Quantcast
Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
Viewing all 3250 articles
Browse latest View live

海上自衛隊第1術科学校 安式四十口径六吋砲

$
0
0

堺市の元市議会議員、加藤均氏(85)が海上自衛隊第1術科学校に寄贈したサイパンで発見された旧海軍の艦載砲、日露戦争(明治37年2月8日~明治38年9月5日)に於いて、英国アームストロング社製「QF 6 inch /40 naval gun(40口径6インチ速射砲)」180門が輸入され戦艦・巡洋艦の副砲として使用された。
これを準国産化した火砲が「安式四十口径六吋速射砲(アームストロング式40口径6インチ速射砲)」「安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)」であった。(6インチ≒15.2cm)

北海道炭礦汽船會社とアームストロング社の合弁会社である室蘭の日本製鋼所で「安式四十口径六吋速射砲」「安式四十口径十五糎速射砲」を国産化し、明治41年(1908年)、「四一式四十口径十五糎砲(41式40口径15cm砲)」として制式化された。

大東亜戦争時、「安式四十口径六吋速射砲」「安式四十口径十五糎速射砲」「四一式四十口径十五糎砲」は、艦載砲として旧式化していたが、沿岸砲台として使用された。現在も太平洋上の島嶼に多数遺されている。
尚、「四一式四十口径十五糎砲」を、当時の平均的日本人の体格に合うように一回り小さくした火砲が、大正3年(1914年)に制式化された「三年式五十口径十四糎砲(3年式50口径14cm砲)」であった。

砲の後ろから弾を装填する後装式火砲は開発当時は画期的なシステムであり、装填時間は従来の十分の一に短縮された。当初は、後装式火砲は「速射砲(QF gun:Quick-firing gun)」として前装式火砲と区別された。後に殆どの火砲が後装式火砲になると、「速射砲」という名称は廃れた。

砲製造所  安社
 砲式  安式
 尾栓の式  春日 : 三挙動式
 その他 : 安式
 発火装置種類  安式
 口径 (粍)  152.4
 砲身重量 (瓩)  一号 : 5,770
 二号、三号 : 6,660
 砲身構造  一号、二号 : 層成式
 三号 : 鋼線式
 砲身全長 (粍)  6,330.8
 砲筒全長 (粍)  6,095.9
 旋条種別  右旋漸加
 旋条拗曲度  砲口にて29.14口径に付き1回転
 旋条数  一号 : 28
 二号、三号 : 24
 筒渠幅 (粍)  一号 : 11.43
 二号、三号 : 9.90
 筒渠深 (粍)  一号:1.27
 二号、三号:1.30
 薬室長 (粍)  739.0
 薬室容積 (立)  13.2
 砲の命数  330
 単装連装別  単装
 砲架の種類  高脚
 砲架の全重量 (瓩)  4,634
 最大仰角 (度)  16
 許容駐退最大限(粍)  379.7
 水圧電動装置  水圧及び電動
 洗浄噴気装置  
 楯の全重量 (瓩)  上甲板砲 : 4,560
 中甲板 : 1,340

弾種 徹甲榴弾 鍛鋼榴弾
 弾量 (瓩) 45.36
 弾丸長 (粍) 481.7 571.5
 炸薬  薬種 下瀬火薬
 薬量 (瓩) 1.875 4.800
 信管 伊集院信管一号
新式伊集院信管一号

 装薬  種別 常装 減装
 型式 薬莢
 薬種 MD紐状
 薬量 (瓩) 6.670 3.200
 初速 (米/秒)700 450
 砲口全勢力 (粍・瓩)    
 砲口穿入力 (粍) KC鋼板 159  
 火管 速射砲用電気火管
安砲用撃発火管

 照準装置  常盤、春日 :
 単働整度器付
 その他 : 単働
 望遠鏡の種類  直径2吋半
 照準線と筒軸線との距離 (粍)  上甲板砲 :
    A : 387.18
    B : 525.30
    C : 374.50
    D : 528.60
 中甲板砲 :
    A : 332.64
    B : 333.70
    C : 330.35
    D : 334.37
 照準線長 (粍)  940
 基準距離 (米)  一号 : 1100
 二号、三号 : 2300
 照尺の最大射程 (米)  10000
 照準器固有傾度  1度 30分 00秒

