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Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
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監視艇「わかしお」 /水島税関支署 

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監視艇「わかしお」

昭和58年3月に就航した「わかしお」は、全長18.9m、最高速力32.4ノット(時速約60 ?)という高速艇で、当時の広報誌に『税関幹部、報道関係者約30名を乗せて出航。白波を立てて神戸港外を全力疾走し、そのスピード振りを発揮した。この模様は、テレビで放映され「全国一速い監視艇」として紹介された。』とあります。


「わかしお」は、瀬戸パト艇として建造されたもので、設計段階において、近隣の署所への所要時間を1時間以内とするために必要とされる航行性能=巡航速度30ノット(時速約56 ?)を確保するために、当時としては珍しい軽合金製とし、高出力エンジン(650 馬力×2)を搭載したそうです。


「わかしお」の建造以降、監視艇は15m艇から18m艇・軽合金製の時代に移行しています。(現在の「わかしお」は、この艇の後継艇です。)

軽合金製
全長18.9m
巡航速度29.8ノット
最高速度32.4ノット


備中呉妹駅 /井原鉄道井原線

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備中呉妹駅(びっちゅうくれせえき)は、旧吉備町の西端、集落の南外れに小田川を背にした所である岡山県倉敷市真備町尾崎井野1365-2にある駅です。矢掛との境でもあり、古くから歴史のある地でもあります。銅鐸も発掘されており、古代から進んだ文化があったことが伺える場所です。

戦国時代には、猿掛城主庄氏によって備中松山城の支配などがあり、後に猿掛城は毛利氏(毛利元清)の居城になるなど戦乱の地でもありました。猿掛城は備中の国の中では松山城につぐ規模であり、旧山陽道に睨みをきかす城でした。標高232mにあり急斜面になっていて、下から攻めるには難しい城でした。井原鉄道井原線の駅。


神辺方面に向かって右側に単式ホーム1面1線のホームを持つ、築堤上の高架駅(停留所)。沿線の駅では比較的低い位置にあります。ホーム下の北西寄りに待合室があるが、自動券売機等は設置されていない。無人駅であり、階段でホームそのものへは直接上がる形になっています。ホームの幅は余り広くありません。

ホーム待合所にはFRP製の椅子が設置されています。パークアンドライド用に、駅前に28台分の駐車場があります。

待合室は和風で木の風合いを生かした椅子やテーブルが設置されています

駅前の駐輪場の屋根には神社風の装飾が施されています。

駅に近い名所としては備中呉妹:(備中呉妹駅から徒歩で30分(約2km)吉備真備公が、晩年故郷の真備町へ戻り、小田川の清流に臨む巨岩の上で琴を弾きながら静かな余生を過ごしたました。毎年、仲秋の名月の夜、公をしのんでここで琴を弾く「弾琴祭」が行なわれます。 穴門山神社:(備中呉妹駅から徒歩で40分(約3km)高山(神山様)と呼ばれ、祭神は吉備穴門武姫命(日本武尊の妃、吉備武彦の娘)であって、農織産業の神として近郷はもとより遠隔地にも崇敬者が多い。

 

 

1999年(平成11年)1月11日 - 井原線開業と同時に設置。

電報略号 レセ
駅構造 高架駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1999年(平成11年)1月11日
備考 無人駅

 

 

 

 

三谷駅 /井原鉄道井原線

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三谷駅は、矢掛町東端の位置である岡山県小田郡矢掛町東三成にあります。井原鉄道井原線の駅。駅前には瓦屋根の駅舎が設置されています。パークアンドライド用に、駅前に19台分の駐車場があります。

相対式ホーム2面2線の列車交換可能な高架駅。ホームの東寄りから階段が降り、高架下の駅舎へつながる(ホームの出入りには駅舎を経由する必要はない)。無人駅であり、自動券売機は設置されていない。駅舎にある窓口はレンタサイクルの事務所となっており発券業務は行っていない。待合室の椅子はFRP製です。


三谷駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■井原線 下り 井原・神辺方面
2 ■井原線 上り 清音・総社方面
2番線を上下本線、1番線を上下副本線とした一線スルー構造であるが、実際の運用では、井原線に各駅停車しか運行されていないため、方向別にホームを使い分けている。ホーム待合所にもFRP製の椅子が設置されています

 

1999年(平成11年)1月11日 - 井原線開業と同時に設置。

駅周辺の名所としては吉備真備公園(駅から徒歩で5分)奈良時代の政治家、学者として知られる吉備真備の遺徳をしのんで整備された公園で、古代の丘や真備の銅像、石造りの巨大な基盤、真備の入唐の逸話を伝える絵巻物を再現した入唐絵詞石屏風などの真備ゆかりのモニュメントが、広々とした園内に配置されています。また、中国風の母屋を再現したした館址亭では、手打ちうどんが味わえます。 水車の里フルーツトピア(駅から車で5分)農業を通じて、豊かで美しい村づくりを目指すために誕生した、自然に囲まれたフルーツの香りいっぱいの別天地。新鮮でおいしい梨、ブドウ、イチゴなどをその場で味わうことはもちろん、イモ掘りや、梨・ブドウの袋かけなどの農業体験もできます。また、うどんづくり、備中神楽、本陣太鼓、わら細工などの伝承文化等も体験学習できるほか、ミニうさぎなどの小動物と触れ合うこともできる魅力のスポット。

