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大津駅 JR西日本 東海道本線

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現在の大津駅は1921年に開通した膳所駅 - 京都駅間の新線上に新線開通と同時に開業したものです。滋賀県大津市春日町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅です。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれています。琵琶湖観光への玄関口でもありますが、特急列車が全く停車しない県庁所在地駅として結構有名です。

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駅周辺は官公庁が多く、近年は飲食店・雑貨屋・美容院が増加しています。このほか、琵琶湖を望めるホテルが多数あります。日中時間帯は1時間あたり7本が停車、朝晩は本数が多くなります。

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大津駅は当初、大阪方面からの線路が延びてきた折りにできた、現在の京阪京津線浜大津駅の地点に置かれました。列車は馬場駅(現、膳所駅)でスイッチバックを行って当時の大津駅に入っていました。これは、まず東京と京都・大阪を鉄道で結ぶという目標を立てる中で、新政府がその財政難から、滋賀県内では線路を敷設せず、まず琵琶湖の水上輸送を鉄道輸送の代行手段にしたからである。乗客は大津駅 - 長浜駅を太湖汽船の鉄道連絡船で移動した(当時の長浜駅舎が現在のそれとは直角に位置していたのも、港を向いているからです)。しかも、逢坂山を越えてきた線路は湖岸から見ると高い位置にあり、逢坂山トンネル出口から直接大津駅に向かうことはできず、一旦馬場駅でスイッチバックを取る形となりました。なお、この日本で初めての鉄道連絡船である大津駅 - 長浜駅間航路は日に3便、所要はおよそ3時間であったが、強風等で運休となることもしばしばあるなど、必ずしも安定な輸送手段ではなかったようです。
その後、琵琶湖の東岸に沿う区間の鉄道敷設工事は進み、1889年(明治22年)にいわゆる湖東線、膳所駅 - 米原駅 - 関ヶ原駅間が開業、現在の東海道本線の原型が形作られることになった。そしてこの時点で琵琶湖航路は廃止となり、馬場駅 - 大津駅間は旅客営業をいったん廃止し、東海道線の無名貨物支線となった。大津駅は支線の貨物駅となりました。
しかし、請願によりこの支線では1898年(明治31年)に旅客営業が再開されました。この際に設けられた紺屋関駅と、旅客営業を再開した石場駅の間はわずか0.3哩(≒500m)で、当時の官鉄の最短駅間区間でした。1909年(明治42年)には線名制定により大津線と命名。

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1913年(大正2年)3月、京阪石山坂本線の前身となる大津電車軌道が旅客営業を開始すると、大津線の旅客営業は廃止され、再び東海道本線の無名貨物支線となりました。同6月に馬場駅を(2代目)大津駅に、(初代)大津駅を浜大津駅に改称。更にその後、(2代目)大津 - 京都間のルートを新逢坂山トンネルの開削によって短絡することになりました。これに伴い、新線上に(3代目)大津駅をそれまでの駅より西に移ったところに設置し、それまでの(2代目)大津駅は馬場駅に名が戻され、貨物駅となった。

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同駅は1934年(昭和9年)に再び旅客駅となり、膳所駅に改称しました。なお、この貨物支線は1913年(大正2年)から線路を京阪石山坂本線と共用していたが、軌間が異なるため三線軌条となっていました。この支線は、1945年より近江今津からの江若鉄道も直通運転したが、江若鉄道の廃止に伴い1969年(昭和44年)に廃止されました。国鉄時代は駅弁も販売されていました(京都駅と同一の業者が販売)。

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島式ホーム2面4線を有する地上駅になっています。駅の北側に北口改札(びわ湖口)、南側に南口改札があります。地下道から各ホームへ、階段が2本、ホームエレベーターが1本ずつ通じています。北口の駅業務は直営であり、駅舎は2階建ての駅ビルで2階の窓部分は源氏物語をイメージしたステンドグラス風に装飾されています。

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南口はジェイアール西日本総合ビルサービスに委託されています。駅長が配置されており、管理駅として瀬田駅・石山駅・膳所駅の3駅を管轄しています。当駅の京都方面寄り(当駅と新逢坂山トンネルの間)にはカーブがあり(最急は下り外側線で半径500m)、下り線は95km/h、上り線は105km/hの制限を受けます。

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開業時から2面4線であったが、複々線化の際に停留所となった。ICOCA利用可能駅。


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大津駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先 備考
1 ■琵琶湖線 上り(外側線) 草津・米原方面 全ての特急と一部列車
2 ■琵琶湖線 上り(内側線) 草津・米原方面

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3 ■琵琶湖線 下り(内側線) 京都・大阪・神戸方面
4 ■琵琶湖線 下り(外側線) 京都・大阪・神戸方面 全ての特急と一部列車
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すべての特急のほか、草津線直通列車(下りは一部を除く)と一部の新快速が外側線(1・4番のりば)を使用し、その他の列車は内側線(2・3番のりば)を使用しています。

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駅前のバス停からは大津市の中心部である浜大津やその先の雄琴温泉街・堅田駅、あるいは湖岸経由での石山駅方面や草津駅への路線バス便があります。立命館大学への路線バスは名神高速経由である。浜大津を起点とする横浜経由大宮行き夜行高速バス、京都駅を起点とする千葉中央行夜行高速バスも大津駅で客扱いを行う。一時期関西空港や伊丹空港へのバス便も開設されたが、今はありません。

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1880年(明治13年)7月15日 - 官設鉄道の大谷 - 馬場 - 大津間延伸により、大津駅(初代・後の浜大津駅)開業。
1913年(大正2年)6月1日 - 馬場駅を大津駅(2代目)に、大津駅(初代)を浜大津駅に改称。
1921年(大正10年)8月1日 - 大津駅(2代目)を馬場駅に改称。同時に東海道本線の馬場駅 - 京都駅間のルート変更により、新線上に大津駅(3代目)開業。
1975年(昭和50年)4月1日 - 大津駅(4代目)開業(業務は1月26日から)
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2000年(平成12年) - 大津駅南口再開発事業により南口を新設。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。

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電報略号 オツ
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線

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乗車人員
-統計年度- 17,303人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1921年(大正10年)8月1日*
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
* 過去にも「大津駅」を名乗った駅あり

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国鉄457系電車 クモハ455-1

 

