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Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
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2月2日(日)のつぶやき


生山駅 伯備線

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生山駅は日南町の代表駅で駅は町の中心街から一段上の広場、鳥取県日野郡日南町生山字後藤屋敷にあります。駅舎共々平成16年に大幅リニューアルされました。西日本旅客鉄道(JR西日本)伯備線の駅です。

整備された駅前はすぐ隣に「ステーションアベニューぷらら」があり駅前というより道の駅のような雰囲気になっています。駅の北側を高速道路(地域高規格道路)である国道183号江府三次道路(生山道路)がオーバークロスしています。駅前には商店や旅館、金融機関なども立地し、若干の賑わいが見られます。また駅前は大駐車場が設置され、パークアンドライドにも利用されているようです。日南町役場は生山駅から離れているため、日南町営バスに乗り換えなければなりません(かつては生山駅近くにあったが、鳥取県西部地震により被災し、約3km西へ移転したため)。

米子方面からの普通列車の一部がこの駅で折り返しとなるため、当駅から芸備線合流駅である備中神代駅にかけては、伯備線の中でも特に普通列車の本数が少ない区間となります。
特急「やくも」の一部列車が停車する。この駅に停車する「やくも」は根雨駅を通過する。県道が島根県仁多郡奥出雲町の横田地区まで通じている。横田地区の最寄駅にはJR木次線出雲横田駅、八川駅、三井野原駅があるが、1日4往復程度の普通列車しかなく利便性に乏しい上に、所要時間も長い。そのため生山駅を利用する横田地区の人が多く、鳥取県とお隣の島根県の山間部、両県の利用者が多い駅になっています。特急やくもは2時間に1本の割合で停車いたします。

単式・島式の複合型2面3線のホームを持ち、行違いおよび待避設備を有する地上駅。米子駅が管理し、ジェイアール西日本米子メンテックが駅業務を受託する業務委託駅である。単式の1番のりば側に駅舎があり、島式の2・3番のりばへは跨線橋で連絡しています。


駅舎は開業当時からの物を長年使用していたが、駅周辺の整備に伴い近年、立て替えられた。現在の木造駅舎は地域間交流施設クローバと共同の建物を使用しています。駅舎内もからホーム上屋まで、木をふんだんに採用した駅舎になっています。

時間帯限定の営業ではあるが、みどりの窓口も設置されています。また、鉄道・バスの経路・時刻検索システム「バスネット」の端末も設置されている。待合室は壁から椅子まで木がふんだんに使用された作りになっています。同じく待合室のキオスクも木を活かしたお店になっています。便所は男女別の水洗式。

生山駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■伯備線 上り 新見・岡山方面
2 ■伯備線 下り 米子・出雲市方面
3 ■伯備線 下り 米子・出雲市方面 待避・始発列車のみ
上り 新見・岡山方面 待避列車のみ


上り本線は1番のりば、下り本線は2番のりば。3番のりばは両方向の入線・発車に対応した上下副本線である。ただし、2008年12月現在、当駅で待避する下り旅客列車の設定はないため、3番のりばから発車する下り旅客列車は生山駅始発のみとなっている。この他、貨物列車が3番のりばで旅客列車を待避することがある。

島式ホームの上屋と跨線橋(窓のない跨線橋)は未改装のままです。改築の際、2・3番ホームは特に手を加えられていないようすです。

1923年(大正12年)11月28日 - 伯備北線が黒坂駅から延伸した際に、終着駅として開業。
1924年(大正13年)12月6日 - 伯備北線が当駅から上石見駅まで延伸、途中駅となる。
1928年(昭和3年)10月25日 - 伯備北線が伯備線の一部となり、当駅もその所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。

電報略号 シマ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗降人員
-統計年度- 288人/日
-2008年-
開業年月日 1923年(大正12年)11月28日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有
* この間に下石見信号場有(当駅より3.8km先)

 

 

 

 

2月3日(月)のつぶやき

宇島駅 JR九州日豊本線

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宇島駅は、福岡県豊前市大字八屋。周辺は豊前市の中心地で、商店街を形成している。駅の北側は多くの工場が立地する工業地帯である。九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。かつては耶馬渓とを結ぶ宇島鉄道の乗換駅でした。


豊前市の代表駅。豊前市は北九州市や大分県中津市への通勤・通学圏であり、また駅周辺には企業や高等学校が立地することから、特急列車の約半分と快速・普通の全列車が停車する。駅前ロータリーの中心には植樹帯があり豊前市バスは一部駅前ロータリーからも発車しているが大半は県道1号豊前万田線に面した八屋停留所に発着いたします。

駅名の由来となっている「宇島」という地名は駅の300m東にあり、駅周辺の地名は「八屋」となっている。これは宇島駅開業の際に土地を提供した者が宇島に住んでおり提供条件として「宇島駅」と名付けることとしたためとされています。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。三角屋根が印象的な鉄筋コンクリート造りの駅舎です。三角ファサードにステンドグラスがあります。入口はオープン構造です。ホームのうち5両分はかさ上げされている。

駅ホームなどに豊前市のマスコットキャラクターにもなっている鴉天狗(求菩提山の伝説)の像が建立されている。互いのホームは跨線橋で連絡しています。トイレは改札内・改札外ともに小倉寄りにあります。


直営駅で、みどりの窓口が設置されています。待合室には長椅子が数脚設置されています。2004年に古賀駅で使用していた無限軌道を用いた車椅子用階段昇降機が配置されていました、2011年にエレベーターが設置されました。売店は改札口外脇に小さなコンビニエンスストア型のものが営業しておりホーム上には自動販売機が設置されています。また、売店脇にはエアコン・テレビ付きの待合室があります。

のりば
1 ■日豊本線 (上り) 小倉・博多・下関方面
2・3 ■日豊本線 (上り) 小倉・下関方面
(下り) 中津・宇佐方面
※小倉方面の快速は2番のりば、中津方面の快速は3番のりばを使用する。
日中の中津終着の上り普通ワンマン列車は、当駅まで回送し2番のりばに留置後、回送で中津駅まで戻ってから中津始発列車となる場合が多い。

構内裏手には留置線が多くあります。その裏手は大きな工場があります。

1897年(明治30年)9月25日 - 宇ノ島駅として初代豊州鉄道が開設。
1901年(明治34年)9月3日 - 豊州鉄道(初代)を九州鉄道(初代)が買収。
1903年(明治36年)6月16日 - 電報の取扱開始。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され帝国鉄道庁が所管。
1907年(明治40年)11月1日 - 宇島駅に表記変更。
1914年(大正3年)1月21日 - 宇島鉄道(宇島 - 耶馬溪)間開通。
1915年(大正4年)4月2日 - 駅舎増築。
1936年(昭和11年)8月6日 - 宇島鉄道全線廃止。
1959年(昭和34年)- 現2代目駅本屋完工。
1966年(昭和41年)- 駅前広場完成。
1982年(昭和57年) - 貨物業務取扱廃止。
1987年(昭和62年)2月6日 - みどりの窓口開設。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2004年(平成16年)4月10日 - 車椅子用無限軌道型階段昇降機が古賀駅より移動。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
2011年(平成23年)2月16日 - エレベーター完成

電報略号 ウノ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗降人員
-統計年度- 4,224人/日
-2010年度-
開業年月日 1897年(明治30年)9月25日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
* 1907年に宇ノ島駅から改称。

宇島鉄道(うのしまてつどう)は、かつて福岡県築上郡八屋町(現・豊前市)の鉄道省日豊本線宇島駅から分岐し、大分県との県境付近の耶馬渓駅までを結ぶ鉄道路線(軽便鉄道)を有していた鉄道事業者です。

