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赤野駅 土佐くろしお鉄道阿佐線

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赤野駅は、高知県安芸市赤野乙にある、土佐くろしお鉄道阿佐線(愛称:ごめん・なはり線)の駅である。駅番号はGN30。駅北方すぐを国道55号が走っており、沿道に飲食店が数軒ある。

駅南方から松原を挟んで太平洋を見渡すことができる。


徒歩15分程のところに有光酒造場があり、年に一度の酒蔵開放の日には一部の快速列車も臨時停車する。

単式ホーム1面1線を有する高架駅。駅舎はのない高架駅です。

駅入口は海側となります。ホームは線路から見て北側(安芸方面に向かって左側)にある。

地上には休憩所が設けられている。駅員無配置駅となっており、直接ホームに上がる形になっている。ホーム上の待合室は密閉スペースと開放スペースがあります。

2002年(平成14年)7月1日 - 開業。
なお、1974年(昭和49年)3月31日まで、土佐電気鉄道安芸線に赤野駅が存在(場所は異なる)したが同線の廃止により廃駅となっている。

イメージキャラクターは鴎をモチーフにしたキャラクターで、名称は「あかの カモメちゃん」。モニュメントが休憩所手前、国道側に設置されています。

電報略号 カノ
駅構造 高架駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 2002年(平成14年)7月1日
備考 無人駅

 

 


南福岡駅 JR九州 鹿児島本線

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南福岡駅は、福岡県福岡市博多区寿町二丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅です。


鹿児島本線の多数の列車の運転士が当駅で乗務交代する。待避駅でもあり、待避線側(下り:2番線、上り:4番線または5番線)で特急の通過待ちをする列車も多く、また隣接して南福岡車両区があるため、待避線を使用して分割・併結を行う列車も存在する。また、車両故障が発生した場合、当駅で列車を交換する場合もある。


なお上りの待避線は、南福岡駅下り方の春日駅の上り方すぐの所から、南福岡駅上り方の西鉄天神大牟田線がオーバークロスする手前の所まで設置され運用されている。駅周辺、また近隣の商店街周辺は風俗店が大変密集する地域で、俗に「雑餉隈ヘルス街」と呼ばれていた。しかし地元住民の要望による警察の一斉摘発で、風俗街としての面影はなくなった。

南福岡駅は元々雑餉隈の近辺に設けられる予定だった駅であることから「雑餉隈駅」(ざっしょのくまえき)として開業し、営業していた。南福岡電車区開設により「雑餉隈」行きの列車が設定されるようになったが、難読駅名だったことから、一部の利用客から行き先がわかりづらいという苦情が殺到し改称された。この際、南福岡電車区が隣接していることから南福岡駅に改称されたと言われる。
なお、西日本鉄道にも雑餉隈駅があるが、こちらは普通列車のみが停車する駅であり、そのまま現在に至っている。

列車の待避や乗務員交代などを行うため停車時間が長くとられている。さらに南福岡車両区へ出入りする車両が徐行で移動するため、駅の博多寄りにある「相生踏切」はいわゆる「開かずの踏切」となっている。
「相生踏切」は福岡県道49号大野城二丈線が通っており、特に朝夕の通勤ラッシュ時間帯は踏切待ちの渋滞が発生している。以前から渋滞解消策として、線路下をくぐるトンネル方式の立体交差が有力視されているものの、踏切東側の住民の一部がこの立体交差工事に難色を示していると言われており、工事開始のメドがたっていない。しかし住民の要望により歩道橋が完成し歩行者に対する踏切待ちは軽減された。


博多方面から入区する回送列車は、上り待避線ホームへ到着ののち、運転方向を変えて博多方に設置されている引き上げ線へ進み、再び運転方向を変えて南福岡車両区の留置線へ入る。このように最低3回「相生踏切」を通過しなければならず、車両区内での車両入換や、出入庫時は同踏切上で踏切を塞いで停車する場合も多く、改善が要求されている。踏切通過回数を減らす改善策として、側線北端の上り線へ入るポイントを利用し下り線から上り線を経て側線に入る、渡り線(両渡り付交差(ダブル・スリップ・スイッチ、DSS)方式の設置が検討されているが、現段階では未定となっている。

3面5線の地上駅構造で、東側の駅ビルから島式ホーム2面4線と単式ホーム1面1線を有する。
以前の木造駅舎が1994年(平成6年)の放火で焼失して仮駅舎となったが、1999年(平成11年)に駅ビル式の駅舎に改築された。駅ビルは鉄骨鉄筋コンクリート9階建、1〜2Fは店舗、3〜9Fが賃貸マンションの構造で、改札口は2Fにある。隣にはJR九州管内最大の南福岡車両区が所在し、5番乗り場奥に多数の電車が停まっているのが見える。このため、春日市側に出入口はなく、陸上自衛隊福岡駐屯地方面へは、迂回して両端の踏み切りを渡る必要がある。かつて旧駅屋にトランドールが併設されていたが、駅舎建替え時に閉店、かつての店舗があった所にはミスタードーナツが所在する。改装後のトランドール自体は、駅ビル1階のフレスタ南福岡内で営業している。駅1Fにフレスタ南福岡があり、マックスバリュエクスプレスやトランドール、如水庵が入居している。


直営駅で、みどりの窓口が設置されている。また、同じ場所に旅行センターJR九州旅行が配置されている。
自動放送が導入されており、JR九州管轄内では唯一特急通過駅で女声放送と男声放送(通過時のみ)の両方の放送を採用している駅である。かつては国鉄の九州管内で使用されていた所謂カラカラベルが使用されていた。
JRの特定都区市内制度における「福岡市内」の駅であり、鹿児島本線では最も南になる。


のりば
1・2 ■鹿児島本線(下り) 二日市・鳥栖・久留米・大牟田方面
3・4・5 ■鹿児島本線(上り) 博多・香椎・赤間・小倉・門司港方面


1890年(明治23年)1月20日 - 雑餉隈駅(ざっしょのくまえき)として九州鉄道(初代)が開設。当初は大野城市にある本来の雑餉隈町に設置される予定であったが、地元住民が反対運動を起こしたため、現在の場所に路線を変更して設置された。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され、国有鉄道の駅になる。
1922年(大正10年)6月 - 2代目駅本屋完工。
1960年(昭和35年)10月14日 - 南福岡電車区開設。
1966年(昭和41年)11月1日 - 南福岡駅に駅名改称。
1987年(昭和62年)
2月5日 - みどりの窓口開設。
4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)が承継。
1994年(平成6年) - 放火により駅本屋が焼失。
1999年(平成11年)7月 - 駅ビル完成と同時にJR九州では初となる自動改札機を設置。
2006年(平成18年) - 改札内エレベーター設置によりバリアフリー化(改札外は駅ビル完成と同時に設置)。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 ミフ
サマ(雑餉隈駅時代)
駅構造 地上駅
ホーム 3面5線
乗車人員
-統計年度- 9,009人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1890年(明治23年)1月20日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
福 福岡市内駅
* 1966年に雑餉隈駅から改称。

 

郡中港駅  伊予鉄道郡中線

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郡中港駅(ぐんちゅうこうえき)は、愛媛県伊予市米湊にある伊予鉄道郡中線の駅。郡中線の終点駅である。道路を挟んで四国旅客鉄道(JR四国)予讃線伊予市駅があります。市内へはJRの方が早く便数は伊予鉄。

片側1面1線のホームを持つ有人駅である。2階建ての木造駅舎です。駅前のスペースは無く車の横付けは困難です。


駅の立地上待避線がありません。そのため2編成以上の待機が出来ないので下り電車は、当駅で数分の待ち時間の後、折り返し運転にて上り松山市駅行きとなります(交換、待避は地蔵町駅か松前駅で行う)。
タクシー乗り場は向かいのJR駅前にあり、そちらを利用できる。
バス停留所は駅の前にある。


のりば
1 ■郡中線   松前・余戸・土居田・松山市方面 
ホームには緩いスロープで連絡されています。
 

駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 469人/日(降車客含まず)
-2005年度-
開業年月日 1939年(昭和14年)5月10日 開業。

  

 

あなご飯 宮島 花菱

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あなご飯は広島県の瀬戸内地域の郷土料理です。写真は宮島内、「宮島桟橋」のすぐ近くにある花菱です。

本来は、瀬戸内の漁師料理が発祥とされています。アナゴの旬は1月中旬と夏。特に1月中旬のものが最高と言われています。
瀬戸内のアナゴを蒲焼きにし、「うな丼」のように盛りつけて食べる。

