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Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
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1月31日(土)のつぶやき


DS-02 SRF-JRMCダイバー支援船 

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ダイバー作業の母船:各種ロープや照明を装備しダイバーによる水中作業を円滑にできるように支援。

米海軍艦船修理廠及び日本地区造修統括本部は“SRF-JRMC”といい、これは「米海軍艦船修理廠・日本地区造修統括本部」という意味です。

SRF-JRMCの使命は「第七艦隊の艦船を常に機能できる状態に保つ」ことで、航空母艦をはじめとするアメリカ第七艦隊の様々な艦船を修理したり、改修工事や関連する業務を行っています。

艦船修理施設の中では、西太平洋地域で最も大きな規模と設備を持っています。


SRF-JRMC では米軍人・米国家公務員、そして約 2000 人の日本人従業員が働いています。互いに協力し合いながら第七艦隊をサポートし、2007 年には創立 60年を迎えました。

 

主な業務は、工場、ドライドック、埠頭での艦船の修理、改修工事ですが、修理・造修の為の設計・見積り、品質管理、施工管理やドライドックや埠頭への出入港の作業も行います。特に工事に伴う安全管理、環境保護には積極的に取り組んでいます。

1973年に設立され、SRF-JRMCエンブレムは日本帝国菊と米国の星条旗のオーバーレイによって才能日本人と米労働力のアマルガムを象徴。米国の第七艦隊の船 - 七つの星は私たちの主要なお客様への献身を表しています。

所在地: 〒 238-0001  神奈川県横須賀市泊町1番地
事業内容: 米海軍第七艦隊の艦船の修理、改造、改修工事



 

 

出雲大社前駅 一畑電車大社線

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出雲大社前駅は、島根県出雲市大社町杵築南にある一畑電車大社線の駅です。同線の終着駅。

出雲大社の最寄り駅で大晦日から新年の三が日は多くの参拝客で賑わいます。昭和5年に開業した駅です。

頭端式ホーム1面2線を有する地上駅。有人駅です。
西洋建築の駅舎は開業当初からのもので、ステンドグラス風の窓がはめこまれている。

1996年(平成8年)に国の登録有形文化財建造物として登録されている。また2009年(平成21年)には経済産業省より「近代化産業遺産群 続33(大衆観光旅行)」の一つとして近代化産業遺産に認定されています。

かつては駅舎の中央上部に塔があったが撤去された。待合室には多数の長椅子が設置されています。


出雲大社前駅プラットホーム
ホームは頭端式1面2線。通常は1番線のみが使用されます。
ホーム 路線 行先
1・2 大社線 川跡・松江しんじ湖温泉方面


1930年2月2日 - 大社神門駅として開業する。
1970年10月1日 - 出雲大社前駅に改称する。
1996年 - 国の登録有形文化財に登録される。


2006年4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、傘下に新設した一畑電車株式会社が鉄道事業を承継し、同社の駅となる。
2009年2月6日 - 近代化産業遺産に認定される。

乗車人員
-統計年度- 265人/日(降車客含まず)
-2010年-
乗降人員
-統計年度- 552人/日
-2010年-
開業年月日 1930年(昭和5年)2月2日
備考 登録有形文化財

2月2日(月)のつぶやき

九三式魚雷 大日本帝国海軍の酸素魚雷

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酸素魚雷とは燃料の酸化剤として空気の代わりに、空気中濃度以上の酸素混合気体もしくは純酸素を用いた魚雷である。
日本において単に酸素魚雷といった場合、第二次世界大戦中、唯一実用化され運用された大日本帝国海軍の九三式魚雷もしくは九五式魚雷を指すことが多い。

この魚雷は昭和8年、酸素を酸化剤とする蒸気レシプロ機関を使用した世界初の実用酸素魚雷として開発、巡洋艦、駆逐艦等に搭載された。 93式魚雷以前は、圧縮空気を酸化剤とする空気魚雷または電池魚雷が使用されていた。
純酸素を酸化剤とすれば、画期的な性能向上が期待できるが、酸素は燃焼反応性が高く、始動時に爆発する恐れがあるため、実用化は不可能と目されていたが、始動時には空気を使用し、徐々に酸素の比率を高めることによって、この難問を解決した。
93式魚雷は、潜水艦用の95式魚雷とともに第二次世界大戦で唯一の酸素魚雷として、世界に卓越した射程、雷速及び破壊力並びに無航跡の威力を発揮した。
性能・要目
直径・・・・・・・61.0cm
長さ・・・・・・・・9.00m
雷速及び航走距離・・・36kt/40,000m
48kt/20,000m
炸薬量・・・・・490kg

