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亀川駅 JR九州日豊本線

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亀川駅は別府市街地の北端、大分県別府市亀川浜田町にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。別府八湯のひとつである亀川温泉の最寄り駅になります。

駅周辺にある立命館アジア太平洋大学、別府溝部学園短期大学の国内・国際学生生の多くは亀川駅周辺で生活しています。また国立病院機構別府医療センター(旧国立別府病院)、別府競輪場も近い。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅になっている。駅舎は2010年に新築された橋上駅舎です。駅前はバス・タクシーのりばになっています。

ほかに留置線が設置されています。この留置線は島式ホームの3番線側に設置されており、当駅発着列車(主に普通列車)の留置以外に、別府駅発着列車(主に特急列車)のうち、間合いの長い列車の留置にも使用される。

駅舎は老朽化に加え、バリアフリーの観点から橋上駅舎に建替えられた。改札口は2階に設けられている。旧駅舎は1911年(明治44年)築の大型木造駅舎であった。


JR九州鉄道営業が駅業務を遂行する業務委託駅で、みどりの窓口が設置されている。

改札口の頭上には液晶式の発車案内が設置されています。改札内に待合室があり開放感あるガラス張り仕様です。

駅舎部分は自由通路に対しシャッターで閉鎖できるようになっています。
ICカードSUGOCAの発売も行っている。切符売場にはタッチパネル式の券売機が1台設置されています。


2~3時間に1本、特急が停車する。
大分駅方面からの折り返しの列車がある。朝と夕方以降のみで、利用者が多い当駅~別府駅~大分駅の通勤時間帯に運行間隔を小さくするため、設定されている。

当駅の始発は5時50分であるが、23時頃に当駅で折り返す列車がある。

1911年(明治44年)7月16日 - 鉄道院が開設。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2010年(平成22年)7月10日 - 新駅舎供用開始。
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
なお、1942年(昭和17年) - 1972年(昭和47年)に駅前から大分交通別大線の路面電車も発着していた。

電報略号 カメ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 1,423人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1911年(明治44年)7月16日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

駅名標のイラストは駅から近い(タクシーで10分)名所・血の池地獄です。

 

 

 


2月13日(金)のつぶやき

標的曳航装置 RM-30A/高速えい航標的(反射型)

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対空射撃標的
種類としては、自航式と、曳航式に分かれる。自航式は、無線誘導式と、実際に乗員が動かすものがある。


航空機等から曳航する。曳航索が短かったりすると、曳航標的ではなく、曳航機側が射撃される危険がある。

標的曳航装置 RM-30A
U-36AやUP-3Dの翼下に装着して、約5000mの曳航索を介して曳航標的を曳航し、艦艇の3インチ砲、5インチ砲、ならびに76mm砲の対空射撃訓練に使用するための装置。

横のジェットエンジンみたいなものは、ラムエアーで中のファンを回してワイヤーを巻き上げる装置です。

高速えい航標的(反射型)全長:約209cm 重量:25kg U-36A、およびUP-3Dにより曳航され、艦船の対空射撃訓練に使用される。

2月15日(日)のつぶやき

黒川駅 JR四国)土讃線

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黒川駅(くろかわえき)は、香川県仲多度郡まんのう町新目にある四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅である。駅番号はD17。
駅自体はまんのう町にあるが三豊市との境が非常に近く黒川の名前は三豊市の地名を取っている。駅周辺には田畑が広がっている。

単式ホーム1面1線をもつ地上駅。ホームは高い築堤の上にある。築堤を上りきったホーム入口には鉄板の階段があります。
無人駅で駅舎はなく、ホームに短い上屋があるだけである。

ホーム上の待合所はオープンですが、立派で大きな長椅子が設置されています。2010年ホームの一部嵩上げ工事は12月初旬に完成しホームの方は下り方端部から2両目にあたる位置が、1両分の長さだけ嵩上げされた。

1961年(昭和36年)10月1日 - 日本国有鉄道の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により四国旅客鉄道の駅となる。

電報略号 クロ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線


乗車人員
-統計年度- 19人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1961年(昭和36年)10月1日
備考 無人駅

2月16日(月)のつぶやき

香登駅 JR西日本)赤穂線

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香登駅(かがとえき)は、岡山県備前市香登西にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)赤穂線の駅である。

駅前には小さいながら駅前広場、ロータリーがあり無料の駐輪場も整備されています。

駅周辺は田園地帯、新しい住宅地があり商店等はない。

駅北側に山陽新幹線の線路と国道2号があり、備前片上駅付近まで並走する。工場などもある。香登駅の改札を出ると山陽新幹線が通る線路が見えます。



駅舎はなく片面ホームに小さな待合所が設置されただけの簡易駅です。無人駅です。待合所の側面には切符売場の表示があり、その待合所内には簡易型の券売機が設置されています。

ホームは1面1線で、ホーム東岡山方面の線路は大きく左にカーブします。

1962年(昭和37年)9月1日 - 赤穂線が伊部から東岡山まで延伸した際に開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。