駅弁としても有名で、宮島口駅や広島駅で購入可能。特に、宮島口駅近くの「うえの」では駅弁の種類を増やさず、「あなごめし」一本で商売を行っている事で知られています。昔から、地元地御前で、網でなく一本釣りで釣れた穴子だけを直接漁師から買い付けています。(+o+)
また、「うえの」では駅弁の他、店内であつあつのあなご飯を食べる事が出来ます。

花菱
〒739-0588 広島県廿日市市宮島町856 電話 0829-44-2170

オート・メラーラ 127 mm 砲 海上自衛隊

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海上自衛隊の「たかなみ型護衛艦」と「こんごう型ミサイル護衛艦」の主砲に採用されているオート・メラーラ 127 mm 砲です。

オート・メラーラ 127 mm 砲 (Oto Melara 127 mm gun) は、イタリアのオート・メラーラ社が開発した艦載砲システム。高発射速度と軽量化を両立し、優れた性能を有する。従来使用されてきた54口径長モデル (127/54 Compact) に加え、近年、新型の長射程弾に対応した軽量化64口径長モデル (127/64 Light Weight) も開発されました。

オート・メラーラ 76mmコンパクト砲のスケールアップ・モデルとして、オート・メラーラ社によって開発された速射砲システム。この当時使用されていたMk 42 54口径5インチ単装速射砲と同等以上の発射速度を維持しつつ、問題視されていた砲塔の重量化を解決し、40.6トンまでの軽量化を実現。
アメリカ海軍がMk 42の後継として開発したMk 45 5インチ砲とは異なるアプローチとして各国海軍より注目され、開発国イタリアをはじめとして、カナダ海軍や日本の海上自衛隊、韓国海軍などでも採用されました。

本砲システムは、露天甲板上の砲塔部と、その直下の即応弾マガジン・ドラム、さらにその下の下部揚弾ホイストおよび管制室より構成されます。
弾薬は、弾火薬倉から人力で取り出されて2系統の下部揚弾ホイストに給弾され、即応弾マガジン・ドラムに装填される。使用する弾薬は半固定弾薬で、Mk 42などで使用されるアメリカ軍の54口径127ミリ砲用の弾薬も使用可能です。また、新型の64口径長モデルにおいて対地支援射撃に使用するため、ヴォルケーノ減口径弾も開発されています。
即応弾マガジン・ドラムは3つ設置されており、砲塔旋回軸を中心に等間隔で配置され、各22発(計66発)が装填されている。各ドラムには異なった種類の弾薬を装填可能であり、従って、最大で3種類の弾種を即応準備弾として用意することができます。127/64 Light Weight では4つのドラムに各14発が装填される。
マガジン・ドラムに装填された弾薬は、コントロール・パネルの操作で必要な弾種が選択され、砲塔軸上に設置された上部揚弾ホイストによって砲塔内に運弾される。砲塔内の弾薬装填装置上で信管が調整され、砲に装填されることになる。発砲後、薬莢は砲身下部の排出口より砲塔外に排出されます。
砲塔は完全防水構造の強化プラスチック製シールドを備えており、Mk 45と同様、砲塔内は無人化されています。ただし下部揚弾ホイストへの給弾は人力であり、各ホイストあたり少なくとも2名の給弾手が必要であり、最大発射速度で発砲する場合、8名が配置されます。

2003年より、オート・メラーラ社は本砲の砲塔を軽量化するとともに砲身を64口径長に延長し、ヴォルケーノ減口径弾の射撃能力を付与する計画を実施。この計画に基づいて開発された砲は127/64ライト・ウェイトと呼称され、砲塔重量は25トンに軽量化されているが、発射速度は毎分35発に低下し、旋回速度も遅くなっており、対空射撃の比重が減ったかわりに、対地支援が重視されているものと見られています。
ヴォルケーノ減口径弾は推進薬と弾丸が一体化したユニタリー弾 (単弾頭弾) で、ペイロードは従来の半分に過ぎないが、射程は、従来弾の16キロメートルに対し約120キロメートルにまで延伸される。
通常砲弾のほか、対水上射撃を主眼とした赤外線誘導弾、沿岸射撃を主眼としたINS/GPS誘導弾が開発されています。

海上自衛隊は従来の汎用護衛艦では、はつゆき型以降オート・メラーラ製の76ミリ(コンパット)速射砲が装備されていたが、たかなみ型ではオート・メラーラ製の127ミリ砲が装備されました。これは、むらさめ型が76ミリ砲を搭載したことに対して、満載排水量で6,000トンにも及ぶ艦体に比してやや過小であるとの指摘がなされたことへの対応であると同時に、ヘリコプター搭載護衛艦としてはるな型(43/45DDH)を代替するひゅうが型(16/18DDH)が主砲を装備していないため、護衛隊群当たり127ミリ砲2門の火力減となることへの危惧と退役護衛艦「ながつき」を標的に行われた実艦的射撃訓練において76ミリ砲の対艦攻撃能力の低さが露呈したことも影響していると思われます。
この127ミリ砲はこんごう型に装備されているものと同様で、毎分40発程度の発射が可能である。127ミリ砲(弾重量32kg程度)は76ミリ砲(弾重量6kg程度)の毎分100発に比べると発射速度は低いが、射程距離と一発あたりの破壊力が向上したために、総体としての対空火力は拡大しています。
また、砲弾の威力が重視される対艦、対地攻撃能力も向上。さらに新規開発された76ミリ砲用の05式近接信管と新型の狭指向性HE弾頭とセットでの近接防空能力が確認されれば、今まで見送られてきた127ミリ砲用の新近接信管の開発も進む可能性があり、艦隊全体の近接防空能力の向上も期待しうる。なお、本級では対地・対艦射撃については、射撃指揮装置2型(FCS-2)を用いないモードがシステムに組み込まれています。
127ミリ砲の重量はシステム全体で40トン近くあり、約7.5トンしかない76ミリ砲に比べると約5倍あるため、艦内構造はかなりの変更が施された。(砲塔の重量支持も、76ミリ砲は上甲板支持だが、127ミリ砲では下層甲板支持であり異なる。)76ミリ砲搭載のむらさめ型より砲と艦体の大きさの釣り合いが取れた艦容となったが、VLSを統合させたこともあって艦体前部の重量が大きくなり、むらさめ型よりも凌波性能は悪化しました。
艦の前後に搭載された高性能20ミリ機関砲2基は、主として対空迎撃に使用されるが、FCS-2と連接することにより対水上射撃を行うことも可能です。
なお、4番艦からはオペレーターが赤外線カメラを目視しながら対水上目標への射撃が可能なブロック1bに変更されました。また、艦橋構造両舷のフラット前部に12.7mm重機関銃M2の銃座が設置できるほか、簡易マウントを使用してさらに74式車載7.62mm機関銃などの増設も可能です。

口径 127 mm (5 インチ)
システムの重量 37.5t (砲弾を除く、64口径型では25 t)
弾倉 66発 (3台のドラムに装填した場合)
弾丸重量 888 mm 砲弾: 15.44 kg
665 mm 砲弾: 31.75 kg
発射速度 45 発/分
連続発射可能弾 44発
上下角 最低俯角 -15°
最大仰角 +83°
射程 ±30 km (誘導式VOLCANO弾の場合100 km)
回転制限 右舷と左舷に165°(全部で330°)
回転速度 40°/s (加速度 45°/s2)
上昇速度 30°/s (加速度40°/s2)
冷却 水冷式
発射間隔 40 rds/分
電力供給 440V, 3相交流, 60 Hz (275kVA - 20% 最大出力0.4秒)

 

伊予横田駅 JR四国 予讃線

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伊予横田駅は、愛媛県伊予郡松前町横田にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅である。
周辺は農村地帯です。

所在地は伊予郡松前町ですが、伊予市との境に近く、人口の多い伊予市下三谷地区の人の利用の方が多い。

松山への通勤通学に利用する客が中心の駅です。

松山駅高架化の際には、隣の北伊予駅との間に貨物駅・車両基地が建設される予定です。このため日本貨物鉄道(JR貨物)の第二種鉄道事業免許は伊予横田駅まで残されています。

単式1面1線の地上駅。ホームの南には自転車置き場と小さなコンクリート造りの待合所が設置されています。

片面ホームには待合スペースが設置されています。
無人駅で、ホーム上に自動券売機があります。隣接して踏切があります。

電報略号 ヨコ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1961年(昭和36年)4月15日
備考 無人駅

 

明石焼き /玉子焼

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玉子焼は、鶏卵、出汁、浮粉(うきこ)または沈粉(と呼ばれる粉と小麦粉・タコを材料に調製される軽食で、兵庫県明石市の郷土料理です。地元の明石市または東播磨以外の地域では、卵を調理した卵焼きと区別するため、明石焼き(あかしやき)と呼ばれることが多い。明石にずっと住んでいる年配者では、「タマゴヤキ」ではなく「タマヤキ」と呼ぶ者も多く、明石の寺町(大観校区)の玉子焼店では今でも「タマヤキ」で通じるとのこと。