酸素魚雷では通常の魚雷で使用される圧縮空気ではなく純酸素を酸化剤として使用し、燃料と混合して燃焼させ炭酸ガスを排出する。炭酸ガスは海水に良く溶けるため、ほぼ無航跡とすることができ隠密性の上で大きな意味を持った。また、燃焼効率も大きく上がり高速推進を可能としたほか長い航続力をも併せ持つことができた。このように、使用する酸化剤を酸素のみとすることで多くの利点が得られることは広く知られていたが、同時に酸素の反応性の高さから燃焼開始時などに容易に爆発するという技術上の問題点が立ち塞がっていた。このような事情から各国ともに酸素魚雷の開発に力を入れていたものの頻発する爆発事故で中止の止む無きに至っていた。このような中で、1933年(昭和8年)、日本は世界に先駆け酸素魚雷の開発に成功、以降、大戦を通じて唯一の酸素魚雷運用国となった。


酸素魚雷は当時の一般的な魚雷と比べ、雷速(魚雷速度)、炸薬量で勝り、射程は数倍、加えて無航跡という高性能なもので、米軍はこれをロング・ランス(長槍)と呼び恐れ警戒した。しかし、一方で、酸素魚雷の整備性は良好とはいえず誤爆を防ぐために充分なメンテナンスを要し、また、速すぎる雷速の為、船底爆破用の磁気式の信管が使用できず、接触式信管を採用せざるを得ないなどの短所もあった。後に日独技術交換により大日本帝国海軍からドイツ海軍へも試験供与されたが、戦略的位置付けの違い[1]もあり、整備性の悪さなどからUボートでの使用には適さないと判断され、採用されていない。
現在の魚雷は、主として整備性を向上させた他方式のものが採用されている。しかしソビエト海軍では主力魚雷として電池式と酸素式の2方式を配備し、ロシア海軍でも酸素魚雷の運用が継続されている。これらは、第二次世界大戦で鹵獲されたドイツ魚雷の系譜を引いたものである。ドイツ製魚雷の改良型であるET46は電池式、採用1946年(昭和21年)、射程6km、速力31kt、炸薬450kgであった。冷戦初期のSAET55Mは電池式、音響誘導、採用1955年(昭和30年)、射程6km、速力29kt、炸薬300kgである。冷戦末期のUSET80は新型電池式(銀・亜鉛式、充電保存期間1年)、対潜対艦併用アクティブパッシブ音響誘導式航跡追尾機能、採用1980年(昭和55年)、射程18km、速力40kt、炸薬300kg、作戦深度1,000m超の信頼性と静粛性を併せ持つ高性能電池式の魚雷であった。より高速で長射程な56-65Mはケロシン・過酸化水素タービン式、アクティブ音響誘導式、採用1969年(昭和44年)、射程12km、速力68.5kt、炸薬307kg、作戦深度2mから14mである。
攻撃原潜クルスクの爆沈の原因となったように、過酸化水素式の魚雷には特有の整備性の悪さ(爆発事故等の多発)があるため、新型のケロシン・酸素タービン式が開発され使用されている。
また、海上自衛隊でも試製54式魚雷で電池式を採用したものの、72式長魚雷では酸素式を採用している。これらの魚雷は過酸化水素(過酸化水素をヴァルター機関の燃料として利用している魚雷もある)を使用しており、これらは大日本帝国海軍が装備した、酸素ガスを高圧充填していた魚雷とは世代が異なるものである。

三田駅 JR西日本

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三田駅(さんだえき)は、兵庫県三田市駅前町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・神戸電鉄の駅。駅番号は神戸電鉄がKB29。

