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D51 542 国鉄D51形蒸気機関車(カットモデル) 

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状態:カットモデル 上屋無
   塗装悪い
第2・第3動輪とその上方部、炭水車の後半分が取り払われている。客車オハ61 1030と並べられている。
所在地:JR九州小倉総合車両センター

小倉工場製造、九州内のみで活躍した機関車。
車歴;
1941-01-24製造→納入;国鉄;D51542→
1941-01-29配置[門鉄達57];大里→
1941-02-04配属;門司局→
1941-07-14直方→
1941-10-24鳥栖→
1945-11-17出水→
1951-07-29借入;人吉→
1951-08-09返却→
1955-08-01現在借入;南延岡→
1970-10-22若松→
1970-01-06全検→1974-05-07休車→
1974-07-23小倉工場廃車上申[小工機334]→
1974-08-20廃車[工車569];若松→

D51形蒸気機関車(D51がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。

主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、国鉄における所属総数は1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。この記録は現在も更新されていない。

この他に、台湾総督府鉄道向けに32両、胆振縦貫鉄道(1944年(昭和19年)に国有化)向けに5両(再掲)が製造され、戦後はソビエト連邦サハリン州鉄道向けに30両、台湾鉄路管理局向けに5両、朝鮮戦争における国連軍向けの標準軌仕様機が2両製造されており、製造総数は1,184両に及ぶ。また、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には、西日本旅客鉄道(JR西日本)に1両(200号機)が継承され、翌1988年(昭和63年)には東日本旅客鉄道(JR東日本)で1両(498号機)が復籍し、この2両が動態保存されている。JR東日本の498号機は復籍後の初仕業で来日中のオリエント急行を牽引して復活、西日本の200号機は2017年(平成29年)に山口線のSLやまぐち号で、本線運転に復帰した。

現場の機関士にも操作性の良さから人気があり「デゴイチ」の愛称は、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。また、「デコイチ」という愛称もある。


諫早駅(3代目) 島原鉄道 

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諫早駅(3代目) 島原鉄道

島原鉄道起点の当駅。九州新幹線開業に伴う新駅舎が完成、15年ぶりに独立した駅舎。
諫早市の中心駅で、長崎県内で長崎駅に次いで2番目に利用者が多い。全列車が停車する。JR九州と島原鉄道の共同使用駅であるが、駅自体はJR九州が管轄する。

JR九州の長崎本線と大村線、島原鉄道の島原鉄道線の計3路線が乗り入れている。大村線は当駅が終点、島原鉄道線は当駅が起点である。JR九州における当駅の所属線は長崎本線である。SUGOCAに対応するが、当駅がSUGOCA長崎エリアにおける長崎本線の東端駅であるため、長崎本線長崎方面(含む長与支線)と大村線の当駅から竹松までのみ利用可能であり、長崎本線鳥栖方面や島原鉄道島原方面へは利用できない

島原鉄道のりばから数100メートルJR線と並走した後、左右に分かれるが、その並走区間の途中には、国鉄時代に島原鉄道の列車が国鉄へ乗り入れていた名残としてJR線から島原鉄道に接続する渡り線がある。この渡り線を使用して急行列車が長崎駅・佐世保駅・小倉駅まで乗り入れていた。

切符売場にはタッチパネル式の券売機が1台。有人窓口も設置されています。待合室はありませんが、壁沿いに長椅子が設置されています。

ホームは1面1線。
のりば 路線 方向 行先 備考
島原鉄道
■島原鉄道線 本諫早・島原・島原港方面

駅前にはバスターミナル・デパート・ビジネスホテルなどがあり、マンションも多い。諫早市役所など、市の中心部へは隣の島原鉄道本諫早駅の方が近い。

長崎県営バス・島鉄バス諫早ターミナル
ミスタードーナツJR諫早ショップ
ジョイフル諫早駅前店
長崎県立諫早商業高等学校
長崎ウエスレヤン大学
鎮西学院高等学校
トランスコスモススタジアム長崎
JCHO諫早総合病院(諫早病院)
まるたか生鮮市場諫早駅前店


1911年(明治44年)8月21日 - 島原鉄道の諫早 - 本諫早間が開業。長崎本線と島原鉄道の駅となる。
1934年(昭和9年)
3月24日 - 有明西線の諫早 - 湯江間が開業。長崎本線・有明西線と島原鉄道の駅となる。
6月 - 2代目駅舎竣功
12月1日 - 有明東線と有明西線が繋がったことにより、有明ルートが長崎本線となる。これに伴い、早岐 - 諫早間が大村線として分離され、長崎本線・大村線と島原鉄道の駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、長崎本線・大村線は九州旅客鉄道に継承。九州旅客鉄道と島原鉄道の駅となる。
2019年(令和元年)10月1日 - 島原鉄道の駅に「雲仙・島原口」の副駅名を設定


諫早駅
いさはや
Isahaya
(雲仙・島原口)
所在地 長崎県諫早市永昌町1番1号
北緯32度51分6.62秒 東経130度2分29.3秒
所属事業者 ■九州旅客鉄道(JR九州)
■島原鉄道
電報略号 イハ
駅構造 地上駅
ホーム 3面5線
乗車人員
-統計年度-
(JR九州)5,203人/日
-2018年-
(島原鉄道)911
-2016年-
人/日(降車客含まず)
乗降人員
-統計年度- (島原鉄道)1,716
-2016年-
人/日
開業年月日 1898年(明治31年)11月27日
乗入路線 3 路線
所属路線 ■長崎本線
キロ程 100.4km(鳥栖起点)
◄東諫早 (2.6km)(2.8km) 西諫早►
所属路線 ■大村線
キロ程 47.6km(早岐起点)
◄岩松 (7.6 km)
所属路線 ■島原鉄道線
キロ程 0.0km(諫早起点)
(1.5 km) 本諫早►
備考 共同使用駅(JR九州の管轄駅)
直営駅
みどりの窓口 有

マスター・コントローラー(路面電車 三菱電機 KR-8型)

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マスター・コントローラー(Master controller,「マスコン」と略される)は、鉄道車両の出力・速度を遠隔制御するスイッチ装置であり、一般に鉄道車両の運転台に設置される。日本語では「主幹制御器」と翻訳される。
本来「マスター・コントローラー」「マスコン」あるいは「主幹制御器」という用語には直接制御器は含まれない。鉄道の運転・整備の現場における用語法でも「マスター・コントローラー」や「マスコン」は間接制御における主幹制御器のみを指し、直接制御器を指す場合や、双方を含めて言う場合は「コントローラー」などの語が用いられる。

概要
鉄道車両の動力源の出力自体を制御する機器は動力車に備えられ、電気車の場合は「主制御器」と称される。複数の車両による連結運転の必要上、あるいは制御機器の複雑・大型化で運転台とは別に設置されるようになった場合などには、これらの機器は運転台から遠隔操作されることとなる。そのために運転台に設置し、運転者が操作するものが「主幹制御器」「マスター・コントローラー」である。運転台からの遠隔操作を行わず、運転台で直接主回路切換えやギヤチェンジなどを行う場合の操作機器には、このような呼称は用いない。
制御器などのハンドルを「自動車のアクセルペダルに当たるもの」とする説明が見られるのは、制御器ハンドルが担う操作が主に力行(加速)だからであるが、それが常にあてはまるとは限らない。力行ハンドルとブレーキハンドルが別体のものを「ツーハンドルマスコン」や「ツインレバー型マスコン」と総称するがこれにはブレーキも含まれ、一体化させたワンハンドルなら、ブレーキもマスコンと同じハンドル(レバー)ひとつで操作するわけで、この場合でもマスコン=アクセルとはいえなくなってくる。
なお、ブレーキを制御する装置は制動弁(ブレーキ弁やマンス弁ともいう)やブレーキ設定器と呼ばれ、制御されるものは制動弁(設定器のハンドルに直結している弁本体)を直接、またはブレーキ演算装置を間接的に制御する。

直接式
モーターの電源となる、架線電流そのものを運転台に引き込み、運転者の力でカム軸を操作し、直接、断続や抵抗器の切り替えを行うものである。この方式では、運転台の制御器で主回路の切り替えが直接行われ、他に遠隔操作される制御器が存在しないため、運転台の制御器は「主幹制御器」ではなく、「直接制御器」(Direct Controller、ダイレクトコントローラー)と呼ばれる。
直接制御器を「直接制御のマスコン」「直接制御式の主幹制御器」などと表現しているものが見られることがあるが、いずれも用語の意味を理解していないことによる誤用であり、意味が成り立たない。
直接制御器の歴史は、1870年代にドイツのシーメンスによって発明された最初の電気機関車にまで遡ることができる。
電動機による電動カム軸式などに比べ、構造が単純で反応が素早い利点があり、力行中断・再力行を繰り返す路面電車などではその利点が活用されることも多い。ただ、操作力は大きく体力を要する。また、コントローラー内のスイッチ接点に架線電圧が直接かかるため、特に外装部の絶縁処理に注意を要し、さらに運転台に置かれるため、コントローラー本体の体積(ケースの容積)や接点の寸法などには物理的な限界があり、高電圧・大電流への対応や一定以上の多段化が困難である。

間接非自動制御とも共通するが、ノッチ進段を運転者の判断・感覚で手動で行うため、進段が早すぎた場合や誤ってノッチを飛ばしてしまった場合、主回路に過大な電流が流れ、保護機構が作動して力行が中断してしまうことがある。
架線電流を引き込む構造上、集電装置を持たない非電動車からの遠隔制御や、2両以上の総括制御には不適であり、連結総括制御を行わない用途の車両に用いられる。比較的小型の電気機関車や、路面電車のうち、もっぱら単行運転を行う車両などに多い。車体更新を受けている路面電車車両でも、制御器は従来の直接制御器が引き続き使用されているケースもある(土佐電気鉄道2000形電車、熊本市交通局8500形電車、鹿児島市交通局9500形電車など)。

 

九州新幹線(久留米駅 新幹線ホーム)

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九州新幹線(久留米駅 新幹線ホーム)
11 ■ 九州新幹線 上り 博多・新大阪方面  


12 下り 熊本・鹿児島中央方面
新幹線のりばは、西口から11、12番と割り当てられている。

新幹線ホームは3階に位置する相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。通過線がなく、安全のために可動式安全柵が設けられている。

九州新幹線(鹿児島ルート)に、在来線の鹿児島本線と久大本線(ゆふ高原線、起点)を加えた3路線が乗り入れる。このうち鹿児島本線のみ駅番号が設定されており、駅番号はJB17である。なお在来線における所属線は鹿児島本線である。

新幹線は各駅停車の「つばめ」と速達列車「さくら」の全列車が停車する。最速達列車の「みずほ」は2018年3月17日のダイヤ改正で臨時列車が上下1本ずつ停車するようになり、2019年3月16日のダイヤ改正からは下りが定期列車2本、上りが定期列車・臨時列車各1本ずつの計2往復が停車している。


所属路線 九州新幹線(鹿児島ルート)
キロ程 35.7km(博多起点)
新大阪から658.0km
◄新鳥栖[2] (7.1km)(15.8km) 筑後船小屋►

牧野駅 京阪電気鉄道京阪本線

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牧野駅(まきのえき)は、大阪府枚方市牧野阪二丁目にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。駅番号はKH23。

駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地平駅。正確にはホームの京都寄りは穂谷川を跨ぐ鉄橋と堤防上、中央部は地上、大阪寄りの端は高架橋の上に位置している。

改札及びコンコースは地下にあり、自動券売機3台(その内1台はICカード対応)、自動改札機7台(その内4台はICカード対応)、乗り越し精算機(その内1台はICカード対応)が設置されている。

構内にコンビニエンスストアのアンスリーがある(2007年3月15日に開店)。

1975年から2012年までは大阪方面ホームに立ち食いうどん店があった。当初は「比叡」で、2002年6月に閉店後、別の経営者による「あじまる亭」となったが、2012年11月限りで閉店した。

2012年現在、駅西側に加え駅東側出入口にもエレベーターが設置され、計4基(両ホーム~改札口とコンコース~地上)のエレベーターが設置されている。

駅東口には三菱UFJ銀行と枚方信用金庫のATMが設置されている。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■京阪本線 上り 中書島・三条・出町柳方面
2 下り 枚方市・京橋・淀屋橋・中之島線方面
※両ホームとも有効長は8両。

駅周辺
住宅街に加え、複数の大学が近隣にある文教地区でもある。これは京阪電鉄が利用客を増やすため1928年6月30日大阪高等医学専門校(現・関西医科大学)、大阪歯科医学専門校(現・大阪歯科大学)に土地を無償提供して移転を誘致した事に起因する。
枚方市が2006年に駅前広場および市街地再開発事業の都市計画を決定し、2009年から本格的な工事に着手した。2012年3月に完成し、東口にバス乗り場を備えたロータリーが設置された。

牧野公園
牧野幼稚園
近畿郵政レクリエーションセンター
大阪歯科大学牧野学舎
関西医科大学
関西電力牧野変電所
京阪電鉄牧野変電所
穂谷川
牧野松園ボウル
牧野パークゴルフ場
牧野スポーツクラブ
枚方北郵便局
枚方牧野駅前郵便局
牧野生涯学習市民センター(旧名:牧野公民館)
枚方市立牧野図書館
枚方市立中央図書館
片埜神社
ライフ牧野店
トップワールド牧野店
阪今池公園
渚水みらいセンター(下水処理場)
日本メノナイト・ブレザレン教団枚方キリスト教会

