Quantcast
Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
Viewing all 3269 articles
Browse latest View live

壬生川駅 JR四国)予讃線

$
0
0

壬生川駅(にゅうがわえき)は、愛媛県西条市三津屋にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅。特急を含む全列車が停車する主要駅の一つです。駅名標のコメントは喜左衛門狸伝説の駅。特急停車駅を含め原則的に全列車が停車します。東予港(オレンジフェリー)へは車で10分。夜行便発着に合わせて無料連絡バスがある。

難読駅名だが、付近に川が多いことから「入川」と呼ばれていたことに由来する。(古代、付近で水銀を産出したことから、「丹生川」から転じて、「壬生川」となったとする説もある。)
合併前は東予市の中心駅であった。「東予」が愛媛県東部地方全体を指す用語であることに加え、東予市の前は「壬生川町」(合併)であったため、旧東予市全体を指して「壬生川」と呼ぶことも多い。

典型的な国鉄型配線の2面3線。1番線に駅舎本屋があり2,3番線が島式の地上駅。駅舎は大型の木造駅舎で前面の左右両端は増築されたようで、それぞれに店舗が入居しています。伊予西条駅や伊予北条駅など、ほかの予讃線の主要駅にも多く見られる構造です。


1番線を一線スルーにする予定であったが、高松駅方のみ片開き分岐器(制限速度100km/h)で松山駅方は両開き分岐器(制限速度80km/h)となっている。これは、停車する列車が増えたためと思われる(現在は、全定期列車が原則停車)。


みどりの窓口が営業、切符売場にはタッチパネル式の券売機が1台。

ホームは古い跨線橋で結ばれています。構内裏手には工場が隣接しています。元々貨物用の側線が多数あったが、現在はほとんど全て撤去されてしまっている。


駅舎入口脇にある石碑は、作家林芙美子が東予市在住の父親に宛てた手紙の一節です。


1923年(大正12年)5月1日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 ニユ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 748人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1923年(大正12年)5月1日
備考 みどりの窓口 有

 


8月7日(木)のつぶやき

阿波赤石駅 JR四国)牟岐線

$
0
0

阿波赤石駅(あわあかいしえき)は、徳島県小松島市赤石町にある四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅です。

駅番号はM07。駅周辺は住宅が多く、線内では利用客の多い。日本製紙小松島工場が近い。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。以前は相対式2面2線であった。狭い場所にあるため、木造駅舎の側面(妻面)に入り口があります。


1972年(昭和47年)頃無人化された簡易委託駅です。

乗車券はかつては駅舎内で販売されていたが、現在は駅横の自転車置き場の管理小屋で販売しています。

駅舎内には壁側に木造長椅子があります。
なお、ホーム周辺には桜の木が数本あり、春には花を咲かせる。

1916年(大正5年)12月15日 - 阿南鉄道の赤石駅として開業。
1936年(昭和11年)7月1日 - 阿南鉄道が国有化される。同時に阿波赤石駅と改称。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 アシ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1916年(大正5年)12月15日
備考 簡易委託駅

8月8日(金)のつぶやき

南風 2000系

$
0
0

南風(なんぷう)は、四国旅客鉄道(JR四国)、土佐くろしお鉄道および西日本旅客鉄道(JR西日本)が岡山駅 - 高知駅・中村駅・宿毛駅間を、宇野線・本四備讃線(瀬戸大橋線)・予讃線・土讃線・土佐くろしお鉄道中村線・宿毛線経由で運行している特別急行列車です。

岡山駅で山陽新幹線と接続し、本州と高知県を結ぶ列車です。
特急「南風」は、1972年3月15日に山陽新幹線岡山開業にともなって行われたダイヤ改正により、高松駅 - 中村駅間で運転を開始。「しおかぜ」とともに、四国初の特急列車でした。宇高連絡船を介して寝台特急「瀬戸」と宇野駅で接続するダイヤを組んでいました。
1988年4月10日に本四備讃線が開業したことにより岡山駅発着になり、エル特急に指定された。高松駅発着列車は引き続き残されることになり、この列車は「しまんと」に改称されました。1989年3月に新型気動車を投入してスピードアップを図り、1997年には土佐くろしお鉄道宿毛線への乗り入れを開始しました。
「南風」の名称は、1950年10月1日高松桟橋駅 - 須崎駅間の準急列車に四国鉄道管理局が「南風」と名付けたのが最初で、公募により決定されました。1965年10月に急行列車化されたが1968年10月に「あしずり」に統合され、「南風」の名称は、1972年3月まで別府駅 - 宮崎駅・西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)・鹿屋駅間の急行列車で使用されていました。