三田市を代表する駅で、JR・神戸電鉄共に全営業列車が停車する。JRの駅はICOCA、神戸電鉄の駅ではPiTaPaおよびスルッとKANSAI対応各種カードの利用エリアに含まれており、相互利用可能なカードにも対応している。
JRの駅は直営駅(宝塚駅の被管理駅)で、「JR宝塚線」の愛称区間やアーバンネットワーク管内に含まれている。特急を含む全列車が停車する(ただし、国鉄時代の特急『まつかぜ』の一部は通過していた)。1943年までは、当駅を起点として有馬温泉まで国鉄有馬線が延びていた。現在でもJRの駅の保線基地の辺りにホームの跡が確認できる。
神戸電鉄の駅には当駅を終点とする三田線に加え、横山駅から分岐する公園都市線の列車も乗り入れている。冬場には車内温度維持のため、停車中は各車両の三田寄りの1つを除いてドアを閉め切る措置を執っている。

1986年に行われたJR福知山線の輸送改善や、三田市のニュータウン事業の進捗により、ベッドタウンとしての需要が高まったことで、利用客が急増した。現在は、ニュータウン方面から神戸電鉄(神鉄)や神姫バスで当駅まで出て、JR福知山線に乗り換える通勤・通学客が多い。北隣の新三田駅に出る住民も少なくない。
通勤による利用としては、上記の他にも神鉄三田線で神戸方面に出るという選択肢もあるが、同線の運賃の高さや単線区間を含むなどの速達性の薄さにより、利用客数はJRに比べ劣る。さらに、神姫バスも乗り換えなしで三宮駅前まで直行する特急三ノ宮線を運行しているため、神鉄は激しい乗客の獲得競争に晒されている。

JR、相対式2面2線のホームを持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。駅前は再開発が進み、両駅とバスターミナル、2つの駅ビルがペデストリアンデッキで接続されている。ホームの有効長は10両だが、電車の乗降口に合わせて嵩上げされた部分は8両分で、残りの2両分との段差がホーム上で確認できる。
かつては上下線の間に中線が1本あった。中線には架線が張られておらず、複線化以降は尼崎側としか接続されていなかった。かつては神戸電鉄への搬入車両の留置に使用されたり、1994年に当駅 - 新三田駅間でトラックと衝突事故を起こした車両が留置されていたこともある。中線の撤去後は、完全に停留所となった。


国鉄時代は現1番のりば側に駅舎が併設されており、現3番のりばとは跨線橋での連絡であった。みどりの窓口があり切符売場には指定席券売機も設置されています。

のりば 路線 方向 行先
1 G JR宝塚線 下り 篠山口・福知山方面
3 G JR宝塚線 上り 宝塚・大阪・北新地方面
上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。各ホームは、駅自動放送で「1番のりば」・「3番のりば」とアナウンスされ、中線に相当する2番線が欠番扱いとなっている。中線の撤去後も、改番はされていない。

日中は1時間あたり6本で、丹波路快速が2本、各駅停車が4本ずつ停車する。朝晩は本数が多くなる。

国鉄時代には当駅で貨物の取り扱いも行われており、国鉄と神戸電鉄は電化された渡り線で接続されていた。神戸電鉄の駅の改築にあわせて撤去され、現在ではJR駅の保線車両が留置されている大阪寄りの引込み線に、その名残を留めている。
川崎重工業で製造された神戸電鉄の新製車両の搬入にもこの渡り線が活用されたが、JR福知山線の貨物取扱廃止後は現在のトレーラーによる輸送に切り替えられており、市場駅に隣接する保線基地に搬入されている。

1899年(明治32年)1月25日 - 阪鶴鉄道が有馬口駅(現在の生瀬駅)から延伸した際に、終着駅として開業。旅客・貨物の取扱開始。
1907年(明治40年)8月1日 - 阪鶴鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。阪鶴線所属駅となる。
1912年(明治45年)3月1日 - 線路名称改定。阪鶴線の福知山駅以南が福知山線に改称し、当駅もその所属となる。
1915年(大正4年)4月16日 - 有馬鉄道(後の国鉄有馬線)が開業し、国鉄三田駅へ乗り入れ開始。
1919年(大正8年)3月31日 - 有馬鉄道が国有化され、国有鉄道の有馬軽便線(1922年より有馬線)となる。
1928年(昭和3年)12月18日 - 神戸有馬電気鉄道(神戸電鉄の前身)三田線開業により、同線の三田駅開業。
1943年(昭和18年)7月1日 - 有馬線休止(営業再開は行われることなく事実上の廃止)。
1947年(昭和22年)1月9日 - 神戸有馬電気鉄道と三木電気鉄道の会社合併により、三田線の駅は神有三木電気鉄道の駅となる。
1949年(昭和24年)4月30日 - 神有三木電気鉄道の社名変更により、三田線の駅は神戸電気鉄道(1988年より神戸電鉄が正式社名に)の駅となる。
1981年(昭和56年)4月1日 - 貨物取扱廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅は西日本旅客鉄道の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - JR西日本でICカード・ICOCAの供用開始。
2007年(平成19年)9月21日 - JR三田駅NKビルが開業。
2009年(平成21年)4月20日 - JR三田駅北広場が完成。

