Quantcast
Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
Viewing all 3251 articles
Browse latest View live

双岩駅 JR四国 予讃線

$
0
0

双岩駅(ふたいわえき)は、愛媛県八幡浜市若山にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。

八幡浜市から西予市に抜ける峠の途中、静かな山あいにある駅で駅周辺には小さな集落があります。

相対式2面2線で2番線が一線スルーの通過線(制限速度80km/h)となっている地上駅。国鉄時代には木造駅舎でしたが現在は解体撤去され、簡易な駅舎になっております。

待合室にはプラスチック製の長椅子が設置されています。駅舎内の小さな窓口は、折り畳み式の棚で塞がれていました。

ホームどうしは構内踏切で結ばれています。ホームへは小さな階段とスロープで上がります。

駅前にある鉄道開通記念碑があります。

1945年(昭和20年)6月20日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。

電報略号 フワ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1945年(昭和20年)6月20日
備考 無人駅


軽雪上車 陸上自衛隊

$
0
0

軽雪上車は、北海道や北陸地方などの降雪地域にある陸上自衛隊駐屯地の部隊に配備されているスノーモービルである。

使用される車両は市販のスノーモービルで、車体後部にキャリアが追加されている。キャリアにはスコップや無線機、予備燃料、スキー板などの携行品が約40kg搭載されている。
中隊クラスまで配備される主な配備部隊は前線部隊たる普通科・特科・機甲部隊が中心であるが、後方支援部隊や施設科部隊なども部隊本部に保有し、主として1名ないし2名の移動および斥候・偵察・連絡業務に使用される。
最初に配備されたのは1986年度で、ヤマハ発動機のS340[1]をベース車両として採用され、無線機や装備の積載用に細かい改造が加えられた。1997年度からはヤマハ発動機のET410TRをベースとした車両が採用された。これによりセルモーターや後退ギアなどの装備が追加された。ベース車はヤマハ発動機のVK540IIIで、前進ギアが2段となり、トラック幅が381mmから508mmと拡大された。

VK540IIIの主要諸元
全長:3,125mm
全幅:1,140mm
全高:1,350mm
全備重量:365kg
最大積載量:160kg
乗員:2名(普通は1名運用だが、2名乗車可能)
エンジン:空冷2サイクル535cm3ガソリン
製作:ヤマハ発動機

1月18日(日)のつぶやき

喜多山駅 JR四国内子線

$
0
0

喜多山駅(きたやまえき)は大洲市の東端、愛媛県大洲市新谷にある四国旅客鉄道(JR四国)内子線の駅です。

静かな集落の中にある、小さな駅です。

単式1面1線ホームを持つ地上駅。ホームに待合所だけの簡易駅です。待合所にはFRP製の長椅子が設置されています。

ホームの幅は狭い。駅名標は、表裏ともに表示されている。ホームへはバリアフリー対策が施されスロープ化しています。トイレはありません。

1920年(大正9年)5月1日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 キヤ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1920年(大正9年)5月1日
備考 無人駅

 

テクノスーパーライナー「疾風」TSL-F船型

$
0
0

テクノスーパーライナーは、旧運輸省が中心となって計画し、最新の船舶技術を使用して建造された高速船の総称です。「疾風」TSL-F船型は揚力式複合支持船型と呼ばれる、全没型水中翼船です。かつて米海軍で研究されたモデルで、没水体の浮力と、水中翼の浮力によって船体を浮き上がらせる。

実験船「疾風」で、各種の実験を行ったが、構造上、挙動が不安定なため失敗に終わった。実験船「疾風」の設計・建造は川崎重工業(現・川崎重工業船舶海洋カンパニー)、石川島播磨重工業、住友重機械工業(現 IHIMU)、NKK(現・JFEエンジニアリング)、日立造船(現・ジャパン マリンユナイテッド)の共同による。「疾風」は実験終了後神戸海洋博物館で展示されています。


