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遙堪駅 一畑電車大社線

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難読駅として知られる遙堪駅(ようかんえき)は、島根県出雲市常松町に位置する一畑電車大社線の駅である。


大社方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。ホームは嵩上げされています。

ホーム上に駐輪所が設置されています。無人駅である。

停留所内には造り付けの長椅子があります。

出入口はホームの西側にある。ホームにはスロープで連絡します。

1930年(昭和5年)2月2日 - 開業。
2006年(平成18年)4月1日 - 一畑電気鉄道の持株会社移行に伴い、新設の一畑電車株式会社が鉄道事業を承継。


駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 45人/日
-2009年-
開業年月日 1930年2月2日
備考 無人駅

 


エコカフェ 香川 善導寺

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香川、善通寺にある「エコカフェ」です。

全体的にヘルシーなメニューが充実。香川県健康づくり協力店として登録さているカフェです。


限定、日替わりランチが人気。ランチタイムのピークはかなり混雑、団体や小さなお子連れは、ご予約が無難な様子です。ランチを頼んだ人にはケーキが割引で頼める。


パスタはとてもヘルシーな野菜がたっぷりはいってます。

あっさり味のケーキも充実。ケーキはオリジナルの自家製で7・8種類の旬なケーキそろっています。

店内は明るく広くてゆったりしています。インテリアも雰囲気があります。

 

場所が少し分かりにくいのですが善導寺、散策の休憩にはうってつけの空間です。

エコカフェ (eco cafe)
住所:香川県善通寺市生野町1553
TEL・0877-62-5857
営業時間
9:30~17:30
2011/8/13~8/22お休み
朝食営業、ランチ営業
定休日
日曜日・祝日・第4月曜(2014年4月より定休日が日曜と月曜)
予約できる
席数:30席
個室は無い
駐車場 有15台
カウンター席あり

ワム80000形

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ワム80000形は、日本国有鉄道(国鉄)が1960年(昭和35年)から製造、使用した、15t積み二軸有蓋貨車です。
国鉄貨車の標準型として、1981年(昭和56年)までの21年間で、実に26,605両が量産された。製造所は、日本車輌製造、川崎車輛/川崎重工業、汽車製造東京支店、日立製作所、輸送機工業、富士車輌、ナニワ工機、三菱重工業、協三工業、舞鶴重工業、鉄道車輛工業、若松車輛です。

1959年(昭和34年)、汐留駅 - 梅田駅間においてコンテナ輸送が始まった。一方でそれまで主流であった車扱貨物、特に有蓋車の荷役作業の近代化をはかる必要がでてきた。このためパレットを使用し、フォークリフトで荷役をすることによる効率化が検討され、初代ワム80000形(後の初代ワム89000形)が誕生した。本形式はその改良量産型です。車体色はとび色2号(明るい茶色)。
最大積載荷重は15tであるが、これはパレットの重量を含んだものです。本形式の試作車にあたる初代ワム80000形は、容積が過小で15トンを積載することができなかったため、本形式では容積を大きくして、同荷重の他形式と比べ車体長が増加しています。また、初代ワム80000形同様、荷役の利便を図るため側面は総開き式として4枚の引戸とされ、どの場所でも開口させて荷役を行うことができる。積載可能なパレット数は、初代ワム80000形より2枚多い14枚です。
走り装置は二段リンク式で、最高運転速度は75km/h、車軸は12t長軸で、軸受は平軸受である。
標記トン数15tのパレット荷役用有蓋車であることから車番標記の前に「パ」(後年「ハ」に変更)の小文字が入れられたため「パワム(ハワム)」と区別される。パレット輸送の利点を生かし主に大口輸送に使用されたため、1984年(昭和59年)2月のダイヤ改正で、ヤード集結形輸送が廃止された後も、製紙業者による紙の輸送用に生き残った。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は、日本貨物鉄道(JR貨物)のほか、JR九州を除く旅客鉄道会社にも少数が事業用として引き継がれました。
JR貨物に引き継がれたものの一部は、軸受をコロ軸受にする改造(380000番台)や製紙原料用の木材チップバラ積み用(480000番台)へと改造されたが、次第にコンテナ車による輸送に切り替えられ、大幅に数を減らしています。
廃車となった車両の一部は、使い勝手の良さから数多くが一般に払い下げられた上で倉庫や店舗などに再利用された。今でも全国各地でその姿を見ることができる(淡路島など鉄道がない地域にもある)。

主要諸元
走行安定性対策車(280000番台)の諸元を示す。
自重:約11.3 t
荷重:15 t
最大長:9,650 mm
最大高:3,703 mm
最大幅:2,882 mm
床面積:21.1 m²
床面高:1,046 mm
容積:52.8 m³
パレット個数:14
軸距:5,300 mm
走行装置
形式:2段リンク式
バネ:重ね板バネ(13種)
車軸:12 t 長軸
軸受:平軸受
最高運転速度:75 km/h

1979年度第3次債務負担 : 1,000両
286500 - 286959 : 川崎重工業
286960 - 287279 : 日本車輌製造
287280 - 287469 : 三菱重工業
287470 - 287499 : 若松車輛

走行安定対策車(280000 - 288499・280000番台)
1975年(昭和50年)より製造された改良型で、1981年までに8,500両が製造されました。走行性能の改善のため軸距を260mm延長して5,300mmとし、床鋼板の厚みが4.5mmから6mmに変更となったほか、台枠構造が変更されている。軽量化のための引戸のアルミ化などが行われています。外観上では雨樋縦管が車端部に露出しており、屋根は耐候性高張力鋼1.6mm厚となり、耐食性ポリエステル樹脂を塗布したため、塗色が薄茶色になった。側扉がアルミ製となったことにより強度が小さくなり、注意喚起の意味で「●」印が扉に標記されたものの破損事故が多発したため、さらにその下部に縦書きで「アルミドア」の表示が追加されました。
1978年第1次債務負担で新製されたワム284990 - 284999の10両は、木製床を試用しており、日本車輌製造製の5両(ワム284990 - 284994)は合板を、三菱重工業製の5両(ワム284995 - 284999)は単板を使用しています。また、1978年本予算以降の新製車の一部は、輪軸や軸ばね、制動弁、自動連結器に中古品を使用したものがあります。
2006年(平成18年)現在、使用されている本形式は、全て本番台または本番台の改造車です。

