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東岡山駅 /山陽本線

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東岡山駅は、山陽本線を所属線とし、赤穂線を加えた2路線が乗り入れる。赤穂線は当駅が線路名称上の終着駅ではあるが、現在はすべての赤穂線列車が山陽本線経由で岡山駅以西へと直通します。

しかし、岡山駅改良工事の関係で、一時期当駅止まりおよび当駅で山陽本線・赤穂線への分割・併合を行う列車がありました。岡山市街地の東端に位置し、中心部からはかなり離れているので駅周辺はまだ長閑な雰囲気が残っています。岡山県岡山市中区土田にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅です。

駅南側にロータリー、バス乗り場とタクシー乗り場が整備されており、有料駐車場と有料駐輪場を完備している。駅南側より国道250号に接続。駅北側に山陽新幹線が並行しており、北口へはこの高架をくぐる。これら近年の再開発で駅の印象がずいぶん変わりました。


かつては駅南側に西大寺鉄道長岡(後の財田)駅があり、赤穂線開業までは西大寺方面への乗換駅として機能していた。この駅は1962年(昭和37年)の赤穂線開業に伴う西大寺鉄道の廃止後も線路を撤去しただけで長くそのまま放置されていたが、1980年代に整地の上で駐車場と駐輪場が設けられている。
1990年代まで駅西側の踏切は有人であったが、現在は無人化されている。

 

相対式ホーム・島式ホームの複合型3面4線のホームを持つ地上駅で、各ホームは古レール跨線橋で連絡しています。南北双方に改札口があるが、駅員が常駐しているのは南口駅舎。新幹線高架下にひっそりとたたずむ北口は時間帯によって無人となります。青い屋根瓦が目に鮮やかな木造駅舎です。

駅舎中央にも小さな駅名看板が掲げられています。明治24年開業で木造駅舎は昭和10年建築せす。待合室があります。


東岡山駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として、山陽本線の三石駅 - 高島駅間各駅と赤穂線の寒河駅 - 大多羅駅間各駅(つまり、高島駅以東の岡山支社管内の全ての駅)を管轄している。

和気駅・西大寺駅・瀬戸駅は地区駅として位置付けられている。北口は、以前はジェイアール西日本岡山メンテックに委託していたが、2007年の自動改札機導入直前に、同様に委託していた尾道駅北口と共に直営化されました。


2007年(平成19年)6月に自動改札機が設置され、その後ICOCA利用可能駅となった。みどりの窓口も営業しています。ただし、北口の自動改札機は簡易式のものとなっています。
2004年(平成16年)2月に改修が行われ、車椅子対応のトイレが新設された。同時に各ホームにエレベーターを設置し、北口にはスロープが新設された。


東岡山駅プラットホーム
ホーム 路線     方向 行先          備考
1 ■赤穂線 下り 岡山・倉敷・福山・新見方面 赤穂線播州赤穂方面から
2 ■山陽本線 下り 岡山・倉敷・福山・新見方面 山陽本線和気方面から
3 ■赤穂線 上り 西大寺・播州赤穂方面
4 ■山陽本線 上り 和気・姫路方面


現在は奇数番線に赤穂線へ(から)の列車、偶数番線に和気方面へ(から)の列車が発着する。
岡山駅改良工事の関係で当駅で分割併合を行っていた一部の上り列車では、この原則が崩れたことがあった(山陽本線で3番線・赤穂線で4番線に停車)。そのため、3・4番のりばの駅名標は「じょうとう/おおだら」と表示されている。

また、3番のりばは3方向全ての入線・出発に対応しているほか、1番のりばは相生方面からの入線、並びに播州赤穂方面への出発にも対応している。実際、2011年春に2番のりばに故障車が停車中、相生方面からの電車が1番のりばに入線している。
通過列車(貨物列車等)は下りは2番のりば、上りは4番のりばを通過する。


1891年(明治24年)3月18日 - 山陽鉄道 三石駅 - 岡山駅間の開通と同時に、長岡駅として開業。旅客・貨物の取扱を開始。
1906年(明治39年)
1月1日 - 西大寺駅に改称。
12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国鉄の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
1961年(昭和36年)3月20日 - 東岡山駅に改称。
1962年(昭和37年)9月1日 - 赤穂線 当駅 - 伊部駅間が開通し全通。当駅に乗り入れ。


1986年(昭和61年)11月1日 - 貨物の取扱を廃止。駅から西へ1kmほどの線路沿いに位置する住友セメント(現:住友大阪セメント)東岡山サービスステーションへ専用線が続き、セメントの入荷を行っていた。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2007年(平成19年)
6月10日 - ICOCA対応の自動改札機を南口改札に導入。
6月13日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機を北口改札に導入。
9月1日 - ICOCAサービス開始。

電報略号 ヒオ
駅構造 地上駅
ホーム 3面4線
乗車人員
-統計年度- 3,107人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1891年(明治24年)3月18日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■山陽本線
キロ程 136.1km(神戸起点)
◄上道 (3.4km)(2.8km) 高島►


所属路線 ■赤穂線
キロ程 57.4km(相生起点)
◄大多羅 (3.3km)(-km) (高島)**►
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
* 改称経歴
- 1906年 長岡駅→西大寺駅
- 1961年 西大寺駅→東岡山駅
** 全列車が岡山駅まで乗り入れ。


 


航空幕僚監部広報室=リアル「空飛ぶ広報室」

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「空飛ぶ広報室」は航空自衛隊の広報室を舞台とする幻冬舎より出版されている有川浩の小説です。現在TBSテレビによりテレビドラマ放映中です。突然の事故でP免(パイロット罷免)になった戦闘機パイロット空井大祐二等空尉は防衛省航空自衛隊航空幕僚監部広報室に転勤したばかりの新人広報官。

ミーハーで詐欺師並みの交渉術を持つ鷺坂正司をはじめ、ガサツすぎて残念すぎる美人・柚木典子や、鷺坂ファンクラブ1号で柚木をして曰く「風紀委員」の槙博己、鷺坂ファンクラブ2号のマイペースなオレ様・片山和宣、フォロー上手の指導担当・比嘉哲広など、個性の強い先輩たちに囲まれながら勤務をしている。そんな空井と帝都テレビのニュース番組「帝都イブニング」のディレクターで元報道記者だった稲葉リカとの出会いから夢に向かって羽ばたく様子を描かれた内容です。


鷺坂室長がリカを「いなぴょん」と呼ぶ理由。「稲葉」と「因幡」を掛けたギャグ。鳥取の空自、第3輸送航空隊を擁する航空自衛隊美保基地の第403飛行隊のエンブレムは「因幡の白ウサギ」です。

第8話でリカ (新垣結衣) と 空井 (綾野剛)が乗り込んだC1 輸送機です。C-1は、日本の航空自衛隊が保有する中型戦術輸送機です。人員のほか、物資や小型車両等の輸送を担う。戦後初めて開発された国産の中型輸送機で防衛庁技術研究本部、及び日本航空機製造が開発を行い、川崎重工業が製造を担当し一機あたりのコストは約45億円。