2012年3月17日現在、岡山駅 - 高知駅間に9往復、岡山駅 - 中村駅間に3往復、岡山駅 - 宿毛駅間に2往復の計14往復運転されている。列車番号は30D+号数。
2往復が岡山駅 - 宇多津駅間で特急「うずしお」と、3往復が宇多津駅・多度津駅 - 高知駅間で特急「しまんと」とそれぞれ併結運転を行う。併結時の原則として、「南風」が編成の高知側に連結されるため、「うずしお」を併結する時は上り基準で「うずしお」が先に宇多津駅に入り、「南風」が駅手前で信号待ちを行う。「しまんと」を併結する時は下り基準で「南風」が先に宇多津駅に入り、「しまんと」が駅手前で信号待ちを行う。
岡山駅 - 宿毛駅間の所要時間は最速で約4時間40分で、走行距離の約318kmはJR四国の車両で運行する特急列車としては最長です。

JR四国の高知運転所・高松運転所に所属する2000系気動車(量産車)を使用しています。基本的に2 - 4両編成だが、金曜日・土曜日・休日は編成が変更される列車があります。また、多客期には「しまんと」を併結せずに単独運転となる列車があり、この場合は高松駅 - 多度津駅間に接続列車として臨時「しまんと」が運転されます。
高松所属車はグリーン車を連結しない2往復に充当されるが、一部にN2000系が混結される場合もあります。かつては1往復がN2000系の3両編成で運転されていたが、2011年3月のダイヤ改正で「うずしお」の1往復と運用が入れ替わり、「南風」の基本編成は2000系量産車に統一されています。
4往復はアンパンマン列車として運転され、1号車の指定席が「アンパンマンシート」になる。なお、「南風」で使用されるアンパンマン列車には、JR四国所属のグリーン(2・3・24・25号、3両編成)と、土佐くろしお鉄道所属のオレンジ(6・7・18・19号、4両編成)の2種類があります。
なお、善通寺駅・大歩危駅・土佐上川口駅では、駅ホームの長さが不足するためドアカットが行われる場合がある。「しまんと」を併結する列車では、これらに加えて大歩危駅・大杉駅でもドアカットが行われる場合があります。

JR四国では高速道路の延伸への対抗として、吉野川を縫うように進みカーブが多い土讃線での高速化のため、振り子式の2000系気動車を導入し、1991年までに「南風」全列車の置き換えを完了しました。
1998年(平成10年)に土讃線で発生した路盤崩落で約3か月間不通になったことで乗用車や高速バスに一部の利用者が流れた。
高知 - 京阪神間だけでもJRバスグループのJR四国バス・西日本JRバスや土佐電気鉄道・高知県交通・阪急バス・神姫バス・京阪バスの運行する高速バスが合計26往復(2007年5月現在)運行されており、これらとシェアを争う形になっています。「南風」の利用者数は高知道開通前に比べると減少しており、同じく岡山発着の予讃線特急「しおかぜ」と比べると利用者は4割程度となっています。
その対策として、2000系車両にアンパンマンのキャラクターを描いた「アンパンマン列車」を運行したり、京阪神方面の利用回復を狙った「阪神往復フリーきっぷ」などの特別企画乗車券の発売、岡山駅での新幹線接続の改善などをおこなった。2000年と2005年の大阪府と高知県の間の旅客輸送シェアを比較した調査においては、鉄道はこの両年でほぼ同じ比率となっています。
高知 - 岡山間には所要時間が互角で、料金はほぼ半額の高速バス龍馬エクスプレスも運行されています。これに対して、JR四国は高速バスとほぼ同額で利用できる往復割引のトクトクきっぷを発売して対抗している。

 

8月9日(土)のつぶやき

彦根駅 東海道本線(琵琶湖線) JR西日本・近江鉄道

$
0
0

彦根駅は、滋賀県彦根市古沢町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・近江鉄道の駅です。県東部の主要都市、城下町彦根の代表駅で、駅前もそれなりに賑やかな市街地が広がっています。JR西日本の東海道本線と、近江鉄道の本線が乗り入れています。JR西日本の駅はアーバンネットワークエリアに属し、東海道本線は「琵琶湖線」の路線愛称設定区間に含まれています。またIC乗車カード「ICOCA」の利用エリアに含まれています。日中時間帯は1時間あたり4本が停車いたします。

かつて、駅東側に住友大阪セメント彦根工場(1996年3月閉鎖)があり、近江鉄道にも住友大阪セメントやキリンビール関連の車扱貨物輸送がありました。それらの貨車を扱うため駅東側の下り線に面して側線群がありました(そのため、下りは第一場内、第二場内の信号機を持っていました。

