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江川崎駅 JR四国 予土線

江川崎駅(えかわさきえき)は、高知県四万十市西土佐江川崎にある、四国旅客鉄道(JR四国)予土線の駅です。駅番号はG3。始発列車も設定される運転上の拠点駅ですが、旧西土佐村の中心からは外れており、駅周辺は閑散としています。谷あいにあるため駅前は狭いです。

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駅の東側に隣接して観光案内所(四万十川ふるさと案内所)があります。昭和28年開業の開業駅です。昭和49年の予土線全通までの約20年間、予土線の旧名「宇和島線」の終着駅でした。現在でも、予土線では一番大きな駅です。

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島式ホーム1面2線と留置線を有する地上駅。大きな木造駅舎は一部二階建てです。待合室には木製の長椅子とFRP製の椅子が背中合わせに設置されています。起点終点も含めて予土線で唯一の直営駅であったが、2010年10月1日に無人化されました。

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駅員無配置となったものの、駅舎内の窓口では、地元自治体が請け負う形でSきっぷや定期券のみを販売しています。近距離切符は簡易型の券売機で対応しています。

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のりば
のりば    路線   方向     行先
1・2    ■予土線 下り   宇和島方面
                    上り 窪川方面

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駅舎側(線路南側)が1番線である。始発・終着列車がある関係で、上下線とも時間帯によって発着のりばが異なる。

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ホームには中央部に短い上屋が設置されています。留置線が三本ほど設置されているため、駅舎までは長めの通路で連絡されています。

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1953年(昭和28年)3月26日 - 日本国有鉄道の駅として開業。当時は終着駅だった。
1974年(昭和49年)3月1日 - 当駅 - 若井間が開業し中間駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により四国旅客鉄道の駅となる。
2010年(平成22年)10月1日 - 無人化

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電報略号 エカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1953年(昭和28年)3月26日
備考 無人駅(簡易委託駅)

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12月2日(火)のつぶやき

サイクルトレインにゃんよ号」PRキャラバン隊

PRキャラバン隊に遭遇いたしました。予土線の利用を促進するとともに、南予におけるサイクリングの一層の普及や沿線地域への誘客を図り、南予圏域の活力向上に資するため、予土線において運行です。にゃんよ号は「海洋堂ホビートレイン」に連結して運行されています。各乗降駅であれこれイベントが用意されている様子です。

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・運行期間 春:3月20日~ 5月12日 土日祝、GW(23回)
      夏・秋:7月20日~10月27日 土日祝 (33回)

・ダイヤ  上り:宇和島駅 9:38発 → 江川崎駅 10:45着
      下り:江川崎駅14:23発 → 宇和島駅 15:28着
・自転車乗降駅 宇和島駅、務田(むでん)駅、近永駅、松丸駅、江川崎駅

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・定 員  20名 ※事前予約者優先
・申込方法 「サイクルトレインにゃんよ号」事務局 に運行日の直前の金曜日17時までに連絡 ※定員に満たない場合は、当日でも乗車可
・運 賃  普通運賃のみ  ※自転車持込みに係る費用は無料
・備 考  愛媛県南予地方局において、JR予土線沿線の観光情報や駅周辺の周遊ルート・サイクリングコースなどを掲載した「よどせん散策まっぷ」を製作。
・主 催  愛媛県
・共 催  四国旅客鉄道株式会社
・後 援  愛媛県予土線利用促進対策協議会、南予広域連携観光交流推進協議会
・問い合わせ先 愛媛県経済労働部管理局 観光物産課観光まちづくり係 
        TEL 089-912-2492
        四国旅客鉄道株式会社 総合企画本部地域連携室
        TEL 087-825-1618

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12月3日(水)のつぶやき

西ヶ方駅 JR四国 予土線

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西ヶ方駅(にしがほうえき)は、旧西土佐村の西方、山の谷間にあり高知県四万十市西土佐西ヶ方馬引田478が所在地になります。四国旅客鉄道(JR四国)予土線の駅です。

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駅番号はG35。当駅と次の真土駅との間で県境を越える。高知県内にあるJRの駅としては最西端にあたる。

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1面1線単式ホームがる無人の地上駅です。
ホームは長いが駅舎はなく待合所があるだけである。待合所には古い木造長椅子が設置されています。駅名の表示はなく駅前には公衆トイレがあります。

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1953年(昭和28年)3月26日 - 日本国有鉄道の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により四国旅客鉄道の駅となる。

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電報略号 ニホ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1953年(昭和28年)3月26日
備考 無人駅

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12月4日(木)のつぶやき

F-15J /DJ  要撃戦闘機

F-15Jは、アメリカ合衆国のマクダネル・ダグラス社(現ボーイング社)が開発したF-15C/Dイーグルを、三菱重工業が中心となり、航空自衛隊向けにノックダウン及びライセンス生産した戦闘機である。

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航空自衛隊の第3次F-X計画により、米マクドネル・ダグラスF-15C/Dの導入が決定。本機は航空自衛隊の運用に合わせてライセンス国産化された日本仕様機である。
三菱重工業を主契約社とし、単座型のF-15J165機と複座型F-15DJ48機の計213機が製造された。これは開発国であるアメリカに次ぐ保有数となっており、アメリカ国外での使用機総数356機の約6割を占めている。 2013年3月末時点で201機を運用しており、90%以上の高稼働率を維持している。一機当たりの調達価格は約120億円。
基本性能の優秀さと、高い拡張性を生かした独自の近代化改修プログラムにより能力向上が図られ、導入から30年以上経た現在も日本の主力戦闘機として防空任務に就いている。
なお、航空自衛隊と米空軍のF-15に外見的な大きな違いはなく、電子戦関連アンテナ類の有無や形状の違い、国籍標識(日の丸)や迷彩塗装の色調などが主な識別点として挙げられる。

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1977年12月28日に行われた国防会議にて、航空自衛隊の次期主力戦闘機としてF-15J/DJを制式採用した。アメリカ側はこのF-15導入計画を「ピースイーグル計画」と呼称し、同年3月29日に予算が下りることを前提として三菱重工業、マクダネル・ダグラス間でライセンス契約の調印がなされた。そして、1978年度予算で初めて23機の調達が決定した。
1978年4月、直ちに生産内示が出され、日本の技術者はマクダネル・ダグラス社のセントルイス工場へ派遣された。7月には国産を承認された部品の生産を支援するため、アメリカの企業から40名の技術者が派遣された。1980年7月になってマクダネル・ダグラス社のセントルイス工場で、航空自衛隊に最初の機体が引き渡された。10月にエドワーズ空軍基地での29回の飛行検査後一旦アメリカ空軍に返され、3月1日に沖縄県の米空軍嘉手納基地に空輸、この時初めて2機のF-15Jに日の丸の国籍標識が入った。
航空自衛隊パイロットの適合訓練の終了を待った約1か月後の3月27日、アメリカ空軍のパイロット2名によって嘉手納から岐阜基地へ空輸された。そこで到着したばかりの2機のF-15Jをバックに、防衛庁関係者や企業関係者による記念撮影が行われている。なお、この最初の2機(02-8801/802)は三菱重工で再組み立てを受けている。続く8機(12-8803~22-8810)はノックダウン生産、残りは部品を国産化したライセンス生産で155機(22-8811~82-8965)を調達した。当初、F-15は4個飛行隊分に当たる100機を10年かけて調達する計画でスタートした。昭和56年度中期業務見積りを承認した1982年の国防会議において155機へ修正、1985年に187機、1990年に223機へと増勢されていったものの、中期防衛力整備計画により1992年に210機へと削減され、1995年に213機となった。
J型は1998年11月4日の165号機、DJ型は1999年10月25日の48号機(92-8098:098号機)の生産で終了し、合計213機の調達となった。F-15DJはJ型と同時に、最初の12機(F-15DのBlock 26相当、12-8051~52-8062)を完成品輸入、8機(82-8063~92-8070)をノックダウン生産、28機(02-8071~92-8098)をライセンス生産で調達した。

