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角茂谷駅 JR四国 土讃線

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昭和5年開業の角茂谷駅(かくもだにえき)は、高知県長岡郡大豊町角茂谷にある四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅です。

駅番号はD34。1930年6月21日から1932年12月19日までの2年間半は高知線(土讃本線の一部)の終着駅でした。駅の周辺に人家は無く閑散としています。かつてターミナル駅だった面影はありません。

1面1線の交換不能駅である。無人駅で駅舎は無い。駅舎の跡に「天坪ふれあい休憩所」があり、これが実質的に待合所となっています。

ホームには待合所があり背に駅名表示があります。木製の長椅子が2脚、待合所内に設置されています。ホームはカーブしています。

24番「高知線」の歌

1930年(昭和5年)6月21日 開業。
1969年(昭和44年)10月1日 - 配達の取扱を廃止。
1970年(昭和45年)10月1日 - 無人駅化。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 タニ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1930年(昭和5年)6月21日
備考 無人駅

 


土佐北川駅 JR四国 土讃線

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土佐北川駅(とさきたがわえき)は、高知県長岡郡大豊町久寿軒にある四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅である。国内では非常に珍しい、鉄橋上にホームが設置された珍駅です。

駅番号はD33。開業時は棒線駅でしたがルート変更に伴い若干北に移設(昭和61年)されるとともに、交換駅化されました。

新たに交換設備を造る必要がありましたが、地上にスペースがなかったため、橋の上に島式ホームを造るという珍駅が誕生しました。

橋梁上のためホーム上から川の流れがよく見渡せますが、足元の路盤下にも水面が透けて見えます。

島式1面2線のホームを持つ。穴内川(吉野川の支流)に架かる鉄橋上に設置されている。ホームの幅は狭い。鉄橋には対岸への歩道橋が併設されています。普通列車のみが停車する。分岐器は、14番両開き(制限速度60Km/h)です。


のりば
1 ■土讃線 (上り) 大歩危・阿波池田方面
2 ■土讃線 (下り) 土佐山田・後免・高知方面

鉄橋下に待合室があります。

待合室にはFRP製の椅子と駅ノートがあります。
駅入口にトイレが設置されています。

鉄橋の鋼材に囲まれた中を通りホームへ階段でアプローチいたします。階段を上がると橋上の両面ホームの端に出ます。

駅入口は正面の階段ではなく、橋の下への通路です。

駅へのトラス橋下に潜り込むような桟橋歩道です。

この手前に駐車場があり、トイレもあります。

阿波池田方のトンネルです。複線トンネルに見えますが、トンネル進入後すぐに合流して単線になります。


1960年(昭和35年)10月1日 - 日本国有鉄道の駅として開業。
1986年(昭和61年)3月3日 - 防災のため土讃線の路線変更に伴い、大王信号場と統合する形で現在地に移転。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 キワ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1960年(昭和35年)10月1日
備考 無人駅

 

地上移動局衛星通信装置 J/VRC-601 航空自衛隊

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衛星電話の車両で、天に向けてレドームが搭載されている。

移動通信衛星MCS-1cを利用し、移動通信隊、移動警戒隊および高射部隊などの移動中および展開中、並びにその他の部隊が基地などにおいて通信するために使用される。スカパーJSAT株式会社が保有するスーパーバードという通信衛星の回線を借りている。トヨタのランドクルーザー等(ニッサン車等も有り)の上に半球状の空中線を搭載し、送受信装置は車内に設置している。

送受信装置、空中線装置、接続ケーブルから構成されています。レドームとはレーダー(RADAR)とドーム(dome)を掛け合わせた造語で、レーダーアンテナを保護するための覆い。航空機の機首に装備されているレーダーのアンテナを覆って空気抵抗を少なくするためのカバーがよく知られる。その他、レーダーサイトや艦艇のアンテナでも風雨を避けるための覆いが見られる。強化プラスチックなど、電波の通過を妨げず強度の高い素材が使用される。

勝間田駅 JR西日本)姫新線

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勝間田駅(かつまだえき)は、岡山県勝田郡勝央町勝間田にある勝央町の代表駅です。西日本旅客鉄道(JR西日本)姫新線の駅。

利用客の多くは岡山県立勝間田高等学校の学生です。

相対式ホーム2面2線を持ち、行違い設備を有する地上駅である。広いスペースの駅前にはロータリーがあります。

窓は全てアルミサッシ化された古い木造駅舎。

駅舎は佐用方面行きホーム側にあり、互いのホームは佐用寄りの構内踏切で連絡している。


津山駅管理で駅舎には旅行会社が入っており、その旅行会社に簡易委託駅されてる様子。

出札窓口では携帯車発機による乗車券を発券している。改札口にはパイプ型の簡易なラッチが設置されています。

待合室には造り付けの長椅子とFRP製の椅子が設置されています。便所は、男女共用の水洗式がある。

駅舎の庇には国鉄時代からのものと思しき手書きの駅名表示があります

勝間田駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■姫新線 上り 佐用・姫路方面


2 ■姫新線 下り 津山方面


ホームには行止式の留置線跡もあります。

1934年(昭和9年)11月28日 - 姫津西線として美作江見駅 - 東津山駅間が開業した際に設置。


1936年(昭和11年)
4月8日 - 当駅を含む姫路駅 - 東津山駅間が全通したため姫津西線が姫津線の一部となり、当駅もその所属となる。
10月10日 - 姫津線が姫新線の一部となり、当駅もその所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。