第一場内は現在第一閉塞信号機の設置位置である)。側線群は現在線路は撤去されているが、バラストが線路跡地を物語っています。
駅下り方には上下の渡り線もあった。この渡り線を使って、当駅と湖北地区との往復用に気動車列車が設定されていた。戦前の気動車列車の草分け的存在で、1989年3月10日まで運転されていた(当駅乗り入れは朝夕各1往復)。


1985年3月14日に朝夕の新快速が各駅停車扱いで当駅に乗り入れるようになり、翌1986年(昭和61年)11月1日には日中の新快速の当駅発着列車が設定され(米原駅が名古屋局管内のため乗り入れができなかった。この点については後述)、この渡り線を使って折り返しをすることになりました。これに伴い、1番線(上り線)に下り出発信号機を新たに設置した。1989年(平成元年)3月11日に新快速が米原駅まで延長され、渡り線・上り線の下り出発信号機もともに撤去されました。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、かなり立派な橋上駅舎になっています。1番のりばと2番のりばの間には、ホームのない中線が1本あります。2007年(平成19年)3月19日に新たに東口を開設し、線路をまたぐ東西自由通路も完成しました。
なお、当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として南彦根駅 - 篠原駅間の各駅を管理しています。券売機は3台ありオープンカウンター式のみどりの窓口。指定席券売機も設置されています。

JR彦根駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■琵琶湖線 上り 米原・長浜・大垣方面
2 ■琵琶湖線 下り 草津・京都・大阪方面
2番のりばは運転上の「3番線」。前述したホームのない中線が「2番線」と扱われる。2番線(中線)は、ダイヤが乱れた場合に貨物列車や回送列車などの待避に使われており、上下線どちらも進入出発が可能です。

駅前ロータリーには彦根藩初代藩主井伊直政の銅像(騎馬像)が立つ。

JR西日本の彦根駅は、第4回近畿の駅百選に選定されました。「京阪神快速#117系の投入と新快速の発展」でも触れる通り、1985年(昭和60年)3月14日に新快速が朝夕に、翌1986年(昭和61年)11月1日には日中にも毎時1本、それぞれ当駅まで延長されてきました。そちらでも触れる通り前者では草津駅以東各駅停車だったものが、後者のダイヤ改正では草津駅 - 当駅間で停車駅が削減された。なお同列車は上り本線上で折り返す特異な形態でした。
JR化後の新快速は1988年(昭和63年)3月13日に夕方の列車が米原駅まで延長され、1989年(平成元年)3月13日に全列車が米原駅まで延長、その後は直流化された北陸本線に運転区間を延長しています。当駅から長浜駅・近江塩津駅・敦賀駅方面は各駅に停車いたします。ただし、高槻駅(朝ラッシュは京都駅) - 西明石駅間の快速が当駅では「普通」表示をしているのに対し、新快速は各駅停車の区間であっても「新快速」と表示しています。


近江鉄道を走っている電車に自転車を乗せてきた場合、駅構造の関係でこの駅では降ろせない。2009年(平成21年)4月、近江鉄道ではこの駅と彦根口駅の間に新駅「ひこね芹川駅」が開設されました。
JRと近江鉄道は当駅でレールがつながっており、近江鉄道が中古車両を購入する際は甲種輸送が行われています。

1889年(明治22年)7月1日 - 官設鉄道(現在の東海道本線)の駅が開業(関ヶ原駅 - 膳所駅間の開通と同時)。客貨取扱を開始。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
1898年(明治31年)6月11日 - 近江鉄道本線が彦根駅 - 愛知川駅間で開業し、同社の駅もその起点として開業。
1931年(昭和6年)3月15日 - 近江鉄道の駅が、米原駅までの路線延伸により途中駅となる。
1986年(昭和61年)11月1日 - 国鉄駅での貨物取扱が廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により国鉄駅は西日本旅客鉄道の駅となる。
1988年(昭和63年)3月12日 - 近江鉄道線の貨物輸送廃止に伴い、日本貨物鉄道と近江鉄道の貨物連絡運輸が廃止。住友セメント専用線廃止。
2003年(平成15年)11月1日 - JR西日本でICカードICOCA供用開始。
2007年(平成19年)3月 - 東口完成。
2009年(平成21年)3月29日 - 東口前広場開設式・まちびらきイベント開催。

電報略号 ヒコ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 10,184人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1889年(明治22年)7月1日
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有

 

