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DDG-172しまかぜ (はたかぜ型護衛艦)

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しまかぜ (はたかぜ型護衛艦)
しまかぜ(ローマ字:JS Shimakaze, DDG-172)は、海上自衛隊の護衛艦。はたかぜ型護衛艦の2番艦。艦名は「島に吹く風、島から吹いてくる風」に由来し、この名を受け継ぐ日本の艦艇としては旧海軍峯風型駆逐艦「島風」、島風型駆逐艦「島風」に続き3代目。


しまかぜ」は、中期業務見積りに基づく昭和58年度計画4,500トン型護衛艦2312号艦として、三菱重工業長崎造船所で1984年3月29日に発注され、1985年1月13日に起工され、1987年1月30日に進水、1988年3月23日に就役し、同日付で第3護衛隊群隷下に新編された第63護衛隊に編入され、舞鶴に配備された。

1番艦の「はたかぜ」より排水量が50t大きい。これらは主錨を「はたかぜ」までのホールス式からアドミラリティ式に変更したことによることと揚錨機や揚艇機を改善したことによるものである。

1988年8月27日から12月22日の間、ターター装置装備認定試験(SQT)のため、米国に派遣。
1989年6月16日から9月6日の間、護衛艦「はるな」、「みねゆき」とともに米国派遣訓練に参加。
1990年4月6日、護衛艦「はるな」、「さわかぜ」、「みねゆき」、「あさゆき」、「しまゆき」、「はまゆき」、「いそゆき」、補給艦「とわだ」、潜水艦「もちしお」とともにハワイ、サンディエゴ方面に派遣され、4月26日から6月2日まで、環太平洋合同演習(リムパック90)に参加した。
1993年2月2日から2月8日まで、護衛艦「はるな」等と四国南方から沖縄東方に至る海域でアメリカ海軍とともに第78次対潜特別訓練を実施。同年6月14日から護衛艦「しらね」「うみぎり」とともに米国に各種訓練従事のため派遣され、9月1日に帰国。
1995年11月29日、「あまつかぜ」の除籍に伴い、第63護衛隊が廃止となり第3護衛隊群直轄艦となる。
1996年3月14日、「みょうこう」の就役に伴い、第63護衛隊が再編され、編入された。
1998年5月19日から22日にかけてフィリピン・マニラで行われたフィリピン海軍創立100周年記念国際観艦式に参加した。
1999年2月25日、護衛艦「はまゆき」等と共に、江田島湾出港後、外洋練習航海部隊として東南アジア各地に寄港する。
2000年5月15日、護衛艦「くらま」、「むらさめ」、「きりしま」、「はるさめ」、「ゆうだち」、「きりさめ」、「あさぎり」、補給艦「はまな」、潜水艦「なつしお」とともに環太平洋合同演習(リムパック2000)に参加するため横須賀基地を出港し、5月30日から7月6日までハワイ周辺海域において同演習に参加した。
2003年5月16日から8月3日の間、護衛艦「くらま」、「せとぎり」とともに米国派遣訓練に参加。
2005年3月30日、テロ対策特別措置法に基づき、護衛艦「ゆうだち」、補給艦「とわだ」と共にインド洋に派遣。同年7月まで任務に従事し、9月9日帰国した。
2007年3月15日、第2護衛隊群第62護衛隊に編入され、定係港が佐世保へ転籍。
2008年3月26日、護衛隊改編に伴い、第1護衛隊群第1護衛隊に編入。
2011年6月22日から7月21日までブルネイ・ダルサラーム国の国際観艦式に参加、ムアラ港とその周辺海域で行動した。
2012年8月22日、日豪新共同訓練に参加するため、訓練海域であるグアムからダーウィン周辺で8月29日まで訓練を実施、8月29日から9月14日までオーストラリア海軍主催の多国間海上共同訓練「カカドゥ12」に参加した。
2013年8月20日夕刻、佐世保基地にて岸壁に接触する事故を起こした。負傷者は居なかったものの、艦尾左側が約5mに渡って歪み3cm程度の穴が数箇所発生した。また、同年10月10日午前8時ごろ佐世保基地に停泊中に第1機械室で出火した。乗組員が消し止め、けが人はいなかった。
2014年10月24日、編成替えにより第4護衛隊群第8護衛隊に編入。
2019年10月15日及び16日、関東南方海空域において護衛艦「ちょうかい」とともに日加共同訓練(KAEDEX19-2)に参加する。カナダ海軍からはフリゲート「オタワ」が参加し、対潜戦訓練、対水上訓練射撃等を実施する。
定係港は佐世保である。

しまかぜ
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所
運用者 海上自衛隊
艦種 ミサイル護衛艦(DDG)
級名 はたかぜ型護衛艦
建造費 692億8300万円
母港 佐世保
所属 第4護衛隊群第8護衛隊
艦歴
発注 1983年
起工 1985年1月13日
進水 1987年1月30日
就役 1988年3月23日
要目
基準排水量 4,650トン
満載排水量 5,950トン
全長 150m
最大幅 16.4m
深さ 9.8m
吃水 4.8m
機関 COGAG方式
主機 ロールス・ロイス オリンパスTM3B×2基
ロールス・ロイス スペイSM1A×2基
出力 70,000PS
推進器 スクリュープロペラ × 2軸
最大速力 30ノット
乗員 260名
兵装 73式54口径5インチ単装速射砲×2門
Mk.15 高性能20mm機関砲 × 2基
Mk.13 Mod4 スタンダードミサイル単装発射機 × 1基
ハープーンSSM 4連装発射筒 × 2基
74式アスロック 8連装発射機 × 1基
68式3連装短魚雷発射管 × 2基
C4ISTAR OYQ-4-1 戦術情報処理装置
SFCS-6A 水中攻撃指揮装置
レーダー OPS-11C 対空
OPS-28B 対水上
OPS-20 航海用
SPS-52C 三次元
SPG-51C ミサイル誘導用 × 2基
Mk.74 Mod13 ミサイル射撃指揮装置 × 2基
81式射撃指揮装置2型-22B
ソナー OQS-4Ⅰ
電子戦・
対抗手段 NOLQ-1-3 ESM/ECM
OLR-9B ESM
Mk.137 デコイ発射機 × 4基
その他 曳航具3型 対魚雷デコイ


John Deere Gator (M-Gator) 

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農業用のトラクターなどで有名な会社、米国のジョンディア社製の全天候型汎用車両。4輪、6輪の他にキャタピラなど多くのバリエーションを取ることができる。
民間車両は農場や牧場、ゴルフ場等で使用されることも多く、数は少ないが日本でも公道での利用がある。
米軍では1997年に採用、物資輸送や救急車両として運用されている。
民間車両はカワサキのガソリンエンジンであるが、軍用車両専用にヤンマーのディーゼルエンジンを搭載している。

John Deere Gator は、小規模の家族である不整地で生成ユーティリティビークルジョンディア社。それらは通常、ピックアップトラックと機能が似ているボックスベッドを備えています。ベッドは電気ダンプ本体として設置することもできます。John Deere Gatorは、4輪または6輪のさまざまな構成で製造されています。[1] Gatorの車両ラインは、純粋なオフロード車両としてではなく、農場、作業現場、牧場で使用するように設計されています。ただし、特定のオフロード機能で注文することは可能です。1992年、1987年に導入された3輪または5輪のJohn Deere AMTに代わりました。

天王寺駅 (JR西日本)

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天王寺駅(てんのうじえき)は、大阪府大阪市天王寺区・阿倍野区にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅である。

大阪市南部のターミナル駅として、難波と大阪の南玄関としての機能を二分する。近鉄阿部野橋駅を含む複数の駅からなる繁華街は、キタ・ミナミに次ぐ規模を誇り、2014年には阿部野橋駅直上にあべのハルカスがオープンしたことで、以前にも増して賑わいを見せている。JR天王寺駅は第3回近畿の駅百選、天王寺駅前駅は第4回近畿の駅百選に選定されている。

駅名は東成郡天王寺村(当時)に最初に開業した駅であることによる。なお、「天王寺」は当駅北方に所在する四天王寺の転訛による地名で、「天王寺」という寺院は存在しない。ちなみに、四天王寺へはOsaka Metro谷町線の四天王寺前夕陽ヶ丘駅が最寄りである。

JRの駅はICOCA、Osaka Metroと阪堺の駅はPiTaPa、Osaka Metroの駅はさらに「スルッとKANSAI」対応各種カードの利用エリアに含まれている。

乗り入れ・接続路線
JR西日本の乗り入れている路線は、関西本線・大阪環状線・阪和線の3路線である。このうち関西本線は当駅の所属線であり、「大和路線」の愛称設定区間にも含まれている。阪和線は当駅が起点であるが、一部列車は関西本線の線路を介して大阪環状線の西九条駅方面に直通し、阪和線日根野駅から関西空港線、阪和線の終点である和歌山駅から紀勢本線(きのくに線)に直通する列車も乗り入れる。特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。大阪環状線にはJR-O01、関西本線(大和路線)にはJR-Q20、阪和線にはJR-R20の駅番号が設定される。事務管コードは▲620831。

Osaka Metroは御堂筋線と谷町線の2路線が乗り入れ、御堂筋線にはM23、谷町線にはT27の駅番号が設定されている。このほか、阪堺電気軌道の天王寺駅前停留場(駅番号はHN01)に上町線が乗り入れている。また、近接する近畿日本鉄道南大阪線の大阪阿部野橋駅(駅番号はF01)と地下通路・歩道橋で結ばれており、乗換えが可能となっている。

長らく国鉄→JR西日本における和歌山・紀伊半島方面へのターミナルとして機能してきたが、大阪環状線経由でJR難波駅・新大阪駅(京都方面)・大阪駅・京橋駅への直通運転が一般化してからは、構造上櫛形ホームを残しつつも、同様の境遇を持つ上野駅と同様に途中駅の側面が強くなっている。

駅長が配置された直営駅であり、管理駅として大和路線の平野駅と東部市場前駅、阪和線の美章園駅と南田辺駅を管轄している。

駅構造
上町台地上に位置する地上部と、それを東西に貫通する掘割部の2層構造になっている。地上部に阪和線ホームと中央コンコースがあり、掘割部に大阪環状線、関西本線(大和路線)のホームがある。かつて阪和電気鉄道が使っていた阪和線のホーム(1 - 9番のりば)と、かつて関西鉄道が使っていた関西本線(大和路線)、大阪環状線のホーム(11 - 18番のりば)とで構造的にも実務的にも分かれている。

のりば
のりば 路線 行先 備考
1 R 阪和線・W きのくに線 朝ラッシュ時の到着のみ
定期列車の発車はない
2 R 降車ホーム 3番のりばと線路を共用
3・4 R 阪和線・W きのくに線 鳳・日根野・和歌山・御坊・紀伊田辺方面 当駅始発の快速・区間快速および関空快速・紀州路快速
S 関西空港線 Pictograms-nps-airport.svg 関西空港方面
5 R 降車ホーム 4番のりばと線路を共用
6 当駅始発の普通・区間快速の一部が発車
7 R 阪和線 鳳・日根野・和歌山方面
8 当駅始発の普通が発車
9 R 降車ホーム
11 O 大阪環状線(内回り) 鶴橋・京橋・大阪方面
12 当駅始発のみが発車
13 O 降車ホーム
14 O 大阪環状線(外回り) 弁天町・西九条・大阪方面 京橋・鶴橋方面からの周回列車
15 R 阪和線 鳳・日根野・和歌山方面 大阪環状線からの直通
S 関西空港線 Pictograms-nps-airport.svg 関西空港方面 特急「はるか」・関空快速
W きのくに線 御坊・紀伊田辺・白浜・新宮方面
16 Q 大和路線 王寺・奈良・加茂・高田方面
17 JR難波方面
O 大阪環状線(外回り) 弁天町・西九条・大阪方面 阪和線及び大和路線からの直通
18 Q 大和路線 JR難波方面 朝ラッシュ時のみ
O 大阪環状線(外回り) 弁天町・西九条・大阪方面 阪和線及び大和路線からの直通
A JR京都線 新大阪・京都・米原方面 梅田貨物線経由 特急のみ
2・5・6・9・13番のりばは、降車専用ホーム。
かつて特急専用ホームだった1・2番線には中間改札があった。

1番のりば…阪和5番線
2・3番のりば…阪和4番線
4・5番のりば…阪和3番線
6・7番のりば…阪和2番線
8・9番のりば…阪和1番線
11番のりば…1番線
12・13番のりば…2番線
14番のりば…3番線
ホームのない線路…4番線
15番のりば…5番線
16番のりば…6番線
17番のりば…7番線
18番のりば…8番線


