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Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
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大阪城港(水上バス) 

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1983年、朝夕は通勤船、日中は観光用の遊覧船とした水上バス「アクアライナー」が運航開始した。通勤船航路は2005年6月23日限りで運航休止となっている。
JR「大阪城公園」駅3番出口より徒歩3分
地下鉄「大阪ビジネスパーク」駅1番出口より徒歩5分


大阪城港→天満橋港→淀屋橋港→OAP港→大阪城港→(循環路線、1周約60分)
どの港から乗っても一周して元の港に帰着できるほか、途中の港で降りることもできる。


原則として毎日、日中に運航される(以前は春から夏は日没後も運航していた)。なお、桜之宮公園の花見シーズンには増発される。


本郷駅 西日本鉄道(西鉄)甘木線

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本郷駅(ほんごうえき)は大刀洗町の北東部、福岡県三井郡大刀洗町大字本郷にある西日本鉄道(西鉄)甘木線の駅である。

駅番号はA04。朝ラッシュ時は当駅で折り返す列車が設定されている。


駅構造
島式1面2線ホームを持つ地上駅で、無人駅。ホーム幅は狭い。

駅舎は平屋の簡素な駅舎です。線路外に駅名標が設置されています。

のりば
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■西鉄甘木線 上り 宮の陣・久留米・大牟田方面


2 下り 甘木方面
ホームには上屋が設置されていません。

駅周辺
駅前に広めの待合所が設置されています。
駅前の駐輪場は利用が多い。


大刀洗町立本郷小学校
本郷保育所
大刀洗郵便局


バス路線
鳥栖交通の15番・肥前麓駅~西鉄鳥栖~JR鳥栖駅~端間~本郷を結ぶ路線が、2001年3月まで存在していた。

 

 

1921年(大正10年)12月8日 - 三井電気軌道の駅として開業。
1924年(大正13年)6月30日 - 九州鉄道に合併。同社の駅となる。
1942年(昭和17年)
9月19日 - 九州電気軌道に合併。同社の駅となる。
9月22日 - 九州電気軌道が西日本鉄道に社名変更。
1954年(昭和29年) - 駅舎改築(現在の駅舎の一代前のもの)。
2008年(平成20年)5月18日 - ICカードnimoca供用開始。
2014年(平成26年)3月22日 - 無人化。
2017年(平成29年)2月1日 - 駅ナンバリングを導入。


本郷駅
ほんごう
Hongō
◄A05 大堰 (1.5km)(1.8km) 上浦 A03►
所在地 福岡県三井郡大刀洗町大字本郷
北緯33度23分5.72秒
東経130度37分43.5秒


駅番号 A 04
所属事業者 西日本鉄道
所属路線 ■甘木線
キロ程 13.1km(宮の陣起点)
駅構造 地上駅


ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 356人/日
-2017年-
開業年月日 1921年(大正10年)12月8日

 

鈴蘭台駅 神戸電鉄

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鈴蘭台駅(すずらんだいえき)は、兵庫県神戸市北区鈴蘭台北町一丁目にある神戸電鉄の駅。駅番号はKB06。駅南側に鈴蘭台車両基地がある。標高278m。
神戸電鉄の乗務員時刻表(スタフ)に表記されている駅略号はS(Suzurandai)である。


利用可能な鉄道路線
神戸電鉄
有馬線
粟生線 - 当駅が始発駅であるが、殆どの列車は有馬線経由で新開地駅に発着する。

構造
駅の南北で高低差があるため、駅の南側は盛土駅で、北側は地上駅である。改札はホーム上にあり、エスカレーター、エレベーター、階段で改札とホームが結ばれており、中央改札口が設けられている。

島式2面4線のホームを持ち、有馬線・粟生線は方向別にホームを共有している。下りホームには待合室がある。なお、ホーム新開地寄りのエレベーターは中央改札口から独立しており、駅構外の道路に直結する改札となっている。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1・2 ■有馬線 上り 新開地方面
3・4 下り 有馬温泉・三田方面
■粟生線 粟生方面
ホーム有効長は1番線5両、2・3・4番線は6両であったが、現在はエレベーター設置により、全線4両と短くなっている。主に1・3番線に有馬線、2・4番線に粟生線の列車が入線する。

新開地方からは1 - 4番線に、有馬方からは1・2・4番線に、粟生方からは2・4番線に入線可能。また、出発については、有馬方及び粟生方へは2 - 4番線から、新開地方へは1・2番線から発車可能である。
当駅始発の5時04分発の三田行きは前日の夜間停泊の関係で4番線から発車する。この列車が三田行きで唯一4番線から発車する列車である。


粟生方の2線の留置線は4番線からしか入線・出庫ができない。また新開地方の2線の留置線も東側の留置線は1番線からのみ、西側の留置線は4番線からのみ入線・出庫が可能である。


当駅より有馬線、粟生線が分岐し、車庫や運転指令所も隣接しているため列車運用上の中心駅でもある。また、この駅で乗務員交代を行うことも多い。
ラッシュ時および前後には、社員の駅員に加えアルバイトのホームスタッフも放送や安全確認を行う。朝ラッシュ時においては、特に混み合う2・3両目に3人以上の係員が付き安全確認をする事が多い。


下り側のホームには待合室が設置されている。
一部列車は回送としてこの駅で折り返し、鈴蘭台車両基地で車両点検が行われる。逆に、鈴蘭台車両基地から列車が運用される時には1番線に入線し、新開地行となる。


新開地方面の始発列車は4時52分当駅始発で、これは神戸電鉄全駅で一番早い。
(次に早い始発時刻はウッディタウン中央駅の4時54分発。)

停車列車
全ての列車が停車する。準急はこの駅から北側は各駅に停車する。
準急については当駅以北(以西)の区間の終着駅まで各駅停車となるので、乗務員交代の際に通過標識灯の点灯・消灯の切り替えが行われている。
新開地方面は日中は準急と普通が4本ずつ、朝ラッシュ時は全ての種別を合わせて最大19本運行される。
三田方面は日中は4本、朝ラッシュ時は9本。粟生方面は日中は4本、朝ラッシュは5本運行される。

駅周辺
商店や事務所、住宅が密集している。
ベルスト鈴蘭台
神戸市北区役所
三井住友銀行鈴蘭台支店
みなと銀行鈴蘭台支店
日新信用金庫鈴蘭台支店
イオンフードスタイル ベルスト鈴蘭台店
神鉄タクシー乗場
北区民センター
神戸市立北図書館
すずらんホール
神戸鈴蘭台郵便局
兵庫県立神戸鈴蘭台高等学校
神戸親和女子大学
ダイエー鈴蘭台店
コープこうべ鈴蘭台東店
鈴蘭台北神鉄ビル(鈴蘭台プラザ)

バス路線
阪急バス
16系統:(水源地・峠・やきもち地蔵前・広陵町経由)筑紫が丘5丁目行き
30系統:(水源地・峠・やきもち地蔵前・広陵町経由)谷上駅行き
61系統:(平野・大学病院経由)神戸駅南口行き
61系統:(平野・湊川公園経由)神戸駅南口行き
神鉄バス
中央病院線:(東山団地経由)中央病院前行き
中央病院線:西鈴蘭台駅前行き
君影団地線:(7棟前経由)君影6丁目行き
君影団地線:(君影団地内経由)鈴蘭台駅前行き
君影団地線:(君影団地内経由)西鈴蘭台駅前行き
鈴蘭台・中里町線:中里町行き

戦前の鈴蘭台地区はダンスホールやビアホールなどを擁する避暑地として栄え、「関西の軽井沢」と謳われた。戦後はニュータウンとして売り出され、特に神戸高速鉄道開業に伴う阪急・阪神との接続が開始されて以降、人口は急激に増加した。
2018年9月に北区役所と商業施設が入居する駅ビル「ベルスト鈴蘭台」が開業し、駅ビルと連結する橋上駅舎の供用が開始された。ロータリー整備を含む駅周辺の再開発事業は2020年に完了する予定である。


1928年(昭和3年)11月28日 - 神戸有馬電気鉄道 湊川 - 電鉄有馬(現在の有馬温泉)間開業時に、小部駅(おうぶえき)として開業。
1932年(昭和7年)8月1日 - 鈴蘭台駅に改称。高原に咲く清楚な花「スズラン」をイメージし、命名されたという。
1936年(昭和11年)12月28日 - 三木電気鉄道(現在の粟生線)の鈴蘭台 - 広野ゴルフ場前間が開業。
1947年(昭和22年)1月9日 - 神戸有馬電気鉄道と三木電気鉄道が会社合併し、神有三木電気鉄道の駅となる。
1949年(昭和24年)4月30日 - 社名変更により神戸電気鉄道の駅となる。
1973年(昭和47年)2月 - ホーム拡張・拡幅。
1988年(昭和63年)4月1日 - 社名変更により神戸電鉄の駅となる。


2011年(平成23年)3月26日 - ホームと地下道をつなぐエレベーター設置。地下道に面して南改札口新設。この工事により、ホーム全長が縮小。
2016年(平成28年)2月 - 再開発事業の工事が本格化する。
2018年(平成30年)9月25日 - 北区役所と商業施設が入居する駅ビル「ベルスト鈴蘭台」と連結した橋上駅舎が供用開始。
2019年(令和1年)12月末 - 駅前広場完成(予定)。
2020年(令和2年)3月末 - 交通広場・道路整備も含め、鈴蘭台駅前・再開発事業完了予定

鈴蘭台駅*
すずらんだい
SUZURANDAI
神戸市北区鈴蘭台北町一丁目7-17
北緯34度43分25.18秒 東経135度8分45.81秒座標: 北緯34度43分25.18秒 東経135度8分45.81秒
所属事業者 神戸電鉄
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 9,699人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1928年(昭和3年)11月28日
乗入路線 2 路線
所属路線 有馬線
駅番号 ○KB06
キロ程 7.5km(湊川起点)
新開地から7.9km
◄**KB05 鵯越 (3.9km)(1.9km) 北鈴蘭台 KB07►
所属路線 粟生線
駅番号 ○KB06
キロ程 0.0km(鈴蘭台起点)
◄(***KB05 鵯越) (-km)(0.8km) 鈴蘭台西口 KB41►
* 1932年に小部駅から改称
** この間に菊水山駅(当駅から2.9km)があった。
*** 殆どの列車が新開地駅まで乗り入れ

 

京阪2400系電車 

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京阪2400系電車(けいはん2400けいでんしゃ)は、1969年(昭和44年)に登場した京阪電気鉄道の通勤形電車。製造は川崎重工業兵庫工場。

モノコック構造のいわゆる「卵型電車」系列群の1つで、2000系の急行用2200系にさらに改良を加え関西の鉄道事業者では初めて冷房装置を搭載した通勤用車両で、1969年(昭和44年)と1970年(昭和45年)に7両編成3本ずつの42両が製造された。

2200系に続く増備ならびに1000系(2代)の代替として1969年に登場した。2200系をベースとしながら冷房装置を搭載した設計で、1968年にロングシートの通勤車である京王5000系に冷房車が登場したのに続く、関西地区の通勤形車両では初めて冷房装置を搭載した車両となった。1969年と翌1970年に7両編成3本ずつの計42両が製造された。
営業開始は1969年12月であったため、実際に冷房装置を営業運転で使用したのは1970年5月15日が最初となった。


車体は2200系と同じく鋼製で、全長18.7mの両開き3扉車である。前面のデザインは、前照灯にシールドビームが採用された点、尾灯・標識灯も丸型から四角い形に変更されている点が、2200系と異なっている。
2200系をベースにしているため、性能的にはほぼ同じである。制御装置は、東洋電機製ACDF-H4155-576B(直列17段、並列13段、弱め界磁10段、発電制動34段)で、発電ブレーキ付きの抵抗制御、エアーブレーキもHSC-D(電磁直通空気ブレーキ)である。
架線電圧の600Vから1500Vへの昇圧を当初から前提にしており、電装品は昇圧に対応した複電圧仕様のものを使用していた。
2200系から変更箇所として、冷房装置の搭載が挙げられる。冷房装置は、分散式小型ユニットクーラーRPU-1509A(東芝製)を屋上に1両あたり8台搭載している。 1969年度(昭和44年度)に製造された前期の3編成(1次車)と1970年度(昭和45年度)製造の後期の3編成(2次車)では、冷房装置の外観が異なっており、後者は角が丸くなっている。
冷房用の大容量電動発電機が搭載されたことを生かし、その三相交流電源による容量の大きい暖房装置が取り付けられた。 2400系には導入当初、出力70kVAの電動発電機が2450形(50番台、Tc車)には2台、2450形(60番台、Tc車)と2550形(T車)には1台ずつ搭載されており、空気圧縮機は電動車に1台ずつ搭載されていた。
台車は、電動車(M車)はKS-76A(汽車製造)・付随車(T車)・制御車(Tc車)はFS-337E(住友金属工業(現・新日鐵住金→日本製鉄))に統一されている。
パンタグラフは、1次車は菱形のPT-4202Cが搭載されたが、2次車は下枠交差型のPT-4805Aが搭載された。下枠交差型パンタグラフは、京阪で初めて採用された。
本系列は、京阪では初めて運転台つきの電動車がなく、主電動機は中間車のみに装備されている。これにより、編成は中間に運転台を持たない7両の固定編成となった。これは通勤客の増大により収容力を増やす必要があったためと考えられている。
1次車は、竣工当時、正面に成田リコ式の貫通幌を装着していたが、固定編成であり分割併合の必要がないため、京都方は1970年代初頭、大阪方先頭車については1970年代後半に撤去された。2次車は側面方向幕を準備された状態で竣工した。また、営業開始後に列車無線装置が追加されている。
1次車については、屋上の滑り止めに由来する「砂地処理」が先頭車の前頭上部に施されていたが、2次車からはこれがなくなっている。1次車の砂地処理は1972年に取りやめられた。