国鉄457系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直両用急行形電車。

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1958年に運用開始された153系電車は、車体の両端に出入台を設け全席をボックスシートとしたことで客車を上回る居住性を実現し、利用者からは好評であった。また、1950年代半ば以降は変電所など地上設備の数が少なく済み、初期コストが少なくなる交流電化を地方線区中心に推進した結果、直流電化区間との直通車両が要求され、交直流いずれの電化区間も走行できる急行形電車が必要となった。このため153系をベースとした交直両用電車として開発されたのが、本グループの第1弾となる451・471系である。本グループは、増備過程での主電動機出力の変更や勾配抑速ブレーキの有無、さらに対応する交流電源周波数により細かいグループに分類されている。
分割民営化時には、JR東日本・JR西日本・JR九州に継承され普通列車として運用されていたが、2000年代以降は車両老朽化ならびにドア数や座席配置などサービス水準を向上させた新型車両が投入された結果、運用に適さなくなったこと、さらに断熱材にアスベストが使われていることなどから急速に廃車が進められ、2014年現在ではJR西日本所属車両の一部のみが定期運用に充当される。

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車体は軽量鋼(外板は1.0mm厚、屋根板は1.2mm厚)と鋼板形押材を使用し、高運転台構造が採用された点はクハ153形500番台と同じであるが、正面貫通扉付近のデザインは幌枠が突き出ているなど若干異なっており、翌1963年に登場する165系先頭車も本系列に準じたほか、客用扉にはステップを設置した。
走行機器は、2両8基の主電動機を制御する1C8M構成のMM'ユニット方式を採用し、Mc車にノッチ戻し制御可能なCS15形電動カム軸多段主制御器・抵抗器・補助電源用電動発電機(MG)・電動空気圧縮機(CP)などの直流機器を、M'車に主変圧器・整流装置・搭載部分を絶縁確保のために低屋根構造としたPS16B形集電装置1基などの交流機器を分散搭載する。
台車は、以後の国鉄特急・急行形電車の標準となるダイアフラム式空気バネのDT32・TR69系列が初採用された。

451系・471系:401系・421系と同時に設計され1962年に竣工した系列である。451系が仙台地区の、471系が金沢地区の急行・準急行客車列車置換え・増発用として製造された。当初は特急形電車として検討されていたが、当時は交直流電車が誕生間もない頃で技術上の課題が若干残されていたため、急行形電車として計画が進められた。
451系・471系の搭載機器相違
系列 主制御器 主変圧器 主整流器
商用電源周波数の相違により電動車に搭載される送油風冷式主変圧器・主整流器が異なることから、50Hz用車両が451系、60Hz用車両が471系の系列番号とされた。ただし、商用周波数の影響を受けない制御車・付随車は共用できるため451形とした。
主変圧器の大きな相違点として、TM2B形は補助回路主変圧器を一体化しているが、TM3B形は補助回路変圧器を独立させた1次側出力を降圧する構造を採用する。
制御器は電動カム軸式CS15。MGはMH97-DM61(容量20kVA)、CPはMH80A-C1000、電動送風機はMH2019-FK42を搭載する点は両形式共通である。
Mc+M'ユニットは奇数(東海道本線基準で東京方)・偶数(同神戸方)のどちらを向けても運用可能な両渡り構造とし、落成当初は中間のサロ・サハシ451形を境にユニットを背中合せに連結することで編成を組成した。その後、冷房化により三相交流電源を引き通すためにKE5形ジャンパ連結器を追加したため片渡り構造となり奇数向きで統一され、偶数方をクハ451形とした。
運用線区の関係でホーム高さの低い線区が多いためにレール面上970mmの高さにステップが取付けられたが、クモハ451-1 - 9・クモハ471-1 - 11・13の1次車は戸袋部分で枕ばりと側はりの結合が実施できなくなることと車体強度の問題から乗務員室側客用扉については外吊方式とされた。しかし、雪の付着やトンネル入出時にかかる圧力からドアが開くなどのトラブルが生じたことにより、2次車以降は通常の戸袋方式が採用され1次車についても同様の改造が施工され、重量が約900kg増加した。

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クモハ451形(1 - 12):交流50Hz対応の2等(現・普通)制御電動車で定員76名。主制御器・MG・CPを搭載。乗務員室助士席側後部に機器室が設置されたため、その部分に側窓がなく、機器室用冷却風取入口が設置されている点が外観上の特徴である。床下艤装の関係上トイレ・洗面所用の水タンクは横手方向に取付けられた

 

宇須々木の旧海軍基地/宿毛海軍航空隊 2貯油庫跡

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宿毛基地も指宿基地も、戦後は基地設備が撤去され、以後は軍事的な活用は行われていない。宿毛基地が位置した宇須々木漁港は一般的な漁港の姿に戻ったが、弾薬庫などの付帯設備が現在も残されており、市内の水上特攻基地とあわせて訪問するファンもいる。指宿基地跡は国民休暇村や潟山運動公園、なのはな温泉館などのレジャー・体育施設に転用されているが、隊門や防空壕など当時の設備も若干残されている。

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貯油庫跡 戦後も漁業用として使われていました。

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航空機のガソリンや、艦艇用の重油などを保存していたガスタンクです。

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一階が油槽庫で、二階のトンネル上の構造物を確認、水上機の整備や給油を行なう為のスペースのようです。

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砲爆撃や事故への備えてトンネル構造になっています。

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高さ約10M 幅約7M 奥行約50M

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この2階スペースで水上機や水雷艇を給油・整備していたのでしょう。2階のスペースへはクレーン等が必要だったと思いますが、痕跡は見当たりませんでした。

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トンネルを抜けた先には下への階段と広いスペースがあります。

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昭和18年(1943年)
4月1日 第一艦隊附属として開隊。
         水上戦闘機・水上偵察機補充要員養成航空隊として発足。定数は水上戦闘機12機・水上偵察機12機。
10月1日 第三艦隊第五〇航空戦隊に編入。
昭和19年(1944年)
1月1日 実戦部隊に転換、「第四五三海軍航空隊」に改称。佐世保鎮守府部隊に編入。
         指宿基地に移り、九州南方・西方海上の対潜哨戒に従事。
2月20日 海上護衛総司令部隷下に転属。九州沖の対潜哨戒を継続。
         水上戦闘機隊を廃止し、水上偵察機隊に変更(定数14機)。
4月22日 電波探信儀・磁気探信儀の搭載を下令、各4機搭載。
6月29日 タカ412船団、奄美大島沖で潜水艦攻撃を受ける。磁探機1機で対潜掃討、戦果なし。
8月6日 モタ22船団、薩摩半島西方沖で潜水艦攻撃を受ける。磁探機2機で第八号海防艦・第三二号海防艦の対潜掃討に協力。
8月7日 巡洋艦長良、天草沖で戦没。磁探機3機で対潜掃討、戦果なし。
8月16日 男女群島沖を哨戒中、敵潜水艦を発見。爆撃したが戦果なし。
11月14日 佐多岬沖を哨戒中、敵潜水艦を発見。爆撃したが戦果なし。
12月15日 第九五一海軍航空隊に編入。