阪和線ホーム
阪和線では1 - 9番のりばを使用している。櫛形ホーム5面5線の地上駅。2・3番のりば、4・5番のりば、6・7番のりば、8・9番のりばそれぞれが1本の線路を共有していて、3・4・7・8番のりばは乗車専用ホーム、2・5・6・9番のりばは降車専用ホームになっている。原則として3・4番のりばは快速列車、7・8番のりばは普通が使っている。10番のりばが存在しない。ただし、大阪環状線からの直通列車と特急列車は、15・18番のりば(一部は17番のりば)を使っている。

1番のりばはかつて特急列車専用ホームで中間改札が設けられていたがのちに撤去され、主に早朝の関空快速やきのくに線に直通する列車を中心に使われていた。2011年現在は定期特急列車はすべて地平ホームの15・18番のりばから発着し、一部のきのくに線直通臨時列車のみが発着する。なお、朝晩には、降車専用ホームとしても使われ、ダイヤ乱れの際には1番線発車の列車(大阪環状線との直通打ち切りにおける関空快速の発着など)がよく見られる。

2007年(平成19年)のダイヤ改正で1番のりばはラッシュ時の快速列車、2番のりばは特急と「はんわライナー」(2011年廃止)が使い、3番のりばは未使用であった。しかし、2008年(平成20年)のダイヤ改正により再度これが入れ替わり、1番のりばが特急と「はんわライナー」用、3番のりばが快速列車(2番のりばは降車用)という形に戻され、同時に3番のりばが有効長8両編成対応のホームに延伸された。

大阪環状線ホーム
大阪環状線の列車は11 - 14番のりばを使っている。有効長は8両編成分。ただし、大和路線・阪和線方面から大阪環状線に直通する列車は、17番・18番のりばを使っている。11 - 14番のりばは掘割部の島式ホーム2面3線の地上駅で、12番・13番のりばで1本の線路を共有している。12番のりばは内回り列車の始発専用となっている。日中は、関空・紀州路快速は12・13番のりばで直接折り返し、大和路快速は14番のりば到着後に一旦引上げ線に入り11番のりばに入線する。周回列車は当駅で時間調整のため3分ほど停車する。

内回りの始発には桜島線(JRゆめ咲線)直通、阪和線・関西空港線直通、大和路線直通列車など他路線直通列車も使用されるが、この際は電光掲示板や車両の行先表示器には誤乗防止のために「普通 大阪環状線」と表記されており、当駅発車後に表示が切り替えられ、隣の寺田町から本来の行き先が表示されるようになっている。

「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として大阪環状線の各駅には「駅シンボルフラワー」が制定されており、当駅には阿倍野区の花でもある「ペチュニア」が割り当てられ、案内サイン類の意匠に取り入れられている。

関西本線(大和路線)ホーム
関西本線(大和路線)の列車は、掘割部にある島式ホーム2面4線の15 - 18番のりばを使っている。有効長は、一般電車は8両編成分、特急電車は9両編成分。15番のりばの特急電車の一番後ろの「はるか」の1号車、及び「くろしお」の9号車は、車掌室から客室部分にかけては柵でガード、柵の切れたところが最後の扉 (最後の車両の前寄りの扉) である。本来は関西本線(大和路線)のホームであるが、1989年(平成元年)7月22日に阪和線と関西本線(大和路線)を結ぶ構内短絡線が設けられて以来、阪和線の列車もこのホームに乗り入れ、大阪環状線との直通が可能になった。短絡線は当初単線で関西本線(大和路線)と平面交差しており、阪和線との直通列車は16番・18番のりばに発着していたことから、ダイヤ編成上のボトルネックとなっていたが、2008年(平成20年)3月15日より短絡線は複線化され、平面交差も解消された。同じ改正より、阪和線は15・18番のりば(一部は17番のりば)、大和路線は16・17番のりば(一部は18番のりば)に発着している。15番のりばから発車する特急「くろしお」は車両形式によりドア位置が異なるため天井に設置されている行灯式号車案内(乗車口のものが点灯)で確認する。関空特急「はるか」はホーム上に乗車口案内が添付されている。一方、18番のりばの関空特急「はるか」の号車案内板が線路側にあるのみで、特急「くろしお」の乗車口案内は設置されていない。

なお、当駅は平日早朝に16番のりばから「大和路線奈良経由の京都行き」と全時間帯に18番のりばから「特急はるか 新大阪経由京都行き」の運転があるため、上下別々ののりばから経路が全く異なる「京都行き」の発着があるという珍しい駅でもある。

引上線など
阪和線のホームの東側には引き上げ線が1本、大阪環状線ホームの西側には引き上げ線が2本設けられている。また、14番のりばと15番のりばの間にはホームのない線路が1本ある。引き上げ線から出区して奈良方面への回送や、大和路線JR難波駅への回送のため、大阪環状線の西側引き上げ線に入りきらない時などに使われる。

構内店舗
阪和線1番ホームの西端と、東跨線橋には「麺家(旧:天王寺うどん)」の店舗がある。ジェイアール西日本フードサービスネットの管理・運営であるが、営業業務は天鉄トラベルサービスに委託されている。

2012年11月、中央コンコースにコンビニエンスストアと土産物の複合店「アントレマルシェ」がオープンした。運営はジェイアール西日本デイリーサービスネット。

 

発車メロディ
「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から地元天王寺区出身で大阪を代表する歌手・和田アキ子の代表曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」が大阪環状線ホーム(11 - 14番のりば)の発車メロディとして使用されている。当駅近くの四天王寺の鐘に因んでいる。


天王寺駅の歴史は、初代の大阪鉄道が1889年(明治22年)5月14日にのちの関西本線に当たる路線の、湊町駅(現在のJR難波駅) - 柏原駅間を開通させたときに、その中間駅として開業したことに始まる。当時の天王寺駅周辺は、四天王寺に代表される寺社群の集まる地であり、また明治に入って東成郡の郡役所が置かれて発展しつつある場所であった。大阪市街と町続きであった天王寺村の南で上町台地に掘割を設けて線路を敷いた。大阪鉄道は引き続き、後の大阪環状線に当たる路線の建設を進め、1895年(明治28年)5月28日に玉造駅まで開業し、天王寺駅はその分岐駅となった。1900年(明治33年)6月6日に、関西鉄道が大阪鉄道を合併して関西鉄道の駅となったが、その関西鉄道も1907年(明治40年)10月1日には鉄道国有法により国有化され、国有鉄道の駅となった。この間、周辺は急速に市街地として発展しており、大阪馬車鉄道(のちの阪堺電気軌道上町線)が1900年(明治33年)9月20日に、天王寺が10月27日に相次いで開業して、これらの路線の集まるターミナルとしても発展していくことになった。さらに大阪市電も順次建設が進み、1923年(大正12年)4月13日には2代目の大阪鉄道も後の近鉄南大阪線となる路線を開業した。

この時点で、天王寺駅は掘割の中に東西方向に伸びるプラットホームが3本南北に並ぶ構造となっていた。北側から城東線(現在の大阪環状線の一部)ホーム、関西本線上りホーム、関西本線下り、南海天王寺支線共用ホームの順だった。城東線ホームより北側には貨物積卸場と貨物上屋が並んで貨物扱いを行っており、この部分の西側の地上と同じ高さに駅本屋が設けられていた。駅本屋の北側を東西に抜ける貨物扱い用の道路があり、天王寺駅前交差点から貨物積卸場へ荷車が出入りできるようになっていた。駅本屋は地上の高さにあることから、本屋内からそのままの高さで南へ掘割を横断する跨線橋が架かっており、そこから各ホームへ降りる構造だった。また、駅前には大阪市電や阪堺電気軌道の路面電車が走っており、阪堺電気軌道は掘割を横断する橋で南へ延びていた。2代目大阪鉄道の駅はこの国鉄天王寺駅の南側に隣接して東西方向にプラットホームを設けていた。

 

阪和線ホームの増強
第二次世界大戦後はさらなる利用の増加に対応するための改良工事が行われた。阪和線の貨物列車は天王寺駅で関西本線方面への受け渡しを行っていたが、1952年(昭和27年)9月1日に竜華操車場と杉本町駅を結ぶ阪和貨物線が完成して、天王寺駅を通らずに運行できるようになった。そして天王寺駅の阪和線設備が大改良され、一番北側に南紀方面直通列車専用の機回し線を備えた長いプラットホームが建設された。その南側には合計4本のプラットホームが用意され、1本の線路の両側にプラットホームがあって両側の扉を開いて客扱いをできるような構造とされた。番号は北から順に1番から9番までで、1番・2番が紀勢方面直通列車、3番・4番が快速列車乗り場、5番・6番が降車専用、7番・8番が普通列車乗り場となった。当初は紀勢直通用以外は4両対応だったが、後に6両対応に拡張された。

また、戦争で中止されて木造の仮駅舎となったままだった天王寺駅舎の工事も再開されることになった。国鉄以外の会社も出資する「民衆駅」の形で工事を行うことになり、国鉄・近畿日本鉄道・鉄道弘済会・南海電気鉄道・日本交通公社・日本食堂・都ホテルの各社が出資する天王寺ステーションビル株式会社が設立されて、1960年(昭和35年)7月11日に着工した。鉄筋コンクリート5階建てで、阪和天王寺駅の駅舎のあった部分では地下2階・地上10階の建物とされた。戦前に完成していた基礎工事が流用されたが、建物が大型化したため補強工事を行って使っている。1962年(昭和37年)9月20日に竣工式典が行われ、翌日から使用が開始された。これに合わせて阪和線プラットホームがさらに南側に1面増設されて降車専用9番降り場となった。阪和線の輸送需要の増加はさらに続き、8両編成に対応させるための工事が昭和50年代に実施された。紀勢本線直通ホームにあった機回し線を廃止し、スペースを確保して5面5線の現在に見る阪和線プラットホームを完成させた。しかし阪和電気鉄道時代に降車専用客を通す地下道として建設された構造がプラットホームの下に残されており、それに設計を制約された関係でプラットホームの幅がばらばらになったりプラットホームの屋根の柱の位置が中心からずれたりする影響を受けている。

1989年(平成元年)7月22日には阪和線と関西本線を連絡する短絡線の供用が開始された。2008年(平成20年)3月15日にこの線路は複線化されている。一方で、南海天王寺支線は新今宮駅が国鉄・JRと南海の乗換駅として機能するようになったことと、南海の貨物輸送廃止で国鉄との貨物受け渡しの必要性がなくなったことから存在意義が薄れ、1993年(平成5年)4月1日に廃止された。この土地を利用する形で駅ビルを建設する計画が進められ、1985年(昭和60年)4月5日に天王寺ターミナルビルが国鉄と南海の共同出資で設立され、1992年(平成4年)10月16日に起工、1995年(平成7年)9月14日に「天王寺ミオ」としてオープンした。

年表
1889年(明治22年)5月14日 - 大阪鉄道(初代)が湊町駅(現在のJR難波駅)- 柏原駅間(現在の関西本線の一部)を開通させた際に、同線の駅(一般駅)として開業。
1895年(明治28年)5月28日 - 大阪鉄道の天王寺駅 - 玉造駅間(現在の大阪環状線の一部)が開通。
1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継。関西鉄道の駅となる。
1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化。官設鉄道(国鉄)の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称設定により、関西本線所属駅となる(玉造・大阪方面は城東線となり、その後1961年に大阪環状線に改称)。
1929年(昭和4年)7月18日 - 阪和電気鉄道の阪和天王寺駅(はんわてんのうじえき)が開業。
1931年(昭和6年)6月3日 - 阪和天王寺駅全面竣工。
1933年(昭和8年)
9月1日 - 阪和天王寺駅の貨物積卸場増築届。
10月27日 - 阪和天王寺駅の貨物引上線延長届(翌1月19日認可)。
1934年(昭和9年)
3月31日 - 阪和天王寺駅駅本館増築届。
4月 - 貨物積卸場を東側約1kmの地点へ移転する工事に着手。
(日付不詳) - 阪和マーケット営業開始。
1935年(昭和10年) - 貨物積卸場使用開始。
1937年(昭和12年)3月19日 - 木造2階建ての仮駅舎に移転。
1940年(昭和15年)12月1日 - 阪和電気鉄道が南海鉄道に合併、路線は南海山手線となる。この時、天王寺支線天王寺駅との徒歩連絡を開始。
1941年(昭和16年)8月1日 - 阪和天王寺駅が南海天王寺駅(なんかいてんのうじえき)に改称(天王寺支線の天王寺駅については山手線とは別改札かつ国鉄と同一敷地であったため、駅名を改称せずにそのままとなる)。
1944年(昭和19年)5月1日 - 南海山手線が国有化され、運輸通信省(後の日本国有鉄道)阪和線となる。同時に南海天王寺駅を天王寺駅に統合し、山手線の南海移管後も天王寺駅の駅名のままで残された、天王寺支線天王寺駅との徒歩連絡を解消する一方、阪和線との連絡運輸を開始。