車内の座席はロングシートである。混雑に対処するため、扉付近の立席スペースを2200系(1965年度以前の製造車)よりも広げた。反面、座席定員は減少しており(中間車4 - 6人、先頭車6人分)、定員1人あたりの座席幅も狭くなっている。当初の内装の色調は、京阪標準の緑系であった。網棚は、従来の繊維製から金属製になった。
1988年(昭和63年)から1991年(平成3年)にかけて改修工事が実施された。それ以前に実施された2200系の改修工事とは内容が大きく変化している。

制御装置はACRF-H8155-790Aに交換され、回生ブレーキ付きの界磁添加励磁制御となった。また補助電源装置には京阪線初のSIV(静止形インバータ)を採用した。
正面貫通開戸は外開きに改修され、大型ガラスを採用し正面行先表示器を設置した。本系列に正面行先表示器が設置されたことにより、京阪線では正面の方向・種別板が使用されなくなった。また尾灯のデザインも変更されている。
内装は、壁の化粧板を従来の薄緑色から6000系と同じベージュ系のものに張り替えた。
戸閉予告ブザー、ドア開時の自動放送装置を設置した。
続いて1000系でもこれに準じた改修工事が実施されており、1000系は一部の編成で車椅子スペースが設置されたが、2400系には車椅子スペースは設置されていない。
その後の小改造・新塗装化
2002年12月3日付で、第1編成 (2451F)のパンタグラフが、菱形のパンタグラフから、廃車された2600系から取り外した下枠交差形のPT-4805A-M改に交換された。
2003年5月から2004年7月にかけて、2400系全車に対して、転落防止幌の取り付けが行われた。
2004 - 05年頃に優先座席の背ずりをオレンジ色に交換し、カーテンにも「優先座席」の文字を追加している。
2008年度より京阪の新CIロゴの貼付が行われているほか、車体塗装の変更が実施されている。第一陣として2452Fが2008年12月24日付けで新塗装編成となり、2011年11月末現在2451F・2452F・2454Fの3編成が新塗装化された。本系列を含めた京阪線車両の塗装変更は2013年5月までに完了している。
2010年2月12日に2453Fが、同月19日に2452Fが、廃車となった2600系から流用された下枠交差型のPT-4805A-M改パンタグラフに取り替えられた。これにより、京阪線では菱型のパンタグラフは消滅した。
京阪では2014年から在来車の前照灯をシールドビームからLEDに交換する改造が行われている。2017年7月に2456Fが、2018年5月に2455F、2453F、2454F、7月に2451Fがそれぞれ前照灯をシールドビームからLEDに換装し8月にLEDに換装された2452Fを最後に2400系全6編成の前照灯のLED化改造が完了した。

川崎車輛が川崎造船・川崎航空機と合併して川崎重工業となった1969年製の2461・2553・2463号車は、同社が合併による新体制への移行の過渡期であったため、製造銘板は車外が「川崎重工」で車内が「川崎車輛」となっている。また、その逆に2462号車は、車内は「川崎重工業」であるが車外は「川崎車輛・昭和44年製造」のものが取り付けられている。
運用開始以来40年以上の間に、大規模な改修を受けて正面デザインや内装は変化しているものの、系列内の形式の変更や編成の組み直しは行われておらず、昇圧以前からの在籍車両では最も変化の少ない系列である。ただし、全般検査の際に一時的に編成を4+3両に分割して片方を2200系(非冷房時代から)や2600系(第29編成)と連結して運用した事例はある。

京阪2400系電車
基本情報
運用者 京阪電気鉄道
製造所 川崎重工業
製造年 1969年 - 1970年
製造数 6編成42両
主要諸元
編成 7両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1500V架線給電
最高運転速度 110 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
編成定員 1030人
車両定員 先頭車140人・中間車150人
編成重量 215.5 t
全長 18,700 mm
全幅 2,720 mm
全高 4,185 mm
主電動機出力 155 kW
駆動方式 平行カルダン駆動
歯車比 84:15 (5.6)
編成出力 2,480 kW
制御方式 界磁添加励磁制御
制動装置 回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ HSC-R
保安装置 K-ATS(出町柳 - 枚方市間)
京阪型速度照査ATS

金城ふ頭駅 名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)

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金城ふ頭駅(きんじょうふとうえき)は、愛知県名古屋市港区金城ふ頭3丁目(名古屋港名古屋地区金城埠頭)にある名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)の駅。同線の終点。駅番号はAN11

駅構造
島式ホーム1面2線を有する高架駅。ホームに安全対策としてフルスクリーンタイプのホームドアを設置している(海沿いにある当駅の立地を考慮し、風対策のため。他の駅はすべて可動式ホーム柵である)。バリアフリーの対応として2の入口とホームへの連絡階段に各1基、3基のエスカレーターを、またエレベーターを入口と改札内に各1基配置。

管理駅であり、巡回駅である野跡駅を管理している。

のりば
番線 路線 行先
1・2 ■あおなみ線 名古屋方面
ホームのにはホームドアが設置されています。

切符売場の券売機は5台。改札口の改札機は5台。管理駅で終日駅員が配置されています。

駅周辺
当駅は名古屋港名古屋地区金城埠頭に位置し、フリーマーケットやモーターショーが開催される名古屋市国際展示場(ポートメッセなごや)の東側にある。場所柄、住宅は見当たらない。土休日のみ、金城埠頭(リニア・鉄道館前)とガーデン埠頭を結ぶ水上バスが運航されている。

名古屋市国際展示場(ポートメッセなごや)
レゴランド・ジャパン・リゾート
レゴランド・ジャパン
レゴランド・ジャパン・ホテル
シーライフ名古屋
メイカーズピア
リニア・鉄道館〜夢と想い出のミュージアム〜
金城ふ頭中央緑地
テバオーシャンアリーナ
名古屋港金城埠頭港湾労働者福祉センター
ファニチャードーム本店
アンジェローブ名古屋 結婚式場
伊勢湾岸自動車道(名港トリトン)名港中央インターチェンジ
名古屋市営金城ふ頭駐車場
金城ふ頭線(名古屋市道金城埠頭線)
南京大路
メキシコ大通
ロサンゼルス大通


バス
あおなみ線開業前は名古屋市営地下鉄名港線(当時は名城線)名古屋港駅から築地口駅を経由する名古屋市営バスがポートメッセなごやまで走っていたが、あおなみ線の開業後は野跡駅またはフェリーふ頭までに区間が短縮されており、金城ふ頭内に名古屋市営バスは乗り入れない。そのため、名古屋港駅や築地口駅から金城ふ頭やポートメッセなごや方面に向かう場合は基本的に名古屋市営バスとあおなみ線が連絡している稲永駅や野跡駅で乗り換える必要がある。ただし国家試験などの大規模イベント開催時は臨時バスが名古屋港駅から、または名古屋港駅へ運行される場合がある。2017年4月1日のレゴランド・ジャパン開業に合わせアクセスバスが3路線新設された。これらのうち、つばめ自動車が運行しているみなとシャトルバスは名古屋港駅や築地口駅と金城ふ頭を結んでおり、名古屋市営バスより運賃が高いものの再び直接アクセスできるようになっていたが、利用者が伸びず2018年3月31日限りで廃止となっている。中部国際空港 - 金城ふ頭駅(ジェイアール東海バス) - 土日祝・大型連休のみ。桑名駅・長島温泉 - 金城ふ頭駅 - 中部国際空港(三重交通) - 既存の高速バス路線に停留所を新設。またジェイアール東海バスは2017年7月13日より京阪神昼特急静岡号も停車するようになり、2017年7月15日から「浜松→金城ふ頭・名古屋線」が新設される。

静岡駅(北口)・東名静岡 ~ 東名本宿 - 金城ふ頭駅 - 京都深草・大阪駅・USJ(京阪神昼特急静岡号)
浜松駅(北口)・東名浜名湖 ~ 東名本宿 - 金城ふ頭駅・名古屋駅(新幹線口)(浜松→金城ふ頭・名古屋線) - 概ね土日月祝・大型連休のみ
バスタ新宿 ~ 金城ふ頭駅・名古屋駅(ささしまライブ)(WILLER EXPRESS)
金城ふ頭駅・名古屋駅 ~ 高速長岡京・桃山台駅・WILLERバスターミナル大阪梅田(WILLER EXPRESS)


2004年(平成16年)
9月20日 - 沿線区住民対象の試乗会にて公開。
9月25日 - 名古屋市民対象の試乗会にて公開。
10月6日 - 開業。

金城ふ頭駅
きんじょうふとう
Kinjō-futō
◄AN10 野跡 (3.1km)
所在地 名古屋市港区金城ふ頭三丁目2
北緯35度2分55.8秒 東経136度50分56.6秒
駅番号 AN11
所属事業者 名古屋臨海高速鉄道
所属路線 西名古屋港線(あおなみ線)
キロ程 15.2km(名古屋起点)
駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 4,197人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 2004年(平成16年)10月6日
備考 終日駅員配置駅

鳥羽街道駅 京阪電気鉄道京阪本線 

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鳥羽街道駅(とばかいどうえき)は、京都府京都市東山区福稲下高松町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。駅番号はKH35。駅周囲は低層中心の住宅地で、これといった集客施設も無く、乗降客数は少ない駅です。

駅構造
相対式2面2線のホームを持ち、ガラスタイルが目立つ地平駅。駅舎は出町柳方面行ホーム淀屋橋寄りに設けられており、淀屋橋方面行ホームへは地下道で連絡している。

大阪方面ホームの東側にはJR奈良線が並行して通っているが、当駅付近にJRの駅はない。(隣の東福寺駅か伏見稲荷駅で乗り換えられる。)

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■京阪本線 上り 三条・出町柳方面
ホームには一部上屋があり昔ながらの造り付けの長椅子もあります。


2 下り 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面
※両ホームとも有効長は7両。

駅周辺
任天堂京都リサーチセンター(旧本社)
大羽記念病院→稲荷山病院
京都鳥羽道郵便局
新十条通(旧阪神高速8号京都線) 鴨川東出入口・稲荷山トンネル(駅南側の直下にトンネルが通っている。)


東福寺
光明院(虹の苔寺)
芬陀院(雪舟寺)。
九條陵(仲恭天皇陵。
月輪南陵。

バスのりば
京阪鳥羽街道駅には、バス路線は乗り入れていない。

最寄バス停:京都市バス・京阪バス(十条相深町停留所)
十条相深町
バス停は駅前ではなく、駅から西へ徒歩5分の師団街道沿いにある。
京都市バス
南5号系統:稲荷経由 竹田駅東口・横大路車庫前行/京都駅行
京阪バス
京都醍醐寺ライン 大石神社・小野駅・京都橘大学方面醍醐寺行/石田行
6A号経路 京阪中書島・新六地蔵橋・大受団地方面醍醐バスターミナル行/京都駅八条口行
新高速乗合バスのりば
十条駅タイムズ鴨川西ランプ(京都鴨川十条)
当駅から西へ徒歩10分ほどの河原町十条交差点南西角にある。京都市営地下鉄十条駅はさらに西へ徒歩約5分の場所に位置する。

その他
鳥羽・伏見の戦いで有名な鳥羽街道(旧千本通)は当駅から約2.6kmも西にある。にも拘らずこのような駅名が付けられたのは、1902年に当駅付近から鳥羽街道までの間を結ぶ新道(現在の十条通)が通じ、鳥羽街道に出ることが可能になったことから、その最寄り駅として命名されたためである。


東福寺の中心部へは東福寺駅からよりも当駅の方が近い。
東海道新幹線建設計画案の一つとして、敢えて京都駅を経由せずに当駅付近を通過するものが有力視されていたが、京都市などの地元自治体や地元財界などの猛反対を受けて、現在の京都駅を経由するルートに変更された


1910年(明治43年)4月15日 - 京阪本線開業と同時に設置。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
1945年(昭和20年)9月15日 - 輸送混乱防止のため休止。
1946年(昭和21年)5月11日 - 営業再開。


1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1968年(昭和43年)7月21日 - 構内地下道使用開始、構内踏切を廃止。
1969年(昭和44年)8月10日 - 列車接近自動放送装置を新設、使用開始。
2012年(平成24年)9月24日 - ホーム異常通報装置を設置運用開始。
2016年(平成28年)3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急のみ停車する時間帯が生まれた。

鳥羽街道駅
とばかいどう
Tobakaido
◄KH34 伏見稲荷 (0.6km)(0.9km) 東福寺 KH36►
所在地 京都市東山区福稲下高松町4番地
北緯34度58分23.4秒 東経135度46分11.74秒
駅番号 KH  35
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■京阪本線
キロ程 45.2km(淀屋橋起点)


電報略号 鳥(駅名略称方式)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 3,156人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)4月15日
備考 ホームの有効長は7両

鉄道信号機 

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鉄道信号機(てつどうしんごうき)は、鉄道の線路脇に設置されて前方の状況を運転士に伝える装置である。信号機は、運転士に列車が安全に進行できる速度を指示し、または停止を指示する。運転士は信号機の現示を確認してそれに従って運転を行う。信号機は指示を現示する。指示は複数の組み合わせであることもある。路線前方(閉塞区間)における列車の在線状況。列車が進行してよいかどうか。分岐器が正しく開通しているかどうか。どの進路が開通しているか。次の信号機の現示状況。列車の運行順序。

