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81式自走架柱橋 陸上自衛隊

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81式自走架柱橋は、陸上自衛隊の装備。主に施設科に配備される。河川など車両が通行できないような箇所に迅速に橋を設置することが出来る。運搬車に使用されるのは74式特大型トラック。有事の際だけでなく、災害派遣でも活躍する。

74式特大型トラックを基に荷台に架橋器材を搭載したものである。架橋器材は橋脚と橋桁がセットになったものであり、油圧動作により、車体後方へ繰り出され、架橋位置にセットされる。架橋位置にセットされた後は、施設科隊員により、橋桁の接続が行われる。6両が1組みになっており、最大で60mの橋を構築できる。
架柱高は油圧で簡単に調節が可能であり、74式戦車以下師団の全ての車両、装備が渡ることが出来る。ただし、90式戦車は幅員はクリアしているものの、重量が50tで橋の耐久性に問題があるので渡れない。

81式自走架柱橋は平成19年度から損耗更新時期を迎えることや、90式戦車や99式自走155mmりゅう弾砲などが通過できないこと、迅速にセットできないこと、河床土質に制限があることや川の水速などに制限があることから、平成15年度から後継架橋の研究開発が進んでおり、07式機動支援橋として制式化されている。この新架橋は架柱を使わない方式であり、橋長は60mである。


なお、海外の同程度の性能のものはあるが、陸上自衛隊の橋長などの要求や車両の大きさなどが国内法の範囲に収まるものが無いため国産開発となった。

全長:9698mm
全幅:2850mm
全高:3400mm
全備重量:22,400kg
最高速度:85km/h
乗車定員:2名
橋梁長:10m
橋梁幅員:3750mm
架柱高:2~4m
橋梁等級:CL42

 


三段峡 西中国山地国定公園

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三段峡(さんだんきょう)は、広島県山県郡安芸太田町の太田川上流の支流柴木川にある長さ約16キロメートルの峡谷。国の特別名勝。

県北東部の帝釈峡と並び渓谷美を争い、匹見峡、寂地峡とともに西中国山地国定公園の代表的景観。

一帯は石英斑岩からなり、長年の浸食によって節理が刻まれ、断層が露出している。

比高は400メートルあり、その間に、名称の由来にもなった落差30メートルの三段滝をハイライトに、黒淵、猿飛の滝、二段滝、三ツ滝、龍門の滝があり、5つの滝と2つの淵が七景として知られる。

他に長淵、大淵といった滝壺の跡、耶源、王城など無数の景勝地が連なる。


これらの景観は軽装でも気軽に散策できるように遊歩道が設けられている。これは三段峡が名勝に指定された時に、観光整備したためである。このときの開発は環境に極力配慮したため、ほとんど自然環境を損なうことはなかった。しかし、柴木川の最上流に樽床ダムが建設されてからは水量が減少し、以前ほど滝の迫力がなくなったと言われている。また、一帯には国有林も多く、伐採の対象となっており、その環境問題が懸念されている。


なお、柴木川の支流田代川を更に上流に行くと全く手付かずの秘境である奥三段峡がある。遊歩道など観光設備が整備されていないため、本格的なトレッキングの準備が必要である。


新緑・森林浴・紅葉などの目的で観光客が訪れ、県を代表する観光地となっている。しかし、地元の鉄道が廃線になった影響で観光客の減少が続いており、観光関係者は危機感を募らせている。

以前はJR可部線三段峡駅が三段峡正面口の最寄りにあったが、利用者の減少に伴い2003年11月30日に可部駅-三段峡駅間が廃止となっている。広島バスセンターから広電バスの三段峡線高速道経由便で約70分、一般道経由便で約100分。三段峡バス停留所(終点)下車すぐに三段峡正面口がある。また、三段滝・二段滝に近い水梨口(出合橋)へは三段峡正面口から定期マイクロバスが運行されている。

山瀬駅 JR四国)徳島線

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山瀬駅は旧・山川町の東方にある集落の中に位置、徳島県吉野川市山川町西久保にある四国旅客鉄道(JR四国)徳島線の駅です。

普通列車のみが停車する。駅番号はB13。駅名の由来となった旧村名は、山崎村と瀬詰村の組み合わせからです。駅前には、古い町並みが残っています。

山瀬は、元は麻植郡山瀬町の中心であったが、合併して山川町になってからは町役場が隣の湯立地区に出来たこともあり、やや寂れた存在となった。

駅の周辺には古い民家が集中している、駅前広場は広いのですがその広さの割に駅前に商店などは見当たらず、また駅に向かう道もかなり狭い。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。貨物ホームの跡が残っています。駅舎反対側ホームの待合所には、FRP製の椅子が多数設置されています。今はお互いのホームは屋根なしの跨線橋で結ばれていますがかつてはかつての構内通路があり埋めた跡が残っています。1番線横には貨物扱所あとが確認できます。


地元名産ぶどうの棚とリニューアル時に付けられた灯り取りの窓がある木造駅舎。無人化後出札口は板打され駅舎も荒れていたが、JR四国になってから改装されて小奇麗になった。


1983年(昭和58年)に無人化された。他の多くの四国の駅が簡易委託化されたにもかかわらず完全な無人駅となった。以降、現在まで無人駅のままである。待合室には三方の壁に背もたれのない木造長椅子が設置されています。駅構内には16本の蜂須賀桜が植えられています。