1960年(昭和35年)
2月11日 - 天王寺ステーションビル株式会社設立認可。
7月11日 - 天王寺駅ビル鍬入れ式。
1962年(昭和37年)
9月20日 - 天王寺駅ビル竣工式。
9月21日 - 天王寺駅ビル(天王寺民衆駅)完成。
1963年(昭和38年)10月1日 - 貨物営業を廃止(旅客駅となる)。ただし、南海天王寺支線との貨車受け渡しは存続。
1969年(昭和44年)6月1日 - 自動券売機の使用を開始。
1977年(昭和52年)3月1日 - 南海天王寺支線との貨車受け渡しを廃止。
1981年(昭和56年)4月1日 - 阪和線乗り場改良工事開始。
1982年(昭和57年)1月29日 - 阪和線ホームで当駅終着の区間快速電車が車止めに衝突する事故が発生。
1983年(昭和58年)10月1日 - 阪和線ホーム改良工事完成、5面5線となる。
1985年(昭和60年)4月5日 - 天王寺ターミナルビル株式会社設立。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、関西本線で「大和路線」の愛称を使用開始。
1989年(平成元年)
7月20日 - 駅構内の東側に阪和線と大和路線の短絡線が完成。7月22日に供用開始。
8月27日 - 阪和線ホームで当駅終着の快速電車が車止めに衝突する事故が発生。
1992年(平成4年)10月16日 - 「天王寺ミオ」起工式が行われる。


1993年(平成5年)
4月1日 - 南海天王寺支線が廃止される。
7月1日 - 阪和線に阪和線運行管理システム(初代)導入。
1995年(平成7年)9月14日 - 駅ビルのリニューアル工事が完成し、「天王寺ミオ」オープン。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2008年(平成20年)3月15日 - 阪和線と大和路線の短絡線が複線化。
2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状線・大和路線に大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2013年(平成25年)
5月2日 - 異常時情報提供ディスプレイの使用を開始。
8月7日 - 自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換。
9月28日 - 阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
2015年(平成27年)3月22日 - 大阪環状線ホーム(11 - 14番のりば)に発車メロディを導入。曲は和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」。
2016年(平成28年)7月16日 - 改札内に液晶ディスプレイの案内板が設置される。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。



JR 天王寺駅

所在地 大阪市天王寺区悲田院町10-45
北緯34度38分50.36秒
東経135度30分50.18秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 テン
駅構造 地上駅
ホーム 5面5線(頭端式)
4面7線(島式)
乗車人員
-統計年度- 147,871人/日(降車客含まず)
-2018年-
開業年月日 1889年(明治22年)5月14日
乗入路線 3 路線
所属路線 Q 関西本線(大和路線)
駅番号 JR-Q20
キロ程 171.4km(名古屋起点)
加茂から50.5km
◄JR-Q21 東部市場前 (2.4km)(1.0km) 新今宮 JR-Q19►
所属路線 O 大阪環状線
駅番号 JR-O01
キロ程 西九条駅経由:11.0km
京橋駅経由:10.7km(大阪起点)
◄JR-O19 新今宮 (1.0km)(1.0km) 寺田町 JR-O02►
所属路線 R 阪和線
駅番号 JR-R20
キロ程 0.0km(天王寺起点)
◄[j 1](新今宮) (-km)(1.5km) 美章園 JR-R21►
備考 直営駅(管理駅)

佐世保駅 (JR九州)・松浦鉄道

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佐世保駅(させぼえき)は、長崎県佐世保市三浦町にある、九州旅客鉄道(JR九州)・松浦鉄道の駅である。


長崎県北部の主要都市である佐世保市の中心駅であり、JR九州の佐世保線と松浦鉄道の西九州線の2路線が乗り入れている。両路線とも当駅が終点でほぼ全列車が当駅始発・終着で運転されるが、松浦鉄道の列車が1往復のみ西九州線から佐世保線早岐駅まで直通運転を行っている。

佐世保線と西九州線の他、早岐駅を起点とするJR九州大村線の列車もほとんどが当駅を始発・終着としており、利用可能である。

西九州線はかつて日本国有鉄道(国鉄)→JR九州が松浦線として管轄していたが、1988年4月1日に松浦鉄道に経営移管されたのに合わせて西九州線に改称した。同時に当駅はJRグループ全駅中最西端の駅となった。

佐世保市は人口では長崎県第2の自治体であるが、当駅の利用者数は長崎駅、諫早駅に次いで県内では3位となっている。

駅構造
JR・松浦鉄道の両社一体の高架駅であり、高架下は駅舎・コンコースとなっている。国道側は「東口」、佐世保港側は「みなと口」となっており、東口側から見て左がJR九州の駅、右が松浦鉄道の駅となっている。JR九州、松浦鉄道とも直営駅で自動券売機を備えている。

JR九州の窓口は高架下にありみどりの窓口、自動改札機(SUGOCA非対応)を備えている。なお松浦鉄道は当駅を含めて自動改札機は一切設置していないため、当駅は九州最西端の自動改札機設置駅となる。松浦鉄道の窓口は高架部(ホーム)にあり、窓口そばに自動券売機があるが、窓口の営業時間外には券売機は使用できない。なお松浦鉄道は終日車内精算で、乗車時には整理券を取り、降車時には運賃または切符と引き換えに精算証明書を運転士または車掌から受け取る。また松浦鉄道では長崎スマートカードが利用可能であるが駅構内に対応機器はなく、車内のカードリーダーに触れることで精算を行う。

コンコース内にはKIOSKやファミリーマートをはじめとする売店、佐世保観光情報センターなどがある。東口側には佐世保バーガーの店である「ログキット」もある。

ホーム
JR九州は島式ホーム3面6線、松浦鉄道は島式ホーム1面2線を有しており、いずれも東口側からみなと口側に向かって1番のりばから6番のりば(JR九州)または2番のりば(松浦鉄道)まで付番されている。JR九州のホームは改札口から続く連絡通路を介してそれぞれ結ばれており、松浦鉄道のホームにはコンコースから直接階段またはエスカレーターによって行き来する。JR九州のホームにはそれぞれエスカレーターとエレベーターが備えられている。

JR1・2番のりばホームと松浦鉄道のホームは一体となっており、境界部に松浦鉄道管理の連絡改札がある。JR2番のりばは佐世保線と西九州線の直通が可能であるため、直通列車はこのホームを使用する。

のりば
のりば 路線 行先 備考
JR九州ホーム
1・2
5・6 ■佐世保線 早岐・ハウステンボス・大村・諫早・長崎方面 一部は4番のりばから発車
佐世保線早岐以遠は原則早岐で乗り換え


■大村線
3・4 □特急「みどり」 佐賀・新鳥栖・博多方面 臨時で運転される「九十九島みどり」「有田陶器市みどり」有田・早岐・佐賀・博多・吉塚方面もこののりばから


松浦鉄道ホーム
1・2 ■西九州線 佐々・たびら平戸口・松浦方面 快速は2番のりばから発車
佐世保線直通列車はJR2番のりばから発車


完全に高架化された2001年以降ホームは以上のように利用されているが、当時は「みどり」が当駅で1時間近く滞留するダイヤだったため、JR3・4番のりばから発車する普通・快速列車は「みどり」の上り最終列車が発車してからのものに限られていた。2011年3月のダイヤ改正で「みどり」の滞留時間が約20分に短縮されたことで日中に3・4番のりばを使用する普通・快速も若干ながら設定されたが、基本的なホームの用途は変わっていない。また列車本数の割にホームが多いため6番のりばから発車する列車は朝・夕方の計3本のみで、臨時列車が運行される場合は6番のりばを留置線とすることがある。
「みどり」は当駅発車時点では座席の向きが進行方向と逆となっているが、これは次の停車駅である早岐駅で進行方向を変えるため、あらかじめ早岐駅から先における方向に合わせているものである。

駅周辺
再開発が続いており、駅周辺では分譲マンションなどの建設ラッシュとなっている。

東口

国道35号
えきマチ1丁目佐世保(2014年11月1日付でフレスタSASEBOから名称変更)
JR九州佐世保ビル
S-PLAZA
佐世保交通センタービル
西肥バス佐世保バスセンター
佐世保駅前バスターミナル ※元々は佐世保市営バスのバスターミナルであったが、2019年3月を以って同市交通局の閉局に伴い、西肥バスとさせぼバスが使用している。
佐世保駅前郵便局
カトリック三浦町教会
アルカスSASEBO
みなと口
すぐ港側を西九州自動車道佐世保道路の高架橋が通っているが、当駅からは佐世保みなとICと佐世保中央ICのいずれへもある程度の距離がある。
佐世保港
新みなとターミナル - 西海市方面(横瀬・面高・大島・松島・池島)・上五島(友住)・平戸島(津吉)行き旅客船のりば
鯨瀬ターミナル - 上五島(有川)・宇久・小値賀行き旅客船のりば
させぼシーサイドパーク
させぼ五番街
佐世保市中央卸売市場
海上自衛隊佐世保警備隊
佐世保競輪場


路線バス
東口
高速バスは、駅東口を出て国道35号を挟み右正面の佐世保バスセンターから発着している。
一般路線バスは、駅東口から国道35号を越えた先にバスのりば(旧・佐世保市営バスのターミナル)があり、ここから西肥バスにより市内各地へのバスが出ている。黒髪・早岐方面及び矢峰・柚木方面への便はターミナルに入らずに国道上のバス停に発着する。また、昼間に運転される西海パールシーリゾート(九十九島水族館)方面の快速便は東口駅前広場ロータリー内のバス停に発着する。バス停の名称はいずれも「佐世保駅前」である。なお、西肥バスの中-長距離路線は佐世保バスセンターと国道上の佐世保駅前バス停の双方に発着する。

西肥バス
[W4] 矢峰行 (平日1本のみ)
ユタカ交通
[ユタカライナー]博多(HEARTSバスステーション博多)行
[ユタカライナー]三宮・大阪(梅田/なんば)・京都行


1898年(明治31年)1月20日 - 九州鉄道の駅として開業。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道が国有化。同時に当駅は国有鉄道の最西端駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 国有鉄道線路名称制定により、早岐駅 - 佐世保駅間に佐世保線の名称が付けられ、当駅は佐世保線の終点となる。
1934年(昭和9年)12月1日 - 長崎本線が現行の肥前鹿島駅経由のルートに変更されたのに伴い、旧ルートのうち肥前山口駅 - 早岐駅間を佐世保線に編入。
1935年(昭和10年)11月9日 - 佐世保線が北佐世保駅まで延長。これにより当駅は佐世保線の中間駅となると共に、国有鉄道最西端の駅の座も失うこととなった。
1937年(昭和12年)8月25日 - 鉄筋コンクリート造2階建ての駅舎に改築、竣工。この駅舎は戦災も免れて高架化まで使用された。
駅舎の位置は現駅舎東口(国道35号線側)の早岐方約50mほどのところ。現在は東口駅前広場となっている。
1943年(昭和18年)8月30日 - 佐世保線の当駅 - 北佐世保駅間を松浦線に編入。これにより当駅は佐世保線と松浦線の駅となり、両線の終点となる。
1985年(昭和60年)3月14日 - 貨物営業を廃止。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、九州旅客鉄道(JR九州)の駅となる。
1988年(昭和63年)4月1日 - JR九州松浦線が松浦鉄道西九州線に転換される。これにより、当駅は国鉄・JRの駅としては52年ぶりに最西端に戻る。
2001年(平成13年)12月26日 - 高架化。新駅舎完成。
2002年(平成14年)3月23日 - 当駅でのJRと松浦鉄道の直通運転が再開。
2006年(平成18年)3月18日 - 当駅でのJRと松浦鉄道の直通運転を休止。
2009年(平成21年)3月14日 - 当駅でのJRと松浦鉄道の直通運転が再開。
2010年(平成22年)3月 - JR改札口に自動改札機を設置。
※高架化前(旧駅時代)はJR九州では最後となる赤帽が配置されている駅であった。

佐世保駅
させぼ
Sasebo
所在地 長崎県佐世保市三浦町21-1
北緯33度9分49.90秒 東経129度43分32.63秒
所属事業者 ■九州旅客鉄道(JR九州)