電報略号 サタ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 18,339人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1899年(明治32年)1月25日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
* この他有馬線(1943年休止)

2月4日(水)のつぶやき

猪名寺駅 JR西日本)福知山線

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猪名寺駅(いなでらえき)は、兵庫県尼崎市猪名寺二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線の駅である。福知山線内の普通列車のみ停車駅では最大の乗降客数を誇ります。


「JR宝塚線」の愛称区間に含まれている。近くには高校や工場などがあり、学生などの通学・通勤者が多い。また、駅自体は尼崎市にあるが伊丹市との市境付近にあるため、伊丹市民の利用も多い。

隣接する伊丹市には、当駅の名前に似た「兵庫県立西猪名公園」があるが、こちらは北伊丹駅が最寄りである。

1981年(昭和56年)4月1日に福知山線の塚口 - 宝塚駅間の電化に伴い開設された。
福知山線内では、西宮名塩駅と新三田駅(共に1986年11月1日開業)に次いで新しい。

相対式2面2線のホームを持つ地上駅で、伊丹寄りに橋上駅舎を有する。駅前は公道に面しますが、小さなロータリーが整備されています。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。みどりの窓口があり改札口は橋上にある1か所のみ。改札機は6台。改札のすぐ横(外側)にはキヨスクが出店している。


開業からしばらくは改札口まで階段を利用しなければならず、バリアフリー面の整備が遅れていたが、2011年3月にエレベーターが設置された(改札内外・東西に2基ずつ、計4基)。ホーム間の移動は跨線橋を使う。
アーバンネットワークに属する直営駅(尼崎駅の被管理駅)で、自動券売機・自動改札機ともにICOCAおよびICOCAの相互利用対象ICカードが利用可能。切符売場に券売機は2台。

猪名寺駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 G JR宝塚線 下り 宝塚・三田方面
下り方では山陽新幹線が跨線しています。
2 G JR宝塚線 上り 尼崎・大阪・北新地方面


普通列車のみが停車し、日中時間帯の本数は1時間あたり4本。朝ラッシュ時の大阪方面は本数が多く、JR東西線方面に直通する列車もある(その他の時間帯はJR京都線方面のみで、東西線・神戸線方面へは尼崎で乗り換えとなる)。

NHK Eテレで放映されているアニメ『忍たま乱太郎』の主人公・猪名寺乱太郎の名字は、当駅が位置する猪名寺の地名からつけられた。なお寺院としての「猪名寺」は現存せず、駅の北東に廃寺跡として残る。

1981年(昭和56年)4月1日 - 日本国有鉄道福知山線の塚口駅 - 伊丹駅間に新設開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
1992年(平成4年)11月 - みどりの窓口営業開始。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
2005年(平成17年)
4月25日 - JR福知山線脱線事故の影響で営業休止となる。
6月19日 - 福知山線が復旧、脱線事故後55日ぶりに営業を再開。

電報略号 イテ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 8,372人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1981年(昭和56年)4月1日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

 


浜山公園北口駅 一畑電車大社線

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浜山公園北口駅は、島根県出雲市大社町入南に位置する一畑電車大社線の駅です。

浜山運動公園への最寄り駅で、付近にある高校への通学利用により朝夕は賑わっています。

駅舎はない。大社方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。無人駅です。

待合室には造り付けの長椅子が設置されています。出入口はホーム西寄りで、通路を少し歩く必要がある。

駅入口には学生さんの多く自転車があります。

1930年(昭和5年)2月2日 - 鑓ヶ崎駅として開業。
1977年(昭和52年)6月24日 - 浜山公園北口駅に改称。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。

駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 208人/日
-2009年-
開業年月日 1930年2月2日
備考 無人駅

2月6日(金)のつぶやき

2月7日(土)のつぶやき

武志駅 一畑電車北松江線

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武志駅(たけしえき)は、島根県出雲市武志町に位置する一畑電車北松江線の駅である。

駅の利用者の大半は通学の高校生で、昼間は閑散としています。駅の周囲はそれなりに賑わっています。

松江方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。駅舎はなく、ホーム上に待合室が設置されています。

ホームに上屋は設置されていません。また、ホーム上が自転車置き場として利用されています。

無人駅です。待合室には木製の長椅子が設置されています。出口はホーム北側にある。

1914年(大正3年)4月29日 - 開業。
1930年(昭和5年)1月17日 - 廃止。
1931年(昭和6年)11月16日 - 再開業。
1977年(昭和52年)- 無人駅化。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。

乗降人員
-統計年度- 66人/日
-2009年-
開業年月日 1914年(大正3年)4月29日
備考 無人駅

一畑電気鉄道デハ1形電車

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一畑電気鉄道デハ1形電車は、一畑電気鉄道(現・一畑電車)に在籍した電車である。「さとがた保育園」に保存されているデハ6。塗装は現役時とは異なる。

北松江線の電化開業に際して導入された車体で、1927年、日本車輌製造にて製造された。以来70年以上の長きにわたって使用され、5000系の導入に伴って1998年9月30日に定期運用から外れ、同年10月10日に運用を終了しました。

5両が製造され、後にクハ14形クハ14がクハ100形(初代)クハ101(初代)を経て電動車化の上デハ7に改造されたため、総数は6両となった。なお、車番と両数にばらつきがあるのは、後に4を忌み番としてデハ4がデハ6に改番されたためです。


戦後の観光需要の高まりを受け、1951年から1953年にかけてデハ1・2・5が2扉・クロスシート化の上、デハ20形に編入されている。同時にデハ1形として残った車両にも弱め界磁が装備され、最高速度が向上しました。


1978年にはデハ1形として残ったデハ3・デハ6が大社線のワンマン化に伴い自動ドア・ワンマン化改造され、廃車まで同線で運用された。廃車後は大社線高浜駅付近にある「さとがた保育園」に静態保存され、車窓からも見ることが出来る。ただし、モーター、電動発電機、コンプレッサーは、ほぼ同型の車体を持つデハニ50形の予備部品とするために取り外されています。


デハ23として1996年に廃車となったデハ1は平田市立図書館の敷地に保存されたが、老朽化のため2004年には引取先がなければ解体という話が持ち上がった。結局前頭部のカットボディのみが島根県に譲渡され、2007年3月に開館した島根県立古代出雲歴史博物館で、旧北松江駅を再現した改札口と組み合わせた形で保存展示されている。運転席には運行風景、側面窓には昭和30年代の映像が映し出されるようになっている。

三扉ロングシート。製造された時期がダブルルーフからシングルルーフへの移行期にあたり、デハ1形の屋根はシングルルーフであるのに対して車内の天井はダブルルーフになっている。半鋼製車体を採用し、「日車標準型」と呼ばれる標準規格で作られている。ベンチレーターは「お椀形」と呼ばれる当時の電車によく見られた物を採用しています。

耐寒耐水服Ⅲ型 航空自衛隊

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耐寒服と併用し、航空機搭乗員が寒冷時に水上遭難した場合に、防風、防水、防寒及び火災に対して防護性能を有し、保命の効果をあげるために使用する耐水服 。


耐寒・耐水服・フード・耐水手袋及び耐水靴と併用する。

現在は改-Ⅲになっています。

高浜駅 一畑電車大社線

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高浜駅は、通学利用が中心の典型的なローカル駅です。島根県出雲市里方町に位置する一畑電車大社線の駅です。駅の周囲は小さな集落があります。

大社方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅、駅舎はなく停留所(待合室)があります。無人駅です。

