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Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
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三河田原駅 豊橋鉄道渥美線

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三河田原駅(みかわたはらえき)は田原市の代表駅で愛知県田原市田原町東大浜にある。豊橋鉄道渥美線の駅。駅番号は16。田原市の中心駅で有人駅である。

愛知県内の鉄道駅では最南端に位置する。豊鉄バスの伊良湖本線と接続し渥美方面へバス路線が連絡する。地元民の利用だけでなく観光利用も少なくはない駅です。

駅構造
頭端式ホーム2面4線と留置線1線を有する地上駅。2013年10月27日に現在の4代目駅舎が供用開始した。黒を基調とした曲線的なデザインである新駅舎の設計は建築家の安藤忠雄が手掛けた。

2014年までは1面2線であったが、ホームを増設した。

ホーム番号は駅舎側から見て、右側から1・2・3・4番線となっている。通常は分岐器なしで入線可能な2番線のみが使用され、他のホームは夜間滞泊と始発とその後の数本の発車に使われている。3・4番線ホームはほとんど使用されないため、上屋が設置されていない。

切符売場にタッチパネル式の券売機が1台。有人窓口も営業しています。
改札口にはICカード専用改札機が1台。頭上にはLED式の発車案内が設置されています。


のりば
1-4 ■渥美線 大清水・高師・新豊橋方面
なお、3代目駅舎は第1回中部の駅百選に選定されている。構内配線は2面3線で、駅舎は単式ホームに面して設置されていた。

ホームは頭端式、留置線も設置されています。

待合室は駅舎に合わせて楕円形の椅子が設置されています。
階上にもコミュニティスペースが設置されています。

駅周辺
愛知県道2号豊橋渥美線
愛知県道413号六連三河田原停車場線
国道259号(田原街道)
田原城 (三河国)
田原市役所
道の駅田原めっくんはうす
ヤマナカ田原店
ココカラファイン田原赤石店
セントファーレ


城宝寺
田原市博物館
田原駅南公共駐車場(月極及び時間貸し)
田原郵便局
三菱UFJ銀行田原支店
LaLaGran
田原駅前交番
東大浜公園
愛知県立成章高等学校

路線バス
豊鉄バス伊良湖本線・伊良湖支線
田原市ぐるりんバス各線
ほの国号(渋谷・新宿・練馬行き夜行高速バス)

 

 


かつては当駅から黒川原駅まで路線が延びていたが、1944年(昭和19年)6月に第二次世界大戦による資材転用のため、レールが撤去されたことに伴い渥美線の終着駅となっている。1980年代まで貨物輸送を行っていたため広い構内を持っていた。

1924年(大正13年)6月10日 - 渥美電鉄の田原駅として開業。
1925年(大正14年)6月1日 - 三河田原駅に改称。
1926年(大正15年)4月10日 - 当駅 - 黒川原間延伸開業により途中駅となる。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。
1944年(昭和19年)6月5日 - 当駅 - 黒川原間が営業休止。


1954年(昭和29年)
10月1日 - 豊橋鉄道への譲渡により同社の駅となる。
11月20日 - 名古屋鉄道が休止中の当駅 - 黒川原間を廃止、正式に終端駅に戻る。
1994年(平成6年)10月 - 駅舎改築(3代目)。
1999年(平成11年)9月 - 中部の駅百選(第1回)に選定。
2013年(平成25年)10月27日 - 駅舎改築(4代目)。

三河田原駅
みかわたはら
Mikawatahara
◄15 神戸(0.9km)
所在地 愛知県田原市田原町東大浜
北緯34度40分0.8秒
東経137度16分9秒座標: 北緯34度40分0.8秒 東経137度16分9秒
駅番号 16 
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 18.0km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅


ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 1,480人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1924年(大正13年)6月10日
備考 駅員配置駅 5:15-24:00

 


東八町停留場 豊橋鉄道東田本線

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東八町停留場(ひがしはっちょうていりゅうじょう)は、愛知県豊橋市の旭町(あさひまち)と西新町(にししんまち)の間にある豊橋鉄道東田本線の停留場(電停)である。停留場番号は7。


構造
三角形屋根の上屋があります。ホーム幅は狭い。多米街道(愛知県道4号豊橋大知波線)の併用軌道に相対式の安全地帯を持つ。ここから先の架線は側柱方式となります。


周辺
国道1号
新町の大灯篭
東海道吉田宿東惣門
豊橋西新町郵便局
豊橋信用金庫 東支店
豊橋市立八町小学校
豊橋ファッション・ビジネス専門学校
豊鉄バス 豊橋和田辻線・和田辻豊橋市民病院線「旭橋」バス停

周辺の道路
八町通り(豊橋市)
多米街道(豊橋市)
市電通り(豊橋市)
下条街道(豊橋市)
八百間通り(豊橋市)


1925年(大正14年)12月25日 - 開業。


東八町停留場
ひがしはっちょう
Higashihattyo
◄6 豊橋公園前 (0.5km)(0.4km) 前畑 8►
所在地 愛知県豊橋市旭町・西新町
北緯34度45分57.26秒
東経137度24分1.8秒
駅番号  7 
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 東田本線
キロ程 2.1km(駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1925年(大正14年)12月25日

崎戸商船(旅客フェリー船 みしま) 

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崎戸商船(みしま)

崎戸商船の旅客フェリー「みしま」は佐世保港と西海市の崎戸港、江島、平島、新上五島町の友住港を結んっでいる。エレベーターやトイレなどは、バリアフリーに対応している。

路線: 友住 - 平島 - 江島 - 崎戸 - 佐世保


船名 みしま
全長 44メートル
トン数 194トン
定員 145名
車輌 乗用11台
造船 前畑造船
 崎戸商船
所在地 〒857-0877
長崎県佐世保市万津町7-3
電話番号 0956-25-6118
FAX番号 0956-24-1005

古市駅 近畿日本鉄道(近鉄)

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古市駅(ふるいちえき)は、大阪府羽曳野市古市一丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)の駅。羽曳野市の代表駅である。 駅番号は南大阪線がF16、長野線がO16。

柏原駅や道明寺駅と並び、現在の近鉄に属する駅では最古の歴史を有する。

近畿日本鉄道
南大阪線
長野線 ※始発駅(南大阪線大阪阿部野橋方面と直通あり)

駅構造
島式ホーム2面4線を持つ地上駅で、南大阪線と長野線が方向別にホームを共有する構成。ホーム有効長は8両分で、ホームの河内長野寄りに橋上駅舎が存在する。改札口は1か所のみ。

のりば
のりば 路線 方向 行先 備考
1・2 F 南大阪線 下り 橿原神宮前・吉野方面
O 長野線 - 富田林・河内長野方面 臨時列車は3・4番のりばからの場合あり


3・4 F 南大阪線 上り 大阪阿部野橋行き
奇数番線(1番線と3番線)・4番線には主に橿原神宮前方面発着の列車が、偶数番線(2番線と4番線)には主に長野線方面発着の列車および古市止まりの列車が入線する。この他、4番線から長野方面へ発車することが可能で、一部回送列車や臨時列車などが使用している。

特徴
駅設備・営業面
駅長が置かれ、南大阪線の当駅と上ノ太子駅間と長野線の各駅を管理している。なお、駅長室は営業所が併設されている。
PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。
特急券・定期券は専用の自動販売機および駅窓口にて即時購入が可能。


ダイヤ面
急行以下の全一般列車が停車しており、朝と夕方以降には一部の特急列車も停車する。
停車する特急列車の詳細:大阪阿部野橋駅を20時以降に発車する橿原神宮前方面行き、大阪阿部野橋駅に9時台までに到着する大阪阿部野橋行きの全列車が停車する。
2012年3月20日のダイヤ変更でラッシュ時に一部の特急が停車するようになったが、それ以前も正月の終夜運転時には特急の臨時停車が実施されており、その際には特急券臨時販売ブースがホーム上に運び込まれていた。
当駅発着列車が多数設定されており、普通列車の大多数は運転系統が当駅を境に分割されている。
大阪方面へは、平日夜間に当駅始発の準急が1本と当駅終着の準急が2本、早朝と日中に当駅始発の普通列車が設定されている。
橿原神宮前方面へは、終日にわたって当駅 - 橿原神宮前駅間の普通列車が、早朝と夜間に当駅 - 御所線近鉄御所駅間の普通列車が数本、早朝に当駅始発の吉野線吉野行き普通列車が2本(平日・土休日共に)、平日夜間に当駅始発の橿原神宮前行き急行が1本設定されている。
河内長野方面へは、早朝と夜間に長野線内の区間運転列車が、平日早朝に当駅始発の富田林行きが3本設定されている。