全長17,1㍍
幅6,2㍍
速力41,3ノット
建造1994年

従来からの輸送機関として航空機と船舶があげられるが、航空機は速度は速いがコストがかかり、船舶は大量輸送が可能だが速度は遅い。そこでこの2つの輸送機関の中間的な輸送機関として構想されたのが「テクノスーパーライナー」である。1989年(平成元年)から運輸省(当時)の指導の下に国家プロジェクトとして研究開発が始まった。国内輸送だけでなく東アジア地域との国際輸送も視野に入れており、研究開発目標は速力50kt、載貨重量1,000t、航続距離500海里以上、波高4 - 6mでも安全に航行できることとされた。
実験船は2種類建造され、一方はTSL-A船型と名付けられ浮力とホバークラフトのような空気圧力によって浮上する。研究船は実用船の想定サイズの半分で「飛翔」と名づけられた。もう一方はTSL-F船型と名付けられ浮力と水中翼の揚力によって、船体を海上から浮かせて高速運航を目指した船である。こちらは実用船の6分の1の大きさで建造され、「疾風」と名づけられた。


その後、1995年(平成7年)までTSL-A船型「飛翔」及びTSL-F船型「疾風」を用いた実海域での航海試験も行い、性能としては開発目標をクリアした。
しかし現在のところ、一時的に民間航路に就航したことがあるものの、燃料費など航空機並みの運用コストが掛かることもあって民間利用の目処が立っていない。

2005年11月の一部報道によると、在日米軍再編によりグアムへ移転する予定の海兵隊の高速輸送艦(HSV)として、TSLを転用する案が検討されている模様だが、実現可能性は不透明という。
2006年6月27日に国土交通大臣(当時)の北側一雄が和歌山県日高港と淡路島の間を往復する試験航海に試乗し、時速80km以上での安定した航行について「様々な方向で活用したい」と語りTSLのアピールを行った。
その後長らく繋留されていたが、2011年5月17日から31日までの間、東日本大震災で被災した宮城県石巻市の石巻港に停泊したうえ、被災者に無料で1回当たり最大181人、延べ2,400人程度を受け入れ、1泊2日でバイキング形式の夕食およびシャワーなどを提供する支援活動を行った。
支援活動終了後はふたたび玉野に係留されていたが、解体を前提として売却されることが決定し、2012年3月までに引き渡しのための契約を行うとした。2013年6月現在、江田島にある解体場へ回航されている。
2013年7月10日、TSLの保有・管理会社であるテクノ・シーウェイズは東京地方裁判所から破産手続き開始決定を受けた。負債総額は154億円。

五十崎駅 JR四国 内子線

$
0
0

五十崎駅(いかざきえき)は、愛媛県喜多郡内子町五十崎にある四国旅客鉄道(JR四国)内子線の駅。昭和61(1986)年3月、予讃新線開業時に大きく駅の位置が変更され、旧駅から1.6km離れた所に移設されました。

その為、旧五十崎町の中心地へは遠く、内子町役場へも距離がある立地で、利用客も少なく閑散としています。国道56号線からそれる急な坂道を上った所に駅があります。ローマ字表記では「IKAZAKI」であり、ローマ字による回文駅名です。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎はなく、築堤上のホームに待合所が設置されています。無人駅。ホーム待合所にはFRP製の椅子が設置されています。

ホームの一部が「五十崎トンネル」の中にあります。しかし、現在五十崎駅に停車する列車は極々短編成の為、ほとんど使われていない。保線用の側線が設置されています。ホームへは短い階段で連絡します。

駅前広場には駐輪所と宝くじ助成金で設けられたトイレがあります。

1920年(大正9年)5月1日 - 開業。
1971年(昭和46年)11月6日 - 駅無人化。
1986年(昭和61年)3月3日 - 予讃線新線の開業と共に現在地に移転。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 イキ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1920年(大正9年)5月1日
備考 無人駅

 

 

