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Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
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天津駅 JR九州日豊本線

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天津駅は、昭和31年開業で、比較的歴史の浅い駅です。所在地は田園地帯の大分県宇佐市大字下敷田字縄夏期にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。

69連勝の第35代横綱双葉山の出身地ても知られています。


島式ホーム1面2線を有する地上駅でシンプルな鉄骨造の駅舎。駅舎の入口に雪国のような風除室が増築されています。

駅舎を出るとホームへの跨線橋があります。駅前にはロータリーが整備されていますが閑散としています。

無人駅ですが、名誉駅長を設けている。ICカードSUGOCAは乗降のみ対応し、当駅ではチャージができません。

待合室にはFRP製の椅子が壁沿いに設置されています。

島式ホーム1面2線を有し、中央にブロックの風除けがある申し訳程度の上屋が設置されています。

ホームはかなり長い。


1956年(昭和31年)10月1日 - 日本国有鉄道が開設。1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。


電報略号アツ

駅構造地上駅ホーム1面2線

乗車人員-統計年度-94人/日(降車客含まず)-2010年-

開業年月日1956年(昭和31年)10月1日備考無人駅



三軒家毒ガス貯蔵庫跡 大久野島

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ここに、猛毒で皮膚がただれる、びらん性毒ガス「イペリット」が貯蔵されていました。10トン入る大きなタンクがそれぞれの部屋の台座の上に置かれていました。

管を使って工場から直接タンクに毒液が送り込まれていました。イペリットやルイサイトなどの液体毒ガスは腐食を防ぐため、内部に鉛を張り付けたタンクに保管していました。
貯蔵部に足を踏み入れることは出来ませんが近くまで近寄ることはできます。残留毒素の危険がある様子。内部は丸網が腐食。

周辺の網も錆びが進んでいます。タンクは高知県の土佐沖に海洋投棄されたり、船ごと海底へ沈められたりしたとのこと。また、近くには露天された台座もありました。

椎田駅 JR九州日豊本線

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椎田駅は、福岡県築上郡築上町大字椎田にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。築城町と椎田町の対等合併で生まれた築上町の代表駅で北九州の通勤通学圏内にありラッシュ時には小倉方面を中心に多くの人が利用します。

築上西高校の最寄駅であり朝夕の時間帯は高校生で賑わう。駅周辺は築上町の中心部。住宅地となっています。駅前からは平日・土曜の運行ではあるが、西角田・岩丸・極楽寺・小原・築城方面へ、築上町コミュニティバスの便があります。駅周辺を国道10号が並走します。

単式ホーム2面2線を有する地上駅。外壁は改装されていますが昭和初期の大柄なモルタル木造駅舎です。駅舎の横には側面にスロープがあります。互いのホームは跨線橋で連絡している。

日豊本線の東側に駅本屋が存在し本屋に面したホーム(1番線)が下り線のりば、跨線橋を渡った先の島式ホーム(2番線)が上り線のりばです。ホームは2006年に嵩上げされています。


九州交通企画が駅業務を受託する業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されています。SUGOCA対応の簡易型自動改札機とチャージ機が設置。SUGOCAの利用が可能であるが、カード販売は行わずチャージのみ取り扱いを行います。 キオスクはありません。天井が高い待合室にはFRPの椅子が設置されています。手小荷物扱所の跡が見られます。

のりば
1 ■日豊本線(下り) 中津・宇佐方面
2 ■日豊本線(上り) 小倉・門司港・下関方面
旧2番線が撤去され、乗り場にフェンスが設置されています。2番ホームには木造の古い待合室があります。

駅名標のイラストは「貝」。近くに浜の宮海水浴場があり潮干狩りができます。

1897年(明治30年)9月25日 - 初代豊州鉄道が開設。
1901年(明治34年)9月3日 - 豊州鉄道が初代九州鉄道に買収。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道が国有化され帝国鉄道庁が所管。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2006年(平成18年) - ホーム嵩上げを施工。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 シタ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 2,368人/日
-2010年度-
開業年月日 1897年(明治30年)9月25日
備考 業務委託駅

 

 

安部山公園駅 JR九州日豊本線

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安部山公園駅は、国鉄末期に設置された新しい駅です。国道10号線が日豊本線をオーバークロスする福岡県北九州市小倉南区湯川新町四丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅。

小倉南区の北部、駅の北側にある同名の安部山公園は桜の名所として知られています。駅の周囲は住宅地で朝夕は通勤・通学者が多い。

相対式ホーム2面2線を有し、跨線橋から駅本屋を介して高架道路の狭い歩道に接して小さな駅舎が設置されています。


九州交通企画が駅業務を行う業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されている。有人駅ですが夜間と早朝は無人となります。簡易型自動改札機を備えワイワイカード・SUGOCAが使用可能である。SUGOCAは「無記名式SUGOCA乗車券」のみを自動券売機で発売する。

構内へはガラス張りの跨線橋で入ります。エスカレーターやエレベーターは設置されていません。
JRの特定都区市内制度における「北九州市内」の駅です。

のりば
1 ■日豊本線(上り) 小倉・門司港・下関方面
2 ■日豊本線(下り) 行橋・中津・大分方面
簡素な構造で、幅も広くありません。国道10号線が一部、上屋の代わりを果たしています。


1987年(昭和62年)3月9日 - 日本国有鉄道が開設。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 アコ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,561人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1987年(昭和62年)3月9日
備考 業務委託駅
    北九州市内駅

 

 

カフェ・クオーレ 耕三寺 尾道

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カフェ・クオーレは、しまなみ海道の生口島の耕三寺の中にあるカフェです。デザインから設計指導、ネーミングにいたるまでを彫刻家杭谷一東氏がその感性によって創造された空間です。クオーレには「真心」の意味があります。