設置場所
閉塞区間の先頭
分岐器や跳ね橋のような可動物の手前
他の信号機の手前
踏切の手前
プラットホームやその他列車が停車する必要のある場所の手前
連動駅
鉄道路線は通常、信号機が連続的に設置されて制御されている。複線では通常、列車の進行方向が1方向に限定されるため、信号機の向きも1方向に向けて設置される。単線並列の区間では、両方の線路に双方向に信号機が設置される。側線や留置線・車両基地・操車場内での列車は信号機で制御されないが、車両基地や操車場と本線の出入り線などは制御されることが多い。

現示と指示
現示とは、信号機の見た目、表示状況であり、指示とは現示が意味する内容を指す。日本ではルートシグナルとスピードシグナルを兼ねて現示するのに対し、アメリカでは、信号機の指示に慣習的な名前が付けられており、例えば"Medium Approach"とは「中くらいの速度を超えずに前進して、次の信号機での停止に備える」という意味である。歴史的に鉄道事業者によりそれぞれ異なった意味が同じ現示に対して与えられているため、合併によって誕生した現代の鉄道事業者では、地域ごとに信号現示の解釈規則が異なることも珍しくない。
色灯式の信号機において、各灯火の色が全体の灯火組み合わせに包含されているという点は重要である。例えばアメリカにおいては、進行現示として赤の灯火の上に緑の灯火を表示するものが多い。この場合、赤の灯火は停止現示を意味するのではなく、現示の組み合わせ要素であるに過ぎない。灯火が消灯している場合など、現示が完全に表示されていない場合には、表示されているものから推測しうる最も制限の厳しい指示と受け取られる。
信号機は、設置されている位置から先の区間において、列車の動きを制御する。また、前方に設置されている信号機の状態に関する情報を伝える。信号機は、前方の分岐器や線路の区間を「防護する」(protect) と呼ばれる。前方の (ahead of)、という言葉はしばしば誤解を招くため、公式には外方 (in rear of)、内方 (in advance of) という言葉が用いられる。列車が信号機によって停止している時、その列車は信号機の外方におり、信号機によって防護されている区間(閉塞区間)が内方である。

信号機には絶対信号機 (absolute signal) と許容信号機 (permissive signal) の区別がある。絶対信号機では停止現示が出ている時にはそこから前進することは許されないが、許容信号機では停止現示が出ていても、手前で一定時間停止した後、低速で前進することが許されている。さらに、許容信号機の中には勾配信号機 (grade signal) として指定されるものがあり、この場合は停止現示でも列車は実際に停止せずに、いつでも停止できる程度の速度に落としてそのまま前進することが許される。これは重量貨物列車など、上り勾配区間で一度停止してしまうと再発進が困難な列車に対応するために設けられている規定である。連動装置によって制御されている信号機は一般的に絶対信号機であり、在線状況によって自動的に現示が変化するような信号機は一般的に許容信号機である。
運転士はどの信号機が自動的に現示変化するものであるかに注意を払う必要がある。イギリスでは、そのような信号機には黒い水平線を引いた白い四角の板が取り付けられている。そして、そのような信号機で停止現示に遭遇した場合、列車無線や信号機に備えられている電話で信号扱手と連絡を取ることができなければ、運転士の権限で先へ進むことができる。しかしながら、連動装置で制御されている信号機や準自動変化の信号機(黒い水平線の上に"semi"と書かれている)では、運転士だけの判断で進行することはできない。
自動車の信号機と違い、表示は運転士のためだけに行っている場合がある。このため、編成が長い列車の場合、乗客や外から見ている人には信号無視に見えるが異常では無い。(閉塞されるため先頭車両が通過するとその編成が残っていても赤信号となる。

 

植田駅 名古屋市営地下鉄鶴舞線

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植田駅(うえだえき)は、愛知県名古屋市天白区植田3丁目にある、名古屋市営地下鉄鶴舞線の駅である。駅番号はT17。

駅周辺は住宅地です。駅北側の2番出入口はバスターミナルに隣接しています。

駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地下駅。出入口は3ヶ所。

当駅は、鶴舞線駅務区八事管区駅が管轄している。

のりば
ホーム 路線 行先
1 Nagoya Subway Logo V2 (Tsurumai Line).svg 鶴舞線 赤池・豊田市方面


2 伏見・上小田井・犬山方面

切符売場の券売機は1台。

改札口の改札機は4台。ICカード専用機も1台設置されています。

広い改札内コンコースがあります。

駅周辺
公共施設
植田駅名古屋市営バスターミナル
植田公園
稲葉山公園
名古屋市天白スポーツセンター
天白警察署植田南交番
商業施設
植田商店街
コナミスポーツクラブ植田
コノミヤハローフーヅ べりーぐっど
フィールRISE 植田店
アオキスーパー 植田店
ドラッグユタカ 植田駅前店
B&Dドラッグストア 植田店
スーパーオートバックス 植田店
洋服の青山 名古屋天白店
ヴィレッジヴァンガード 本店
郵便局・金融機関
名古屋植田郵便局
三菱UFJ銀行植田支店
三井住友銀行天白植田支店
十六銀行天白支店
豊田信用金庫天白支店
JA天白信用植田駅前支店
企業・その他
ロムバス植田名鉄交通植田ビル
名鉄コミュニティサロン植田
音楽有線放送USEN受付センター 名古屋東支店
セコム 天白支社
グリコ乳業 中部支店
中部電力 天白営業所
中部電気保安協会 名古屋支部・名古屋南営業所
コープあいち 天白文化事業センター
日映文化ホール
植田八幡宮
教育施設
名古屋市立植田南小学校
名古屋市立植田東小学校
名古屋市立植田小学校
名古屋市立植田中学校
愛知県立天白高等学校
周辺道路・河川
名古屋第二環状自動車道 植田IC
国道302号(名古屋環状2号線)
国道153号(豊田西バイパス・飯田街道)
愛知県道56号名古屋岡崎線(飯田街道)
愛知県道59号名古屋中環状線
天白川
植田川

バス路線
名古屋市営バス「地下鉄植田」バスターミナル
乗り場、降車所とも2ヶ所ずつ。降車所は地下鉄の2番出入口に隣接している。

1番のりば
植田11:地下鉄植田〜地下鉄鳴子北(島田〜天白町菅田〜野並〜鳴海山下〜池上〜鳴子町 経由)
植田12:地下鉄植田〜地下鉄植田(西浦⇒元八事四丁目⇒塩釜口⇒植田山住宅北⇒植田寮⇒焼山⇒ 樋入 経由(右回り))
植田12:地下鉄植田〜地下鉄植田(塩釜口⇒北大坪⇒植田山住宅北⇒焼山 経由(右小回り))
植田12:地下鉄植田〜地下鉄植田(塩釜口⇒北大坪⇒植田一本松⇒樋入 経由(右内小回り))
鳴子11:地下鉄植田〜地下鉄鳴子北(西浦〜島田〜一ツ山住宅口〜相生山住宅 経由)
天白巡回:地下鉄植田〜地下鉄植田(天白図書館⇒天白福祉会館⇒島田⇒塩釜口⇒植田山住宅北⇒ 植田大久手 経由(右回り))
2番のりば
幹星丘2:地下鉄植田〜星ヶ丘(植田一本松〜焼山〜西山本通三〜名東本通二〜星ヶ丘住宅 経由)
星丘12:地下鉄植田〜星ヶ丘(平成橋〜植田大久手〜牧の原〜西山本通三〜名東本通二 経由)
植田12:地下鉄植田〜地下鉄植田(樋入⇒焼山⇒植田寮⇒植田山住宅北⇒塩釜口⇒元八事四丁目⇒西浦 経由(左回り))
植田12:地下鉄植田〜地下鉄植田(焼山⇒植田山住宅北⇒北大坪⇒塩釜口 経由(左小回り))
天白巡回:地下鉄植田〜地下鉄植田(植田大久手⇒植田山住宅北⇒塩釜口⇒島田⇒天白図書館⇒天白福祉会館 経由(左回り))

1978年(昭和53年)10月1日 - 開業。

植田駅
うえだ
Ueda
◄T16 塩釜口 (1.2km)(0.8km) 原 T18►
所在地 名古屋市天白区植田三丁目1001
北緯35度7分42.7秒
東経136度59分18秒
駅番号 T17
所属事業者 名古屋市交通局
(名古屋市営地下鉄)
所属路線 鶴舞線
キロ程 17.6km(上小田井起点)
駅構造 地下駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 8,877人/日(降車客含まず)
-2018年-
開業年月日 1978年(昭和53年)10月1日


北鈴蘭台駅 神戸電鉄有馬線

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北鈴蘭台駅(きたすずらんだいえき)は、兵庫県神戸市北区甲栄台四丁目にある神戸電鉄有馬線の駅。駅番号はKB07. 標高346 mに位置する。駅周辺の宅地開発に併せて戦後に設置された新しい駅です。

全種別停車駅であるが、ホーム有効長が4両編成までしか対応していないため、阪神・淡路大震災直後に運行した谷上駅行き5両編成列車は通過した。

現在再開発が計画されており駅ビルの改築、駅前広場の整備等を検討している。 事業完了は、2021年頃を予定している。

駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ橋上駅。駅舎、ホームともに掘割部分にあるため、改札・コンコースが地下1階、ホームが地下2階となっている。改札外に売店あり。

現在のような駅構造になったのは1980年で、それ以前は地上に小さな駅舎があり、ホームへは階段と跨線橋を通っていくようになっていた。

切符売場には券売機は4台。有人窓口があります。改札口の改札機は7台。

のりば
乗り場 路線 方向 行先
1  有馬線 下り 有馬温泉・三田方面

ホーム駅舎外部分は、上りのみ上屋が設置されています。
2 上り 新開地方面

駅周辺
駅前広場は整備されていません。
タクシー乗り場(神鉄タクシー)
神戸北鈴蘭台郵便局
三井住友銀行
りそな銀行(元・福徳相互銀行の店舗)
神戸北警察署
神戸弘陵学園高等学校
兵庫県立神戸甲北高等学校
兵庫県立神戸特別支援学校
神戸市立桜の宮小学校
神戸市立桜の宮中学校
神鉄食彩館(神戸電鉄直営のスーパー)
コープこうべ
地域医療機能推進機構神戸中央病院
春日病院

接続するバス路線
阪急バス
北鈴蘭台駅前停留所
20系統 若葉台4丁目→中央病院→惣山町1丁目循環
20系統 泉台7丁目行
22系統(中央病院経由)惣山町1丁目(止まり)
19系統 泉台7丁目行
19系統(中央病院・惣山町1丁目循環・山の街駅前・広陵町経由)→筑紫が丘5丁目
25系統 泉台7丁目行
神戸市立森林植物園無料送迎シャトルバス(1日8往復)


1970年(昭和45年)4月6日 - 有馬線の鈴蘭台 - 山の街間に新設開業。
1980年(昭和55年)9月 - 駅舎改築。
1981年(昭和56年)10月 - 2階建ての駅ビル竣工。
1994年(平成6年)10月 - エレベーターの設置等のバリアフリー化

北鈴蘭台駅
きたすずらんだい
KITA-SUZURANDAI
◄KB06 鈴蘭台 (1.9km)(0.9km) 山の街 KB08►
神戸市北区甲栄台四丁目1-13
北緯34度44分22.08秒 東経135度9分7.30秒座標: 北緯34度44分22.08秒 東経135度9分7.30秒
駅番号 ○KB07
所属事業者 神戸電鉄
所属路線 有馬線
キロ程 9.4km(湊川起点)
新開地から9.8km
駅構造 橋上駅(掘割)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 6,107人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1970年(昭和45年)4月6日

GRACEⅡ KPG RIVER CRUISE

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GRACEⅡ KPG RIVER CRUISE

KPG RIVER CRUISEは、美しい緑と高層ビル群が一体となった、四季折々の景観を楽しめる
大川をゆったりと1周する2時間のクルージングサービスです。日常の喧騒を忘れることができる、リゾート感あふれる優雅なリバークルーズ。エレガントな船内で本格イタリアンのコースを堪能できます。 時とともに刻々と移りゆく景色がパーティーをよりいっそう華やかに彩る。

GRACEⅡ
船内のBGMのご指定や音楽の生演奏、フロアレディのご手配なども可能

定員:最大26名様
[ 設備 ]
・トイレ:男女各1室 ・照明演出:あり
・大型モニター:あり ・音響設備:あり
・カラオケ:あり

【 乗降場所 】
若松浜公園船着場
〒530-0047
大阪府大阪市北区西天満2-1-18 若松浜公園船着場
(中之島ラブセントラル横)
大阪メトロ御堂筋線 淀屋橋駅より 徒歩4分
京阪中之島線 なにわ橋駅より 徒歩3分

木幡駅 京阪電気鉄道宇治線

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木幡駅(こわたえき)は、京都府宇治市木幡にある、京阪電気鉄道宇治線の駅。駅番号はKH74。

京阪の駅名は「こわた」だが、近隣にあるJR西日本奈良線の木幡駅は「こはた」と、それぞれ読み方が異なる。また、駅周辺の一部地名には「こばた」と読むものもある。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地上駅で、上下線ホーム双方の宇治寄りに小さな駅舎がある。平屋の駅舎です。宇治方面の改札口には早朝深夜を除き、駅員が配置されている。切符売場は窓口が閉鎖され、ボタン式の券売機が2台設置されています。改札口の改札機は3台。うち1台がICカード型です。