26,000両以上が製造された本形式であるが、1984年2月ダイヤ改正でヤード集結輸送が原則廃止されたため大量の余剰車が発生しました。余剰車は他の不要車両とともに操車場跡地に留置され、うち相当数が車軸を撤去して民間に売却され、各地で倉庫等に利用されることとなった。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、JR貨物 および 旅客5社に6,632両が承継された。これは本形式総製作数の 1/4 弱である。内訳は、JR北海道6両、JR東日本13両、JR東海8両、JR西日本19両、JR四国1両、JR貨物6,588両である。走行安定性対策車(280000番台)が承継車の多数を占め、ごく少数の2次量産車およびビール輸送用物資別適合車が含まれていました。旅客鉄道会社のものは配給車や救援車代用等の事業用、JR貨物のものは営業用であるが、一部は車両所の配給用である。配給車代用のものは、国鉄時代から車体に白帯を巻いて区別されているが、広島車両所のものは緑色一色に「SUPPLY LINE」のロゴを標記した塗装に変更されました。また、民営化初期のJR貨物所有車では、JR貨物のコーポレートカラーであるコンテナブルーに、「パワー全開JR貨物」等のキャッチコピーを書いた車両も存在しました。
JR貨物での用途は、ロール紙を主体とする紙製品を輸送する専用貨物列車が主体であった。各地の製紙工場から大都市近傍の消費地に向けた多数の列車が設定されていたが、最高速度の制約ならびに本形式の老朽化にともなうコンテナ輸送への置換や、輸送需要自体の消滅によって運用は漸次減少し、2012年3月17日のダイヤ改正で全車運用を終了した[1]。2010年4月1日現在の在籍数は、JR北海道1両(ワム281395)、JR東日本1両(ワム287336)、JR貨物401両で、JR発足時の10分の1以下となっています。

阿波川口駅 JR四国土讃線

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阿波川口駅は三好市山城町の中心部が近い旧山城町の中心地、徳島県三好市山城町大川持にある四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅です。

駅裏手には国道が走り、そして吉野川が流れます。駅番号はD25。かつては急行も停車していましたが、現在は普通列車のみが停車する小駅です。徳島県では最西端の駅です。

相対式ホーム2面2線を有し列車の交換が可能な地上駅。分岐器は、通過列車を考慮して18番両開き(制限速度90Km/h)です。小さな駅舎にはトンガリがあるデザインの駅舎が置かれています。その駅舎に並んで大きな市の商工会の施設が並びます。

簡易委託駅。待合室には背もたれのない長椅子が複数設置されています。


のりば
1 ■土讃線 (上り) 阿波池田方面
2 ■土讃線 (下り) 大歩危・土佐山田・高知方面
段違いに配置されたホームはかぎ型の屋根のない跨線橋で結ばれています。構内にはヤード跡か貨物扱いの痕跡があります。

1935年(昭和10年)11月28日 - 開業。
1983年(昭和58年)11月25日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により四国旅客鉄道に承継。
1988年(昭和63年)3月 - 現駅舎竣功。
2003年(平成15年)8月26日 - 当駅構内で上り普通列車(キハ58系2両編成)が車両火災を起こす。原因はキハ28 3013の発電用エンジンの過回転によるもので、同車は廃車。けが人はなし。

電報略号 ワチ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 73人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1935年(昭和10年)11月28日
備考 簡易委託駅

 

湖山駅 /山陰本線

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湖山駅(こやまえき)は、鳥取県鳥取市湖山町東一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅です。やや南西に湖山池があり、旧国道9号線が近傍を走っています。 1995年の鳥取大学前駅開業までは鳥取大学・鳥取商業高校・鳥取西工業高校(2001年から鳥取湖陵高校)・鳥取農業高校(2001年に鳥取湖陵高校へ合併、跡地は2004年から鳥取緑風高校となった)の最寄り駅であったため、通学利用が多かった。やや遠いが、鳥取港、布勢総合運動公園にも駅としてはもっとも近い。どちらにもバスがあるが当駅に近いバス停は分かりづらく、鳥取駅からバスに乗ったほうが行きやすい。駅前にはタクシーが基本的に常駐しています。快速列車は上下線とも約半数程度が停車。この駅から鳥取駅方面は平坦ですが、この駅西方から鳥取大学前駅西方にかけては丘陵地となるため勾配があります。

湖山オフレールステーション:JR貨物の貨物取扱施設で、旅客駅の東側・鳥取市湖山町東5丁目に位置します。鳥取鉄道部西鳥取車両支部に隣接しており取扱貨物はコンテナ貨物のみで、12ftコンテナのみを取り扱います。貨物列車の発着はなく、姫路貨物駅との間にトラック便が1日2往復設定されています。1997年より貨物列車の発着がない自動車代行駅になりトラック輸送に転換されました。2004年に当駅 - 伯耆大山駅間のJR貨物の第二種鉄道事業が廃止になりJR貨物湖山駅は廃止され、湖山コンテナセンターが設置されその後2006年の貨物駅の名称整理の際に現在の名称に変更されました。

2面2線の相対式ホームを持ち、列車交換が可能な地上駅。以前は単式・島式2面3線であったが、2003年、鳥取県鉄道高速化事業により鳥取駅寄りの分岐について一線スルー化工事が行われ、通過列車が1番線(単式側)を通過するようになりました。同時に、3番線(上下副本線)を撤去し、1番線を上下本線、2番線を上下副本線とした2面2線となった。また、互いのホームは跨線橋で連絡している。 3番線があった場所の隣に保線車両の留置線が存在する。駅舎は英文字表記の駅名に大きく張り出した庇が特徴の洋風木造駅舎です。駅舎は大幅にリニューアルされていますが、原型は明治40(1907)年4月のものらしいです鳥取鉄道部が管理し、ジェイアール西日本米子メンテックが駅業務を受託する業務委託駅であり、日中(昼休憩あり)のみPOS端末による窓口発券を行う。比較的広めの待合室にはキオスクが入っていてFRP製の椅子が設置されています。


ホームの使用状況
ホーム 路線 方向 行先
1・2 ■山陰本線 上り 鳥取・浜坂方面
          下り 倉吉・米子方面
通過列車及び行違いを行わない停車列車は上下線とも1番のりばを通る。
反対方向からの通過列車と行違いを行う停車列車は、上下線とも2番のりばに停車する。3番線は撤去されています。裏手には貨物留置線があります
停車列車同士の行違いの場合は、鳥取方面行(上り)が1番のりば、米子方面行(下り)が2番のりばに入る。