出入口はホーム東寄りにあります。ホームの幅は狭く嵩上げされています。待合室には造り付けの木製長椅子が設置されています。

駅前には自転車置場があります。

さとがた保育園一畑電気鉄道生え抜きの車輌であるデハ3・デハ6が保存されている。高浜駅から東へ300mの線路際に位置し、車窓南側からも望むことができる。

1930年(昭和5年)2月2日 - 開業。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。

駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 59人/日
-2009年-
開業年月日 1930年2月2日
備考 無人駅


2月10日(火)のつぶやき

ちちじまMSC-605 えのしま型中型掃海艇 海上自衛隊

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えのしま型掃海艇は、海上自衛隊が現在取得中の中型掃海艇の艦級。
先行するひらしま型(16MSC)をもとに、船体構造を繊維強化プラスチック(FRP)製としたものであり、海自掃海艇初にして日本最大のFRP船となっている。

第2次大戦まで、機雷とはすなわち触発式の係維機雷であり、これに対する掃海艇は、艦隊の前路掃海を主任務として比較的高速・重装備の鋼製の艇が主流であった。しかし大戦後期から朝鮮戦争にかけて磁気・音響による感応機雷が出現し、触雷を避けるため、1950年代以降、掃海艇の建材としては非磁性化可能な木材が採用されるようになった。しかしその後、木材の高騰と木船建造技術者の減少を受け、掃海艇のFRP化が模索されるようになり、1972年には世界初のFRP掃海艇としてイギリス海軍の「ウィルトン」が進水した。欧州各国においては、1950年代に木造掃海艇を大量建造して以降、これらが老朽化して更新を必要とするまで15-20年の空白があったため、次世代掃海艇の建造態勢を事実上一から構築する必要があり、したがって木造艇に拘泥する必要が薄かったこともあり、1975年前後から就役を開始した戦後第2世代の掃海艇はFRP艇が多く採用されるようになった。
この流れを受けて、防衛庁技術研究本部も、昭和48年(1973年)度より「強化プラスチック(FRP)艇」に関する研究開発を進めており、1978年にははつしま型(53MSC)の機関部と同寸法の船体が試作された。これは翌年より静的・動的強度試験に供され、特に耐爆試験においては、掃海隊群関係者に大きな感銘を与える結果となった。1982年には、その集大成としてFRP製の試験艇「ときわ」(常備排水量142トン)が建造された。当初、「ときわ」の運航試験は単なる確認作業であり、昭和59年(1984年)度前後にはFRP掃海艇の建造計画が実現するものと考えられていた。しかしこの実艇試験において、当時の技術では、FRPの構造的連続性に伴う水中放射雑音の大きさという宿命的な問題を克服できないことが明らかになり、この時点では採用は見送られた。
しかし2000年前後には、日本においても木船建造技術者の減少が深刻化し、技術継承面の問題が顕在化してきた。またFRP艇では、木造艇と比して約2倍の船齢延伸が可能であり、木造艇のように含水による燃費悪化がないことともあわせて、ライフサイクルコストの大幅な低減が実現できることから、特に緊縮財政下の情勢からはFRP艇の採用が望まれるようになった。これに伴い、17中期防において建造される4隻の中型掃海艇のうち、前半2隻は13中期防で建造された木造のひらしま型(16MSC)の設計で、後半2隻はこれと同等の能力を有するFRP製艇として建造することとなった。これによって建造されたのが本型である。

本型では船体構造にガラス繊維強化プラスチック(GFRP)を採用している。これにより、本型は世界最大級・海自掃海艇初のFRP船となっている。FRPの構造方式としてはサンドイッチ構造を採用した。これはFRPとしては水中放射雑音低減能力に優れているとされており、表皮はガラス繊維およびビニルエステル樹脂、またキーポイントとなる心材には高密度ポリ塩化ビニルが採用された。また成形法としては、日本鋼管が研究してきた真空樹脂含浸製造法(VaRTM)が適用されている。なお、建造にあたっては、まず主船体が3ブロックに分けて建造され、これを二次接着によって接合したのち、船首楼ブロックと上部構造物ブロックを搭載するという過程が踏まれている。
主機・電源系は16MSCと同構成とされており、主機関としては60MSC(はつしま型18番艇)以来の三菱重工業製6NMUシリーズ非磁性ディーゼルエンジンが、また主発電機としては磁気掃海電源を兼用する400キロワットの発電機4基が搭載される。掃海・掃討における低速航走時に補助電気推進装置を使用することや定点保持機能も同様である。
なお、1番艇には、就役後の実海域において船体強度の健全性を監視するための構造モニタリング装置が装備された。
本型の対機雷戦システムは16MSCのものを踏襲しており、OYQ-201掃海艇情報処理装置を中核に、艇装備の機雷探知機としてZQS-4を、機雷処分具と自航式可変深度ソナーの兼用としてS-10水中航走式機雷掃討具を、また掃海具として小型係維掃海具1型および感応掃海具1型を備えている。
ただし機雷処分用および自衛用の機銃としては、53MSC(はつしま型4番艇)以降、手動照準のJM61-M 20mm機銃が用いられてきたが、本型3番艇(23MSC)において、初めて遠隔操作・自動照準式のものが導入される。これは海上保安庁が運用するJM61-RFS Mk.2と同等の性能を備えている
全体に刷新された対機雷戦システムが搭載されている。また水中処分員の再圧タンクもこれまでの一人用から二人用に変更されている。