南大阪線は当駅を境にホーム有効長が4両または6両編成以下、長野線は5両編成以下となる駅があるため、当駅を超えて運転される準急を中心に大多数の列車が当駅で車両の増結・解放を実施している。また、平日朝には橿原神宮前・御所方面からの準急と河内長野方面からの準急が当駅 - 大阪阿部野橋駅間で併結運転を実施している。
2013年3月16日のダイヤ変更までは、当駅で富田林行きと橿原神宮前行きに分割する準急が設定されていた。なお、近鉄の一般列車で多層建て列車(親子列車)の形をとっていたのはこれが唯一だった。
ただし、ダイヤ変更後も当駅で切り離された車両が種別・行先を変更して別の列車として運行するものは存在する。

その他
当駅南方では、富田林へ向かう支線の長野線がまっすぐ南下する一方、奈良県方面へ向かう本線の南大阪線は東へ大きくカーブしているが、これはもともと柏原駅 - 道明寺駅 - 当駅 - 富田林駅間が先に開通し、後になって奈良県方面への区間が付け足されることで線名が変わったためである。

駅周辺
公共施設など
羽曳野市役所
羽曳野市市民会館
羽曳野市立古市図書館
羽曳野警察署
羽曳野法務総合庁舎
羽曳野区検察庁
羽曳野簡易裁判所
羽曳野古市郵便局
羽曳野白鳥郵便局
近鉄古市検車区古市車庫
神社・寺院・古墳
誉田八幡宮
白鳥神社(古市だんじり祭)
高屋神社
西琳寺
世界文化遺産古市古墳群
誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)
軽里大塚古墳(白鳥陵、伝日本武尊陵)
野中ボケ山古墳(伝仁賢天皇陵)
高屋築山古墳(伝安閑天皇陵)
白髪山古墳(伝清寧天皇陵)
商業施設
近鉄プラザ古市店(近商ストア)
イズミヤ
キリン堂
学校
羽曳野市立古市小学校
羽曳野市立古市南小学校
羽曳野市立白鳥小学校
羽曳野市立誉田中学校
羽曳野市立峰塚中学校
大阪府立西浦支援学校(旧大阪府立西浦高等学校跡地)
第一ゼミナール古市校
創研学院古市校


近鉄バス

1番のりば
64番 軽里・野々上経由 藤井寺駅前 行
74番 軽里・野中・藤ヶ丘経由 藤井寺駅前 行
77番 羽曳野市役所前・藤ヶ丘経由 藤井寺駅前 行
87番 軽里・羽曳山住宅前経由 府立大学羽曳野キャンパス 行
府立大学へは81・82番で府立医療センター下車も可。
2番のりば
81番 軽里・羽曳山住宅前経由 羽曳ヶ丘西五丁目行
82番 軽里・羽曳山住宅前経由 四天王寺大学 行
85番 軽里・羽曳山住宅前・桃山台二丁目経由 学園前五丁目 行
スクールバス

関西福祉科学大学
関西福祉科学大学高等学校
送迎バス

青山病院
城山病院
田辺脳神経外科病院
羽曳野市公共施設循環バス(市の自家用バス) 古市駅筋(国道170号沿い)を経由する。

 

1898年(明治31年)
3月24日 - 河陽鉄道として柏原駅 - 道明寺駅 - 当駅間が開業した際に、その終点として設置。
4月14日 - 当駅から富田林駅まで路線延伸、途中駅となる。
1899年(明治32年)5月11日 - 河陽鉄道の路線を河南鉄道が承継、同社の駅となる。
1919年(大正8年)3月8日 - 社名変更により大阪鉄道の駅となる。


1929年(昭和4年)3月29日 - 当駅から久米寺駅(現在の橿原神宮前駅)が開業し分岐駅となる。
1943年(昭和18年)2月1日 - 関西急行鉄道が大阪鉄道を合併、関西急行鉄道の駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日 - 戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身。後に再独立)と合併、近畿日本鉄道の駅となる。
1969年(昭和44年)10月 - 大阪阿部野橋駅方に0.2キロメートル移設(現在の古市1号踏切南側から北側に移設)。同時に橋上駅舎化する。
2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」使用開始。
2012年(平成24年)3月20日 - 一部の特急が停車するようになる。


古市駅
ふるいち
Furuichi
所在地 大阪府羽曳野市古市一丁目1-22
北緯34度33分12.87秒 東経135度36分31.91秒


所属事業者 近畿日本鉄道(近鉄)
電報略号 フル
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗降人員
-統計年度- (特定日)20,937人/日
-2018年-
開業年月日 1898年(明治31年)3月24日
乗入路線 2 路線
所属路線 F 南大阪線


駅番号 F16
キロ程 18.3km(大阪阿部野橋起点)
◄F15 道明寺 (2.0km)(1.7km) 駒ヶ谷 F17►
所属路線 O 長野線
駅番号 O16
キロ程 0.0km(古市起点)
◄(*道明寺) (-km)(3.4km) 喜志 O17►
備考 * 南大阪線大阪阿部野橋方面へ直通

防災艇「つくも」佐世保市 

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防災艇「つくも」佐世保市

佐世保市:防災艇「つくも」
船 番:S-161
船種:軽合金製防災艇
建造:沖新船舶工業(佐世保市針尾北町)
長さ:16.50m
幅:4.00m
深さ:2.10m
総トン数:19トン
速力:37ノット(約68.5km/h)
推進装置:サーフーェスプロペラ(半水没型)
定員:20名
竣工:2002年3月29日

会 社 名  株式会社 沖新船舶工業
代 表 者  代表取締役 遠藤 勝秀
所 在 地  〒859-3454 長崎県針尾北町356-3
TEL 0956-58-4952
FAX 0956-58-4965
資 本 金  2000万円
業 務 内 容  軽合金製船舶の建造並びに修理
 軽合金、ステンレス、鉄工及び木工製品の製造
 電動式船体転倒防止装置『ボートワインダー』の開発・製造

消防艇(しょうぼうてい)とは、水上や沿岸において発生した火災の消火や災害への対応を行う船舶である。主に消防組織や沿岸警備隊が保有している。専用に設計された消防艇の多くは強力なポンプを備え、取り込んだ水を船の高い位置に取り付けられた放水銃から放水することで火災消火を行なうが、その他にも救助専門艇や指揮専門艇、これらの兼用艇がある。積載する化学消火剤を放水に混ぜることで石油火災に対処するものもある。

日本の消防艇は地方自治体の消防組織に所属するものと海上保安庁に所属するものがほとんどである。消防組織に属する消防艇は、2017年4月1日現在で62隻、海上保安庁に属する消防艇は15隻ある。ただし、海上保安庁の巡視船艇は、警備救難に従事するものでもポンプと放水銃を備えたものが多く、火災の際には消防艇として活動できる。15隻というのは、特に消防機能を強化された船艇の数である。これらは、主として船舶交通量の多い港湾や海峡近く、あるいは沿岸に石油コンビナートを擁する消防署所、海上保安部に配備されている。また、自衛防災組織も消防艇を保有している。

これらに加え、海上自衛隊の支援艇の一部、民間ではタグボートや警戒船業務を行う船舶の中にも消防設備を持ち、火災の際に消防艇として活動できるものがある。

船舶の火災通報は、火災事故船自身や周囲の船からの通報や各種救難信号によって水上消防署へもたらされ、消防艇が出動する。日本の専用消防艇はすべてが化学消火剤を混ぜて噴射する能力を備えている。タンカー事故などでは海上への油漏れを最小限にするオイルフェンスを展開する事も行なう。

構造
大部分の消防艇は、港湾内や河川・湖沼といった水域(日本の区分でいう平水)を担当範囲としているため、大型のものは少なく、全長は十から数十mのものが多い。艇の高さは活動区域によってさまざまで、低い橋の下を航行できるように高さを抑えたものもあれば、大型船の火災に対応できるように高い櫓を備えたものもある。機動力を高めるため、サイドスラスターやシュナイダープロペラを装備するものもある。