電報略号 ミニ
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1999年(平成11年)1月11日
備考 無人駅

 

 

 

 

矢掛駅 /井原鉄道井原線

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矢掛駅(やかげえき)は、山陽道の宿場町として繁栄した矢掛町の代表駅で、市街地に本陣や脇本陣などの歴史的建造物が残っている岡山県小田郡矢掛町矢掛にある駅です。

井原鉄道井原線の駅。パークアンドライド用に、駅前に30台分の駐車場がある。

 


島式ホーム1面2線で列車交換が可能な高架駅。地上へはホーム西端の階段を使って出入りする。線路は東西ともY字分岐で、一線スルーにはなっていません。


ホーム南西にある地平の駅舎は、宿場町・矢掛をイメージした和風建築で、簡易委託による出札窓口もあります。待合室には主要駅らしく、椅子は多数設置されています。

きっぷ売り場の窓口では、おみやげなどの売店、観光案内がなされています。駅北側へも通路が用意されているが、駅北側周辺には田圃とわずかな人家があるのみです。

矢掛駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■井原線 下り 井原・神辺方面
2 ■井原線 上り 清音・総社方面

ホームとは地下道で結ばれています。

駅近くの主な観光スポットとして矢掛本陣(駅から徒歩で10分)本陣は参勤交代の頃、街道の宿場町におかれた大名、公家などの宿泊施設で、大名宿とも呼ばれていました。間口約35.5m敷地約1000坪の広大な屋敷は、当時の旧姿と今に伝える日本建築の結晶で、白壁・鬼瓦・虫籠窓・なまこ壁など独特の様式は、往時の格式の高さを漂わせています。 

やかげ郷土美術館(駅から徒歩で10分)町木の赤松を使い、伝統工法で建築された町屋風の美術館。館内には矢掛出身の書家 田中塊堂、洋画家 佐藤一章の作品や、吉備真備公ゆかりの文化財などを中心とした宿場町関係の郷土資料を展示。高さ16mの江戸時代の水楼をモチーフにした望楼は、この美術館のシンボルとなっており最上階からは、昔の面影を残す町並みが見渡せます。 矢掛脇本陣(駅から徒歩で10分)本陣の予備として用意された宿泊所で、こうして本陣と脇本陣とが残され、ともに国の重要文化財に指定されているのは、全国でもここだけです。 遊び心の美術館「古意庵」(駅から徒歩で10分)140年前の江戸時代末期に建てられた土蔵を改装した私設美術館。館内にはオーナーが30年かけて個人的に収集した鎌倉から明治時代にかけての古美術品約150点を展示しており、壷や徳利、皿、掛軸など、生活に密着した作品が多い。

1999年(平成11年)1月11日 - 井原線開業と同時に設置。

電報略号 ヤケ
駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1999年(平成11年)1月11日
備考 簡易委託駅

 

 

 

 

SH-60B 対潜ヘリコプター

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SH-60は当初、駆逐艦などに搭載されるLAMPS Mk IIIの多目的ヘリコプター、SH-60B シー・ホークとして開発されました。その後、派生型として、航空母艦搭載の艦上対潜哨戒用としてSH-60F オーシャンホークが開発。また、救難用のHH-60H レスキューホーク、沿岸警備隊のHH-60J ジェイホークなども派生しました。

これらは将来的に、SH-60BとSH-60Fの後継としてのMH-60R シーホーク、HH-60Hや、CH-46シーナイトの後継としてのMH-60S ナイトホーク、HH-60Jの強化型としてのMH-60Tによって代替されることになっています。
その他、日本は独自開発の派生型としてSH-60J(通称ホワイト・ホーク)、機体から新規設計したSH-60Kを開発しているほか、台湾やオーストラリア、ギリシャなども独自の運用要求を加味した機体(S-70Bシリーズ)を輸入しています。

第51対潜ヘリコプター飛行中隊 ウォーローズ LAMPS部隊
LAMPSは、ヘリコプターを水上艦の戦闘システムの一部として、そのセンサーや攻撃手段の三次元的な延長として運用するというシステムです。単なる対潜哨戒機としての任務だけではなく、対水上打撃任務においては目標捜索を行ない、必要に応じて自らも対艦ミサイルによって攻撃を実施します。また、副次任務として、捜索救難や電子戦、補給輸送から指揮連絡、対地ミサイルによる沿岸目標の攻撃に至るまで、多目的に用いられています。
初期に開発されてSH-2D(後にはその強化型であるSH-2F/G)を使用するLAMPS Mk I、新型の機体に新型の機器を搭載したSH-60Bを使用するLAMPS Mk III。また、LAMPS Mk III Block IIにおいては、より多目的化が進められたMH-60Rが導入されることになっており、これによって、航空母艦搭載の対潜ヘリコプター部隊と機体の共通化がなされる。

早雲の里荏原駅 /井原鉄道井原線

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早雲の里荏原駅(そううんのさとえばらえき)は、井原鉄道の本社、車両基地が併設される、運行上の拠点駅です。岡山県井原市東江原町にある、井原鉄道井原線の駅です。駅前には84台分のパークアンドライド用、駐車場があり、駐輪場も整備充実しています。