 


1500形気動車一般形気動車 JR四国

$
0
0

1500形気動車は、四国旅客鉄道(JR四国)が2006年(平成18年)から製作する一般形気動車です。1次から7次まであり4次車は2010年(平成22年)に6両 (1552 - 1557) が製作されました。外部仕様は3次車に準じたものとなっています。

JR移行で旧・日本国有鉄道(国鉄)から承継し地域輸送に使用してきたキハ58系気動車など国鉄形気動車の老朽取替を目的として、JR四国が1000形気動車に引き続き製作した車両である。製造は新潟トランシスが、内外装のデザインは富士重工業系列のタグ・インターナショナル(現・富士テクノサービスTugデザイン事業部)が担当しました。
環境保全を重視した「環境にやさしい車両」として、かつ、バリアフリーに配慮した車両として開発され、2006年から徳島地区を中心として地域輸送に使用されている。

牟岐線桑野以南では、当初はプラットホームが嵩上げされていなかったため運用はなかったが、嵩上げ工事が完了したため2010年3月13日改正にあわせて乗り入れが開始された。阿南 - 桑野では2008年から使用されているが、当初は阿波橘駅のホームが嵩上げされていなかったため、通過していた。2009年3月14日から、阿波橘駅にも停車するようになりました。

両運転台付単行車
営業最高速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h
車両定員 121人
車体長 21,300 mm
車体幅 2,988 mm
車体高 3,976 mm
軌間 1,067 mm
機関出力 450ps(SA6D140HE-2)1基
変速段 液体変速式 変速1段、直結4段
台車 円錐積層ゴム式ボルスタレス台車
S-DT65(動力軸)、S-TR65(付随軸)
制動方式 電気指令式空気ブレーキ
保安装置 ATS-SS
製造メーカー 新潟トランシス
近畿車輛(7次車)

 

新白岡駅 JR東日本)東北本線

$
0
0

国鉄末期に開業した新白岡駅(しんしらおかえき)は、埼玉県白岡市野牛にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅です。国鉄の駅だった期間は、わずか1か月あまりでした。駅周囲は大規模なニュータウン開発が行われている。


「宇都宮線」の愛称区間に含まれており、上野駅発着系統と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車する。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を有している。

駅前広場は整備されています。改札内(ホーム)・改札外(自由通路)ともに、エレベーターが設置されている。ホーム屋根の長さが利用者数に対して短く、白岡市などは長年にわたってJR東日本に対し屋根延伸の要望を続けている。

特に久喜駅寄りは屋根のある範囲が非常に短い上にホーム自体の幅も狭いため、特に雨天時には非常に危険な状態にある。改札脇にはキオスクが営業しています。


JR東日本ステーションサービスが業務を受託する業務委託駅で切符売場。券売機は2台、指定席券売機が設置されている。トイレは改札外(東口)にある。改札口には改札機の設置台数が4台。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■宇都宮線(東北線) 上り 大宮・東京・新宿・横浜・大船方面
(■湘南新宿ライン・■上野東京ライン含む)
2 下り 久喜・小山・宇都宮・黒磯方面
湘南新宿ラインの列車は前述のように横須賀線へ直通する。本項では湘南新宿ラインのラインカラーを■青、上野東京ラインのラインカラーを■紫で示すが、実際のホーム案内はすべて■オレンジで案内されている。

1987年(昭和62年)
2月26日 - 日本国有鉄道(国鉄)の駅として開業。近隣住民の要望による。
4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
2004年(平成16年)12月19日 - 宇都宮線(上野駅 - 古河駅間)ATOS稼働開始。

2008年(平成20年)2月 - みどりの窓口廃止。

電報略号 シラ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 6,260人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1987年(昭和62年)2月26日
備考 業務委託駅

 

山河内駅 JR四国牟岐線

$
0
0

山河内駅(やまがわちえき)は、徳島県海部郡美波町山河内にある、四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅です。