「KAPPAR」空幕広報室 「報道班」でしょうか

ドラマに出てくる略帽(サンダーバードの様な帽子)を始め制服は全て航空自衛隊が貸しているとの事です。

アンパンマン列車 JR四国2000系気動車

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アンパンマン列車 JR四国2000系気動車
JR四国2000系気動車,量産車の一部は「アンパンマン列車」として運転されています。数回のリニューアル後、車内を「アンパンマン」の内装にし、車内チャイムもオルゴールの「アンパンマンのマーチ」に変更する改造が実施されました。特に2000形の普通車指定席部分は「アンパンマンシート」となっており、座席や内壁にアンパンマンのキャラクターが描かれています。


2012年3月現在、「アンパンマン列車」として運転されている車両は土讃線で2種類が存在し、いずれも基本的に固定編成で運用されます。ヘッドマークは使用しません。
1号(グリーン):2007 + 2212 + 2104


特急「南風」(2・3・24・25号)で使用。当初は4両編成で運行されていましたが、運用の変更で2203が外されて3両になりました。なお、高知運転所所属の2006は外装こそ量産車と同一であるが、内装にアンパンマンシートが配置されています。このため、「アンパンマン列車」の2000形が検査などで運用を外れている場合は、2006が代走運用に入る。

JR四国2000系気動車

四国島内の高速道路網整備に伴い、特に四国山地を横断し急勾配・急カーブが続く土讃線における特急列車の速度向上を目的としてJR四国と鉄道総合技術研究所(鉄道総研)が共同で開発した形式です。
西暦2000年を目前に開発されたことから、『2000系』という、日本国有鉄道(国鉄)式の「キハ」等の文字を使用せず四桁数字だけで表記する私鉄車両のような形式称号が付与され、以後、JR四国の新型車両は1000形気動車、7000系電車、8000系電車、6000系電車、5000系電車、1500形気動車と四桁数字だけの形式称号を名乗ることとなりました。


エンジンから台車への動力伝達の反作用から困難とされてきた振り子式気動車を、2つのエンジンから生じる回転力を相殺させることにより実現[し、また遠心力による車体傾斜に先行して機械的に車体傾斜を生じさせ乗り心地の改善を図る制御付自然振り子が採用された。振り子式気動車としては世界初、制御付振り子式車両としては日本初の車両である。
制御つき自然振り子はあらかじめ走行線区の線形データを記憶させ、これに応じて車体傾斜させるため、線形データが入っていない線区では振り子が使用できない。また、宇野線・本四備讃線では振り子を使用しない。振り子機構はコロ式。振り子作用時の車体最大傾斜角は5°で、曲線半径600mで本則+30km/hの120km/hの運転を可能とした。
ブレーキシステムは電気指令式空気ブレーキで、制動距離の短縮のために機関ブレーキ、排気ブレーキを併用している。重心を下げるため車輪径を810mmに小径化し、客用扉部分のステップをなくす(TSEおよび量産車導入に際しホーム高さの低い駅は嵩上げが行われた)とともに、ステンレス製の車体外板に1.2mm厚(通常の軽量ステンレス車は1.5mm、他はJR東日本209系0番台車に例がある程度)の薄いものを使用して車体の軽量化を図っている。連結器は密着連結器が採用されました。


エンジンはコマツ製の直噴式SA6D125H形で出力は330ps。JR四国での社内制式名称はないが、東日本旅客鉄道(JR東日本)ではこのエンジンにDMF11HZという社内制式名称を与えている。新潟コンバータの直結2段式液体変速機TACN22-1601との組み合わせで、25パーミル上り勾配での均衡速度は95km/hを達成しています。
客用扉にはプラグドアを採用。キハ185系に合わせて片側2箇所となっており、これは8000系電車も同じである。また、客用扉が開いたまま動き出しても、5km/hを超えると自動的に閉まるようになっています。

西川原駅 /JR西日本山陽本線

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西川原駅は、就実大学・就実短期大学を運営する学校法人就実学園が駅の建設費全額を、岡山市が駅の周辺整備費をそれぞれ負担して設置された岡山県内で最も新しい駅です。線路名称上では山陽本線単独駅ですが、運転系統上赤穂線の列車も乗り入れ、西川原駅に停車する。
新駅の駅名について、JR西日本側が地名の「西川原」、地元西川原地区や就実学園側が「就実大前」をそれぞれ主張し、駅の設置協議が難航した経緯から、時刻表や運賃表、路線図に表示される正式駅名は「西川原」となり、同駅の駅舎やホームの駅名表示、列車の車内放送は「西川原・就実(にしがわら・しゅうじつ)」となりました。岡山県岡山市中区西川原一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅です。

駅南西側には就実大学・就実短期大学があり、付近は閑静な住宅街が広がっている。駅北側の付近の主要道路(都市計画道路万成国富線)沿いには、飲食店や病院などが相次ぎオープンしています。車でのアクセス用のロータリーがありますが、高架下に整備されています。

相対式ホーム2面2線を持つ高架駅です。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。ホームとは階段と踊り場のある90mのスロープで結ばれているが、いずれも屋根が無く雨ざらしです。エレベーターの設置予定はなく、バリアフリーの観点から利便を心配する声も存在する。階段付近のみわずかに上屋が設置されています。かなり狭いホームで、「黄線の内側」は狭いホームのさらに半分以下です。ホームは貨物列車が通過するときは結構揺れます。

ICOCA利用可能な有人駅で簡易自動改札機が設置されています。岡山駅が管理し、ジェイアール西日本岡山メンテックが駅業務を受託する業務委託駅。みどりの窓口は設置されていない上、窓口での出札そのものも行われておらず、乗車券は自動券売機でのみの購入となる。自動改札機が簡易式であるため、降車客の乗車券は駅係員が集札するが、窓口非営業時は改札機裏側の集札箱に乗車券を投入する形になる。トイレは改札内で駅務室の隣にある。
なお、既存の鉄道高架を利用して作られた当駅は建設予算による制約のためか窓口のある駅務室をはじめ全体的に簡易的に作られており、ホームとその連絡通路を除き駅舎と呼べるような建物は設けられていない。


西川原駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■山陽本線 上り 和気・姫路方面
■赤穂線 西大寺・播州赤穂方面
2 ■山陽本線
(■赤穂線含む) 下り 岡山・倉敷・福山・新見方面
開業当時からご当地メロディはなくJR西日本旧標準の入線ベルが使われていたが、2011年より放送の言い回しを一部変更の上、JR西日本標準の入線メロディが流れるようになった。

2004年(平成16年)3月 - 就実学園がJR西日本岡山支社に、高島駅 - 岡山駅間への新駅設置に関する要望書を提出。
2007年(平成19年)
5月7日 - JR西日本が中国運輸局に事業基本計画の変更認可(新駅設置認可)を申請。
9月14日 - 新駅設置工事の着工。
2008年(平成20年)3月15日 - 開業。