柔らかく、直径5cm程度の球形が自重で押し潰れたような形をしており、見た目はたこ焼きに似ている。江戸時代の終わり頃から食べられていて、たこ焼きの元になった食べ物といわれています。
材料に鶏卵を使う点、生地が非常にやわらかい点、小麦粉以外に沈粉と呼ばれる小麦でんぷんの粉を使う点、焼き板が熱伝導が良い銅製である点、明石焼きを裏返すのに銅製の焼き板を傷つけないよう、金属製の道具を用いず菜箸を使う点、具が基本的にタコのみである点などが、いわゆる大阪のたこ焼きとは異なります。焼く際に焼き板に曳く油に胡麻油を用いる店舗がある。店によっては、タコ以外にこれも明石名産の穴子を具として入れているところもある。
小さなまな板状の木製の皿に盛り付けられ、添えて出される出汁に浸けて食べる。この出汁に浸して食べるスタイルこそが、玉子焼きの最大の特色である。元々は熱い玉子焼を冷まして食べるために存在していた物であり、温度は常温であったが、現在では温めた出汁や常温の出汁を提供する店など様々である。出汁に薬味として三つ葉を浮かべて出す店舗も見られます。また、その出汁は持ち帰りの場合に口を輪ゴムで縛ったビニールの小袋に入れられて渡される場合が多い。


まな板状の木皿は手前が低く奥が高くなっています。これは、皿の洗浄の際に同方向に重ねると水切りがよいためや、奥の柔らかい玉子焼を取りやすい為等諸説あり、また玉子焼が柔らかくまた崩れやすく、焼き板から木皿に取り出しにくいため(大阪のたこ焼きだと千枚通しで刺して持ち上げられる)、焼き板の上に木の板をかぶせ焼き板ごと裏返して板状の木皿に乗せる。その時の持ち手がついているため、今のような形になったとも言われています。また、この焼き板を裏返しにして木皿の上に玉子焼きをのせる動作も、玉子焼を焼く上でのひとつの見せ品だと言う。

 

明石焼・乱
住所:兵庫県明石市松の内2丁目4‐10 ユタカ第一ビル1階
営業時間:12:00〜22:00

 

消防車 /航空自衛隊

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航空機が離着陸する場所では、消防車の配置が義務付けられています。さらに、大量の燃料を扱う基地での火災は、即、大規模な災害の結び付きます。航空自衛隊基地に配備されている消防車です。航空機の火災等に使用する物ではなく、陸上自衛隊の駐屯地業務隊に配備されているものと同様、基地内の建物火災等に使用される水槽付ポンプ車です。

悪路や不整地で火災等の災害が発生した場合でも、消火・救助活動ができるように前後輪駆動を採用した車両です。航空機や建造物の消防活動・火災予防を行ない、基地を守っているのが消防小隊。要請があれば、近隣火災にも出動します。航空自衛隊は専門の教育を受け、専任従事となっています。まず消防初級教育を受け、そしてさらに再入校し上級教育へと進む。

側面にはホース、側面上部にはハシゴ、上面前方には放水銃。

 

排出量  2080L/min
全長  7200mm
全幅  2500mm
全高   2800?
重量   9.8t
最高速度 95?/h以上
出力   195ps/2900rpm
燃料   100L軽油
水量   2500L

ISUZU自動車



松丸駅 JR四国予土線

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松丸駅(まつまるえき)は、松野町の中心に位置し愛媛県北宇和郡松野町松丸にある四国旅客鉄道(JR四国)予土線の駅です。

駅番号はG38。松野町の中心部。駅周辺は旧街道沿いに昔ながらの店舗の建ち並ぶ松丸商店街となっており、役場、農協、伊予銀行松丸支店等の施設も集積しています。

商店街の一角には、松丸名物のうなぎ料理店もある。また、ホームから川を挟んだ対岸は道の駅を併設する虹の森公園がある。

駅前に芝不器男句碑が立つほか、町内各地に句碑があります。

JR四国では初の温泉付き駅舎です。正面が駅待合室・きっぷ売場、右側にギャラリー・多目的室、そして左側が温泉の入口です。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。

かつては交換駅だった様子で線路も駅の前後で大きくカーブしています。

駅舎は「松野町ふれあい交流館」との合築で、2階には「森の国ぽっぽ温泉」という温泉施設も入っている。

なお、「森の国ぽっぽ温泉」は2008年6月1日よりJR四国のグループ企業であるジェイアール四国アーキテクツが指定管理者となって運営しています。

駅舎内の開放的な待合室には長椅子が設置されています。簡易委託駅となっている。観光案内所で切符を販売しています。

1923年(大正12年)12月12日 - 宇和島鉄道の駅として開業。


1933年(昭和8年)8月1日 - 宇和島鉄道国有化。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国に継承。

電報略号 マル
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1923年(大正12年)12月12日
備考 簡易委託駅

 

 

吉備真備駅 /井原鉄道井原線

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吉備真備駅(きびのまきびえき)の駅名は、奈良時代の政治家で、遣唐使に任命された吉備真備の故郷であることに由来してます。人名と駅名は「まきび」ですが、町名は「まび」です。旧真備町の中心、岡山県倉敷市真備町箭田別府後1102-11にある、井原鉄道井原線の駅。

相対式ホーム2面2線で列車交換が可能な高架駅。直接ホームに上がる形の無人駅であるが、駅北側の文具店(有限会社太田文具)にて乗車券の購入が可能(休日・年始を除く)であるため、簡易委託駅の扱いを受ける。

高架下には土蔵風の装いの待合所が設けられています。自動券売機は設置されていません。

待合室には三方に長いすが設置されています。


真備中央病院や介護老人保健施設・ライフタウンまびに隣接しているにも関わらずバリアフリー対策が不十分で、エスカレータ・エレベータが設置されていないため階段を使う方法しかアクセス方法がありません。

パークアンドライド用に、駅前に30台分の駐車場があります。

吉備真備駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■井原線 下り 井原・神辺方面
2 ■井原線 上り 清音・総社方面
通常の営業列車での使用はないが、2番のりばは神辺方面への折り返しにも対応している。井原線の駅では大きめホーム待合所があります。

1999年(平成11年)1月11日 - 井原線開業と同時に設置。

沿線には、まきび公園:門窓、六角亭、中の池、下の池など中国の香りがする公園(駅から徒歩で15分(約1km)  箭田大塚:この古墳は、県下三大巨石古墳の一つ。内部の石室は巨石を用いた横穴式で、入口の羨道とその奥の玄室とからなっている。明治34年の調査で、須恵器・土師器・刀剣・馬具・金環・勾玉等が発見されました。(駅から徒歩で30分(約2km)  吉備寺:真言宗御室派で吉備真備公の菩提寺、箭田大塚の出土品、また国の重要文化財指定の白鳳時代の蓮華文鬼瓦と当時の礎石などを保存しています。(駅から徒歩で15分(約1km)があります。

電報略号 キマ
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1999年(平成11年)1月11日
備考 簡易委託駅(駅舎外発券)

 

北伊予駅 JR四国予讃線

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北伊予駅は、松前町と伊予市の境界付近の農村地帯である愛媛県伊予郡松前町神崎にあります。古い住宅街の中で町の中心からは離れた場所になります。四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。


松山駅周辺鉄道高架事業の関連で改良、及び当駅の南(宇和島側)約1キロへの車両貨物基地の設置(松山駅からの移転)が予定されています。

かつては当駅付近で分岐し、高知方面へとつなぐ路線(予土線)が構想されたこともありました。駅前には伊予鉄道のバスのりばがある。

相対式2面2線(一線スルー)のホームを有する地上駅。瓦屋根の木造駅舎です。駅前には南国ムードの大きなソテツが目立っていました。

ホームは嵩上げ工事されています。またホームは屋根無し跨線橋で結ばれています。現在は無人駅。本屋側(1番線)が通過線(制限速度100km/時)となっています。

待合室には自動券売機と長椅子、装飾飾りがありました。

1930年(昭和5年)2月27日 - 予讃線の松山〜南郡中(現伊予市)開業と同時に設置。
1986年(昭和61年)3月3日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる

キロ程 200.3km(高松起点)
電報略号 キイ
駅構造 地上駅


ホーム 2面2線
開業年月日 1930年(昭和5年)2月27日
備考 無人駅(自動券売機 有)