■松浦鉄道
電報略号 サホ
駅構造 高架駅
ホーム (JR九州)3面6線
(松浦鉄道)1面2線
乗車人員
-統計年度- (JR九州)3,973人/日(降車客含まず)
-2016年-
(松浦鉄道)729人/日(降車客含まず)
-2014年-
乗降人員
-統計年度- (松浦鉄道)1,414人/日
-2014年-
開業年月日 1898年(明治31年)1月20日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■佐世保線
(■大村線直通含む)
キロ程 48.8km(肥前山口起点)
◄日宇 (3.4km)
所属路線 ■西九州線
キロ程 93.8km(有田起点)
◄佐世保中央 (1.0km)
備考 共同使用駅
JR九州:直営駅
JR九州:みどりの窓口 有
松浦鉄道:直営駅

市原駅 叡山電鉄鞍馬線

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市原駅(いちはらえき)は、京都府京都市左京区にある叡山電鉄鞍馬線の駅。 駅番号はE14。

駅構造
1面1線単式ホームの地上駅。 無人駅である。 ホームは上屋で覆われている。、ホーム上屋下には長椅子が設置されています。 出入口はホームの両端にあるが、いずれにも階段があるため車椅子での利用には介助が必要である。

出町柳寄りの出口から石段を下りたところの叡山電鉄市原変電所前には叡山電鉄が設置した無料駐輪場がある。 市原駅構内踏切(第4種踏切)の先は大神宮社へ通じている。

鞍馬寄りの出口は鞍馬街道旧道 上市原橋へ下りる階段である。 出口の傍らには「伝・後藤顕乗の墓石」と「阿弥陀坐像石仏」がある。

当初は相対式2面2線のホームがあったが、複線であった二軒茶屋 - 市原は1939年、当時の運営事業者である鞍馬電気鉄道の経営合理化のため単線化された。1990年までに他の不要不急指定区間(宝ケ池 - 二軒茶屋)は再複線化されたが、この区間は現在まで単線のままである。 複線の痕跡は上りホーム跡や鞍馬川に架かる市原橋梁の橋台・橋脚、大神宮社参道に架かる市原陸橋の橋台に見られる。 かつての複線区間の架線柱は複線分の幅がある。

近年の周辺人口の増加により、2002年から平日の朝と夕方以降にこの駅で折り返す列車が設定されている。 そのため単線区間の棒線駅でありながら出発信号機が設置されている。 また、多客時の鞍馬線列車に乗務する車掌は、この駅で下車し上り列車で折り返すこともある。

駅周辺
鞍馬街道(旧道)沿いが古くからの集落で郵便局や商店などがある。その周囲に新興住宅地が広がる。

当駅と隣の二ノ瀬駅との間には線路両側にカエデの木々が植わっている一帯があり、「もみじのトンネル」として秋には車窓から紅葉を楽しむことができる。

駅南口には駐輪場があります。
叡山電鉄市原変電所(駅に隣接)
大神宮社
厳島神社 - 市原地区の産土神。
左京区役所静市出張所
京都静市市原郵便局
京都市立市原野小学校
京都市東北部清掃工場(市北部クリーンセンター)
川島織物セルコン本社・工場・川島テキスタイルスクール・織物文化館
補陀洛寺 - 当地で客死した小野小町が葬られているとされることから「小町寺」と通称される。
バスのりば
京都バス
市原駅前 - 出町柳寄り出口から鞍馬街道に出た所
北行
32系統:貴船口・鞍馬・花脊峠 経由 広河原行
34系統:市原 経由 静原・城山行
35・50系統:市原行
52系統:市原・貴船口・鞍馬経由鞍馬温泉行(一部二ノ瀬トンネル経由貴船口まで)
南行
32・34・35系統:上賀茂神社・堀川通・北大路堀川・北大路駅 経由 京阪出町柳駅行
40系統:京都産業大学 経由 地下鉄国際会館駅行
50・52系統:地下鉄国際会館駅行
上賀茂神社・北大路駅 経由 高野車庫行
国際会館駅・花園橋 経由 京阪出町柳駅行
市原 - 鞍馬寄り出口から鞍馬街道旧道に下りて上市原橋を渡り、市原野小学校を過ぎた先の府道40号沿い。 静原方面からの便が停車する「小学校前のりば」と、向かい側のバス回転場内の「ターミナルのりば」に分かれる。
小学校前のりば
34系統:上賀茂神社・堀川通り・北大路堀川・北大路駅 経由 京阪出町柳駅行
95系統:貴船口 経由鞍馬行(北山バーディ号、春分の日のみ片道運行)
52系統:地球研前経由 地下鉄国際会館駅行(二ノ瀬トンネル経由便のみ)
ターミナルのりば
34系統:上賀茂神社・堀川通り・北大路堀川・北大路駅 経由 京阪出町柳駅行(一部、小学校前のりばからの便あり)/静原・城山行
35系統:上賀茂神社・堀川通り・北大路堀川・北大路駅 経由 京阪出町柳駅行
40系統:京都産業大学 経由 地下鉄国際会館駅行
50系統:地下鉄国際会館駅行
上賀茂神社・北大路駅 経由 高野車庫行(一部、小学校前のりばからの便あり)
国際会館駅・花園橋 経由 京阪出町柳駅行(土・休日1便のみ)
東北部クリーンセンター・西賀茂橋・加茂街道 経由高野車庫行(土・休日1便のみ)
52系統: 貴船口・鞍馬経由鞍馬温泉行(一部二ノ瀬トンネル経由貴船口まで)/ 地球研前経由 地下鉄国際会館駅行
55系統: 貴船口行/静原・大原行


1928年(昭和3年)12月1日 - 鞍馬電気鉄道の駅として開業。
1939年(昭和14年)9月 - 経営合理化のため、二軒茶屋 - 当駅間を単線化。
1942年(昭和17年)8月1日 - 会社合併により京福電気鉄道鞍馬線の駅となる。
1986年(昭和61年)4月1日 - 京福電気鉄道が鞍馬線を叡山電鉄に譲渡、叡山電鉄鞍馬線の駅となる。

市原駅
いちはら
Ichihara
◄E13 二軒茶屋 (1.2km)(1.3km) 二ノ瀬 E15►
所在地 京都市左京区静市市原町124[1]
北緯35度5分17.61秒 東経135度45分46.80秒
駅番号 E14
所属事業者 叡山電鉄
所属路線 ■鞍馬線
キロ程 5.3km(宝ケ池起点)
出町柳から9.1km


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 496人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1928年(昭和3年)12月1日

アクアライナー 大阪水上バス 

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アクアライナー 大阪水上バス

アクアライナーは、大阪市内の大川(旧淀川)を周遊する水上バス型観光船。なお、「アクアライナー」は船名ではなく、同社が運航する水上バス型観光船の総称および航路名である。

定期運航
開業当初は、中之島を1周するコースを予定していたが、開業前の試験運航のさいに水晶橋で船体上部のガラスを割る事故を2回起こしたことや、大江橋や淀屋橋など桁下が極端に低い橋の存在もあり、現在とほぼ同じコースに変更された。しかし、小型船を使用して中之島を1周するコースも設定されることがあり、2007年3月下旬には道頓堀川をめぐるコースなどが就航している。

アクアライナー
大阪の川を35年以上ほぼ毎日運航するキング オブ 大阪シップ!船の正式船名は「なにわ」といい、2号、3号、5号の3隻あります。大阪の川に架かる低い橋もくぐれるように、天井が30cm下がる仕組みも搭載。天井はガラス張りで、とっても開放的。冷暖房やトイレもあって、季節・天候を問わず、快適なクルーズができる。
大阪城港→天満橋港→淀屋橋港→OAP港→大阪城港→(循環路線、1周約60分)


どの港から乗っても一周して元の港に帰着できるほか、途中の港で降りることもできる。
原則として毎日、日中に運航される(以前は春から夏は日没後も運航していた)。なお、桜之宮公園の花見シーズンには増発される。
水都号 アクアmini
主に土・日・祝日の日中に、大阪城~道頓堀航路に就航。

なにわ2号:大阪在住のアーティストハタヤママサオ氏によるペイントを施した愛称「ハタポップライナー」カラフルな船体には、大阪の街や名物が描かれています。
なにわ3号:開業当初から変わらぬデザインの元祖アクアライナー。白い船体に青いラインが爽やかです。
なにわ5号:愛称「蒼い流星」とも呼ばれシックな濃いブルーが特徴。夜は格別かっこいい!

アクアライナー
なにわ2号
なにわ3号
なにわ5号
3船の諸元
総トン数 - 35.0トン
全長 - 28.5m
全幅 - 4.9m
水面上最大高さ - 2.3m
吃水 - 0.8m
主機出力 - 250馬力×2基
推進方式 - ウォータージェット推進
航海速力 - 10ノット
旅客定員 - 108名
杢兵衛造船所(大津市堅田)で建造。
最大搭載旅客人員
*号数により異なる 98名

八幡前駅 叡山電鉄鞍馬線

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八幡前駅(はちまんまええき)は、京都府京都市左京区にある叡山電鉄鞍馬線の駅。駅ナンバリングはE09。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ無人駅。両ホームとも出町柳側・鞍馬側の南北両側に出入り口がある。北側は一般道の踏切で、南側は駅構内踏切で両ホームを結んでいる。ホームをほぼすべて覆う上屋が設置されている。また、駅名の由来となった近隣の三宅八幡宮に因み柵や上屋の柱は朱色に塗られている。

通称「虫八幡」とも呼ばれ、子供の夜泣き、疳の虫退治に御利益があると伝えられる三宅八幡宮への最寄り駅であるが、表参道は叡山本線の三宅八幡駅からとなる。上下共にバリアフリーには対応していない。レール面からホーム面までの階段のみであるが車椅子等での利用には介護者が必要。

のりば
■鞍馬線(上り) 宝ケ池・出町柳方面
ホーム上屋の柱や柵は朱色に彩られています。
■鞍馬線(下り) 岩倉・鞍馬方面
ホームには嵩上げした跡が残ってます。

駅周辺
住宅街にあり、京都府道105号岩倉山端線から一般道を西へ数10メートル入った所。

同志社中学校・高等学校
三宅八幡宮
京都銀行三宅八幡支店


バスのりば
駅から府道に出た所に京都バスの「岩倉三宅町」バス停がある。同社の「八幡前」バス停よりも至近。

北行
21・23・24系統:岩倉実相院行
26・41・43・46系統:岩倉村松行
南行
21・41系統:花園橋・高野橋東詰・出町柳駅・府立医大病院・河原町三条 経由 四条河原町行
24・26系統:国際会館駅行
45系統:洛北高校前・北大路駅・烏丸通り 経由 京都駅行
46系統:・洛北高校 経由 北大路駅行
花園橋・高野玉岡町 経由 高野車庫行


その他
2013年1月7日より「八幡前駅プロジェクト」と称し、当駅を通学で使用する同志社中学校の生徒有志が叡山電鉄と協同して駅の修繕に取り組む活動が行われている。京都市営地下鉄烏丸線の開業以降利用者が減少した当駅を魅力ある存在にしようとするもので、これまでに駅設備の塗装および壁新聞の掲出、クリスマス期のデコレーションの実施などの取り組みが行われた。

1928年(昭和3年)12月1日 - 鞍馬電気鉄道の駅として開業。
1942年(昭和17年)8月1日 - 会社合併により京福電気鉄道鞍馬線の駅となる。
1944年(昭和19年)11月10日 - 当駅を含む山端(現在の宝ケ池) - 二軒茶屋駅間が、戦争に伴う資材供出のため単線化。
1958年(昭和33年)4月9日 - 当駅を含む宝ケ池 - 岩倉駅間が再複線化。
1986年(昭和61年)4月1日 - 京福電気鉄道が鞍馬線を叡山電鉄に譲渡、叡山電鉄鞍馬線の駅となる。

八幡前駅
はちまんまえ
Hachiman-mae
◄E06 宝ケ池 (0.9km)(0.8km) 岩倉 E10►
所在地 京都市左京区岩倉三宅町25
北緯35度3分59.15秒 東経135度47分32.83秒
駅番号 E09
所属事業者 叡山電鉄
所属路線 ■鞍馬線
キロ程 0.9km(宝ケ池起点)
出町柳から4.7km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 433人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1928年(昭和3年)12月1日

木野駅 叡山電鉄鞍馬線

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木野駅(きのえき)は、京都府京都市左京区にある叡山電鉄鞍馬線の駅。駅ナンバリングはE11。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ無人駅。ホーム全体を覆う上屋が設置されている。出入り口はホームの出町柳駅側にある。両ホームは駅構内踏切(第1種甲)で結ばれているが、道路扱いとなっており一般の人や自転車の横断も多い。なお、この構内通路は軽車両・小特以外の「車両通行止め」となっている(画像参照)。ホームへはスロープも整備されているが急で幅も狭いため車椅子での利用には介護者が必要。 京都府立北稜高等学校の最寄り駅のため休校日以外の朝時間帯は係員が出張することが多く、係員詰め所もある。ただし、普段の平日は下りホームにのみ20分ほどの係員配置である。