電報略号 カカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線


乗車人員
-統計年度- 262人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1962年(昭和37年)9月1日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

2月17日(火)のつぶやき


伊部駅 JR西日本)赤穂線

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伊部駅(いんべえき)は、岡山県備前市伊部にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)赤穂線の駅である。

備前市伊部は備前焼の里、伊部焼とも呼ばれる備前焼の産地であり、駅周辺には多数の窯元が見られます。

道路沿いに商店がある。町並みが拡がるが、山間の小さな平地のためそれほど大きいわけではない。旧国道(山陽道)沿いには、備前焼の店が立ち並んでいる。

相対式2面2線のホームを持つ地上駅で、行違い可能駅である。互いのホームは屋根無しの跨線橋で結ばれている。

開業当初は、2面3線のホーム(下りホームが島式)であり、現在の北口に備前片上駅や伊里駅と同様の平屋の駅舎があった。後に南寄りの1線は撤去され、南口が完成すると連絡通路や自転車置き場となった。一方、北口は1987年(昭和62年)に備前焼伝統産業会館の1階に移設されている。


東岡山駅が管理し、自治体が窓口業務を受託する簡易委託駅だが、周辺の簡易委託駅を管理する伊部駅営業管理室があり、その中に直営のみどりの窓口も設置され、平日に営業している。

2006年(平成18年)3月までは土曜日も営業していた。毎年10月第3土・日曜については備前焼まつりが催され、全国から多くの人が集まり臨時列車も運転されるため多数の応援職員が出て窓口営業を行う。


自動券売機や自動改札機は設置されていない。
国道2号・国道250号に面する北口と、南口があり、どちらも委託の窓口が設けられている。

プラットホーム
伊部駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1(北口側) ■赤穂線 上り 播州赤穂方面
2(南口側) ■赤穂線 下り 岡山・福山・新見方面


1958年(昭和33年)3月25日 - 赤穂線が日生駅から当駅まで延伸した際に、その終着駅として開業。
1962年(昭和37年)9月1日 - 赤穂線が当駅から東岡山駅まで延伸、途中駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道に承継。この頃に備前焼伝統産業会館1階に駅が移転する。

電報略号 イヘ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 432人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1958年(昭和33年)3月25日
備考 簡易委託駅
みどりの窓口 有

 

徳丸駅 /桜鉄道若桜線

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徳丸駅は、開業した線内で最も新しい駅です。駅の周囲はりんごの産地で田園が広がり集落からは少々離れています。鳥取県八頭郡八頭町徳丸にある、若桜鉄道若桜線の駅。八東総合運動公園の最寄り駅です。

若桜方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。駅舎はなく、駅前広場と道路からは長めの通路で直接ホームに入る形になっています。駅前に水洗式便所が設置されている。

無人駅であり、他の中間駅のような簡易委託も実施されず、自動券売機等も設置されていません。ホームは地元産の間伐材を使用した板張りです。待合所には小さな木造長椅子があります。周辺は一切の遮るものがないので簡易ながら風除けが設置されています。駅には自転車置場と柵にリンゴの装飾が施されている駅前広場駐車場があります。

2002年(平成14年)3月23日 - 若桜鉄道の駅として、八東駅 - 丹比駅間に新設開業。

電報略号 トク
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 2002年(平成14年)3月23日
備考 無人駅

1/2tトラック (73式小型トラック)

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三菱自動車工業(パジェロ製造)が製造するが現在は2種類の車両がある。 尚、「73式」となっているが実際は「制式化」されておらず、正式名称については「1/2tトラック」に変更されました。

旧式化が目立ち、排ガス規制などにも適応出来なくなりつつあったジープタイプに代わり、1996年(平成8年)からはパジェロベースで、ショートホイールベースモデルのフレーム後端を若干伸ばし、積載対応のためリーフリジッド化された車両が採用され、「(新)73式小型トラック」となった。新型装備ではなく、旧型車両の更新であるため、複数メーカーによる競争入札は行われておらず、「73式」の呼称が引き継がれ、制式名称は「73式小型トラック」(平成13年度納入車から「1/2tトラック」に変更)となりました。

パジェロをベースにした事から、旧型と同じくシガーライターと灰皿を搭載したほか、民間向け車両の部品を流用した事からエアコンのような快適装備も引き継がれ、冷房可能なエアコン搭載車となるが、電装系は民間向けパジェロの12V仕様に対し、防衛省向けは24Vであるため、操作パネルは同じながらも中身は別物です。 国土交通省届出の車両型式はV13B(2代目パジェロがV2~4系3代目パジェロがV5~6系)となっているが、生産された順は2代目パジェロの後となっています。テールレンズは初代パジェロの物を流用。
方向指示器及びライト切り替えスイッチは旧型に類似したものを使用しており、ライトの点灯はライトスイッチの操作が必須となる。
乗降性の改善のために取り付けたサイドステップのため、全幅が小型車枠ではなくなっており、「小型」呼称ながら高速道路通行料金は普通貨物車(1ナンバー車)と同じ料金だったが、後に普通乗用車料金になるよう改装されました。


