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長崎電気軌道1500形電車 

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長崎電気軌道1500形電車(ながさきでんききどう1500がたでんしゃ)は、1993年(平成5年)に登場した長崎電気軌道の路面電車車両である。


ラッシュ時に運行されていた700形や1050形といった非冷房車の置き換えを目的として、1993年(平成5年)から1997年(平成9年)までに7両が登場した。

1200形・1300形同様、アルナ工機で製造した新造車体と中古の台車、電装品を組み合わせた機器更新車である。

前形式の1300形では縦並びであった前照灯・尾灯の配置が横並びとなり、側面窓も枚数を削減したうえで大型化されている。塗装は2000形以降の新造車で見られる軽快電車の塗装を踏襲しているが、窓回りや窓サッシはブラウンに塗り分けられている。

客室内は従来の型式と比べて降車ボタンの増設や天井のエアコン吹き出し口の形状変更がなされている。1996年(平成8年)製造の1506号以降は吊革が増設された。

台車や電装品等は西鉄北九州線600形の廃車発生品を再利用している。このうち、主電動機は長崎電気軌道として初めて出力45kW(一時間定格)のものが搭載されている。

1500A形への改造
長崎電気軌道では1200形5両を台車交換(K-10型→FS-51型)のうえ間接制御化し、1800形と同水準の走行性能にするリニューアル工事を実施していたが、4両(1202 - 1205)を改造したところでFS-51型台車の自社保有在庫が尽きたことから、残る1両(1201)は未改造のままであった。

その代わりとして2010年(平成22年)にFS-51型台車を装着する1500形1507号が間接制御化などの改造を施され、同年8月に1500A形として竣工した。 改造では間接制御化や側面行先表示器の大型化、制動システムの二重化など1200形のリニューアルに準じた変更のほか、併せて電動空気圧縮機(コンプレッサー)の交換も実施されている。

現状
2018年4月現在、1500形6両(1501 - 1506)、1500A形1両(1507)の7両が在籍する。全車がカラー電車Bタイプとして全面広告の対象となっている。

長崎電気軌道1500形電車
1500A形電車

基本情報
運用者 長崎電気軌道
製造所 アルナ工機(車体のみ)
製造年 1993 - 1997年
製造数 7両
主要諸元
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600V(架空電車線方式)
車両定員 53名(座席28名)
自重 1500形:15.5 t
1500A形:15.6 t
最大寸法
(長・幅・高) 11,700×2,250×3,830 mm
車体 普通鋼(全金属製)
台車 住友金属工業 FS-51
主電動機 東洋電機製造
TDK-524-2C
主電動機出力 45 kW
搭載数 2
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 59:19[3]
制御方式 1500形:直接制御
1500A形:間接制御
制御装置 1500形:DRBC447[
1500A形:ES653-A-M
制動装置  直通空気、電気


蒸気機関車C57155・新幹線電車21-50号車 モニュメント(JR新大阪駅構内)

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蒸気機関車C57155・新幹線電車21-50号車 モニュメント(JR新大阪駅構内)

新大阪駅1階に設置されている。

昭和59年に、東海道新幹線の20周年を記念して設置。他の場所に設置されたものが今の場所に移転されたもの。
車軸と車輪は、0系新幹線電車21-50号車のもので住友金属が製造した。車軸は、地球約117周分、車輪は、地球約22周分走った。

C57155の第1動輪(蒸気機関車C57形式テンダー)
昭和17年(1942)7月11日、川崎車輌製(製造番号2682)。新製後すぐに鳥栖区へ配置され昭和49年宮崎で廃車になるまで生涯九州を離れなかったC57。門司~早岐~宮崎などを渡り歩き晩年までファンの注目を浴びていた。このカマの特徴はやはり小倉工場型切取りデフ(門鉄デフ)装備第一号(Kー1型 関分類)ということであろう。また同機の動輪とプレートは大阪共栄興業内にも保存展示されている。

プレートは昭和4年3月の図面番号AA6000に準拠。 形式表記あり、字体はゴチック、形式と番号の間が空かない、縦280㎜×806㎜と最も大きいタイプ。

29600の第2動輪(蒸気機関車9600形式テンダー)9600形蒸気機関車は「キューロク」「クンロク」と呼ばれ、愛称「山親爺」。
29600は大正7年11月、汽車会社製です。原ノ町→直方→西唐津と転属、昭和47年10月に廃車となっています。
図面番号AC6425(年月日わからず)ローマン書体。


形式入りで。縦は260㎜とC57のと比べると20㎜小さい。

前畑停留場 豊橋鉄道東田本線

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前畑停留場(まえはたていりゅうじょう)は、愛知県豊橋市前畑町にある豊橋鉄道東田本線の停留場(電停)。停留場番号は8。

構造
2線2面の相対式の安全地帯(上下線とも交差点を越えたところに設置)。ホーム幅は非常に狭く上屋があります。
ここから東田坂上方に急坂があり、東田方面行きホームはその坂の途中にあるため、勾配のあるホームとなる。

周辺
豊橋市立旭小学校
当駅より東側の線路は、昔ながらの石畳になっている。

周辺の道路
多米街道(豊橋市)
市電通り(豊橋市)

西の東八町停留場から東部は、普通の住宅地となるため、この前畑停留場周辺では地域住民の足としての利用が多い。

この前畑停留場と東八町停留場の間にある豊橋市立旭小学校では、遠足などで前畑停留場を利用する。小学校時代に駅前停留場から前畑停留場まで、交通信号機停車は有るものの中途停車無しで、路面電車を貸切電車として乗った経験を持つ人もいる。


大塚製薬『ビタミン炭酸 MATCH』(2014年) のCM撮影が同駅で行われた。ただし、駅名が『廣瀬(ひろせ)』に変更されている。CMの出演は広瀬アリスと広瀬すず。


歴史
1925年(大正14年)12月25日 - 開業。


前畑停留場
まえはた
Maehata
◄7 東八町 (0.4km)(0.3km) 東田坂上 9►
所在地 愛知県豊橋市前畑町
北緯34度45分56.79秒
東経137度24分17.35秒
駅番号  8 
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 東田本線
キロ程 2.5km(駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1925年(大正14年)12月25日

日産・ダットサントラック(初代) 10T型

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日産・ダットサントラック(初代)10T型


ダットサントラック (DATSUN TRUCK) は、日産自動車が生産、販売する小型商用車。2002年以降日本での販売はされていないが、中国をはじめ、アジア、中東、アフリカ、南米、大洋州諸国で販売が続けられているピックアップトラックである。10代目より「ダットサン」の名が外され、「ニッサン」ブランドに統一された。

ダットサントラックの「ダットサン」とは、かつて日産自動車に存在した小型車専用「ブランド」で、ダットサントラックのみにその名を残していた。日本車の車名としてはもっとも長い歴史を誇る(日本国内向けにおいては10代67年)。通称は「ダットラ」。なお、3135型車は現在施行されている型式指定番号の1番を取得した自動車である。

D21型以降、北米向けを「フロンティア」、欧州向けを「ピックアップ」、大洋州およびイギリス向けを「ナバラ」、南アフリカ向けを「ハードボディ」と、地域ごとに車名を使い分けている。

初代 10T型(1935年-1943年)
1935年7月、10T型発売。
1937年、17型発売。直列4気筒 722cc サイドバルブエンジンを搭載した。
1943年12月、生産終了。


日産・ダットサントラック(初代)
10T型
1937年式 17T型
1938 Datsun 17T.jpg
販売期間 1935年7月 ー 1943年12月(生産終了)
エンジン 直列4気筒 722cc SV
全長 3,020mm
全幅 1,197mm
全高 1,550mm
ホイールベース 2,005mm
車両重量 620kg

 

 

国鉄6200形蒸気機関車 1070形

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国鉄6200形蒸気機関車 1070形
6200形は、1897年(明治30年)および1900年(明治33年)に、イギリスのニールソン(ネルソン)社 (Neilson & Co., Hyde Park Locomotive Works) で製造され、官設鉄道が輸入したテンダー式蒸気機関車である。
他社製の同形機をあわせて1909年(明治42年)までに135両が輸入された、明治時代後期を代表する旅客列車用テンダー機関車の一つである。後述の他社製造機も含め、原設計を行なった会社の名を取って「ネルソン」と愛称された。
、同形機であるイギリスのダブス社 (Dubs & Co., Glasgow Locomotive Works) 製の6270形、アメリカのアメリカン・ロコモティブ(アルコ)社クック工場 (American Locomotive Co., Ltd. (=Alco.) Cooke Loco. Works) 製の6300形、ドイツのハノーバー社 (Hannoversche Maschinenbau Actien-Gesellschaft (=HANOMAG) ) 製の6350形についても取扱う。これらは、鉄道作業局では一括してD9形と称された。
また、15両が東武鉄道に譲渡(6200形 → B5形、6250形 → B6形)されて長く使用され、官設鉄道に残った多くが大正時代末期に性能向上のため飽和式から過熱式に改造(6200形・6270形 → 6250形)されたり、タンク式蒸気機関車に改造(6200形・6270形 → 1070形、6350形 → 1000形(2代)、6300形 → 1150形(2代))されたりした。


1070形 (1070 - 1118) は、6200形および6270形を支線の小運転や入換に適するよう、従軸を1軸追加して、側水槽および炭庫・背水槽を増設し、4-4-2 (2B1) 型タンク機関車に改造したものである。過熱式改造および譲渡されなかった全49両が1925年(大正14年)から1928年(昭和3年)までに大宮工場、浜松工場および鷹取工場で改造され、改造の終了により6200形および6270形は消滅した。種車のシリンダの弁室は上側、内側両方のタイプがあるが、上側タイプであっても内側に移設されたものとそうでないものがあり、まちまちである。また、側水槽は左右とも前半部上面に傾斜のついた五角形である。改造年および施行工場、新旧番号。

1925年改造(5両)
大宮工場 6207, 6206, 6204, 6209 → 1070 - 1073
鷹取工場 6293 → 1086
1926年改造(32両)
大宮工場 6205, 6210, 6208, 6284, 6288, 6287, 6289, 6291, 6294, 6292, 6271, 6290, 6203, 6211, 6201 → 1074 - 1085, 1094 - 1096
鷹取工場 6280, 6281, 6282, 6283, 6270, 6272, 6278, 6213, 6215, 6218, 6231 → 1087 - 1093, 1106, 1107, 1109, 1111
浜松工場 6224, 6229, 6233, 6227, 6235, 6225 → 1100 - 1105
1927年改造(9両)
大宮工場 6200, 6202, 6216 → 1097 - 1099
鷹取工場 6217, 6221, 6275 → 1108, 1110, 1117
浜松工場 6286, 6279, 6285 → 1112 - 1114
1928年改造(3両)
大宮工場 6273, 6274 → 1115, 1116
鷹取工場 6276 → 1118
改造後は、原則として改造工場の属する鉄道局管内に配置されたが、移動は激しかった。これは、電化や支線区の建設の進行により、制式機が配置されることによるものである。1933年(昭和8年)6月末現在では、17両が東京鉄道局(宇都宮、水戸、木更津、真岡、勝浦、高崎)、14両が名古屋鉄道局(信濃大町、高岡、美濃太田、福井、長野工場)、15両が大阪鉄道局(米子、鳥取、出雲今市、浜田、和歌山、貴生川)、3両が仙台鉄道局(鰺ヶ沢、野辺地、青森)に配属されていたが、うち4両は廃車前提の第2種休車であった。