8月10日(日)のつぶやき


南彦根駅 JR西日本 東海道本線

$
0
0

南彦根駅は、国鉄末期(昭和56年6月)に開業した新しい駅です。滋賀県彦根市小泉町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅です。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれています。日中時間帯は1時間あたり2本が停車いたし、乗降客数は市内で彦根に次ぐ2番目となっています。駅の東南約1キロ程度の位置に近江鉄道の分岐駅高宮駅があります。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅になっており、橋上駅舎です。
滋賀県内のJR線の複々線化延伸を意識したためか、それぞれのホームの外側には2面4線への拡張に対応した用地が確保されています。

しかし、現在はバリアフリー化のために設置されたエレベーターによって、一部の用地が占有されているため、構内拡張は困難となっています。

きっぷ売り場には券売機は2台と定期券継続発売機が設置されています。
みどりの窓口はありますがキオスクはありません。ジェイアール西日本交通サービスが業務を行う業務委託駅で、彦根駅が当駅を管理している。ICOCAが利用可能。

南彦根駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■琵琶湖線 上り 米原・長浜・大垣方面
2 ■琵琶湖線 下り 草津・京都・大阪方面
二面四線仕様の予定だったのか、ホーム上屋がVの字形になっています。


1981年(昭和56年)6月30日 - 日本国有鉄道(国鉄)東海道本線の彦根駅 - 河瀬駅間に新設開業。旅客取扱のみ。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
2010年(平成22年)- 列車非常停止警報装置の運用開始。

電報略号 ミヒ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 5,283人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1981年(昭和56年)6月30日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

宝珠山駅 JR九州)日田彦山線

$
0
0

昭和21年開業の宝珠山駅(ほうしゅやまえき)は、福岡県朝倉郡東峰村大字福井にある、九州旅客鉄道(JR九州)日田彦山線の駅です。


九州で唯一、プラットホームが県境をまたいでいる駅であり、ホームの3分の1が大分県、残りが福岡県にある。

大分県と福岡県の境界線には東峰村の特産である小石原焼の陶板が埋め込まれている。

東峰村の南端部に立地しており、村の中心地や村役場へは隣の大行司駅のほうが近い。駅前を大肥川が流れ、その川の向こうに国道211号が日田彦山線に並行して通っている。駅前の駐車場に西鉄バスの宝珠山停留所があり、杷木、小石原への路線がある。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。かつては島式ホーム1面2線だった。

夜明駅側に向かって線路右側にホームが、左側に駅舎がある。

駅舎は開業以来の建物の老朽化のため、外観デザインをほぼ踏襲する形で1998年(平成10年)3月に建て替えられたもので、無人駅であるため旧駅舎の事務室部分を撤廃した上で建物自体は夜明駅方向へ拡張され、地元の集会所(福井コミュニティーセンター)が入っている。

駅舎の一部に駐輪場をとりこんでいます。

全面的に補修された駅舎内は窓口・手荷物台が昔ながらに再現されています。

待合室には木製の長椅子が設置、一部古いものをそのまま使用しています。改札口のラッチも木製で旧駅舎で使用していたものです。

ホーム中央には鉄骨造の待合所があります。島式ホームの上に県境の標柱が建っています。交換駅で側線もあったようです

 


1937年(昭和12年)8月22日 - 彦山線夜明 - 宝珠山間開業と同時に開業。
1960年(昭和35年)4月1日 - 彦山線の日田線との区間統合により日田彦山線の所属となる。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道に承継。

電報略号 ホユ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1937年(昭和12年)8月22日
備考 無人駅
* 正式な所在地。南側は大分県日田市大字大肥にまたがる。

83式地雷敷設装置 陸上自衛隊

$
0
0

83式地雷敷設装置は、陸上自衛隊の施設科に配備されている対戦車地雷敷設装置である。装甲車やトラックに牽引され、広範囲にわたり迅速に地雷原を構築できる。

対人地雷は国際条約で禁止され、自衛隊は保有していないので、対戦車地雷を敷設する。

時間あたり300個以上の地雷を敷設可能だが、自走能力は無いため73式装甲車や73式大型トラックなどで牽引して使用される。

全長:3900mm(走行状態)
全幅:2400mm
全高:2400mm
重量:2400kg
敷設速度 300個以上/h
製作 日立建機株式会社

河瀬駅 JR西日本 東海道本線

$
0
0

河瀬駅は彦根市南西部の集落に位置する滋賀県彦根市南川瀬町、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅です。

「琵琶湖線」の愛称区間に含まれています。日中時間帯は1時間あたり2本が停車いたします。駅周辺には上場企業・中小企業の工場・事業所が西口・東口に多く点在しています。

