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Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
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採銅所駅 JR九州日田彦山線

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採銅所駅(さいどうしょえき)は、福岡県田川郡香春町大字採銅所にある、九州旅客鉄道(JR九州)日田彦山線の駅です。

採銅所集落の中心部に位置しており周辺は民家が多い。採銅所は香春町北部の山間部にある大字で、地名はこの駅の周辺で銅を採掘していたことに由来するとされる。

1956年までは採銅所村という独立した自治体でした。宇佐神宮の神鏡や東大寺大仏の建立にも使用されたという由緒正しい歴史を誇っています。

駅の約400m東側を国道322号が日田彦山線に並行する形で通っているほか、駅の南東にある金辺橋北交差点は福岡県道64号苅田採銅所線の終点となっています。


単式ホーム2面2線を有する地上駅。かつては2面3線であったが、中線である2番線は廃止されて乗り場にはフェンスが設置されています。

ホームへは田川後藤寺方面行きホームの端、構内踏切で結ばれています。駅舎脇には貨物ホームの跡があります。無人駅で簡易型の自動券売機が設置されています。

上りホーム中央には上屋が設置され、待合所として使用されています。

駅舎は1915年(大正4年)の開業時以来のものです。ハーフティンバーを多用した洒落た意匠の木造駅舎。駅舎入口に木製の駅名板があります。

老朽化が著しいため解体が検討されたが、保存運動により2010年9月にJR九州から香春町に無償譲渡されました。

香春町では駅舎を有形文化財に指定し、総工費1,000万円で2011年4月26日から7月22日にかけて改修工事を実施。

同年10月23日、駅舎修復などを祝う記念碑の除幕式が行われました。

 

1915年(大正4年)4月1日 - 小倉鉄道により開業。
1943年(昭和18年)5月1日 - 小倉鉄道が戦時買収され、国鉄の駅となる。


1980年(昭和55年) - 無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR九州に承継。


2011年(平成23年)7月22日 - 駅舎の改修工事が完了。

電報略号 シヨ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1915年(大正4年)4月1日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 


大久野島 /発電所跡

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大久野島に太平洋戦争中、旧陸軍造兵廠火工忠海製造所が置かれたことにより電力を供給する為に1929年に建てられた発電所です。

ガスの本格的製造が開始される頃になると電力不足が心配され、火力発電所は増築される事となりました。第二発電室は第一発電室よりも大きく、発電機も高出力の物が設置されていました。建設時は外壁を迷彩色に塗装され、目立たないように工夫されていました。軍事施設が建設されて間もない頃、火力発電所は2階建ての小さな建物であったが、毒ガスの製造が本格的になるにつれ、より多くの電力を必要とした為、側面に3階建ての大規模な建物が増設され、現在の姿となった。

発電場に隣接する旧ポンプ室。

重油炊きのディーゼル発電所で、当初は240V発電機3台、1933年には3300V発電機3台、さらに1934年には2台を増設し、計8基態勢でした。戦時中は発電機の燃料となる重油の供給が困難となり、本州から海底ケーブルを介して島へ電力供給を行っていました。戦後、8基のディーゼルエンジン発電機は全て進駐軍に接収されフィリピン等へ送られました。

戦局が悪化して毒ガスの生産を縮小した1944年からこの発電所は通常の兵器を作る工場になりました。作られていた兵器は「ふ号作戦」と言う名目での風船爆弾でした。

朝鮮戦争時には米軍が弾薬庫として使用。検査工室と発電所入口でもあるトンネル入口、発電所本体の正面には「MAG2」と書かれている。

「MAG」とは、弾薬庫を意味する「Magazine(マガジン)」の頭文字3文字から取られた略号です。


筑豊直方駅 筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線

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筑豊直方駅は、福岡県直方市知古一丁目にある、筑豊電気鉄道筑豊電気鉄道線の駅です。同路線の終点駅。駅は直方市中心市街地の北のはずれに位置しており、中心市街地の西端に位置し直方駅・西鉄直方バスセンターとの間は約800mの距離があります。駅前にはこれといった集客施設や商店などもなく、ひっそりと佇んでいます。


九州旅客鉄道(JR九州)筑豊本線の直方駅とは直線距離にしておよそ500メートルほど離れています(徒歩約10分)。県道27号線上と高架下側に分散して西鉄バス筑豊の「筑鉄直方」バス停があます。

頭端式(櫛式)ホーム2面2線の高架駅。無人駅。ラッシュ時や臨時列車運転時を除いて1番ホームはほとんど使用されていません。無人駅ですが、階段を上がった所に定期券発売所が設置されています。 


ホーム上屋下の狭いホームには、木製の長椅子が設置されています。飯塚方面への延伸のために筑豊本線をオーバークロス(乗り越え)することを考慮して開業時の1959年のとしては珍しい高架駅となったが、延伸計画自体が頓挫し現在に至っています。

ちょうどそこで寸断されたような駅の外観、そして筑豊直方駅から筑豊本線の手前まで駐車場など筑豊電鉄所有の土地があるのはその名残です。

路線終端方面

1959年(昭和34年)9月18日 - 駅開業。

駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 987人/日
-2010年-
開業年月日 1959年(昭和34年)9月18日
備考 無人駅

