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高速船 れぴーどエクセル 

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れぴーどエクセル
1995年8月9日就航、三保造船所建造(第342番船)、鉄道建設・運輸施設整備支援機構共有
航路名 佐世保~神浦

双胴船(そうどうせん、カタマラン、Catamaran)とは、2つの船体(ハル、Hull)を甲板で平行に繋いだ船。南太平洋ポリネシアの原住民が、古来より用いていたカタマランは、双胴船の一種であり、英語などのヨーロッパの言語では、双胴船の意味でそのままこのカタマランの語を用いることが多い。

2艘の船をつないだ形状であることから、下部船体を細長くしても広いデッキ(甲板)が作れる。 これにより安定性が高くて傾き(ヒール)が小さく、また水面下の船体形状を細長く出来ることから巡航速度を高くすることができるため、外洋ヨットのデザインとして採用されることも多いが、モノハル(Mono-hull)と呼ばれる単胴型の通常のヨットに比べるとヒールには強いものの、一旦転覆すると転覆したまま「安定」してしまうので復原性が悪くなるデメリットがある。
また、旋回などの運動性能が劣るため、軍艦などには不向きとされてきたが、近年では、流体力学を用いた船舶工学の発展により、高速化・低燃費化に成功した。双胴船の考えは古くからあったが、これまでの木製・鋼鉄製の船体では、2つの下部船体とそれらを結合する上部船体により多くの構造部材を必要としており、また水との接触面積が広くなるために抵抗が増す不利もあるため、単胴船二隻に比べて総合的に優位に立つことが出来なかったが、小水線面積双胴船(SWATH)船型の採用や20世紀末頃から軽量なアルミ合金やFRP製の船体が使用可能になると、高速航行が求められる観光船やカーフェリーといった客船を中心に実用的な船が作られている。最近のアメリカスカップなどではACCのように炭素繊維を用いて軽量に作られた双胴船の左右にL字型の水中翼(ダガーボード)を設置し、高速時には船体を完全に浮上させて戦われるようになった。これと翼状のセール(ウイングセール)により、最高速度が時速80キロを超えるようになっている。

船舶番号 133640
信号符字 JM6500
IMO番号 8889907
船籍港 佐世保
船主名 西海沿岸商船(株)
鉄道・運輸機構
運行者 西海沿岸商船
就航航路 佐世保~面高~大島~松島~瀬戸~池島~神浦
造船所名 三保造船所 大阪
建造番号 342
起工年月 1995年3月
竣工年月 1995年7月
就航年月 1995年8月9日
総トン数 134トン
全長 30.65m
型幅 8.50m
型深さ 2.71m
機関 ディーゼル×2
機関馬力 4,076PS
航海速力 32.00ノット
旅客定員 245名

西海沿岸商船株式会社(さいかいえんがんしょうせん)は、長崎県佐世保市の海運会社。佐世保港を起点に西彼杵半島沿岸と離島である大島、松島、池島を結ぶ航路を運航している。

概要
佐世保港を起点に西彼杵半島北部の面高港、大島の肥前大島港、松島の釜浦桟橋、瀬戸港、池島の池島港、神浦港を結ぶ高速船および松島 - 瀬戸 - 池島 - 神浦間でフェリーを運航している。江崎海陸運送が同航路を運航する松島 - 瀬戸を除いて、唯一の航路で、島民の通勤・通学・通院など本土への交通、食料品・郵便物などの物資輸送を担っている。就航地のうち、佐世保港は佐世保市、面高港、大島、松島、瀬戸港は西海市、池島および神浦港は長崎市に属する。

1999年11月に大島大橋が長崎県道路公社が管理する有料道路として開通、その後、2011年4月に無料開放されるなど、大島と本土が陸路で結ばれたことで輸送量が減少、池島では2001年11月に池島炭鉱が閉山したことで、閉山当時約2,700名いた島民が約330名となり、こちらも輸送量が激減するなど、厳しい航路環境にある。そのため、長崎県を中心に九州運輸局、長崎市、西海市および当社が参加する「佐世保 - 神浦航路のあり方検討会議」が開催され、住民アンケートの結果などから、学生の通学に配慮したダイヤの設定、 廃棄物処理業者やバス事業者との運航時刻調整など対策を行った上で、航路維持のため、老朽化していた「フェリーおおしま」を廃船として減便を行い、運航経費を削減した。

航路
高速船
佐世保 - 面高 - 大島 - 松島 - 瀬戸 - 池島 - 神浦
佐世保 - 大島10.5往復、佐世保 - 池島1往復、佐世保 - 神浦0.5往復、神浦 - 大島0.5往復(大島で佐世保行に接続)
面高は大島便3往復のみ寄港。大島便のうち2往復は大島造船所休業日は運休となる。瀬戸は神浦便1往復のみ寄港。
フェリー
松島 - 瀬戸 - 池島 - 神浦
松島 -瀬戸3往復、瀬戸 -池島6往復、池島 - 神浦1往復


柳生橋駅 豊橋鉄道渥美線

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柳生橋駅(やぎゅうばしえき)は、愛知県豊橋市南松山町153番地にある、豊橋鉄道渥美線の駅である。駅番号は2。

かつて豊橋鉄道本社が併設された中枢駅でしたが、本社移転に伴い無人化されました。

駅構造
7:30-9:00のみ駅員を配置する駅員時間配置駅であり、それ以外の時間帯は無人駅になる。


単式ホーム1面1線を持つ地上駅で駅舎が無い。駅前には無料駐輪場が整備されている。
かつては花田駅(貨物駅、現在の花田信号所)から伸びた線路が当駅北側まで達していたが、現在は撤去されている。

改札口にはタッチパネル式の券売機が1台とICカード専用改札機が設置されています。
ホームには直接スロープで連絡します。
他に隣接する病院側にも入口が設置されています。


駅周辺
道路を挟んで駐輪場があります。。
国道259号(田原街道)
柳生川
豊橋松山郵便局
正林寺保育園
豊橋中央高等学校(徒歩10分)

路線バス
豊鉄バス
豊橋技科大線・三本木線「柳生橋」バス停

 

過去には豊橋鉄道本社ビル(木造2階建て)が隣接していた。また、1976年(昭和51年)3月7日まで軌道線の柳生橋支線の柳生橋駅があり、駅前方面や東田方面への連絡駅となっていた。

1925年(大正14年)
5月1日 - 渥美電鉄の松山駅として開業。
6月1日 - 柳生橋駅に改称。
7月14日 - 豊橋電気軌道(豊橋鉄道の前身)の支線(柳生橋支線)が開通。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により、渥美電鉄の駅は同社に継承。


1954年(昭和29年)10月1日 - 豊橋鉄道が渥美線の駅を譲受。
1976年(昭和51年)3月7日 - 柳生橋支線廃止。
2011年(平成23年)2月11日 - manaca導入。manaca用簡易改札機導入。

柳生橋駅
やぎゅうばし
Yagyubashi
◄1 新豊橋 (1.0km)(0.7km) 小池 3►
所在地 愛知県豊橋市南松山町153
北緯34度45分16.33秒
東経137度23分18.96秒
駅番号 2
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 1.0km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 658人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 1,345人/日
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)5月1日
備考 駅員時間配置駅 7:30-9:00
*1925年(大正14年)6月1日 松山駅より改称

 

 

大阪城御座船 

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大阪城の内壕(うちぼり)を約20分間で巡る観光船です。日本一高いとされる石垣が目の前に迫り、水面から見る天守閣は豪華絢爛。大阪城の美しさ、すごさを感じることができる小さな船旅です。

天守閣を内濠(堀)から見ることができる。天下人になった気分で「黄金の船 大阪城御座船」をお楽しむことができる。

この『大阪城御座船』は、「豊臣期大坂図屏風」(オーストリアのエッゲンベルク城所蔵)に描かれていた秀吉の「鳳凰丸」を参考に再現されている。

大阪城はもともと大坂本願寺があったところです。同宗の仏壇の中は金箔が貼り巡らされています。利休と秀吉の黄金の茶室に見られるように、黄金をこよなく愛した秀吉。

大阪城に夕日が映えると金色に輝いていたことから金城(錦城)とも呼ばれていました。


夏の陣から400年という2015年より、豊臣家や当時の兵士たちへの供養の意味も込めて、金色に輝く御座船を運航。『大阪城御座船』1隻あたりの金箔の使用量は、約3000枚!