内子駅 JR四国

$
0
0

内子駅(うちこえき)は、愛媛県喜多郡内子町内子にある、四国旅客鉄道(JR四国)の駅。

古くは木蝋と和紙の生産で栄え、白壁の町並みで知られる内子町の代表駅です。「予讃新線」の開業により、内子線の終点から、ただの途中駅になってしまいました。

高架駅となっており、特急が停車する。

四国旅客鉄道
内子線 - 当駅の所属線。
予讃線(新線)
当駅を境に伊予市方面が予讃線、伊予大洲方面が内子線と分かれているが、運転系統上は一体化されており、列車はすべて相互に直通する。駅番号も共通化されており、U10となっている。


単式ホーム・島式ホーム混合の2面3線を有する高架駅。
島式ホーム東側が1番線、同西側が2番線、単式ホームが3番線である。基本的に島式ホームでの発着であり、特急列車は全て1番線、2番線からの発着する。3番線は特急列車を待避する普通列車が使用する程度で、頻度は少ない。

島式ホームにのみエレベーターが設置されています。
前後の分岐器は16番両開きで、通過列車を考慮しているが、現在まで定期通過列車は無い。


高架下にこぢんまりとした和風の駅舎が設置されています。

隣の観光案内所も白壁の蔵を模した装いです。駅舎は1階、ホームは3階である。中間の2階は踊り場となっている。


直営駅でみどりの窓口設置駅、自動券売機もある。駅前には駐輪所があります。

のりば
東側から、
1 ■内子線・予讃線(下り) 伊予大洲・八幡浜・宇和島方面 (特急を含む)
2 ■予讃線(上り) 伊予市・松山・高松・岡山方面 (特急を含む)


3 ■内子線・予讃線(下り) 伊予大洲・八幡浜・宇和島方面 (一部の普通のみ)
   ■予讃線(上り) 伊予市・松山方面 (一部の普通のみ)


1920年(大正9年)5月1日 - 愛媛鉄道内子線の駅として開業。
1933年(昭和8年)10月1日 - 国有化。


1986年(昭和61年)3月3日 - 予讃線新線の開業と共に現在地に移転。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により四国旅客鉄道に承継。

電報略号 ウチ
駅構造 高架駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1920年(大正9年)5月1日
備考 みどりの窓口 有

 

 

1月22日(木)のつぶやき


伊予立川駅 JR四国 予讃線

$
0
0

伊予立川駅(いよたちかわえき)は山間の小集落に位置、愛媛県喜多郡内子町立山にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。駅のメイン利用者は学生。

島式1面2線の高架駅で1番線が一線スルーの通過線(制限速度110km/h)となっているので特急列車は高速で通過することができます。駅舎はなく、築堤上のホームに待合所が設置されています。

盛り土区間のコンクリートに穴を開けて駅入り口にしています。ホームへは階段を利用します。


改修前も通過列車を考慮していたが、16番両開き分岐器で制限速度75km/hであった。

駅前には駐輪場があります。


1986年(昭和61年)3月3日 - 日本国有鉄道の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 タワ
駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1986年(昭和61年)3月3日
備考 無人駅

 

1月23日(金)のつぶやき

電鉄出雲市駅 一畑電車北松江線

$
0
0

大正3年開業、一畑電車北松江線の電鉄出雲市駅は,島根県出雲市駅北町にあります。JR出雲市駅と隣接しています。

一畑電車の当駅は、松江駅・宇都井駅・半高架の出雲科学館パークタウン前駅と並び、島根県では数少ない高架駅です。

変形の島式ホーム1面2線を有する高架駅。有人駅です。現駅舎は平成12年に高架新駅舎として生まれ変わりました。

定期列車は基本的に2番のりばを使用する。当駅は西日本旅客鉄道の出雲市駅より東に100m離れた場所に位置しており、両駅間の乗り換えには一旦改札を出なければならない。