 

新入駅 JR九州 筑豊本線

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民営化後に設置された筑豊本線で一番新しい新入駅(しんにゅうえき)は、福岡県直方市大字下新入にある、九州旅客鉄道(JR九州)筑豊本線(福北ゆたか線)の駅です。

直方市の北部に位置する。駅の東側を県道27号線が通っている。かつては構内東隣に直方運輸センター(旧・直方気動車区)があったが、電化の際に直方駅構内に移転し撤去されている。直方駅からこのあたりまで広大な直方気動車区が存在していた頃は、気動車区と直方駅との間の乗務員の便乗もよく行われていました。
なお、駅近くのバス停は、直方気動車区廃止後かなりの期間が経過した今日でも「気動車区」を名乗っています。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは構内踏切で連絡している。駅舎のデザインは、かつて筑豊地区で石炭輸送に使用されていた小舟「五平太舟」をモチーフとしたものです。
九州交通企画が駅業務を行う業務委託駅。マルスは無いがPOS端末が設置されています。SUGOCAの利用が可能であるが、カード販売は行わずチャージのみ取り扱いを行う。狭い待合室ですが長椅子が設置されています。

上屋は入口付近に若干設置されるのみです。

1989年(平成元年)3月11日 - 九州旅客鉄道が開設。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 シウ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 718人/日
-2010年-
開業年月日 1989年(平成元年)3月11日
備考 業務委託駅

 

3月24日(月)のつぶやき

ヤマト-1 電磁推進船

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ヤマト-1は、1992年(平成4年)6月16日神戸港において、世界で初めて超伝導を利用した電磁推進によって海上航行実験に成功したスクリュープロペラが存在しない世界初の実験船です。


船名である「ヤマト」とは、日本を表すヤマトに由来する。同時に宇宙戦艦ヤマトや戦艦大和また古事記に記されている日本武尊の歌である「やまとは国のまほろば・・・」などの意味もこめられている。
2008年現在、神戸海洋博物館にて外殻と推進装置内部の超伝導電磁石が野外展示されており推進装置は船の科学館に屋外展示されている。

世界の造船量50%を超えるシェアを誇り「造船王国」と呼ばれた日本ではあったが、コンテナ船、LNG船、ホバークラフトやジェットフォイルと言った付加価値の高い船舶は国外製が多く、船の「心臓」であるエンジンなども海外製やライセンス生産などに頼らなければならない実情があった。また1985年(昭和60年)当時、日本造船業界は海運不況の煽りを受け軒並み業績が低迷し、それに伴い研究開発なども沈滞傾向であった。そこで、のち「ヤマト1開発研究委員会」委員長となる笹川陽平が国内造船業に問題提起すると共に、経験の浅い技術者養成なども視野に入れた計画を立案する。
通常、船舶はスクリュープロペラを有している。ジェットスキーなどウォータージェット推進器を用いた船舶もジェット噴射構造内部にインペラと呼ばれる小型高速回転プロペラを利用し、海水を高圧にて噴射することによって推力に変えている。これに対し「ヤマト1」は一切の回転系推力発生器を使用せず、かわりに、超伝導電磁石を利用し強力な磁場を作り出し、磁場中の海水に電流を流してローレンツ力により海水を噴射するウォータージェット推進方式を採用している。

これによりスクリューや内燃機などが不要になりほぼ無音航行が可能であり、また不快な振動が無く環境性能も高い。(静粛性が高い。航行により波きり音は発生する。)構造特性からプロペラ部分のスペースが不要になる事により自由度が高い船尾設計が可能になり、船殻を貫通する構造物が無い為に海水が船体内部に侵入しない、スクリューを高速回転させる事で発生するキャビテーションが発生しないなどの利点がある。


推進装置は2基搭載されているが、それぞれ別のメーカーにて製造された。右舷推進器は東芝が担当し、左舷推進器は三菱重工が担当した。また船殻は専門工業デザイナーに依頼された。
実験船ではあるが、試験航行に関して通常の海域を航行するため海事関係法令の適用を受けなければならない。そこで開発当初からこれが考慮され設計されている。運輸省(現・国土交通省)検査官による基準検査を受け合格したため、船舶国籍証明書、船舶検査証書の交付が行なわれている。
国内外での関心が高く、処女航海日には多くの関係者や海外の軍関係者、造船関係招待者が神戸を訪れている。その他、ロイター通信やワシントン・ポストなどの紙面を飾った。
試験航行後の展示保管場所候補として東京と神戸が挙げられたが、検討の結果、神戸市に対し無償譲与することとなった。

電磁推進方式
推進方式には大きく分け交流磁場方式と直流磁場方式がある。交流方式は建造時には実現されておらず、直流方式を採用せざるを得なかった。次に作用域分類の採用が行なわれたが、磁場を発生させる箇所を船体外へ出す方式と、船体内部に貫通ダクトを設置し、ダクト内の海水を作用させる(ウォータージェット方式)があるが、結果、後者を採用した。前者のメリットは装置が簡素化されるが、磁場の外部環境への影響が大きく電磁障害などが考慮された結果、内部貫通方式を採用するに至った。