また滋賀県立河瀬中学校・高等学校、滋賀県立彦根工業高等学校の最寄り駅です。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線のホーム、さらに外側に上り待避線を持つ中線式の待避可能な地上駅になっています。

1番のりばが単式、2・3番のりばが島式ホームです。下り本線は1番のりば、上り本線は3番のりばとなっており、通常の停車には1番のりばと3番のりばが使われます。
中線である2番のりばは、便宜上3番のりばと一括で米原方面のホームとして案内されているが、両方向とも停車でき、2010年3月13日現在、平日朝と毎日夕方の京都方面の普通1本が待避に使用しているほか、ダイヤが乱れたときには折り返しとして使われることもあります(そのため、本線系統の車両には河瀬行きの方向幕がある)。かつて大阪万博開催時の臨時列車は当駅発着で設定されました。


この他、島式ホームの横には、ホームのない4番線があり、上り貨物列車の長時間待避(上り列車で運転見合わせが発生した場合など)に使われる。かつて1番線と2番線の間に下り待避線もあったが、現在は撤去されています。


駅舎は橋上化されていて、西口と東口があります。コンコースとホームには、エレベーターと上りエスカレータが整備されています。

きっぷ売り場には券売機2台と指定席券売機が設置されています。
直営駅(彦根駅の被管理駅)であるが、みどりの窓口は一部時間帯に閉鎖されます。ICOCAが利用可能。キオスクありです。

河瀬駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■琵琶湖線 下り 草津・京都・大阪方面
2 ■琵琶湖線 下り 草津・京都・大阪方面 待避列車のみ
            上り 米原・長浜・大垣方面 一部列車のみ
3 ■琵琶湖線 上り 米原・長浜・大垣方面
ホームは広く前後は直線区間になっており、見通しはかなり良い駅です。

旧駅舎時代には駅前広場に大きな築山がありました。旧駅舎の駅長事務室前の池には小便小僧が設置されていました。1998年(平成10年)に橋上駅舎化されるまで、「鉄道院」の銘の入った1915年製の跨線橋が現役で使用されていました。この跨線橋の支柱が、駅東口広場と西口駐輪場に保存されています(東口広場は説明版のついたモニュメントが設置されています)。駅東口には交通安全を祈念して「みなさんを出迎カエル無事カエル」の文字を刻んだカエルの石像が設置されています。2007年(平成19年)3月16日に「河瀬駅新快速停車促進期成同盟会」が設立されました。

1896年(明治29年)5月1日 - 官設鉄道東海道線(1909年より東海道本線)の彦根駅 - 能登川駅間に新設開業。客貨取扱を開始。
1972年(昭和47年)3月15日 - 貨物取扱が廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
1998年(平成10年)3月14日 - 2代目駅舎利用開始。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。

電報略号 カセ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 2,983人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1896年(明治29年)5月1日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

 

8月14日(木)のつぶやき

稲枝駅 JR西日本 東海道本線

$
0
0

彦根市最西端、旧稲枝町の代表駅である稲枝駅です。所在地は滋賀県彦根市稲枝町で周囲は比較的まとまった集落を形成しています。西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅です。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれています。日中時間帯は1時間あたり2本が停車いたします。駅前にはロータリーがあります。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。平家建ての立派な古い木造駅舎です。駅舎は京都方面行ホーム側にあり、米原方面行ホームへは跨線橋で連絡しています。

なお、駅業務はジェイアール西日本交通サービスに業務委託されており、彦根駅が当駅を管理しています。

改札口の改札機は3台。頭上にはLED式の発車案内が設置されています。きっぷ売り場にはICカード対応の券売機が2台あり、みどりの窓口も営業しています。

待合室にはキオスクが営業しています。バリアフリー化で車椅子用スロープも新設されています。2007年(平成19年)3月22日に「稲枝駅改築整備促進期成同盟会」が設立されました。

稲枝駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■琵琶湖線 下り 草津・京都・大阪方面
2 ■琵琶湖線 上り 米原・長浜・大垣方面

1920年(大正9年)7月1日 - 国有鉄道東海道本線の河瀬駅 - 能登川駅間に新設開業。客貨取扱を開始。
1963年(昭和38年)2月1日 - 貨物取扱が廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始

電報略号 イナ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,527人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1920年(大正9年)7月1日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

 

 

8月16日(土)のつぶやき


痛車BLACK★ROCK SHOOTER トヨタ・86

$
0
0

トヨタ・86は、トヨタ自動車が富士重工業(スバル)と共同開発し、富士重工業が生産、トヨタ自動車が販売するFRレイアウトのスポーツカーです。富士重工業からは姉妹車のスバル・BRZが販売されています。