耶馬渓観光の客を見込んで、前年開業した耶馬渓鉄道(後に大分交通耶馬渓線となり、1975年(昭和50年)全廃)と争う形で1914年(大正3年)に開業した。だが大分県の県境付近までしか伸ばせず、営業成績も低迷した[1]ため1936年(昭和11年)に廃止となりました。
終着の耶馬渓駅は、県境の山国川を挟んで耶馬渓鉄道とかなり近接した位置にあり、同線の洞門駅までの延伸も検討されていたが、実現しなかった。
なお、この路線の宇島 - 耶馬渓間は1896年(明治29年)に設立が計画された日田鉄道(宇島 - 日田 - 久留米 - 若津港)とほぼ重なっています。

 

 

2月4日(火)のつぶやき

ひゅうが型護衛艦いせ ? 海上自衛隊

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いせ(DDH-182)は、海上自衛隊の護衛艦。ひゅうが型護衛艦の2番艦。艦名は令制国の伊勢国に由来し、戦艦(航空戦艦)伊勢に次いで二代目、海上自衛隊の護衛艦としては初代である。

「いせ」は、中期防衛力整備計画に基づく平成18年度計画13,500トン型ヘリコプター搭載護衛艦2320号艦として、アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド横浜工場で2008年(平成20年)5月30日に起工し、2009年8月21日にアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド横浜工場で挙行された進水・命名式において、防衛大臣政務官岸信夫により「いせ」と命名された。艦番号は当初DDH-146、建造番号2406号が与えられていたが、艦番号DDH-182、建造番号も2320号に変更されている。1番艦は「ひゅうが」です。

ひゅうが型護衛艦(ひゅうががたごえいかん、JMSDF DDH Hyūga class)は海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦 (DDH)。海上自衛隊が過去に保有した護衛艦の中で全長、排水量共に最大規模の艦型である。


ひゅうが型は、多数の哨戒ヘリコプターを同時に運用できる広大な全通甲板を有するヘリコプター搭載型護衛艦である。
大きな船体容積と搭載ヘリコプターにより強力な人員・物資の輸送能力も有することから、災害派遣や強襲揚陸などの任務にも従前の戦闘艦より柔軟に運用でき、従来の護衛艦に較べて極めて多用途化されていることが本型の大きな特徴のひとつである。


本型は従来の軽空母や強襲揚陸艦の一部をも上回るほど巨大な船体を持つことから、事実上のヘリ空母として言及されることが多いが、海上自衛隊は第一義的に対潜戦を重視しており、前任のはるな型(43/45DDH)を踏襲して本型も「ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)」に種別している。また、ハリアーのようなSTOVL型の戦闘機を運用する軽空母と比較されることも多いが、防衛省は本型での固定翼機の運用については公式にいかなる発表もしていない。


自衛隊のDDH運用の伝統から、一般的なヘリ空母より個艦装備が充実している。それは垂直発射システム、対潜魚雷発射管、大型大出力のバウソナー、新開発のC4Iシステムと多岐にわたり、艦自身が強力な対潜戦闘を展開することができる。建造中の22DDHが、最低限の自衛火器しか搭載しないとの対照的である。

海上自衛隊が1973年(昭和48年)の就役より運用してきたはるな型の1番艦「はるな」(43DDH)の老朽化が進んだため、後継として代艦建造計画が2000年(平成12年)の中期防閣議にて閣議決定され、3つの船型案が提示された。


従来までのDDHと同様に前部に構造物を持ち、後部を発着甲板とする案
艦橋構造物で前後の甲板を分断し、艦橋の前後にヘリコプター甲板を持たせる案
艦の全長に渡って障害物のない発着甲板を有する全通甲板型とする案
3つの案のうち、当初は第2案が、予想図では無く「イメージ図」という用語を伴って発表された。この図の段階でマストや煙突は右舷側に寄せられており、左舷側には前後の発着甲板をつなぐ大型のシャッターや大きな艦橋が置かれているだけだった。

このため、実際の船型は全通甲板の第3案に内定しており、航空母艦に近い形状で世論の反発を買うことがないように作った図であるとも言われている。2003年(平成15年)には、ヘリコプターの同時運用能力を高めるとの理由で、第3案の船型へと改められた予想図が発表された。


1番艦に続き、2005年(平成17年)度予算で2番艦が要求される予定であったが、ミサイル防衛関連に防衛予算全体が圧迫された為この要求は先送りとなり、2006年(平成18年)度予算で要求が行われ、その建造が認められた。


ひゅうが型護衛艦いせ � 海上自衛隊

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ヘリコプター運用能力、護衛隊群旗艦能力をはるな型より発展させる事が要求されたことと、各種の能力向上もあり、基準排水量は歴代自衛艦で最大の13,950トンとなった。満載排水量は推定で19,000トンとされ、イタリア海軍の「ジュゼッペ・ガリバルディ」やスペイン海軍の「プリンシペ・デ・アストゥリアス」、タイ王国海軍の「チャクリ・ナルエベト」などの軽空母と同等か上回っており、イギリス海軍のヘリコプター揚陸艦「オーシャン」よりは小さい。


船型、装備も従来の駆逐艦、護衛艦と異なるが、海上自衛隊では、ヘリコプター(H)による潜水艦駆逐(DD)を任務とするため、ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)と分類している。Mk41 VLSから発射する艦対空ミサイルを主な装備として速射砲は持たず、単艦での戦闘は考慮されていない。
設計時点で固定翼V/STOL機の運用は考慮されておらず、これらの機体を搭載する諸外国の艦の多くが設置しているスキージャンプ勾配も持たない。なお強度的には大型のMH-53Eヘリコプターを運用可能なように設計されている。MH-53Eの全備重量は33.3トンにおよび、ハリアーIIなどの戦闘機を凌駕するものとなっている。


艦橋構造物は右舷に寄せられ、艦首から艦尾まで全通した上甲板(全通甲板)は飛行甲板を兼ね、ヘリコプター3機の同時発着艦を可能としている。艦体の後方3分の1程度が平らなヘリコプター甲板だった従来のDDHや、最初に発表された予想図のような艦形の艦船では不可能だったヘリコプター複数機の同時発着艦運用を可能としている。また、艦橋が視界を遮ったり気流を乱す事も少なくなり、ヘリコプターの着艦作業も容易になった。
艦体や上部構造物はステルス性を考慮して側面には傾斜がつけられ、表面は平滑に整形されている。
船内には旗艦としての運用に備えて司令公室、幕僚事務室、司令部要員の居住スペースを備えるほか、緊急の災害対策本部としての使用も可能なように大型会議室などの設備もある。また、戦闘を任務とする海上自衛隊の艦船としては初めて、設計段階から女性自衛官の居住スペースが確保された。女性自衛官は、17名が乗艦する。

従来のDDHは広いヘリコプター甲板と大きな格納庫を持ち、他の護衛艦に比べればヘリ運用能力が高かったが、それでもヘリコプターは、20分おきに1機しか発着艦できなかった。そのため、飛行中のヘリコプターに問題が起こった時すぐに着艦が出来ない場合があるなど、運用には制約があった。また、格納庫内ではメインローターを広げての整備が行えなかった為、そのような重整備を行う場合には甲板上に出す必要があり、その間発着艦を行う事は出来ず、そもそも悪天候の場合にその様な作業を行う事も出来なかった。
これに対してひゅうが型は、同時に哨戒ヘリコプター3機が発着艦が可能で、さらに輸送用ヘリなどの発着スポットも1つ備える。格納庫と甲板上を合わせて最大11機のヘリコプターを搭載可能であり、広い整備スペースでメインローターを広げ、天候や他のヘリの発着艦に影響されずに整備も出来るようになった。。

 

C4Iシステム:護衛艦としてはじめて、護衛隊群司令部を十分に収容できる規模の司令部施設(旗艦用司令部作戦室・FIC)を設置している。FICは第2甲板、CICの後部に隣接して設置されており、アメリカ海軍の航空母艦や強襲揚陸艦に設置されているTFCC (群司令部指揮所) と同様の機能を有している。ここには、海上自衛隊の基幹指揮回線であるMOFシステムの新型艦上端末であるMTAが設置されている。