大阪周遊パスが利用できる。
■運行期間:毎日運行
※荒天,機材調整等で中止する場合がある。
■営業時間:
10:00~16:30(最終便発)
※11月から2月は10:00~16:30(最終便発)
 3月から10月は10:00~16:50(最終便発)
 となります。
3隻体制で10分間隔で運行
※場合によっては2隻体制、15分間隔での運行になることも。
■乗船券売場:乗船場所
大阪城天守閣の北側、極楽橋からすぐ
■平成29年3月末より、定期便のご予約は受け付けていない。3隻体制での運行となり、10分間隔で船が出るので待ち時間少なく乗船できる。
■混雑期は、15時前後で最終便までのチケットが完売する場合もある。

南栄駅 豊橋鉄道渥美線

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南栄駅(みなみさかええき)は、愛知県豊橋市南栄町字空池46番地の1にある豊橋鉄道渥美線の駅である。駅番号は5。駅の周囲は住宅地です。

概要
陸軍病院前駅として開業し、戦後南栄駅に改称された。駅員配置駅で早朝・夜間は無人になる。自動券売機あり。豊橋工業高校や時習館高校の生徒の利用が多い。

駅構造
単式ホーム1面1線を持つ地上駅である。新しく駅舎が建て替えられた。ホームを含め駅舎全体がバリアフリー化された。

駅周辺
公共施設
南部地区市民館
南陽地区市民館
豊橋市草間地区体育館
アイプラザ豊橋(豊橋勤労福祉会館)
旧豊橋市生活家庭館→平成25年4月よりアイプラザ豊橋へ機能移転
教育機関
愛知県立豊橋工業高等学校
愛知県立時習館高等学校
愛知県立豊橋聾学校


金融機関
日本郵便豊橋南郵便局
蒲郡信用金庫南栄支店
豊橋信用金庫南栄支店
豊橋商工信用組合南栄支店
医療機関
森田歯科
伊藤歯科医院
かどその歯科医院
みずの耳鼻咽喉科医院
大林こどもクリニック
商店
コンドーパン南栄蟹原店
ベントマン南栄
スーパー
ヤマナカ豊橋フランテ館


道路
国道259号(田原街道)
愛知県道386号平井牟呂大岩線(立岩街道)
その他
進雄神社
シライミュージック
ブックオフ豊橋店
個別指導スクールIE南栄駅前校

 

1937年(昭和12年) - 渥美電鉄の陸軍病院前駅として開業。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。
1946年(昭和21年)以前 - 病院前駅に改称。
1947年(昭和22年)1月10日 - 南栄駅に改称。
1954年(昭和29年)10月1日 - 豊橋鉄道への譲渡により同社の駅となる。
2019年(平成31年)3月23日 - 始発から新駅舎の供用を開始。

 


南栄駅
みなみさかえ
Minamisakae
◄4 愛知大学前 (0.7km)(1.1km) 高師 6►
所在地 愛知県豊橋市南栄町字空池46番地の1
北緯34度44分9.29秒
東経137度23分7.69秒座標: 北緯34度44分9.29秒 東経137度23分7.69秒
駅番号 5
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 3.2km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 1,904人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 3,732人/日
-2017年-
開業年月日 1937年(昭和12年)
備考 駅員時間配置駅7:00〜19:30
*1947年(昭和22年)1月10日 陸軍病院前駅より改称

米海軍 高速輸送艦グアム(Guam T-HST-1)

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USNS グアム(T-HST-1)(旧ハワイスーパーフェリーのワカイ)は、米国海軍の高速輸送船です。この船は2008年9月に完成し、2009年5月にハワイでの運航を開始する予定でしたが、配送の延期により、予定されていた運航はキャンセルされました。でハワイ語、huaka'iは「旅」を意味します。

スピアヘッド級遠征高速輸送機の設計は、Austal USAが建造したハワイスーパーフェリーと共通して70%です。USNS グアムのように建てられたHuakai、名前に基づいており、ハワイ語の単語huaka'i「旅」を意味し、。船舶は、長さ373フィート(114 m)の高速ロールオン/ロールオフ(Ro / Ro)旅客船です。この船はもともとハワイスーパーフェリー用に造られたもので、866人の乗客と最大282台の小型車を収容できます。それはより長い19フィート(5.8メートル)である姉妹船。この船体は、非毒性のボトムペイント、廃水ゼロ排出、クリーンディーゼルエンジンなど、環境に優しい技術を採用しています。

オーストラリア最大のファーストフェリービルダーであるオーストラリアの会社、Austalの子会社であるAustal USAがHuakaiを設立しました。ワカイの建設は2007年にアラバマ州モバイルで始まりました。この船は2009年に就航する予定でしたが、会社が突然閉鎖されたため、停泊しました。アラカイもアラバマ造船所に戻りました。2009年7月2日、ハワイスーパーフェリーは、ワカイとアラカイを放棄することを決定しました。

履歴
2010年1月、米国海事局は、2010年ハイチ地震の救援にワカイとアラカイを使用すると発表しました。2010年9月13日に、バージニア州東部地区連邦地方裁判所により、ワカイとアラカイがそれぞれ2,500万ドルで競売にかけられました。それらは、米国運輸省の海事局によって購入されました。2012年1月27日に、米国運輸省の海事局は、2012年の防衛認可法に基づいて、2つの高速船HuakaiおよびAlakaiを米国海軍に移管しました。海軍は、沖縄や他の場所から訓練エリアに機器を提供し、海軍が新しい船を建造することなくこれらの固有の運用要件を満たすのを支援します。2012年5月、海軍はアラカイとワカイの両方の名前が変更されたことを発表しました。アラカイはUSNS プエルトリコと改名され、ワカイはグアムになりました。グアムは、2013年3月に沖縄でチャーターされたウエストパックエクスプレスを置き換えるために変更され、プエルトリコは2016年まで停泊したままでした。

名前: USNS グアム
オーナー: アメリカ海軍
オペレーター: アメリカ海軍
進水: 2019年4月27日
識別:
IMO番号: 9328924
MMSI番号:369466000
コールサイン:NGUM
一般的な特性
タイプ: フェリー
変位: 1,646トン
長さ: 373フィート(114 m)
ビーム: 78フィート(24 m)
ドラフト: 14フィート(4.3 m)
デッキ: 4
デッキクリアランス: 14フィート(4.3 m)
インストール済みの電源: 4 x MTU 20V 8000 M70
推進: 4 x Rolls-Royce KaMeWa 125MkIIウォータージェット
速度: 35 ノット(65 km / h)
容量: 866人の乗客、282台の車
クルー: 21

植田駅 豊橋鉄道渥美線

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植田駅(うえたえき)は、愛知県豊橋市植田町中畑にある豊橋鉄道渥美線の駅である。駅周辺は農村地帯。駅番号は8。

概要
渥美線開業と同時に開設された駅で、無人駅である。駅舎はなくホームに待合室が設置されています。植田変電所(出力1000kw×2)が近くにある。

戦時中、当駅から大崎海軍航空隊へ約3kmの引き込み線工事が行われたが、途中で中止され農道などに転用された。

駅構造
相対式ホーム2面2線で交換設備を持つ地上駅である。

ホームは構内踏切で結ばれ、バリアフリーのスロープがあります。
ホームには上屋が設置されていません。ホーム待合室の中に。造り付けの長椅子が設置されています。

駅周辺
駅前に駐輪場、駐車場があります。
豊橋市立植田小学校
豊橋市立南稜中学校
車神社
豊鉄バス 本社・豊橋営業所(旧・豊橋鉄道豊橋自動車営業所)
豊鉄植田パーキング(月極専用)
最寄の交通機関
徒歩圏内にバス停などはない。

歴史
1924年(大正13年)1月22日 - 渥美電鉄の駅として開業。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。


1954年(昭和29年)10月1日 - 豊橋鉄道への譲渡により同社の駅となる。

1969年(昭和44年)4月 - 無人化

植田駅
うえた
Ueta
◄7 芦原 (1.0km)(0.8km) 向ヶ丘 9►
所在地 愛知県豊橋市植田町中畑
北緯34度42分39.3秒
東経137度22分23秒
駅番号 8
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 6.3km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 320人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 671人/日
-2017年-
開業年月日 1924年(大正13年)1月22日
備考 無人駅

 

愛知大学前駅 豊橋鉄道渥美線

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愛知大学前駅(あいちだいがくまええき)は、愛知県豊橋市北丘町1番地1にある豊橋鉄道渥美線の駅である。

駅は愛知大学の正門前に位置しています。駅番号は4。


改札と愛知大学豊橋校舎の門が隣接しており、ホームの一部は大学敷地内にある。1924年、師団口駅として開業したが、高師口駅へと改称した後、1944年に一旦は休止した。その後、愛知大学が豊橋駅から豊橋校舎(旧陸軍第十五師団跡地)までのスクールバスを廃止したため、1968年、大学前駅として営業再開した。2005年より現在の愛知大学前へと改称している。

駅員配置駅で早朝・夜間および日曜・祝日は無人になる。ただし日曜・祝日は、愛知大学入学試験期間、予備校の模擬試験などで臨時営業する場合もある。普通乗車券は発売しているが、他社線連絡切符や硬券入場券は置いていない。

