば、散策を楽しむような静かな観光地である。

駅前にあった八瀬遊園地の後身である「スポーツバレー京都」→「森のゆうえんち」は2001年に閉園となり、翌年に現在の駅名である八瀬比叡山口駅に改称された。跡地は現在、大規模な会員制ホテル「エクシブ八瀬離宮」を中心に老人ホームなども立地し、静閑な土地を生かした再開発が行われている(駅から少し北、または南の地区でも住宅開発がされている)。駅周辺には昔ながらの茶屋が数軒あり、にしんそばや猪肉など京都らしい食事が出来る。駅前の高野川には木造の橋があり、その河原ではバーベキューや写生を楽しむ人も多い。

現在、平日昼中は出町柳発において、本来の本線である当駅までが毎時3本であるのに対し、観光客が多く、学校や住宅の多い鞍馬線方面の運転本数が二軒茶屋駅折り返しも含めると毎時6本と多くなっている。また、休日も含め鞍馬駅までの列車は2両編成が主体であるのに対し、当駅に来る列車は単行が主体である。市中心部から大原方面へ向かう場合、この駅で、国道367号を走るバスに乗り換えることもできる。叡山ケーブルのケーブル八瀬駅は、改札を出てすぐにある木橋を渡り300メートルほど離れたところにある。なお、ケーブルカー・ロープウェイは、年末年始を除く冬期間は運休する。

駅構造
開業以来からの木造駅舎と、終着駅に特有のドーム状の屋根(トレイン・シェッド)がかつての栄光を偲ばせる。原則として無人駅であるが、多客時のみ係員が配置され、自動券売機も稼働する。かつては自動改札機も設置されていたが、現在では撤去され、代わりにPiTaPaやICOCAなどに対応のICカードリーダーが設置されている。ホームは3面2線の櫛形ホーム。改札口は出町柳駅や鞍馬駅のように頭端部ではなく、頭端部に向って左側の北側にある。頭端部には団体用の臨時出入口があるがほとんど利用されない。改札口側が1番線ホームで一番南側が2番線ホーム。中間の細い降車用ホームは2番線側に電車が到着した場合に利用されているが、ホーム番号はない。通常は1番線のみが使われ、2番線は平日朝ラッシュ時や紅葉シーズンで臨時増発される(特にライトアップ特別休日ダイヤ時の日中)場合や臨時列車運行の発着時に使われるほか、イベント会場としても使われる。

1番線ホーム側の一番出町柳側にはホームに面してトイレがあるが「乗務員専用」と表示があり、一般客は改札の外側の2番線側にあるトイレを使うことになる。乗務員用トイレの隣には、電車折り返し時用の運転手の休憩室がある。ドーム状の屋根は、現在は1両の電車は車止めぎりぎりに止まらないこともあり、電車の長さにはわずかに足りないが、1番線ホームだけはホーム全体に上屋が延長されている。駅前からホームまで平面であり車椅子等での利用は容易。

のりば
1・2 ■叡山本線 宝ケ池・出町柳方面
駅長室もあるが観光シーズンのみの駅員配置である。

駅周辺
京福電気鉄道叡山ケーブル ケーブル八瀬駅 …徒歩3分。比叡山へのケーブルカー乗り場。
九頭竜大社(九頭竜弁財天)(当駅から、京都バス九頭龍弁天前下車)
瑠璃光院(旧・喜鶴亭)
高野川
エクシブ八瀬離宮
バスのりば
駅から徒歩2分の国道367号沿いに「八瀬駅前」バス停留所がある。

京都バス
10系統:八瀬バイパス・大原 途中経由 朽木学校前行/京阪出町柳駅行
16系統:大原行/京阪出町柳駅・三条京阪 経由 四条河原町行
17系統:大原行/高野橋東詰・京阪出町柳駅・三条京阪・四条河原町 経由 京都駅行
18系統:大原行/白川通り・東山通り・銀閣寺道・清水寺 経由京都駅行
19系統:大原・大原・古知谷 経由 小出石行/国際会館駅行
八瀬駅前・高野玉岡町 経由 高野車庫行
1996年の地下鉄烏丸線の国際会館駅延伸までは京都市営バス(北6号系統;北大路BT - 大原)も運行されていた。現在、駅前までバス路線は乗り入れていないが、京阪電鉄が出町柳駅まで延伸した際に、当駅改札を出てすぐの八瀬遊園前に、大原行きのバスターミナル(2001年11月末廃止)が整備され、大原までのシャトルバスが一時期、運行されていた。駅前にある会員制ホテル「エクシブ八瀬離宮」の入口前の階段のすぐ上にターミナルがあった。

 

歴史
1925年(大正14年)9月27日 - 京都電燈が経営する叡山電鉄平坦線の八瀬駅(やせえき)として開業。
1942年(昭和17年)3月2日 - 京都電燈の鉄軌道事業を京福電気鉄道が承継、京福電気鉄道叡山本線の駅となる[2]。
1965年(昭和40年)8月1日 - 八瀬遊園駅(やせゆうえんえき)に改称。
1986年(昭和61年)4月1日 - 京福電気鉄道が叡山本線を叡山電鉄に譲渡、叡山電鉄叡山本線の駅となる。
2002年(平成14年)3月10日 - 八瀬比叡山口駅に改称

八瀬比叡山口駅
やせひえいざんぐち
Yase-Hieizanguchi
◄E07 三宅八幡 (1.2km)
所在地 京都市左京区八瀬野瀬町113
北緯35度3分54.79秒 東経135度48分30.65秒
駅番号 E08
所属事業者 叡山電鉄
所属路線 ■叡山本線
キロ程 5.6km(出町柳起点)
駅構造 地上駅
ホーム 3面2線
乗車人員
-統計年度- 614人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)9月27日
乗換 京福電気鉄道鋼索線(ケーブル八瀬駅)

立野駅 甘木鉄道甘木線

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立野駅(たてのえき)は、佐賀県三養基郡基山町大字長野に所在する甘木鉄道甘木線の駅。
駅周辺は工場や倉庫が建ち並ぶうらぶれた立地で、車も寄せるスペースもありません。

駅入口にはキャラクター「レビットくん」が描かれた駅名看板が設置されています。

駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎はありません。九州自動車道の高架下に置かれている。無人駅となっている。トイレは基山側ホーム末端より先に設置されているが水道無し。

ホームへは階段ではなくスロープではいる。
ホームが九州道高架下に位置するため、上屋は設置されていません。

九州道の高架を挟んで基山側にも入口が設置されています。

駅周辺
駅から九州自動車道を挟んで西側は基山工業団地、東側は立野工業団地で、両側ともに多くの工場や物流拠点が立地している。駅から北へ400mほど行くと県道131号に突き当たる。

基山工業団地
コカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社基山工場
東洋製罐基山工場
伊藤ハム九州工場
東洋水産佐賀冷凍工場
トーモク九州工場


西鉄運輸鳥栖営業所
西鉄車体技術
立野工業団地
サンポー食品本社工場
コクヨロジテム九州事業部
アサヒビール福岡工場基山分工場
ビーエス物流


バス
きやまコミュニティバス「甘木鉄道立野駅」停留所がある。基山駅・基山町役場など町内各地に運行している。

 

歴史
1987年(昭和62年)11月1日 - 甘木鉄道により開業。


立野駅
たての
TATENO
◄基山 (1.3km)(2.5km) 小郡►
所在地 佐賀県三養基郡基山町大字長野
北緯33度24分44.8秒
東経130度32分22.24秒座標: 北緯33度24分44.8秒 東経130度32分22.24秒


所属事業者 ■甘木鉄道
所属路線 ■甘木鉄道甘木線
キロ程 1.3km(基山起点)


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 58人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1987年(昭和62年)11月1日
備考 無人駅

松浦鉄道MR-600形気動車

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松浦鉄道MR-600形気動車(まつうらてつどうMR-600がたきどうしゃ)は、松浦鉄道が保有する鉄道車両(気動車)である。2007年(平成19年)3月18日に営業運転を開始した。愛称は「肥前 WEST LINER」(肥前ウエストライナー)。

概要
松浦鉄道開業当初から使用され、老朽化が進んでいるMR-100形・MR-200形・MR-300形の置き換え用として長崎県や佐賀県の沿線自治体や国の支援を受け、導入した車両である。1両あたりの製造費用は約1億円。前記3形式24両を本形式21両に置き換える予定で、2006年度から2009年度までは4両ずつ、2010年度は3両、2011年度は2両導入されている。
なお、MR-400形・MR-500形は置き換え対象に含まれていない。

構造
車体
車体は真岡鐵道モオカ14形気動車の2次車と同型で、日本車輌製造(日車)で製造されている。全長18m、車体幅2.8m、車体高さ3.87m(冷房ユニットも含む)の普通鋼製で、定員は125名である。