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製造に関わった国内企業
企業名 
三菱重工業(主契約社) 前・中部胴体、機体最終組立て
川崎重工業 主翼、後胴、水平・垂直尾翼
住友精密工業 脚部
富士重工業 前脚・主脚扉、チタン合金ケミカルミーリング加工
日本飛行機 パイロン、AAMランチャー
新明和工業 機外燃料タンク
石川島播磨重工業 F100エンジン
日特金属工業株式会社
(現在は住友重機械工業に吸収合併) 20mm機関砲システム
三菱電機 火器管制レーダー AN/APG-63、UHF無線機 AN/ARC-164、UHF/DF装置 OA-8639/ADR、インディケーターグループ OD-60/A、姿勢方位基準装置 AN/ASN-108、対気諸元計算装置 AN/ASK-6、セントラルコンピューター CP-1075/AYK
日本電気 TACAN装置 AN/ARN-118(v)
日立製作所 データリンク装置 J/ASW-10
東洋通信機 IFF応答装置 AN/APX-101(v)、IFF質問装置 AN/APX-76A(v)
島津製作所 ヘッド・アップ・ディスプレイ AN/AVQ-20
東京芝浦電気 リードコンピューティング・ジャイロ CN-1377/AWG、慣性航法装置 AN/ASN-109
東京計器製作所 レーダー警報受信機 J/APR-4
当初の調達価格は約70億円とされたが、最終的に101億5600万円まで上昇した。

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F-15J/DJは、F-104J/DJ飛行隊である200番台の飛行隊、及びF-4EJ飛行隊である300番台の飛行隊に配備された。1981年(昭和56年)12月7日に、ルーク空軍基地でアメリカ空軍要員と共に訓練を受けた操縦士が中心となり、宮崎県新田原基地に臨時F-15飛行隊が編成され、1982年(昭和57年)12月21日に第202飛行隊(元F-104J装備)に改編した。F-15J要員の転換訓練部隊でもあった第202飛行隊には、複座型であるF-15DJが集中的に配備された。以後、1993年(平成5年)までにF-104J/DJを装備する千歳基地の第203飛行隊は1984年12月に、第204飛行隊が1984年3月に、第201飛行隊、F-4EJ装備部隊の第303飛行隊が1987年12月に、第304飛行隊が1990年3月に、第305飛行隊が1992年7月に、F-4EJ改を装備する第306飛行隊が1997年3月にF-15J/DJ飛行隊に改編した。
飛行教導隊も1990年(平成2年)に5機のF-15DJを受領し、使用機をT-2から更新した[22]。 1997年(平成9年)3月には第306飛行隊が第8飛行隊(支援戦闘機部隊)にF-4EJ改を譲ってF-15J/DJ飛行隊へと改編し、8個飛行隊編成となった。その後、T-2での教育を終えた操縦士の機種転換訓練を行ってきた第202飛行隊は、教育飛行隊の新設にともない2000年9月に解隊され、先行してF-15臨時飛行教育航空隊が1999年(平成11年)8月3日に発足、2000年(平成12年)10月には正式に第23飛行隊となり、現在は7個飛行隊+1個教育飛行隊となっている。
F-104Jが実戦部隊から退いた1986年(昭和61年)からは主力戦闘機として使用している。なお、事故で12機が失われ(喪失事故参照)、2014年3月31日時点で保有数は201機である。
航空自衛隊機は製造番号がアメリカ空軍と同じ7桁表記(xx-xxxxと表記は同じだが、番号の持つ意味が異なる)になっているが、下3桁が機体記号であり、この3桁は各機体の種類別に割り当てられた番号で、F-15Jは801-965、F-15DJは051-098である。

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2014年現在、8個飛行隊及び飛行開発実験団でF-15J/DJが運用されている。
千歳基地:第2航空団 - 第201飛行隊、第203飛行隊
百里基地:第7航空団 - 第305飛行隊
浜松基地:第1術科学校
小松基地:第6航空団 - 第303飛行隊、第306飛行隊
岐阜基地:飛行開発実験団
築城基地:第8航空団 - 第304飛行隊
新田原基地:飛行教導隊、飛行教育航空隊 - 第23飛行隊
那覇基地:第83航空隊 - 第204飛行隊