当駅と小池駅の間には、国道259号(田原街道)や愛知県道502号豊橋環状線(豊橋環状線)と立体交差するための地下区間「小池隧道」が存在する。

駅構造
単式ホーム1面1線を持つ地上駅である。駅舎はありませんが、小さな事務室が設置され、窓口が営業しています。


ホーム上にはベンチや飲料自動販売機が設置されてホームは化粧タイルが貼られています。
ホーム上屋は大きく波打った独特なデザインです。ホーム待合所の風除けは打ち放しのコンクリート製です。
ホームにはスロープで連絡します。

改札口は北口と南口の2ヶ所ある。北口・南口ともバリアフリーである。南口は愛知大学関係者専用口のため、講義期間中や試験期間中の平日・土曜の一部時間帯のみ開くが、日曜・祝日や長期休暇期間は閉鎖される。


駅周辺
道路
国道259号(田原街道)
愛知県道2号豊橋渥美線(大崎街道)、愛知県道502号豊橋環状線(豊橋環状線)
公共施設
豊橋市南部窓口センター
豊橋警察署南部交番


教育機関
豊橋市立栄小学校
豊橋市立中野小学校
豊橋市立福岡小学校
豊橋市立南部中学校
愛知県立時習館高等学校
愛知県立豊橋工業高等学校
愛知県立豊橋聾学校
愛知大学
愛知大学短期大学部
郵便局
豊橋福岡郵便局


ショッピングセンター
イオンタウン豊橋橋良
スーパー
フードオアシスあつみ豊橋山田店
ホームセンター
DCMカーマ豊橋山田店
薬局
ジップドラッグシーズアンドアーパス山田店
その他
ザ・ダイソー イオンタウン豊橋橋良店
愛知大学生活協同組合(旧愛知大学豊橋消費生活協同組合)
生活彩家 愛知大学豊橋キャンパス店


歴史
1924年(大正13年)4月25日 - 渥美電鉄の師団口駅として開業。
1925年(大正14年)5月1日 - 新豊橋駅(初代、現・花田信号所) - 当駅間開業に伴い途中駅となる。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。
1943年(昭和18年)11月1日 - 高師口駅に駅名改称。
1944年(昭和19年)6月5日 - 営業休止。
1968年(昭和43年)4月1日 - 大学前駅として豊橋鉄道が現在地で営業再開。
2005年(平成17年)
1月29日 - 愛知大学前駅に駅名改称。
2月7日 - ホーム改良工事開始。
4月18日 - ホーム改良工事終了。
5月16日 - 改築工事完成披露式典挙行。
2011年(平成23年)2月11日 manaca導入。

愛知大学前駅
あいちだいがくまえ
Aichidaigakumae
◄3 小池 (0.8km)(0.7km) 南栄 5►
所在地 愛知県豊橋市北丘町1番地の1
北緯34度44分29.8秒
東経137度23分8.7秒
駅番号 4
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 2.5km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 2,607人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 5,273人/日
-2017年-
開業年月日 1924年(大正13年)4月25日
備考
駅員時間配置駅
7:45〜18:00(愛知大学開校日)

 

 

 

 

 

大清水駅 豊橋鉄道渥美線

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大清水駅(おおしみずえき)は、愛知県豊橋市大清水町大清水にある、豊橋鉄道渥美線の駅である。駅の近くに大規模住宅団地と愛知県立豊橋南高等学校があり朝夕は賑わっています。駅番号は10。

概要
渥美線開業時に開設され、駅員時間配置駅で早朝・夜間は無人になる。住宅地であるレイクタウン富士見台とは、豊鉄バスの路線バス「レイクタウン線」が連絡している。豊橋南高校の利用者が多い。

駅構造
相対式ホーム2面2線で交換設備を持つ地上駅である。駅舎は鉄骨造、大きな切り抜き文字の駅名表示が目立っています。切符売場に券売機が1台、有人窓口もあります。トイレあり。

ホームは構内踏切で結ばれています。
かつては当駅から豊橋紡績まで引き込み線が敷設されていたが、用途廃止されている。


ホームには上屋と待合室があります。

駅周辺

駅には駐輪場があります。
愛知県立豊橋南高等学校
豊橋市立大清水小学校
豊橋大清水郵便局
レイクタウン富士見台(バスで連絡)
豊鉄大清水パーキング(月極専用)
ミズノ
豊橋南プラザ(マックスバリュ豊橋南店、カーマ21豊橋南店等)
愛知県道409号東赤沢植田線(富士見街道)

バス路線
豊鉄バスレイクタウン線「大清水駅前」バス停

歴史
1924年(大正13年)1月22日 - 渥美電鉄の駅として開業。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。


1954年(昭和29年)10月1日 - 豊橋鉄道への譲渡により同社の駅となる。
1969年(昭和44年)3月 - 豊橋紡績への引込線撤去


大清水駅
おおしみず
Oshimizu
◄9 向ヶ丘 (1.4km)(2.2km) 老津 11►
所在地 愛知県豊橋市大清水町大清水
北緯34度41分45.48秒
東経137度21分32.64秒
駅番号 10
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 8.5km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅


ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,500人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 2,925人/日
-2017年-
開業年月日 1924年(大正13年)1月22日
備考
駅員時間配置駅

駅員配置時間7:00〜18:30


西九州倉庫(株)前畑1号倉庫(旧第五水雷庫)と干尽倉庫群(旧軍需部倉庫群)

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明治期の日本は,近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急務であった。このため,国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築いた。静かな農漁村に人と先端技術を集積し,海軍諸機関と共に水道,鉄道などのインフラが急速に整備れ,日本の近代化を推し進めた四つの軍港都市が誕生した。
百年を超えた今もなお現役で稼働する施設も多い。

西日本冷凍(株)前畑工場 (旧軍需部第四炸薬弾丸庫)
干尽地区には大正時代から昭和10年代にかけて建てられた旧軍需部の倉庫が9棟現存している。このうち西九州倉庫(株)が使用している1号倉庫(旧第五水雷庫)、7号倉庫(旧弾丸庫)、8号倉庫(旧兵器倉庫)と、西日本冷凍(株)前畑工場(旧第四炸薬弾丸庫)の4棟が特に大きい。これらの大型倉庫と共に昭和期の木造倉庫群が残されていることも珍しい。

対岸の前畑地区には火薬類が保管され、干尽地区には魚雷や機雷、砲弾類が保管された。両者の間には兵器に火薬を装填する火工工場が置かれていた。そのため干尽地区には大型の倉庫が多数建設された。


艦隊への補給という鎮守府の役割を象徴する倉庫群。干尽地区には魚雷や爆弾本体が保管された。規模の大きな倉庫が多く、現在も港湾荷役を担っている。


2016年4月25日に日本遺産として登録された歴史的建造物ですが今も現役です。定温倉庫/一般倉庫にて、国産米や輸入米、飼料用原料や、建築材料、産業機械などの保管を行います。外国貨物取扱可能な保税倉庫として様々なお客様のニーズにお応えている。定温倉庫は夏季でも庫内温度を一定に保ち、カビの発生や害虫を防ぎクリーンで安全性の高い米の保管を行います。

 


所在地
佐世保市干尽町

芦原駅 豊橋鉄道渥美線

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芦原駅(あしはらえき)は、愛知県豊橋市芦原町字東にある豊橋鉄道渥美線の駅である。

駅番号は7。駅沿周辺は田畑がひろがっています。

概要
当駅は一時休止されていたが、豊橋鉄道の住宅団地造成による住民の利便性向上のために復活した。無人駅である。

駅構造
相対式ホーム2面2線で交換設備を持つ地上駅である。駅舎はなく、簡易な待合室が設置される駅です。

新豊橋方面ホーム入口に待合室がある。ホーム幅は狭く、上屋も入口付近に設置されるのみです。


ホームは構内踏切で結ばれています。
上りホーム脇の待合室には造り付けの長椅子が設置されています。


駅周辺
県道からのアプローチは、駐輪場として利用されています。
豊橋市立芦原小学校
豊鉄建設株式会社


歴史
1924年(大正13年)1月22日 - 渥美電鉄の駅として開業。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。
1944年(昭和19年)6月5日 - 営業休止。


1962年(昭和37年)3月15日 - 豊橋鉄道の駅として営業再開。
1985年(昭和60年)9月1日 - 列車交換設備追加。新豊橋 - 大清水間15分間隔運転開始によるもの。現在は新豊橋 - 三河田原間で15分間隔運転を実施。


その他
当駅西方の植田駅方と梅田川橋梁の間は、愛知県道31号東三河環状線を跨ぐ高架線となっている。


芦原駅
あしはら
Ashihara
◄6 高師 (1.0km)(1.0km) 植田 8►
所在地 愛知県豊橋市芦原町字東
北緯34度43分5.8秒
東経137度22分47.8秒
駅番号 7
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 5.3km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 349人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 711人/日
-2017年-
開業年月日 1924年(大正13年)1月22日
備考 無人駅

 