市坪駅 JR四国 予讃線

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市坪駅(いちつぼえき)は、戦後に片面ホームの無人駅として開業しました。愛媛県松山市市坪西町にある、四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。


松山市出身の俳人正岡子規の幼名「升(のぼる)」に因む「野球(の・ボール)駅」という愛称がある。無人駅ながら、隣接する松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)のプロ野球や愛媛県武道館のコンサートなど大規模イベントが開催される場合には、松山駅の係員が派遣対応いたします。また、ホーム幅が狭く転落のおそれがあるため、多客時には入場制限が行われることがあります。駅東側は住宅街になっています。

相対式ホーム2面2線。駅舎はなく、築堤上にホームが設置されています。両方のホーム上に簡易型の自動券売機が設置されています。折り返し用の引き上げ線を1線有する。


1 ■予讃線 (下り) 伊予市・内子・伊予長浜・伊予大洲・八幡浜・宇和島方面
2 ■予讃線 (上り) 松山・伊予北条・今治・伊予西条方面
1番線が一線スルー(速度制限なし)の通過線となっている。
臨時停車する上り特急列車は、通過時と同じく1番線に入線するが、プロ野球観客輸送などの特に乗客の整理が必要な場合は2番線に入線する。
なお、下り列車で市坪止まりの場合は、引き上げ線の関係で2番線に入線する。
また、地形の関係でホームの有効長が90m(4両分)しか無いので、5両編成以上の列車が停車する場合、ホームにかからない車両のドアは開かない。
ホームの階段は1番線が中央寄り、2番線が北伊予方にある。

開業以前の1935年(昭和10年)頃には、当駅付近に臨時駅が設置されていた。椿宮仮乗降場と称していたとする資料もあります。

子規は日本に野球が導入された最初の頃の熱心な選手でもあり、1889年(明治22年)に喀血してやめるまでやっていました。ポジションは捕手。自身の幼名である「升(のぼる)」にちなんで、「野球(のぼーる)」という雅号を用いたこともある(ただしベースボールを野球(やきゅう)と訳したのはこれより後、中馬庚が始めである。野球を参照のこと)。また「まり投げて見たき広場や春の草 」「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす 」などと野球に関係のある句や歌を詠むなどしており、文学を通じて野球の普及に貢献したといえます。これらのことが評価され子規は2002年(平成14年)、野球殿堂入りを果たしました。
なお、子規が「野球」という雅号を用いたのは中馬庚が「ベースボール」を「野球」と翻訳する4年前の1890年(明治23年)です。つまり、「ベースボール」を「野球」と最初に翻訳したのは中馬庚であるが、読み方は異なるが「野球」という表記を最初に行い、さらに「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライボール」「ショートストップ」などの外来語を「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」「短遮(中馬庚が遊撃手と表現する前の呼び名)」と日本語に訳したのは子規であるとのこと。

1964年(昭和39年)10月1日 市坪駅として開業。当初棒線駅。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。
2002年(平成14年)7月13日 輸送力増強工事が完成、相対式の交換駅となる。同時に愛称「野球(の・ボール)駅」が付与された。

電報略号 チホ
駅構造 盛土駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 678人/日
-2005年-
開業年月日 1964年(昭和39年)10月1日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 

痛車 初音ミク(スズキ・スイフト)

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初代(日本国外の市場でいう3代目)はワゴンR+(現・ソリオ)のプラットフォームを用いた廉価な小型車ということを強調した販売がされたが、2代目(日本国外の市場でいう4代目)は世界市場における販売を視野に入れボディ、デザイン、プラットフォームなど全てを一から開発、自動車の基本である「走る・曲がる・止まる」をしっかり作り込んだ車種として日本国内のみならず、世界各国から高い評価を得た。3代目(日本国外の市場でいう5代目)は2代目のキープコンセプトとしつつ、各部を新設計することでさらなる進化を遂げています。


初代からジュニアWRCに参戦しており、ジュニアWRC参戦車をイメージしたホッテストハッチ、スイフトスポーツ(SWIFT SPORT)も高い評価を得ています。
初代は日本国外ではイグニス(IGNIS)の名前でも販売されていたが、2代目から世界共通でスイフト(SWIFT)とされています。

初音 ミクは、クリプトン・フューチャー・メディアから発売されている音声合成・デスクトップミュージック(DTM)ソフトウェアの製品名、およびキャラクターとしての名称です。
ヤマハの開発した音声合成システム「VOCALOID2」を採用したボーカル音源の1つで、メロディと歌詞を入力することで合成音声によるボーカルパートやバックコーラスを作成することができます。また、声に身体を与えることでより声にリアリティを増すという観点から女性のバーチャルアイドルのキャラクターが設定されています。

三津浜駅 JR四国 予讃線

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三津浜駅(みつはまえき)は、夏目漱石の「坊っちゃん」で主人公が上陸した地として有名です。愛媛県松山市会津町にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。この駅から港までは少し離れています。駅名標のコメントは「坊っちゃんゆかりのターナー島の駅」。

かつては一部の特急が停車していたが、列車の高速化で特急停車駅から外れたので、地元の高校生達が主な利用客です。松山市三津地区の玄関駅は伊予鉄三津駅なので、駅前は少し寂しい。三津浜駅から三津駅までは伊予鉄道によりバスが運行されています。

2面2線(一線スルー)のホームを有する地上駅。駅舎は平成2(1990)年にリニューアルされました。駅本屋の一部でうどん屋が営業している大きな木造駅舎です。駅舎の屋根に灯り取りの窓が目につきます。本屋側(1番線)が通過線(制限速度100km/時)となっています。かつては2面3線だったが、3番線の線路が撤去され現在の構造になっています。ホームは屋根なしの跨線橋で結ばれています。


かつての通票閉塞時代の信号扱い所跡等や腕木信号用のケーブル跡などが、典型的な単線区間のローカル駅のたたずまいを残す。


平日の午前中に社員が配備されているが無人駅化されました。自動券売機が設置されています。広い待合室には長椅子が設置。

1番ホームの駅舎側に保線用の留置線が1線あります。構内裏手にはヤード跡のような広い空き地があります。コンテナ倉庫やレールなど資材置き場となっています。

1927年(昭和2年)4月3日 - 予讃線の伊予北条〜松山間の開業と同時に駅が設置される(当時は温泉郡三津浜町)。
1985年(昭和60年)3月14日 - 無人駅化
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。
1998年(平成10年)頃 - 駅員再配置により再有人駅化
2010年(平成22年)9月1日 - 再無人化

電報略号 ミツ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1927年(昭和2年)4月3日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

深田駅 JR四国 予土線

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深田駅(ふかたえき)は山あいの小さな集落、愛媛県北宇和郡鬼北町内深田にある四国旅客鉄道(JR四国)予土線の駅です。

平成17(2005)年1月に町名が広見町から鬼北町に変わりました。駅番号はG41。大正3年開業で宇和島鉄道として開業したころからある駅です。開業時から棒線。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。国鉄当時は木造駅舎がありましたが現在、駅舎は撤去され、出目駅や大内駅などと同様のデザインの待合室が設置されています。

待合所には木製の長椅子が設置されています。ホームへは短い階段で上がります。駅舎を撤去した跡は整地もされていない空き地のままです。

無人駅。駅前広場には自転車置場が設置されています。駅の左側には、貨物ホームの跡が残されています。

1914年(大正3年)10月18日 - 宇和島鉄道の駅として開業。
1933年(昭和8年)8月1日 - 宇和島鉄道国有化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国に継承。

電報略号 フカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1914年(大正3年)10月18日
備考 無人駅

 

 


堀江駅 JR四国 予讃線

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堀江駅(ほりええき)は、昭和57年7月まで呉線の仁方とのあいだに国鉄航路があった駅です。愛媛県松山市堀江町にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅。

夏になるとマリンスポーツやレジャー客で賑わう所で、車窓から堀江湾が一望できます。

相対式2面2線(一線スルー)のホームを有する地上駅。2番線が通過線(制限速度100km/h)となっています。


廃貨車利用の簡易駅舎であり、便所は男女共用の汲み取り式です。現在の駅舎は平成21(2009)年ごろリフレッシュされました。貨車駅の無人駅ですが、近距離用の自動券売機が設置されています。

駅舎内は綺麗に改装されており入口に扉はなくサッシ窓が取り付けられています。停車場線の正面には建物の基礎が残っています。

2番のりばには古ぼけた待合室が設置されています。

1927年(昭和2年)4月3日 予讃線の伊予北条〜松山間開業と同時に駅が設置される。
かつて広島県呉市仁方港との間に、仁堀航路が就航していたが、1982年(昭和57年)7月1日に廃止された。その後は呉・松山フェリーが代役を担っていたが、2009年6月限りで廃止された。