トヨタ・86は、走る楽しさを追及した「直感ハンドリングFR」のコンセプトを実現するために、小型・軽量・低重心・低慣性を特長として企画・開発された小型スポーツカーです。「お客様とともに進化する」スポーツカーを目指して、「86(ハチロク)」と命名されました。これは、チューニングのしやすさから息の長い人気を誇るAE86(ハチロク)の「自分だけの1台を楽しみながら育てる」精神を継承したことが由来です。 ※AE86へのインスパイアはあくまでコンセプトのみであり車格的には後継車ではありません。サイズなどはAE86よりも一回り程度大きく、かつてのセリカに近い。

2012年2月2日に発表され、同年4月6日から全国で発売された。これによりトヨタブランドのスポーツカーは2007年7月のトヨタ・MR-Sの販売終了以来5年ぶりの復活となり、また新型スポーツカーの発売も1999年10月のMR-S以来13年ぶりとなります。販売についてはトヨタ全販売チャネル(トヨタ店・トヨペット店・カローラ店・ネッツ店)での取り扱いとなるが、全国の各ディーラー(ただしネッツトヨタ東四国は除く)から選ばれた1店舗のみが「AREA 86」として展示車・試乗車を設置し、専門スタッフを常駐させる。

ブラック★ロックシューター(BLACK★ROCK SHOOTER、略称:B★RS)は、日本のイラストレーター、hukeによってデザインされたキャラクター、およびそれを元にした楽曲・アニメーション作品です。

元々はhukeが2007年12月26日にpixivや自身のブログにおいて発表していたキャラクターイラスト。注目を集めるきっかけとなったのはsupercellのryoがこのキャラクターに着想を得て音声合成ソフト「初音ミク」を用いた曲を作り、hukeが映像を付けて2008年6月13日に『初音ミクがオリジナルを歌ってくれたよ「ブラック★ロックシューター』として動画投稿サイトニコニコ動画で発表した動画です。ニコニコ動画上では累計の再生数が2008年末までに100万回以上を記録するなど、曲自体が多大な反響を得ると共に、キャラクターにも注目が集まるようになった。楽曲は動画と共にsupercellのデビューアルバム『supercell』にも収録され、hukeのイラストを立体化したPVC塗装済み完成品フィギュアが「1/8スケールフィギュア ブラック★ロックシューター」としてグッドスマイルカンパニーにより発売されたのを始めキャラクターの商品化も行われるようになった。2010年にはアニメーションが公開され、2011年にはプレイステーション・ポータブル用としてゲーム化が決定、同年の8月25日に発売。また、2011年6月に月刊ヤングエースにて、デザインやストーリーをオリジナルのものにした漫画が連載を開始。

黒髪を左右の長さが異なるツインテールにしており、左目に青い炎を宿した15歳の少女。腕に毎秒20発の岩石を発射できる大砲「★Rock Cannon」を装備している。イラストやフィギュアのバリエーションとして、刀「Black Blade」や大剣を構えたものもある。髪形など容姿が初音ミクに似ていることから初音ミクの派生キャラクターという誤解があるが、初音ミクによる楽曲で有名になったという経緯はあるものの、本来はVOCALOIDとは無関係です。
イラストとして描かれた当初は特に設定なども無く、単に女の子が武器を持っている絵という構想で描かれた物だったという。

OVA、テレビアニメ共に、主人公の黒衣マトを中心とした「現実世界」での学校生活を主軸に置かれ、ブラック★ロックシューターたちのいる世界(「精神世界」や「幻想世界」、「裏世界」等、ユーザーによって呼び名は様々であり、テレビアニメ版公式サイトでは「虚の世界」と表記。本項目では「裏世界」で統一)での展開が、マトたち現実世界での精神的な動きや言動と平行する形で密接にリンクしているという特徴があります。
また、ストーリー全体の展開を理解しないと現実世界と裏世界の展開の繋がりを把握するのが困難であることから、視聴したユーザー達によって全体の展開を納得させるための独自研究が各所で行れています。

能登川駅 JR西日本)東海道本線

$
0
0

能登川駅は旧能登川町の代表駅で滋賀県東近江市林町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅です。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれています。
市町村合併により東近江市内で唯一のJRの駅となり、東近江市内の駅で最も乗車人員が多い。ただし、市の代表駅は近江鉄道の八日市駅です。ラッシュ時を除き、日中時間帯は1時間あたり4本が停車致します。