やぐま台駅 豊橋鉄道渥美線

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やぐま台駅(やぐまだいえき)は、愛知県田原市谷熊町にある豊橋鉄道渥美線の駅である。駅番号は13。

谷熊駅として開業し、戦時中にいったん営業休止されたが、豊橋鉄道の住宅地造成による利用者の利便性向上のため復活。

やぐま台駅として1971年(昭和46年)4月に営業再開された。

駅構造
単式ホーム1面1線を持つ地上駅である。無人駅。ホームに待合室内があります。
ホームは1点字ブロックが整備されています。

駅周辺
駅入口には駐輪場が設置されています。
国道259号(田原街道)


やぐま台住宅
豊鉄やぐま台パーキング(月極専用)


バス路線
350mほど離れた国道259号(田原街道)上に、 豊鉄バス伊良湖本線の「やぐま台」バス停がある。

歴史
1924年(大正13年)1月22日 - 渥美鉄道の谷熊駅として開業。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。
1944年(昭和19年)6月5日 - 営業休止。
1971年(昭和46年)4月1日 - やぐま台駅として豊橋鉄道により営業再開。

 

やぐま台駅
やぐまだい
Yagumadai
◄12 杉山 (1.3km)(1.5km) 豊島 14►
所在地 愛知県田原市谷熊町
北緯34度40分25.8秒
東経137度18分34秒
駅番号 13
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 14.0km(新豊橋起点)


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 195人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日
1924年(大正13年)1月22日
備考 無人駅
*「谷熊駅」として開業

MSC-602掃海艇やくしま(ひらしま型掃海艇2番艇) 

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MSC-602掃海艇やくしま(ひらしま型掃海艇2番艇)

やくしま(ローマ字:JS Yakushima, MSC-602)は、海上自衛隊の掃海艇。ひらしま型掃海艇の2番艇。艇名は屋久島に由来する。鵜来型海防艦「屋久」、うじしま型掃海艇「やくしま」、はつしま型掃海艇「やくしま」に次いで日本の艦艇としては4代目。


「やくしま」は、平成17年度計画掃海艇394号艇として、USC京浜事業所で2006年5月17日に起工され、2007年9月26日に進水、2009年3月6日に就役し、掃海隊群第2掃海隊に編入され佐世保に配備された。

ひらしま型掃海艇(ひらしまがたそうかいてい、英語: Hirashima-class minesweeper)は、海上自衛隊の中型掃海艇(Mine Sweeper Coastal, MSC)の艦級。ネームシップの建造単価は175億円であった。
ホーミング機雷に対抗するため、優れた機雷探知能力を有する新型の水中航走式機雷掃討具を採用している。平成20年度よりFRP船体のえのしま型へ建造が移行したため調達は3隻で打ち切られた。

全体に刷新された対機雷戦システムが搭載されている。また水中処分員の再圧タンクもこれまでの一人用から二人用に変更されている。
C4ISTAR
本型の対機雷戦システムの中核となるのがOYQ-201掃海艇情報処理装置(Mine Countermeasures Data System: MCDS)である。これはすがしま型で搭載されたイギリス製のNAUTIS-Mに範をとって、一部を除き国産化されたものであり、S-10操作用コンソール、機雷探知機用コンソール、CIC指揮官用コンソール、艦橋コンソール、および司令部CICコンソールにより構成されている。S-10等武器管制機能のほか、航海情報管理、また対機雷戦計画・評価支援機能を備えている[3]。
機雷探知機としてはZQS-4が搭載される。すがしま型では可変深度式の2093型が採用されたが、本型では従来通りの船底装備式とされた。これは水中航走式機雷掃討具S-10が機雷探知機としての機能を備え、探知最適深度で運用されるために海面付近の比較的浅い部分が死角となりやすいことから、これを補完して運用するためのものであった。また作戦海域海底の事前調査用としてはサイドスキャン・ソナー4型が搭載される。うわじま型で搭載された2型と比べて、クライン5500の採用によってマルチビーム化したことで、より高速(倍以上)での捜索を可能としている。
機雷掃討
掃討具としては、新規開発された水中航走式機雷掃討具S-10を搭載している。これは従来の機雷探知機・可変深度ソナー・機雷処分具の機能を兼ね備えて、探知・類別・処分の全工程を実施できる自己完結型システムとなっており、アメリカのMk.60 CAPTORや旧ソ連のPMT-1などホーミング機雷に対して、その攻撃範囲外からの処分を可能としている。
機雷掃海
係維掃海具
海上自衛隊の中型掃海艇(MSC)では、戦後初の国産艇である昭和28年度計画艇(あただ型・「やしろ」)以後、長年にわたって53式普通掃海具(O型)を搭載してきた。しかし本型では、51年ぶりの新型機として小型係維掃海具1型が搭載される。これは53式O型の浅深度掃海性能を落とさずに軽量化・省力化したものである。
係維索の切断手法としては従来の歯型カッターにかえて爆破型カッターを採用して低速域での切断能力を向上し、また展開器を吊下する曳航浮標にはGPSを搭載して、MCDSと連動することで掃海海面の把握を可能にしている。
感応掃海具
感応機雷に対する掃海具としては、従来の磁気掃海具と音響掃海具を統合した感応掃海具1型が搭載される。その信号モードとしては、従来通りのMSM(マイン・セッティング・モード: 機雷の調定感度等を推定して、それに適合させた信号を流す)に加えて、TEM(ターゲット・エミュレーション・モード: 艦船の磁気・音響シグネチャーを模倣した信号を流す)が実装された。
ただしTEM機能については、予算等の事情から1番艇では後日装備となり、2番艇以降の搭載となっている


2009年12月8日、長崎県沖で墜落した第22航空隊SH-60Jヘリの捜索に参加。
2011年3月11日、発生した東日本大震災の災害派遣に参加。
同年7月14日から7月26日、陸奥湾で掃海特別訓練に参加。
2012年2月1日から2月8日、伊勢湾で対機雷戦訓練に参加。
同年11月17日から11月30日、日向灘で機雷掃海訓練に参加。
2014年2月1日から2月8日、伊勢湾で平成25年度機雷戦訓練に参加。
2016年2月1日から2月10日、伊勢湾で平成27年度機雷戦訓練に参加。
2017年2月1日から2月10日、伊勢湾で平成28年度機雷戦訓練に参加。機雷戦訓練終了後、佐世保に帰投中の2月12日午前8時45分頃、室戸岬の南方約10kmで甲板作業中の乗員が海中に転落し、行方不明となった。呉地方総監部と高知海上保安部の艦船30隻超と航空機で捜索したが発見に至らず、一ヶ月後に捜索は打ち切られた。

やくしま
基本情報
建造所 USC京浜事業所
運用者 海上自衛隊
艦種 掃海艇(中型掃海艇)
級名 ひらしま型
母港 佐世保
所属 掃海隊群第2掃海隊
艦歴
発注 2005年
起工 2006年5月17日
進水 2007年9月26日
就役 2009年3月6日
要目
排水量 基準 570トン
満載 650トン
長さ 57 メートル (187 ft)
幅 9.8メートル (32 ft)
深さ 4.4メートル (14 ft)
吃水 3.0メートル (9.8 ft)
機関 CODOE方式
主機 三菱6NMUディーゼルエンジン × 2基
補助電動機 × 2基
出力 2,200馬力
推進器 スクリュープロペラ × 2軸
速力 14 ノット (26 km/h)
乗員 48人
兵装 JM61-M 20mm多銃身機銃 × 1門
搭載艇 4.9m型複合作業艇 × 1隻
ジェミニ・ディンギー処分艇 × 1隻
C4ISTAR OYQ-201 掃海艇情報処理装置
レーダー OPS-39 対水上捜索用
ソナー ZQS-4 機雷探知機
サイドスキャンソーナー4型
その他 水中航走式機雷掃討具S-10 一式
小型係維掃海具1型一式
感応掃海具1型 一式

天神駅 福岡市地下鉄空港線

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天神駅(てんじんえき)は、福岡県福岡市中央区天神二丁目に所在する福岡市地下鉄空港線の駅。福岡市の繁華街に位置し、七隈線や西鉄天神大牟田線との乗換え駅として機能している。駅番号はK08。線内最大の利用客。

駅のシンボルマークは福岡市出身のグラフィックデザイナー、西島伊三雄がデザインしたもので、5つの丸を円形に並べたもので天神様(菅原道真)を意味する梅の花をイメージしている。


駅構造
明治通りの天神交差点周辺直下に位置する。

地下1階に天神地下街と連続するコンコースと改札口、地下2階に島式1面2線のホームがある。 改札口は地下街を挟んで東側に東口、西側に中央口と西口の3箇所で、改札機は全部で42機ある。 地上と地下の出入り口は16箇所ある。