のりば
■鞍馬線(上り) 宝ケ池・出町柳方面
■鞍馬線(下り) 二軒茶屋・鞍馬方面


駅周辺
京都府道106号神山岩倉停車場線から数10メートル入った所。周辺は戸建て中心の住宅地。府道沿いを除き田畑も多かったか、宅地開発が進んできている。  

京都府立北稜高等学校
あんた橋 - 駅西方、長代川に架かる橋。かつては簡素な丸木橋であったため、橋を渡る人々が「あんた(=あなた)から先にどうぞ」と譲り合ったことからこの名前が付けられている。
妙満寺(案内放送あり)
一条山 - 現駅横の小さな丘。開発の中断で一時禿山状態で放置され有名になった。
円通寺 南西へ1キロメートル強


接続バス路線(北稜高校前)
京都バス
40系統:京都産業大学行/地下鉄国際会館駅行
50系統:市原行/地下鉄国際会館駅行
52系統:貴船口・鞍馬温泉行/地下鉄国際会館駅行
国際会館駅・花園橋 経由 京阪出町柳駅行(土・休日1便)

開業当時は数100メートル西の踏切沿い東(現駅)側にあり、街道が交わる小さな集落の中心(京都バスの終点にもなっていた)の横という場所であり、車庫が併設されていた。1944年に単線化にともない踏切の西側に移転。1968年に京都精華短期大学(当時)が開校後、京都精華大前駅が1989年に開業するまで同校の最寄り駅となり、駅から学校までの街道(現在の京都府道106号神山岩倉停車場線)沿いに学生アパートが多く建設された。また1980年に開校された 京都府立北稜高等学校の目の前であった。しかし1990年に京都精華大前駅開設と複線化のため、南側の新しく開発された住宅地に近い現在の場所に移転している。

1928年(昭和3年)12月1日 - 鞍馬電気鉄道の駅として路線開通と同時に開業。
1942年(昭和17年)8月1日 - 会社合併により京福電気鉄道鞍馬線の駅となる
1944年(昭和19年)11月10日 - 当駅を含む山端(現在の宝ケ池) - 二軒茶屋駅間が、戦争に伴う資材供出のため単線化。踏切の西側に移設。車庫はすでになかったということであるが詳細不明。
1986年(昭和61年)4月1日 - 京福電気鉄道が鞍馬線を叡山電鉄に譲渡、叡山電鉄鞍馬線の駅となる。
1990年(平成2年)9月28日 - 当駅を含む岩倉駅 - 二軒茶屋駅間が再複線化され、数百メートルほど東に移転。

木野駅
Kino
◄E10 岩倉 (1.0km)(0.8km) 京都精華大前 E12►
所在地 京都市左京区岩倉幡枝町45[1]
北緯35度4分16.19秒 東経135度46分35.27秒
駅番号 E11
所属事業者 叡山電鉄
所属路線 ■鞍馬線
キロ程 2.7km(宝ケ池起点)
出町柳から6.5km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 252人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1928年(昭和3年)12月1日


ダイハツ・4代目「Tanto」

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ダイハツ・4代目「Tanto」
タント(初代、4代目:Tanto、2代目:TANTO、3代目:TanTo)は、ダイハツ工業が生産・販売している軽トールワゴン(軽スーパーハイトワゴン)のブランド(商標)、車名。生産はダイハツ滋賀工場(第2地区)で行われていた。

車名の由来
イタリア語で「とても広い、たくさんの」という意味。日本語にも「たんと」という似た言葉がある。
FFレイアウトながら2,000mm(初代)の長い室内長と、発売時に軽自動車のなかで最長となる2,440mmのロングホイールベースが特長であった。「タント」の車名が示す通り、同社で発売されている「ムーヴ」よりもキャビンの拡大を図っており、結果として全高1,700mmを超えた。
2005年6月には、前後デザインを差別化させてディスチャージヘッドランプなどの装備で更に充実させた「カスタム」を追加。「ムーヴ・カスタム」のような、押し出しの強いスポーティな外観デザインが特徴である。

2019年:7月9日 - フルモデルチェンジが公式発表され、発売が開始された[28]。ロゴは初代と同じ「Tanto」へ回帰した。キャッチフレーズは「クルマを超えて。」で、CMキャラクターには大泉洋、CMソングには東京スカパラダイスオーケストラの「ORIHIME」が起用された。
運転席のスライド量を最大540mmまで可能にする運転席ロングスライドシートを採用。安全面に考慮し、シフトポジションがPレンジの場合のみにインパネ又は運転席シートバック背面にあるスイッチを押すことでスライドが可能となる。また、軽自動車では初の装備として、助手席ドアが半ドア時に自動で全閉する助手席イージークローザー、パワースライドドアが閉まりきる前にフロントドアハンドルのリクエストスイッチに触れることで事前にドアロックを予約することが可能なタッチ&ゴーロック機能、降車の際インパネに設置されたスイッチを押すことで、車両に戻る際にパワースライドドアの自動オープンを予約することが可能なウェルカムオープン機能が採用された。また、フューエルリッドは室内のオープナーレバーを無くし、ワンプッシュでの開閉が可能なドアロック連動型となった。
3代目で採用された「スマアシ」が「次世代スマートアシスト」に強化され、車線逸脱抑制制御機能、標識認識機能(進入禁止)及び軽自動車で初となるADB(アダプティブドライビングビーム)が追加されるとともに、誤発進抑制機能にはブレーキ制御が追加された。また、全車速追従機能付ACC(アダプティブクルーズコントロール)、LKC(レーンキープコントロール)、サイドビューランプ及び軽自動車初採用となる駐車支援システム「スマートパノラマパーキングアシスト」で構成された運転支援機能「スマートアシストプラス」も採用された。なお、オートライト義務化への対応として、ライトOFFスイッチをリターン式に変更されオートライトをデフォルト化するとともにインパネに装備されていたオートハイビームスイッチが廃止されオートハイビーム「ON」がデフォルトに変更された。


また、4代目は「DNGA」による最初の車種に位置付けられており、サスペンションアレンジ最優先の設計と、曲げ剛性の向上やハイテン材の活用・構造合理化によりボディ構造全体の軽量化が図られた新プラットフォーム「DNGA-Aプラットフォーム」となり、CVTにはスプリットギアを組み込み、ベルト+ギア駆動を可能にした「D-CVT」を採用。エンジンはこれまで通りKF型が踏襲されるが、エンジンの基本性能をより一層磨き上げる理由でNAエンジン・ターボエンジン共に連続式可変バルブタイミング機構(DVVT)の省略、並びにペントルーフ型燃焼室から自動車用4バルブガソリンエンジンとしては世界初となる半球型燃焼室への変更、複数回点火(マルチスパーク)の採用や燃料噴霧方式をスワール噴霧へ変更するなどの改良により燃焼効率が向上し、NA車は軽乗用車初の「平成30年排出ガス基準75%低減レベル(☆☆☆☆☆)」認定を取得。ターボ車もWLTCモード走行による排出ガス試験に対応し、「平成30年排出ガス基準50%低減レベル(☆☆☆☆)」認定が取得された。
ボディカラーは3代目からタント・タントカスタム共通色のブラックマイカメタリック、ブライトシルバーメタリック、ファイアークォーツレッドメタリック、タント専用色のホワイトが継続設定され、3代目ではタント・タントカスタム共通色だったプラムブラウンクリスタルマイカ(メーカーオプション)をタントカスタム専用色へ移行。新色としてタント・タントカスタム共通色のマスタードイエローマイカメタリック、シャイニングホワイトパール(メーカーオプション)、レーザーブルークリスタルシャイン(メーカーオプション)[補足 15]、タント専用色のアイスグリーンとブルーミングピンクメタリック、タントカスタム専用色のパールブラック(メーカーオプション)が追加設定され、タントは9色、タントカスタムは8色となり、タントカスタムにはブラックマイカメタリックと組み合わせた2トーン3色もメーカーオプションで設定される。なお、2トーンではサイドガーニッシュが追加で装着される。
グレード体系はスマアシの標準搭載が基本となったことで3代目ではスマアシ搭載車に付記されていた"SA"のグレード表記が無くなり、タントは「L」・「X」・「Xターボ」、タントカスタムは「L」・「X」・「RS」の各3グレードとなった。タント「L」には「スマートアシスト非装着車」が設定される。
福祉車両の「フレンドシップシリーズ」も同時にフルモデルチェンジされ、新たに回転シート車「ウェルカムターンシート」が設定された。助手席に装備された「ラクスマグリップ」を正面でつかめる30度の回転角度に設定し、回転後にシート部分が車外に出ない構造となっているほか、天井部には車いすをラゲッジスペースへ収納させるための電動式パワークレーン(車いす収納装置)が装備されている。継続設定の昇降シート車「ウェルカムシートリフト」と車いす移動車「スローパー」はそれぞれ改良され、「ウェルカムシートリフト」はシート座面形状がフラット化され、助手席の前後位置を調整するスイッチを運転席側にも設けた。また、乗降ユニットの改良により車外への突出量が約230mm低減され、車内電動スライド量の増加と回転軸中心位置の見直しにより回転時の足元スペースが45mm拡大。2WD車は従来よりも低い位置までシートが下降するようになった。「スローパー」はスロープがワンタッチ操作で前倒が可能で、車いす乗車が無い時はラゲッジスペースがフラット化する「リトラクタブルスロープ」となったほか、車いす固定ベルトをリトラクタ式に、ベルトやリアシートのロック解除がワンタッチ式となり、ワイヤレスリモコンの収納ポケットの位置も変更。さらに、標準仕様同様にミラクルオートステップや「ラクスマグリップ」をオプションで装着することが可能となった。グレード体系は「ウェルカムターンシート」は「L」と「X」、「ウェルカムシートリフト」と「スローパー」は「L」・「X」・「カスタムRS」がそれぞれ設定され、「ウェルカムターンシート X」、「ウェルカムシートリフト X」、「ウェルカムシートリフト カスタムRS」には4WD車も設定される。

 

金島駅 西日本鉄道(西鉄)甘木線

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金島駅(かねしまえき)は旧北野町の東端に位置、福岡県久留米市北野町八重亀にある西日本鉄道(西鉄)甘木線の駅である。駅番号はA06。

駅構造
島式ホーム1面2線、簡易な木造駅舎を持つ地上駅である。甘木方面乗り場から久留米方面に側線があり、保守車両の留置に使われている。駅窓口営業時間は午前が6:30- 11:00頃まで、午後が16:00 - 22:00頃までとなっている。

のりば
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■西鉄甘木線 上り 宮の陣・久留米・大牟田方面


2 下り 甘木方面
ホームには構内踏切に続くスロープで連絡します。


周辺
駅舎と反対側に、駅前広場がある。商店は少ない。線路を挟んで北に位置には屋根つき駐輪場。

毎年8月最後の日曜日に開催される田主丸花火大会の最寄り駅である。徒歩約20分。

「金島駅前」バス停 - よりみちバス「コスモス号」(北野猪口タクシー・安全タクシー運行)
称揚寺(金島保育園)
久留米市立金島小学校
金島郵便局
神代病院

 

1921年(大正10年)12月8日 - 三井電気軌道の駅として開業。
1924年(大正13年)6月30日 - 九州鉄道に合併。同社の駅となる。
1942年(昭和17年)
9月19日 - 九州電気軌道に合併。同社の駅となる。
9月22日 - 九州電気軌道が西日本鉄道に社名変更。
1964年(昭和39年) - 駅舎改築。
2008年(平成20年)5月18日 - ICカードnimoca供用開始。
2017年(平成29年)2月1日 - 駅ナンバリングを導入。


金島駅
かねしま
Kaneshima
◄A07 大城 (1.4km)(2.2km) 大堰 A05►
所在地 福岡県久留米市北野町八重亀
北緯33度21分11.08秒
東経130度37分21.18秒
駅番号 A 06
所属事業者 西日本鉄道
所属路線 ■甘木線
キロ程 9.4km(宮の陣起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 635人/日
-2017年-
開業年月日 1921年(大正10年)12月8日

長崎大学停留場 長崎電気軌道本線

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長崎大学停留場(ながさきだいがくていりゅうじょう、長崎大学電停)は、長崎県長崎市若葉町にある長崎電気軌道本線の路面電車停留場。駅番号は15。1号系統、2号系統、3号系統が停車する。その名の通り長崎大学(文教キャンパス)正門前にあり、学生や職員の利用が多い。