前面に貫通扉を備え、側面は前後2扉でスライド式である。
塗装はライトグレーをベースに、前面の前照灯とLED方向幕部分、貫通扉以外の窓下、側面の窓周りにMR-601 - MR-608は黒、MR-609 - MR-616は青、MR-617 - MR-621は赤の帯が巻かれており、側面窓周りの帯の下に西海の海をイメージした水色と九十九島の夕映えをイメージした橙の細帯(601 - 608と609 - 621で上下は反転している)を抱かせたシンプルな塗装となっている。
2009年より、MR-609は松浦鉄道沿線の観光地及び物産品をあしらったラッピングを施されている。

台車・機器
エンジンはコマツ製SA6D125HE-1(355PS)を搭載、トルコンも同社製のKTF3335Aを使用している。
台車は日車製ボルスタレス台車のND738(動力台車)・ND738T(付随台車)が採用されている。ベースとなったモオカ14形のND733/ND733Tと比べると車輪径(860mm)・固定軸距(2100mm)ともに拡大され、一般的な鉄道車両と同等のサイズになっている。
電気指令式ブレーキを装備し、マスコンはワンハンドルとなっている。 佐世保線に乗り入れるため、ATS-SKを装備している。

車内設備
車内は4人掛けのボックスシートを2箇所(8席)、1人掛け転換シートを4席、ロングシートを配備し、優先席部分はワインレッドのシートとなっている。貫通扉上部にデジタル運賃表示機、運転席側面に運賃箱、後部付近に整理券発行機を設置している。
その他、バリアフリーにも配慮されており、車いすスペースの確保や車いす乗降時使用の携帯用スロープが搭載されている。

運用
西九州線全線で運用されている。
当初は伊万里 - 佐世保間のみでの運転だったが、2007年度の増備に伴って有田 - 伊万里間でも運転を開始した。
2009年3月14日のダイヤ改正よりJR佐世保線・大村線(佐世保 - 早岐 - ハウステンボス間)に1日1往復乗り入れているが、2011年3月12日のダイヤ改正よりJR佐世保線(佐世保 - 早岐間)のみに短縮されている。

松浦鉄道MR-600形気動車
基本情報
製造所 日本車輌製造
主要諸元
軌間 1,067 mm
設計最高速度 95 km/h
車両定員 125名(座席40名)
自重 30.7t
最大寸法
(長・幅・高) 18,000 × 2,800 × 3,878mm
台車 ND738(動力台車)
ND738T(付随台車)
機関出力 コマツ製SA6D125HE-1
355PS × 1
制動装置 電気指令式ブレーキ

一乗寺駅 叡山電鉄叡山本線

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一乗寺駅(いちじょうじえき)は、京都府京都市左京区一乗寺里ノ西町にある叡山電鉄叡山本線の駅。駅番号はE04。朝夕の通勤通学利用が主体の駅。

駅名は駅所在地の地名に由来する。地名のもととなった一乗寺はかつて平安中期から中世にかけて当地に存在した寺院であるが、その詳しい所在地は不明である。

駅構造
対面式2面2線のホームを持つ。平素は駅員無配置駅であるが、平日の朝と多客時の土日のみ係員が配置されるため、出町柳方面行きホームの出入口には改札口状の柵が設置されている。出町柳駅行きホームにのみ券売機が設置されており、平日は7時30分から20時30分まで、土曜日と休日は8時から20時30分まで稼動する。

入口はホームの出町柳駅側にあり、「曼殊院道」の踏切に面している(ただし、曼殊院へは隣の修学院駅の方が近い)。八瀬比叡山口駅・鞍馬駅行きホームはホームのほぼすべてを、出町柳駅行きホームは約1両分の長さの上屋で覆われ、ワンマンカーの乗降口をカバーしている。

上下共にバリアフリーには対応していない。道路からホーム面までの階段のみであるが(画像参照)車椅子等での利用には介護者が必要。

のりば
■叡山本線(上り) 出町柳行き
京阪線(三条・枚方・大阪方面;出町柳乗り換え)
■叡山本線(下り) 八瀬比叡山口・鞍馬方面

駅周辺
駅は曼殊院道に面し、商店街の中にある。開設当時から商店が並んでいたが、戦後市場が開設され、曼殊院通にバス路線も通じた。1960年代、駅西側は当時都市中心部以外では珍しかった映画館やパチンコ店などを有する商店街、歓楽街として発展した。1980年頃から衰退し映画館も廃業しているが商店街としての様相は残している。京都大学や京都工芸繊維大学などの大学への通学圏内にあることから現在は大学生相手の店も目立ち、とりわけ駅西側を走る東大路通沿いには京都ラーメン専門店が軒を連ね「ラーメンストリート」や「ラーメン街道」、「ラーメン銀座」と呼ばれる。

付近には詩仙堂、一乗寺下り松など観光名所も多い。
現在の京都市営バスの最寄り停留所は駅から東へ400メートルほどの白川通に面した5・65・北8号系統「一乗寺下り松町」と、西へ300メートルほどの東大路通に面した31号系統「一乗寺高槻町」である。
区間制度となっている叡電の普通運賃であるが、商店街利用者を考慮して当駅 - 三宅八幡駅を1区としていた時期もあった。

一乗寺下り松(宮本武蔵と吉岡一門の一乗寺下り松の決闘の場として有名)
詩仙堂(案内放送あり)
狸谷山不動院(案内放送あり)
恵文社一乗寺店(美術書などで有名な書店)
京都工芸繊維大学(通常はバス利用。鉄道では松ヶ崎駅が一番近い)
京都市立修学院中学校
京都市立修学院第二小学校
滋賀銀行一乗寺支店
将軍山城
ラーメン二郎京都店

 

 

1925年(大正14年)9月27日 - 京都電燈が経営する叡山電鉄平坦線の駅として開業。
時期不詳 - 出町柳寄りに100メートル移設。
1942年(昭和17年)3月2日 - 京都電燈の鉄軌道事業を京福電気鉄道が承継、京福電気鉄道叡山本線の駅となる。
1986年(昭和61年)4月1日 - 京福電気鉄道が叡山本線を叡山電鉄に譲渡、叡山電鉄叡山本線の駅となる。

一乗寺駅
いちじょうじ
Ichijōji
◄E03 茶山 (0.7km)(0.8km) 修学院 E05►
所在地 京都市左京区一乗寺里ノ西町102[1]
北緯35度2分39.31秒 東経135度47分14.93秒
駅番号 E04
所属事業者 叡山電鉄
所属路線 ■叡山本線
キロ程 2.1km(出町柳起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,468人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)9月27日

給水車 

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給水車(きゅうすいしゃ)とは、飲料水を主とする生活用水など水の供給を目的とした自動車である。


水はヒトを含む生物の生存には欠かせない基本的な物資であるが、今日では上水道の形で各種施設や各家庭などに供給されており、このパイプによる供給(→ライフライン)では、パイプの破損などといったトラブルにより供給が滞る場合があり、これを緊急的に補助するのが給水車である。またこういった生活インフラの無い地域では、旱魃(かんばつ)や水害(水源に周囲から汚水が流入し汚染されるため飲料水に使えなくなる)など自然災害で地域に生活する人々の水源(井戸・河川・泉など)が利用できなくなった場合に、その生活を守るために利用される。

ほかにも飲料水ではないが、農業用水などが利用できなくなった場合に、これの代行手段としても利用される。消防の際には、消防車などに消火活動に使用する水を供給するためのものもあるが、これは日本の消防においては水槽車と呼ばれる。少々毛色の違うところでは、温泉の湯水を輸送するための専用の給水車もみられる。
なおこれらは、その用途によって飲料水用として衛生に対する配慮のなされたタンクを備えるものから、工業用や消防用など飲用には適さない水のため衛生に対する配慮が無いもの、あるいは温泉用では温泉が硫黄などタンクを傷める成分を含むため腐食に強いステンレス製タンクであるなど、用途によってタンク構造も異なる。これらに属する車両は、自動車として移動する機能はなおのこと、基本的に水を蓄えるタンクと必要に応じて水を取り出すバルブ(平たく言えば蛇口)があり、さらには送水圧を一定にするため圧力を加えるためのポンプを備える。またポンプを作動させるための動力として電源なども備える。こと自衛隊が保有し、軍事展開の際に各部隊へ水を供給するために利用するほか災害派遣でも運用される給水車では、運用の効率性を高めるために水タンク部分がポンプや電源ごと切り離せるようになっているものもあり、たとえば被災地域の広域避難場所などに牽引などの形で運び込まれた水タンクは、そのまま避難生活者に飲料水を提供するようになっている。日本では特種用途自動車に分類され、自衛隊や消防のほか機動隊などにも装備されており、こと日本では常に発生が懸念される震災において地中に埋設された水道管が破損し断水が予測されることから、被災者救援に活躍することが期待されている。

 