七隈線天神南駅へは一回改札口を出て天神地下街を歩く構造になっている。

当駅付近の設計は福岡市が、実際の工事施工は大林組と若築建設が担当している

売店は東口にあったが閉鎖され、西口と中央口の間にファミリーマートがある。

のりば
のりば 路線 行先
1 空港線 博多・福岡空港・貝塚方面
2 西新・姪浜・唐津方面


駅周辺
商業施設
イオンショッパーズ福岡店
ノース天神
ミーナ天神
FUTATA THE FLAG TENJIN
アクロス福岡
天神地下街
新天町商店街
福岡三越
岩田屋本店
福岡パルコ - 西口コンコース直結(新館)、7番出入口直結(本館)。
ソラリアステージ
ソラリアプラザ
ヴィオロ
天神コア
天神ビブレ
イムズ
福岡県赤十字血液センター(献血ルームハッピークロス イムズ)
ベスト電器福岡本店
メディアモール天神
ビックカメラ天神1号館・2号館
Apple Store福岡天神
大丸福岡天神店

交通
西鉄福岡(天神)駅
西鉄天神高速バスターミナル

公共機関、サービス等
福岡市役所
福岡銀行本店
西日本シティ銀行天神支店
三菱UFJ銀行福岡支店(旧 東京三菱銀行)・福岡中央支店(旧 UFJ銀行、福岡支店内に移転)
みずほ銀行福岡支店
西日本宝くじの抽せんは主にここで行われる。
三井住友銀行天神町支店
りそな銀行福岡支店
三菱UFJ信託銀行福岡支店
三井住友信託銀行福岡支店
新生銀行福岡支店
あおぞら銀行福岡支店
SBJ銀行福岡支店
東京スター銀行福岡支店
北九州銀行天神支店
佐賀銀行福岡支店
佐賀銀行天神支店
肥後銀行福岡支店
百十四銀行福岡支店
商工組合中央金庫福岡支店
福岡証券取引所
福岡中央郵便局
福岡競艇場

ホテル
西鉄グランドホテル
ソラリア西鉄ホテル福岡

その他
専門学校コンピュータ教育学院福岡天神ITキャンパス
天神中央公園
警固公園
水鏡天満宮
福岡市文学館
福岡県公会堂貴賓館
福岡県済生会福岡総合病院
福岡競艇場 - 徒歩10分程度
福岡県立美術館 - 同上
福岡市民会館 - 同上


歴史
1981年(昭和56年)7月26日 - 開業。

七隈線乗り換え
七隈線へは一旦改札を出て、天神地下街を介して天神南駅で乗り換えとなる。天神駅の改札内を出場してから120分以内に天神南駅の改札内に入場する場合に限り、天神駅と天神南駅を“同一駅扱い”とし、営業キロを通算した運賃で乗車することができる。ただし、普通乗車券で乗車する場合は、乗り換えのために天神南駅で出場する際に緑色に塗られた乗り換え専用改札機から出場しないと、乗車券が改札機により回収されてしまう。カードで乗車する場合は、どの改札機でも営業キロの通算が可能である。乗り換え時間を利用して買い物や用務などをすることが可能だが、単純に乗り換え目的だけで利用する場合は不便であるとの評価がある。乗り継ぎ客の利便を図るため、天神・天神南の両駅事務所で荷物用カートやベビーカーを貸し出している。

 

天神駅
てんじん
Tenjin
◄K07 赤坂 (0.8km)(0.8km) 中洲川端 K09►
所在地 福岡市中央区天神二丁目
北緯33度35分29.36秒
東経130度23分57.69秒
駅番号 ○K08
所属事業者 福岡市交通局
所属路線 空港線
キロ程 7.3km(姪浜起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 84,380人/日(降車客含まず)
-2018年-
開業年月日 1981年(昭和56年)7月26日
乗換 天神南駅(福岡市地下鉄七隈線)
西鉄福岡(天神)駅
(西鉄天神大牟田線)

横山駅 神戸電鉄三田線・公園都市線

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横山駅(よこやまえき)は、三田市街地の南外れ兵庫県三田市南が丘二丁目にある、神戸電鉄の駅。駅番号はKB27。標高167m。朝夕は多くの通学利用が多い駅です。

神戸電鉄の乗務員時刻表(スタフ)に表記されている駅略号はY(Yokoyama)である。
神戸電鉄三田線・公園都市線の列車が発着する。当駅は公園都市線の起点であり、公園都市線の0キロポストも設置されているが、公園都市線の列車はすべて三田線を経由して三田駅に発着する。三田線は当駅から三田駅まで複線、当駅から田尾寺駅までは単線となる。
ホームには1、2番線ともLEDによる行先表示器が設置されているが、1番線のものは、特急が廃止されて隣の三田本町駅を通過する列車がなくなったため(三田本町は横山 - 三田間の唯一の中間駅)、種別にかかわらず「普通」と表示される。

駅前にはロータリーが設置されているが、バス停はなく、タクシー乗り場にも客待ちをするタクシーの姿はない。
三田学園中学校・高等学校の最寄り駅であり、三田学園が市外からの通学者が多いことも手伝って、朝には駅は三田学園の学生でごったがえす。三田学園前という当駅の別称も駅名盤や車内のアナウンスで用いられている。駅では他に、三田線と公園都市線とを相互に乗り継ぐ客が多い。神戸電鉄は、通しの料金で乗れる公園都市線各駅と神戸間を除き、三田対神戸間の競争力が低く、三田線を通しで乗る客は少ないため、当駅で乗客の大半が入れ替わってしまう。当駅には公園都市線の開業を記念したモニュメントが2か所に設置されている。1つは掘割面にコンクリートで造形されており、構内からでないと確認しにくい。もう1つはロータリーの隅に設置されている。掘割の部分に島式1面2線のホームを持つ橋上駅だが、周辺の土地は起伏が激しいため、駅の北側からは地上駅のように見える。入線する列車は最大4両だが、ホーム有効長は5両分用意されている。エレベーターは構内に一基設置されている。

当駅から三田側は三田線・公園都市線共用の複線となるが、新開地・ウッディタウン中央側では単線の線路二本がそれぞれ別方向に向かって延びている。このため、日中の公園都市線の列車と早朝・深夜の三田線の一部の列車は当駅で交換する。当駅から新開地方面へ延びる線路は急カーブを描き、そのため新開地方面へ発着する列車は徐行する。公園都市線は駅を出るとすぐトンネルに入るが、2番線には直線状に線路がつながっているので、公園都市線からの三田行の列車は速度を落とさずに入線してくることが多い。2番線新開地・ウッディタウン中央側にある安全側線は、当駅 - 田尾寺間の複線化の準備と考えられるが、複線化の目途は立っていない。三田側にも渡り線が設置され、三田方面からの列車の折り返しができるようになっている。神戸電鉄の車両の行先表示幕には「横山」のものが用意されているが、現在各方面とも横山駅を始発・終着とする列車の設定はない。切符売場には券売機が2台設置。改札口の改札機は3台。

単線時代も島式ホームを持ち、今よりも高台にあった。
のりば
1 (下り) ■三田線
三田方面
2 (上り) ■三田線 有馬口・谷上・鈴蘭台・湊川・新開地方面
■公園都市線 フラワータウン・ウッディタウン中央方面
1番線・2番線とも公園都市線を含めた3方向からの入線に対応しており、1番線からは新開地方面・ウッディタウン中央方面への発車も可能。

駅周辺
三田市の市街地の外れにあり、住宅は多い。
国道176号
三田学園中学校・高等学校
特に三田学園は至近で、駅周辺案内にも「駅前」と記されている。
兵庫県立北摂三田高等学校
三田市立八景中学校
三田市立図書館
兵庫県道720号テクノパーク三田線
市立図書館前バス停
駅前ロータリー発着のバスはなく、このバス停が最寄りとなる。
多聞寺
宝塚三田病院

1928年(昭和3年)12月18日 - 三田線開通と同時に、電鉄横山駅として開業。
1947年(昭和22年)1月9日 - 三木電気鉄道との合併により、神有三木電気鉄道(現在の神戸電鉄)の駅となる。
1988年(昭和63年)4月1日 - 横山駅に改称。
1990年(平成2年)5月20日 - 三田方へ100mの位置へ移転。
1991年(平成3年)
3月24日 - 三田線当駅 - 三田間複線化。
10月28日 - 公園都市線が当駅 - フラワータウン間で開業

横山駅*
兵庫県三田市南が丘二丁目9-13
北緯34度52分36.79秒 東経135度13分12.07秒座標: 北緯34度52分36.79秒 東経135度13分12.07秒
所属事業者 神戸電鉄
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 2,320人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1928年(昭和3年)12月18日
乗入路線 2 路線
所属路線 三田線
駅番号 ○KB27
キロ程 10.0km(有馬口起点)
湊川から30.0km
新開地から30.4km
◄KB26 神鉄道場 (1.5km)(1.0km) 三田本町 KB28►
所属路線 公園都市線
駅番号 ○KB27
キロ程 0.0km(横山起点)
三田から2.0km
◄(**KB28 三田本町) (-km)(2.3km) KB31 フラワータウン►
備考 * 1988年に電鉄横山駅から改称
** 全列車が三田駅まで乗り入れ