旧所在地は海部郡日和佐町で、平成18(2006)年3月に合併により美波町となりました。駅番号はM22。普通列車のみが停車する。

駅名のとおり両側を山に挟まれた谷間にある駅。しかし、駅や国道55号を中心に小さいながらも集落が形成されており、それなりに人の気配がする。利用客は隣の辺川駅よりは多い。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。元は単式1面2線だったが、無人化時に駅舎側の1線を外した。
国鉄時代はこぢんまりとした駅舎が残っていたが、JR四国になってから駅舎は取り壊された。

代わりにホーム上に庇のついた待合所とトイレが設置されている。

駅舎のあった場所には、駅舎の叩きが今も残っている。2009年度にバリアフリー化工事が実施され、ホーム嵩上げと車椅子用スロープ設置が行われた。構内には、徳島電気区の山河内中継所があります。
ホームは駅前広場から一段高いところにある。


貨物用引き込み線跡、貨物ホーム跡が残っています。


1942年7月1日 - 開業。
1987年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 ヤカ
駅構造 地上駅


ホーム 1面1線
開業年月日 1942年(昭和17年)7月1日
備考 無人駅

 

 

阪神タイガース号 9640形阿佐線用

$
0
0

 

2002年の阿佐線開業時に登場した気動車である。2003年に9640-11が増備された。形式番号の「9640」は、「くろしお」に引っかけたもの。車体は両運転台式の21m級で、前頭部が普通鋼製である他は軽量ステンレス製となっている。エンジンは450ps/2100rpmのコマツ製SA6D140H-1形直噴式ディーゼル機関を1基搭載しており、最高速度は110km/hとなっている。JR四国1000形気動車との併結も可能である。


1S、2Sの2両は特別仕様車として前頭部が流線型になり、海側には眺望に配慮してオープンデッキ式の通路が設けられている。また、前頭部にはクジラを模したペインティングがされ、1Sは青系で側面にはやなせたかしのデザインしたキャラクターが、2Sは緑系で海側には魚の、山側には農産物のイラストが描かれている。2Sは日本宝くじ協会寄贈の宝くじ号である。定員は107人(座席30人、立席77人)。


3 - 11は一般仕様で、座席は転換クロスシートとロングシートを組み合わせたセミクロスシート(11はオールロングシート)である。定員は132人(座席52人、立席80人)。転換シートは背もたれが非常に高いのが特徴で、座ると落ち着いた雰囲気を味わえるものの、前の席の高い背もたれもあって車内の見通しはほとんど効かない。
11は2Sと同じく宝くじ号で、「手のひらを太陽に」号(略称:太陽号)という名称が付けられている。
本車両の一般仕様車両のみJR土讃線の普通列車として高知 - 土佐山田間の運行にも使用されている。

9640形は海岸沿いを走る路線性格に合わせオールステンレスカー(ただし運転台部は普通鋼製)の両運転台軽量気動車だが、車体長は20メートルを超えるフル規格車である。機構的にはJR西日本キハ126形とほぼ同一としているが、JR四国1000形との併結機能を付加したり、クロスシート部分をバケットタイプの転換クロスシートにするなど、独自性を出している。最高速度は110Km/hで、450PSのコマツ製エンジンに変速1段直結4段の変速機を組み合わせている。台車は軽量のボルスタレスタイプとなっている。ブレーキは電気指令式で、電車における回生ブレーキの発想を応用したコンバータブレーキ優先遅れ込め式である。全車に車いす対応のトイレを備える。シートは一般車 (3 - 10) の場合、車両の中央で転換クロスシートとロングシートが分かれるというあまり例のない配置となっている。1S・2Sがオープンデッキ車両で、前面デザインが異なるほか海側をオープンデッキとしている。室内は転換クロスシートと補助椅子を備える。2004年度に新製された車両 (11) は、駅キャラクターの作者である漫画家やなせたかしが作詞した曲にちなみ、「手のひらを太陽に」号(通称「太陽」号)と名付けられた。オールロングシートで、イベント時には畳を敷いて、お座敷列車として運用できるようになっている。


その他の一般車グループも独特な塗装をまとった車両が複数存在する。その中で最も目立つのは沿線の安芸市営球場で阪神タイガースがキャンプを毎年行っていることから、黄色を基本として黒い縦線が不規則に走る虎柄の塗装をまとい「阪神タイガース号」のヘッドマークを出している9640-10である。当初2003年のみの運行予定だったが、その年に阪神は18年ぶりのセントラル・リーグ制覇。さらに2005年にもリーグ制覇したため、今なおタイガース塗装のまま運転されている。

