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伊予吉田駅 JR四国 予讃線

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伊予吉田駅は、平成17(2005)年8月に宇和島市と合併した愛媛県宇和島市吉田町立間尻にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。

小さな湾に面した港町の中に駅があります。旧吉田町はかつて伊予吉田藩の陣屋町として栄えた所で現在も武家屋敷や古い町並みが残っています。

相対式2面2線の地上駅。大きな庇がある木造駅舎です。現在は全特急列車が停車している。現在は跨線橋で上下のホームがつながっているが、有人駅だったころは線路を横切って渡っていました。

下りホームの端は現在延長されているが、その頃はスロープ状になっており、駅本屋側上りホーム途中のステップを上る必要があった。

1970年代から1980年代前半までは急行うわじまが全列車停車し、特急しおかぜは通過していた。そのため、タブレット閉塞時代は通票授器がホームに設置されていた。2010年9月ごろ、自動券売機が設置された。

待合室には木造の長椅子が設置されています。駅前には自転車置き場があります。


のりば
1 ■予讃線 (上り) 八幡浜・伊予市・松山・高松・岡山方面
2 ■予讃線 (下り) 宇和島方面

1941年(昭和16年)7月2日:開業。当時は、下りホームは待避線があり、上りは宇和島方が行き止まり式の側線が2本あった。
1986年(昭和61年)3月3日:無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。
2010年(平成22年)9月1日:それまで朝夕の上下2本ずつ計4本だった特急列車の停車を拡大。上り8本・下り9本の計17本が追加で停車するようになる。また、自動券売機が設置される。
2011年(平成23年)3月12日:特急列車「宇和海」「しおかぜ」「いしづち」が全列車停車するようになる。

電報略号 イヨ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1941年(昭和16年)7月2日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 


アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦 6番艦 DDG-56John S. McCain

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アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦(英語: Arleigh Burke-class destroyer)は、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦の艦級。イージスシステムを搭載したイージス艦であり、海上自衛隊が保有するこんごう型・あたご型護衛艦のベースとなった艦でもある。

アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。イージス・システムおよびトマホーク武器システムを搭載しており、元来はイージス艦として防空艦の任務を想定していたが、戦略環境の変化に伴い、現在では、海賊の取り締まりやトマホークによる対地攻撃など、様々な任務を遂行している。
高価なイージス・システム搭載艦ではあるが、効率的な設計により、実に60隻以上にも及ぶ大量建造を実現した。なお、これは、第二次世界大戦後にアメリカ海軍が建造した水上戦闘艦としては最多である。
本級は継続的な改良を続けており、イージス・システムによる優れた防空能力、トマホーク巡航ミサイルによる対地精密攻撃能力に加え、後期建造艦では多目的ヘリコプターを搭載、さらに現在ではミサイル防衛能力も保有しつつあり、あらゆる種類の戦闘に対応できる優秀な戦闘艦となった。
なお、2005年にスプルーアンス級駆逐艦が退役したため、アメリカ海軍が保有する駆逐艦は本級のみである。

アーレイ・バーク級は、実際に建造されたものとしては初めて、開発時からイージスシステムの搭載が考慮された艦である。初のイージス艦であるタイコンデロガ級は、開発費低減のため、先行するスプルーアンス級の設計をもとにしてイージスシステムを搭載しなければならないという制約があり、どうしても機関の位置などの都合からレーダーが前後に分けられてしまうなど無駄が多く、その分重量が増えてしまった。
それに対してアーレイ・バーク級では、まずレーダーの配置を決めてから各種設計をおこなっていったため無駄が少なくすみ、レーダー自体も理想的な位置への配置が可能となった。またレーダーを一つにまとめたおかげで、レーダー自体の若干の小型軽量化ということにもなった。


アーレイ・バーク級は建造費削減のために配管などの部分をスプルーアンス級と共通にしたり、内火艇を廃止して7メートル級複合艇を搭載するなどの工夫をしている。イージスシステム関連の重量の問題から各所で軽量化に気を配っており、例えば投揚錨装置は主錨、副錨、揚錨機各1基という同規模の艦に比べて貧弱なものになっている。これは、海上自衛隊では、2,000トン程度の小型艦(乙型護衛艦 (DE))でのみ用いられる方式である。また、艦の安定性に重要な役割を果たすフィンスタビライザーも装備していない。
その一方、中等コンセプト艦として、残存性にも十分な配慮がなされており、ベルナップ級ミサイル巡洋艦「ベルナップ」の衝突事故において、火災によってアルミ製の上部構造物が大損害を受けた教訓から、上部構造物は全鋼製となっている。さらに、戦後型駆逐艦としては初めて要所に装甲を施しており、70トン(一説では130トン)におよぶケブラー装甲が搭載されている。
また、残存性向上策の一環として、ステルス性も考慮されている。一番特徴的なのはマストで、従来までの骨組みが剥き出しの伝統的なラティスマストではなく、平面を組み合わせた新型のマストとなっている。そのほかにも全体的に平面で構成するなど各所にステルス性への工夫が見て取れる。
なお、検討段階では実際に建造されたずんぐりむっくりの船体とほっそりした船体の二案が検討され、いずれも一長一短で甲乙つけがたかったために、最終的にコイントスで決定されたという冗談のようなエピソードがある。その後建造されたイージス艦が基本的に本艦をタイプシップとしていることから、ある意味1枚のコインが現代軍艦の歴史を決めたとも言える。

アーレイ・バーク級のコンセプトにおいて、その主要な戦闘システムは、イージス武器システム (AWS)とトマホーク武器システム (TWS)の2つである。イージス武器システムは卓越した防空能力を実現する「盾」、トマホーク武器システムは攻勢的な対地攻撃力を実現する「矛」と位置づけられる。
また、対潜戦闘システムとしてAN/SQQ-89統合対潜システムと軽多用途航空システム (LAMPS)の複合システム、近距離での対空・対水上戦闘を目的とした砲熕兵器システムとして艦載近距離防空システム Mk 15およびMk 34砲兵器システムなどが搭載されており、これらが連接・統合されて、本級の戦闘システムは構築されている。
イージス武器システム (AWS)
本級の対空戦闘システムであり、また指揮決定および武器管制の中核となるのがイージス武器システム (AWS)である。本級の搭載するあらゆる戦闘システムは、イージス武器システムの戦術情報処理装置である指揮決定システム(C&D)および武器管制システム(WCS)に連接されている。
SPY-1レーダー
「ピンクニー」のAN/SPY-1
アーレイ・バーク級の外見上で最大の特徴は、艦橋周辺に貼り付けられた4基のAN/SPY-1フェーズドアレイレーダーである。これはイージスシステムの中心であり、その主たるセンサーである。
本級の搭載するSPY-1Dは、タイコンデロガ級に搭載されていたSPY-1AまたはBの改良型で、艦橋構造物に4基すべてをまとめて搭載するなど配置の合理化により、A/B型に比べ小型軽量となっている。最大探知距離は500 km、同時に追尾できる目標数は200以上と言われている。