CL133あいかぜ(2 0メートル型巡視船)佐世保海上保安部

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すずかぜ型巡視艇(すずかぜがたじゅんしてい、英語: Suzukaze-class patrol craft)は、海上保安庁の巡視艇の船級。区分上はCL型、公称船型は20メートル型。なお、ネームシップが配属替えに伴い改名したことから、現在ではひめぎく型とも呼ばれる。

来歴
海上保安庁では昭和24年度計画より国産巡視船艇の整備を開始したが、その先頭を切って就役したのが15メートル型CL(そよかぜ型)であった。これは、海保創設当時に巡視船の性能と保有量に制限が加えられていたことから、その制限の枠外において基地周辺の制限沿海海域において巡視船を補完するための港内艇として設計されたものであったが、非常に優秀で乗員の信頼を得たことから概略配置をほとんど変更せずにマイナーチェンジのみで建造され続け、最終バッチにあたるちよかぜ型は昭和43年度から50年度にかけて実に96隻が建造された。
しかし15メートル型は長年の装備強化の積み重ねで排水量が増加するとともに、船舶安全法関係諸規則の改正にともなって規則に触れる部分が増えてきた。このことから昭和52年度以降の建造分(やまゆり型)では、初めて船体寸法も変更して大型化を図り、部内では18メートル型と称された。そして平成3年度計画ではちよかぜ型の代船建造に着手されることになったが、これは更に大型化を図ることとなった。これが本型である。
さらにちよかぜ型の退役完了後も、今度はやまゆり型の更新用としても建造が続行された。平成26年度補正及び平成28年度予算によっていそかぜ型となだかぜ型を更新、続けて平成28年度二次補正以降すずかぜ型(ひめぎく型)自身の更新が開始された。(平成31年03月現在、平成3年度建造艇解役済)

設計
本型ではプレジャーボートや小型漁船の高速化に対応して、速力の向上を図っている。船型を滑走性能のよいものにするとともに、上部構造や艤装品をアルミニウム合金製として重量軽減を図った。主船体は従来の15メートル型・18メートル型と同様に高張力鋼製である。
塗色は平成12年度補正予算建造艇以降白色塗装が標準となり、船側にS字章及びJCGロゴが標記されるようになった。またそれ以前の建造艇も一部は白色塗装と変更し、船側にS字章及びJCGロゴが標記されている艇もある。
大型化にともなって操舵室・居住区が拡大されて、業務処理および居住性の向上が図られている。操舵室には全乗員分のダンパー付き椅子が配置されており、また居住区にはベッド兼用の長椅子があるほか、巡視艇として初の簡易シャワー設備が備えられている。
配備先によりマストが起倒式となっている艇が存在する。例えばCL11は当初配属地の係留場所が小樽運河内であり、橋をくぐる必要があったため。(※全艇起倒出来る、油圧式かボルト止め手動式の違い。ボルト止めの艇はほぼ倒されることはない)なお、現在係留先が変更になり小樽運河内では巡視艇は係留されていない。
艇によっては電光掲示板を装備。
無線機器の装備の違いによりアンテナの装備が艇により違いがある。
艇によっては小型の複合艇を搭載している。
高速化のため主機関も強化されており、V型12気筒4サイクルディーゼルエンジンが搭載された。主機関にはMTUタイプとMANタイプがあり、MANタイプではMAN D2842LYE[5]、MTUタイプではMTU 12V183 TE92型(910 ps / 2,230 rpm)が採用されている。

分類
本型は長期間に渡り多数が建造されている(1番艇就役の1992年(平成4年)からなお建造中及び計画がある)ことから、多数の派生型が存在する。
原型(平成3年度型~H7年度型:下記の幅広型及び浅海域対応型とは建造年度が重複する期間がある)
幅広型(平成5年度型~平成12年度補正型:原型とは建造年度が重複する期間がある)
船幅を20センチ大きくして定員を6名に増やしている。
一部の艇で就役後に操舵室が外見上変更されている物もある。
浅海域対応型(平成6年度型、平成7年度型、平成11年度予備費)
幅広型を元に浅海域での運用に対応して推進器をウォータージェット化したもの。
警備機能強化型(平成13年度第1次補正型、平成17年度補正型、平成19年度補正型、平成26年度補正型以降)
幅広型を元に平成13年度第1次補正計画以降の建造艇。
主機出力を2,040馬力に強化するとともに防弾性を強化したもの。
重量増の代償として船首甲板の放水銃を廃止していることから、代わりに可搬式のガソリンポンプとの放水ノズルを装備、必要に応じて船首部に設置している。
また平成17年度補正計画での建造艇は建造間隔が開いたため操舵室形状が更新されているほか、平成19年度補正計画での建造艇は推進器をウォータージェット化、平成26年度補正計画での建造艇はこれに加えて投光器がLEDになる等細部が変更されている。
船番がCL01〜04とCL171からの連番でなく、解役となったいそかぜ型及びなだかぜ型の船番が付与されている。そしてまたCL172〜付与された。


航行区域
当初は制限つき沿海とされていたが、海洋法に関する国際連合条約の発効に伴い、平成8年度補正計画の「おいつかぜ」(CL94)以降の艇では近海に変更された。(設備的に近海対応可能であるが一部の艇は沿海対応の航海灯が設置されており、近海登録されていない艇も見受けられる)
空調による分類(北方型、南方型)
艤装品まで含めると、配備先に応じて暖房ないし冷房を強化していることからそれぞれを北方型と南方型に分類される。
夜間監視装置
平成17年度補正計画以降の艇は操舵室上に夜間監視装置を搭載している。それ以前の艇にも追加で装備されているものもある。

登場作品
映画
『海猿シリーズ』
『LIMIT OF LOVE 海猿』
「CL-17 さたかぜ」「CL-47 さつかぜ」「CL-119 さつき」が登場。鹿児島湾にて、フェリー「くろーばー号」が座礁する海難事故が発生したことを受け、現場海域へ急行し救助活動にあたる。
『THE LAST MESSAGE 海猿』
「CL-86 おさかぜ」「CL-87 わかかぜ」が登場。福岡沖にて、天然ガス採掘プラント「レガリア」にドリルシップが衝突する海難事故が発生したことを受け、現場海域へ急行し救助活動にあたる。
『BRAVE HEARTS 海猿』
「CL-19 ゆりかぜ」「CL-49 あわかぜ」「CL-129 やまゆり」が登場。左翼エンジンが爆発したボーイング747-400が東京湾内に海上着水することを受け、着水する海域の近くで待機し、着水が成功すると直ちに接近して救助活動を開始する。
『劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』
「CL-136 やまぶき」が登場。東京湾を航行するフェリーが濃霧のため海ほたるに衝突したことを受け、現場海域へ急行し乗員・乗客の救助活動を行う。
漫画
『大怪獣激闘 ガメラ対バルゴン COMIC VERSION』
「CL-114 のげかぜ」が登場。神奈川県沖を漂流していたプレジャーボートを調査するが、バルゴンが発した冷気によって一帯の海域が凍結したことで、身動きが取れなくなってしまう。

ずかぜ型→ひめぎく型巡視艇
基本情報
艦種 20メートル型CL
運用者 海上保安庁
就役期間 1992年 - 現在
同型艦 175隻
前級 やまゆり型 (18メートル型)
次級 (最新)
要目
満載排水量 19トン
総トン数 23トン
全長 20.0 m
最大幅 4.30 m
深さ 2.30 m
吃水 0.88 m
主機 ディーゼルエンジン×2基
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力
1,820馬力

2,040馬力
速力 30ノット
航続距離 200海里
乗員 5名
レーダー 航法用×1基
光学機器 夜間監視装置 (CL-135以降)

 


豊島駅 豊橋鉄道渥美線

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豊島駅(としまえき)は、愛知県田原市豊島町にある豊橋鉄道渥美線の駅である。駅周辺は農村地帯です。駅番号は14。


駅構造
単式ホーム1面1線を持つ地上駅である。無人駅。

ホームには待合室が設置されています。
ホームへはスロープで連絡します。


三河田原方面のホーム先端に向かってホーム幅は狭くなっています。
ホームは少し嵩上げされた様子です。


駅周辺
駅北には「きゅうりのキューちゃん」で有名な漬物会社の工場があります。
国道259号(田原街道)
愛知県道414号大草豊島線
東海漬物田原工場
田原市立田原東部小学校


バス路線
500mほど離れた国道259号(田原街道)上に、豊鉄バス伊良湖本線「豊島」バス停ある。

歴史
1924年(大正13年)
1月22日 - 渥美電鉄の駅として開業。
3月8日 - 当駅 - 神戸駅間開業に伴い途中駅となる。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。
1954年(昭和29年)10月1日 - 豊橋鉄道への譲渡により同社の駅となる。
1965年(昭和40年)10月 - 無人化