構造
長崎大学停留場は併用軌道区間にあり、道路上にホームが設けられる。ホームは2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配される。ただ互いのホームは斜向かいに離れて位置していて、北寄りに長崎駅前方面行きのホーム、南寄りに赤迫方面行きのホームがある。

かつてはホームに横断歩道橋が接続していたが、1999年に撤去された。このとき停留場の設備も改修され、両ホームは24メートルに延長、上屋が取り換えられた。

周辺
長崎大学の正門前に停留場があり、学生向けの飲食店や店舗が立ち並ぶ。長崎大学文教キャンパスは正門側に国道206号、裏門(東門)側に長崎県道113号長与昭和町線が走っている。路面電車は国道上を走っており、正門・裏門の道を区別する際に正門側の道路は「電車通り」と呼ばれている。

長崎大学文教キャンパス
大学本部、全学教育棟(旧教養部)、6学部(教育学部・工学部・薬学部・水産学部・環境科学部・多文化社会学部)がある。坂本キャンパスにある医学部・歯学部、片淵キャンパスにある経済学部の学生も一般教養科目受講の際には文教キャンパスに通う。
純心中学校・純心女子高等学校
大学正門からキャンパス内を横断し東門へ、そこから更に道路(県道113号線)を横断したところにある(徒歩10 - 15分)。
イタリアントマトCafejr
ゲオ長崎大学前店
あたご自動車学校長大前サービスセンター
ベスト電器BFS住吉店
OKホーム&ガーデン住吉店
ジャパレン

バス路線
長崎バス・長崎県営バス
「長崎大学前」バス停(長崎大学側)
「長崎大学前」、「長崎振興局前」バス停(反対側)

歴史
当停留場は1950年(昭和25年)、本線の大橋 - 住吉間の開業と同日に設置された。開業当時は家野町停留場(いえのまちていりゅうじょう)と称し、ここから住吉停留場までの区間に途中の停留場は設置されていなかった。停留場名は1966年(昭和41年)に長崎大学前停留場(ながさきだいがくまえていりゅうじょう)に改称。2018年(平成30年)には最寄り施設を明確にするため、「前」を外して長崎大学停留場に改称した。

年表
1950年(昭和25年)9月16日 - 家野町停留場として開業。
1966年(昭和41年)9月20日 - 長崎大学前停留場に改称。
1969年(昭和44年)3月 - 横断歩道橋が設置される。
1999年(平成11年)
8月27日 - 道路の渋滞緩和のため、歩道橋を撤去。横断歩道と信号を設置。
9月21日 - 停留場を移設。28日には停留場の改修工事が完了。
2018年(平成30年)8月1日 - 長崎大学停留場に改称。


長崎大学停留場
ながさきだいがく
Nagasaki University
◄14 若葉町 (0.3km)(0.3km) 岩屋橋 16►
所在地 長崎県長崎市若葉町1番23号先
北緯32度47分5.7秒 東経129度51分44.6秒
駅番号 15
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 本線(■1号系統・□2号系統・■3号系統)
キロ程 0.9km(住吉起点)
赤迫から1.1km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 3,400人/日
-2015年-
開業年月日 1950年(昭和25年)9月16日

旅客船さいかい (瀬川汽船)

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旅客船さいかい(瀬川汽船)

「さいかい」は佐世保市と西海町を結ぶ旅客船でバリアフリー法の適応船です。
瀬川汽船は、佐世保市と西海町を結ぶ航路であります。当航路は佐世保港を縦断して海上約10キロメートルを、美しい景色を眺めながら、また、軍港の歴史を偲びつつ、約15分で横瀬港に着くことができます。

 佐世保港は明治19年佐世保鎮守府、軍港としてはじまり旧日本海軍時代を経て、1946年米軍基地および海上自衛隊基地、佐世保海上保安部が設置され、それらが佐世保港の83%を占有しています。その諸施設や艦船を一望できる静かな観光遊覧航路であります。
 横瀬浦は、長崎キリシタンの発祥地として約444年の歴史があります。近くに横瀬浦公園もあり、当時を偲ぶ資料館も建造されております。

船名 さいかい
総トン数 19
旅客定員 95
速力ノット 25
進水年月 平成30年3月
造船:沖新船舶工業

航路と所要時間
■佐世保-横瀬西-小郡-畑下-川内(19.6キロメートル)・・・所要時間(33分)
■佐世保 ― 横瀬西(10キロメートル)・・・所要時間(15分)
定休日: 全便1月1日は運休

会社名 瀬川汽船株式会社
設立 昭和47年1月31日
資本金 1000万円
所在地 長崎県西海市西海町横瀬郷4107-7
郵便番号 851-3509
電話 0959-32-1770
ファックス 0959-32-0678
電子メール info@segawakisen.co.jp
マイホームページ:http://segawakisen.co.jp/

新豊橋駅 豊橋鉄道渥美線

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新豊橋駅(しんとよはしえき)は、豊橋鉄道渥美線の起点駅です。愛知県豊橋市花田町西宿にある豊橋鉄道渥美線の駅である。駅番号は1。

東海旅客鉄道(JR東海)・名古屋鉄道(名鉄)の豊橋駅東側および豊橋鉄道東田本線の駅前停留場に隣接しており、乗り換えが可能である。


駅構造
2008年(平成20年)6月5日に西へ(旧国鉄荷貨物取扱所の跡地の一部)50m程移設され、島式ホーム1面2線化しダイヤを組みやすくするとともに、交互発車により常時ホームに列車を停車させておき、発車を待つ乗客の着席性・居住性を向上させた。

駅舎は3階建てのビルとなっており、1階に改札などの駅務機能、2、3階はテナントスペースとなっており、2008年12月に全館オープンした。自動券売機や列車案内表示機などは名鉄で使われているものと同じものが使われている。

manaca用の簡易改札機とチャージ機は設置されているが、自動改札機は設置されていない。当駅は名鉄の駅ではないがμstar stationも設置されており、JRが管轄している名鉄豊橋駅を補完している。

当駅の有人窓口では豊鉄の切符のほか、ミューチケットなど名鉄の切符も購入できる。

のりば
1 ■渥美線 高師・大清水・三河田原方面


2 ■渥美線 高師・大清水・三河田原方面
旧駅・旧線跡には、2009年にココラアベニューとJRF豊橋駅前駐車場がオープンしている。


新豊橋駅ビル
フロア 施設 備考
3階 東進衛星予備校豊橋駅前校 予備校
2階 ファミリーマート新豊橋駅店 コンビニエンスストア chao via 豊橋店 居酒屋(ビアバル)
1階 新豊橋駅 ジェムウォッチ 時計店


駅周辺
豊橋駅・ステーションビル「カルミア」・ホテルアソシア豊橋
豊橋鉄道東田本線駅前停留場
豊鉄ターミナルビルエモア
豊橋鉄道本社
豊鉄ターミナルホテル
ココラアベニュー
ココラフロント


穂の国とよはし芸術劇場PLAT
豊橋警察署駅前交番
豊橋グリーンホテル
豊橋市駅前公共第2駐車場
豊鉄豊橋駅前パーキング(月極専用)
豊鉄花田パーキング(月極専用)
牟呂用水:通称「水上ビル」が建ち並ぶ一帯

 


開業時は、単式ホーム1面1線を持つ地上駅で、駅舎は平屋であった。

1927年(昭和2年)
10月1日 - 豊橋駅前駅として渥美電鉄が新豊橋駅(初代、後の花田駅)から延伸開業。
10月13日 - 新豊橋駅(2代)に改称。
1940年(昭和15年)9月1日 - 名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。
1945年(昭和20年)6月20日 - 豊橋空襲により駅舎被災。


1954年(昭和29年)10月1日 - 豊橋鉄道への譲渡により同社の駅となる。
1970-72年 - 移転、0.1km短縮。
2008年(平成20年)6月5日 - 移転、新駅舎供用開始。北出入口オープン。
2008年(平成20年)12月4日 - 駅舎2-3階部分、テナントビルとして供用開始(新豊橋駅ビル)。
2009年(平成21年)3月2日 - 東出入口オープン。

新豊橋駅
しんとよはし
Shintoyohashi
(1.0km) 柳生橋 2►
所在地 愛知県豊橋市花田町西宿41番地
北緯34度45分44秒
東経137度22分58.6秒
駅番号 1
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 渥美線
キロ程 0.0km(新豊橋起点)


駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 9,049人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 18,228人/日
-2017年-
開業年月日 1927年(昭和2年)10月1日
乗換 豊橋駅(JR・名鉄線)
駅前停留場(豊橋鉄道東田本線)
備考 駅員配置駅 5:45-23:30
* 1927年(昭和2年)10月13日 豊橋駅前駅より改称

京都精華大前駅 叡山電鉄鞍馬線

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京都精華大前駅(きょうとせいかだいまええき)は、京都府京都市左京区にある叡山電鉄鞍馬線の駅。叡山電鉄の中で最も新しい駅である。駅ナンバリングはE12。1990年に設置された新参駅です。

駅名の通り、京都精華大学の最寄り駅である。駅ホームから大学の通用門にアクセスでき、キャンパスの中心部は大学の正門からよりも近い。まさに大学のための駅となっている。


駅構造
相対式2面2線のホームを持つ無人駅。両ホームは全体が上屋で覆われており、ホームごとに上屋や柱・壁のデザインを変えている。駅全体は洋風なデザインです。それぞれのホームに出入り口がある。

基本は無人駅であるが大学の繁忙期(入学式や受験時)や朝ラッシュ時には係員が配置される。そのため係員の詰所が両出入口の脇にある。かつては鞍馬駅方面行ホームに自動改札機があったが現在では撤去されている。回数券の一部は大学構内の画箋堂で発売している。

両ホームと大学構内を結ぶ橋は「パラディオ橋」と呼ばれ、京都精華大学名誉教授の上田篤によって制作されたものである。

下りホームから住宅地、上りホームから大学正門付近へはスロープでバリアフリーに対応しているが、反対側への移動は「パラディオ橋」のみによっており、構内や隣接の踏切がないのでかなり迂回が必要。

のりば
■鞍馬線(上り) 宝ケ池・出町柳方面
■鞍馬線(下り) 二軒茶屋・鞍馬方面
ホームの幅は非常に広く確保されています。

駅周辺
京都精華大学のある山の斜面の裾部分に位置している。上りホームは一部山の斜面に接している。

反対側は狭い谷間の農耕地であった。2000年前後から住宅が増えてきているが、まだまだ農耕地や駐車場が目立つ。

森豊山更雀寺(雀寺)
円通寺(案内放送あり)
頼光橋
京都大学演習林
総合地球環境学研究所

バス路線
「京都精華大学前」バス停があり、京都バスの路線が乗り入れる。

40系統:京都産業大学行/地下鉄国際会館駅行
50系統:市原行/地下鉄国際会館駅行
52系統:貴船口・鞍馬温泉行/地下鉄国際会館駅行
国際会館駅・花園橋 経由 京阪出町柳駅行(土・休日1便)


1989年(平成元年)9月21日 - 開業。当初は仮駅による営業であった。
1990年(平成2年)
1月21日 - 駅舎が完成。
9月28日 - 当駅を含む、岩倉駅 - 二軒茶屋駅間が再複線化。現在の姿となる。

京都精華大前駅
きょうとせいかだいまえ
Kyōto-Seikadai-mae
◄E11 木野 (0.8km)(0.6km) 二軒茶屋 E13►
所在地 京都市左京区静市市原町871[1]
北緯35度4分23.13秒 東経135度46分8.37秒
駅番号 E12
所属事業者 叡山電鉄
所属路線 ■鞍馬線
キロ程 3.5km(宝ケ池起点)
出町柳から7.3km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 570人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1989年(平成元年)9月21日

水都号 アクアmini

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屋根がないオープンタイプで、大阪水上バスの船の中では一番小型の船。小回りが利くので、川幅の細い東横堀川や道頓堀川にも行けます。お客様を乗せてのクルーズの他、橋梁点検などでも活躍しています。

主に土・日・祝日の日中に、大阪城~道頓堀航路に就航。
貸切運航・臨時運航
過去には、団体専用で臨時に毛馬閘門から淀川を周回するコースがあったが、現在は運航の設定は無い(アクアライナーおよび水都号 アクアminiが臨時運航として毛馬閘門を経由して淀川を枚方まで運航される事などがある)。

「水都号 アクアmini」は、定期運航されない日(主に平日)は貸切船として使用される。小型の船のため従来のアクアライナーでは行けなかった河川への臨時運行にも用いられている。(平野川、寝屋川など)


水都号 アクアmini
水都号 アクアmini 1号
水都号 アクアmini 2号
スペック
総トン数 5t未満 最大速力 10ノット
全幅 3.5m 主機最大出力 66kw×2
全長 9.3m 最大搭載旅客人員 30名