1907年(明治40年)4月28日 - 官設鉄道の鳥取仮停車場 - 青谷駅間延伸により開業。客貨取扱を開始。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陰本線の所属となる。
1968年(昭和43年)6月27日 午前3時40分ごろ - 当駅構内で大阪発大社行きの急行「おき」を牽引中だったDD54 2が、 駅構内のポイント通過中に異常音に気付き非常ブレーキをかけたところ、推進軸(ユニバーサルジョイント)が突如破損、落ちた推進軸が線路に突き刺さり機関 車は脱線転覆、続く客車6両が脱線する、いわゆる「棒高跳び事故」を起こした。いちはやく異常に気付き減速したため、相対速度が低かったことから乗員乗客 の一部が軽傷を負っただけで人命の被害は無かった。事故車となったDD54 2は修理され現役復帰したが、DD54形ディーゼル機関車のエンジン本体や液体変速機の故障が多発し、推進軸が折れる事故が多発した結果、1966年に DD54 1が落成したばかりにもかかわらず、1978年までに全車退役廃車となった。
1974年(昭和49年)12月12日 - 鳥取駅の貨物取扱業務を移管。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
1997年(平成9年)10月1日 - 貨物列車の設定が廃止、自動車代行駅となる。
2004年(平成16年)4月1日 - JR貨物湖山駅が廃止。代替として湖山コンテナセンターが設置される。
2006年(平成18年)4月1日 - 湖山コンテナセンターが湖山オフレールステーションに改称。

電報略号 コヤ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1907年(明治40年)4月28日
備考 業務委託駅
POS端末設置

 

機雷処分具 S-4(75式)掃海装備・海上自衛隊

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対機雷戦においては、かつては掃海(sweeping)が大きな比重を占めていたが、機雷探知機の性能向上とともに、爆発物処理の手法による掃討(hunting)が注目されるようになった。その手法としては、当初は水中処分員による人力作業に依存していたが、人員喪失のリスク低減のため、遠隔操縦・自走式の機雷処分具による代替が模索されるようになった。

海上自衛隊でも1968年(昭和43年)より自走式処分具の開発に着手して、75式機雷処分具S-4として制式化、はつしま型掃海艇(51MSC)で装備化した。

掃海艇に装備し、敷設された機雷を除去する用具です。処分具としては初期の機器であり、機能もシンプルである。母船のソナーの映像をもとに有線誘導で水中航走し、処分機雷の直上から潜行し爆雷(爆雷B-7Y)を投下する。係維機雷を処分する能力はない。掃海艇「はつしま」型に搭載されており、ペルシャ湾掃海派遣で活躍した。三菱重工製。

機雷処分具 S-4(75式)は既に退役している。

土佐くろしお鉄道 阿佐線用 9640形

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9640形(9640-1S, 9640-2S, 9640-3 - 9640-11)
2002年の阿佐線開業時に登場した気動車です。2003年に9640-11が増備された。形式番号の「9640」は、「くろしお」に引っかけたもの。車体は両運転台式の21m級で、前頭部が普通鋼製である他は軽量ステンレス製となっています。

エンジンは450ps/2100rpmのコマツ製SA6D140H-1形直噴式ディーゼル機関を1基搭載しており、最高速度は110km/hとなっている。JR四国1000形気動車との併結も可能です。
1S、2Sの2両は特別仕様車として前頭部が流線型になり、海側には眺望に配慮してオープンデッキ式の通路が設けられています。また、前頭部にはクジラを模したペインティングがされ、1Sは青系で側面にはやなせたかしのデザインしたキャラクターが、2Sは緑系で海側には魚の、山側には農産物のイラストが描かれています。2Sは日本宝くじ協会寄贈の宝くじ号である。定員は107人(座席30人、立席77人)。


3 - 11は一般仕様で、座席は転換クロスシートとロングシートを組み合わせたセミクロスシート(11はオールロングシート)です。定員は132人(座席52人、立席80人)。転換シートは背もたれが非常に高いのが特徴で、座ると落ち着いた雰囲気を味わえるものの、前の席の高い背もたれもあって車内の見通しはほとんど効かない。


11は2Sと同じく宝くじ号で、「手のひらを太陽に」号(略称:太陽号)という名称が付けられています。
本車両の一般仕様車両のみJR土讃線の普通列車として高知 - 土佐山田間の運行にも使用されています。

 

特急列車 いしづち

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いしづちは、四国旅客鉄道(JR四国)が高松駅 - 伊予西条駅・松山駅・宇和島駅間を、予讃線・内子線経由で運行される特急列車です。

「いしづち」は、愛媛県西条市と久万高原町の境界に位置する日本百名山、日本百景の一つでもある石鎚山に由来しています。この名称は、1963年2月1日から1968年9月30日まで小松島港駅 - 松山駅間を運行する準急のちに急行の列車名として使用されました。現行の運行区間に用いたのは、1988年(昭和63年)4月10日の瀬戸大橋線開業に伴う四国各線の運行体系を変更したことによります。
2002年に四国をキハ181系が一周するイベントで本列車名は採用され、その時は当時の運行区間である徳島→阿波池田→多度津→松山間で使用されました。ただし、表示上は阿波池田行きとして運行されました。

1988年4月に本四備讃線(瀬戸大橋線)の開業に伴い一本列島と呼ばれるダイヤ改正が行われた。それまで高松駅から愛媛方面に運転していた特急「しおかぜ」の名称が岡山駅発着の列車に使用されるようになり、その代わりとして、高松駅から愛媛方面の特急に「いしづち」が名称が使われ運転を開始した。運転開始当初からエル特急に指定されています。
「ミッドナイトEXP」は、2000年8月に高松駅→伊予三島駅間下りで運転を開始し、翌2001年3月からは松山発の列車も運転を開始した。現在は、高松発の列車名を「ミッドナイトEXP高松」として高松駅→伊予西条駅間で下り1本、松山発を「ミッドナイトEXP松山」として松山駅→新居浜駅間で上り1本で運行されている。

2011年3月現在、運行本数はJR四国の特急列車の中では最多で、「いしづち」は高松駅 - 伊予西条駅間に上り1本、高松駅 - 松山駅間に下り17本・上り15本、宇和島駅→高松駅間に上り2本、「ミッドナイトEXP高松」は高松駅→伊予西条駅間に下り1本、「ミッドナイトEXP松山」は、松山駅→新居浜駅間に上り1本が運転されている。列車番号は「いしづち」は1000M(2000系は1000D)+号数である。「ミッドナイトEXP高松」は5001D、「ミッドナイトEXP松山」は5004Mである。
運行区間のほとんどが単線区間で列車の増発が困難であることから、宇多津駅(下り1本のみ多度津駅) - 松山駅・宇和島駅の間で岡山駅発着の「しおかぜ」を併結する列車が大半である。併結時の原則として、8000系で運転する列車は「いしづち」が松山側に、2000系で運転する列車は「しおかぜ」が松山側に連結される。どちらの場合でも、岡山・高松側に連結される列車は宇多津駅(多度津駅)の手前で信号待ちを行う。