ミサイル垂直発射システムMk 41
CSSQTにてミサイルの連続発射を行なう「スタレット」
本級のミサイル装備の中心となるのが、ミサイル垂直発射システムMk.41であり、フライトI, IIではmod.2、フライトIIAのうちDDG-79~90ではmod.7、DDG-91以降ではmod.15が搭載されている。前甲板にMk.159発射機(mod.2では29セル、mod.7/15では32セル)、後甲板にMk.158発射機(mod.2では61セル、mod.7/15では64セル)を搭載している。このセル数は、建造当初に最重要視されていた対空戦闘シナリオである、「弾薬再補給前に、各数波よりなるソ連の2回の航空攻撃に対し、空母戦闘群(現 空母打撃群)内の1防空艦として対処する」[5]という状況に対処することを目的に決定された。
Mk.41は、スタンダードミサイルおよびESSMによる対空多目標対処、トマホーク巡航ミサイルによる対地精密集中攻撃、さらには自艦に近接した潜水艦脅威に対する迅速な垂直発射式アスロック(VLA) 発射など、本級の戦闘力の相当部分をつかさどっている。上記のように、冷戦時代には艦隊防空の重要性からスタンダードミサイルを中心に装備していたが、ソ連が崩壊し対艦ミサイルによる攻撃の恐れは低下したため、現在ではスタンダードミサイルの搭載数を減らし、トマホークの搭載数を増やしているといわれる。
当初のフライトI, IIで搭載されたmod.2では、前後それぞれ3セル分のスペースを再装填用クレーンに転用していたが、再装填作業が実用的でないと評価されたことから、フライトIIAのmod.7では廃止され、その分はミサイル・セルによって充足された。またフライトIIAでも、DDG-91以降の艦では、さらにベースラインVII仕様に改良されたmod.15が搭載されるようになっている。
射撃指揮システムMk 99
イージスシステムの対空戦闘において、攻撃の最終段階を担うのが射撃指揮システムMk 99である。Mk 99の一部として、スタンダードミサイルの終末誘導を行なうイルミネーターとして、SPG-62を前部(艦橋構造物上部)に1基、後部に 2基の計3基搭載する。このレーダー1基で4発前後のスタンダードミサイルが誘導可能といわれており、これを3基搭載するアーレイ・バーク級は、12発前後のスタンダードミサイルを同時に誘導できることになる。
トマホーク武器システム (TWS)
「ポーター」後部VLSより発射されるトマホーク
トマホーク武器システムは、長距離の対地集中精密攻撃を担当する武器システムであり、従来は空母や船団などのHVU護衛という守勢的兵種に甘んじてきた水上戦闘艦に、攻勢的兵種としての地歩を付与した本尊である。
TWSは、その性格上、艦上に配置される要素が極めて少ない。例えばAWSにおいては、任務が守勢的なものであり、また多くの場合は急を要するものであるので、攻撃目標の選定は、SPY-1レーダーからの情報をもとに、艦上の戦術情報処理装置およびオペレータが実施する。これに対し、TWSは長射程であり、かつ攻勢的な作戦を実施するため、その攻撃目標の選定は、上級司令部や支援部隊、宇宙監視・通信システムなど、艦外の各種システムからの情報をもとに、艦長の厳格な直率によって実施される。さらに、AWSでは上述したような膨大な装備が必要となるが、TWSで艦上に配置されるのは、トマホーク巡航ミサイル本体と、それを発射するためのMk 41 VLS、攻撃計画策定を実施する洋上計画システム (APS)と、直接に攻撃管制を行なうトマホーク武器管制システム (TWCS)のみである。
TWSは、投射できる火力量そのものは決して多くないとはいえ、極めて高精度の攻撃を実施でき、かつ、攻撃側の人的な損害の恐れが無いため、とくに非対称戦における介入手段として多用される。現在、アメリカの戦闘艦でTWSを搭載する艦としては、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦やロサンゼルス級原子力潜水艦などがあるが、搭載可能なミサイル数および絶対的なユニット数において、本級はもっとも有力なTWS搭載艦であり、従って、TWSは本級の搭載する武器システムとして、極めて重要なものである。
統合対潜システムSQQ-89
Mk 46魚雷を発射するMk 32 短魚雷発射管
本級の対潜戦闘システムは、自艦の対潜戦闘を統括するAN/SQQ-89と、センサーおよび火力投射手段の延長としてのLAMPSという主として2つのシステムによって構成されている。LAMPSはその名称のとおり多目的なシステムであるので、本項ではSQQ-89についてのみ触れることとする。
フライトIおよびフライトIIが搭載するAN/SQQ-89(V)6/9は、
AN/SQS-53C船底装備ソナー
AN/SQR-19曳航ソナー
Mk 116 mod 7対潜攻撃指揮装置
AN/SQQ-28 LAMPS MK IIIソノブイ・データ・リンク装置
によって構成されている。対潜情報処理は、依然として人力に頼る部分が大きいため、SQS-53およびSQR-19の情報は直接にMk116対潜攻撃指揮装置に入力されており、LAMPSが投射したソノブイの情報のみが、SQQ-28によってAWSの戦術情報処理装置に入力された後、Mk116に伝えられている。
Mk 116対潜攻撃指揮装置は、武器管制装置と射撃管制装置の役割を兼ねるものであり、これらの情報をもとに、Mk 32 3連装短魚雷発射管またはMk 41のVLAによる攻撃を管制する。
これらは、スプルーアンス級駆逐艦の搭載システムを踏襲したもので、基本的には外洋における対潜水艦作戦を想定したものであった。しかし冷戦構造の崩壊に伴う戦略状況の変化で、1990年代初頭より、アメリカ海軍は沿海域での作戦を重視したリットラル戦略を採用しつつあり、これに対応して、フライト IIAでは沿海域の浅海での戦闘を重視したAN/SQQ-89(V)10/15を搭載する。このバージョンでは、COTS化が進められるとともに、沿海域では使い勝手の悪いAN/SQR-19曳航ソナーが省かれ、浅海域での情報処理に最適化された。
対水上戦システム
対水上打撃力として、フライトIおよびIIではハープーン対艦ミサイルの4連装発射筒が搭載されていたが、コストと重量の関係から、フライトIIAでは省かれている。ただし、その攻撃管制用のAN/SWG-1 HSCLCSは残されており、必要なら搭載は可能になっている。
また、対水上戦におけるセンサーである対水上レーダーとしてSPS-67(V)3を装備している。なお、通常の航海に用いるレーダーとしてはSPS-64(V)9を使用する。