白亜の大理石を惜しみなく使用した佇まいには、地中海に面したイタリア、トスカーナ地方をイメージさせます。
店内の椅子やテーブルもオリジナルデザインによるもので大理石で彫られた葡萄やビーナスといった柱やレリーフとの調和のよさは、より落ち着いた雰囲気を醸し出してくれています。杭谷芸術の優美な世界と憩いを満喫するすることができます。


住所:広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2 耕三寺・未来心の丘内
営業時間:10:00〜16:30(L.O.16:15)フードは11:00〜14:00 ランチ営業、日曜営業
定休日:木曜日 ただし、秋・春の繁忙期は無休

宇佐海軍航空隊滑走路跡

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宇佐海軍航空隊の滑走路と重なる市道
戦備増強・航空隊の増設計画から60数年前、宇佐海軍航空隊が広大な水田が広がる宇佐平野(当時の宇佐郡柳ケ浦村地域)に飛行場を建設しました。現在の大幹線農道の幅は16メートルですが宇佐海軍航空隊の滑走路は幅80メートル長さが1,800メートルありました。飛行場が建設されたのは 周防灘に面する事で、洋上爆撃や魚雷訓練、航空母艦を招いての発着訓練も頻繁に容易に実施できる立地条件の良さからであると言われています。訓練用飛行場から、特別攻撃隊の基地へと変貌する事となり当初 隊員800名程度であったのが、2486名規模の大部隊基地となり、この地から神風特別攻撃隊を編成し多くの航空隊員が出撃し154名がなくなりました。滑走路があった場所には、大幹線農道南北2号線が通っています。

平成15年に宇佐海軍航空隊滑走路跡の記念碑2基とモニュメント14基が建てられました。その後募金により72基のモニュメントが追加されました。モニュメントは手を振って特攻隊を見送った人々をイメージしており、平和への願いと鎮魂の思いが込められています。(宇佐市HPより)

近江長岡駅 JR東海 東海道本線

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近江長岡駅は、滋賀県米原市長岡にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)東海道本線の駅です。平成17(2005)年2月に合併により坂田郡山東町から米原市の駅になりました。JR化後もしばらくセメントの出荷で構内は賑わっていた駅ですが現在は貨物輸送の廃止され静まり返っています。

島式ホーム2面4線を有する地上駅。正面左面をレンガ風の化粧された鉄筋コンクリート平屋建ての駅舎は構内西側にあり、2つのホームとは地下通路で連絡しています。駅前は広場になっており、出迎えのクルマの他、北陸本線長浜駅へのバスも出ています。


東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、大垣駅が当駅を管理している。1999年頃に、直営駅から業務委託駅に変更された。みどりの窓口が設置されているが、JR東海では、現在は簡易委託駅にもマルス端末が設置されているためか、窓口の「みどりの窓口」マークは消去されています(時刻表の索引地図では緑色となっているため廃止ではないとのことです)。区画されていない待合室はゆったりしており一部壁面はレンガ風です。キオスクも営業しています。


もともと、現在の国道365号に沿った旧線から米原駅方面へ分岐されたルート上に設置された駅であるため、関ヶ原駅 - 米原駅において当駅付近のみ北側へ迂回しているような線形となっている(国道21号や東海道新幹線、名神高速道路等は直進している)。このため、当駅から関ヶ原駅まで半径402mのカーブが多数あり、制限速度80km/hの区間が頻発する。


近江長岡駅プラットホームは地下道で結ばれています。
ホーム 路線 方向 行先
1・2 ■東海道本線 上り 大垣・名古屋方面
3・4 ■東海道本線 下り 米原・京都方面
通常は本線である2・3番線のみ使用する。1・4番線は待避線であり、1番線は一部の列車が使用するが、2010年度ダイヤでは4番線への旅客列車の発着はない。ホームからは伊吹山が望めます。

現在は臨時車扱貨物のみを取り扱っており、貨物列車の発着はありません。
かつては駅北側へ分岐し、住友大阪セメント(旧・大阪セメント)伊吹工場へと続く電化された専用線がありました。専用線は、かつての東海道本線の廃線跡を一部流用する形で敷設された全長3.7kmの電化路線で、同社の私有電気機関車であるいぶき500形が2両運用されていました。同線の廃止後、いぶき500形は大井川鉄道(現、大井川鐵道)へ転じています。


また1980年代まで、近江鉱業長岡工場へ続く専用線もあり、砕石も扱われていました。同社社屋前から駅方向に向かって伸びている築堤に痕跡が残る(一部残された線路上に白い二軸貨車が置かれている)。

1889年(明治22年)7月1日 - 関ヶ原駅 - 馬場駅(現・膳所駅)間の開通時に、長岡駅(ながおかえき)として開業。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる。
1899年(明治32年)10月15日 - 関ヶ原駅との間に、現在の柏原駅廻りのルートである勾配緩和線が開業。深谷駅廻りの旧線は休止(同年12月28日廃止)。


1914年(大正3年)12月1日 - 近江長岡駅に改称。
1952年(昭和27年)5月頃 - 大阪窯業セメント(現在の住友大阪セメント)専用線が運行開始。
1971年(昭和46年)10月4日 - 専用線発着を除く貨物の取扱いを廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取扱いを廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)が継承。
1999年(平成11年)6月28日 - 貨物列車の発着最終日、住友大阪セメント専用線の運行終了。

電報略号 ウナ
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 835人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1889年(明治22年)7月1日
備考 業務委託駅(夜間無人駅)
みどりの窓口 有
* 1914年に長岡駅から改称。

 

小倉駅 JR九州

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小倉駅は、福岡県北九州市小倉北区浅野一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・北九州高速鉄道(北九州モノレール)の駅です。JR九州2位の利用客を誇る。