変速機はロックアップ機構を省いたトルコン式ATで、市販型パジェロの2代目車両となるJ-TOP(幌車)の専用タイヤであった18インチの大径タイヤ(横浜ゴム製215/85・18、専用鉄ホイール)を装着し、デフロック可能なセンターデフ式フルタイム4駆機構のスーパーセレクト4WDを備える。不整地走破性は旧式純正JEEPと同等程度の性能を持つとされるが、前輪がリジッドから独立懸架となったことで操縦安定性は向上した。タイヤ径の拡大により、地上高、特にアクスルデフ下の最低地上高が増大しています。
災害情報収集のためAM・FMラジオも標準装備されています。
440kgの最大積載量があり、固有の搭載火器はないが、5.56mm機関銃MINIMI、12.7mm重機関銃M2などの各種機関銃、対戦車ミサイルなどを搭載することが可能。誘導弾や通信機器の搭載専用車両は2人ないし3人で運用される。 基本型は6人の乗車が可能だが、従来のジープ型が後部扉から乗降する後部4人に対し、パジェロベースは後部2人乗車であり、残りの2人は前席後部の中間の席に運転席と助手席のシートを倒して乗降する。指揮官車等通信機材が積載された車両に関しては中間の座席を1つ取り外して通信機を設置するため、5人乗車となる。 初期型は従来よりも予熱に時間がかかるため、冬季のエンジン始動に時間がかかる。 現在は新型エンジンを搭載して、バンバー上にあったフォグランプをバンパーに埋め込んだタイプ(数もひとつから二つに増えている)が納入されている。
イラク派遣で使用された際には、三菱自動車が防弾能力を持つ"付加材1/2tトラック用"という物品を納入しており、防弾処理が施されました。

市販パジェロJ-TOPと同じタイヤを使用しているが、J-TOP用の市販は打ち切られ、自衛隊専用タイヤとなりつつある。
旧73式小型トラックにおいても、国内メーカーからはいわゆる「ゲタ山タイヤ」と呼ばれるマッドテレーンタイヤの供給が既に打ち切られている為、共食い整備で古い廃車のタイヤも大事に使い回して運用されている。東北以北についてはスタッドレスの耐用規定に達したものを主にトレーラーに流用するなど極力車両本体にゲタ山タイヤを使用できるよう努めている他、一部は市販品でサイズが合うタイプを使う例も増えています。

73式小型トラック(パジェロベース)
全長 - 4.14m
全幅 - 1.765m
全高 - 1.97m
車体重量 - 1,940kg
乗車定員数 - 6人
積載量 - 440kg
最高速度 - 135km/h
出力 - 85kW

播州赤穂駅 JR西日本)赤穂線

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播州赤穂駅(ばんしゅうあこうえき)は、兵庫県赤穂市加里屋にある西日本旅客鉄道(JR西日本)赤穂線の駅である。播州赤穂は忠臣蔵の赤穂浪士のふるさととして古くからは入り浜式塩田での製塩業が盛んな城下町で有名な町です。 

駅東側を中心に、平日は主に相生・姫路・神戸・大阪・京都方面へ向かう通勤・通学客が利用しているが、土曜・休日ともなると京都・大阪・神戸方面から観光客の出入りもある。播州赤穂駅では赤穂線だけでなく山陽本線(広島の三原駅~岡山駅~姫路駅)、神戸線直通も通っており、赤穂線の中では相生駅に次いで1日の利用者の多い駅です。

赤穂市の中心駅であると同時に赤穂線における列車運用の境界駅でもあり、同線内では当駅以東(相生・姫路方面)でICOCAとその相互利用対象ICカードが利用可能(日生・岡山方面はサービスエリア外で利用不可)。
現在の駅舎は第3回近畿の駅百選に選ばれた。

駅名は開業当時、長野県の飯田線に赤穂駅(あかほえき、現在の駒ヶ根駅)が存在したので頭に「播磨国」(兵庫県西部の令制国名)の別称である「播州」を冠したものであるが、国鉄・JRの旧国名を冠した駅の中で正式な国名ではなく「○州」という呼び方を採用しているのは当駅のみです。
これは「○州」を名乗る事が国鉄において忌避される傾向が強い(飯山鉄道を戦時買収によって飯山線とした際、「信州」を冠する駅を全て正式国名の「信濃××」に直したりしている)中で例外的なものである。なお、自動車(国鉄バス)線まで目を広げると上州草津駅(現在の草津温泉駅)のようなケースもある。


単式・島式の複合型2面3線のホームを持ち、列車交換や折り返しに対応した地上駅になっています。平成12(2000)年12月に改築された赤穂城をイメージさせる、大きな瓦葺きの橋上駅舎です。改札口は1ヶ所のみ。改札横にはコンビニキヨスクがあります。