上下線ホームを結ぶ構内踏切があります。かつては宇治方面ホーム側と中書島方面へ行き来するための構内踏切があった。中書島方面ホームの改札口が朝の通勤時間帯以外使用されていなかったためだが、自動改札機の設置を機に中書島方面ホーム側の改札口も終日使用されるようになったため踏切は廃止され、駅構内においてホーム同士を行き来することは出来なくなった。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■宇治線 上り 中書島・淀屋橋・中之島線・出町柳方面


2 下り 宇治ゆき
案内サインは上記の通りであるが、上り列車は中書島駅までの運転のため、淀屋橋・中之島線方面と出町柳方面は中書島駅で乗り換える必要がある。なお、両ホームとも有効長は5両。


駅周辺
周辺は住宅が多い。

木幡駅(JR西日本奈良線) - 東に徒歩5分ほど。
宇治陵(藤原氏歴代の墳墓・37基の総称)
願行寺
木幡池
許波多神社
木幡緑道 - 木幡駅 (JR西日本)#歴史の項目を参照。
宇治警察署木幡(こはた)交番 - 駅南東にある。
京都医療少年院
京都府道7号京都宇治線
京都府立東宇治高等学校
宇治市立木幡中学校
洛陽第二幼稚園
宇治木幡郵便局
京都アニメーション(第2スタジオ)
パナソニックエレクトロニックデバイス キャパシタビジネスユニット
松殿山荘

1913年(大正2年)6月1日 - 京阪宇治線開業と同時に設置。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄の駅となる。
1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1951年(昭和26年)11月15日 - 改築。


1981年(昭和56年)4月6日 - 宇治行き駅舎建て替え、自動券売機を2基を新設、プラットホームに視覚障害者用誘導ブロックを新設。
1998年(平成10年)
2月27日 - 構内踏切を廃止。
4月 - 上下線各ホームに車イス用のスロープを設置

木幡駅 (京阪)
こわた
Kowata
◄KH73 六地蔵 (0.8km)(1.5km) 黄檗 KH75►
所在地 京都府宇治市木幡西中23番地
北緯34度55分32.39秒
東経135度47分46.07秒
駅番号 KH  74
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■宇治線
キロ程 3.9km(中書島起点)
電報略号 木(駅名略称方式)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 2,597人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1913年(大正2年)6月1日
乗換 JR奈良線(木幡駅)*
備考 * 公式な接続駅とはされていない

伏見桃山駅 京阪電気鉄道京阪本線

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伏見桃山駅(ふしみももやまえき)は、京都府京都市伏見区京町3丁目にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。駅番号はKH29 伏見区役所の最寄駅で、伏見随一の繁華街である大手筋商店街に隣接しています。


伏見区の中心部、大手筋に面しており、戦前は急行停車駅であった。しかし隣の丹波橋駅が奈良電気鉄道(現・近鉄京都線)との接続駅となったことから急行停車駅の座を譲り、さらに宇治線の分岐駅が土地買収などの関係で南隣の中書島駅となったこと、さらに駅南北を踏切に挟まれてホームの8両対応化が不可能であることから、準急を除く優等列車は通過している。

駅名にちなんでホーム屋根の柱や梁を桃色(ピンク)に塗られていた時期もあった。現在は京阪三条駅が「うすあけ(ピンク)色」を採用している。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地平駅で、改札とコンコースは地下に設けられている。なお、駅南側を通る油掛通側からの入場はできない。駅前の大手筋は東行き一方通行で、駅前広場などはない。

切符売場にはタッチパネル式の券売機が2台。改札口には改札機が5台。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■京阪本線 上り 丹波橋・三条・出町柳方面
2 下り 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面


この駅の南北を横切る、大手筋通と油掛通の間隔がホームの長さとなっており、ちょうど7両編成分しかない。また、このままでは8両編成への延伸は不可である。各駅停車 (普通列車と、準急行列車、守口市駅通過の通勤準急列車) しか停車しない。京阪本線で、有効長が8両編成に満たしていないのは、当・伏見桃山駅と、東福寺駅、鳥羽街道駅、藤森駅、墨染駅、そして淀屋橋駅2番のりばである。

なお、出町柳行きホームを南側に延伸するさい狭隘な敷地内に設置したためホーム幅が狭くなっており、比較的広い丹波橋側を利用するよう喚起する看板が設置されている。


駅周辺
100mほど東方には近鉄京都線の桃山御陵前駅(急行・準急が停車)がある。なお、両線の公式な連絡駅は隣の丹波橋駅となっている。

伏見桃山陵(明治天皇陵、桃山御陵) 乃木神社 寺田屋 伏見桃山城運動公園 御香宮神社(名水百選) 松本酒造 月桂冠大倉記念館 伏見十石船 キザクラカッパカントリー 三井住友銀行伏見支店 みずほ銀行伏見支店 京都銀行伏見支店 三菱UFJ銀行伏見支店 京都中央信用金庫大手筋支店 京都信用金庫伏見支店 伏見区役所 京都京町郵便局 ハローワーク伏見(伏見公共職業安定所) 国道24号 伏見大手筋商店街 京都府赤十字血液センター(献血ルーム伏見大手筋) 桃山駅(約600m東方) 東本願寺伏見別院 源空寺 京都リビングエフエム

路線バス
京阪伏見桃山駅には、現在バス路線は乗り入れていない。かつては駅付近(近鉄桃山御陵前駅前)に京阪宇治交通が京阪桃山バス停を設置していたが、1997年7月26日に廃止されている。なお京阪バスの発祥は当駅前と桃山御陵の間を結ぶ路線(のち廃止)で、当駅横の桃山京阪ビル前に「京阪バス発祥の地」の記念碑が建てられている。

最寄バス停:御香宮前(京都市営バス) / 桃山(近鉄バス) / 西大手筋(京都市営バス・京阪バス・京都京阪バス)
御香宮前
バス停は駅前ではなく、駅から徒歩3分の国道24号沿いにある。
京都市営バス
南8系統:(藤森神社経由)竹田駅東口行 / 横大路車庫行
桃山
京都市営バスの御香宮前と同位置である。
近鉄バス
10番:向島駅行
9番:竹田駅東口行
西大手筋
京都市営バス
19系統:(京阪国道経由)京都駅前 / 横大路車庫ゆき
20系統:宮前橋西詰ゆき(双方向ループ系統) / 京阪中書島・伏見港公園 横大路車庫ゆき
22系統:南工業団地 / 京阪中書島・伏見港公園、横大路車庫ゆき
81系統:(竹田街道経由)京都駅前 / 京阪中書島・伏見港公園、横大路車庫ゆき
特81系統:(竹田街道・竹田駅東口経由)竹田駅東口、京都駅前 / 京阪中書島・伏見港公園、横大路車庫ゆき
南3系統:竹田駅西口 / 京阪中書島・伏見港公園 横大路車庫ゆき
南8系統:(藤森神社経由)竹田駅東口 / 横大路車庫ゆき
京阪バス・京都京阪バス
6号経路:(京阪バス。洛南管轄) 竹田駅西口行 / 醍醐バスターミナル行
6A号経路:(京阪バス。洛南管轄) 京都駅八条口行 / 醍醐バスターミナル行
24号経路:(京阪バス。男山管轄) 竹田駅西口行 / 京阪中書島行
24A号経路:(京阪バス。男山管轄) 竹田駅西口行 / 京阪淀駅行
25号経路:(京都京阪バス) 京阪中書島行 / 近鉄大久保行



1945年に丹波橋駅での相互乗り入れが開始される以前は、この駅と桃山御陵前駅が京阪と奈良電気鉄道(→近鉄京都線)の連絡駅になっていた。また、当時は京阪線の急行は当駅に停車し、丹波橋は通過していた(丹波橋は1944年7月16日より急行停車を開始)。
京阪ザ・ストアの営業当時は、車内放送による到着駅案内放送のさい「京阪ザ・ストア前」と呼称していた。
中書島-丹波橋(1.4km)の立体交差の計画があるが具体化はしていない[11]。
伏見稲荷駅と混同しての誤下車があるため、改札口付近には注意喚起の表示がある。同様の表示は近鉄伏見駅にもある。


1910年(明治43年)4月15日 - 京阪本線開通と同時に伏見駅として開業。
1915年(大正4年)11月11日 - 伏見桃山駅に改称。
1916年(大正5年)4月1日 - 急行停車駅となる。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の駅となる。
1946年(昭和21年)2月15日 - 大戦末期に廃止されていた急行の運転が再開。
1949年(昭和24年)
8月1日 - 急行通過駅となる。
12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1962年(昭和37年)4月1日 - 駅東側に京阪スーパーマーケット桃山店開業。
1973年(昭和48年)12月9日 - 駅舎が地下化され京阪スーパー地階と直結される。
1991年(平成3年)10月5日 -京阪スーパーマーケット「京阪ザ・ストア桃山店」としてリニューアルオープン。
1999年(平成11年)
3月5日 -「京阪ザ・ストア桃山店」閉店。
12月23日 -京阪ザ・ストア跡が「京阪伏見桃山駅前ビル」としてリニューアルオープン。
2008年(平成20年)1月 - エレベーター2基新設、多目的トイレの設置などバリアフリー化工事が完了。
2009年(平成21年)12月 - ホームに異常通報装置設置。
2016年(平成28年)
3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急のみ停車する時間帯が生まれた。
10月31日 - コンコースに旅客案内ディスプレーを設置

伏見桃山駅*
ふしみももやま
Fushimi-momoyama
◄KH28 中書島 (0.9km)(0.7km) 丹波橋 KH30►
所在地 京都市伏見区京町3丁目173番地
北緯34度55分57.56秒 東経135度45分51.44秒
駅番号 KH  29
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■京阪本線
キロ程 40.6km(淀屋橋起点)
電報略号 伏桃(駅名略称形式)
駅構造 地上駅(地下駅舎)
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 10,074人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)4月15日
乗換 桃山御陵前駅**(近鉄京都線)
備考 * 1915年に伏見駅から改称
** 公式な乗換駅ではない。

京阪鋼索客車(2代目) 

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京阪鋼索客車(2代目)

京阪鋼索客車(けいはんこうさくきゃくしゃ)は、京阪電気鉄道の京阪鋼索線で使用されている鋼索式鉄道用客車。

1955年(昭和30年)に運用を開始した初代の車両(1号・2号)、2001年(平成13年)7月11日に運用を開始したのが2代目の1号・2号。


代目の車両(1号・2号)は、2001年(平成13年)に、旅客サービスと保安度の向上を図るため、約半世紀ぶりに新造された。製造メーカーは、川崎重工業である。同年6月14日に1号が、翌15日に2号が、それぞれ初代と入れ替わるように搬入されて、同年7月11日に営業運転を開始した。

車体前面は6000系以降の2枚窓デザインを踏襲しており、側面は初代と同じく片側5扉である。塗色は初代と同様のツートーンカラーを纏う。座席配置は、全て固定式クロスシートで、ケーブル八幡宮山上駅側の車掌台の横の一座席を除き、全て麓のケーブル八幡宮口駅側を向いている。これは、下山時に橋梁からの眺望を確保するためとしている。

2008年(平成20年)4月15日に京阪線の車両の塗装変更が発表されたが、この2両の塗装は対象外である。

京阪電鉄の車両には成田山不動尊のお札が取り付けられているが、鋼索線については初代客車より男山にある石清水八幡宮のお札が取り付けられている。

冷房装置を搭載していないため、夏季にはケーブル八幡宮口駅とケーブル八幡宮山上駅に「ひえゾウくん」と名付けられた冷風機が設置され、停車中の車内に冷風を送り込んでいる。

2019年(令和元年)6月19日から「陽(赤)の遣い」「月(黄)の遣い」をコンセプトに「片方が昇ると片方が下るケーブルカーを『太陽』と『月』に見立てた車両デザイン」に外装・内装とも変更して運行、太陽の光・石清水八幡宮の社殿の朱色・京阪特急の赤色(カーマインレッド)をイメージした赤い車両(1号)に「あかね」、月の光・石清水八幡宮の社殿の金色・京阪特急の黄色(マンダリンオレンジ)をイメージした黄色の車両(2号)に「こがね」の愛称を設定する。

伏見稲荷駅 京阪電気鉄道京阪本線

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伏見稲荷駅(ふしみいなりえき)は、京都府京都市伏見区深草一坪町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。駅番号はKH34。伏見稲荷大社への最寄駅のひとつで、正月三が日は臨時出札口、臨時改札口が開設される駅です。

伏見稲荷大社へは駅から5分程度の距離にある。なお稲荷大社へはJR奈良線の稲荷駅の方が近い(徒歩すぐ)。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地上駅。上下ホーム別々に改札がある上に構内地下道が備えられていないため、改札内で互いのホームを行き来することはできない。

上下線とも、通常改札口はホーム丹波橋寄りに、臨時改札口はホーム中ほどに設けられている。トイレは上下線ホームとも改札内にあり、下りホームにはオストメイト対応の多目的トイレも設置されている。

駅のホームの柱や柵は朱色に塗られている。淀屋橋方面切符売場にはタッチパネル式の券売機が2台とICカードチャージ機が1台設置されています。一方、出町柳、那岐方面切符売場にはタッチパネル式の券売機が3台です。