砲熕兵器システム
主砲として、艦首にMk 45を1門装備する。これはMk 34砲システムの一部であり、その射撃管制は、AN/SPY-1によって行なわれるほか、Mk 46 OSS (光学照準システム)によっても可能である。Mk 45は、それまでの米海軍の5インチ砲が対空射撃を重視していたのに対し、対地・対水上射撃を主眼としている。これは、前任者であるMk 42が高発射速度を追求するあまりに信頼性の低下を招いたことへの反省とされている。また、DDG-81以降は砲身を62口径長に延長し、射程延伸と新型砲弾の使用を可能にしたMk45 Mod4を搭載する。
艦載近距離防空システムとして34番艦までは、艦橋構造物前方と後部SPG-62の後方にMk.15(通称「ファランクス」)を搭載している。これは近距離の航空脅威に対処するための近接防空システムであるが、機動性が向上した短距離艦対空ミサイルであるESSMの実用化に伴って、35番艦以降では装備されなかった。ただし、後部の1基については、後に順次搭載されたほか、57番艦以降は就役時から搭載している。


電子戦システムSLQ-32
アメリカ海軍においては、伝統的に、巡洋艦以上はECM機能を有し、駆逐艦以下はESM機能のみとされていたため、アーレイ・バーク級フライトIにおいては、電子戦システムとして、ESM機能しか有さないSLQ-32(V)2を搭載していた。
しかし、フライトII以降ではECM機能が付加されたSLQ- 32(V)3/SLY-2が搭載されており、フライトIにも順次バックフィットされている。
航空機
上記のトレードオフ分析によって、アーレイ・バーク級のフライトI, IIではヘリコプターの格納庫は省かれたが、飛行甲板と給油機能は持たされており、また、ソノブイからのダウンリンクは受けられるようになっていた。
その後、沿海域戦闘でのヘリコプターの有用性が改めて認識されたことから、フライトII A で、H-60系のヘリコプター2機分の格納庫が設置された。搭載機は、さしあたってはSH-60B LAMPS Mk IIIであるが、将来的にはMH-60R ストライクホークによって代替される予定である。これらは、ソノブイや磁気探知装置、ESMなどのセンサーと、短魚雷や対艦ミサイルなどの攻撃兵器を備えており、艦のセンサーや火力投射手段の三次元的な延長として運用される。

ジョン・S・マケイン (英語: USS John S. McCain, DDG-56) は、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の6番艦。その名を持つ艦としては2隻目。
艦名はアメリカ海軍の提督ジョン・S・マケイン・シニアおよびジョン・S・マケイン・ジュニアに因む。ジョン・S・マケイン・ジュニアは潜水艦ガンネルおよびデンテューダを指揮し、1972年に退役するまで太平洋軍最高司令官を始めとする多くの要職に就いた。ジョン・S・マケイン・シニアは空母レンジャーを指揮し、1944年まで機動部隊の指揮官の役割を果たした。

第7艦隊に所属し、母港は横須賀。ミサイル防衛対応艦船。
2009年6月に、監視していた中華人民共和国の潜水艦が曳航ソナーに接触、これを損傷した。
2012年12月、北朝鮮は「人工衛星」と称する弾道ミサイルの発射を予告する。これに対し米国海軍は黄海に艦艇を展開させ不測の事態に備える。「ジョン・S・マケイン」は「CG-76 シャイロー」と共に先行の2隻に続いて追加派遣され、ミサイル発射予告の初日に当たる12月10日までに当該海域に配備される。他に海上自衛隊からイージス艦3隻、大韓民国海軍から2隻を加えた10隻態勢で臨む。ミサイルは同月12日に発射される。

排水量 満載: 8,362 トン
全長 153.9 m (505 ft)
全幅 20.1 m (66 ft)
吃水 9.4 m (31 ft)
機関 COGAG方式
LM 2500-30ガスタービンエンジン (27,000shp) ×4基
可変ピッチプロペラ(5翔)×2軸
最大速 31ノット
航続距離 4,400 海里(20ノット時)
乗員 士官、兵員 337名
兵装 Mk.45 mod.2 5インチ単装砲 ×1基
Mk.38 25mm単装機関砲 ×2基
Mk.15 20mmCIWS×2基
M2 12.7mm機銃 ×4挺
Mk.41 mod.2 VLS ×90セル
* スタンダードSM-2 SAM
* スタンダードSM-3 ABM
* ESSM 短SAM
* VLA SUM
* トマホークSLCM
などを発射可能
ハープーンSSM 4連装発射筒×2基
Mk.32 3連装短魚雷発射管×2基
艦載機 ヘリコプター甲板のみ, 格納庫なし
C4ISTAR NTDS mod.5 (リンク 11/16)
AWS B/L 5 (Mk.99 GMFCS×3基)
AN/SQQ-89
センサ AN/SPY-1D 多機能レーダー×4面
AN/SPS-67 対水上レーダー×1基
AN/SQS-53C艦首装備ソナー
AN/SQR-19 曳航ソナー
電子戦 AN/SLQ-32(V)2 ESM装置
Mk.36 mod.12 デコイ発射装置
モットー Fortune Favors the Brave

発注 1988年12月13日
起工 1991年9月3日
進水 1992年9月26日
就役 1994年7月2日

JR東海キハ11形気動車

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キハ11形気動車は、東海旅客鉄道(JR東海)に所属するローカル線用気動車である。同社が保有するキハ30形・キハ28形・キハ58形気動車の老朽置き換えと、ワンマン運転の拡大用として投入された。
2014年(平成26年)4月現在、美濃太田車両区に17両、伊勢車両区に21両在籍し、東海交通事業が4両保有している。

非電化地方交通線向けに、初期費用および運用費用を抑制するため、新潟鐵工所製の軽快気動車を基本としつつ、JR東海の事情にあわせて仕様の変更を行っている。

車体は、最大長18m(車体長17.5m)、幅2.7mの普通鋼製で、日本国有鉄道(国鉄)時代の車両 (20m) と比べて小型である。出入口は、ワンマン運転に対応して車体両端に寄せて幅850mmの片引戸を2か所に設け、押しボタン式の半自動ドアとした。

客室側窓は、211系電車と同様の下降式の1枚窓である。2000年6月から伊勢車両区所属車両のみ車体前面のスカートが下方向へ拡大改造が開始された。0・100番台は前後とも延長されたのに対し、300番台は新宮方のみ延長されていたが、後に亀山方も延長された。2009年からは美濃太田車両区所属車両に対しても施工が開始されており、現在も改造が進行中である。