1899年12月23日 - 山崎駅として開業。
1914年3月25日 - 山瀬駅に改称。川島→神後(現・阿波川島駅)と同日。
1983年4月1日 - 無人駅化。
1987年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 ヤセ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 142人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1899年(明治32年)12月23日
備考 無人駅

 

土佐入野駅 土佐くろしお鉄道中村線

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駅名標にあるキャッチフレーズが「ロマンと伝説の入野松原」となっている土佐入野駅(とさいりのえき)は、高知県幡多郡黒潮町入野にある土佐くろしお鉄道中村線の駅です。

町の中心駅で駅には全特急列車が停車いたします。

駅から見て西側にある入野の集落は黒潮町の政治経済の中心で、町内で最もにぎやかなところ。

東側は入野松原があり、その向こうは長い砂浜が続いている。砂浜をモチーフとした美術館もある。この周辺は結構高い波が出るのでサーフィンを楽しむ人が多い。また入野漁港はホエールウォッチングの基地である。 利用者は四万十市の学校へ通う生徒が多い。

単式ホーム1面1線を有する地上駅で無人駅。 駅舎はロッジ風で、中にはお店が併設されていました。

待合室には中央のテーブルとそれを囲むように長椅子が設置されます。また漁具などもデイスプレーされ海が近い駅として雰囲があります。

駅舎周りのポールのイラストは地元の小学生の手によるものとの事。

ホームには木製の上屋下には長椅子が設置されています。


1970年(昭和45年)10月1日 - 日本国有鉄道の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道が承継。
1988年(昭和63年)4月1日 - 土佐くろしお鉄道に転換。
2004年(平成16年)4月1日 - 無人化。

電報略号 イリ
駅構造 地上駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 1970年(昭和45年)10月1日
備考 無人駅

西大方駅 土佐くろしお鉄道中村線

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旧国鉄時代からある西大方駅(にしおおがたえき)は、国道56号線沿い高知県幡多郡黒潮町にある土佐くろしお鉄道中村線の駅です。

駅の周囲は人家も少なく国道の車の往来のみです。駅番号はTK38。

単式ホーム1面1線を持つの棒線地上駅。無人駅で駅舎は無く、ブロック造の待合室のみです。待合所の中は横一列、端から端まで木造の長椅子が設置されています。ホームへは階段で連絡します。

駅前には新しい駐輪所があります。

1970年(昭和45年)10月1日 日本国有鉄道の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。
1988年(昭和63年)4月1日 土佐くろしお鉄道に転換。

電報略号 ニシ
駅構造 地上駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 1970年(昭和45年)10月1日
備考 無人駅

 

10月25日(土)のつぶやき

10月26日(日)のつぶやき

75式自走155mmりゅう弾砲 陸上自衛隊

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75式自走155mmりゅう弾砲は、日本の陸上自衛隊が運用している自走榴弾砲である。アメリカ陸軍より寄与されたM44 155mm自走榴弾砲の後継として開発され、1975年に制式化された。


略称は75HSP(Type 75 155mm Self-propelled Howitzer)。配備部隊内では自走15榴とも呼ばれる。1両約3億円(昭和60年当時)

1969年より研究開発が行われ、1973年より実用化試験が行われている。1975年に制式化され、1977年より調達が開始されている。車体を三菱重工業、主砲と砲塔を日本製鋼所が開発担当した。
最終調達の契約は1985年度。全部で201両が在北海道師団特科連隊用として生産され、北部方面隊の各師団特科連隊に配備されている。
砲塔は全週旋回可能。当時としては珍しい自動装填装置を備えているのが特徴で、回転ドラム式の弾倉により弾体の機械装填を行う。ただし、装薬については手動で装填される。これにより最大毎分6発の砲撃をすることが出来る。最大射程は19,000m。また、自衛用として砲塔上面に12.7mm重機関銃M2を1門装備し、装甲はアルミ合金製である。
同時期に74式自走105mmりゅう弾砲も製造され、当初は直接支援用に105mmを、全般支援用に155mmを割り当てることを考えていたが、1970年代後半には両方とも155mm砲で統一することになった。


砲身中央部に排煙器があり、砲口には、ダブル・ハッブルの制退器がついている。
射程19kmは短すぎるとされ後継として、より大型高性能の99式自走155mmりゅう弾砲が登場しており、2012年(平成24年)に退役。

全長 7.79 m
全幅 2.98 m
全高 2.55 m
重量 25.3 t(全備重量)
懸架方式 独立懸架、トーションバー式
速度 47 km/h
行動距離 300 km
主砲 75式30口径155mm榴弾砲×1
砲身長 4.65m
砲身重量 約1.1t
最大射程 約19,000m
連射性能 6発/分
携行弾数 即応弾18発、他10発、計28発
使用弾 M1と共用、75式榴弾
副武装 12.7mm重機関銃M2×1 弾薬搭載数:600発
エンジン 三菱6ZF21WT型
空冷2ストロークV型6気筒ディーゼル
450hp/2,200rpm
乗員 7 名
製作 砲・砲塔:日本製鋼所 車体:三菱重工

 


中村駅 土佐くろしお鉄道

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中村駅は、「土佐の小京都」とも言われている高知県四万十市駅前町にある土佐くろしお鉄道の駅です。

駅前からは各方面へのバスが発着し土佐くろしお鉄道の本社・車両基地が併設され全特急列車が停車する中枢駅です。駅番号はTK40。

四万十川 が 駅の西方およそ1.5kmにあります。「日本最後の清流」と呼ばれて名高く、河口に近い四万十市街地に至っても好天時には川底が望めるほど透明度が高い清流です。隣接駅の具同との間で宿毛線がこの川を渡っています。昭和45年に土佐佐賀駅から路線延長。平成9年に宿毛延長まで、ながらく中村線の終着駅でした。

