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夜須駅 土佐くろしお鉄道阿佐線

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夜須駅は、高知県香南市夜須町千切573-39にある土佐くろしお鉄道阿佐線(愛称:ごめん・なはり線)の駅。駅番号はGN33。駅南方には「ヤ・シィパーク」(道の駅やす)があり、道の駅や海水浴場などの施設があります。

駅の北方を国道55号が走っています。また、国民宿舎、リゾート系のホテル、ゴルフ場も車で10分程度の距離の範囲にある。仮称は「手結駅」(ていえき)でした。土佐電気鉄道安芸線時代は、付近に「手結駅」があり、現香我美駅付近にあった岸本駅との間に、月見山駅が設けられていました。安芸線手結駅で折り返す列車も設定されており、市内線からの直通車は「てい」と書かれた看板を取り付けていました。

交換設備を備えた島式1面2線のホームを持つ駅舎の無い高架駅です。1番線を上下主本線、2番線を上下副本線とした一線スルーとなっており、設備も両方向の入線・発車が想定されているが、現在のところホームは方向別に使い分けられている。


駅員無配置であるが、ホームへの階段の踊り場に乗車券自動販売機が設置されています。また、地上とホームを結ぶエレベーターも設置されています。

ホームが短いため、後方確認ミラーは階段入口に取り付けられています。
ホーム  路線      方向   行先
1   ごめん・なはり線  上り   安芸・奈半利方面
2   ごめん・なはり線  下り   後免・高知方面

イメージキャラクターの名称は「やす にんぎょちゃん」。人魚をモチーフにしたキャラクターです。このキャラクターのモニュメントは他駅と異なり地上の駅前広場に設置されています。

2002年(平成14年)7月1日 - 開業。
なお、1974年(昭和49年)3月31日まで、土佐電気鉄道安芸線に夜須駅が存在したが同線の廃止により廃駅となっている。

電報略号 ヤス
駅構造 高架駅
ホーム 島式 1面2線
開業年月日 2002年(平成14年)7月1日
備考 無人駅

 

 

 

 


20メートル型(汎用)巡視艇「ひめぎく」型 CL-141 巡視艇しらぎく

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CL141 しらぎく

全 長  19.6m
型 幅   4.5m
型 深  2.3m
総トン数  25トン
竣 工 2007年3月

20メートル型(汎用)巡視艇「ひめぎく」型
●総トン数:23t/満載排水量:19t
●主要寸法:全長20.0m×幅4.3m、4.5m(CL46、CL58~CL73、CL76以降)×深さ2.3m
●エンジン:ディーゼル2基2軸 出力:1820PS (CL69~CL71、CL92.93、CL114はウォータージェット2基) 出力:1820PS
●速力:約30kt
●船質:高張力鋼
●航続距離:160浬
●乗員:5名(後期型は6名)
●主要装備:なし
●航行区域:沿海(制限付)

船名は、「朝風」「富士風」という、気象天象に関するものや、「土佐水木」「山百合」など、地域に因んで命名されている。老朽化した巡視艇の代替えとして、目下鋭意建造されている巡視艇です。海上保安庁の量産記録(96隻建造)を保持していた、巡視艇「ちよかぜ」型の代替を終了し、なおも巡視艇「やまゆり」型の代替のため建造され続けています。既に160隻以上が建造され、現在も同型巡視艇の”量産記録”を更新し続けています。
整備期間が長期にわたっているため、大きく4つのバージョンに分かれています。定員を1名増やし、船幅を20センチ大きくした6名定員艇の後期タイプ(幅広型)、推進器をウォータージェットにしたタイプ、放水銃を廃止して防弾性を向上させた警備機能強化型などのバリエーションがあります。配属地の関係で、冷房を強化した南方型、暖房を強化した北方型もあります。
CL-36「きりかぜ」は海上環境業務強化指定船、CL-50「はまかぜ」は鑑識業務指定船に指定されています。
本船をベースに 灯台見回り船「ひめひかり」型 が作られています。また、その「ひめひかり」型は、平成20年4月1日付けで、全艇 CL型巡視艇「しらうめ」型 に区分変更されています。
H19年度末、ネームシップ「CL-11 すずかぜ」が、配置替えに伴い艇名を「ひめぎく」と改めたため、それに伴い本船型を「すずかぜ」型から「ひめぎく」型に変更表記されました。CL129「やまゆり」には、平成16年4月、全国初となる女性のCL型巡視艇船長が就任した。CL134 あやめ(平成14年12月16日就役)以来建造が無かったが、平成18年度概算要求で、8隻の建造が計上されている。

 

4月2日(木)のつぶやき

伊里駅 JR西日本)赤穂線

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伊里駅(いりえき)は県道261号とブルーラインの間、岡山県備前市穂浪にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)赤穂線の駅です。

伊里駅のあたりは、線路はほぼ伊里川にそっている。集落から少し外れて位置するため、周囲は閑散としています。

沿いのわずかな平地に工場や住宅がある。ロータリーがある。商店等はない。

改札は1ヶ所で岡山方面に向かって左側に単式1面1線のホームを持つ地上駅(停留所)。駅舎は平屋のコンクリート造駅舎です。ホームは嵩上げされていない。

かつては交換可能駅だったが現在は行違いのできない棒線駅のため、岡山方面行きと播州赤穂方面行きの双方が同一ホームに発着する。


東岡山駅管理の簡易委託駅で、駄菓子等を販売する売店を併設。マルス端末・POS端末・自動券売機・自動改札機は設置されておらず、携帯車発機により乗車券を発行する。

かつて駅舎内で「伊里駅食堂」という飲食店が営業して話題になった駅ですが、現在は閉店しその店舗跡には民間企業が入居している。待合室には造り付けの木製長椅子が設置されています。駅前には無料の駐輪場、トイレがあります。