西日本の海上護衛戦力を統合するため、九五一空に編入されて宿毛空・四五三空は消滅した。しかし、対潜哨戒に欠かせない磁探を最優先に搭載した旧四五三空偵察機は、九五一空の中でも有力な戦備であったため、沖縄戦が始まるまでの九州〜沖縄航路の哨戒任務に最優先で投入された。相次ぐ消耗のために、九五一空は縮小を余儀なくされたが、指宿基地は現状維持が図られ、終戦まで対潜哨戒任務を遂行した。

伊予三芳駅 JR四国 予讃線

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伊予三芳駅(いよみよしえき)は旧東予市街地、愛媛県西条市三芳にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。

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かつての三芳町の中心駅です。周囲は住宅地。駅前のロータリーには蘇鉄が植わっています。

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1番線が上下副本線、2番線が上下本線(制限速度100km/h)となっている一線スルーで対向式2面2線の地上駅です。駅舎は木造で瓦屋根の上にもう一段屋根がある特徴あるデザインです。

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無人駅で窓口は閉鎖、駅舎ないにベンチが中央と壁面に設置されています。キオスクで乗車券を販売していましたが現在は閉鎖されています。ホームは屋根のない跨線橋で結ばれています。

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駅の近くに大明神川トンネルがあります。高松方にある予讃線のトンネル。天井川である大明神川をくぐっており、断面が小さい予讃線のトンネルの中でもその小ささは際立っています。この付近で今治小松自動車道とアンダークロスしているため、架橋もトンネルの掘り直しも不可能です。

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1923年(大正12年)10月1日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。
2006年(平成18年)12月15日 - 午後2時10分頃 85歳無職の男性が運転する乗用車が駅舎に衝突する事故を起こし、待合室部分を破壊した。待合室にいた利用客2人は怪我はなく無事。

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電報略号 ミヨ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1923年(大正12年)10月1日
備考 簡易委託駅

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伊予桜井駅 JR四国 予讃線

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伊予桜井駅は、愛媛県今治市桜井にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅である。大正時代末期までは、予讃線の終着駅でした。この桜井地区は漆器で有名なところです。

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1番線が上下本線(制限速度100km/h)、2番線が上下副本線となっている一線スルーで対向式2面2線の地上駅。

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駅舎全体の雰囲気は和風、白壁瓦屋根の木造駅です。

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駅舎内の窓口は閉鎖、待合スペースには長椅子が設置されています。

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簡易委託駅で、駅前の商店で乗車券を販売している様子。ホームは屋根の無い跨線橋で結ばれています。またホーム側、駅舎裏軒下にはベンチとして丸太が置かれています。

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1923年(大正12年)12月21日 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

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電報略号 サク
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線

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開業年月日 1923年(大正12年)12月21日
備考 簡易委託駅(駅舎外発券)

 

 

宇須々木の旧海軍基地/宿毛海軍航空隊 3弾薬庫跡

満洲にあった第44連隊は、本土戦線の緊迫化により、昭和20年4月東満洲虎林を後に朝鮮を経て高知に帰り敵前上陸に備えた。

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錦部隊(坂本俊馬大佐)として高岡郡弘岡を中心に、東部は4月1日にあらたに編成された第451連隊護土部隊(森田豊秋大佐)が守備につき、須崎以西は剣山部隊が海軍特攻隊と共に配備されました。
昭和20年5月初旬頃における第2総軍の情勢判断では、敵は南部九州と共に南部四国に対し、同時又は相前後して作戦する公算が大であるとし、この場合四国は孤島的存在で、我が兵力を迅速に集中することが困難であるのに対し、敵は比較的容易に上陸ができ、特に高知平野付近の飛行場確保によリ、戦闘機の小型機も容易に関東地方まで行動できるものと判断されました。
このため四国方面の兵備も遂次重視され、一時第16方面軍の隷下に編入されて広島付近に配置されていた第205師団が、6月19日第55軍の戦闘序列に編入され、高知付近に配備。更に第三次兵備により臨時動員された第344師団、独立混成第121旅団及び野戦砲兵部隊等が6月19日第55軍の隷下に編入される事になった。宿毛湾及び徳島付近に各一個兵団を配備して持久する計画でした。そして四国における作戦は、同島所在の兵力により実施し、他方面からの増援は予定されていなかった。また四国方面の海上作戦は、呉鎮守府司令官が担任し、高知、須崎、宿毛、小松島等には海軍特攻部隊が配置されました。

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(写真:弾薬庫跡)
宿も湾正面の防備にあたった第344師団(剣山)の編成
師団長 横田豊一郎中將 (陸士25期)
参謀長 福山芳夫大佐  (同35期)
師団司令部 中村
歩兵352聯隊長 中島美光大佐   (八幡浜・宇和島に配備)
〃〃353〃〃〃 前田敏夫大佐   (中村)
〃〃354〃〃〃 道盛 清中佐   (宿毛)
   (3大隊欠)
師団噴進砲隊
   工兵隊(Z) 主力は中村方面
   通信隊(Z)    〃   
   輜重中隊    〃   
   野戦病院    〃   
以上が344師団のおもな編成である。

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(写真:弾薬庫防火扉)

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これは昭和20年5月23日編成発令されたもので、師団司令部は6月上旬に編成完結、従って陣地構築もなく部隊を配置したばかりで市内の各学校を兵舎に使用、学校はお寺や神社等で分散授業をするというような状態であり、小銃等も数が不足して歩兵全員に支給できず、竹光の銃剣、竹製の水筒等その装備は極めて劣っていた。大隊本部は錦の新城山を予定し構築にかかっていた。

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(弾薬庫 周辺のコンクリート壁)
次に配備概要図(防衛庁戦史編さん室作成)によると海軍陸戦隊がかなり多く配置されていること、鵜来島の大砲以外は皆内陸の方に向けて据え付けていることである。これは上陸艦船を砲撃するには小さいし、艦砲射撃を恐れて、上陸した敵を背後より攻撃する為であった。

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火薬は湿った状態で持ち込まれ蒸気の熱風で乾燥させ、大型爆弾の場合は高圧蒸気の熱で鍋の中で溶かした後、筒などに流し込んで固め切断し密封して仕上げたということ。

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万が一爆発が起きた場合、圧力が上に抜けやすくするため側面の強化された壁や扉とは逆にトタンや木造などワザと脆弱な構造だった。