九州の玄関口である北九州市の中心駅。本州と九州の接点としての機能を有し、山陽新幹線の全列車が停車するほか、在来線においても東九州の各都市を結ぶ日豊本線の起点であり、特急列車が多く運行されている。当駅は新幹線と特急列車の乗換駅として重要な役割を果たしている。他の路線も含め多くの列車が当駅を始発・終着するターミナル駅である。終日賑わいが絶えない駅です。


1891年に九州鉄道(初代)の駅として開業。当初は現在の西小倉駅付近にあったが、二度の移転を経て現在の位置となった。1975年には山陽新幹線が開業しその停車駅になり、1998年には現在の駅ビルが完成、同時に市内で人口が急増する小倉南区とを結ぶ北九州モノレールの乗り入れも実現した。駅ビルにモノレールが突き刺さる形で乗り入れる構造は、他ではあまり見られない光景です。


JR九州の在来線各線、JR西日本の山陽新幹線、北九州高速鉄道(北九州モノレール)の小倉線が乗り入れている。
JR九州の駅は、当駅の所属線であり福岡・西九州方面へ伸びる鹿児島本線と、本駅を起点として東九州を縦断する日豊本線という九州の2大幹線の分岐駅となっている。このほか、鹿児島本線門司駅から分岐する山陽本線の下関駅からの大半の列車と、日豊本線城野駅から分岐する日田彦山線の全列車が当駅まで乗り入れている。
JR九州・JR西日本の駅は、特定都区市内制度における「北九州市内」の駅であり、運賃計算の中心駅である。

当駅より東側には、東小倉駅や北九州貨物ターミナル駅などの貨物専用設備と関門鉄道トンネルを通じた本州への連絡がある。一方、西側では鹿児島本線と日豊本線が分岐していく構造となっている。これらのことから線路の配置に工夫がなされている。東小倉と小倉の間には立体交差が造られていて、旅客列車と貨物列車が交差しないように配慮されていると共に、鹿児島本線と日豊本線へのスムースな出入りができるようになっている。また西側では鹿児島本線と日豊本線の間での折り返し運転が考慮された配線になっている。


鹿児島本線博多方面と日豊本線を直通する列車は前述したように線形の都合上、当駅で折り返しになり進行方向が逆になる。また、鹿児島本線と日豊本線を直通する特急「ソニック」は大分方面行き列車が7番のりば、博多方面行きが4番のりばから発車する。従って、大分方面行き「ソニック」は駅構内を大きく斜めに横切りながら西小倉方向へと向かう。
2009年3月のダイヤ改正により、日豊本線系統の普通・快速は当駅で分割され、九州内運行分・下関行とも、日中は当駅で折り返し、通し運転はされなくなった。またこれに伴い、1番から8番までののりばでは、路線割が見直された。自動放送導入駅です。


ホームの一部が嵩上げ未施工のため、嵩上げされていない箇所の足元表示に「かもめ」 「にちりん」 「ゆのか」などの乗車案内が残っています。隣の西小倉駅との駅間距離は800mしかない。これは、鹿児島本線で最も短い駅間距離である。


駅舎の建設を国鉄と地元が共同で行い、その代わりに商業施設を設けた「民衆駅」。いわゆる「ステーションデパート」です。現駅舎はアミュプラザという駅ビルにステーションホテルを併設した巨大駅舎、地上14階・地下3階の駅ビル内にあり、2階に在来線ホーム、4階に新幹線ホームとモノレールホーム、3階にコンコースと改札口があります。コンコースの南側は3・4階が吹き抜けとなっていて、その空間にモノレールが入り込んでいる。南北それぞれの出口からペデストリアンデッキを張り巡らせ駅周辺の主要施設と連絡している。2011年の九州新幹線全線開業に合わせて、南口は「小倉城口(こくらじょうぐち)」、北口は「新幹線口(しんかんせんぐち)」に呼称が変更された。
小倉城口はコレットに通じる歩道橋に小倉祇園太鼓の銅像がある。新幹線側は西日本総合展示場・アジア太平洋インポートマート(AIM)が駅から少々離れているため、動く歩道が設置されている。商業施設中心の南口とは、全く雰囲気が異なります。

在来線は島式ホーム4面8線、新幹線は島式ホーム2面4線を有する。改札口はいずれも3階にあり、在来線は1階にも改札口がある。在来線ホーム間の連絡通路は1階改札口に通じる通路と3階改札口に通じる通路の2つに分けられている。新幹線の通路は1つのみである。在来線と新幹線の乗換改札口も設けられている。
また在来線の鹿児島本線・日豊本線は、JR九州のSUGOCAの利用エリアに含まれている。

のりば
ホームは4面8線、通過線もあります。ホーム幅は狭いものの、飲食店舗が設置されています。
1 ■日豊本線 行橋・中津・宇佐・大分方面 (普通)
2 ■日田彦山線 田川後藤寺・添田・日田方面
    ■鹿児島本線 (上り) 門司港方面 (普通)
    ■山陽本線 下関方面
3 ■日豊本線 行橋・中津・宇佐・大分方面 (普通)
    ■日田彦山線 田川後藤寺・添田・日田方面
4・5・6 ■鹿児島本線 (下り) 折尾・香椎・博多方面 (特急・快速・準快速・普通)
7 ■日豊本線 大分・宮崎・宮崎空港方面 (特急)
    ■鹿児島本線 (下り) 折尾・香椎・博多方面 (快速・準快速・普通)
(上り) 門司港方面 (普通)
    ■山陽本線 下関方面
8 ■鹿児島本線 (上り) 門司港方面 (特急・普通)
11・12 山陽新幹線 (下り) 博多・鹿児島中央方面
13 山陽新幹線 (上り) 広島・岡山・新大阪・東京方面
14 山陽新幹線 (上り) 広島・岡山・新大阪・東京方面
(下り) 博多・鹿児島中央方面 (本駅折返し列車のみ)