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F-15J/DJはF-15C/Dを原型とするが、アメリカ議会から批判を受けた国防総省の決定により提供されなかったTEWS(戦術電子戦システム)については、国内で独自開発したJ/TEWSで代替している。J/TEWSは国産のJ/ALQ-8電波妨害装置とJ/APR-4レーダー警戒受信機、ライセンス生産のAN/ALE-45J射出型妨害装置(チャフ・フレアディスペンサー)で構成される。アメリカ空軍向けF-15C/Dでは左の垂直尾翼先端にIRCM装置が内蔵されているため左右非対称だが、F-15J/DJの垂直尾翼は左右対称になっており、外見上の大きな識別点にもなっている。
原型機のF-15C/Dは、F-15A/Bに機内燃料タンクの増設やFAST PACKと呼ばれるコンフォーマル・フューエル・タンクの搭載能力付加といった改良を加えた機体であり、F-15J/DJも機内燃料タンクなどの配置はこれに準じている。しかしながら、航空自衛隊はコンフォーマル・フューエル・タンクを保有していない
F-4EJ導入の際にも問題となった地上攻撃能力や空中給油能力について当時の国会で野党の追及を受けたが、「対地攻撃専用の計算装置などを有していない」「搭載装置から見ても、他国侵略的・攻撃的脅威を与えるものではない」、「空中警戒待機は有効ではあるがF-4が主力の時期では不要との判断だったが、航空軍事技術の著しい発展のすう勢から、F-15が主力となろう1980年代後半は、有事の際の空中警戒待機の必要が十分予想されるので撤去は望ましくない」などの答弁の結果、撤去はされていない。
アメリカ国防総省は当時F-15が主力機であったため日本に対する技術情報の開示を規制したが、これは段階的に解除された。日米装備・技術定期協議(S&TF)において旧防衛庁と国防総省の間で交渉が行われ、1981年にはTEWS以外の複合材料やF100ターボファンエンジンといった技術へのアクセスは許可された。なお、独自装備の一つとしてBADGEシステムから時分割データを受信する日立製作所製「J/ASW-10」を搭載している。
1992年(平成4年)10月17日、F-15J(72-8884)が飛行訓練中に操縦不能となり操縦士は緊急脱出したものの、脱出時に頭部を風防に強打して死亡する事故が発生した。対策として事故以降、射出時にキャノピーを破砕するキャノピーブレイカーを座席上部左右に追加装備している。
訓練用に調達した複座型のF-15DJは、コックピット後部に搭載するALQ-8などの一部機器を省略してあるため、電子戦能力を要する任務の際は胴体下にAN/ALQ-131(ドイツ語版)電子戦ポッドを外部搭載する。
兵装は当初、F-15C/Dと同じく「AIM-9」及び「AIM-7」、固定武装として「JM61A1」を搭載する。これらはいずれもライセンス生産での調達で、電子機器類の技術移転が少なかったこともあり、国内メーカーに割に合わないとの不満を生じた。但し、F-15と同時に国産化されたAIM-9Lは、F-4EJ及びF-4EJ改にも装備されている[39]。その後、短距離空対空ミサイルについてはAIM-9の後継として開発された国産の「90式空対空誘導弾(AAM-3)」、およびその後継である「04式空対空誘導弾(AAM-5)」(改修機のみ対応、後述)を運用するように改装された。また、中距離空対空ミサイルは、AIM-120シリーズではなく、AIM-7の後継として開発された「99式空対空誘導弾(AAM-4)」に更新されることとなった。
エンジンはプラット・アンド・ホイットニー社製の「F100-PW-100」をIHI(旧石川島播磨重工業)がライセンス生産した「F100-IHI-100」2基を搭載している。生産末期には整備性・耐久性がより向上した「F100-IHI-220E」が標準搭載され、それ以前に生産された機体にも順次換装が進められている。
三菱重工による生産中に何度か機体仕様が変更されており、一般に導入初期の機体をPre-MSIP機(MSIP非適用機)、導入中期からの機体をJ-MSIP機(多段階改良計画適用機)と呼称している。

J-MSIP機の近代化改修、J-MSIP機の近代化改修計画は計画当初は改修の進捗状況によって形態一型と形態二型に分けられており、いずれも三菱重工業を主契約としていた。実際に機体を改修する予算計上が進むにつれ、当初の形態一型と二型に区分された改修計画が変更されたため、この区分は正式には使われなくなったが、実際には旧区分の多くの改修項目を踏襲して改修するため、本項目では計画の推移を判り易くするため、便宜上、形態一型相当と二型相当の呼称を使用して記述する。
中期防衛力整備計画(平成17~21年度)においては、当初は期間中に26機を量産改修する予定だった。ところが米国のF-22Aの輸出規制措置により、老朽化したF-4EJ改を代替する予定だった第4次F-X機の選定を2008年(平成20年)以降に先送りとしたため、J-MSIP機の近代化改修でF-4EJ改の減勢による防衛力低下を補う必要が生じた。このため2008年(平成20年)度と2009年(平成21年)度に、当初形態二型に予定されていた統合電子戦システム搭載と次期輸送機の調達を先送りして浮かせた予算を多数の近代化改修に割り当て、これに合わせて2009年(平成21年)度に中期防を改訂して改修機数を48機とした。2010年(平成22年)度からは、先送りされた統合電子戦システムの搭載予算が「F-15の自己防御能力向上」名目で別途計上されている。この時点では4個飛行隊分の88機を対象に近代化改修を行うとされていたが、中期防衛力整備計画(平成26~30年度)における「F-15の近代化改修」機数が26機と明記されたため、J-MSIP機の近代化改修機数は98機に増加している。
2014年(平成26年)8月現在、改修機数はMSIP機全機である102機を予定している
航空雑誌等ではこれらの改修機のことを纏めてF-15J改と呼んでいる。また、海外では「近代化」を意味する「modernized」の頭文字のMが付加されてF-15MJと呼ばれている。

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乗員: 1名(DJ型は2名)
全長: 19.4m
全高: 5.6m
翼幅: 13.1m
翼面積: 56.5m2(C)
空虚重量: 12,973kg
最大離陸重量: 30,845kg
動力: プラット・アンド・ホイットニー/石川島播磨 F100-IHI-100(及びF100-IHI-220E) ターボファンエンジン
ドライ推力: 7922kg (17,450ポンド)[70] × 2
アフターバーナー使用時推力: 10,640kgf (25,000ポンド) × 2
性能
最大速度: M2.5
巡航速度: M0.9
フェリー飛行時航続距離: 3,450km
航続距離: 4,630km (増槽)以上
実用上昇限度: 19,000m
増槽装備時航続距離:4,630km以上
戦闘行動半径:1,900km

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武装
固定武装: JM61A1 20mmバルカン砲×1(装弾数:940発)
ミサイル:  
短射程空対空ミサイル
AIM-9L サイドワインダー
90式空対空誘導弾(AAM-3)
04式空対空誘導弾(AAM-5)(改修機対応)
中射程空対空ミサイル
AIM-7F/M スパロー
99式空対空誘導弾(AAM-4)(改修機対応)
AIM-120 AMRAAM(改修機対応、試験運用にて使用実績あり)
爆弾:  
Mk.82 500lb通常爆弾:無誘導

 

 

多度津駅 JR四国 JR貨物

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多度津駅(たどつえき)は、香川県仲多度郡多度津町栄町三丁目にある、四国旅客鉄道(JR四国)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅。讃岐鉄道開業時に開設された、国鉄路線としては最古の駅です。

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駅案内パネルには「四国鉄道と少林寺拳法発祥の駅」と記されています。車両工場も併設されておりJR四国鉄道とって重要な拠点です。

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予讃線と土讃線の分岐駅で、すべての特急列車が停車する。国鉄・JRとなった鉄道としては四国初の駅でもある。車両工場と広い係留線が併設されたJR四国の要であり、乗務員区所である多度津運転区も併設されている。予讃線高松方面から続く複線区間はこの駅で終わり、予讃線松山方面や土讃線方面は単線になる。

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過去には高松駅発着・岡山駅発着の特急列車がこの駅で分割・併合を行っていた。現在はその役割を宇多津駅に譲っているが、特急「しおかぜ」・「いしづち」の下り4本・「南風」・「しまんと」の下り1本は現在も当駅で併合を行っている。

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利用可能な鉄道路線は四国旅客鉄道、予讃線(Y12) - 当駅の所属線と土讃線(D12) - 当駅が起点であるが、予讃線高松駅方面へ直通する列車が数多く設定されている。

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本四備讃線(瀬戸大橋線)を経由する普通列車もすべて当駅を経て予讃線観音寺駅または土讃線琴平駅まで直通する。