総トン数 185トン
全長 30.0m
型幅 10.39m
深さ(型) 2.50m
計画最大速力 8ノット(時速15km)
定員 10名(乗員3名 その他7名)
船殻材質 アルミニウム合金

超伝導電磁石 性能諸元
形式 6連環内部磁場型超伝導電磁石×2基

クライオスタット性能諸元
外径 1.800mm
全長 5.400mm
常温ボア 260mm
重量 15トン以下
熱侵入量 7 ワット以下

コイル 性能諸元
中心磁界 単体 3.5テスラ(T)
中心磁界 6連環 4.0テスラ(T)
磁界有効長 3.000mm
冷却方式 液体ヘリウム浸漬冷却

勝野駅 JR九州 筑豊本線

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明治34年開業の勝野駅は、福岡県鞍手郡小竹町大字赤地字兵丹にある、九州旅客鉄道(JR九州)筑豊本線(福北ゆたか線)の駅です。

小竹町の北端部に位置する。駅名の「勝野」は小竹町南端、隣の小竹駅周辺の集落であり、当駅の所在地は勝野地区ではない。かつて貨物輸送で賑わった駅も今は周辺人口は少なく田畑と小集落のみで閑散としています。

かつては当駅から宮田線が分岐していました。折尾駅から桂川駅までの区間で、唯一快速列車が通過する。

島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎はなく新飯塚寄りに跨線橋の階段がある。旧駅舎跡はアスファルト舗装された更地になっています。跨線橋からは線路の東西の出入り口につながっています。

ホーム上には壁で仕切られた駅名表示付きの待合室が設置されています。上屋は入口付近のみの設置です。宮田線廃止以降、無人駅となっています。

狭いスペースのホーム待合室には近距離きっぷの自動券売機とFRP製の椅子が設置されています。SUGOCAの利用が可能であるが、カード販売とチャージの取り扱いは行わない。無人駅であるが、ワンマン列車は全てのドアが開く。

1901年(明治34年)2月13日 - 九州鉄道(初代)が開設。
1902年(明治35年)2月19日 - 当駅 - 宮田間支線(後の宮田線)開通。
1907年(明治40年)6月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され、帝国鉄道庁が所管。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
1989年(平成元年)12月23日 - 宮田線廃止。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 カツ←カツノ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1912年(明治45年)7月21日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

唐津 洋々閣 夕食 

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 焼き物で知られる唐津は、豊臣秀吉の朝鮮出兵以来、城下町として栄えてきた。 明治時代から続く老舗の料理旅館としてこの町並みにとけ込んでいるのが「洋々閣」。

 主人の大河内明彦さん(六六歳)は、大学を卒業後、箱根富士屋ホテルの勤務を経て、家業を継いだ四代目。

 「昭和四十年代の高度成長期には、現代的なホテルに人は集まっても、旅館は見向きもされなかった。 当時は旅館というより、料理店としての営業が主でした。 でも、ここ一五年ぐらいは、昔ながらの風情のある旅館が見直されるようになって、値段の高い部屋から埋まっていきます」とのこと。

 1600坪の敷地内には、本館、東館、西館、宴会棟の四つの建物があり、広間二室のほか、客室は二十二室で、約八十人を収容する。 それぞれ改装を重ねながらも、木造のあたたかな感触を生かした、昔ながらの趣は健在。


玄界灘の海の幸でもてなす唐津の夕べ
 料理の内容は、玄界灘の魚介類をふんだんに使ったもの。、この地域でももっとも早くしゃぶしゃぶを献立に取り入れたのが「洋々閣」というだけあって、しゃぶしゃぶも知る人ぞ知る名物となっている。 それだけに、宿泊以外に、料理だけを食べにくる客も多い。

 器は、漆器、ガラスものの他は、主に唐津在住の陶芸家、中里隆氏の作品が使われている。 本館には「隆太窯ギャラリー」を設けて、そこで中里氏の作品を展示、販売している。 料理に加え、この器を目当てに遠方から訪れる客も多いという。

品のある料理でした。

 

〒847−0017
佐賀県唐津市東唐津2−4−40
0955−72−7181
0955−73−0604
info@yoyokaku.com


鯰田駅 JR九州筑豊本線

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鯰田駅は飯塚市北部の遠賀川そばの集落、福岡県飯塚市鯰田にある九州旅客鉄道(JR九州)筑豊本線(福北ゆたか線)の駅です。

鯰の住む深田から駅名が由来しています。かつては川の対岸には幸袋線、当駅から三菱鉱業(現在の三菱マテリアル)鯰田炭鉱への引き込み線がありました。

駅構内は広く単式ホーム2面2線を有する地上駅です。明治26年開業以来の古色蒼然とした木造駅舎。

以前は国鉄式の2面3線+多数の測線がありましたが2番線は撤去され、現在は2線のみです。駅舎とホームは跨線橋で連絡しています。


JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されている。SUGOCAの利用が可能ですが、カード販売は行わずチャージのみ取り扱いを行う。

待合室には造りつけの長椅子とFRP製の椅子が設置されています。

1893年(明治26年)7月3日 - 筑豊興業鉄道が開設。
1897年(明治30年)10月1日 - 筑豊興業鉄道を九州鉄道(初代)が買収。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され、帝国鉄道庁所管。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
2013年(平成25年)2月25日 - 新駅舎で営業開始。