MTAは従来使用されてきたC2Tの能力向上版で、個艦の戦闘統制用のCDSと連接されている。また通信機能も増強されており、従来より使用されてきたSUPERBIRD B2に加えて、より高速・大容量のSUPERBIRD Dによる衛星通信を使用できるようになっているほか、必要に応じて、さらに大容量のKuバンド衛星通信を使用する用意もなされている。

また、アメリカ軍との共同作戦を考慮し、アメリカ海軍の基幹指揮回線であるGCCS-Mも設置されている。これは、USC-42 Mini-DAMAを介して、FLTSATCOMなどアメリカ軍のUHF帯衛星通信を使用する。
同じ第2甲板の前方には多目的室が設置されている。ここはOAフロアや可動式の間仕切りを備え、必要に応じてレイアウト変更が可能であり、大規模災害時の自治体責任者を交えた災害対策本部や、海外派遣時の統合任務部隊司令部などに利用される。


CICには、OYQ-10 ACDSが設置され、個艦の戦闘統制に使用される。OYQ-10は、オペレーターの判断支援および操作支援のため、予想される戦術状況に対応して、IF-THENルールを用いて形式化されたデータベースに基くドクトリン管制を採用している。

これにより、オペレーターの関与は必要最小限に抑えられ、意思決定の迅速化を図っている。また、OYQ-10は、NOYQ-1艦内統合ネットワークを介して、対空戦闘システムであるFCS-3、対潜戦闘システムであるOQQ-21、電子戦装置などと連接され、艦全体の戦闘を統括する。これらは、新戦闘指揮システムATECS (Advanced Technology Combat System) と総称されている。

豊前松江駅 JR九州日豊本線

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豊前松江駅は、福岡県豊前市大字松江横園にあり豊前市だけでなく、築上町西角田地区の住民の一部も利用する駅です。駅名の由来は付近の海岸沿いの松並木による通り。下りホーム背後は周防灘であり駅前に国道10号が通る。九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。互いのホームは屋根無しの跨線橋で連絡しています。アルミサッシ化されていますが駅本屋は1932年(昭和7年)に完成した正に由緒正しい木造建築で2003年(平成15年)に駅本屋入口の「豊前松江駅」という表示板が地元出身の書道家によって書かれた木製品に交換されました。手書きの看板には傘付きの裸電球がついています。


九州交通企画が駅業務を受託する業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されている。SUGOCA対応の簡易型自動改札機とチャージ機が設置されている。SUGOCAの利用が可能であるが、カード販売は行わずチャージのみ取り扱いを行う。待合室には日豊線の鉄道唱歌が掲示されています。


のりば
1 ■日豊本線(上り) 小倉・門司港・下関方面
2 ■日豊本線(下り) 中津・宇佐方面
ホームは嵩上げされており、駅舎とは段差ができています。段差には転落防止柵があります。

構内跨線橋から見た海。

1897年(明治30年)9月25日 - 松江駅として初代豊州鉄道が開設。
1901年(明治34年)9月3日 - 豊州鉄道を初代九州鉄道が買収。
1907年(明治37年)7月1日 - 九州鉄道が国有化、帝国鉄道庁が所管。
1932年(昭和7年) - 現駅本屋に改築。
1945年(昭和20年)5月1日 - 山陰本線松江駅と識別目的で豊前松江駅に駅名改称。
1971年(昭和46年) - 業務委託化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

キロ程 41.8km(小倉起点)
電報略号 ヨエ←ヨヱ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1897年(明治30年)9月25日
備考 業務委託駅
* 1945年に松江駅から改称。

 


ひゅうが型護衛艦いせ ? 海上自衛隊

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航空システム:全通甲板構造による複数機同時発着能力、支援設備による高度な整備支援能力、大型格納庫による多数機収容能力、高度なC4Iシステムによる航空管制能力を備え、通常は、哨戒ヘリコプターのSH-60JまたはSH-60Kを3機搭載する。この定数は、前任者であるはるな型やしらね型(50DDH)と同じで、必要時には、これに加えて掃海・輸送ヘリコプターのMCH-101を1機搭載することができる。


整備区画とエレベーターを含む格納庫部の全長は120m、幅は19m-20mであり[8]、60m×19mの格納庫のみでSH-60哨戒ヘリコプターであれば1個護衛隊群の定数に相当する8機以上を収容できる広さを持っている。また格納庫は防火シャッターにより前後2区画に仕切ることもできる。また、後部エレベータをはさんで格納庫の後方には最大20m四方の整備区画が設けられ、艦内でメインローターを広げたまま整備を行うことができる。

飛行甲板から格納庫をむすぶエレベータは、格納庫の前後に長さ20mのものが2基装備されており、後方エレベータは幅13メートルで、SH-60がローターを広げた状態で積載できるため、飛行甲板から整備区画に直接移動させることができる。前方エレベータは幅10メートルで、やや小型となっている。また、ヘリコプターに搭載する対艦ミサイルや魚雷などを輸送する弾薬用のエレベータも前後2基装備する。飛行甲板には4機分のヘリスポットが装備されており、3機の同時運用が可能。舷側エレベータは採用していない。


大規模災害発生時には、第72航空隊、第73航空隊のUH-60J救難ヘリコプターを搭載し、洋上救援基地として利用する。
ヘリコプター洗浄用の清水を含む、全ての艦内用清水を作るための造水装置はヘリコプターを搭載しないこんごう型(63DDG)と同型のものを同数搭載する。また、熱源となる補助ボイラーもこんごう型と同型のものを同数搭載する。 


個艦戦闘システム:後部右舷寄りに16セルのMk 41 VLSが備わり、防空用のESSM(発展型シースパロー)艦対空ミサイル、対潜水艦用に07式垂直発射魚雷投射ロケット(新アスロック対潜ミサイル)が収容される。


従来のDDHであるはるな型がシースパロー16発(うち発射機に即応弾8発)、アスロック16発(うち発射機に即応弾8発)を搭載していたのに対して、本型はアスロックの総数こそ減少しているものの、ESSMはMk 41 VLSに装填されたMk 25キャニスタ1セルにつき4発搭載可能なので、即応弾数と総数は増加しており、装填動作の不要なVLSによって即応性も向上している。艦内に1斉射分、16発のESSM予備弾を搭載するとされている。

対空戦闘システム:新開発の射撃指揮装置であるFCS-3とOYQ-10 ACDSを中核として、高度に自動化された対空戦闘システムを備えている。
FCS-3は、従来より試験艦「あすか」で運用試験を受けていたものの改良型で、Cバンドを使用する捜索レーダーと、Xバンドを使用する射撃指揮レーダーのフェーズド・アレイ・アンテナをそれぞれ4面ずつ 、アイランド前部に0度と270度を向いたもの、後部に90度と180度を向いたものを設置しており、目標捜索から追尾、そしてOYQ-10から指示を受けての攻撃までを担当する。[9]総合的な対空武器システムとなっており、最大探知距離200キロ以上、最大追尾目標数300程度とされる。砲を搭載しないことから、ESSM(発展型シースパロー)の射撃指揮にのみ用いられることとなる。


対空ミサイルのESSMは、従来使用されてきたシースパローIPDMSの発展型であり、より敏捷になっている。また、同時多目標対処を狙って中途航程に慣性誘導を導入したことにより飛翔コースが最適化され、近距離での機動性向上を狙って推力を増強した結果、射程も最大50kmに延長されている。射程の外縁部では機動性が低下するものの、限定的な艦隊防空能力を有する。海上自衛隊の護衛艦で、ESSMを新造時から搭載するのはひゅうが型が初となる。