ただし、ゴールデンウィーク・お盆・年末年始などの多客期は、一部列車を除いて全編成が岡山駅発着の「しおかぜ」として運行される。この列車では宇多津駅 - 高松駅間に代走列車として続行ダイヤを組む「いしづち」が運行されている。
「いしづち」が単独で運行される上り列車の一部は、多度津駅で岡山行の「南風」と接続を行う。


徳島市で阿波踊りが開催される期間中は「ミッドナイトEXP高松」に代わり、徳島駅始発の上高松駅以西の発着時刻を繰り下げた臨時特急「阿波踊り号」が運行される。
なお、この列車では、車内改札が省略されることがある。これは、マルスから得られた発券情報が車掌に送られるためである。そのために車掌室にはプリンターが設置されている。車内改札が省略されるのは、乗車列車に有効な指定席特急券を持ち、記載された号車・座席番号に座っているときである。ただし、自由席に乗車しているときと、指定券特急券を乗車列車の発車1時間前 - 発車時間までに購入したときは、車内改札が行われる。
「ミッドナイトEXP高松」は2008年3月のダイヤ改正で坂出駅の発車が午前0時を過ぎることとなった。このため同列車では前日の新幹線から乗り継ぐ場合、特例として改正前と同様に特急料金の乗継割引を適用するようにした。なおこの措置は2009年3月改正で坂出発23時59分に繰り上げられたため解消している。
なお、「ミッドナイトEXP高松」用のヘッドマークは用意されておらず、2000系のヘッドマーク表示部は白表示のまま運転され、側面のLED式列車名表示は号車、指定席・自由席の座席区分以外表示がない。なお、同列車は全車両自由席となっている。また、振り子制御装置との連動もあり、車内放送装置、車内案内表示装置は作動する。

 


奈半利駅(なはりえき) 土佐くろしお鉄道阿佐線

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奈半利駅(なはりえき)は、高知県安芸郡奈半利町にある土佐くろしお鉄道阿佐線(愛称:ごめん・なはり線)の終着駅。駅番号はGN21。


国鉄阿佐線として建設が進められていた当時は、この駅から更に室戸や甲浦駅(阿佐海岸鉄道の駅として開業)を経由して阿南・徳島方面に向かう計画となっていたが、土佐くろしお鉄道として建設されたのはこの駅までとなっている。

駅北側には国道55号が通り、国道沿い(おおむね徒歩10分程度の範囲)に喫茶店や銀行、コンビニエンスストアなどがある。
駅の北1.5kmに阿南安芸自動車道北川奈半利道路の芝崎インターチェンジがある。近隣の観光としては北川村方面 モネの庭マルモッタン、中岡慎太郎館、北川温泉(ともに北川村バス利用)。奈半利町内 旧野根山街道史跡、伝統的建造物群、二重柿、サンゴ(グラスボート運航)

単式1面1線のホームを持つ高架駅であり、到着した列車がそのまま折り返す構造。夜間停泊はない。当初の計画では室戸・甲浦方面に延伸できる構造としていたが、工事着工時に計画を変更し、室戸方面へ延伸しない前提の構造となった。そのため、室戸方面に延伸することになった場合は、線路の頭端部分を撤去するなど、大きな改修が必要となる。


早朝や夜間を除き駅員が配置されている。
列車の停車時間は短いが、夜間は40分~1時間停車する列車がある。
改札口とホームは3Fにあり、改札口を通るとすぐにホームに出る。3Fまでは階段かエレベーターであがる。1Fには物産店があり、ごめん・なはり線のグッズも扱っている。

2Fは町民ギャラリーとなっている。3Fには海側に面した眺望のよいオープンデッキスペースと、イタリアンレストランがある。


のりば
1 ごめん・なはり線 安芸・後免・高知方面


イメージキャラクター:なは りこちゃん
名称は「なは りこちゃん」。駅員の服装の女の子で、衣装のデザインは後免駅のキャラクター「ごめん えきお君」とお揃いとなっており、帽子には「NAHARI」と記載されている。
このキャラクターのモニュメントは西側道路沿いに設置されている。

2002年(平成14年)7月1日 - 開業。

電報略号 ナハ
駅構造 高架駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 2002年(平成14年)7月1日
備考 有人駅

 

 

田野駅 土佐くろしお鉄道阿佐線

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田野駅(たのえき)は、高知県安芸郡田野町にある土佐くろしお鉄道阿佐線(愛称:ごめん・なはり線)の駅。駅番号はGN22。

駅前を国道55号が走っている。駅のすぐ前には道の駅田野駅屋があるほか、コンビニエンスストアもある。また徒歩5分ほどの範囲に比較的大きなスーパーやホームセンター、総合病院、公共施設などが位置する。当駅は二十三士温泉の最寄り駅でもある。野良時計風のトイレが併設されています。


交換設備を備えた相対式2面2線のホームを持つ駅員無配置の高架駅である。安芸駅を除く当路線の交換可能な駅の中で、唯一一線スルー構造になっていない。


また、当駅北側のホームに設置されている待合室は、当路線の2面2線のホームを持つ駅の中では唯一、扉などの囲いがない待合室となっている。


のりば
1 ごめん・なはり線(下り) 後免・高知方面
2 ごめん・なはり線(上り) 奈半利方面

イメージキャラクター
たの いしん君
名称は「たの いしん君」。土佐勤王党二十三士にちなんだ志士風のキャラクターである。
このキャラクターのモニュメントは物産展(田野駅屋)の手前に設置されている。

2002年(平成14年)7月1日 - 開業。


電報略号 タノ
駅構造 高架駅
ホーム 相対式 2面2線
開業年月日 2002年(平成14年)7月1日
備考 無人駅

 

 

国鉄ED17形電気機関車

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ED17形は、日本国有鉄道(国鉄)並びにその前身となる鉄道省が、1930年(昭和5年)から1950年(昭和25年)にかけて、旅客用電気機関車等の改造により製作した直流用電気機関車である。