腰掛は、ラッシュ時と日中の閑散時に対応するため、ロングシートとボックスシートを組み合わせたセミクロスシートを採用している。形状をバケットタイプとして座り心地の向上を図るとともに、ボックスシートは間隔を1,550mmとしている。定員は110名(座席60名。ただし300番台は46名)で、従来のキハ40形よりも増加している。主に短距離路線で使用されることから、300番台を除きトイレは設置されていない。冷房装置は、機関直結式のC-AU29を1基搭載する。一部車両にはドアチャイムと車椅子スペースが設置されている。

エンジンは、キハ85系気動車と同じカミンズ製のC-DMF14HZA (330ps/2,000rpm) を1基搭載するが、変速機に軽快気動車用のC-DW15を使用することから、出力を抑えている(キハ85系用は350ps)。車体の軽量化とエンジン出力の向上により、従来車に比べ走行性能は格段に向上しており、最高速度は95km/hで同等であるが、20‰の上り勾配で60km/h以上、25‰でも50km/h以上での走行が可能である。
台車は、軽快気動車で実績のある大径心皿式の空気バネ台車のC-DT58(動台車)、C-TR242(付随台車)で、動台車は2軸を駆動する。変速機は新潟コンバータ製で、変速1段、直結2段式により、従来よりも加速・粘着性能の向上を図っている。

編成 1両
最高速度 95km/h
車両定員 60(席)+50(立)=110名
*300番台は46席
最大寸法
(長・幅・高) 18,000×3,188×4,095(mm)
車体材質 普通鋼
ステンレス(300番台)
編成質量 28.6t(0・100・200番台)
29.5t(300番台)
軌間 1,067mm
機関出力 C-DMF14HZA(カミンズ製)(0・100・200番台)
330PS × 1
C-DMF14HZB(300番台)
350PS × 1
駆動装置 液体式
変速段 変速1段・直結2段
台車 上枕大口径心皿式空気バネ台車(0・100・200番台)
C-DT58(動台車)(2軸駆動)
C-TR242(付随台車)
軽量ボルスタレス台車(300番台)
C-DT64(動力台車)(2軸駆動)
C-TR252(付随台車)
制動方式 自動空気ブレーキ
直通予備ブレーキ
機関ブレーキ
保安装置 ATS-ST
ATS-PT
EB装置 TE装置
製造メーカー 新潟鐵工所
東海旅客鉄道名古屋工場

 

 

1月3日(土)のつぶやき

立間駅 JR四国 予讃線

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立間駅は、愛媛県宇和島市吉田町立間にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。

立間駅前にはバス停があります。 宇和島自動車市内バス系統はここで折り返します。

この地域は伊予みかん発祥の地として知られ、周辺の山々は一面のみかん畑で覆われています。

無人駅で島式ホーム1面2線を有する地上駅。昭和16年、開業時に建てられた駅舎は簡素でノッポな平屋の木造駅舎です。

待合室には木製の長椅子が設置されています。駅舎内の駅窓口は塞がれています。

ホーム間は構内踏切で結ばれています。Y字分岐で進入速度は60km/h。

構内には、みかんの出荷で賑わった貨物ホーム跡が残っています。貨物施設の大きな上屋がありますが現在は運送会社の所有の資材置き場になっている様子です。

1941年(昭和16年)7月2日 - 国鉄の駅として開業。
1980年代 - 貨物の取扱を廃止。
1986年(昭和61年)3月3日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)3月31日 - 貨物の取扱を再開。ただし列車の設定はない。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道・日本貨物鉄道の駅となる。
2006年(平成18年)4月1日 - JR貨物の駅(貨物の取扱)が廃止。結局取扱実績のないまま廃止された。

電報略号 タマ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1941年(昭和16年)7月2日
備考 簡易委託駅

 

 

西宮名塩駅 JR西日本)福知山線

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西宮名塩駅(にしのみやなじおえき)は、兵庫県西宮市名塩新町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線の駅である。
アーバンネットワークおよび「JR宝塚線」の愛称区間に含まれている。

福知山線を複線・電化するに当たって、武庫川沿いから大幅に経路が変更された際に新設された。2013年現在、線内では新三田駅と並んで最も新しい駅でもある。北側一帯に、西宮名塩ニュータウンや塩瀬中央公園が広がる。


当初は普通のみ停車していたが、西宮名塩ニュータウンの開発により周辺の人口が急増したことから、1996年より快速も停車するようになった。また、2014年3月15日のダイヤ改正より特急こうのとり号の上りの一部列車(2.4.6号)が当駅に停車するようになった。
なお、開業時点で同じ西宮市内には西ノ宮駅(JR神戸線)があったが、同駅とは異なり、市名の表記と同じく「ノ」が入っていない。西ノ宮駅は2007年3月18日をもって、現在の「西宮」駅に改称された。

2面2線の相対式ホームを持つ橋上駅。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。
ホームの三田方の一部はトンネル内にあり、尼崎方もすぐトンネルに接続している。よって、両側をトンネルに挟まれた駅である。さらに、ホームの一部が名塩川に架かる橋梁上にある。
駅は3つの階層からなり、最上階が入口、中央階が歩行者専用の入口と改札、そして最下層がホームである。高台となる駅北東側からの乗客向けに、斜行エレベーターが二基設置されている。


直営駅(宝塚駅の被管理駅)であり、みどりの窓口も営業しています。ICOCA(および相互利用対象のICカード)が利用可能。改札口に改札機は4台。ICOCA(および相互利用対象のICカード)が利用可能、1台がICカード専用機です。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 G JR宝塚線 下り 三田・篠山口方面
2 G JR宝塚線 上り 宝塚・大阪・北新地方面
上屋下には冷暖房完備の待合室の他、椅子が多数設置されています。
日中は1時間あたり普通が4本、丹波路快速が2本停車する。朝晩はさらに本数が多くなる。


ホーム両端をトンネルに挟まれています。ホームの一部が完全にトンネル内に入り込んでいるためトンネル断面も広くなっています。

駅前ロータリーが整備され駅西側のロータリーに、阪急バスの以下の路線が発着している。また、東側には一般車専用のロータリーもある。

1986年(昭和61年)11月1日 - 日本国有鉄道福知山線の生瀬駅 - 武田尾駅間に新設開業。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。

1996年(平成8年)3月16日 - 快速の停車駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード・ICOCAの供用開始。
2014年(平成26年)3月15日 - 特急「こうのとり」号の停車駅(上りの一部列車のみ)となる。

 電報略号 ナシ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 9,471人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1986年(昭和61年)11月1日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

 

1月5日(月)のつぶやき

下宇和駅 JR四国 予讃線

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下宇和駅(しもうわえき)は、愛媛県西予市宇和町皆田にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。付近は山に囲まれ、卯之町から幹線国道と別ルートを経由して宇和島に向かう途中にある駅です。駅番号は○U23