装備
火災消火のため放水銃を装備しているものがほとんどで、放水銃は、専用あるいは航行用兼用のエンジンによって駆動されるポンプから、消火用水の供給を受ける。消火用水は海水を汲み上げてこれを利用するが、タンカー火災などの場合は海水に消火剤を混合して使用する。このほか艇により、陸上の消防車に消火用水を供給するための送水口、火炎から自艇を守る自衛噴霧装置、小型救助艇を装備している。

能力
専用消防艇の多くが6500-10,000リットル/分程度の放水能力を持つ放水銃を4-6門備え、大きな放水銃では15,000リットル/分の能力を持つものもある。

駅前停留場 豊橋鉄道東田本線

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駅前大通停留場(えきまえおおどおりていりゅうじょう)は、愛知県豊橋市駅前大通にある豊橋鉄道東田本線の停留場(電停)である。停留場番号は2。2005年に新設された停留所ですが1969年に廃止された名豊ビル前停留場(旧:駅大通り)の復活した停留場

構造
相対式の上屋付き安全地帯2面2線を持つ。駅前大通り(アゼリア通り)の併用軌道上にあり、上下線のホームが向かい合っている。バリアフリー対応であり、道路とホームの間はスロープで結ばれている。駅前駅から約300メートル、新川停留場から約350メートルの地点に位置している。

周辺
ほの国百貨店
開発ビル 豊橋市駅前窓口センター・豊橋公証人合同役場・豊橋市の旅券窓口が入居する
豊橋市駅前公共第一駐車場
東海漬物本社
名鉄観光サービス豊橋支店
中京テレビ豊橋支局
広小路
周辺の道路
駅前大通り(豊橋市)
アゼリア通り(豊橋市)
萱町通り(豊橋市)
広小路通り(豊橋市)
バス路線
当停留所の東方に豊鉄バス「駅前大通」バス停があり、以下の路線が発着する。

豊橋技科大線
三本木線
飯村岩崎線
牛川金田線
岩田団地線,岩田団地豊橋市民病院線
西口線,西口豊橋市民病院線
天伯団地線
豊橋和田辻線,和田辻豊橋市民病院線
二川線

1952年(昭和27年) - 豊橋交通(後の豊橋鉄道)の駅大通停留場が開業。現在よりも新川停留場寄りに設置されていた。
1968年(昭和43年)10月1日 - 名豊ビル前停留場に改称。
1969年(昭和44年)1月10日 - 公共駐車場の建設工事に伴い営業休止。同年10月4日に廃止。
2005年(平成17年)2月 - 駅前大通停留場工事開始。
2005年(平成17年)3月31日 - 駅前大通停留場開業。
2006年(平成18年)6月 - 豊橋バスターミナル前バス停が駅前大通バス停に改称。
2012年(平成24年)から2年間、軌道の中を緑化する実証実験が行われる。

駅前大通停留場
えきまえおおどおり
Ekimae-Odori
◄1 駅前 (0.3km)(0.3km) 新川 3►
所在地 愛知県豊橋市駅前大通
北緯34度45分47.45秒
東経137度23分9.17秒
駅番号  2 
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 東田本線
キロ程 0.3km(駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 2005年(平成17年)3月31日

高師駅 豊橋鉄道渥美線

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高師駅(たかしえき)は、愛知県豊橋市高師町字北新切116番地の1にある豊橋鉄道渥美線の駅である。駅番号は6


渥美線の主要駅のひとつで、車両区・乗務区などがあり乗務員交代や車両交換は当駅で行われる。日付が変わる直前に当駅止まりの列車(新豊橋発)が設定されている。終日駅員配置駅である。

改札口前に地元の乳業会社、中央製乳による瓶入り牛乳の自動販売機が置かれていたが、現在はカゴメのパック入りジュースの自動販売機が置かれている。

駅舎の改札内側には男子用トイレ、女子用・誰でもトイレがある。

駅構造
島式ホーム1面2線で交換設備を持つ地上駅で乗務員基地が併設された、2階建てのコンクリート造駅舎です。切符売場に券売機が設置。有人窓口での対応もできます。

島式ホームの駅舎側中央付近(改札正面)に階段があるが、当駅で行き違いを行う場合は使用不可となり、新豊橋寄りの階段のみ利用となる。引き込み線・車両区・乗務区などもある。

当駅からユニチカ豊橋工場まで貨物引込み線が敷設されていたが用途廃止、線路は高師駅寄りの数十メートルを除き撤去された。

残された線路は、車両置き場となっている。引込み線跡は高師緑地公園の一部にもなっている他、ユニチカ工場敷地内に入る部分では、線路がそのままになっている。

駅周辺
国道259号(田原街道)
豊橋鉄道車両区


高師緑地公園
三菱UFJ銀行豊橋支店豊橋南出張所
高師老人福祉センター
豊鉄高師パーキング(日貸及び月極)


歴史
1924年(大正13年)
1月22日 - 渥美電鉄の駅として開業。
4月25日 - 師団口(現・愛知大学前)駅 - 当駅間開業に伴い途中駅となる。


1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。


1954年(昭和29年)10月1日 - 豊橋鉄道への譲渡により同社の駅となる。
1970年(昭和45年)6月 - 鉄筋コンクリート2階建の駅舎完成。

高師駅
たかし
Takashi
◄5 南栄 (1.1km)(1.0km) 芦原 7►
所在地 愛知県豊橋市高師町字北新切116番地の1
北緯34度43分37.97秒
東経137度22分53.35秒
駅番号 6
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 4.3km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線


乗車人員
-統計年度- 1,467人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 2,869人/日
-2017年-
開業年月日 1924年(大正13年)1月22日


備考
駅員配置駅

5:30〜24:00

中佐世保駅 松浦鉄道西九州線

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中佐世保駅(なかさせぼえき)は、長崎県佐世保市島瀬町にある松浦鉄道西九州線の駅。隣の佐世保中央駅との営業キロは0.2Kmで、鉄道線としては筑豊電気鉄道黒崎駅前-西黒崎間と並び、JR大船渡線奇跡の一本松-竹駒間に次いで短い。

中心市街地に位置する当駅ですが佐世保中央駅の開業により利用客を奪われ、閑散としています。


駅構造
単式1面1線ホームの高架駅。無人駅で駅舎は無いが、待合室がある。佐世保中央駅との区間が非常に短いため、当駅を発車するとすぐに次の停車駅のアナウンスが流れる。

崖上のホームには階段で連絡します。待合室にはFRP製椅子が設置されています。ホーム端には待合所が設置されていますが、列車は短編成で、あまり利用されていません。

駅周辺
佐世保市体育文化館(コミュニティセンターホール)
佐世保市立図書館
佐世保市立祇園小学校・祇園中学校
佐世保市博物館島瀬美術センター
佐世保郵便局
長崎地方裁判所佐世保支部
長崎家庭裁判所佐世保支部
佐世保簡易裁判所
長崎地方検察庁佐世保支部
中央公園
交通公園
九州電力名切変電所

歴史
1961年(昭和36年)7月15日 - 日本国有鉄道松浦線の駅として開業。
1970年(昭和45年)10月1日 - 無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、九州旅客鉄道松浦線の駅となる。
1988年(昭和63年)4月1日 - 第三セクター松浦鉄道への転換により、松浦鉄道西九州線の駅となる。

中佐世保駅
なかさせぼ
Naka-Sasebo
◄北佐世保 (2.0km)(0.2km) 佐世保中央►
所在地 長崎県佐世保市島瀬町
北緯33度10分19.86秒
東経129度43分20.54秒
所属事業者 松浦鉄道
所属路線 ■西九州線
キロ程 92.6km(有田起点)
電報略号 ナセ
駅構造 高架駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 186人/日
-2006年度-
開業年月日 1961年(昭和36年)7月15日


旧海軍下士官集会所跡 佐世保 

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1902(明治35)年、下士官兵の宿泊休憩、食事入浴、教養娯楽などの慰労休養施設として、佐世保橋の近くに下士官兵集会所(正式の名を海仁会集会所)が建設されました。


 最初は、既存の建物を利用した木造の小規模なもので、海軍の直営でしたが、1904(明治37)年、私設に移されたのを機に、本館、食堂、浴場などが新築され、次第に規模が大きくなりました。