豊島駅
としま
Toshima
◄13 やぐま台 (1.5km)(1.6km) 神戸 15►
所在地 愛知県田原市豊島町
北緯34度40分3.35秒
東経137度17分38秒
駅番号 14
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 15.5km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 230人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1924年(大正13年)1月22日
備考 無人駅

 

金島駅 西日本鉄道(西鉄)甘木線

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金島駅(かねしまえき)は旧北野町の東端に位置、福岡県久留米市北野町八重亀にある西日本鉄道(西鉄)甘木線の駅である。駅番号はA06。

駅構造
島式ホーム1面2線、簡易な木造駅舎を持つ地上駅である。甘木方面乗り場から久留米方面に側線があり、保守車両の留置に使われている。駅窓口営業時間は午前が6:30- 11:00頃まで、午後が16:00 - 22:00頃までとなっている。

のりば
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■西鉄甘木線 上り 宮の陣・久留米・大牟田方面
2 下り 甘木方面
ホームには構内踏切に続くスロープで連絡します。


周辺
駅舎と反対側に、駅前広場がある。商店は少ない。線路を挟んで北に位置には屋根つき駐輪場。

毎年8月最後の日曜日に開催される田主丸花火大会の最寄り駅である。徒歩約20分。

「金島駅前」バス停 - よりみちバス「コスモス号」(北野猪口タクシー・安全タクシー運行)
称揚寺(金島保育園)
久留米市立金島小学校
金島郵便局
神代病院

 

1921年(大正10年)12月8日 - 三井電気軌道の駅として開業。
1924年(大正13年)6月30日 - 九州鉄道に合併。同社の駅となる。
1942年(昭和17年)
9月19日 - 九州電気軌道に合併。同社の駅となる。
9月22日 - 九州電気軌道が西日本鉄道に社名変更。
1964年(昭和39年) - 駅舎改築。
2008年(平成20年)5月18日 - ICカードnimoca供用開始。
2017年(平成29年)2月1日 - 駅ナンバリングを導入。


金島駅
かねしま
Kaneshima
◄A07 大城 (1.4km)(2.2km) 大堰 A05►
所在地 福岡県久留米市北野町八重亀
北緯33度21分11.08秒
東経130度37分21.18秒
駅番号 A 06
所属事業者 西日本鉄道
所属路線 ■甘木線
キロ程 9.4km(宮の陣起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 635人/日
-2017年-
開業年月日 1921年(大正10年)12月8日

岩屋橋停留場 長崎電気軌道本線

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岩屋橋停留場(いわやばしていりゅうじょう、岩屋橋電停)は、長崎県長崎市大橋町にある長崎電気軌道本線の路面電車停留場。駅番号は16。1号系統、2号系統、3号系統が停車する。

構造
岩屋橋停留場は併用軌道区間にあり、道路上にホームが設けられている。ホームは2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟んで向かい合わせに配される(相対式ホーム)。東側にあるのが長崎駅前方面行き、西側にあるのが赤迫方面行きのホーム。かつてはホームに横断歩道橋が接続していたが撤去され、合わせて停留場の設備も改修された。ホームには、長椅子が設置されています。

軌道は隣の浦上車庫停留場との間で国道206号と別れ、専用軌道となる。併用軌道から専用軌道への移行部分、および裏道への交差部(踏切)には警告灯が設置されているが、遮断機はない。

周辺
岩屋川と浦上川の合流点、さらには国道206号と県道の交差点があり、交通量が多い。
停留場名になっている岩屋橋は停留場の南側、岩屋川に架かる橋のことである。

北消防署
浦上警察署
長崎大橋郵便局
大橋市場
Jネットレンタカー長崎大橋店
十八銀行大橋支店

歴史
岩屋橋停留場は1950年(昭和25年)に本線の大橋停留場から住吉停留場までの区間が延伸開通したのに合わせて開業した。当初は専用軌道区間にある停留場で、住吉方面に向かって右側を県道が並走していた。

年表
1950年(昭和25年)9月16日 - 開業。
2000年(平成12年)9月7日 - 横断歩道橋を撤去。12月2日には停留場の改修が完了する。

岩屋橋停留場
いわやばし
Iwayabashi
◄15 長崎大学 (0.3km)(0.3km) 浦上車庫 17►
所在地 長崎県長崎市大橋町7番9号先
北緯32度46分56.7秒 東経129度51分44.4秒
駅番号 16
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 本線(■1号系統・□2号系統・■3号系統)
キロ程 1.2km(住吉起点)
赤迫から1.4km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 2,700人/日
-2015年-
開業年月日 1950年(昭和25年)9月16日

日産・フェアレディ S30型系

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日産・フェアレディ S30型系

フェアレディZ(フェアレディゼット、FAIRLADY Z)は、日産自動車が製造・販売するクーペタイプのスポーツカーである。
概要
日本における通称 愛称は主に略称である「Z(ゼット)」、北米を中心とした海外においては「DATSUN Z(ダッツンズィー)」「Z-Car(ズィーカー)」など。
「フェアレディ (Fairlady)」と言うネーミングは前代までのダットサン・フェアレデイからの踏襲で、ミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」から名付けられた。
いずれのモデルも「フェアレディ」を冠すのは日本国内のみで、輸出向けは「DATSUN」または「NISSAN」と社名を付して呼称される。現行モデルは北米市場を含め日本国外では「NISSAN 370Z」として販売されている。
1969年に先代モデルであるオープンボディのダットサン・フェアレディに代わって発売された。
ヨーロッパ製の高級GTに匹敵するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら、格段に廉価であったことで、北米市場を中心に大ヒットした。日産(DATSUN)のイメージリーダーカーとして、足掛け10年もの長期に渡って生産され、世界総販売台数55万台(うち日本国内販売8万台)という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立した。「ダッツン・ズィー」の愛称で親しまれ、日産自動車の輸出モデルの総称でもある「DATSUN」の名を世界に知らしめ、日産の海外進出の活路を拓いた日産の記念碑的車両である。現在でも日本国内はもとより世界的にクラシックカーとしての人気や知名度は高い。

開発の経緯とメカニズム
このモデルの開発・販売を企画したのは、1960年代当時、米国日産の社長であった片山豊である。彼はダットサンの北米市場拡販のために強力なイメージリーダーとなるモデルを求めており、イギリス製小型スポーツカーの模倣に留まる従来のダットサン・フェアレディでは、市場での競争力が不十分であり、年々厳しくなる北米の安全基準にも適合できなくなると考えていた。
片山はアメリカ市場でのニーズに適合した新しいスポーツカーの開発を要望し、1960年代中期から、腰の重い日産本社に対して熱心な働きかけを重ねた末に、当時の日産社長だった川又克二からようやく開発のゴーサインを得た。片山はアメリカ市場のニーズを見据えて日産本社の開発陣に明確なコンセプトと適切なアドバイスを与え、初代「Z」のプロデュースを主導した。片山自身はインタビューで「ジャガー・Eタイプのような車を造ってくれ」と要望を出したと述べており、初代Zのスタイリングはその期待を十分に満たすものとなった。
「Z」のスペックは高度なもので、軽量なモノコックボディに、前後輪ともストラット式サスペンションによる四輪独立懸架を備え、市場で先行するジャガー・Eタイプやポルシェ・911などに肉薄した。
搭載されたL型直列6気筒エンジンは、SOHC動弁機構を備えた2 Lクラスの最新式ではあったが、素性は鋳鉄シリンダーブロックにターンフロー燃焼室を組み合わせた手堅い実用型エンジンであった。北米向け仕様は2.4 Lへの排気量拡大でトルクを太らせたL24型エンジン採用でパワー対策としており、これもまた手堅い手法であった。だがL型は低速域からのトルクに富み、大排気量アメリカ車同様に実用域で扱いやすかった。ジャガーやポルシェの高性能だが複雑なパワーユニットに対して、シンプルな設計のおかげで手荒な取り扱いにも耐え、信頼性が高く整備も容易な、アメリカ市場でのユーザーニーズに合致したユニットであった。この面では、実用車向け量産エンジンをチューニングして搭載していたかつてのイギリス製スポーツカーの良き伝統を受け継いでおり、「Z」に実用型スポーツカーとしての優れた特性を与えた。
荷物スペースはスペアタイヤ2個分というスポーツカーとしては非常に大きな容量を確保しているが、これはスーパーマーケットで購入する「一週間分の食料」の積載を考慮したもので、アメリカ人のライフスタイルを反映したものである。
デザインは松尾良彦率いる日産自動車第1造形課・第4デザインスタジオに託され開発が始まった。この部署はスポーツカー担当部署であったものの、少量生産を前提とした小さな部署であった。メディアでは第4デザインスタジオチーフだった理由から「S30のチーフデザイナーは松尾良彦」と紹介されることが多いものの、実際は吉田章夫(よしだふみお)案のファストバックをベースに松尾案のフロントマスクを合わせたデザインが基本となっている。その後、1967年に田村久米雄・西川暉一・桑原二三雄の3名がスタジオ入りし、最終的な造形修正は田村が担当している[1]。
ボディタイプは各種検討されており、松尾がS30発売以前にデザインしたロングホイールベースの2+2は1973年秋に実車となってシリーズに追加された。オープンエアを求める層に対しては、独立したトランクルームを持つタルガトップモデルが設計され、プロトタイプまで製作された。また、将来的なモアパワーの要求には、プレジデント用V型8気筒(Y40型エンジン)で対処する松尾の私案もあったが、どちらも市販化には至っていない。スケッチで終わったモデルには吉田のデザインしたレース仕様のものや松尾のデザインした4人乗りスポーツワゴンなどもあった。このうちスポーツワゴンにおいては松尾が1966年に描いたスケッチをもとに、米在住で自動車レストア専門家の安宅二弥によって1台だけ再現され、2014年8月サンディエゴの日産主催のZコンベンションにてお披露目された。この様子は米国二スモのサイトでも紹介された。
1996年に北米での300ZX(Z32型系)の販売が中止になった後、ファンからの要望で北米日産が新品・中古パーツを集めてレストアして240Zを限定販売する企画が立ち上がり、ビンテージZと名付けられて販売された。しかしレストアには予想以上の費用と時間がかかり採算が合わない上、応募者が殺到したため、当初200台の予定が39台にとどまりその後中止となった。またビンテージZには受注ベースの車両もあったことと、全て地元の板金工場やショップが仕上げた為、個々の車体の仕上がりや仕様には様々なものがある。しかしメーカーが総力をあげて車をレストア販売するという異例の企画は当時画期的であった。
新車販売価格
Fairlady240ZG
日本国内における当時の新車販売価格が廉価版の「Z」が84万円、「Z-L」が105万円とスポーツカーとしては比較的安価であったことで爆発的にヒットした。「432」は182万円、後に追加された「240ZG」は150万円。