本形式の改造種車となったのは、1923年(大正12年)から1925年(大正14年)にかけてイギリスから輸入された電気機関車群である。いずれもイングリッシュ・エレクトリック社(English Electric & Co.,/英国電気)で製造されたもので、具体的には先に挙げた4形式28両のうちの27両である。これらの英国電気製電気機関車は、同社のディック・カー(Dick Kerr)工場で製造されたことから、「ディッカー」あるいは「デッカー」と呼ばれた。また、その無骨な外観から鉄道ファンによって「クロコダイル(ワニ)」という愛称も与えられている。ED17形への改造は、3次にわたって実施された。
英国電気が製造した本グループは、国有鉄道が導入した輸入電気機関車の最多数を占めていたが、故障の多発に悩まされた。特に「デッカー・システム」として知られる、電動カム軸式多段制御器をはじめとする電装品は、製造当時の段階では最新鋭の、言い換えれば使用実績の少ない未成熟なシステムであったため、その実用化には問題が大きかったようである。これらの不具合は、検修陣の努力により徐々に克服されていったが、太平洋戦争後に主幹制御器や電動機などの主要機器のほとんどは国産機器に交換され、面目を一新、1970年代まで使用された。
最初に本形に改造されたのはED50形17両で、1930年から翌年にかけて電動機から動輪に動力を伝える歯車の歯数比を増大して、勾配の多い中央本線(新宿 - 甲府間)の電化開業用に転用したものである。この改造によりED50形は全車が本形式に編入され、ED17 1 - 17(番号はED50形時代を踏襲)となった。次いで1931年から1935年(昭和10年)にかけて、ED52形4両(3 - 6)が同様の改造を受け、ED18形(初代。ED18 3 - 6)となっている。
次にED17形が増加するのは、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)から1944年(昭和19年)にかけてである。軍需輸送の増加で貨物用電気機関車の増備が必要となったことに伴うもので、ED52形2両、ED51形3両が改造を受け、ED52形(1・2)がED17 22・23に、ED51形(1 - 3)がED17 24 - 26となっている。
この間、23号機と25号機が、戦災により1946年(昭和21年)1月に廃車となっている。
3次分となるのは、1949年(昭和24年)から1950年にかけて装備改造により編入したもので、ED18形(初代)3両、ED13形2両で、ED18 4 - 6がED17 19 - 21に、ED13 1・2がED17 27・28となっている。
また、1954年(昭和29年)及び1955年(昭和30年)には、本形式が入線困難な支線区で使用するため、軸重軽減を目的として2軸台車をDD10形と同様に中間遊軸付きで軸配置A1Aのものへ新製交換する工事が実施され、該当車はED18形(2代)に改められている(ED17 17・16 → ED18 1・2)。

主要諸元
(ED50形改造機の諸元を示す)
全長:12,340mm
全幅:2,800mm
全高:3,965mm
重量:59.80t
電気方式:直流1,500V(架空電車線方式)
軸配置:B+B
主電動機:MT6A形(端子電圧675V時定格出力210kW、定格回転数550rpm)×4基
1時間定格出力:840kW
1時間定格引張力:10,000kg
動力伝達装置:1段歯車減速、吊り掛け式
歯車比:18:78=1:4.33
制御方式:非重連、抵抗制御・直並列2段組合せ・弱め界磁
制御装置:複式電動カム軸接触器式
ブレーキ方式:EL14A空気ブレーキ、手用ブレーキ

経歴:本形式は、誕生のきっかけとなった中央東線では、勾配線区であることから客貨両用として使用された。その後、F級電気機関車の投入により、支線に転じ、仙山線のほか身延線や飯田線といった買収電化線区で貨物列車牽引用に使用された。
最後に残ったのは飯田線の4両(12・14・15・20)で、これらは豊橋機関区に配置され、1972年(昭和47年)6月まで使用された。

保存:トップナンバーの1号機は、1970年の廃車後、地元の要望などにより山梨県甲府市の舞鶴城趾公園に静態保存されたが、1997年(平成9年)に大宮工場(現在の大宮総合車両センター)に移され外観の整備がなされた。同機は、2007年(平成19年)10月14日、さいたま市大宮区に開館した鉄道博物館で保存展示されている。

ソノブイ 海上自衛隊

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ソノブイは、吊下式ソナー内蔵の無線浮標で、主に航空機から投下して使用する使い捨ての対潜水艦用音響捜索機器である。
SONO-BuoyとはSONAR(ソナー、水中音波探知機)とBuoy(ブイ、浮標)の合成造語である。

空中から投下して着水させて用いる水中マイクで、固定翼もしくは回転翼の対潜哨戒機によって用いられる。
大きさは現在主流のBタイプソノブイで、直径4.7/8インチ(124mm)、長さは36インチ(914mm)で、捜索水深は300m程度である。水中の温度を計測するBTブイ、塩分濃度を計測するブイなど特殊なソノブイもある。

近代戦における潜水艦の技術は発展の一途をたどっている。ソノブイは、有効な追跡システムの一つとして開発された。
ソナー(SONAR)は、第一次世界大戦中にイギリスで開発され、ASDIC(アスディック)と呼ばれていた。 そして、その当時、飛行船や複葉機に関わる海軍士官たちによって無線浮標と組み合わせたソナー探知システムのアイデアが存在したが、実用化には至らなかった。大戦中、ドイツ海軍のUボートは数千隻の船艇に被害を与え、新兵器の中でもっとも脅威の高いものと位置づけられていた。ソナーはレーダーとともに艦艇に装備され、水上航走中の潜水艦はレーダーで探知し、潜航時はソナーにより探知した。ソナーは第二次世界大戦での技術的進歩に伴い、飛躍的に性能の向上が図られた。
現代の海軍の対潜作戦は、第二次大戦中の海上護衛作戦から発展してきた。米ソ冷戦時代が到来し、空母機動部隊が進出する前方海面を広域哨戒する必要が生まれたとき、ソノブイの実用化がなされた。広域哨戒を担当する兵力としては、陸上哨戒機P-3C オライオン、艦載哨戒機S-3 バイキングなどがある。ソノブイは、これらの航空機からも投射可能なほどコンパクトで、ポータブルで、強力なソナー・システムとして発展している。


初期型ではソナー員の耳により解析する原始的な手段が用いられていたが、潜水艦の静粛化によって、自動解析技術を導入した。従来の潜水艦はエンジン騒音が激しく、容易に探知されていたが、現在ではほとんど放射雑音が存在しないため、潜水艦の艦体そのものが生じる極低周波を探知可能なローファーブイ(Low Frequency SONAR Buoy)が採用されている。ソノブイによる解析は聴覚による音紋解析だけでなく、極低周波を視覚表示するローファーグラムの画像を識別することでさらに確実性を高めている。
ローファーブイには方位指示機能もあり、この機能を使用した場合はダイファーブイと呼ばれる。ダイファー機能を使用中は、ソノブイ信号の解析能力が低下する欠点がある。
ソノブイでの探知距離は、ローファーブイの第一収束帯(1CZ)探知時で約30nmiであり、まれに第二収束帯(2CZ)探知で約60nmiの超遠距離探知が期待される。しかし、海中の雑音レベルが増大する現代の世情では、パッシブ戦術の限界は狭まりつつある。また、CZ探知が可能である海域は水深が優に2,000mを越え、かつ商船の活動が少ないエリアに限られている。直接伝播域に対する探知は、商船で5-10カイリ、新鋭駆逐艦または旧式潜水艦で1-2カイリ程度といわれている。