1945年(昭和20年)3月末には24両が在籍していたが、1952年(昭和37年)には2両となり、間もなく全車が除籍された。

民間へは13両が払下げられており、その状況は、次のとおりである。

1078(1940年) → 三井鉱山三池鉱業所 20
1080(1939年) → 日鉄鉱業赤谷鉱業所 1080 → 羽鶴鉱業所
1083(1940年) → 筑前参宮鉄道 8(→西日本鉄道宇美線) → 鉄道省(1944年)
1088(1940年) → 加悦鉄道 1088
1090(1939年) → 日本製鐵八幡製鉄所 350
1097(1940年) → 東洋埠頭 1097
1099(1938年) → 東北振興化学 1099
1102(1939年) → 日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道 1102
1103(1942年) → 西日本鉄道(宇美線) 1103 → 鉄道省(1944年)
1107(1939年) → 江若鉄道 1107
1113(1940年) → 夕張鉄道 1113
1117(1941年) → 江若鉄道 1117 → 桜島埠頭 1117(1949年)
1118(1937年) → 江若鉄道 1118
西日本鉄道に譲渡された2両は、1944年の戦時買収により再び国鉄籍となった。番号は、八幡製鉄所へ譲渡された1090が350に、三井鉱山三池鉱業所へ譲渡された1078が20に改められた以外は、国鉄時代の番号のまま使用された。このうち、八幡製鉄所の350は先輪のボギー台車と従輪を外して軸配置を2-4-0 (1B) に改造され、前部を詰め背部炭庫を縮小して寸詰まりのユーモラスな姿となっていた。

江若鉄道の1107, 1108や日鉄鉱業の赤谷鉱業所から羽鶴鉱業所に移った1080が1960年代まで使用され、特に羽鶴鉱業所の1080は1970年代後半まで現役で使用された。1080(旧6289)は、使用終了後に非公開で保管されていたが、2008年(平成20年)7月に西日本旅客鉄道(JR西日本)へ譲渡の申し入れがされた。これを受け同社は、現在唯一残る貴重なD9系蒸気機関車であることから、2009年(平成21年)9月以降の梅小路蒸気機関車館での保存を決定した。保存実施後は同館保存機では最古の、かつ唯一の明治時代に製造された車両となる。その後、2009年11月14日に同館で日鉄鉱業からJR西日本への譲渡式が行われた。2016年4月に梅小路蒸気機関車館を拡張・改称した京都鉄道博物館で引き続き保存されている。

主要諸元
全長:11,381mm
全高:3,808mm
軌間:1,067mm
車軸配置:4-4-2(2B1)
動輪直径:1,520mm
弁装置:スチーブンソン式
シリンダー(直径×行程):406mm×610mm
ボイラー圧力:11.0/12.0kg/cm2
火格子面積:1.32m2
全伝熱面積:73.9m2
煙管蒸発伝熱面積:66.1m2
火室蒸発伝熱面積:7.8m2
ボイラー水容量:3.3m3
小煙管(直径×長サ×数):45mm×3,229mm×163本
機関車運転整備重量:48.00t
機関車空車重量:36.00t
機関車動輪上重量(運転整備時):23.70t
機関車動輪軸重(第1動輪上):12.00t
水タンク容量:6.20m3
燃料積載量:2.5t
機関車性能
シリンダ引張力:6,190kg(11.0kg/cm2のとき)
ブレーキ装置:手ブレーキ、真空ブレーキ → 空気ブレーキ


1080履歴
1901 Dubs 製番4166
国鉄 D9形651
1909-10-1改番 6289
1911-10現在 中部局
移動時期不明 東部局
1913-10-1 神戸局
移動時期不明 名古屋局
1926-2-7 浜松工場改造 1080
名古屋局配置
1933-6-30現在 美濃太田
1938-11-28廃車
1940-10-11(9-30?)譲渡 日鉄鉱業赤谷鉱業所
1956-10(1957-1-24?)移管 日鉄鉱業羽鶴
1972-8-29国鉄郡山工場乙種修繕
1979-6-10 最終運転
1991-11 専用線廃止
2009-7-21搬出
2009-9-14 日鉄鉱業よりJR西日本への譲渡式

マツダ・K360(東洋工業)

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マツダ・K360は東洋工業(現マツダ)が、かつて生産・販売していた軽三輪トラック(オート三輪)である。 けさぶろうの愛称で知られる。
東洋工業初の軽三輪トラックとなり、同社のT600とは共通設計の姉妹車でもある。


小杉二郎によるスタイリングと明るいツートーンカラーにより、商用車とは思えないスマートさで人気となった。K360が登場した1959年は、ダイハツ・ミゼットの丸ハンドル仕様となるミゼットMPシリーズの発売とほぼ同じ年であり、真っ向から比較される対象であったが、マツダ・K360の方が静粛性は優れており、また、タイヤサイズがミゼットの9インチに比べて12インチと大きいことから、ボディサイズが同等のミゼットよりもひとまわり大きく感じさせた。


メカニズムでは、エンジン自体とその搭載方法が特徴となっている。エンジンは空冷 4ストローク OHV V型2気筒のBA型ガソリンエンジンで、バンク角は76°、潤滑はドライサンプである。最高出力は11馬力 / 4300 rpm 、最大トルクは2.2 kg-m / 3000 rpm で、搭載位置はキャビン背後の荷台との間、いわゆるミッドシップに縦置きされ、それに続く3速マニュアルトランスミッションとプロペラシャフトを介し、後輪を駆動する。このエンジンレイアウトは荷台の絶対長では不利になるものの、2気筒エンジンをキャビンと隔離して搭載できるため、静粛性や低重心性、整備性という面では競合車種より優位であった。エンジンにアルミを多用することにより、軽量化も図られている。
トランスミッションは、前進が常時噛み合い式(コンスタントメッシュ)、後退が選択擦動式である。
フレームは三角形はしごフレームで、サスペンションは、前がリジッドフォーク + ボトムリンク + コイルスプリング、後は半だ円リーフスプリング + リジッドアクスルである。ショックアブソーバーは前輪にのみ、リーディング&トレーリングシューの油圧式ドラムブレーキは後輪のみに備わる。フロントサスペンションはオート三輪の競合車種に多いオレオフォーク式でなく、旧式なボトムリンク式だが、上位のマツダオート三輪同様に耐久性を重視した結果である。
操舵装置はラック・アンド・ピニオン、丸ハンドルとなっている。
なお、この車両とマツダ・B360は1960年代にミャンマーに輸出され、その後は1990年代中期頃まで現地生産が行われていたため、ミャンマー国内では現在でも現役の車両が多数見られるという。

1959年5月、発表、市販開始。
1962年8月、マイナーチェンジ。引きちがい式だったドアウィンドウが4段階の昇降式に変更されたほか、三角窓とサイドベンチレーターが追加される。
1964年1月、マイナーチェンジ。ホイールベースを35 mm 延長。キャビンのルーフが鋼板化される。
1969年3月、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1969年9月、販売終了

新川停留場 豊橋鉄道東田本線

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新川停留場(しんかわていりゅうじょう)は、愛知県豊橋市駅前大通3丁目にある豊橋鉄道東田本線の停留場(電停)である。停留場番号は3。

構造
相対式の上屋付き安全地帯2面2線を持つ。併用軌道上にあり、上下線のホームが向かい合っている。停留所西側(駅前寄り)に片渡り線がある。これは主に、毎年10月の豊橋まつり開催時に、臨時電車折り返しのために使われる。上屋付きの電停でスロープなどは設置されていない。

周辺
豊橋郵便局
三菱UFJ銀行豊橋支店
愛知銀行豊橋支店
豊橋信用金庫中央支店
豊橋閣日進禅寺
龍拈寺
広小路


1925年(大正14年)7月14日 - 神明駅として開業。東田本線と柳生橋支線の分岐点であった。
この間 - 新川停留場に改称。
1976年(昭和51年)3月7日 - 柳生橋支線廃止。支線側の安全地帯は撤去。

接続可能なバス路線
豊鉄バスの「新川」バス停が、当停留所の東側と南側(国道259号上)に設置されている。豊橋駅前方面ののりばも2か所に分かれて設置されている。
北山方面(南側)
豊橋技科大線
三本木線
台町・舟原方面(東側)
飯村岩崎線
牛川金田線
岩田団地線,岩田団地豊橋市民病院線
西口線,西口豊橋市民病院線
天伯団地線
豊橋和田辻線,和田辻豊橋市民病院線
二川線


新川停留場
しんかわ
Shinkawa
◄2 駅前大通 (0.3km)(0.4km) 札木 4►
所在地 愛知県豊橋市駅前大通三丁目
北緯34度45分46.52秒
東経137度23分22.38秒
駅番号  3 
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 東田本線
キロ程 0.6km(駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1925年(大正14年)7月14日
備考 神明駅として開業、折り返し設備有

 

 

 

旧佐世保水交社(海上自衛隊佐世保史料館)

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旧佐世保水交社(海上自衛隊佐世保史料館)

海上自衛隊佐世保史料館はかつてこの地にあった「水交社」の建物の一部を利用し、平成9年(1997)にオープンしたものである。水交社とは、海軍士官の懇談や外国艦隊士官の接待、艦隊乗組士官の宿泊場として設けられた施設である。

佐世保水交社は明治26年(1893)に谷郷町に設立され、明治31年に現在地に移転新築された。初代は木造の建物だったが、のちに鉄筋コンクリート2階建て(一部3階)の建物に建て替えられた。戦後は米軍に接収され、将校クラブとして使われた。玄関周りの意匠や八角形の屋根などに水交社時代の面影を残している。
海上自衛隊佐世保史料館(かいじょうじえいたいさせぼしりょうかん)は長崎県佐世保市にある海上自衛隊及び大日本帝国海軍に関する史料館。愛称は「セイルタワー」。1997年(平成9年)3月10日に現在地に開館した。

1968年(昭和43年)、佐世保市平瀬町の佐世保補給所内(現・平瀬庁舎)に設けられた海自防衛資料館が前身。旧日本海軍・佐世保鎮守府時代から海上自衛隊にいたる現在までの資料約4,400点を収蔵、そのうち約1,300点を常設展示している。映像や写真、模型、当時の資料などを通じ、旧海軍、自衛隊の変遷を知ることができる。

施設
7階 展望所、映像ホール 展望所からは佐世保港や米海軍佐世保基地などが一望できる。映像ホールでは海上自衛隊のPR映画を上映している。
6階 長崎海軍伝習所から佐世保鎮守府開設までの歩み
5階 日清戦争、日露戦争
4階 太平洋戦争
3階 海上自衛隊の艦船、歴史
2階 海上自衛隊の装備、活動(南極観測船、災害派遣、海外派遣など)、図書室
1階 売店、企画・特別展示
入館者はいったんエレベーターで7階に昇り、1階ずつ降りていく。

基本情報

開館時間:9:30~17:00
休館日:毎月第3木曜日及び年末・年始(12月28日~1月4日)
入館料:無料(入館の際、1階受付で署名が必要)
2009年(平成21年)の行政刷新会議による事業仕分けにおいて、参議院議員の蓮舫(後の行政刷新担当相)が入場料を徴収するよう指摘したことを受け、2010年(平成22年)11月1日より「当面の間」高校生を除く18歳以上の大人が400円、小・中・高校生が200円の有料制とされた(陸上自衛隊広報センター・航空自衛隊浜松広報館との同時実施)が、有料化に伴い入場者数が激減したなどの理由から同実験は2011年2月1日付をもって終了した。
駐車場:普通車約20台、大型バス6台(無料)


交通アクセス
西九州自動車道佐世保中央インターチェンジより車で1分
西肥バス(させぼバスも含む)「佐世保市総合医療センター入口」下車、徒歩2分
国道35号松浦交差点から車で2分


保線 作業車

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保線(ほせん)とは、鉄道や軌道の線路の保守を行うことをいう。
鉄道(軌道も含む)の線路は、重量のある列車が走行するうちに軌道の変位・レールの摩耗が生じる。これを放置しておくと乗り心地や走行安定が悪くなり、さらに進行すると脱線の原因になるため、定期的に保守を行い、規定の状態を維持することで安全性を保つ。この一連の流れを保線という。なお、保線作業に用いる資材や車両を留置させておく基地を「保線基地」・「保守基地」「基地線」などという。