電報略号 イリ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線


乗車人員
-統計年度- 286人/日(降車客含まず)
-2011年-


開業年月日 1958年(昭和33年)3月25日
備考 簡易委託駅

備前片上駅 JR西日本)赤穂線

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備前片上駅(びぜんかたかみえき)は、岡山県備前市東片上にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)赤穂線の駅である。

東岡山駅管理の簡易委託駅。当初は片上地区に拠点となる駅を設けようとしたが、片上地区は平地が狭いために待避設備等を持つ駅が建設できず、やむなく東側に離れた場所に設置された。このような経緯から片上地区の中心地に近い場所に西片上駅が設置されている。


朝晩には当駅折り返しの岡山方面への列車が設定されている。2000年(平成12年)3月10日までは大阪駅からの「快速」(外側・列車線走行で須磨駅・垂水駅・舞子駅は通過)や米原駅への「快速」も設定されていた。備前市の代表駅ではあるが、市街中心からは外れているため利用者は、それほど多くありません。

国道2号線を少し南に入った場所にあり、駅前にはロータリーがある他、住宅地や飲食店、商店等もあります。備前市役所へは歩いて20分ほどで行くことが出来ますが、備前市役所へは1つ先の西片上駅からのほうが近い。

単式1面、島式1面の複合型2面3線のホームを持ち、列車交換や折返しが可能な地上駅。ホームは嵩上げされていない。平屋のコンクリート造駅舎です。単式の1番のりば側に駅舎があり、駅舎の横に乗務員詰所が2棟ある。

島式の2・3番のりばへは屋根無しの跨線橋で繋がっている。かつて貨物を取り扱っていた名残で構内は比較的広く、現在も2本の留置線があるが、当駅で2本設定されている夜間滞泊は留置線を使用せずに1、3番のりばを使用している。


委託の窓口が営業、マルス端末・POS端末・自動券売機・自動改札機は設置されておらず、乗車券の発券は携帯車発機によって行われ、COCAもサービスエリア外で使えない。

改札口はラッチが撤去された跡が見られます。さほど広くない待合室にはFRP製の椅子が背中合わせに設置されています。

備前片上駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■赤穂線 下り 岡山・福山・新見方面
2 ■赤穂線 上り 播州赤穂方面
3 ■赤穂線 下り 岡山・福山・新見方面 当駅始発の一部


1番のりばが下り本線、2番のりばが上り本線である。3番のりばは上下副本線であり、播州赤穂方面への出発も可能であるが、2010年(平成22年)3月13日改正現在は設定がなく、線路の播州赤穂寄りは錆びついてしまっている。
1番のりばは岡山方面からの折り返しが可能であるが、待機時間の関係上3番のりばで折り返す列車も少ないながら設定されている。

1958年(昭和33年)3月25日 - 日本国有鉄道赤穂線が日生駅から伊部駅まで延伸すると同時に開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。

電報略号 カミ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線


乗車人員
-統計年度- 163人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1958年(昭和33年)3月25日
備考 簡易委託駅

 

国鉄トラ45000形貨車

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国鉄トラ45000形貨車は、日本国有鉄道(国鉄)が1960年(昭和35年)から製作した貨車(無蓋車)です。

第二次世界大戦前に製作された雑多な二軸無蓋車の廃車補充のため、1960年(昭和35年)から1963年(昭和38年)にかけて8,184両(トラ45000 - トラ53183)が日立製作所、若松車輌等で製作されました。
妻面や床板に鋼板を用いた半鋼製車で、全鋼製のトラ55000形・トラ70000形とともに二軸無蓋車の主力形式として使用される。1984年(昭和59年)2月国鉄ダイヤ改正以後も使用停止されることなく残存し、一部はJRに承継され継続使用されました。
国鉄分割民営化後は車扱貨物列車の減少が進行して営業上の用途を喪失し、特殊品目の輸送用(事業用)として少数が残存しています。

妻面はプレス鋼板、床板は 6 mm 厚の鋼板を用いる半鋼製車体で、側面の「あおり戸」のみ木製である。外部塗色は黒色です。
懸架装置は二段リンク式で、最高速度は 75 km/h である。ブレーキ装置は、国鉄貨車で汎用的に使用されるK三動弁を用いた自動空気ブレーキと、足踏みテコ式の留置ブレーキを片側の側面に備えています。
荷重は 17 t であるが、容積の大きい嵩高貨物の積載時には 15 t を上限とする。この運用方を識別するため、車体に表示する記番号は符号 " コ " を前置し、 " コ トラ " と標記する。

1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化の際には、西日本旅客鉄道(JR西日本)に5両(トラ145260、トラ147372、トラ148533、トラ149687、トラ15287)、四国旅客鉄道(JR四国)に1両(トラ152462)、日本貨物鉄道(JR貨物)に39両の計45両が承継された。2007年4月時点では、JR西日本が3両、JR四国が1両、JR貨物が30両の計34両に減少している。
JR四国以外の残存車は配給物資輸送用・特殊輸送用として使用されるもので、JR貨物広島車両所では事業用車両として車体を緑色とした車両が存在する。同所で使用されるワム80000形と異なり「SUPPLY LINE」の表記はありません。

 

4月4日(土)のつぶやき

志井駅 日田彦山線

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志井駅は、福岡県北九州市小倉南区大字志井にある、九州旅客鉄道(JR九州)日田彦山線の駅です。志井鷹羽台などの住宅街が広がり、駅の北側を九州自動車道が通る。