当駅はターミナルであるため、多くの列車が乗り入れることで、運行系統が複雑になっている。以上は主だったのりばであるが、列車によって異なる場合も多いため、駅の時刻表で詳細を確認する必要がある。時刻表には列車ごとの到着・発車のりばまで掲載されている。

電報略号 コラ
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線(新幹線)
4面8線(在来線)
乗車人員
-統計年度- (JR九州)
35,708人/日(降車客含まず)
(JR西日本)
9,926人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1891年(明治24年)4月1日
乗入路線 5 路線
所属路線 ■山陽新幹線
キロ程 555.1km(新大阪起点)
東京から1107.7km
◄新下関 (19.0km)(67.2km) 博多►
所属路線 ■鹿児島本線*
(山陽本線直通含む)
キロ程 11.0km(門司港起点)
◄門司 (5.5km)(0.8km) 西小倉►
所属路線 ■日豊本線*
(日田彦山線直通含む)
キロ程 0.0km(小倉起点)
(0.8km) 西小倉►
備考 両社とも直営駅
みどりの窓口 有
北九州市内駅(中心駅)
新幹線駅はJR西日本、在来線駅はJR九州管理
* 小倉 - 西小倉間は両線の重複区間


樽見鉄道株式会社 ハイモ330-700形

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樽見鉄道株式会社は、岐阜県で旧国鉄特定地方交通線転換線及び旧日本鉄道建設公団建設線から成る鉄道路線(樽見線)を運営している、西濃鉄道・住友大阪セメントおよび沿線自治体などが出資する第三セクター方式の鉄道会社です。本社は岐阜県本巣市に所在します。

第三セクター会社ではあるが、住友大阪セメント岐阜工場の製品輸送を行っていたことから、西濃鉄道・住友大阪セメントが2社あわせて出資比率7割を超える大株主となっている。収入もかつては貨物輸送が大きなウェイトを占めていたことから、初代の林社長は株式会社としての矜持を保つ意味で、いずれは配当を出すことを社是としていた。


しかし2004年に住友大阪セメントは鉄道利用を2005年度末で打ち切ることを表明し、2006年3月28日限りでセメント輸送列車の運行を終了した。終了後の経営は非常に厳しく、2005年度より沿線5市町から年間1億円前後の財政支援を受け、収支改善計画に取り組んでいるが最終赤字が続き、財政支援の打ち切りも検討されているなど、路線の廃止が危惧される状況であったが、その後は経常赤字の縮小、最終損益の黒字化が評価され、2013年時点では支援が継続されている。
その一方で「薬草列車」や「しし鍋列車」などのイベント列車を運行したり、ショッピングセンターの最寄駅となるモレラ岐阜駅を開設するなど、収入増を図っている。

本鉄道の特徴としては、朝ラッシュ時用および淡墨桜花見列車用の客車を保有していたことがあげられる。客車は国鉄やJRから払い下げられたもので、貨物用として保有するディーゼル機関車によって牽引されていた。

機関車を必要とするなど運用に手間がかかる客車を、イベント用や観光用ではなく定期列車、それも運賃以外を必要としない普通列車で運用するのは旧国鉄の特定地方交通線を転換した第三セクター鉄道としてはきわめて異例であった。

2006年に客車列車は廃止されている(イベント用としてはわたらせ渓谷鐵道や真岡鐵道が客車を有している。また大井川鐵道井川線では客車普通列車が定期運転されている)。
気動車形式の「ハイモ」とは、ハイスピードモーターカーを意味し、これに機関出力値を組み合わせている。

ハイモ330-700形(701)
2010年、新潟トランシス製のNDCで、車体は18m級。側窓は安全上の理由からすべて固定式となった。老朽化したハイモ230-312置き換えのために導入されたものである。2010年12月に入線して、25日に公式試運転を行い、2011年2月から営業運転を開始した。なお、ブレーキ方式が他車と異なる電気指令式のため、車両を増結しての運転は行えず、必ず単独で運用されている。

西小倉駅 鹿児島本線

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西小倉駅は、福岡県北九州市小倉北区室町三丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅です。駅のすぐ近くに小倉城があり夏には小倉祇園太鼓やわっしょい百万夏祭りが開催されるため非常に賑わう。2003年(平成15年)にリバーウォーク北九州が開業してからは利用客が増加している。かつては日豊本線のみ停車する小駅でしたが、JR化後昭和62年に鹿児島本線ホームが設置されるとともに、再開発による大規模商業施設の開業に合わせて快速停車駅となり、駅前広場も整備され利用者は増えています。

鹿児島本線と日豊本線の線路が分岐する駅で(小倉駅 - 当駅間は両線の重複区間)、普通列車の他に快速・準快速列車が停車する。当駅はもともと日豊本線の単独駅として開業し、鹿児島本線のホームは1987年(昭和62年)に追加された。そのため当駅の所属線は日豊本線となっている。このほか、日豊本線城野駅を起点とする日田彦山線の列車はすべて小倉駅始発・終着で運行されているため、当駅からも利用可能です。
なお、小倉駅は当初現在の当駅付近に設置され(駅舎は現在のヤマダ電機テックランド小倉本店所在地)、1958年(昭和33年)に現在の場所に移転した。そのため当駅のホームの一部には旧小倉駅のものが再利用され、改良を重ねている。コンコースは奥行きがあり広い。

単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、計3面5線ホームを有する地上駅。バリアフリー対応駅で大規模商業施設の開業に合わせて2003年(平成15年)に完成した橋上駅舎にはエレベーターが設置されています。跨線橋の一部に廃車客車の台枠が流用されています。
直営駅で、みどりの窓口が設置。