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島式ホーム2面4線を持つ地上駅で、ホーム間は地下道で連絡されています。大きな屋根と庇をもつ木造駅舎です。駅構内からJR四国多度津工場へ伸びる構外側線があり、同工場の一般開放時はシャトル列車が運転される。

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待合室には大型のキオスクが営業し背もたれのある椅子が並んでいます。

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ラッチのある改札口頭上にはLED式の発車案内が設置されています。照明塔が5基残っており、それらは全て常時使用されているわけではないが、臨時夜行快速「ムーンライト」運転時などで使用されています。

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構内の3施設が国の登録有形文化財に登録されている。

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「四国鉄道発祥の地」記念碑

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のりば
1・2 ■予讃線(上り) 丸亀・宇多津・坂出・高松方面
■瀬戸大橋線直通 丸亀・宇多津・児島・茶屋町・岡山方面

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3・4 ■予讃線(下り) 詫間・観音寺・伊予西条・松山・宇和島方面
■土讃線 善通寺・琴平・阿波池田・高知・中村・宿毛方面
主として奇数番線に予讃線方面の列車、偶数番線に土讃線方面の列車が発着するが、例外もある。予讃線同士・土讃線同士の緩急接続も、上下とも可能である。
ホームの両側にも側線があり、のりばは瀬戸内海側から1-4番のりばであるが、運行上は駅舎の側線から1-5番線です。

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JR貨物の駅は旅客駅に併設されている。1971年より定期貨物列車の設定は無いが、臨時の車両輸送列車が発着することがある。松山運転所・高知運転所に配置される新型車両搬入の際はここで引渡しがなされ、当駅から先は自力で回送される。

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1889年(明治22年)5月23日:私鉄の讃岐鉄道の駅として、丸亀駅 - 琴平駅間の開通時に開業。
開設当初は、阪神方面からの航路に接続するため港に近接した場所に設置され、線形がスイッチバックとなっていた。また、駅構内に車両修繕工場(現・多度津工場)が開設されている。

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1903年(明治36年):山陽鉄道が尾道駅 - 当駅間に航路を開設。
1904年(明治37年)12月1日:讃岐鉄道が山陽鉄道に買収され、同社の駅となる。
1906年(明治38年)12月1日:山陽鉄道が国有化され、官有鉄道(後に国鉄)の駅となる。
1910年(明治43年)6月12日:宇高連絡船(宇野駅 - 高松駅間)の開設により、尾道駅 - 当駅間航路を民間に譲渡。
1913年(大正2年)12月20日:当駅 - 観音寺駅間が開通。それに伴い当駅をスイッチバックせずに運転できる現在地に移転。旧駅の施設を流用し、貨物駅の浜多度津駅が開業。

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1969年(昭和44年)10月1日:配達の取扱を廃止。
1971年(昭和46年)4月1日:貨物の取扱を廃止。
1979年(昭和54年)7月1日:当駅 - 浜多度津駅間の貨物線を廃止。ただし、全線が多度津工場への構内側線として現在まで使用している。
1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取扱を廃止。
1987年(昭和62年)
3月31日:貨物の取扱を再開する(実際の扱いはなし)。
4月1日:国鉄分割民営化によりJR四国・JR貨物の駅となる。
2012年(平成24年)3月17日:ダイヤ改正により、全特急列車が停車するようになる。
2014年(平成26年)3月1日:JR西日本のIC乗車カードICOCAの供用開始。

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電報略号 タト
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 1,633人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1889年(明治22年)5月23日
所属路線 ■予讃線
駅番号 ○Y12
所属路線 ■土讃線
駅番号 ○D12
備考 みどりの窓口 有

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12月6日(土)のつぶやき

真土駅 JR四国 予土線

真土駅(まつちえき)は昭和35年開業。愛媛県北宇和郡松野町蕨生にある四国旅客鉄道(JR四国)予土線の駅です。

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駅は四万十川の支流、広見川に面した小さな集落の中にあります。駅附近には茶畑が広がっています。吉野生~江川崎間の開業は昭和28年ですから、開業後しばらくしてから設置された駅です。

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駅番号はG36。愛媛県では最南端の駅で、当駅と1つ前の西ヶ方駅との間で県境を越える。

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1面1線の無人駅で駅舎はない。25mしかないホームの上にもっと短い上屋がありホーム脇に小さいブロック作りの待合所があるだけです。

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待合室内には木造の長椅子があります。ホームの長さ25mというのはJR四国で一番短い。ホーム宇和島方にも簡単ながら出入口があります。

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駅前にはくたびれた自転車置き場とブロック作りのトイレが設置されています。

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1960年(昭和35年)10月1日 - 日本国有鉄道の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国に継承。

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キロ程 51.3km(若井起点)
電報略号 ツチ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1960年(昭和35年)10月1日
備考 無人駅

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吉野生駅 JR四国 予土線

吉野生駅(よしのぶえき)は、愛媛県北宇和郡松野町吉野にある四国旅客鉄道(JR四国)予土線の駅です。

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駅の廻りには何もない、静かな集落の中に駅があります。駅番号はG37。2012年(平成24年)9月19日に国道381号松野東バイパスが開通し、駅の北側を通る。

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旧道は駅の南側(駅前)を通っていました。

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相対式ホーム2面2線を有し列車の交換が可能な地上駅。木造駅舎が一部解体された状態で残っています。

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小ぶりな車寄せがあります。

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駅舎内、委託の窓口が営業していたようですが、現在は閉鎖されています。無人駅。待合室には長椅子が設置されています。

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のりば
ホーム 路線 方向 行先
駅舎側 ■予土線 下り 宇和島方面

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反対側 ■予土線 上り 江川崎・窪川方面

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ホームは味のある跨線橋で結ばれています。
構内に引き込み線が残っています。

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1923年(大正12年)12月12日 - 宇和島鉄道の吉野駅として開業。

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1933年(昭和8年)8月1日 - 宇和島鉄道国有化。同時に移転し、吉野生駅に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国に継承。

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電報略号 ヨシ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1923年(大正12年)12月12日
備考 無人駅

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野外炊具1号 陸上自衛隊装備

1軸の小車両に炊具を搭載し、炊事車、炊事トレーラとも呼ばれる。野外で調理するための装備で、車両に牽引されて移動する。牽引走行中であっても炊飯が可能。灯油バーナーを使った炊飯器6基で600人分の米飯を炊き上げることが可能であり、併載する万能調理器具と、車両後部のかまどの使用で惣菜の調理も可能(煮物程度、焦げやすいので推奨は出来ない)その場合約200名分の食事(主食と副菜)が調理可能。味噌汁のみを6釜全てで調理すると1500名分調理が出来る(参考値、1釜あたり最大250名分の味噌汁の調理が可能)2004年に発生した新潟県中越地震の際には、新潟スタジアム横の駐車場に全国各地から100台以上の野外炊具1号が集結し炊き出しを行った。