駅周囲は長閑な田園風景で利用客も少なく閑散としています。


小倉南区志井一丁目に所在する北九州高速鉄道(北九州モノレール)小倉線の志井駅へは、直線距離で2km以上の距離がある。モノレールへの徒歩連絡は隣の志井公園駅とモノレール企救丘駅が約400mと近い(制度上の乗換駅ではない)。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。昭和36(1961)年12月改築された駅は平屋の鉄筋コンクリート造駅舎です。駅の左右に車を寄せる程度のちょっとした空間がありますが、駅舎正面は路地のような狭さです。駅名表示は駅入口の屋根にあります。

互いのホームは屋根無しのカギ型跨線橋で連絡しています。上りホームには簡易な待合所が設置されています。
無人駅でかなり荒れた感じを受ける駅となっています。JRの特定都区市内制度における「北九州市内」の駅です。

狭い待合室に長椅子が1脚設置され業務部分は壁で閉鎖されています。

1933年(昭和8年)10月23日 - 小倉鉄道により開業。
1942年(昭和17年)6月10日 - 廃止。
1943年(昭和18年)2月25日 - 再開業。
1943年(昭和18年)5月1日 - 戦時買収により小倉鉄道が国有化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

キロ程 6.8km(城野起点)
電報略号 シイ
駅構造 地上駅
乗車人員
-統計年度- 106人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1943年(昭和18年)2月25日
備考 無人駅
九 北九州市内駅

 

 


4月6日(月)のつぶやき

国鉄トキ25000形貨車

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国鉄トキ25000形貨車は、1966年(昭和41年)から1976年(昭和51年)にかけて製造された、日本国有鉄道(国鉄)の無蓋貨車です。

第二次世界大戦終結直後から量産された大型無蓋車トキ15000形の廃車補充を目的として製作されました。4,500両が製造され各地で汎用的に使用されました。1980年代以降は輸送形態の変化で用途は漸次縮小し、JR移行では約800両が承継された。現在ではコンテナへの移行や輸送自体の廃止が進行し、特定品目に使用される少数が残存するのみです。

1974年(昭和49年度) - 100両
第四次債務車
川崎重工業 100両 (トキ29400 - 29499)

妻板と「あおり戸」はプレス成型された耐候性鋼板、床板に平鋼板を用いた全鋼製車体です。1967年製以降の車両には床板に転動防止用の埋木を設ける。自重はトキ15000形より僅かに軽い約 16.2t で、荷重は 1t 増加した 36t である。これを識別するため、車体に表示する形式称号には 「オ」を記号の左上に小書きし、 「オトキ」 と標記される。外部塗色は赤3号です。


台車は重ね板バネの枕バネ および 密封コロ軸受の軸箱装置を採用したベッテンドルフ式のTR209形(トキ25000 - 26299)TR209A形(トキ26300 - 28649)を用いた。後期製作の車両は、枕バネをコイルバネに変更したTR213形(トキ28650 - 29399)TR213B-1形(トキ29400 - )を用いる。


1976年製の車両(トキ29400 - )は車体の仕様を変更し、外板のプレス鋼板を廃し平板組立としています。従来車にも平板仕様に改造された車両が存在するが、後期車とは板の振り分け位置が違うため形態が異なります。

石原町駅 日田彦山線

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石原町駅は、福岡県北九州市小倉南区大字新道寺にある、九州旅客鉄道(JR九州)日田彦山線の駅です。駅名の「石原町」は当駅の北西にある地名です。


北九州国定公園の平尾台へ行くバスに接続しており、ハイカーなどの利用があります。平尾台観光タクシー・北九州市おでかけ交通(平尾台線)平尾台アクセスのための交通機関。定期運行便は水曜と土日休日のみ運行されるほか、あらかじめ希望の日時を伝えて利用できるオンデマンド便もある。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。

駅は小倉鉄道開業時からと思われる木造駅舎です。駅舎内部の天井は、なかなか凝ったデザインとなっています。

互いのホームは構内踏切で連絡しています。駅舎は単式ホーム側にあります。以前は構内に貨物ヤードがあり石灰石鉱山(三菱マテリアル)への専用線も分岐していました。


九州交通企画が駅業務を行う業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されていますが券売機は未設置です。待合室にはFRP造り付けの長椅子があります。


JRの特定都区市内制度における「北九州市内」の駅です。

1915年(大正4年)4月1日 - 小倉鉄道の石原町駅(いしわらまちえき)として開業。
1943年(昭和18年)5月1日 - 小倉鉄道の国有化により、国鉄の駅となる。同時に「いしはらまち」に呼称変更。
1971年(昭和46年)10月20日 - 専用線発着を除く貨物の取扱を廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取扱を廃止。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、九州旅客鉄道・日本貨物鉄道が継承。
1996年(平成8年)3月16日 - 貨物列車の設定廃止。
当駅と呼野駅の間から分岐し、三菱マテリアル東谷工場(現・東谷鉱山)へ至る専用線があり、同工場から黒崎駅まで石灰石輸送が行われていた。
また、住友セメント小倉工場への専用線も三菱マテリアル専用線から分岐していた。
1999年(平成11年)3月31日 - JR貨物の駅(貨物の取扱)が廃止。

電報略号 ラマ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 200人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1915年(大正4年)4月1日
備考 業務委託駅
九 北九州市内駅
* 1943年までは「いしわらまち」で呼称。

 

 