 さらに、軍港施設の拡充に伴う兵員の増加と、業務の拡大により、1929(昭和4)年から、大増改築が始まり、広大な佐世保河畔に、洗濯所、理髪所、柔剣術道場、娯楽場、精米所、大弓場、相撲場等の施設が年を追って建設され、1935(昭和10)年3月、鉄筋コンクリート三階建の堂々たる白亜の本館が完成し、毎日数百人の下士官兵が利用した、市内最大の集会施設として、威容を誇っていました。
 終戦後は、米軍に接収され、コマンダーポストの略称からCPビルの名で、連合国軍の佐世保司令部に使用されていましたが、1977(昭和52)年に返還、取り壊されました。


 1990(平成2)年3月、跡地に佐世保市立総合病院が新築移転して、現在に至っています。

また、近くには明治23年に初代の橋が完成した佐世保橋があります。海軍構内と市街地を結ぶ橋だったことから、戦時中は「海軍橋」といわれ、地元では今でもその呼び名が残っています。

平和公園停留場 長崎電気軌道本線

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平和公園停留場(へいわこうえんていりゅうじょう、平和公園電停)は、長崎県長崎市松山町にある長崎電気軌道本線の路面電車停留場である。平和公園の最寄に位置し、西側には陸上競技場や球技場も隣接する。駅番号は19。1号系統、2号系統、3号系統が停車する。

構造
平和公園停留場は専用軌道区間にあり、軌道は道路から独立している。ホームは2面あり、南北方向に延びる2本の線路を挟み込むように配されるが、互いのホームは道路を挟んで斜向かいに離れている。北寄りにあるのが長崎駅前方面行き、南寄りにあるのが赤迫方面行きのホーム。構内で軌道はやや屈曲していて、道路との交差部には踏切(第4種)が設置される。

長崎駅前方面ホームのみ日本語・英語による観光施設への自動案内放送が流れるほか、自動販売機も設置されている。8月9日の平和祈念式典の際には混雑緩和のため停留場に改札係が配置されて運賃収受にあたるため、通常の乗車扉からも降車可能となる。ホームの上屋は2000年(平成12年)2月にトタン屋根から景観に配慮してシェルター式に架け替えられている。

かつて赤迫方面行きのホームは島式ホームで、進行方向右側から乗車していたが、360形の導入に合わせて1961年(昭和36年)に現在のホーム構造に改造された。ホームの幅は広く、自動販売機も設置されています。

周辺
すぐそばを国道206号と長崎本線の高架橋が通る。
長崎市民総合プール・長崎市営陸上競技場・長崎市営ラグビー・サッカー場などのスポーツ施設、平和公園・原爆落下中心地・浦上天主堂などの観光施設が近い。スポーツ施設は停留場の西側、観光施設は国道を挟んで東側に立地する。高校総体の県大会等のスポーツイベントがある際は、多くの利用客で賑わう。
九州電力長崎支店
長崎銀行浦上支店

利用状況
周辺の観光施設に向かう観光客のほか、バスとの乗り換え客の利用も多い。バスについては、赤迫方面から小江原・式見方面へは徒歩連絡となるが宝町まで行かずに済む。


歴史
当停留場は1933年(昭和8年)、本線の延伸に合わせて松山町停留場(まつやままちていりゅうじょう)として開業した。1945年(昭和20年)8月9日には原爆投下により長崎電軌は本線をはじめ全線が不通。当停留場は爆心地に最も近い停留場であり、当停留場を含む浜口町 - 大橋間は原爆の被害が最も大きい区間であった。被爆から復旧したのは2年後、1947年(昭和22年)のことである。

2018年(平成30年)には沿線の観光地の名前を停留場名とし、平和公園停留場に改称した。

年表
1933年(昭和8年)12月25日 - 下の川停留場(廃止)から大橋停留場までの開通に合わせて松山町停留場として開業。
1945年(昭和20年)8月9日 - 原爆投下により不通。
1947年(昭和22年)5月16日 - 浦上駅前から大橋までの区間が復旧。
1961年(昭和36年) - ホーム構造を改める。
2000年(平成12年)2月19日 - 停留場を改築。
2002年(平成14年)8月27日 - 長崎駅前方面ホームに案内放送装置を設置。
2018年(平成30年)8月1日 - 平和公園停留場に改称。

平和公園停留場
へいわこうえん
Peace Park
◄18 大橋 (0.4km)(0.4km) 原爆資料館 20►
所在地 長崎県長崎市松山町3番3号先
北緯32度46分27.51秒 東経129度51分43.23秒
駅番号 19
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 本線(■1号系統・□2号系統・■3号系統)
キロ程 2.2km(住吉起点)
赤迫から2.4km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,935人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1933年(昭和8年)12月25日

宝町停留場 長崎電気軌道本線

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宝町停留場(たからまちていりゅうじょう、宝町電停)は、長崎県長崎市宝町にある長崎電気軌道本線の路面電車停留場である。浦上川西地区へのバス路線乗換駅となっており、両隣の停留所利用客も格段に多い。1号系統、2号系統、3号系統が停車する。

構造
宝町停留場は併用軌道区間にあり、道路上にホームが置かれる。ホームは2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟んで向かい合わせに配される(相対式ホーム)。線路の東側にあるのが長崎駅前方面行き、西側にあるのが赤迫方面行きのホーム。1999年には当停留場付近で架線柱がセンターポール化されたのにあわせて、上屋の取り換えやホームのかさ上げ・延長がなされた。

停留場には横断歩道橋が併設される。長崎電気軌道は交通渋滞対策とバリアフリーへの対応のため各所で歩道橋を撤去してきたが、当停留場は存置されていて利便性ではやや劣る。

周辺
長崎港対岸の地域へ向かうバス路線との乗り換え地点であり、三菱重工関連の工場へ向かう通勤客も当停留場で乗り換えを行う。宝町の交差点は交通量が多い。

停留場の開業より変電所(船蔵町変電所)が近くに設けられていたが、老朽化により1968年(昭和43年)に長崎駅寄りの天神町変電所に取って代わられた。しかしこの変電所も老朽化のため2015年(平成27年)に廃止され、新たに御船蔵町変電所が開設されている。

ベストウエスタンプレミアホテル長崎
杉永蒲鉾
ガスト長崎駅北店
三菱重工業長崎造船所幸町工場

 

歴史
当停留場の開業は1915年(大正4年)11月。長崎電気軌道の第1期線開通と同日のことであり、はじめは稲佐橋通停留場(いなさばしどおりていりゅうじょう)と称した。当停留場付近で路線は長崎本線と並走していて、停留場は長崎本線の踏切に並ぶ位置(地図)に置かれていた。踏切は1965年(昭和40年)に立体交差化されている。

1957年(昭和32年)には戦後の都市計画で新設された国道206号上へ軌道が移設。旧線上の停留場は廃され、新線上へ移設のうえ船蔵町停留場(ふなぐらまちていりゅうじょう)に改称した。宝町へ改称されるのは1966年(昭和41年)のことである。

年表
1915年(大正4年)11月16日 - 稲佐橋通停留場として開業。
1957年(昭和32年)12月19日 - ルート変更により旧線上の停留場が廃止、新線上へ移設し船蔵町停留場に改称。
1966年(昭和41年)9月20日 - 宝町停留場に改称。
1968年(昭和43年)1月20日 - 八千代町寄りに0.1キロメートル移設。
1999年(平成11年)3月25日 - 停留場を改築。上屋の取り換えなどを実施。

 


宝町停留場
たからまち
Takara-machi
◄24 銭座町 (0.5km)(0.4km) 八千代町 26►
所在地 長崎県長崎市宝町5番7号先
北緯32度45分29.28秒 東経129度52分7.12秒
駅番号 25
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 本線(■1号系統・□2号系統・■3号系統)
キロ程 4.2km(住吉起点)
赤迫から4.4km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 2,000人/日
-2015年-
開業年月日 1915年(大正4年)11月16日

 

向ヶ丘駅 豊橋鉄道渥美線

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向ヶ丘駅(むこうがおかえき)は、愛知県豊橋市植田町西蛤沢にある、豊橋鉄道渥美線の駅である。駅周辺は住宅地です。 駅番号は9。

概要
豊橋鉄道の建売住宅販売による住民の利便性向上のために開設された駅である。無人駅である。

駅構造
単式ホーム1面1線を持つ地上駅である。以前は駅舎があった。駅舎撤去後は自動券売機が設置されていたが、2003年頃に自販機荒らしに遭遇したことにより、自動券売機による乗車券発行を停止し撤去した。現在はかつては駅舎があった場所は駅前広場になり。駐輪場もなく、自転車が思い思いに停められています。