藤森駅 京阪電気鉄道京阪本線

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藤森駅(ふじのもりえき)は、京都府京都市伏見区深草極楽町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。優等通過駅です。駅番号はKH32。駅は名神高速道路の深草バス停最寄に位置する。

駅構造
相対式2面2線ホームを持つ地上駅。出町柳方面ホームは淀屋橋方面ホームより北側へ数両分ずれて設置されており、ホームの真上を名神高速道路が通っている。改札口は東西両側にあり、90年代半ばに自動改札機が導入された。駅の南側には踏切が、北側には地下自由通路が駅の両側を通じている。バリアフリー設備として、車イス対応のエレベーター・多目的トイレが設置されている。

南切符売場には券売機は2台。タッチパネル式の券売機も1台。改札機は3台。(北口))にも改札機が設置されています。
1980年代半ばより、駅名にちなんでホームの柱を薄紫(藤色)に塗りかえられていたことがある。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■京阪本線 上り 三条・出町柳方面
2 下り 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面
※両ホームとも有効長は7両。

駅舎のすぐ東側を琵琶湖疏水(鴨川運河)が流れており、1928年に竣工された歩行者専用の堀田橋が架けられている。

深草バスストップ(京都深草) - 名神ハイウェイバスなど高速バス(約500m、徒歩6分)
駅の改札口付近には、深草バスストップまでの経路を示した案内板が存在する。
京都教育大学
京都聖母学院中学校・高等学校・京都聖母学院小学校
京都市立深草小学校
京都市立深草中学校
京都市立藤森中学校
深草郵便局
マックスバリュ藤森店
京都市青少年科学センター
京エコロジーセンター(京都市環境保全センター)
伏見保健所深草支所
伏見区役所深草支所
京都医療センター
藤の森ローズタウン
深草北陵
藤森神社は隣の墨染駅が最寄りとなる。

バスのりば
京阪藤森駅には、バス路線は乗り入れていない。最寄バス停:京都市営バス(市バス)・京阪バス 深草西浦町または藤ノ森、名神深草バスストップ

深草西浦町
バス停は駅前ではなく、駅から徒歩5分の師団街道沿いにある。
京都市営バス
南5号系統:竹田駅東口・横大路車庫行/(稲荷大社・東福寺道経由)京都駅行
急行105号系統:竹田駅東口・横大路車庫前行/(稲荷大社・京都駅八条口経由)京都駅前行
臨南5系統:JR藤森駅経由藤森神社方面
藤ノ森
バス停は駅前ではなく、駅から徒歩5分の師団街道沿いにある。京阪バスは1988年6月までは「京阪藤ノ森駅口」と称していたが、現在は京都市営バスに停留所名を合わせて統一している。かつては奈良方面や淀、久御山団地に行くバスも数便設定されていたが、いずれも廃止されている。
京都市営バス
臨南5号系統:竹田駅東口行
南8号系統:竹田駅東口行/横大路車庫行
京阪バス
2号経路:竹田駅東口行/醍醐寺前経由醍醐バスターミナル行
深草バスストップ(京都深草)
バス停は駅前ではなく、駅から徒歩6分(約500m)の名神高速道路上にある。
関東・中部・信越・北陸・大阪方面へ向かう高速バスが発着する。

その他
2000年頃までは車内放送の際、駅名の後に「科学センター前」と呼称していた。
1980年頃までは、名神ハイウェイバスの日本急行バス(現:名鉄観光バス)への乗換を案内していたことがある(その時期には「科学センター前」の呼称はなし)。この時期には各ホームに乗り換えを示す電照看板や「ハイウェイバスのりかえ」の案内標識のほか、改札近傍には電照式の時刻表もあった。1979年以降はこの案内は行われなくなった。なお、日本急行バスには京阪が出資をしていたが、1971年に京阪からの出資などが引き揚げられ名古屋鉄道(名鉄)資本に一本化された。さらに1979年には運行が名鉄傘下の名古屋観光自動車に委託されたのち、現在は名鉄バスの運行。
テレビアニメたまこまーけっとは、当駅付近が舞台の一つとなっている。東側駅舎・北改札口を忠実にスケッチしたと思われる場面が主人公らの乗降場面に登場するほか、駅前の堀田橋も頻出する。


京阪線の開通と同時に師団前駅として開業。駅名由来は大日本帝国陸軍第十六師団の駐屯地の側にあったことからで、駅周辺は列車の運行が陸軍の訓練や演習に支障をきたさないようにと開通時から3ヶ所の高架橋が造られた。1941年、「駅名が陸軍師団の所在地を示す」として現駅名『藤森駅』に改められた。

また戦前から駅の柱や梁を藤森神社の藤の花に色「藤色(紫)」に塗られたが戦争の激化で「爆撃の目印」にならないようにグレーに塗り直され、1980年代にプラットホームの柱や梁を藤色に塗り直された。

以前は駅舎(改札口)は淀屋橋方面ホーム側のみにあり、現在の東側南改札口が唯一の改札口で大阪行きホームのみ車イス対応のスロープが設置されていた。北側は聖母学園生徒学生専用出入口、売店などがあったが現在は改札口が設けられている。出町柳方面ホームへは改札内の地下道で連絡しているだけで、トイレも東側の階段の途中に造られていた。2008年3月、京都市との合同で西改札口の設置・改札階と上下ホームを結ぶエレベーターの設置の整備計画が発表され、京都市の援助を得て駅のバリアフリー化工事が進められ2009年9月26日に西改札口が造られ、トイレも改良された。2010年3月26日に京都行きホームへ車イス対応エレベーターの設置工事が竣工した。しかし駅の特徴の一つだった紫色に塗られたホームの柱は、ほかの駅と同じグレーに塗りなおされた。

1910年(明治43年)4月15日 - 京阪本線開業と同時に、師団前駅として設置。
1941年(昭和16年)9月1日 - 藤森駅に改称(師団所在地であるため防諜上の理由)。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急)の駅となる。
1946年(昭和21年)2月15日 - 急行運転の再開、急行停車駅に。
1949年(昭和24年)
8月1日 - ダイヤ改正で急行通過駅に。
12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1967年(昭和42年)9月7日 - 駅改良工事竣工。
1968年(昭和43年)7月21日 - 上りホームを踏切北側へ移設、地下道使用開始。
1971年(昭和46年)11月29日 - 学生専用出口開設。
1977年(昭和52年)3月30日 - 駅の西側に京阪電鉄初の分譲マンション「ローズマンション藤の森」の分譲開始。
1978年(昭和53年)3月30日 - 「ローズマンション藤の森」竣工、京阪藤の森ビル竣工。
1992年(平成4年) - プラットホームの屋根が延長される。
1994年(平成6年) - 自動改札機設置。
1999年(平成11年)3月29日 - 大阪行きホームに車椅子用スロープ設置。
2003年(平成15年)- 「二代目おけいはん」(江本理恵)が出演するCM撮影に使われる。
2008年(平成20年)2月 - ホーム異常通報装置設置。
2009年(平成21年)9月26日 - 西改札口、開設。
2010年(平成22年)3月26日 - 身体障害者対応エレベーター2基設置。
2016年(平成28年)3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急のみ停車する時間帯が生まれた。

藤森駅
ふじのもり
Fujinomori
◄KH31 墨染 (1.0km)(0.8km) 龍谷大前深草 KH33►
所在地 京都市伏見区深草極楽町764番地
北緯34度57分24.39秒 東経135度46分12.23秒
駅番号 KH  32
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■京阪本線
キロ程 43.3km(淀屋橋起点)
電報略号 藤(駅名略称方式)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 12,729人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)4月15日
備考 * 1941年に師団前駅から改称
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馬田駅 西日本鉄道(西鉄)甘木線

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馬田駅(まだえき)は、福岡県朝倉市馬田にある西日本鉄道(西鉄)甘木線の駅。駅番号はA02。駅周囲は住宅地

駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅となっている。
駅舎はなく、トイレの屋根に駅名看板が設置されています。

のりば
1 ■甘木線 甘木ゆき
宮の陣・花畑・大牟田方面

ホームには階段で連絡します。
ホーム、3箇所に上屋が分散して設置されています。
ホーム中央の上屋下には乗車駅証明書、キップ入れなどが設置されています。

駅周辺
朝倉市立馬田小学校
馬田郵便局
イオン甘木ショッピングセンター
国道500号
鳳凰山 明福寺「浄土真宗本願寺派」
バス路線
甘木観光バス三輪線「馬田小学校前」バス停徒歩2分。


1921年(大正10年)12月8日 - 三井電気軌道の駅として開業。
1924年(大正13年)6月30日 - 九州鉄道に合併。同社の駅となる。
1942年(昭和17年)


9月19日 - 九州電気軌道に合併。同社の駅となる。
9月22日 - 九州電気軌道が西日本鉄道に社名変更。
2008年(平成20年)5月18日 - ICカードnimoca供用開始。
2017年(平成29年)2月1日 - 駅ナンバリングを導入

 


馬田駅
まだ
Mada
◄A03 上浦 (1.2km)(1.8km) 甘木 A01►
所在地 福岡県朝倉市馬田
北緯33度24分28秒
東経130度38分26.95秒
駅番号 A 02
所属事業者 西日本鉄道
所属路線 ■甘木線
キロ程 16.1km(宮の陣起点)


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 107人/日
-2017年-
開業年月日 1921年(大正10年)12月8日

針尾送信所 (海上保安庁)

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針尾送信所(はりおそうしんじょ)は、長崎県佐世保市の針尾島にある海上保安庁の無線送信所である。
敷地内にある巨大な3本のコンクリート製の電波塔、針尾無線塔は大正時代より建ち、自立式電波塔としては古さ日本一である。また、第二次世界大戦以前から建つ現存する塔としては日本一の高さである。「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」の名称で国の重要文化財に指定されている。
針尾送信所の象徴である電波塔の高さは、1号及び2号塔が135m、3号塔が137mで、基部の直径は約12m、厚さは76cm。3本の配置は約300m間隔の正三角形となっている。
1922年の完成から1954年に名古屋テレビ塔が完成するまでの約32年間、日本一の高さを誇った。また、軍事利用を目的として建造された電波塔としては、2000年に防衛省市ヶ谷無線鉄塔が完成するまで日本一の高さであった。2019年現在でも、長崎県で最も高い建造物であり、その姿は遠方(例えば烏帽子岳・隠居岳、冷水岳)などからも確認できるほど壮大である。対岸にある西海橋からの眺望が知られていたが、2006年、新西海橋(事実上、西海パールライン有料道路の延長)が開通し、これは従来の国道202号よりも送信所側を通るため、よりその大きさがわかる。

歴史
日本海軍佐世保鎮守府隷下の無線送信所として、1918年(大正7年)11月に着工、1922年(大正11年)に完成した。総工費は当時で155万円という。竣工日は1号電波塔から順に4月30日、5月30日、7月31日。
太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を送信した電波塔として広報されることが多いが、この暗号を真珠湾攻撃部隊に向けて送信したのは千葉県船橋市の船橋送信所(艦船向けの短波と中波)と愛知県碧海郡依佐美村の依佐美送信所(潜水艦向けの超長波)である[3]。針尾送信所は、瀬戸内海に停泊中の連合艦隊旗艦「長門」が打電し、広島県の呉通信隊が送信したものを受信し再発信したもので、中国大陸や南太平洋の部隊に伝えたものであるとされるが、その詳細は不明とされている。
終戦後しばらく米軍管理地となり、1948年(昭和23年)から第七管区海上保安本部佐世保海上保安部が所管し、海上自衛隊と共同で使用している。ただし、針尾送信所の象徴であった巨大電波塔は、1997年(平成9年)に後継の無線施設が完成したことにより、現在では電波塔としての役割を終えている。
針尾島内では他に、浦頭引き揚げ記念公園や現在のハウステンボス・南風崎駅(本土)近辺の慰霊碑などに、第二次世界大戦の傷跡がのこっている。