のりば
1 ■日豊本線 (下り) 城野・行橋・大分方面
■日田彦山線 田川後藤寺・日田方面
2・3 ■日豊本線 (上り) 小倉・門司港・下関方面
4 ■鹿児島本線 (下り) 折尾・博多・大牟田方面
5 ■鹿児島本線 (上り) 小倉・門司港・下関方面
3番のりばには小倉総合車両センターへの出入場線が接続しており、時折出入場車両が停車していることがあります。小倉駅とは紫川を挟んで800メートルしか離れていないので、小倉方面へ西小倉を発車した列車は、あまり加速できないまま小倉駅構内に入ります。

日豊本線の特急「ソニック」「にちりんシーガイア」は、いったん当駅を通過して小倉駅に停車し、小倉駅でスイッチバックをして再度当駅を通過する。このため、「ソニック」「にちりんシーガイア」に小倉駅を跨いで乗車する場合は、小倉駅 - 当駅間の往復分(1.6km)は運賃・特急料金の計算には含めない。また、大分駅(博多駅)方面から特急列車に乗車して小倉駅で下車し、改札口を出ずに博多駅(大分駅)方面に向かう普通・快速列車に乗り換える場合は、小倉駅 - 当駅間の乗り越し分の乗車券は不要である(この場合は特急料金は小倉駅までで計算される)。

1915年(大正4年)4月 - 帝国鉄道庁により小倉駅(2代)が当地に移転開業。
この間の歴史は小倉駅を参照
1958年(昭和33年)3月1日 - 小倉駅が現在の位置に移転する。
1974年(昭和49年)12月14日 - 日本国有鉄道が当地に西小倉駅を開設。開業当時は日豊本線所属駅だった。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
1987年(昭和62年)10月1日 - 鹿児島本線にホーム新設。
2003年(平成15年)3月29日 - 橋上駅舎新築、駅舎が鉄道建築協会賞(推薦)受賞。
2003年(平成15年)7月7日 - 鹿児島本線の快速が停車。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 シコ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 3面5線
乗車人員
-統計年度- 4,767人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1974年(昭和49年)12月14日
乗入路線 2 路線
所属路線 日豊本線*
(日田彦山線直通含む)
キロ程 0.8km(小倉起点)
◄**小倉 (0.8km)(2.7km) 南小倉►
所属路線 鹿児島本線*
キロ程 11.8km(門司港起点)
◄**小倉 (0.8km)(3.5km) 九州工大前►
備考 直営駅
みどりの窓口 有
北九州市内駅
* 小倉 - 西小倉間は両線の重複区間。


** この間に紫川信号場有り。

 

醒ヶ井駅 JR東海東海道本線

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明治33年開業の醒ヶ井駅(さめがいえき)は、会社境界駅である米原駅が西日本旅客鉄道(JR西日本)の管内に入るため、この駅が東海道本線におけるJR東海管轄駅の中で最も西の駅になります。所在地は滋賀県米原市醒井、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅です。


中山道の宿場町であったということから駅周辺には、その雰囲気や面影が残っています。近くには醒井養鱒場があり、構内裏手を流れる天野川はゲンジボタルが生息する「にじます,木彫り,ひょうたん」の駅です。七夕伝説の発祥の地 天野川を挟んで彦星の塚と織姫の墓があるとのこと。

地上駅。駅舎は既存のコンクリート駅舎前に覆いが新設されたものです。単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線があるが、単式ホーム側は閉鎖されている(よって、実質的に1面2線)。単式ホームに接して、駅舎が置かれています。島式ホームとは跨線橋で連絡しています。


みどりの窓口があったが廃止され、大垣駅管理の簡易委託駅となっています。なお、マルス端末は設置されているが、取り扱いに制限があります。待合室には併設された「さめがいコミュニティセンター」(役場の出張所)への入口があります。

平成14(2002)年4月にオープンした売店・レストランのある「醒井水の宿駅」が隣接しています。


醒ヶ井駅プラットホーム


ホーム 路線 方向 行先
2 ■東海道本線 下り 米原・京都方面
3 ■東海道本線 上り 大垣・名古屋方面


1番線は貨物列車の待避線となっており、嵩上げもされないままホーム部分は柵がされています。

大垣保線区が存在する。醒ヶ井の保線区長は、大垣保線区長である。駅舎と別棟に、保線区現場事務所が存在する。

これら醒ヶ井駅構内から工事用車両の進入の他、クレーン車、軌道車などが格納されている車庫が存在する。

1900年(明治33年)2月21日 - 国有鉄道東海道線(1909年に東海道本線に改称)の長岡(現・近江長岡) - 米原間に新設開業。一般駅。
1972年(昭和47年)3月1日 - 貨物の取扱いを廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取扱いを廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる。

電報略号 サイ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線(実質1面2線)
乗車人員
-統計年度- 369人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1900年(明治33年)2月21日
備考 簡易委託駅

 

大型掩体壕 宇佐海軍航空隊遺構

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大分県宇佐市の森山地区にある宇佐海軍航空隊遺構の一つ。森山地区の掩体壕は他の9基の掩体壕よりも大型な掩体壕です 。 

他の掩体壕とは離れた位置にあり、現在は民家の一部として倉庫に転用されています。掩体壕は木材等を組み上げて型枠を造りその上部に鉄筋を組んでコンクリートで固めて造るそうです。掩体壕の上には今も人の足跡が残っています。
高さ    9メートル
幅    40メートル
奥行き  23メートル
と国内最大級の掩体壕です。

人間爆弾と呼ばれる「桜花」というロケットエンジン付きグライダーをつり下げて特攻に向かうための一式陸上攻撃機を収納していたと言われています。近くの誘導路あとと思われる道の幅はここを行き来した「一式陸上攻撃機」の両輪の幅(約6メートル)と同じです。

 