2007年6月の運行管理システム更新に合わせる形で、急行停車駅では最も遅く詳細放送が導入された。同時にLED式列車案内も設置されている。

新たに2017年7月より駅のリニューアル工事に着手し、12月末に完成した。淀屋橋方面駅舎は伏見稲荷大社の千本鳥居をイメージした朱色の列柱が配されています。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■京阪本線 上り 三条・出町柳方面


2 下り 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面
両ホームとも有効長は8両。但し当駅での緩急接続や待避はできないので、当駅停車列車は南隣の龍谷大前深草駅で待避のみ行っているが、現在は大幅に減少している。

当駅は急行停車駅であるが、当駅に停車する急行の運転は午前中・夜のみであり、主な停車列車は通勤準急以下の種別に限られる。ただし、正月期間では参拝客輸送をさばいて急行を終日運転する特別ダイヤを編成して利便性を確保している。なお、当駅への特急の臨時停車は例年行われていない。

また、JR奈良線稲荷駅でも同様に、正月三が日及び1月4日に限り、みやこ路快速を臨時停車させて乗客をさばいている。

駅周辺
伏見稲荷大社 全国にある稲荷神社の総本宮。
稲荷駅(JR奈良線):東へ徒歩5分ほど。
京都市立伏見工業高等学校
伏見稲荷郵便局
琵琶湖疏水

バスのりば
京阪伏見稲荷駅前には、バス路線は乗り入れていない。

最寄バス停:京都市バス稲荷大社前
稲荷大社前
バス停は駅前すぐではなく、駅から50メートルほど西の師団街道沿いにある
京都市バス
南5号系統:竹田駅東口・横大路車庫行/京都駅行
急行105号系統:竹田駅東口・横大路車庫前行/京都駅前行
京阪バス
6A号経路:醍醐バスターミナル行/京都駅八条口行
勧進橋
駅から750m西方の国道24号線上にある
京都市バス
81系統:横大路車庫前/京都駅前行

開業当時は伏見稲荷の表参道に近い現・龍谷大前深草駅が稲荷駅を称したが、当初の駅名にある新しい参道が神社に近かったことから1年経たない間にこちらが伏見稲荷の玄関口となった。非常に古い時期から伏見稲荷大社の千本鳥居にちなみ駅の柱を朱塗りにしていたが、太平洋戦争中の一時期・爆撃の目印になるという事で目立たない色に塗り替えられたことがある。

また、駅の南側にあった京都市電稲荷線との平面交差では1931年に800型(元琵琶湖鉄道汽船100形)801F2連の急行が木造の京都市電29号の側面に衝突して市電は全損廃車。1934年にも急行電車が京都市電の側面に衝突して20m以上引きずり死傷者20名以上を出す事故を起こした。1935年に「事故で廃車になった京都市電の事故車弁済として石山坂本線で使われていた80型 (初代)89号車が京都市電に引き渡された」とする記録もある。しかし、どちらの事故の代物弁済かは参考文献の鉄道誌によりそれぞれ1931年の事故、1934年の事故、と解説されており詳細は不明である。その後、大阪行き線路の駅ホームと伏見稲荷踏切の間と京都行き線路の平面交差と深草駅の間に脱線転轍機が設けられ、1960年3月には京阪電車が脱線して衝突を免れたことがあったが、1965年11月28日に信号機故障が原因とする京阪電車と京都市電との衝突事故が発生している[1]。 平面交差では絶縁区間もあって特急電車も時速25kmに徐行し、ダイヤ上のネックの一つとなっていた。

1910年(明治43年)
4月15日 - 稲荷新道駅として開業。
12月16日 - 稲荷駅に改称。
1916年(大正5年)4月1日 - 急行停車駅となる。
1928年(昭和3年)11月5日 - 濃霧により京都市電稲荷線と平面交差で衝突事故発生。
1931年(昭和6年)7月19日 - 京都市電稲荷線と平面交差で衝突事故、負傷者多数・市電大破廃車。
1934年(昭和9年)7月2日 - 京都市電稲荷線と平面交差で衝突事故、死傷者20名以上・市電大破廃車。
1939年(昭和14年)12月25日 - 稲荷神社前駅に改称。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
1946年(昭和21年)2月15日 - 急行の運転が再開され急行停車駅。
1948年(昭和23年)1月1日 - 先に官幣大社稲荷神社が伏見稲荷大社と改称したことに伴い、伏見稲荷駅に改称。
1949年(昭和24年)
8月1日 - 急行停車駅が整理され、急行通過駅になる。
12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1951年(昭和26年)4月2日 - 戦後一時期通過となっていた急行の停車を再開。
1965年(昭和40年)11月28日 - 京都市電稲荷線と平面交差で信号機故障を原因とする衝突事故発生。
1970年(昭和45年)4月1日 - 駅の南方の京都市電稲荷線と平面交差を稲荷線廃止に伴い廃止撤去。
1986年(昭和61年)6月 - 駅舎改築工事、ホーム屋根の延長工事が竣工。
1987年(昭和62年)6月1日 - 8連化のためのホームを北側へ延伸、急行が8連化使用開始。
1989年(平成元年)4月 - 京都行きホームの屋根152m化。
2001年(平成13年)10月18日 - 大阪行きホームに「オストメイト用流し」付き多目的トイレを設置。
2007年(平成19年)
3月31日 - 伏見稲荷駅バリアフリー化工事完了(スロープ改良・車イス対応券売機・幅広自動改札機・点字運賃表と点字構内図、多目的トイレ、駅事務所にAED設置)。
12月 - 翌年の正月期に間に合うように、3代目おけいはんのCM撮影に使用される。
2008年(平成20年)10月19日 - 中之島線開業に伴うダイヤ改正により当駅停車の急行が大幅に減少し、準急停車駅とほぼ大差ない停車本数に。
2012年(平成24年)9月24日 - ホーム異常通報装置を設置運用開始。
2016年(平成28年)
3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急のみ停車する時間帯が生まれた。
6月11日 - 自動定期券発行機を廃止(代替として深草駅に同日設置。)。
10月31日 - コンコースに旅客案内ディスプレーを設置。
2017年(平成29年)
4月5日 - 中書島・枚方市・淀屋橋方面駅舎にいなり寿司専門店「伏見稲荷 千本いなり」がオープン。
12月22日 -京阪の駅構内に外貨自動両替機を設置。
12月末 - 駅舎のリニューアル工事竣工使用開始。


伏見稲荷駅
ふしみいなり
Fushimi-inari
◄KH33 龍谷大前深草 (0.5km)(0.6km) 鳥羽街道 KH35►
所在地 京都市伏見区深草一坪町33番地
北緯34度58分7.54秒 東経135度46分9.58秒
駅番号 KH  34
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■京阪本線
キロ程 44.6km(淀屋橋起点)
電報略号 伏稲(駅名略称方式)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 11,166人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)4月15日
乗換 稲荷駅**(JR奈良線)
* 改称経歴
- 開業8ヵ月後 稲荷新道駅→稲荷駅
- 1939年 稲荷駅→稲荷神社前駅
- 1948年 稲荷神社前駅→伏見稲荷駅
** 公式な乗換駅ではない。

中書島駅 京阪電気鉄道

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中書島駅(ちゅうしょじまえき)は、京都府京都市伏見区葭島(よしじま)矢倉町にある、京阪電気鉄道の駅。宇治線の分岐駅で特急列車も停車します。駅番号はKH28

利用可能な鉄道路線
京阪電気鉄道
京阪本線
宇治線 ※始発駅

駅名の由来
文禄年間、中務少輔に任官していた脇坂安治が宇治川の分流に囲まれた島に屋敷を建て住んだことから、「中書島」の名前が生まれたとされる。中務少輔の唐名が「中書」であったことから、脇坂は「中書(ちゅうじょう)さま」と呼ばれていた。その「中書さま」の住む屋敷の島という理由で「中書島」と呼ばれるようになった。

正式な地名には使用されておらず、駅の所在地の葭島矢倉町のほかに北浜町・西浜町・東柳町などが中書島とよばれる区画に属している。

駅構造
相対式ホームの間に島式ホーム1面がある3面4線の地上駅。正面の北口、2階建てのコンクリート造駅舎です。駅舎は南北双方(北改札は1番線、南改札は4番線の、それぞれ淀屋橋寄り)にあり、各ホームは跨線橋と地下道で連絡している。跨線橋と各ホームを結ぶエレベーターもある。

北口改札に改札機は4台。有人通路はシースルー式。北口切符売場にはタッチパネル式の券売機が3台設置されています。

1番線上にコンビニ(アンスリー)が、2・3番線にはうどん屋「麺座」とアンスリー(2015年3月上旬に従来型の売店「セカンド・ポシェ」からリニューアル)がある。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■京阪本線 上り 丹波橋・三条・出町柳方面
2 下り 枚方市・京橋・淀屋橋・中之島線方面
3・4 ■宇治線 六地蔵・黄檗・宇治方面
宇治線の列車は原則3番線を使用し、4番線は早朝のみ使用する。また、京阪本線も含めた3方向の入線・出発に対応している。

駅構内は急カーブ上に位置し、線路も1番線寄りに急傾斜している。1962年に脱線事故があった記録もあり、3番線発着の列車はかなり減速した上で駅構内へ進入する。なお、宇治線の列車は後述の宇治側の留置線の辺りから駅構内にかけて15km/hで走行する。
ホームから東(宇治寄り)に20m程進んだ所に宇治線を挟んで2線の留置線があり、北側の留置線は5両編成の車両が、南側は7両編成の車両が留置出来る。また、4番線の大阪側にも8連対応の留置線が1線設けられており、臨時特急に運用される8000系30番台が待機したこともあった。
宇治より南側留置線の本線進入部分には社員用駐車場への踏切が設けられている。かつてはその場所に伏見港までの引込み線が存在した。これは第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)に、B-29の爆撃で交通網が分断された場合に備え、他の交通機関との連携強化ために敷設されたとされる(京都市電の側線も造られた)。なお、終戦後の1946年(昭和21年)で1951年(昭和26年)には撤去されている。


2006年からは淀駅高架化工事により、淀駅の下りホームの位置変更が行われた.そのため、淀発の下り列車は原則一度当駅の4番線に入り、そこから淀駅に向かうこととなった。その際、4番線の宇治よりに7・8両用の乗務員専用小型ホームが設置され、淀発下り準急と臨時列車運転時に使われた。なお、高架化工事完了後、淀駅で直接折り返すことができるようになり、淀での折り返し列車は当駅まで出向いて折返す必要がなくなったため、この小型ホームも撤去された。
2・3番線は同一平面上にあるため、本線下り列車と宇治線列車の相互乗換は容易で、1・2番線は8両編成、3・4番線は5両編成まで停車できる。(3番線は2番線と隣同士でスペースはあるが、ポイント事情のため柵がある)当駅以北では8両編成の各駅停車(普通列車・準急行列車・守口市駅通過の通勤準急列車)は全くない。(ただし、当駅0時17分に発車する特急三条行きは三条駅から普通出町柳行きとなる。)
宇治線系統の列車が朝方のみ使用する4番線はもともと宇治線から京阪本線に直通する三条・出町柳行き列車用のホームであった。2000年に宇治線と京阪本線の直通列車が当駅を境に系統分割された後も当駅折返し三条・出町柳行ホームとして使用されていたが、2003年秋のダイヤ改正で当駅折返し列車は平日1往復となり、さらに2006年春のダイヤ改定以降、当駅折返し列車が全廃された。4番線は南改札口設置直後は「当駅始発 三条・宇治方面」の記載であったが、しばらくして「当駅始発(早朝のみ)」という表示に変わった。しかし、現在発着する列車は宇治線列車と回送列車のみとなったため、2008年にLED式に更新された発車案内では、3番線と同じく「宇治線 六地蔵・宇治方面」と記載されている。


発車メロディ導入駅であり、宇治行きの場合、発車案内放送が通常のものとは違うタイプである。2003年のダイヤ改正時点では「3(4)番線の各駅停車が発車します」となっていたが、その後「3(4)番線の宇治行きが発車します」、そして2007年6月の自動放送更新後は「3(4)番線、宇治行きの、扉が閉まります。ご注意下さい。」となった。同じようなタイプの放送は枚方市駅(私市行き)、京橋駅及び天満橋駅(淀屋橋行きと中之島行き)にも見られる。京阪本線のホームは計2線であるが、宇治線の起点駅でもあるため京阪本線ホームでも発車メロディが使用されている。
1番線ホームの出町柳寄りの壁面にある駅名標には宇治線の次駅である観月橋駅が案内されているが,1番線からは宇治線に入線できない。

駅周辺
舟宿・寺田屋
橋本同様、戦前までは遊廓があり賑わった。現在は駅前に飲食店が軒を連ねるものの、かつての名残は遊廓だった一部の建物が民家として残るのみ。

新日本理化京都工場
伏見港公園
寺田屋(幕末、坂本龍馬が定宿し、また寺田屋事件の舞台になった老舗旅館である)
長建寺
モリタ製作所
月桂冠大倉記念館
キザクラカッパカントリー
宇治川派流(濠川)
三栖閘門
十石舟 - 濠川の遊覧船
京阪電気鉄道伏見変電所