八九式15糎加農砲

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独立重砲兵第100大隊で運用され沖縄戦に投入されていた第137号砲(1942年・大阪陸軍造兵廠製)

八九式十五糎加農(はちきゅうしきじゅうごせんちかのん)は、1920年代から30年代初期にかけて開発・採用された大日本帝国陸軍の加農(加農砲)。俗称は八九式十五糎加農砲(はちきゅうしきじゅうごせんちかのんほう)。
支那事変(日中戦争)・ノモンハン事件・第二次世界大戦における帝国陸軍の主力重加農として、主に軍司令部直轄(「軍砲兵」)の独立(軍隊符号:s)の称呼を冠する「独立重砲兵(Fes)」が運用した。

本砲は陸軍技術本部の新たな兵器研究方針のもと、1920年(大正9年)7月に研究が始まった。1922年(大正11年)10月に設計が完了し、陸軍重砲兵学校などにおける各種試験を経て1929年(昭和4年、皇紀2589年)10月に八九式十五糎加農として制式制定された。ただし制定後に砲脚を閉脚式から開脚式に改めるなど大改修が行われており、これは1931年(昭和6年)10月に終了した(同年9月に勃発した満州事変には、急遽生産された改良途中の試作に近い本砲2門が投入されている)。改修を経て完成した第5号砲は機能良好と認められ、これに基づき製作・正式図も修正、1933年(昭和8年)4月に改正制定された。
駐退復座機を備え、口径149.1mm・砲身長5,963mm(40口径)、三層々箍砲身で腔線は右方向に傾度7度で旋回、楔状腔綫が40条切られ、溝深さは1.5mmである。発射速度は毎分約1発で、砲弾には弾丸重量40.60kg・威力半径60mの九三式榴弾および、弾丸重量40.20kg・威力半径40mの九三式尖鋭弾を、装薬(薬嚢)には射距離によって一号装薬と二号装薬を使い分けた。最大射程は尖鋭弾と一号装薬を使用し18,100m。方向射界は広く左右40°であり、砲の架尾を移動することなく広範囲の射撃正面幅をもつ。
移動には本砲を砲身車(砲身を搭載)と砲架車(揺架や陣地設営材料等を搭載)に分け前車を付し、それぞれ九二式八屯牽引車(砲兵トラクター)により、常速度8km/h(急速度12km/h)で牽引された。射撃(砲撃)にはこの二車を結合して放列姿勢(射撃体勢)を整える必要があり、これには2時間程度の時間を要していたため、1940年(昭和15年)に単車牽引式に改めた試製装輪十五糎加農を開発、これは単車八九式十五糎加農として採用・整備された。単車八九式十五糎加農の牽引には九五式十三屯牽引車が使用された。

初の実戦投入は試製砲が従軍した上述の満州事変であり、改正制定後は大阪砲兵工廠で量産に移行、引き続き日中戦争に投入された。1939年(昭和14年)のノモンハン事件には穆稜重砲兵連隊の本砲8門を含む80門強の数の重砲・軽砲が投入され、ソ連労農赤軍砲兵陣地に対し7月23日から翌24日至るまで計28,000発の砲撃を行ったものの、ノモンハンの地形上の制約(ソ連軍砲兵陣地が砲列を布くハルハ河西岸は日本軍砲列より標高が高い)などから間接射撃において弾着観測を十分に行うことができず、また赤軍の長射程砲と圧倒的な弾薬量の前に苦戦した。
しかしながら本砲が本格的に動員された太平洋戦争緒戦における一連の南方作戦では、軍直轄砲兵たる第1砲兵隊(第1砲兵司令部)隷下の独立重砲兵第2大隊および第3大隊の16門が香港の戦い、独立重砲兵第2大隊の8門がシンガポールの戦いにてイギリス軍と、独立重砲兵第9大隊の8門がフィリピンの戦いにおける第二次バターン半島攻略戦・コレヒドール島砲撃戦ではアメリカ極東陸軍と戦火を交え、その長射程大火力を発揮し活躍している。なかでもシンガポール戦においてイギリス陸軍の極東軍司令官(現地最高指揮官)、アーサー・パーシバル陸軍中将が降伏を決意したのは、官邸付近に落下した本砲の弾丸の威力に脅えた夫人に(降伏を)強要されたためであった。
緒戦以降も連合軍に対する日本軍の貴重な大火力として各方面に投入されたが、次第に戦況の悪化により、攻城戦向きで機動性が低い重加農の運用自体は難しくなっていった。しかし、1945年(昭和20年)の沖縄戦において本砲8門を擁する第32軍(司令官・牛島満中将)第5砲兵司令部隷下の独立重砲兵第100大隊(大隊長・河村秀人中佐)は、洞窟を利用し陣地を構築したうえでそこに砲を隠匿、加農の弾道の低伸性や長射程を生かした神出鬼没の不規則砲撃を行い、また首里からアメリカ軍制圧下の嘉手納飛行場に対しても砲撃を行うなど玉砕に至るまで2ヶ月に渡り活躍した。

口径 149.1mm
砲身長 5.963m(40口径)
最大俯仰角 -5~+43°
方向射界 左右20°
全重量 10.42t
弾丸重量 40.2kg
初速 734m/sec
最大射距離 18,100m

呼野駅 JR九州 日田彦山線

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呼野駅は、福岡県北九州市小倉南区大字小森にある、九州旅客鉄道(JR九州)日田彦山線の駅です。国道322号線から少し高台に上ったところに呼野駅はあります。