切符売場に券売機は2台。有人窓口もあります。出札窓口の奥には小荷物取扱窓口があります。待合室には椅子が多数設置されています。

改札は有人で頭上にはLED式の発車案内が設置されています。

電鉄出雲市駅プラットホーム
ホーム 路線 行先
1・2 北松江線 川跡・松江しんじ湖温泉方面

ホームは切り欠き式で側面はステンドグラス風です。


1914年(大正3年)4月29日 - 一畑軽便鉄道(現在の一畑電車)の出雲今市駅が開業。当時は国鉄駅との共同駅。
1957年(昭和32年)4月1日 - 国鉄駅の改称に合わせ出雲市駅に改称。
1964年(昭和39年)4月1日 - 出雲市ターミナルビルに移転し国鉄駅から分離、電鉄出雲市駅に改称。
2000年(平成12年)12月9日 - 高架駅化。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。

さんふらわあ ごーるど

$
0
0

さんふらわあは、日本のフェリーの船名である。白い船体の側面に地平線から昇る太陽の絵が描かれているのが大きな特徴となっている。

神戸 - 大分航路(神戸港 - 大分港、旧 ダイヤモンドフェリー)
2007年11月21日就航。11,380総トン。全長165.5m、幅27.0m、出力24,480馬力、航海速力23.2ノット。
旅客定員780名。車両積載数:トラック147台・乗用車75台。三菱重工業下関造船所建造。

株式会社フェリーさんふらわあ(英名:Ferry Sunflower Limited.)は、大分県大分市に本社を置く海運会社。本部事務所は兵庫県神戸市にある。
大阪商船が別府温泉の観光開発を目的として開設しのちに関西汽船がフェリー化した阪神・別府航路や、ダイヤモンドフェリーが日本で2番目の長距離フェリー航路として開設した神戸・大分航路などを引き継ぎ、商船三井フェリーの登録商標「さんふらわあ」の船名を使用して長距離フェリーを運航している。


2009年(平成21年)10月23日 – 商船三井の100%子会社として設立。共同持株会社としてダイヤモンドフェリーと関西汽船の株式を移転し子会社化。
2009年(平成21年)11月1日 – 両社の営業業務を引き継ぎ営業開始する。
2011年(平成23年)10月1日 – 子会社のダイヤモンドフェリーと関西汽船を合併する。
2012年(平成24年)5月28日 – 旧大阪商船によって開設された阪神・別府航路が開設100周年を迎える。

 

伊予中山駅

$
0
0

伊予中山駅は、愛媛県伊予市中山町中山にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅である。

伊予市中山町(旧伊予郡中山町)の中心部にあたる。旧中山町の代表駅で、新規開業区間の駅では最大の利用者を誇る。

隣の伊予大平駅との間に、JR四国では最長の犬寄トンネルがある。特急列車の原則停車駅になっていた時代もあったが、駅自体が町外れに位置して利用が振るわなかったので、現在は4往復のみとなっている。ただし、特急停車駅として建設されたのでホーム有効長は8両分確保してある。トンネルに挟まれた駅なので、これ以上の有効長延伸は困難である。

相対式2面2線の地上駅で、2番線が一線スルーの通過線(速度制限なし)となっている。駅舎は平屋の鉄骨造駅舎です。


実際は、前後のトンネルに曲線制限があり、95~100km/hで通過している(速度制限は駅構内のみ解除)。


隣接する「中山町特産品センター」にて簡易委託による乗車券発売を行っています。かつては委託の窓口が営業していましたが、現在は無人化されています。

待合室には丸太をくりぬいたテーブルとFRP製の椅子が設置されています。

ホームは跨線橋で連絡しています。

1986年(昭和61年)3月3日 - 日本国有鉄道の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 ナヤ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 248人/日
-2006年-
開業年月日 1986年(昭和61年)3月3日
備考 簡易委託駅(駅舎外発券)

 