電報略号 マタ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 171人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1934年(昭和9年)11月28日
備考 簡易委託駅

豊永駅 JR四国 土讃線

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豊永駅(とよながえき)は、高知県長岡郡大豊町東土居にある、四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅。

駅番号はD29。

駅のすぐ南側にある南小川橋梁(90m)の南側には、「与作酷道」として名高い国道439号線の踏切があります。


かつて国鉄時代はは、急行列車も停車、急行列車廃止後も1986年11月改正から1990年までは特急列車の一部が停車していたが、現在は普通列車のみが停車しています。

もともとは2面3線のホームだったが、今は3番線での客扱いが廃止され島式ホーム1面2線で一線スルーになっている。

3番線は高知側からの出入ができなくなったが、工作機械留置線として、ホームは国道とのアプローチの関係から残存しています。


駅横には貨物用ホーム跡、木造の職員詰所があり国鉄時代の匂いがかすかに残っている。


トンガリ屋根を持つ、かつてログハウスのような駅舎には平日の午前中のみ駅員が配置されていたが、2010年9月1日に完全な無人駅となりました。

待合室には木製の長椅子が2脚と簡易型の自動券売機が設置されています。

駅舎正面の駅名板は一枚板に手書きです。駅前には土讃線の全通記念碑もあります。
駅前から町民バス(豊永観光運行、大田口駅 - 豊永駅 - 国道439号線 - 落合、大畑井)が発着している。

のりば
1・2 ■土讃線 (上り) 大歩危・阿波池田方面
(下り) 土佐山田・後免・高知方面


ホームの間は屋根無しの跨線橋で結ばれています。

定福寺(古代ハスが有る、かつてはユースホステルも併設されていたが現在は行っていない)

1934年(昭和9年)10月28日 - 開業。
1969年(昭和44年)10月1日 - 配達の取扱を廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 簡易委託駅化。


1987年(昭和62年)2月 - 現駅舎竣工。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。
2010年(平成22年)9月1日 - 無人化

電報略号 トナ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1934年(昭和9年)10月28日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

ホハフ2003・2004 片山鉄道

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ナニワ工機で1950年6月製の片上鉄道オリジナル車。輸送力の増強を目的とした客車です。木造車の台枠、台車を使った鋼体化車。オープンデッキが目に留まります。台車は種車から転用されたイコライザータイプ。デッキには小さなテールライトが付いています。車内はセミクロスシートであるが、ロングシートの部分が結構多い。クロスシートの背もたれにはモケットが付いていないため、板張りに直接もたれなくてはならなかった。


朝夕の通勤通学者の輸送に活躍したほか貨車と混結した混合列車にも長く使用されました。2004には貴重な松葉型スポーク車輪が残っています。

同型車には2001・2002・2005がありました。ホハフ2001と2002は、それぞれ元国鉄のサハ78019、スロ3325の台枠を利用して改造された。ホハフ2003~2005は新造されたことになっているが、実際にはこちらも元国鉄ナハ2300系の台枠が利用されています。ホハフ2001は昭和47年に廃車、2005は晩年に予備車としての扱いを受け、長期間にわたり吉ヶ原に留置されていたが、昭和63年に廃車となりました。

全長:17.6m
自重:22.5t
定員:140人

土佐電気鉄道910形電車

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土佐電気鉄道910形電車は、土佐電気鉄道(土電)に在籍する路面電車車両です。

1990年(平成2年)より路面電車活性化のために始められた外国電車導入の一環として、1994年(平成6年)3月17日に運行が開始された。なお、この形式が現在のところ、土電が導入した最後の外国電車となっている。

もとポルトガル・リスボンの市電であり、現地の工場で1947年(昭和22年)に製造された。
車体は12m級2扉(前後扉)の普通鋼製となっている。土佐電気鉄道での運行を開始するのに先立ち、桟橋工場で以下の大規模な改造工事が行われた。
もとは軽量化のため車体の一部にアルミ、グラスファイバーなどが使われていたが、改造により鋼製化
軌間をリスボン時代の914mmから土電の1,067mmに変更するため、台車を西鉄北方線331形のもの (KL-11B) に交換
集電装置は前後に1本ずつポールが取り付けられていたが、パンタグラフに変更。ポールは非パンタグラフ側の1本のみダミーで存置された。
前面窓を3枚窓から1枚窓に変更
前面窓下にはボンネット状の出っ張りを設けた。
前面窓上には左側に系統番号表示幕、右側に行先方向幕が取り付けられていたのを、中央に行先方向幕のみ配置に変更


前照灯は前面下部両側からボンネットの設置に伴い、ボンネット上部両側に移設し、その下に尾灯・標識灯を縦型2灯配置で設置した。これら前面の改造により改造後の前面の印象は自社1000形に近いものとなった。
乗降扉を1枚引戸から2枚引戸に変更し、ドアエンジンを設置した。
これらの改造で車体のほとんどの部分に手が入り、かなり車体新製に近い形となっている。
内装はリスボン時代に比較的近く、赤色の転換クロスシートが並んでいる。