駅構内のバス乗り場より、高知西南交通の路線バスが、土佐清水・足摺岬行、宿毛駅行、四万十市内各方面行、(黒潮町)土佐入野駅方面行が乗り入れています。また、同社と近鉄バスの共同運行による夜行バス「しまんとブルーライナー」号の神戸・大阪・京都行も乗り入れています。小田急シティバスと共同で「しまんとエクスプレス」号の新宿行も乗り入れる(運行期間:2007年夏季から繁忙期のみ限定運行)。

2面3線ホームの地上駅です。旧国鉄時代からあるコンクリートの駅舎は緩い勾配の屋根をもっています。

1番線は駅舎と直結した片面ホーム、2・3番線は駅舎と跨線橋で結ばれた島式ホームで、いずれも中村線・宿毛線相互の直通運転が可能であるが、特急列車は大部分が1番線から発着いたします。中村駅は土佐くろしお鉄道の本社所在地です。駅舎内のきっぷ売り場には券売機は2台、みどりの窓口が設置されています。


駅舎本屋は、開業当時そのままに増築を重ねて使用されてきたが、2010年(平成22年)春に、待合室、売店、コンコース、みどりの窓口、1番線ホーム、トイレなどのエリアを中心にリノベーションされ、建築やデザインの賞を数多く受賞しています。

リノベーションを機に改札業務を中止(当駅着の列車到着後の集札業務は継続)し、入場券なしでも改札口内に自由に出入できるようになった。地元産のヒノキ材や和紙など天然素材で構成された空間は明るく、地元利用者からの評価も高い。ホーム間は跨線橋で結ばれています。

1970年(昭和45年)10月1日 - 日本国有鉄道中村線の土佐佐賀駅 - 当駅間の開業と同時に駅が設置される。当初は終着駅。なお、それ以前にも国鉄バスの自動車駅として土佐中村駅が設置されていた。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により四国旅客鉄道(JR四国)に承継。
1988年(昭和63年)4月1日 - 土佐くろしお鉄道に転換。駅舎内に同社の実質的な営業本部が置かれた。
1997年(平成9年)10月1日 - 宿毛線開業により中間駅となる。
2005年(平成17年)3月2日 - 宿毛線宿毛駅構内の列車衝突事故による運休により当分の間終着駅となった。
6月13日 - 当駅 - 東宿毛駅間で特急列車が運転再開される。
11月1日 - 東宿毛駅 - 宿毛駅間で特急列車が運転再開され、宿毛線全線で特急列車が運転再開される。


2009年(平成21年)11月7日 - 当駅待合室、コンコース、トイレなどのリノベーション工事着工。nextstationsによる設計・デザイン。
12月19日 - 当駅2-3番線ホームと当駅発着の実際の営業列車内でロケ撮影されたソフトバンクモバイルのテレビCMをオンエア開始。
2010年(平成22年)3月20日 - 当駅待合室(1番線ホームにも拡大)、きっぷ売り場、コンコース、トイレのリノベーションが完成、記念式典開催。
3月20日 - 1番線~2-3番線ホームを結ぶエレベーター工事完了、使用開始。
6月28日 - 当駅構内全域でFREESPOTによる公衆無線LANサービス開始。
7月5日 - 当駅リノベーション設計が、社団法人日本サインデザイン協会 第44回SDA賞入選。
7月7日 - 当駅リノベーション設計でnextstationsが、日本商環境設計家協会 JCD DESIGN AWARD 2010 新人賞受賞。
9月29日 - 当駅リノベーション設計が、グッドデザイン賞 特別賞・中小企業庁長官賞受賞。
10月1日 - 当駅リノベーション設計が、国土交通省 日本鉄道賞 特別表彰 地方鉄道駅舎リノベーション賞受賞。
10月31日 - 当駅リノベーション設計が、高知県 建築文化賞・審査員特別賞受賞。
11月13日 - 当駅リノベーション設計が、公共の色彩賞10選入選。


2011年(平成23年)4月16日 - 当駅リノベーション設計が、日本木材青壮年団体連合会 第14回木材活用コンクール 最優秀賞 林野庁長官賞受賞。
5月26日 - 当駅リノベーション設計が、社団法人照明学会 照明普及賞受賞。
7月8日 - 当駅リノベーション設計が、第5回キッズデザイン賞 ユニバーサルセーフティ部門受賞。
11月6日 - 当駅リノベーション設計が、オランダ The Great Indoors Award 2011のSERVE & FACILITATE部門上位5位以内に選出。

電報略号 ナム
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1970年(昭和45年)10月1日
備考 みどりの窓口 有

 

 

具同駅 土佐くろしお鉄道宿毛線

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具同駅(ぐどうえき)は、高知県四万十市具同にある、土佐くろしお鉄道宿毛線の駅である。市街地の中心からはかなり離れていますが駅周辺には郊外型の店舗が多く賑わっています。駅番号はTK41。

片面ホーム1面1線の高架駅。無人駅で駅舎はありませんがホーム上に細長い待合所が設置されています。

階段で地上と連絡。

待合所の中にはFRP製の椅子があります。ホームも幅は十分あります。周囲に視界を遮る高い建物が少ない為、遠方までホームから見通すことができます。駐輪場とトイレが駅前に整備さています。駅入り口には清涼飲料の自販機があります。

 