キロ程 34.7km(若松起点)
電報略号 ナマ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 369人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1893年(明治26年)7月3日
備考 業務委託駅

浦田駅 JR九州筑豊本線

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JR化後に開業した浦田駅(うらたえき)は、福岡県飯塚市鯰田にある、九州旅客鉄道(JR九州)筑豊本線(福北ゆたか線)の新参駅です。駅周辺は新興住宅地になっています。駅から徒歩約15分で飯塚オートレース場があり、レース開催日には定期券利用以外の乗客の姿が見られます。駅西側には民間経営によるパークアンドライド向け月極駐車場がある。付近にある古い団地の住民が主な利用客です。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎側が博多、原田方面の下りホーム、反対側が黒崎、若松方面の上りホーム。ホーム間の移動には若松側端の構内踏切を利用します。灯り取りの窓もあるログハウス風の駅本屋が駅東側に置かれています。

軒下には一枚板の駅名表示。駅西側からの出入りも可能であるが西側に駅舎はありません。


九州交通企画が駅業務を行う業務委託駅。マルスは無いがPOS端末が設置されている。SUGOCAの利用が可能であるが、カード販売は行わずチャージのみ取り扱いを行う。待合スペースには券売機前に長椅子が1脚設置されています。

1989年(平成元年)3月11日 - 開業。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

キロ程 36.2km(若松起点)
電報略号 ラタ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 254人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1989年(平成元年)3月11日
備考 業務委託駅

鬼瀬駅 JR九州)久大本線

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鬼瀬駅(おにがせえき)は、大分県由布市挾間町鬼瀬にある、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅です。駅周囲に人家はほとんどありません。鬼瀬駅は大正4年開業ですが、大正11年にいったん廃止されその3年後に再び開業した歴史をもつ駅です。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅は河畔の崖山を背にして立地しています。駅舎は撤去されたようで、基礎が残っています。駅へは国道210号線から狭い坂道で連絡します。ホーム上に小さな待合所が設置されています。ホームと列車との間に大きな隙間があります。
無人駅。列車接近ランプとブザーも設置されている。

1915年(大正4年)10月30日 - 大湯鉄道の駅として開業。
1922年(大正11年)12月1日 - 大湯鉄道国有化に伴い廃止。
1925年(大正14年)2月3日 - 再開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、九州旅客鉄道に継承。

キロ程 124.6km(久留米起点)
電報略号 オセ←ヲセ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 18人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1915年(大正4年)10月30日
備考 無人駅

クルーズトレイン「ななつ星in九州」

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クルーズトレイン「ななつ星in九州」は、九州旅客鉄道(JR九州)が運行する寝台列車です。

九州各地を巡り、自然・食・温泉・歴史などを楽しむことを目的とした観光寝台列車です。列車名は、九州の7つの県(福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・大分県・宮崎県・鹿児島県)と、九州の主な7つの観光素材(自然・食・温泉・歴史文化・パワースポット・人情・列車)、そして7両編成の客車を表現したものです。JR九州では本車両を「大人の空間」と位置づけているため、ツアー参加者は中学生以上に限定されている。車内の共用スペースでのドレスコードは「スマートカジュアル」と定められ、ジーンズやサンダルは禁止である。車内は全面禁煙で、寝台個室にテレビは設置しない。本列車を申し込む際は、参加者全員の名前を登録する必要があります。

専用のディーゼル機関車1両と、客車7両で運転されている。機関車・客車ともにすべて大分鉄道事業部大分車両センターに所属している。日本貨物鉄道(JR貨物)が保有する北海道支社用電気式ディーゼル機関車DF200形を設計の基本として、「ななつ星in九州」仕様に外観などを設計変更した型式表記は「DF200-7000」が使用され、連結器は77系客車と同様に密着式自動連結器を採用しているが、並型自動連結器と連結する際には連結器の動きを、上下左右から左右のみの動きに切替えるための切替レバーが装備されている。2013年7月2日に製造元の川崎重工業兵庫工場から車体に傷防止の黒いカバーがされた状態で大分へ向けて甲種鉄道車両輸送が実施された。