ホーム間は跨線橋で連絡する。オープンカウンター式のみどりの窓口があります。切符売場には別仕様の3台の券売機が設置されています。
かつては駅から東へ東洋紡績の工場(現在はイオン赤穂店・フレスポ赤穂がある)へ引込み線が延びていた。

播州赤穂駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 A 山陽本線 上り 相生・姫路方面 当駅始発・新快速は主にこのホーム
2■赤穂線 下り 日生・岡山方面 当駅始発・通常はこのホームから
3 A 山陽本線 上り 相生・姫路方面 当駅始発
■赤穂線 下り 日生・岡山方面 早朝の当駅始発1本のみ


相生・姫路方面の路線名は、駅掲示時刻表では「赤穂線 相生・姫路方面」となっているが、ホームの発車標では「山陽本線 相生・姫路方面」である。改札口の発車標は路線名の表記がない。
2・3番のりばが島式ホームとなっている。1番のりば、2番のりばは12両編成に対応している。3番のりばは8両編成対応であるが、12両分までの延長スペースが用意されている。


1番のりばは16時台までの使用で、主に岡山方面の列車との接続のない列車が停車する(岡山方面からは1番ホームへの乗り換えがある)。2011年(平成23年)3月11日まではJR神戸線直通の新快速は朝の一部を除き3番のりばからの発着だったが、翌日(3月12日)のダイヤ改正により昼間時間帯の新快速は主に1番のりば発着となった。また、17時台以降の姫路方面行きはすべて3番のりば停車となる。
夜間滞泊設定駅でもある。岡山方面からの列車の夜間滞泊はなく、上り最終列車で到着した車両は折返し備前片上駅まで回送される。下り始発列車は日生駅から回送されてくる。以前は1番ホームに駅そばの窓口がありましたが、現在はありません。

日中時間帯は1時間あたり姫路方面が2本、岡山方面が1本である。
相生・姫路方面、日生・岡山方面の列車とも全て当駅始発であり定期列車は運転系統が分離されているため、当駅を挟んで乗車する場合には乗り換えを要する。
姫路方面の半数は新快速であり、快速(西明石まで普通)も少ないながら設定されている。
始発は姫路方面が5時34分発、岡山方面が5時59分発であり、最終は姫路方面からが0時02分着、岡山方面からが22時30分着(31分発の姫路行き最終に連絡)である。岡山方面の最終列車は21時26分であり早い。


2012年3月17日ダイヤ改正から2014年3月15日ダイヤ改正まで平日に山陰本線出雲市駅を9時08分に発車する当駅止まりの長距離普通列車が存在した(赤穂線での列車番号は1922M・播州赤穂着16時05分)。運転距離は275㎞であった。なお、逆に出雲市行きの列車は存在しなかった。また当駅発着の新快速の多くも琵琶湖線へ直通運転しており、列車によってはさらに米原駅を越えて北陸本線長浜駅・近江塩津駅・敦賀駅のいずれか1駅に(から)乗り入れる列車も存在する。

駅と直結している商業棟は赤穂市が土地と建物を所有し、赤穂駅周辺整備事業がプラット赤穂として運営する。
JR播州赤穂駅周辺整備事業の一環として橋上駅舎化された駅舎とともに、2000年(平成12年)12月12日に開業。プラット赤穂シネマ、うかいや書店赤穂店、セリアプラット赤穂店のほか、飲食店・医院・美容院・写真店・携帯電話販売店など25店舗が入居した。


しかし、プラット赤穂を運営する赤穂駅周辺整備事業は商業棟とともに計画していたホテル棟の建設中断や通常テナントが負担する費用を一部テナントで肩代わりをしたこと、またテナント側に有利な歩合制賃料を導入したことなどで収入が伸び悩む一方、で初期投資に必要な必要の大半を金融機関からの借入金で補ったため当初から赤字経営が続き、2002年度(平成14年度)決算で約1億1,500万円の債務超過に陥った。そのため、2003年(平成15年)10月に赤穂駅周辺整備事業は神戸地裁に民事再生を申し立てた。その後経営再建の結果、単年度で黒字が出るまで改善した。

ホテル棟はJR播州赤穂駅周辺整備事業の一環として2008年(平成20年)11月11日に開業。東横インが東横イン播州赤穂駅前として管理運営する。
当初、5階建て・102室のホテルが計画され、ワシントンホテルが入居する予定で2001年(平成13年)2月から基礎工事が行われていた。 しかし、3月下旬にワシントンホテルは出店条件を管理運営委託方式に変更したのに対して建物の所有者となる赤穂駅周辺整備事業が同意しなかったため、4月に基礎工事が完了した時点で建設が中断された[3]。
その後、赤穂市は2006年(平成18年)5月にワシントンホテルの建設予定地だった市有地約2410平方メートルを市内に本店がある事業者へ公募売却することを決定。入札の結果フジタが落札し、11階建て・215室のホテルを建設、東横インが管理・運営することが決まった。