1997年10月1日 - 開業。

電報略号 クト
駅構造 高架駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 1997年(平成9年)10月1日
備考 無人駅

通潤橋 石造単アーチ橋

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通潤橋(つうじゅんきょう)は、熊本県上益城郡山都町(やまとちょう)にある石造単アーチ橋。江戸時代の嘉永7年(1854年)に阿蘇の外輪山の南側の五老ヶ滝川(緑川水系)の谷に架けられた水路橋で、水利に恵まれなかった白糸台地へ通水するための通潤用水上井手(うわいで)水路の通水管が通っている。

石造単アーチ橋で、橋長は78メートル、幅員は6.3メートル、高さは20メートル余、アーチ支間は28メートルである。橋の上部には3本の石管が通っている。肥後の石工の技術レベルの高さを証明する歴史的建造物であり、国の重要文化財に指定されている。なお通潤橋を含む通潤用水は日本を代表する用水のひとつとして農林水産省の疏水百選に選定され、橋と白糸台地一帯の棚田景観は、通潤用水と白糸台地の棚田景観の名称で国の重要文化的景観として選定されている。


橋の中央上部両側に放水口が設置されており(川の上流側に2つ、下流側に1つ)、灌漑利用が少ない農閑期には観光客用に時間を区切って20分程度の大規模な放水を行っている。この放水の本来の目的は、石管水路の内部にたまった泥や砂を除くためのものである。最近では全国から通潤橋の放水風景を見に来る観光客も多い。


この場所に石橋が建造されたのは最も谷が狭かったからであるが、200メートル程下流には五老ヶ滝(落差50m)があり原料となる石材が上下流の川底に大量に存在していたことも理由の1つである。江戸時代に造られた石橋としてはアーチの直径ならびに全体の高さは日本国内最大である。常時人が渡れるもののあくまで水路のための橋であるため手摺等は一切ないが、これまで転落した人は1人もいないという。


重要文化財指定後、水需要の増大に対応できるよう、上流の川底に送水管(内径0.8メートルのヒューム管)が埋設され、通潤用水ではこれがメインで使われるようになった。そのほか通潤橋近くの河川から取水する下井手や電気揚水施設もある。重文指定による文化財の保護目的と観光放水による漏水の発生が頻発することで、現役から引退し、その後は主に放水用に通水されている。(ただし、定期的にメンテナンスは行われており、大量の水が必要な時期には通潤地区土地改良区が、一時使用している)

通潤橋は嘉永7年(1854年)、水源に乏しい白糸台地へ水を送るために架けられた通水橋で、石造の通水橋としては日本一である。建造にあたっては地元の総庄屋であった布田保之助が中心となって計画を立て、地元の役所・矢部手永の資金や、細川藩の資金を借り、熊本八代の種山村にあった著名な石工技術者集団種山石工の協力を得、近隣農民がこぞって建設作業に参加した。
この水路付き石橋は、アーチ型の木枠(支保工)を大工が作った上に、石工が石を置き、石管と木樋(緩衝材の役目)による水路を設置して橋が完成したところで木枠を外す工法により建造された。石橋の木枠を外す最終段階には橋の中央に白装束を纏った布田翁が鎮座し、石工頭も切腹用の短刀を懐にして臨んだという逸話が残っている。


単一アーチ式水路石橋という特異な構造と物理的原理が見事に成り立っていることから、その貴重さが認められ、霊台橋より7年はやい昭和35年(1960年)に、国の重要文化財の指定を受けた。
またくまもとアートポリス選定既存建造物にも選定され、地域の名物・象徴となっている。この地域には通潤橋の他にも規模の大きなアーチ石橋が架けられており、遠く鹿児島や東京などにも石工技術者が招かれて石橋を作った。これらは、加藤清正以来の肥後石工集団の技術の高さを示すものである。

この橋は2つの地区を水路で結んでいるが橋の位置は2つの地区よりも低い位置にあるため、水を通す時には噴水管(逆サイフォン)の原理を利用している状態になる。ゴムなどのシーリング材料の無い時代であり、石で作られた導水管の継ぎ目を特殊な漆喰で繋いで漏水しないように密封して橋より高台の白糸台地まで用水を押し上げている。


通潤橋は日本の独自技術で実現した最初の噴水管(逆サイフォン)の橋と考えられており、NHKの番組「新日本紀行」などで紹介された。またこの橋の建設を物語にした『肥後の石工』という児童文学作品がある(国語の教科書への採用例もある)。

 

 

国見駅 土佐くろしお鉄道宿毛線

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高知県四万十市国見にある国見駅(くにみえき)は、市街地中心部からは大きく離れた国道56号線に面した場所にあります。駅周辺はかなりローカルな雰囲気です。土佐くろしお鉄道宿毛線の駅。駅番号はTK42。

片面ホーム1面1線の地上駅。駅舎はなくホームは築堤上にあり、待合室が設置されています。ホーム上屋の背中に駅名が表示されています。

細長いホーム待合室にはFRP製の椅子が設置されています。ホームへは駅前から階段を登る。駅入り口には駐輪場とトイレが設置されています。

1997年(平成9年)10月1日 開業。

電報略号 クニ
駅構造 地上駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 1997年(平成9年)10月1日
備考 無人駅

国鉄DD13形ディーゼル機関車 DD13 1

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国鉄DD13形ディーゼル機関車は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した入換用液体式ディーゼル機関車です。