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伊予富田駅 JR四国 予讃線

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伊予富田駅の周囲は住宅地、今治市の郊外になる愛媛県今治市上徳にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。利用者の大部分は高校生です。駅から徒歩で約2分の所に瀬戸内運輸富田駅前停留所があります。

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1番線が上下副本線、2番線が上下本線(制限速度100km/h)となっている一線スルーで対向式2面2線の地上駅。大屋根に屋根が2段となっている改装された木造駅舎です。

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駅舎内の出札窓口は閉鎖されています。ホームは嵩上げされており、駅舎との間に急なスロープがあります。ホーム間は屋根の無い跨線橋で結ばれています。

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2番ホームには木造長椅子が設置された待合室があります。

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簡易委託駅で、駅前の運送店で乗車券を販売しています。

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1924年(大正13年)2月11日 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

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電報略号 トタ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1924年(大正13年)2月11日
備考 簡易委託駅(駅舎外発券)

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国鉄40系電車 クモハ40074

国鉄40系電車は、1932年(昭和7年)から1942年(昭和17年)にかけて日本国有鉄道の前身である鉄道省が製造した、車体長20m級3扉ロングシートの旧形電車を便宜的に総称したもので、鉄道省の電動車としては初めて全長20m級の鋼製車体を採用した電車です。
具体的には、両運転台型三等制御電動車のモハ40形(40001 - 40080)、片運転台型三等制御電動車のモハ41形(41001 - 41055)、片運転台型三等制御車のクハ55形(55001 - 55096)、二等三等付随車のサロハ56形(56001 - 56013)、三等付随車のサハ57形(57001 - 57047)、モハ41形の電動機出力向上型であるモハ60形(60001 - 60126)、三等荷物合造制御車のクハニ67形(67001 - 67008)の7形式425両を指す。

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1932年度、大阪地区で初めて片町線四条畷 - 片町間および城東線が電化され、電車の運行が開始されることとなった。この電化開業に合わせて製造されたのが本系列である。鋼製の20m級車体の電車は、制御車、付随車については32系で実用化されていたが、本系列では初めて電動車も20m級車体で製造された(因みに日本初の20m級鋼製車体を持つ電動車は1928年に登場した大鉄デニ500形である)。大阪地区向けには20m級電動車が製造されたものの、東京地区(山手線)では設備の準備が整わなかったため、1932年度および1933年度は17m級車体の33系が投入されたが、1933年度後半からは京浜線向けに20m級車体の新造車が投入され、これ以降17m級電車の新造はない。本系列は東京・大阪両地区の標準形電車として11年間に400両以上と戦前型電車としては最も長期かつ大量に製造が続けられたため、年度ごとの設計変更が忠実に反映されており、形態もバラエティに富んでいる。

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本系列は、大都市圏で通勤輸送に使用するため、20m級の半鋼製車体の側面3か所に幅1100mmの引戸を設け、座席はロングシートである。扉間には幅800mmの二段上昇窓を5個設けている(サロハ56形を除く)。運転台がない側の扉と妻面との間には、扉間と同じく幅800mmの窓が2個設けられている。運転台周りについては、製造年次ごとの変化が大きく、運転台直後の窓配置にはその差が大きく現われている。

クモハ40074は国鉄分割民営化直前の1987年3月30日付けで除籍されていたが、クモハ40054が平妻型であったのに対し、クモハ40074は形態の異なる半流型であったため、これも動態保存することになり、1988年(昭和63年)3月21日付けで復籍した。
両車は、JR東日本管内でイベント用として運行されたが、2000年12月に発生した京福電気鉄道の衝突事故により、ブレーキの多重系統化のできない本形式の運行は停止された。その後は、大宮総合車両センター内で保管されていたが、クモハ40074は2007年(平成19年)10月にさいたま市大宮区に開設された鉄道博物館で保存展示されている。

 


日産自動車ティアナ(TEANA)「Military police」仕様

 

2003年2月3日に登場。日産の(特にアジア・オセアニア圏における)世界戦略車としての使命を与えられているため、セフィーロ同様世界各国で販売されている。日本のほか中国、ロシア、台湾、インドなどでは「ティアナ」、香港、シンガポールなどでは「セフィーロ」(初代のみ。2代目ではティアナに変更)、またオーストラリアやニュージーランドなどでは「マキシマ」と仕向け地により異なるネーミングで販売されている。また、韓国のルノーサムスンでは初代が「SM7」「SM5」として同社釜山工場でライセンス生産された。

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当初、国内仕様を含めその多くは基本的に日産九州工場で行われていたが、その後徐々に海外生産分が増え、2011年現在において台湾(裕隆日産汽車)と中華人民共和国(東風汽車有限公司)、ロシア(日産ロシア製造会社)、タイ(タイ日産)、イラン(パルス・ホドロ)のティアナは現地生産となっている。
初代は割安な価格や後述の特徴などもあって、日本のみならず世界各地で販売された(ただし欧州では販売されておらず、米国では同じプラットフォームを使用したアルティマやマキシマが販売されている)。

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「Military police(MP)憲兵(けんぺい)は、戦闘支援兵科の一種であり、主に軍隊内部の秩序維持と交通整理を任務とする。

憲兵とは平時においては軍隊内部の秩序・規律を維持し、戦時においては主に交通整理・捕虜取り扱いなどの業務を行う兵科である。国によってその編成は一律ではないが、一個師団には概ね全人員に対して3%程度の人員が憲兵隊を構成しており、少なくても100人から200人程度で憲兵中隊が編成されている。大隊以上の規模を持つ憲兵隊では、犯罪捜査の要員や法曹有資格者も所属している場合がある。
規律正しさから特殊な任務を担うことも多く、日本では国賓に対する栄誉礼を行う特別儀仗隊は、警務科に属する第302保安中隊の隊員を以て編成される。また、朝鮮半島の共同警備区域(板門店)で南側の警備に当たっているのも憲兵である。

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憲兵の制度ならびにその職掌は、沿革や制度設計思想により各国で大きく異なり、一様ではないが、フランスの国家憲兵隊を範とした国では、各軍の一兵科としてではなく、陸海空軍から独立した編成(以下、「国家憲兵制度」と呼ぶ)を採り、軍内部の秩序維持のみならず、一般の行政警察機能を重視したものである。具体的には、ジャンダルムリ(フランス共和国)のほか、ジャンダルマ(トルコ共和国)、カラビニエリ(イタリア共和国)などがその例である。他にも、チリやアルゼンチンなどに存在する。旧日本陸軍の憲兵もフランスの制度を範として創設された国家憲兵の一種であり、日本海軍の軍事警察や行政警察、司法警察をも職掌した。
憲兵は、警察権を行使することを明確にするため、軍服に兵科色、徽章、腕章等を着用していることが多い。また、鉄帽や弾帯を白くする等で目立つようにしている場合もある。