ESSMの射撃可能域よりも近距離の航空脅威に対処するため、飛行甲板前端と、船体後部左舷側に設けられたスポンソン上に高性能20mm機関砲(CIWS)を計2基搭載している。


対潜・対水上戦闘システム
対潜戦闘システムの中核となるのが、OQQ-21ソナー・システムで、これは、新開発の大型艦首装備ソナーと対潜情報処理装置、水中攻撃指揮装置を統合したものである。ソナーは試験艦あすかで試験されていたもので、長大なソナー・ドームの前部には従来と同様の円筒形ソナー・アレイを備え、後方の両側面にフランク・アレイを装備する。従来の機種に比べて、探知距離と浅海域での探知精度が向上している。このように自艦装備ソナーの性能が向上したこともあって、航空運用能力を確保するために戦術曳航ソナーは装備しない。


Mk41 VLS
対空用のESSM(発展型シースパロー)、対潜水艦用の07式垂直発射魚雷投射ロケット(新アスロック)が収容される。
自艦装備の対潜火力としては、Mk41 VLSより発射するVLA(垂直発射式アスロック)対潜ミサイルと、舷側のHOS-303 3連装短魚雷発射管がある。搭載する16セルのMk41 VLSのうち、12セルがVLAに割り振られる。また、将来的には、新開発の07式垂直発射魚雷投射ロケット(新アスロック)の運用も予定されている。HOS-303 3連装短魚雷発射管は、従来より使用されてきた68式3連装短魚雷発射管の最新版で、新型の97式短魚雷の運用が可能となっている。
た、自艦の搭載機も含め、任務群が有する哨戒ヘリコプターを一括して統制することで、対潜戦闘を展開することも可能。搭載機のうち、SH-60KはAGM-114M ヘルファイアII空対艦ミサイルが装備でき、砲や対艦ミサイルを持たないひゅうが型における間接的な対水上火力となる。
洋上でのテロ攻撃に対処するため、合計で7基の12.7mm機銃M2を搭載する。近接防空用の高性能20mm機関砲(ファランクス)も、光学照準機能を持つブロック1Bと呼ばれるバージョンを採用したことで、小型・高速の水上脅威が接近してきた場合に対処できる。

追加装備
インドネシア国際緊急援助活動の教訓を踏まえ、平成18年度防衛予算にひゅうが型への機能の付加が盛り込まれた。概算要求の概要には「煙突の間の洋上補給装置、格納庫内の中間フラットと移動用装置」が記載されていたが、予算の概要には「後方の煙突のヘリ・リンク用アンテナを一基追加、格納庫内の中間フラットと移動用装置」が記載されている。

マルチハザード化とグローバル化を背景に、近年、世界的に戦争以外の軍事作戦(MOOTW)のニーズが増大しているが、本型は、これらの作戦においても非常に有効であると期待されている。特に自然災害の頻度が高い日本においては、災害派遣における人道支援任務への応用が期待されている。
全通甲板などの設備により、航空機の運用性が向上していることから、艦載用に設計されていない陸上自衛隊機や、消防防災ヘリコプターなど民間機の離着艦も可能と見られている。この性能を生かして、大規模災害時の海上基地としての機能も盛り込まれており、海上自衛隊が保有するMCH-101掃海・輸送ヘリコプターを搭載しての救援物資輸送や、救難飛行隊のUH-60Jによる傷病者の収容、消防や警察、海上保安庁のヘリコプターに対する管制・補給支援が計画されている。また、自治体関係者による合同対策本部を収容できる設備が用意されているほか、集中治療室を含む医療設備を持つ。また、弾薬用エレベータはストレッチャーと付添員を乗せられる大きさとなっているほか、飛行甲板から初療室までの経路はバリアフリー化されており、傷病者をストレッチャーに載せたままで迅速に移送できるよう配慮されている。
2009年9月5日には、横浜市が横浜港の大さん橋ふ頭に停泊した「ひゅうが」を拠点に5機関合同防災訓練を実施、陸上自衛隊(UH-1)、海上保安庁(AS332)、神奈川県警察(AS365)、横浜市安全管理局(当時)(AS365)によるヘリコプター発着艦訓練、海上自衛隊のSH-60Kによる負傷者搬送、収容訓練が行われた。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による東日本大震災に対し、「ひゅうが」は被災地への物資輸送および被災者の入浴支援の為、16日午後横須賀基地より三陸海岸沖に進出した。SH-60K哨戒ヘリコプター4機による支援活動を行い、ヘリコプターを生かした物資搬送能力は、人道支援にその実力を見せた。同年同日、同型2番艦「いせ」が竣工し、「いせ」は同31日に定係港である呉基地へと回航された。

2隻のはるな型を代替する為、「ひゅうが」と「いせ」の2隻のひゅうが型が建造されている。艦番号は当初、建造番号2405号艦(ひゅうが)にDDH-145が、建造番号2406号艦(いせ)にDDH-146が与えられていたが、後にそれぞれ、建造番号2319号艦と艦番号DDH-181、 建造番号2320号艦と艦番号DDH-182に変更されている。はるな型としらね型の艦番号は141から144であったので、ひゅうが型の艦番号は従来型DDHと連続していないことになる。
2番艦「いせ」には大型の燃料タンクを生かした他の護衛艦に対する洋上補給装置や、[要出典]ヘリ運用能力向上のため格納庫内に起倒式のキャットウォークを追加装備されている。ただし、1番艦と2番艦の外見上の違いはほとんどない。
なお、ひゅうが型がはるな型を代替する数年後には、しらね型2隻の退役が見込まれており、これを代替する19500トン型2隻の建造予算が計上済みである。


2011年(平成23年)3月16日に就役した。第4護衛隊群第4護衛隊に所属しており、護衛隊旗艦である。定係港は呉である。当面、呉基地を拠点として乗員らによる慣熟訓練等が鋭意実施されてゆく。なお、艦名板は伊勢神宮大宮司:鷹司尚武の揮毫によるもので、材木は宇治橋に使用されていた欅である。

発注 2006年
起工 2008年5月30日
進水 2009年8月21日
就役 2011年3月16日
要目
排水量 基準 13,950トン
満載 19,000トン
全長 197m
全幅 33m
吃水 7m
機関 IHILM2500ガスタービン 4基
2軸推進、100,000PS
最大速 30ノット
乗員 約340〜360名
兵装 Mk15ファランクスCIWS 2基
12.7ミリ単装機関銃 7丁
HOS-303 3連装短魚雷発射管 2基
Mk41VLS 16セル
電子装置 OYQ-10 情報処理装置
FCS-3改 対空捜索レーダー
OPS-20C 対水上レーダー
QQS-21 ソナー
FCS-3改
NOLR-3C 電子戦装置
Mk36SRBOC チャフ発射機 4基
搭載機 (通常)ヘリコプター 3〜4機
(最大)ヘリコプター 11機

築城駅 JR九州日豊本線

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築城駅(ついきえき)は、福岡県築上郡築上町大字東築城にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。北九州の通勤通学圏内に属し、ラッシュ時には小倉方面を中心に利用客が多い駅です。駅の北側には国道10号を挟み航空自衛隊築城基地が所在し、南側が築上町西部築城地区の住宅地となっています。

駅前からは太陽交通の路線バスが城井・寒田方面やみやこ町豊津方面に運転され、福岡県立育徳館高等学校および中学校、築上西高校上城井分校に通う生徒や、城井・寒田方面への乗客が利用しています。椎田・小山田・東八田方面への築上町コミュニティバスが、2006年(平成18年)11月1日から運行されています(但し、平日・土曜のみ)。駅近くには「航空自衛隊築城基地」があり築城基地航空祭の日には特急も停車し、賑わいます。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡しています。駅本屋側が上り線のりばとなっています。駅本屋は中央に小さな三角ファサードのある平屋の鉄筋コンクリート造です。駅前はロータリーがあり広いスペースがあります。