ヤード構内での車両入換作業に用いることを主目的として開発された機関車である。本形式が製造される以前、車両の入換作業には明治・大正時代から戦前にかけて製造されたB6形や、9600形、8620形等の古豪蒸気機関車が使用されていたが、都市部では煤煙による周辺環境への悪影響が、国鉄部内でも機関車自体の老朽化、動力費と人件費の増加などが問題視され始めていた。しかし、その当時、国鉄が保有していた入換用ディーゼル機関車は、DD11形およびDD12形(アメリカ製)の10数両のみで、それらはいずれも出力は300ps級にとどまっており、ヤード構内での入換には力不足であった。
そこで、DD11形より出力を増強し、入換用として適切な出力を備えたディーゼル機関車が計画された。こうして1958年(昭和33年)から製造されたのが本形式である。入換のほか、支線などでの小運転に用いることも想定された。
蒸気機関車を置き換える入換機関車の決定版として量産されたが、規模の大きなヤードで使用するには不向きである[1]こと、軸重が14tとローカル線(丙線)での運用には大き過ぎるうえ、客車暖房用の蒸気発生装置を持たないという欠点もあり、DD20形の試作を経て、1966年にこれらを解消したDE10形や、これを基に入換用途に特化したDE11形が開発されたことから、1967年(昭和42年)をもって製造が中止された。なお、私鉄や臨海鉄道向けには、その後も同類機が継続的に製造された。

外観はDD11形およびDD12形と同様に、2台のエンジンの間に運転室を設けた凸形のセンターキャブ形状である。ディーゼルエンジンは、1937年(昭和12年)に試作されたキハ43000形電気式気動車用 DMF31H(横型 = 水平シリンダー、直列6気筒、排気量31リットル、渦流室式。連続定格出力240ps/1,300rpm)をベースに、国鉄・新潟鐵工所・振興造機・ダイハツ工業で共同開発したDMF31S形(縦型 = 直立シリンダー、直列6気筒、排気量31リットル、予燃焼式、連続定格出力370ps/1,300rpm)を2台搭載する。変速機は液体式で、振興造機が開発した直結クラッチ付きリスホルム・スミス式シンコー DS1.2/1.35 を搭載した。
2台のエンジン(液体変速機)からの出力は、一旦運転席床下に設置された逆転機に集められ、その後2台の台車に振り分けられる構造となっている。
110号機までは前照灯が各エンドに1個ずつ設置され、両ボンネット前面のラジエーター用ルーバーは、冬季のオーバークール対策からシャッター機能付きとされ、エンジンも連続定格出力 370ps/1,300rpm の DMF31S 形であったが、111号からは、排気過給機(ターボチャージャー)が装備され、連続定格出力が500PS/1,300rpmに増強されたDMF31SB 形エンジンとなり、従来クランク軸によるベルト駆動であった冷却ファンは、静油圧駆動に変更となり、ボンネット上面に設置された。前面は通風口が廃止され、前照灯がシールドビーム2個となり、外観が一変した。

主要寸法 : 13,600mm×3,772mm×2,846mm
軸配置 : B-B
機関車重量 : 56.12t
動輪上重量 : 56.12t
最大引張力 : 16840kg
機関形式 : DMF31S (370ps/1,300rpm) ×2
動力伝達方式 : 液体式
動輪駆動方式 : 歯車減速及び推進軸 歯車比=3.143
制御方式 : 機関回転数及び液体変速
ブレーキ方式 : DL14B 空気ブレーキ、手ブレーキ
最高速度:70km/h

 

11月1日(土)のつぶやき

大船駅 JR東日本・湘南モノレール

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大船駅(おおふなえき)は、神奈川県鎌倉市大船一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・湘南モノレールの駅である。JRホームの北半分及び笠間口は横浜市栄区笠間一丁目に位置する。
鎌倉市と横浜市の境界上に位置し、両市の中心市街地とは離れているものの、鉄道を中心とした交通の要衝となっており、東口側を中心に駅前市街地が形成されている。

鎌倉市は、東口・西口それぞれの再開発を計画し、一部はすでに実行されていたが、財政面などの問題により中断している。

JR東日本の各線と、湘南モノレールの江の島線が乗り入れている。湘南モノレール江の島線は当駅が起点である。1966年5月からはドリーム交通モノレール大船線が乗り入れていたが、1967年9月に運行休止、2003年9月に正式に廃線となった。


JR東日本の駅には、正式な路線名称上は東海道本線・横須賀線・根岸線の3路線が乗り入れており、このうち東海道本線を当駅の所属線としている。根岸線は当駅が終点となっており、大半の列車が横浜駅から京浜東北線へ、さらに朝晩の一部は横浜線へ直通する。横須賀線に関しては、線路名称上は当駅が起点であるが、運転系統としては当駅から東海道本線横浜・東京方面の専用線路に乗り入れており、藤沢駅方面へ乗り入れる東海道線列車よりも停車駅が多く設定されている。

また東海道線と横須賀線に関しては、東京駅発着・経由列車と、新宿駅経由で東北本線(宇都宮線)・高崎線へ直通運転を行う湘南新宿ラインが発着している。


JR東日本の駅に停車する優等列車は、東京と伊豆を結ぶ東海道線の特急「踊り子」が停車し、横須賀線では成田国際空港へのアクセス列車である「成田エクスプレス」の始発・終着駅となっている。普通列車は、東海道線の通勤快速・快速「アクティー」・普通、横須賀線の普通、湘南新宿ラインの特別快速・快速・普通、根岸線の快速・各駅停車の全列車が停車するほか、通勤ライナーは横須賀線の「おはようライナー逗子」「ホームライナー逗子」と、東海道線の「湘南ライナー」の一部が停車する。