専用の77系客車が使用される。寝台車5両とダイニングカー、ラウンジカーで構成された7両一編成で、製造はJR九州小倉総合車両センターが1 - 3号車を、日立製作所が4 - 7号車をそれぞれ担当した。小倉総合車両センター担当車の車体構体は日立製作所で製造された。寝台個室はスイート12室、DXスイート2室の計14室で、定員は28名である。今回、超豪華列車ということで永らく使用されてこなかった旧一等車形式区分である「イ」が使用されている。まず、日立製作所担当の客車4両(4 - 7号車)が完成し、DF200形と同じく黒いラッピングフィルムによるカバーを装着した状態で7月18日に日立製作所笠戸事業所から小倉へと甲種鉄道車両輸送され[21]、小倉総合車両センターで製造された客車3両(1 - 3号車)とともに8月1日に小倉総合車両センターで構内試運転が実施され、8月15日からJR九州管内での本線試運転が開始された。車両製造費は7両編成で約30億円である。
客車が7両編成となったのは「山間部の(線路・駅設備等の)制約が大きく、機関車を入れて8両・約160mが限界」という社内での検討の結果による。関係者への取材によれば「社長(唐池恒二)からは『もう1両増やせないか』という話があった」ものの結局断念したという。
車体は817系電車のものを基調としたアルミニウム合金のダブルスキン構造を採用しており、客室内の天井の高さを最大限確保するため、屋根高さを車両限界に近い4080mmとした。空調装置は、1・2号車は21000Kcal/hの容量のAU700形を各2基ずつ、3-7号車は6000kcal/hのAU701形を各5基搭載しており、空調カバーと屋根のカーブを極力合わせている。1・2号車には、床下にサービス電源用発電エンジンのSAD40HE-2形を搭載しており、320kVAの発電機を駆動させることにより三相交流440V/60Hzを出力させ、各車に装備されたKE10形ジャンパ連結器で連結され各車両に引き通されて電力を供給する。また、制御回路は別のKE70形ジャンパ連結器で連結され各車両に引き通されている。
ブレーキは電気指令式空気ブレーキを採用しており、1号車と7号車にブレーキ読替え器を搭載して、機関車から客車へのブレーキ指令を送るブレーキ管の圧力変化を電気信号に読替えてから電気回路で各車にブレーキ指令を送りブレーキを作動させる。また、電気指令式空気ブレーキが使用できない場合には、各車にバックアップで搭載されたCL形自動空気ブレーキに切替えて運転を継続できるようになっている。
台車は787系電車のTR400形をベースにした軽量ボルスタレス車台車のDT407K形で、基礎ブレーキは踏面ブレーキとディスクブレーキを装備しており、軸箱支持装置は円筒積層ゴム式で軸バネのコイルバネ内に取付けられている。軸箱の上にはオイルダンパが装備されており、台車枠と車体の間にはアンチヨーダンパの他、上下方向の振動に対して、減衰力を切替えて振動を緩和させる可変減衰上下動セミアクティブダンパを上下方向に取付けている。さらに、1号車と7号車には、空気圧式のフルアクティブダンパを搭載しており、それを作動させる他に、空気バネの空気圧供給、電気指令式空気ブレーキを作動させる圧縮空気を4・6号車に搭載したMH3095K-SC1500形電動空気圧縮機により供給されるが、機関車からも元空気ダメ管を連結して客車で必要な圧縮空気の供給を行う。
各車両は密着連結器で連結されており、衝動緩和を図っているが、機関車の連結部は密着式自動連結器を装備している。また、連結時には、機関車との間でKE158形ジャンパ連結器を連結して、機関車側で客車のブレーキ不緩解・火災表示・エンジン故障表示・非常警報表示などの客車の情報を監視できるシステムになっている。また、内外装のデザインは水戸岡鋭治が担当している。寝台個室は全室シャワー・トイレ付き。ただし、水タンクの容量が2日分しかないため、3泊4日コースの場合は2日目の夜(旅館泊)に車両を一度鹿児島車両センターに回送して、水及び燃料を補給する。洗面台の洗面鉢は、2013年6月15日に死去した14代目酒井田柿右衛門の遺作です。

運行事業者 九州旅客鉄道(JR九州)
運行区間 博多駅 - (九州各地) - 博多駅
使用車両(所属区所) DF200形ディーゼル機関車・77系客車(大分鉄道事業部大分車両センター)
運行開始日 2013年10月15日

向之原駅 JR九州)久大本線

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向之原駅(むかいのはるえき)は、大分県由布市挾間町向原にある、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅です。

大分市にほど近く、通勤通学の利用がおおい。九州によくある、「原」を「はる」と読む駅ですが、開業当初は、「はら」と呼んでいたのを、開業の7年後に現在の読み方に変更されました。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎は2002年に改築された和風の木造駅舎です。互いのホームは跨線橋で連絡している。

ワンマン運転時は当駅で精算方法が変わる。当駅から大分駅までは車内精算は行わない。
JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されている。 ICカードSUGOCAは出入場とチャージのみ対応。

SUGOCAは当駅より由布院方面では善導寺駅までは対象外となっているが、善導寺駅まで途中下車しない限り、久留米方面へは特例として利用することができる。

待合室は広いガラス張りです。改札口にはラッチがありません。構内にはかつての踏み切りの跡が見られます。

1915年(大正4年)10月30日 - 大湯鉄道の駅として開業。読み方は「むかいのはら」。
1922年(大正11年)12月1日 - 大湯鉄道が国有化され、鉄道省(国有鉄道)の駅となる。読み方を「むかいのはる」に変更。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、九州旅客鉄道に継承。
2003年(平成15年)3月15日 - 駅舎改築、現駅舎となる。
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

キロ程 127.7km(久留米起点)
電報略号 ムカ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 581人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1915年(大正4年)10月30日
備考 業務委託駅
* 1922年までは「むかいのはら」で呼称。

 

大行司駅 JR九州)日田彦山線

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大行司駅(だいぎょうじえき)は、福岡県朝倉郡東峰村大字宝珠山にある、九州旅客鉄道(JR九州)日田彦山線の駅である。