試験車(東日本旅客鉄道(JR東日本)のEast iなど)による計測データや、線路を歩いて見て検査点検し、不良箇所の判断判定を行って修繕計画を立てて、材料等を購入運搬し、修繕作業を行う。主な作業は、軌道の変位(軌間・通り・高低・水準・平面性等)の修正・レールの交換・バラスト(砂利)の入れ替え、踏切の修繕、枕木の交換、犬釘・ボルト・絶縁材などの交換などがあげられる。

広義には、直接の軌道設備以外にも、信号設備や架線など電車線路(電路)関係・トンネル壁面・橋梁の保守まで含まれる。

保線は重労働が多く、作業の様子から、日本国有鉄道(国鉄)は保線区の浴場を「鍛冶湯」と呼んでいた。[要出典]現在でも重労働は残るが、以前と比較するとかなり機械化されてきている。

軌道の高低を直す作業(むら直し)を例に挙げると、かつてはビーター(ツルハシの片方が平べったく、先が扇状になっている物)を用いて、枕木の周囲のバラストを掻き出した後、ビーターで枕木の下にバラストを詰め込むことで整正していた。今では電動式のタイタンパーの振動でバラストを枕木の下に詰め込むことで整正している。工事区間が長い場合は、大型重機にタイタンパーを取り付けた特殊車両や、マルチプルタイタンパーが出動する。ただしこれらを使用する際は保守用車・軌陸車の使用手続と、その操縦者、場合によっては誘導員も手配する必要があるなど手間がかかるため、基本的にはタイタンパーを使用する例が多い。

レール交換など大規模な保線作業開始前には線路閉鎖などの手続を取る。このため輸送指令などに保線作業実施についての報告・連絡などを行う線路閉鎖責任者が必要である。また線路閉鎖の手続をしないで列車を運行しながら保線作業を実施する場合もあり、この場合は列車見張員を配置し、作業員の安全を確保している。列車見張員はダイヤ確認と目視による現物確認を基本とするが、補助的に列車接近警報装置を使う場合もある。また、カーブなどで見通しが悪く作業現場から接近する列車の目視確認が困難な場合は、中継の見張員を配置して、列車接近時に安全な待避余裕距離を確保することが求められている。

待避不良による運転支障事故や触車事故防止のため、列車が作業現場を通過する5分前もしくは列車接近時には、列車見張員の笛の吹鳴と警告喚呼により作業員は一斉に作業をやめ、安全地帯(建築限界外)に待避する。その際に線路内に作業道具など列車の運行に支障するものが残っていないか確認を行う。待避が完了すると見張員は旗を掲げる、もしくは旗を振り(夜間の場合は照明を使用)、作業員は片手を水平(会社によっては斜め上)に伸ばしながら列車を注視する(列車を確認し、待避が完了していることを運転士に知らせるため)。通過する列車は、見張員の待避完了の合図を確認した時点で、警笛を一声吹鳴する。列車の編成が完全に通過し、安全であることを確認した後、作業に戻る(見張員の動作等は各鉄道会社により取扱が違う)。

ちなみに列車見張員の資格は社内資格であるが、社内での試験内容等の扱いは会社によって異なる。しかし、請負業者社員等が列車見張員の資格を取る場合は日本鉄道施設協会による受講等を受けて合格をしなければならない。

大規模な作業の場合は線路閉鎖を行う関係から、終電から初電の深夜・未明に行う場合がほとんどであるが、路線によっては(並行する他社私鉄路線やバスによる振替輸送が可能な場合)「リフレッシュ工事」などと称して、朝ラッシュ終了後から夕刻時の日中に列車を運休して保線作業を行う場合がある。

またJR西日本においては年に数回、「保線運休」と称して、保線作業のため日中運休とする路線も存在する。2013年9月19日に函館本線・大沼駅で発生した貨物列車の脱線事故では、現場の軌間が拡大していたほか、北海道管内で不適切な保線(軌道の軌間変位を放置など)の事例が多数発覚した。

機器
マルチプル・タイタンパ(マルタイ・MTT)
軌陸車
レール運搬トロッコ
バラスト運搬トロッコ(ホッパ車)
モーターカー(軌道モータカー)
レール削正車
軌道自転車
穴掘り車
架線敷設車
除草剤散布車
レール山越器
保線機器メーカー
国内メーカー
RAILMAN® 株式会社石田製作所
有限会社シンコーメタル
東光産業株式会社
保線機器整備株式会社
株式会社アイエム
国外メーカー
Plasser & Theurer
MATISA
SPENO
LINSINGER
KIROW
保線関係法規類
鉄道営業法
鉄道事業法
鉄道事業法施行規則
踏切道改良促進法
踏切道改良促進施行法
普通鉄道構造規則
鉄道運転規則
鉄道に関する技術上の基準を定める省令

国鉄B20形蒸気機関車(B20 10号機)

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B20形蒸気機関車(B20がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である運輸通信省(のち運輸省)が第二次世界大戦末期から終戦直後にかけて少数を製造した、主として入換え作業用の小型タンク式蒸気機関車である。


機関車の概要・特徴
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2014年1月)
これほど小さな国鉄機関車は明治時代以来で、極めて異例といえる。戦時中に規格生産された産業用機関車の一種であり、本線用の国鉄制式機関車の系譜とは、本来全く無関係の存在である。

通常なら車両扱いされない「構内作業用機械」が、都合で「鉄道車両」扱いされて車籍を持った、という捉え方が本形式の実状に近い(類似例としては、私鉄路線に接続する専用線での入換作業や、自社内での保線・除雪作業用のモーターカーの一部に、車両扱いされて車籍を持ったものがある)。なお、形式の「B20」とは、動軸2軸を有する(B型)の運転整備重量20トンの機関車という意味で、まさに産業用機関車の形式付与方法そのものである。国鉄制式蒸気機関車の形式付与体系と照らした場合、動軸数を表すアルファベット+タンク機を表す10 - 49という付与法則には一応合致しているが、B10形との間に存在すべきB11 - B19を飛ばしている形になる。

戦時中の設計・製造ゆえに実用上問題が多く、余りに小さ過ぎたこともあって用途が極端に限定されたこともあり、車齢の若いうちに多くが廃車されたが、2両が保存されうち1両(10号機)は現在自走可能状態にある。

開発の経緯
太平洋戦争開戦直後の1941年12月、大手・中小の鉄道車両メーカー多数が国策によって「車両統制会」を設立、その管轄下で産業用の小型蒸気機関車・ガソリン機関車の統制規格生産を行うことになった。

産業用蒸気機関車については、富山市郊外に工場を持つ本江機械製作所(1943年に立山重工業へ社名変更)が最大の製造業者となった。

規格統制会の「小型蒸気機関車専門委員会」が設計した規格形機関車は、構造を簡易化するため随所に代用材が用いられ、部材寸法も規格材を少ない加工で用いることを主眼に粗く設定されている。また、ボイラー強度を低く済ませる目的で性能を見切り、あえて飽和蒸気方式とした。また、戦時中の物資不足も重なっていたために銘板も木製であるなど、実用上最小限の材料で製作されていた。

多数の蒸気機関車が産業鉄道や軽便鉄道、あるいは軍工廠内専用鉄道に供給されたが、生産と運用の実態は戦時中ということもあり、多くが不明である。

この系列設計の中で、比較的大型に属する軌間1,067mm対応で20トン級(乙B20型[1])の何両かは、運輸通信省(1943年鉄道省から改組、1945年運輸省に改組)に籍を持つこととなる。

構内作業用を目的に1944年、省向けに5両が製造されることになったが、立山重工業に余力がなく、省の郡山工場(製造番号12 - 16)で造られている。戦後1946年から翌年にかけ、立山重工業で10両(製造番号347 - 353, 402 - 404)を追加製造し、合計15両となった。

基本構成
技術的にさして見るべき所はなく、単純化された戦時設計で、あくまでも生産性重視の省力構造である。徹底した資材節約と工数削減化により一切の装飾が排除され、ドームやタンクは直線形態、仕上加工も省略するか最低限に抑えるなど、美観に対する配慮はほとんど見られない。

最大の特徴は、圧縮ポンプなどの空気ブレーキ機構を持たず、代わりに自機用の蒸気圧ブレーキを装備することである。もとより強大なブレーキ力が必要な高速運転や長大編成牽引とは無縁であり、小運転なら機関車単機のブレーキでも制動可能と割り切ったものであった。

蒸気圧ブレーキは、海外の古典機関車に例が見られるが、さすがに昭和時代の国鉄機関車としてはB20形が唯一の採用である。無論、貫通ブレーキを持たず制動力の弱い本形式では本線列車の牽引など不可能で、あくまで構内での入換作業専用であった。

運用
戦後、本来の使用目的の入換として使われたのは、横須賀の米海軍基地の貨車入換仕業に配置されたB20 2、B20 5、B20 6、B20 8号機など数両のみで、あとは各地の機関区に分散配置され、機関区での六検時の無火状態の機関車の入換えや、機関区構内での石炭輸送などで細々と使用されているに過ぎなかった。貫通ブレーキ用コンプレッサーを持たないため、本線営業列車を単独で牽引することは不可能である。

しかし、戦時急造形のため材質・工作は良くなく、国鉄機関車としては特殊過ぎることもあって、早期に整理されることになった。国鉄蒸気機関車全廃まで使用されたものは、小樽築港機関区所属の1号機と鹿児島機関区所属の10号機があるに過ぎない(末期は実用機というよりマスコット的な位置づけだった)。

また、B20形のうち立山製の11・12号機は、戦後1947年に御坊臨港鉄道(現・紀州鉄道)に貸し出された。11号機は短期間で返却されたが、12号機は1948年に正式な払い下げを受けた。

その後、御坊臨港鉄道は、1951年に他の手持ち蒸気機関車を森製作所で改造してディーゼル機関車(DB158号機)とした。寸詰まりな姿で「森ブタ」と通称される、一連の森製作所製蒸機改造機関車の一例である。これにより、B20形は予備機となった。

ところが1953年7月には和歌山県地方が大水害(紀州大水害)に見舞われ、B20形は復旧困難な損傷を受けた。そこでこちらも森製作所によって台枠・輪軸等を流用したディーゼル機関車への改造工事が行われ、1954年に三菱製117HP機関を搭載した凸型のB形15t機関車「DB2012号機」として竣工した。この機関車は森製作所としては最後の蒸気機関車改造ディーゼル機関車である。1970年代初頭まで御坊臨港の貨物列車牽引に用いられた。

主要諸元
全長 : 7,000mm
全高 : 3,150mm
軌間 : 1067mm
車軸配置 : 0-4-0 (B)
動輪直径 : 860mm
シリンダー(直径×行程) : 300mm×400mm
ボイラー圧力 : 13.0kg/cm2
火格子面積 : 0.81m2
全伝熱面積 : 35.86m2
全蒸発伝熱面積 : 35.86m2
煙管蒸発伝熱面積 : 31.8m2
火室蒸発伝熱面積 : 4.06m2*ボイラー水容量 : 1.35m3
小煙管(直径×長サ×数) : 45mm×2,300mm×98
機関車重量(運転整備) : 20.3t
最大軸重(第2動軸上) : 10.86t
機関車性能:
シリンダ引張力 : 3,190kg
粘着引張力 : 5,075kg
動輪周馬力 : 299PS
ブレーキ装置 : 手ブレーキ、蒸気ブレーキ
保存機
B20 1 (万字線鉄道公園)
B20 1 (万字線鉄道公園)
B20 1側面
B20 1側面
1号機 - 北海道岩見沢市国鉄万字線朝日駅跡「万字線鉄道公園」に静態保存[2]
10号機 - 京都市京都鉄道博物館(旧梅小路蒸気機関車館)に動態保存
梅小路の10号機
10号機は1946年に富山市の立山重工業で製造後、新製配置は姫路第一機関区で、その在籍中の1948年1月から7月までは大和鉄道(近鉄田原本線の前身)に貸し出されていた。1949年6月に鹿児島機関区に移動した。同機関区在籍末期の1969年7月27日に鹿児島鉄道管理局主催[3]のイベント走行でB20+C55+C12+8620形という編成で本線の営業列車を牽引したことがあるが、通常、本線走行は法規的に不可能であった。幸運にも1970年代初頭まで同区に残り、1972年に梅小路蒸気機関車館に収められた。