伊予大平駅 JR四国予讃線

$
0
0

伊予大平駅(いよおおひらえき)は、愛媛県伊予市大平にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。

国道沿いの小集落に位置する無人駅で、利用客も少ない。駅周辺はのどかな雰囲気です。

単式1面1線ホームを持つ盛土駅。駅舎はなく、築堤上のホームに待合所が設置されています。ホーム待合所にはFRP製の椅子が多数設置されています。

ホームへは長めの階段で連絡します。駅入口には駐輪所はなく、自転車やミニバイクが雑然として停められています。

1986年(昭和61年)3月3日 - 日本国有鉄道の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 ヒラ
駅構造 盛土駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1986年(昭和61年)3月3日
備考 無人駅

 

 

 

地対空誘導弾ペトリオット 航空自衛隊

$
0
0

パトリオットミサイルM902発射機

MIM-104 パトリオット(MIM-104 Patriot)は、米レイセオン社がMIM-14 ナイキ・ハーキュリーズの後継としてアメリカ陸軍向けに開発した広域防空用の地対空ミサイルシステムである。ミサイル防衛では終末航程に対応し、20-35kmの範囲を防御する。
湾岸戦争時にイラク軍が発射したスカッドミサイルを撃墜したことにより有名になった。米国のほか、日本を含む同盟国など世界10ヶ国以上で運用されている。
パトリオットミサイルは厳密にはミサイルそのものを指すが、付帯するミサイル発射システムを含めてパトリオットミサイルと呼ぶ場合もある。
「MIM-104」はミサイルの形式名称、「Patriot」はその愛称で、「Phased Array Tracking Radar Intercept On Target」(直訳:目標物を迎撃する追跡位相配列レーダー)の頭文字をとったものといわれている。Patriotは英語で「愛国者」を意味し、原語での発音をカタカナで表記すると「ペイトリオット」に近い。日本では報道など一般的には「パトリオット」表記を用い、航空自衛隊など政府公式資料においては英語の発音に近似した「ペトリオット」表記を用いている。

パトリオットミサイル発射システムはトレーラー移動式のシステムであり、1つの射撃単位はパトリオット発射中隊によって運用される射撃管制車輌、レーダー車輌、アンテナ車輌、情報調整車輌、無線中継車輌、複数のミサイル発射機トレーラー、電源車輌、再装填装置付運搬車輌、整備車輌という10台以上の車両により構成される。これらの車両が自走して野外に発射サイトを設営後、射撃体勢が整う。
ナイキの発射システムよりも省力化が図られている。交戦中に人員が配置されるのは射撃管制車だけで、無人となったレーダーや発射機は射撃管制車からの遠隔操作によって制御される。

システムは複数の機材から構成されており、有線・無線によるインターフェースにより連動している。レーダー装置(Radar Set、RS)の形式名称はAN/MPQ-53(Config.2形態以前)またはAN/MPQ-65(Config.3形態以降)である。RSはC-Band帯の電波を用いる、フェーズドアレイ・多機能レーダーである。目標の捜索・追尾の他、IFF、ミサイル誘導なども行う。1高射隊(FU:Fire Unit)当たり1台のRSが配備される。運用中は無人となる。射撃管制装置(Engagement Control Station, ECS)の形式名称はAN/MSQ-104(Config.2形態以前)またはAN/MSQ-132(Config.3形態以降)である。1射撃中隊に1台が配備され、RSからの情報を処理し要撃命令を下す。米軍のECSシェルターはM927 5tカーゴトラック、または軽中量戦術車両(Light Medium Tactical Vehicle, LMTV)カーゴトラックの荷台に搭載された状態で運用され、2名のオペレーターが操作する。航空自衛隊では73式大型トラックを改修したものを使用する。