ホームには待合室が設置されています。


ホームへは階段でのみ連絡します。


駅周辺
豊橋信用金庫向ヶ丘支店
豊橋商工信用組合南栄支店植田出張所
豊橋南藤井眼科クリニック
豊鉄向ヶ丘パーキング(月極専用)
豊鉄向ヶ丘駅前パーキング(月極専用)


歴史
1959年(昭和34年)1月16日 - 開業。
時期不明
無人化(乗車券販売委託)
駅舎撤去(券売機設置)
自販機荒らし遭遇により券売機撤去
2010年12月 - manaca関連設備設置
2011年2月11日 - manaca関連設備稼働開始


向ヶ丘駅
むこうがおか
Mukougaoka
◄8 植田 (0.8km)(1.4km) 大清水 10►
所在地 愛知県豊橋市植田町西蛤沢
北緯34度42分22秒
東経137度22分3秒
駅番号 9
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 7.1km(新豊橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線


乗車人員
-統計年度- 355人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 702人/日
-2017年-
開業年月日 1959年(昭和34年)1月16日
備考 無人駅

 

CL169ことざくら 20メートル型巡視船

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CL169ことざくら 20メートル型巡視船

すずかぜ型巡視艇(すずかぜがたじゅんしてい、英語: Suzukaze-class patrol craft)は、海上保安庁の巡視艇の船級。区分上はCL型、公称船型は20メートル型。なお、ネームシップが配属替えに伴い改名したことから、現在ではひめぎく型とも呼ばれる。

本型ではプレジャーボートや小型漁船の高速化に対応して、速力の向上を図っている。船型を滑走性能のよいものにするとともに、上部構造や艤装品をアルミニウム合金製として重量軽減を図った。主船体は従来の15メートル型・18メートル型と同様に高張力鋼製である。
塗色は平成12年度補正予算建造艇以降白色塗装が標準となり、船側にS字章及びJCGロゴが標記されるようになった。またそれ以前の建造艇も一部は白色塗装と変更し、船側にS字章及びJCGロゴが標記されている艇もある。
大型化にともなって操舵室・居住区が拡大されて、業務処理および居住性の向上が図られている。操舵室には全乗員分のダンパー付き椅子が配置されており、また居住区にはベッド兼用の長椅子があるほか、巡視艇として初の簡易シャワー設備が備えられている。

配備先によりマストが起倒式となっている艇が存在する。例えばCL11は当初配属地の係留場所が小樽運河内であり、橋をくぐる必要があったため。(※全艇起倒出来る、油圧式かボルト止め手動式の違い。ボルト止めの艇はほぼ倒されることはない)なお、現在係留先が変更になり小樽運河内では巡視艇は係留されていない。

艇によっては電光掲示板を装備。
無線機器の装備の違いによりアンテナの装備が艇により違いがある。
艇によっては小型の複合艇を搭載している。
高速化のため主機関も強化されており、V型12気筒4サイクルディーゼルエンジンが搭載された。主機関にはMTUタイプとMANタイプがあり、MANタイプではMAN D2842LYE、MTUタイプではMTU 12V183 TE92型(910 ps / 2,230 rpm)が採用されている

 

船  型 20メートル型巡視船
番号・船名 CL169  ことざくら
所  属 佐世保海上保安部
全  長 20.0メートル
最大幅 4.30 m
吃水 0.88 m
主機 ディーゼルエンジン×2基
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 1,820馬力 2,040馬力
速力 30ノット
航続距離 200海里
乗員 5名
レーダー 航法用×1基
光学機器 夜間監視装置 (CL-135以降)
総トン数 26トン

原爆資料館停留場 長崎電気軌道本線

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原爆資料館停留場(げんばくしりょうかんていりゅうじょう、原爆資料館電停)とは、長崎県長崎市川口町にある長崎電気軌道本線の路面電車停留場である。駅番号は20。1号系統、2号系統、3号系統が停車する。

構造
原爆資料館停留場は専用軌道区間にあり、軌道は道路から独立している。ただし長崎駅前方面は当停留場を出るとすぐに右へ曲がって国道206号と合流し、併用軌道となる。ホームは2面あり、南北方向に通じる2本の線路を挟んで向かい合う(相対式ホーム)。線路の東側が長崎駅前方面行きのホーム、西側が赤迫方面行きのホーム。戦前は赤迫方面行きのホームが道路を渡った先にあり、両ホームは離れていた。

長崎駅前方面のホームには日本語と英語による駅自動放送が流れる。国道との合流地点で軌道は国道の歩道を横切っているため、電車の通過を歩行者に警告する赤色灯とスピーカーが停留場の屋根の端に取り付けられている。周辺は急な上り勾配のため、アプローチには階段が残っています。

停留場は1990年の長崎西洋館開館を受けて西洋風に装いを改めた。また2006年には構内の軌道に芝生を植えて緑化されている。長崎電気軌道での軌道緑化は当停留場が初めて。

周辺
停留場のすぐそばに複合商業施設の長崎西洋館があり、隣の平和公園停留場との間で本線の軌道は建物の中をトンネル(西洋館トンネル)にてくぐり抜ける。

停留場の旧称は浜口町であったが所在地は川口町。浜口町の町域は国道206号を挟んで向かい側に広がる。

長崎原爆資料館
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
長崎市平和会館
長崎市歴史民俗資料館
長崎大学医学部・歯学部・附属病院
浜口町商店街

 

歴史
当停留場は1920年(大正9年)の路線延伸に合わせて開業した停留場である。当初は浜口停留場(はまぐちていりゅうじょう)と称していた。その後浜口町停留場(はまぐちまちていりゅうじょう)に改称、その時期は大正末または昭和初めごろとされる。

当停留場の開業とともに開通した区間は当初専用軌道で、浦上駅前から当停留場までは東寄りに迂回し住宅の裏を抜けるルートをとっていた。しかし1945年(昭和20年)8月9日の原爆投下により長崎電軌の路線は全線不通となる。当停留場を含む区間が復旧したのは1947年(昭和22年)、このとき浦上駅前から当停留場までは都市計画に基づいて直線で結ばれることとなり、旧線は廃止された。

1990年(平成2年)には平和公園停留場寄りすぐのところに長崎西洋館が開館。敷地を本線の軌道が横切り、建物の中を路面電車がくぐるという特異な光景が誕生した。当初は建物の中に停留場を設ける計画もあったが実現はしていない。原爆資料館停留場に改称したのは2018年(平成30年)のことである。

年表
1920年(大正9年)7月9日 - 浜口停留場として開業。
時期不詳 - 浜口町停留場に改称。
1945年(昭和20年)8月9日 - 原爆投下により不通。
1947年(昭和22年)5月16日 - 浦上駅前から大橋まで復旧、旧線を廃止。
1988年(昭和63年)6月10日 - 下の川から当停留場までの区間で線路を移設。
1990年(平成2年)11月30日 - 長崎西洋館がオープン。
2000年(平成12年)7月14日 - 停留場の拡幅工事が竣工。
2002年(平成14年)11月1日 - 下り長崎駅前方面ホームに案内放送装置を設置。
2006年(平成18年)10月15日 - 構内の軌道の芝生緑化が完了。
2018年(平成30年)8月1日 - 原爆資料館停留場に改称。

原爆資料館停留場
げんばくしりょうかん
Atomic Bomb Museum
◄19 平和公園 (0.4km)(0.2km) 大学病院 21►
所在地 長崎県長崎市川口町13番地先
北緯32度46分13.9秒 東経129度51分49.73秒
駅番号 20
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 本線(■1号系統・□2号系統・■3号系統)
キロ程 2.6km(住吉起点)
赤迫から2.8km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 2,100人/日
-2015年-
開業年月日 1920年(大正9年)7月9日

茶山駅 叡山電鉄叡山本線

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茶山駅(ちゃやまえき)は、京都府京都市左京区田中北春菜町にある叡山電鉄叡山本線の駅。駅番号はE03。駅周辺は住宅地です。