2006年2月26日にはオープン戦観戦ツアー団体列車の車両として使われ、JR車との併結で愛媛県まで足を伸ばした。奈半利~安芸~球場前~後免~JR高知駅間を快速+普通列車として運行しています。

日和佐駅 JR四国牟岐線

$
0
0

日和佐駅(ひわさえき)は、旧日和佐町の中心駅で、平成18(2006)年3月に合併により美波町となりました。

徳島県海部郡美波町奥河内字弁才天にある、四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅です。駅番号はM21。特急を含む全列車が停車する。駅西にある二十三番札所薬王寺は、厄除の寺として有名で、年末年始には初詣の臨時列車も運行されます。


道の駅日和佐と併設しています。四国で3箇所目、全国で11箇所目の、鉄道の駅と一体になった道の駅の鉄道駅です。なお西日本で3つある同様の駅は、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の田野駅と夜須駅であり、全て国道55号沿いに存在いたします。駅の真正面には、日和佐城が見ることができます。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。

駅舎は昭和14(1939)年12月開業時のものをリニューアルしたものです近くの日和佐海岸はウミガメの産卵地として知られ、駅舎の屋根も亀の甲をイメージした木造駅舎です。

駅舎入り口には製の駅名プレートが掲げられています。

かつては2面3線であったが、2番のりばの西側の線路は現在は使用していない。

単式ホームの1番のりばの牟岐方に切欠きがあり作業車両が留置してある。

東口は商店街に、西口からは跨線橋の自由通路によって道の駅日和佐へ行き来できる。


かつて窓口が営業していましたが現在駅舎は無人ですが、道の駅日和佐物産館で乗車券が販売されています(簡易委託)。

また、駅舎内にも自動券売機が設置されています。キオスクとJR系列のパン屋ウィーリーウィンキーは撤退しています。


のりば
1 ■牟岐線(下り) 牟岐・海部方面


2 ■牟岐線(上り) 阿南・南小松島・徳島方面
出発信号機は1/2番線に対するもので、3番線は既に事実上不使用状態となっています。

1939年(昭和14年)12月14日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。
2005年(平成17年)4月17日 - 道の駅日和佐開業により、乗車券類販売を委託。無人化。
2009年(平成21年)12月1日 - 駅舎内に日和佐駅観光案内所(日和佐商工会運営)を設置。

電報略号 ヒワ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 175人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1939年(昭和14年)12月14日
備考 簡易委託駅

 

 

徳島県漁業取締船 "せんば"

$
0
0

地方自治体向けの高速アルミ船です。近年の漁船の高速化と多様化に対応するために、次代を担う新鋭船として高速性と凌波性を重視した漁業取締船。

県水産業の振興につながることはもとより、大規模災害時には緊急海上輸送や救援活動への活用も可能。

建造:三井造船

漁業取締船は、密漁などを防止・摘発し水産資源を保護することを目的に、監督機関が所有または傭船して運用する船舶。
現在の日本では原則として、都道府県知事が許可する知事許可漁業の漁業取締りは都道府県漁業取締船が行い、農林水産大臣が許可する大臣許可漁業の漁業取締りは水産庁漁業取締船が行うが、水産庁も司法警察権を行使し知事許可漁業への取締り権限を有する。また、水産庁取締船が外国漁船の違法操業に対しては拿捕などの主権行使を行っています。

各都道府県では、漁業取締船を所有またはチャーターし、乗り込んだ都道府県漁業監督吏員が、前述の水産庁と同様の漁業取締り任務にあたっている。都道府県漁業監督吏員は、漁業法違反の容疑者および漁船に対して、立ち入り検査や逮捕・送検を行うことができる。密漁者を検挙するため、特殊警棒、手錠の携帯が許可されている。近年、速力に優れた密漁船が国の内外から沿岸漁業を脅かしており、対処するためには船の速力向上が迫られている。有明海や瀬戸内海では、国内の暴力団やブラック企業が手引きする密漁を警戒し、日本海側では外国漁船を警戒するため、速力に優れた船を配備している。