車体塗装はリスボン時代のドッグフードの全面広告塗装と前面を除き同じものとなっている。
機器類はイギリス製で、リスボン時代のものが引き続き使われている。
改造により、土電が保有している外国電車の中では仕様が比較的他の一般車に近くなったこともあり、外国電車の中ではもっとも稼働率が高い。後述の通り2009年より定期運用を休止しているが、2012年には土休祝日限定ながら運行が復活している。

熊山駅 JR西日本)山陽本線

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熊山駅は、岡山県赤磐市千躰(せんだ)にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅です。

赤磐市に唯一存在する駅であり、「JTB時刻表」では市の代表駅とされているが、市役所のある下市地区(旧山陽町)へ行くバス等の公共交通手段はない。このため、実際には市の代表駅という位置づけにはなっていない(下市地区からJRに乗る場合、岡山駅または瀬戸駅を利用する場合が多い)。また、合併前の旧熊山町の中心地松木地区も当駅からやや離れている。
当駅を最寄りとして、岡山白陵中学校・高等学校があるため、平日の登下校時間帯にはそこへ通う学生で大変混雑する。

元々は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅であったが、2014年時点で待避線(旧2番のりば)の架線は撤去されており、旧3番のりばが2番のりばに改番されている。そのため現在は事実上単式2面2線となっている。

個性的な車寄せがある小さな木造駅舎は姫路方面行きホーム側にあり、島式の岡山方面行きホームへは跨線橋で連絡している。明治45年製、およそ築100年あまりの古い跨線橋は2009年(平成21年)2月に近代化産業遺産の認定を受けました。


直営駅(東岡山駅の被管理駅)で、みどりの窓口が2007年(平成19年)2月2日から営業を開始した。ICOCA利用可能駅。

自動改札機は簡易式のため、降車客の乗車券は駅係員が集札する(窓口非営業時は改札機裏側の集札箱に乗車券を投入する)。便所は、改札内に男女別の水洗式がある。

待合室には木製の椅子が少数設置されています。改札口には簡易型ながら改札機は2台設置されています。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 ■山陽本線 上り 和気・姫路方面
2 下り 岡山・三原方面
島式ホームには半分オープン構造の待合室が設置されています。

 


1917年(大正6年)7月10日 - 国有鉄道山陽本線の和気駅 - 万富駅間に熊山信号場開設。
1930年(昭和5年)8月11日 - 駅に昇格、熊山駅となる。旅客・貨物の取扱を開始。
1960年(昭和35年)10月15日 - 貨物の取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2007年(平成19年)6月17日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機を導入。同年9月1日よりICOCAが利用可能となる。

 

電報略号 クヤ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線(実質2面2線)
乗車人員
-統計年度- 1,496人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1930年(昭和5年)8月11日
備考 直営駅
みどりの窓口 有


大歩危駅 JR四国土讃線

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大歩危駅(おおぼけえき)は、徳島県三好市西祖谷山村徳善西にある、四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅である。駅番号はD27。

旧所在地は「三好郡西祖谷山村」で、平成18(2006)年3月に合併により三好市となりました。
隣の土佐岩原駅との間で県境を越える。また阿波池田駅から当駅までの区間列車が、夕方以降に2往復存在する。2008年3月15日のダイヤ改正によってすべての特急列車が停車するようになった。吉野川の渓谷が美しい大歩危・小歩危の南端にあり、平家落人の里やかずら橋のある(秘境)祖谷渓への入口でもある。駅前から「かずら橋行き」のバスが一日に数本でている。道の駅大歩危 - 鉱物の博物館「ラピス大歩危」(徒歩約10分)

その名称から隣りの小歩危駅と共に「オオボケ・コボケ」と呼び親しまれており、メディアでも時折ネタとして紹介されることがある。また、作家の阿川弘之も「大ぼけ小ぼけ」というタイトルの書籍を刊行している。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有する地上駅。入母屋造りの和風の駅舎です。車寄せのみ瓦葺で、その上に木製駅名板が乗ります。

駅舎とホームは構内踏切で連絡しています。その奥に単式ホームがある。

1番線を渡る方はゼブラ模様の遮断機が付いているが、2/3番線を渡る方(3番ホームへ渡る方)は遮断機が省略されており、それぞれ個別に動作する。島式ホームが1・2番線である。


構内には大歩危の渓谷を眺めることの出来る遊歩道がある。


かつては平日午前中のみ駅員が配置されていたが、2010年10月1日に完全な無人駅となった。駅の管理は阿波池田駅が行っている。自動券売機が設置されている。

待合室には和風駅舎の外観に合わせるかのように、中央には囲炉裏が設置されています。

のりば
1・2・3 ■土讃線 (上り) 阿波池田・琴平・高松・岡山方面
(下り) 土佐山田・後免・高知・中村・宿毛方面
3番線は、元々は留置側線だった。

ホーム中央には小さな木製の上屋が設置されています。災害時の抑留を考慮しているため、場内がかなり長い。

ホームにある、かずら橋のミニチュア。


1935年(昭和10年)11月28日 - 阿波赤野駅(あわあかのえき)として開業。
1950年(昭和25年)10月1日 - 大歩危駅に改称。(西宇→小歩危と同日)
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。
2010年(平成22年)10月1日 - 無人化