島式1面2線の地上駅、簡易駅舎です。駅舎には窓が一切ありません。駅舎前やホームにはアヤメが植えてあります。駅舎内、景品交換所サイズの小さな窓口(閉鎖)があります。

待合室にはプラスチック製長椅子が設置されています。Y字分岐で進入速度は45km/h。


有効長が4両分しかないため、特急列車が多客期に増結されるとこの駅で交換も運転停車もできない。交換駅変更を行う必要があるなど、ダイヤ編成上のネックとなっています。


実際の運用は、5~8両編成の特急列車と卯之町駅で交換させるので、4両編成以上の普通列車は、停車時間を延ばしてダイヤを繰り下げることになる。


同じ宇和盆地にある伊予石城駅もそうであるが、一線スルー化で緩い番数の分岐器を入れたり、本線を通過線側に振っている駅では、元々の分岐器の位置を変えていないので、副本線の有効長を削っている場合が多い。

ホームは構内踏切で結ばれています。

1941年(昭和16年)7月2日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 シウ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1941年(昭和16年)7月2日
備考 無人駅

 

 


1月7日(水)のつぶやき

四式二十糎噴進砲

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四式二十糎噴進砲は、大日本帝国陸軍が1944年(皇紀2604年)に制式化し、第二次世界大戦末期に使用した口径203mmの噴進砲(ロケット砲)です。硫黄島の戦いや沖縄戦で使用され、簡易な造りで敵に大きな被害を与えられることから本土決戦の切り札としても期待されていた。

陸軍では昭和18年(1943年)7月に中迫撃砲以上の通過が困難な地形における急襲兵器として噴進砲の研究を開始した。砲弾は第7陸軍技術研究所が7月に試作した二十糎噴進榴弾を使用し、発射機は船舶搭載用と合わせて設計を開始した。発射機は高射角・低射角の2種類を試作して射程を比較することとし、8月に大阪陸軍造兵廠に試作注文した。9月には噴進榴弾の秘匿名称として「ろ弾」という名称が与えられ、開発中の発射機の名称も試製二十糎ろ弾発射機I型と変更した。同時に船載用のものはII型として陸上用と区別された。試験は10月より開始し、発射機として高射角のものを採用することが決定した。更に操作を容易にするために装填板を廃止し上蓋式に改め、砲身の接続はねじ式とする等の改修を行った。12月に修正機能の抗堪試験と射表の編纂試験を実施し、実用性が十分であると認められた。また同時に実施された砲身を接続しない短砲身の状態での試験では噴進炎(バックブラスト)により水平器や照準眼鏡を破損するなど影響が大きく、また駄載が困難であることから不採用とした。昭和19年(1944年)1月に陸軍野戦砲兵学校に試験を委託し、実用に適するとの判決を得た。なお「ろ弾発射機」なる名称では部隊編成に不都合であることから名称を「噴進砲」に改め、本砲を以後「試製四式二十糎噴進砲」と呼称することとなった。この後若干の修正を加え、2月21日に陸軍研究所による研究報告が提出された。

本砲のI型発射機は砲身・二脚・連結架・床板及び照準具から成り、外見は大型迫撃砲に類似する。砲身は発射時の後方噴流を逃がすために前後が開放されており、中央で前後に分割することが可能である。砲身は旋条が刻まれていない滑腔砲身である。砲身後方には蝶番で開閉する装填用の蓋が付随する。発火方式は摩擦門管牽引式であり、砲身後端に引手を掛ける滑車託架を有する。脚は開脚式で、高低照準機及び水平規正用具を有する。高低射界は45度~65度、水平射界は射角45度で左右150ミルである。連結架は二脚と砲身を接続し、方向照準機及び眼鏡託架を有する。試験では発射機の組立所要時間は約1分40秒であった。なお実戦で主に使用されたタイプはこれとは異なり、三脚構造で木製、このうちの一脚が二枚の板で噴進弾を挟む形の発射レールで、破損するまで十数発が発射可能な簡易なものであった。噴進弾は支給されるが、発射台は交付された図面をもとに板材で現地で自作すべしと通達されていた。また同時期に開発された四式四十糎噴進砲の発射架も同じく木製発射台を用いるようになっており、現地部隊が独自に三連装にしたものもあった。
また、船載用のII型発射機は基筒に装備し、噴進炎を防ぐために防炎庇・防盾・尾筒を有する。防炎庇は砲口に装着されるラッパの口を逆さにした様な覆いであり、砲口より飛び出た砲弾の後方噴流を周囲に逸らす機能を有する。防盾は後方噴流から射手を防御し、照準孔を有する。尾筒は砲身後方に装着される上方向に湾曲した筒状の装置であり、砲尾から噴出する噴進炎を砲の後部上方向に逃がす機能を有する。昭和19年(1944年)1月に伊良湖試験場で実施された試験では兎を使って各射角での射撃を実施した結果、これらの装置によって砲手は発射時の噴進炎から相当防御されるものとされた。なお防炎庇・尾筒を装着しなかった場合では「兎ノ毛ハ黒焦ゲトナレリ」と書かれている。この試験では防炎庇と尾筒による防炎は十分であるために防盾はより軽易なもので十分なこと、湾曲した尾筒には発射時のガスによる強い負荷が掛かるために砲架の強度を増す必要があること、尾筒装着時の弾道性には更に研究を要すること、発火方式には電気門管の使用が適当であることが挙げられた。

本砲弾は噴進薬の燃焼ガス噴出の反動を用いて飛翔するロケット弾であり、一般の砲弾とはその原理が異なる。砲弾は弾頭と弾尾からなり、両者はねじ式に結合する。砲弾には飛翔に際しての安定翼の様なものは無く、代わりに弾底にある6個のの噴射口個々に角度を付けてライフル弾のように回転することによって飛行を安定させる「旋動(=スピン)安定式」という方式を採用している。信管には一〇〇式二働信管「迫」を使用し、切替装置によって瞬発と短延期(0.1秒)を選択できる。薬量は185gで信管は弾頭に装着する。門管は約40gで、安全のため弾尾の門管孔への装着は砲弾の装填後に行われる。炸薬量は16.5kgで瞬発信管を用いた場合の効力半径は31m、短延期信管を用いた場合砂地において深さ1.5m、直径6mの漏斗状の着弾孔を生ずる。装薬量は1号9.6kg・2号8.9kg・3号8.2kgの3種類であり、1号装薬の状態で支給されるために2号もしくは3号装薬を用いるには砲弾から火薬抜を用いて噴進薬を取り出す必要がある。1号装薬使用時で燃焼時間は約2秒、飛翔速度は発射機前方175mで約175m/秒となる。射程は最大で1号装薬を使用し射角45度で2,500m、最短は3号装薬を使用し射角65度で1,400mである。発射の際は噴進炎による危害を避けるために発射機から5m以上遠ざかること、特に後方は土砂等が飛散するために注意することとされた。