1951年(昭和26年)12月12日 - 日本国有鉄道の駅として開業。当初は当駅が赤穂線の終着駅だった。
1955年(昭和30年)3月1日 - 赤穂線が日生駅まで延長される。
1962年(昭和37年)9月1日 - 赤穂線(相生駅 - 東岡山駅間)全通。
1969年(昭和44年) - 赤穂駅北地区区画整理事業が完了する。
1978年(昭和53年) - 駅の北口設置について赤穂市が国鉄に陳情。
1983年(昭和58年) - 赤穂市が駅南東の国鉄用地を取得。
1985年(昭和60年) - 横断歩道橋の設置について赤穂市が国鉄に陳情。
1986年(昭和61年) - 赤穂市の総合計画に自由通路の新設が位置付けられる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
1989年(平成元年)2月 - 赤穂駅周辺土地利用計画が策定される。
1992年(平成4年)2月 - 赤穂駅周辺整備構想が策定される。
1993年(平成5年)3月 - 赤穂駅周辺整備基本計画が策定される。
1993年(平成5年) - 赤穂市が駅南西の国鉄清算事業団用地を取得する。
1996年(平成8年)2月 - 赤穂駅周辺整備推進計画が策定される。
1998年(平成10年)6月 - 「赤穂駅周辺整備事業株式会社」が設立される。
1998年(平成10年)7月 - 赤穂駅周辺整備計画が策定される。
1998年(平成10年)9月 - 赤穂市と赤穂駅周辺整備事業株式会社との間で赤穂駅周辺整備事業実施に関する協定が結ばれる。開発事業者(ディベロッパー)には大和ハウスを選定。
1999年(平成11年)2月 - 赤穂駅周辺整備事業・大和ハウス・赤穂市間で赤穂駅周辺整備に関する基本協定書を締結する。
1999年(平成11年)5月・6月 - 赤穂市議会赤穂駅周辺整備調査特別委員会に基本計画の提出・説明が行われる。


1999年(平成11年)6月 - JRとの間で播州赤穂駅橋上化工事の施行に関する協定が締結される。
2000年(平成12年)3月 - プラット赤穂が着工する。
2000年(平成12年)12月12日 - 橋上駅舎の運用開始。プラット赤穂が開業。
2001年(平成13年)2月 - ホテル棟が着工する。
2001年(平成13年)4月 ホテル棟の工事が中断される。
2001年(平成13年)9月18日 - 赤穂市が赤穂駅周辺整備事業株式会社の収支改善計画や建設が凍結されたホテルの転用計画、北爪照夫市長の給与カットが発表される。
2001年(平成13年)9月 - 赤穂駅周辺整備事業が金融機関から事業資金を借り入れる際、赤穂市が金融機関と損失補償を契約する。
2001年(平成13年)9月 - 赤穂駅周辺整備事業がプラット赤穂を取得する。
2002年(平成14年)12月 - 赤穂駅周辺整備事業が経営コンサルタントに依頼し、経営再建策の検討を始める。
2003年(平成15年)5月 - 経営コンサルタントによる土地・建物等の売却等、経費削減をまとめた報告書がまとまる。
2003年(平成15年)4月 - 赤穂駅周辺整備事業が大和ハウスを相手に調停を申し立てる。
2003年(平成15年)10月31日 - 赤穂駅周辺整備事業が神戸地方裁判所に民事再生法に基づく申し立てを行う。


2003年(平成15年)11月1日 - 相生駅から当駅までICOCAの使用が可能になる。
2004年(平成16年)3月19日 - 赤穂駅周辺整備事業が土地・建物を赤穂市に売却した上で再び市から建物を賃借し、発行済株式を10分の1に減資することなどをまとめた再生計画案を神戸地方裁判所に提出する。
2004年(平成16年)7月29日 - 再生計画案の認可が決定する。
2007年(平成19年)9月20日 - 赤穂市が民事再生手続きが終結されたと発表。
2008年(平成20年)11月11日 - ホテル棟が開業。
なお国鉄駅開業前の1921年(大正10年)から、国鉄駅開業前日まで赤穂鉄道の播州赤穂駅がこの駅の南側(現在のウエスト神姫赤穂営業所)にあった。


電報略号 ハア
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 3,876人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1951年(昭和26年)12月12日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
* この間に貨物駅として西浜駅有り(当駅から2.4km先)

 

 

美談駅 一畑電車北松江線

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美談駅(みだみえき)は、国内でも有数の難読駅です。島根県出雲市美談町に位置する一畑電車北松江線の駅です。

駅周辺は田園地帯です。

松江方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)、駅舎はなくホーム上に待合室が設置されています。

駅名標は待合室にかけられています。待合室内には木製の長椅子があります。無人駅である。ホーム上には飲料の自動販売機が設置されています。

出入口はホーム東寄りの端にありスロープがホーム入口になります。駅前には自転車をデザインした飾り付けのある自転車置場があります。

1952年(昭和27年)1月15日 - 開業。
1979年(昭和54年)11月1日 - 無人駅化。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。
2011年(平成23年)9月21日 - 駅改修工事完了。

駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 65人/日
-2009年-
開業年月日 1952年1月15日
備考 無人駅