電報略号 シワ
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,306人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 2008年(平成20年)3月15日
備考 業務委託駅(出札は券売機のみ)
* 正式駅名は「西川原」であるが、駅名標含む構内の駅名記載は「西川原・就実」

 

野洲駅 JR西日本 東海道本線

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野洲駅(やすえき)は2004年(平成16年)10月1日に野洲郡野洲町と中主町の合併により誕生した野洲市の代表駅となっています。滋賀県野洲市小篠原にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅です。所在地野洲市は日本最大の銅鐸出土の地であり、他にも古墳群や神社仏閣など多数の歴史・文化遺産で知られています。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれています。

湖南地区都市圏の北端に位置し、利用客数は当駅を境に段落ちする。湖南市・蒲生郡竜王町・近江八幡市の一部からも自家用車等を手段とする当駅の利用客が多い。野洲町と中主町が合併する際の新市名として「野洲」が採用された理由は、主として両町が野洲郡であったこと、野洲川・野洲晒など地理的・歴史的になじみが深いことに加え、「電車基地があり、野洲駅の知名度がある」ことも理由に挙げられていた日中時間帯は1時間あたり7本(3本は当駅発着)が停車いたします。朝時間帯は本数が多くなる。1往復のみ西明石駅発着の各駅停車が乗り入れます。
国鉄時代は特急・急行列車は停車していなかったが、JR化後は特急「びわこエクスプレス」・「はるか」の停車駅となっています。


当駅の終電の到着は2010年3月13日の改正で1時7分に繰り上げられました。2009年3月14日の改正では1時30分で、2008年3月15日改正では1時34分であった。2011年3月12日改正で1時8分になっています。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。さらに上り線には、ホームのない線路が1線あります。かつては下りにもホームのない線路が1線があったが、現在は撤去されています。また、貨物車扱用の側線や荷卸しホームもあったが、貨物扱い廃止と同時に使用されなくなり、側線跡は保守車両の留置に使われている。橋上駅舎を通る南北自由通路は南北それぞれにエレベータとエスカレータを持ち、またホームへは改札内にエレベータを備えています。
駅の北側には京都総合運転所野洲派出所があり、入出区のための連絡線がつながっている。当駅終着の列車の多くは派出所に引き上げられる(一部にはそのままホームで下り列車として折り返すものもある)。


入出区線は駅構内配線と分離されて設けられ、一旦下り本線または上り本線を使って駅構内へ電車が入出区していたが、東海道線貨物列車輸送力補強(1300t列車運転時)の際に、4番線有効長の延長と、入出区線を駅構内2番線に直結する配線変更をしています。
直営駅(草津駅の被管理駅)かつICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象カードも使用可能です。きっぷ売り場には券売機は3台と指定席券売機が設置されています。みどりの窓口ありです。

1番線は単式ホーム、2・3番線が島式ホームである。2番線は上下両方向の旅客列車の入線があるが、構内ののりば案内標では、2番線は3番線と一括で米原方面のホームと記載されています。


野洲駅プラットホーム
ホーム   路線   方向   行先                 備考
1    ■琵琶湖線  下り   草津・京都・大阪方面
2    ■琵琶湖線  下り   草津・京都・大阪方面  一部の当駅始発
             上り   米原・長浜・大垣方面  主に待避列車
3    ■琵琶湖線  上り   米原・長浜・大垣方面

京都方面への下り列車は主に1番線に停車するが、当駅始発の一部列車は2番線を使用しています。
米原方面への上り列車は3番線に停車するが、当駅で待避または当駅終着新快速から接続する列車は2番線を使用しています。野洲派出所へは2 - 4番線のいずれからも入線可能、派出所からは1 - 3番線に出区することができます。4番線は上り貨物列車の待避と、上り野洲派出所入区の回送列車が使用している。上りは場内と出発、下りは第一場内および第二場内と出発の絶対信号を持つ。

1891年(明治24年)6月16日 - 官設鉄道の八幡駅(現在の近江八幡駅) - 草津駅間に新設開業。客貨取扱を開始。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
1966年(昭和41年)9月1日 - 野洲電留線使用開始(収容能力5線67両)。
1969年(昭和44年)3月1日 - 野洲電車区竣工(電留線18本)。
1972年(昭和47年)2月1日 - 貨物取扱を廃止。
1973年(昭和48年)1月 - 駅舎改築(2代目、橋上駅舎化)。
1975年(昭和50年)6月28日 - 出区した列車が信号無視して本線を支障し、上り回送列車と接触する事故が発生する。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。

電報略号 ヤス
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 13,701人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1891年(明治24年)6月16日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

 

 

 

6月7日(金)のつぶやき

universal mk2004 TurboJET

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universal mk2004 TurboJET(ターボジェット、噴射飛航)は、香港の海運会社である信徳中旅船務管理有限公司(英語:Shun Tak-China Travel Ship Management Limited、ポルトガル語:Shun Tak China Travel-Companhia de Gestão de Embarcações, Limitada)が運航する高速フェリーです。

香港がイギリスの植民地で、マカオがポルトガルの植民地であった1962年に、両地を結ぶ高速フェリーとして香港に拠点を置く信徳集団有限公司によって、水中翼船などの高速船による運航が開始されました。


その後、マカオの行政管理権が中華人民共和国へ返還される数か月前の1999年7月に、信徳集団有限公司と香港中旅国際投資有限公司により設立された「信徳中旅船務管理有限公司」によって、「TurboJET」のブランド名で、香港の上環の信徳中心(Shun Tak Centre)にあるマカオフェリーターミナルと、マカオのニューマカオ・マリタイム・フェリー・ターミナルの間を結ぶ路線を運航しています。


他にも、上環と九龍の尖沙咀中港客運碼頭(China Hong Kong Terminal)と深�祁の間を結ぶ路線、マカオから深�祁の間を結ぶ路線と、香港国際空港のスカイピアとマカオ、中華人民共和国本土の深�祁の間を結ぶ路線(TurboJET Sea Express/機場噴射飛航のブランド名で運航)を運航しています。

香港-マカオ間は、ビジネス客のみならず、観光客の需要も1年を通じて多いことから、5分-15分間隔で24時間運航されており、香港-マカオ間を約55分で結んでいる。便数が多いこともあり原則予約なしで搭乗できるものの、週末や旧正月などの繁忙期は予約がないと乗れないケースも多いとのことです。

 

船舶種別: Passengers ship
建造年: 1995
全長 x 巾: 45 m X 12 m
総トン数: 610, 載貨重量トン: 45 t
速力レコード(最大/平均): 41.7 / 34.9 knots
船籍国: Hongkong [HK]
呼出符号: VRUY9
IMO: 9087582, MMSI: 477384000

信徳中旅船務管理有限公司:噴射飛航
Shun Tak-China Travel Ship Management Limited: TurboJET
本社所在地 中華人民共和国香港
設立 1999年
業種 海運業
事業内容 高速フェリー
代表者 スタンレー・ホー
主要株主 信徳集団と香港中旅