島式ホーム5面10線を有する地上駅。駅の藤沢寄りと戸塚寄りにそれぞれ橋上駅舎が置かれ、改札内の通路で結ばれている。2つの駅舎の間を流れる砂押川に市境があり、駅舎の所在地は藤沢寄りが鎌倉市、戸塚寄りが横浜市栄区となるが、駅長室が従来からの鎌倉市側の駅舎に存在するために鎌倉市の駅となっており、特定都区市内の「横浜市内」には含まれない。


藤沢寄りの駅舎には南改札があり、東口と西口に通じている。また駅ビル内や駅ビル脇の通路からは湘南モノレールの駅に通じている。みどりの窓口やびゅうプラザが設置されている。
戸塚寄りの駅舎には北改札があり、笠間口に通じている。この駅舎は栄区側を中心とした住民の運動により建設され、2006年2月2日に供用を開始した。この駅舎にはみどりの窓口は設置されていないが、指定券発売機が設置されている。2007年1月29日には改札脇に栄区の証明書発行コーナーが開設されていたが、2010年に閉鎖された。


駅構内を覆うように駅ナカ商業施設「Dila大船」があり、書店や飲食店などが軒を連ねる。笠間口開設時に第1期9店舗(ATM除く)を、2006年7月19日に第2期の「FOOD SQUARE」9店舗を、9月9日に第3期4店舗を、そして2007年4月9日には南改札内外に第4期3店舗をそれぞれオープンさせ、グランドオープンとなった。これにより店舗面積約1390平方メートル、店舗数25店舗となり、年間売上約20億円を想定している。


北改札側には全ホームにエレベーターと上り・下りそれぞれのエスカレーターが設置された。北改札の整備に並行して南改札側も既存の3・4番線ホーム1基の他残りのホームにもエスカレーターが増設され、エスカレーターは全ホームで南北両側の設置となった。さらに、南北のコンコースと接続され一層バリアフリー化が深化した。


JR東日本の駅では唯一の、10本分の列車発車時刻を表示する発車標がコンコースに設置されている。この発車標では東海道線・横須賀線・湘南新宿ラインの横浜方面の列車が発車時刻順に停車駅も併せて表示される。

のりば
ホームの使用状況
番線 路線 行先
1・2 ■東海道線 横浜・品川・東京方面
■湘南ライナー 品川方面
■湘南新宿ライン 渋谷・新宿・大宮方面
(高崎線直通)
3・4 ■東海道線 平塚・小田原・熱海・伊東方面
5・6 ■横須賀線 横浜・東京・千葉方面
(当駅始発、一部7番線)
■湘南新宿ライン 渋谷・新宿・大宮方面
(宇都宮線直通、一部7番線)
■成田エクスプレス 成田空港方面
■おはようライナー逗子 品川方面


7・8 ■横須賀線 鎌倉・逗子・横須賀・久里浜方面
9・10 ■根岸線 関内・上野・大宮方面
■横浜線 新横浜・町田・八王子方面
東海道線の本線は2番線と3番線、横須賀線の本線は5番線と8番線である。
1・2番線では、平日朝ラッシュ時の多数の列車を交互に使用することで捌いている。
1・2番線の湘南新宿ライン(高崎線直通)や新宿・池袋方面への特急は、戸塚駅の手前で横須賀線の線路へ転じる。


湘南新宿ライン(宇都宮線直通)は5・6番線に加え、一部列車は7番線からも発車する。また、ダイヤが乱れた場合には東海道線直通の湘南新宿ライン(快速・特別快速)が当駅で運転を打ち切って新宿・高崎線方面へ折り返す場合があり、その場合は6・7番線を使用する。


一部の「湘南ライナー」及び横須賀線通勤ライナーが停車する。上り「湘南ライナー」は当駅にホームのない貨物線を走行する列車が多いため、停車するのは2号・14号のみと本数が少ない。また、下り「ホームライナー小田原」と上り「おはようライナー新宿」は全列車貨物線走行のため停車しない。一時期に貨物線へのホーム設置の要望が挙がっていたが、現在まで実現していない。なお、下り湘南ライナーは1号以外はすべて停車する。
東海道線ホームである1 - 4番線のグリーン車停車位置案内板は『湘南電車』の呼称がほとんど使われなくなった現在でも「グリーン車(湘南電車)はこの付近に止まります」と表示されている。ただし、英文での表現では、"Shonan Train"ではなく、"Tokaido Local Line"となっている。


2004年からの一時期に特急「成田エクスプレス」号のうち1往復が東海道線の小田原駅まで臨時延長されたが、横須賀線ホームを発着し、藤沢寄りで東海道線の線路に転線していた。
逗子駅発着の甲種輸送列車や臨時列車など、根岸線と横須賀線を直通する列車は10番線を使用する。1998年から2008年までは横浜線と逗子駅を直通する列車も設定されていた。
東海道線と横須賀線の分離運転(SM分離)以前は、現在の1・2番線ホームはなく、東海道線上りは現在の3・4番線、東海道線下りは現在の6・7番線を使用していた。横須賀線・根岸線については現在と同じ。その名残りで、6・7番線と東海道線の藤沢方面が接続されている。

旅客ホーム1番線の北側には東海道貨物線の線路が通っている。貨物線上にホームはないが、構内東側で根岸線へ直通する単線の通路線(高架)が分岐しており、当駅より1kmほど東側で東海道線・横須賀線の線路を跨いで本郷台駅手前で根岸線と合流している。