当初は動態保存対象機であったが、入館当初、数回火が入ったものの、以後はほとんど動くことがないまま1979年(昭和54年)3月31日付で車籍を失い完全に静態保存となった。

2002年には、梅小路蒸気機関車館の開館30周年記念事業の一環とJR西日本発足15周年を迎えるにあたってのビッグイベントとして、数十人のボランティアの手を借りて動態復元されることとなり、5月から修繕工事を施されて再び自走可能となり、同年10月12日に動態復元完成式が行なわれた。大型機関車揃いの梅小路におけるマスコットとなっている。車籍は無く展示走行用備品扱いであるが、梅小路運転区に在籍するDE10形ディーゼル機関車と共に、火の入っていない蒸気機関車の移動などに用いられており、復活後も本来の役目を担っている。また、時折転車台に乗って汽笛吹鳴ショーを披露するなどしている。

10号機の動態復元は関西のメディアで大々的に取り上げられ、多くのSLファンの注目を浴びた。同館では、蒸気機関車の大きな汽笛音に「子供が泣き出して困る」と言った大人の悩みも寄せられていたが、B20はきかんしゃトーマスにも似た小柄さから子供たちにも人気があり、「豆タンク」の愛称で親しまれている。

2006年、「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として、準鉄道記念物に指定された。

 Terex CD 225 Heavy Maintenance Crane 米軍 航空基地用重整備用クレーン

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 Terex CD 225 Heavy Maintenance Crane 米軍 航空基地用重整備用クレーン

Terex CD 225ヘビーメンテナンスクレーン(HMC)は、世界中の海軍航空基地で航空機のメンテナンス作業を行うための地上支援装置として指定されています。 Terex Cranesは最近、米国海軍および米国海兵隊の航空ユニットが使用するために米国海軍航空システムコマンド(NAVAIR)用に製造されたCD 225 HMCを、Waverlyの製造施設での主要な新製品発表イベントで発表しました。

CD 225 HMCは、運転席での運転と操作用に設計されており、コンパクトで頑丈で信頼性があります。全周ガラスとオーバーヘッドガラスを備えた視認性の高いキャブを備え、簡単に1ステップでアクセスでき、26フィート(8 m)または62フィート(18.5 m)のブームを備えたこの25トンの重メンテナンスクレーンは、使いやすさとサービスのシンプルさを兼ね備えています。高速性とパフォーマンス。

一般的にヤードクレーンとして使用され、掘削リグ、石油化学、製油所、鉄道、採石場、鉱山機械のメンテナンスに使用されるその他の技術的特徴は、ブームの長さが62フィート(18.5 m)または72フィート(22 m)、26フィート( 8 m)または43 ft(13 m)のオフセット可能なジブ、121ft(36.9 m)の最大チップ高(72 ftブームあり)、Cummins QSB4.5 130 hp(97 kw)エンジン、2速ウインチピストンモーター364 fpm (1.8 m / s)、12,510ポンド(5675 kg)最大ラインプル、91 GPM(353 l / m)ギアポンプ、14.00 x 24、20 PRタイヤ、46,000ポンド(20,900 kg)GVW、72フィート(22m)ブーム。暖房とエアコンが標準装備されています。

烏丸駅 阪急電鉄京都本線

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烏丸駅 阪急電鉄京都本線


烏丸駅(からすまえき)は、京都府京都市下京区四条通烏丸東入ル長刀鉾町にある、阪急電鉄京都本線の駅。駅番号はHK-85


四条烏丸交差点の直下(おおむね室町通と東洞院通の間)に位置する。京都市営地下鉄烏丸線の四条駅が近接しており、両駅間を乗り継ぐ乗客が多いこともあり、全営業列車が停車する。

京都市営地下鉄の駅と駅名が異なるのは、阪急京都線が四条通沿いに走るため「四条」を略すのに対し、地下鉄烏丸線が烏丸通沿いに走るため「烏丸」を略しているためである。なお、9300系・7300系に搭載されているLCDでの乗り換え案内では、烏丸線は水色地の白字で表示される(同線の公式のラインカラーは緑)。

東隣の京都河原町駅とは、直上を走る四条通の真下を貫く地下道で連絡しており、徒歩10分ほどでたどり着ける(両駅間の営業キロは0.9km)。

この通りは「地下街」ではなく、構内には両駅の売店や地上へと抜ける連絡階段程度しかない。ただし、四条通沿いに立地する各百貨店へは地下道内に面する出入口や連絡階段を通って出入りできる。

駅構造
島式1面2線のホームを有する地下駅。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。よって、当駅で緩急接続や折り返しはできない。

改札口は東西の2か所に設けられている。西改札口は四条烏丸交差点の直下に当たり、地下鉄四条駅へは西改札の方が近い。四条東洞院通地下にある東改札は無人状態のことが多い。

西改札口とホームとの間は階段のほかエレベーター・エスカレーターにより連絡している。東改札口とホームとの間は階段のみである。

トイレは狭いホームのもっとも梅田寄りに、上り下り両側から入れるように設置されている。オストメイト対応の多機能タイプも設置されている。

のりば
号線 路線 方向 行先
1 ■京都本線 上り 京都河原町行き
2 ■京都本線 下り 大阪梅田・天下茶屋・北千里・神戸・宝塚方面


利用状況
2017年の通年平均の乗降人員は79,934人である。阪急電鉄全線で第4位で、京都線単独駅では第1位。2007年までは大阪梅田駅、神戸三宮駅に次ぐ3位だったが、2008年に阪急西宮ガーデンズが開業してから西宮北口駅が上回った。阪急京都線の終点であり、京都最大の繁華街である四条河原町に位置する京都河原町駅より当駅の方が利用者数が多い。


1963年(昭和38年)6月17日 - 京都本線の大宮駅と河原町駅間の延伸に伴い開業する。
1983年(昭和58年)6月1日 - 東西連絡地下道工事のため、東改札口を閉鎖する。


1984年(昭和59年)
10月1日 - 東改札口の供用を再開する。
10月27日 - 東西連絡地下道が竣工する。
1985年(昭和60年)4月1日 - 急行10両運転対応に伴うホーム延長工事が完成する。
2013年(平成25年)12月21日 - 駅番号を導入する。


烏丸駅
からすま
Karasuma
◄HK-84 大宮 (1.1km)(0.9km) 京都河原町 HK-86►
所在地 京都市下京区四条通烏丸東入ル長刀鉾町17番地先
北緯35度0分13.2秒 東経135度45分32.79秒
駅番号 ○HK-85
所属事業者 阪急電鉄
所属路線 ■京都本線
キロ程 44.4km(十三起点)
大阪梅田から46.8km


駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 96,617人/日
-2017年-
乗降人員
-統計年次- (通年平均)79,934人/日
-2017年-
開業年月日 1963年(昭和38年)6月17日
乗換 京都市営地下鉄烏丸線(四条駅)

EF81形電気機関車 

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EF81形は、日本国有鉄道(国鉄)が1968年(昭和43年)から製造した交流直流両用電気機関車である。国鉄分割民営化後にも、日本貨物鉄道(JR貨物)が1989年(平成元年)から追加製造した。


異なる方式で電化が進捗した日本海縦貫線において、50Hzおよび60Hzの交流電化区間と直流電化区間を直通して走行できる電気機関車として開発され、1969年(昭和44年)の北陸本線糸魚川駅 - 直江津駅間直流電化開業に合わせて営業投入された。1979年(昭和54年)までに156両が日立製作所、三菱電機・三菱重工業で製作され、当初想定の日本海縦貫線や常磐線をはじめ、一部仕様を変更した車両が関門トンネル区間の特殊用途にも使用された。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化では156両全機が東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)の各旅客会社とJR貨物に承継され、加えてJR貨物では増大する輸送量に対応するため1989年から本形式を再製作した。
本形式の総製作数は164両に達し、汎用性の高さもあって1990年代まで全機が使用され、現在は客車列車の廃止や後継形式の導入により徐々に淘汰されつつある。

車両外観
車体は国鉄新型電気機関車の標準形態で、交直機器を収容するため機器室を拡大し、全長は18m級、幅2,900mmの大型車体となった。本形式1両での列車牽引を前提に設計され、重連運転のための総括制御装置は装備せず、また、正面の貫通扉も装備しない。正面窓上部左右に2灯の前照灯、正面下部左右に2灯の標識灯を配し、正面窓直下に飾り帯を配する意匠はEF65形やEF80形などと同一の様式である。外部塗色は交直流車両標準の赤13号(ローズピンク)である。


従来の交流機では屋根上にあった断路器や遮断器、主ヒューズなどの特別高圧機器を室内に収容し、パンタグラフ以外の機器を屋外に露出させない構造としている。これは塩害と氷雪から電気機器を保護するための対策[2] である。機器配置の関係から、主抵抗器は屋上に設けた大型のカバー内に納められた。パンタグラフは下枠交差式のPS22形で、小型軽量化と耐雪性能を向上している。
他の耐寒装備として、空気ブレーキ関係機器や砂撒き装置などにはヒーターを取りつけ、正面の排障器(スカート)下部にはスノープラウ(雪かき器)を装備する。これら追加装備への対応として車体装備各部の軽量化を図り、運転整備重量は100.8t、軸重16.8tに収めている。これはEF65形に対して約5%の重量増加である。

1974-5-21 日立製作所水戸工場 製番10250-3
関西支社配属 配置 敦賀第二
1984-2-1富山第二
1986-11-1敦賀
1987-4-1JR西日本 敦賀運転所
1995-10-1改称 福井地域敦賀派出所
2010-6-1現在 敦賀地域鉄道部敦賀運転派出所
2015-4-30廃車
2016-4-29保存 京都鉄道博物館

EF81形電気機関車
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
西日本旅客鉄道
九州旅客鉄道
日本貨物鉄道
製造所 日立製作所
三菱電機・三菱重工業
製造年 1968年 - 1992年
製造数 164両
主要諸元
軸配置 Bo - Bo - Bo
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
交流20,000V (50/60Hz)
(架空電車線方式)
全長 18,600 mm
全幅 2,900 mm
全高 4,221 mm
4,251 mm(EF81 75 - 152、300番台、一部の400番台)
運転整備重量 100.8 t(全番台)
台車 DT138形(両端)・DT139形(中間)
動力伝達方式 1段歯車減速吊り掛け式
主電動機 直流直巻電動機
MT52A×6基:EF81 1 - 136、300番台、400番台
MT52B×6基:EF81 137 - 152、500番台
MT52C×6基:450番台
歯車比 18:69 (3.83)
制御方式 抵抗制御・3段組合せ・弱め界磁
制動装置 EL14AS形自動空気ブレーキ
保安装置 ATS-S(新製時)
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 115 km/h
定格速度 直流区間 45.7 km/h
交流50Hz区間 43.2 km/h
交流60Hz区間 42.1 km/h
定格出力 直流区間 2,550 kW
交流区間 2,370 kW
定格引張力 直流区間 19,980 kgf (195.8 kN)
交流区間 18,200 kgf (178.4 kN)

ホイールローダー

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ホイールローダーは、トラクターショベルのうち、車輪で走行するものである。タイヤドーザーやタイヤショベル等とも称呼されるほか、沖縄県ではシャボと通称されている。