バス路線
京阪中書島
京阪バス/京都京阪バス/京阪京都交通
6,6A号経路:醍醐バスターミナル行(桃山南口・大受団地経由)
24,24A号経路:竹田駅西口行/京阪淀駅行
25系統:近鉄大久保行(まちの駅イオン久御山店前・久御山団地経由)
立命館大学びわこ・くさつキャンパス(BKC)/龍谷大学瀬田キャンパス行
京阪中書島・伏見港公園
81号系統ののりばは京阪中書島(南口)から徒歩3分の伏見港公園そば、他の系統ののりばは駅南側ロータリー内にある。
京都市バス
20号系統:京阪淀駅方面(免許試験場前経由、南横大路経由)
22号系統:南工業団地行(久我経由)
81号系統:京都駅前行(竹田街道経由)
南3号系統:竹田駅西口行
南8号系統:竹田駅東口行(桃陵団地前経由)
中書島
京阪中書島駅(北口)から徒歩3分の府道上にある。
京都市バス
19号系統:京都駅行(京阪国道経由)/横大路車庫行
20号系統:京阪淀駅方面(免許試験場前経由、南横大路経由)/横大路車庫行
22号系統:南工業団地行(久我経由)/横大路車庫行
81号系統:京都駅行(竹田街道経由)/横大路車庫行
105号系統・南5号系統:京都駅行(稲荷大社前経由)/横大路車庫行
南3号系統:竹田駅西口行/横大路車庫行
南8号系統:竹田駅東口行(桃陵団地前経由)/横大路車庫前行(大手筋通経由)
京阪バス/京都京阪バス
6,6A号経路:竹田駅西口行/京都駅八条口行/醍醐バスターミナル行(桃山南口・大受団地経由)
24,24A号経路:竹田駅西口行/京阪淀行。
25系統:近鉄大久保行(まちの駅イオン久御山店前・久御山団地経由)


北口を出た北側には、京都市電伏見線の乗り場が1914年から1970年まであり、市電廃止後は代替の市バスをはじめとするバス乗り場として使われていた。バス乗り場だった当時は、転回するスペースがないため、ターンテーブルが設置されていた。その後バスが経由しなくなり一時空き地となっていたが、現在は有料駐輪場スペースとして活用されている。
本線から宇治線への乗り換え案内は、以前は「六地蔵・黄檗・宇治方面」と呼称していたが、2003年以降は「宇治線」とだけ呼称している。
4番線は2004年頃に2代目おけいはん(新撰組編)のCM撮影に使われたことがある。
乗降客数が10296人と京阪本線特急停車駅では最も少なく[28]駅前の商店街の利用客も少ないため、商店の女将たちが集まり女性の視点で中書島を活性化させようと活動している



開業時・駅横に変電所が造られ、伏見港との接続。大正時代には宇治線の開通と京都電気鉄道伏見線の開業、急行運転の開始と共に急行停車駅となる。太平洋戦争末期には他の交通機関との連絡をするためにと伏見港への側線が建設されている(完成は戦後)。戦後・現在の中央の島ホームの京都向きに凹形の折り返しホームがあった。また1969年には踏切集中監視制御システムの中央装置が設けられる。平成になると特急停車駅に格上げされ、中書島事務所が竣工(ADECと電力管理システム中央装置の更新、緊急地震警報システム導入)、と京阪の京都側の交通の要所として発展してきた。

1910年(明治43年)4月15日 - 京阪本線開通と同時に開業。
1913年(大正2年)6月1日 - 京阪宇治線開業。駅を移設して乗換駅となる。
1914年(大正3年)8月25日 - 京都電気鉄道伏見線(1918年7月1日より京都市電)が当駅まで延伸。
1916年(大正5年)4月1日 - 急行停車駅となる。
1917年(大正6年)10月1日 - 大正水害により淀-中書島駅間の堤防破損ほかで京阪本線・宇治線が不通。10月11日三条-中書島間運転再開。同月18日淀-中書島駅間が復旧、運転再開。


1939年(昭和14年)2月21日 - 駅信号扱所が原因不明の火災で全焼
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
1947年(昭和22年)4月30日 - 伏見港修築に伴う新設貨物線竣工。
1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1951年(昭和26年)5月15日 - 一部配線変更。
1964年(昭和39年)10月22日 - 駅構内で普通列車脱線事故発生。
1965年(昭和40年)2月25日 - 3番線ホームを廃止。
1967年(昭和42年)1月28日 - 構内地下道使用開始、構内踏切を廃止。それまでの4番線→3番線、5番線→4番線に呼称を変更。
1969年(昭和44年)3月 - 踏切集中制御装置の中央装置を設置。
1970年(昭和45年)4月1日 - 京都市電伏見線(塩小路高倉~中書島)が廃止。
1975年(昭和50年)4月3日 - 駅舎改造工事竣工。
1984年(昭和59年)6月2日 - 駅舎改築使用開始。
1985年(昭和60年)4月17日 - 2番線ホーム下にホーム転落検知装置を設置し運用開始。
1989年(平成元年)9月27日 - 構内跨線橋完成。
1991年(平成3年) 7月 - 1番線ホーム、2.3番線ホームに冷房付き待合室運用開始。
1993年(平成5年)1月30日 - ダイヤ改正で平日朝ラッシュの淀屋橋行き特急6本に限り停車するようになる。なお出町柳行きは引き続き全列車通過。
1995年(平成7年)12月27日 - 1番線ホーム上の待合室が移動しリニューアル冷暖房完備。
1996年(平成8年)4月1日 - 構内跨線橋とホームの間にエレベーター3基を設置運用開始。
2000年(平成12年)7月1日 - ダイヤ改正で特急終日停車駅となる。宇治 - 三条(出町柳)間の直通列車がほとんど廃止されたことに伴い、昼間時に4番線発着の中書島 - 三条(出町柳)間区間運転列車が設定される(事実上、宇治直通列車の系統を当駅を境に分割した形)。
2003年(平成15年)9月6日 - 中書島 - 三条(出町柳)区間運転列車が平日朝の1本のみとなり、4番線発着列車が大幅減少。
2004年(平成16年)8月9日 - 駅南側にバスターミナル開設に併せて、南改札口新設。
2005年(平成17年)5月30日 - 駅前広場完成。
2006年(平成18年)4月16日 - 中書島 - 三条(出町柳)区間運転列車がダイヤ改定で全廃、淀駅の仮移転に伴う臨時電車の待機場所に4番線が使われるようになる。
2006年(平成18年)4月16日 - 中書島事務所が竣工(ADECと電力管理システム中央装置の更新、緊急地震警報システム導入)。
2008年(平成20年)
2月 - 「ホーム異常通報装置」新設。
3月27日 - 各ホームにLED列車案内表示機を設置。
2012年(平成24年)4月 - 駅舎リニューアル工事竣工「けいはんインフォステーション」を新設。
2013年(平成25年)8月5日 - 2番線の足下灯をLEDライトに更新。
2016年(平成28年)
3月15日 - 事故情報などをリアルタイムに知らせる「旅客案内ディスプレー」を設置。
3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用がなくなり、準急・特急のみ停車する時間帯が生まれた。


中書島駅
ちゅうしょじま
Chushojima
所在地 京都市伏見区葭島矢倉町59番地
北緯34度55分36.77秒 東経135度45分36.07秒
駅番号 KH  28
所属事業者 京阪電気鉄道
電報略号 中書(駅名略称方式)
駅構造 地上駅
ホーム 3面4線
乗降人員
-統計年度- 11,912人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)4月15日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■京阪本線
キロ程 39.7km(淀屋橋起点)
◄KH27 淀 (4.4km)(0.9km) 伏見桃山 KH29►
所属路線 ■宇治線
キロ程 0.0km(中書島起点)
(0.7km) 観月橋 KH71►


京阪9000系電車

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京阪9000系電車(けいはん9000けいでんしゃ)は、1997年(平成9年)に登場した京阪電気鉄道の通勤形電車。朝ラッシュ時の特急の枚方市駅停車に伴う混雑の緩和および輸送力増強、さらには遠距離通勤者に対する着席サービスの提供を目的として1997年に8両編成5本(40両)が新製された[。ラッシュ時の特急(臨時運用を含む)と通勤形が使用される急行から普通までの運用の双方に使用できる汎用形(近郊形の一種ともいえる)として、側扉は片側3か所、車内の座席配置はセミクロスシートで製造された。

車体や電装品は7200系をベースとしている。車体はアルミ製で、前面デザインも7200系をベースとしているが、7200系と比べると、車端部側の扉が100ミリメートルずつ端に寄っており、窓の寸法も異なっている。また、編成の構成も異なっており、簡易運転台の数、一部の搭載機器が異なる。カラーリングは従来の通勤形をベースとしているが、本系列は「特急兼用車」という位置付けであり、在来の通勤形車両と区別するために、緑2色の境目にパステルブルーのラインが入っていた。制御装置はGTOサイリスタ式のVVVFインバータ制御である。台車は、電動車が軸梁式のKW77C、付随車がFS517Cである。本系列の特徴であったクロスシートは8000系と違い転換式ではなかったことや、本系列独特の座席配置が特に京阪間直通客には不評であったことから、まず、2002年に9005Fの中間車両のうち付随車4両が試験的に10000系タイプのオールロングシートに改造された。改造に際しては、車椅子スペースの補助席も撤去されている。また、同時に転落防止幌も設置されている。

2008年10月19日の中之島線開業に伴う、転換クロスシートを備えた3000系(2代)の投入にあわせたカラーデザイン変更において、本系列は3ドア・ロングシートの一般車両(シティ・コミューター)の一翼を担うこととなり、まず前述の9005Fが、2008年12月5日に塗色変更のうえ全座席がバケット型ロングシートに改造され、以後、2009年3月19日に9001F、同年7月23日に9002F、同年9月10日に9004F、2010年1月21日に9003Fがそれぞれ改造と塗色変更を実施され、完全な通勤形車両となった。なお、改造の際に撤去されたクロスシートは寝屋川車庫で開催される「ファミリーレールフェア」で一般向けに販売されたほか、伊賀鉄道200系電車(元東京急行電鉄1000系)の座席にも転用された。また、改造の際に、パワーウィンドウ、ドアカットスイッチが撤去された。改造2本目の9001F以降は、ドアカット表示器(各車両中央扉脇)の撤去も行われ、後に9005Fも撤去された。

1997年3月22日のダイヤ改定では、朝ラッシュ時の枚方市停車の淀屋橋行特急に集中運用され、昼間時でも急行などとして幅広く運用されていた。運用開始当初は、枚方市駅停車の淀屋橋行き特急以外の特急として充当される際は各車両の中央扉のみドアカットを行い、2扉車として運用していた。

1999年から2003年まで、淀屋橋 - 淀間で運行されていた京都競馬場観戦客向け臨時列車「淀快速ターフィー号」に充当されたこともある。また2003年までの正月ダイヤでは8000系がフル稼働となったために代用特急での運用もあった。

2003年9月6日のダイヤ改定で昼間時の特急が10分毎に増発され、停車駅に枚方市と樟葉が追加された。それに伴い8000系および旧3000系では昼間時の特急の全運用を賄いきれないこととラッシュ時と昼間時の列車の移り変わりの運用の関係から平日朝ラッシュ時は主にK特急で運用され、昼間は主に特急として運用されていた。日中の特急のうち3本に1本の割合で本系列での運用が割り当てられ、その他の時間帯は淀屋橋 - 出町柳間運転の急行を中心に運用され、準急や普通の運用に就くものもあった。なお、特急のドアカットの取り扱いは中止され、常時3扉の状態で運用されることとなった。同時に座席モケットの更新も実施され、従来とは違うバケットタイプのものに変更された。

2006年4月16日改定時点では5本中4本がラッシュ時の下りK特急に運用されていたが、当時は全編成セミクロスシート車であるため、出町柳を7:00 - 7:30の間に発車する最混雑時間帯の下りK特急3本はロングシート車が、その直前および直後を走る3扉のK特急4本に9000系が充当される運用であった。また、残りの1本も予備車の活用スジとして、寝屋川車庫から普通として出庫し、淀屋橋 - 出町柳間を上り急行→下り特急と1往復した後に再び車庫に戻る運用に就いている。その後、4本が日中の特急運用のほか、車両運用の都合上枚方市 - 淀屋橋間の急行1往復にも充当されるなど、ほぼフル稼働で運用されているので実質的に予備車が存在しなかった。そのため、検査や部品交換の時期になると6000系や7200系(8両編成のみ)による代走が特定の特急運用において行われていた。

2008年10月19日改定以降、全線通しの特急運用は朝と夕方以降のみに縮小され、朝の時間帯は主に3扉車特急・快速急行系優等種別運用の8両編成グループの一員に組み込まれることとなった。また、ロングシート化工事の進展に伴い2009年9月12日改定以降は本系列の限定運用が解除され、6000系・7200系の8両編成との完全な共通運用が組まれることとなった。このため、平日昼間および土曜・休日ダイヤの大半の時間帯には樟葉以東ではあまり運用されなくなっている(3000系の入場時の特急への代走による充当程度)。

9001F - 9004Fは、前述のとおり7両編成化されたことに伴い、特急運用に就くことはなくなっているが、8両編成時代は比較的少なかった準急、普通運用に入ることが増え、京都口に入線することも増えている。ただし8000系がプレミアムカー改造のため7両編成で運用されていた時期には、8000系の運用の状況によってごく稀ではあるが特急運用に入ることがあった。
中之島線開業初日には初の特急枚方市行きに9001F、深夜急行に9002Fが充当された。