バス路線
京阪バスが運行。

38号・85号経路(北行き) 国道招提経由 摂南大学枚方キャンパス行き
38号経路(南行き) 枚方市駅行き
84号経路(北行き) 樋ノ上町経由 樟葉駅行き
84号経路(南行き) 船橋住宅経由 樟葉駅行き


その他
マキノ駅(湖西線) - マキノ駅は開業当時の自治体名(マキノ町)から命名されたが、マキノ町の名前は現在のマキノ高原スキー場が開設される際、当駅との混同を避けるためにカタカナ表記としたことが発端である(京阪電鉄が京阪本線 - 京津線利用による琵琶湖周辺地区への観光誘致に積極的だったことも関係がある)。
2010年9月4日より公開された角川映画『オカンの嫁入り』で映画後半の電車や駅のシーンは牧野駅で撮影された

1910年京阪本線の開通と同時に開業し、駅から京都側約100mは併用軌道で併用軌道は1931年7月に分離され専用軌道となった。1917年9月29日からの「大正大洪水(淀川河川事務所・洪水の記録)」では、10月1日・堤防決壊駅周辺が約2km水没し昼夜兼行で復旧に努めたが10日に再度出水してやり直し14日京阪線が開通した。

1939年3月1日午後2時45分に発生した大阪陸軍兵器支廠禁野倉庫の爆発事故により香里園駅 - 樟葉駅間が不通になり、4日の午後8時より運行を再開したが駅の使用再開は6日午前11時までかかった。

1969年2月、牧野駅の大阪側(約700m)の高架化が着工され同年11月に完成している、これは3ヶ所の踏切の除去だけでなくショートカットによる曲線の緩和(400R→1000R)、旧線跡に電車用変電所の建設などもおこなわれた。

1980年2月20日夜、隣の御殿山駅と枚方市駅の間で発生した京阪電車置石脱線事故では21日の始発までに復旧できず、御殿山駅にも当駅にも渡り線などの折り返し設備もないことから事故現場が仮復旧した21日午後まで運休した。運休中は樟葉駅と枚方市駅の間で府道京都守口線を使いバスによる振り替え輸送が行なわれた。

年表
1910年(明治43年)4月15日 - 京阪本線開通と同時に開業。
1911年(大正元年)2月7日 - 駅が移設される。
1917年(大正6年)9月29日〜10月10日 - 「大正大洪水」で駅付近浸水、同月14日復旧。
1929年(昭和4年)10月13日 - 改築。
1931年(昭和6年)7月21日 - 京都側の併用軌道が専用軌道に変更される。
1939年(昭和14年)3月1日 - 大阪陸軍兵器支廠禁野倉庫の爆発事故により香里園駅 - 樟葉駅間が不通、3月6日駅の使用が再開。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1965年(昭和40年)
8月2日 - 駅改造に伴い構内踏切を廃止。
9月1日 - 駅改造工事竣工。
1969年(昭和44年)
8月10日 - 列車接近自動放送装置を新設、使用開始。
11月26日 - 駅・西南側の線路を移設して高架化。旧線の跡地は京阪の変電所や住宅地になっている。
1970年(昭和45年)
6月14日 - 地下駅舎・地下道が竣工。
10月21日 - 旧線の跡地に京阪電気鉄道牧野変電所が完成。
1975年11月1日 - 下りホームに立ち食いうどん店「比叡」が開店。
1980年(昭和55年)2月20日~21日 - 2月20日夜に磯島曲線(枚方市駅-御殿山駅間)で発生した京阪電車置石脱線事故の為、事故発生直後から21日の午前中にかけてすべての列車が運休。
1989年(平成元年)3月20日 - 駐輪センター(F・G・H棟)営業開始。 
1994年(平成6年)
8月2日 - 冷房付き待合室設置。
9月1日 - バリアフリー対策としてエレベーター3基設置される。
2002年(平成14年)3月22日 - ホームに異常通報ボタン・14ヶ所(7ヶ所ずつ)設置。
2012年(平成24年)
4月1日 - 「駅前広場整備工事」が完成、新設されたロータリー使用開始。併せて駅前広場と地下改札口を結ぶエレベーターが設置される。
11月30日 - この日限りで下りホームの立ち食いうどん店「あじまる亭」が閉店。
2016年(平成28年)3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急のみ停車する時間帯が生まれた。
2017年(平成29年)11月1日 - 駅前広場に宅配便受け取りロッカーを設置、使用開始

牧野駅
まきの
Makino
◄KH22 御殿山 (2.0km)(2.2km) 樟葉 KH24►
所在地 大阪府枚方市牧野阪二丁目4-2
北緯34度50分36.68秒 東経135度39分55.48秒
駅番号 KH  23
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■京阪本線
キロ程 25.5km(淀屋橋起点)
電報略号 牧(駅名略称方式)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 11,831人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 23,304人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)4月15日

消防指揮車(指令車)日産・キャラ バン(4代目)E25型

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消防指揮車(指令車)日産・キャラバン(4代目)E25型
指揮車は災害活動の現場で指揮を執る「大隊長(=消防署長・消防分署長)」と麾下の、伝令や通信係、情報整理担当など5人~3人で1個隊が編成される「指揮隊」が搭乗する車両で、各消防署の指揮隊によって運用されている。関係機関や現場で活動中の各中隊小隊と情報交換ができるように、電話(自動車電話)・ファクシミリ・使用している全ての消防無線を送受信できる無線機などの通信機器、住宅地図帳、作戦図板になる折り畳み式テーブルを搭載している。大型の車両では“移動通信指令室”といえるような物もある(東京消防庁本庁警防部に所属する「本部指揮隊車」、及び同庁第8消防方面本部保有の「移動無線電話車」。実際に、無線端末5台を組み込んだ指令卓が搭載されている)。また、車両によっては大型のLEDボードや幕、サイドオーニング(収納式テント)を装備している。活動中は「現場指揮本部」・「現場本部」の幟を立てて目印とする。1BOXタイプの車両については、東京消防庁では「救助先行車」と呼称していた。

他の車両では各小隊長は助手席に乗るが、指揮車に限り大隊長は、現場に着いたら真っ先に飛び降りて現場本部立ち上げと指揮にかかるため、後部左側、ドアの前の席(全体の一番外側)に座って出動する。

平成17年、消防庁の消防力整備指針により、消防本部・消防署の指揮隊・指揮車の配備基準が定められた。

出動と同時に現場の詳細、出動隊の状態など多くの情報を取り入れる指揮隊は、「原因調査車」の行う役割と近いものがある。このため、本部によっては、指揮隊のメンバーに調査部門の職員を加え、「原因調査車」と兼用していることがある。そのような車両は、スモークガラス、調査資機材などを装備している。ワンボックスカーが多い。

「指揮車」「指令車」の違いは各消防本部によって委ねられている。大規模な消防本部では「指揮車」、指揮隊が存在しない小規模な消防本部及び消防団で使用される車輌には「指令車」と呼ばれることが多い。 「指揮車」「指令車」の両方が存在する消防本部では、指揮隊が使用する車両を指揮車、署長や当務責任者(当直司令)が現場に赴く際の車両を指令車としているようである。

日産・キャラバン(4代目)
E25型
4代目(E25型 2001年-2012年)
2001年(平成13年)4月26日
E25型発表。バン(1・4・8ナンバー)およびマイクロバス(2ナンバー)のみとなり、ロングボディとスーパーロングボディを設定。クラッシャブルゾーンを確保しつつも、ロングボディは4ナンバーサイズ(全長4.7 m以下)に収められている。搭載するエンジンは全て直列4気筒DOHCのKA24DE型、KA20DE型、およびZD30DD型直噴ディーゼルの3機種。当初GXとDXのエアバッグはオプション設定だったが後に標準装備となる。
AT車は全車コラムシフト、MT車は全車フロアシフトの設定。(コラムシフト車の設定は、先々代のE23型以来である)
クラッシャブルゾーンを確保した関係から、荷室長が先代比200mm減の2,800mm[3]となり、マイクロバスの乗車定員も12人へ減少した。
2001年(平成13年)5月14日
E25型発売。いすゞへのOEMモデルは「いすゞ・コモ」に名称変更。
2001年(平成13年)10月25日
サッカー日本代表チームのユニフォームと同じジャパンブルーの車体色、「Japan national team」のステッカー等を装備した限定車「サッカー日本代表モデル」を50台限定で発売。
2001年(平成13年)11月20日
「10人乗りコーチ」(3ナンバー)追加。搭載するエンジンはKA24DE型。オーテックジャパンの手による「ジャンボタクシー」を設定。
2002年(平成14年)1月
オーテックジャパンの手による5ナンバーサイズの幼児通園専用車を設定。
2002年(平成14年)9月30日
2WDのオートマチック全車に、ZD30DDTi型直噴ディーゼルターボエンジン搭載車を追加。4WD車はオーテックジャパンの手により設定。ハイエースが100系中期以降(1993年8月)から既にフルタイム式を採用している一方、先代同様にパートタイム式を用いている。ZD30DDTi搭載車は、エンブレムの表記が以前の「3.0Di」から、「3.0Di INTERCOOLER」に変更。
2002年(平成14年)10月
第36回東京モーターショー(商用車)に「キャラバンデリバリーバージョン」、および「キャラバンCNG車」を出品。
2003年(平成15年)5月20日
マイナーチェンジ。内外装を一部変更、仕様・装備を見直した他、8人乗りコーチ(乗用モデル)のシルクロードを追加。シルクロードは8年振りの復活である。
2003年(平成15年)7月11日
日産車体により、子会社であるオートワークス京都が販売している「キャラバン救急車」をベースとするSARS(重症急性呼吸器症候群)患者対応救急車を京都府に寄贈。
2003年(平成15年)10月2日
オーテックジャパンの手により、バンにCNG車(圧縮天然ガス自動車)を設定。E24型のCNG車に対し、ガスタンクを小径とし、床下に複数搭載する方法に変更している。エンジンはKA20DE型をベースとしている。
2004年(平成16年)8月20日
一部改良。ディーゼルエンジンをZD30DDTi型のみとして出力向上。バンGXの内外装デザインを変更し、5ドア車を追加設定。
2004年(平成16年)10月
第38回東京モーターショー(商用車)に「キャラバン ボックス イン ボックス」を出展。
2005年(平成17年)12月26日
マイナーチェンジ。フロントグリル、フロントバンパー、ヘッドランプのデザインを変更し、フロント部分のデザインを一新。同時にヘッドライトレベライザーを全車に標準装備した。
2007年(平成19年)8月31日
一部改良。ディーゼルエンジン搭載車の新長期排ガス規制適合に加え、ガソリンエンジン搭載車のエンジンをQR型に変更、5速オートマチック車の採用(ガソリン車)が行われた。タコメーターが全車標準装備となる。
2007年(平成19年)11月
特別仕様車「スーパーGX」を設定。シルクロード同様の分割スライドとリクライニングを採用したセカンドシート、カプロン加工等を装備。パーソナルユーズを意識したグレードとなった。
2009年(平成21年)1月28日
仕様向上。特別仕様車として発売されていた「スーパーGX」をカタログモデルに昇格し、「スーパーDX」を廃止。外装面では「DX」にカラードバンパーとフルホイールカバーを、バンとコーチの「GX」にカラードフィニッシャーをそれぞれ標準装備化し、「GX」と「スーパーGX」専用ボディカラーを追加。さらに、バン全車にはハイマウントストップランプを追加すると共に、バン「DX」は助手席SRSエアバッグシステムも標準装備化された。尚、これを機にシルクロードは廃止された。
2009年(平成21年)12月22日
特別仕様車「DX V-Limited」を設定(2010年1月15日発売)。バン「DX」をベースに、フロントグリル・バックドアアウターハンドル・電動格納式リモコン広角ミラーなどにメッキパーツを採用し、力強いエクステリアを採用すると共に、内装にもフロント・セカンドシートにスエード調トリコット生地を採用して質感を向上すると共に、助手席パワーウィンドウ、プライバシーガラスなどを装備し、機能性を高めた。2010年3月までの期間限定販売。ボディカラーは専用色の「ミスティックブラック」を含む4色を設定した。
2010年(平成22年)8月30日
仕様向上。バン「DX」の2列目シート機構を見直し、2列目シート乗車時でも6尺合板の積載を可能とした他、バン「GX」・「スーパーGX」のインパネをシルバー塗装に統一するなどの変更を行った。また、バンのQR20DE型エンジン搭載車は「平成27年度燃費基準」を達成したことで、環境対応車普及促進税制に適合した。同時にオーテックジャパン扱いの福祉車両「ライフケアビークル」にはコーチをベースに電動式スライドステップや乗降用大型手すり等を装備した「アンシャンテ 送迎タイプ」を新たに設定。「チェアキャブ」は車いす固定フックの形状を変更し、使い勝手を向上した。
2010年(平成22年)12月24日
新たに「ポスト新長期規制」に対応したZD30DDTi型ディーゼルエンジン車を追加。合わせて、2010年1月に発売した特別仕様車「DX V-Limited」のバージョンアップ仕様である「DX V Limited II」を発売。基本的な装備内容は「DX V-Limited」と同等だが、ボディカラーに専用色の「ディープカシス」を追加した。
2012年 (平成24年) 6月
NV350キャラバンに改名した5代目と入れ替わって生産・販売終了。