北条早雲(伊勢盛時)の故郷であり、当時は備中国後月郡荏原庄(えばらのしょう)と呼ばれていことにちなんでいます。

単式1面、島式1面の2面3線のホームを持ち、列車交換が可能な地上駅。1・2番のりばが島式ホーム、3番のりばが単式ホームである。


無人駅であり、跨線橋を使って直接ホームに入る形になっている。駅構内(清音方向)に本社・車両基地がある。また北側駅前ロータリー「早雲の里交流センター」があり、待合所としての機能を果たしている。ホーム待合所があり背もたれも省略された椅子があります。

北条 早雲は、室町時代中後期(戦国時代初期)の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖です。伊勢 宗瑞とも呼ばれる。北条早雲は戦国大名の嚆矢であり、早雲の活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。一介の素浪人から戦国大名にのし上がった下剋上の典型とする説が近代になって風聞され、通説とされてきたが近年の研究では室町幕府の政所執事を務めた伊勢氏を出自とする考えが主流です。

1950年代に発表された藤井論文以降、伊勢氏のうちで備中国に居住した支流で、備中荏原荘(現井原市)で生まれたという説が有力となり、その後の資料検証によって荏原荘の半分を領する領主(300貫といわれる)であることがほぼ確定しました。

早雲の里荏原駅プラットホーム
ホームは優等列車の待避もないわりには井原線の駅では最も整備されています。
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■井原線 下り 井原・神辺方面
2 ■井原線 上り 清音・総社方面 通常はこのホーム
3 ■井原線 上り 清音・総社方面 一部列車のみ


2番線を上下本線、1・3番線を上下副本線とした一線スルー構造であるが、実際の運用では、井原線に各駅停車しか運行されていないため、下り列車は1番のりば、上り列車は2番のりばを使うのが基本である。3番のりばは専ら当駅止まりの列車の降車ホームとして使われるが、線路保守の観点から清音方面への上り列車も僅かながら使用する。なお、当駅始発の下り列車は出庫後直接1番のりばに入線してくる。

1999年(平成11年)1月11日 - 井原線開業と同時に設置。

電報略号 ソエ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1999年(平成11年)1月11日
備考 無人駅

 

 

 

武庫駅 伯備線

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開業1961年(昭和36年)、伯備線で最も新しい武庫駅(むこえき)は、国道181号線と寄り添って流れる日野川の右岸、国道と集落の隙間の位置にあたる鳥取県日野郡江府町大字武庫にあります。

平行して走っている国道181号線は交通量が多く車を駅に寄せるのは困難です。所属路線は西日本旅客鉄道(JR西日本)伯備線の駅です。

駅前には、「奥大山武庫駅」と駅名を書かれた記念碑、自転車置場、トイレが少し離れて並んでいます。

米子方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。伯備線で交換設備を持たないのはここ武庫駅のみです。駅舎はなく、狭いホームとその上のコンクリートブロック造の待合室のみが置かれています。待合室にはFRP製の長椅子が設置されています。米子駅管理の無人駅であり自動券売機もないが、待合室手前に乗車駅証明書発行機が設置されています。

1961年(昭和36年)8月23日 - 伯備線の根雨駅 - 江尾駅間に新設開業。
1987年(昭和61年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。

 

電報略号 ムコ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1961年(昭和36年)8月23日
備考 無人駅(乗車駅証明書発行機 有)

 

掃海艇みやじまMSC-69

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掃海艇みやじまMSC-690は、海上自衛隊のはつしま型掃海艇です。掃海艇の名前は、日本の島の名称の中から命名されます。

宮島」は、日本三景の一つであり、安芸の宮島で知られ、世界遺産に指定された厳島神社のある長さ約9Km、幅約6Kmの広島湾の中心に浮かぶ島です。所属は掃海隊群・第1掃海隊

 

平成17年2月に「すがしま」型 掃海艇の10番艇として、ユニバーサル造船京浜事業所で建造され就役しました。すがしま」型掃海艇は、コンピューターを駆使した情報処理装置を採用し、機雷探知機、機雷処分具及び自動操艦装置を一元管制することにより、機雷捜索及び処分能力を格段に向上させております。

機雷は船舶の音や磁気等を感知して爆発します。そのため、掃海艇は護衛艦や商船と異なり、船体は木製、エンジンや機器等はアルミ合金等を使用することにより磁気を帯びないような設計となっております。また、静粛性向上のため、電気推進器2基を搭載しています。

掃海部隊の主な任務は、我が国の平和と独立を守り国の安全を保つため、我が国周辺海域において、海上交通を保護することにあります。本艇をはじめとする掃海部隊の各艦艇は、港湾及び航路に敷設された機雷を排除し、通行船舶の安全を確保に努めています。

 

すがしま型掃海艇:はつしま型のペルシャ湾における経験から(自衛隊ペルシャ湾派遣)、イギリス海軍のサンダウン級掃海艇を参考として建造された木造掃海艇である。

 

 