自動車としての機能に、水を蓄えるタンク、給水するための機能としてのポンプと蛇口を備えるわけだが、バルブをひねった途端に滝のように水が噴出するようでは、被災者など利用者が持ち寄った容器に水を分配する用途に向かず、逆に蓄えられた水が減ってきた段階で水の出が悪くなると利用し辛い。このため、送水圧を一定にするための機構を備える。また、給水車自身に水を注入する際には、タンク上部から一気に注入するようになっており、このための上部注入口への作業者アクセスのために梯子とステップも設けられている。

給水に際しては、車体に直接蛇口が並んでいる(保護のため金属ケースで覆われ移動中は蓋が閉められている)ものから、簡易水道や貯水槽に接続するための大型バルブを備えるものがあり、また他の設備に接続するためのホースと継手を備えるものが見られる。消防のためにはポンプ車に接続するためのバルブが備えられている。

甘木駅 西日本鉄道

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西鉄 甘木駅

甘木駅(あまぎえき)は、福岡県朝倉市甘木にある西日本鉄道(西鉄)と甘木鉄道の駅である。駅番号は西鉄がA01。なお、両駅は100mほど離れており、別の駅舎と施設を持つ。また、1940年までは朝倉軌道、両筑軌道の甘木駅が現在の甘木バスセンターの場所に存在した。

駅構造
島式ホーム1面2線のホームを持つ地上駅で、自動券売機、自動改札機が設置されている。西鉄の駅舎としては現存最古の1948年(昭和23年)に建築された。
日中のパターン・ダイヤの時間帯は、1番線と2番線から交互に列車が発車する。


のりば
ホーム 路線 行先 備考
1・2 ■西鉄甘木線 宮の陣・久留米・大牟田方面

駅周辺
朝倉市の中心市街地は国道386号・県道112号(朝倉街道)沿線にあり、当駅は中心市街地のやや西のはずれに位置している。駅前を国道322号・国道500号が通っている。

主な施設
朝倉市役所(旧:甘木市役所) - 北東へ約1.2km
福岡法務局朝倉支局 - 北東へ約1km
朝倉公共職業安定所(ハローワーク朝倉) - 北東へ約1km
福岡家庭裁判所甘木出張所・甘木簡易裁判所 - 北東へ約900m
甘木税務署 - 北東へ約900m
朝倉警察署 - 南東へ約700m
天然温泉 卑弥呼の湯 - 南東へ約600m
平塚川添遺跡 - 南へ約2.7km
甘木アーケード商店街 - 北東へ約500m
レッドキャベツ甘木駅前店 - 甘木鉄道→東へ約100m、西日本鉄道→北西へ約100m
ジョイフル甘木駅前店 - 甘木鉄道→北へ約100m、西日本鉄道→北西へ約150m
甘木郵便局 - 北東へ約600m
甘木駅前郵便局 - 東へ約300m
甘木東町郵便局 - 東へ約800m
甘木幼稚園 - 北東約700m
生い立つ保育園(甘木鉄道AR100形気動車AR104が保存されている) - 北東へ約800m
福岡県立朝倉高等学校 - 北東へ約800m
福岡県立朝倉東高等学校 - 東へ約600m
西鉄バス二日市甘木営業所
甘木歴史資料館
福岡銀行甘木支店
筑邦銀行甘木支店
西日本シティ銀行甘木支店
福岡中央銀行甘木支店
筑後信用金庫甘木支店
筑前あさくら農業協同組合
本店
中部農機センター
バス
甘木鉄道側駅前のロータリーに甘木観光バス「甘鉄甘木駅」停留所が設けられており、路線バス運行の拠点となっている。一部の路線は西鉄側駅前の「西鉄甘木駅」停留所にも停車する。福岡・朝倉街道駅・二日市駅・原鶴・杷木方面への西鉄バスは当駅前には発着せず、当駅から800mほど離れた県道112号沿いにある甘木バスセンターに発着する。

かつて甘木市(当時)市内の路線バスが西日本鉄道により運行されていた頃には、駅前に発着するバスの本数が少なく、市内路線バスの大半が甘木バスセンターから発着していたが、2001年4月1日に甘木幹線を除く甘木市内の路線バスが甘木観光バスへ移管された際、甘木バスセンターに代わり甘鉄甘木駅前停留所から発着するようになり、列車とバスの接続の改善が図られている。

甘木観光バス
秋月線:甘鉄甘木駅 - 西鉄甘木駅 - 甘木中央 - 秋月 - 野鳥・だんごあん
田主丸線:甘鉄甘木駅 - 甘木中央 - 朝倉医師会病院 - 田主丸中央・田主丸駅・田主丸中央病院
三輪線:甘鉄甘木駅 - 甘木中央 - 甘木インター口 - 三輪それり - めくばーる・三輪小学校前
甘木市街地循環線:甘鉄甘木駅 - 西鉄甘木駅 - 甘木インター口 - 朝倉医師会病院 - 朝倉市役所 - 甘木中央 - 甘鉄甘木駅

歴史
1921年(大正10年)12月8日 - 三井電気軌道の駅として開業。
1924年(大正13年)6月30日 - 九州鉄道に合併。同社の駅となる。
1942年(昭和17年)
9月19日 - 九州電気軌道に合併。同社の駅となる
9月22日 - 九州電気軌道が西日本鉄道に社名変更。
2008年(平成20年)5月18日 - ICカードnimoca供用開始。
2017年(平成29年)2月1日 - 駅ナンバリングを導入

西鉄 甘木駅
あまぎ
Amagi
◄A02 馬田 (1.8km)
所在地 福岡県朝倉市甘木
北緯33度25分6秒
東経130度39分18.67秒
駅番号 A 01
所属事業者 西日本鉄道
所属路線 ■甘木線
キロ程 17.9km(宮の陣起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 1,267人/日
-2017年-
開業年月日 1921年(大正10年)12月8日


放射能調査艇 MS02 さいかい型

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放射能調査艇 MS02 さいかい型
原子力船寄港時に放射能漏れなどを検査するための放射能調査艇として建造されている。
外観上は、船橋など、CL11すずかぜ型に似ているが、タイプシップはCL240やまゆり型をベースにしている。


「かつれん」(MS-03、二代目)およびきぬがさ型(「きぬがさ(MS-01)、さいかい(MS-02)、かつれん(MS-03)の3隻。いずれも三代目)が建造されているが、これらは本型の浅海型に放射能測定装置を搭載したものである。性能的にも全く同等であり、放射能調査時以外には本型と同様の警備救難業務を行なっている。


電子コントロール式スリップ運転装置付の逆転減速機により、放射能測定時の長時間の低速航行(約4kt)の安定が図られている。
本船は佐世保に配備されている。
尚、本船の建造予算は、科学技術庁(当時)から支出されている。きぬがさ型は原子力規制委員会からの予算で建造された。
なお、きぬがさ型はかつれんがWJ、他はペラ推進である。
船名は、「西海」に因んで命名されている。

総トン数: 24t
全長: 18.1m
最大幅: 4.3m
深さ: 2.3m
主機: ディーゼル 2基 2軸
出力: 1000馬力
速力: 15.0kt
武器: なし
船質: 高張力鋼
航行区域: 沿海(制限付)


MS02 さいかい 平成6年12月4日 佐世保

若葉町停留場 長崎電気軌道本線

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若葉町停留場(わかばまちていりゅうじょう、若葉町電停)は、長崎県長崎市若葉町にある長崎電気軌道本線の路面電車停留場。駅番号は14。1号系統、2号系統、3号系統が停車する。開業時は隣の千歳町との中間あたりに位置していましたが、大規模商業施設の開業、千歳町電停開業と2度の移設を経て現在地となる。

構造
若葉町停留場は併用軌道区間にあり、道路上にホームが置かれる。ホームは2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟んで向かい合わせに配された相対式ホーム。東側にあるのが長崎駅前方面行きのホーム、西側にあるのが赤迫方面行きのホームである。このうち赤迫方面行きのホームはバス停との兼ね合いで長さが17.5メートルと長崎駅前方面の半分しかなく、電車は1両しか停車できない。そのためホームの手前で電車が信号待ちをする光景がよく見られる。


周辺
スーパーや商店が軒を連ねる。
マルタマ住吉店
日産プリンス長崎販売若葉店
たちばな信用金庫住吉支店
ほんだらけ若葉店
ホテルシーボルト
OKホーム&ガーデン住吉店


バス路線
長崎自動車(長崎バス)・長崎県交通局(県営バス)の「若葉町」バス停留所がある。
長崎バス:住吉・滑石・時津・長与・昭和町方面 - 若葉町 - 大橋・浦上駅前・長崎駅前・中央橋・長崎新地方面
県営バス:滑石・住吉 - 若葉町 - 三原団地・長崎駅前・中央橋・長崎東中学校・高校方面