4代目(E25型 2001年-2012年)
日産・キャラバン(4代目)
E25型
前期型(2001年5月-2005年12月)
2001-2005 NISSAN CARAVAN.jpg
前期型リア
2001-2005 NISSAN CARAVAN rear.jpg
後期型(2005年12月-2012年6月)
NISSAN CARAVAN.jpg
販売期間 2001年-2012年
乗車定員 2 - 12人
ボディタイプ 4/5ドアキャブオーバー
エンジン 直4 2.4L KA24DE
直4 2L KA20DE
直4 2L QR20DE
直4 2.5L QR25DE
4気筒 3L ZD30DD/ZD30DDTi
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動 / 四輪駆動
変速機 5MT/5AT(5E-ATx)/4AT(E-ATx)
サスペンション 前: ダブルウィッシュボーン
後: リジッドリーフ式
全長 4,690mm(前期型ロング)
4,695mm(後期型ロング)
4,990mm
(前期型スーパーロング)
4,995mm
(後期型スーパーロング)
全幅 1,690mm
全高 1,990mm(標準ルーフ)
2,285mm(ハイルーフ)
ホイールベース 2,415/2,715mm
別名 日産・アーバン


石清水八幡宮駅 京阪電気鉄道京阪本線

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石清水八幡宮駅(いわしみずはちまんぐうえき)は、京都府八幡市八幡高坊にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。駅番号はKH26。2019年9月までの旧称は八幡市駅(鋼索線も同様)


石清水八幡宮へ向かう石清水八幡宮参道ケーブル(男山ケーブル)との乗り換え駅であるとともに、駅前にバスターミナルが設けられている。しかし、八幡市内のバス路線の多くが大阪府枚方市北部にある樟葉駅を拠点としていることに加え、八幡市の人口重心となっている男山団地が同駅寄りにあるため、当駅の乗降客数は樟葉駅の約6分の1程度に留まっている。

当駅は急行停車駅であり、2003年(平成15年)9月と2008年(平成20年)10月のダイヤ改定で相次いで削減されたが、現在、京阪間通しの急行は、大阪方面が毎日4本、京都方面が平日5本、土休日が10本運転されている。土休日夕方には淀始発が3本運転されている。また、京都競馬場での競馬開催日に臨時列車として中之島行きの急行が運転されることもある。また、正月ダイヤでは、当駅が最寄りの石清水八幡宮や、伏見稲荷駅が最寄りの伏見稲荷大社などへの参拝客をさばいて急行が12分毎に終日運転されている。


駅は京阪線の開通と共に設置された駅で、急行運転開始後は急行停車駅として樟葉駅が整備される以前は拠点駅の一つだった。1番線から分岐する形で大阪方に留置用の側線を、京都方と大阪方にそれぞれ逆方向の渡り線を備え、当駅折り返しの列車(A急行など)も設定されていた。開業時は相対式ホーム2面のみだったが、何時副本線(待避線)が設置されたかは不明である。

600V時代は、橋本変電所の改修工事の時や「正月・初午の臨時輸送対策」として留置用の側線に移動変電所181・182(3201・3202)が留置され、自社伏見変電所経由で送電された交流22kVを直流600Vに変電して本線のき電系統に送電していた。

また1960-1980年代の大晦日から正月にかけて1番線・4番線に電車を停めて『待合室電車』として利用された。1969年頃まで構内踏切が存在していたが、いつ頃構内地下道に切り替えられたか不明。

長らく、京阪本線の急行停車駅で唯一、エレベーターやエスカレーター・多目的トイレなどのバリアフリー対策設備がない駅であった。駅改札内のトイレは京都行きホームの西端に汲み取り式トイレが設置されたのみで、駅前の公衆便所が水洗であることと比較しても駅設備として劣っていた。そのため、バリアフリー対策設備設置工事として淀駅の高架化事業の進展に伴い4番線を撤去し、その跡地の一部を利用してエレベーターやスロープ、多目的トイレの設置などが行われた。バリアフリー対応施設は2010年12月23日から使用開始し、併せて改札内のトイレも移設のうえ水洗化された。

さらに、駅舎の改修工事と照明器具のLED化も行われた。駅舎は上屋をテント化してライトアップする事によりエジソンが発明した白熱電球をイメージしている。コンコース及びトイレの壁面の一部はタイルに張り替えられ、タイル面に緑色のLED照明を当てる事により、八幡の竹をイメージしている。イメージ演出や省電力化についてはパナソニックグループと京阪が共同で検討し、照明機器としてLED照明が150台が設置されている。これら一連の工事は2011年3月に完了した。

駅構造
京阪本線と鋼索線の駅舎は独立しているため、乗り換えの際には一度改札から出場しなければならない。

京阪本線
相対式2面2線のホームを持つ地平駅。

2009年(平成21年)9月11日までは下り線にも待避設備を備えた島式2面4線のホームを持つ地平駅だったが、翌12日のダイヤ改定で淀駅の下り線が高架化に伴い待避線が敷設されたため、当駅の下り待避線(4番線)は使用中止となった。その後線路が撤去され、ホームの4番線側に仮設の柵が設置されて単式ホームとなった。凹形に湾曲している大阪行きの3番ホームの下には転落検知マットやLEDの足下灯が設置されている。その後4番線の線路跡地の東側に水洗トイレ・多目的トイレ・車椅子対応エレベーターが造られ、西側に有料駐輪場が造られた。

駅舎(改札口)は下り線の南側東寄りにあり、下り線西側には初詣・初午での石清水八幡宮への参拝客用の臨時改札(出口専用)もある。但し、ここの臨時改札口を使ってPiTaPaやICOCAで出場する場合、簡易型の専用改札機を使用する事になる。駅舎とホームへは地下道で連絡している。

1976年(昭和51年)9月12日改正以降は基本的に日中は当駅で追い抜きは行われない。待避線である1番線は土休日朝の淀行き急行のみ使用していたが、2013年(平成25年)3月改正でそれもなくなり、1番線に発着する定期列車は存在しなくなった。2016年(平成28年)12月に当駅上り待避線(1番線)は使用中止になった。(線路は撤去済み、ホームには柵が設けられた)その影響で看板の付け替えなどがあったがホーム番号の繰り上げはおこなわれていない。

のりば
番線 路線 方向 行先
2 ■京阪本線 上り 中書島・三条・出町柳方面
3 下り 枚方市・京橋・淀屋橋・中之島線方面
2番線が上り線、3番線が下り線である。いずれのホームも8両編成の停車可能。線形の関係上、ホームがカーブしている。
発車メロディが導入されている

駅周辺
南側には山上に石清水八幡宮のある男山がそびえている。当駅から鋼索線に乗車するか、徒歩で参道を登る。
航空事故殉難者を祀った飛行神社がある。
八幡市立松花堂美術館が松花堂庭園に隣接して2002年(平成14年)に開館した。(当駅よりバス利用で約10分)
駅東の東高野街道沿いに南下すると映画「ぼくは明日、昨日の君とデートする」のロケ地の「たこ焼きいっちやん」があり、遠方からのファンも訪れることも。
八幡市役所は、当駅より南に徒歩で約20分のところにある(バス利用では約5分)。
北側へ歩くとほどなく2つの御幸橋がある(道路としては京都府道13号(旧国道1号)である)。両橋の間にある背割堤(淀川河川公園)は桜の名所で知られる。この御幸橋で木津川と宇治川をわたると、京滋バイパスの高架橋及び並行する国道478号との交差点(石清水八幡宮口交差点)に至る。
京都府道22号
京都府道81号
京都府道735号
京都府道801号

バス路線
京阪バスが運行している。停留所名は「京阪八幡」である。
1のりば
32:樟葉駅行(おさ田・久保田経由)
33:西戸津行(志水経由)
41:樟葉駅行(男山車庫・中の池公園・船橋経由)
77:男山車庫行(おさ田・久保田経由)
2のりば
73:八幡循環右回り(西岩田→内里)(平日の朝 1便のみ)
73A:内里南行(西岩田経由)(平日の深夜 1便のみ)
75C:近鉄新田辺行(岩田南経由)
76:岩田南行
76B:池嶋(岩田南経由)
73C:八幡循環左回り(内里→西岩田)
74:近鉄新田辺行(内里経由)
74A:京田辺市役所(内里・宝生苑・近鉄新田辺・草内口経由)
74B:京田辺市役所(内里・近鉄新田辺・草内口経由)
79:三野(内里経由)

1910年(明治43年)4月15日 - 京阪本線開通と同時に八幡駅として開業。
1916年(大正5年)4月1日 - 急行停車駅となる。
1917年(大正6年)10月1日 - 大正大洪水で京阪線浸水で運休、同月14日駅再開。
1926年(大正15年)6月22日 - 男山索道の八幡口駅開業。
1928年(昭和3年)5月28日 - 社名変更により八幡口駅は男山鉄道の駅となる。
1939年(昭和14年)12月25日 - 京阪本線の駅が石清水八幡宮前駅に改称。
1943年(昭和18年)10月1日 - 京阪本線の駅が会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
1944年(昭和19年)2月11日 - 男山鉄道が資材供出のため廃止。
1948年(昭和23年)1月1日 - 京阪本線の駅が八幡町駅に改称。
1949年(昭和24年)
8月1日 - 京阪線ダイヤ改定で準急停車・急行通過。
12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1953年(昭和28年)9月26日 - 台風13号により、宇治川-木津川の間に有る築堤区間の法面崩壊とそれに伴う伏見変電所から橋本変電所への送電線の切断で停電で運休。10月1日より八幡-淀間を単線で仮復旧で駅再開。
1955年(昭和30年)12月3日 - 京阪電気鉄道の鋼索線が改めて開業(男山駅)。急行の停車が復活[16]。
1956年(昭和31年)3月10日 - スピードアップのためホームを改築。
1957年(昭和32年)1月1日 - 鋼索線の男山駅を八幡町駅に名称統一し、駅を一旦統合。
1961年(昭和36年)8月15日 - 下りホームと男山ケーブルのホームとの連絡通路開設。
1969年(昭和44年)8月10日 - 列車接近自動放送装置を新設、使用開始。
1969年(昭和44年)- バス乗り場を路線拡充対策として鋼索線駅舎前より現在の観光案内所付近に移設。
1977年(昭和52年)11月1日 - 八幡町の市制施行に併せて駅名を八幡市駅に改称。
1983年(昭和58年)
4月7日 - 改札口を移設、使用開始。
4月8日 - 駅前バスターミナル完成。京阪バス乗り入れ開始。
1985年(昭和60年)12月25日 - 3番線(大阪行本線)に転落検知マットを設置。
1987年(昭和62年)6月1日 - 急行の8連化に併せてホーム延長、使用開始。この際に側線と京都方の渡り線が撤去される。
1991年(平成3年)6月 - 京都行ホームの待合室を冷房化。
1992年(平成4年)5月 - 大阪行ホームに冷房付き待合室を設置。
1999年(平成11年)6月3日 - 駅前にコンビニ「アンスリー」開業。
2003年(平成15年)9月6日 - 京阪本線ダイヤ改定。日中の急行及び直通普通がなくなったので、日中は準急のみの停車となった。事実上、朝夕以外は優等列車が当駅に止まらなくなる。
2006年(平成18年)4月16日 - 京阪本線ダイヤ改定。日中の京阪間直通普通が復活したので、日中の普通列車停車が復活。また土曜・休日朝夕の京阪間直通急行が増加したため、当駅に停車する急行が増えた。
2008年(平成20年)
2月 - ホーム異常通報装置・新設。
10月19日 - 京阪本線ダイヤ改定。急行が早朝・深夜を除き運転されなくなり、ほぼ準急停車駅と大差ない列車停車本数となる。
2009年(平成21年)9月12日 - ダイヤ改定により4番線を廃止(線路は撤去され、線路跡にエレベーターの設置工事が開始され、工事資材が仮置き場や工作機器の搬入路に使用される)。
2010年(平成22年)12月23日 - エレベーターと水洗トイレ・多目的トイレを設置、使用開始。
2011年(平成23年)3月 - 駅のリニューアル工事完成。
2012年(平成24年)8月14日 - 集中豪雨・落雷で、京阪本線冠水・鋼索線土砂崩れで始発より運休、京阪線は当日中に復旧するも、鋼索線は8月中は復旧工事で運休]。
2014年(平成26年)3月31日 - 3番ホーム下の足下灯を蛍光灯からLEDの点滅式に更新。
2015年(平成27年)4月1日 - 改札口西側に24時間利用可能な駐輪場「チャリピ京阪八幡市駅前」開設[26]。
2016年(平成28年)
3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急のみ停車する時間帯が生まれた。
12月 - 1番線と非常渡り線を廃止 (2017年にいずれも撤去)。
2019年(令和元年)10月1日 - 駅を再分離し、再分離と同時に京阪本線の駅は石清水八幡宮駅へ、鋼索線の駅はケーブル八幡宮口駅へそれぞれ改称。分離と同時に鋼索線にも駅ナンバリングが付与され、また京阪全体の駅数は1つ増加した。