本砲は発射機の簡便な特性から奇襲的に使用し、人馬の殺傷と敵を精神的に震撼させることを目的としていた。また多数の集中発射によりある程度の野戦陣地の破壊を見込めるとされていた[7]。本砲は戦争末期の激戦地である硫黄島、沖縄に投入された。特に硫黄島では本砲を含め噴進砲70門が投入され、慢性的な火砲不足に悩む帝国陸軍にとって大いに助けとなり、また同様に簡易かつ大威力で既に前々から制式・配備されていた九八式臼砲と共にアメリカ軍に大きな損害を与え、畏怖の対象とされた。但し弾数が50発/門しか用意されていなかったため、あっという間に撃ち尽くされてしまった。また、ロケットの噴射炎と煙によって敵に位置を知られるため、撃ち尽くす前に制圧射撃を受けて破壊される恐れも大きかった。同時期により大型の四式四十糎噴進砲も開発され、噴進弾500発が生産されているが離島などへの輸送の便の関係上小型の二十糎型のみが南方で実戦使用された。海軍でも二十糎噴進砲を参考に重巡洋艦用主砲弾の在庫を流用した三種類の20cmロケット砲(実際の口径は210mm)を製作し、最後の型は鋼管製発射器を載せた簡易な砲架に車輪付きの形状あった。この砲は硫黄島で米軍に捕獲されている。

重量 227.6kg
銃身長 1.923m
砲弾 83.7kg
口径 203 mm
砲身長 1.923m
仰角 40° ~ +65°
初速 175 m/秒
最大射程 2,500m

末恒駅 /山陰本線

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末恒駅(すえつねえき)は、神話「因幡の白兎」で有名な白兎海岸の最寄り駅で日本海と湖山池に挟まれた新興団地、鳥取県鳥取市伏野にある西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅です。無人駅ではありますが、駅南の住宅団地住民の通勤通学駅として比較的利用の多い駅です。快速列車は、米子方面行きは全部ではないものの多くが停車する一方、鳥取行きはわずか1本のみの停車です。

相対式2面2線のホームを持ち、列車交換が可能な地上駅。かつては北口に駅舎があった(現在は撤去)ため、北口側が1番線(上り)ホーム、南口側が2番線(下り)ホームとなっている(一線スルー化はなされておらず、方向別にホームが分かれている)。現在では南口に美萩野団地という住宅団地があることから、圧倒的に南口の利用者が多い。


鳥取鉄道部管理の無人駅であるが、北口には乗車駅証明書発行機、2番線ホームの待合室内に自動券売機が設置されています。また、2010年3月には南口側の歩道が整備され、スロープが設置されました。2番線ホームの待合室横に男女兼用の水洗式便所が設置されている。1・2番線ホームとは跨線橋で行き来できる。ホームは長いのですが1番ホームの幅は狭く、上屋は設置されていません。待合室には駅名が表示されています。


末恒駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■山陰本線 上り 鳥取・浜坂方面
2 ■山陰本線 下り 倉吉・米子方面


1928年(昭和3年)9月11日 - 国有鉄道山陰本線の湖山駅 - 宝木駅間に新設開業。旅客取扱のみ。
1947年(昭和22年)9月1日 - 貨物取扱を開始。
1962年(昭和37年)10月1日 - 貨物取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。

電報略号 スネ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1928年(昭和3年)9月11日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

新家駅 /阪和線

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新家駅は、大阪府泉南市新家にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅です。周囲は新しい住宅地で、ラッシュ時はかなり利用客が多い。また駅前は狭く、道路は通行量がけっこうあります。

駅舎は阪和電鉄時代のモノを改札部分だけ屋根を増築した木造駅舎です。相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、分岐器や絶対信号機がない停留所に分類されます。木造駅舎は和歌山方面行ホーム和歌山寄りにあり、反対側の天王寺方面行ホームへは跨線橋で結ばれています。


ホームへ上がる車椅子用スロープは、下り和歌山方面ホームは駅務室側に、上り天王寺方面ホームは駅務室から見ると踏切を渡ってホーム横にある。便所は2006年3月より男女別水洗式便所に改修済み(洋式・身障者用便所も備える)。
きっぷ売り場の券売機は狭いスペースに詰め込まれています。

改札口の改札機はスペースの関係なのか段違いに設置されています。キオスクが撤退したスペースに自販機が設置されています。和泉砂川駅が管理している直営駅で、、ICカード乗車券「ICOCA」が利用することができます。

 

新家駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■阪和線 下り 和泉砂川・和歌山方面
2 ■阪和線 上り 関西空港・日根野・天王寺方面
天王寺方面行きホームの端には構内踏切だった頃の跡が見受けられます。

1930年(昭和5年)6月16日 - 阪和電気鉄道の和泉府中駅 - 阪和東和歌山駅(現在の和歌山駅)間延伸により、新家停留場として開業。
1931年(昭和6年)3月3日 - 停留場から駅に格上げ。新家駅となる。
1940年(昭和15年)12月1日 - 阪和電気鉄道が南海鉄道に吸収合併され、南海山手線の駅となる。
1944年(昭和19年)5月1日 - 山手線が国有化され、国有鉄道阪和線の駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」供用開始

電報略号 シン
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,753人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1930年(昭和5年)6月16日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

佐良山駅 /津山線

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佐良山駅(さらやまえき)は、国道53号線沿い津山市南部の小集落岡山県津山市高尾にある駅です。利用者は少ない駅で西日本旅客鉄道(JR西日本)津山線の駅です。

津山方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を持つ地上駅(停留所)。棒線駅のため、津山方面行きと岡山方面行きの双方が同一ホームより発車します。

ホームは緩くカーブしています。ホーム亀甲方は近代的なオフィスビルに面しています。
津山駅管理の無人駅である。ブロック造り駅舎は待合室兼用の簡易なものであり、直接ホームに入る形になっています。

ホーム駅舎(待合室)の背に小さい仮名表記の駅名表示があります。自動券売機等の設備はありません。駅前には自転車置き場があり駅横にはトイレがあります。

1933年(昭和8年)12月20日 - 中国鉄道本線(現在の津山線)の亀甲駅 - 津山口駅間に、当駅の前身たる高尾仮停留場開業。
1937年(昭和12年)6月15日 - 高尾仮停留場が廃止され、代わって佐良山停留場が開業。
1944年(昭和19年)6月1日 - 中国鉄道の鉄道部門が国有化され、国鉄津山線所属となる。同時に正式な駅に昇格し、佐良山駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。