単式ホーム単式1面1線を持つ地上駅。木造駅舎があったが1990年代に撤去され、現在はホームと待合所のみとなっている。

ホーム待合所にはFRP製の椅子が設置されています。

ホームへは通路で直接連絡しています。ホームに面して採石場があります。かつてはスイッチバックが存在したが、1983年に廃止されました又セメント会社の専用線が分岐していました。

広い構内にその名残理が残っています。
無人駅である。JRの特定都区市内制度における「北九州市内」の駅であり、日田彦山線においては、当駅が最も南となる。

旧ホームの出入口案内。

側線とスイッチバック跡です。

駅舎跡には何もありません。

1915年(大正4年)4月1日 - 小倉鉄道の駅として開業。
1943年(昭和18年)5月1日 - 小倉鉄道が戦時買収され、日本国有鉄道の駅となる。


1969年(昭和44年)10月1日 - 貨物取扱廃止、同時に日本セメント(現太平洋セメント)専用線廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR九州に移管。

電報略号 ヨフ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線


乗車人員
-統計年度- 94人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1915年(大正4年)4月1日
備考 無人駅
九 北九州市内駅

 

水産庁漁業取締船 あらさき

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水産庁漁業取締船 あらさき 499トン

現在の日本では原則として、都道府県知事が許可する知事許可漁業の漁業取締りは都道府県漁業取締船が行い、農林水産大臣が許可する大臣許可漁業の漁業取締りは水産庁漁業取締船が行うが、水産庁も司法警察権を行使し知事許可漁業への取締り権限を有する。また、水産庁取締船が外国漁船の違法操業に対しては拿捕などの主権行使を行っている。


水産庁では、漁業取締りを目的として、6隻の漁業取締船を保有しているが、日本の周辺海域を管理するためには、極めて貧弱な勢力である。
特に、漁業専管水域を200浬として以降は、極めて広大な海域となっている。
更には、日本の周辺海域は、豊富な好漁場であると共に、諸外国を含めた密漁乱獲が後を絶たない。
その為、水産庁では、不足する所用隻数を、傭船の形で編成に加えている。
当初は余剰となった漁船の転用が多かったが、昨今では、専用の船舶で代替建造も進んでいる。

その装備だが、基本的に銃砲等の武器は搭載していない。
が、放水銃が装備されており、必要に応じて制圧に使用される。
船橋上には探照灯やカメラが装備されている。
このほか、ゴムボートが搭載されており、移乗等に使用される。
煙突には、水産庁を示すファンネルマークが表記されている。
船橋横などには「水産庁」と表記されているが、水産庁保有の船舶にはほとんど記載されていない。

日本では、不法操業など、漁業に関する取締りは、基本的に水産庁の職責である。水産庁は、水産資源の適切な保存及び管理、水産物の安定供給の確保、水産業の発展並びに漁業者の福祉の増進を図ることを任務とする海の行政機関である。テレビ番組などでは不法操業の漁船の拿捕に海上保安庁の巡視船や巡視艇がよく登場するが、領海侵犯の類以外の漁業取締り自体は、あくまでも水産庁に協力しているに過ぎない。水産庁の漁業監督官及び都道府県の漁業監督吏員には漁業法に基づく特別司法警察職員に指名されている者もあり、漁業監督官は行政警察活動として漁船を臨検する権限を持つ。漁業に関する法令にかかる事件については、警察や海上保安庁に頼ることなく逮捕から送検まで水産庁が単独で執行することが可能である。それでも、警察や海上保安庁とは相互に協力関係を保ち、漁業取締りを行っている。
水産庁では、操業の監視や密漁の取締りといった行政警察活動を目的として、6隻の水産庁所有の漁業取締船を保有している。しかし、日本が有する広大な海域を6隻でカバーするのは不可能なため、民間から「やまと」「むさし」「ながと」以下30隻程度の船舶及び航空機をチャーターしており、これらによって、全国の漁場の監視や不法操業の摘発、違法に設置されている漁具の強制撤去処分を行っている。傭船については、船舶の操船は船会社の船員が行い、漁業取締り任務は、乗り込んだ水産庁漁業監督官が行う。船員は、漁業監督官の職務を補助する。


日常の業務は、排他的経済水域をめぐり、監視中に出会う漁船を停船させて立ち入り検査(臨検)することである。日本の排他的経済水域内にいる全ての漁船は、漁業法の定めにより水産庁の立ち入り検査を拒むことは許されない。立ち入り検査とは、漁船に積んでいる漁獲物の重さを計量し、「操業日誌」の記載と比較して整合性を確認する取締行動である。もし、量が合わなければ、密漁の容疑者として船長らを検挙することとなる。検挙を行う際は、現行犯を除いて、裁判所より逮捕令状の発布を受けて執行される。違法漁具の押収についても、洋上で取締船がこれを発見すると、無線で漁業調整事務所に連絡して事務所員を裁判所に赴かせ、令状の発布を受けた旨を連絡されてから執行される。近年は、事件の大半が九州沖または小笠原諸島沖で発生している。ほとんどの密漁者は、検挙されても素直に服従するが、一部の不法操業漁民のなかには抵抗する者がおり、単なる密漁が暴力事件へと発展したこともある。実際に起きた事件の一例には、対馬の沖で違法操業を行なった複数隻の韓国籍漁船が水産庁の停船命令を拒否して追跡を受けた際、そのうちの1隻に乗った韓国人密漁者が開き直って漁船を異常接近させたため、漁業監督官が船首にある砲塔から放水砲を発射して実力規制したところ、放水を浴びて逆上した密漁者が取締船に漁船を自ら体当たりさせて転覆、自沈をした事例がある(双方ともに無事だった)。
水産庁では、海上保安庁とは違って強行接舷や飛び乗りによる実力規制を控えている。立ち入り検査も、針路妨害や警告を実施して対象を停船させてから実施しているため危険度が低いとされ、殉職事故は現在まで発生していないが、容疑者に物を投げつけられて軽傷者が出たことがある。水産庁は監督官に特殊警棒を活用した護身術の訓練を施し、防護のためボディアーマーと安全靴を着装させる。更に安全帽と関節保護用プロテクター、防刃手袋を着装して立ち入り検査に万全を期している。
現行の法令では、水産庁の漁業監督官及び都道府県の漁業監督吏員には拳銃など銃器での武装は全く認められていないため、密漁の容疑者からの暴力を受けた場合は、特殊警棒による護身術で取り押さえる。あくまでも、護身術であって逮捕術ではない。 もしくは船首の砲塔に備え付けている放水砲の発射、音と光による威嚇、ミロク製カラーボール発射装置の使用による実力規制しかできない。なお水産庁では、カラーボール発射装置のことを「銃」と呼称している。