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最大炊飯能力:炊飯のみ:6釜で約600名分(災害対応時、おにぎりで約800名弱分炊飯することもある)主食・副食:汁の同時調理:約200名(焼き物の調理はほとんど不可・2釜で炊飯、2釜~3釜で副食調理、1釜で汁物、残りの1釜は予備および洗い物用の湯沸かし用)汁物のみ:6釜で1500名分(具材などにより多少の前後がある。ワカメのみなら1800名分まで調理可能)焼き物の調理:1釜で1度に数名~10名分、または30名分程度が理想。ただし、通常は焼かないで、煮込むなどの加熱処理をする場合、上記の約200名に該当する。揚げ物の調理:1釜で1度に5名~10名分程度の調理が可能。繰り返すことにより約200名分ぐらいまで対応する。
灯油バーナーの取り扱い:使用後は定期的にメンテナンスを必要とし、演習等で使用後はバーナーを本体から取り外し圧縮空気を使用して内部のカーボンや残油等を処理する必要がある他、各種パイプからバーナー内部のノズルとの接続部が振動等で緩みやすく使用中に燃料漏れを引き起こす可能性がある事から定期的に緩みのチェックを必要とする。また、構造が簡単な事から修繕には基本手順を守れば問題は発生しないが、無理な力を加えてノズルが破損する場合もあり、長期間の演習等においては予備のノズルを常に用意して交換出来るようにしておかなければならない。

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灯油バーナーへの着火方法:ガソリン(または灯油)に浸した布(通常は武器の手入れに使われる布の切れ端か、ポータブルストーブの芯がそのまま流用される)のついた鉄の棒(太めの針金)にライターなどで着火してから、それを釜の中に挿し入れる。ガソリンと圧縮空気を適量出してバーナーに着火し、バーナー近辺の温度を上昇させる(これによりバーナー周囲の燃料パイプを加熱し灯油が気化しやすい状態を作り出している)その後バーナーの炎が安定(炎が浮き上がるのを待つと確実)したら、圧縮空気を弱めながら灯油を出し始める。夏季を除き、灯油を先に出してから次に空気を止める方が安定し、確実。灯油の炎が安定したら(夏季3分・冬季5分前後を要する)、ガソリンを止めて灯油だけで燃焼させる。ガソリンを止めて炎が赤くなるようならば再びガソリンをほんの少し加えて燃焼させ、一定の時間経過後ガソリンを止める。この手順にていかなる寒冷地、湿地帯、雨天条件などにおいても安定した着火をさせることは容易であるが、その操作手順を誤ると最悪爆発等の事故になることがある。火力調整は水道などの蛇口と同じで、反時計まわりで強くなるが、縦に設置されているので操作に慣れていないと間違えるケースがある。消火操作を正しく行なわなかった場合に灯油パイプが詰まっていることがあり、その際はガソリンのみで着火、継続燃焼させる場合もある(あくまで緊急避難的運用であり危険なので熟練した隊員が操作することが多い)
着火後バーナー内部のねじの緩みなどで燃料漏れが起こり発火する危険が非常に高いので、極力その場から離れないようにする。発火した場合は、燃料のメインバルブ(車両前部左右に設置)を閉めた後、水道(ポリタンク)の水や消火器で消火する。消火器の使用は炊飯作業などを考慮し、まことにやむを得ない状態に陥った場合の最終手段として用いる。

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消火:灯油のバルブを閉めて炎が小さく落ち着くまで待つ。炎が落ち着いたら空気のバルブを開き、エアーでバーナーのパイプに残った燃料を吹き飛ばす。消火後、さらに三度空気を出して石油カーボンを吹き飛ばす。理由は消火と同時にバーナー内部が真空状態になりカーボンが吸い込まれて燃料通路(ニードル弁のオリフィス)が目詰まりを起こす場合があるため。目詰まりした場合は火力調整のバルブを消火の方へねじ込み、戻して再びねじ込む動作を繰り返すと目詰まりがとれる場合がある。改善がない場合は分解し、コンプレッサーなどで空気を送り込み強制的にカーボンを吹き飛ばす方法をとる。分解清掃は芯(ニードル弁のニードル)が折れやすく不慣れな隊員が行うと折ってしまうことが多い。芯のDEPOへの発注は届くまでに時間がかかること(約2年前後)が多いため、分解清掃には細心の注意が必要である。

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エンジン:野外炊具1号には小型のガソリンエンジンを搭載しており、主に圧縮空気を生成するコンプレッサー、及びカッターの為に利用される。エンジンが不調になることが多く、圧縮空気を生成するのに時間がかかることがまれにある。圧縮空気を生成出来ない場合、大型トラックからエアホースによる供給が可能の他に自転車の空気入れによる充填も可能、前者は接続部に加工を施す事でホースを接続し、後者の場合は常に要員の一人が乗車して空気入れポンプの操作を行う必要がある。

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カッター:野外炊具1号には裁断調理を容易にするエンジンに直結する交換式の低中速回転の回転式カッターを搭載しており、野菜類の輪切り、乱切り、小口切り、ぶつ切り、千切り、及びおろしの作成を得意とする。しかし、カッター自体があまり使われないことにより、操作に不慣れな隊員も多く、また、エンジンが不調になることが多くなることも重なり、利用する機会があるものの、頻繁に利用されない。
皮むき器:カッター横の円筒内部が野菜の皮むき器となっており、エンジンからの動力により回転しジャガイモなどの皮むきが容易に出来るようになっている。皮むき実施時及び整備時に多量の水を必要とする観点(皮むき時は剥けた皮の除去、整備時は付着した固形物等の除去等)から、水源が近くにある場合や水道が確保されている等の管理野営時に用途が限定される。
バリエーション:野外炊具2号 主に小部隊用の炊き出しに使われる。3つのかまどで構成。最大50名前後の炊飯が可能。

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一部部隊(第2師団)では野外炊具1号が登場する前に使用されていた野戦釜を使用し、副食等を調理する部隊もある。その際、野外炊具1号の付属品である予備燃料タンクを同時携行しバーナーに直接接続して使用する。野外炊具1号は移動しながら炊飯を行うことも可能。但し、理論上可能であるというだけで前述のバーナーの芯が折れたりねじが緩み火災が発生する可能性が非常に高まるため、安全管理上全く行われない。駐屯地開放等でパフォーマンスとして行われる場合もあるが、炊飯時の内蓋が外れて炊きあがった飯が潰れてしまったり、機器の故障を誘発する危険性(特に火災)が非常に高まるため通常は絶対に行われない。可能であるとしても、圧力釜で閉じることを前提で炊飯ではなく釜の半分程度の水や汁物の加熱の程度しか行えない。一部メディアにおいて火力の調整が出来るようになり焼き物の調理が可能と紹介されたが、旧型でも火力の調整は可能(バーナーの火力調整を操作)ではあるものの、実際には新旧問わず焼き物を大量に供することはない。焼き魚を焼く際に浅釜を使用しても45分以内での200人分の焼き物は時間的・物理的に難しく、かつ使用後の手入れは食物油脂や焦げ付きなどを一切落とさなければならないため、焼き物の調理は推奨されてはいない。現場経験者ならば「焼き物は可能」とは言い切らないはずである。メニューに焼き魚が出る場合は大抵はボイル物である。結論として、焼き物は不可能ではないが運用上無理がある。芸能事務所の石原プロモーションが炊き出し用にこれらと同等の炊事機を所有している。