一式陸上攻撃機)は第二次世界大戦中の大日本帝国海軍の陸上攻撃機である。「一式陸攻(いっしきりくこう、-りっこう)」の短縮形でも呼ばれる事もあります。初飛行は1939年(昭和14年)10月23日、パイロットは志摩勝三。1941年(昭和16年)、即ち皇紀2601年4月に制式採用されたため、「一式陸上攻撃機」と命名されました。
大戦終盤は特攻兵器「桜花」の母機としても使用されました。桜花はその形状から機外に装備せざるを得ず、そのために起こる空力の悪化、桜花自身の重量、さらには本機の脆弱性とあいまって、桜花を射出する以前に敵機に捕捉・撃墜されることのほうが多かったようです。

柳ヶ浦駅 JR九州日豊本線

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柳ヶ浦駅は、大分県宇佐市住吉町一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。SL時代の宇佐〜杵築の峠越え基地として広い構内を持ち、現在でも始発列車が設定される運行上拠点のひとつで駅は、実質的な宇佐市の中心駅としての機能をもっています。これは、駅前の長洲地区の市街地をはじめ、宇佐市の中心商業地域(四日市地区)や官公庁地域(駅川地区)といった宇佐市の中枢的・中核的な機能を持った地区が、宇佐駅よりも柳ヶ浦駅の方が近いためです。

明治の一時期宇佐駅を名乗っていました。さらに、多数の電車が留置できる広い構内を有しているため、早朝・深夜に発着する普通(快速)電車は宇佐駅よりも多く、小倉・中津方面への通勤・通学の利便性も悪くはない。また、大分方面からの普通列車の折り返し駅であったが、2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正でワンマン運転が中津駅まで延長されたので、改正以降は1日3往復の普通列車が折り返し設定されています。


2007年(平成19年)3月より、当駅を始終点とする博多方面の特急「ソニック」が2往復増発されたため、停車する特急列車の本数も宇佐駅より僅かに多くなった。また、柳ヶ浦に停車し、宇佐を通過する特急もあります。なお、2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正まで運転されていた東京発着の寝台特急「富士」は宇佐駅に停車し、柳ヶ浦駅は通過していました。日出生台への物資輸送の必要性などにより早期に建設されたとされる。日豊線開通時の終点であり鉄道唱歌第二集山陽・九州編でも東九州方面は当駅で「汽車は宇佐にて止まりたり」と引き返し小倉駅へ戻るようになっています。

駅の北側には長洲市街地(宇佐市発足前の旧長洲町市街地)が広がっています。市街地には「○○長洲店」「△△柳ヶ浦店」という店の名前が混在しますが、もともと柳ヶ浦と長洲は駅館川を挟んで別個の町で、当駅のある西側が柳ヶ浦町、東側が長洲町でした。戦後、両町が合併して長洲町となったため、旧柳ヶ浦町地区にも「○○長洲店」という店ができました。隣の豊前長洲駅は柳ヶ浦町と合併する前から、旧長洲町の駅でした。駅に隣接して広い時間制有料駐車場があるが周辺はほぼ一帯が田園地帯。

太平洋戦争中はこの田園地域に宇佐海軍航空隊が存在したために米海軍空母艦載機やB-29による空襲を受け戦災址が点在している。そのため、駅のすぐそばにある踏切は現在も「航空隊踏切」という名称で残されています。宇佐市の中心商業地域(四日市地区)は宇佐駅より当駅のほうが近い。なお、柳ヶ浦高等学校は、当駅より南へ約700m離れたところにあり、近辺には五百羅漢像を有する東光寺があります。江須賀簡易郵便局 大交北部バス「柳ヶ浦駅前」停留所:宇佐市役所方面はのりかえ

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。駅舎は平屋のコンクリート造り駅舎です。互いのホームは跨線橋で連絡しています。1番ホームは下り特急列車、2番ホームは普通列車、3番ホームには上り特急列車が停車もしくは通過することが多い。現在、車両待機線として使用されている線路は、かつて蒸気機関車が一般的であった時代、立石峠を越えるために補助機関車等の連結・切り離しを行ったり、燃料の積込みを行う線路として使用されていました。改札口の頭上には液晶式の発車案内が設置されています。

キヨスクが撤退した待合室の売店では地元農産物などが販売されFRPの椅子が並んで設置されています。
直営駅で、みどりの窓口がある。ICカードSUGOCAの購入が可能。構内裏手には広いヤードがあります。転回列車もあるので留置線に使用しているようです。

1897年(明治30年)9月25日 - 長洲駅(ながすえき)として初代豊州鉄道が開設。
1898年(明治31年)3月1日 - 宇佐駅(うさえき)に改称。
1901年(明治34年)9月3日 - 豊州鉄道を初代九州鉄道が買収。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道が国有化、帝国鉄道庁が所管。
1909年(明治42年)10月15日 - 柳ヶ浦駅に再改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

電報略号 ヤナ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 624人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1897年(明治30年)9月25日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
* 改称経歴
- 1898年 長洲駅→宇佐駅
- 1909年 宇佐駅→柳ヶ浦駅
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

豊前善光寺駅 JR九州日豊本線 

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豊前善光寺駅は、大分県宇佐市大字東高家にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅でする。駅近くの豊前善光寺から駅名が由来しています。芝原善光寺ともいい、日本三大善光寺のひとつと称しています。駅は開業時の「四日市」から、付近の地名にちなんだ「高家郷」に改称されましたが、わずか三ヶ月で豊前善光寺駅になりました。昭和28年まで駅前から軌間762?の大分交通豊州線が山手に伸びていましたが、昭和26年の洪水の際、橋脚が倒壊したため、その2年後に廃止になってしまいました。