京阪9000系電車
基本情報
運用者 京阪電気鉄道
製造所 川崎重工業
製造年 1997年
製造数 5編成40両
主要諸元
編成 8両・7両編成
軌間 1,435 mm (標準軌)
電気方式 直流1,500V
(架空電車線方式)
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.8 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.3 km/h/s
編成定員 994人(セミクロスシート車)
車両定員 先頭車119人・中間車126人(セミクロスシート車)
自重 23.5 - 32.0 t
編成重量 221.0 t (空車時)
全長 先頭車 18,900 mm
中間車 18,700 mm
車体長 先頭車 18,400 mm
中間車 18,200 mm
全幅 2,780 mm
車体幅 2,780 mm
全高 4,185 mm
車体高 パンタグラフ搭載車 4,185 mm
その他の車両 4,086 mm
台車 川崎重工業KW-77C 軸梁式ダイレクトマウント空気ばね台車
付随車:住友金属工業FS517C SUミンデン式ダイレクトマウント空気ばね台車
主電動機 東洋電機製造製TDK-6151-A形かご形三相誘導電動機
主電動機出力 200 kW
駆動方式 TD継手平行カルダン駆動
歯車比 85:14 (6.07)
編成出力 3,200 kW
制御方式 GTOサイリスタ素子VVVFインバータ制御
制御装置 東洋電機製造製 ATR-H4200-RG622B形
制動装置 電力回生ブレーキ優先電気指令式空気ブレーキ (HRDA-1)
保安装置 K-ATS(出町柳 - 淀間)
京阪型速度照査ATS
備考 ロングシート車は定員などが異なる。

 

丹波橋駅 京阪電気鉄道京阪本線

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丹波橋駅(たんばばしえき)は、京都府京都市伏見区桃山筒井伊賀西町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。駅番号はKH30。かつて相互直通運転を行っていた近鉄京都線との乗換駅で、京都府内の京阪線駅では最大の乗降者数を誇る主要駅の一つです。

京阪線の開通から2ヶ月遅れて桃山駅として開業、1913年に現在の駅名に変更された。

駅構造
島式2面4線のホームを持つ待避可能駅。北口は地下駅舎となっている。南口は橋上駅舎となっており、全てのホームにエスカレーター・エレベーター、出口にはエレベーターが設置されている。近鉄京都線の近鉄丹波橋駅とは南口から連絡通路で結ばれており、乗り換え可能である。 北口は以前は地上駅舎で、ホームとは構内踏切で結ばれていた。

のりば
番線 路線 方向 行先
1・2 ■京阪本線 上り 三条・出町柳方面
両ホームには独立した待合室が設置されています。


3・4 下り 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面
内側2線(2番線と3番線)が主本線、外側2線(1番線と4番線)が待避線である。待避線への分岐がきつく、優等列車に連絡する鈍行列車が大きな音できしみながらゆっくり発車する様子が見て取れる。ほぼ終日に渡って優等列車(特急・快速急行など)と鈍行列車(準急・普通など)が、緩急接続を行う。
発車メロディが導入されている。

切符売場の券売機は6台。有人改札はシースルー式です。
自動改札機は、オムロン製が設置されている。全てPiTaPa・ICOCA対応。

駅構内店舗
南口橋上駅舎内にはアンスリー、マツモトキヨシ、JTB京阪トラベル(旧京阪交通社)、SWEETS BOX・麺座の店舗が営業している。このうち、麺座は「比叡」として系列店の中では最初(1974年10月)にオープンした。

駅周辺
伏見桃山城
桓武天皇陵
円通山大黒寺(薩摩寺) - 鷹匠町
金札宮(白菊明神) - 鷹匠町
延命山喜運寺 - 鷹匠町
京都市立伏見板橋小学校
国道24号
京都教育大学附属幼稚園
京都教育大学附属桃山小学校
京都教育大学附属桃山中学校
京都府立桃山高等学校
伏見京町北郵便局
京都市呉竹文化センター
京都リビングエフエム

バスのりば
京阪丹波橋駅には、バス路線は乗り入れていない。最寄りのバス停は駅の東側、国道24号の丹波橋。西側は竹田街道沿いの西丹波橋が最寄りだが、少し距離がある。

東側
京都市営バス 丹波橋停留所
南8号系統:竹田駅東口行(藤森神社経由) / 横大路車庫行
京阪バス 丹波橋駅東停留所
直通9号経路:京都橘大学行
西側
京都市営バス 西丹波橋停留所
81号系統、特81号系統:京都駅行(竹田街道経由) / 横大路車庫行

太平洋戦争中の1943年3月8日に奈良電気鉄道との乗り入れ準備のために駅を移設、京阪が阪神急行電鉄と合併し、京阪神急行電鉄となった翌年の1944年8月に着工。嵐山駅(現阪急嵐山駅)のポイント・信号設備を転用して太平洋戦争終了後の1945年12月に完成。奈良電堀内駅を当駅に統合し、ここに奈良電と京阪神急行の直通運転(奈良電の一部列車はさらに近鉄へも乗り入れ、京阪神急行 - 奈良電 - 近鉄の3社直通運転)が実現した。その後京阪と分離し、奈良電が近鉄に吸収合併され近鉄京都線となっても継続して相互直通運転を行っていた。当時は現在の2番線と4番線を奈良電の電車が使用していた。駅構内大阪側の平面交差が列車ダイヤ作成や増発の差し支えとなり、近鉄京都線の架線電圧1500V昇圧(1969年実施)と大型車導入、京阪本線ATS設置(1967年より順次実施)を契機に、1968年12月に相互乗り入れによる直通運転が廃止された。それに合わせて近鉄京都線の駅は近畿日本丹波橋駅(1970年3月1日より近鉄丹波橋駅)として独立し、近鉄線との連絡線は撤去されている(駅北側の駐輪場周辺や、駅南側の分岐線跡地にその名残が見られる)。相互直通運転廃止から約10年間は、双方の駅に相手駅の列車の発車案内装置が設置されていた。当時は丹波橋駅-中書島駅間(約1.4km)の高架化が計画されたが、具体化する事無く現在に至っている。

1987年6月1日のダイヤ改正で急行の8連化に伴い、それまで有った北口の構内踏切を地下道にしてホームを北側に延長された。併せて、それまでは北口の出入り口は西側にしかなかったが、東側にも出入り口が造られ、翌1988年には出入り口をかねた2つの駅ビルが竣工した。

平成に入り南口の橋上駅舎の拡張と、エスカレーター・エレベーター・多目的トイレの設置などの改良工事が行われ、その後、拡張部分にはジューサーバーや本屋などが造られた。また非常渡り線も撤去された。

1910年(明治43年)6月20日 - 京阪本線の伏見(現・伏見桃山) - 墨染間に、桃山駅として開業。
1913年(大正2年)7月29日 - 丹波橋駅と改称。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄の駅となる。
1944年(昭和19年)
7月16日 - 急行の停車駅となる。
8月16日 - 奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)との連絡線工事着工
1945年(昭和20年)12月21日 - 奈良電気鉄道・堀内駅を統合。奈良電との共同駅となり、相互乗り入れ開始。


1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1967年(昭和42年)3月29日 - 南口の橋上駅舎および近鉄が旧堀内駅跡に設置した専用ホーム(現・近鉄丹波橋駅)との連絡通路使用開始。
1968年(昭和43年)12月20日 - 近鉄京都線との相互乗り入れ廃止。同時に近鉄専用ホームは近畿日本丹波橋駅として分離される。
1972年(昭和47年)3月22日 - 南口駅舎から西側に出る出口を追加。
1987年(昭和62年)3月10日 - 8両連結に対応するために構内踏切を廃止してホーム延長、北口改札を地下化。
1988年(昭和63年)
8月1日 - 「京阪丹波橋東ビル」オープン。
9月9日 - 「京阪丹波橋西ビル」オープン。
1991年(平成3年)7月1日 - 上下線の各ホームの待合室に冷房化使用開始。
1995年(平成7年)11月10日 - 南口に通り抜け型エレベーター2基設置。
1996年(平成8年)12月21日 - 南口橋上駅に身障者対応の多目的トイレ設置。
1997年(平成9年)
1月19日 - 駅事務所橋上駅へ移設。
1月21日 - 橋上駅舎とホーム間に上下エスカレーター4基設置使用開始。
3月31日 - 橋上駅舎とホーム間にエレベーター2基設置、駅舎拡張工事竣工。
8月25日 - 改札内に書店『ブックスK』開業。


9月1日 - コンコース拡張工事竣工。
1998年(平成10年)7月15日 - 駅構内に京都みやこ信用金庫(現・京都中央信用金庫)のATM設置、使用開始。
2000年(平成12年)7月1日 - 特急終日停車駅となる。※その後、近鉄丹波橋駅も特急終日停車駅となった。
2004年(平成16年)6月30日 - 駅構内に京都銀行のATM設置。
2007年(平成19年)
3月9日 - 橋上駅舎に「けいはんインフォステーション」を新設、コンシェルジュを配置。
7月9日 - 自動定期券発行機の導入により定期券うりばを廃止。
2009年(平成21年)4月 - 駅北西側の近鉄との連絡線跡地に機械式自転車置き場(有料)新設。
2010年(平成22年)9月24日 - 橋上駅舎の構内店舗のリニューアル工事竣工、営業開始。
2016年(平成28年)
3月15日 - 事故情報などをリアルタイムに知らせる「旅客案内ディスプレー」を設置。
3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急・特急のみ停車する時間帯が生まれた。

丹波橋駅*
たんばばし
Tambabashi
◄KH29 伏見桃山 (0.7km)(1.0km) 墨染 KH31►
所在地 京都市伏見区桃山筒井伊賀西町15番地
北緯34度56分19.15秒 東経135度45分55.46秒
駅番号 KH  30
所属事業者 京阪電気鉄道**
所属路線 ■京阪本線
キロ程 41.3km(淀屋橋起点)
電報略号 丹(駅名略称方式)
駅構造 地上駅***
ホーム 2面4線
乗降人員
-統計年度- 44,441人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)6月20日
乗換 近鉄丹波橋駅(近鉄京都線)
備考 * 1913年に桃山駅から改称
*** 橋上駅舎と地下改札を併設
** 1945年から1968年は奈良電気鉄道→近畿日本鉄道との共同使用駅

箕谷駅 神戸電鉄有馬線

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箕谷駅(みのたにえき)は、兵庫県神戸市北区山田町下谷上字箕谷にある、神戸電鉄有馬線の駅。駅番号はKB09。標高244m。駅周辺は小集落が広がり長閑な雰囲気です。町から見て、高台、山の中腹にある。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地平駅。駅舎(改札口)は古い木造駅舎です。下りホーム側新開地寄りにあり、上りホームへは構内踏切で連絡している。駅へは駅前広場から急坂で連絡します。

駅員巡回駅である。駅業務は、沿線光ネットワークに接続された駅務遠隔システムによっていて、センター駅から自動券売機、自動改札機、自動精算機、TVカメラ、インターホン、シャッターが遠隔操作される。構内売店も設けられていないが、駅前の商店(みつや)で割引乗車券等の委託販売を実施している。

切符売場の券売機は2台設置されています。改札口の改札機は2台。

のりば
(駅舎側) ■有馬線(下り) 谷上・有馬口・有馬温泉・横山・三田方面
ホームはカーブしています。
(反対側) ■有馬線(上り) 鈴蘭台・湊川・新開地方面
※のりば番号は設定されていない。

駅周辺
駅前は狭いが、駅から下ったところにバスターミナルがある。

タクシー乗り場
国道428号(有馬街道)
神戸山田郵便局
箕谷駐車場(パーク・アンド・ライド)
神戸電鉄・北神急行利用ではなく、専ら阪神高速32号新神戸トンネルを利用した神戸市バス・急行64系統バスへの乗り継ぎを想定したものである。
下谷上農村歌舞伎舞台(天彦根神社前)

接続バス路線
箕谷駅
神戸市バス
急行64系統 新神戸駅経由、三宮バスターミナル行
急行64系統 日の峰2丁目経由、神戸北町行
111系統 山田小学校前方面、衡原行
松ヶ枝町(箕谷駅より徒歩5分)
神戸市バス
急行64系統・急行64系統(直通) 三宮バスターミナル行
急行64系統・急行64系統(直通) 日の峰2丁目経由、神戸北町行
阪急バス
158系統 谷上駅行
158系統 泉橋・西鈴蘭台駅経由、しあわせの村行
神姫バス
14系統 平野経由、神戸駅行
14系統 谷上駅・日下部経由三田駅行

1928年(昭和3年)11月28日 - 神戸有馬電気鉄道(現在の神戸電鉄)の湊川 - 電鉄有馬(現在の有馬温泉)間開通と同時に開業。
1947年(昭和22年)1月9日 - 三木電気鉄道との合併により、神有三木電気鉄道(現在の神戸電鉄)の駅となる。

箕谷駅
みのたに
MINOTANI
◄KB08 山の街 (1.7km)(1.7km) 谷上 KB10►
神戸市北区山田町下谷上字箕谷27-2
北緯34度45分24.88秒 東経135度9分20.76秒座標: 北緯34度45分24.88秒 東経135度9分20.76秒
駅番号 ○KB09
所属事業者 神戸電鉄
所属路線 有馬線
キロ程 12.0km(湊川起点)
新開地から12.4km


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,227人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1928年(昭和3年)11月28日
備考 無人駅

JR九州885系特急かもめ「サガン鳥栖ラッピングトレイン」 

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JR九州885系特急かもめ「サガン鳥栖ラッピングトレイン」

ラッピング対象列車 JR九州885系特急かもめ
運行区間 博多-長崎(※博多-大分 一部運行有り)
かもめは、九州旅客鉄道(JR九州)が吉塚駅・博多駅 - 佐賀駅・肥前鹿島駅・長崎駅間を、鹿児島本線・長崎本線経由で運行する特急列車である。