主に土砂や砕石などの粉体または粒体物をダンプカーに積み込み込んだり、構内短距離運搬する作業で用いられている建設機械であり、油圧ショベルより一度に多量の土砂を積み込むことができる。 ゴムタイヤで走行するため、クローラーを装軌したブルドーザーやトラクターショベルと比べて掘進力は弱いが、比較的に軟質な地質ならば前進掘削する作業も可能である。
外見的にショベルローダーと近似しており、標準仕様のバケットは同一形状とも言えるが、ショベルローダーは前輪二輪駆動で路面を掘り下げる能力は無く不整地や軟弱路面、急傾斜地を走行することは困難であるのに対して、ホイールローダーは四輪駆動であり路面を掘り下げる能力を有し不整地や軟弱路面、急傾斜地を走行することが可能など作業性能や走行機体構造の違いが大きく、日本の法令ではショベルローダーは荷役機械、ホイールローダーは車両系建設機械(整地・掘削等)に分類されている。 車輪は、四輪駆動である。操舵は前輪と後輪の間の車体が折れ曲がる中折れ式であり、軌跡は前輪と後輪が一緒であるため、内輪差や外輪差は発生しない。操舵は油圧駆動であり、ハンドルの切れ角と実際の舵の切れ角は必ずしも一致しない。走行最高速度は小型特殊自動車登録可能なものは15km/h、中~大型のものでは30~50km/h程度出せるものもある。


土木建設現場以外での使用例
鉱石や石炭、土砂砕石などのストックヤード作業、荷役作業
麦、大豆、畜産飼料など農産物のバラ積み荷役作業
塵芥廃棄物の整理、積み替え作業、埋め立て敷均し作業、ホッパー投入作業
林業ではバケットを取り付けて整地や小物運搬、フォークを取り付けて伐採原木の積み込みなどにも多用されている。
ホイールローダーは、小型特殊自動車または大型特殊自動車登録して自走回送したり、道路工事などの道路上作業でも用いられており、自動車教習所や運転免許試験場において、ショベルローダーと共に大型特殊免許の教習車や試験車としても多用されている。
雪国においては、夏季はバケットを取り付けて建設作業で使用し、冬季はスノーブレードまたはスノープラウを取り付けて除雪車として使用する光景が見られる。
自衛隊、消防機関、警察では路上障害物の突破排除や災害瓦礫の除去作業用にホイールローダーを多用している。


公道走行の免許と保険
公道を走行するものは、車体寸法と最高速度に応じて小型特殊自動車または大型特殊自動車の何れかの登録をする必要があり、対応した運転免許が必要となる。小型特殊登録車は原付以外のいずれかの免許があれば運転できるが、大型特殊登録車は大型特殊1種または2種の免許がないと運転できない。下記の技能講習修了または、建設機械施工技術検定合格の資格は公道上を走行する運転操作のみならば不要である。車両については、前照灯・警音器・方向指示器などの法定装置を具備した上でナンバープレートの取得、自動車損害賠償責任保険の加入が必須である。また、道路管理者の許可または委託を受けた場合以外は公道上で作業装置を使用してはならない。

作業運転に必要な資格
日本国内でバケットなど作業装置を使用して作業を行うためには、車両系建設機械運転者の資格(車両系建設機械(整地等)運転技能講習修了証所持)または、建設機械施工技術検定の1級第一種か2級第一種の合格証所持が必要である。 但し、この資格のみを有している場合は構内(現場内)における作業だけに限られ、公道での作業運転は出来ない。公道走行および公道上での作業運転を行う場合は車両登録種別に応じて普通自動車運転免許、小型特殊自動車運転免許または、大型特殊自動車運転免許も併せて必要である。

特殊自動車の区分
特殊自動車参照、小型でないものは大型。

JR九州キハ200系気動車 

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キハ200系気動車(キハ200けいきどうしゃ)は、1991年(平成3年)に登場した、九州旅客鉄道(JR九州)の一般形気動車。

1991年(平成3年)、直方気動車区(現・筑豊篠栗鉄道事業部)に片運転台のキハ200形0番台と1000番台の2両編成が配置された。そこでは、筑豊本線・篠栗線の快速列車に投入されることとなった[注 2]。この際、車体色に因んで「赤い快速」の列車愛称が命名された。その後、1992年(平成4年)7月15日改正で指宿枕崎線の快速「なのはな」用として同番台が投入された。その後1994年(平成6年)3月1日のダイヤ改正では大村線経由で佐世保 - 長崎間を運行する快速「シーサイドライナー」にも投入された。

1997年(平成9年)には、豊肥本線熊本近郊の輸送改善を目的に増備が再開された。このときに登場した、片運転台の100番台・1100番台、および両運転台のキハ220形1100番台はワンマン運転に最初から対応していた。三角線や鹿児島本線の一部の普通列車でも使用された。また、同年夏にはキハ200形のトイレなし・ロングシート仕様で片運転台の500番台・1500番台、および両運転台のキハ220形1500番台が、香椎線に投入された。
1999年(平成11年)10月には、豊肥本線熊本口で運用されていた車両が、阿蘇地方や香椎線、筑豊・篠栗線に転用された。これは同年の豊肥本線熊本 - 肥後大津間電化にともなうもの。ただし、豊肥本線の電化区間と非電化区間との直通列車には引き続きキハ200形が運用されている列車がある。
2001年(平成13年)に篠栗線・筑豊本線(福北ゆたか線)電化により筑豊地区配属車は長崎、鹿児島、大分などに転属した。主に大村線や豊肥本線・久大本線のローカル運用に使用されるようになった。その後、2003年(平成15年)3月に香椎線からキハ200系は全面撤退し、大分地区や指宿枕崎線へ転用された。


また、2004年(平成16年)には九州新幹線開業にあわせ、キハ220-1102の車両中間部に展望スペースを設けた指定席車両を連結した特別快速「なのはなDX」に改造、リニューアルされた車両が登場した。
2006年(平成18年)には、転換クロスシートとロングシートを折衷し、車体をマイナーチェンジしたキハ220形200番台が増備され、同年7月29日から大分地区で運行を開始した。
2014年(平成26年)には、キハ200形、キハ220形1100・1500番台で、従来のLED式運賃表示板から、キハ220形200番台に類似した液晶表示板(レシップ製)に変更されている。
2016年(平成28年)6月までに、全車両がATS-DK形に更新された。なお、ATS-DK未対応路線では従来通り、ATS-SK形のみ動作する。


車体は普通鋼製20m車体で、片側3箇所にステップ付きの両開き扉を設置しており、前面は貫通扉を設けた構造となっている。ブレーキシステムを電気指令式とし、自動空気ブレーキの在来車両との併結は考慮していないため、連結器は電車と同じ密着式のものを採用しているが、非常時に在来車と連結するための中間連結器を装備している。走行用機関は新潟鉄工(現:新潟原動機)またはコマツ(220形200番台)の331kW(450PS)の出力のものを2エンド側に1基装備して連結面側台車の2軸を駆動する。これに伴い排気管を車体外部の連結面に設置して室内スペースを確保しているが、両運転台付きのキハ220形では従来通り室内に排気管を貫通させている。

本系列の都市圏・ローカル双方に対応した大型車体の3扉転換シート(基本番台)、車体後方に集約した1基の450PS級機関による必要十分な走行性能や2両ユニットなどの特徴は2011年に登場したJR東海キハ25形気動車と非常に類似している。

側窓は幅984mm、高さ930mmの大型2連窓で立席者の視界を改善するため811系のものよりも10mm高い大きさとなっている。側窓のうち開閉可能な窓は一部のみで、固定窓については中央にあるロールカーテン縦桟のために一見2連窓に見えるが、実際には大型の1枚窓となっている。

室内の仕様は番台により異なるため、「個別形式」の節で記述する。また以下は各番台に共通するものとして、天井付近の室内見付はJR九州811・813系電車と共通の、曲面を使用せず傾斜した幕板で構成したものとなっている。室内の壁と床面、座席モケットには当初からドーンデザイン研究所のテキスタイルデザインが展開され、同研究所のテキスタイルカタログによると例えば0・1000番台初期車では壁は「雪」、床は「モザイク」、座席(使用地区により差異やモケット交換時に柄変更された例もある)は「ピエロ」の各柄である。座席は幅1015mm、シートピッチ910mmの転換式クロスシート(車端部は固定式)を採用している。

冷房装置は走行用機関直結のものと1エンド側に搭載したバス用の機関直結式(デンソー製パッケージクーラー)の2系統を備える。走行機関直結のものは冷房使用時はアイドルアップされるためエンジン音が高くなるが、運転士が力行の操作をすれば停車中や低速走行時では一旦エンジンのアイドル状態を経てから加速が始まり、中速以上ではアイドル状態を経ず直ちに加速状態となるなど力行指令との協調が図られている。

変速機
また旧来の旅客用気動車では、入力軸と出力軸の回転を合わせる事が難しい等の技術的課題があり、直結段での変速は主流でなかった。本形式においては凹凸形のクラッチ(爪クラッチ)と軸の回転制御を組み合わせ、直結段を2段とした新型液体式変速機を採用している。この爪クラッチ使用による変速機はJR九州の大型気動車独特のもので、特徴として動力損失が低いほか、再加速時に無駄な空ぶかしを経ずに即時に動力直結が可能なため、在来気動車で困難だった「のこぎり運転」が容易になり、勾配や曲線が多い区間において運転時分短縮の効果がある。さらに331kW(450ps)の高出力エンジンを搭載し、キハ40系に代表される在来型気動車に比べて走行性能を向上させている。また、この変速機は自動・手動を切り替えることができる。営業運転での最高速度は110km/hであるが、最高速度が85km/h程度であることが多いローカル路線に最適化するため、自動変速での各段切替え速度は低めに設定されており、1・2段目の切替え速度はフルノッチの場合それぞれ50km/hと70km/h程度であるが、低いノッチ位置での力行時ではそれよりも低速で進段を行う。


車体塗装
車体デザインは水戸岡鋭治率いるドーンデザイン研究所が手がけており、基本的には赤色一色で客用ドアのみステンレス無塗装の銀色である。長崎地区の車両は、青一色に客用ドアを赤色として側窓の下等に「SEA SIDE LINER」のロゴが標記されている。鹿児島地区の車両は製造当初は他地域と同じ赤色であったが、1995年(平成7年)にキハ200-7・5007が「いぶすきキャンペーン」の一環として黄色一色に、客用ドアを赤色と同じステンレス無塗装の銀色として、側窓の下等に「NANOHANA」のロゴを入れたものに変更され、1997年から他の車両も順次同じ色に塗り替えられた。


鹿児島地区の車両のうち特別快速「なのはなDX」用のキハ220-1102は車体に表記されているロゴが他の車両と異なっていた。

個別形式
キハ200系気動車には、片運転台車キハ200形、両運転台車キハ220形の2形式がある。


JR九州キハ200系気動車
基本情報
運用者 九州旅客鉄道
製造所 新潟鐵工所
新潟トランシス
日本車輌製造
九州旅客鉄道小倉工場
製造年 1991年 - 2009年
主要諸元
編成 2両編成(キハ200形)
両運転台付単行車(キハ220形)
軌間 1,067 mm
最高速度 110 km/h
車両定員 52(席)+70(立)=122名(0番台)
56(席)+70(立)=126名(1000番台)
自重 33.8t(0番台)
33.5t(1000番台)
36.5t(キハ220形)
編成重量 67.3t
全長 21,300 mm
全幅 2,994 mm
全高 4,050 mm
車体 普通鋼
台車 ロールゴム式ボルスタレス台車
DT600K・TR600K
円錐積層ゴム式ボルスタレス台車
DT600KA・TR600KA(キハ220形)
DT600KC・TR600KA(キハ220形220番台)
動力伝達方式 液体式
機関 DMF13HZA
機関出力 331 kW (450 PS) × 1
変速機 R-DW4(キハ220形200番台以外)
制動装置 電気指令式空気ブレーキ
(直通予備ブレーキ付き)
排気ブレーキ
保安装置 ATS-SK形、ATS-DK形、EB装置、防護無線
備考 
第32回(1992年)
ローレル賞受賞車両