昭和40年代後半に無人化されるまでは、キヨスクや上記仁堀航路の乗り換え客に一時使用された比較的大きな待合室があり、一部急行列車の停車駅でもあった。


1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 ホエ←ホヱ
駅構造 地上駅


ホーム 2面2線
開業年月日 1927年(昭和2年)4月3日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 

Grand Cafe la fiore

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愛犬同伴でもお食事が楽しめる山口下関初のカフェレストランです。

料理は「手作り」にこだわっているとのこと。

濃厚カスタードケーキが評判。デザートも全て手作りです。

紳士的な看板犬のジェイド君が挨拶してくれます。

ロールケーキはお昼には売り切れるほどの人気。

各席リードフック付きがあります。有料ですが隣接してアジリティー付ドッグランもあります。またテント屋根付きテラスで食事、お酒がたのしめます。

山口県下関市王司川端1-4-45 ペットランドあつまれ横
TEL 083-248-3304
営業時間 10:00〜19:30 各種パーティーでの貸切は夜10:00までOK。
定休日 毎週火曜日(祝日は営業)
アクセス(電車) JR山陽本線長府駅よりバスで10分 清末下車
アクセス(車) JR山陽本線長府駅より小月IC方面、車で5分
小月IC下車直進後国道491号交差点右折5約分
駐車場 30台以上可 店舗前・横全面舗装完成
わんちゃんOKの席 32席

光洋台駅 JR四国 予讃線

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光洋台駅は国鉄時代末期の昭和61(1986)年11月に臨時駅として設置された駅で、周囲には新しい住宅が建ち並んでいます。この光洋台という新興団地からの駅名由来です。愛媛県松山市小川にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅。

片面ホーム1面1線の地上駅。狭いホームへは階段ではなくスロープで連絡します。そのスロープの横に小さな分岐路があります。


無人駅ですが、ホーム上には近距離用の自動券売機と小さな待合スペースが設置されています。小さな自転車置き場があります。

    

1986年(昭和61年)11月1日 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 コヨ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1986年(昭和61年)11月1日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 

破壊機救難消防車 A-MB-1 航空自衛隊

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破壊機救難消防車は、航空自衛隊における空港用化学消防車の呼称。

飛行場を持つ基地に配備され、基地業務群施設隊消防小隊によって運用されています。


航空機または油火災に際して消火および人命救助に使用されるもので、各航空基地に配備。

大量の水槽と強力な放水の土台となる大型車でありながら、広大な飛行場で速やかに展開する速力と高い不整地走行能力が求められる。

米軍の空港用化学消防車を参考に「M-5」という化学車を製作したのが国産の第1号車。

M-5の後を継いだのがのA-MB1です。日産ディーゼル製で、M-5では駆動用としてもう一基のエンジンを搭載していたのですが、A-MB1より主エンジンから電磁クラッチを介してポンプ用の出力も取り出せるようになりました。


乗員 5人
車輌重量 14,400kg
最大積載量 4,050kg
全長 10,125mm
全幅 2,495mm
全高 3,400mm
最大速度 95km/h
登坂能力 tanθ1.19
最小回転半径 10.6m


タンク容量 200リットル
エンジン 型式:RE10  気筒数:V10  総排気量:18,894cc  最高出力:370ps/2,200rpm
トランスミッション 型式:常時噛合式  変速段数:前進5段、後進1段
製作 東急車輌製造

大宮駅 JR東日本・東武鉄道・埼玉新都市交通

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大宮駅は、埼玉県さいたま市大宮区錦町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東武鉄道・埼玉新都市交通の駅です。JRでは、新幹線・在来線ともに東北地方と信越地方を結ぶ路線の分岐点に位置する。東武鉄道や埼玉新都市交通の路線を合わせると14の路線が乗り入れる埼玉県最大のターミナル駅である。さいたま市の合併前は、JTB時刻表の巻頭索引地図において旧・大宮市の中心駅として表記されていたが、合併後のさいたま市及び埼玉県の中心駅とはされていない。

当駅周辺にはJR東日本大宮総合車両センター・日本貨物鉄道(JR貨物)大宮車両所(旧・大宮工場)をはじめとして、日本国有鉄道(国鉄)時代から数多くの鉄道施設が立地し、駅周辺は「鉄道の町」として発展した。1980年代以降は大規模な百貨店やオフィスビルが建ち並んだ。当駅は鉄道駅としての規模が大きく、周辺には古くからオフィスビルや百貨店などが建ち並び、県内最高の商業集積地である。自治体合併でさいたま市となった際、合併協定書などで浦和が『行政と教育の中心』であるのに対し大宮は『経済の中心』とされていた。
2007年6月より「さいたま市路上喫煙及び空き缶等のポイ捨ての防止に関する条例(→路上喫煙禁止条例)」が施行され、大宮区では大宮駅周辺の概して250 - 500メートル四方のエリアが規制地区とされており、喫煙所以外での路上喫煙や空き缶などのポイ捨てが取り締まり対象となっている。

東口駅前からは大宮中央通りが東方向に延び、旧中山道と交差して産業道路・第二産業道路方面へと向かい、さらにそのまま直進すれば緑区上野田で日光御成街道(旧国道122号)に至る。旧中山道は北から宮町・大門町・仲町・下町・吉敷町の5町があり、これらが大宮宿を形成していたが、かつての宿場町の面影は無く、商店や業務ビルが立ち並ぶ町並みとなっている。さいたま市大宮区役所(旧・大宮市役所)は旧中山道より1本東側の通りに面している。
地名の由来となった氷川神社は駅から北東方向へ徒歩20分程度の場所に位置する。駅前から北へ延びる「大宮銀座通り」商店街から横に伸びるいくつかの商店街を通り抜けて旧中山道に出て渡り、美容室や衣料品店の並ぶ「一の宮通り」を通り、「二の鳥居」から参道を経て神社に至るルートが最も近く、一般的である。氷川神社からほぼ真南に約2kmの参道が延び、緑豊かな「氷川参道」として市民に親しまれている。駅前から旧中山道を南へ1.2km進むと、参道の基点「一の鳥居」であり、その南にさいたま新都心を望む。また、氷川神社は大宮公園に隣接している。
旧中山道を軸として、線路東側から氷川参道の西側、大栄橋で線路を渡る県道2号(旧国道16号)の南側、線路をアンダーパスでくぐる南大通りの北側が大宮の中心市街地である。駅前中心に商業地、その外側には旧中山道や中央通りに面して業務ビルが並び、さらに外側には大型マンションが立ち並んでいる。その外側である東町、浅間町、天沼町、堀の内町などは住宅街となっている。


西口道路は駅前から三橋中央通り(市道)が国道17号・新大宮バイパス方面へ伸びている。北へは工機部前通り(市道)がのび、県道2号(旧国道16号)を経て鉄道博物館方面へ向かう。駅前から北は県道2号と交差する大栄橋、西は国道17号と駅前通りの交差する交差点付近までの一帯は、埼玉県内でも最も交通渋滞の激しい地点の一つである。17号との交差点に武蔵野銀行本店があり、大宮法科大学院大学ビルが国道17号の反対側にそびえる。
桜木町の大宮スカイビル南側の地域は旧来の細路地に戸建ての家屋などが密集しており、土地区画整理事業が進行中である。その南側はすぐに中央区上落合になる。国道17号沿いにさいたま赤十字病院があり、その南側には超高層マンションが立ち並ぶ。17号を少し南へ行けばさいたま新都心である。一方、北側の大成町、櫛引町、西側の上小町や新大宮バイパスのある三橋方面へは閑静な住宅地が広がり、高層マンション開発は少ない。
鉄道の町とも言われる由来となった国鉄大宮工場から名称変更されたJR東日本大宮総合車両センターと日本貨物鉄道(JR貨物)大宮車両所が西口から徒歩10分程の距離にある。鉄道博物館へ当駅から徒歩で行く場合にはニューシャトル駅横の出口が最寄り出口であり、車両センターの敷地と新幹線の高架を右手に見ながら北方向に歩くいていく。駅から約2km離れているため、ニューシャトルの利用を促す看板がJR改札に設けられているが、徒歩でのルートも整備されており、車両センターの壁にJRの車両写真が飾られ、大宮工場製の蒸気機関車や、電気機関車の運転台カットモデルの展示、工場内を覗ける休憩スペースが用意されている。