歴史
若葉町停留場の開業は1952年(昭和27年)。本線の大橋 - 住吉間の開通から2年後のことである。開設の日付は不詳であるが、長崎電気軌道の4月10日発行の社報によると近日中に開業予定と記され、乗車券類の通達では4月22日付の通達文の中で先日開設したと記されていることから、4月11日から4月21日の間になると推察される。停留場名は社内募集によって付けられたものであり、平和を願う思いから命名に至ったという。他に入選作として「十字ヶ丘」と「緑ヶ丘」があり(社報による)、さらに命名案には「平和町」「青葉町」「あけぼの町」などがあった。所在地である長崎市若葉町の町名は当停留場に由来するもので、地域の要望により1964年(昭和39年)に付けられた。なお、停留場は当初「わかばちょう」と呼称していたが、1994年(平成6年)に「わかばまち」へと変更されている。

1998年(平成10年)には国道206号住吉交差点の渋滞緩和のための拡幅工事に伴い、北隣に千歳町停留場が新設されたのを受けて停留場が南へ140メートルほど移設されている。

年表
1952年(昭和27年)4月 - 開業。当時は「わかばちょう」と呼称。
1994年(平成6年)12月22日 - 停留場の読みを「わかばまち」に改める。
1998年(平成10年)5月7日 - 南へ約140メートル移設


若葉町停留場
Wakaba-machi
◄13 千歳町 (0.2km)(0.3km) 長崎大学 15►
所在地 長崎県長崎市若葉町4番21号先
北緯32度47分16.2秒 東経129度51分42秒
駅番号 14
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 本線(■1号系統・□2号系統・■3号系統)
キロ程 0.6km(住吉起点)
赤迫から0.8km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 1,400人/日
-2015年-
開業年月日 1952年(昭和27年)4月

今隈駅 甘木鉄道甘木線

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今隈駅(いまぐまえき)は、福岡県小郡市山隈にある甘木鉄道甘木線の駅。第三セクター転換後に設置された甘木鉄道で最も新しい駅である。

駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅となっている。


駅舎はなく、ホームに待合室が設置されています。


ホーム待合室の幅は狭く、長椅子が設置。

ホーム、中央部待合スペースには上屋が設置されています。
ホーム入口にスロープが設置され、バリアフリー対応です。
トイレ無いが駐車場に移動式簡易トイレがある。

駅周辺
県道を挟んで駐輪場が設置されています。
国道500号
大分自動車道筑後小郡インターチェンジ
スーパーセンターTRIAL
スーパーセンターTRIALができる前までは、周辺住民以外の利用者は殆どいなかった。

バス路線
小郡市コミュニティバス:上岩田・文化会館・市役所方面あすてらす行


その他
線内の今隈駅、西太刀洗駅、山隈駅はいずれも「山隈」地区に存在するが、3駅とも所属自治体が異なっている。


歴史
2002年(平成14年)12月1日 - 甘木鉄道により開業。

 

今隈駅
いまぐま
IMAGUMA
◄松崎 (1.3km)(0.7km) 西太刀洗►
所在地 福岡県小郡市山隈
北緯33度24分13.76秒
東経130度35分38.34秒座標: 北緯33度24分13.76秒 東経130度35分38.34秒
所属事業者 ■甘木鉄道
所属路線 ■甘木鉄道甘木線
キロ程 7.7km(基山起点)


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 89人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 2002年(平成14年)12月1日[1]
備考 無人駅

 

東中央町停留場 岡山電気軌道清輝橋線

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東中央町停留場(ひがしちゅうおうちょうていりゅうじょう)は、岡山県岡山市北区東中央町および南中央町にある(両町の境界線上に設置)、岡山電気軌道清輝橋線の停留場である。

駅番号はS08。2015年(平成27年)4月までは停留場の東140mに岡山市立市民病院があったことから、停留場表記は「東中央町(市民病院入口)」となっていた。

岡山電気軌道では清輝橋線の延伸以来61年ぶりの新停留場であった。


構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅。比較的広いホームは化粧タイルで舗装されていますが上屋はありません。

ホームへは横断歩道からバリアフリー対応のスロープで連絡します。

周辺
岡電バス・めぐりん「東中央町」バス停
岡山桜町郵便局

歴史
2007年(平成19年)
4月 停留場設置工事を開始。
8月2日 開業式典を行う(台風5号接近の為、開業式のみ1日繰上げとなった)。
8月3日 始発から使用開始。

中央町停留場*
ひがしちゅうおうちょう
Higashi-chuocho
◄S07 大雲寺前 (0.2km)(0.3km) 清輝橋 S09►
所在地 岡山市北区東中央町・南中央町
北緯34度39分16.59秒 東経133度55分34.17秒
駅番号 ○S08
所属事業者 岡山電気軌道
所属路線 ■清輝橋線(2系統)
キロ程 1.3km(柳川起点)
岡山駅前から1.8km
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 2007年(平成19年)8月3日
* 2015年(平成26年)4月までは、駅名標含む構内の駅名記載は「東中央町(市民病院入口)」であった。

ディーゼルエンジン

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ディーゼルエンジン (英:Diesel engine) は、ディーゼル機関とも呼ばれる内燃機関であり、ドイツの技術者ルドルフ・ディーゼルが発明した往復ピストンエンジン(レシプロエンジン)である。1892年に発明され、1893年2月23日に特許を取得した。
ディーゼルエンジンは点火方法が圧縮着火である「圧縮着火機関」に分類され、ピストンによって圧縮加熱した空気に液体燃料を噴射することで着火させる。液体燃料は発火点を超えた圧縮空気内に噴射されるため自己発火する。
単体の熱機関で最も効率に優れる種類のエンジンであり、また軽油・重油などの石油系の他にも、発火点が225℃程度の液体燃料であればスクワレン、エステル系など広範囲に使用可能である。汎用性が高く、小型高速機関から巨大な船舶用低速機関までさまざまなバリエーションが存在する。
エンジン名称は発明者にちなむ。日本語表記では一般的な「ディーゼル」のほか、かつては「ヂーゼル」「ジーゼル」「デイゼル」とも表記された。日本の自動車整備士国家試験では現在でもジーゼルエンジンと表記している。

特徴
ディーゼルエンジンは圧縮着火のため高圧縮比となる。一般にピストンエンジンは圧縮比=膨張比であることから、高圧縮比、高膨張比エンジンとすると熱効率が高まる。圧縮比を上げることを気体の熱力学だけで解析すると、対数的に効率は上がり続けるものの圧縮比15を超えると伸び悩む。一方で高圧縮は摩擦損失と可動部品の重量増による慣性損失を増大させ、特に高回転で機械損失が急増する。また高圧縮になるほど着火しやすいが、むしろ早期着火により完全燃焼しにくくなるため、適正な圧縮比は14台だといわれている。膨張比はより大きくても良い。ただし、低温時や高地でのエンジン始動性のため圧縮比は14より大きいものが多い。
ディーゼルエンジンは高圧縮比エンジンなので発火点さえ確保できれば精製度の低い安価な燃料を使用できる。ただし、その実現には高価な前処理装置や特殊なエンジンオイルが必要になる。低燃費だがエンジン本体に高い圧縮比に耐え得る構造強度が必要になるため大きく重くなり、イニシャルコストが高い。稼動回転域はガソリンエンジンより低回転でかつ狭いため、車両の発進には有利だが、より多段の変速機が必要になる。
拡散燃焼の特徴から気筒容積あたりの出力が低い代わりに、気筒容積に制限がなく、巨大なエンジンを実現できる。熱効率は良いので必要な出力が得られるまでエンジンを大型化することができる。この場合、大型ほど低速回転になるが、これは大型船舶など低速回転・大出力が必要な用途においては極めて都合がよく、実際に超大型低速ディーゼルエンジンが大型商船の主機関として広く用いられている。
空気だけを圧縮した中で燃料が自己発火するため、予混合燃焼ガソリンエンジンで問題となるノッキングやデトネーションが発生しない。そのため過給による吸入充填量の増加で気筒容積あたりの低出力を補うことが容易である。スロットルバルブを持たず低速でも排気圧力が高いことから、ターボチャージャーにより排気エネルギーの一部を回収し、効率を維持したまま排気量1L当たりの出力を100馬力程度からそれ以上にすることも可能である。