石清水八幡宮駅*
いわしみずはちまんぐう
Iwashimizu-hachimangu
◄KH25 橋本 (1.7km)(3.5km) 淀 KH27►
所在地 京都府八幡市八幡科手1番地
北緯34度53分4.03秒 東経135度42分0.75秒
駅番号 KH  26
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■京阪本線**
キロ程 31.8km(淀屋橋起点)
電報略号 石←八(駅名略称方式)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 8,494人/日
-2018年-
開業年月日 1910年(明治43年)4月15日
* 改称経歴
- 1939年 八幡駅→石清水八幡宮前駅
- 1948年 石清水八幡宮前駅→八幡町駅
- 1977年 八幡町駅→八幡市駅
- 2019年 八幡市駅→石清水八幡宮駅

 

Chevrolet 150 1955年

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Chevrolet 150 1955年
エンジン:3859cc  馬力:123HP

シボレー・ベル・エアー(Chevrolet Bel Air)は、GMグループのシボレー部門で1953年から1975年まで生産され、カナダに生産拠点を移して1981年まで生産が続けられた。1950年から1952年に、ベル・エアーの名を冠してシボレーの上質で高級なモデルとしてデザインされたが、生産には至らなかった。


初代(1953-1957)
第1世代
1953年、ベル・エアーが上級シリーズとしてデビューし、2つの下級シリーズ150と210が登場した。1955年、シボレーはV8エンジンをオプションに組み入れた。1955年シボレーのフルサイズ・モデルがモデルチェンジを受け、エンスージアストから「ホット・ワン」と呼ばれるようになった。

フォードやプリムスとは異なり、シボレーのデザインは洗練されていると捉えられた。ベル・エアーは、インテリア・カーペット、ハードトップのクロームのヘッドライナー・バンド、フロント・フェンダーの突き出し、クロームの窓枠、フルカバーのホイールが特徴となっていた。

1955年、1956年、特に1957年のベル・エアーは、いつの時代を通じても、最もアメリカ車らしい1台であり、継続してエンスージアストの間で人気が高い。十分な空間、高燃費など、この後の20年間、デトロイトで製造されたオーバーサイズでオーバーに飾り付けられたフルサイズ・モデルよりも上質であると、多くの人々に受け止められた。1955年から1957年、2ドア・ノマド・ステーションワゴンがベル・エアー・シリーズに加わった。


松浦鉄道MR-500形気動車 

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松浦鉄道MR-500形気動車(まつうらてつどうMR-500がたきどうしゃ)は、松浦鉄道が保有する鉄道車両(気動車)である。2000年の日蘭交流400周年記念事業の一環として、1999年に日本宝くじ協会からの寄贈による宝くじ号として新潟鐵工所にてMR-501の1両が新製され、翌2000年1月から営業運転を開始した。愛称は「レトロン号」。

構造
松浦鉄道としてはMR-400形についで2両目の車体長18mの車両であり、現在同社唯一のトイレ(真空式)設置車両。車内は全座席転換クロスシートであり、外部デザインや塗色、照明、内装などはすべてレトロ調にまとめられている。カラオケ装置搭載。
後に、屋根上がダブルルーフから通常の物に変更されている。

運用
新製当初はたびら平戸口駅 - 佐世保駅を結ぶ快速列車等の固定運用に就いており、2000年1月 - 3月までは土曜日・休日にJRの快速「シーサイドライナー」に併結されて、たびら平戸口駅 - 長崎駅間を直通運転したこともあった。
2018年現在、通常は他車両と共通運用されているが、トイレ設置と車内設備を生かして夏期のビール列車や団体列車等には優先して投入されている。

松浦鉄道MR-500形気動車
基本情報
製造所 新潟鐵工所
主要諸元
軌間 1,067 mm
最高速度 95 km/h
車両定員 99名(座席46名)
自重 30.5t
全長 18,500 mm
全幅 2,990 mm
全高 4,000 mm
機関出力 新潟原動機製DMF13HZ 330PS/2000rpm × 1
変速機 TACN-22-1606形 × 1
制動装置 常用:DE1A形自動空気ブレーキ
保安:直通予備ブレーキ
保安装置 ATS-SK・EB装置・列車無線装置
備考 松浦鉄道車両及びJR車両との総括制御運転可能

樟葉駅 京阪電気鉄道京阪本線

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樟葉駅(くずはえき)は、大阪府枚方市楠葉花園町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。

京阪では大阪府最北端の駅であり、隣接する京都府八幡市民の利用者も多い。2003年以降、特急停車駅となる。現在は、快速特急以外の全種別が停車する。駅番号はKH24。

駅構造
待避設備を備えた島式2面4線のホームを持つ高架駅。改札・コンコースは1階、ホームは2階にある。改札口は1か所あり、淀川の反対側に駅舎入口がある。

のりば
番線 路線 方向 行先
1・2 ■京阪本線 上り 中書島・三条・出町柳方面
3・4 下り 枚方市・京橋・淀屋橋・中之島線方面
外側2線(1番線と4番線)が主本線、内側2線(2番線と3番線)が待避線であり、いずれのホームも8両編成の停車可能。3番線は大阪方からも進入可能。折り返し列車用の引上線もある(淀屋橋寄りに1本、出町柳寄りに2本。2番線、3番線から出入り可能。なお淀屋橋寄りの引上線は元々は土木専用線として保線作業車の留置線であったが、1989年9月改正で京都方からの折返し列車を設定する際に8両編成対応に線路を延長して折返し可能とした)。

1960年代までは京阪本線で利用客数最小の小さな駅だったが、京阪電鉄がニュータウンを造成、駅の東側が大発展して大きな駅になった。

1980年2月20日夜、枚方市駅と御殿山駅の間の通称「磯島曲線」で発生した京阪電車置石脱線事故では、復旧に翌21日の午後までかかり、御殿山駅・牧野駅共に折り返し設備が無いため復旧するまで三条駅 - 当駅間で折り返し運転、特急は21日始発より運休した。運休中は枚方市駅と当駅の間でバスによる振り替え輸送が実施された。
発車メロディが導入されている。深夜急行(深夜の上り1本のみ運転)と区間急行の設定は当駅が東限である。ただし、区間急行の大半は萱島駅発着のため、当駅発着の区間急行の本数は少ない。日中は特急と準急との緩急接続が行われている。朝夕を中心に特急・通勤快急・快速急行・急行と通勤準急・準急・区間急行・普通との緩急接続も行われている。優等列車の中でも平日夕方の急行淀行きと当駅発着の快速急行は特急との緩急接続が行われている。
朝夕を中心に当駅発着の大阪方面との快速急行・急行・通勤準急・準急・区間急行・普通が設定されている。ライナーは平日6時台に当駅始発が1本設定されている。当駅発着列車は基本的に京都側の引き上げ線で折り返すが、一部の列車は当駅で折り返しをせずに淀車庫へ(から)出入庫を行う(当駅 - 淀駅間は回送)。配線上、引き上げ線は1・4番線からは出入りできないので1・4番線の当駅発着列車の場合は必ずこれに該当する。京都方面からの当駅止まりの普通は土休日夜に1本設定されており、こちらは大阪側の引き上げ線で折り返す。
2000年のダイヤ改正までの特急は朝ラッシュ時の淀屋橋行きを除き京橋駅 - 七条駅間ノンストップで運転されていたため、日中はこの駅(一部は丹波橋駅)で必ず急行が特急の待避を行っていた。
2006年のダイヤ改正まではラッシュ時を中心に京都方面への折り返し列車が存在していた(現在は片道のみ設定し、当駅発は回送のみ)。
かつてはこの駅を終着とする列車の中には、種別を変更した後そのまま継続して運転する列車もあった(例:区間急行樟葉行きから普通三条行き又は出町柳行きへ、下り普通樟葉行きから急行淀屋橋行きへ)。
2016年3月19日のダイヤ改正より、昼間時に特急と準急の緩急接続が行われている。準急は当駅発車後、上りは丹波橋駅まで、下りは守口市駅まで先着する(香里園駅で特急が追い抜く)。
2008年から運転されている当駅止まりの深夜急行は、上り線から転線し3番線に入線して夜間停泊する。現在この渡り線を通る営業列車はこの列車のみである。2003年までは車内放送の際に駅名の後に「ローズタウン・ゴルフ場前」と呼称していた。
現在は「くずはモールへお越しのお客様はこの駅でお降りください」とアナウンスされる。

駅周辺
かつては田畑で囲まれた閑散とした駅であったが、京阪が長年にわたって大規模住宅地・KUZUHA MALL(旧:くずはモール)・高層マンション(くずはタワーシティ)などの開発を行った結果、百貨店や各企業・マンション・大学などが立地した。周辺部も男山団地をはじめとする住宅地が建設された。樟葉駅の1日あたり乗降客数は1961年に1560人であったのが1972年に22,000人、1977年に46,000人にまで増加し、1983年11月には63,400人に達した。京阪は「中期経営計画 ATTACK 2011」においても、中之島・京都地域とともに、くずはを最重点エリアに位置づけている。

なお、駅の表記は「樟葉」だが、駅所在地の住所表記は「楠葉」と異なっている。これは、「楠葉村」と「船橋村」が合併して「樟葉村」が成立した経緯に由来しており、駅名に採用された「樟葉」は開業当時の自治体名、住所表記(大字)は樟葉村・枚方町・枚方市時代を通じて「楠葉」である。近年は「くずは」と平仮名で表記されるケースが増えている。
公共施設
枚方市役所北部支所
枚方市立楠葉図書館
主な商業施設
KUZUHA MALL
京阪百貨店くずはモール店
イズミヤくずはモール店
ÆON FOOD STYLE by daieiくずはモール店
京阪ザ・ストア樟葉店
上新電機くずは店
金融機関
三菱UFJ銀行くずは支店
三井住友銀行くずは支店
りそな銀行くずは支店
京都銀行くずは支店
枚方信用金庫くずは支店
京都信用金庫くずは支店
京都中央信用金庫くずは支店
主な企業・団体
枚方楠葉並木郵便局
かんでんライフサポート
京阪くずはメディケアモール
ケイ・キャット
文教施設
大阪工業大学情報科学部(京阪バスを利用)
摂南大学枚方キャンパス(京阪バスを利用)
大阪歯科大学樟葉学舎
その他
くずはローズタウン
くずはタワーシティ
楠葉中央公園
くずはゴルフリンクス

バス路線
駅を発着するバスにおいては、2006年4月に京阪バスに合併された旧京阪宇治交通が「くずは」、従来からの京阪バスは「樟葉駅」を採用していたが、2002年3月9日の枚方営業所のダイヤ改正より一部系統を除き京阪バスも「京阪くずは」と表示される様になった。その後2007年11月10日の京阪バス男山・田辺営業所の白紙改正により全系統が「京阪くずは」と表示されるようになったが、2018年より「樟葉駅」に戻した。ただし、京阪バスでは正式停留所名を「樟葉駅」とし、旧・京阪宇治交通では「くずは」を正式名称としていた。
全路線京阪バスが運行する。


1910年(明治43年)4月15日 - 京阪本線開通と同時に開業。
1917年(大正6年)10月1日 - 大正大洪水で築堤崩壊・浸水で運休、同月14日駅再開。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1953年(昭和28年)9月26日 - 台風13号により、宇治川 - 木津川間の築堤崩壊、それに伴う京阪伏見変電所から橋本変電所への送電線の切断で停電で運休。10月1日、駅再開。
1956年(昭和31年)
3月10日 - スピードアップのためホーム改築
12月13日 - 上りホーム改築。
1957年(昭和32年)
3月27日 - 樟葉パブリックゴルフコース設立(資本金800万円・同年9月1日営業開始)。
5月15日 - 改築。
8月15日 - 改築。
1967年(昭和42年)6月15日 - 「くずはローズタウン」造成工事起工式
1968年(昭和43年)11月10日 - 「くずはローズタウン」第1次分譲開始(日本初の官民一体型ニュータウン)。
1971年(昭和46年)
6月20日 - 300m大阪寄りの現在地の駅舎に移転。京阪電鉄初の自動改札機設置。急行停車駅となる[4]。
9月1日 - 「京阪デパートくずは店」開業。
10月1日 - 「京阪くずは体育文化センター」営業開始。
1972年(昭和47年)4月1日 - 「くずはモール街」開業(日本初の広域型ショッピングセンター)。
1980年(昭和55年)2月20日 - 枚方市駅~御殿山駅間で京阪電車置石脱線事故が発生。枚方市駅~当駅で振り替え輸送を実施。