PAP104-MK5

うわじま型までの従来の機雷戦装備から、NATO諸国の装備(機雷探知機(TYPE2093)、英GECマルコーニ社製情報処理装置(NAUTIS−M)ししじま及びくろしまはNAUTIS-M-1、機雷処分具(PAP−104Mark5)の3点セット)を導入したものに変更し、より近代的な機雷戦(掃海、掃討)に対応している。

感応掃海具としては、オーストラリア製のDYAD(ダイヤード/磁気)とPNM(音響)を採用した。これらは固有装備ではなく母艦または基地より曳航する形となっている。

なお、掃海目的を兼ねた固定武装として、20mm機関砲を前甲板に装備している。

この他にも、水中放射雑音の低減の為、発電機を上甲板に装備し、機雷掃討の際には電気推進への切換えを行えるようになっている。

GPSと連動した自動船位保持装置も本級より新たに導入された。

 

 

煙突は、艦橋からの後方視界向上を意図し、掃海艇では初めて2本並列配置となったが、運用の結果、艦橋左右後方の視界を妨げることから続くひらしま型では再び1本に改められている。

また、隊員の体格向上に伴い、天井の高さが今までの掃海艇比べて高く設計されており居住性は向上している。

機雷掃討の際の運動性能向上(静粛性向上のため出力180馬力(130キロワット)の電動モーター)、ホーバリング性能向上のため、可変ピッチプロペラやバウ・スラスター、プロペラ水流を横方向に向けられるシリング舵を採用し、これと連動する自動操艦装置の装備などで、運用性の向上が図られている。

 

 

 

 

排水量  基準:570トン

全長    54 メートル (177 ft)

全幅    9.4メートル (31 ft)

吃水    2.4メートル (7.9 ft)

深さ    4.5メートル (15 ft)

機関    三菱6NMUディーゼル(1,800hp)×2基, 2軸推進

速力    14 ノット (26 km/h)

乗員    45人

兵装    JM61M 20mm機関銃×1門

艦載艇  4.9m型複合作業艇×1隻

C4I     NAUTIS-M 戦術情報処理装置

レーダー        OPS-39 対水上

ソナー  2093型

特殊装備        機雷処分具PAP-104

係維掃海具

 

同型艦

682 「のとじま」683 「つのしま」684 「なおしま」685 「とよしま」686 「うくしま」687 「いずしま」688 「あいしま」689 「あおしま」690 「みやじま」691 「ししじま」692 「くろしま」


 

 

 


上の町駅 /本四備讃線(瀬戸大橋線)

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上の町駅の周囲は比較的住宅も多く高校も近い為、線内の新設の無人駅では最大の利用客を誇っています。


岡山県倉敷市児島上の町二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)本四備讃線(瀬戸大橋線)の駅です。

相対式ホーム2面2線を持つ3階建ての駅舎の無い高架駅です。駅前には大き目のロータリーがあります。

分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。高架下の階段から直接ホームに入る形になっています。
児島駅管理の無人駅であるが、ICOCAが利用可能で、高架下には簡易式の自動改札機と近距離切符の自動券売機(ICOCAチャージ対応)、男女兼用のトイレがあります。

2009年3月までにホームのかさ上げ工事が実施されました(920mm→1100mm)。学生の利用客が多いためか駐輪場は自転車で溢れていました。

上の町駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■瀬戸大橋線 上り 茶屋町・岡山方面
2 ■瀬戸大橋線 下り 児島・高松・丸亀方面

ホームの乗り場付近に簡単な待合があります。

1988年(昭和63年)3月20日 - 本四備讃線開業と同時に設置。
2007年(平成19年)
7月9日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機導入。
9月1日 - ICOCA使用開始。

電報略号 カノ
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 402人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1988年(昭和63年)3月20日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

5月10日(金)のつぶやき

5月11日(土)のつぶやき

目出駅 小野田線

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目出駅は、静かな住宅地の中にあります。小野田線内では最も乗降客が少ない駅です。山口県山陽小野田市大字小野田字目出にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)小野田線の駅。有帆川の堤防沿いにあり、小野田市街地に近い。国鉄時代は縁起駅として知られ、入場券などの売り上げもそれなりにあった。

なお、厚狭→目出の乗車券が一時期、朝(厚狭)からめで(目出)たいという語呂合わせからかなり売れたことがある。さらに山口宇部経済新聞〜 平成22年2月22日、JR西日本山口地域鉄道部は日付に数字がそろうことを記念して厚狭(あさ)駅から目出(めで)駅、目出駅から居能(居能)駅までの記念台紙付き乗車券を発売した。今月2日には約10年ぶりに日付の数字がそろったのを記念してJR山陽本線・厚狭駅(山陽小野田市厚狭)からJR小野田線・目出駅(目出)までの記念切符を独自に企画して販売した同鉄道部。今回は目出駅からJR宇部線・居能駅(宇部市居能町)までの記念台紙付き乗車券を加えて販売する。

「目出〜居能」間の記念台紙には「めでたいの〜」の文字と七福神・招き猫・タイのイラストをプリント。「厚狭〜目出」間の記念台紙には「あさからめでたい」「あさからめがでる」と縁起のいい語呂に合わせて招き猫・タイのイラストをプリントし、各区間の乗車券付きで販売する。価格はともに200円。