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波止浜駅 JR四国 予讃線

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愛媛県では最北端の駅である波止浜駅(はしはまえき)は、愛媛県今治市高部にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。普通列車のみ停車する駅です。

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付近は静かな住宅地。しまなみ海道の入口近くに位置し、本州と結ぶフェリーの発着する港も近い交通の要衝です。来島大橋の歩道入口までは2.4キロ。駅からも大橋の一部を眺めることができます。

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1番線が上下本線(今治駅方制限速度90km/h、松山駅方制限速度65km/h)、2番線が上下副本線となっている一線スルーで対向式2面2線の交換可能な地上駅。丸みを帯びた屋根を持つ木造駅舎です。

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現在は無人化されている。駅舎内窓口、キオスクは閉鎖。木造の長椅子が設置されています。

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ホーム間は屋根の無い跨線橋で結ばれています。ホームは右に急カーブしています。3番線跡が残っています。

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1924年(大正13年)12月1日 開業。当時は塩田開発で富豪が多く住んでいたため、今治駅〜大西駅間を遠回りするルートになった。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。

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電報略号 ハハ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1924年(大正13年)12月1日
備考 無人駅

呉海軍墓地合同追悼式(長迫公園)

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毎年9月の秋分の日に旧海軍墓地(長迫公園)で行われている合同追悼式です。

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旧海軍墓地は、1890(明治23)年に、戦没などによる海軍軍人などの埋葬地として開設、1986(昭和61)年に国から市に無償で譲与され、「長迫公園」として整備されました(公園全体面積−約2.90ha)。

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この墓地には、戦前に建立された墓碑が169基、「戦艦大和戦死者之碑」等80基の合祀(ごうし)碑が建立されています。

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また、映画「男たちの大和/YAMATO」の撮影が行われた場所としても有名です。英国水兵の墓1基、個人碑は157基が建立されている。

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慰霊碑は山肌の傾斜に沿って戦争に参加した全ての軍艦、戦艦、駆逐艦、巡洋艦、潜水艦、潜水母艦、特務艦、航空隊、輸送艦、航空母艦、海防艦、工作艦で犠牲になられた人たちが祀られている。

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アクセス
●バス/広電バス・三条二河長迫循環線「長迫町」バス停下車すぐ
●車/ 広島呉道路(クレアライン)呉ICから約10分
●駐車場あり/11台

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平塚駅 JR東日本)東海道本線

平塚駅(ひらつかえき)は東海道の宿場町として栄えた神奈川県平塚市宝町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道本線の駅です。
東京駅発着系統と、新宿駅経由で高崎線に直通する湘南新宿ラインが停車する。現在、平塚市内に所在する唯一の旅客駅である。

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島式ホーム2面4線を持つ地上駅で、橋上駅構造となっている。日本で最初の国鉄出資駅ビルです。東口と西口が設けられており、このうち中央口の役割を持つ東口には、北口に駅ビル「ラスカ」が、南口に「平塚ラスカ南館」がそれぞれ併設されている。なお、西口は駅舎と改札口のみである。
直営駅として運営されており、東口には自動改札機・自動券売機・指定席券売機・ライナー券売機(おはようライナー新宿・湘南ライナー)・みどりの窓口(営業時間は6時30分から21時)・コンビニエンスストア(NEWDAYS、改札外に入居)が、西口には自動改札機・自動券売機・コンビニエンスストア(NEWDAYS、改札外に入居)がそれぞれ設置されている。なお、エスカレーターは東口のみ設置されている。
湘南ひらつか七夕まつりの開催期間中は、通常使用されている東口改札口の北側に、出口専用の臨時改札口が設けられる。多数のバス路線が乗り入れています。

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のりば
番線 路線 方向 行先 備考
1・2 ■東海道線 上り 大船・横浜・東京方面 一部は3番線から発車
■湘南新宿ライン 渋谷・新宿・大宮方面(高崎線直通)
3・4 ■東海道線 下り 小田原・熱海・伊東・沼津方面
主本線は1・4番線である。2・3番線は特急・快速などの待避を行う列車や当駅折り返しの横浜方面の列車が使用する。

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快速「アクティー」や「湘南ライナー」の前を走る下り普通のほとんどは当駅で待ち合わせする。また一部の上り普通列車も当駅で待ち合わせする。他に一部の普通では特急の通過待ちや付属編成5両の増解結も行われる。
2007年3月18日のダイヤ改正より上りホームにSuicaグリーン券券売機が設置された。また、特急で唯一停車していた「東海」はこのダイヤ改正で廃止された。
4番線ホームの方面案内表示はそれまで「国府津・沼津・名古屋・大阪方面」と表記されていたが、2010年2月頃にLED照明のものへ交換されたため、「名古屋・大阪方面」の表記はなくなった。
並行する東海道貨物線にはホームがない。

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かつての平塚駅には東西に専用線が伸びていた。一つは駅構内北側を西へ出てすぐに北進して築堤で追分へ向かう通称第二海軍火薬廠線で、廃止後は市内の開発により築堤を失い、駅から旧東海道付近のみが市道・錦町1号線として再利用されている。もう一方は構内南側から分岐して本線南側に沿って東進、相模川の川岸で急カーブを描いて南北に分岐する線形で、南側は久領堤(くりょうづつみ)の横須賀海軍工廠造機部平塚分工場へ、北側は天沼の日本国際航空工業へ向かっていた。これらは戦後も民間利用が続き、南側は東洋工機平塚工場、北側は日産車体湘南工場をはじめ、横浜ゴム平塚製造所や相模石油平塚油槽所へ続く専用線が途中から分岐していた。その他、駅周辺のセントラル石油瓦斯系のセントラルガス湘南営業所や日本たばこ産業平塚工場へ続く専用線もあった。
これらの路線は当駅の客貨分離により相模貨物駅分岐扱いとなったが、線形は変わらなかった。日産車体・横浜ゴム線は1975年頃、日本たばこ産業線とセントラルガス線は1985年頃まで、馬入ふれあい公園の北にあった平塚油槽所へ続く相模石油線は1996年9月まで使用されていた。油槽所跡地は現在相模石油経営の「F.ドリーム平塚」というカート場になっている。