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炊飯要領:1洗米した米を人数分用意する。2内釜2つ上段下段それぞれ均等に米を入れる。3外釜に規定量の水を入れて内釜を静かに沈める。4蓋を閉めて点火する。5止めるタイミングは蓋に手を当てて振動が治まった辺り(香ばしくなる匂いを上手に利用すると、普通の釜では炊けない非常においしく感じるお米が炊けるが、この方法を使用すると、あとで外釜の「おこげ」を取り除くのに鉄たわしを使用することになり、苦労する)目安は20分前後とするも米や水の分量に左右されるので点火後は10分を過ぎたら極力離れない方が望ましい。対流で吹きこぼれ始めてから暫く後吹きこぼれが治まってから5分以内におおよそ炊きあがる。6約20分間蒸らしを行う。各部隊によって炊飯要領は異なるものの、基本的に30分間水に浸した米2リットル分で10名分となる。下段のみで炊飯時は内釜1個で40名分(2リットルを4杯分)を限度とする(炊きあがった後の飯が潰れるため)上段も使用すると外釜1つで合計100名分の炊飯が可能であるが(製造メーカーによる検証)、美味しく炊くには上下釜4杯の80名分を限度とする部隊が多い。

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揚げ物の調理方法:外釜も外して、揚げ物調理用の釜を設置する。食用油を投入後、中火で点火を行ない、一度に5~10名分ずつ調理を行なう。
焼き物の調理方法:事実上、焼くことは可能であるが、火が通りきらない為、間接的な調理となり、直接調理を行なえない場合がほとんど。下からの火力しか存在せず、圧力釜であるものの圧力をかけないため、同時に数名~多くても2~30名分程度しか同時に調理を行なえない。肉料理の場合、事前に他の釜で蒸す、煮込む調理を行ない、揚げ物調理用の釜の上で中火~強火で一度に数名分ずつ焼く。焼き物とはいえ、焦げ目をつける程度のことしかできない。魚料理の場合、事前に他の釜で内釜も併用して蒸す調理を行ない、揚げ物調理用の釜の上で中火~強火で一度に数名分ずつ焼く。野菜炒めの場合、内釜に直接油をひいて焼いたり、蓋を閉じて蒸して調理を行なう。肉野菜炒めにする場合は、別途肉に火を通す必要がある。
副食調理に関する補足:マスコミ等に公表されている「200名分の食事を概ね45分で調理可能」はあくまで副食をレトルトパックなどで補った場合の目安であり、炊事車での副食調理は基本的に推奨されておらず(新旧問わず火力調整が難しく、可能としても外釜がそれに対応しておらず、弱火でも食材が焦げやすいため)、副食調理は直径1.5メートル程の大きさの野戦釜等を活用して調理を行う。炊事車本体での調理を行うとすれば比較的火力を気にせずに調理が出来る煮物等とするも焦げやすい事実に変わりはない。

 

 

JR西日本285系電車 サンライズエクスプレス

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サンライズ出雲は、東京駅 - 出雲市駅間を、東海道本線・山陽本線・伯備線・山陰本線を経由して運行している寝台特別急行列車である。

「サンライズ出雲」は、1998年7月にそれまで14系客車(いわゆるブルートレイン)によって運転されていた寝台特急「出雲」2・3号を、新たに製造した285系電車に置き換える形で運転を開始した。「出雲」2・3号時代は全区間単独運転であったが、東京駅 - 岡山駅間は同じく寝台特急「瀬戸」から置き換えられた「サンライズ瀬戸」とともに併結運転されるようになった。

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「サンライズ瀬戸」運転開始後も2006年3月17日(始発駅発車日)までは、東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両で運行する「出雲」(旧1・4号。鳥取駅経由)がもう1系統として継続して運転されていたが、利用客が低迷し車両の老朽化も進んだため、同日をもって廃止された。鳥取県は廃止に対し、県庁所在地である鳥取駅から東京駅へ直通する列車の消滅を理由に最後まで反対した(ウィキニュースの記事も参照)。現在、鳥取県内で寝台列車が停車するのは、唯一「サンライズ出雲」の米子駅のみとなっている。
2009年3月14日のダイヤ改正により東京駅発着の客車寝台特急(ブルートレイン)が全廃されたため、「サンライズ瀬戸」とあわせて唯一の東京駅発着、大阪駅以西を運転する寝台列車(寝台特急)となっている。

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列車名の由来
愛称は、島根県東部の旧国名である「出雲国」に由来する。2往復のうち1往復を285系電車で置き換えた際、イメージの刷新に加え、客車列車のまま存置されたもう1往復との区別の意味も含め、置き換えた列車に同形式の愛称である「サンライズエクスプレス」の一部を冠することとなった。

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伯備線を介して首都圏と岡山県・鳥取県西部・島根県東部を結ぶ役割を担っており、東京駅 - 出雲市駅間で約12時間をかけ毎日1往復運転されている。東京駅 - 岡山駅間は「サンライズ瀬戸」と併結運転される。
列車番号は区間により異なり、東京駅 - 岡山駅間は併結相手の「サンライズ瀬戸」に合わせて下りが5031M、上りが5032Mであるが、岡山駅 - 出雲市駅間は下りが4031M、上りが4032Mとなっている。

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JR西日本の後藤総合車両所および、JR東海の大垣車両区所属の285系電車を使用している。7両編成で個室A寝台シングルデラックス」、個室B寝台「サンライズツイン」「シングルツイン」「シングル」「ソロ」、普通車指定席「ノビノビ座席」で組成されている。また、3号車と10号車にはミニサロンが設けられている。
東京駅 - 岡山駅間は「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」を併結して岡山駅で増解結を行うため、車両の運用は一巡するように組まれており、「サンライズ出雲」東京行→「サンライズ瀬戸」高松行→「サンライズ瀬戸」東京行→「サンライズ出雲」出雲市行の順に運用されている。この運用形態は1994年 - 1999年までの「さくら」、2005年 - 2009年までの「はやぶさ」「富士」で見られた。
シャワー室は、3号車・4号車・10号車・11号車にあり、シャワーカードにより6分間利用することができる。このうち、4号車・11号車は個室A寝台利用客専用となっている。個室A寝台利用客は車掌から配布されるシャワーカードで利用できるが、個室B寝台・ノビノビ座席利用客は、車掌から310円のシャワーカードを購入する必要がある。また、タオルと歯ブラシのアメニティセットも200円で車掌から購入することができる。