キハ120形気動車 キハ120 336 芸備線

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キハ120形気動車は、西日本旅客鉄道(JR西日本)のローカル線用の小型気動車である。
JR西日本の地方交通線向け標準型気動車として、1991年(平成3年)に製造が開始された。岡山気動車区に300番台16両が在籍している。

新潟鐵工所の地方鉄道向け車両「NDCシリーズ」の第一世代モデルによる16m級軽快気動車で、ワンマン運転にも対応している。本形式の200番台は松浦鉄道MR-100形とほぼ同形式となっている。新潟鐵工所での製造の他、一部は自社の後藤総合車両所でもライセンス生産された。
国鉄から承継されローカル線区で運用されていた一般型気動車のキハ20系・キハ35系・キハ45系や急行型気動車のキハ58系などの老朽化対策(置換え)や鉄道部に移管された線区の活性化を図るため、山陰東部エリアを除くJR西日本管内の非電化区間ほぼ全域に投入された。基本設計が新しいため省力化や投入線区のスピードアップなどに寄与した反面、キハ120形自体が従来車より小型車体である上に編成両数が削減されたため、着席率の低下や混雑率の上昇を招いた。
各社に投入されたNDCシリーズ第一世代モデルが次々に運用を離脱する中、2013年現在も休廃車が発生することなく、製造された89両全車が運用されている。
キハ120形は製造時期別に3つの番台区分に分かれる。

車体幅 2,700 - 2,800 mm 、全長 16.3 m の両運転台の車両で、出入り口は両運転台の直後、片側2か所にバス用の2枚折り戸が採用されている。 始発駅など長時間の停車の際、キハ40系などで可能な半自動扉にはできないので、とってなどを利用して、人力により明け閉めする方法がとられている。 このほか、冷房装置にはバス用の汎用品を使用している。
エンジンはコマツ製SA6D125-H1形が採用されている。変速機は直結2段式である。
運転室は半室構造となっており、助士側は出入口とドアスイッチがあるのみ。乗務員扉は設けられておらず、助士側の客用扉横に車掌用の前方後方安全確認のための小窓が設置されている。主幹制御器は横軸式とされたが、操作部自体は従来車両と同一品が採用されており、国鉄キハ32形気動車に類似する。主幹制御器は221系電車に準じた前後操作式だが、ブレーキハンドルは着脱可能な構造である。
車体塗装は配置区所によって異なっている。
車内:座席は、セミクロスシートまたはロングシート。エンジン直結式の冷房装置を採用していることから、運転台後ろの1枚目と2枚目の窓の間で空調用のダクトが車内に張り出す構造となっており、この部分には座席がなく、窓の配置間隔が異なる。
車内収受式ワンマン運転を前提にしていることから、妻面にデジタル式の運賃表示器、運転台横に運賃箱、運転台直後に整理券発行機が備え付けられている。
新製時にはトイレがなかったが、後からユニット式のトイレが備え付けられた。

 

編成 両運転台付単行車
最高速度 95km/h
車両定員 49(席)+63(立)=112名(0・300番台)
49(席)+56(立)=105名(200番台)
最大寸法
(長・幅・高) 16,300×2,800*×4,045 (mm)
*200番台車は2,700mm
車体材質 普通鋼(200番台)
ステンレス(0・300番台)
車両質量 27.7t(0・300番台)
26.7t(200番台)
機関出力 330PS × 1(0・300番台)
250PS × 1(200番台)
駆動装置 液体式
変速段 変速1段・直結2段(自動切替)
台車 軸ばね式インダイレクトマウント空気ばね台車
WDT53(動力台車)(200番台)
WDT54 (動力台車)(0・300番台)
WTR237(付随台車)(200番台)
WTR238 (付随台車) (0・300番台)
制動方式 自動空気ブレーキ
機関ブレーキ併用
保安装置 ATS-SW
EB装置
製造メーカー 新潟鐵工所
西日本旅客鉄道後藤総合車両所

旅伏駅 一畑電車北松江線

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旅伏駅(たぶしえき)は、島根県出雲市西代町に位置する一畑電車北松江線の駅でです。

小駅で無人駅ですが自動車学校や斐伊川対岸へ渡る橋が近く比較的利用者も多い駅です。
駅舎には出雲市立平田中学校の美術部が制作した絵が飾られています。駅の近くには上島古墳と康國寺があります。康國寺は松江藩松平不昧公お抱えの築庭師・沢玄丹が3年をかけて作り上げた寺院。駅名の由来となった旅伏山を借景とした枯山水の庭園を持つ。

松江方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。駅舎はなく、ホーム上に駅名表示を掲げた木造の待合室が設置されています。

待合室には天窓もあり雰囲気があります。木造の長椅子が設置されています。無人駅です。ホーム先端部分は非常に狭くなっています。

駅前には立派な自転車置場が造られています。小さな駐車場にトイレがあり、その脇の長いスロープが入口です。

1914年(大正3年)4月29日 - 開業。
1979年(昭和54年)11月1日 - 無人駅化。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。

駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 110人/日
-2009年-
開業年月日 1914年(大正3年)4月29日
備考 無人駅


布崎駅 一畑電車北松江線

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布崎駅(ぬのざきえき)は島根県出雲市園町に位置する一畑電車北松江線の駅である。宍道湖にもほど近く住宅地の中にある駅です。

駅のナナメには登録有形文化財に指定された一畑電車の電力供給源である布崎変電所があります。

松江方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。無人駅である。

ホームへの入口はここに集約されており、一旦この中に入らないとホームへはあがれません。ホームは急カーブ上に位置しており、乗降には注意を要する。

待合室の中は木製の長椅子が設置され窓口跡のようなスペースも見られます。

1915年(大正4年)2月4日 - 開業。
1916年(大正5年)6月5日 - 位置変更。雲州平田 -(1哩8分)- 布崎-(1哩3分)- 園→雲州平田 -(2哩2分)- 布崎 -(1哩)- 園 
1983年(昭和58年)1月17日 - 無人駅化。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。

駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 171人/日
-2009年-
開業年月日 1915年(大正4年)2月4日
備考 無人駅

 

 

雲州平田駅 一畑電車北松江線

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雲州平田駅は、島根県出雲市平田町に位置する一畑電車北松江線の駅です。


2010年5月29日公開の松竹映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』の主要な舞台となった駅の一つ。

駅ホームや車両区内でロケが行われていた。

一畑電車の駅では唯一会社の直営駅である。運転指令室や列車区(乗務員の所属先)、車両区(車両基地や検修施設)などの運転関係の各部署に加え、駅舎2階には一畑電車の本社が置かれており、早朝には当駅始発列車、夜間には当駅止の列車が設定されている。


以前は平田市駅と名乗っていたが、2005年3月22日に平田市が出雲市との新設合併により廃止されたことから、同日に開業時の駅名である雲州平田駅へ35年ぶりに戻された。


平田市街地の観光・地域の活性化や電車利用促進を図って、2011年10月22日より途中下車可能駅となった。これは一畑口駅に次いで2駅目となる。

単式・島式ホーム2面3線を有する地上駅。駅舎はコンクリート造2層建ての駅舎です。中間駅では最大の乗降客数を誇る主要駅で、タクシーも常駐しています。一畑電車の車庫に隣接している。

駅舎内の待合室には木製の長椅子が多数設置されています。

売店は撤退し今はベンディングコーナーとなっています。


通常は上下列車とも駅舎寄りの1番のりばを使用し、列車交換を行う場合は上り列車(電鉄出雲市方面)が2番のりばに入線する。

3番のりばは上下列車ともに車両交換時ののりばとして使用されている。ホームは地下道で結ばれています。車両基地である構内には車両倉庫が2つあり、いろんな電車が見られます。


雲州平田駅プラットホーム
1 (通常はこちらを使用)
2 (列車交換時に電鉄出雲市方面列車が使用)
3 (車両交換時に使用)

1914年(大正3年)4月29日 - 雲州平田駅として開業。当初は終着駅。
1915年(大正4年)2月4日 当駅 - 一畑間が開業、中間駅となる。
1967年(昭和42年)11月1日 - 3代目となる現在の駅舎が完成。
1970年(昭和45年)10月1日 - 平田市駅に改称。
1973年(昭和48年)3月16日 - 貨物取扱廃止。
2005年(平成17年)3月22日 - 駅名を雲州平田駅に戻す。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。
2011年(平成23年)10月22日 - 途中下車可能駅となる。

駅構造 地上駅
ホーム 2面3線


乗車人員
-統計年度- 625人/日(降車客含まず)
-2010年-
乗降人員
-統計年度- 1,199人/日
-2010年-
開業年月日 1914年(大正3年)4月29日
終日駅員配置駅
*1970年10月1日~2005年3月21日は平田市駅

 


 

 

布崎変電所 一畑電車

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布崎変電所

一畑電車が所有する布崎変電所は2011年1月26日に国の登録有形文化財に登録されました。この建物は昭和2年(1927年)に、出雲今市駅(現在の電鉄出雲市駅)~一畑駅(現在の一畑口駅)が電化されるのに伴い、電力供給のための基幹施設として建設されました変電所です。

建設以来現在に至るまで80年以上にわたり今尚現役で稼働しており、我が国の鉄道経営史、産業史を語る上で欠かすことの出来ない建築物としての価値を認められた結果、登録となりました。

また、平成22年に全国公開された映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」の劇中でも、その雰囲気が監督の目にとまり運転指令所として撮影に使用されました。

一畑電車では、平成8年に島根県内で初めて国の登録有形文化財として「出雲大社前駅」が既に登録されており、それに続く2件目の登録となりました。

◆特徴・評価

布崎駅西側に建ち、間口20メートル奥行16メートル、鉄筋コンクリート造二階建、陸屋根である。西側の当初部は大オーダーの柱型や窓枠の持送りを表すなど、直線的で左右対照の立面を構成する。一畑電車の電化とその後の発展を担った変電所です。