JR東日本の新幹線・在来線各線と、東武鉄道の野田線(愛称:東武アーバンパークライン)、埼玉新都市交通の伊奈線(愛称:ニューシャトル)が乗り入れており、接続駅となっている。野田線・伊奈線はともに当駅が起点である。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は、新幹線が東北新幹線と上越新幹線、在来線が東北本線・高崎線・川越線であり、東北本線を当駅の所属線としている(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)。東北本線に関しては本線のほか、武蔵浦和駅経由の別線(埼京線の線路)が分岐している。上越新幹線・高崎線・川越線は当駅を起点としている。
新幹線の運転系統としては、上述の2新幹線のほかに山形新幹線、秋田新幹線の列車が東北新幹線経由で、北陸新幹線(長野新幹線)の列車が上越新幹線経由で乗り入れている。これらの新幹線はすべて当駅以南で東北新幹線上野駅・東京駅方面へ乗り入れる。
在来線の運転系統は以下のように多岐にわたっている。
京浜東北線 : 東北本線の電車線を走行する近距離電車。当駅を運転系統の起点/終点とし、東京駅以南で東海道本線へ乗り入れている。宇都宮線(東北線) : 東北本線の列車線を走行する中距離列車。上野駅発着列車と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ラインが存在する。後者は当駅以南で東北貨物線を走行し、さいたま新都心駅を通過する。高崎線 : 線路名称上では当駅が起点であるが、当駅以南で東北本線の列車線(宇都宮線)に乗り入れる中距離列車。上野駅発着列車と、新宿駅経由で東海道線に直通する湘南新宿ラインが存在する。当駅以南は上野駅発着・湘南新宿ライン共に宇都宮線と同じ走行線路となる。
武蔵野線(むさしの号・しもうさ号) : 当駅から与野駅まで東北貨物線を経由し、同駅から武蔵野線支線に入り、同駅は通過する。公式サイトなどの時刻表では、当駅のみ湘南新宿ラインの列車として扱われる。埼京線・川越線 : 地下ホームに発着する。武蔵浦和駅方面の東北本線別線を走行する埼京線と、当駅を起点とする川越線の間で直通運転をしている。

当駅にはJR東日本・東武鉄道・埼玉新都市交通の3事業者が乗り入れている。埼京線・川越線以外のJR在来線と東武野田線のプラットホームが地上に並び、その上の地上2階に乗り換え通路を配置する橋上駅の構造を基本に、地上2階にニューシャトルのりば、地上3階にJR新幹線のりば、地下1階にJR埼京線・川越線のりばを有している。また駅舎内の店舗施設や屋上の駐車場などが整備され、駅自体が商業施設の様相を呈している。
乗り換えコンコースは東西自由通路を挟んで北と南にあり、それぞれ商業施設が設置されている。鉄道会社相互の連絡改札口はなく、乗り換えには一度改札の外に出る必要がある。また、JR南北コンコース間の直接の行き来は不可能で、一度ホームに下りて移動しなければならない。
JR改札は東西自由通路を挟んで4箇所と、地下ホーム乗り換え階段の地上部分(ルミネ2連絡口)に、東武改札は東西自由通路の北東側の地上階に、ニューシャトル改札は自由通路と連続した北西側の新幹線のりばの真下にある。
東西自由通路は駅ビル「ルミネ」と一体化しており、また、みどりの窓口とびゅうプラザの他、様々な商業施設が通路沿いに設置され、通路中央には観光案内所を兼ねたインフォメーションセンターがある。自由通路の南北改札口前には金属製の大型オブジェ「行きかう・線」がある。これは駅開業100周年と埼京線開業記念として日本交通文化協会の発注により東京芸術大学美術学部デザイン科教授の造形家・伊藤隆道(1939年 - )が制作したもので、駅利用者からは公募によって命名された「まめの木」の愛称で呼ばれており、大宮での主要な待ち合わせ場所として利用されている。

新幹線のりばが地上3階の高架上、在来線は地平と新幹線直下の地下に置かれており、隣接して大宮総合車両センターがあることから、地平に多数の側線を持っている。
コンコースおよび改札口は地上2階にあり、東西に伸びる中央自由通路を中心としておおむね南側と北側に分かれている。現在の姿は2007年9月30日に鉄道博物館の開館に伴うコンコースの大規模改修工事によって完成したもので、中央自由通路に面して向かい合わせの北改札と南改札が中央改札(北)と中央改札(南)に、西口側から南コンコースにつながる西改札が南改札に変更され、南改札の向かい側に北改札が新設された。また、自由通路に面してみどりの窓口とびゅうプラザを一体化した窓口が新設されている。
南側はJR東日本によるステーションルネッサンス(駅の復興)計画として、中央改札(南)内コンコースが改修・増床され、2005年3月5日に全国初となる大規模駅ナカ商業施設「エキュート大宮」がオープンした。これに伴い自由通路の拡張やトイレ・エスカレーターの増設、エレベーターの整備も行われ、既存の駅ビル「ルミネ大宮2」も増床された。北側も中央改札(北)内コンコースの改修が行われ、新たな駅ナカ商業施設として同年11月1日にDila大宮が開業した。
同年には、当駅開業120周年を記念して、駅構内に郵便ポストが設置された。このポストは、鉄道部品を寄せ集めて製造された。
ルミネ大宮が駅ビルを運営している。ルミネ1と2があり、旧館と新館の関係にある。双方は離れているが、上層階の渡り廊下で接続している。
ルミネ1 - 民衆駅化に伴う駅舎改築により、1967年(昭和42年)10月3日に東口側に開業。当初は大宮ステーションビル(OSB)と呼ばれており、PiNo(ピノ)、Kiss(キス)と名前を変えて現在に至る。駅舎とは2階コンコースでつながっており、1階は東武野田線の改札へ通り抜けられる。
ルミネ2 - 新幹線開業に伴う駅舎改築により、大宮ステーションビルの増床部として1982年(昭和57年)6月19日に西口側に開業。当初はWe(ウィー)という名前だった。コンコースとは2階でつながっており、1階では埼京線乗り換え階段とつながり、専用改札もある。大宮区役所大宮駅支所も併設。
ルミネ アネックス - ニューシャトルのりばと中央自由通路を結ぶ連絡路に設けられたルミネ2の増床部分。連絡路の両側に様々な店舗が入っている。

のりば
地上ホーム
1 - 11番線(1・2番線:京浜東北線、3 - 11番線:宇都宮線・高崎線・上越線・両毛線・湘南新宿ライン)は地上1階にある島式5面10線の地上ホーム。
3・4番線、8・9番線にはホーム上に常時立ち番が配置されており、案内放送や出発指示合図の他、発車メロディも立ち番が扱う。1・2番線、6・7番線、11番線に関しては基本的にホーム事務室から案内放送を行い、発車メロディは車掌が扱う。
京浜東北線は、日中は2番線からの発車が多い。また、宇都宮線からの上り列車は4番線、高崎線からの上り列車は6番線からの発車が多い。
宇都宮線・高崎線(上越線・両毛線)・湘南新宿ラインの発着ホームが上り・下りともに2つに分かれているため、利用者にとって非常に分かりにくい。下り列車に関しては上野からの列車は8番線(高崎線)・9番線(宇都宮線)から、湘南新宿ラインからの列車は宇都宮線・高崎線ともに11番線から発車と分かれており、上り列車に関しても3・4番線が宇都宮線から、6・7番線が高崎線からと、完全に発車ホームが分かれていて不便である。また、市販の時刻表でも発着番線が記載されていないが、駅構内の時刻表や発車標で発着ホームを確認することができる。
ダイヤが大幅に乱れた場合、宇都宮線・高崎線下り列車は7番線から発車することもある。
5・10番線は貨物列車や団体・臨時列車用の待機線で、ホームは存在しないため、欠番となっている。また1970年代頃までは、10・11番線の2本が待避線として存在し、現在の11・12番線が12・13番線だった。また現在の12番線の隣の線路は13番線(1970年代頃までは14番線)として扱われており、信号機にも表記されている。
11番線は構造上、湘南新宿ライン(宇都宮線・高崎線直通)、東武日光線・鬼怒川線直通特急「(スペーシア)日光・きぬがわ」、武蔵野線からの直通列車「むさしの号」「しもうさ号」(終着)、「成田エクスプレス」(終着)など、新宿・池袋方面(東北貨物線経由)からの列車や武蔵野線方面(武蔵野貨物線)より運転された列車の発着ホームとなっている。
11・12番線は1985年9月29日まで非電化時代の川越線列車が発着しており、以後も線路は川越線・高麗川方面へとつながっている。上記のように11番線は活用されている反面、12番線の線路は非電化のままでホームは欠番となり、長く使用されていないが、2009年度にホームの平面化改良工事が行われた。
高架ホーム
13 - 18番線(東北・山形・秋田・上越・長野新幹線)は地上3階にある島式3面6線の高架ホーム。
上りホームには基本的に13番線に上越・長野新幹線、14番線に東北・山形・秋田新幹線が入る。
下りホームには基本的に17番線に東北・山形・秋田新幹線、18番線に上越・長野新幹線が入る。
2007年2月より新幹線の発車標がフルカラーLED式(一部は液晶ディスプレイ式)に置き換えられた。17・18番線に3色LED式乗車位置案内表示器が設置されている。
15番線はラッシュ時などに一部の列車が発着する。
16番線は2013年3月16日以降、定期列車は後続のはやぶさを退避するなすの253号のみ発着し、主に臨時列車、ダイヤの乱れ時に使用する。
すべての線路がホームに接しており、いわゆる通過線はない。可動式安全柵もないため、通過列車は低速で走行する。2013年3月のダイヤ改正でそれまで通過列車だった上越新幹線のとき313号・314号も当駅に停まるようになったことで、通過列車はMaxとき310号[1]のみとなった。
地下ホーム
19 - 22番線(埼京線・川越線)は地下1階にある島式2面4線の地下ホーム。
埼京線と川越線は直通運転を実施している。
埼京線の各駅停車はほとんど当駅を始発・終着とする一方、埼京線の快速・通勤快速は全列車が川越線に直通する。ダイヤの乱れなどで同線と川越線の直通運転を中止する場合は使用ホームが異なる場合があり、埼京線と川越線の運転を分離をする場合は、19 - 21番線発着が埼京線新宿・新木場方面行き、22番線発着が川越線川越方面行きとなることが多い。
2007年3月18日時点での通常ダイヤでは22番線から発車する川越線川越行は土曜・休日の1本しかない。川越線と埼京線が運転分離する場合は、22番線も川越線折り返し専用となる。
平日朝・夕ラッシュ時は、20番線が川越方面からの直通列車(主に通勤快速)、21番線が川越行き、22番線が埼京線折り返し列車(各駅停車)が使用する。19番線は使用しない。
川越線の東京近郊路線図に表記されている大宮 - 川越間のラインカラーは埼京線と同様の■グリーンであるが、当駅では両線とものりば・車両が共通であるため、埼京線との区別のため例外的に■グレーの表示が使用されている。19・20番線はグリーン表示のみ、21番線はグレー表示のみ、22番線は2色とも表示されている。なお、日進・西大宮・指扇・南古谷・川越の各駅では埼京線と同様のグリーンでの表示となっている。
当駅ののりばの案内には方面として「高麗川」が表記されているが、現行ダイヤでは当駅から高麗川駅へ直通する列車はなく、川越駅で高麗川方面の電車に乗り換えとなる。