主な用途
定置型の内燃力発電やポンプなどの動力。水上船舶、潜水艦などの舶用動力。トラックやバスといった大型自動車や、戦車のような軍用車両、建設機械、農業機械などの大型特殊自動車[注釈 6]ディーゼル機関車や気動車などの鉄道車両に使用される。発電、ポンプなどはディーゼルが主流であるが、排ガス規制によるLPG、CNGなどのガス燃料の制限がある場合は電気点火のガスエンジンまたはディーゼル燃料で点火するガスエンジンとなる。
環境への影響と対策
ガソリンエンジンより熱効率の高いディーゼルエンジンは、CO2の発生量では環境への負荷が少なくて済む。しかしPMやNOxの発生量はガソリンエンジンより大量で問題を含んでいる[5]。
気体だけを燃やす予混合燃焼と異なり、燃料を液滴のまま燃やす噴霧燃焼の原理上、液滴の燃え残りとして、PMや黒煙を発生しやすいことが欠点である。またディーゼルエンジンはガソリンエンジンよりも高温高圧で、余分に空気を取り込む内燃機関なので、窒素酸化物 (NOx)の生成量も多くなってしまう。
ディーゼル機関の低負荷時の空燃比は30:1から60:1もの希薄に見えるが、均一予混合燃焼ではないので、低温燃焼によるNOx低下は無い。むしろディーゼル機関は液滴付近の空気だけを消費する不均一な拡散燃焼のため、燃焼温度が高いまま多量の余剰空気を加熱し、行程あたり高負荷時よりも大量のNOxを生成する。
ディーゼル機関は排気も酸素過多となるので、ガソリン機関で多用されている排気浄化用の三元触媒を使えない。三元触媒は理論空燃比ので運転する場合に炭化水素 (HC)・窒素酸化物 (NOx)・一酸化炭素 (CO) を同時に浄化できる。

年表
1892年: 2月23日、ルドルフ・ディーゼルが "Arbeitsverfahren und Ausführungsart für Verbrennungskraftmaschienen" と題した特許 (RP 67207) を取得。
1893年: ディーゼルが「既知の蒸気機関と内燃機関を置換する合理的熱機関の理論と構築」と題する論文を発表。
1897年: 8月10日、ディーゼルがアウクスブルクで初の実働するプロトタイプを製作。
1898年: ディーゼルがロシアの石油会社 Branobel にディーゼルエンジンのライセンスを供与。同社は蒸留していない石油で動くエンジンに興味を持っていた。同社の技術者らは4年をかけて船用のディーゼルエンジンを設計。
1898年: ディーゼルは製造業者クルップとスルザーにディーゼルエンジンのライセンスを供与。両社はまもなく主なディーゼルエンジン製造業者となる。
1902年: 1910年までにMANが据え置き型ディーゼルエンジンを82機製造。
1903年: ニジニ・ノヴゴロドの造船所で、世界初のディーゼルエンジン搭載石油タンカー "Vandal" が進水。
1904年: フランスで世界初のディーゼル潜水艦 Z を建造。
1905年: Alfred Büchi がディーゼルエンジン用ターボチャージャーとインタークーラーを考案。
1908年: Prosper L'Orange がDeutz社と共に、ニードル型噴射ノズルで精密に制御可能な噴射ポンプを開発。
1909年: Prosper L'Orange がベンツ&シー社と共に予燃焼室式の半球型燃焼室を開発。
1910年: ノルウェーの探検船フラム号にディーゼルエンジンを搭載。商船ではシェランディアが最初となる。
1912年: デンマーク初のディーゼル船シェランディア (Selandia) 建造。世界初のディーゼル機関車製作。
1913年: アメリカ海軍の潜水艦がNELSECO社製のディーゼルエンジンを採用。郵便船ドレスデン号でイギリス海峡を渡っているとき、ルドルフ・ディーゼルが謎の死を遂げる。
1914年: ドイツのUボートがMAN社製ディーゼルエンジンを搭載。
1919年: Prosper L'Orange 予燃焼室式の特許を取得し、ニードル噴射ノズルを製作。カミンズがディーゼルエンジンを生産開始。
1921年: Prosper L'Orange が連続可変出力式噴射ポンプを製作。
1922年: ベンツがディーゼルエンジンを搭載した初のトラクターを発売。
1923年: MAN、ベンツ、ライムラーが初のディーゼルエンジン搭載トラックを製作し、試験を開始。
1924年: フランクフルトモーターショーにディーゼルエンジン搭載トラックが出展される。フェアバンクス・モースがディーゼルエンジンを生産開始。
1927年: ボッシュがトラック用噴射ポンプと噴射ノズルを生産開始。Stoewerが初のディーゼルエンジン搭載乗用車を試作。
1930年代: キャタピラー社が自社製トラクター用にディーゼルエンジンの生産を開始。
1932年: MAN社が160馬力という当時世界最高出力のディーゼルトラックを発売。
1933年: シトロエンが世界初のディーゼルエンジン搭載乗用車 (Rosalie) を製作。イギリスのディーゼルエンジン研究者ハリー・リカルドの設計したエンジンを採用[55]。ディーゼルエンジンの使用が規制されていたため、発売されなかった。一方、日本ではヤンマーが小型汎用高速ディーゼルエンジンの自社開発に成功(「HB型」ディーゼルエンジン)。
1934年: マイバッハが世界初の鉄道車両用ターボディーゼルを製造。
1934年-35年: ドイツのユンカースが航空機用ディーゼルエンジン「ユモ (Jumo)」シリーズの生産を開始。有名なユモ205は第二次世界大戦の勃発までに900台以上生産されている。
1936年: メルセデス・ベンツがディーゼル乗用車260Dを製作。ハノマーグやSaurerも相次いでディーゼル乗用車を生産。アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道にスーパー・チーフ用のディーゼル機関車が採用される。建造中の飛行船ヒンデンブルクでディーゼルエンジンを採用(ダイムラー・ベンツ製エンジン 602LOF6)。
1936年: ソビエト連邦がBT-7戦車にVD-2ディーゼルエンジンを搭載して実験、後に改良型V-2エンジン搭載のBT-7Mとして量産され、1939年末より部隊配備開始。
1937年: ソビエト連邦が開発中の戦車A-20及びA-32にV-2ディーゼルエンジンを搭載。1939年にA-32の拡大改良型A-34が、T-34として採用される。
1937年: BMWが航空機用ディーゼルエンジン BMW 114 を試作。
1940年: 航空機用ディーゼルエンジン・ユモ207Aを搭載したJu 86P高々度爆撃/偵察機が開発され、同年から実戦投入される。
1944年: Klöckner Humboldt Deutz AG (KHD) が空冷式ディーゼルエンジンを開発。
1953年: メルセデス・ベンツがターボディーゼル搭載トラックをシリーズで発売。
1968年: プジョーが204に小型車としては初のディーゼルエンジンを採用。横置きで前輪駆動。
1973年: DAFが空冷式ディーゼルエンジンを採用。
1976年: 2月、フォルクスワーゲンが乗用車ゴルフ用のディーゼルエンジンの試験を開始。チューリッヒ工科大学でコモンレール式噴射システムを開発。
1977年: 初のターボディーゼル搭載乗用車の生産開始(メルセデス・ベンツ・300SD)。
1994年: ボッシュがディーゼルエンジン用ユニットインジェクターシステムを開発。
1995年: デンソーがコモンレールシステムを世界で初めて実用化し、日野ライジングレンジャーに搭載。
1997年: アルファロメオ・156で乗用車初のコモンレールを実現。
1998年: BMWがディーゼルエンジン搭載の320dでニュルブルクリンク24時間レースに優勝。
2004年: 西ヨーロッパで乗用車のディーゼルエンジン搭載率が50%を越えた。
2008年: スバルが乗用車用の水平対向ディーゼルエンジンを導入。EGRシステムで「ユーロ5」にも適合。

 

 

大板井駅 甘木鉄道甘木線

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大板井駅(おおいたいえき)は、福岡県小郡市大板井にある甘木鉄道甘木線の駅。転換後の新設駅で、開業当初は地上駅でしたが、周辺の道路整備に合わせて高架化。

駅名、地名の読みは「おおいたい」であるが地元での通称は「おいたい」であり、かつては車内放送でも「おいたい」と放送していた。なお、正式駅名は開業時から変更されていない。

 

駅構造
単式ホーム1面1線を有する高架駅。かつては地上駅であったが、県道原田駅東福童線の開通に伴い高架化された。駅舎はありませんが、階段とホーム上屋が一体化されたデザインの駅です。


ホーム待合室、幅は広くありませんが、独立した区画に長椅子が設置されています。
ホーム端にも出入口が設置されています。高速バス停との連絡口となっています。
トイレと飲料の自販機が高架下に設置されている。

駅周辺
高架下は非公式ながら自転車置場となっています。
小郡市の中心市街地の東端にあたり、周辺に文化会館・体育館など公共施設が多い。

小郡市文化会館
七夕会館
七夕神社
小郡市立図書館
小郡市生涯学習センター
小郡市立体育館
小郡警察署
小郡郵便局
みい農業協同組合本店・小郡中央支店
小郡市役所 - 当駅からも徒歩圏であるが、隣の小郡駅のほうが近い。
大分自動車道
国道500号
小郡運動公園 オリンピック規格の野球場、2種公認の陸上競技場、通年ナイター営業のテニスコートのほか、多目的広場やアスレチック広場などを有し、全周2Kmのジョギングコースがある。また、同敷地横には火葬・斎場施設(河北苑)もある。
イオン小郡ショッピングセンター -甘木鉄道としての最寄駅