橋本駅 (京都府) 京阪電気鉄道京阪本線

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橋本駅 (はしもとえき)は、京都府八幡市橋本中ノ町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。同線においては、大阪側から見て京都府内で最初の駅である。駅番号はKH25。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。改札口はホーム毎に分かれており、改札内で上下線ホーム同士の移動はできない(改札外に踏み切りがある)。なお、改札口は上下線ともホーム樟葉寄りにある。早朝・深夜は無人となるため、自動改札機導入前まで該当時間帯には車掌が集札を行っていた。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■京阪本線 上り 中書島・三条・出町柳方面
2 下り 枚方市・京橋・淀屋橋・中之島線方面
両ホームとも有効長は8両。但し現行ダイヤで8両編成が停車するのは、深夜の淀発淀屋橋行き準急2本と、土休日深夜の淀行き準急1本のみである。

駅周辺
古くは地名通り淀川にかかる橋(山崎橋)のたもとで、橋が失われてからは1962年(昭和37年)まで山崎との間に渡船があった。このため正式な宿ではないが大坂(京)街道の宿場として賑わい、歌舞伎『双蝶々曲輪日記』の六段目「橋本の段」の舞台になった遊廓街となっていた。1958年(昭和33年)4月1日の売春防止法が施行されるまでは橋本駅を出発する終電車が「遊郭帰りの客で大変込んでいた」との逸話もある[10]。駅西側には当時をしのばせる古い家並みが残る。

現在駅東側は山を切り崩した住宅街になっている。京阪電気鉄道の開発が入るまでは完全な山であり、石清水八幡宮の西側まで延々と獣道が続いていたが、麓の遊廓での諍いから遊女の自殺が絶えない地域でもあった。

駅から東へ登ると、氏神の狩尾神社がある。
住宅地(橋本希望ヶ丘)
男山団地
西遊寺・久修園院・楠葉台場(1868年鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が陣営)
八幡橋本郵便局
橋本交番
橋本公民館
四区公会堂
狩尾社(とがのおしゃ)
あらかし公園
和気神社(足立寺跡)
橋本樋門
京阪電気鉄道橋本変電所

路線バス
駅のやや南の津田電線八幡工場跡地に京阪バス(旧京阪宇治交通)の京阪橋本バス停がある。運行系統は以下の通り。
13B号経路 樟葉駅行き
78A号経路 男山車庫行き
また、駅北側の道路を500mほど北上したところで川を渡らずに東進すると京都京阪バスの「コミュニティバスやわた」の橋本東山本バス停も利用できる。一乗車200円、一日乗車券300円。
市民体育館行き (7時台から16時台まで1時間間隔)

その他
京都方のホームの下をくぐる改札外の地下道があるが、ここには以前踏切があった。京阪本線の連結車両を増やす際に、この踏切が障害になるため、当面ドアカットで対応することが検討されたが、当時の村岡四郎社長が安全面などの理由でこれに反対し、この地下道を造ってホームが延伸された(詳細は村岡の項目を参照)。
2003年のダイヤ改正まで、当駅は京阪線・大津線全線の中で客扱い列車の本数が一番少なかった。これは、特にラッシュ時において、上り列車は隣の樟葉止まり、下り列車は淀止まりが多く存在し、かつ同時間帯に多く運転されていた急行は当駅を通過しているためであり、夕方以降や土休日の朝9時 - 10時台は約15分間隔で運転されていた。同ダイヤ改正以後は、下り淀行きや急行を減便したことにより、ほぼ終日約10分間隔で列車が到着するようになった。

1910年(明治43年)4月15日:京阪本線開通と同時に開業。
1917年(大正6年)10月1日:大正大洪水で枚方東口駅 - 樟葉駅間・淀駅 - 中書島駅間で築堤崩壊・線路浸水で運休、同月14日駅再開。
1943年(昭和18年)10月1日:会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
1949年(昭和24年)12月1日:会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
1953年(昭和28年)9月26日:台風13号により、宇治川 - 木津川の築堤崩壊と、それに伴う京阪伏見変電所から橋本変電所への送電線の切断で停電、運休。10月1日、駅再開。
1965年(昭和40年)4月23日:構内踏切を廃止、下りホームに改札口新設
1993年(平成5年)1月30日:8連に対応する為にホーム延長使用開始。併せて駅舎改築・トイレ水洗化・スロープの改良工事がされる。
2012年(平成24年)10月14日:ホーム異常通報装置を設置。
2016年(平成28年)3月19日:ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急のみ停車する時間帯が生まれた。


橋本駅
はしもと
Hashimoto
◄KH24 樟葉 (2.4km)(1.7km) 石清水八幡宮 KH26►
所在地 京都府八幡市橋本中ノ町37番地
北緯34度52分54.01秒 東経135度41分2.76秒
駅番号 KH  25
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■京阪本線
キロ程 30.1km(淀屋橋起点)
電報略号 橋(駅名略称方式)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 5,850人/日
-2018年-
開業年月日 1910年(明治43年)4月15日

 

神戸電鉄6500系電車

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神戸電鉄6500系電車(こうべでんてつ6500けいでんしゃ)は、2016年に登場した神戸電鉄(神鉄)の通勤形電車。

2010年の6000系以来の新型車両である。2015年6月9日に導入を発表し、2016年5月21日より営業運転を開始した。製造は川崎重工業で、2010年の6000系以来の導入となる。

既存車両の1000系列を置き換えていく(実際は一部の3000系も置き換えている)。全密閉型高効率主電動機や最新のフルSiC-MOSFET素子を使用したVVVFインバータ制御装置の採用、すべての照明設備のLED化などにより、消費電力は1000系と比べ約60%低減された。
座席に大型袖仕切りを採用し、座席間の仕切板にスタンションポールが併設されている。登場時期が近い阪神5700系電車やJR西日本323系電車でも見られる座席構造である。

車体・車内
外観は6000系を踏襲し、ステンレス車体で片側3扉とした。構体と台枠はステンレスであるが、先頭車の前頭部は普通鋼を使用している。

編成定員は354名、うち座席定員は117名である。座席に大型袖仕切りを採用し、急ブレーキや衝突時の乗客の保護を高めている。座席間の仕切板にはスタンションポールが新設され、高齢者の座席からの立ち上がりの負担軽減などが配慮されている。つり革は従来の高・低の2段に加え、更に低い段を追加した3段階で設置された。

主幹制御器は従来のツーハンドル式を採用、ワンマン運転を考慮した機器配置となっている。

 

台車は従来車と同様、軸梁式でダイレクトマウント構造の空気ばね方式とし、駆動方式はWN継手によるカルダン駆動方式を採用した。

制御装置は、SiC適用のMOSFET素子による2レベルVVVFインバータ制御装置(三菱電機製)の採用で省エネルギーを図り、1C4M方式のユニットを両先頭車に搭載する。主電動機は定格出力140kWの全密閉かご形三相誘導電動機を採用、高効率化による電力損失の低減や低騒音化、保守性の向上が図られた。

車内案内表示器は扉上に1両あたり3箇所を千鳥配置、32インチハーフサイズの大型ディスプレイの採用により視認性の向上を図っている。停車駅や扉の開く方向の案内のほか、駅間では2画面に分割して旅客案内と映像の再生を行う。インバウンド対応として日本語・英語・中国語・韓国語の4ヶ国語で表記される。

車内灯は色温度5000ケルビンのLED灯を採用、前照灯もLED灯を採用して視認性向上と長寿命化を図った。標識灯、計器灯も含む全ての照明設備がLED灯となり、消費電力が削減されている。

これらの環境面が配慮された機器類の採用によって、消費電力は抵抗制御の1000系と比べ約60%低減された。

車種構成
Mc-T-Mcの3両編成で、Mc車は6500形、T車が6600形である。6500形にVVVFインバータ・電動空気圧縮機 (CP)が、6600形には静止形インバータ (SIV)が搭載されている。パンタグラフは電動車の連結部寄りに付けられている。

 


6000系がオールM車の4両編成であったのに対し、本系列は中間にT車を配した3両編成で、有馬方から cM1-T-Mc2 の順に編成される。
2019年2月時点で6編成が在籍している。
6500形制御電動車に三菱電機製のVVVFインバータ・電動空気圧縮機 (CP)が、6600形付随車 (M'c・M') には静止形インバータ (SIV)が搭載されている。パンタグラフ (PT) は電動車の連結部寄りに付けられている。


神戸電鉄6500系電車
基本情報
運用者 神戸電鉄
製造所 川崎重工業
製造年 2016年 -
運用開始 2016年5月21日
主要諸元
編成 3両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
(架空電車線方式)
最高運転速度 80 km/h
設計最高速度 100 km/h
起動加速度 3.0 km/h/s
減速度(常用) 3.3 km/h/s
編成定員 354名


全長 18,290 mm (先頭車)
18,140 mm
全幅 2,700 mm
全高 4,030 mm
車体 ステンレス
主電動機 全閉式かご形三相誘導電動機
主電動機出力 140 kW × 4個
編成出力 1,120 kW
制御方式 フルSiC-MOSFET素子VVVFインバータ制御
制動装置 MBSA形電気指令式電磁直通ブレーキ(電力回生・発電ブレーキ付き)・保安ブレーキ
保安装置 神鉄形ATS 防護無線

JR東日本 E235系電車

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E235系電車(E235けいでんしゃ)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の直流一般形電車である。
鉄道友の会の2017年ローレル賞受賞車。

2000年から首都圏に大量投入された、JR東日本の主力一般形車両であるE231系、同じく2006年から投入されたE233系の次の世代の車両として開発され、これまでの技術開発成果を取り入れたJR東日本を代表する主力車両である。当初は山手線への投入を目的として製造された。製造メーカーは総合車両製作所横浜事業所・新津事業所。工業デザイナーの奥山清行がデザインを手掛けている。

基本コンセプトとして、お客様サービスの向上・環境性能の向上・さらなる安全性・安定性の向上の3点を念頭に開発され、2015年11月30日より量産先行車が営業運転を開始した。2017年5月22日より、量産車の営業運転が開始された。山手線では2002年に導入されたE231系500番台以来、13年ぶりの新型車両である。

仕様
本系列は、2006年から首都圏の多くの線区に計3,000両以上を投入し、利用客へのサービス向上や輸送安定性向上に大きな効果をあげている実績のあるE233系に、従来のTIMSに代わる新しい列車情報管理システム「INTEROS」をはじめとする数多くの新機軸を導入し、利用客サービス向上だけでなくエネルギーコストやメンテナンスの低減を実現するなど、さらなる技術開発の成果を盛り込んでいる。

車両の番台区分は、10号車のサハE235形500番台・4600番台を除きすべてが0番台であり、車号は1からの付番としている。主要機器としては、VVVFインバータ装置をモハE235形・モハE234形に、電動空気圧縮機 (CP)をモハE234形に、補助電源装置 (SIV) ・保安装置・蓄電池箱・整流装置・ブレーキ制御装置(2台)をクハE235形・クハE234形に、補助電源装置 (SIV) をサハE234形にそれぞれ搭載している。車両の最高速度はE231系やE233系と同じ120km/hとしており、加減速度性能は山手線用のE231系500番台と同一であり、起動加速度は3.0km/h/s、減速度は4.2km/h/sとしている。

デザインコンセプト
開発イメージの「人と対話する車両」から、キーワードを「お客様、社会とコミュニケーションする車両」とした。外観については、前面の大きな窓や表示装置によって"人と人、人と社会をつなぐ情報の窓"を表現した。また、居住空間が広く感じられるオープンなデザインとしている。デザイン監修は工業デザイナーの奥山清行。

車体構造
車体長は19,570/19,500mm(先頭車/中間車)、車体幅は2,950mm、連結面間距離は20,000mmであり、片側4箇所の両開き扉をもつ。従来のE233系などと同様のステンレス製軽量構体とし、台枠の一部を除き、ステンレスを用いた構体としているが、雨どいが外側に出ない車体断面を新たに採用した。従来車両では、外側に出る雨どい部を車両限界内に収めるため、側外板の腰部から上をわずかに室内寄りに傾けていたが、本系列ではこれを垂直に立ちあげ、雨どいと一体化した。本系列は、総合車両製作所と東京急行電鉄(東急電鉄)が共同開発し、東横線5050系サハ5576にて登場した次世代型オールステンレス車両「sustina」初の大都市向け通勤車両の量産モデルとなっている。