キロ程 65.5km(多度津起点)
岡山から118.2km
高松から98.2km
電報略号 オケ
アカ(阿波赤野駅時代)
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 83人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1935年(昭和10年)11月28日
備考 無人駅(自動券売機 有)
* 1950年に阿波赤野駅から改称。

 

小歩危駅 JR四国土讃線

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小歩危駅(こぼけえき)は、徳島県三好市山城町西宇にある四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅です。駅番号はD26。

小股で歩いても危険という意味の駅名通り、周囲は切り立った崖が続く険しい風景が広がっています。


相対式ホーム2面2線の交換可能の無人駅である。道路や集落などからみるとかなり高い場所にあり、断崖を無理矢理削って作られた木造駅舎の駅です。 他のJR四国の駅同様以前からの駅舎をリフォームして使用しているが、他の駅よりも元の建物の雰囲気を残している。駅は崖上に位置し、国道からは長めの階段で連絡します。


待合室は4方向のうちの3方向に出入口があり黄色い長椅子が設置されています。

ホームは構内踏切で結ばれています。駅舎側の1番線を上下副本線、2番線を上下主本線とした一線スルー構造であり、通過列車は原則として2番線を通行していくが、停車列車は乗降客が構内踏切を渡らずに済むよう、1番線に優先的に停車する。

急カーブがあるため速度制限を受ける。副本線(1番線)から本線へのポイントは制限35km/hとなる。

ホーム 路線 方向 行先
1・2 ■土讃線 下り 土佐山田・後免・高知方面
        上り 阿波池田・琴平・徳島方面
崖に張り付くような構内で、両ホームとも極めて狭いです。共にベンチを置く余裕もありません。

1935年(昭和10年)11月28日 - 西宇駅として開業。
1950年(昭和25年)10月1日 - 小歩危駅に駅名を変更。
1970年(昭和45年)10月1日 - 無人駅化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 コケ
ニシ(西宇駅時代)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1935年(昭和10年)11月28日
備考 無人駅

 

キクハ32形+キハ185系「四万十トロッコ号」

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キクハ32形

トロッコ列車用として1997年に501が新潟鐵工所で製造され、2003年には502が増備された。「キクハ」の形式称号が示すように運転室はあるが動力装置を持たない「制御車」である。廃車発生品のDT22形台車を装着し、かつ16m級の小型車体であるため、便宜上仕様面での類似性の強いキハ32形と同系列として取り扱われることになり、キクハ32形となった。


501は緑色塗装で、定員61名。運転開始当初は予土線の「清流しまんと号」の増便用として登場した。このため車体の前面や側面に白地のローマ字で「清流しまんと」や「四国」の文字が入っていた。その後、予土線以外で運用されるようになり、白地のローマ字で「四国」の文字だけに変えている。502は一部の腰部と床面がガラス張りとなっている。

502は当初は緑色塗装で定員52名であったが、2006年のリニューアルで青地にアンパンマンのキャラクターが描かれた「アンパンマントロッコ」となり、同時に定員は48名になった。車内もアンパンマン仕様となっている。
本形式は前述の通り動力装置を持っていないため、主にキハ185-20またはキハ185-26と連結して運転される。この両車はキクハ32形に合わせて車体帯色が緑に変更された。


キハ185系

国鉄の分割民営化を控えた1986年に、四国地区向けに製造された車両の一つである。
従来四国の特急列車に用いられていたキハ181系の代替車ではなく、老朽化した急行形のキハ58系・キハ65形の置き換えと同時に急行列車の特急格上げを行い、経営基盤の脆弱が予想されるJR四国の経営安定化を図る目的で開発された。
また、短編成での小単位輸送に用いることを念頭に置いて設計されているほか、更に徹底したコストダウンも図られた。

最高速度 110km/h
車両定員 60名(キハ185形0番台)
最大寸法
(長・幅・高) 21,300mm×2,903mm×3,845mm
車体材質 ステンレス
車両質量 39.0t(キハ185形0番台)
機関出力 250ps(DMF13HS)×2(キハ185形)
駆動装置 液体式(TC2A/DF115A)
変速段 変速1段・直結1段
台車 円錐積層ゴム式ボルスタレス台車
DT55(動力台車)・TR240(付随台車)
制動方式 電磁自動空気ブレーキ(CLE)
保安装置
ATS-SS(JR四国)
製造メーカー 日本車輌製造・新潟鐵工所・富士重工業
備考
Wikipedia laurier W.png第27回(1987年)
ローレル賞受賞車両

魚雷艇整備壕群跡(宿毛基地

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宿毛市 宇須々木の旧海軍基地

『震洋』という木製のモーターボートの先端に、爆弾を積んで敵艦に突撃して自爆する特攻艇が格納されていた。実際に震洋隊がこの基地から出撃したという記録はないようです。