主要な機器は新型兵器管制コンピュータ(Enhanced Weapons Control Computer, EWCC)、発射機間通信リンク・ターミナル(Data Link Terminal Upgrade, DLU)、UHF通信機(UHF Digital Data Link, DDL)、UHF通信ルーティング・インターフェース装置(Routing Logic Radio Interface Unit Upgrade, RLRIUーU)、2人分の操作コンソール(Man Station, MS)である。
最大16台の発射機を接続でき、同時に8台の発射機を制御する。発射機との通信はVHF無線または光ファイバーによって行われる。RSとは有線でインターフェイスする。情報調整装置(Information Coordination Central, ICC)の形式名称はAN/MSQ-116(Config.2形態以前)またはAN/MSQ-133(Config.3形態以降)である。1高射群(BN:Battalion)に1台のICCが配備され、隷下に6台のECSを置く。ECSと外観はほぼ同様であり、2名のオペレーター(指揮官)が搭乗する。
上位組織および早期警戒管制機との連接が可能(日本ではさらに自動警戒管制システムBADGEとの連接が可能なように改修された。平成24年防衛白書では後継システムの新自動警戒管制システムであるJADGEとの連接を当面の目標としている)。ECSとはUHF無線によってインターフェースする。無線中継装置(Communication Relay Group, CRG)の形式名称はAN/MRC-137(Config.2形態以前)またはAN/MRC-147(Config.3形態以降)である。ECS-ICC間の通信でUHF無線の見通しが取れない場合、CRGを間に挟んで通信を中継する。ECS-ICC間の通信はPADIL(PATRIOT AIR DIFENCE INFORMATION LANGUAGE)というフォーマットで行われており、音声・データ(航跡情報など)が多重化されている。なお、日本では山岳地であることを考慮して、有線接続にてECS-ICC間の通信ができるよう独自改修が行われている。アンテナ・マスト・グループ(Antenna Mast Group, AMG)の形式名称はOE-349/MRCである。ECS、ICCおよびCRGはそれ単体ではUHF無線通信が行えない。AMGはいわば外付けのUHFアンテナであり、それぞれに接続されて運用される。発射機(Launching Station, LS)の形式名称はM901である。M901発射機では最大4発のミサイル(STD弾、PAC-2弾、SOJC弾、GEM弾から選択)、M902発射機では最大16発のPAC-3弾を搭載する(M902発射機にSTD弾、PAC-2弾、SOJC弾、GEM弾は搭載できるが、PAC-3弾との混載は不可)。ECSとはSINCGARS無線機(米国形態。日本では電波法に対応したDLU無線機)または光ファイバーによってDLUを通してインターフェースする。15KW-400Hz発電機を1基持つ。
1パトリオット中隊は5-8基の発射機を運用する。LSは専用の発電機(ディーゼルエンジン式発動発電機)を搭載している。EPP-III発電プラント。M977 HEMTTに搭載。 150KW 208V-400HzACを供給するディーゼルエンジンが2基。283.9リッターの燃料タンク2個。太い給電ケーブル。 ECSとRSには、EPP-III(Electric Power Plant-III)により電力を供給する。
ICCとCRGには、EPU(Electric Power Unit)により電力を供給する。また、AMGには、接続されているECS、ICCまたはCRGから電力供給を受ける。
航空自衛隊仕様は、日本国開発のガスタービン発電装置に改良されている。ECS-ECS、ECS-ICC間(音声および航跡情報など)
UHF通信用無線機を用いたデジタルデータリンク(PADIL)により、航跡情報などの通信を行う。また、音声通信の回線も有する。通信の中継を行う場合は無線中継装置によって行う。PADILは1回線あたり32kbpsの通信容量を持ち、RLRIU-Uは4系統のPADIL回線を同時に通信処理できる。また、通信はTCP/IPのようにルーティングされて伝達されるよう設計されており、一部経路で通信障害が発生していてもデータリンクを確実に確立できるよう配慮されている。なお、UHF無線機はECSおよびICCには3台、CRGには4台搭載されている。
ECS-LS間(発射指令)
VHF無線または光ファイバーを用いたDLUにより、デジタル通信で発射指令・ミサイルステータスなどを送受信する。
ICC-上位部隊間(音声および航跡情報など)
TADIL-A(音声)、TADIL-B(航跡情報)、TADIL-J(航跡情報)により上位部隊との連接が可能である。なお、日本のパトリオットでは、自動警戒管制システム(BADGE)との連接を有線で行うためのデータモデムが搭載されている。ただし、BAGDEとの連接はPAC-3/Config.2形態までの機能であり、新自動警戒管制システム(JADGE)の運用開始に伴ってデータモデムの使用を止め、専用の有線光インターフェース(100BASE-FXをベースにした イーサネット)が随時追加改修されている。これは後述のPAC-3/Config.3形態およびConfig.2形態に対して行われている。なお、この有線通信にあたっては、日本中に張り巡らされた既設回線網を使用する。