6月8日(土)のつぶやき


西部航空音楽隊:航空自衛隊

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西部航空音楽隊:航空自衛隊
福岡県春日市春日基地所在。1976年編成。福岡県春日市原町3−1−1?092−581−4031 (内線3302)

   
音楽隊は軍楽隊の一種であり、音楽演奏を主な任務とする航空自衛隊の部隊です。
音楽隊員になるためには自衛官採用試験に合格するほか、航空中央音楽隊及び各航空方面隊・南西航空混成団直轄の音楽隊で実施される部隊説明会に参加し、実技を行う必要がある[1]。音楽隊員になることが出来る自衛官採用試験の区分は自衛官候補生及び一般曹候補生の採用試験であり、採用別に自衛官としての基礎教育を一般隊員とともに受ける必要がある。その後、音楽要員としての専門教育を受けた後、各音楽隊へ配属される。

1963年3月1日東京オリンピックの前年、西部航空方面隊司令部人事部厚生班音楽隊として航空自衛隊春日基地に誕生しました。その後1976年に西部航空方面隊司令官直轄の音楽隊として改編され、部隊名も航空自衛隊西部航空音楽隊へ変更されました。

航空自衛隊が実施する式典や行事、国家的行事や国際的な行事、県及び市町村や公共団体等が主催する各種行事への参加協力を行う等、それぞれのエリアを代表する航空自衛隊の音楽隊として多様な演奏活動を行っています。西部航空音楽隊は、航空自衛隊西部航空方面隊司令官の直轄部隊として編成され、航空自衛隊春日基地(福岡県春日市)に本拠を置き、九州、中国、四国地方を主なエリアとして、活動しています。

音楽隊長以下43名の士気旺盛な隊員で編成され、クラシック、吹奏楽オリジナル、ジャズ、ポップスといった、幅広い多彩なジャンルの曲をレパートリーとしています。近年は新譜、初演作品の紹介にも意欲的に取り組む一方、ソリストや客演指揮の招聘も積極的に行い、より質の高いコンサートを目指しています。また当音楽隊の活動を支援することを目的として、民間人により西部航空音楽隊後援会が平成5年12月に組織され、定期演奏会やファミリーコンサート等の支援、隊員と会員の交流会などを行い、現在200名の会員を有しています。

音楽隊への採用を希望する者は、自衛官採用試験に加えて、各音楽隊で実施される職種説明会(陸・空は「部隊説明会」)に参加し、実技を行う必要がある。この部隊説明会の参加者のほとんどは音楽大学の卒業者もしくは卒業見込み者で占められている。音楽隊には毎年決まった募集枠はなく、退職や異動などで欠員が出たパートごとに約10〜20倍の競争倍率になる。吹奏楽の各パートの他に、ピアノ奏者や声楽専攻者の採用例もある。音楽隊員になることができる自衛官採用試験の区分は、自衛官候補生および一般曹候補生の採用試験である。また、2008年(平成20年)度は技術海曹の採用区分でも音楽隊員を募集した。

北長瀬駅 /山陽本線

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北長瀬駅は、2005年(平成17年)10月1日晴れの国おかやま国体にあわせ、旧国鉄岡山操車場跡地に開業。駅前には操車場があったことを示す「岡山操車場跡之碑」があります。チボリ公園は当初この地に建設され、駅もそれに合わせ建設される予定でした。岡山県岡山市北区北長瀬表町二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅である。
線路名称上は山陽本線単独駅であるが、運転系統上は伯備線の列車も乗り入れます。

南口:操車場跡地の向こうに岡山ドームがあり、遠方には市街地中心部を見渡せる。コンビニが数店舗営業しているだけで昼間でも人通りが少ない。


北口:南口と違い住宅や小規模の工場などが密接し商店はなく、少し離れると田畑が広がる長閑な風景になる。北へ新幹線の高架をくぐり10分ほど歩くと県道川入線にあたり、沿線は岡山西警察署・岡山市消防局西消防署とロードサイド店が集積する。
岡山県立岡山大安寺高等学校、JR西日本の岡山電車区や博多総合車両所岡山支所等の鉄道関連施設などへ通う利用者が多い。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で階段の上に大きくせり出した庇が印象的な橋上駅舎を有する。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される(中線のように見える線路は、後述するように西岡山駅の設備である)。
岡山駅が管理し、ジェイアール西日本岡山メンテックが駅業務を受託する業務委託駅です。みどりの窓口設置駅(営業時間は7:00 - 20:00)で、ICOCAおよび相互利用対象ICカードも利用可能。改札外にICOCA入金機設置。自動改札機は簡易式のため、降車客の乗車券は駅係員が集札を行う(窓口営業時間外は改札機裏側の集札箱に乗車券を投入する)。 なお窓口営業時間外の場合でも特別改札で駅員が派遣され、集札することがあります。
以前は倉敷駅(管理駅)・中庄駅(地区駅)が管理していたが、行政区域と管理区域を整合させるため、2010年7月から岡山駅の管理に移行しました。


駅舎は白が基調の外観で、広い南口階段には大屋根があるなど、近年開業した岡山市内の新駅に比べ豪華な作りになっている。エレベーターと車椅子対応トイレも完備されており、バリアフリーが図られています。
下りホームは線路に併せカーブしており列車がホーム側に傾いて入線するため、列車が近づくとホームに沿って配置された黄色いマーカーランプが点滅すると同時に警報音が鳴り、その後注意を促す構内アナウンスが流れます。上下本線の間には西岡山駅(貨物駅)の下り引上線があり、たびたび貨物列車の入換作業が行われます。


北長瀬駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■山陽本線 下り 倉敷・福山方面
■伯備線 倉敷・備中高梁・新見方面
2 ■山陽本線
(■伯備線含む) 上り 岡山・姫路・播州赤穂方面

電報略号 キナ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,730人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 2005年(平成17年)10月1日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有
* この間に西岡山駅(貨物駅)有り(当駅から0.9km)。


2005年(平成17年)10月1日 - 山陽本線の西岡山駅 - 庭瀬駅間に新設開業。
2007年(平成19年)
5月24日 - 簡易自動改札機導入。

9月1日 - ICOCA使用開始。

庭瀬駅 /JR西日本山陽本線

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庭瀬駅。五・一五事件で知られる犬養毅の生家は当駅が最寄りとなります。岡山市郊外に位置、岡山県岡山市北区平野にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅です。線路名称上は山陽本線単独駅であるが、運転系統上は伯備線の列車も乗り入れます。

相対式ホーム2面2線のホームを持つモダンな感じのする白い駅舎の地上駅であり、上下線の間にはホームのない待機線(中線)が1本存在しています。


直営駅(岡山駅の被管理駅)。青い鉄のゲート飾りもアクセントとして利いています。中央に入口がありますが、半円柱の車寄せがついています。入口には低い階段がありますが、駅舎の左からスロープのアプローチもあります。

待合室は背後のコンビニエンスストアにスペースを奪われ、椅子が1脚設置されるのみです。2007年(平成19年)に自動改札化された。発車案内は設置されていません。また、2008年(平成20年)12月13日に下りホーム側にも改札口(南口)が設置された。これにより、庭瀬駅南側から踏切を渡らなくとも当駅に行き来することができます。