島式ホーム1面2線で交換設備を有する簡易な鉄骨造の駅舎(国鉄時代は曲り家風の木造駅舎)をもつ地上駅だが、2009年(平成21年)7月1日のダイヤ改正では目出駅での列車交換は設定されていません。

駅舎はあるが無人駅(山口地域鉄道部管理)となっており、自動券売機等の設備もない。下り線東側(雀田寄り)に駅舎があり、ホームと駅舎へは途中に遮断機なしの構内踏切で繋がっています。ホーム全体がカーブしています。

ホームはコンクリートの板を並べただけですが一部、新しくリフォームされています。駅と言うよりは信号場的な位置づけの駅だったとのこと。
目出駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
駅舎側 ■小野田線 上り 小野田港・宇部新川方面
反対側 ■小野田線 下り 小野田方面
※案内上ののりば番号は設定されていない。列車運転指令上の番線番号も不明。


かつては小野田線目出駅から引き込み線が工場まで敷かれていて、跡が少し残っています。


1915年(大正4年)11月25日 - 小野田軽便鉄道が小野田駅 - セメント町駅(現・小野田港駅)間で開業した際に設置。
1923年(大正12年)6月25日 - 小野田軽便鉄道が小野田鉄道に社名変更。
1943年(昭和18年)4月1日 - 小野田鉄道国有化。国有鉄道小野田線の駅となる。
1947年(昭和22年)10月1日 - それまでの小野田線が宇部西線に編入され、当駅もその所属となる。
1948年(昭和23年)2月1日 - 宇部西線が現行の小野田線に改称され、当駅もその所属となる。
1983年(昭和58年)3月8日 - 無人駅化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が継承。

電報略号 メテ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 23人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1915年(大正4年)11月25日
備考 無人駅

 

活イカ本家 きらく / 北長門・仙崎(山口)

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北長門・仙崎「きらく」:活イカがウニめしがうまい、きらくです。
店内に設けられた大きな生け簀から、御注文と同時に引き上げられ、目の前でさばかれる活きいかが提供されます。

また、海藻をたっぷり食べて育った北浦のウニをふんだんに使ったウニ。新鮮なお刺身がたっぷりのったいか丼です。美味です。

場所は西日本有数の漁港、北長門・仙崎湾が目の前に。休日、開店前から並んで正解でした。

実は近くに長門地区で初の回転寿し「廻鮮すし楽」もあります。もし㐂楽が満席で入れない時は此方が穴場です。たぶんこの価格は採算度外視と思います。仙崎漁港仲買人としての厳しい目利きと、活魚料理で培った確かな腕を充分に生かしたお店ですね。

その他「民宿きらく」もある様子。「きらく」や「すし楽」から歩いて行ける長門観光スポットは国定公園青海島めぐりの観光船や地元仙崎出身の童謡詩人・金子みすゞ記念館。

活イカ本家・和食処「きらく」民宿「きらく」
電話 0837-26-1235 ファックス 0837-26-3850 山口県長門市仙崎祇園町4137-3
営業時間/午前11時〜午後2時、午後5時より午後10時
廻鮮寿司「すし楽」
電話 0837-26-1006 ファックス 0837-26-1006 山口県長門市仙崎祇園町4137-42
営業時間/午前11時〜午後2時30分、午後4時30分より午後10時

清流しまんと号(トラ45000) 予土線/JR四国

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国鉄・JRグループとしては最初のトロッコ列車で沿線風景を旅客誘致につなげる目的で、国鉄時代の1984年から、トロッコ列車「清流しまんと号」の運行が開始されています。

下り

列 車 名       発駅時刻    着駅時刻        記    事
清流しまんと1号  窪川15:01  宇和島17:44  座席指定券座席:指定券大人510円・小児250円

 

木材などの運搬に使われていた「トラ45000形式」の列車を改造し、窓ガラスのないパノラマカーに仕上げたトロッコ列車。雄大な四万十川沿いを1日1往復のんびりと走る。トロッコに連結される気動車はエンジン出力の大きいキハ54形になる場合が多い。

 

四国向けの温暖地型(キハ54 )
温暖地で使用する区分で、1987年に12両 (1 - 12) が製作されました。予讃本線の西部区間や土讃本線の四国山地越えなど、主要線区の急勾配区間がある四国島内の地域輸送に専用するため、短距離輸送に特化した収容力・運用コストを重視した仕様で製作。外部塗色は、当初はステンレス地に黄かん色のストライプを斜めに配した。JR移行後にコーポレートカラーの青色を基調とした塗色に変更されました。客室窓は二段式の大型ユニット窓。客用扉は 900mm 幅の折戸とし、戸袋を省略しています。下方まで拡大された大型窓が特徴で、バス用のドアエンジンを利用したほか、速度感知式のドアロック機構を装備し、出発・到着時に自動で施錠・解錠をおこなう仕様です。正面下部のスカートは省略。

客室の座席配置はロングシートとされ、キハ38形と同一のバケットシートに加え、肘掛の役割を兼ねた仕切板を座席間に3〜5人毎に配置して着席区分を明確化しています。トイレは設置されず、室内のデッキ仕切りもありません。冷房装置はバス用の機器を流用し、走行用エンジンの余裕出力を用いてコンプレッサーを走行用エンジンで駆動する機関直結式としています。