遠洋への進出や、排他的経済水域での長期間にわたる監視活動のため、速力ではなく航続力を重視し、遠洋型の船舶を用いる。船舶には、煙突や船橋に水産庁の紋章が掲示されている。高速を出せる船の数は少ない。長期間にわたる監視活動の中で精神衛生を保つため、乗組員は勤務時間外に船内で一定量を飲酒することが認められている。全国で41隻体制を目指している。
基本的に、以下の装備が備えられている。水産庁が取締目的でチャーターしている船にも、同等の装備が艤装される。
放水砲(船首に砲塔があり、立ち入り検査時に甲板上にいる容疑者の抵抗阻止のために使用)
サーチライト
拡声器
電光掲示板
暗視装置つきビデオカメラ(一部が装備)
取締艇(船に搭載されている高速の複合艇。立ち入り検査時に使用)

尚、水産庁の管轄海域は基本的に外洋であり、領海内については、各都道府県の管理となっている。

 


隻数
平成15年1月現在とされる資料によれば、32隻の傭船が活躍しているようである。


船舶一覧。
基本的に公式なものがないため、過去の資料の総和であり、現在の状況を示しているものではない。
あらさき、あらつ、いきつき、かちどき、かなえ、かなざわ、くろさき、しんゆう、しんりゅう、せとうち、第17利丸、第18利丸、第27京丸、たつまい、ながと、なのつ、はつたか、はやま、へいせい、みうら、むさし、やまと、雄洋丸、海鳳丸、海嶺、共新丸、昭南丸、新白鷹丸、新寶洋丸、第21興南丸、第22興南丸、第23興南丸、第一京丸、第五平成丸、第五洸洋丸、第十一利丸、第二共新丸、第二十五利丸、第二昭南丸、鷹山、北臨丸、勇新丸、雄山丸、雄翔丸、龍星丸、洸星丸

阿波池田駅 JR四国)土讃線

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阿波池田駅は徳島県の最西部、吉野川の上流、徳島県三好市池田町サラダにある。

四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅。三好市の代表駅で、全列車が停車する。

四国旅客鉄道:土讃線 (D22)/徳島線 (B25) - 路線上の起点駅は隣の佃駅だが、運転系統上は当駅が起点となっており、徳島線としての駅番号も割り当てられています。

山間にありながら、当駅を始終発とする列車が多く、非常に広い構内を有しています。1970年から80年代における高校野球での活躍で知られる徳島県立池田高等学校があります。当駅のある池田町サラダという地名は、珍地名として知られる。

島式3面5線ホームの地上駅。入口に大きな三角屋根を持つ木造駅舎です。

2011年に完成した1番ホームを除き、跨線橋にて連絡。ホーム南側に留置側線が多数ある。

なお、四国のJR駅で5線以上のホームがあるのは、4面9線の高松駅と当駅のみである。

2011年3月より上下本線の(新)1番線を使用開始した。ホームにはミニチュアかずら橋があります。


終日社員配置(駅長配置)駅。土讃線多度津~高知間の運行管理を行う阿波池田駅制御所が併設されている。待合室には券売機が2台設置され長椅子が多数設置されています。


駅舎内の西端部には、かつて立ち食いそばの店舗が存在したスペースを改装し土産物店を兼ねた喫茶店「ちゃみせ」が軒を構えている。一方、東端部には観光案内所を兼ねたみどりの窓口(窓口営業時間「05:30~23:00」)が設置されている。


このほか、駅構内には駅コンビニ「ビッグキヨスク」、駅レンタカー営業所も置かれている。
トイレは改札外に男女別水洗式が設けられている。近年改装され、エアータオルも設置されている。


乗り場はおおむね、1番線が土讃線特急、3番線が徳島線特急、4番線が徳島線普通列車、5番線が土讃線普通列車という使い方がされるが、土讃線普通列車については発着番線が一定しておらず、上りは4番線以外から、下りは2番線以外から発車する。

かつてはホームにのみ電照幕式の発車案内が設置されていたが、後に撤去され、新たにLED式の発車案内がホームと改札口に設けられた。


駅スタンプは約30年前に盗難に遭って以降は同じデザインのものは設置されていなかったが、臨時列車「たらぼけ号」を企画した鉄道カメラマンの坪内政美が当時のものを復刻し、2012年に寄贈した。