九州交通企画が駅業務を受託する業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されています。改札口にはSUGOCAの簡易型自動改札機と液晶式の発車案内が設置されています。SUGOCAの利用が可能であるが、カード販売は行わずチャージのみ取り扱いを行います。
直営時代はマルス端末機の設備があった。なお築城基地航空祭の開催日に限り2番のりばに臨時の改札・切符売り場が設けられます。


のりば
1 ■日豊本線(上り) 小倉・門司港・下関方面
2 ■日豊本線(下り) 中津・宇佐方面

駅名標のイラストは天然記念物の「本庄の大楠」。

1933年(昭和8年)6月19日 - 鉄道省が開設。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。


電報略号 ツイ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 2,029人/日
-2010年度-
開業年月日 1933年(昭和8年)6月19日
備考 業務委託駅

新田原駅 JR九州日豊本線

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明治30年開業の新田原駅(しんでんばるえき)は、福岡県行橋市大字道場寺にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。
行橋市南部の住宅地域に存在し、北九州の通勤通学圏内にあり、ラッシュ時を中心に小倉方面への利用客が多い。また、隣接するみやこ町豊津地区の最寄駅でもあるため、この地域の住民も利用する駅です。新田原地区は県内でも有数のフルーツの産地(いちじく、ぶどう、桃など)であり、国道10号やその近辺では、フルーツを売るバラック建ての産直販売店が数十店舗並んでいいます。

同じ字面の航空自衛隊新田原(にゅうたばる)基地は宮崎県新富町(最寄り駅は日向新富駅)にあり、当駅とは別の場所である。しかし、同じ東九州(しかも日豊本線沿い)であることや、上記の通り当駅の近くにも同じ航空自衛隊の築城基地があるため、九州外の在住者には混同されることもあります。私自身、一時混同していました。

 

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。入口には大きめの軒下がある平屋のコンクリート造り駅舎です。独特な色合いの駅舎です。互いのホームは跨線橋で連絡しています。2番乗り場からは日中毎時1本小倉方面への折返し列車があり朝夕も多数運行されています。


九州交通企画が駅業務を遂行する業務委託駅で、みどりの窓口が設置されています。JR九州のプリペイドカードワイワイカードが利用できるのも当駅までです。自動改札機が設置されており、2009年導入のSUGOCA利用可能駅です。改札口の頭上には液晶式の発車案内が設置されています。待合室は広くはなく、FPR製の椅子が背中合わせに設置されています。

のりば
1 ■日豊本線(下り) 中津・宇佐方面
2 ■日豊本線 (待避線)
3 ■日豊本線(上り) 小倉・門司港・下関方面
ホームは非常に長く駅行橋方ホーム脇には短い引き込み線があります。
構内にはポイント電気融雪器が設置されています。ポイント電気融雪器はJR九州の複数の駅に設置されているが福岡県内ではこの駅と城戸南蔵院前駅だけです。

1897年(明治30年)9月25日 - 初代豊州鉄道が開設。
1901年(明治34年)9月3日 - 豊州鉄道が初代九州鉄道に買収される。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道が国有化され、帝国鉄道庁が所管。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 シル
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗降人員
-統計年度- 2,820人/日
-2010年度-
開業年月日 1897年(明治30年)9月25日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

 

キハ54形 「アンパンマン・キャラ」付き JR四国

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国鉄キハ54形気動車は、日本国有鉄道(国鉄)が1986年から製作した一般形気動車です。四国向けの温暖地型(キハ54 1 - )と北海道向けの酷寒地型(キハ54 501 - )の2種が製作されたが、各部の仕様・形態には相応の差異があります。

1987年の国鉄分割民営化に先立ち、経営困難が予想された「三島会社」(北海道・四国・九州)の経営基盤整備を目的として、民営化直前の1986年に製作された車両群の一形式です。
「三島会社」は路線延長に占める閑散区間・非電化区間の割合が高く、当該区間で普通列車に使用する車両も経年の高い老朽車が多数を占めていた。民営化後の車両計画にあっては、これら「三島会社」の地理的経済的条件を主因とする脆弱な経営基盤に配慮して、国鉄最終年度の予算で当該地区向けの新形車両を製作し、将来の車両置換え負担を軽減する方法が採られました。
この計画に基づき、全長 21m 級の両運転台式一般形気動車として製作された車両群がキハ54形です。北海道向けの酷寒地仕様、四国向けの温暖地仕様の2種が計画され、国鉄最終年度の1986年に新潟鐵工所と富士重工業の2社で合計41両が製作されました。
耐候性に優れるステンレス製軽量車体の採用、勾配や積雪に耐える性能を得るためのエンジン2基搭載など、地域の実情に応じた装備が施されている。一方、台車や変速機・運転台機器等には在来車の廃車発生部品を再利用し、一部の機器にはバス用の汎用部品を用いるなどの策で、製作コストの適正化に留意しています。

21m級の構体で、外部構造にステンレスを用いる。塗装工程省略などのメンテナンスフリーや軽量化目的のほか、ステンレス車体が1985年以降国鉄電車に本格採用されて一般化し、製造コストが下がってきたこと、また北海道では酷寒な気候や海岸部での塩害に対する耐久性が要求されたことなどが挙げられる。構造簡素化のため幅広車体とはされず、車体裾は絞りのない直線形状である。側面窓上下には外板歪みを防ぐビード加工がなされる。客用扉は車体両端に片側2扉を配置する。 運転台を車体の前後に設ける両運転台式で、ワンマン運転時の乗降監視を容易にするため低運転台としている。
正面形状は平妻貫通式で、運転台窓回りを黒色とした大窓風の意匠を採用する。運転台窓上には種別・行先表示器を設ける。前面と側面の接合部は白色のFRP部材を額縁状に配する。

新潟鐵工所(現・新潟原動機)製の直列6気筒ディーゼル機関DMF13HS (250PS/1,900rpm) を2基搭載し、車両の定格出力を500PSとしている。ターボチャージャー付の直噴式で始動性と熱効率に優れ、メンテナンス性も改善されている。
液体変速機は再用品で、TC-2A形(神鋼造機製)DF115A形(新潟コンバータ製)のいずれかを装備する。これはキハ20系気動車などの従来車で採用された1段直結式(変速段と直結段の2速)の変速機で、逆転機の機能は内蔵しない。機関出力の向上に応じ、クラッチ周辺を強化する改造が施された。
台車は再用品のDT22系を装備する。軸箱支持はウイングバネ式、枕バネはコイルバネを用いた国鉄一般形気動車の標準仕様品である。
駆動機関以外の伝動機構が在来車両の再用品であるため、最高速度は在来形気動車と同等の 95km/h とされた。在来型車同様のDA1A自動空気ブレーキを使用する。このほか、連結器や運転台機器類も廃車発生品をオーバーホールして充当しています。

四国仕様車:温暖地で使用する区分で、1987年に12両 (1 - 12) が製作されました。四国島内は予讃本線の西部区間や土讃本線の四国山地越えなど、主要線区の急勾配区間が存在します。地域間輸送向けに大出力の両運転台車が必要であったが、当該地域に配置された強力型気動車は1960年代に製作された急行形車両が主であり、両運転台車は低出力の1機関搭載車が多数を占めていました。

仕様:四国島内の地域輸送に専用するため、短距離輸送に特化した収容力・運用コストを重視した仕様で製作されました。外部塗色は、当初はステンレス地に黄かん色のストライプを斜めに配した。JR移行後にコーポレートカラーの青色を基調とした塗色に変更されました。客室窓は二段式の大型ユニット窓です。客用扉は 900mm 幅の折戸とし、戸袋を省略しています。下方まで拡大された大型窓が特徴で、バス用のドアエンジンを利用したほか、速度感知式のドアロック機構を装備し、出発・到着時に自動で施錠・解錠をおこなう仕様です。正面下部のスカートは省略されました。客室の座席配置はロングシートとされ、キハ38形と同一のバケットシートに加え、肘掛の役割を兼ねた仕切板を座席間に3〜5人毎に配置して着席区分を明確化しています。トイレは設置されず、室内のデッキ仕切りもありません。冷房装置はバス用の機器を流用し、走行用エンジンの余裕出力を用いてコンプレッサーを走行用エンジンで駆動する機関直結式としています。貫通ドアには「アンパンマン」の主要キャラクターのステッカーが貼られています。