1984年(昭和59年)12月24日 - 「駐輪センターB棟」営業開始。
1985年(昭和60年)
3月 - 8連化に対応してホーム延長、4月22日のダイヤ改正より使用開始。
4月24日 - 「駐輪センターA棟」営業開始[5]。
1986年(昭和61年)1月24日 - 「駐輪センターC棟」営業開始。
1987年(昭和62年)6月15日 - 「南駐輪センター」オープン。
1988年(昭和63年)11月11日 - 「くずはプラザ」オープン。
1990年(平成2年)7月 - 各ホームの待合室冷房化。
1991年(平成3年)4月15日 - 案内所設置。
1994年(平成6年)3月21日 - 駅事務所にて、ファクシミリサービス開始。
1995年(平成7年)
11月11日 - 車イス対応トイレ設置。
12月28日 - シースル型エレベーターを各ホームとコンコース間に設置。
1997年(平成9年)4月21日 - コンビニエンスストアー1号店「アンスリーくずは店」営業開始。
2001年(平成13年)3月23日 - 「くずはタワーシティー」新築工事起工式を挙行。
2003年(平成15年)9月6日 - 特急停車駅となる(ただし、樟葉駅の特急停車は枚方市駅とは異なり、八幡市の要請もあり、直前の2003年初夏になって急遽決定されたものであった)。
2004年(平成16年)
1月12日 - 建て替えに伴い「くずはモール街」閉鎖。リニューアルオープンまで仮店舗(くずはモール'ダッシュ=現在のKIDS館)で営業。
3月31日 - 松坂屋くずは店閉店。
8月1日 - ICカード「PITAPA」サービス開始。
2005年(平成17年)
2月24日 - ホームに異常通報装置を設置。
4月14日 - 「くずはモール」リニューアルオープン。
2006年(平成18年)1月21日 - JR西日本のICOCAと相互利用を開始。
2007年(平成19年)12月20日 - 機械式駐輪場「エコステーション21」新設。
2008年(平成20年)10月19日 - 平日朝夕ラッシュ時にも特急が停車。
2010年(平成22年)
8月17日 - 女性用トイレのリニューアル工事竣工。
11月 - 男性用トイレに超節水型小便器・多目的トイレにオストメイト対応設備取り付けなどのリニューアル工事竣工。
2012年(平成24年)10月 - 駅ビル南館竣工。併せて駐輪場「エコステーション21樟葉駅ビル」が10月26日より供用開。
2014年(平成26年)3月12日 - 「くずはモール」第二期リニューアル工事が完成、オープン。
2016年(平成28年)
3月15日 - 事故情報などをリアルタイムに知らせる「旅客案内ディスプレー」を設置。
3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車・急行電車の運用が無くなり、準急・特急のみ停車する時間帯が生まれた。
8月 - 関西で初めて駅構内に宅配便受け取りロッカーを設置。


樟葉駅
くずは
Kuzuha
◄KH23 牧野 (2.2km)(2.4km) 橋本 KH25►
所在地 大阪府枚方市楠葉花園町14-1
北緯34度51分43.16秒 東経135度40分30.98秒
駅番号 KH  24
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■京阪本線
キロ程 27.7km(淀屋橋起点)
電報略号 樟(駅名略称方式)
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 30,350人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 60,787人/日
-2017年-
開業年月日 1910年(明治43年)4月15日

MKR16/M870 Trailer LVS (米軍 軍用車両)

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MKR16/M870 Trailer LVS (米軍 軍用車両)

LVS(Logistics Vehicle System)は、アメリカ合衆国のオシュコシュ社によって開発され、アメリカ海兵隊で運用されている8輪構造(トラクターユニット4輪、トレーラーユニット4輪)、積載量10~20tクラスの輸送用大型軍用車両シリーズの名称である。

2009年に登場した改良型のLVSR(Logistics Vehicle System Replacement)は連結機構を廃し、10×10輪駆動の車両となっている


概要
LVSは1985年にM123 10tトラクター(英語版)の後継としてアメリカ海兵隊に採用された輸送用の大型車両で、アメリカ陸軍で採用されているHEMTT(Heavy Expanded Mobility Tactical Truck)やPLS(英語版)(Palletized Load System)と類似する車両であるが、これらの車種との大きな違いとして、前部のトラクターユニットと後部のトレーラーユニットが連結されて運用される構造になっている事が挙げられる。

改良型のLVSRは2009年に実践配備された新型車両で、前部・後部の連結機構を廃止し10×10輪駆動の通常のトラックの構造となり、陸軍のPLS(英語版)とほぼ同様の車両になっている他、MTVRと同様のTAK-4サスペンションシステムの採用、装甲銃塔(MCTAGS)の搭載、追加装甲キット適用などの改良が行われており、アメリカ海兵隊のアフガニスタン紛争への作戦にMTVRやMRAP、M-ATVと共に派遣され実戦で使用されている。LVS・LVSRは、第二次世界大戦で使用されたM25戦車運搬車と同様、"ドラゴンワゴン"と呼ばれる事もある。

LVSのバリエーション
LVSのトラクターユニットはFront Power Unit, FPUと呼ばれ、後部トレーラーユニットはRear Body Unit, RBUと呼ばれる。RBUは用途に応じ、何種類かのタイプが用意されている。


MKR16 TRUCK TRACTOR, 10X10
MK16の後継に相当する、M870セミトレーラー連結用の連結器搭載ユニット。2011年より実戦配備

LVS / LVSR
種類 4×4輪駆動トラクター(LVS FPU)
4×4輪駆動トレーラー(LVS RBU)
10×10輪駆動トラック(LVSR)
原開発国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
運用史
配備期間 1985年~ (LVS)
2009年~ (LVSR)
配備先 アメリカ海兵隊
関連戦争・紛争 イラク戦争、アフガニスタン紛争、他
開発史
開発者 オシュコシュ社
製造業者 オシュコシュ社
製造期間 1985年~ (LVS)
2009年~ (LVSR)
諸元
全幅 2.40 m
全高 2.60 m
要員数 2名
装甲 追加装甲キット装着可能(LVSR)
主兵装 MCTAGS(LVSR)
エンジン デトロイトディーゼル製V8ディーゼル、450hp(LVS)
CAT C15 ディーゼル、600hp(LVSR)
変速機 アリソン4速オートマチック(LVS)
アリソン7速オートマチック(LVSR)
行動距離 480 km
速度 92km/h(LVS)
105km/h(LVSR)

北松戸駅(JR東日本)常磐線

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北松戸駅(きたまつどえき)は、千葉県松戸市上本郷にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。常磐緩行線の列車が停車する。駅番号はJL 23。戦後に競輪開催日のみ営業の臨時駅として開設された新参駅です。
駅は松戸市の上本郷に位置し松戸競輪、北松戸工業団地の最寄り駅である。


駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅で、国鉄時代の作らしい、デザインの橋上駅舎を有している。

松戸駅管理の業務委託駅(JR東日本ステーションサービス委託)。きっぷ売り場(自動券売機)に立ち食いそば店が併設されている。指定席券売機の設置に伴い、2006年(平成18年)5月27日をもってみどりの窓口が閉鎖された。自動改札機設置駅。改札口の改札機は7台。

エレベーターは西口と改札階、東口と改札階、改札階とホームをそれぞれ連絡するものが設置されている。なお、エスカレーターは改札とホーム間を連絡するものが1基設置されている。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 JL 常磐線(各駅停車) 下り 柏・取手方面
2 上り 松戸・北千住・代々木上原方面

発車メロディ
発車メロディは、新松戸・柏方向が「春(トレモロ)」、松戸・千代田線方向は「せせらぎ」を使用していたが、2019年(平成31年)3月16日のダイヤ改正後からはJR東日本東京支社の取り組みにより、駆け込み乗車の減少に効果があることから電車備え付けの発車メロディを使用している。

駅舎内の施設(駅ナカ)
改札内
小型売店:NewDays キヨスク(KIOSK)
ステーションATM:VIEW ALTTE
改札外
立ち食いそば店:日本レストランエンタプライズ
ステーションATM:VIEW ALTTE
指定席券売機

駅周辺
駅西側に松戸競輪場と北松戸工業団地がある。かつては、競輪開催日には利用客で大変賑わっていた[注 2]。工業団地には山崎製パン、合同酒精、宝酒造など大手メーカーを含む大型工場が立地し、朝・午後には工場通勤客の当駅利用がある。北松戸工業団地は常磐線に沿って南北に伸びており、その北端は馬橋駅付近である。

駅西側は低地で、かつて「下谷耕地」と呼ばれた田園地帯は現在の新松戸駅から当駅までの範囲に広がっていた。江戸川沿いの一部地域に農地が残る。駅東側は台地が迫り、その間に駅前広場と国道6号がある(松戸市内では最も駅に近い)。駅1キロ圏内は、工業団地、競輪場を除けば概ね住宅街となっている。

西口
松戸競輪場
マルエツ栄町店
北松戸工業団地
山崎製パン松戸第一工場
合同酒精東京工場・業務用商品事業部・酵素医薬品事業部・研究所
宝酒造松戸工場
日本トーカンパッケージ千葉工場
日立プラントテクノロジー松戸事業所
キングジム松戸工場
アルプス物流松戸営業所
トラスコ中山プラネット東関東
日本アクセス松戸支店
大同電機工業
佐川製作所
東口
駅前広場から程近く、常磐線と並行して国道6号が通っている。平日昼間は駅入口の交差点が渋滞ポイントになっている。国道6号を越えると上り坂となり、住宅街がひろがる。
松戸警察署北松戸交番
松戸新作郵便局
専修大学松戸中学校・高等学校・幼稚園
東京健康管理クリニック
ホテルルートイン北松戸駅前
まぐろダイニング美蔵(ホテルルートイン北松戸駅前内)
常磐会堂(葬祭式場)
筑波銀行松戸支店
トヨタレンタリース千葉北松戸店
マルエツ北松戸店
マツモトキヨシ北松戸東口駅前店
とうかつ中央農業協同組合本店・中央支店
ハローマート食賓館北松戸店
下谷金属松戸営業所
ポラス松戸北営業所
トヨタレンタリース千葉北松戸駅前店
レッドバロン松戸
あさひ北松戸店
ペットの専門店コジマ松戸店
PCデポ松戸店
100満ボルト松戸店
バス路線
東口広場に乗り入れる。

■ 松戸新京成バス
系統 経由地 行先
3・3A 上本郷郵便局 県立松戸高校
3B 千駄堀口 総合医療センター
3・3A 県立松戸高校
3 花島 松戸駅東口
松戸市コミュニティバス(中和倉コース)
系統 経由地 行先
左回り ⑯専大松戸高校・⑱県立松戸高校 ①総合医療センター
右回り ⑦馬橋駅入口・⑤中和倉商店街
※なお、駅西方面には「北松戸駅入口」(京成バス、日大歯科病院 - 松戸駅間の路線)を名乗るバス停留所があるが、西口から道のりでおよそ700m(徒歩約8 - 9分)離れており、途中に競輪場があることもあり乗り換えには向いていない。

1952年(昭和27年)5月1日:日本国有鉄道により、松戸競輪場開催日のみの仮停車場として開設される。
1958年(昭和33年)12月25日:常設駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
2001年(平成13年)11月18日:ICカード「Suica」の利用が可能となる。
2006年(平成18年)5月27日:この日をもってみどりの窓口が営業を終了。
2008年(平成20年)
3月8日:改札と東口を結ぶエレベーター使用開始。
3月12日:ホームと改札を結ぶエレベーター使用開始。
2018年(平成30年)8月1日:一部列車を除いて発車メロディの使用を停止。
2019年(平成31年)3月16日:すべての列車において発車メロディの使用を停止

北松戸駅*
きたまつど
Kita-Matsudo
◄JL 22 松戸 (2.1km)(1.3km) 馬橋 JL 24►
Wikimedia | © OpenStreetMap
所在地 千葉県松戸市上本郷905
北緯35度48分2.1秒
東経139度54分42.4秒座標: 北緯35度48分2.1秒 東経139度54分42.4秒
駅番号 JL23
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 ■常磐線(各駅停車)
(正式には常磐線)
キロ程 17.8km(日暮里起点)
綾瀬から10.1km
電報略号 キマ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 21,716人/日(降車客含まず)
-2018年-
開業年月日 1952年(昭和27年)5月1日**
備考 業務委託駅
* 1958年(昭和33年)12月25日 臨時駅→常設駅

J3 ターボジェットエンジン(日本ジェットエンジン)(UPDATE)

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J3とは石川島重工業(現IHI)、富士重工業、富士精密工業、三菱重工業、川崎重工業の5社が共同出資して設立した日本ジェットエンジン(NJE)によって開発されたターボジェットエンジン。


日本初のジェット練習機であるT-1 中等練習機は、搭載するターボジェットエンジンもまた国産品であることが、当初から望まれていた。エンジンは機体の開発とほぼ同時に進められることとなったが、1955年(昭和30年)5月に、T-1搭載の試作エンジンXJ3への要求が防衛庁から寄せられ、12月には庁議でエンジン試作が決定し、翌1956年(昭和31年)3月末にNJEと防衛庁でエンジン試作の契約を行った。

エンジンの設計、開発はほぼ順調に進み、6月末には試作1号機(XJ3-3)が完成した。しかし、11月からの試運転では至るところで故障、破壊が相次ぎ、問題は山積みとなった。12月には初号機が防衛庁に納入されたが、庁内でもやはり問題が相次ぎ、使い物になるにはおよそ2年半を費やした。その間、T-1(T1F1)本体はXJ3よりも1年早く開発し出したことから、1957年(昭和32年)に完成しており、J3が使い物にならないため、英ブリストル社製オーフュースを搭載したT1F2が初飛行した。