2008年(平成20年)3月のダイヤ改正に合わせ、上りホーム全体のかさ上げ工事が行われた。また、電車の停車位置が以前より岡山駅寄りに変更されました。なお、古い跨線橋にはエレベータが設置されています。
ICOCA利用可能駅。自動改札機は北口では開閉式であるが、当駅開業後に設置された南口では簡易式となっています。普通乗車券で南口から出場する場合は改札機裏側の集札箱に乗車券を投入する。


庭瀬駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■山陽本線
(■伯備線含む) 上り 岡山・姫路・播州赤穂方面
2 ■山陽本線 下り 倉敷・福山方面
■伯備線 倉敷・備中高梁・新見方面

簡単な裏口(南口)があります。簡易券売機と簡易改札機があります。

1891年(明治24年)4月25日 - 山陽鉄道 岡山駅 - 倉敷駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
1960年(昭和35年)10月15日 - 貨物の取扱を廃止。
1986年(昭和61年) - みどりの窓口営業開始。
1987年(昭和62年)4月1日 -国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2007年(平成19年)5月23日 - ICOCA対応の自動改札機設置(同年9月1日よりICOCAが利用可能となる)。
2008年(平成20年)12月13日 - 南口改札供用開始。

電報略号 ニワ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 3,604人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1891年(明治24年)4月25日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

 

 

中庄駅 /山陽本線

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中庄駅の周囲には学校が多く普通列車のみ停車する駅では利用者数は大変多く。倉敷マスカットスタジアムの最寄り駅でもあり、プロ野球開催日は臨時列車も運行し、幹線客で混雑します。岡山県倉敷市鳥羽にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅です。線路名称上では山陽本線単独駅ですが、運転系統上伯備線の列車も乗り入れます。都窪郡中庄村、庄村、菅生村、帯江村の4村の陳情により、帯江信号所のあった庄村に接する中庄村大字鳥羽に開業。開業当時、駅の周辺は田園地帯でした。

朝夕は岡山・倉敷方面へ通勤・通学する利用者に対し、駅周辺の川崎学園や倉敷高校、岡山中学・高校、清心女子中学・高校等に通う学生・職員が利用するため乗降客は近隣の中間駅よりも比較的多い。また倉敷マスカットスタジアムの最寄駅のため、プロ野球の試合の日は臨時列車も運行します。駅前にはロータリーが整備されており、駅施設全体が公園のような雰囲気があります。
岡山県総合流通センターとコンベックス岡山の最寄駅の一つでもあるが、路線バスは極僅かでタクシー利用になる。ただし、大規模なイベントが行われる際は当駅とコンベックス岡山を結ぶ臨時シャトルバスを頻発して運行することが多い。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。平成6(1994)年1月マスカットスタジアムオープンに合わせて新築された、落ち着いたレンガ調の橋上駅舎です。1番のりばが単式、2・3番のりばが島式ホームです。上り本線は1番のりば、下り本線は3番のりばとなっており、中線である2番のりばは定期旅客列車は停車せず、マスカットスタジアムでのイベント時の臨時列車用として使われます。


1995年、岡山県倉敷スポーツ公園野球場(マスカットスタジアム)がオープンするのにあわせ、大規模改修工事を行い、現在の橋上駅舎となる。駅舎の外壁は近くの川崎学園校舎の色に似たタイル張りで、北口階段の脇には人工滝がある。
バリアフリー設備は橋上駅舎になってから車椅子用にステップが調整できるエスカレータが南北入口とホームに4台設置されている。また、当駅は乗降客が5,000人を超える交通バリアフリー法対象駅であるため、現在はコンコースからホームへのエレベーターが設置された。

駅前広場からコンコースへのエレベーターについてはまだ具体的な設置予定は決まっていないが、倉敷市は「倉敷市交通バリアフリー基本構想」に基づいて順次取り組んでいきたいとしています。
直営駅(倉敷駅傘下の地区駅・駅長配置)。改札口前は広く、トイレも備えられ、キヨスクも営業している。また、自動改札機はICOCAが利用可能で、ICカード専用自動改札機(出口専用)も1台設置されている。また、ICOCA対応券売機とみどりの券売機がそれぞれ一つずつ設置されています。


中庄駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■山陽本線
(■伯備線含む) 上り 岡山・姫路・播州赤穂方面
2 (臨時ホーム)
3 ■山陽本線 下り 倉敷・福山方面
■伯備線 倉敷・備中高梁・新見方面

1915年(大正4年)4月26日 - 国有鉄道山陽本線の庭瀬駅 - 倉敷駅間に帯江信号場として設置。
1930年(昭和5年)3月11日 - 駅に昇格し、中庄駅として開業。旅客・貨物の取扱を開始。
1960年(昭和35年)10月15日 - 貨物の取扱を廃止。
1986年(昭和61年) - みどりの窓口営業開始。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1994年(平成6年)2月10日 - 駅舎を改築。新たに南口と南北自由連絡通路を設けた橋上駅になる。
2007年(平成19年)5月27日 - ICOCA対応の自動改札機導入(同年9月1日よりICOCAが利用可能となる)。

電報略号 ナシ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 6,573人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1930年(昭和5年)3月11日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

 

6月12日(水)のつぶやき

膳所駅 東海道本線

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膳所駅は、滋賀県大津市馬場二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)東海道本線の駅です。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれている。日中時間帯は1時間あたり4本が停車致します。朝時間帯は本数が多くなる。

方向別複々線区間内にあり、現在は12両編成対応の島式ホームが上り・下りの各内側線・外側線間にそれぞれ1面の合計2面4線と、上下待避線の6線を持つ平屋のコンクリート地上駅です。琵琶湖線の中では数少ない駅舎およびホーム間を地下通路で連絡しています。隣の大津駅までの距離は琵琶湖線で最短です。

改札口の横にデイリーインが営業しています。かつては機関区もあり、今でも構内は広い。
直営駅(大津駅の被管理駅)であり、かつICOCA利用エリア内に含まれています。みどりの窓口があり2台の券売機が設置。

駅舎入口のキャノピーは向かい合って隣接する京阪膳所駅に繋がっています。


膳所駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先 備考
1 ■琵琶湖線 上り(外側線) 草津・貴生川方面 草津線直通のみ
2 ■琵琶湖線 上り(内側線) 草津・米原方面
3 ■琵琶湖線 下り(内側線) 京都・大阪方面
4 ■琵琶湖線 下り(外側線) 京都・大阪方面 一部の列車のみ

普通列車のみ停車し、基本的に2番のりばと3番のりばを使用している。草津線直通列車は下りの一部を除いて外側線を走るため、1番のりば、4番のりばを使用する。
駅東側で下り内側→外側、上り外側→内側の転線が可能。ただし、上下線間の転線はできない。
待避線を有しているため、場内信号機・出発信号機を持つ。
毎年8月のびわ湖大花火大会開催日のみ新快速が臨時停車する。

 