番線 路線 行先
地上ホーム
1・2 ■京浜東北線 上野・東京・横浜・大船方面
3・4 ■宇都宮線(東北線) 赤羽・上野方面
■湘南新宿ライン
(横須賀線直通) 赤羽・池袋・新宿・渋谷・横浜・大船方面
(さいたま新都心は通過)
6・7 ■高崎線 赤羽・上野方面
■湘南新宿ライン
(東海道線直通) 赤羽・池袋・新宿・渋谷・横浜・大船方面
(さいたま新都心・西大井・新川崎・保土ヶ谷・東戸塚は通過)
7 ■特急「成田エクスプレス」 成田空港方面
8 ■高崎線・上越線 上尾・鴻巣・熊谷・高崎・前橋・水上・長野原草津口方面(上野方面からの列車)
9 ■宇都宮線(東北線) 久喜・古河・小山・宇都宮・黒磯方面
(上野方面からの列車)
11 ■宇都宮線(東北線) 小山・宇都宮方面
(湘南新宿ライン方面からの列車)
■高崎線 熊谷・高崎方面
(湘南新宿ライン方面からの列車)
■東武線直通特急
「(スペーシア)日光・きぬがわ」 東武日光・鬼怒川温泉方面
(栗橋駅までは宇都宮線経由)
高架ホーム (新幹線)
13・14 ■新幹線 上野・東京方面
15 ■新幹線 上野・東京方面
(一部列車)
16 ■東北新幹線 小山・宇都宮・那須塩原・仙台・新青森方面
(一部列車)
17 ■東北・山形・秋田新幹線 宇都宮・仙台・盛岡・新青森・山形・新庄・秋田方面
18 ■上越・長野新幹線 高崎・長岡・新潟・長野方面
地下ホーム (埼京・川越線)
19 ■埼京線 池袋・新宿・大崎・りんかい線 新木場方面(各駅停車のうち始発)
20 ■埼京線 池袋・新宿・大崎・りんかい線 新木場方面
21 ■川越線 日進・川越・高麗川方面
22 ■埼京線 池袋・新宿・大崎・りんかい線 新木場方面(各駅停車のうち始発)
■川越線 日進・川越・高麗川方面(通常ダイヤでは土曜・休日の1本のみ)
武蔵野線直通列車「むさしの」「しもうさ」については構内の案内標には記載されていないが、3番線から発車する。
臨時快速「ホリデー快速富士山」「ホリデー快速鎌倉」は3番線から発車する。
特急「スーパービュー踊り子」「踊り子」(臨時列車)は7番線から発車する。
特急「あかぎ」(下り)は、上野始発の列車は7番線、新宿始発の列車は11番線から発車する。
宇都宮線「ホームライナー古河」・高崎線「ホームライナー鴻巣」(いずれも当駅からの乗車不可)は7番線から発車する。
湘南新宿ラインの横須賀線直通快速列車は当駅から南は終点まで各駅に停車するため、当駅で種別表示が「普通」に切り替えられる。逆に東海道線直通快速列車は、当駅まで各駅に停車するため、種別表示が「普通」から「快速」へ切り替えられる。ただし、「特別快速」は種別変更されず、そのままの運行となる。


日本鉄道によって、1883年に東京から北へ向かう初の鉄道である上野 - 熊谷間の路線が開業した時、県庁所在地である浦和駅の次の駅は上尾駅であって、大宮に駅は設けられなかった。氷川神社のお膝元として古より栄えた町にも拘らず、大宮宿は明治維新以後衰退して、鉄道開業当時は243戸の家しかなく、駅を大宮に作るとすると、当時としては駅間の距離が短くなってしまうことが原因である。当時の機関車は牽引力が低かったため、短い間隔での駅設置はしないことが基本となっていた。しかし、白井助七(後に大宮町長)ら地元有志は町のこれ以上の衰退を危惧して、駅の敷地のために土地を提供すると提示して、駅の誘致運動を始めた。白井の尽力を記念して、さいたま市民会館おおみやに隣接する児童公園・山丸公園には白井を顕彰する記念碑と蒸気機関車C12 29号機が置かれ、大宮ソニックシティ前の鐘塚公園には白井の胸像が設置されている。
上野駅から青森駅へ向かう現在の東北本線を建設する際に、高崎駅・前橋駅へ向かう路線のどこから分岐させるかが問題になった。浦和・大宮・熊谷の3案があった。熊谷案は当時最大の輸出品目である繊維産業の中心地である桐生・足利を経由するなどといった理由で具体的検討がなされた。浦和分岐案は、経由する岩槻の住民が鉄道忌避を起こした。アメリカ人技師のクロフォードは宇都宮への最短経路となる大宮経由で建設すべしといった意見を出した。最終的には井上勝の決断によって大宮はその起点となる地として、駅が設けられることになった。
1894年には北に隣接して大宮工場(現:大宮総合車両センター・大宮車両所)が、白井が提供した土地を基に設けられ、さらには日本の重要幹線の分岐駅という交通の要衝で、駅を中心にして大宮は「鉄道の町」として栄えるようになった。当時は近隣住民の長男は家業の農業を継ぎ、次男以下が大宮工場に勤務するのが珍しくなく、大宮の住民生活は地域内でほぼ完結していた。一方、浦和住民は昔から東京への通勤が多く、周辺との交流が乏しかったことが大宮・浦和の不仲の遠因となっている。また、後年には鉄道出身者から大宮市議会議員を何人も輩出しており、大宮と鉄道は密接に関係している。
1906年には、川越馬車鉄道が改称した川越電気鉄道が川越久保町 - 大宮間の路面電車線(電気鉄道)を開業させる。これは後に西武鉄道へ合併されて同社の大宮線となるものの、川越線の開業で打撃を受け、1940年に休止、翌1941年に廃止された。