当初、この駅は現在の位置より1kmほど京都寄りの能登川村(現在の東近江市能登川町)に開設される予定で、駅名も村名から「能登川」と決まりました。しかし、能登川村付近は軟弱な地質であることが計画段階で分かったため、位置が変更されることになりました。その際、八幡村大字垣見(現在の東近江市垣見町)の地主が土地の無償提供を申し出たため、八幡村大字垣見と五峰村大字林(現在の東近江市林町)の境界に跨る現在の位置に駅の開設が決まりました。しかし、駅名を巡って五峰村と八幡村で争いが起こることを避けるため、当初の予定地であり、当時琵琶湖につながる港町として比較的知名度の高かった「能登川」がそのまま駅名に採用されました。
元は桑畑が広がる土地であったが、能登川駅前は周辺地域の玄関口・中心市街地・商店街として発展し、「能登川」は本来の能登川村よりも能登川駅周辺の地域名として浸透。1942年に五峰村・八幡村・能登川村を含む周辺5村が合併した際、駅名から「能登川町」と命名され、駅名と自治体名が一致することとなりました。

 

東口周辺は戦前から続く商店街であり、再開発も一部に留まっているため、ロータリーや道幅は狭い。現在の西口周辺にはかつて日清紡の工場が建っていたが、2001年の工場閉鎖後、西口の新設とともに再開発や宅地開発が進められている。駅周辺には様々な形で水車を見ることが出来ます。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅で橋上駅舎を有する。2003年に改築された駅舎は、旧・能登川町のシンボル、水車をモチーフとしたものになっています。自由通路は大きな窓と高い天井でモダンで明るい感じです。
水車が有名な能登川だが、かつては駅のプラットホームに給水塔があり、蒸気機関車の給水駅でした。
直営駅(彦根駅の被管理駅)。ICOCAが利用可能。


みどりの窓口は2012年3月31日をもって閉鎖され、みどりの券売機プラス(5:30 - 23:00)が導入された。ただし、彦根、近江八幡に続きみどりの窓口が設置された歴史があり、新快速停車駅でもあるため、みどりの窓口を残す隣接駅の稲枝駅や安土駅(両駅ともみどりの券売機やみどりの券売機プラス未設置駅)よりも利用者は必然的に多く、利用者減による窓口の閉鎖ではありません。また、みどりの券売機プラスの琵琶湖線内初の導入駅となりました。(「JRおでかけネット」や時刻表の案内では、みどりの窓口の設置駅として表示されています。 「エクスプレス予約」や「5489サービス」による切符の受け取りが可能。


能登川駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■琵琶湖線 下り 草津・京都・大阪方面
2・3 ■琵琶湖線 上り 米原・長浜・大垣方面 3番のりばは待避用

線路の構成は
1番線(1番のりば、下り本線)
2番線(ホームなし、下り待避線)
3番線(2番のりば、上り本線)
4番線(3番のりば、上り待避線)
となっている。上り向きは緩急接続ができる構造で、3番のりばでは平日は10時台、休日は8時台に新快速との緩急接続を行う普通電車が存在する。通常の上り列車の停車には2番のりばが使われる。

1889年(明治22年)7月1日に米原、彦根、八幡(現 近江八幡)、草津と同時に開業した歴史を持ち、日本旅行協会発行『汽車時間表』(昭和9年12月号)を見ると、2等寝台車と食堂車を連結した東京発大阪行37列車の停車駅だった。この列車の名古屋からの停車駅は、尾張一ノ宮、岐阜、大垣、米原、彦根、能登川、近江八幡、草津、大津、京都、大阪のみで、後の準急や急行並みの停車駅だった。

1889年(明治22年)7月1日 - 官設鉄道の駅として開業(関ヶ原駅-馬場駅(現在の膳所駅)間延伸と同時)。客貨取扱を開始。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定が行われ、東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
1935年(昭和10年) - 旧駅舎完成。
1946年(昭和21年) - 跨線橋完成。
1972年(昭和47年)3月15日 - 貨物取扱が廃止。
1986年(昭和61年)11月1日 - 新快速の通過運転区間が彦根まで延長され、近江八幡駅とともに停車駅になる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1998年(平成10年)4月7日 - 自動改札機「Jスルー」を導入(Jスルーカード自体は2009年3月1日で改札機・精算機での利用が停止された)。
2002年(平成14年)3月3日 - 新駅舎建設に伴い仮駅舎の使用開始。
2003年(平成15年)
3月15日 - 橋上駅化。
11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
2012年(平成24年)4月1日 - みどりの窓口を閉鎖し、琵琶湖線初のみどりの券売機プラスを導入。