XJ3がまだ一向に量産に至らず、だからといって防衛計画をエンジンの都合でずらせるはずも無かったため、トラブル続きのJ3に待ちきれなくなった防衛庁はオーフュースを輸入して搭載させた。また、同時に完成したとしても、試作機に試作エンジンを載せることは不具合が起きた場合にどちらが原因かわからない、ということも考えられていた。T-1量産第一期の20機には間に合わず、第二期の20機にも間に合わず(これらは試作機6機とあわせてT-1Aとなった)、第三期の20機でようやく量産化できる見込みとなった。

小型エンジン開発にも手間取っている様子から、NJEには途中で通産省の行政指導によって川崎も参加した5社体制になっていたが、その5社の首脳によって1959年(昭和34年)初頭、NJEの今後について話し合いが持たれた。防衛庁がXJ3改めJ3エンジン生産の責任をはっきりさせるため、寄り合い所帯で曖昧になりやすいNJEから一社に集約し、品質やコストを保証していく体制を要求したのである。

J3は防衛庁が50基程度を発注することとしていたが、それはメーカーにとって膨大な赤字が伴うことであった。開発が長引いたために開発費が暴騰し、量産台数が少ないために一基あたりの単価は開発費を上乗せすると非常に高価になるが、ブリストルからの購入を打ち切ってJ3にするためには、性能が落ちる以上、価格が安いから、という理由にしなければ、ブリストル側を納得させることはできなかった。そのためJ3は購入価格が抑えられ、膨大な赤字を出すわけである。

5社によって様々な話し合い、駆け引きが行われたが、結局は石川島重工業に製造権を渡し、各社が協力する、という形で収まった。実質、この時点で4社はJ3に見切りをつけ、ジェットエンジンから手を引いた事になる。年内に開発を正式に引き継いだ石川島重工業は、試作XJ3の各種の試験と改善を行い、量産先行機YJ3-3を7月に完成させた。翌1960年(昭和35年)、播磨造船所と合併した石川島重工業はIHIとなり、同年にYJ3-3をT1F2の試作1号機に搭載(オーフュースから転換)し、T1F1として5月17日に初飛行させた。J3の量産はIHIに引き渡され、NJEは解散した。1961年(昭和36年)に防衛庁によって制式採用され、J3-3となった。

50基を受注したはずのJ3だったが、F-104戦闘機の導入によって教導飛行方針が転換され、T-1の配備数を削減することから、第三期分の20基で生産終了してしまった。IHIはその後もJ3の改良開発を行い、1967年(昭和42年)から海上自衛隊のP-2J対潜哨戒機(川崎製)の補助エンジンとしてJ3-7C/Dが採用された。

 

エンジンの設計、開発はほぼ順調に進み、6月末には試作1号機(XJ3-3)が完成した。しかし、11月からの試運転では至るところで故障、破壊が相次ぎ、問題は山積みとなった。12月には初号機が防衛庁に納入されたが、庁内でもやはり問題が相次ぎ、使い物になるにはおよそ2年半を費やした。その間、T-1(T1F1)本体はXJ3よりも1年早く開発し出したことから、1957年(昭和32年)に完成しており、J3が使い物にならないため、英ブリストル社製オーフュースを搭載したT1F2が初飛行した。

XJ3がまだ一向に量産に至らず、だからといって防衛計画をエンジンの都合でずらせるはずも無かったため、トラブル続きのJ3に待ちきれなくなった防衛庁はオーフュースを輸入して搭載させた。また、同時に完成したとしても、試作機に試作エンジンを載せることは不具合が起きた場合にどちらが原因かわからない、ということも考えられていた。T-1量産第一期の20機には間に合わず、第二期の20機にも間に合わず(これらは試作機6機とあわせてT-1Aとなった)、第三期の20機でようやく量産化できる見込みとなった。

小型エンジン開発にも手間取っている様子から、NJEには途中で通産省の行政指導によって川崎も参加した5社体制になっていたが、その5社の首脳によって1959年(昭和34年)初頭、NJEの今後について話し合いが持たれた。防衛庁がXJ3改めJ3エンジン生産の責任をはっきりさせるため、寄り合い所帯で曖昧になりやすいNJEから一社に集約し、品質やコストを保証していく体制を要求したのである。

J3は防衛庁が50基程度を発注することとしていたが、それはメーカーにとって膨大な赤字が伴うことであった。開発が長引いたために開発費が暴騰し、量産台数が少ないために一基あたりの単価は開発費を上乗せすると非常に高価になるが、ブリストルからの購入を打ち切ってJ3にするためには、性能が落ちる以上、価格が安いから、という理由にしなければ、ブリストル側を納得させることはできなかった。そのためJ3は購入価格が抑えられ、膨大な赤字を出すわけである。

5社によって様々な話し合い、駆け引きが行われたが、結局は石川島重工業に製造権を渡し、各社が協力する、という形で収まった。実質、この時点で4社はJ3に見切りをつけ、ジェットエンジンから手を引いた事になる。年内に開発を正式に引き継いだ石川島重工業は、試作XJ3の各種の試験と改善を行い、量産先行機YJ3-3を7月に完成させた。翌1960年(昭和35年)、播磨造船所と合併した石川島重工業はIHIとなり、同年にYJ3-3をT1F2の試作1号機に搭載(オーフュースから転換)し、T1F1として5月17日に初飛行させた。J3の量産はIHIに引き渡され、NJEは解散した。1961年(昭和36年)に防衛庁によって制式採用され、J3-3となった。

50基を受注したはずのJ3だったが、F-104戦闘機の導入によって教導飛行方針が転換され、T-1の配備数を削減することから、第三期分の20基で生産終了してしまった。IHIはその後もJ3の改良開発を行い、1967年(昭和42年)から海上自衛隊のP-2J対潜哨戒機(川崎製)の補助エンジンとしてJ3-7C/Dが採用された。

主要各型解説
J3-3:T-1B用の量産型エンジン
XJ3-S1〜S3:燃焼器短縮型試作エンジン
XJ3-G:抽気用エンジン、飛行艇用吹き出しフラップの予備実験等の様々な実験に使用された
XJ3-F:アフトファンを装着し試作されたターボファンエンジン
J3-7B:推力増大型エンジン、T-1B-10用に量産
J3-7C:P-2J用量産型エンジン、耐食性を向上
J3-7D:P-2J用量産型エンジン、7Cの推力増大型
YJ3-8:推力増大型試作エンジン
XJ3-A/B・I:XJ3-3にアフターバーナーを追加した試作エンジン
YJ3-A/B・II:YJ3-7をベースに、固定ノズルであったXJ3-A/B・Iに対し、F-86D用の可変ノズルを改修し装着した試作エンジン

圧縮機:軸流8段圧縮機
燃焼器:アニュラー型燃焼器
タービン:軸流1段タービン
J3-IHI-3

長さ:2,330 mm
幅:852 mm
高さ:962 mm
重量:374 kg
圧縮比:4.2
推力:1,200 kg
J3-IHI-7B

重量:390 kg
圧縮比:4.5
推力:1,400 kg
J3-IHI-7C

長さ:2,080 mm
幅:630 mm
重量:380 kg
推力:1,400 kg
J3-IHI-7D

圧縮比:4.6
推力:1,550 kg/3,400 lb


J3と関連するジェットエンジン
ネ20 - 第二次世界大戦末期に石川島重工業が開発に協力した日本初のターボジェットエンジン。
JRシリーズ - J3-3型をベースに試作開発されたリフトジェットエンジン。
F3 - 1970年代に始まる防衛庁とIHIの共同研究から生まれたターボファンエンジン。
FJR710 - 産学官連携で研究が進められてきた高バイパス比ターボファンエンジン。
J3と関連する人物
永野治 - 戦前にネ-20の開発に参加し、J3を完成に導いた技術者

JR東海313系電車 

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JR東海313系電車
313系電車(313けいでんしゃ)は、東海旅客鉄道(JR東海)の直流近郊形電車である。

概要
1999年当時、JR東海は日本国有鉄道(国鉄)時代に製造された車両から省エネルギータイプの自社形車両への置き換えを進めており、特急形車両では定期列車の車両置き換えを完了していた。一方、近郊形車両においても211系5000番台や311系、213系5000番台を投入してきたが、両系列の投入完了後も103系・113系・115系・117系・119系・123系・165系といった国鉄形車両が半数以上を占めており、これらの国鉄形車両の置き換えを目的として登場した車両である。

車体断面は同社における最小の車両限界である身延線を基準に決定され、同社のすべての直流電化路線での走行を可能とした。性能面では従来の自社形車両と比べてもパワーアップが図られており、311系に代わって東海道本線における大多数の快速列車への集中投入といった都市部の近郊輸送に留まらず、後述するローカル区間でのワンマン運転や有料ライナー列車まで、あらゆる需要に対応しており、同社の標準車両と位置付けられる。そのため、車内仕様や機器構成により、当初から細かな番台区分が設定されている。

1998年度末に77両、1999年度に104両が投入され、いずれも1999年に営業運転を開始した。これにより同社の103系が全車廃車となり、165系も普通列車の定期運用から離脱し、東海道本線名古屋地区で113系の定期運用が消滅し、さらに113系0番台が全車廃車となるなど国鉄形車両の淘汰を進め、同社における自社形電車の比率を55%にまで向上させた。2001年にも6両が増備された。

2006年度には204両もの大量増備が行われ、総計391両を有する同社の最大両数系列在来線電車となるとともに、同社の国鉄形車両である113系2000番台、115系、123系を淘汰した。さらに、2010年から2013年にかけて120両が増備され、117系と119系の淘汰を完了した後は同社の在来線国鉄形電車は211系0番台8両を残すのみとなり、ほぼすべてが自社形車両に更新され、2014年度には2015年3月1日の武豊線電化に伴い、28両が増備された。これによって、313系は総計539両となり、同社の在来線電車の過半数を占める一大勢力となった。

313系は15年以上にわたって製造されたため、導入年次による仕様変更も多い。そのため、本稿ではまず各次車についての共通事項を述べ、続いて導入年次による仕様の差異を初期車、3次車、4次車、5次車に分けての紹介。


性能・仕様 共通事項
基本構造
313系は、同社の特急形車両である373系を基本とし、近郊形に応じた変更及び改良がなされている。また、編成は番台区分に応じ2・3・4・6両編成が存在する。

車体構造
211系以降の近郊形としては一般的な、片側3扉を有する軽量オールステンレス製車体であり、乗務員室部のみ普通鋼製で、連結時に通行可能な貫通扉と貫通幌(幌受)を備える。前面窓は側面に回り込むパノラミック・ウィンドウで、運転席側上部に行先表示器、助士席側上部に種別表示器、前照灯は前面窓下部と貫通扉上部に計4個、尾灯は前面窓下左右に前照灯と一体化されて2個設置されている。

1990年代以降に導入されたJR他社車両のステンレス車は側板のビード(浮き出し線)が省略されているものが多いが、本系列は211系や311系と同じ本数のビードがある。なお、雨樋部は張り上げ屋根構造である。扉間の客室窓は1枚固定式であり、窓柱は荷重を受けない構造として窓ガラスの内側に設け、車内仕様による窓割りの違いに対応している。戸袋窓・妻窓は設けられていない。連結面寄りの側窓は、非常時に上部が内側に折れて開けることのできる構造となっている。先頭部は白色に塗装され、前面から側面にかけJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ色の帯を巻いている。ただし、「セントラルライナー」用の8000番台は、有料ライナー列車であることを示すため、カラーリングを変えている。

用途や内装などの差により多様な番台区分があるが、車体の構造はいずれも同一である。開口が大きい扉間窓の上下内側前後方向に太い骨が通っており、吹寄(戸袋)部分に荷重が集中する構造となっている。側窓の天地寸法は950mmで、311系の870mmより拡大された。また、ワンマン運転を考慮し、先頭車の運転台と隣接する側扉は、運転台側に210mm寄せられている。側扉は、近郊形として一般的な1300mm幅の両開きドアを片側3箇所に設けている。戸閉力弱め機構を有した空圧式である。

なお、客室内の騒音低減のため、床下には廃ゴムタイヤ破砕再用品である吸音材が詰められており、他社の新型車両と比較しても高水準の静粛性を有する。

主電動機・制御装置・台車
主電動機は373系で実績のあるC-MT66A形三相誘導電動機(出力185kW、端子電圧1,100V、電流125A、周波数86Hz、定格回転数2,525rpm)を使用し、MT比を1:1とすることで加速性能を向上させると同時に、10パーミル上り勾配での均衡速度は130km/hを確保している。MT比は編成にかかわらず固定され、3両編成には主電動機数を半分にした車両が組み込まれる。また、制御装置は373系のGTO素子に代わり、東芝製IGBT素子によるVVVFインバータ(PWM制御、1700V/1200A 1両2群・1C2M方式)が採用されている。

台車は、211系の流れをくむ円錐積層ゴム式の軽量ボルスタレス台車(C-DT63A形/C-TR251形)であり、空気ばね位置に改良を加えられたほか、ヨーダンパを装備する。付随台車は1軸2ディスクブレーキを採用するとともに、踏面清掃装置を備え、踏面ブレーキを省略している。また、全軸に滑走検知装置を備えている。