屋根構造としては、極力横風の抵抗を小さくするため、抵抗に対して影響の少ない空調装置部を除き歩み板を省略した。連結妻面については、骨と外板の一部の接合部や、ほろ枠の部分にレーザー溶接を適用し、水密性を確保している。なお、構体へのレーザー溶接の適用は、JR東日本の車両では一部のE721系で実績があるが、首都圏のステンレス車両では初の試みである。

オフセット衝突対策として、隅柱の一部に、断面を45度に切り取ったような位置に補強を追加し、衝突時に互いに離反する効果を持たせた。前面衝突対策としては、前面のデザインが変わったものの、E233系やE231系近郊タイプと同等の強度を有しており、乗務員室をクラッシャブルゾーンとサバイバルゾーンに区分している。また、側面衝突対策としては、構体を構成する骨組みをリング状に配置している。

パンタグラフは、PS33HとPS36A シングルアームをモハE235形に1基または2基装備する。折り畳み高さは3,950mmであり、中央本線内の狭小限界トンネルにも対応している。

空調装置は、各車両にAU737形 (50,000kcal/h) を屋根上に1台搭載しており、室外送風機数を2台から1台に削減して送風機ファンの翼形状を変更したことにより、性能を確保しつつ低騒音化を実現している。また、冷房運転においては、データベースに蓄積された過去の各駅乗車率などから予測した次の駅の乗車率をもとに、必要に応じて次駅到着前に車内を予冷する予測制御を行うことができる。その他にも、空気清浄装置はE233系とは異なりパナソニック製の「nanoe(ナノイー)」デバイスを搭載した空気清浄機を採用し、横流ファン(ラインデリア)付近の天井部に設置している。
車体前面および側面には三菱電機製フルカラー式LED表示機が取り付けられており、行先や次停車駅を表示する。

乗務員室
非貫通構造で、E231系近郊タイプやE233系(2000番台を除く)のようないわゆる高運転台構造であるが、車掌が後方確認しやすくするため、機器の高さを身長150cmの目線高さに相当する1,410mmに抑えている。このため、運転台機器の表示装置類の角度を65度から50度に変更し、運転士の機器視認性と両立させた。助士席側の機器はE233系の1,005mmから870mmに高さを低減し、客室からの小児客の視界を確保した。乗務員室内の割付けはE233系と基本的に同じであるが、前面ガラスを左右下部に広げることでフラットな前面デザインとの両立を図っている。

また、先頭車の前面ガラス破損時の復旧を早めるため、E231系やE233系と異なり前面ガラスが行先表示部と乗務員室内部とに分割できる構造となっており、側面の引き窓は、前面衝突強度を確保できる範囲で、高さ、幅ともにE233系よりも拡大している。先頭車の前面上部に設置された前部標識灯はLEDを採用しており、着雪を防ぐため、その部分の前面ガラスは熱線入りとしている。


第19編成車内の防犯カメラ
当初、窓上部および妻上部にデジタルサイネージを配置し、側天井の中吊り広告を廃止すると発表していたが、広告会社からの要望や需要もあり方針を転換し、従来からのE231系500番台において、JR東日本系列の広告代理店であるジェイアール東日本企画の広告料金表「ADトレイン」の項で設定されている枕木方向の「中づり」8か所と窓上部の「まど上」のうち、「まど上」については「まど上チャンネル」に、「中づり」のうち、貫通扉上(妻部)の2か所は「サイドチャンネル」に置き換えられ、当初の発表通り廃止されたものの、それ以外の6か所については存続させることになった。既存車両でも搭載している各扉上部の17インチ液晶ディスプレイ(トレインチャンネル)2画面に加えて、21.5インチの液晶ディスプレイを窓上部に3画面(まど上チャンネル)、妻上部に1画面(サイドチャンネル)新設した。まど上チャンネルは、3画面をつながった一つの画面のようにして使用することもでき、新たなデジタルサイネージならではのコンテンツについて今後検討を行うことにしている。なお、利用客の乗車位置(号車)と区間に合わせた停車駅の情報(乗換路線・ホーム案内図・駅構内図)や電車の混雑状況、車内温度などを確認できる「山手線トレインネット」は現行のE231系500番台と同様に引き続き利用できる。自動放送は日英対応だが、本系列では輸送障害時の情報にも対応している。

客室は、つり手棒・袖仕切り・スタンションポールを枕木方向にそれぞれ連続的な曲線で接続しロールバー構造とすることで、側面衝突に対する車体変形量抑制を図った。この構造はE231系からの編入である10号車以外の車両の車端部以外の袖仕切り部に、1両あたり6ヶ所の構成としている。

側引戸装置には、富士電機が新規に開発したラック・アンド・ピニオン方式の電気式戸閉装置を採用した。この戸閉装置は従来の電気式戸閉装置とは異なり、戸閉状態においても空気式戸閉装置と同様に、常時お互いの扉が押し付け合う構造である。ロック装置に隙間を設けることで、走り始めるまでは挟まれたものを引き抜きやすいという特徴がある。腰掛はE233系と同等の座り心地の片持ち式ロングシートであるが、デザインを一新した。また、袖仕切りについては居住空間を広く感じられるように半透明の構造とした。

車椅子の利用客に限らず、ベビーカーの利用客など、その他必要な利用客も使用できるようにフリースペースを各車両に1ヶ所ずつ設置した。このフリースペースにはより多くの利用客が利用しやすいように、レール方向に2段の手すりを設け、妻面には腰当てとしてクッションを設けた。さらに壁面の標記だけでなく、床敷物に大きく車椅子マークとベビーカーマークを示した。車外においても各車両に車椅子マークとベビーカーマークが掲出されている(E231系など従来型は先頭車2両のみ)。優先席については中間車のフリーペース向かい側にも3席設置し、10号車を除いた中間車は各車両9席設けている。

電源・制御機器
制御装置は半導体素子にSiCを適用した2レベル電圧形PWM-VVVFインバータ制御とし、1台のインバータ装置で主電動機4台を制御する1C4M構成となっている。制御装置は電動車に搭載され2両で1ユニットを構成しているが、E231系500番台での2両1ユニット方式から、1両ごとに制御装置を搭載して自車のモーターを制御する独立M方式としている。そのため、集電装置付きの電動車は「M1」車、集電装置なしの電動車は「M2」車としている。これは、将来の他線区への転出を考慮したもので、電動車を1両単位で組み替えられるようにすることで、各線区で最適なMT比とすることができる。また、量産先行車ではトランジスタ部にSiC-MOSFET、ダイオード部にSiC-SBDを搭載したフルSiC素子採用の三菱電機製SC104形と、トランジスタ部はSi-IGBT、ダイオード部にSiC-SBDを搭載したハイブリッドSiC素子採用の東芝製SC105形の2種類を搭載しており、両者は取付交換が可能となっている。なお、SiC素子の採用は東京メトロ05系北綾瀬支線用改造車、小田急1000形更新車、京都市交通局10系機器更新車に次いで日本4例目である[注 7]が、この3形式が改造による搭載であるのに対し、E235系は落成時からの搭載である。また、小田急1000形、新京成8800形はフルSiC素子、東京メトロ05系と京都市交通局10系はハイブリッドSiC素子のみを使用した制御装置を搭載しているのに対し、E235系量産先行車は両方を搭載している。なお、量産車はすべて三菱電機製で統一されている。

ブレーキ方式(ブレーキ制御装置)は、回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキを採用している(三菱電機製)。常用ブレーキは、後述するINTEROSによる編成ブレーキ力管理システムにより応荷重制御と電空協調制御を行い、回生ブレーキを優先して使用することで、省エネルギー運転と基礎ブレーキの制輪子の摩耗量の低減が図られている。

運転台のマスコンハンドルによる力行・ブレーキ操作に対して、INTEROSで車両の荷重などを加味した主電動機のトルク演算を行なった上、VVVFインバータ装置・ブレーキ装置に指令が送られるシステムとなっている。

主電動機は、東芝が原設計を担当した、JR東日本としては初採用となる全閉式外扇形かご形三相誘導電動機 MT79 が採用され、電動車両1両あたり4基搭載する。回転子を抜き出すことなく軸受けの交換が可能であり、定期的な内部清掃が不要な省メンテナンス構造である。1時間定格出力は140kWに強化されている。

補機用電源として、IGBT素子を使用した3レベル電圧形PWMインバータによる静止形インバータ (SIV) を搭載する。待機2重系としており、片方の系統が故障しても動作が可能である。量産先行車では東洋電機製造製SC106形と東芝製SC107形の2種類を搭載しているが、出力電圧は三相交流440V、定格容量260kVAで統一されており、相互に取付交換が可能である。

空気圧縮機はSIVから出力される三相交流440Vを電源とする、クノールブレムゼ製のオイルフリーレシプロタイプ MH3130-C1600F を採用する。吐出し量は1,600L/minである。

台車
台車には軸はり式軸箱支持機構を備えるボルスタレス台車である DT80(電動台車)・TR264・TR264A・TR264B(付随台車)を採用する。枕ばねに空気ばねを用いるが、前後方向を柔支持、左右方向を剛支持とした異方性空気ばねを採用することで曲線通過性能を向上させている。電動台車の歯車装置は、歯車箱を分割構造としており、メンテナンス性を向上させている。軸箱と台車枠の側梁との間に取り付けられる軸ダンパは準備工事、ヨーダンパは未装備である。1000番代の横須賀・総武快速線には普通車、グリーン車共にヨーダンパを設置している。

基礎ブレーキは、電動台車が踏面ユニットブレーキ、付随台車が踏面ユニットブレーキと車軸に装備されたディスクブレーキの併用である。先頭車前位(運転台側)に装備された TR264 にはパーキングブレーキが取り付けられており、先頭車後位(連結面側)とサハE235形は TR264B 、サハE234形には TR264A を装備する。ディスクブレーキは国際鉄道連合(UIC)規格に適合したものをJR東日本グループで製造・採用し+、ライニング制輪子は脱着性の向上が図られている。

E231系500番台から改造・編入されたサハE235形4600番台は、種車が装着していたTR255Aを使用している。

 

情報制御装置
E231系等に搭載された列車情報管理装置TIMSは従来のモニタ装置を進化させたものであったが、本系列ではさらに大きく機能拡張した「INTEROS」が導入されている。INTEROSでは、TIMSが各車にある各中央・端末演算ユニットによって演算・制御を行う分散制御方式であったのに対し、各種演算機能を中央ユニットに集約した集約制御方式を採用している。このため、TIMSでは各車に配置されていた端末装置は、INTEROSではデータ伝送機能に特化した伝送ユニットとなっている。

主な特徴としては以下のことが挙げられる。

通信インタフェースをRS-485からEthernetに変更してデータ通信速度を従来比10倍以上に向上させており、トレインチャンネル用の広告コンテンツや車両機器のモニタリング(状態監視)データなど、大容量のデータを扱うことが可能となった。
WiMAX通信を利用して、各種データを地上システムにリアルタイムに送信して、それを活用することが可能となった。
IEC国際規格の「電気鉄道設備・列車内伝送系」に全面的に準拠している。
なお、車両から大容量データをリアルタイムに地上システムに送信できることから、これを車両および機器の劣化状態の推測に活用することを検討している。例えば、INTEROSが搭載機器の異常を検知した場合には、地上システムにその異常内容を伝送することにより、異常の原因究明や修繕手配、車両交換などの対応をいち早く行ない輸送影響を最小限にできると考えられている。また、機器の動作回数や動作時間、電圧・電流値、通電時間などを記録・管理することで、機器の劣化状態の推測も可能になると考えられている。