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285系電車は西日本旅客鉄道(JR西日本)および東海旅客鉄道(JR東海)の特急形直流寝台電車。旧来から、寝台列車に使用される車両は、機関車が牽引する客車タイプ(いわゆる「ブルートレイン」)が主流で、電車タイプの車両としては旧日本国有鉄道(国鉄)が1967年から1972年にかけて製造した581・583系が唯一であった。この車両は高度経済成長に伴う輸送需要増加に合理的に対応する観点から、夜間は寝台車、昼間は座席車として昼夜を問わず運用できる車両として開発・導入されたが、寝台・座席の転換作業の煩雑さや、座席車としての居住性の悪さ、電車のため当然非電化区間へは入線できないことなどのデメリットも多く、スタンダードとはならなかった。

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その後も寝台列車の車両は客車が主流となっていたが、運転性能が電車や気動車に劣るため所要時間の短縮が困難であるほか、1970年代以降は長距離利用客の多くが新幹線や航空機へ移行したため、観光客需要へ特化し個室寝台や食堂車などの付加価値を高めた「北斗星」「トワイライトエクスプレス」といった一部の列車以外は、利用は衰退の一途を辿っていた。
しかし、寝台列車とは本来、高い客単価が望める商品であり、現代のニーズに合ったサービスを提供することで、ビジネス客も含めた需要の取り込みが可能と考えられる列車については、個室寝台主体の新型車両を投入し強化していく方向性が見いだされた。
具体的な列車として、現状での平均乗車率が比較的高く、走行距離・所要時間等の観点からも航空機等の競合交通機関に対抗可能と見込まれた「瀬戸」(東京駅 - 高松駅)と「出雲」(東京駅 - 出雲市駅)の2列車が対象として選ばれ、1997年6月20日にJR西日本・JR東海両社から共同プレスリリースされた。
開発に際しては、「瀬戸」「出雲」の客車を保有するJR西日本の主導で行われたが、JR東海についても自社線内を通過する高単価客増加による収益増が期待できることから、両社による共同開発・共同保有の体裁が取られた。製造は川崎重工業・近畿車輛・日本車輌製造が受注。基本設計は剣持勇デザイン研究所、内装設計には大手ハウスメーカーのミサワホームが参画した。

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「サンライズエクスプレス」の愛称が「さわやかな朝、新しい一日のはじまり」というイメージで命名され、夜をイメージした従前のブルートレインとは一線を画する明るい外観デザインとなった。
1998年にグッドデザイン金賞、ブルネル奨励賞を受賞、1999年に第42回鉄道友の会ブルーリボン賞をそれぞれ受賞している。
営業最高速度は130km/hで、寝台列車としては日本最速である。なお、速度種別はA5(10パーミル均衡速度105km/h)である。

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ノビノビ座席は5・12号車に28席ずつ存在する開放型寝台に似た普通車座席指定席で、指定席特急料金のみで利用でき寝台料金は不要。
二段構造のカーペット敷きとなっており、頭が来る部分の左右に隣と仕切る壁に読書灯が設置されており、1名当たり1畳分程度のスペースで区分されている。通路との間にカーテンがあるが、隣と仕切るカーテンはない。頭が来る部分の頭上に空調の吹出口があり、風量は個別に変えられる。
毛布が備え付けられているのみで、枕やシーツの類はない。

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編成 7両 (2M5T)
営業最高速度 130 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 1.8 km/h/s
減速度 4.3 km/h/s(常用最大)
5.2 km/h/s(非常)
編成定員 6(A寝)+124(B寝)+28(普)= 158人
全長 21,670 (21,300) mm
全幅 2,945 mm
全高 先頭車:4,090 mm
車体材質 普通鋼
編成質量 305 t
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
編成出力 220kW×8=1,760kW
主電動機 かご形三相誘導電動機 (WMT102A)
歯車比 1:6.53
駆動装置 WNドライブ
制御装置 PWMIGBT-VVVFインバータ
(静止形インバータ一体型)
台車 軸梁式ボルスタレス台車(ヨーダンパ付)
WDT58・WTR242
制動方式 発電ブレーキ・回生ブレーキ併用
電気指令式空気ブレーキ(滑走防止・
応荷重・遅れ込め制御)、抑速ブレーキ
保安装置 ATS-P、ATS-SW、列車防護無線装置
製造メーカー 近畿車輛
川崎重工業(JR西日本車のみ)
日本車輌製造(JR東海車のみ)

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12月10日(水)のつぶやき

出目駅 JR四国 予土線

出目駅(いずめえき)は、旧広見町の東はずれ愛媛県北宇和郡鬼北町出目にある四国旅客鉄道(JR四国)予土線の駅です。駅番号はG39。周囲に人家は少なく、利用者は多くありません。駅から国立診療所南愛媛病院が近い。平成17(2005)年1月に町名が広見町から鬼北町に変わりました。

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1面1線のホームで深田駅、大内駅などと同じ、JR四国でよく見るタイプの待合室があるだけの駅です。ホームは緩くカーブしています。

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駅入り口からは短い階段でホームに上がります。駅前には平成元(1989)年に解体、撤去された駅舎跡が残っています。駅前のタクシー営業所が切符の販売を受託している簡易委託駅です。

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ホームの待合所には木造の長椅子が設置されています。駐車場となっているスペースは、駅構内でした。

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1923年(大正12年)12月12日 - 宇和島鉄道の駅として開業。
1933年(昭和8年)8月1日 - 宇和島鉄道が国有化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国に継承。

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電報略号 イメ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1923年(大正12年)12月12日
備考 簡易委託駅(駅舎外発券)

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12月11日(木)のつぶやき

東海学園前駅 JR九州)豊肥本線

東海学園前駅(とうかいがくえんまええき)は、熊本県熊本市東区渡鹿(とろく)九丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)豊肥本線の駅である。

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駅名の通り東海大学の敷地に隣接しており、東区内で唯一のJR鉄道駅となる。駅周辺は住宅街で学生向け低層アパートも点在する。

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東側は東海大学、東海大学付属熊本星翔高等学校の敷地が占めている。駅名どおり朝夕は学生の利用で賑わいます。

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単式ホーム1面1線を有する地上駅。
開業当時から無人駅であったが、用地の関係から朝のラッシュ時の混雑が酷い状態が続き、また大学生が通過列車にはねられ死亡する事故が発生したことから混雑緩和と安全管理を目的として、2005年(平成17年)10月3日より駅舎を九州東海大学(現:東海大学熊本キャンパス)構内に設置して駅員を配置した(土休日は無配置)。

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大学構内に駅舎が存在する駅としてJRでは最初である。一般のきっぷ売場という扱いのため、きっぷを買うために校内に入ることができる。

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JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されている。ホームは学園から反対側にあり踏み切りを渡らなくてはいけません。ホームには近距離自動券売機とパイプ式の椅子が設置されています。駅前に広いスペースはありません。

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1986年(昭和61年)11月1日 - 日本国有鉄道が開設。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2012年(平成24年)12月1日 - 交通系ICカードSUGOCA導入。