大艦隊の停泊が可能な宿毛湾には、大正10年(1922)に戦艦「長門」を旗艦とする艦隊が寄港して以降、昭和17年(1942)まで、次々と艦隊が姿を見せており、宇須々木が訓練、休養を支える基地として活用された。
 宿毛湾沖は、ワシントン軍縮会議により廃艦となった戦艦「土佐」を沈下させたり、戦艦「大和」が沖の島ー鵜来島間を公式航行試験を行ったことでも知られている。


 この宇須々木に、常駐の基地が設置されたのは昭和8年ごろで、兵舎が2棟でき、航空隊が配置された時期もあったが、太平洋戦争が激化する中で、昭和20年3月、第21突撃隊の特攻基地本部となった。第21突撃隊は越浦(土佐清水市)、泊浦、柏島(大月町)などにも派遣隊を置き、特攻用の「震洋」が配置された。

さらに戦況の推移にともない、豊後水道全域を指揮する、第8特攻隊の司令部も大分県佐伯(佐伯市)から移転した。

終戦時宇須々木は、須崎(須崎市)の第23突撃隊、佐伯の第24突撃隊も指揮下におく重要な基地だった。当時は兵舎、桟橋、無線塔、病院など多くの施設があったが、現在も弾薬庫、貯油庫、飛行艇揚陸スロープ、飛行艇の係留場、誘導灯、防空壕などの遺構が残り、戦争を今に伝えている。(立看板)


区分  1型艇         5型艇
全長   5.1m      5.1m
幅   1.67m     1.86m
高さ    0.8m        0.9m
普通喫水  0.326m     0.380m
満載喫水  0.55m     0.60m
排水量  1.295t     2.2t
主機械 トヨタ特Kc型     トヨタ特Kc型
    ガソリンエンジン1基  ガソリンエンジン2基


速力(特別) 16Kt(23Kt) 23Kt(32Kt)
馬力(特別) 42HP(67HP) (134HP)
航続距離    16Kt-110浬 27Kt-170浬
兵装   爆装250Kg    爆装250Kg
12cmロサ弾 2発  12cmロサ弾 2発13mm機銃 1
乗員  1名         2名

甲浦駅 阿佐海岸鉄道阿佐東線

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甲浦駅(かんのうらえき)は、高知県安芸郡東洋町大字河内にある、阿佐海岸鉄道阿佐東線の駅である。駅番号はAK30。


2012年時点では、この路線で唯一高知県内に属する駅となっている。また、高知県内に属する鉄道駅では最も東に位置するほか、他の高知県内の駅と隣接していない飛地状態の駅となっている。


当駅から奈半利駅(土佐くろしお鉄道阿佐線として開業)までの間には、鉄道敷設法による予定鉄道線路(改正鉄道敷設法別表)により鉄道を敷設する計画が定められていた(未成線)が、国鉄再建法によって事業が凍結された。

のちに、国鉄分割民営化に伴う法令施行に伴い鉄道敷設法が廃止され、法的な根拠をもった路線計画は消滅した。

単式ホーム1面1線を有する高架駅である。駅前は区画整理はされているものの全く建物は建っていません。駅舎は木造駅舎です。

室戸・奈半利方面へ延伸できるような構造となっており、駅舎は高架上にあるホームから階段を降りた線路脇に設置されている。甲浦婦人会が売店の営業と乗車券の販売を受託する簡易委託駅である。なお、同会は駅構内にてレンタサイクルの営業も行っている。


列車の夜間滞泊はなく、全ての列車が宍喰駅まで戻る。


駅ノート・駅スタンプが設置されている。

ホーム上には狭い待合室が設置されています。

1992年(平成4年)3月26日 - 阿佐海岸鉄道阿佐東線の営業開始に伴い開業する。

電報略号 カン
駅構造 高架駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1992年(平成4年)3月26日
備考 簡易委託駅

阿佐海岸鉄道株式会社(あさかいがんてつどう)は、徳島県海部郡海陽町に本社を置き、旧日本鉄道建設公団建設線だった阿佐東線を運営している、徳島県・高知県・海陽町・東洋町などの出資による第三セクター方式で設立された、第三セクター鉄道事業者。
阿佐東線は四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の末端的存在であり、沿線人口が少ない上に路線距離も短いため運賃収入は2千万円を切る状態(輸送密度は約170人/日)で、開業以来赤字続きで一度も黒字を計上できていない。沿線の高校統廃合で定期客も減少し、毎年の経常赤字が5 - 9千万円前後に上り、地元自治体の負担は限界に近いとされ、廃止を検討している第三セクターとして名前が挙げられている。2008年度鉄道統計年報によると、日本全国のJR線以外の路線で最も利用者が少ない。

1988年(昭和63年)9月9日 設立。
1992年(平成4年)3月26日 阿佐東線 海部 - 甲浦間が開業。
2006年(平成18年)3月1日 全駅で駅番号表示を開始。
2008年(平成20年)6月30日 宍喰駅で夜間に回送列車が壁面に衝突して脱線し、自社車両1両破損、廃車。

 

 

ASA-100形「しおかぜ」 (101)阿佐海岸鉄道

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この車両(「しおかぜ」ASA100形の愛称名)は、室戸阿南海岸国定公園の美しい海岸線、太平洋の打ち寄せる波と砂浜をイメージして製作されました。