バスのりば
大分自動車道高速小郡大板井(おいたい)バス停に隣接しており、車内放送でも高速バス乗換えを案内している。
福岡・長崎方面
日田・由布・別府・大分方面
駅から約150m離れた国道500号上に小郡市コミュニティバス「大板井」停留所がある。コミュニティバス全路線が利用可能。

歴史
1987年(昭和62年)11月1日 - 甘木鉄道により開業。
2003年(平成15年)12月7日 - 高架化。
2006年(平成18年)
7月4日 - 大雨による宝満川橋梁破損により、当駅 - 松崎駅間が不通となる。不通区間はバスによる代替輸送を実施。
12月20日 - 橋梁復旧により当駅 - 松崎駅間の運行再開。

大板井駅
おおいたい
ŌITAI
◄小郡 (0.7km)(1.9km) 松崎►
所在地 福岡県小郡市大板井
北緯33度23分54.69秒
東経130度33分39.65秒座標: 北緯33度23分54.69秒 東経130度33分39.65秒
所属事業者 ■甘木鉄道
所属路線 ■甘木線
キロ程 4.5km(基山起点)


駅構造 高架駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 55人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1987年(昭和62年)11月1日
備考 無人駅

 

 

松崎駅 甘木鉄道甘木線

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松崎駅(まつざきえき)は、福岡県小郡市松崎にある甘木鉄道甘木線の駅。


甘木線線内のほぼ中間地点に位置する駅。そのため、基本的に全列車が当駅で交換となります。


駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅。プレハブの簡易駅舎を備える。

転換当初は有人駅であったが、1年ほどして無人駅となった。トイレ無し。


待合室には椅子と清涼飲料水自動販売機があります。


のりば
ホーム 路線 行先 備考
駅舎側(上り) ■甘鉄甘木線 小郡・基山方面
反対側(下り) 太刀洗・甘木方面


ホームは構内踏切で結ばれています。


ホームは上屋も整備されています。


駅周辺
駅前には大きな観光案内図があります。
霊鷲寺
松崎郵便局
福岡県立三井高等学校
国道500号
大分自動車道

 

 

歴史
1939年(昭和14年)4月28日 - 国鉄甘木線の基山駅 - 甘木駅間の開通に伴い、筑後松崎駅(ちくごまつざきえき)として開業。


1986年(昭和61年)4月1日 - 甘木鉄道に転換、松崎駅に改称。国鉄時代に撤去していた交換設備を復活させて1面2線となる


松崎駅
まつざき
MATUZAKI
◄大板井 (1.3km)(1.3km) 今隈►
所在地 福岡県小郡市松崎
北緯33度23分58.92秒
東経130度34分56.2秒座標: 北緯33度23分58.92秒 東経130度34分56.2秒
所属事業者 ■甘木鉄道
所属路線 ■甘木鉄道甘木線
キロ程 6.4km(基山起点)
電報略号 チマ(転換前)


駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 394人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1939年(昭和14年)4月28日
備考 無人駅

 


小池駅 豊橋鉄道渥美線

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小池駅(こいけえき)は、愛知県豊橋市小池町字原下58番地3号にある豊橋鉄道渥美線の駅である。駅番号は3

渥美線開業と同時に開設された駅。愛知大学豊橋校舎が開設し、大学前駅(現・愛知大学前駅)が開業するまで愛知大学関係者の多くが当駅を利用し、駅員配置駅であった。

大学前駅(現・愛知大学前駅)の開業による利用者減少により、無人化された。

当駅と愛知大学前駅の間には、国道259号(田原街道)や愛知県道502号豊橋環状線(豊橋環状線)と立体交差するための地下区間「小池隧道」が存在する。

駅構造
駅舎はなく相対式ホーム2面2線の交換設備をもつ地上駅。新豊橋行ホームが1線スルーの配線であるが、通過列車はない。

新豊橋行ホーム側に食券型自動券売機や屋根付の待合室がある。三河田原行ホーム側にベンチがある。無人駅である。出入口が3箇所ある。交換設備は1943年(昭和18年)に整備され、駅舎が建設された。現在、駅舎はない。

ホームへはスロープで連絡します。ホームは構内踏切で結ばれています。
下りホーム奥には上屋があり、ここにも入口が設置されています。

 

駅周辺
駅前には屋根のない駐輪場があります。
医療機関
伊藤病院
金融機関


豊橋信用金庫小池支店
豊橋鉄道系列駐車場
豊鉄南小池パーキング(月極専用駐車場)
宿泊施設
大黒旅館
玉川旅館
道路
国道259号(田原街道)
愛知県道405号小松原小池線(小松原街道)
愛知県道502号豊橋環状線(豊橋環状線)


1925年(大正14年)5月1日 - 渥美電鉄の駅として開業。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。
1954年(昭和29年)10月1日 - 豊橋鉄道への譲渡により同社の駅となる。
1978年(昭和53年)6月 - 無人化。
2016年(平成28年) 1月 - 駅構内の電柱が木柱→コンクリート柱に交換、三河田原方面ホーム上屋改築工事完成

小池駅
こいけ
Koike
◄2 柳生橋 (0.7km)(0.8km) 愛知大学前 4►
所在地 愛知県豊橋市小池町字原下58番地3号
北緯34度44分55.47秒
東経137度23分16.39秒


駅番号 3
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 1.7km(新豊橋起点)


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 473人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 904人/日
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)5月1日
備考 無人駅

佐世保バーガー 

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佐世保バーガー(させぼバーガー)とは、長崎県佐世保市名物の手作りハンバーガーの総称。いわゆるご当地グルメの一種。
ひとつの決まったスタイルのハンバーガーを指していうのでなく、佐世保市内の店で提供される「手作りで」「注文に応じて作り始める(作り置きをしない)」こだわりのハンバーガーの総称である。

端緒
佐世保には、1889年(明治22年)に大日本帝国海軍の佐世保鎮守府、1903年(明治36年)に海軍工廠が置かれて都市化したが、1945年(昭和20年)6月28日深夜からの佐世保大空襲で焦土と化した。占領期に入ると佐世保にも進駐軍が展開し、旧日本軍施設に米海軍が進駐した。すると、米軍属相手にした飲食店・バー・キャバレーが佐世保市内に現れた。そして、佐世保が朝鮮特需による好景気に沸いた1950年(昭和25年)頃、米海軍関係者よりハンバーガーのレシピを教わり、佐世保におけるハンバーガーの歴史が始まったとされる。なお、初めて佐世保で手作りハンバーガーを作った店がどこなのかは不明。

近況
1999年(平成11年)、横須賀市で行われた旧軍港4市(横須賀市、佐世保市、呉市、舞鶴市)による交流物産会で各都市から郷土料理の店を出店することになり、市内のハンバーガー店が出店。横須賀市民には佐世保での勤務経験を持つ海上自衛隊員が多かったため、隊員たちが「懐かしい」と予想以上の人気を集めた。このことが地元のまちづくり関係者の間で話題になり、郷土料理として見直しが進んでいく。
2001年(平成13年)、佐世保市の市制100周年プレ事業の一環として地域興し事業を行う際、先のイベントで成功した佐世保のハンバーガーもPR。その後、地道な活動続けていきながら「日本で最初に生まれたハンバーガー」として徐々に知名度を上げていく。それが、取材やイベントで佐世保を訪れたマスコミ関係者や芸能人の中で話題となっていった。
2003年(平成15年)5月、佐世保で修行した佐世保出身者が東京都中野区に「ザッツバーガーカフェ」の屋号で佐世保風ハンバーガーショップを開店(現在は「ISLET」に屋号変更)。すでに一部で使われていた「佐世保バーガー」の呼称を商品名として販売した。
2004年(平成16年)、廃止された西海アメリカンフェスティバルに替わって「佐世保バーガーフェスティバル」が開催された。これにより、佐世保の公的な機関も「佐世保バーガー」という呼称を用いるようになった。
2005年(平成17年)2月、ららぽーとTOKYO-BAY(千葉県船橋市)にあるフードテーマパーク「東京パン屋ストリート」内に、ビッグマンの直営店が開店したことにより益々マスコミが取り上げる機会が増えブームに拍車がかかる。
今日では市内に25店舗の認定店を含め多くの店舗でハンバーガーが出されており、全国各地から観光客が訪れている。2006年(平成18年)にはトヨタ自動車の「ラクティス」のCM(九州版)で使用され、佐世保のログキット(ハングアウト)でロケが行われた。
2018年(平成30年)春には、佐世保地方創生プロジェクトチームと旧日本海軍の艦艇などを擬人化したシミュレーションゲーム『艦隊これくしょん -艦これ-』のコラボ企画「『艦これ』佐世保鎮守府巡り[2]」に市内の提供店舗が協力し、コラボメニュー購入者へのコラボステッカーやコースターの提供、抽選によるポスターのプレゼント企画などが行われた。
2019年(令和元年)6月14日、佐世保市内の事業者による団体・佐世保バーガー事業協同組合の申請により佐世保バーガーが地域団体商標に登録。