電報略号 ノト
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 7,243人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1889年(明治22年)7月1日
備考 直営駅
みどりの券売機プラス設置駅

 

 

高島駅 /山陽本線

$
0
0

高島駅は、昭和60年国鉄時代の末期に開業した駅ですが、周囲は住宅地で人口も多く駅前には市営団地もあり利用者は多い駅です。しかし駅裏手には田園も残る場所でもあります。岡山県岡山市中区清水二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅です。線路名称上では山陽本線単独駅であるが、運転系統上赤穂線の列車も乗り入れる。

コンクリート駅舎の8両編成対応の相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。山陽新幹線の高架脇にある。駅舎は姫路方面行きホーム(1番のりば)側にあり、反対側の岡山方面行きホーム(2番のりば)へは跨線橋で連絡しています。

構内に分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。一見、簡易駅舎のように見えますがみどりの窓口も営業している有人駅です。
2008年(平成20年)夏頃、改札口前のスロープと跨線橋に繋がるエレベーターが新設され、車椅子でも利用可能になった。車椅子対応の多目的トイレも新設。
以前は直営駅だったが、営業時間短縮以降、ジェイアール西日本岡山メンテックへの業務委託駅となり、東岡山駅の管理下にある。ICOCA利用可能駅。


2008年(平成20年)9月16日、2番のりば直結の駅南口を開設。南口は自動改札機、自動精算機、インターホンと無人駅にある簡易型券売機があるのみで、遠距離の乗車券や定期券購入は北口に出向く必要がある。南口からホームへは階段があり、車椅子では利用不能。また、南口の自動改札機は北口のものと同様に開閉式になっているため、非磁気化券で南口より入出場する場合はインターホンで係員に連絡する必要があります。


高島駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■山陽本線 上り 和気・姫路方面
■赤穂線 西大寺・播州赤穂方面
2 ■山陽本線
(■赤穂線含む) 下り 岡山・倉敷・福山・新見方面

1985年(昭和60年)3月14日 - 国鉄山陽本線の東岡山駅 - 岡山駅間に新設開業。旅客営業のみ。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2007年(平成19年)
6月17日 - ICOCA対応の自動改札機導入。
9月1日 - ICOCAサービス開始。
2008年(平成20年)
5月31日 - エレベーター、バリアフリー対応トイレを設置。

9月16日 - 南口使用開始。

キロ程 138.9km(神戸起点)
相生から赤穂線経由で60.2km
電報略号 タマ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,679人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1985年(昭和60年)3月14日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

 

 

 

8月18日(月)のつぶやき

東別府駅 JR九州)日豊本線

$
0
0

東別府駅は、大分県別府市浜脇一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅である。

当駅を出て少し西大分へ進んだ所に上り専用の高崎山トンネルがあり、大分寄りの出口付近にあるマリンパレスうみたまご横までは上下本線が隔離されており、日豊本線内では唯一上り線が下り線より一段高い位置にある。同本線宇佐―西屋敷間とは正反対の状況である。

相対式ホーム2面2線ホームを有する地上駅。互いのホームは屋根無しの跨線橋で連絡している。

構内の跨線橋からは鶴見岳、別府の町並み、別府湾が綺麗に見ることができます。

高崎山駅本屋は1911年(明治44年)開業当時のもので日豊本線の木造駅舎の中でも特に人気の高い駅です。(別府市有形文化財指定)


JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されている。近距離きっぷの自動券売機が設置されている。

ICカードSUGOCAは出入場とチャージのみ対応。駅舎内の待合室は白壁、木枠の窓に造り付けの長椅子があり雰囲気に合わせた茶色のコーラ自販機もます。

改札口のラッチも木製です。駅舎ホーム側の軒下に味のある木製ベンチが並んでいます。

当駅と西大分駅の間は、現下り線は単線時代以来の曲線が多い線形に対して、現上り線は高崎山トンネルや白木トンネルなど、複線化に伴う直線主体の線形のため、ダイヤ上、普通電車はもとより、特急「ソニック」も上りの方が下りより2分速い。

1911年(明治44年)11月1日 - 豊州線浜脇駅として鉄道院が開設。
1934年(昭和9年)4月15日 - 東別府駅に駅名改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。


2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
なお1972年(昭和47年)まで日豊本線に並行していた大分交通別大線の東別府駅前停留所が付近に存在した。

電報略号 ヒヘ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 236人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1911年(明治44年)11月1日
備考 業務委託駅
* 1934年に浜脇駅から改称。

 

Viewing all 3269 articles
Browse latest View live