運転台は373系に準拠しており、貫通式であるためコンパクトにまとめられている。左手ワンハンドル式マスコン、右側にはタッチパネル式液晶モニタ装置を配備し、ボタン式のEB装置、定速制御を装備する。定速制御は一定速度以上で力行4段か5段でボタンを押すと作動する。力行は5段、ブレーキは抑速ブレーキと常用ブレーキ7段、非常ブレーキの計9段階である。

ブレーキ制御は電気指令式である。回生ブレーキを主、空気ブレーキを従として、編成全体のブレーキ力を確保する「T車遅れ込め機構」を有しており、空気ブレーキの作動を抑制することで褶動(しゅうどう)部のメンテナンス軽減を図っている。また、回生ブレーキは同一き電区間内に力行車両がないと失効しやすいことから、発電ブレーキ機構を一部の番台区分に併載している。さらに、回生ブレーキが失効した場合でも、その不足分のみを空気ブレーキと発電ブレーキで補うブレンディング制御を採用しており、回生効率の向上と回生失効時における衝動の抑制を図っている。これらのシステムは373系のものを継承している。電動空気圧縮機 (CP) は、実績のあるレシプロ(ピストン)式を採用しながらも、動力源を交流電動機に変更して騒音低減を図っている。
また、柔軟な運用にも配慮されており、在来車の211系、213系、311系と併結することができる。

車内仕様・サービス設備
座席は用途に応じ、転換クロスシート、固定クロスシート、ロングシートを適宜組み合わせて配置している。このうち、転換クロスシートは、まくら折れ機構を採用し、快適性を損なわずにシートピッチを詰めることに成功している。

側窓は固定式であり、車端部の側窓の上部のみが内側に折れて開く構造を採用し、非常時の換気に備えている。窓ガラスには紫外線 (UV) カットの複層ガラスを採用しているが、日除けも省略しておらず、フリーストップ式ロールカーテンもしくは横引きカーテンを備える。

交通バリアフリー法への対応として、全車にドアチャイムを備え、全編成に車椅子対応洋式トイレのほか、各扉上にLEDによる車内案内表示装置を備える(小文字2段表示が可能であるが、「締切中 NOT IN USE」の表示を除き専ら大文字1段表示で使用される)。また、乗降促進メロディと車外スピーカーを搭載する。さらに、一部の番台区分では押ボタン式の半自動扉機構を備えている。

車内照明は、311系に引き続いて客室全長に亘るカバー付き蛍光灯である。ただしカバーの断面形状が初期車と3次車以降で少し異なっており、前者が僅かに左右非対称の曲線形状、後者が左右対称の円弧形状となっている。5次車ではカバー付きのLEDへと変更になった。

その他の仕様
台車 - 軽量ボルスタレス台車(動力台車:C-DT63A形、付随車台車:C-TR251形)
集電装置 - C-PS27A形シングルアーム式パンタグラフ
冷房装置 - C-AU714A-G2形
製造 - 日本車輌製造・近畿車輛・東急車輛製造
備考 - 1999年度グッドデザイン賞受賞

形式
313系は4形式から構成される。各形式とも番台区分により機器・車内構成が異なる
クモハ313形
上り方(熱海・塩尻・亀山・国府津方)の制御電動車 (Mc) である。シングルアーム方式のパンタグラフや、一体型のVVVFインバータ制御装置と補助電源装置 (SIV) を搭載している。

機器の構成により4種に分けられる。
Mc1 - 3・4両編成に組み込まれる。SIVの容量は150KVAである(0/1000/1100番台、1500/1600番台、2500番台、8500番台)。
Mc2 - 2両編成に組み込まれる。SIVの容量は80KVAである(300番台、1300番台)。
Mc3 - 3・4・6両編成に組み込まれる。Mc1の機器構成に加え、発電ブレーキ装置(ブレーキチョッパ装置・抵抗器)を搭載する(1700番台、2600番台、5000番台)。SIV容量の関係上、6両編成を組む場合は編成中に後述のM5が組み込まれる。
Mc4 - 2両編成に組み込まれる。Mc2の機器構成に加え、発電ブレーキ装置(ブレーキチョッパ装置・抵抗器)を搭載する(3000/3100番台、2300/2350番台、5300番台)。
モハ313形
中間電動車 (M) である。VVVFインバータ制御装置を搭載するほか、一部の車両はSIVか空気圧縮機 (CP) を搭載する。

機器の構成により6種に分けられる。
M1 - 4両編成に組み込まれる。パンタグラフを搭載する(0番台、1000/1100番台)。
M2 - 3両編成に組み込まれる。MT比1:1とするため奇数側の台車のみに主電動機を搭載し、制御装置もそれに応じたものとなっている。パンタグラフは搭載しない(8500番台、1500番台)。
M3 - 6両編成に組み込まれる。M1の機器構成に加え、発電ブレーキ装置(ブレーキチョッパ装置・抵抗器)を搭載する(5000番台)。
M4 - 3両編成に組み込まれる。M2の機器構成に加え、容量1kl/minのCPを搭載する(1600番台、2500番台)。
M5 - 6両編成に組み込まれる。M3の仕様に加え、容量80KVAのSIVを搭載する(5300番台)。
M6 - 3両編成に組み込まれる。M4の機器構成に加え、発電ブレーキ装置(ブレーキチョッパ装置・抵抗器)を搭載する(1700番台、2600番台)。
クハ312形
下り方(米原・甲府方)の制御車 (Tc') である。CP、蓄電池 (BAT) を搭載するほか、車内にトイレが設置されている。

機器の構成により2種に分けられる。

Tc'1 - 3・4両編成に組み込まれる。CPの容量は2kl/minである(0番台、8000番台)。
Tc'2 - 2・3・4・6両編成に組み込まれる。CPの容量は1kl/minである(300/400番台、3000/3100番台、2300番台、5000番台、5300番台、1300番台)。CP容量の関係上、3両編成に組む場合は編成中に前述のM4またはM6が、4両編成を組む場合はT2が、6両編成を組む場合はT2とT3が組み込まれる。


サハ313形
中間付随車 (T) で、一部の車両はCPやBATを搭載する。

機器の構成により3種に分けられる。
T1 - 4両編成に組み込まれる(0番台、1000番台)。CPを搭載しないため、編成中に前述のTc'1が組み込まれる。
T2 - 4・6両編成に組み込まれる。T1の機器構成に加え、容量1kl/minのCPを搭載する(1100番台、5000番台)。
T3 - 6両編成に組み込まれる。T2の機器構成に加え、BATを搭載する(5300番台)。


JR東海313系電車
基本情報
運用者 東海旅客鉄道
製造所 日本車輌製造
近畿車輛(3次車まで)
東急車輛製造(初期車のみ)
製造年 1999年 - 2014年
2019年(代替新造)
製造数 541両(代替2両を含む)
運用開始 1999年5月6日
主要諸元
編成 6・4・3・2両
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
最高運転速度 120 km/h
130 km/h (8000番台)
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.6 km/h/s
減速度(常用) 4.3 km/h/s
減速度(非常) 4.3 km/h/s
(3次車以降)
5.1 km/h/s
車両定員 56(席)+100(立)=156名*1
自重 平均30t
編成重量 128.4t(0番台4連)
127.9t(1000番台4連)
68.3t(3000番台2連)
100.6t(8000番台3連)
(いずれも製造時)
全長 20,000 mm
20,100 mm (先頭車)
全幅 2,978 mm
全高 4,020 mm
車体 ステンレス
(前頭部のみ普通鋼)
台車 円錐積層ゴム式ボルスタレス台車(ヨーダンパ付)
C-DT63A(動力台車)
C-TR251(付随台車)
(3次車以降)
C-DT63B(動力台車)
C-TR251A(付随台車)
主電動機 C-MT66A(1・2次車)
C-MT66C(3次車以降)
主電動機出力 185 kW / 基
駆動方式 TD継手式(中実軸)平行カルダン
歯車比 1:6.53
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御(1C2M方式)
制動装置 電気指令式(直通・回生・抑速)
T車遅れ込め制御・耐雪ブレーキ
発電ブレーキ*3
保安装置 ATS-ST・ATS-PT
EB・TE装置
備考 *1 - 0・1000番台中間車
*2 - 一部の車両

ケーブル八瀬駅 京福電気鉄道鋼索線(叡山ケーブル)

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ケーブル八瀬駅(けーぶるやせえき)は、京都府京都市左京区にある、京福電気鉄道鋼索線(叡山ケーブル)の駅。路線とともに毎年冬季(12月初旬から3月中旬のうち正月3が日を除く期間、週末の位置により毎年運休期間は多少変化する)は休業する。
叡山ケーブルの山下駅に相当する。

接続する鉄道路線
叡山電鉄
叡山本線八瀬比叡山口駅(徒歩で約5分)
駅構造
山麓側に改札口があり、ホームは階段状で車両の両側にある。全体的にはケーブルカーの山下駅側の基本的なスタイルである。改札口の左側に券売機が1台設置されている。駅舎は細部に改造がなされているものの、開業当初の建物が使われている。京福電鉄の「嵐電」両線(嵐山本線・北野線)と異なり、スルッとKANSAI共通カードは券売機でも改札口でも車内でも一切使用できない。券売機の右隣には観光案内の窓口がある。改札は出発の5分前に開始される。駅業務は女性があたることが多い。

駅周辺
会員制ホテル「エクシブ八瀬離宮」
京都バス八瀬駅前バス停
高野川


開業時の駅名は西塔橋駅(さいとうばしえき)で、これは駅前を流れる高野川に架けられている橋の名前である。西塔とは延暦寺の境内の一区域を指し、橋はこの西塔に至る道と対岸の若狭街道(現在の国道367号)を結んでいる。1964年には駅前に八瀬遊園が開業し、それに合わせて翌年にケーブル八瀬遊園駅(けーぶるやせゆうえんえき)に改称された。同遊園はスポーツバレー京都、森のゆうえんちとリニューアルを重ねるが2001年に閉園し、その翌年に駅名も改称されている。近接する八瀬比叡山口駅と似たような改称経歴を辿っている。
1925年(大正14年)12月20日 - 京都電燈叡山鋼索線の開通に伴い西塔橋駅として開業。
1942年(昭和17年)3月2日 - 京福電気鉄道の駅となる。
1944年(昭和19年) - 不要不急線として路線とともに駅も休止。
1946年(昭和21年) - ケーブルカー運行再開に伴い駅も再開。
1965年(昭和40年)8月1日 - ケーブル八瀬遊園駅と改称。
2002年(平成14年)3月10日 - ケーブル八瀬駅と改称。

ケーブル八瀬駅*
けーぶるやせ
Cable YASE
(1.3km) ケーブル比叡►
所在地 京都市左京区上高野東山
北緯35度4分0.88秒 東経135度48分30.88秒
所属事業者 京福電気鉄道
所属路線 鋼索線
キロ程 0.0km(ケーブル八瀬起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面1線
開業年月日 1925年(大正14年)12月20日
乗換 八瀬比叡山口駅 (叡山本線)
* 改称経歴
- 1925年-1965年 西塔橋駅
- 1965年-2002年 ケーブル八瀬遊園駅


航空ジェット エンジンファン(ボーイング702-200)

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広く実用されているジェットエンジン(ターボジェット、ターボファン、ターボプロップ、ターボシャフト)は原動機にガスタービンエンジンを使用しているので、内燃機関としての仕組や熱機関としてのサイクルもそれに準じている。すなわち作業流体・酸化剤として外部から取り込んだ空気を圧縮機で加圧し、燃料(主にケロシン)と混合してブレイトンサイクルの下に連続的に燃焼させ、その燃焼ガスによるジェットの反動そのものを推力として利用したり、羽根車(タービン)を用いて回転力を生成しプロペラやファンの揚力に変換し推進力にする。そして回転力の一部は圧縮機を回転させる動力となり、自体の持続運転に使われる。

ガスタービンエンジンは(レシプロエンジンの間欠燃焼と異なり)連続燃焼による連続回転機であるため、連続的なジェットガス生成用の原動機としても最適であった。もしジェットエンジンを間欠燃焼で作るとレシプロエンジンを原動機に使うまでもなくパルスジェットを実現できる。

ガスタービン型の航空用エンジンに加え、エアブリージングエンジン(作業流体および酸化剤として空気を吸入・排出する内燃機関の総称でレシプロエンジンも含む)の内、なんらかの方法で空気を圧縮して燃料と混合し、燃焼後に高速の排気流を得て推力とする機関(ラムジェット、パルスジェット、モータージェットなど)もジェットエンジンとして言及される。このうち圧縮機やタービンを用いず燃焼ガスをそのまま出力として利用するラムジェットとパルスジェットはガスタービンエンジンに対してダクトエンジンに分類されることもある。タービンの入り口温度が限界に達しているために、今より高効率、超高速ジェットエンジンを目指す手段として再び注目されている。

ジェット推進とジェットエンジンは同義語ではないため、空気燃焼以外でジェットを生み、その反動を利用する推進装置のロケット(非エアブリージングエンジン)や水中翼船用のウォータージェットなどはジェットエンジンとして言及されない場合が多い。また、発電や船舶の動力として航空用ガスタービンエンジンが転用される事例も多いが、それらは回転力を利用するだけなのでジェットエンジンとは呼ばれない。航空機の操縦士や整備士の資格では、ターボジェット、ターボファン、ターボプロップ、ターボシャフトを『タービン』に分類している。
航空用エンジンには定期点検が義務づけられているが、複雑な形状の部品が入り組んでいるため内部の検査には内視鏡が必要となり、補修にも熟練工が手作業であたるなど非常に手間がかかる。