1888年(明治21年)11月1日 - 官設鉄道の駅として開業。旅客取り扱いのみの旅客駅。
旧東海道沿いに駅を置くべきとの意見が明治新政府内部であり、最後まで大船駅設置については紛糾した。駅の正面は西側(観音側)だった。


1889年(明治22年)6月16日 - 横須賀線が横須賀駅まで開通。分岐駅となる。
1894年(明治27年)5月25日 - 貨物取り扱いを開始。
1898年(明治31年)5月16日 - 大船軒が営業を開始。
1917年(大正6年)5月 - 駅改築。
1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災により、ランプ小屋を除き施設全て倒壊、または大破損。死傷者多数。
1925年(大正15年)
8月2日 - 駅本屋震災復旧工事竣工。
10月 - 駅本屋、各ホーム、A口(東口のこと)を結ぶ跨線橋竣工。長さ91.1m。1958年時点でも使用。
11月15日 - A口開業。
1944年(昭和19年)3月1日 - 田立構内完成。
1947年(昭和22年)1月 - 大井工機部大船分工場(後の大船工場)専用線使用開始。南部構内から分岐。


1950年(昭和25年)
1月 - 東海道線電車運転に備え、ホーム嵩上げ。
9月 - A口改築竣工。
12月25日 - 大船PX(旧第1海軍燃料廠)専用線使用開始。
朝鮮戦争時には1日の貨車総扱数が100両に達したこともあったが、1958年現在は1日2両程度に激減しているという。
1955年(昭和30年)10月5日 - 東洋高圧専用線使用開始、実線延長61m、有効長35m。田立構内9番線から分岐。到着したタンク車からガソリンを直接会社に送油管で送っていた。
1958年(昭和33年)3月30日 - 全(第1-3)ホームを結ぶ乗換跨線橋竣工、4月1日から使用開始。長さ32m[3]。
1966年(昭和41年)5月2日 - ドリーム交通モノレール大船線がドリームランド駅まで開通。
1967年(昭和42年)9月24日 - モノレール大船線が休止(2003年に正式廃止)。
1968年(昭和43年)6月16日 - 大船駅付近で横須賀線電車が車内に仕掛けられた爆弾によって破壊される事件が発生(横須賀線電車爆破事件)。
1970年(昭和45年)3月7日 - 湘南モノレール江の島線が西鎌倉駅まで開通。


1971年(昭和46年)4月1日 - 橋上駅舎完成式。
1972年(昭和47年)8月24日 - 国鉄駅での貨物取り扱いを廃止。ただし、住友電工横浜製作所及び住友セメントサイロまでの専用線の貨物は湘南貨物駅扱いで1984年まで存続。
1973年(昭和48年)4月9日 - 根岸線が洋光台駅から延伸開業。
1980年(昭和55年)10月1日 - 東京 - 大船間の東海道線と横須賀線が分離運転(SM分離)。
1986年(昭和61年)11月1日 - 国鉄駅での荷物取り扱いを廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本の駅となる。
2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
2006年(平成18年)
2月2日 - 北改札及び笠間口を新設。Dila大船第1期オープン。
7月19日 - Dila大船第2期オープン。
9月9日 - Dila大船第3期オープン。
2007年(平成19年)4月9日 - Dila大船グランドオープン。
2011年(平成23年)9月1日 - 西口歩行者デッキオープン。
今後大船駅東口の大規模な再開発が見込まれており、平成23年現在土地回収の段階に至っている。

所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 フナ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 5面10線
乗車人員
-統計年度- 97,118人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1888年(明治21年)11月1日
乗入路線 4 路線
所属路線 ■東海道線**
■湘南新宿ライン(高崎線直通)**
所属路線 ■横須賀線**
■湘南新宿ライン(宇都宮線直通)**
所属路線 ■根岸線
備考 みどりの窓口 有
* 正式な所在地。ホームの北半分及び笠間口は横浜市栄区笠間一丁目にまたがる。
** 正式な路線名称
- 北鎌倉方は横須賀線
- その他はいずれも東海道本線

所属事業者 湘南モノレール
所属路線 江の島線
駅構造 高架駅
ホーム 2面1線
乗車人員
-統計年度- 12,828人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1970年(昭和45年)3月7日


学駅 JR四国)徳島線

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学駅(がくえき)は徳島県吉野川市川島町学字吉本、旧・川島町(現:吉野川市)の西側に位置する駅です。

四国旅客鉄道(JR四国)徳島線の駅で駅番号はB12。入場券5枚で「ご・入・学」という縁起切符を売っていることで全国的に有名な駅です。

普通列車のみが停車する。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。互いのホームは屋根なしの跨線橋で連絡している。櫓を持つ特徴的な木造駅舎を有する。


かつては平日午前中のみ駅員が配置されていたが、2010年9月1日に完全な無人駅となった。自動券売機が設置されている。待合室の中央に背もたれ付きの長椅子が設置されています。

のりば
駅舎側から
1 ■徳島線(上り) 鴨島・徳島方面


2 ■徳島線(下り) 穴吹・阿波池田方面
2番線を通る下り列車は、ポイント部分で35km/hの速度制限を受ける。
駅舎反対側ホームには待合所がありFRP製の椅子が設置されています。
貨物扱所跡は駐輪場として整備され、係留線路があります。。