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電報略号 トカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 917人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1986年(昭和61年)11月1日
備考 業務委託駅

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近永駅 JR四国予土線

近永駅(ちかながえき)は鬼北町(旧広見町)の中心部、愛媛県北宇和郡鬼北町近永にある四国旅客鉄道(JR四国)予土線の駅。

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駅番号はG40。駅前にはまとまった集落があります。近永駅で宇和島方面へ折り返す列車が設定され、始終発となる列車も設置ています。

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島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎は木造駅舎で駅舎のてっぺんに時計台、入口部分には三角屋根の装飾があります。

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駅舎内部の出札口で受託者が切符を手売りする簡易委託駅で、定期券も販売しています。待合室には三方の壁を背に木造の長椅子が設置されています。

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のりば
ホーム 路線 方向 行先
駅舎側 ■予土線 上り 江川崎・窪川方面
反対側 ■予土線 下り 宇和島方面
ホームは構内踏切で結ばれています。

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ホーム幅は狭く、趣きのある純木造の小さな上屋が中央部に設置されています。構内には引き込み線の跡と貨物ホームの跡があります。

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宇和島方面からの折り返し列車は、直接下りホームに入線いたします。
交換可能駅。

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1914年(大正3年)10月18日 - 宇和島鉄道の終着駅として開業。
1923年(大正12年)12月12日 - 吉野(現・吉野生駅)まで開業、途中駅となる。
1933年(昭和8年)8月1日 - 宇和島鉄道が国有化。
1985年(昭和60年)2月1日 - 停留所化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

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電報略号 チナ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1914年(大正3年)10月18日
備考 簡易委託駅

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US-2 救難飛行艇 海上自衛隊

US-2は、海上自衛隊が運用する救難飛行艇。製作は新明和工業。US-1Aの後継機体です。

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試作機は防衛庁技術研究本部 (TRDI) で各種試験が行われた後、2006年(平成18年)9月29日にXUS-2として海上自衛隊へ移管され、基本試験を行う第51航空隊に配備された(同航空隊は厚木基地に位置するが、機体は岩国にあり、隊員が岩国へと派遣された)。

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2007年(平成19年)3月12日に、防衛省(同年初に防衛庁から格上げ)にて装備審議会議が行われ、3月16日付けで防衛大臣の部隊使用承認を取得した。1号機は兵庫県の新明和甲南工場にてオーバーホールを受け、その際尾部のロゴが消されて海上自衛隊と記された。その後3月13日に岩国へ送られ、3月17日付けで運用部隊である第31航空群第71航空隊に配備された。同時に制式名称はUS-2となり、3月30日に部隊配備記念式典が行われた。2号機も新明和での改修後に岩国へ配備される。2機は2008年(平成20年)中ごろまで第71航空隊で運用試験が行われ、その後に救難運用に入った。

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量産初号機となる3号機(9903、平成17年度契約)は2008年(平成20年)12月15日に初飛行、2009年(平成21年)2月19日に防衛省へ納入された。4号機(9904、平成19年度契約)は2010年(平成22年)2月24日に防衛省へ納入されました。US-1Aの減数後もUS-2の就役により救難飛行艇の7機体制が維持されることになっている。
量産初号機である3号機以降は製造当初から海上自衛隊の航空機で近年普及している、低視認性(ロービジビリティ; low visibility)を考慮した濃青色と灰色の洋上迷彩となる。なお、試作機2機の機体塗装についても3号機と同様の洋上迷彩に塗り替えられた。

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2013年6月21日、US-2が救命ボートで漂流していた辛坊治郎と岩本光弘を宮城県金華山沖1,200kmの海上で救助した。辛坊らは「ブラインドセーリング」プロジェクトでヨットで太平洋を横断中だったが、ヨットが浸水したためこれを放棄し救命ボートに移乗して救助を待っていた。厚木基地で救難待機していた2機のUS-2と2機のP-3Cの計4機が出動し対応にあたり、1機目のUS-2は波高が高かったため着水を断念し帰投、2機目のUS-2により着水救助が行われた。救助時の状況は着水限度波高に近いと推定される波高3~4m、風速16~18mであった。

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US-2(US-1A改)は防衛庁によると「改造開発」の扱いで、大幅な改良が加えられている一方、艇体にはほぼ手を加えず以前の設計を踏襲している。外見はUS-1Aと比べて大きな変化はなく、直線翼の中型機であり、水平尾翼を垂直尾翼の上に配したT字尾翼を含め、一般配置はそのまま踏襲している。
エンジンは4基搭載、波高3メートルの荒れる海への着水ができ、50~53ノット(時速100km弱)で離水可能な短距離離着陸 (STOL) 性能を有している。60度の深い角度を持つフラップ、翼表面の気流が滑らかに流れるようにする境界層制御装置 (BLC) も受け継いでいる。ランディングギアなどの離着陸装置も備え、水中での車輪の出し入れ、スロープからの基地への出入り能力もあります。
また現時点の公試性能では、離島における救急搬送出動における可能率がUS-1に比較して130~140%となり、離島自治体を中心にその活躍に期待が寄せられている。前身となるUS-1から起算すると900回以上もの出動回数を誇っています。

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乗員 - 11人
全長 - 33.25m
全幅 - 33.15m
全高 - 10.06m
最大離着陸重量 - 47.7t
最大離着水重量 - 43.0t
エンジン - ロールスロイス AE2100J ターボプロップ×4
出力 - 4,591shp×4
境界層制御 - LHTEC T800を使用
最大速度 - 315kt(約580km/h)
巡航速度 - 260kt(約470km/h)
航続距離 - 4,700km(約2,500海里)
巡航高度 - 20,000ft(約6,100m)以上
実用上昇限度 - 30,000ft(約9,150m)以上(未公表)
離水滑走距離 - 280m(43t時)
着水滑走距離 - 310m(43t時)

 

 

 

 

北山田駅 JR九州久大本線

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北山田駅(きたやまだえき)は、大分県玖珠郡玖珠町大字戸畑にある、九州旅客鉄道久大本線の駅である。

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駅南方徒歩約10分の所に玖珠川がありミニナイアガラと呼ばれる滝、三日月の滝がある。

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単式ホーム1面1線を有する地上駅。かつては相対式ホーム2面2線を有する構造だった。

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木造二階建ての山小屋風駅舎を持ち、1階に改札口と売店が、2階に観光物産館が入っている。

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かなり急な階段がありますが、この部分を通らなくても構内からスロープを抜けて国道まで出ることができます。駅入口土手と旧ホームの跡はミニ庭園風です。

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ホームに待合所がありパステル調みどりにカラーリングされた木製の長椅子が設置されています。かつては交換可能駅でしたが、現在は棒線化されています。

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1932年(昭和7年)9月16日 - 鉄道省(国有鉄道)の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、九州旅客鉄道に承継。

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電報略号 キヤ←キタヤ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線

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乗車人員
-統計年度- 69人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1932年(昭和7年)9月16日
備考 無人駅

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