曳船・YT86号260t型 海上自衛隊

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YT Yard Tugboat

呉基地港務隊
●推進方式:全旋回式
●基準排水量:260t/
●船体寸法:全長28.4m×幅8.6m×深さ3.5m×喫水2.5m


●エンジン:ディーゼル2軸 出力:1800PS
●速力:約11t
●船型:
●乗員:
●船質:鋼

竣工:H12.03.21 造船所:渡辺造船所

●支援船第1種に分類される最新型のタグボート(Tugboat)タイプの大型曳船で海自最大の曳船です。
●旋回式プロペラによって良好な操縦性を得ており、艦艇の入出航時の支援、非自走支援船の曳航を行います。


●離岸時の牽引、接岸時の回頭、操船支援などが主な任務になります。
●船橋上部に放水銃を装備し、消防船としての能力も備えています。
●船内部に居住設備があり、海自艦艇の入出港支援のため、基地以外の他の港湾に遠征も出来るようになっています。


伊予和気駅 JR四国 予讃線

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伊予和気駅(いよわけえき)は松山市の郊外、愛媛県松山市和気町にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。

境内の片隅にマリアの像を浮き彫りにした灯籠があることで有名な五十三番札所の円明寺が駅の近くにあります。駅名標のコメントは勝岡八幡神社「一体走り」の駅。

相対式2面2線(一線スルー)のホームを有する地上駅。旧駅舎は昭和63年に全焼。駅舎は平成2年築、重厚な洋館風の洒落た駅舎です。

待合の内装、上屋の支柱やドアだけでなく天井や灯り取り窓も洋風レトロデザインです。駅機能は左辺で、中央から右に2つテナントスペースがあります。本屋側(1番線)が通過線(制限速度100km/h)となっています。


無人駅だが、近距離用の自動券売機が設置されています。かつては飲食店が入居していたようですが、現在は撤退しています。

2番ホームの裏手には上下両方向から、構内中央で行き止まりとなる2線の留置線があります。


1927年(昭和2年)4月3日 予讃線の伊予北条〜松山間開業と同時に駅が設置される。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。
1988年(昭和63年)4月11日 旧駅舎が全焼。利用客の煙草の火の不始末が原因とされる。
1990年(平成2年) 現駅舎が完成。

電報略号 ワケ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1927年(昭和2年)4月3日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

御領駅 /井原鉄道井原線

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御領駅(ごりょうえき)は、広島県福山市神辺町下御領にある、井原鉄道井原線の駅です。駅周囲は人家も少なく、閑散としています。駅前広場は整備されていますが、駅舎はありません。駅前に13台分のパークアンドライド用、駐車場があります。

 


相対式ホーム上下2面の高架駅で、列車交換設備あり。直接ホームに上がる形の無人駅であるが、高架下に待合所を有する駅です。

待合室とトイレは和風のデザインです。自動券売機等は設置されていません。


御領駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■井原線 下り 神辺方面
2 ■井原線 上り 井原・総社方面
通常の営業列車での使用はないが、1番のりばは総社方面への折り返しにも対応しています。ホーム待合所にはFRP製の椅子が設置されています。

1999年(平成11年)1月11日 - 井原線開業と同時に設置。

駅周辺の名所としては堂々公園(駅から車で7分)この公園は江戸時代に築造された「砂防えん堤」の堆砂敷を利用してつくられた石と緑の調和した公園です。各種イベントやハイキングコースとして利用され、訪れる人々の憩いの場となっています。

 八丈岩(駅から徒歩・車で20分)鬼の足」伝説を伝える八丈岩付近には大きな岩や奇岩が多く、オリエンテーリングのコースも設定され、春にはあたり一面に山ツツジがピンクの花をつけ、ツツジ祭りも行われます。 備後国分寺(から徒歩で13分)奈良時代全国に60数カ所建立された国分寺のひとつです。現在遺構はほとんど残っていませんが、発掘調査で講堂・金堂などの遺構が発見されました。現在の建物は約200年前に再建されたものです。

電報略号 コリ
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1999年(平成11年)1月11日
備考 無人駅

 

 

 

 

痛車 スバルインプレッサ / 魔法少女リリカルなのは

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インプレッサ(IMPREZA)は、スバルブランドを展開する富士重工業が生産・販売する乗用車、ラリーカーです。1992年に発売を開始しました。

レガシィの下位モデルという位置付けで登場し、世界市場=特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割も担っています。日本車としては1代1代のモデルサイクルが長いことでも知られるが、3代目から4代目へのフルモデルチェンジは4年6ヶ月の異例の短スパンで行われました。

乗車定員 5人
ボディタイプ 5ドアスポーツワゴン
4ドアセダン
エンジン EJ15 1.5L/EJ20 2.0L/EJ20 2.0Lターボ
水平対向4気筒
最高出力 280仏馬力/6,400rpm
最大トルク 43.0kgfm/4,400rpm
変速機 4速AT/5速MT/6速MT
駆動方式 4WD
サスペンション 前:ストラット/後:ストラット
全長 4,415mm
全幅 1,695-1,740mm
全高 1,425mm
ホイールベース 2,525mm
車両重量 1,390kg
最小回転半径 5.4m
データモデル セダンWRX