 

土佐穴内駅 JR四国)土讃線

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土佐穴内駅(とさあなないえき)は、吉野川支流の穴内川沿いの立地、高知県長岡郡大豊町穴内にある駅です。四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅。駅番号はD31。駅は穴内の集落からやや離れていて、駅の周囲に民家は少ない。
豊永方面の和田トンネル開通前の旧線を辿ることができる。また、坑口は封鎖されているがトンネルも現存している。

現在土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線に「穴内駅」が存在するが、当駅の開業当時、既に土佐電気鉄道安芸線(現在の安芸市域)にかつて穴内駅が所在していたため、令制国名を冠して区別している。

単式1面1線のホームを持つ地上駅で、元は貨物ホームも設置されて1面2線だった。現在は無人駅となっており、ホームにトイレを併設した待合所があり、駅舎を撤去した後の空き地が駅前に残っています。待合所は二名・深田・大内・出目・上宇和・五郎・伊予出石の各駅と同じ構造のもので長椅子が2脚設置されています。

2010年度にバリアフリー対応工事が行われ、ホームの一部が嵩上げされた。また、貨物ホームの跡も残っている。

和田トンネルの開通のため小規模ながら駅移転を伴うルート変更が生じました。

1934年(昭和9年)10月28日 - 開業する。
1970年(昭和45年)10月1日 - 無人駅となる(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。
2013年(平成25年)3月31日 - 駅待合所と駐輪場がJR四国協力のもと、地区住民の寄附によって新設される。

電報略号 ナイ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1934年(昭和9年)10月28日
備考 無人駅

行橋駅 九州旅客鉄道(JR九州)

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行橋駅(ゆくはしえき)は、福岡県行橋市西宮市二丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)・平成筑豊鉄道の駅です。地名は3村合併時のうちの2村「行事」と「大橋」から一文字ずつ取って行橋となりました。


駅は行橋市の中心部で金融機関もおおむね揃っている。東側(市役所側)は行橋市の中心部で、行橋駅前通りには商店街が軒を連ねる。西側(安川通り側)はマンション等が開発されており、周辺には大型ショッピングセンターなどの商業施設も増加している。中心部から少し離れると住宅地です。

駅前(駅東口・西口)に太陽交通のバスが発着し、行橋市内各地、苅田町、みやこ町、築上町方面に運行しています。駅の約500m東側の県道28号線上に西鉄バス北九州のバス営業所(行橋営業所)があり、同営業所には苅田町を経由して北九州市と行橋市を結ぶ一般路線バスと、福岡市と行橋市を結ぶ高速バスが発着しています。

福岡県東部に位置する京築地域の中心都市・行橋市の代表駅で、JR九州の駅は特急列車を含む全列車が停車する。平成筑豊鉄道の駅については当駅の近くにも店舗を構えるショッピングセンター「ゆめタウン」を運営するイズミがネーミングライツを取得し、2009年4月1日より愛称付きの駅名がゆめタウン行橋駅となっています。JR九州の日豊本線と、平成筑豊鉄道の田川線の2路線が乗り入れる。田川線は当駅が起点です

島式ホーム2面4線と、日豊本線上りホーム(3番のりば)の南端に切欠きホームの平成筑豊鉄道線のりばが設置される高架駅。機関区跡地を利用して平成11年に高架化されました。幾何学的なリッパな高架駅ですが旧駅舎も明治36(1903)年建築の大きな木造駅舎でした。


ホーム上屋は背が高く、開放感に溢れています。平成筑豊鉄道線ホーム及び地平部へ通じる階段はJR改札外にあり、自由に出入りできる(エレベーターはない)。乗車券は地平部に設置されている自動券売機で購入するが、車内で現金払いも可能。


平成筑豊鉄道ホームと日豊本線上りホームとの境に乗り換え改札口があり、JRの自動券売機が設置されている。日豊本線ホームにあるエレベーターを利用する場合は、平成筑豊鉄道の乗車券(降車の場合は運賃支払済の検印を押した整理券を含む)を提示することによりJR改札口 - 上りホーム - 乗換改札口の間を通行できる。乗り換え改札口にはSUGOCAの簡易改札機があり、タッチすることでそのまま両線を乗り換え可能(平成筑豊鉄道は車内精算)。


本屋口はJR九州直営駅でオープンカウンター式のみどりの窓口が設置されている。平成筑豊鉄道乗換口は九州交通企画に業務を委託している。改札機は4台。LED式の発車案内は丸みを帯びた天井と一体化されています。ワイワイカード利用可。2009年導入のSUGOCA利用可能駅である。JR九州旅行センター「ジョイロード」・ATMコーナー・駅レンタカー・キヨスクありがあり。改札口と反対側の高架下には、ショッピング街「フレスタゆくはし」など商業施設が多数入居しています。

2006年9月末まで駅構内(改札外)で小松商店の直営売店で駅弁の販売をしていた。かしわめし、四季の味、しゃこ寿司(10月〜5月の間のみ販売:要予約)、上等弁当、周防灘のかほり、幕の内弁当の一部は特急「ソニック」(一部除く)車内で予め車内販売係員に申し出れば車内で購入が可能でした。また、その後もかしわめし・四季の味・幕の内弁当のみ駅構内(改札外)のキヨスクまたは駅前の小松商店本店で販売されていたが、2009年8月末に調製元が廃業したため現在は販売されていません。

のりば
1 ■JR日豊本線 (下り) 中津・宇佐・柳ヶ浦方面
(上り) 小倉・門司港・下関方面
2 ■JR日豊本線 (下り) 中津・別府・大分・宮崎方面
3・4 ■JR日豊本線 (上り) 小倉・博多・門司港・下関方面
5 ■平成筑豊鉄道田川線 田川伊田・直方方面

1895年(明治28年)8月15日 - 初代豊州鉄道が開設。
行事駅を行橋駅の駅名改称前の存在であるとする資料が散見されるが、両者は全く別物であって、同一と解するのは誤りである。
1901年(明治34年)9月3日 - 豊州鉄道を初代九州鉄道が買収。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化、帝国鉄道庁が所管。
1909年(明治42年)10月2日 - 行橋 - 伊田 - 添田駅間を田川線に命名。
1909年(明治42年)10月12日 - 小倉 - 柳ヶ浦駅間を豊州本線に命名。
1932年(昭和7年)12月6日 - 小倉 - 鹿児島駅間全通により日豊本線に命名。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が承継。
1989年(平成元年)10月1日 - 田川線が平成筑豊鉄道に転換。
1999年(平成11年)8月28日 - 駅高架化工事完成。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
2009年(平成21年)4月1日 - 平成筑豊鉄道の駅にネーミングライツにより「ゆめタウン」の愛称(副駅名)が付く。

電報略号 ユク
駅構造 高架駅
ホーム 2面5線
乗車人員
-統計年度- (JR九州)6,661人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1895年(明治28年)8月15日
所属路線 ■日豊本線
キロ程 25.0km(小倉起点)
所属路線 ■田川線
キロ程 0.0km(行橋起点)


小波瀬西工大前駅 JR九州日豊本線

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小波瀬西工大前駅は、福岡県京都郡苅田町大字新津にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。当駅は北九州市通勤圏に含まれるが苅田町の南のはずれに位置しており日豊本線に並行する国道10号から800mほど離れているため駅周辺は住宅地が形成され商業施設は少ない。駅前は公道に直接面し、僅かな駐車スペースは駅側面にあります。駅舎側面にも駅名表示があります。