特急「かもめ」は、1976年7月1日に長崎本線と佐世保線全線の電化により、それまで小倉駅・博多駅 - 長崎駅間で運行していた急行「出島」の一部を特急に格上げする形で、7往復で運行を開始した。運行区間の線路容量の都合から、6往復については小倉駅・博多駅 - 肥前山口駅間で佐世保駅発着の特急「みどり」を併結していた。また、残りの1往復に関しては「みどり」編成を「かもめ」の付属編成として連結し、肥前山口駅で増解結していた。

1980年10月と1982年11月の2段階に分けて残りの「出島」は「かもめ」に格上げされ、福岡市と長崎市を鹿児島本線・長崎本線経由で結ぶ昼行優等列車は「かもめ」に統一された。また小倉駅乗り入れは1980年9月30日をもっていったん終了した後、一部列車が小倉駅発着や門司港駅始発で運行された時期もあったが、2005年3月1日に門司港駅始発の列車が博多駅始発に短縮されて以降、特急列車としての博多駅以北への乗り入れは行っていない。

「みどり」との併結は1978年10月2日に全列車で行うようになった後、1985年3月14日に日中の一部列車が単独運行となり、1986年11月1日にはいったん全列車単独運行となった。国鉄分割民営化以降「かもめ」が増発されたのを受けて1988年3月13日に「みどり」との連結が復活し、以後増発されるたびに連結列車が増える傾向にあった。1992年からは「みどり」を連結する列車の一部でハウステンボス駅発着の「ハウステンボス」も連結するようになった。

新型車両の投入が進んだことで1996年3月16日に運行開始当初から使用されていた485系電車は「みどり」を連結する列車のみで用いられるようになり、2000年3月11日には単独運行の列車は885系電車、「みどり」連結列車はそれまで単独運行の列車で使用されていた783系電車に置き換わった。2011年3月12日のダイヤ改正で783系充当の列車のほとんどが787系電車での運行になったのと合わせて「みどり」との連結運行は終了した。

「かもめ」の列車名の由来および使用列車
列車名は海鳥のカモメが由来である。「かもめ」の名称を使用した列車は戦前から運行されており、日本国有鉄道(国鉄)・JRグループでは特急列車の名称として使用されている。なお、戦前は「鷗」と漢字表記であったが、戦後はすべて平仮名表記になっている。サッカーJ1サガン鳥栖のチームカラーと選手の写真などをあしらったJR九州のラッピングトレイン。885系特急6両編成の「かもめ」「ソニック」として博多-長崎間や博多-大分間を1日3往復走る。 長崎線では本拠地のベストアメニティスタジアムの横を、初タイトルを目指すイレブンの写真をつけた列車がさっそうと駆け抜ける様子も見られる。JR九州によると、ラッピングトレインの運行は、車両全体の運用によって決まるため、いつ乗車できるかは日にちにより変わるという。

サガン鳥栖(サガンとす、Sagan Tosu)は、日本の佐賀県鳥栖市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。1997年2月4日に創設され、1999年よりJリーグへ加盟している。ホームタウンの人口73,732人(推計人口、2018年6月1日現在)はJリーグの全55クラブ、さらにはJリーグ百年構想クラブを加えた60クラブの中でも最も小さい。ただし、県庁所在地の佐賀市でホームゲームを開催したり(2014年度まで)、佐賀市内にクラブのオフィシャルスポーツバー「THE Sagan」を開設する[4]、佐賀県第二の都市である唐津市に下部組織(U-15唐津)を設置する、佐賀県全域でサッカースクールを開校するなど佐賀県全域での活動を行っている。さらには、同じ筑後川流域で鳥栖市と地理的に関連の深い福岡県筑後地方でも、鳥栖市が久留米市、小郡市などと組織する「筑後川流域クロスロード協議会」が共同してサガンを支援しているほか、スポンサーの一つであるブリヂストンが久留米市・朝倉市に設けた「ブリヂストン・サッカースクール」をサガンが運営する など、ホームタウン区域外での活動も行っている。2016年のJリーグスタジアム観戦者調査報告書(鳥栖は2015年8月27日の対アルビレックス新潟戦で調査を実施)によると、佐賀県外からの観戦者は31.4%で、これは2016年度に同様の調査を行ったJリーグ加盟40クラブ中で、鹿島アントラーズ・ガンバ大阪・東京ヴェルディに次ぐ4番目に多い数値となっている。また、県内の観戦者分布に於いても、佐賀市からの観戦者が県内観戦者の21.1%と、ホームタウンの鳥栖市と同じ比率となっている。

チーム名の「サガン」は、砂粒が固まって砂岩になるように小さい力を集結させ、立ち向かうことを表す。また「佐賀の」にも通じている。運営母体は1997年から1998年シーズン途中まで任意団体「サガン鳥栖FC」、1998年途中から2004年までは株式会社サガン鳥栖、2005年以降は株式会社サガンドリームスである。ホームスタジアムは駅前不動産スタジアム、練習場は鳥栖市北部グラウンド および鳥栖市陸上競技場 である。クラブマスコットは佐賀県の県鳥である「カチガラス」をモチーフとした「ウィントス」。

2018年現在、J2からJ1へ昇格後J2への降格経験がない唯一のクラブである。

龍谷大前深草駅 京阪電気鉄道京阪本線

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龍谷大前深草駅(りゅうこくだいまえふかくさえき)は、京都府京都市伏見区深草ススハキ町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。駅番号はKH33。
龍谷大学深草学舎の最寄り駅である。大学キャンパスへの通学利用で朝夕は賑わう駅です。

駅構造
島式2面4線のホームを持つ、待避設備を備えた橋上駅である。橋上駅舎はホームの出町柳寄りに設けられている。改札口は1ヶ所のみで、東西に出入口がある。かつては駅のホーム屋根の柱は「深草」に合わせて『深緑色』に塗られていたが、新駅舎に完成に合わせてグレー系に塗りなおされた。

2016年3月末より新駅舎が使用開始された。また、車椅子対応のエレベーターが4基、オストメイト対応の多目的トイレも設置され、照明設備はLED化された。

のりば
番線 路線 方向 行先
1・2 ■京阪本線 上り 三条・出町柳方面
かつては車両基地が併設され、留置線も多数設置されていましたが、淀車庫の開設により1線が残るのみとなりました。
3・4 下り 淀屋橋・中之島線方面
内側2線(2番線と3番線)が主本線、外側2線(1番線と4番線)が待避線である。

駅周辺
東側入り口前に飲食店が数軒あり、JR奈良線の踏切を渡った先には五百羅漢の石仏で知られる石峰寺・京都最古の多宝塔の残る宝塔寺がある。

稲荷駅(西日本旅客鉄道奈良線)- 1kmも離れておらず、北北東に徒歩5分ほどで着く。
西側入り口前に自転車置き場と有料駐車場がある。

龍谷大学深草学舎、短期大学部
京都市立砂川小学校
京都府警察学校
京都地方法務局伏見出張所
京都市立京都工学院高等学校(立命館中学校・高等学校跡地)
京都聖母学院中学・高等学校


バスのりば
京阪龍谷大前深草駅には、バス路線は乗り入れていない。また名神高速道路にある深草バスストップ(京都深草)は同じ深草を名乗る当駅から約1kmの距離にあるが、京阪本線におけるバスストップの最寄駅は隣の藤森駅(約500m、徒歩6分)である。

最寄バス停:京都市バス警察学校前
警察学校前
バス停は駅前ではなく、駅から西に徒歩3分の師団街道沿いにある。
京都市バス
南5号系統:竹田駅東口・横大路車庫行/京都駅行
急行105号系統:竹田駅東口・横大路車庫前行/京都駅前行

 

待避設備があるため、発車メロディが導入されている。当駅を含む主要駅の発車メロディを順序良く繋ぐと、一つの曲として成立する。
駅構造の項で記したように、かつてこの駅に車庫が併設されていた。その名残からか、列車の行き先表示幕には、現在使われることのない「深草」幕が入っている。深草駅までの列車は1987年(昭和62年)まで存在していた。
2008年(平成20年)10月18日までは朝・夕ラッシュ時は大半の普通列車がK特急・特急・急行の待避を行っていた。特急・急行に2本まとめて抜かれる場合もあった。(2003年9月以前は、日中でも普通列車は一度に特急・急行まとめて抜かれていた)。
2008年10月19日改正以降は、当駅で待避する普通・準急列車は激減した。朝や夕方は、回送列車が当駅で特急・快速急行を待避することが多い(待避線自体の有効長は8両分あるので、8連の回送列車は待避可能)。なお、正月ダイヤでは例年、日中でも下り普通が下り特急を待避する。
駅舎の建て替え工事の竣工で8連の停車は可能になるが当駅以外にも京都市内の京阪本線の駅では、東福寺駅・伏見桃山駅も駅の前後が踏切に挟まれており、大規模な工事を行わない限りは、中書島駅以北の準急・普通のみ停車駅の8連対応は困難である。
駅舎の建て替えに合わせて駅北西側に変電所の新設工事が開始されている。


創業時から車庫が併設された拠点駅で、1917年(大正6年)には隣接する深草車庫の検車庫・事務所、留置車両10数両が全焼する火災が発生している。戦争中の一時期、急行停車駅であった。戦後、列車無線基地局が設置される。東福寺変電所の改修工事では移動変電所が配置された。1960年代末より、橋上駅舎への建て替えと、留置線スペースを転用したホームおよび待避線の延長が実施された。1980年(昭和55年)3月の淀車庫の完成により深草車庫は廃止され、駅東側に留置線2本が残されたが、のちに1線を撤去してホームが拡張された。2010年代に入り、橋上駅舎のバリアフリー設備設置工事も兼ねた建て替えが開始され、2016年(平成28年)3月末より2代目橋上駅舎の使用が開始された。旧橋上駅舎が解体撤去が完了し、すべての工事が終わるのは2016年12月頃と予定されている。

橋上駅舎の建て替え工事
2000年代までの駅舎はバリアフリー設備はなく西口と改札階を結ぶスロープがあるだけ、また待避線(1番線・4番線)は8両編成の列車が待避可能ながらホーム有効長は7両分しかなかった。これは、

ホームの幅が狭いために、橋上駅舎への階段を出町柳寄りホーム端部に設置せざるを得ないことから1両分のホームの用地が犠牲になっている
ホーム南側は京都府道201号中山稲荷線(通称「第1軍道」)の古い跨線橋が覆う形となっている
という二つの理由で8両編成分のホームへの延伸ができず、またホームの狭さゆえにバリアフリー設備の設置が困難だったことによる。これを解消するため、国土交通省の鉄道駅総合改善事業による補助を受けて、京都市が車椅子対応のエレベーターなどのバリアフリー設備の設置を計画した。2014年度着工・工期約3年で従来の駅舎の南側にエレベーター4基を持つ新橋上駅舎を新築することが決定、それに併せてホーム幅も2m拡張される。なお工事の事業主体は京阪グループの第三セクターである中之島高速鉄道となり、実際は京阪が受託する形で行われる。


1910年(明治43年)
4月15日 - 京阪本線開業と同時に、稲荷駅として設置。
12月16日 - 深草駅に改称。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
1944年(昭和19年)7月16日 - 急行停車駅となる。
1946年(昭和21年)2月15日 - 急行運転が復活するも急行は通過駅になる。
1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1963年(昭和38年)11月16日 - 駅の移設工事に伴い隣接する車庫線の一部を廃止。
1964年(昭和39年)3月15日 - 駅を現在の位置に移設、5月15日新駅舎の使用を開始。
1971年(昭和46年)8月15日 - 橋上駅舎化。
1980年(昭和55年)3月17日 - 隣接する深草車庫の廃止。
1987年(昭和62年)12月25日 - ホーム・階段の幅を1メートル拡張。この用地確保のため、東側に残っていた留置線2本のうち1本を撤去。
1988年(昭和63年)8月28日 - 自動改札機設置。
2011年(平成23年)12月17日 - ホームに異常通報装置を設置。
2015年(平成27年)
2月下旬 - 駅舎建て替え工事に関連した出町柳行プラットホームの拡幅工事が完成。
5月15日~17日 - ホーム幅の拡張工事に伴い4番線の使用を中止、淀屋橋方面ホーム最大2メートル拡幅される。
2016年(平成28年)
3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急のみ停車する時間帯が生まれた。
3月31日 - 橋上駅舎および自由通路のバリアフリー化(建替え)工事が完了し、新橋上駅舎の使用を開始。
6月11日 - 前日で定期券販売を終了した伏見稲荷駅に代わり、自動定期券発行機を設置。
同年中 - 駅名標の隣に「龍谷大学前」の掲示を設置。
2019年(令和元年)10月1日 - 駅名を龍谷大前深草駅に変更。

龍谷大前深草駅*
Ryukokudai-mae-fukakusa
◄KH32 藤森 (0.8km)(0.5km) 伏見稲荷 KH34►
所在地 京都市伏見区深草ススハキ町38番地
北緯34度57分53.38秒 東経135度46分12.55秒
駅番号 KH  33
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■京阪本線
キロ程 44.1km(淀屋橋起点)
電報略号 龍←深(駅名略称方式)
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗降人員
-統計年度- 10,710人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)4月15日
備考 ホームの有効長は7両
* 開業8ヶ月で「稲荷町」から「深草」へ改称、令和元年10月1日より「龍谷大前深草」に改称

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