C4ISTAR:本型の対機雷戦システムの中核となるのがOYQ-201掃海艇情報処理装置(Mine Countermeasures Data System: MCDS)である。これはすがしま型で搭載されたイギリス製のNAUTIS-Mに範をとって、一部を除き国産化されたものであり、S-10操作用コンソール、機雷探知機用コンソール、CIC指揮官用コンソール、艦橋コンソール、および司令部CICコンソールにより構成されている。S-10等の武器管制機能のほか、航海情報管理、また対機雷戦計画・評価支援機能を備えている。
機雷探知機としてはZQS-4が搭載される。すがしま型では可変深度式の2093型が採用されたが、本型では従来通りの船底装備式とされた。これは水中航走式機雷掃討具S-10が機雷探知機としての機能を備え、探知最適深度で運用されるために海面付近の比較的浅い部分が死角となりやすいことから、これを補完して運用するためのものであった。また作戦海域海底の事前調査用としてはサイドスキャン・ソナー4型が搭載される。うわじま型で搭載された2型と比べて、クライン5500の採用によってマルチビーム化したことで、より高速(倍以上)での捜索を可能としている。
機雷掃討:掃討具としては、新規開発された水中航走式機雷掃討具S-10を搭載している。これは従来の機雷探知機・可変深度ソナー・機雷処分具の機能を兼ね備えて、探知・類別・処分の全工程を実施できる自己完結型システムとなっており、アメリカのMk.60 CAPTORや旧ソ連のPMT-1などホーミング機雷に対して、その攻撃範囲外からの処分を可能としている。


係維掃海具:海上自衛隊の中型掃海艇(MSC)では、戦後初の国産艇である昭和28年度計画艇(あただ型・「やしろ」)以後、長年にわたって53式普通掃海具(O型)を搭載してきた。しかし本型では、51年ぶりの新型機として小型係維掃海具1型が搭載される。これは53式O型の浅深度掃海性能を落とさずに軽量化・省力化したものである。係維索の切断手法としては従来の歯型カッターにかえて爆破型カッターを採用して低速域での切断能力を向上し、また展開器を吊下する曳航浮標にはGPSを搭載して、MCDSと連動することで掃海海面の把握を可能にしている。
感応掃海具:感応機雷に対する掃海具としては、従来の磁気掃海具と音響掃海具を統合した感応掃海具1型が搭載される。その信号モードとしては、従来通りのMSM(マイン・セッティング・モード: 機雷の調定感度等を推定して、それに適合させた信号を流す)に加えて、TEM(ターゲット・エミュレーション・モード: 艦船の磁気・音響シグネチャーを模倣した信号を流す)が実装された。ただしTEM機能については、予算等の事情から1番艇では後日装備となり、2番艇以降の搭載となっている。