ASA-100形とASA-200形は新潟鐵工所が製作したNDCの軽快気動車シリーズのステンレス車体の18m級気動車。土佐くろしお鉄道のTKT-8000形をベースにしている。機関・変速機とも新潟鐵工所製のものを装備する。エンジンはDMF13HS (250PS/2000rpm) を1基搭載している。座席は、車内は転換クロスシート(車端部はロングシート)。営業距離が短いためトイレは設置されていない。前面に方向幕を装備している。

阿佐海岸鉄道 形式-ASA100 101 計1両
製造初年(製造所) H03 新潟鉄工
車体(長さ:幅:高さ:重量 形態) 17750 2938 3775 27.5 両運2ドア
定員(座席数) 座席形状 110 50 sc
エンジン(出力ps:回転数rpm) DMF13HS 250*1 1900 クーラー AU34
台車 NP120 改造 導入

阿波海南駅 JR四国牟岐線

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阿波海南駅(あわかいなんえき)は、徳島県海部郡海陽町四方原にある、四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅。

駅番号はM27。旧・海部郡海南町の駅で、平成18(2006)年3月に合併により海陽町となりました。海陽町の中心に位置し、駅周辺には大きめの集落を形成されています。海陽町役場(旧海南町役場)や町立図書館が近く駅の南にはスリーエフ海南店があります。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎はなくホームに待合所が設置され木製の長椅子があります。

駅前にはもともとは駅前食堂だった待合所が今まは新しく交流会館になって引き続き待合所としても利用されています。

駅員はおらず、自由に出入りできる。

構内には交換設備が以前あったのか予定なのか敷地があり、線路もこのままY字両開き分岐が設置できそうにカーブを描いています。

1973年(昭和48年)10月1日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 ナン
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1973年(昭和48年)10月1日
備考 無人駅


海部駅 JR四国牟岐線 阿佐海岸鉄道

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海部駅(かいふえき)は、徳島県海部郡海陽町奥浦字一宇谷にある四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の終着駅と阿佐海岸鉄道の駅です。駅番号は牟岐線がM28、阿佐東線がAK28である。「俺たちの旅 三十年目の運命」でロケに使われた。

駅周辺には主に個人経営の店舗が点在し、その東には神社や漁港がある(主に海陽町海部庁舎付近の道を使って移動する)。その神社では毎年11月3日(文化の日)に七五三祭りが例年行事として行われ、その年に来場した子供(もしくは親子連れ)のポラロイド写真が後日、ピア海部内にて数日間展示されている。以前は海部町の中心駅でした。

合併時に現・海陽町の中心部の地位を隣の元・海南町に奪われたため、町役場等の主要施設の最寄り駅から外れてしまいました。旧海部町役場は、海陽町・海部庁舎となったが、海陽町役場(海南町役場)との距離は800m程度しか離れていない。

当駅北側の牟岐線上にある町内(まちうち)トンネルは、当初は山を貫いていたが、宅地開発などによって山が切り崩された。

結果、構造物のみのトンネルとなり、赤瀬川原平の『超芸術トマソン』に「純粋トンネル」として紹介されたり、テレビ番組(「巨泉のこんなモノいらない!?」など)、「Rail Magazine」(ネコパブリッシング)連載の「トワイライトゾ~ン」等でも多数取り上げられ、一躍有名になった。
北隣の阿波海南駅とは海部川大橋をはさんで1.5kmと距離が短い。

相対式ホーム2面2線を有する高架駅。開業当初は単式ホーム1面1線の構造で側線も持たない駅であったが、阿佐東線の開通時にホームが増設されている。高架駅であるにもかかわらず、めずらしく高架上に渡線路(いわゆる構内踏切)が設置されており、2番線ホームへはこれを利用して移動する。


高架下の木造駅舎には、海陽町観光案内所がある。JR四国・阿佐海岸鉄道ともに簡易委託駅であり、海陽町観光案内所が両社の乗車券の販売を受託している。待合室には丸太で作った机と椅子、トイレが設置されています。駅前には元厚生大臣の森下元晴が揮毫した「阿佐海岸鉄道開通記念之碑」が案内所の前、ホームへ上がる階段の付近に建てられている。

のりば
1 ■牟岐線 牟岐・阿南・徳島方面
■阿佐東線 宍喰・甲浦方面 (牟岐線からの直通列車)
2 ■阿佐東線 宍喰・甲浦方面
■牟岐線 牟岐・阿南・徳島方面 (阿佐東線からの直通列車)
駅名標は1番ホームがJR四国様式、2番ホームが阿佐海岸鉄道様式となっている。


1973年(昭和48年)10月1日 - 四国初の高架駅として、日本国有鉄道海部駅開業(旅客扱いのみ)。当初は終着駅。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道(JR四国)の駅となる。
1992年(平成4年)3月26日 - 阿佐海岸鉄道海部駅開業。

電報略号 カフ
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 997人/日(降車客含まず)
-2008年-
開業年月日 1973年(昭和48年)10月1日
所属路線 ■牟岐線(JR四国)
駅番号 ○M28
所属路線 ■阿佐海岸鉄道阿佐東線
駅番号 ○AK28
備考 共同使用駅 簡易委託駅

 