2005年まで専用線発着の車扱貨物を取り扱っており、貨物列車の設定があったが、現在は臨時車扱貨物のみを取り扱っており、そのため貨物列車の設定はない。
6番線の外側に並走し、駅西側にある太平洋セメント大津サービスステーションの貨車用セメント荷役設備へ続く専用線があった。そのため2005年3月まで東藤原駅 - 当駅間にセメント輸送貨物列車が運行されていた。

1880年(明治13年)に京都駅 - 大津駅(後の浜大津駅)間全通とともに馬場駅として開業した。県内最古の駅。全国19番目に開業。
京都駅 - 馬場駅間は両側とも25‰の急勾配が連続する区間であり、補助機関車解結のため付近に大津機関区を設置。東海道線全通時に急行列車が運転された際には牽引定数の関係上、馬場で食堂車を切り離す作業も行われていた。
また、駅開業時は東海道線がつながっておらず、大津と長浜の間は琵琶湖の海上交通(太湖汽船)に依っていた。京都方面からの列車は、当駅でスイッチバックをし、大津駅(現在の浜大津駅付近)へと下っていった。馬場駅は日本最古のスイッチバック駅であるが、単純折り返し型であるためにそう呼ばれることは少なく、日本最古のスイッチバック駅は松井田駅であるとされることが多い。この馬場駅 - 大津駅の区間は、1889年(明治22年)東海道線全通後は本線の貨物支線(後に大津線と命名)として残され、1913年に京阪石山坂本線の前身となる大津電車軌道が開業した際に旅客営業をやめ、再び無名の貨物支線となった。
線路は京阪石山坂本線と共用しており、駅の下り方北側で現在の京阪石山坂本線に線路が繋がっていた。ただし、大津電気軌道と国鉄で軌間が異なるため三線軌条(湖側が三線、山側は通常の標準軌)となっていた。この連絡線を使用し、近江今津からの江若鉄道も乗り入れ、旅客営業していた(江若鉄道末期で2本/日)。そのため、江若鉄道車両が発着する小ホームもあったが、現存しない。浜大津への貨物支線は1969年(昭和44年)に廃止された。京阪膳所駅の西側に当時の線路跡である坂が残っており、当時をしのばせている。
逢坂山トンネル越えの急勾配は線路変更後も輸送上のネックとなり、貨物列車には梅小路(京都駅西側)より、膳所まで補助機関車が付き運転されていた。さらに太平洋戦争中には、輸送力アップのため、京都駅 - 膳所駅間の上り線のみを2線とする、3線化工事も行われている。1970年(昭和45年)には草津駅 - 京都駅間の複々線工事が完成し、その際ホームを1面増設している。

1880年(明治13年)7月15日 - 官設鉄道の大津駅(初代) - 馬場駅 - 大谷駅間延伸時に馬場駅として開業。客貨取扱を開始。
1889年(明治22年)7月1日 - 関ヶ原駅 - 馬場駅間が開業し、新橋駅 - 神戸駅間が全通。大津駅 - 馬場駅間の旧線は旅客営業廃止。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
1898年(明治31年)8月1日 - 馬場駅 - 大津駅間の旅客営業再開。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称改定。当駅を含む新橋駅 - 神戸駅間は東海道本線、馬場駅 - 大津駅が大津線となる。
1913年(大正2年)
6月1日 - 大津駅(2代目)に改称。同時に大津駅(初代)は浜大津駅に改称されている。
3月1日 - 大津線(大津駅 - 浜大津駅間)の旅客営業が廃止され、東海道本線の貨物支線となる。
1921年(大正10年)8月1日 - 馬場駅に改称。旅客営業廃止。同時に馬場駅 - 京都駅間が現在の新線に切り替えられ、旧線の馬場駅 - 稲荷駅間廃止(稲荷駅 - 京都駅間は奈良線の一部として存続。同時に新線上に現在の大津駅開業)。


1934年(昭和9年)9月15日 - 膳所駅に改称。旅客営業再開。
1947年(昭和22年)1月25日 - 膳所駅 - 浜大津駅間の貨物支線の設備を共用する形で、江若鉄道が当駅に乗り入れ開始。
1965年(昭和40年)7月10日 - 江若鉄道の乗り入れ廃止。
1969年(昭和44年)11月1日 - 膳所駅 - 浜大津駅間の貨物支線(かつての大津線)廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
2005年(平成17年)3月1日 - 貨物列車の設定が無くなる。
2012年 - 2015年まで橋上化と周辺整備が行われている。

電報略号 セセ
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 12,655人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1880年(明治13年)7月15日
乗換 京阪膳所駅(京阪石山坂本線)
備考 直営駅
みどりの窓口 有
* 改称経歴
- 1913年 馬場駅→大津駅
- 1921年 大津駅→馬場駅
- 1934年 馬場駅→膳所駅
** この他江若鉄道線(1965年まで)

 

 

 

保線用モーターカー/富士重工業TMC370/島原鉄道

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島原鉄道株式会社は保線用モーターカーとして、富士重工業製の小型機TMC100Bを保有しており、レール等の資材運搬に使用していた。1999年にはより大型のTMC370が入線した。同機は前後とも自動連結器を有して救援車両の牽引にも対応し、残存していた機関車D3703が置き換えられた。

モーターカーとは、主に鉄道の保守作業に使用される小型の鉄道車両である。ただし、鉄道部内では法規上は「機械」扱いで「鉄道車両」ではないので車籍は無いことが多い。

保守、点検に用いられ、資材を積んだ小型貨車を牽引する場合もある。編成化された小型貨車の先頭に遠隔操縦用の運転台を設け、プッシュプル運転が可能な車両も存在する。車体は警戒色として黄色に塗装されている場合が多いが、東海旅客鉄道(JR東海)の濃淡ブルーや、近畿日本鉄道の薄緑色など、黄色以外の場合もある。走行用の動力は、古くはガソリンエンジンが主流であったが、現在ではディーゼルエンジンが主流で、空気圧縮機や、作業用にPTO経由で油圧ポンプを駆動するものもある。車両によっては車体中央に自車昇降用油圧式ジャッキを持ち、自車をジャッキアップした後に車体を手動で旋回させてその場で方向転換させることが可能である。


 
多くの場合は法規上の「鉄道車両」ではなく、運転者の動力車操縦者運転免許は不要である。そのため、保線係員等の動力車操縦免許不保持者などでも操縦が可能であり、作業にあたり、同資格の取得や専門運転者の別途手配の必要がない。ただし、機械扱いであるため、最高速度は45km/hに制限されている上、本線上を走行させる場合は線路閉鎖を前提とする。また、軌道回路に影響を与えないよう車輪は電気的に絶縁構造となっており、軌道回路を用いた列車検知装置や自動踏切等には反応しない。このため走行に当たっては、線路閉鎖の手続きのみならず、在線状況の確認や分岐器の進路転換の際運転指令所や信号扱所との慎重な打合せを要し、踏切も手動で作動させる等、特別な取扱いが必要である。