水産庁と同様に、停船しない密漁船に強行接舷して飛び乗ることは控えている。密漁容疑の船舶が逃走した場合は、警察や海上保安庁への通報を実施しつつ、追跡して進路妨害を行なって逃走をやめさせてから立入検査を行う。

*徳島県漁業取締船 "せんば"のスペックは不詳。情報求む。です。

「ご縁電車しまねっこ号」 一畑電気鉄道2100系電車

$
0
0

「しまねっこ」をあしらった一畑電車初のフルラッピング車両「ご縁電車しまねっこ号」です。2104・2114号車

しまねっこは、島根県の観光マスコットキャラクター。2010年1月に公募によって誕生した島根県観光協会のマスコットキャラクターである。島根県の観光キャラクターとしては2代目(1代目は、みことくん・まがたまちゃん)。島根県の応援団であるリメンバーしまねの団長、神話博しまねの公式キャラクターである。
黄色のネコをモチーフにしている。頭上の屋根は神社の屋根をイメージしている。これは出雲大社に限ったものではなく、島根県にある神社の象徴である。島根県安来市在住のグラフィックデザイナー、イラストレーター藤川康弘が作成した。


年齢 - 不明
性別 - 不明(男の子???)
出身地 - 島根県のどこか
性格 - とにかく明るい!
好きな食べ物 - どんちっちアジ
趣味 - そば打ち、牛突き、石見神楽、温泉巡り
特技 - しめ縄作り
長所 - 誰とでも仲良くなれること

土日祝は次の時刻・区間で運行します。(平日は運行時刻が固定されていません)
①松江しんじ湖温泉9:20→雲州平田9:50→川跡9:57→出雲大社前10:05(着)
②出雲大社前10:47→川跡10:56→電鉄出雲市11:02
③電鉄出雲市11:50→川跡11:58→出雲大社前12:06
④出雲大社前12:51→川跡13:00→電鉄出雲市13:06
⑤電鉄出雲市13:50→川跡13:58→出雲大社前14:06
⑥出雲大社前14:38→川跡14:47→電鉄出雲市14:53
⑦出雲大社前15:49→川跡15:57→雲州平田16:03→松江しんじ湖温泉16:34(着)

2100系をラッピングしてます。一畑電気鉄道2100系電車は、一畑電車が一畑電気鉄道からの分社前の1994年(平成6年)に導入した通勤形電車です。

一畑電気鉄道(現・一畑電車)の車両近代化に際し、1994年から1995年(平成7年)にかけて京王帝都電鉄(現・京王電鉄)5000系を京王重機整備で改造した車両である。デハ2100形 (Mc1) - デハ2110形 (Mc2) の2連4本8両が導入され、同社で初めて冷房装置・カルダン駆動装置・発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキを装備した車両となっている。

1994年に運転開始した。現在は北松江線・大社線の全区間で運用されている。 2014年より5000系に代わり、2103編成「楯縫」と2104編成「ご縁電車しまねっこ号」が併結して平日朝方の特急「スーパーライナー」に使用されるようになった。2015年2月26日から3月27日までの間は1000系が試験的にスーパーライナーに使用されていたため他車と同じ運用に就いていた。 なお、5000系がスーパーライナーに使用されていた時、1編成が検査の場合、本系列1編成が5000系と併結して代走していた。 本系列は貫通型だが、幌を取り付けていないため、前後の車両を行き来することはできない。


北河内駅 JR四国牟岐線

$
0
0

北河内駅(きたがわちえき)は旧日和佐町市街の北端、徳島県海部郡美波町北河内本村にある四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅です。

駅番号はM20。1939年の開業当初は「赤河内駅」を名乗っていたが、1959年10月1日に現駅名に改称しました。駅周辺には住宅があります。

単式1面1線のホームを持つ駅である。駅舎はなく、かつての駅舎のコンクリ製土台のみが残っています。

ホームの待合室には木造の長椅子があります。

バリアフリー化されており、4両分のホーム全て嵩上げされています。

駅舎横にあった立派な木が残って生えています。

駅に向かって左手には元の貨物ホーム跡があります。

1939年(昭和14年)12月14日 - 赤河内駅として開業。
1959年(昭和34年)10月1日 - 北河内駅に改称。同時に貨物取り扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 キチ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1939年(昭和14年)12月14日
備考 無人駅