変遷
1969年
日本国内ではSUツインキャブレターを装備したSOHCのL20型と、当時の旧プリンス系で開発されスカイライン2000GT-Rに搭載されていたソレックスツインチョークキャブレターを3基装備したDOHCのS20型の2種類の直6 2.0 Lエンジンが設定された。SOHCモデル(S30型)にはベースモデルで4速MT搭載の「フェアレディZ」と、5速MTを搭載し、AMラジオ付きカーステレオ、助手席フットレスト、リクライニングシートなどの装備を充実させた「フェアレディZ-L」、DOHCモデル(PS30型)は「フェアレディZ432」がそれぞれラインナップされた。「432」とは、「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」の意であり、搭載されるS20型エンジンの構造に由来する。その他、競技用ベース車両として、ヒーターすらオプションとなり、キャブレータにエアクリーナーはなくファンネルのみが付き、FRP製エンジンフード、アクリル製ウィンドウを採用するなどの軽量化が施された「フェアレディZ432-R」も存在した。これには「運輸省(当時)に対し登録してナンバーを取得しないことを条件に型式認可をもらった」「購入者は競技のみに使用する旨の念書が取られた」などという(真偽不明の)逸話もある。アメリカとイギリスでは2.4LのL24型エンジンを搭載した「ダットサン240Z」(HLS30 / HS30型)を発売。

1970年
フェアレディZ-Lに3速AT(ニッサンフルオートマチック)車を追加。それまでハイオクガソリン仕様のみであったが、レギュラーガソリン仕様車も全グレードに追加発売された。L20はハイオクガソリン仕様130ps、レギュラーガソリン仕様125ps。S20はハイオクガソリン仕様160ps、レギュラーガソリン仕様155ps。

1971年
フェアレディZにも3速AT車を追加および細部のマイナーチェンジ。それまで輸出専用であったL24型エンジンを搭載した「フェアレディ240Z」「フェアレディ240Z-L」「フェアレディ240Z-G」を日本国内でも追加発売。240Z-Gには「グランドノーズ」(後年の通称“Gノーズ”:ただしカタログでは“エアロダイナ・ノーズ”)と呼ばれるFRP製のフロントバンパー一体型のエアロパーツとオーバーフェンダーが装着された。

1973年
2.0Lモデルの「Zシリーズ」をマイナーチェンジ。昭和48年排出ガス規制適合、ダッシュボードの意匠変更とテールランプとリアガーニッシュの変更が施され、バックランプがガーニッシュ内に配置された。折からの公害問題やガソリン高騰などにより、Z432シリーズと日本国内の240Zシリーズの2モデルの生産を中止した。

1974年
全長を310mm延長した、4人乗りモデルを追加(GS30、1月17日発表・発売)。2by2と称した。輸出モデルは従前の2.4Lから2.6LのL26型エンジンの変更で排気量アップした「ダットサン260Z」(RLS30)に変更。260Zは一部を国内基準に適合させ、当時右側通行だった沖縄で販売されている。日本国内でもL26型エンジンを搭載した「フェアレディ260Z」の発売を予定していたが、オイルショックなどの影響で断念している。

1975年
昭和50年排出ガス規制の施行に伴い、SUツインキャブからL20E型(ドイツ・ボッシュ開発のL-ジェトロニック式電子制御燃料噴射装置・ニッサンEGI)に変更、同時に排気系に触媒を有する、排気ガス浄化システム「NAPS(ニッサン・アンチ・ポリューションシステム)」を装着。型式が「A-S30・A-GS30」となる。輸出モデルは従前の2.6Lから2.8LのL28E型エンジンの変更で排気量アップした「ダットサン280Z」(HLS30)に変更。ニッサンEGIシステムであるが、触媒などの排気ガス浄化システムは装着されていない。北米モデルは5マイルバンパーと呼ばれるショックアブソーバ付きの大型バンパーを装着。
1976年
Z-LをベースにFM/AMマルチカセットステレオ、電動式リモコンフェンダーミラー、パワーウインドウなどを追加装備した上級グレードの「フェアレディZ-T」を追加。アルミホイールをオプション設定。昭和51年度排出ガス規制の施行に伴い、排気ガス還流装置 (EGR) などを追加装備。型式が「A-S30・A-GS30」から「C-S31・C-GS31」と変更。
1978年
S130型へのフルモデルチェンジにより生産終了。

日産・フェアレディZ(初代)
S30型
販売期間 1969年 - 1978年(生産終了)
乗車定員 2人/4人
ボディタイプ 3ドアファストバック(2座)
3ドアファストバック(4座)
エンジン 2.0L 直6 L20型
2.0L 直6 S20型
2.4L 直6 L24型
2.6L 直6 L26型
2.8L 直6 L28型
駆動方式 FR
変速機 4速MT/5速MT/3速AT
サスペンション 前:マクファーソンストラット
後:ストラット
全長 4,115 - 4,425mm
全幅 1,630 - 1,690mm
全高 1,280 - 1,290mm
ホイールベース 2,305/2,605mm
車両重量 975 - 1,145kg
ブレーキ F:ディスク
R:ドラム(リーディングトレーリング式)
最高速度 180 - 210km/h
先代 ダットサン・フェアレディ

 

杉山駅 豊橋鉄道渥美線

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杉山駅(すぎやまえき)は、愛知県豊橋市杉山町字前屋敷にある豊橋鉄道渥美線の駅である。

駅の北西には一面の田園風景が広がる、線内でも最も長閑な立地です。駅番号は12。

 

駅構造
相対式ホーム2面2線で交換設備を持つ地上駅である。

豊橋鉄道の区分では無人駅だが、実態は駅前の川口商店で乗車券委託販売をしているためJRにおける簡易委託駅に相当する。

かつては駅舎があったが、今は無い。

上りホーム側にも入口が設置されています。


両ホームの西端に無人駅標準の待合室が設置されています。


待合室内にはFRP製の椅子が設置されています。

駅周辺
国道259号(田原街道)
豊鉄杉山パーキング(月極専用)
豊橋市立杉山小学校


バス路線
400mほど離れた国道259号(田原街道)上に、 豊鉄バス伊良湖本線の「杉山」バス停がある。

歴史
1924年(大正13年)1月22日 - 渥美電鉄の駅として開業。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。

1954年(昭和29年)10月1日 - 豊橋鉄道への譲渡により同社の駅となる。
1967年(昭和42年)10月 - 貨物取り扱い廃止
1969年(昭和44年)4月 - 無人化


杉山駅
すぎやま
Sugiyama
◄11 老津 (2.0km)(1.3km) やぐま台 13►
所在地 愛知県豊橋市杉山町字前屋敷
北緯34度40分49秒
東経137度19分14.8秒
駅番号 12
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 12.7km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 298人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 588人/日
-2017年-
開業年月日 1924年(大正13年)1月22日
備考 無人駅

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