 
貨車移動機と混同されることがあるが、モーターカーは保線作業用動力車であり、貨車移動機は貨車の入換用動力車である。また、貨車移動機は信号等に反応するよう車輪は絶縁車輪ではなく通常の車輪を使用している。共通の基本設計に基づいて製作されたモーターカーと貨車移動機も存在するが、仕様は明確に区別されている。


諫早駅 /長崎本線

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明治31年開業の諫早駅は、諫早市の中心駅で、長崎県内で2番目に利用者が多い。当駅を経由する全列車が停車します。JR九州と島原鉄道の共同使用駅であるが、駅自体はJR九州が管轄。


JR九州の長崎本線と大村線、島原鉄道の島原鉄道線の計3路線が乗り入れています。大村線は諫早駅が終点、島原鉄道線は当駅が起点です。JR九州における当駅の所属線は長崎本線です。雲仙・島原方面への玄関口として、駅前からは各方面へのバスが発着しています。


大村線の列車は全てが長崎本線長崎駅まで乗り入れています。長崎本線の普通列車は長崎駅から当駅で折り返す列車も多いため、長崎駅方面に比べて肥前山口駅方面は本数が減少する。
JRにおいてワンマン運転の際は諫早駅で精算方法が変わり、諫早駅 - 長崎駅間は長与支線を含めて車内精算を行わない。長崎県諫早市永昌町にある、九州旅客鉄道(JR九州)・島原鉄道の駅です。

終日、多くの利用者で賑わっている駅です。特急列車の利用者は博多駅方面へ向かう方が多いが、浦上駅・長崎駅までの自由席特急券が300円なので朝夕の通勤・通学などでの利用があります。特に朝に運行される「かもめ1・3号」では、大村線からの乗換利用者も含めて利用者が多いこともあり、普通車指定席(1号は2号車、3号は1号車の一部)の空席に自由席特急券で乗車可能の特例が設けられているが、そこも含めて通路も埋まる。普通列車も通勤通学で非常に利用者が多い。

諫早駅発着の「2枚きっぷ・4枚きっぷ」は長崎駅へ向かうもの(4枚きっぷ自由席)しか存在しないため、佐世保や福岡市内などへは長崎発着のものを購入する必要がある(福岡市内の場合、大村・竹松発着のものも存在するが、4枚きっぷは長崎発着のものより高い)。

駅舎は昭和9年、当時の古い木造駅舎ですが平屋建てで天井の高い駅舎です。駅の東側に位置しており、西側へは地下道でつながっています。1934年(昭和9年)完成で、木造洋館のような外観を持つ。1990年代末期に外観の塗色が従来の緑色から茶色に塗り替えられたがそのほかの大きな変化は無い。軒の形が特徴的です。


自動券売機およびみどりの窓口のある直営駅。駅舎入って左側は、待合スペースになっています。その奥には「ミスタードーナツ」があります。ベンチも完備している。自動改札機が6機設置され、2010年3月24日より使用を開始しました(長崎県内では長崎駅に次いで2番目)。JRの券売機に並んで島原鉄道の券売機も設置されています。

3面5線のホームを有する地上駅。駅舎側のホームは駅舎側が改札口と0番のりば、反対側が1番のりば、その奥が2番のりば、一番奥が島式の3・4番のりばという順である。これらのほか、4番のりばの奥には側線が数本ある。分岐器なしのホームは下り(長崎行き)が1番のりば、上り(湯江・大村方面)が4番のりばです。

0番のりばは島原鉄道専用ホームであり、頭端式で架線が張られていない。2番のりばは民営化後に設置され、長さは他のホームより短く、5両分程度しかない。特急「かもめ」は当駅止まりの202号を除いて1番のりばまたは4番のりばに停車するが、快速「シーサイドライナー」は特急待避のために2番のりば(長崎行き)または3番のりば(長崎行き、佐世保行きとも)に入ることもあります。
各ホームは地下道によって連絡し、エレベーターが2009年3月頃から順次設置された。3・4番のりばには売店があります。

のりば
0 ■島原鉄道線 本諫早・島原・島原外港方面
1 ■JR長崎本線 (下り) 長崎方面
2・3 ■JR長崎本線 (下り) 長崎方面
            (上り) 肥前山口・佐賀・鳥栖方面
■JR大村線     大村・ハウステンボス・早岐・佐世保方面
4 ■JR長崎本線 (上り) 肥前山口・佐賀・鳥栖・博多方面
    ■JR大村線 大村・ハウステンボス・早岐・佐世保方面

0番(島鉄)乗り場は一時期JRから分断されていたが、2003年4月1日から島鉄の改札業務がJRに委託され、JR乗り場と統合されました(中間改札なし。ホームを仕切る金網製のフェンスは存置されている)。降車する時は、ワンマン運転時は車内、車掌乗務時は0番ホーム上で精算の上、島鉄の乗務員より渡された出場証(諫早駅自動改札機非対応)を改札口で渡して出場する。0番乗り場脇には、JR線用の自動券売機が1台設置されている。自動放送導入駅。

島原鉄道とJRの渡り線について島原鉄道線は諫早駅0番ホームから数百メートルJR線と並走した後、左右に分かれるが、その並走区間の途中には、国鉄時代に島原鉄道の列車が国鉄へ乗り入れていた名残としてJR線から島原鉄道に接続する渡り線があります。この渡り線を使用して急行が長崎・佐世保・小倉まで乗り入れていた。直通列車の廃止により一度撤去されたが、雲仙普賢岳の噴火に伴い再び接続されました。


1898年(明治31年)11月27日 - 九州鉄道長崎線の駅として開業。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道が国有化される。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、長崎本線の駅となる。
1911年(明治44年)8月21日 - 島原鉄道の諫早 - 本諫早間が開業。長崎本線と島原鉄道の駅となる。
1934年(昭和9年)3月24日 - 有明西線の諫早 - 湯江間が開業。長崎本線・有明西線と島原鉄道の駅となる。
12月1日 - 有明東線と有明西線が繋がった事により、有明ルートが長崎本線となる。これに伴い、早岐 - 諫早間が大村線として分離され、長崎本線・大村線と島原鉄道の駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、長崎本線・大村線は九州旅客鉄道に継承。九州旅客鉄道と島原鉄道の駅となる。
2010年(平成22年)3月24日 - 自動改札機を設置。

電報略号 イハ
駅構造 地上駅
ホーム 3面5線
乗車人員
-統計年度- (JR九州)5,495人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1898年(明治31年)11月27日
乗入路線 3 路線
所属路線 ■長崎本線
キロ程 100.4km(鳥栖起点)
◄東諫早 (2.6km)(2.8km) 西諫早►
所属路線 ■大村線
キロ程 47.6km(早岐起点)
◄岩松 (7.6km)
所属路線 ■島原鉄道線
キロ程 0.0km(諫早起点)
(1.5km) 本諫早►
備考 共同使用駅(JR九州の管轄駅)
直営駅
みどりの窓口 有

 