唐浜駅 土佐くろしお鉄道阿佐線

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唐浜駅(とうのはまえき)は、高知県安芸郡安田町にある土佐くろしお鉄道阿佐線(愛称:ごめん・なはり線)の駅。駅番号はGN24。

四国八十八箇所の第27番札所「神峯寺」への最寄り駅となっている。四国八十八箇所巡りの観光バスが寄ることもあるせいか、駅前広場は広くとられている。
駅周辺にはビニールハウスが多く見られる。

駅から北に延びる谷川や農道工事現場などでは貝の化石などが産出する。新生代第三紀鮮新世後期(約200万年前)頃の地層。

片面1面1線のホームを持つ駅員無配置の盛土駅である。ホームは線路から見て北側にある。ホーム入口にはスロープあり。駅前には立派な待合室(休憩所)兼トイレが設置されています。地元で産出される間伐材が待合室など駅全体に利用されています。

名称は「とうのはま へんろ君」。お遍路さんをモチーフにしたキャラクターである。
このキャラクターのモニュメントはスロープ前方付近に設置されている。

2002年(平成14年)7月1日 - 開業。

電報略号 ハマ
駅構造 盛土駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 2002年(平成14年)7月1日
備考 無人駅

 

球場前駅 土佐くろしお鉄道阿佐線

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球場前駅は、高知県安芸市桜ヶ丘町にある土佐くろしお鉄道阿佐線(愛称:ごめん・なはり線)の駅である。駅番号はGN28。
名称の通り、安芸市営球場への最寄り駅である。すべての快速列車が停車する.駅では阪神タイガースのマスコット、トラッキーとラッキーが歓迎しています。

駅周辺には駅北方に安芸市営球場と多目的体育館「安芸ドーム」がある。安芸市営球場ではプロ野球・阪神タイガースのキャンプが毎年行われており、そのシーズンには見学者などで賑わいを見せる。
駅南方に国道55号が走っており、さらに南側には安芸漁港へ続くカリヨン広場がある。この広場には、廃止された土佐電気鉄道安芸線の安芸駅がかつて存在し、1995年までは駅舎が残っていた。 近くにコンビニ(ローソン)、高知県立安芸桜ヶ丘高校(旧安芸工業高校)、高知県立安芸病院がある。

片面1面1線のホームを持つ駅員無配置の盛土駅である。ホームは線路の北側にある。駅前には立派な待合室が設置されています。

ホーム上には待合室があり、ホームはカーブしています。

名称は「球場 ボール君」。野球のボールが顔となっており、薄橙色に縦縞の入ったユニフォームと帽子を着ている。
駅北側の道路を挟んだ位置に、このキャラクターのモニュメントが設置されている。

2002年7月1日 開業。

電報略号 キユ
駅構造 高架駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 2002年(平成14年)7月1日
備考 無人駅

 

三年式14糎砲(副砲)

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昭和18年6月18日、瀬戸内海柱島泊地で謎の爆沈をした戦艦『陸奥』の両舷に搭載されていた副砲

50口径三年式14cm砲は、日本海軍の開発した艦載砲。伊勢型戦艦や長門型戦艦の副砲、天龍型軽巡洋艦、5500トン型軽巡洋艦や各種艦艇の主砲として使われた。

超弩級戦艦以降の副砲としては50口径四十一式15cm砲が搭載されてきたが(金剛型および扶桑型戦艦)、この砲の弾丸重量は45.4kgもあった。欧米人に比して体格で劣る日本人が、人力装填によりこの砲を長時間連続発射するのは難しいと考えられ、より軽量な砲弾を使用する速射砲の開発が望まれた。1914年に制式化された本砲は、弾丸重量38kgとなり前述の砲に比べて一発あたりの打撃力は低下したが、一方で射撃速度は向上し、また最大射程もほとんど変わらないという優秀な性能を示した。
戦艦にはケースメート(砲郭)式の単装砲として装備された。軽巡洋艦等に搭載された砲では、単装砲架で後方が開放された砲楯式(シールド)であったが、連装砲型では一部を除いて砲員を防護する砲室を持っていた。


軽量で設置が容易なことから各種の中型小型の艦船にも搭載され、太平洋戦争でも代表的な艦砲の一つとして活躍した。一部は陸上に設置され要塞砲として利用されている。
なお、本砲は平射砲であり、有効な対空戦闘能力を持たなかったため、戦時中に搭載艦船が改装された際には、しばしば一部または全部が撤去され高角砲等に換装されている(例えば、伊勢型戦艦の航空戦艦への改装、5500トン型軽巡洋艦の改装時など)。

重量 21t(単装砲)
50t(連装砲)
砲弾重量 38 kg
口径 140mm口径 / 50口径長
仰角 -7°/+30°314
俯仰速度: 8度/秒(単装砲), 6度/秒(連装砲)
旋回角 旋回速度: 8度/秒(単装砲)
4度/秒(連装砲)
動力 装填:人力 
俯仰・旋回: 電動油圧方式(人力旋回可)
発射速度 10発/分
初速 850m/s
最大射程 19,100 m


立石駅 JR九州 日豊本線

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立石駅は、大分県杵築市山香町大字立石字乙丸にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。平成17(2005)年10月に杵築市と合併しました。

駅前の地域は1955年(昭和30年)まで立石町という独立した自治体であった。駅の裏手を国道10号が通っている。


当駅から隣の中山香駅までは単線であるが、この駅間の内、立石側半分は複線化に向けた用地を確保済である。

西屋敷駅から分かれた上下線の合流地点に存在する。地形と駅構内の線形の関係で上下のホームの位置がやや離れている。


駅前には比較的大きな集落があることに加え、駅の西側(上り側)には蒸気機関車の全盛期、難所といわれた立石峠があり、補助機関車の連結・解放を行っていたため、かつては主要駅に位置づけられ、準急列車が停車し、島式ホーム2面4線の大きな設備を有していたが、現在では2線が撤去され、相対式ホーム2面2線の地上駅となっている。

現在は電化により補機の連結は解消され、広い構内だけが残っています。


現在の駅舎は1965年(昭和40年)に建てられた鉄骨コンクリート造のもので、駅構内には地元の保育園・小学校の児童によって作られた作品がたくさん飾られている。待合室も設置されているが、窓枠を残すのみで窓が填められていない剥き出しのままである。