 

 

 

 

木岐駅 JR四国牟岐線

$
0
0

木岐駅(ききえき)は、徳島県海部郡美波町木岐にある、四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅である。駅番号はM19。普通列車のみが停車する小駅。

木岐は由岐から山ひとつ超えた漁業を中心とした集落で、木岐川河口の狭い平地に民家が集まっている。国道へ出る県道は狭く、道路交通は非常に不便である。

単式1面1線のホームを持つ駅である。ホームは築堤上にあります。ホーム場には待合室が設置されています。

待合室内にはいつもの木造長椅子が設置されています。徳島方面へのホームは大きく右にカーブしています。駅舎は取り壊され、代わりに近距離乗車券の販売を行う小さな建物が建っているがその小さな建物の販売窓口はベニヤ板で塞がれていて販売している様子はありません。トイレも併設されている。無人駅である。2005年頃にやや大がかりなスロープが設置されバリアフリー化された。

ホームは地面より一段高い位置にあり、地上からは階段で登る。この構造は、駅舎のあった頃から変わらない。

1200/1500形気動車乗り入れに備えて2009年度の工事で一部ホームの嵩上げが行われたが、嵩上げされたのは下り方2両分の長さだけで、上り方2両分は以前のままになっている。そのため、現在は3段階の高さのホームを見ることができる。

1939年12月14日 開業。
1987年4月1日 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 キキ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1939年(昭和14年)12月14日
備考 簡易委託駅

 

 

九一式航空魚雷 大日本帝国海軍

$
0
0

九一式魚雷(きゅういちしきぎょらい)は、大日本帝国海軍が航空機からの投下用に開発・使用した航空魚雷。第二次世界大戦における艦船攻撃に使用された。別名「九一式航空魚雷」。
九一式魚雷(改2)は2点の特徴を有していた。
水中突入時に飛散する木製の空中姿勢安定板を尾部に装着した(1936年)。
ローリングを安定制御する角加速度制御システム(PID制御)を備えた(1941年)。これは「航空魚雷」にとって最大のブレークスルーだった。
これらによって九一式航空魚雷は、高度 20m、速度 180 ノット (333km/h) で、しかも浅い軍港で発射できるようになった。さらに、九七式艦上攻撃機の水平最高速度 204 ノット (378km/h) を超える加速降下雷撃で、荒れた海でも発射できるようになった。


直径は、450mm (17-3/4in) であった。兵器として制式採用された九一式魚雷に実際に使用されたのは、本体設計が5形式、頭部が5形式あり、頭部重量 213.5〜526.0kg、搭載炸薬量 149.5〜420.0kg、水中走行速度 42 ノット (77.8km/h) で射程距離は 2,000〜1,500m だった。 ‎
九一式魚雷は大日本帝国におけるほぼ唯一の航空魚雷だった。したがって、単に航空魚雷といえば九一式魚雷のことを指した。他の型式の魚雷である九三式魚雷と九五式魚雷は水上艦艇および潜水艦で使用され、九七式魚雷は甲標的で使用された。

九一式航空魚雷改2 各仕様
炸裂火薬両 204kg
速度 42 ノット
射程 2,000m
直径 45cm (17-3/4in)
全重量 838kg
全長 5.427m
エンジン 200hp, ウェットヒーター型, 8気筒 星型エンジン

九一式魚雷は1932年(皇紀2592年)12月1日付内令兵第七十二号により兵器採用されたが、この時から真に実用可能な航空魚雷に辿り着く迄の試行錯誤が続いた。

1931年 九一式航空魚雷、兵器制式採用、生産開始
1936年 改1 着脱式尾部木製安定板を導入
1937年 木製緩衝器装着のうえで、高度 500m と 1,000m からの投下デモンストレーション
1939年 改2 生産開始。水面突入後の沈下深度が大きな問題となる
1941年 改2 ロール安定制御器を導入して浅深度雷撃テストをクリア。真珠湾攻撃, マレー沖海戦
1941年 改3 生産開始
1942年 インド洋作戦, 珊瑚海海戦, ミッドウェー海戦, 南太平洋海戦.
1943年 改5 生産開始
1944年 マリアナ沖海戦, 台湾沖航空戦