種別 中型掃海艇(MSC)
建造期間 2009年 - 建造中
就役期間 2012年 - 就役中
前級 ひらしま型掃海艇
次級 最新
排水量 基準:570トン
全長 63 メートル (207 ft)
全幅 9.8メートル (32 ft)
吃水 2.5メートル (8.2 ft)
深さ 4.4メートル (14 ft)
機関 CODOE方式
・三菱6NMUディーゼルエンジン×2基
・補助電動機×2基
・スクリュープロペラ×2軸
機関出力 2,200馬力
電力 ディーゼル主発電機 (400kW)×4基
速力 14 ノット (26 km/h)
乗員 48人
兵装 JM61-M 20mm多銃身機銃×1門
※23MSCではJM61-RFSへ変更
搭載艇 ・4.9m型複合作業艇×1隻
・ジェミニ・ディンギー処分艇×1隻
C4ISTAR OYQ-201 掃海艇情報処理装置
レーダー OPS-39 対水上捜索用
ソナー ・ZQS-4 機雷探知機
・サイドスキャンソーナー4型
特殊装備 ・水中航走式機雷掃討具S-10
・小型係維掃海具1型
・感応掃海具1型

ちちじまMSC-605建造:ユニバーサル造船 京浜事業所
起工:2010年
進水:平成23年 11月24日
所属:横須賀地方隊 第41掃海隊

川跡駅 一畑電車大社線/北松江線

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川跡駅は、島根県出雲市武志町に位置する一畑電車の駅です。周辺は一面田んぼが広がっており、住居はその中に散在する程度であるが、少し離れた場所には島根県立看護短期大学や出雲北陵中学・高等学校などの学校も多く立地する。

駅から南東方向に500mほど進むと斐伊川に突き当たり、その対岸は出雲市斐川地区となる。この附近の家屋は築地松という防風林に囲まれていることが多い。駅前広場は綺麗に整備されています。

北松江線と大社線との接続駅である。ほとんどの列車が当駅にて相互接続を行うようにダイヤが組まれており、その際は3つのホームが列車で埋まる。


かつては構内アナウンス委託者の放送が名物であった。また、2010年5月29日公開の松竹映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』の主要な舞台となった駅の一つでもある。

島式ホーム2面4線を有する地上駅。有人駅です。出雲大社前方には側線を有し、予備車扱いとなったデハ60形2両が長らく留置されていたこともあった(2006年に廃車)。一畑電車の駅では最も広い構内があります。
各ホームは構内踏切で結ばれている。遮断機や警報機はなく、駅員が直接ロープで開け閉めしている。以前の駅舎は木造で年季の入ったものであったが、1995年に改築され、駅舎の脇には新しいトイレも増築された。


のりばに割り当てられた番号は駅舎側から順番に、4・1・2・3番線と変則的な割り当てになっている。駅舎内、券売機が設置されていますが、委託の窓口も営業しています。待合室の内装には木がふんだんに使用されています。木製の長椅子も設置されています。

川跡駅プラットホーム
4 (通常は使用しない)
1 大社線 出雲大社前方面
2 北松江線 電鉄出雲市方面
3 北松江線 雲州平田・松江しんじ湖温泉方面
基本的には上記のように割り当てられているが、北松江線出雲方面から大社線へ入る列車は3番のりばを、同線松江方面から大社線へ入る列車は2番のりばを、大社線から北松江線松江方面へ入る列車は1番のりばを使用する。

1930年(昭和5年)2月2日 - 一畑電気鉄道の当駅から大社神門駅(現在の出雲大社前駅)までの開通と同時に開業。
1971年(昭和46年)8月1日 - 駅の業務を委託化。
1973年(昭和48年)3月16日 - 貨物取扱廃止。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。

駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
乗降人員
-統計年度- 440人/日
-2009年-
開業年月日 1930年(昭和5年)2月2日
備考 業務委託駅

 

2月12日(木)のつぶやき

大寺駅 一畑電車北松江線

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大寺駅の利用者のほとんどは通学の高校生です。島根県出雲市東林木町に位置する一畑電車北松江線の駅です。駅周辺は田園地帯の小さな集落が形成されています。
駅舎には出雲市立浜山中学校の美術部が制作した絵が飾られている。

松江方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を有する地上駅で駅舎はなく、ホーム上に待合室が設置されています。無人駅である。出入口はホーム西寄りにある。ホーム上が駐輪スペースとして利用されています。松江しんじ湖温泉方面のホームは先端は非常に狭くなっています。天井が低い待合室には造り付けの木造長椅子が設置されています。

1931年(昭和6年)2月1日 - 開業。
1979年(昭和54年)11月1日 - 無人駅化。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。

駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 9人/日
-2009年-
開業年月日 1931年2月1日
備考 無人駅

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