駅長室や改札口は整備されているものの、現在では駅員を常駐しておらず、無人駅となっている。そのため、切符は自動券売機で購入する。


駅前広場も大きめに作られており、駅舎横には木製のテーブルと椅子を設置した休憩スペースが設けられているほか、乗務員詰所跡が残っている。

現在は駅員に代わり、地元の有志によって駅を清掃する活動も行われているほか、駅ノートが設置されている。トイレは一旦駅舎から出た、駅舎の右端にあります。
ICカードSUGOCAは出入場のみ対応し、当駅でチャージや購入はできない。

1910年(明治43年)12月15日 - 鉄道院が開設。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 タテ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 37人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1910年(明治43年)12月15日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 

大田口駅 JR四国 土讃線

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大田口駅(おおたぐちえき)は、高知県長岡郡大豊町黒石にある四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅です。

駅番号はD30。駅名の由来は吉野川対岸に位置する日本三大薬師にも挙げられ薬師堂が国宝である大田山豊楽寺です。かつては参拝客で賑わったようですが、今は往時の賑わいは見られず、ひっそりしています。

島式ホーム1面2線を持つ交換可能駅で、特急列車同士の行き違いも行われている。駅舎はプレーンな木造平屋建てで、改築されています。

表からだと駅舎は一見のコンクリート打放しのコンクリート駅舎に見えますが駅舎を構内側から見たら木造駅舎だとよくわかります。簡易委託駅です。

待合室は窓が大きく、室内は明るい。


駅構内がカーブしているため、特急列車は減速して通過する。

このカーブによる列車接近の注意喚起のため、簡易的な列車接近放送が流れる。

のりば
1 ■土讃線 (上り) 大歩危・阿波池田方面
2 ■土讃線 (下り) 土佐山田・後免・高知方面
留置線が1線あります。

ホームは構内踏切で結ばれています。またホームには下り方面に小さな上屋が設置され、待合所となっています。

その待合所内にはコンクリートブロックで囲われたベンチがありましたが撤去されています。

駅前の吉田商店で乗車券を売っています。

1934年(昭和9年)10月28日 - 開業。
1970年(昭和45年)10月1日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 オタ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1934年(昭和9年)10月28日
備考 簡易委託駅(駅舎外発券)

いず(PL-31) 「災害対応型」 海上保安庁巡視船

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いず(PL-31)は、海上保安庁の巡視船。阪神・淡路大震災の教訓をもとに、大規模災害発生時に現場指揮所となるための指揮通信設備や、被災地への救援物資運搬能力などを備えた「災害対応型」の巡視船として建造された。また第三管区海上保安本部の救難強化巡視船でもあるため、潜水士の支援機材やROV、海底地形走査用ソナーも備えている。

1995年の阪神・淡路大震災では、第五管区海上保安本部を始めとする海上保安庁の陸上施設も大きな被害を受け、救援活動の指揮に支障を来たした。また、海の近くまで山が迫っていて東西に細長い播磨平野という地形のために、陸路が遮断された場合の海からのアプローチの重要性が着目されることになった。このことから、C4I機能を向上させるとともに、医療・宿泊設備の拡充、支援・防災機材の搭載能力向上などを図った「災害対応型」の巡視船として計画されたのが本船である。発災と同年度の平成7年度第1次補正計画に盛り込まれて、川崎重工業坂出工場において1996年3月22日に起工され、1997年2月7日に進水、1997年9月25日に竣工して横浜海上保安部に配属された。

船型は全通甲板を備えた長船首楼型、船首はバルバス・バウとされている。船殻構造としては、船側構造は横肋骨方式、甲板構造は基本的に縦肋骨方式とされており(下甲板のみ横肋骨方式)、船首楼甲板・船首楼部外板および後部上甲板には高張力鋼が採用されている。
主機関としては、SEMT ピルスティク社が開発した8気筒の4サイクルトランクピストン型過給器付き中速ディーゼルエンジンである8PC2−6Lを新潟鐵工所がライセンス生産して搭載している。またROV投入・揚収時の船位保持や独力での出入港など精密な操船が要求される場合に備えて、推進器は可変ピッチ・プロペラ(CPP)とするとともにバウスラスターも1基備えている。
バウスラスター運転時などの大消費電力を賄うため、主電源は、ヘリコプター搭載巡視船と同型のディーゼル発電機(出力625 kVA)[4]3基で構成するかたちとし、停泊時は1基、航海時は2基、出入港時は3基の運転を基本としている。またこの他に、非常用電源として、ディーゼル発電機1基および蓄電池を搭載している。

本船の操舵室は、操船および指揮・統制に関連する各区画をワンフロアに配置する新コンセプトを採用しており、従来型の約2倍の面積を確保している。ブリッジ直後の左舷側には機関監視区画、右舷側には航空管制区画(ヘリコプター甲板の監視カメラや航空無線、ヘリテレ映像送受信器)が設けられ、またその後方には通信区画およびOIC区画が設けられている。各区画間には壁を設けず、相互の連携を向上させることで、任務遂行の効率化を図っている。
OIC内には専用通信機を備えた災害対策本部用区画が設定されている。また船橋甲板には特別公室 兼 小会議室も設けられており、こちらも対策本部として使用することができる。このほか、船首楼甲板前部に大会議室もあるが、こちらは必要に応じて小区画に分割し、病室や被災者用船室など、多目的に使用することもできる。

船首楼甲板中央部には医務室や病室、X線撮影室などが設けられており、簡易血球計算機や超音波検査装置も備えられている。医務室には手術台2基や酸素吸入・気管内吸引装置などの医療用機器が配置されており、虫垂炎などの応急手術に対応できるようになっている。
船内スペースは被災者や救援要員の収容を考慮して設計されており、火山噴火が近いなど状況が切迫している場合に多数の人員を急いで収容できるよう、船体中央部の通路はかなりの幅が確保されている。また船内には大小21室もの予備室が設けられており、最大120名程度が宿泊できる。調理室も最大160名分の給食能力を備えている[4]。
艦尾甲板は、シュペルピューマ・ヘリコプターの発着にも対応できるヘリコプター甲板とされている。またここには、必要に応じてコンテナを固縛搭載することもできる。この他にも、船内には救援物資 約360トン分の搭載スペースが確保されており、これら物資の揚降用として大型クレーン1基、雑用クレーン2基を備えている。