路線跡はDOMビルとJACK大宮の間を通り、その先のホテル・マロウドイン大宮に至る区間が道路として残っている。そこから先は現在の国道17号(中山道)桜木町交差点まで直線で線路が敷設されていたが、一部を除き線路跡が路地として残っている。同交差点の付近に当駅から出て最初の駅である大成駅があった。かつて大成駅を名乗っていた埼玉新都市交通伊奈線の鉄道博物館(大成)駅とは全く関係ない(西武大宮線の大宮電停に関しては大宮駅 (西武)も参照のこと)。
1929年には北総鉄道(総武鉄道、現在の東武野田線)が、1932年には東北本線電車線(省線電車、現在の京浜東北線)赤羽駅〜大宮駅間がそれぞれ開業し、大宮駅の拠点性と重要性はさらに高まった。特に省線電車は埼玉南部と東京都心を直接結びつけるために、東北本線沿線住民の30回に及ぶ陳情によって実現したもので、大宮〜上野間を40分で結び、朝晩8分おき、日中16分おきのダイヤで運転された。開業を機に大宮駅周辺には郊外型住宅地が多数造成され、都市計画法施行や都市計画地域指定などもあり、急速に都市化が進展して人口が増加した。
駅の東西の往来は、昭和中期までは駅北側にある国道16号線(現・埼玉県道2号さいたま春日部線)の跨線橋・大栄橋を渡るか、入場券を購入して改札を通る必要があった。そこで、住民の陳情もあって1968年に駅の真下に地下道が設置され、歩行者と自転車は無料で駅の東西の往来が可能となったが、地下道にホームレスが住み着くなど放尿による悪臭問題を始めとした新たな環境問題が起こり、新幹線工事もあって1981年には早々と廃止された。後の駅舎大改装により改札を通らずに駅舎内を徒歩で自由に往来できるようになったものの、自転車は大栄橋を利用することになった。また、西口駅舎の南端に大宮操車場の荷扱い窓口があったが、操車場の機能停止により廃止された。
1960年代、大宮の人口は急増し、また大宮駅周辺は商業集積地として飛躍的に発展した。1965年のダイヤ改正により、大宮周辺住民の待望の特急電車の停車が始まる。このとき停車した特急は東北本線「ひばり」、奥羽本線「つばさ」、上越線「とき」である。
1982年の東北・上越新幹線暫定開業時には始発駅となった(→新幹線・1982年11月15日国鉄ダイヤ改正の項目も参照)。線籍上の上越新幹線の起点であるため、0キロポストが存在する。暫定開業のため、上野駅との間を結ぶ「新幹線リレー号」が運転され、駅構内には「リレーガール」と呼ばれる女性案内員が配置された。同時に東西自由通路・新駅ビルが開業、西口の区画整理・再開発第一期がまちびらきした。1983年には伊奈町との間を結ぶ埼玉新都市交通が開業する。
1985年には新幹線の上野開業で始発駅の地位は失ったものの、埼京線が開業して東京の副都心池袋、後に新宿駅と直接結ばれ、関東における一大ターミナルへと発展を遂げる。後に駅利用者の数は東京都内の主要駅に匹敵するまでに成長している。
1987年頃、中央改札前の「まめの木」近くに鉄人28号のオブジェが立っていたこともあるが、駅ビル「We」(現・ルミネ大宮2)のキャンペーン用として製作されたもので、展示期間終了後に廃棄される予定だった。しかし、その出来の良さから譲渡を求める声が多く寄せられ、最終的に大宮市に存在していた埼玉工業専門学校(現・埼玉自動車大学校)に譲渡され、同校が伊奈町に移転した現在でも校内敷地の道路に面した位置に展示されている。
国鉄分割民営化に際しては、110年の歴史を持ちD51形の復元なども行った大宮工場をJR東日本大宮総合車両センター・JR貨物大宮車両所として継承し、2001年には駅西口の南側にJR東日本大宮支社、車両センター西側の研修センター跡地にJR東日本研究開発センターがそれぞれ置かれた。また、元大宮市議会議員久保島文雄らが中心となり、鉄道の街を記念した施設の誘致をさいたま市は旧大宮市時代より1987年から官民一体で続け、施設の誘致が決定した場合のために基金を積んできた。鉄道博物館の建設が決定すると、さいたま市は約25億円の基金を建設費として充当し、2007年10月14日に開館した。さらに、ステーションルネッサンスの一環とした「駅ナカ」第一弾「エキュート大宮」が2005年に開業して成功を収めており、21世紀においても「鉄道の街」としての地位を保ち続けている。ただし、これらいわゆる「エキナカ」施設に対しては、駅舎外への客足を妨げるものとして地元商店街からは非難の声も挙がっている。

1885年(明治18年)3月16日 - 日本鉄道線の駅として開業。
1885年(明治18年)7月16日 - 後の東北本線となる栗橋駅までの路線が分岐開業。
1902年(明治35年)5月9日 - 川越電気鉄道(後の西武大宮線)川越久保町 - 大宮間が開業。
1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道が鉄道国有法に基づき政府に買収され国有化、逓信省鉄道作業局に移管される。
1929年(昭和4年)
11月17日 - 北総鉄道(後の東武野田線)大宮 - 粕壁(現・春日部)間が開業。当時は仮駅で開業。
11月22日 - 北総鉄道が総武鉄道に社名変更。
12月11日 - 総武鉄道が大宮 - 大宮(仮駅)間を開業。
1932年(昭和7年)9月1日 - 国鉄京浜東北線赤羽 - 大宮間延伸開業。
1940年(昭和15年)7月22日 - 川越線開業。
1941年(昭和16年)2月25日 - 西武大宮線廃止。
1944年(昭和19年)3月1日 - 総武鉄道が陸上交通事業調整法に基づき、東武鉄道に吸収合併される。
1961年(昭和36年)2月17日 - 貨車ヤードおよび貨物取り扱い業務を大宮操駅として分離。
1965年(昭和40年)10月1日 - 特急列車の停車開始(東北本線「ひばり」、奥羽本線「つばさ」、上越線「とき」)。
1966年(昭和41年)9月27日 - 駅構内の国鉄東北本線と国鉄高崎線の立体交差が完成。
1967年(昭和42年)
10月1日 - 与野駅〜大宮駅間の3複線が供用開始、国鉄東北本線の電車線・列車線・貨物線の分離が完成する。
10月3日 - 民衆駅化され、大宮ステーションビル・OSB(現・ルミネ大宮1)が開業する。
1982年(昭和57年)
6月19日 - 大宮ステーションビルの新館としてWe(現・ルミネ大宮2)が開業する。
6月23日 - 東北新幹線大宮 - 盛岡間が開業。東京都心への連絡として大宮〜上野間に「新幹線リレー号」運転開始、女性案内員「リレーガール」登場。
11月15日 - 上越新幹線開業。
1983年(昭和58年)12月22日 - 埼玉新都市交通大宮 - 羽貫間が開業。
1985年(昭和60年)
3月14日 - 東北・上越新幹線上野 - 大宮間が延伸開業し、暫定始発駅としての役割を終える。
9月30日 - 建設当初「通勤新線」と呼ばれていた国鉄埼京線が開業し、国鉄川越線大宮 - 川越間との直通運転開始。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅になる。
2001年(平成13年)11月18日 - JR東日本で交通系ICカードSuica供用開始。
2005年(平成17年)3月5日 - JR東日本のステーションルネッサンス計画の第一弾として、駅構内ショッピングモール(改札内商業施設)「エキュート大宮」が開業。同時に、「かえるポスト」を設置。
2006年(平成18年)3月18日 - 東武線直通特急「(スペーシア)日光・きぬがわ」運転開始(JR線ホームを使用)。
2007年(平成19年)
2月18日 - 3月18日にSuicaとの相互利用が開始となるIC乗車カード「PASMO」の利用試験がJRと東武の改札口で行われた。
3月18日 - 東武鉄道でPASMO供用開始。埼玉新都市交通でSuica供用開始。
2009年(平成21年)
3月14日 - ダイヤ改正に伴い全ての「はやて・こまち」が停車するようになる。
12月1日 - 東武鉄道の駅業務を東武ステーションサービスに委託。
2014年(平成26年)3月15日 - 東西自由通路の大規模リニューアル完了。

電報略号 オオ←ヲヲ
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅・地下駅(在来線)
ホーム 3面6線(新幹線)
5面10線(在来線・地上)
2面4線(在来線・地下)
乗車人員
-統計年度- 240,143人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1885年(明治18年)3月16日
乗入路線 11 路線
所属路線 ■東北新幹線
■山形新幹線
■秋田新幹線
所属路線 ■上越新幹線
■長野新幹線
所属路線 ■宇都宮線
(東北本線列車線)
所属路線 ■高崎線
所属路線 ■■湘南新宿ライン
(東北本線貨物線)
所属路線 ■京浜東北線
(東北本線電車線)
所属路線 ■埼京線
(東北本線別線)
所属路線 ■川越線
備考 みどりの窓口 有

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