東峰村役場宝珠山庁舎(議会設置庁舎、旧宝珠山村役場)の最寄り駅であり、旧村名を駅名とする宝珠山駅よりも役場に近い位置にある。

駅前の小道を150mほど西に進んだ場所に国道211号が通っている。同国道はこの交差点付近でカーブし、駅より南側では日田彦山線と並行し、北側では日田彦山線と分かれて北西へ通っている。

この国道沿いに東峰村宝珠山地区の中心集落が形成されている。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。彦山駅 - 夜明駅間で、列車交換が可能な唯一の駅となっている。自動改札はなく、SUGOCAの利用はできません。

ホームは築堤上にあり、駅舎からホームまで77段の階段を上り下りすることになる。ホームからは集落を一望できる。両ホームは構内踏切で結ばれています。


駅舎は古い木造で、2001年12月までは簡易委託駅であったが、現在は無人駅になっている。平成21年に改築改修により瓦が葺き替えられるとともに、白く塗られていた外壁はシックに塗り替えられましたが、国鉄時代からと思われる広告看板はその姿をそのままです。

駅舎には駅喫茶「匙加減」がある。駅喫茶 匙加減は昭和初期のレトロな雰囲気漂う駅喫茶で、東峰村の食材を活かしたおまかせの食事「よしこ飯」がおススメとのこと。

のりば
1 ■日田彦山線(上り) 田川後藤寺・小倉方面
2 ■日田彦山線(下り) 日田方面

俳優 高倉健さんの父親が宝珠山村の宝珠山炭鉱で働いていたことから、高倉健さんも幼少の頃に駅を利用していました。

大行司駅から筑前岩屋駅の間には、3つのめがね橋があり奈良尾のめがね橋は、テレビ番組で「日本一美しい鉄道橋」として紹介されました。

1946年(昭和21年)9月20日 - 彦山線宝珠山 - 大行司間延伸に伴い終着駅として開業。
1960年(昭和35年)4月1日 - 彦山線の日田線との区間統合により日田彦山線の所属となる。


1980年(昭和55年)10月1日 - 日田彦山線急行列車の快速格下げにより下り快速「日田」以外の全列車が停車。これに伴い当駅から本州直通列車「あきよし」で山口県美祢市や長門市、萩市、それに島根県益田市へ乗り換え無しで行けるようになった。


1985年(昭和60年)3月14日 -「あきよし」廃止。「日田」の停車駅見直しにより日田彦山線を走行する全列車が停車するようになった。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道に承継。

電報略号 タイ←ダイ
駅構造 地上駅(盛土上)
ホーム 2面2線
開業年月日 1946年(昭和21年)9月20日
備考 無人駅

豊後森機関庫

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豊後森機関庫は、大分県玖珠郡玖珠町の国鉄(現JR九州)久大本線豊後森駅の東側にあった機関庫です。2009年(平成21年)2月6日に「旧豊後森機関区の関連遺産」として扇形機関庫と転車台とが近代化産業遺産に認定されており、2012年(平成24年)には国の登録有形文化財に登録されました。

機関車は60―70キロごとに石炭や水の補給基地が必要で、久大線では豊後森が補給基地の機関区に選ばれました。

電気・ディーゼル機関車と異なり、前後の区別がある蒸気機関車は方向転換に転車台という回転装置を必要とします。機関車を収容する機関庫を転車台を中心に扇形にすれば効率的なので、蒸気機関車の時代には各地に扇形庫が建設されました。

大分県玖珠郡玖珠町の豊後森駅の東側に、1934年(昭和9年)の久大線全線開通とともに完成。同時に、豊後森機関区も発足した。鉄筋コンクリート造で1,785m²の面積を有し、最盛時には蒸気機関車21台が所属する大規模な機関庫であった。
太平洋戦争中には戦時中は軍事輸送の拠点となったため、米軍機の機銃掃射によって職員3人が死亡する被害を受け、機関庫の壁面にはその際の弾痕が残っている。


蒸気機関車には前後の区別があったため、方向転換のために大規模な扇形機関庫や転車台が必要であったが、ディーゼル機関車やディーゼルカーへの移行が進んだことにともない、1970年(昭和45年)に廃止された。現存する扇形庫はだいたい現役で使われており、豊後森機関庫のように廃墟のまま解体されずに残っているのはかなり珍しい事例です。


2001年(平成13年)に地元の有志によって保存委員会が結成され、登録有形文化財の登録を受けるべく活動した。その一環として行われた「一万人の署名運動」では、目標を上回る約23,000人分の署名が集まった。その結果、2012年に登録された。
2006年(平成18年)3月には、玖珠町が旧機関庫と敷地(10,200m²)を3,466万円でJR九州から買収。2008年(平成20年)には、鉄道記念公園整備計画を策定しており、将来的には鉄道記念公園として整備する計画がある。