佐世保バーガー認定制度
2007年(平成19年)1月に「佐世保バーガー認定制度」が創設された。佐世保市の保健福祉部や旅行業界関係者などが、「独自性・主体性」「信頼性」「地産地消」「手づくり」などの項目を基準に審査し、合格した佐世保市内の店舗に限り「佐世保バーガー認定店」としている。認定店舗は、店の前に佐世保バーガーボーイのイラストが入った認定証(看板)を設置しているので確認することができる。しかし、佐世保市外のハンバーガーに対しての拘束力はなく、全国には認定店ではない「佐世保バーガー」を名乗る業者が多い。そんな中で、佐世保市外でも佐世保市が「佐世保バーガー」と認定する佐世保市出身者は、「佐世保バーガー観光大使」に任命している。
地域団体商標
2019年(令和元年)6月14日、佐世保市内の事業者による団体・佐世保バーガー事業協同組合の申請により佐世保バーガーが地域団体商標に登録。 組合には2019年7月現在24事業者32店舗が加盟しており、「1年以上佐世保市内に店舗や工場がある」などの加盟条件がある。 地域団体商標は、組合加盟店の中で「手作り」「バンズ・パテ・野菜・ソースを入れる」などの基準を元に、今後は認定印などを統一し差別化を図る予定がある。

グッズ展開
マスコット
2003年(平成15年)、佐世保市がやなせたかしに「『アンパンマン』に登場するハンバーガーキッドをイメージキャラクターに使用したい」と依頼した。これにやなせは「どうせならば新規のキャラクターを」ということで新たに水兵服を着たハンバーガー人間のデザインを起こした。2004年(平成16年)の「佐世保バーガーフェスティバル」で名前を募集したところ、佐世保地方の方言で「ハンバーガーをちょうだい(ハンバーガーばちょうだい)」という意味の「佐世保バーガーバー」が選ばれて発表された。しかしその後の全国展開の際に方言由来の「バー」が分かりにくいとして「佐世保バーガーボーイ」に変更されることとなったが、「佐世保バーガーバー」も愛称として併記されている。2006年(平成18年)6月には、やなせたかしがデザインした女の子のキャラクターを「させぼのボコちゃん」も登場した。
テーマソング
2005年(平成17年)2月、やなせたかしが作詞し、たいらいさおが歌う『佐世保バーガーソング』が発売された。佐世保ではストラップやピンバッジと共に販売されている。
新宿のMUSICTEITO等で販売されているとの情報があるが、出荷数が少ないために詳細は不明。

大橋停留場 長崎電気軌道本線

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大橋停留場(おおはしていりゅうじょう、大橋電停)は、長崎県長崎市松山町にある長崎電気軌道本線の路面電車停留場である。野球場長崎ビッグNスタジアムが隣接し、イベント開催時には大勢の利用客で混雑します。駅番号は18。1号系統、2号系統、3号系統が停車する。

構造
停留場は専用軌道区間にあり、軌道は道路から独立している。ホームは2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟んで向かい合わせに配される(相対式ホーム)。線路の東側にあるのが長崎駅前方面行き、西側にあるのが赤迫方面行きのホーム。上屋は2000年2月にトタン屋根から景観に配慮したシェルター式に改められている。崇福寺方面のホーム先端の幅は非常に狭くなっています。

停留場へは北側に隣接する踏切から出入りできる。踏切には警告灯(遮断機なし、警報音有り)が設置されている。このほか緊急時に備えて、踏切に面さない方にも両ホームをつなぐ構内踏切がある。

大橋車庫
長崎駅前方面のホームには長崎バスの車庫が隣接する。ここにはもともと長崎電気軌道の車両基地、大橋車庫があった。大橋車庫は当停留場開業の翌年に開設。側線を7本備え、乗務員の詰所も併設されていたが、1944年(昭和19年)10月に火災で全焼、さらに翌45年8月9日には原爆投下により壊滅的な被害を受けた。その後1953年(昭和28年)には西町車庫が開設、同年に長崎電軌がバス事業に進出すると大橋車庫は電鉄バス大橋営業所の車庫へと一新され、1971年(昭和46年)の路線バス譲渡まで使用された。この時路線の譲渡先となったのが長崎バスであり、現在は長崎バス大橋営業所の車庫として使用されている。
また、ホームには隣接して長崎バスのバス停留所もある。2005年6月にはバス停に当停留場と同じシェルター式の上屋を設置、ホームとバス停が併設されるようになった。

周辺
長崎ビッグNスタジアムが近く、プロ野球の公式戦開催時などには多くの人が当停留場を利用する。また長崎大学病院までは循環バスが運行されている。
本線の軌道は当停留場から隣の平和公園停留場の先まで、高架化された長崎本線と並走する。
長崎市科学館
長崎県立総合体育館
長崎バス大橋営業所
ヤマダ電機長崎本店
国道206号
長崎市立山里小学校
長崎南山中学校・高等学校
長崎バス・長崎県営バス「大橋」バス停

歴史
大橋停留場は1933年(昭和8年)、本線の延伸により開業した。当初は北の終着点であり、ここからさらに路線が延伸するのは1950年(昭和25年)、このときは住吉停留場までの区間が開通した。停留場は当初「おおばし」と呼称していたが、地域の歴史研究家の指摘を受けて1990年(平成2年)に「おおはし」と変更されている。

年表
1933年(昭和8年)12月25日 - 下の川停留場(廃止)から路線が延伸され開業。当時は「おおばし」と呼称。
1934年(昭和9年)10月25日 - 大橋車庫が完成。
1944年(昭和19年)10月10日 - 車庫が火災で焼失。
1945年(昭和20年)8月9日 - 原爆投下により全線不通、車庫も被災。
1947年(昭和22年)5月16日 - 浦上駅前から大橋までの区間が復旧。
1950年(昭和25年)9月16日 - 大橋から住吉までの区間が営業開始。
1990年(平成2年)6月17日 - 読みを「おおはし」に変更。
2000年(平成12年)
2月22日 - 停留場を改築。
7月3日 - 下り長崎駅前方面行きのホームを延長。
2005年(平成17年)6月1日 - 長崎バスのバス停を併設。

大橋停留場
おおはし
Ohashi
◄17 浦上車庫 (0.2km)(0.4km) 平和公園 19►
所在地 長崎県長崎市松山町3番46号先
北緯32度46分40.63秒 東経129度51分41.18秒


駅番号 18
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 本線(■1号系統・□2号系統・■3号系統)
キロ程 1.7km(住吉起点)
赤迫から1.9km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 1,700人/日
-2015年-
開業年月日 1933年(昭和8年)12月25日

神戸駅 豊橋鉄道渥美線

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神戸駅(かんべえき)は、愛知県田原市神戸町にある豊橋鉄道渥美線の駅である。1989年に信号所から昇格した、線内で最も新しい駅です。駅番号は15。

駅構造
相対式ホーム2面2線で交換設備を持つ地上駅である。駅舎はなく無人駅である。

出入口は住宅地側にのみあり、国道側にはない。田原市により自動車も乗り入れ可能な駅前広場が整備されている。

ホーム西端に待合室が設置されています。待合室の幅は他駅に比べて明らかに幅が狭い。
ホームは構内踏切で結ばれています。


駅周辺
駅前に駐輪場、神戸駅前広場があります。
国道259号(田原街道)
田原市総合体育館
田原文化会館
田原市中央図書館
DCMカーマ田原店
ケーズデンキ田原パワフル館
スギ薬局田原店
イオン田原店
大東亜戦争動員学徒殉職之地碑


バス路線
350mほど離れた国道259号(田原街道)上に、 豊鉄バス伊良湖本線と田原市ぐるりんバス市街地東線の「神戸」バス停がある。

 


開業とともに設置された神戸駅(初代)は当駅より0.5㎞三河田原寄りにあったが、当駅とは書類上別の扱いであり、1944年の休止を経て1977年に廃止されている。

当駅は小野田セメント田原工場(2002年に閉鎖)への専用線分岐信号所として設置されていた神戸信号所を神戸駅(2代)として1989年(平成元年)7月に旅客駅に昇格したものである(専用線は駅昇格前に廃止されている)。

1930年(昭和5年)9月1日 - 神戸信号所として開設。小野田セメント(現:太平洋セメント)専用線が分岐。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の信号所となる。


1954年(昭和29年)10月1日 - 名古屋鉄道が渥美線新豊橋 - 三河田原間を豊橋鉄道へ譲渡。
1989年(平成元年)7月10日 - 神戸駅(2代)として旅客営業開始。