『魔法少女リリカルなのは』独立UHF系各局で2004年10月1日から12月25日にかけて全13話が放送されたテレビアニメ作品。『魔法少女リリカルなのはシリーズ』の第1期作品。

原作となったゲーム『とらいあんぐるハートシリーズ』のシナリオを担当した都築真紀が本作の全話の脚本を担当しました。当初から都築は「ゲームをそのままアニメ化することは難しい」という持論を持っており、原作の『リリカルなのは』は『とらいあんぐるハート』という土壌があって初めて成立するもので、原作の『リリカルなのは』の部分だけをアニメ化しても上手くいかないと考えていたため、登場人物の設定を流用しただけで、内容についてはオリジナルで行くことに決めていました。テレビアニメは当初から深夜のUHFアニメと決まっていたため、深夜帯に視聴する層にアピールするため、派手なアクションを取り入れたとも語っている[1]。本来の都築の魔法少女観は『とらいあんぐるハート3 ビジュアルファンブック』で語られているように、ハートフルな往年の女児向け魔法少女モノのイメージであるが、前述の事情や1クールという短い放送期間の都合で直球で作ると往年の魔法少女ファンすら喜ばない「魔法少女アニメのパロディ・二次創作」に評価が落ち着いてしまうので、それを避けるために本作ではその基本構造は本質的な骨子以外あえて無視している。、原作版の構造はそれとは全く逆で、『とらいあんぐるハート3』までのシリーズをプレイしてきたプレイヤーの中に培われた作品への思い入れを「魔法少女アニメのパロディ」的な様式美の中で発露させることによって、感動へと昇華させる形となっています。


ストーリー前半はいわゆる魔法少女アニメのような感じだったが、なのはのライバルとなるフェイトが登場した辺りから次第に「魔法バトルアクション」と言うべきものになっていった。一方で、恋愛もまた「アニメで表現するのは難しい」テーマだと考えていたようで、原作では重要な要素だった男女間の恋愛というものは本作ではほとんどなく、代わりになのはとフェイトの少女間の友情を描いています。
従来は単なる「道具」としてしか描かれないことが多かった「魔法の杖」を、自立判断し英語で喋るパートナーとして描いています。担当声優にネイティブスピーカーを起用しました。
キャラクターの名称には自動車関連の名称が多く使用されています。
2005年2月に行われたファンイベントの「リリカルパーティ」にて、テレビアニメ版第2期『魔法少女リリカルなのはA's』の製作が発表され、同年10月から12月まで放送されました。2010年1月にはアニメ映画『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』が公開されました。

5月17日(金)のつぶやき

泉佐野駅 /南海電気鉄道

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泉佐野駅(いずみさのえき)は、泉佐野市の代表駅かつ、空港線が分岐する運行上の拠点駅で、特急列車を含む全列車が停車しています。大阪府泉佐野市上町三丁目にある南海電気鉄道の駅。駅番号はNK30。

用地買収の遅れから、開港に遅れること15年...2008年に周辺整備も含めて事業が完了となりました。

上り高架ホーム完成後しばらくは、駅コンコースへの階段は西口寄りにあり、駅東口方面へ抜けるには、2007年6月18日までは連絡地下道を通る必要があったが、翌19日に、かつての連絡地下道が封鎖され、地下道跡を迂回する形で地上に新設された仮自由通路により駅東口側へ抜けられるようになった。この仮通路は、駅周辺整備工事の進捗に伴い、何度かルート変更された。


さらに、2008年7月1日には、駅ラッチ外自由通路のうちの東半分および駅前広場の一部が完成し、同時に、改札階へのエレベーター・上り専用エスカレーター・車椅子用スロープが供用開始された。その代わりに、駅西口方面へは仮通路による連絡となったが、同年10月1日に自由通路の西半分も供用開始され、駅設備は全て完成した。
改札口は1ヶ所のみで、改札階は東西自由通路よりも幾分高い位置(中二階)となっている。改札階から各ホームへもエレベーター・エスカレーターで結ばれており、先述の設備とも相まって、バリアフリーは徹底されている。

 

*南海本線 *空港線 - 当駅が起点であるが、ほとんどの列車が南海本線なんば方面と直通する。和歌山市方面と関西空港方面との間はこの駅で乗換となる。南海本線の区間急行はこの駅以南で各駅に停車する。堺駅・泉大津駅とともに、緩急接続がほぼ終日行われている。当駅を出たほとんどの普通は上り列車が泉大津駅まで、下り列車は和歌山市駅までそれぞれ先着する。

待避設備を備えた島式3面4線のホームを持つ関西空港の玄関口にふさわしい近代的な高架駅です。南海本線と空港線は方向別にホームを共用する。空港線の起点駅であるため、1番のりば中央付近の向かい側に、同線の0キロポストが設置されている。