日本では1989年(平成元年)度から航空自衛隊の高射部隊に地対空誘導弾ペトリオットとして配備が開始された。高射教導隊を皮切りに1996年(平成8年)度に全国への配備が完了した。実働部隊の6個高射群24個高射隊(各高射隊は5機の発射機を有す)と教育支援部隊の高射教導隊が、北は長沼町(北海道)から南は南城市(沖縄県)にかけて配置されている。
弾道ミサイル迎撃用のPAC-3については、米国において弾道ミサイル防衛(BMD)対応のPAC-3弾が開発を完了した後、日本では日本版BMDの1つとして、2007年3月30日に埼玉県の航空自衛隊入間基地に所在する第1高射群第4高射隊に最初に配備された。当初は3個高射群(第1(入間)・第2(春日)・第4(岐阜)に限定して配備する計画であったが、北朝鮮の弾道ミサイルの脅威に対応すべく他の3個高射群にも配備する方針を固めた(PAC-3/Config.2形態からPAC-3/Config.3への改修)[11]。副次的産物として、異なる2形態のシステムを維持管理するよりも、補用部品の調達一本化や隊員の教育などの面で有利である。
PAC-3/Config.3形態が配備される各高射隊の発射機のうち2機がPAC-3弾の搭載・運用に対応(M902発射機)し、残りの発射機(M901)は従来のPAC-2ファミリー弾(種類が多いためPrePAC-3弾と呼ばれる)のみに対応する(ただし、ECSがPAC-3/Config.3化され、発射機制御装置がDLTからDLUへ改修となったため、M901はDLUに対応しつつもPAC-3弾には対応しないPAC-3/Config.3形態の発射機と言える)。なお、M902発射機はPAC-3弾とPrePAC-3弾の両者に対応するが、混載運用はできない(物理的には混載できるが、システムとして同時運用は不可(ミサイル収納キャニスターに接続するケーブルが異なるなどの理由ため。米国のM902発射機も同様)。


武志駅 一畑電車北松江線

$
0
0

武志駅(たけしえき)は、島根県出雲市武志町に位置する一畑電車北松江線の駅である。

駅の利用者の大半は通学の高校生で、昼間は閑散としています。駅の周囲はそれなりに賑わっています。

松江方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。駅舎はなく、ホーム上に待合室が設置されています。

ホームに上屋は設置されていません。また、ホーム上が自転車置き場として利用されています。

無人駅です。待合室には木製の長椅子が設置されています。出口はホーム北側にある。

1914年(大正3年)4月29日 - 開業。
1930年(昭和5年)1月17日 - 廃止。
1931年(昭和6年)11月16日 - 再開業。
1977年(昭和52年)- 無人駅化。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。

乗降人員
-統計年度- 66人/日
-2009年-
開業年月日 1914年(大正3年)4月29日
備考 無人駅

1月29日(木)のつぶやき

アグスタウェストランド AW139 海上保安庁

$
0
0

アグスタウェストランド AW139(AgustaWestland AW139)は、アグスタウェストランド社が生産する15席の中型双発ヘリコプターである。原型は、アグスタとベル・ヘリコプターテキストロンが共同で開発を進めていたAB139である。ベルが計画から撤退した後AW139に改名された。AW149は中型の軍用ヘリコプターで、AW139の拡大型である。