◆名称

一畑電車布崎変電所

◆所在地

島根県出雲市多久町888-3

◆登録日

平成23年1月26日付

◆年代

昭和2年建設・昭和29年増築(建築面積289㎡)

西相生駅 JR西日本)赤穂線

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西相生駅(にしあいおいえき)は市街地の南西外れ、兵庫県相生市千尋町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)赤穂線の駅です。朝夕は近くの高校への通学で賑わいます。

駅周辺は相生湾に向けての谷間の中にある駅で、住宅が密集しているが商店はありません。改札を出て左側、北東方面に歩けば2,3分で兵庫県立相生産業高等学校があります。

播州赤穂方面に向かって左側に単式1面1線のホームを持つ地上駅(停留所)ではあるが、ホームは盛土の上にあり、2階くらいの所にあります。

築堤上のホームには階段で連絡します。駅前広場はありません。
ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象ICカードも利用可能。自動券売機1台(近距離きっぷを販売)及び簡易型自動改札機(集札機能なし)を設置。駅業務はジェイアール西日本交通サービスへ委託されており、相生駅が当駅を管理している。窓口での発券はPOS端末によって行われる。早朝と夜間は無人となり、日中にも窓口休止の時間帯がある。

日中時間帯は毎時2本が停車する。停車列車はすべて山陽本線姫路方面に直通運転しており、すべて播州赤穂駅が始発・終着駅となっている。
土曜・休日の9時台後半と毎日21時台終盤には、最も遠いところで福井県の敦賀駅から米原駅経由でやってくる長距離新快速が停車する。

1951年(昭和26年)12月12日 - 日本国有鉄道赤穂線相生駅 - 播州赤穂駅間の開業と同時に設置。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。

電報略号 ニイ
駅構造 地上駅(盛土上)
ホーム 1面1線


乗車人員
-統計年度- 871人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1951年(昭和26年)12月12日
備考 業務委託駅
POS端末設置

ABP-40 /APL-40 米海軍

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ABP-40として1945年に就役当初Benawahクラス自走バラック船、この停泊&兵舎船が米海軍の運用をサポートするためにロングビーチ、サンディエゴ、ポートランドと佐世保の外に務めています 艇の推進システムが完全に2001年に撤去されました。ABP-40は非自己走兵舎船として再分類。現在、米国第7艦隊のため横須賀にシフトされるAPL-40と改名されました。横須賀停泊中の他艦船乗員の宿泊施設として利用されているようです。現在、機関設備は、全て撤去されたようです。

Benawahクラス自走バラック船:
として承認された、1943年12月17日、バラック船(非自己プロペラ) APL-40
組替えバラック船(自走式) APB-40を 1944年8月8日
起工、1945年1月2日、ボストン海軍造船所、マサチューセッツ州ボストンにある。
立ち上げ、1945年5月6日
委託USSヌエイシス(APB-40)、1945年11月30日、LTを。コマンドでレナードI.バーコウィッツ
グリーンコーブスプリングス、フロリダ州。で非アクティブ·イン·委員会、1946年3月
退役、1955年9月30日
大西洋予備艦隊、テキサスグループ、オレンジ、テキサス州でレイアップ。
就役、1968年5月3日
ベトナム戦争時にはUSSのヌエイシス

ベトナム戦争
ベトナムの反撃-フェーズV
1968年11月1日to 7月30日 テト69/Counteroffensive
2月23日1969年4月30日 1 to 1969年6月8日
ベトナムの反撃-フェーズVI
1968年11月2日to 1969年2月22日 ベトナムサマー·秋
1969年6月9日から8月24日まで


米国海軍基地ロングビーチ、カリフォルニア州では、退役し、1970年3月13日。
1970年4月の海軍非アクティブ船舶保守機能、サンディエゴCA。
1974年8月WISCOポートランドOR。、19停泊、シアトル、造船、変換および修復のスーパーバイザーに
組替えその他補助 (IX-503) 、いじりや停泊船、米海軍船舶修理施設、佐世保、日本に割り当てられている
組替えバラック船(非自己プロペラ) APL-40、2001年7月3日
APL-40は CincPacFlt接岸とデブラプログラムの一部であり、SRF横須賀、日本停泊
USS ヌエイシス(APB-40)はベトナム戦争で2つの星を獲得

APB仕様:
排気量 2189トン、4080トン(FL)。 長さ 328 ' ビーム 50 ' ドラフト 11 '2 " 速度 12ノット。

 

補足
役員12
入隊1219
停泊容量
役員26
入隊1,200
武装
2クワッド40ミリメートルAAガンマウント
20 .50と0.30 CAL機関銃
燃料容量ディーゼル2,975バレル
推進
2ゼネラルモーターズ12-567Aディーゼルエンジン
ダブルフォークメイン減速機
5ディーゼル駆動100KW 120V/240V DC船のサービスジェネレータ
2プロペラ、1,800 SHP
ツイン舵

 

 

 

 

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