うらが(MST-463)掃海母艦 海上自衛隊

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うらが(MST-463)は 、海上自衛隊の掃海母艦。艦名は浦賀水道に由来する。うらが型掃海母艦の1番艦。海上自衛隊の掃海母艦の艦級。機雷敷設艦機能を併せ持つため、機雷戦母艦としての性格を有する。

掃海母艦「はやせ」(44MST)と機雷敷設艦「そうや」(44MMC)の代替として、その双方の機能を兼ねそなえた艦として建造された。「はやせ」のペルシア湾派遣(自衛隊ペルシャ湾派遣)の経験を反映して母艦機能の向上が図られたほか、新たに導入される航空掃海具(Mk.105)のドックからの投入・揚収に対応するなど航空掃海を行うためのヘリコプター支援機能も求められた。この結果としてかなり大型化し、最終的に当初計画よりやや小型化して5,600トン型とされたものの、これでも44MSTと比して排水量は倍増している。
ネームシップの建造は、03中期防の後半にあたる平成6年度計画において、297億円で認可された。2番艦の建造も翌年度計画で認可された。

「うらが」は、中期防衛力整備計画に基づく平成6年度計画5,600トン型掃海母艦463号艦として、日立造船舞鶴造船所で建造され、1995年5月19日起工、1996年5月22日進水、1997年3月19日に就役の後に第2掃海隊群に配属された。
2000年3月13日に掃海隊群直轄艦となる。
2005年11月25日、国際連合難民高等弁務官事務所の要請を受け、アフガニスタンの難民向けにテント・毛布などの物資を運ぶため護衛艦「DD-157 さわぎり」と共にパキスタンのカラチへ派遣された。救援物資搬出後は「さわぎり」と別れ12月31日に帰還した。
2011年9月、「MSO-302 つしま」と共に海自艦艇としては初めてベトナム・ダナン港[3]およびインド洋アンダマン諸島のポートブレアに寄港した。その後は10月14日にバーレーン・ミナサルマンに寄港し、翌15日から30日までバーレーン沖ペルシャ湾にてアメリカ合衆国とイギリス共催による多国間掃海訓練に日本国として初参加し、12月1日に帰国した。

設計面では、バルバス・バウやステルス化された塔状マストなど、並行して計画されていた8,900トン型輸送艦(05LST)と共通した要素が多い。平甲板艦型を採用しており、船体中央部から艦尾にかけての主船体内には、中央部にはウェル・デッキ、両側には機雷庫が、それぞれ第2・3甲板の2層分の高さをもって設けられており、船尾には油圧で開閉する門扉を備えている。門扉のうち、中央にある大型のものが航空掃海具用で、下ヒンジ式とされている。一方、その両舷の小型のものが機雷庫に接続したもので、上ヒンジ式である。
その上方の後甲板(第1甲板)はヘリコプター甲板とされており、MH-53Eヘリコプターの運用に対応するため、かなり広い面積が確保されている。その前方に位置する上部構造物後部は航空掃海具用整備格納庫とされている。ヘリコプター甲板とウェル・デッキはエレベータにより連絡しており、通常、第1甲板の整備格納庫で整備を受けた航空掃海具はエレベータで格納庫に戻され、ここから投下・揚収を行うが、第1甲板からでも投下・揚収を行えるよう、後部左舷のクレーン力量は8トンとされている。
なお、ステルス性に配慮した設計を行ったステルス艦であるが、主船体については、掃海艇への横付け補給を行う場合を考慮して、あえて傾斜は付されなかった。また横付け補給のため、第2甲板レベルにレセスが付され、舷門等の設備が設けられている。
主機関も05LSTと同じく、三井造船製4サイクルV型12気筒中速ディーゼルエンジンである12V42M-A(9,900bhp/600rpm)が搭載された。

前甲板に62口径76mm単装速射砲1基が備えられるスペースがあり、後日装備ということになっているが未だ装備されていないため、射撃指揮装置2型(FCS-2)なども装備していない。かつて退役する護衛艦「むらくも」から転用する計画があったが状態が思わしくないために断念しており、その後は搭載の目途が立っていない。
小型船舶対処用としては12.7mm重機関銃M2が数挺装備されている。これらは普段は武器庫に格納されており、必要に応じて銃架に装備する。

本型は、個艦での対機雷戦能力は備えていない。しかし、ヘリコプター用のMk.104音響掃海具とMk.105磁気掃海具を搭載できることから、航空集団第111航空隊のMH-53E掃海ヘリコプターと連携して掃海作業を実施する。その後、2011年より、新型のMCH-101掃海ヘリコプターの調達が開始された。こちらは従来の航空掃海具を搭載できないが、AN/AQS-24A空中機雷掃討システムや航空機搭載レーザ機雷検知システム(ALMDS)に対応しており、機雷掃討に重点をおいた装備となっている。
また機雷敷設のため機雷敷設装置3型を備えており、艦尾の小さい門扉4基にそれぞれ機雷敷設軌条3条を備えている。機雷搭載数は約230発とされている。
なお、母艦機能の一環として、司令部施設や水中処分員のための減圧室も有している。

本型は、充実した搭載能力や医療能力を含めた母艦機能をいかして、海外への災害派遣(救援物資の輸送)にも活用されている。例えば機雷庫は温度・湿度等を一定に保つ機能があることから、邦人輸送等では居住区としても転用できる。