改称 清流新岩国駅(御庄駅) 錦川鉄道錦川清流線

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清流新岩国駅は、山口県岩国市御庄にある錦川鉄道錦川清流線の駅。
H25.3.16御庄駅から清流新岩国駅に駅名改称いたしました。

本駅の北隣に山陽新幹線新岩国駅があり、新幹線の高架沿いに約300m(徒歩7分)の連絡通路で結ばれています。

岩国駅・川西駅と共に、清流線の旅の出発点となっています。新幹線駅前は区画整理が行われ新興住宅地が立ち並ぶが、元々の御庄地区の中心部は当駅周辺であり、岩国市立御庄小学校・岩国市立御庄中学校・岩国市中央公民館御庄分館などが当駅周辺に立地しています。


バスは岩国市交通局「御庄」バス停(1日3往復)が近くにあるほか、新岩国駅前のバス停を利用することになります。


川西駅方面から当駅へ入線(列車到着)する直前に、山陽新幹線の保線基地へ繋がる分岐線路および場内信号機があり、新幹線用レールを在来線経由で輸送する際に使用される。現在、保線基地入口フェンス部付近のレールは撤去されています。


盛土の上にある地上駅。単式1面1線のホームを持つ。かつては1面2線だったが、片側のレールは外されています。

新幹線の高架下から延々桜の木が植えてあります。無人駅であり、改札口はありません。

ホーム上には旧国鉄貨物のコンテナ緩急車の車掌室部分を改造した待合室があります。

屋根の端っこには「改造銘板」があります。

山陽新幹線新岩国駅の至近に位置するが、開業時から当駅は新岩国駅とは別の駅とされ(新岩国駅は運賃計算上は山陽本線岩国駅と同一とされた)、現在に至るまでダイヤの面でも乗り換えの便は基本的に考慮されていません。

また、路線の運営母体がJR西日本から錦川鉄道へと変わるまでは、弘済出版社(現在の交通新聞社)発行の時刻表にも、当駅が新岩国駅の最寄り駅であることは記載されていませんでした。

また、日本交通公社出版事業局(現在は分社化されJTBパブリッシング)発行の時刻表には、開業直後の1975年3月号には、当駅が乗換駅として記載されていたが、その後錦川鉄道に変わるまで記載されなくなっていた。


国鉄からJRにかけて、在来線に新駅を設けたり、既存在来線駅を移設して新幹線駅と同一駅にしたケースは多数あるが、近接する既存在来線駅と新幹線駅が当初から全く別駅の扱いとされたのは当駅のケースが唯一です。


なお、遅くとも旧岩日線が錦川鉄道に第三セクター化された時点からは、新幹線上り東京行き最終列車(2013年3月ダイヤではのぞみ64号)への接続が考慮されています。

すなわち、岩国駅から山陽本線上り列車で広島乗換えとするよりも、岩国駅から当駅経由で新岩国駅から新幹線に乗車した方が10分近く岩国駅を遅く出発することができます。

新幹線料金の違いや錦川鉄道の運賃加算もあるため、当然のことながら運賃は当駅経由の方が高い。


1960年(昭和35年)11月1日 - 日本国有鉄道(国鉄)岩日線の御庄駅として開業。
1975年(昭和50年)3月10日 - 山陽新幹線が開通し新岩国駅開業。本駅とは別駅とされる。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)が承継。
1987年(昭和62年)7月25日 - 錦川鉄道に移管。
2013年(平成25年)3月16日 - 新幹線新岩国駅との接続をアピールするために、駅名を清流新岩国駅に改称。

電報略号 ミシ
駅構造 地上駅(盛土上)


ホーム 1面1線
開業年月日 1960年(昭和35年)11月1日
備考 * 2013年に御庄駅から改称

 

幸駅 /島原鉄道島原鉄道線

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幸駅は長崎県諫早市幸町に所在する島原鉄道島原鉄道線の駅、周囲は市街地で、高層の集合住宅も見られます。駅近くの高校への通学利用が多く、線内でも利用者数は多い駅です。

線路の南側に単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームの小野本町方がスロープになっており、駅へはこれを使って出入りする。

駅の小野本町方には第17-2号踏切が設置されているため、駅の北側に出ることができる。駅舎は無いが、ホーム上に上屋を設置。待合室はありません。

また、ホームの下は一部,堀込み式駐輪場として活用されています。無人駅です。

2000年(平成12年)に新設された駅で、島原鉄道では最も新しい。
2000年(平成12年)3月11日 開業。

所属路線 ■島原鉄道線
キロ程 2.9km(諫早起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 300人/日
-2005年度-(島原鉄道線内44駅中第12位)
開業年月日 2000年(平成12年)3月11日

 

 

LM-206 げんうん 23メートル型灯台見回り船

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LM-206 げんうん 23メートル型灯台見回り船・LM「はくうん」型

離島など沿海域を担当する中型の灯台見回り船です。1番船就役後、数年置きに「同型船」が建造されているため、すでに1〜3番船はリタイアしており。最新船「こううん」は11番船になります。20年以上の長期にわたり整備されているため、操舵室を大型にしたり船尾にセレスを設けるなど、逐次改正が加えられています。公称船型は「23メートル型灯台見回り船」。


竣工:H08.03.19
造船所:ニッスイマリン
管区:第六管区
配置:徳山

●総トン数:50t/
●主要寸法:全長23.5m×幅6.0m×深さ2.8m
●エンジン:ディーゼル2基2軸 出力:1080PS
●速力:約15.2kt
●船質:高張力鋼
●航続距離:
●乗員:10名
●主要装備:なし

 

干拓の里駅 /島原鉄道島原鉄道線

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干拓の里駅は、長崎県諫早市小野島町に所在する島原鉄道島原鉄道線の駅です。駅の南側を国道57号が東西に走ってます。駅の南東にある尾崎交差点で、国道から県道124号が北側に分かれています。遊園地諫早ゆうゆうランド 干拓の里へは歩いて15分の連絡となります。

線路の北側に単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームの森山方がゆるい坂になっており、駅へはこれを使って出入りする。駅舎は無いが、ホームの森山方に上屋を設置。自転車置場には屋根がありません。無人駅です。


待合所にはくたびれた木製の長椅子が設置されています。

1995年(平成7年)4月20日 - 開業。

 

諫早ゆうゆうランド干拓の里は、諫早市公共施設として平成6年11月13日にオープンいたしました。諫早湾干拓にまつわる資料を展示した「干拓資料館」をはじめ、諫早の母なる川“本明川”から“有明海”に生息する生物を展示した「むつごろう水族館」、初心者から本格的な乗馬まで楽しめる「馬事公園」、また一日中のんびり、のびのびと遊ぶことができる自転車やボートなどの「遊戯施設」などが、面積12.5ha(約4万坪)の広大な敷地に点在する複合遊園施設となっています。

 

所属路線■島原鉄道線
キロ程5.5km(諫早起点)
駅構造:地上駅
ホーム:1面1線
乗降人員
 -統計年度-
176人/日 -2005年度-(島原鉄道線内44駅中第19位)
開業年月日:1995年(平成7年)4月20日

 

 

 

 


 

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