苅田港貨物支線(運行休止中)が当駅から北東へ分岐する。元来当駅はこの支線の分岐の為に設置された信号場がその前身である。貨物支線には連査閉塞装置が使用されています。駅前には西日本工業大学や病院が存在し付近は住宅も多く朝夕の通勤時間帯には小倉方面を中心に利用客が多い。

駅構内東側(下り方向に向かって左側)に平屋鉄筋コンクリート造の駅舎。躯体そのものは片勾配屋根です。駅舎寄りに単式ホーム1面1線、反対側に島式ホーム1面2線を配する。駅舎寄りの1番のりばを下り本線(行橋・中津方面)、一番外側の3番線を上り本線(小倉・下関方面)、中央の2番線を待避線(当駅で通過待ちを行う列車が停車)とする2面3線である。島式ホームは非常に幅が狭くなっています。


九州交通企画が駅業務を行う業務委託駅で、みどりの窓口が設置されている。簡易型自動改札機を備え、ワイワイカードとSUGOCAの利用が可能である。旧窓口カウンター跡が残っています。


1944年(昭和19年)5月28日 - 小波瀬信号場(おばせしんごうじょう)として運輸通信省が開設。
1944年(昭和19年)9月1日 - 小波瀬 - 苅田港駅間貨物支線開通。
1948年(昭和23年)10月15日 - 小波瀬駅(おばせえき)として旅客業務取扱開始。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
1992年(平成4年)10月1日 - 小波瀬西工大前駅(おばせにしこうだいまええき)に駅名改称。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 オハ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗降人員
-統計年度- 4,346人/日
-2010年度-
開業年月日 1948年(昭和23年)10月15日
乗入路線 2 路線
所属路線 日豊本線
キロ程 22.2km(小倉起点)
◄苅田 (3.6km)(2.8km) 行橋►
所属路線 日豊本線(貨物支線)
キロ程 0.0km(小波瀬西工大前起点)
(4.6km) 苅田港►
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有
* 1992年に小波瀬駅から改称。

 

 


FCS-3(射撃指揮装置3型、制式名称:00式射撃指揮装置) 海自

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日本の防衛庁技術研究本部が開発した射撃管制装置 (FCS) や艦載対空レーダーを統合した艦載対空戦闘システム。機能を対空捜索と航空管制に限定したシステムはOPS-50と呼称される。

FCS-3は、試験艦「あすか」での試験を経て2000年(平成12年)に制式化された対空脅威の捜索・追尾を行なう多機能レーダーを中核とする対空戦闘システムである。多機能レーダーはCバンドで動作するアクティブ式フェーズドアレイレーダーであり、4面固定式の平板アンテナにより全方向の半球空間を探索する。
制式化後も開発は続き2009年(平成21年)の「ひゅうが」の就役により初めて改良型が実戦配備された。改良型の最大の改良点は、Cバンドレーダーに加えてミサイルの誘導を行うXバンドレーダーが追加された事と、新戦術情報処理装置OYQ-10等と連接されて新戦闘指揮システムATECS (Advanced Technology Combat System)のサブシステムの1つとして組み込まれるようになった。

FCS-3の開発の端緒は、1980年(昭和55年)から1987年(昭和62年)までの五三中期業務見積りから五六中期業務見積りの時期にまでさかのぼる。この時期、海上自衛隊は、初の汎用護衛艦としてはつゆき型汎用護衛艦の整備を進めていた。その搭載する対空戦闘システムは、主として下記のようなサブシステムから構成されていました。
OPS-14二次元対空レーダー
OYQ-5戦術情報処理装置
81式射撃指揮装置 (通称FCS-2)
シースパローIBPDMS
この系譜はその後、OPS-14をOPS-24 3次元レーダーに、OYQ-5をOYQ-6/7に更新したあさぎり型汎用護衛艦に発展するが、既にこの構成では、特に対空戦闘能力の面で限界があることが明らかになっていた。すなわち、対空レーダーで探知した目標情報を戦術情報処理装置に入力する過程と、戦術情報処理装置での情勢判断・意思決定後に目標情報を射撃指揮装置に入力する過程がオペレータによる手動処理であり、さらに意思決定過程の大部分も人間に頼っていたため、対応時間の短縮が困難となっていました。
FCS-3の開発は、これらの問題を克服した新世代の個艦防空システム (Point Defense Missile System; PDMS)として開始された。技術研究本部は1986年(昭和61年)より3年に渡って研究試作を行ない、Cバンドで動作するフェイズド・アレイ・レーダーを作製して陸上試験を実施した。その成果をもとに、1990年(平成2年)より実艦への搭載を前提としたアンテナの開発試作を開始し、これを1995年(平成7年)に就役した試験艦「あすか」に搭載し、5年間に渡って技術・実用試験に供したのち、2000年(平成12年)に00式射撃指揮装置として制式化した。
なお、日本は個艦防空を想定して多機能レーダーにCバンドを選択しましたが、アメリカはイージスシステムの開発段階において、その中核となる多機能レーダーの動作周波数について、SバンドとCバンドのいずれを採用するかで艦船局と兵器局が対立し、最終的にプロジェクト・リーダーであったウィシントン提督の判断によってSバンドに決定したという経緯があります。この際の検討によれば、Cバンド・レーダーはSバンド・レーダーに対し、低高度目標に対する探知性能に優れ、より小型軽量のアンテナを有するために艤装が容易で、より広域の信号帯域幅を有するという点でECCM性に優れる一方、探知距離や耐荒天性などで劣るとされていました。

実戦配備まで当初、FCS-3はむらさめ型汎用護衛艦の後期型、若しくはたかなみ型汎用護衛艦から実戦配備されると言われていたが、FCS-3の配備は制式化された後もなかなか始まらなかった。これは当初、FCS-3が99式空対空誘導弾 (AAM-4)をベースに開発される予定だった終末アクティブ誘導方式艦対空誘導弾(AHRIM: Active Homing RIM)のXRIM-4と組み合わされて対空戦闘システムを構成する計画だったことが一因である。すなわち、XRIM-4は開発遅延とアメリカでのESSMの実用化を受けて開発が中止されてしまい、新たにFCS-3がESSMの運用に対応するため、Xバンドで動作するアクティブ・フェイズド・アレイ・タイプのイルミネーターを追加する改良型の開発が必要になってしまった。
またFCS-3の開発期間が長期間に及んだため、開発完了時点で既に陳腐化してしまっていたことも改良型が必要になった理由である。このような事態を受けて制式化後も改良型の開発が続けられて、2004年(平成16年)に初めて改良型であるFCS-3のひゅうが型への搭載が決定された。そして2009年(平成21年)のひゅうが型の就役でようやく実戦配備されることになった。

ひゅうが型ヘリコプター護衛艦
ひゅうが型に搭載されたFCS-3の多機能レーダーは、試験艦あすかに搭載されていたCバンドレーダーの台枠を流用しているが、レーダーのヒ化ガリウムアンテナ素子自体は4面とも新造されている。試験艦あすかに搭載されていた多機能レーダーからの大きな改良点は、Cバンドレーダーの横にESSMを誘導するためのより小型のXバンドレーダーが各1面ずつ追加装備されていることである。ESSMを誘導するためのICWI (間欠連続波照射)のアルゴリズムは、タレス社のAPARシステムより導入された。最大探知距離は200キロ以上、最大追尾目標数は300程度とされている。
また、FCS-3の多機能レーダーが新型の戦術情報処理装置であるOYQ-10 ACDS (Advanced CDS)と組み合わされるている事も大きな改良点であり、これによりFCS-3搭載艦の戦闘能力の大幅な向上が図られている。OYQ-10の特徴は、オペレーターの判断支援および操作支援のため、予想される戦術状況に対応して、IF-THENルールを用いて形式化されたデータベースに基くドクトリン管制を採用している点にある。これによって、オペレーターの関与は必要最小限に抑えられ、意思決定は飛躍的に迅速化される。FCS-3とOYQ-10は、新対潜情報処理装置 (ASWCS: Anti Submarine Warfare Control System)、水上艦用EW管制システム EWCSとともに、新戦闘指揮システムATECS (Advanced Technology Combat System)を構成する。またシステムに商用オフザシェルフ(COTS)を多用したのも改良点であり、プロセッサは試験艦あすかに搭載されていたものに比べて100倍以上の処理能力を備えている。