土讃線と徳島線が合流するのは当駅から1駅隣の佃駅だが、特急列車は通過する。

このため、特急列車で徳島線徳島方面と土讃線多度津・高松方面を利用する場合は、分岐駅通過の特例により佃駅と当駅間を往復できる。ただし、当駅での途中下車はできない。


土讃線の普通列車おおむね当駅を境に系統が分割されているが、接続はあまり良くない場合が多く、なかには接続時間が2時間近くにわたる事例もある。

電報略号 イケ
駅構造 地上駅


ホーム 3面5線
乗車人員
-統計年度- 727人/日(降車客含まず)
-2010年-


開業年月日 1914年(大正3年)3月5日
備考 駅長配置駅
みどりの窓口 有

駅前通り商店街(徳島県道161号阿波池田停車場線)、栄町商店街、銀座街 8月13日から16日の間、「いけだ阿波踊り」の会場となる。

1914年(大正3年)3月25日 - 開業。
1969年(昭和44年)10月1日 - 配達の取扱を廃止。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。


同和鉱業片上鉄道ワム1800形(国鉄ワム80000形貨車)

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ワム80000形は、日本国有鉄道(国鉄)が1960年(昭和35年)から製造、使用した、15t積み二軸有蓋貨車である。
国鉄貨車の標準型として、1981年(昭和56年)までの21年間で、実に26,605両が量産された。製造所は、日本車輌製造、川崎車輛/川崎重工業、汽車製造東京支店、日立製作所、輸送機工業、富士車輌、ナニワ工機、三菱重工業、協三工業、舞鶴重工業、鉄道車輛工業、若松車輛である。

1959年(昭和34年)、汐留駅 - 梅田駅間においてコンテナ輸送が始まった。一方でそれまで主流であった車扱貨物、特に有蓋車の荷役作業の近代化をはかる必要がでてきた。このためパレットを使用し、フォークリフトで荷役をすることによる効率化が検討され、初代ワム80000形(後の初代ワム89000形)が誕生した。本形式はその改良量産型である。車体色はとび色2号(明るい茶色)。
最大積載荷重は15tであるが、これはパレットの重量を含んだものである。本形式の試作車にあたる初代ワム80000形は、容積が過小で15トンを積載することができなかったため、本形式では容積を大きくして、同荷重の他形式と比べ車体長が増加している。また、初代ワム80000形同様、荷役の利便を図るため側面は総開き式として4枚の引戸とされ、どの場所でも開口させて荷役を行うことができる。積載可能なパレット数は、初代ワム80000形より2枚多い14枚である。
走り装置は二段リンク式で、最高運転速度は75km/h、車軸は12t長軸で、軸受は平軸受である。
標記トン数15tのパレット荷役用有蓋車であることから車番標記の前に「パ」(後年「ハ」に変更)の小文字が入れられたため「パワム(ハワム)」と区別される。パレット輸送の利点を生かし主に大口輸送に使用されたため、1984年(昭和59年)2月のダイヤ改正で、ヤード集結形輸送が廃止された後も、製紙業者による紙の輸送用に生き残った。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は、日本貨物鉄道(JR貨物)のほか、九州旅客鉄道(JR九州)を除く旅客鉄道会社にも少数が事業用として引き継がれた。
JR貨物に引き継がれたものの一部は、軸受をコロ軸受にする改造(380000番台)や製紙原料用の木材チップバラ積み用(480000番台)へと改造されたが、次第にコンテナ車による輸送に切り替えられ、大幅に数を減らしている。
廃車となった車両の一部は、使い勝手の良さから数多くが一般に払い下げられた上で倉庫や店舗などに再利用された。今でも全国各地でその姿を見ることができる(淡路島など鉄道がない地域にもある)。

ワム89000形(初代)
1957年(昭和32年)に大宮工場で3両が試作された、側面総開き式のパレット輸送用有蓋車である。側面は鋼製の引戸が4枚設けられ、いずれの扉を開いても荷役が可能であった。パレットの最大積載数は12枚。屋根を支えるため、片側に2本の側柱を有し、そこに木製の仕切りを設けて室内を3分割していた。本形式は車体長が短く、最大積載荷重の15tを積むことができなかったため、量産車(2代目ワム80000形)の設計時には、車体が延長された。屋根は、量産車が中央に折れ線を設けた山形であるのに対し、やや深めの丸屋根であった。
本形式は、当初ワム80000形(初代・ワム80000 - ワム80002)と称したが、量産車が登場するに及び、1960年(昭和35年)3月、ワム89000形(初代・ワム89000 - ワム89002)に改められた。

同和鉱業片上鉄道ワム1800形
1986年(昭和61年)に、吉ヶ原、周匝からの肥料輸送用および弁柄輸送用として10両が国鉄から同和鉱業片上鉄道に払下げられたもので、ワム1800形(ワム1801 - 1810)と称した。形態的には第2次量産車グループである。導入はされたもののあまり使用されず、大半は1991年7月の同鉄道の廃止と運命をともにしたが、ワム1805・1807のみ、岡山県備前市の旧片上駅跡地で静態保存されていた。現在はワム1805は和気町の和気交通公園横に静態保存、ワム1807が久米郡美咲町の柵原ふれあい鉱山公園にて、動態保存されている。
2011年5月より、ワム1807(旧番号ワム184740)が動態保存車両として登場。この車両は、元は国鉄から購入した国鉄ワム80000形貨車で、以前は片上駅跡地にてワム1805(旧番号ワム184036)、ディーゼル機関車DD13-552と共に静態保存されていた。 また、柵原ふれあい鉱山公園の開園時より静態保存されている貨車3両(トラ840・トム519・ワフ102)のうち、トラ840が整備され、2013年9月より、動態保存車両として登場している。