映画『男たちの大和/YAMATO』では戦艦「大和」の艦舷として、「大和」に着任したばかりの海軍特別年少兵たちが、タラップを甲板へ上がるシーンに「ぶんご」を撮影に使用した。「ぶんご」左舷のタラップを降ろし、艦左舷を合成処理がすぐ出来るように青いシートを張って撮影された。

建造者 日立造船 舞鶴造船所
運用者 Flag of Japan.svg海上自衛隊
計画 平成6年度計画
発注 1994年
起工 1995年5月19日
進水 1996年5月22日
就役 1997年3月19日

艦種 掃海母艦
艦級 うらが型
排水量 基準 5,650トン
満載 6,850トン
全長 141.0m
全幅 22.0m
吃水 5.4m
機関 2軸推進
* 三井造船12V42M-Aディーゼル × 2基
機関出力 19,500PS
速力 最大速 22ノット
乗員 170名
兵装 * 62口径76mm単装速射砲 × 1基(後日装備)
* 12.7mm重機関銃M2
* 機雷敷設装置3型
* Mk105航空磁気掃海具
* Mk104航空音響掃海具
艦載機 着艦スペースのみ
レーダー * OPS-14C対空
* OPS-20航海
ソナー 機雷探知用ソナー(後日装備)
電子戦・
対抗手段 着艦スペースのみ

鯖瀬駅 JR四国牟岐線

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鯖瀬駅(さばせえき)は徳島県最南端の町、徳島県海部郡海陽町浅川にある四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅です。駅番号はM25。周囲には民家が散在しているが列車本数が少ないこともあって駅の利用者は少ない。


駅名の「鯖」という字の旁は「青」ではなく「」です。
駅近くの八坂寺は別称「鯖大師本坊」と呼ばれ、四国別格二十霊場札所とされています。


単式1面1線のホームである。駅舎はありません。ホーム上には待合所があります。ホーム待合所には木造の長椅子が設置されています。

駅ホームから景勝地「八坂八浜」と呼ばれている太平洋の海岸を望むことができます。回送列車を除く全ての列車(普通)が停車致します。

駅を出ると両方面にすぐにトンネルがあります。

1973年(昭和48年)10月1日 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 サハ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1973年(昭和48年)10月1日
備考 無人駅

 

美作大崎駅 西日本旅客鉄道(JR西日本)姫新線

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美作大崎駅(みまさかおおさきえき)は津山市郊外の農村地帯、岡山県津山市福力にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)姫新線の駅である。
なお、駅名の由来となっている旧勝田郡大崎村は「おおざき」と濁るのが正しい。

津山方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を持つ地上駅(停留所)である。棒線駅のため、津山方面行きと佐用方面行きの双方が同一のホームより発車する。


津山駅管理の無人駅。かつての木造駅舎があったが現在は撤去されブロック積みの簡素な待合所が設置、直接ホームに入る形になっています。自動券売機も設置されていない。

ホーム待合所内には造り付けの長椅子が設置されています。駅前広場の隅には倉庫があります。

1934年(昭和9年)11月28日 - 姫津西線として美作江見 - 東津山間が開業した際に設置。


1936年(昭和11年)
4月8日 - 姫路 - 東津山間が全通したため姫津西線が姫津線の一部となり、当駅もその所属となる。
10月10日 - 姫津線が姫新線の一部となり、当駅もその所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。


電報略号 ミオ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 25人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1934年(昭和9年)11月28日
備考 無人駅

牟岐駅 JR四国牟岐線

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牟岐駅(むぎえき)は、徳島県海部郡牟岐町大字中村字本村にある、四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅。

駅番号はM24。昭和48(1973)年10月まで30年あまり終着駅でした。


普通列車の大部分は当駅で系統分断される。特急列車も全て停車する。当駅以南及び阿佐海岸鉄道は有効長が短い為(3両)、多客期に特急を増結した場合、当駅で解結が行われ、普通列車として運転される。


2010年3月12日までは徳島方面からの最終列車の到着は日付を越えていたが、2012年3月17日ダイヤ改正時点では23時26分となっている。

島式ホーム1面2線を有する地上駅。開業当時からの木造駅舎が残っている。ステンレス板の反射が屋根の端の部分に取り付けられ駅舎の外観雰囲気は南国風です。

駅舎の待合室には長椅子とFPR製の椅子があります。キオスクは撤退しています。切符売場には有人窓口と簡易型の券売機が設置されています。

夜間滞泊もある。直営駅。駅構内は複数の留置側線を持ち長い間終着駅だったため広々としています。2009年度にバリアフリー化工事が実施され、ホームの一部嵩上げと車椅子用スロープの設置が行われた。

跨線橋は無く、ホームと駅舎との間は構内通路で繋がっています。


1942年(昭和17年)7月1日 - 国有鉄道牟岐線の駅として開業。当初は終着駅。
1973年(昭和48年)10月1日 - 牟岐線 当駅 - 海部駅間が延長開業。当駅は途中駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により四国旅客鉄道の駅となる。

電報略号 ムキ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 168人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1942年(昭和17年)7月1日
備考 直営駅

 

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