のりば 
1 (下り待避線) ■南海線 和歌山市方面
■空港線 関西空港方面
2 (下り本線) ■南海線 和歌山市方面 (下り本線到着列車の乗降は通常こちらから)
■空港線 関西空港方面
3 ■南海線 和歌山市方面 (降車及び4番のりばからの乗り換えのみ)
■空港線 関西空港方面
4 (上り本線) (5番のりば到着列車からの、降車及び3番のりばへの乗り換え専用。このホームからは乗車不可)
5 ■南海線 なんば方面
6 (上り待避線) ■南海線 なんば方面
2番のりばと3番のりば、および4番のりばと5番のりばは、それぞれ線路を共有しており、列車は両側の扉を開けることが可能な構造となっている。これらののりばを発着する電車は、原則として、先に進行方向左側(2・5番のりば側)、続いて右側(3・4番のりば側)の順に扉が開けられる(閉扉は逆に右→左の順)ことになっているが、上り最終電車の発車後は、乗り換えホームが閉鎖されるため、それ以降発着する下り電車については、右側の扉を扱わない。
また、和歌山市駅・関西空港駅方に上り線から下り線へ入れる渡り線がある。これは当駅始発の和歌山市行きの普通や関西空港行きの普通が羽倉崎駅から回送される時に使われる。また空港線からの当駅どまりの電車もこの渡り線を使って回送される。 2005年11月の高架化工事の試運転時には試運転の車両が構内を行き来するためにも使われた。

2005年11月27日の上下線高架化完成に伴い、この駅では「ホーム・ツー・ホーム乗り換えサービス」と銘打ち、和歌山市方面から関西空港方面へ乗り換える場合および関西空港方面から和歌山市方面へ乗り換える場合は、一部の列車を除き、階段やエレベーター等により上下移動をすることなく、直接乗り換え専用ホーム(4番のりば→3番のりば)を用いて対面乗り換えをすることが出来るサービスが開始された。
なお、以下の行為については、危険防止のため禁止されており、その旨の案内表示や啓発放送が行われている。
乗り換え専用ホームを用いて4番のりばから難波方面行きの電車に乗車すること、または乗り換え専用ホームの階段など(降車専用)を逆行して乗車すること。なお、4番線ホームにのりば案内は有るものの行先欄は空白になっている。また、発車案内機は設置されている。
2・3番のりば又は4・5番のりばに停車中の電車を通り抜けてホーム間を移動すること。
従って、6番のりばに発着する難波行き普通車から1・2番乗り場到着の列車へ乗り換えを行う場合や4・5番のりば到着の列車から1番のりばの普通車に乗り換える場合は阪神尼崎駅や近鉄伊勢中川駅のように乗換えホームは使えないことになるため、一旦コンコースを通らなければならない。
関西空港行きの接続列車が「ラピート」の場合は、ワンコインでレギュラーシートに乗車できる100円特急券を発売している。このため、和歌山市方面からの特急「サザン」は、空港急行から「ラピート」に接続するように改正された。
24:00以降に発着する下り列車については例外となり、3番線(降車ホーム)のドア扱いを行わない。この時間には既に上り電車の営業運転が終了しているためと考えられる。
2007年秋頃、乗り換えホームの肉声案内放送が一段落した直後、出発時機合図音に先だって4番のりば側のドアを閉めるようになった。3番のりば(下り列車)は従来通り出発時機合図音の後に閉扉する。それまでは上り列車の出発時機合図音鳴動後に、4番のりば→5番のりばの順に閉扉を行っていた。

1897年(明治30年)10月1日 - 南海鉄道が堺駅 - 佐野駅間で開業した際に、佐野駅として開業。開業後1ヶ月間は終着駅であった。
1897年(明治30年)11月9日 - 南海鉄道が当駅から尾崎駅まで延伸、途中駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日 - 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
1947年(昭和22年)6月1日 - 路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
1948年(昭和23年)4月1日 - 泉佐野駅に改称。
1968年(昭和43年)10月1日 - 特急停車駅から、特急通過・急行停車駅に降格。
1985年(昭和60年)11月1日 - 約17年ぶりに、再び特急停車駅に昇格。
1994年(平成6年)6月15日 - 南海空港線開業。
2002年(平成14年)5月26日 - 上り線のみ高架化。
2005年(平成17年)11月27日 - 下り線高架化(暫定的に完全高架化)。
2006年(平成18年)
4月18日 - 新型駅売店「nasco+」(ナスコ・プリュス)が開店。
4月19日 - 新駅舎完成。
2007年(平成19年)6月19日 - 改札口から駅東への連絡地下道を封鎖し、地上部を通る仮自由通路に切り替え。
2008年(平成20年)10月1日 - 高架化工事・駅前広場およびラッチ外コンコース(駅東西連絡自由通路)の整備工事が完成。

電報略号 サノ
駅構造 高架駅
ホーム 島式 3面4線
乗降人員
-統計年度- 21,295人/日
-2009年度-
開業年月日 1897年(明治30年)10月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■南海本線
キロ程 34.0km(難波起点)
◄NK29 井原里 (1.6km)(2.1km) 羽倉崎 NK33►
所属路線 ■空港線
キロ程 0.0km(当駅起点)
(1.9km) りんくうタウン NK31►
備考 *1948年 佐野駅から改称

 

 

 

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