神戸駅
かんべ
Kanbe
◄14 豊島 (1.6km)(0.9km) 三河田原 16►
所在地 愛知県田原市豊島町
北緯34度40分6秒
東経137度16分42秒
駅番号 15
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 17.1km(新豊橋起点)


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 88人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1989年(平成元年)7月10日
備考 無人駅

 

宝ヶ池駅 叡山電鉄叡山本線・鞍馬線

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宝ヶ池駅(たからがいけえき)は、京都府京都市左京区にある叡山電鉄叡山本線・鞍馬線の駅。駅ナンバリングはE06。鞍馬線が分岐する運行上の拠点駅ですが、周辺に人家は少なく、朝夕の通勤通学時以外は閑散としている駅です。

駅ナンバリングは叡山本線の番号のみ付与されているが、駅番号を表記する色はホームごとにそれぞれの路線のラインカラーが使われている。また、構内に設置されている駅名標や路線図・公式サイトなどにはすべて宝ケ池と表記されている。

駅構造
島式1面・相対式2面4線のホームを持つ無人駅。当駅の南側(出町柳側)で複線の叡山本線から鞍馬線が左方向に複線分岐して、当駅ホーム部分では各々の複線が並行し、叡山本線が1・2番線、鞍馬線が3・4番線(2・3番線が島式の形状)となっている。

各ホームの中ほどには上屋が設置されているほか、2・3番ホームには待合室もあるが、室内には自動販売機と建付けの幅の細いベンチが設置されているだけで、出入口の扉や窓ガラスは撤去されている。通路の中央付近に出町柳方面の先発電車を示す簡単な表示板がある。また発車案内用の自動放送設備がある。

ホームの南側に駅構内踏切(第1種甲)があり各ホームを結んでいるが、無人駅で改札口が無いため一般の人や自転車の横断も多く、車両通行禁止であるにも関わらずバイクの通行もある。また、踏切の東西には有料駐輪場があるほか、かつては西側にトイレが設置されていた。

バリアフリー対応の状況は、西側の白川通側入口から鞍馬方面の4番線ホームへはスロープとなっているため車椅子などでの移動が可能だが、他のホームへは踏切のレール面からホームの高さまで3,4段の緩やかな階段があるため、車椅子などでの利用は介護者が必要である。

のりば
1 ■叡山本線 修学院・出町柳方面 (八瀬比叡山口からの電車)
2 ■叡山本線 八瀬比叡山口方面
3 ■叡山本線 修学院・出町柳方面 (鞍馬方面からの電車)
4 ■鞍馬線 二軒茶屋・鞍馬方面


鞍馬電気鉄道開業時から駅の基本構造は変っていない。直通開始まで2・3番線ホームは中央で区切られ、階段に面して各々の改札口(簡単な仕切のみ)が設けられていた。駅すぐ西側の白川通との間の現在はマンションとなっている所は鞍馬電気鉄道の本社のあった場所であり、京福電気鉄道時代には木造の大きな建物が事務所として用いられていた。

3番線ホームの八幡前側に鞍馬方面下り線への片渡り線がある。以前は朝に1本のみ3番線から岩倉への折返し電車が存在したが1990年前後に廃止となり、現在この駅での折返し営業電車は異常時以外存在しない。なお、ここは開業時には両渡り分岐が設置されていた。


柱に残る「やまはな」の旧駅名
3・4番線から修学院方向に伸びる側線は、以前は複線分岐であり、3番線からの線路は下りの叡山本線から鞍馬線への線路と平面交差していた。2・3番ホームの上屋の柱の一部の広告看板が取り外された跡には、広告取り付け中はペンキの塗り替えを免れたため、複数の手書きの「宝ケ池」の古い表示が残され、1本の柱はその字さえも剥落して「やまばな」(山端)の旧駅名の仮名書き表示が判読できた。2009年に上屋の塗り替えが行われ、「宝ケ池」の字の残っていた柱は塗り潰されたが、「やまばな」の字の残る部分だけは敢えて塗り残され、透明塗料で剥落防止措置がなされた上で、「旧駅名標」の説明書きが添えられ保存されている。

乗換時の取扱い
叡山本線と鞍馬線の乗換駅となっているが無人駅のため、乗換えの際は乗客から乗務員への申し出により以下の取り扱いが行なわれる。
目的駅までの乗車券を所持している場合は、検札のみを実施。
無人駅から乗車の場合などで目的駅までの乗車券を所持していない場合は、車内で目的駅までの運賃を支払ったうえで目的駅までの乗車券を発行する。


回数券を利用している場合は、「乗換」と書かれた押印を実施。
交通系ICカード(ICOCA PiTaPa等)を利用している場合は、駅にある出場用簡易改札機あるいは車内のカード読み取り機にタッチして宝ヶ池駅までの運賃を引き落としたうえで、再度入場用簡易改札機にタッチする。目的駅では最初の乗車駅からの通し運賃と、宝ヶ池で引き落とされた額との差額が引き落とされる。


駅周辺
白川通(国道367号)に面し、駅南側で川端通(国道367号)と分かれた白川通の高架橋が線路を跨ぐ。周辺は白川通沿い以外は山に挟まれた狭い住宅地となっている。
駐輪場とコインパーキングが近くにある。また、北西約1キロメートルに京都市営地下鉄烏丸線国際会館駅がある。
宝ヶ池公園 子どもの楽園(旧競輪場跡地)
高野川
京都上高野郵便局


路線バス
駅の西口を出てすぐの白川通に、宝ヶ池バス停が設置されている。
北行(道路向い側)
京都市営バス
5・31・65系統:岩倉操車場行
京都バス
10系統:八瀬バイパス・大原 経由 朽木学校前行
16・17・18系統:八瀬駅前 経由 大原行
21・23系統:八幡前・長谷別れ 経由 岩倉実相院行
41・43系統:八幡前・長谷別れ 経由 岩倉村松行
大原・小出石行(毎朝1便)
南行
京都市営バス
5号系統:四条河原町 経由 京都駅行
31号系統:祇園 経由 四条烏丸行
65号系統:烏丸丸太町 経由 四条烏丸行
京都バス
10系統:京阪出町柳駅行(土曜・休日のみ)
16系統:京阪出町柳駅・四条河原町 経由 三条京阪行
17系統:京阪出町柳駅・三条京阪・四条河原町 経由 京都駅行
18号系統(土・休日1本のみ):白川通・百万遍・東山通 経由 京都駅行
21・41系統:高野橋東詰・京阪出町柳駅・府立医科大病院・河原町三条 経由 四条河原町行
京阪出町柳駅行(土曜・休日のみ)
川端通り 経由 高野車庫行

歴史
1925年(大正14年)9月27日 - 京都電燈が経営する叡山電鉄平坦線の山端駅(やまばなえき)として開業。
1928年(昭和3年)12月1日 - 鞍馬電気鉄道により山端 - 市原間が開業し、接続駅となる。
1929年(昭和4年)12月20日 - 鞍馬電気鉄道と京都電燈(出町柳駅方面)との乗り入れを開始。
1942年(昭和17年)
3月2日 - 京都電燈の会社解散準備に伴い、鉄軌道部門を分離設立した京福電気鉄道(京福)へ譲渡され、同社の駅となる。
8月1日 - 鞍馬電気鉄道が京福に合併する。これにより当駅は京福叡山本線と鞍馬線の駅となる。
1944年(昭和19年)
5月1日 - 当駅 - 八瀬(現在の八瀬比叡山口)間が、戦争に伴う資材供出のため単線化。
11月10日 - 当駅 - 二軒茶屋間が、戦争に伴う資材供出のため単線化。

1949年(昭和24年)12月 - 元田中から当駅まで京都市電の直通運転を開始。近隣の宝が池公園にあった競輪場への輸送に対応するためである。当駅には市電用の低床ホームが設けられ、現在も4番ホームの北側にその跡が残っている。
1951年(昭和26年)7月1日 - 当駅 - 八瀬間が再び複線となる。
1954年(昭和29年)6月10日 - 駅名を宝ヶ池駅に変更。
1955年(昭和30年)9月1日 - この日限りで京都市電の直通運転を終了。
1958年(昭和33年)4月9日 - 当駅 - 岩倉間が再び複線となる。
1986年(昭和61年)4月1日 - 路線が京福から分離設立した叡山電鉄へ譲渡され、同社の駅となる。


宝ヶ池駅
たからがいけ
Takaragaike
所在地 京都市左京区上高野上荒蒔町5-4
北緯35度3分29.37秒 東経135度47分32.43秒
所属事業者 叡山電鉄
駅構造 地上駅
ホーム 3面4線


乗車人員
-統計年度- 510人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)9月27日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■叡山本線
駅番号 E06
キロ程 3.8km(出町柳起点)
◄E05 修学院 (0.9km)(0.6km) 三宅八幡 E07►
所属路線 ■鞍馬線
駅番号 E06
キロ程 0.0km(宝ヶ池起点)
(0.9km) 八幡前 E09►

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