原形のまま残る機関庫としては九州唯一、全国的にも14年に造られた京都の梅小路機関庫があります。他には津山駅(岡山県)、米子駅(鳥取県)などに残っている。

扇形庫の建築的な魅力といえば、名前の通り扇形に広がるファサードです。純粋に機能的な理由で設計された形でありながら、円柱が並ぶ立面が古典的な神殿を連想させる。


転車台は、レールと枕木は残っていないものの、桁や操作室、円形ピットといった主な構成要素は現存しており、多数の蒸気機関車が出入りしていた全盛期の姿ままです。

桁の側面には「鐵道省」「昭和九年」等と記された銘板が付いていることから、この転車台装置は機関庫竣工当時のものであると分かります。

所在地  :大分県玖珠郡玖珠町大字帆足415
竣工   :1934(昭和9)年
構造規模 :鉄筋コンクリート造、建築面積:1,785m2

豊後森機関庫内での撮影や見学は申請書を町に申請しヘルメットの着用が必要です。ヘルメットの貸出は玖珠町役場商工観光振興課も行っています。

玖珠町役場
〒879-4492
大分県玖珠郡玖珠町大字帆足268番地の5
商工観光振興課 商工観光係
電話番号 0973-72-7153 FAX番号 0973-72-2180
E-Mail syokou@town.kusu.oita.jp



大野城駅 鹿児島本線

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大野城駅の駅自体は大野城市にあり大野城市の代表駅ですが、駅の西側は春日市です。福岡県大野城市白木原一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅です。福岡市のベッドタウン化の進行に伴い利用客が増加し、JR転換後に改称され、その後快速停車駅に昇格しました。近くに九州大学や春日高校があります。

大野城駅の歴史は1946年(昭和21年)6月10日に設置された春日信号場にまでさかのぼることができる。当時は太平洋戦争終結直後であり、当信号場は近くに設置された米軍春日基地専用線を分岐させる為のものでした。
その後1961年(昭和36年)10月1日に駅に昇格し白木原駅となる。一方西日本鉄道大牟田線(現:天神大牟田線)には既に白木原駅が存在していたが、西鉄側の駅は改称しなかったため、2つの「白木原駅」が存在し、利用者を混同させていた(両駅は役500mほど離れている)。やがて国鉄側の白木原駅は、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄の分割民営化の後の1989年(平成元年)3月11日に大野城駅に改称し現在に至ります。


「春日」は近隣の春日神社に因んだ地名、「白木原」は朝鮮半島にあった新羅(しらぎ)の国に由来し、かつてこの地に朝鮮半島から渡来した新羅人の集落があった事から付いた地名、「大野城」は古代山城の大野城が由来の地名です。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅で橋上駅舎。駅前広場も整備され、路線バスが乗り入れます。
九州交通企画が駅業務を行う業務委託駅で券売機は2台、みどりの窓口が設置されています。改札口には改札機が3台、液晶式の発車案内が設置されています。

ホームは、利用客の増加に合わせて上屋も延長されています。狭いホームにはエレベータを設置するスペースがなく、苦肉の策で北側に回廊が増設されています。


1 ■鹿児島本線(下り) 二日市・久留米・大牟田方面
2 ■鹿児島本線(上り) 博多・赤間・小倉方面

1946年(昭和21年)6月10日 - 春日信号場として運輸省が設置。
1961年(昭和36年)10月1日 - 駅に昇格、白木原駅(しらきばるえき)となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
1989年(平成元年)3月11日 - 大野城駅(おおのじょうえき)に駅名改称。現在の新駅舎での使用を開始。
2003年(平成15年)3月15日 - ダイヤ改正により、快速列車停車駅に昇格。


2006年(平成18年)6月1日 - 駅自由通路(改札外)エレベータ使用開始。
2007年(平成19年)3月1日 - 多目的トイレ・改札内エレベータ使用開始、同時にバリアフリー化。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 オノ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 6,907人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1961年(昭和36年)10月1日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有
* 1989年に白木原駅から改称。

工業団地駅 土佐くろしお鉄道宿毛線

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工業団地駅は、高知県宿毛市平田町戸内 にある土佐くろしお鉄道宿毛線の駅です。高知県立宿毛工業高等学校の最寄り駅で同学生の利用が多い。

周囲には人家は無いが工業団地の開発に合わせ利用客数は増えている。駅周辺には高校駅番号はTK44。

単式ホーム1面1線の無人駅。切通しの中に位置し掘割式になっており、沿道からは全く分かりません。ホームへの出入りには中村駅寄りの階段を利用致します。

駅舎はなく、ホームに待合室が設置されています。細長いホーム待合室にはFRP製の椅子が設置されています。

駅入口には駐輪所が設置され、「トイレは200mほど離れた平田公園のトイレを使用下さい」など書いてある駅周辺案内板があります。

1997年(平成9年)10月1日 - 開業。

電報略号 コキ
駅構造 地上駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 1997年(平成9年)10月1日
備考 無人駅

豊平の手打ちそば  道の駅 とよひらどんぐり村 広島

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地元で生産されたそばを、石臼で挽いた風味豊かなそば粉で打った本物のそばを賞味できます。道の駅内にあるどんぐり庵には、そば道場もあり自分で打ったそばを食べることができます。その他、ふれあい豆腐、よもぎ大福、そばクッキー、天然酵母パン、手作り味噌、田舎寿司などもあります。