FCS-3は対空捜索レーダーと対水上捜索レーダーとしての機能も有しており、各種レーダーを一本化して護衛艦に搭載するシステムをコンパクト化することが出来る。ひゅうが型護衛艦では近距離の水上目標や沿岸状況把握のためのOPS-20C航海レーダーのみを残し、OPS-24対空捜索レーダーとOPS-28対水上捜索レーダーを取り外している。またFCS-3及びOYQ-10にはヘリコプター搭載護衛艦に必要な艦載機の飛行管制機能を備えており、ひゅうが型に搭載されたFCS-3は単なる対空戦闘指揮にとどまらない多様な役割を担っています。
当初はひゅうが型に搭載されるFCS-3は、試験艦あすかに搭載されていたものと区別するために便宜的にFCS-3改と呼称されていたが、その後はFCS-3と呼称されています。

苅田駅 JR九州日豊本線

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苅田駅(かんだえき)は、福岡県京都郡苅田町大字提にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。東京の神田と紛らわしいため大正期に一時「かりた駅」と、読みを変更した経緯があります。


苅田町は北九州市の通勤圏のためラッシュ時には多数の利用者が存在する。また2006年(平成18年)3月16日に開港した北九州空港の玄関口として、県と町により駅舎を新築し同年4月22日完成しました。


朝に下関駅と当駅を始点・終点とする列車(1往復)が設定されている(これ以外は途中停車駅)。駅は苅田町の中心駅であり周辺は町中心地である。駅の東側約300mの位置を国道10号が日豊本線と並行しています。

また、苅田港周辺の九州電力苅田発電所などの工場が集積する工業地帯を確認することができる。自動車関連工場の立地が多く、今や工業出荷額は北九州市を凌ぐまでになっています。駅前ロータリー内に「苅田駅」バス停が、駅の東側の国道10号線上に「苅田駅入口」バス停が設置されている。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。かつては木造駅舎が設置されていたが、現在は駅舎と駅前広場を改良する苅田駅周辺整備事業により近未来的な橋上駅舎となって駅の東西を結ぶ自由通路が設置されています。

この自由通路には公募により「WEロード」という愛称が付けられています。駅東側は2009年12月12日工事が竣工、ペデストリアンデッキも設けられました。西側はほぼ工事が終了、県道などから駅前広場へ通じる道路の新設及び改良工事が引き続き行われています。エレベーターは改札階と上りホームを結ぶものが1基、改札階と下りホームおよび自由通路と東口の共用エレベーターが1基設置されている。ホームは両ホームとも4両分のみ嵩上げされています。


九州交通企画が駅業務を遂行する業務委託駅で、みどりの窓口が設置されています。改札口に改札機は3台。快速停車駅ということでか、LED式の発車案内が設置されています。

のりば
1 ■日豊本線(下り) 行橋・中津・大分方面
2 ■日豊本線 (待避線)
3 ■日豊本線(上り) 小倉・門司港・下関方面

1895年(明治28年)4月1日 - 刈田駅(かんだえき)として九州鉄道(初代)が開設。
1907年(明治40年)
7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され帝国鉄道庁が所管。
11月 - 苅田駅(かんだえき)に名称変更。
1918年(大正7年)10月16日 - 東京の神田駅と紛らわしいため「かりたえき」に呼称変更。
1959年(昭和34年)10月1日 - 「かんだえき」に呼称再変更。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2006年(平成18年)
3月16日 - 駅前に北九州空港線用バス停が新設され運行開始。
4月22日 - 駅舎をリニューアル。
2009年(平成21年)
3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
9月30日 - 乗客の減少(マイカーなどの増加)により、駅前より発着していた北九州空港行エアポートバス廃止。
10月1日 - 日豊本線小倉駅〜中津駅間ワンマン列車運転に伴い苅田駅に停車する列車も3両編成に限りワンマン化。
2010年(平成22年)
4月20日 - 廃止されていた、北九州空港行バスが、苅田町の助成を受け運行再開。

電報略号 カリ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗降人員
-統計年度- 5,529人/日
-2010年度-
開業年月日 1895年(明治28年)4月1日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有
* 1907年に刈田駅から改称。また1918年から1959年までは「かりた」で呼称。

 

朽網駅 JR九州日豊本線

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朽網駅は、福岡県北九州市小倉南区朽網東一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。

戦後、昭和27年に開設された比較的新しい駅で周辺は、北九州市郊外の住宅地であるが、水田も比較的多いところです。


北九州空港への玄関口として北九州市は当駅を推すが、福岡県や苅田町は苅田駅を推しており、水面下に於ける自治体間の綱引きが続いている。北九州空港へのシャトルバスが当駅からおおむね30分間隔で運行しています。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、2005年に新築された橋上駅舎を備える。エレベーターは改札口と各ホーム間および西口・空港口に各1基ずつ設置。また、エスカレーターが西口・空港口に昇り方向のみ設置されています。

東口は「空港口」と名付けられています。駅前広場からは北九州空港へのバスが発着しています。ホームはそれぞれ4両分ずつ嵩上げされています。入口の階段は外部階段となっています。
九州交通企画が駅業務を遂行する業務委託駅です。

2009年3月から販売開始となりました。「SUGOCA」定期券発売に伴い、みどりの窓口(マルス)を設置。改札口頭上には液晶式の発車案内が設置されています。自動改札機が設置されておりワイワイカードおよびSUGOCAの使用可能駅。


のりば
1 ■日豊本線(上り) 小倉・門司港・下関方面
2 ■日豊本線(下り) 行橋・中津・大分方面

1952年(昭和27年)5月1日 - 朽網信号場(くさみしんごうじょう)として日本国有鉄道が開設。
1952年(昭和27年)6月1日 - 業務取扱種別を変更、朽網駅(くさみえき)となる。
1963年(昭和38年)9月20日 - 葛原信号所(廃止)〜朽網駅間複線化。
1965年(昭和40年)9月24日 - 朽網〜苅田駅間複線化。
1966年(昭和41年)10月1日 - 小倉〜新田原駅間電化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2005年(平成17年)12月20日 - 現2代目駅本屋完工。
2006年(平成18年)3月16日 - 新北九州空港開港、空港行き路線バス運行開始。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 クミ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,415人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1952年(昭和27年)6月1日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有
北九州市内駅

鉄道保線用軌道モーターカー /JR四国松山保線区

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JR四国 伊予平野駅 

マツヤマ 軌道モーターカー 鉄道保線用軌道モーターカー

松山重車輌工業株式会社 MJK

型式MJK-MR-779 製造 平成14年7月
製造番号102501 自重 18屯

線路勾配  牽引重量   速度
水平     280TON  45km/h
10/1000  220TON   10km/h
25/1000  130TON   10km/h
35/1000   80TON   10km/h


JR四国松山保線区
保線とは、鉄道や軌道の線路の保守を行うことをいい、モーターカーとは、主に鉄道の保守作業に使用される小型の鉄道車両です。ただ鉄道部内では法規上「機械」扱いで「鉄道車両」ではないため、車籍は無いことが多い。

このモーターカーには油圧昇降式の作業台が付いているので架線検測用の保守車両(機械)ではないか思われます。

2月18日(火)のつぶやき

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