茶山という名称は、駅西方の山にかつて江戸時代の豪商茶屋四郎次郎の山荘があり「茶山」と通称されていたことに由来する。

多客時は鞍馬線の電車に車掌が乗り込むが、出町柳駅まで乗務せずに、この駅で車掌だけ鞍馬駅行きに乗り換える姿が見られる。


駅構造
対面式2面2線のホームを持つ。駅員無配置駅。出入り口はホームの出町柳駅側の踏切に面している。

出町柳駅方面行きホームのみ自動券売機が設置されており、8時から20時30分までの間稼動する。

宝ヶ池駅方面行きホームはホームのほぼ全体を、出町柳駅方面行きホームには約1両分の長さの上屋が設置され、ワンマンカーの乗降口をカバーしている。また、同ホーム北側には駐輪場があるが、自転車が度々不法投棄されている事に電鉄側も頭を抱えている状態が続き、その対策として有料化された。

上下共にバリアフリーには対応していない。レール面からホーム面までの階段のみであるが車椅子等での利用には介護者が必要。

のりば
■叡山本線(上り) 出町柳行
京阪線(三条・枚方・大阪方面;出町柳乗り換え)
■叡山本線(下り) 八瀬比叡山口・鞍馬方面


駅周辺
駅周辺には閑静な住宅街が広がる。まばらながら飲食店もある。最寄りバス停留所は南東200メートルほどの京都市営バス3・204系統「高原町」と、西南西へ250メートルほどの市バス3・31・65・204・206系統「田中大久保町」である。

京都造形芸術大学 ※案内放送あり。
左京郵便局
イズミヤ高野店
カナート洛北
天下一品本店
京都市立養徳小学校
駒井家住宅(駒井卓・静江記念館)

 


1925年(大正14年)9月27日 - 京都電燈が経営する叡山電鉄平坦線の駅として開業。
1942年(昭和17年)3月2日 - 京都電燈の鉄軌道事業を京福電気鉄道が承継、京福電気鉄道叡山本線の駅となる。
1986年(昭和61年)4月1日 - 京福電気鉄道が叡山本線を叡山電鉄に譲渡、叡山電鉄叡山本線の駅となる。


茶山駅
ちゃやま
Chayama
◄E02 元田中 (0.5km)(0.7km) 一乗寺 E04►
所在地 京都市左京区田中北春菜町38
北緯35度2分17.55秒 東経135度47分3.99秒
駅番号 E03
所属事業者 叡山電鉄
所属路線 ■叡山本線
キロ程 1.4km(出町柳起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,466人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)9月27日


五郎丸駅 西日本鉄道(西鉄)甘木線

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五郎丸駅(ごろうまるえき)は福岡県久留米市宮ノ陣四丁目にある西日本鉄道(西鉄)甘木線の駅である。

住宅地に位置する小駅で、朝夕の通勤通学時間は賑わいます。駅番号はA11。

駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。簡単な駅舎が置かれている。駅窓口営業時間は6:30- 11:00頃までと16:00 - 22:00頃までとなっている。

ホームへのスロープがあり途中にはICカード専用改札機が設置されています。

のりば
1 ■甘木線 本郷・甘木方面


宮の陣・花畑・大牟田方面

ホーム待合所があり長椅子が設置されています。短い上屋もあります。

駅周辺
駅の周りは宮の陣と呼ばれる住宅街がある。

笠喜ブロック 久留米工場
九州自動車道
久留米ビジネスプラザ
宮の陣郵便局
松藤食品

バス路線
九州自動車道宮の陣バスストップ-徒歩10分。

 


1915年(大正4年)10月15日 - 三井電気軌道の駅として開業。
1924年(大正13年)6月30日 - 九州鉄道に合併。同社の駅となる。
1942年(昭和17年)
9月19日 - 九州電気軌道に合併。同社の駅となる。
9月22日 - 九州電気軌道が西日本鉄道に社名変更。
1972年(昭和47年) - 駅舎改築。
2008年(平成20年)5月18日 - ICカードnimoca供用開始。
2017年(平成29年)2月1日 - 駅ナンバリングを導入。

 


五郎丸駅
ごろうまる
Gorōmaru
◄T25 宮の陣 (0.9km)(0.8km) 学校前 A10►
所在地 福岡県久留米市宮ノ陣四丁目
北緯33度19分49.61秒
東経130度32分23.54秒
駅番号 A 11
所属事業者 西日本鉄道
所属路線 ■甘木線
キロ程 0.9km(宮の陣起点)


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 740人/日
-2017年-
開業年月日 1915年(大正4年)10月15日

JR九州『Go! Waku Waku Trip with MICKEY』新幹線800系電車

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JR九州『Go! Waku Waku Trip with MICKEY』新幹線800系電車

800系は、九州旅客鉄道(JR九州)に在籍する新幹線電車である。九州新幹線の初代車両として2004年(平成16年)に登場した。

2019年5月17日からミッキーマウスのスクリーンデビュー90周年を記念して、九州新幹線での旅をアピールする「Go! Waku Waku Trip with MICKEY」プロジェクトの一環として企画。U007編成にミッキーマウスのラッピング以外にも車内のでは座席のヘッドカバーなどに特別なデザインを施している。

2019年11月まで実施されるこのプロジェクトでは、特別な装飾を施した新幹線の運行や限定オリジナルグッズなど、九州新幹線での旅をわくわくさせる様々な催しが開催される。

車両:九州新幹線 800系(1編成、6両)
運行開始日:2019年5月17日(金)予定 ※5月17日は特別運行のため、招待者さまのみの乗車となります。5月18日以降は通常の新幹線と同様のきっぷで乗車が可能です。
運行区間:博多~熊本~鹿児島中央

外観はミッキーマウスが旅を通して体験する「いざなう」「冒険する」「眺める」「見つける」「楽しむ」をキーワードにしたアートを散りばめたデザイン。トランクを手に、勢いよく走り出すミッキーマウスやかわいくポーズをとるミッキーマウスなど、「ミッキーマウスと一緒に夢と希望の物語を探しにいく」ことをイメージしたデザインになっています。新幹線の外観デザインには、九州を代表するモチーフがいっぱい。全国的な人気を誇る、福岡県の「いちご」や、佐賀県の「焼き物」、長崎県の「びわ」、熊本県の「すいか」、大分県の「温泉」、宮崎県の「マンゴー」、鹿児島県の「桜島大根」といったモチーフが描かれています。

車内販売:客室乗務員が乗務し、オリジナルグッズの車内販売等を行います。 ※客室乗務員の乗務は、「JR九州 Waku Waku Trip 新幹線」の一部の列車。客室乗務員が乗務する列車は特設サイトでお知らせします。※オリジナルグッズの販売は数に限りがあります。オリジナルグッズ以外(飲食物等)の販売はありません。鉄道玩具「プラレール」、新幹線ポーチや、エプロンをはじめ、マスキングテープ、クリアファイルなど

新幹線800系電車
800系電車(0番台)
基本情報
運用者 九州旅客鉄道
製造所 日立製作所
製造年 2003年 - 2010年
製造数 9編成54両
運用開始 2004年3月13日
投入先 九州新幹線
主要諸元
編成 6両編成(全車電動車)
軌間 1,435 mm
電気方式 交流25,000V 60Hz
(架空電車線方式)
最高運転速度 260 km/h
起動加速度 2.51 km/h/s
編成定員 392名(U001 - U006編成)
384名(U007 - U009編成)
(全席普通席)
編成長 154.7 m
全長 27,350 mm(先頭車)
25,000 mm(中間車)
全幅 3,380 mm
車体高 3,650 mm
車体 アルミニウム合金
台車 軸梁支持方式
WDT205K
主電動機 かご形三相誘導電動機 MT500K
主電動機出力 275 kW × 4基
駆動方式 WN駆動方式
編成出力 6,600 kW
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ、抑速ブレーキ
保安装置 KS-ATC、ATC-1型
備考 台車は川崎重工業

元田中駅 叡山電鉄叡山本線

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元田中駅(もとたなかえき)は、京都府京都市左京区にある叡山電鉄叡山本線の駅。駅番号はE02。戦後の一時期は当駅から宝ヶ池まで京都市電が乗り入れていました。

駅構造
千鳥式2面2線のホームを持つ駅員無配置駅。出町柳行きホームにのみ券売機が設置されており、8時から20時30分の間稼動する。両ホームとも約1両分の長さの上屋が設置されている。

かつて京都市電と平面交差していた名残から上下ホームは東大路通を挟んで両側に分かれている(下りホームは西側、上りホームは東側)。1949年から1955年までは京都市電が宝ヶ池駅まで乗り入れていたため、渡り線が設置されていた。