電報略号 サラ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 19人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1937年(昭和12年)6月15日
備考 無人駅

 

 

 

1月10日(土)のつぶやき

DD-111おおなみ 海上自衛隊

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DD-111おおなみは、海上自衛隊の護衛艦。たかなみ型護衛艦の2番艦。旧海軍夕雲型駆逐艦「大波」、あやなみ型護衛艦「おおなみ」に続き日本の艦艇としては3代目。

「おおなみ」は、中期防衛力整備計画に基づく平成10年度計画4,600トン型護衛艦2240号艦として、三菱重工業長崎造船所で2000年5月17日に起工し、2001年9月20日に進水、2003年3月13日に就役、第1護衛隊群第5護衛隊に配属され、横須賀に配備された。
2004年11月25日、テロ対策特別措置法に基づき、護衛艦「ちょうかい」、補給艦「ましゅう」と共にインド洋に派遣、2005年3月まで任務に従事し、5月10日に帰国した。
2007年9月4日から同月9日にかけて、インド洋・ベンガル湾にてインド主催による多国間演習である「マラバール2007」に「DD-103 ゆうだち」とともに参加した。


2008年3月26日、護衛隊改編により第2護衛隊群第6護衛隊に編入された。
2009年7月6日、日韓救難共同訓練のため日本海にて「DDH-973 楊万春」、「DDH-978 王建」、「DE-229 あぶくま」、P-3哨戒機など3機とともに参加した。
2009年12月4日、08:45時ごろ高知県足摺岬沖合南約130kmにて、対海賊訓練中に「DD-157 さわぎり」と接触する事故が発生した。双方ともけが人はなく自力航行は可能であった。
2010年1月29日、第4次派遣海賊対処行動水上部隊としてソマリア沖に向けて出航、僚艦となる「DD-157 さわぎり」とは途中で合流。2月25日から5月31日まで、32回の船団護衛で合計283隻の船舶を警護し、任務終了により7月2日に横須賀に帰港した。
2011年10月11日に第10次派遣海賊対処行動水上部隊として「DD-110 たかなみ」と共にソマリア沖・アデン湾に向かい横須賀基地から出航し、 翌2012年3月12日に帰国した。
2012年6月9日、日印国交60周年の記念も兼ねて訪日中のインド海軍艦隊と相模湾にて「DDG-171 はたかぜ」と共に共同訓練「JIMEX 12」を実施した。


2013年2月5日の報道によれば、同年1月19日1700時頃、東シナ海で中国海軍所属の江凱I型フリゲートが本艦が搭載しているヘリコプターに向け火器管制レーダーを照射した疑いがあることを防衛省が明らかにした。
現在、第2護衛隊群第6護衛隊に所属し、定係港は横須賀である。

 


新谷駅 JR四国 内子線

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新谷駅(にいやえき)は、愛媛県大洲市新谷にある四国旅客鉄道(JR四国)の駅です。
当駅を境に内子・伊予市方面は内子線、伊予大洲方面は予讃線(新線)と路線名称が分かれるが、運行系統上は分かれておらず全ての列車が相互に直通し、駅番号(U13)も共有となっています。かつて内子線が五郎駅から分岐しており、その後伊予大洲 - 新谷間が予讃線として開通したためである(五郎 - 新谷間は廃止)。当駅の所属線は内子線です。

地上駅。駅舎はありません。昭和58(1983)年9月に五郎方へ0.2キロ移転しています。相対式ホーム2面2線を有するが、Y字分岐のため上下ともに進入速度が60km/hに制限されている。駅舎はなく駅員も配置されていない。駅東方の踏切を挟んで上下線の出入口が別々にあり、各ホームへは線路に沿って長い通路を少し歩く。 予讃線の短絡線となる前の駅は、現駅東方の踏切を挟んだ内子側にあった。木造駅舎が線路の北側にあり、1面2線の島式ホームでホーム上に待合所があった。

駅舎からホームへは線路を渡りスロープで直接上がるようになっていた。近くに高校があるためか、かなり大きなホーム待合所です。1971年の無人化以降、簡易委託駅となっており、駅近くの商店で近距離乗車券を販売しています。

1920年(大正9年)5月1日:愛媛鉄道の駅として開業。当時は762mm軌間。
1933年(昭和8年)10月1日:愛媛鉄道が国有化され、国鉄内子線の駅となる。
1935年(昭和10年)10月6日:軌間を1067mmに改軌するとともに、新谷- 若宮連絡所(現在の伊予若宮信号場付近)を廃止、新谷 - 五郎間開業。
1971年(昭和46年)11月6日:駅無人化。
1986年(昭和61年)3月3日:予讃線伊予大洲 - 伊予若宮信号場 - 新谷間開業、新谷 - 五郎間廃止。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道が承継。

電報略号 ニヤ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1920年(大正9年)5月1日
備考 簡易委託駅

 

卯之町駅 JR四国 予讃線

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卯之町駅(うのまちえき)は、愛媛県西予市宇和町卯之町二丁目にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。

卯之町は旧称を松葉といい、戦国時代の城下町です。駅名標のコメントは「開明学校と文化の薫る高原の駅」。2004年に合併により誕生した西予市の代表駅です。駅前はタクシー乗り場になっています。

駅は西予市宇和町の中心部に位置し、西予市役所をはじめとした公共施設、文化会館、商店街、金融機関店舗、農協本所などが集積している。鉄道とほぼ並行して走る国道56号のさらに東に旧道があり、商店街を形成している。さらにその東に旧街道があり、西日本最古の小学校である開明学校をはじめとして歴史的町並みが残っています。
全特急列車が停車するため、遠距離通勤者がよく利用しています。それに対応するため、駅近傍にはかなり広めの駐車場が確保されています。特急便・高速バス乗り場の卯之町は宇和島自動車卯之町営業所のことです。駅から、少し離れているが徒歩10分程で着く。

単式ホームと島式ホーム2面3線の構造となっています。駅舎は開明学校を模したハイカラな木造駅舎です。ホームは駅舎側から1番線、2番線の順です。ホームは簡易な屋根つきの跨線橋で結ばれています。
通票閉塞時代に、この駅を通過する列車が存在したので、タブレット授受器が1、2番線にあった。現在は、ホーム有効長延伸のため、小さな番数の両開き分岐器が入っているので通過列車を設定するのは困難になっています。
改札口前の1番線が下り本線宇和島方面、島式ホームの2番線が上り本線松山方面、3番線は上下待避線だが、使用頻度は少ない。その島式ホーム上屋下には長椅子が設置され、待合所として機能しています。


直営駅でみどりの窓口(朝から夕方までの営業、早朝・夜間は休止)、自動券売機設置駅。また、2006年秋頃までグループ会社のパン屋「ウイリーウィンキー」が入居していたが閉店し、現在はビッグキヨスクが入居している。狭い待合室には木製の長椅子が多数設置されています。