地上駅です。以前は駅舎に接する単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の、併せて2面3線の設備を有しましたが、島式ホームの駅本屋側の中線が撤去され単式ホーム2面2線となり屋根無しの跨線橋で結ばれています。島式ホームには待合室はありませんが、短い上屋が設置されています。両面ホームの面影がありますが、一方は安全柵で閉鎖されています。また駅舎側には使われていなさそうな留置線があります。


駅舎は鉄骨造り平屋建3代目で2006年(平成18年)の建築です。旧駅舎の面影を残すため一部が木目調にデザインされています。2代目駅舎は1935年(昭和10年)築で木造平屋建だったが改築に伴い解体されました。トイレは汲み取り式であったが現在は水洗式です。

九州交通企画が駅業務を行う業務委託駅。マルスは無いがPOS端末が設置されています。ICカードSUGOCAは乗降とチャージのみ対応。改札口にラッチはなく。脇には簡易型の券売機が設置されています。駅舎が小さいため待合はとても狭い。逆に駅前は広く駅横に小さな庭園があます。

1897年(明治30年)9月25日 - 四日市駅として初代豊州鉄道が開設。
1901年(明治34年)9月3日 - 豊州鉄道を初代九州鉄道が買収。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道が国有化、帝国鉄道庁所管。
1914年(大正3年)5月24日 - 日出生鉄道四日市 - 三又川間開通。
1919年(大正8年)6月1日 - 高家郷駅(たけのごうえき)に改称。
1919年(大正8年)9月1日 - 豊前善光寺駅に駅名改称。
1924年(大正13年)2月1日 - 日出生鉄道四日市駅を豊前善光寺駅に改称[1]
1929年(昭和4年)4月24日 - 日出生鉄道が豊州鉄道(2代)に社名変更。
1935年(昭和10年) - 2代目駅舎竣功。
1945年(昭和20年)4月20日 - 豊州鉄道(2代)が大同合同により大分交通豊州線所属。
1953年(昭和28年)9月30日 - 大分交通豊州線全線廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2006年(平成18年)1月13日 - 駅舎改築に伴い仮駅舎営業開始。
2006年(平成18年)3月19日 - 現3代目駅本屋完工。
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 セセ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 252人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1897年(明治30年)9月25日
備考 業務委託駅
* 1919年6月1日に四日市駅から高家郷駅に改称
1919年9月1日に高家郷駅から現駅名に改称

 

 

 

掩体壕城井1号 宇佐海軍航空隊

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城井1号掩体壕は、大分県宇佐市の軍事遺跡。旧日本海軍・宇佐海軍航空隊(海軍航空隊宇佐基地)の遺構です。現在は周辺地を含め市が買い取り、城井1号掩体壕史跡公園として整備されています。市指定史跡。史跡指定は1995年3月、第二次世界大戦の遺構の史跡指定は、沖縄県南風原陸軍病院壕(同県南風原町)に続き、全国2番目。

宇佐海軍航空隊は昭和14年(1939年)に開設され、同年、第12連合航空隊翌年には練習航空隊へ編入。太平洋戦争中の昭和20年(1945年)には特攻隊となっている。このため、基地施設がアメリカ軍機による激しい空爆や機銃掃射に何度もさらされることとなった。これは付近一帯にも大きな被害をもたらし、地元では地区名にちなんで畑田大空襲などと呼んでいる。


これらの空襲に参加したB-29のうちの一機が陸軍機「屠龍」の特攻により撃墜されており,その墜落地点(B-29)となった八面山(中津市三光)には今も記念碑が建っている。掩体壕の内部には零戦のエンジンが展示されています。エンジンは国東半島沖で網にかかりひきあげられたもの。地面には零戦の原寸大の影が表示されています。


戦後は放棄され、平成9年(1997年)ごろから市が史跡として整備するまで放置されていました。城井1号掩体壕以外にも多数の掩体壕が残っているが、多くは民家の納屋として使われています。


上石見駅 伯備線

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伯備線の駅の中で最も標高が高いことから、「にちなん高原の駅」との愛称を持つ上石見駅は、鳥取県日野郡日南町中石見字寺ノ前にあります。西日本旅客鉄道(JR西日本)伯備線の駅です。

県境の駅ですが周辺は道路等よく整備されています。駅前には「井上靖ゆかりの地」の木製の碑が設置されています。

伯備線において最も南にある米子支社管内の駅で、隣の新郷駅からは岡山支社の管轄に変わる(指令上の境界は新郷駅)。ただし、新郷駅を跨ぐ列車については米子支社側の乗務員が新見駅まで運行を担当いたします。

島式・単式の複合型2面3線のホームを持ち、行違い及び待避が可能な地上駅。駅舎はレストランと一体化しており、窓口で常備券を発券する簡易委託駅となっています。その駅舎は単式の1番のりば側にあり、島式の2・3番のりばへは覆い付き跨線橋で連絡しています。伯備線内ではここまでが「JR西日本米子支社」の管理になります。

上石見駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■伯備線 上り 新見・岡山方面
2 ■伯備線 下り 米子方面
3 ■伯備線 上り 新見・岡山方面 特急待避時のみ

上り本線は1番のりば、下り本線は2番のりば。3番のりばは両方向の入線・発車に対応した上下副本線であるが、2008年12月現在は下り旅客列車の発着設定がない。レストラン「駅」はホーム側にも食料を提供しています。

保線車用留置線。

1924年(大正13年)12月6日 - 伯備北線(現在の伯備線)が生山駅から延伸した際に、その終着駅として開業。
1926年(大正15年)12月1日 - 伯備北線が足立駅まで延伸、途中駅となる。
1928年(昭和3年)
10月25日 - 伯備北線が伯備線の一部となり当駅もその所属となるが、同日より当駅から足立駅方面の列車運行が休止。
11月25日 - 当駅以南の運行再開。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。