上下共にバリアフリーには対応していない。ホーム面までスロープなどはなく(画像参照)、車椅子等での利用には介護者が必要。

のりば
■叡山本線(上り) 出町柳行
京阪線(三条・枚方・大阪方面;出町柳乗り換え)
■叡山本線(下り) 八瀬比叡山口・鞍馬方面
ホームの上屋下には椅子が設置されています。

駅周辺
駅周辺の田中地区はかつて京都府愛宕郡田中村に属し、古くから「田中の里」と呼ばれてきた地域である。田中地区は元来この田中の里を中心に発展してきたもので、これが「元田中」の駅名の由来とされる。

京都大学などが近くにあり、上下ホームの間を走る東大路通沿いは学生相手の飲食店や近隣住民が買い物する店が並ぶ商店街(田中京極)となっている。

田中神社
京都情報大学院大学
松本商店(回数券委託発売所)
養正地区

バスのりば
叡電元田中
京都市営バス 
南行
31系統:祇園 四条烏丸行
65系統:烏丸丸太町 四条烏丸行
206系統:東山七条・京都駅方面
北行
3系統:京都外大 松尾橋行
31系統:高野・岩倉方面
65系統:松ヶ崎・修学院・岩倉行
206系統:高野 千本北大路方面(一部北大路BTで折り返す便あり)

 

 

1925年(大正14年)9月27日 - 京都電燈が経営する叡山電鉄平坦線の駅として開業。現在より100メートルほど出町柳寄りにあった。
1942年(昭和17年)3月2日 - 会社譲渡により京福電気鉄道叡山本線の駅となる。
1943年(昭和18年)7月10日 - 京都市電東山線が延伸開業し、叡電前停留所設置。(なお、市バスの叡電前は出町柳駅前にあった)特認により東大路通とは交差点となる。
1949年(昭和24年)
12月11日 - 京都市電東山線から宝ヶ池駅までの乗り入れ運転開始。この乗り入れは、宝ヶ池駅近くにあった市営の競輪場への観客輸送のためのもので、競輪開催日にのみ実施された。
乗入運行は京都市電の1000系が使用され、低床車であったため市電側の停留所(双方向とも交差点南側に設置)を使用した。乗り入れ廃止後に市電南行の停留所は交差点北側に移設され、4方向とも交差点手前で乗降を行うように改められている。
12月17日 - 現在地に移転。
1955年(昭和30年)9月1日 - この日限りで京都市電からの乗り入れ運転を終了。乗り入れ廃止後も、連絡する渡り線は長い間残されていた。
1978年(昭和53年)10月1日 - 京都市電が廃止。東大路通交差点を踏切に変更。この後の市電軌道撤去工事にて、残っていた渡り線の一部を完全撤去(双方のポイント部分等は比較的早期に撤去されたが、中間部分の一部や道路の舗装に隠れた部分はこのときまで存在していた)。
1986年(昭和61年)4月1日 - 会社譲渡により叡山電鉄の駅となる。


元田中駅
もとたなか
Mototanaka
◄E01 出町柳 (0.9km)(0.5km) 茶山 E03►
所在地 京都市左京区田中南大久保町32-1
北緯35度2分5.84秒 東経135度46分53.01秒
駅番号 E02
所属事業者 叡山電鉄
所属路線 ■叡山本線
キロ程 0.9km(出町柳起点)


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 551人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)9月27日

初代 パブリカ800デラックス(トヨタ自動車工)

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初代 パブリカ800デラックス(トヨタ自動車工)

パブリカ(Publica)は、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)が生産し、トヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車)が販売した小型乗用車、および小型貨物自動車である。
1950年代の国民車構想の影響を受けて開発されたパブリカは、トヨタ初の大衆車で、長年にわたって同社の生産、販売する最小車種として位置付けられた。
後のスターレット及びダイハツ・コンソルテ→シャレード、そして現在販売されているヤリス(2020年まではヴィッツ)、及びパッソ/ブーンへと連なる、トヨタ・ダイハツ両社のコンパクトカーの元流である。
国産大衆車初の水平対向エンジン車であり、水平対向はのちにミニエースやスポーツ800に受け継がれた。またレースにも参加しており、第1回日本グランプリでクラス優勝を飾っている。
車名の由来
「大衆車」を意味する英語「パブリック・カー」(Public car)を略した造語である。唐辛子の一種の「パプリカ」と誤表記されることが多いが、単に字面が似ているだけであり、関連はない。

完成したUP10は軽量なフル・モノコック構造のボディを採用した。全長3,500 mm 余りの簡素なボディは、大きなプレス部材を用いて生産性を高める配慮が為されていたが、デザイン上やや華奢な印象があった。2ドアノッチバックの4窓セダン型ボディを標準とし、2,130 mm のホイールベースの中で、大人4人を載せる最低限のスペースを確保していた。それでも当時の軽乗用車よりはゆとりがあり、さらに独立したトランクスペースを設けていたのは長所であった。
軽量なエンジンをフロントアクスルにオーバーハングさせつつ、プロペラシャフト位置も極力低くし、FRでのスペース効率の不利を克服する努力が為されていた。プロペラシャフトを持ちながらも全体の軽量化は特筆すべき水準に達し、セダンの空車での重量は、FFで企画されていた当初の計画を満たす580 kg に抑えられていた。プロペラシャフトの出力軸はクラッチ側に比べ低い位置から引き出されるようになっており、このためトップギアは当時一般的な直結の減速比1.0でなく、1.125とやや低速側に振られている(ディファレンシャル・ギアとタイヤ径によってバランスを取っている)。
サスペンションは前輪ダブルウィッシュボーン式サスペンション、後輪縦置き半楕円リーフ・リジッドの当時ごくコンベンショナルなレイアウトである。前輪サスペンションのスプリングには縦置きトーションバー・スプリングを用いていたが、これは軽量化や省スペース目的もさることながら、上下アームの間にドライブシャフトを通していた、FF一次試作車の名残である。後年、トヨタではキャブオーバ型商用車の前輪独立懸架に縦置きトーションバー支持ウィッシュボーンを多用するようになったが、パブリカがその嚆矢である。前輪駆動を想定していた故の広いフロントトレッドも踏襲され、安定性が高まった。ステアリングギアボックスは当時一般的だったウォーム&セクターで、車の軽量さも手伝い、中庸無難な操縦特性となっている。


新開発のエンジンは697 cc、強制空冷水平対向2気筒OHVのU型エンジンである。当初のボア×ストロークは78 mm × 73 mm のオーバースクエアで、水平対向2気筒で先例の多い、半球型燃焼室を持つクロスフロー弁配置となった。性能は最高出力28 PS /4,300 rpm、最大トルク5.4 kgm /2,800 rpm を達成、ロー以外シンクロメッシュ化されたコラムシフトの4速ギアボックスを介して、セダンの軽量ボディを最高110 km/h まで到達させた。
後年に至るまでトヨタ車史上唯一となったこの空冷エンジンは、水平対向2気筒であることと、遠心式のシロッコファン(プロペラファンよりやや効率が劣るがコンパクトで騒音が少ない)とシュラウドを組み合わせた強制冷却という点は、範をとったシトロエン2CVと共通する。しかし2CVのエンジンは、コネクティングロッド大端部を一体式とし、組立式クランクシャフトを窒素冷却して圧入する構造や、簡素化を狙ったシリンダーヘッドガスケットの省略、左右同時点火など、常道から外れた特徴が多く、当時の日本の内燃機関の通例や生産技術から乖離した特殊な設計でもあったため、より常識的なBMWやツェンダップなどのドイツ製オートバイ用水平対向2気筒エンジンをも参考とし、振動対策にも意を払った。経験の少ない空冷エンジンの設計であるうえ、それまで4気筒以上が標準であったトヨタエンジンで初の2気筒ともなるとトルク変動が大きいことも問題になり、開発陣は熱変形などの冷却対策や、クラッチ回りの耐久性確保に苦慮したという。吸排気バルブの隙間調整機構として、日本の乗用車としては初の油圧式ラッシュアジャスターを採用、メンテナンスフリーを実現したことが特徴である。軽量かつ簡潔、しかもコンパクトにまとめ上げられたこのエンジンの採用で、FR車ながらエンジンルームの前後長を詰めることができ、FF車と大差ない居住空間が得られたが、同時に、空冷エンジン故の騒音や暖房能力などにハンデキャップを抱えることになった。
U型エンジンは生産数を少しでも伸ばすため、出力を定速運転に適した10 PS /2,200 rpm とした上、1965年(昭和40年)6月から同社のライトバス(コースターの前身)でクーラー用サブエンジンとしても利用され、生産設備の償却と、当時観光バスでさえ普及の途上であったバス冷房の大衆化に貢献している(翌年2月に800 cc の2U-B型に変更)。