のりば
1 ■予讃線 (下り) 宇和島方面 (特急を含む)
2 ■予讃線 (上り) 八幡浜・伊予大洲・松山・高松・岡山方面 (特急を含む)
3 ■予讃線 (下り) 宇和島方面 (一部の普通のみ)
            (上り) 八幡浜・伊予大洲・松山方面 (一部の普通のみ)


かつてホーム有効長が5両分しかなかったが、現在は8両編成対応に延伸されている(多客期の特急「しおかぜ」増結のため)。
戦時中の突貫工事のために、八幡浜駅以南が簡易線規格で建設され、33‰の急勾配があります。眺望は最高で立間駅にかけて、みかん畑の間から法華津湾が望める。かつて、キハ58系による急行が30km/hで登坂したこの区間を、2000系の特急は、95km/hで走行いたします。


当駅はJR四国の中でも高標高に位置する駅の一つであり(約200m)、特に冬場は冷え込みが厳しい地域です。そこで列車を待つ人に少しでも体を暖めてもらいたいという願いから、駅待合室に「愛の火鉢」が設置されています。ただし火気を取り扱うため、火は駅窓口の営業時間帯(7時~18時頃まで)にしかつけていない。
「卯年」である2011年1月には、駅名にちなんで期間限定で「ウサギ」が駅長に任命され「卯サギ駅長」と命名されました。任命期間は1月3日から16日までで、ウサギは近くの農園で飼育されたものでした。

1941年(昭和16年)7月2日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。

電報略号 ウマ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 393人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1941年(昭和16年)7月2日
備考 みどりの窓口 有

 

上宇和駅 JR四国 予讃線

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終戦直前に開設された上宇和駅(かみうわえき)は、愛媛県西予市宇和町下松葉にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。利用客数は少ない。

単式1面1線の地上駅である。以前は有人駅でしたが、現在は無人駅となっています。国鉄時代の木造駅舎は解体されホーム上に待合スペースが設置されています。

待合スペースには木製の長椅子が設置されています。またホームにはトイレがあります。

ホームは狭く、特急列車通過時には注意が必要です。駅横には屋根付きの自転車置き場が設置されています。

1945年(昭和20年)6月20日 - 開業。
1971年(昭和46年)11月6日 - 駅無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 カウ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1945年(昭和20年)6月20日
備考 無人駅

 

 

 

BG6446 / US Army バージ船

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な艀(はしけ)、もしくはバージ(barge)は、河川や運河などの内陸水路や港湾内で重い貨物を積んで航行するために作られている平底の船舶。艀の多くはエンジンを積んでいないため自力で航行することはできず、タグボート(トウボート)により牽引あるいは推進されながら航行する。

産業革命初期のヨーロッパやアメリカ合衆国では、動物や人に引かれて運河をゆく艀が安く大量の物資を運べる手段として重用された。艀や運河は、内陸部の交通を飛躍的に発展させ、内陸各地に工業都市や原料・穀物などの物資集散都市を発展させた。しかし後発の鉄道輸送と争うようになり、鉄道の速さ、鉄道運賃の安さ、河川や運河に比べて柔軟なルートを引ける線路によって艀は単価の高い貨物の輸送需要を奪われ、内陸運送の主役の地位を追われた。


また艀は港湾において、沖合いに停泊した貨物船から降ろされる荷物を川沿いの工場・倉庫へ運送するために活躍したが、貨物船のコンテナ化やコンテナトレーラーによる陸上運送に押されて港湾物流からも押し出された。
しかし、トラックやトレーラーでは運べない重い貨物を運ぶために、現在でも各地の河川や港湾で艀は活躍している。またトラックから水運・鉄道へ貨物輸送をシフトするモーダルシフトの一貫として、艀を使ったコンテナなどの輸送が試行されている。

艀は大きな重量の貨物を積むことができ、運送単価が非常に安いため、今日でも単価が安いバルクカーゴ(ばら積み貨物、砂・セメント・石炭・穀物など)や重量物の運送に使われている。また底が平らなため、より多くの貨物を積める一方浅い川や運河でも航行することができる。道路を通ることができない大型の機械(建設機械やプラント設備など)は、分解して陸送した場合には現地で組み立てる必要があるため、現地に組み立てられる作業員や施設がない場合は河川や海などを艀で運送することがある。
貨物船の中には、貨物を積んだ艀を多数積むことのできる艀運搬船(LASH、Lighter Aboard Ship)というものもある。途上国の岸壁荷役が貧弱な港へ貨物を輸送する場合、また川の上流が最終目的地の場合に使われ、港で艀運搬船から艀を降ろし、タグボートに引かせて目的地へ向かわせることができる。
艀は、岸壁からの積み下ろしだけでなく、沖合いで停泊する船に近づいて海上で荷役を行うこともある。こうした作業に従事する作業員は沖仲仕と呼ばれたが、海上での作業は風の強い日には転覆の恐れもある危険なものであった。現在も海岸に大型船が着くことのできない離島や設備の整っていない港などでは、沖合いで艀に乗客や貨物を降ろして海岸に向かわせることもある。

陸上運送が馬や荷車などに頼っていた時代、より多くの荷物を積むことのできる艀は、沖合いの大きな船と河岸とをつなぐ荷役の主役であり、河川交通の主役でもあった。
英語の「Barge」という単語は1300年ごろに使用が確認されており、その語源は古いフランス語の「barge」から、さらに俗ラテン語の「barga」から来ている。古代ローマ時代のラテン語では、「エジプトの船」を意味するギリシア語の「baris」から「barica」と呼ばれていた。古代エジプト語の系譜を引くエジプトのコプト語では「小舟」を意味する「bari」という言葉があり、これが現在のバージの語源である。

伊予石城駅 JR四国 予讃線

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伊予石城駅(いよいわきえき)は、愛媛県西予市宇和町岩木にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅である。駅周辺には田園地帯が広がっています。


毎年4月29日には当駅周辺で宇和れんげまつりが開催されるため、普段は利用客少ない駅ですがこの日は特急列車が臨時停車し大変賑わいます。


相対式2面2線で1番線が一線スルーの通過線(制限速度110km/h)となっている地上駅。国鉄時代は木造駅舎でしたが解体され今はシンプルな窓さえもない簡易駅舎になっています。

無人駅です。待合室には長椅子が設置されています。


構内のホームは踏切で結ばれています。2番線ホームにのは小さな待合スペースが設置されて中には長椅子が設置されています。

駅前には駅舎より立派な公衆トイレがあります。

1945年(昭和20年)6月20日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 イワ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1945年(昭和20年)6月20日
備考 簡易委託駅

 

 

 

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