その他の機器
量産先行車には、試験的に線路と電力設備の状態監視装置を搭載している。これは車両から地上設備を監視することにより、安全性と安定性の向上の実現に向けた技術開発を進める予定で搭載されたものである。

4号車となるサハE235-1の床下には「軌道材料モニタリング装置」と「軌道変位検測装置」で構成された線路設備モニタリング装置が搭載される。軌道材料モニタリング装置は、モノクロ256階調が高さ情報が撮影可能なプロファイルカメラと二次元濃淡画像が撮影可能なラインセンサカメラを組み合わせて使用し、地上処理装置がレール締結装置および継目装置の脱落判定を行う。軌道変位検測装置は、台車に搭載されたレーザ変位計と反射鏡・駆動用モータを組み合わせた二軸レール変位検出装置で構成され、軌道変位を計測する。3号車のモハE235-3には架線状態監視装置が搭載される。パンタグラフ舟体に取り付けられた加速度計が不具合を検出するほか、離線によるアークを検出する紫外線センサ、架線の状態やパンタグラフの動きを記録するビデオカメラ、トロリ線の高さや変位、残存直径を測定する回転式レーザ装置・赤外線LED光装置を搭載する。

山手線のホームドアが設置された駅ホームにおいて、停止線に正確に停車してからホームドアを車両側から可動させるために、TASC(定位置停止装置)の支援装置とホームドア車上装置(1号車にそのトランスポンダ車上子を設置)の他、移動禁止システム、前方カメラを搭載している。

JR東日本E235系電車
基本情報
運用者 東日本旅客鉄道
製造所 総合車両製作所
横浜事業所・新津事業所
製造年 2015年 -
製造数 50編成550両(E231系編入車含む)
改造所 総合車両製作所新津事業所
JR東日本東京総合車両センター
運用開始 2015年11月30日
投入先 山手線
横須賀・総武快速線(予定)
主要諸元
編成 11両編成(山手線及び横須賀・総武快速線基本編成)
4両編成(横須賀・総武快速線付属編成)
軌間 1,067 mm
電気方式 直流 1,500 V
最高運転速度 90 km/h (山手線)
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 3.0 km/h/s
減速度 4.2 km/h/s
編成定員 0番台(山手線)1,724名
編成重量 340.8 t
全長 20,000 mm
車体長 19,500 mm
(先頭車: 19,570 mm)
全幅 2,950 mm
全高 3,620 mm
車体 軽量ステンレス(sustina(サハE235形4600番台[注 3]を除く))
台車 DT80・TR264A・TR264B
主電動機 外扇式全密閉かご形三相誘導電動機 MT79
主電動機出力 140 kW (1時間定格)
歯車比 1:7.07
制御方式 SiC素子VVVFインバータ制御
回生ブレーキ付き
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキ(純電気式)
駐車ブレーキ
直通予備ブレーキ
保安装置 D-ATC/ATS-P(統合型車上装置)[注 2]・防護無線・TASC
備考 
第57回(2017年)ローレル賞受賞車両

赤迫停留場 長崎電気軌道赤迫支線

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赤迫停留場(あかさこていりゅうじょう、赤迫電停)は、長崎県長崎市中園町にある長崎電気軌道赤迫支線の路面電車停留場。1号系統、2号系統、3号系統が停車する。駅番号は11。

長崎電気軌道の北の終着点。日本最西端の路面電車停留場でもある。


赤迫停留場は併用軌道区間にあり、道路上にホームが設けられる。ホームは低床式で、単線の軌道の片側(住吉寄りから見て左側)に1面のみの片面ホーム。停留場のすぐ先に分岐器があり、そこからは複線となる。ホーム長は53メートルと長崎電軌では一番長く、電車が3両縦列に停車可能。ほとんど目立たないが長崎駅前寄りから1番のりば、2番のりば、3番のりばと番号が振られている。

停留場から徒歩すぐの所にある赤迫配車室では、停留場の分岐器・信号の制御を行っている。赤迫配車室では長崎スマートカード(モバイルを除く)や一日乗車券も発売しているほか、適宜録音によらない放送も流している。スマートカードの積み増しは機械で行っている。

赤迫停留場は1960年(昭和35年)、本線の住吉停留場から路線が延伸したのに伴い新たな終点として開業した。電車開通前の当地は道路も未舗装で端には川が流れていたが、路線開通にあたって川を埋め立てて道路が整備された。

1973年(昭和48年)には赤迫から北にある滑石地区までの延伸案が発表されたが、実現には至っていない。長崎市は道路の拡幅に莫大な費用が掛かることなどから、北部延伸については検討を断念している。


停留場が開業した当時は住宅もまばらだったが、長崎市中心部から人口が移ってきたために開発が進み、都市化が進んでいる。停留場が置かれている国道206号は市の北部と中心部を結ぶ幹線道路で、朝のラッシュ時には渋滞が激しい。
赤迫保育園
トヨタレンタリース赤迫
バス路線
停留場のやや北寄りに長崎バス・県営バスの「赤迫」バス停留所がある。朝のラッシュ時には北部の滑石・時津・長与方面からバスを利用し、当停留場で電車に乗り換える乗客が多い。

長崎バス:滑石・時津・長与方面 - 赤迫 - 長崎駅前・長崎新地方面
県営バス:滑石方面 - 赤迫 - 女の都団地・サニータウン・三原団地・長崎駅前・中央橋・長崎東中学校・高校方面



1960年(昭和35年)5月8日 - 住吉から赤迫までの区間の営業開始に合わせて開業。
2015年(平成27年)3月28日 - 停留場の延長工事が竣工。


赤迫停留場
あかさこ
Akasako
(0.3km) 住吉 12►
所在地 長崎県長崎市中園町21番21号先
北緯32度47分38.42秒 東経129度51分26.51秒
駅番号 11
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 赤迫支線(■1号系統・□2号系統・■3号系統)
キロ程 0.0km(赤迫起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 2,304人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1960年(昭和35年)5月8日

横浜赤レンガ倉庫

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横浜赤レンガ倉庫(よこはまあかレンガそうこ、Yokohama Red Brick Warehouse)は、神奈川県横浜市中区新港一丁目の横浜港にある歴史的建築物である。明治政府によって保税倉庫として建設され、建設当時の正式名称は横浜税関新港埠頭倉庫。みなとみらい地区内の2街区に当たる。
2号館は1911年(明治44年)、1号館は1913年(大正2年)に竣工。保税倉庫としての役割は1989年(平成元年)までに終え、しばらく放置されていた。2002年(平成14年)に、1号館は展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設となり、付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備され、横浜みなとみらい21地区の代表的な観光施設となっている。第45回BCS賞(2004年)受賞。2007年(平成19年)、経済産業省による近代化産業遺産に認定。2010年(平成22年)、日本初の「ユネスコ文化遺産保全のためのアジア太平洋遺産賞」優秀賞受賞。

赤レンガ倉庫(新港埠頭保税倉庫)は、明治時代の終わりから、大正時代の初めにかけて建設された。
当時の横浜港は、1859年(安政6年)の開港から半世紀を経て、近代的な港湾の整備が横浜市にとって急務となっていた。1889年(明治22年)には第1期築港工事が始められ、大桟橋、東西防波堤などの整備が進められた。これに続く1899年(明治32年)には、横浜税関拡張工事の名目で大蔵省が主導して、第2期築港工事が始められた。
第2期築港工事は、前期と後期に分かれる。前期工事は、税関前の海面を埋め立てて、係船岸壁を有する埠頭の建設を主に進めた。係船岸壁とは船が直接接岸できる岸壁で、その建設は日本初の試みであった。1905年(明治38年)には埋立が完了したが、同年より引き続いて始められた後期工事は埠頭の拡張と陸上設備(上屋、倉庫、鉄道、道路)の整備を目指した。赤レンガ倉庫は後期工事の中で、国営保税倉庫として建設された。後期工事には、日清戦争後に急伸し東洋最大の港となっていた神戸港や大阪港に対抗するため、横浜市も約270万円の費用を負担して、築港の完成を急いだ。これは横浜市が国に働きかけて実現させた事業であり、国と地方の共同事業の嚆矢となった。


赤レンガ倉庫の設計は、妻木頼黄・部長率いる大蔵省臨時建築部によって行われた。妻木頼黄は、馬車道にある横浜正金銀行本店(現、神奈川県立歴史博物館)の設計もした、明治建築界三巨頭の一人である。2号倉庫が1911年(明治44年)、1号倉庫が1913年(大正2年)に竣工した。第2期築港工事は1914年(大正3年)までに完成し、ここに税関埠頭、現在の新港埠頭が生まれた。
全長約150メートル、背面に鉄骨造ベランダを持ち、日本初の業務用エレベーターや避雷針、消火栓を備える赤レンガ倉庫は、国営保税倉庫建築の模範となるとともに、組積造技術の最高段階を示す建築とされる。2号倉庫はレンガとレンガの間に鉄を入れる補強が施されていたことで、1923年(大正12年)に発生した関東大震災でも、被害は1号倉庫の約30%損壊にとどまった。なお、当時のエレベーターは現在も1号館横に展示されており、重要科学技術史資料登録台帳に第00027号として登録されている。

赤レンガ倉庫の修復と再生
1992年(平成4年)、横浜みなとみらい21の整備に伴ってウォーターフロントの再開発計画も進められ、横浜市は赤レンガ倉庫を国から取得。周辺地域と一体的に整備を始めた。横浜市は、5年以上かけて倉庫を修復し、保存活用するための工事を進めた。また、関東大震災で倒壊したため埋められていた横浜税関事務所の遺構や旧・横浜港(よこはまみなと)駅のプラットホームなども発掘・復元し、山下公園まで続く山下臨港線プロムナード(汽車道)も整備した。


こうして、2002年(平成14年)4月12日、赤レンガ倉庫を中心とした付近一帯は、展示スペース、ホール、広場、店舗からなる横浜赤レンガパークとしてオープンした。赤レンガ倉庫1号館は主に文化施設として、公益財団法人横浜市芸術文化振興財団が運営する。赤レンガ倉庫2号館は商業施設で、株式会社横浜赤レンガが運営する。いずれも歴史的なたたずまいを残しつつ、現代的な耐震性と消火設備を備えている。2007年(平成19年)11月には、経済産業省により近代化産業遺産として認定された。
横浜赤レンガ倉庫は、2006年(平成18年)1月に通算来館者数が2000万人、2013年(平成25年)5月に通算来館者数が6000万人 を達成するなど、年間来場者数が600万人を超える横浜の人気観光地となっている。また、『僕の生きる道』や『喰いタン』といったテレビドラマのロケ地にも選ばれている。

施設
1号館
2002年(平成14年)4月12日、文化施設として開館。1階の床下には瓦などが展示されている。
2階 展示スペース3室:各200㎡、天井高2.4m
3階 ホール:約400席 面積=約400m2/天井高=トラス下5.1m
2号館
2002年(平成14年)4月12日、商業施設として開館。当初は31店舗であったが、現在のテナント数は40店舗を超える。多くの店舗で横浜赤レンガ倉庫ならではの商品を置いている。また、3階のレストランビアネクストのロゴマークは、倉庫内にある防火扉の開閉に使っていた滑車に由来する。ただしこの滑車式の防火扉は現在は保存されているだけで使われていない。


赤レンガパーク
分類 港湾緑地
所在地 
日本の旗 日本
神奈川県横浜市中区新港一丁目一番
座標 北緯35度27分7.8秒 東経139度38分34.4秒座標: 北緯35度27分7.8秒 東経139度38分34.4秒
面積 約5.5ha
開園 2002年(平成14年)4月12日
運営者 横浜市
設備・遊具 横浜赤レンガ倉庫、旧横浜港駅
駐車場 有 24時間営業 年中無休 一時間500円 以後30分毎250円
事務所 株式会社横浜赤レンガ
事務所所在地 〒231-0001 神奈川県横浜市中区新港一丁目一番

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