本船は第三管区海上保安本部の救難強化巡視船でもあるため、潜水士が乗船している。またこれに加えて、自航式水中テレビ(ROV)や超音波海中捜索装置(海底地形探査用ソナー)も備えており、優れた海中捜索活動を可能としている。ヘリコプター甲板の直前には救難資機材庫が設けられており、左舷側には潜水士用の機材が、また右舷側にはROV関連の機器が収められている。
超音波海中捜索装置は、ROVや潜水士の海中活動に先立って現場海底の状況を把握するために用いられており、得られたデータを3次元画像として表示できる。本船搭載のROVはランチャー・ビークル方式を採用しており、使用時はまず中継器(ランチャー)にカメラなどを積んだビークルを入れて、所定の水深まで降ろしてからこれを発進させる。ビークルは3軸のスラスターと水中テレビカメラ、照明装置とマニピュレータを備えており、ランチャーから半径100メートル以内で活動できる。なお有索式のROVであり、電力はアンビリカルケーブルを介して供給される。九州南西海域工作船事件において沈没した工作船の位置特定にも従事している。

建造所 川崎重工業坂出工場
計画 平成7年度第1次補正計画
起工 1996年3月22日
進水 1997年2月7日
竣工 1997年9月25日
現況 就役中
要目
種別 3,500トン型巡視船
基準排水量 3,683 t
総トン数 3,768 t
全長 110.4 m
全幅 15.0 m
深さ 4.5 m
吃水 4.6 m
主機 ・新潟-SEMT ピルスティク8PC2−6L
 ディーゼルエンジン×2基
・スクリュープロペラ×2軸
出力 12,000馬力
速力 21kt
乗員 110名(最大)
兵装 JM61-MB 20mm多銃身機銃×1基
レーダー ・対水上捜索用×1基
・航法用×1基
ソナー ・超音波海中捜索装置

 

 

二宮駅 JR東日本)東海道本線

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二宮駅(にのみやえき)は、神奈川県中郡二宮町二宮にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道本線の駅である。


東京駅発着系統と、新宿駅経由で高崎線に直通する湘南新宿ラインが停車する。地名の由来は相模国成立の際に寒川神社と一之宮の座を争った相模二之宮(川匂神社)による。

島式ホーム1面2線を持つ地上駅。かつて駅舎は以前は下り方に設置されていたが、現在は橋上駅舎となっている。みどりの窓口(営業時間 6:30 - 20:00)、指定席券売機1台、。券売機が3台や自動改札機が設置されている。


1945年(昭和20年)8月5日の機銃掃射の弾痕が、ホームの大磯側の天井梁に残っている。
北口階段を下りて、3分くらい歩くと、吾妻山がある。
南口の駅前には、『ガラスのうさぎ』の少女の銅像がある。

のりば
番線 路線 方向 行先 備考
1 ■東海道線 下り 小田原・熱海・伊東・沼津方面
2 ■東海道線 上り 大船・横浜・東京方面
■湘南新宿ライン 渋谷・新宿・大宮方面 大宮から高崎線へ直通


1998年3月14日ダイヤ改正より、平日朝ラッシュ時に当駅始発の上り列車が2本設定されている。これは、国府津車両センターから出庫する際に国府津駅の線路容量が足りないため、当駅まで回送して営業運行しているものである。

『ガラスのうさぎ』 - 作者である児童文学作家高木敏子は、当駅で連合国軍部隊の機銃掃射に襲われて目前で父親を殺された。その体験が1977年(昭和52年)にノンフィクション児童文学として書かれたものがこの作品である。同作は大きな反響を呼び、映画化もされた。1981年、当駅南口に寄付により「ガラスのうさぎ」像が建てられた。
漫画『I'll』 - 浅田弘幸著、主人公の最寄り駅として、北口駅舎や駅周辺が登場する。
アニメ『THE IDOLM@STER』第1話、14話、にてアイドルの一人である天海春香が当駅をモデルとした駅(アニメ内での名称不明)及び駅周辺を利用している様子が描かれている。(ホームのみ別の駅がモデル)


1902年(明治35年)4月15日 - 国鉄東海道本線の駅として開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。
1906年(明治39年)8月1日 - 当駅と秦野駅(現在の秦野駅とは別の場所)との間に湘南馬車鉄道(後の湘南軌道)が開通。
1935年(昭和10年)10月9日 - 湘南軌道が営業休止(1937年8月25日廃止)。
1945年(昭和20年)8月5日 - 米軍艦載機P51による機銃掃射の被害を受け、5名が死亡。


1971年(昭和46年)9月25日 - 貨物取り扱いを廃止。
1972年(昭和47年)3月15日 - 荷物取り扱いを廃止。
1982年(昭和57年)10月 - 改築し橋上駅舎になる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
1998年(平成10年)3月14日 - 当駅始発の列車が2本設定される。
2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
2004年(平成16年) - 構内にエレベーター・エスカレータ設置。

電報略号 ニノ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 14,102人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1902年(明治35年)4月15日
備考 みどりの窓口 有

鳴子北駅 名古屋市営地下鉄桜通線

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鳴子北駅(なるこきたえき)は、愛知県名古屋市天白区相川1丁目にある名古屋市営地下鉄桜通線の駅です。駅番号はS18。駅周囲は新興住宅地です。交通結節点として位置づけられている駅です。

駅自体は天白区に所在するが、バスターミナルのすぐ南にある鳴子池より南側は緑区である。


地下鉄開業と同時に、野並車庫の敷地の約半分を使い、地下鉄鳴子北バスターミナルが新設された。野並駅に代わって各地へのバスが多数発着する拠点となるターミナルである。


バスターミナルへは2番出入口が近くエレベータ、エスカレータも併設されています。のりばは3箇所、降車所は1箇所ある。なお、地下鉄開業前は「野並車庫」という名称であり、野並が終点となっていた頃からバスがここまで多数回送されていた(一部客扱いあり)。東海通を西(野並方面)へ向かう系統はターミナル外の停留所にも停車し、「地下鉄鳴子北の西」と案内されている。

島式ホーム1面2線を有する地下駅で、可動式ホーム柵が設置されている。ホームは20m車6両編成まで対応している。切符売場に券売機は2台。改札口にはICカード対応の改札機が3台、1番出入口側にも改札機が1台設置されています。

また、名古屋市営地下鉄の順延区間で初めて駅のイメージカラーが設定され、その色は鸚鵡(黄緑)になっている。駅業務は日本通運に委託されている。


のりば
1 ■桜通線 徳重方面
2 ■桜通線 今池・名古屋・中村区役所方面


2010年5月20日 : 駅名を決定する。
2011年3月27日 : 開業する。

所属路線 桜通線
キロ程 16.0km(中村区役所起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 4,601人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 2011年(平成23年)3月27日


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