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1887年(明治20年)7月11日 - 官設鉄道が旧 横浜駅と国府津駅間に延伸されたことに伴い、国有鉄道の駅(一般駅)として開業する。
1898年(明治31年)5月15日 - 専用線(後述)の供用を開始する。
1906年(明治39年)7月1日 - 平塚支線が開通する。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称が制定され、東海道本線所属となる。
1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災による液状化現象に伴い、馬入川鉄橋が崩壊する。
1924年(大正13年)4月1日 - 平塚支線が廃止される。
1971年(昭和46年)9月25日 - 客貨分離により、新設の相模貨物駅に貨物取扱業務を移管する。
1973年(昭和48年)6月26日 - 駅ビルが完成する(日本で最初の国鉄出資駅ビルであった)。
1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物取扱を廃止する。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
2001年(平成13年)11月18日 - ICカード乗車券「Suica」の、当駅における供用を開始する。
2009年(平成21年) - 平塚市の事業により、北口駅前広場がバリアフリー化される。
2013年(平成25年)7月5日 - 童謡「たなばたさま」が駅の発車メロディに採用される。
2013年(平成25年)10月31日 - 平塚市の事業により、平塚駅西口にエレベーターが設置され、バリアフリー化される。

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電報略号 ヒラ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 61,486人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1887年(明治20年)7月11日
備考 みどりの窓口 有

 

大西駅 JR四国 予讃線

大西駅は、愛媛県今治市大西町新町にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅。以前は伊予大井駅という名称でしたが、大井村と小西村の合併により大西町が誕生した際に駅名を併せて改称されました。

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当時の駅名が現在も愛媛県道163号鈍川伊予大井停車場線の路線名に残っています。駅周辺はそれなりに賑わいのある住宅地です。一部の急行列車が停車していたが、停車駅整理により原則通過駅となりました。

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1番線が上下本線(制限速度100km/h)、2番線が上下副本線となっている一線スルーで対面式2面2線の地上駅です。駅舎は入口部分に小さな三角屋根を組み合わせた、洒落た洋館のような木造駅舎です。

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駅舎内、簡易型の券売機が設置されています。待合室には木造の長椅子が設置されています。かつて系列のパン屋が待合室に入居していました。

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ホームは屋根の無い跨線橋で結ばれさらに駅舎の外へと続いています。保線用に使用されている3番線跡があります。駅舎脇には旧ホーム跡もあります。

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1924年(大正13年)12月1日 伊予大井駅として開業。
1959年(昭和34年)10月1日 大西駅に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。
2010年(平成22年)9月1日 - 無人化

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キロ程 156.4km(高松起点)
電報略号 オニ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1924年(大正13年)12月1日
備考 無人駅(自動券売機 有)

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伊予亀岡駅 JR四国 予讃線

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大正14年開業の伊予亀岡駅(いよかめおかえき)は海沿いの大きな集落、愛媛県今治市菊間町佐方にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。

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至近に小学校や公民館など公共施設が多くあり漁港へも近い。駅の西には石油備蓄基地があります。

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無人駅。入口部分に三角屋根を組み合わせた切妻の木造駅舎です。駅前は十分なスペースがあります。

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1番線が上り副本線、2番線が上下本線(今治駅方制限速度80km/h、松山駅方制限速度90km/h)、3番線が下り副本線の2面3線のホームを持つ地上駅となっています。

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駅舎内は券売機も設置されてなく窓口も閉鎖されています。待合室には木造の長椅子が設置されています。

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ホーム間は屋根の無い跨線橋で結ばれていますが改札外からのアクセスという変わった設置です。

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2・3番島式ホームには小規模の上屋が設置されています。

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1925年(大正14年)6月21日 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。

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電報略号 カオ
駅構造 地上駅

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ホーム 2面3線
開業年月日 1925年(大正14年)6月21日
備考 無人駅

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菊間駅 JR四国 予讃線

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菊間駅は旧菊間町の中心、愛媛県今治市菊間町浜にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。駅前は金融機関や市役所支所などが立地し賑わっています。

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周辺は四国瓦発祥の地で、瓦工場が散在します。1997年に菊間駅のすぐ南の小さな山が「瓦のふるさと公園」として整備されました。山の上にできた時計台には「瓦の町」の文字が刻まれ、夜はライトアップされる。駅からも見える、菊間のシンボルとなっています。

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北側から1番線が上下副本線、2番線が上下本線(今治駅方制限速度85km/h、松山駅方制限速度100km/h)で相対式ホーム2面2線をもつ地上駅。菊間瓦の才知ということで、瓦をふんだんに使用したお城風の木造駅舎です。駅は右辺のみで中央は「ふれあいステーションきくま」というコミュニティ施設です。

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1番線側の駅舎内の小さな待合室には。簡易型の券売機と長椅子が設置されています。かつて系列のパン屋が入店していましたが、現在は撤退しています。

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2つのホームは屋根の無い跨線橋で結ばれ、2番線には待合室が備えられています。ホームが段違いに設置されているためでしょうか、跨線橋がかなり高松よりに設置されています。

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ホーム構内はカーブしています。駅舎側に複線分の留置線跡があり保線用で使用している様子です。
かつては一部の急行列車が停車していたが、停車駅整理により通過駅となりました。

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1925年(大正14年)6月21日 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。
2010年(平成22年)10月1日 - 無人化

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電報略号 キク
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1925年(大正14年)6月21日
備考 無人駅(自動券売機 有)

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DogHouseOne

くペットショップですが飼い主さん同士も自由にコミュニケーションがとれるフリーフロアでカフェやお食事を楽しむことができるドッグカフェです。

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食事は軽食、デザート、飲みものが充実、ベトナムの朝食ベトナムフォー(米の粉で作ったスープ麺)もあります。。ワンちゃんへのメニューもあります。テラスフロアでは大型犬も一緒に過ごせるようになってます。2階にもイベント・団体や人の目を気にせずゆっくりできるフロアスペースがあります。

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ワンちゃんクッキー

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住所:〒699-0624 島根県簸川郡斐川町大字上直江3334
電話:0853-72-8873
業態:カフェ、ペットショップ(猫)
最寄り駅1:JR山陰本線(米子〜益田) 直江駅(0.49km)
最寄り駅2:一畑電車北松江線 大寺駅(2.45km)
営業時間9:00〜19:00
定休日 火曜日