トヨタ・パブリカ(初代)
販売期間 1961年6月 - 1969年4月
乗車定員 4人
ボディタイプ 2ドアセダン
2ドアオープンクーペ
(コンバーチブル/
デタッチャブルトップ)
2ドアバン
2ドアピックアップ
エンジン 0.7/0.8L 空冷水平対向2気筒OHV
駆動方式 FR
変速機 2速AT
4速MT
サスペンション 前:ウィッシュボーン/
トーションバー
後:横置きリーフスプリング
全長 3,580mm(UP10型)
3,620mm(UP20型)
全幅 1,415mm
全高 1,380mm
ホイールベース 2,130mm
車両重量 600 - 640kg
生産台数 20万台以上(メーカーに記録なし)

 

出町柳駅 叡山電鉄

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出町柳駅(でまちやなぎえき)は、京都府京都市左京区にある、叡山電鉄・京阪電気鉄道の駅。駅番号は京阪電気鉄道がKH42、叡山電鉄がE01。

「出町柳」で鴨川左岸(東側)の当駅周辺の地名として定着しているが、元は出町と柳の二つの地名を合わせた駅名である。出町は鴨川右岸(西側、上京区側)の河原町今出川付近一帯を指す俗称、柳は鴨川左岸(東側、左京区側)の当駅周辺の字である(なお、叡山電鉄側の現所在地が「左京区田中上柳町」、京阪電鉄側の現所在地が「左京区田中下柳町」である)。


利用可能な鉄道路線
叡山電鉄
叡山本線(駅番号:E01) 宝ヶ池・八瀬比叡山口・鞍馬方面
京阪電気鉄道
鴨東線(駅番号:KH42) 三条・枚方市・京橋・淀屋橋・中之島線方面
京阪本線(淀屋橋 - 三条)と鴨東線(三条 - 出町柳)は三条駅を介して一体的なダイヤが組まれているため事実上、京阪本線の一部である。

駅構造
駅舎は1993年(平成5年)6月24日に竣工した「京阪出町柳ビル」で、かつては叡山電鉄本社もこのビル内[に置かれていた(2014年に現在地の修学院駅前へ移転)。地上にある叡山電鉄の駅と、地下にある京阪電気鉄道へのメイン出入口が一体となった構造である。
駅施設としては、地上1階に叡山電鉄のホームおよび駅施設・京阪の入口・バスターミナル、地下1階に京阪のコンコース、地下2階に京阪のホームがある。


叡山電鉄
櫛型ホーム4面3線を有する地上駅である。改札は1か所で、駅員配置駅となっており、自動改札機も設置されている。駅舎(京阪出町柳ビル)2階部分にはTSUTAYA出町柳駅店がある。以前までは叡山電鉄に一括賃貸されていたため叡山電鉄本社がフランチャイズ営業を行っていたようで、その際は、店名が「叡電出町柳店」であった。1階には京都バスターミナルに面した側にはロッテリアがあり、以前は、構内1番線ホーム側からも利用することが可能な構造となっていた。2009年12月末には、駅改装工事によって、駅ホームと改札外の間の壁がガラス張りとなり、改札外からも列車を見ることができるようになった。

京阪の駅の出入口はメインのものが叡電の改札前にあり上下エスカレータが備わっているほか、エレベーターは南西側の角近くにある。駅前の道路から構内はごくゆるいスロープになっていて、その先ホームまでは平面で、車椅子等での移動は容易である。

もともとの駅舎は仏堂形式の歴史ある建築物である。京阪鴨東線開業時に建設された新駅舎に隠されて表からは見えなくなったが、ホーム側の先からは旧駅舎を見ることができる。

1番線ホームは1両のみ、2・3番線ホームは2両編成の停車が可能である。かつては1番線も2両分の長さがあったが、八瀬比叡山口行がほとんど単行運転になったため、1両分が埋められて通路となっている。また、1番線乗車ホームはその先にも延びており、トイレへの通路となっている。なお、ホーム上屋は完全に整備されておらず、2両編成の場合は2両目が上屋からはみ出る。

鞍馬の火祭開催時は、鉄道の輸送力や鞍馬集落への収容に限りがあるため入場制限が行われる。そのため、発生する行列は、京阪出町柳駅の地下階段のあたりにまで長く伸びる。

のりば
1 ■叡山本線 八瀬比叡山口方面 (単式)
※ (1・2番線降車ホーム) (島式)
2・3 ■鞍馬線直通 市原・貴船口駅・鞍馬方面 (島式)
※ (3番線降車ホーム) (単式)




叡山電鉄の駅開業時点から1976年3月31日までは、京都市電今出川線の加茂大橋電停が駅前の今出川通に存在し、接続路線となっていた。今出川線が廃止されてから京阪鴨東線開業までの13年あまりの間は、他の鉄道と接続しない孤立したターミナルだった。

1925年(大正14年)9月27日 - 京都電燈が経営する叡山電鉄平坦線の駅として出町柳駅開業。
1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風が来襲、駅名「出町柳」の語源になった柳の巨木が倒れ、復旧工事により撤去される。
1935年(昭和10年)6月29日 - 「鴨川水害」で駅が浸水、翌30日午前10時より運行再開。
1942年(昭和17年)3月2日 - 京都電燈が鉄道事業を京福電気鉄道に譲渡。京福電気鉄道叡山本線の駅となる。
1986年(昭和61年)4月1日 - 京福電気鉄道が叡山電鉄に鉄道事業を譲渡。叡山電鉄の駅となる。
1989年(平成元年)10月5日 - 京阪電気鉄道鴨東線開業により、同線の出町柳駅開業。
1993年(平成5年)6月24日 - 「京阪出町柳ビル」竣工、ビル内に叡山電鉄本社が入る(2014年まで)。
2006年(平成18年)
3月24日 - 京阪駅構内リニューアル。
3月29日 - 京阪駅構内に「けいはんインフォステーション」を設置。
2007年(平成19年)7月9日 - 京阪駅に自動定期券発行機の導入により定期券うりばを廃止。
2010年(平成22年)3月23日 - 叡山電鉄駅のコンコースを改装する。
2012年(平成24年)12月28日 - 京阪駅ホーム階段口に防火防炎シャッターを設置。
2013年(平成25年)12月26日 - 京阪駅の視覚障害者用誘導鈴を音声案内に更新。
2014年(平成26年)
4月10日 - 有料駐輪場「エコステーション21出町柳まちかど」が使用を開始。
6月26日 - 京阪駅ホームに異常通報装置設置使用開始。
2015年(平成27年)1月9日~同月23日 - 京阪駅、ホーム階-コンコース間のエレベーター更新工事で使用停止。
2016年(平成28年)3月19日 - 京阪線、ダイヤ改正で日中時間帯に中之島駅 - 当駅間で運転されていた普通電車が枚方市駅折り返しに短縮され、この時間帯は当駅には準急・特急のみ来るようになった。
2017年(平成29年)
3月24日 - 叡山電鉄の駅構内トイレのリニューアル工事完成、使用開始。
3月25日 - 京阪の駅構内トイレのリニューアル工事完成、使用開始。
7月3日 - 京阪の駅構内定期券売り場、営業開始。
12月22日 -京阪の駅構内に外貨自動両替機を設置。
2018年(平成30年)5月14日~(7月末の予定) - 京阪駅の叡山乗り換え口-コンコース間のエスカレーター更新工事で順番に使用停止。

 

叡山電鉄 出町柳駅
でまちやなぎ
Demachiyanagi
(0.9km) 元田中 E02►
所在地 京都市左京区田中上柳町32-1
駅番号 E01 
所属事業者 叡山電鉄
所属路線 叡山本線
キロ程 0.0km(出町柳起点)
駅構造 地上駅
ホーム 4面3線
乗降人員
-統計年度- 16,685人/日
-2017年-
開業年月日 1925年(大正14年)9月27日

 

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