所在地:〒731-1712  山県郡北広島町 都志見2609
お問い合わせ先:電話:0826-84-1313  ファックス:0826-84-1340
道の駅豊平どんぐり村
営業時間:11時00分〜19時30分
定休日:毎月第3火曜日
営業日・営業期間
4月〜2月 食の浪漫紀行(年4回 四季それぞれに開催) 9月下旬土曜日 豊平神楽競演大会 11月中旬土・日 そばまつり
備考
9月中旬には、白い可憐なそばの花がまるで白いジュータンを敷き詰めたように咲き揃います。カメラマンには見逃せない光景です。
道の駅豊平どんぐり村
アクセス方法:車  中国自動車道広島北ICから約20分 
公共 広島バスセンターから琴谷行きバスで約1時間30分龍頭山登山口下車、徒歩3分

浮鞭駅 土佐くろしお鉄道中村線

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浮鞭駅(うきぶちえき)の駅名標にあるキャッチフレーズは「スポーツ天国」。近くには浮津と鞭という2つの集落があり、駅名はこれを合成。難読駅としても有名です。

高知県幡多郡黒潮町浮鞭にある土佐くろしお鉄道中村線の駅。駅番号はTK36。

島式ホーム1面2線を持つ地上駅。無人駅で駅舎無く、築堤上のホームに待合所が設置されています。

階段を上り地下道でホームに連絡します。地下道と待合所に木製の長椅子が設置されています。

駅下には自転車置場と電話ボックスがあります。特急はさほどスピードを落とさず70km/h程度で通過します。

1970年(昭和45年)10月1日 日本国有鉄道の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。
1988年(昭和63年)4月1日 土佐くろしお鉄道に転換。

電報略号 ウキ
駅構造 地上駅
ホーム 島式 1面2線
開業年月日 1970年(昭和45年)10月1日
備考 無人駅

 

 

四国秘境駅 新改駅(しんがいえき)JR四国 土讃線

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秘境駅の一つ新改駅(しんがいえき)は高知県香美市土佐山田町東川にある四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅です。駅番号はD36。土佐山田町東川および平山地区の通学生と高齢者が主体、利用客はほとんどありません。

新改地区は新改駅より約5kmほど下流に位置しており当地区住民はかつては土佐電鉄バスを利用していたが、2005年(平成17年)9月30日をもって新改線の路線バスは廃止された。かつては天然の要塞という利点から四国軍管区司令部など軍事要塞化がなされた場所でもあります。

スイッチバック駅である。 標高274m。木造駅舎はリニューアルされています。待合室にはFRP製の椅子が設置されています。
下り列車は急な下り勾配が続く本線から1線が左側に分岐して水平の引上線に入り、そこで進行方向を変え本線を横切って1面1線のホームに入る。発車時は再び進行方向を変え、本線へ進む。上り列車は上り勾配の本線から左側に分岐して水平のホームに入り、発車時は後進し本線を横切って引上線に入ったのち改めて前進する。


ホームおよび引上線の終端側には後方の信号の中継信号が設けられ、車掌が乗務している場合は最後尾に乗った車掌と連絡をとりつつ後進する。ワンマン運転の場合は、運転士は進行方向を変えるごとに前方となる運転台へ移動する。よって下り列車のワンマンの場合、列車がホームに進入後、運転士が下り方の運転台に戻るまでドアが開かない。


駅舎は開業以来の物をリニューアルして使用している。1970年(昭和45年)に無人駅となった。その後しばらくは駅前の商店で乗車券を発売する簡易委託駅だったが1987年(昭和62年)頃、商店閉店に伴い委託廃止している。

新改駅ホームから高知方面を見る、出発信号機の奥に分岐器(シーサースクロッシング)がありさらに奥に引上線が見える、左下から右上に通る路線は土讃線本線。

ホームは1面1線。引上げ線上にあり、通過列車は構内に入ることはありません。ホームのエンドは行き止まりで普通同士の交換はできません。

当駅の所在する東川地区の周辺は三方が急峻な山に閉ざされているため一見何もないが、駅前の高知県道253号新改停車場線を道なりに1km下ると香美市土佐山田町平山の集落へ至る。
その平山地区の入り口には「休場ダム」があり、ダムから平山親水公園の周辺にかけて春には約600本のソメイヨシノが咲き誇り市内でも知る人ぞ知る桜の名所となっている。


2009年(平成21年)4月1日より、香美市によるコミュニティバスが繁藤地区(繁藤駅)〜土佐山田駅間に一年間の試験運行開始。2010年(平成22年)以降も継続運行中。平日のみ一日3往復運行。当駅最寄は平山地区内にある朝倉商店前「平山」停留所。駅より徒歩下り約15分、上り約25分。

1930年(昭和5年)6月21日:土佐山田駅 - 角茂谷駅間が開業。
1935年(昭和10年)11月28日 - 新改信号場(しんかいしんごうじょう)として設置される。
1944年(昭和19年)末 - 本土決戦準備のため新改信号場周辺が後方連絡線の要所として重視され、軍事要塞化がなされる。天然の要塞という利点から四国軍管区司令部などの重要施設も新改に疎開。この頃の一時期、新改停車場は図らずも高知県の中心地と化した。
1947年(昭和22年)6月1日 - 信号場から旅客取扱駅に昇格。新改駅(しんかいえき)として開業。
1956年(昭和31年)12月15日 - 駅名の読み方を「しんかい」から「しんがい」に変更。
1970年(昭和45年)10月1日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 シカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1947年(昭和22年)6月1日
備考 無人駅

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