9月29日(月)のつぶやき

名鉄岐阜駅

名鉄岐阜駅は、岐阜県岐阜市神田町九丁目にある名古屋鉄道の駅。中部国際空港開港直前の2005年1月29日に新岐阜駅から改称された。
行き先の表示・駅や車内での放送では単に岐阜(For Gifu)、犬山経由岐阜(For Gifu via Inuyama)と略表記される。隣接する岐阜バスのバス停名は2006年4月1日から名鉄岐阜に改称された。それまでは旧名の新岐阜の名称が使われていた。
名鉄岐阜駅の西側、国道157号の道路上にあった名古屋鉄道岐阜市内線の停留場である新岐阜駅前駅(しんぎふえきまええき)は岐阜市内線自体の廃止(2005年4月1日)を控えていたこともあって、改称されず廃駅となった。

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駅前道路の反対側にあった岐阜パルコも新岐阜百貨店に続き、2006年8月20日に閉店となった。その前の2002年4月にはダイエー岐阜店も閉店しマンションに建て替えられた。
当駅の所在地は岐阜市神田町であるが、駅名変更前の「新岐阜」も地元住民には一種の地名のように呼ばれており、周辺には店名に「新岐阜」を冠した店舗も多い。

築堤高架上の名古屋本線乗り場と、地平に設置された各務原線乗り場の2つの部分からなる。かつての美濃町線系統には各務原線構内に専用の乗り場があった。名古屋本線と各務原線の各構内は改札内・改札外ともに連絡通路で結ばれている。
名古屋本線1-4番線は櫛形2面4線のホームで8両編成対応、各務原線5-6番線は櫛形1面2線のホームで6両編成対応。各務原線にはかつて美濃町線直通列車用の1面1線の低床ホームがあり7番線(2両編成対応)となっていたが、7番線は2005年4月1日の美濃町線・田神線廃止に伴い廃止された。現在7番線は6両編成対応の留置線となっているが、日中の車両留置はなく、夜間停泊でしか使われていない。
2004年12月には2番線に油圧緩衝式車止めが設置された。これは前年に発生した過走衝突事故への対策で、現在では名古屋本線の各ホームについて設置が完了し車止め周辺には安全柵も設置されている。到着列車は分岐器の制限速度35km/h(3番線のみ25km/h)で進入後、ホーム途中から15km/h以下多段階のATSのチェックを受けながら停止する。
部分的な改良工事を重ねてきた関係で延伸時に嵩上げされた3・4番ホームよりも1・2番ホームの方が僅かに低い位置にあるほか、1番線のみ線路の終端(改札口に近い側)が更に下がってホームの左右で高低差があったが、2012年3月に中心が電車1両分に亘って柵で仕切られ1番線側が平坦に均された。各務原線ホームも延伸された先端部分は幅が非常に狭い。なお駅構内の枕木は全て木製のままである。1・2番ホーム全体および3・4番ホーム改札寄りの上屋支柱の一部には1897年カーネギー製の古レールが再利用されている。

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のりば
ホーム 路線 行先
1 - 4 ■名古屋本線 名鉄一宮・名鉄名古屋・豊橋・中部国際空港・新羽島方面
5・6 ■各務原線 三柿野・新鵜沼・犬山・新可児方面

名古屋本線ホームの先のJR東海道本線と立体交差している部分(名鉄加納陸橋)は単線になっている。陸橋部分は1996年まで地平の東海道本線を名古屋本線が跨いでいた部分で、東海道本線の高架化後はその下を潜る構造となっている。この陸橋はかつて東側を走っていた国道(現国道157号)と一体化した構造になっており、現在も陸橋東側には旧東陸橋の跡である橋台が隣接して残存する。
この単線部分には第2出発信号機が設置され、名古屋本線の上り方向へは1分間隔で発車できるようになっている。なお、現時点において単線区間を複線化する計画は存在しない。
もともと1914年(大正3年)12月に開通した時点ではこの部分も複線であった。しかし第一次世界大戦中に資材不足により、岐阜市内線の補修用レールを入手できなかったため、当時の運行状況では単線化しても問題なかったことから、茶所 - 新岐阜間を単線化してレールを転用した。第二次世界大戦後茶所 - 新岐阜間は再度複線化されたが、この部分については複線に戻されずに現状となっている。
名古屋本線と各務原線の両駅舎は改札内の連絡通路で結ばれている。名古屋本線側と各務原線側の双方の駅舎に駅ビルがあり、各務原線側(名鉄長住町ビル)にはLOFT岐阜店と立体駐車場が入っている。名古屋本線側の駅ビルは老朽化が進んでいたため1990年代初期のバブル期に建て替え工事が検討されていたが、その後の不況により中止。そして2005年12月28日に新岐阜百貨店が閉店したため、これを機に解体・駅舎建て替えを2006年6月24日よりまずは建物北側から始まった。2007年7月14日より新駅舎の一般利用が開始された。
なお、2009年9月6日、新岐阜百貨店跡地に商業施設(ECT (イクト))がオープンし、1階には食品スーパーの「パレマルシェ」、2階には飲食店やファッション関係の店舗など18テナントが入った。
名古屋本線へは西側に面した道路(国道157号:長良橋通り)から大階段で昇れるようになっており、上下エスカレータが各1基とエレベータ2基が設置されている。現在、1階にはサンクスが営業をしている。また、カフェバー「プロント」が2007年12月17日から営業を開始した。
名鉄岐阜駅は長住町ビル建設の際にバリアフリー化され、各務原線ホームへはスロープの設置により段差無しでホームに入れるようになった。また名古屋本線ホームへはビルの店舗外スペースにエレベータと上下エスカレータが設置され、改札外連絡通路を通じてホームに入れる様になっている。2007年7月の新駅舎供用開始後は、改札内にも名古屋本線と各務原線を結ぶエレベータが設置された。
新羽島方面への時刻表には笠松で竹鼻線列車に連絡する列車の時刻も書かれている(直通列車は早朝の2本(平日、土休日)、平日の夕方の10本、深夜(平日のみ2本)しかなく、直通列車のない時間帯は笠松で快速特急、特急から接続)。
2004年にトランパスが導入された。比較的早くから自動改札機が導入されている。
現在岐阜市等が主体となり、境川橋梁(岐南 - 茶所間)から名鉄岐阜までの区間を連続立体交差化する計画がある。1999年に計画が立ったが、岐阜県と岐阜市の財政難により事実上凍結されていた。2012年には、岐阜県都市建築部が構想の概要を発表し、全区間は2.9kmで、約半分に当たる名鉄岐阜から1.5kmの区間が先行して整備される見通しだったが、2014年7月に、全区間を一括して整備する方針に転換した。
名古屋本線と各務原線を結ぶ連絡線は存在しない。