電報略号 カミ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1924年(大正13年)12月6日
備考 簡易委託駅
* この間に岡山支社と米子支社の境界標あり(当駅から生山寄りは米子支社管内)
** この間に下石見信号場有(当駅より4.9km先)

 

 

 

1月31日(金)のつぶやき

今津駅 JR九州日豊本線

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今津駅(いまづえき)は、犬丸川と五十石川が河口付近で合流する地点に近く、中津市郊外の住宅地である大分県中津市大字今津字古屋にある駅です。九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。駅周辺は長閑な雰囲気。

駅前には小さな庭園跡と駅開業記念碑があります。

単式ホーム2面2線を有する地上駅です。駅舎は「小停車場駅本屋標準図」(昭和5(1930)年通達)に沿った古い純木造の駅舎。駅舎の外回りは昔のままです。

互いのホームは屋根なしの跨線橋で連絡しています。もともとは、2面3線の追い抜き可能な駅構造であった。その中線を撤去されて2面2線の単式ホームになった駅構造です。旧2番線側の乗り場にはフェンスが設置されています。

下り列車進行方向に向かって左側に古い木造建築の駅本屋があります。また跨線橋からは山口県宇部がみえます。


駅舎内は、一部アルミサッシ化されていますが昔ながらの雰囲気はよく残されています。九州交通企画が駅業務を受託する業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されている。改札口には細い鉄製のラッチが残っています。


ICカードSUGOCAは出入場とチャージのみ対応。待合室にはFRP製の椅子が設置されています。

1897年(明治30年)9月25日 - 豊州鉄道(初代)が設置。
1901年(明治34年)9月3日 - 豊州鉄道(初代)が九州鉄道(初代)に買収される。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され、帝国鉄道庁所管となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 イツ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 158人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1897年(明治30年)9月25日
備考 業務委託駅

2月1日(土)のつぶやき

815系電車 JR九州の交流近郊形電車

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815系電車(は、九州旅客鉄道(JR九州)の交流近郊形電車。1999年(平成11年)10月1日の豊肥本線(熊本駅 - 肥後大津駅)の電化開業にあわせて営業運転を開始しました。

1999年10月1日、豊肥本線熊本 - 肥後大津間の電化開業および鹿児島本線熊本地区・日豊本線大分地区でのワンマン運転開始に伴い製造された。熊本・大分地区でのワンマン運転開始は、423系および457系・475系の置換えも兼ねたものです。


JRグループでは初めて日立製作所のA-trainシステムを用いて製造された車両。デザインは、キハ200系以降のJR九州の新製系列と同様、水戸岡鋭治率いるドーンデザイン研究所が手掛けている。
811系、813系および817系との相互連結運転が可能となっています。このうち、813系および817系とは、貫通幌を使用することで編成間貫通とすることが可能です。
2001年(平成13年)、グッドデザイン賞およびブルネル賞を受賞した。最高速度は120km/hです。

 

A-trainシステムの特徴の一つである、摩擦撹拌方式 (FSW) により製造されたダブルスキン構造のアルミ合金車体となっており、従来の813系よりさらに軽量化が図られました。片側3箇所に両開き扉が設置されています。客室側窓は同系と異なり、扉間に1枚の固定式大窓を設けた。車端部の窓も固定式であり、開閉可能な客用窓はない。窓ガラスはUVカットガラス (UV96) を使用し、カーテンは省略されました。
813系同様、前面部中央に貫通扉を設けましたが、前照灯と尾灯は、同系よりも高い位置に上げられました。
塗装も同系と似ており、無塗装を基本に扉部分が赤色に塗装されたが、前位側については、同系のようにステンレス構体に鋼製の前頭部を接合する車体構造ではないため、前面の縁および貫通扉のみが赤く塗装されました。
行先表示器は字幕式で、811系および813系の表示に、豊肥本線系統の駅名を追加した内容である。側面表示器の駅名表記は、前2系列と同様に白地に黒文字で日本語と英語の並記だが、設置箇所は第4エンド端の1箇所のみで、編成単位での片側面では1箇所に集約。また、正面の表示器もキハ200系と同様に列車種別表示器が設置されるとともに、黒地に白文字の駅名表記も日英並記となりました。

車内設備がユニット化され、製造工程の合理化が図られている点も、A-trainシステムの特徴の一つです。運転室および車椅子対応便所(クハ814形第3エンド端に設置)が、独立したユニットとして設置されました。座席は、JR九州発足以降の新系列電車として、初めて全席ロングシートが採用され、背もたれと座布団が一人分ずつ独立した形状とされました。
車内収受式ワンマン運転を行うため、運賃箱、運賃表示器および整理券発行器を備えました。
また、813系と同様に、下り列車で進行方向右側となる客用扉の上部に、一行表示のLED式車内案内表示器が設置されました。ただし、同系では日本語のみの表記であったのに対し、本系列では、日本語と英語による表記が交互に表示されるようになりました。
客室内は、ステップ部も含め段差はなく、編成内の車両間の仕切り扉もありません。客室内のうち、運転室および客用乗降扉は、黄色に塗装されています。

窓ガラスは、紫外線96%カットの「UV96」が使用。そのため、窓から見る景色が暗い青になっていて、晴れていても曇りのように見えてしまう。


全編成とも門司港側からクモハ815形 (Mc) - クハ814形 (T'c) の2両で組成されている。車両番号は編成ごとに同じ番号で揃えられ、編成自体にも「Nxxx」の編成番号が与えられている。「N」は815系であることを示し、「xxx」は車両の製造番号に対応しています。
車両前面に表示される編成番号は「Nxxx」だが、正式な編成番号は熊本配置車は「NTxxx」、大分配置車は「NOxxx」である。編成記号の「N」は以前715系に使用されていた(N101 - 112編成)が、同系列は1998年(平成10年)までに全車廃車されており、本系列との記号重複は生じていません。

 

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