主要諸元
走行安定性対策車(280000番台)
自重:約11.3 t
荷重:15 t
最大長:9,650 mm
最大高:3,703 mm
最大幅:2,882 mm
床面積:21.1 m²
床面高:1,046 mm
容積:52.8 m³
パレット個数:14
軸距:5,300 mm
走行装置
形式:2段リンク式
バネ:重ね板バネ(13種)
車軸:12 t 長軸
軸受:平軸受
最高運転速度:75 km/h

三縄駅 JR四国 土讃線

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三縄駅(みなわえき)は吉野川沿いの集落、徳島県三好市池田町中西にある四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅です。

場所は国道とは吉野川を挟んで対岸にあります。駅番号はD23。往時は貨物の発着で賑わっていました。駅前はそこそこ賑やかで、民家や商店が並んでいます。

相対式ホーム2面2線の交換可能駅である。

山小屋風の黒ずくめの木造駅舎もあり簡易委託駅となっている。

分岐器は、14番両開き(制限速度60Km/h)である。 旧貨物ホーム跡とレールも現存している。待合室には長椅子が2脚設置されています。

ホーム間はは跨線橋で結ばれ構内には側線の跡も残っています。


のりば
1 ■土讃線 (下り) 大歩危・土佐山田・高知方面
2 ■土讃線 (上り) 阿波池田方面

当初は徳島本線の終点として開業し、1935年に当駅と豊永駅との間が開通したことで土讃線に所属が変更となった。
1931年(昭和6年)9月19日 - 開業。
1935年(昭和10年)11月28日 - 当駅と豊永駅の間が開通、新たに設定された土讃線(当時は多度津・須崎間)の駅となる。


1970年(昭和45年)10月1日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 ミナ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1931年(昭和6年)9月19日
備考 簡易委託駅

祖谷口駅 JR四国 土讃線

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祖谷口駅(いやぐちえき)は吉野川の谷筋の狭くなる山あいの集落、徳島県三好市山城町下川にある四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅です。駅番号はD24。

単式ホーム1面1線の交換不能駅である。以前はホームから階段を下ったところに駅舎があったが、JR四国に移管時に取り壊されました。

現在はその跡にログハウス風の待合所があります。この建物は、三好市合併以前、徳島県池田町と山城町が地元住民の要望により設置したものです。そのログハウス風、待合所内部には木造の長椅子が設置されています。

また駅舎の撤去された跡には待合所以外にホームへの階段入口付近に時刻表と看板が設置されています。ホーム上にも長椅子がある待合所が設置されています。ホームの幅は狭く、カーブしています。駅前の商店に切符の販売を委託する簡易委託駅となっている。

1935年(昭和10年)11月28日 開業。
1970年(昭和45年)10月1日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

キロ程 52.3km(多度津起点)
電報略号 イヤ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1935年(昭和10年)11月28日
備考 簡易委託駅

3tけん引車(航空機用)護衛艦いせ

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3tけん引車(航空機用)護衛艦いせ
3トンタグと呼ばれています。航空自衛隊及び海上自衛隊で航空機等の牽引に使用される車両で海上自衛隊では陸上基地だけでなく、ひゅうが型護衛艦にも艦載されています。艦艇に搭載されたのは「ひゅうが」型が初めてだそうです。


全長 3.845m
全幅 1.9m
全高 1.73m
車輌重量 5,250kg


車輌総重量 5,490kg
乗員 2人
エンジン 形式:2F 気筒数:直6 総排気量:4,230cc 最高出力:67ps/2,100pm
最高速度 27km/h
登坂能力 tanΘ0.47
最小回転半径 4.5m
タンク容量 100リットル
トランスミッション 形式:常時噛合・選択楷動 変速段数:前進4段、後進1段
製作 豊田自動織機
備考 航空機牽引用のトーイングトラクタ。航空自衛隊の採用しているものと同型と思われます。

伊尾木駅 土佐くろしお鉄道阿佐線

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伊尾木駅(いおきえき)は、高知県安芸市にある土佐くろしお鉄道阿佐線(愛称:ごめん・なはり線)の駅です。快速の停車駅。駅番号はGN26。

駅の周辺は住宅街となっている。また駅の前には小さな公園がある。
そして、住宅街の中には「伊尾木洞」があり、天然記念物に指定されたシダ植物の群落を見ることができる。
ごめん・なはり線は基本的に高架・トンネルを多用した近代的な路線だが、伊尾木付近は未着工の状態に近く、建設費を抑えるために地平区間とし、駅周辺に踏切が設置されている。

 

単式ホーム1面1線を有する地上駅。ごめん・なはり線としては珍しく地平駅です。ホームは線路から見て北側にある。ホーム入口にスロープがある。ホーム上には木製長椅子をはじめ木が多用された待合室が設置されています。駅前には待合室兼トイレが設置されています。待合室には木製の長椅子と四角い椅子が設置されています。駅員無配置駅となっている。

イメージキャラクターの名称は「いおき トラオくん」でモニュメントはホーム上屋横に設置されています。映画「男はつらいよ」の主人公・寅次郎がモチーフになっている。1996年12月公開予定の第49作「寅次郎花へんろ」のロケが伊尾木で行われる予定であったが、寅次郎役の渥美清の逝去により実現しなかったという経緯による。
国道の裏通りにはモデルにした「寅さん地蔵」なるものがある。寅さんが来なかった見返りとして、有志によって作られた寅さん地蔵には寅さんファンやお遍路さんが旅の安全を祈願していく。


2002年(平成14年)7月1日 - 開業。

電報略号 イオ
駅構造 地上駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 2002年(平成14年)7月1日
備考 無人駅

 

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