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1914年(大正3年)12月26日 - 美濃電気軌道笠松線(現在の名鉄名古屋本線)の新岐阜駅・新岐阜停留場開業。市内線と連絡。
当初は国鉄(現・JR)線との交差部から90°西に最小半径80mの急カーブと33‰の急勾配で下り、国鉄岐阜駅寄りの地平(神田町10交差点付近)に位置していた。この線路跡がほぼ現在の国道157号(加納中通り)となっている。
1943年(昭和18年)2月22日 - 岐阜市内線の新岐阜停留場を駅前停留場に統合。
1948年(昭和23年)4月18日 - 長住町駅付近へ移転・統合し、長住町駅を新岐阜駅(2代)に改称。
長住町駅→二代目新岐阜駅
1911年(明治44年)2月11日 - 美濃電気軌道の駅前停留場が開業。
1913年(大正2年)8月21日 - 国鉄岐阜駅移転に伴い駅前(後の岐阜駅前)停留場が移転し、当停留場を長住町停留場に改称。
1928年(昭和3年)12月28日 - 各務原鉄道(現在の名鉄各務原線)の長住町駅が開業。
1948年(昭和23年)4月18日 - 新岐阜駅(初代)と統合し新岐阜駅(2代)に改称。また、岐阜市内線の長住町停留場を新岐阜駅前停留場に改称。
1957年(昭和32年)9月13日 - 現在の1番線を増設、一部を除き広江‐新岐阜間複線化。
1967年(昭和42年)4月 - 岐阜工場が市ノ坪に移転
1970年(昭和45年)6月25日 - 田神線の開通により美濃町線の電車が乗り入れ開始。
1970年(昭和45年)11月 - 定期券専用の自動改札機を導入。
1982年(昭和57年)3月 - 5、6番線ホーム延伸(4両→6両対応)、両渡り線移設。市内線との連絡線廃止。
1988年(昭和63年)
5月27日 - 3、4番線ホーム延伸(4両→8両対応)。
7月 - 新岐阜駅前停留場 - 旧岐阜工場間の側線を撤去
2003年(平成15年)10月18日 - 駅構内で豊川稲荷発当駅終着の急行(3100系+3500系6両編成)がオーバーランし車止めに衝突(新岐阜駅電車衝突事故)。
2005年(平成17年)
1月29日 - 名鉄岐阜駅に駅名変更。
4月1日 - 美濃町線直通用7番線・新岐阜駅前停留場廃止。
7月 - 美濃町線廃止によって使用停止となっていた7番線を1500V車両の留置線として使用再開(ホームは撤去された)。
2006年(平成18年)6月24日 - 新岐阜ビル解体工事及び名鉄岐阜新駅舎建設工事着手。
2007年(平成19年)7月14日 - 新駅舎完成。一般利用開始。
2009年(平成21年)9月6日 - 商業施設「ECT (イクト)」がオープン。
2011年(平成23年)2月11日 - ICカード乗車券「manaca」供用開始。
2012年(平成24年)2月29日 - トランパス供用終了。

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所属事業者 名古屋鉄道
駅構造 高架駅(名古屋本線)
地上駅(各務原線)
ホーム 2面4線(名古屋本線)
1面2線(各務原線)
乗車人員
-統計年度- 17,133人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1911年(明治44年)2月11日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■名古屋本線
キロ程 99.8km(豊橋起点)
◄加納 (1.1km)
所属路線 ■各務原線
キロ程 0.0km(名鉄岐阜起点)
(1.1km) 田神►
乗換 JR東海 岐阜駅(徒歩連絡)
備考 *2005年、新岐阜駅から改称。

鵜沼駅 JR東海)高山本線

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鵜沼駅は、岐阜県各務原市鵜沼山崎町三丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)高山本線の駅。名鉄各務原線との乗換駅で市内の駅では最大の利用客を誇り、一部の特急列車も停車する駅です。

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単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持ち、列車交換が可能な地上駅。橋上駅舎を備える。

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改札口は、橋上部の1ヶ所。新型のタッチパネル式券売機が2台、自動改札機(TOICA利用可能、旧駅舎時代より設置)、みどりの窓口が設置されている。バリアフリー設備として、各ホームにエレベーターが1基ずつある。

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東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、岐阜駅が当駅を管理している。営業時間は7:30 - 19:30までである。橋上の自由連絡通路には鵜沼空中歩道という名前がつけられており、西側にある名古屋鉄道(名鉄)新鵜沼駅駅舎側までつながっている。

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鵜沼駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考

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1 ■高山本線 下り 美濃太田・高山方面
2 ■高山本線 上り 岐阜・名古屋方面
3 ■高山本線 下り 美濃太田・高山方面 待避列車のみ

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鵜沼駅はホーム同士の移動手段は階段のみであった。2007年度より当駅と名鉄新鵜沼駅を結ぶ橋上通路建設のため、工事が進められた。
橋上駅舎は2009年3月29日より使用開始され、新しい改札口が設置されたほか、券売機が2台設置され、エレベーターや簡易型発車標(恵那駅や尾頭橋駅にあるものと同じタイプのもの)が設置された。また、階段も新しく設置されたことから従来の階段(連絡通路)は撤去された。
また、これにより改札分離が行われた。

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1921年(大正10年)11月12日 - 高山線(1934年に高山本線へ改称)各務ヶ原 - 美濃太田間開通と同時に開業。旅客及び貨物の取り扱いを開始。
1932年(昭和7年)10月8日 - 名鉄(当時名岐鉄道)犬山線から省営高山本線へ直通する初の列車が土曜・休日に運行を開始。
1972年(昭和47年)9月27日 - 高山本線と名鉄犬山線新鵜沼駅構内とを結ぶ短絡線が坂祝側に新設され、名鉄からの乗り入れ急行「北アルプス号」の当駅でのスイッチバック運転が廃止される。
1984年(昭和59年)1月10日 - 貨物の取り扱いを廃止。

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1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる。
2001年(平成13年)10月1日 - 特急北アルプス号廃止により高山本線・犬山線間の直通列車が消滅。その後、新鵜沼駅構内の両線連絡線の一部が撤去。
2004年(平成16年)3月24日 - 駅前を整備し、ロータリーを設ける。「水と緑をイメージ」したもので、ロータリーの中央には「ビオトープ池」が設置された。
2005年(平成17年)3月14日 - 1番ホーム階段下の倉庫より出火し、倉庫を全焼。跨線橋も一部焦げた。
2009年(平成21年)3月29日 - 橋上自由通路完成・橋上駅となる。
2010年(平成22年)3月13日 - TOICA導入。

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電報略号 ウマ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 1,228人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1921年(大正10年)11月12日
乗換 新鵜沼駅(名鉄各務原線・犬山線)

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備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

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10月1日(水)のつぶやき

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