現状
周囲は、田畑、果樹園で囲まれ、現在は電波塔としては使用されておらず、地元の有志が塔を文化財として存続するため、日々活動している。最近、心ない人によってラッカースプレー等で落書きされることがたびたび起きていて問題になっている。
築約90年経ち、あと30-40年が寿命の限界と見られていたが、現在でも十分な耐震性を持つことを、佐世保市教育委員会が確認した。そのため佐世保市は、針尾無線塔一帯を公園化を目指し、海上保安庁と協議を始めた。海上保安庁側も「国の重要文化財指定に向けた動きが出れば協力する」としていた。
2009年には、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定。
2013年に、3基の無線塔のほか電信室、油庫(ゆこ)の2棟と附属の土地が国の重要文化財に指定された。将来的には一帯に見学用通路や案内施設を整え、塔内も見学できるようにする予定である。
2013年3月より、ボランティアによる無線塔の見学案内が行われている。見学時間は、平日、土日ともに9時00分 - 16時00分。また、電信室を改装し2017年頃に資料館として公開する予定である。。また、当時の写真は、佐世保市にある海上自衛隊佐世保史料館でみることができる。
針尾送信所が登場する作品
空の大怪獣ラドン(映画) - 阿蘇から出現した怪獣ラドンが佐世保に飛来し、自衛隊機との空中戦の末、針尾送信所の3本の電波塔をバックに、西海橋下の海に墜落するシーンがある。
『暗号のポラリス』中山智幸(小説) - 難読症を抱える小6の主人公、斎賀結望が目指す旅の目的地「H島の無線塔」のモデルとなっている。
ブレイブウィッチーズ(アニメ) - 現実世界の日本に相当する作中の国家は「扶桑皇国」であるが、針尾送信所を含む佐世保市周辺の地名や地理的要素等は現実世界に準じる。主人公・雁淵ひかりの父である浩平が技師として送信所に務めており、第1話ではひかりが父に弁当を届けるシーンがある。

 

鳳駅 阪和線

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鳳駅(おおとりえき)は、大阪府堺市西区鳳東町一丁にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅である。


堺市西区の中心駅で、吹田総合車両所日根野支所鳳派出所(2012年5月31日までは日根野電車区鳳派出所、その前は車両基地としての鳳電車区であった)および乗務員区所としての鳳電車区も併設されており、阪和線における拠点駅の一つである。鳳派出所は現在でも留置線として使用され、夜間滞泊運用があるため、当駅が始発・終点となる列車が終日設定されている。2011年3月11日までの日中には当駅が始発・終点となる列車はなく早朝・朝ラッシュ時、および夜間にのみ設定されていた。

当駅は阪和線の本線と、東羽衣駅への阪和線支線との分岐駅となっている。この支線も正式には阪和線の一部であるため、線路名称上では当駅は阪和線単独駅である。駅番号については本線部のみが対象となっており、JR-R33が付与されている。しかし、路線案内上では本線部分のみを「阪和線」、東羽衣支線を「羽衣線」と表記している。以下では本項でもこの形式に従う。

当駅で最高速度が切り替わる。天王寺駅から当駅までの制限速度が95 km/h、当駅から和歌山方面が120 km/hである。

駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、計3面5線のホームを持つ地上駅で、橋上駅舎を有する。出入口は東口・西口の2か所がある。有効長は、本線部は8両編成分、羽衣線5番のりばは4両編成分。くろしお号の一部の電車が停車していた頃は9両編成も含まれていたが、9号車天王寺寄りと、1号車和歌山寄りには扉はなく、有効長内に客用扉が収まっていたため、扉カットは実施しなかった。改札口は1ヶ所のみ。駅コンコースは自由通路を兼ね、東口・西口ともにエレベーターを設置。東羽衣方面のホームはややカーブしており、かつて6番のりばだった部分は線路が撤去され柵で仕切られた。なお、5番のりばの天王寺寄りには、本線への渡り線と安全側線が設置されていたが、4両化工事に伴い安全側線が撤去された。

駅舎のバリアフリー対応は2008年3月竣工。エレベーターが各ホームに1機ずつ。エスカレーターは、和歌山・関西空港方面(1番のりば・2番のりば)ホームおよび天王寺・大阪方面(3番のりば・4番のりば)ホームに上りと下りの2本ずつ、羽衣線ホームは上り1本のみ。

2013年9月に阪和線の運行管理システムが更新されたのに伴い、ホームやコンコースに設置されている電光掲示板の表示が一新された。

駅長が配置された直営駅であり、管理駅として百舌鳥駅・上野芝駅・津久野駅・富木駅・東羽衣駅の5駅を管轄している。みどりの券売機・定期券自動発行機が設置されている。ICカード「ICOCA」を利用することができる(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。駅構内には、コンビニエンスストアのセブンイレブンハート・イン、うどん店の「麺家」、紀陽銀行ATMなどがある。

のりば
のりば 路線 方向 行先 備考
1・2 R 阪和線 下り 熊取・関西空港・和歌山方面
3・4 上り 天王寺・大阪方面 一部1番のりば
5 ■羽衣線 東羽衣行き


駅掲示時刻表の路線名は、和歌山方面・天王寺方面は「阪和線・関西空港線」、東羽衣方面は「羽衣線」となっている。
朝4時台の天王寺方面行き普通電車は1番のりばを使用する。
列車の運行障害時に折り返し運転が行えるように、2013年12月に列車折り返し設備が増設された。


ダイヤ
阪和線の下り本線は2番のりば、上り本線は4番のりばとなっている。1番のりばと3番のりばは待避列車の発着に使用されることが多いが、運用が固定されているわけではない。
当駅では、日中以外の時間帯に快速と普通の緩急接続が行われている。ラッシュ時には普通が上野芝駅で快速・特急の通過待ちを行い、追い抜いた快速列車が普通の接続待ちを行う設定がある。
下り和歌山・関西空港方面のラッシュ時に、先着した普通を2番のりばに入れて後続の快速が1番のりばから発車する設定や、普通電車で交互着発のために1番のりばを使用することがある。
天王寺方面から当駅止まりの電車はそのほとんどが1・2番のりばに到着するが、直接折り返して天王寺行きとなる電車は3番のりばに直接入る。この場合で当駅より先に向かう場合は、隣のホームに移動する必要がある。
日中11~15時台の天王寺駅発着の普通は当駅で折り返すため、この時間帯の当駅 - 熊取駅間の各駅は、日根野駅発着の区間快速が停車する。

駅周辺
古くから大鳥大社の鳥居前町として、明治以降は泉北郡の行政の中心地として熊野街道(小栗街道)に沿って発展してきた。現在も街の中心は駅に近い小栗街道沿いの鳳本通商店街(約70店舗)付近のエリアである。しかし、小栗街道はほとんどが旧来の狭い道で、路線バスは通っていない。小栗街道のバイパスとして大阪府道30号大阪和泉泉南線が東側を併走しているが、鳳駅は小栗街道の西側に位置しており、路線バスの乗り入れができない状態が長らく続いていた。
2008年3月に東急車輛製造大阪製作所跡地にアリオ鳳がオープンし、大阪和泉泉南線鳳駅下り交差点から鳳駅前を経由してアリオ鳳を結ぶ道路(鳳上線)を18m幅へ拡幅し、4400㎡の駅前広場を整備した上で、西区役所前から鳳駅前へバスターミナルを移転させる再開発事業が始まり、2019年9月23日より駅前(東口)に路線バスが乗り入れるようになった。


1929年(昭和4年)7月18日 - 阪和電気鉄道が阪和天王寺駅(現在の天王寺駅) - 和泉府中駅間および当駅 - 阪和浜寺駅(現在の東羽衣駅)間開業時に、その本線と支線の接続駅として設置。
1933年(昭和8年)
9月1日 - 車庫洗車台増築願届出。
10月26日 - 留置線増強願届出。
1935年(昭和10年)3月12日 - 機関庫増築願届出。
1937年(昭和12年)上半期 - ホーム延長。
1939年(昭和14年)上半期 - 当駅付近への梅鉢車両の工場移転に伴う側線延長。
1940年(昭和15年)12月1日 - 吸収合併により、南海鉄道山手線の駅となる。
1944年(昭和19年)5月1日 - 戦時買収により国有化され、運輸通信省(国鉄)阪和線の駅となる。
1985年(昭和60年)9月13日 - 橋上駅となる。
1986年(昭和61年)11月1日 - 特急「くろしお」の停車駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)9月9日 - ハート・インが営業を開始する。
1993年(平成5年)7月1日 - 阪和線運行管理システム(初代)導入。
2002年(平成14年)- 6番線を廃止。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2010年(平成22年)3月13日 - 「くろしお」「スーパーくろしお」の停車が取りやめとなる。
2011年(平成23年)3月12日 - ダイヤ改正により日中時間帯の普通は天王寺駅 - 当駅間での運転となり、当駅 - 日根野駅間は区間快速に置き換わる形で廃止される。
2013年(平成25年)9月28日 - 阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。
2019年(令和元年)9月23日 - 駅前バスターミナル供用開始。これに伴い旧「鳳駅前」停留所は「西堺警察署前」に改称。

 

鳳駅
おおとり
Ōtori
所在地 堺市西区鳳東町一丁125
北緯34度31分55.67秒 東経135度27分31.91秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 オト
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 3面5線
乗車人員
-統計年度- 18,669人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1929年(昭和4年)7月18日[1]
乗入路線 2 路線
所属路線 R 阪和線
駅番号 JR-R33
キロ程 15.1km(天王寺起点)
◄JR-R32 津久野 (1.4km)(1.2km) 富木 JR-R34►
所属路線 ■阪和線支線(羽衣線)
キロ程 0.0km(鳳起点)
(1.7km) 東羽衣►
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有

墨染駅 京阪電気鉄道京阪本線

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墨染駅(すみぞめえき)は、京都府京都市伏見区墨染町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。駅番号はKH31。駅周囲は一面に住宅が立ち並んでいます。
JR奈良線、近鉄京都線といった路線駅が近接し利用はそれほど多くない。

駅構造
相対式2面2線ホームを持つ地上駅。方面別に駅舎が設置されています。ホーム丹波橋寄りに改札口が上下線で独立して設置されており、改札内で互いのホームの行き来はできない。1990年代半ばまで構内踏切があったが現在は撤去されている。駅構内のスロープは2009年4月バリアフリー対策の新基準に合わせて傾斜が緩くされた。

駅名の「墨染」にちなみ、ホーム屋根の支柱や梁などを他の駅より濃い灰色に塗られていたことがあったが、1980年代半ばより、駅名にちなんでホームの柱をグレー(薄墨色)に塗っている。

淀屋橋方面の切符売場に券売機は2台、タッチパネル式の新型も一台。改札機は前後にずらして設置されています。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■京阪本線 上り 三条・出町柳方面
ホームには長椅子が設置されています。健在です。


2 下り 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面
※両ホームとも有効長は7両。

駅周辺
JR藤森駅 - 西日本旅客鉄道(JR西日本)奈良線 東へ約600m
伏見駅 - 近鉄京都線 南西へ約700m
京都教育大学
京都教育大学附属高等学校
京都市立藤ノ森小学校
伏見墨染郵便局
国道24号
西福寺
墨染寺(ぼくせんじ)- 駅名の由来
藤森神社
墨染発電所
琵琶湖疏水・伏見インクライン跡
京阪電鉄墨染変電所

バスのりば
京阪墨染駅には、バス路線は乗り入れていない。

最寄バス停:京都市バス墨染または下町
周辺道路の一方通行規制により、方面ごとにのりばが異なる。
墨染
バス停は墨染駅から北東へ徒歩3分
京都市バス
南8号系統:(藤森神社経由)竹田駅東口行
下町
バス停は墨染駅から西へ徒歩5分
京都市バス
南8系統:横大路車庫行


戦争中の一時期、陸軍16師団の施設が駅付近に点在していたことから急行停車駅だったことがある。しかし戦争末期には急行運転そのものが廃止され、戦後1946年(昭和21年)2月15日のダイヤ改正で急行運転が復活した時には、急行通過駅に戻る。

1910年(明治43年)4月15日 - 京阪本線開業と同時に設置。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
1944年(昭和19年)7月16日 - 急行停車駅とな。
1946年(昭和21年)2月15日 - 急行運転が復活するも急行は通過駅となる。
1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。


1963年(昭和38年)3月16日 - 構内旅客通路新設。
1971年(昭和46年)9月10日 - 墨染変電所新設。
1972年(昭和47年)9月1日 - 下りホーム改札口を使用開始。
1985年(昭和60年)3月 - 京都行きホームにトイレ新設、ホーム屋根10m延伸。
1995年(平成7年)10月3日 - 新駅舎使用開始。
2009年(平成21年)4月1日 - 現在のバリアフリー基準に合わせてスロープを改良・使用開始。
2011年(平成23年)12月17日 - ホームに異常通報装置を設置。
2016年(平成28年)3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急のみ停車する時間帯が生まれた。


墨染駅
すみぞめ
Sumizome
◄KH30 丹波橋 (1.0km)(1.0km) 藤森 KH32►
所在地 京都市伏見区墨染町691番地
北緯34度56分53.56秒 東経135度46分8.45秒
駅番号 KH  31
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■京阪本線
キロ程 42.3km(淀屋橋起点)
電報略号 墨(駅名略称方式)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 7,167人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)4月15日
備考 ホームの有効長は7両

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