「学」という珍しい駅名は地名をつけたもので、その地名は阿波国の学問所が付近にあったためと言われている。また別の説では、その昔当地にあった了慶寺というお寺に、学徳の高い名僧がいて各地から大勢の人々が集い、学問を習いに来たという故事から来ているとも言われる。
硬券の入場券は、券面右端の上部に入場券を意味する「入」の文字、下部に駅名が印字されており、縦に「入学」と読めることから、当駅の入場券は受験生を中心に大人気となった。現在も硬券の入場券を発売しており、現行のものは緑色のJR四国の地紋の硬券である。

特に五枚セットは「5入学」=御入学、ということで更に人気を呼んでいる。国鉄やJR四国は積極的に当駅の入場券の販売を行い、2013年現在も学駅だけでなく四国内の主要なJRの駅や通信販売などでも販売している。
現在、学駅は無人駅だが受験シーズンのみ、駅員が在中しており、駅で直接切符を購入することもできる。
なお価格は一枚160円で、5枚1度に買うと赤か紫か水色のお守り袋が無料でつく。

1899年(明治32年)12月23日 - 国鉄徳島本線の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。
2010年(平成22年)9月1日 - 無人化

電報略号 カク
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 265人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1899年(明治32年)12月23日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

資材運搬車 陸上自衛隊

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資材運搬車は、陸上自衛隊で使用されている車両です。

製作は産業機械メーカーの諸岡で、民間向けのゴムクローラーキャリアダンプを陸上自衛隊仕様にして採用しています。ゴム製の履帯により登攀能力30度、超塹能力1mと、高い路外走行性能がある。セパレート式のキャビンを備え、左側が運転席で、右側は乗員席である。車体前方に約2tの吊上能力を持つクレーンを装備、車体後部にはリアダンプ式の荷台を備える。
小型なことから大型トラックで輸送可能です。

普通科、特科、施設科で、弾薬運搬、築城資材運搬などの不整地での局地輸送に使用される。
東日本大震災では、被災各地での行方不明者捜索に伴うガレキ撤去作業に使用された。

全長 約 4.30 m
全幅 約 2.15 m
全高 約 2.18 m
重量 約 5 t
乗員数 2 名


機動力
速度 20 km/h
登坂能力 約30度
懸架・駆動 ゴムクローラー
クレーン能力 約2.02t
最大積載量 約 3 t

 

東宿毛駅 土佐くろしお鉄道宿毛線

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東宿毛駅(ひがしすくもえき)は、高知県宿毛市中央八丁目にある土佐くろしお鉄道宿毛線の駅である。駅番号はTK46。早稲田・梓駅(わせだ・あずさえき)という愛称が付いている。宿毛線計画時は、宿毛駅として計画されていました。

宿毛市役所や宿毛警察署、市立坂本図書館等、市の主要施設がある宿毛市街へは宿毛駅よりも当駅からの方がはるかに近いのですが普通列車のみが停車する無人駅で、利用客は多くありません。高知競馬場の場外馬券売り場「パルス宿毛」へ無料接続バスあります。

単式ホーム1面1線の高架駅。駅舎は設けられておらず高架のホームに待合室が設置されています。通常は無人駅です。2005年3月宿毛駅での事故のため宿毛~東宿毛間が不通であった間は有人駅でした。

細長い待合室にはFRP製の椅子が設置されています。

ホームから宿毛市街地が広がり一望できます。

早稲田大学前身の東京専門学校の設立に尽力した小野梓の出身地ということで「早稲田・梓」駅という愛称がつけられています。

駅の北側には駐車場、高架下には駐輪場もあります。

1997年10月1日 - 開業。
2005年3月2日 - 岡山発宿毛駅着の特急「南風17号」が宿毛駅の車止めを乗り越え駅舎の壁に衝突する事故が発生し、宿毛線宿毛~中村間が不通に(土佐くろしお鉄道宿毛駅列車突入事故)。
2005年4月7日 - 東宿毛~中村間で普通列車のみ営業運転再開。宿毛~東宿毛間はバスによる代行輸送。
宿毛駅構内の線路が使用可能になり、列車は宿毛~中村間で運転再開したが、宿毛駅改札が未だ使用不能なため、宿毛~東宿毛間は回送扱いで運転。
2005年6月13日 - 東宿毛~中村間で特急列車営業運転再開。宿毛~東宿毛間は回送、東宿毛駅は臨時停車扱い。
2005年11月1日 - 宿毛線全線営業運転再開。特急列車の東宿毛駅臨時停車扱いは終了。


電報略号 ヒカ
駅構造 高架駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 1997年(平成9年)10月1日
備考 無人駅

 

家地川駅 JR四国 予土線

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昭和49年開業の家地川駅(いえぢがわえき)は、高知県高岡郡四万十町家地川にある四国旅客鉄道(JR四国)予土線の駅です。

家地川駅へは若井を出て長いなトンネルをくぐった後、ループ線内の川奥信号場でくろしお鉄道と別れて西方へに進み到着します。駅周辺は民家も少なく野山に囲まれたのどかな場所です。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。外部から駅へは、短い階段を上って至る。駅はは四万十川の見下の高台ですがホームから直接目視はできません。

駅舎はなく、ホーム上にブロック作りの待合所が設置されています。待合所には木製の長椅子が設置されています。無人駅となっています。

駅入り口の登り階段横には電話ボックスがあります。駅名が待合所の背に表示されています。

1974年(昭和49年)3月1日 - 日本国有鉄道の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により四国旅客鉄道に承継。

電報略号 イエ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1974年(昭和49年)3月1日
備考 無人駅

 

 

11月5日(水)のつぶやき

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