AW139は、2基のプラット・アンド・ホイットニー・カナダPT6C(英語版) ターボシャフトエンジンを搭載している。救命救急や要人輸送、捜索救難、海上油田への送迎を想定している。最初のAW139は、2001年2月3日にイタリアのヴェルジャーテで初飛行した。最初の量産型は2002年6月24日に生産され、2003年には受領された。
2006年7月時点で会社は190機受注して30機が納入された。アメリカ合衆国軽量多目的ヘリコプターに提案したが、EC 145を元にしたUH-72Aに敗れた。2007年には2番目の生産ラインがフィラデルフィアに開業した。
2006年のファーンボロー国際航空ショーでは、AW139の軍用版である多目的ヘリコプターであるAW149を発表した。
2006年、海上保安庁はAW139をベル 212の更新として選択したと発表した。24機が2008年から納入される予定である。納入時に定点に飛行を維持するSAR モードソフトウェアの開発が間に合わず搭載されていなかった。納入金額は3機で50億円であった。

主に公的機関での採用が多いが、報道取材用途でも使用されている。
海上保安庁 - 美保、鹿児島、那覇、石垣、仙台、新潟、福岡の各航空基地に配備されている。
警察 - 東京、大阪、千葉、新潟の警察航空隊に配備されている。北海道、長野、宮城、福島、富山への導入も決まっている。
消防防災 - 埼玉県、広島県、横浜市消防局の消防防災航空隊が導入し、総務省消防庁も導入を決め、埼玉県および高知県に貸与した。山形県および鳥取県も導入予定。
報道取材 - オールニッポンヘリコプター(NHK)、朝日航洋(関西テレビ放送)が運航している。

仕様(AW139 (ロングノーズ)
諸元
乗員: 1名
定員: 15名
全長: 13.77m (45ft 2in)
全高: 3.72m (12ft 2in)
ローター直径: 13.8m (45ft 3in)
空虚重量: 3,622kg (7,985lb)
動力: プラット・アンド・ホイットニー・カナダPT6C(英語版) ターボシャフトエンジン、1,142kW (1,531hp) × 2
性能
最大速度: 310km/h (193mph)
航続距離: 1,061km (573mi)
実用上昇限度: 6,098m (20,000ft)
上昇率: 54m/min (2,140ft/min)

 

1月30日(金)のつぶやき

出雲科学館パークタウン前駅 一畑電車北松江線

$
0
0

出雲科学館パークタウン前駅(いずもかがくかんパークタウンまええき)は、島根県出雲市今市町に位置する一畑電車北松江線の駅です。

旧称大和紡前が示す通り紡績工場が近く、島根県立出雲高等学校の最寄り駅でもあります。電鉄出雲市からわずか800m。車内の運賃表示器、整理券の表示は「出雲科学館」となっています。

松江方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を有する半高架駅(停留所)。駅舎はありません。南側に山陰本線が並行する。

基本的に無人駅だが、平日の7時10分から8時21分までは駅員が配される(ただし学校の休業期間を除く)。ホームは並行する道路よりかなり高く位置します。

駅入口には長いスロープで連絡します。ホームの幅は狭い。ホームの大部分に上屋が設置され長椅子1脚と掲示板が設置されています。

1928年(昭和3年)9月15日 - 今市上町駅として開業。
1941年(昭和16年)以降 - 大和紡前駅に改称(出雲科学館が現在ある場所に大和紡績の工場があった)。
1982年(昭和57年) 3月16日 - 無人駅化。
2002年(平成14年)7月20日 - 出雲科学館パークタウン前駅に改称。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。

駅構造 半高架
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 41人/日
-2009年-
開業年月日 1928年(昭和3年)9月15日
備考 無人駅(平日朝のみ駅員を配置)

Viewing all 3251 articles
Browse latest View live