ターボファンエンジン(Turbofan engine)は、ジェットエンジンの一種。コアとなるターボジェットエンジンにファンを追加したものである。ファンを用いることにより、ターボジェットと異なり、コアエンジン部を迂回するエアフローが設定され、エンジン排気のエアフローを増大させ、ジェットエンジン推力の増大および効率化が図られる。1960年代より実用化が行われ、現代のジェットエンジンの主流となっているものである。

北花田駅 大阪市高速電気軌道

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北花田駅(きたはなだえき)は、大阪府堺市北区北花田町二丁にある大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の駅。

駅番号はM28.駅周囲は新興住宅地で、大規模なショッピングセンターも立地し、賑わいが感じられます。

駅構造
島式1面2線ホームの地下駅である。改札口は1ヶ所のみ。

昇降設備は、ホームから改札へは上りエスカレーターとエレベーターがあり、改札から地上へは改札近くにエレベーターがあり、エスカレーターはない。

切符売場の券売機は4台。新型のタッチパネル式です。改札口の改札機は5台。1台が出場専用です。

トイレは改札内にあり、オストメイトに対応した多機能トイレがある。

当駅は、天王寺管区駅に所属しており、新金岡駅の被管理駅である。

改札口の前には大和川を模したタイル壁画がある。

のりば
番線 路線 行先
1 M 御堂筋線 なかもず方面


2 天王寺・なんば・梅田・千里中央方面


イオンモールのような大型SCが建設され、また他にも飲食店やコンビニ等各種店舗が増加傾向にあり繁華街化が進んでいる。

イオンモール堺北花田(イオン堺北花田店が核店舗。オープン以来、イオンとともに核店舗であった堺 北花田阪急は2017年7月31日に閉店)
TSUTAYA北花田店(2018年2月末で閉店。現在はトレファクスタイル堺北花田店が入居)
スギ薬局北花田店
ウエルシア堺北花田店
キリン堂北花田店
上新電機アウトレット北花田店
堺市立五箇荘東小学校
堺市立五箇荘小学校
堺市立新浅香山小学校
創価学会堺池田講堂


バス
南海バス
9系統:河内天美駅前行き
9・10系統:浅香経由 堺東駅前行き
30系統:阪和堺市駅前経由 北花田駅行き(ループバス、右回りと左回りの2通りあり)
30C系統:阪和堺市駅前 止(浅香経由)
29系統:河内松原駅前

1987年(昭和62年)4月18日:御堂筋線我孫子 - 中百舌鳥間延伸時に開業。


2018年(平成30年)4月1日:大阪市交通局の民営化により、大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の駅となる。

北花田駅
きたはなだ
Kitahanada
◄M27 あびこ (1.9km)(1.6km) 新金岡 M29►
Wikimedia | © OpenStreetMap


所在地 堺市北区北花田町二丁14-3
北緯34度34分54.74秒 東経135度30分59.28秒
駅番号  M28 
所属事業者 大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)
所属路線 ●御堂筋線
キロ程 21.4km(江坂起点)
千里中央から27.3km


駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 13,075人/日(降車客含まず)
-2018年-
乗降人員
-統計年度- 26,066人/日
-2018年-
開業年月日 1987年(昭和62年)4月18日

 

国鉄ワム3500形貨車

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国鉄ワム3500形貨車(こくてつワム3500がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した有蓋貨車である。

1928年の車両称号規程改正により、ワム32000形を改称して生まれた形式である。
ワム32000形は、1917年(大正6年)から1925年(大正14年)にかけて、鉄道院・鉄道省が日本車輌製造、汽車製造などで11,873両を製作した、15 t積み二軸車有蓋車である。
11,748両が改称により本形式(ワム3500 - ワム15275(欠番あり))となったが、国有鉄道が製造したもののほか、新潟臨港開発、三信鉄道、北海道鉄道(2代)、南武鉄道の買収編入車と、二車現存車の番号書き換えがあるため、最終番号はワム15290である。

車体は、鋼製の柱を車体外部に立て、側板として木板を横羽目としたもので、前級ワム23000形(初代。後のワム1形)とほぼ同様であるが、車軸が短軸から長軸に変更されたことが大きな違いとなっている。側面には、幅1,370 mmの荷役用片引き扉が設けられている。引き戸は、初期のものは木製であったが、後期製造車は鋼製となり、後に木製から鋼製に交換されたものもある。側板には、後年、補強として鋼板の筋交いが設けられたものが多かった。床と屋根は木製である。妻面上部には、1個の通風器が設置されている。
台枠は、前級から引き続いて鋼製である。軸ばねの支持装置は、原設計では(一段)リンク式であったが、ばねの折損事故が相次いだため、後期製造車ではシュー式にグレードダウンされた。前述のように、車軸には10 tまたは12 t長軸を使用し、最高速度は65 km/hである。
諸元については、全長7,830 mm、全幅2,430 mm、全高3,730 mm、荷室の内寸は長さ6,960 mm、幅2,300 mm、高さ2,425 mm、床面積16.0 m2、容積38.8 m3、軸距は3,960 mm、自重は8.9 tである。
1937年(昭和12年) - 1940年(昭和15年)にかけて、長軸であることから陸軍の要請によって約2,500両が標準軌に改造のうえ、中国大陸(日中戦争)に送られた。戦後は約9,000両が残存し、汎用有蓋車として全国で使用されたが、1965年(昭和40年)頃から老朽化のため本格的に廃車が始まった。経年が高いことから1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正にともなう高速化(最高速度75 km/h対応)改造の対象から外され、同改正後は北海道内に封じ込めのうえ黄帯を標記し、「ロ」車として運用された。現車は1970年(昭和45年)度に姿を消したが、書類上は1983年(昭和58年)まで在籍した。

国鉄ワム3500形貨車
基本情報
車種 有蓋車
運用者 鉄道院
鉄道省
運輸通信省
運輸省
日本国有鉄道
所有者 鉄道院
鉄道省
運輸通信省
運輸省
日本国有鉄道
種車 ワム32000形
改造年 1928年(昭和3年)*
改造数 11,748両
消滅 1983年(昭和58年)
主要諸元
車体色 黒
軌間 1,067 mm
全長 7,791 mm
全幅 2,743 mm
全高 3,718 mm
荷重 15 t
実容積 38.8 m3
自重 8.9 t
換算両数 積車 2.0
換算両数 空車 1.0
走り装置 一段リンク式、シュー式
車輪径 860 mm
軸距 3,962 mm
最高速度 65 km/h

阪九フェリー せっつ (フェリー)

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せっつは、阪九フェリーが運航しているフェリー

概要
やまと・つくしの代替船として2018年に発注され、僚船のやまと(2代)とともに三菱重工業下関造船所で建造された。

船内
船内インテリアは「星空と海をのぞむ癒しの旅」を同型二隻のコンセプトとし、本船は港町神戸をイメージした内装とした。また7階には星空と瀬戸内海の夜景を楽しめるよう大型の窓が配された。

7階
・ロイヤル(2名×2室)
従来船よりも広い空間の中にバス・トイレを別々に配置
バス・トイレ・テレビ・プライベートデッキ付き
部屋タイプ:洋室
定員・部屋数:2名・2室
広さ:35.3㎡
ベッド幅:110×200(cm)
・スイート(2名×2室)
船室から海を一望出来るよう窓を大きくし更に位置を下げている。
バス・トイレ・テレビ付き
部屋タイプ:洋室
定員・部屋数:2名・20室
広さ:20.8㎡
ベッド幅:100×200(cm)
・デラックスシングル(1名×48室)
テレビ・洗面台付き
部屋タイプ:洋室
定員・部屋数:1名・48室
広さ:5.2㎡
ベッド幅:80×200(cm)
・大浴場・露天風呂
・展望ロビー


6階
・デラックス(和洋室3名×33室・和室3名×6室)
 デラックス和洋室(3人部屋)船室へのトイレを完備し、船室は大きな窓から海を一望できます。
テレビ・トイレ・洗面台付き
部屋タイプ:洋室
定員・部屋数:3名・33室
広さ:13.3㎡
ベッド幅:80×200(cm)
 デラックス和室
テレビ・トイレ・洗面台付き
部屋タイプ:和室
定員・部屋数:3名・6室
広さ:15.7㎡
マット幅:80×200(cm)
・スタンダード洋室(10室)
2段ベッド型のスタンダード洋室
リターン式コインロッカー・各自コンセント・自動ロック式カードキー(レディースルームのみ)付き
部屋タイプ:洋室
定員・部屋数:16名・11室/12名・2室/10名・1室/8名・2室
※5Fフロア部屋数を含む
ベッド幅:75×200(cm)
・展望ルーム
・レストラン


5階
・デラックス洋室(通常4名×21室・バリアフリー2名×2室・ウィズペット2名×2室)
 デラックス洋室 4名部屋
小さなお子様をお連れのお客様がご利用しやすいよう室内入口から2段ベットまで絨毯敷きに変更し、靴を脱いでご利用頂ける船室となりました。
テレビ・洗面台付き
部屋タイプ:洋室
定員・部屋数:4名・21室
広さ:12.4㎡
ベッド幅:80×200(cm)
 デラックス洋室 バリアフリー
自動ドアを新しく設置する事により、従来船に有るバリアフリーの船室より更にストレス無く使用して頂けるようになりました。
テレビ・洗面台付き
部屋タイプ:洋室
定員・部屋数:2名・2室
広さ:14.8㎡
ベッド幅:100×200(cm)
 デラックス洋室 (ウィズペットルーム)
別途使用料10,000円 ※ペット無しの場合は利用不可
ペットとご一緒に船旅を楽しんでいただけるように広い間取りと、初めての船旅でもペットがストレス無く過ごして頂けるように船室にはドッグランを併設。
テレビ・トイレ・洗面台・ペットサークル・専用ドッグラン併設
部屋タイプ:洋室
定員・部屋数:2名・2室
広さ:15.0㎡
ベッド幅:100×200(cm)
 スタンダード和室(バリアフリー)(14名×2室)
バリアフリーを重点的に考え、自動ドアを設置し車イスでのご利用も可能。
リターン式コインロッカー・各自コンセント付き
部屋タイプ:和室仕様
定員・部屋数:14名・2室
1人分のスペース:約70cm
 スタンダードシングル(ドライバーズルーム)(1名×110室)
全室へテレビを完備し、リーズナブルかつ快適なシングルルーム
テレビ付き
部屋タイプ:洋室
定員・部屋数:1名・110室
ベッド幅:75×200(cm)
・売店
・カラオケルーム
・キッズルーム
・授乳室
・ロビー・案内所

せっつ
基本情報
船種 フェリー
船籍  日本
所有者 阪九フェリー
運用者 阪九フェリー
建造所 三菱重工業下関造船所
母港 神戸
姉妹船 やまと
信号符字 JD4659
IMO番号 9860831
MMSI番号 431014026
経歴
進水 2019年8月2日
竣工 2020年2月27日
就航 2020年3月10日
現況 就航中
要目
総トン数 16,292 トン
全長 195.0 m
垂線間長 179.6 m
全幅 29.6 m
機関方式 ディーゼル
航海速力 23.5ノット
旅客定員 663名
車両搭載数 トラック277台、乗用車188台

豊橋公園前停留場 豊橋鉄道東田本線

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豊橋公園前停留場(とよはしこうえんまえていりゅうじょう)は、愛知県豊橋市八町通4丁目にある豊橋鉄道東田本線の停留場(電停)である。停留場番号は6。吉田城址に整備された公園最寄に位置し、併設された球場や陸上競技場への乗客輸送に利用さています。


構造
相対式、三角屋根の上屋付き安全地帯2面2線を持つ。国道1号との併用軌道上にあり、上下線の安全地帯は交差点を挟んで離れた場所にある。バリアフリー対応のスロープでホームに連絡します。

周辺
豊橋公園
山田宗徧邸址(石碑)(茶の湯の千宗旦四天王)
吉田城(豊橋城)
豊橋市美術博物館
豊橋球場(豊橋市民球場とは別)
豊橋陸上競技場
豊橋ハリストス正教会
安久美神戸神明社(豊橋神明社)
豊橋閣日進禅寺
吉田山龍拈寺

周辺の道路
八町通り(豊橋市)
市電通り(豊橋市)
くすの木通り(豊橋市)

1927年(昭和2年)頃 - 練兵場前停留場として開業。
この間 - 練兵場前停留場廃止。
1950年(昭和25年)頃 - 戦災復興の複線化計画に伴い、球場前駅として再開業。
1963年(昭和38年)9月 - 体育館前駅に改称。
1996年(平成8年)6月 - 豊橋公園前に改称。


豊橋公園停留場
とよはしこうえんまえ
Toyohashikoen-mae
◄5 市役所前 (0.2km)(0.5km) 東八町 7►
所在地 愛知県豊橋市八町通四丁目
北緯34度46分0.42秒
東経137度23分43.93秒
駅番号  6 
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 東田本線
キロ程 1.6km(駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1927年(昭和2年)頃
備考 練兵場前停留場として開業。

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