阿波福井駅 JR四国)牟岐線

$
0
0

阿波福井駅(あわふくいえき)は、徳島県阿南市福井町中連にある、四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅である。駅番号はM17。

駅の目の前を国道55号が通り交通量も多いが、周囲は建物もまばらな山間部である。元は福井村(その後合併して阿南市に)の玄関口として設けられたのだが、その中心地は北に約2km離れている。近くには福井ダムや福井ダム公園がある。

かつては当駅を始発終着とする普通列車が複数設定されていたが、現在は解消されている。

1面1線のホームを有する地上駅。古い瓦屋根の木造駅舎です。かつては島式ホーム1面2線の構造を有したが、1線を撤去した。

他にも短い貨物用ホームと側線があった形跡が残る。


上屋の形状などからかつては交換駅だった様子が窺えます。駅舎は地上駅舎である。

待合室には木製の長椅子が設置されています。現在は撤退していますが、かつては駅舎内にうどん屋が入居しており当駅はうどん屋で近距離切符を扱う簡易委託駅となっていました。構内はバリアフリー化されています。

1937年(昭和12年)6月27日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 フイ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1937年(昭和12年)6月27日
備考 無人駅

JR九州キハ71系気動車特急「ゆふいんの森」

$
0
0

「ゆふいんの森」は九州旅客鉄道(JR九州)が博多駅 - 大分駅・別府駅間を運転する特急列車です。キハ71系気動車(キハ71けいきどうしゃ)は、九州旅客鉄道(JR九州)がキハ58形およびキハ65形を「ゆふいんの森」用に改造した特急形気動車。「ゆふいんの森I世」とも称される。

1989年(平成元年)にグッドデザイン商品(当時)に選定されました。

特急「ゆふいんの森」は1989年3月11日に運転開始した観光特急であるが、当初から専用編成に予備がない関係で臨時列車として運行されています。

列車名の由来ですが由布岳と湯布院町(当時)にちなんでおり、牧歌的な風景をイメージしたものです。

基本的には「ゆふ」、「ゆふいんの森」と2系統の特急列車として運転されているが、「ゆふいんの森」の運休時には同一ダイヤで「ゆふ」が運転されている。由布院駅・大分駅方面への列車が下り、博多駅方面への列車が上りとして扱われています。

博多駅 - 由布院駅間2往復(1・2・5・6号)、博多駅 - 別府駅間1往復(3・4号)の計3往復が運行されている。列車番号は、号数+7000Dである。
1989年に1往復で運行を開始した時は別府駅発着で、1992年に2往復化された際に増発分の列車は博多駅 - 由布院駅 - 別府駅 - 小倉駅間で運転され、かつての準急「由布」のような循環列車に近い性格を有していたが、1995年に全列車別府駅発着となり、車両の変更があった1999年に現行の運行本数となった。なお、別府駅発着列車に関しては「ゆふ」と同様に大分駅発着で運転されていた時期がある。また、由布院駅発着列車が設定された際に、このうち1往復に接続する形で由布院駅 - 別府駅間運行の「ゆふ」が設定されたが、この「ゆふ」は2002年に廃止されている。
なお「ゆふいんの森」は予備車両がないため、車両の検査時には「ゆふ」の車両により「ゆふ8○号」(○は本来の「ゆふいんの森」の号数)として運行される。

停車駅は博多駅 - 二日市駅 - 鳥栖駅 - 久留米駅 - 日田駅 - 天ヶ瀬駅 - 豊後森駅 - 由布院駅 - 大分駅 - 別府駅です。

使用車両・編成:筑豊篠栗鉄道事業部直方車両センターに所属するキハ71系気動車、キハ72系気動車が充当されており、別府駅発着列車はキハ71系、由布院駅発着列車はキハ72系で運行される。運行開始以来、2001年3月から6月にかけて1両が自由席とされたのを除き、全車指定席で運行されている。またキハ71系は2号車、キハ72系は3号車にビュッフェを備えている。ビュッフェには冷蔵庫や電子レンジ・電気ポット・コーヒーメーカー・アイスクリームストッカーなどを設置し、軽食や飲み物を販売できるようになっている。増備中間車のキハ70 2は客室の一部がアートギャラリーとされた。キハ70 1のビュッフェはショーケースとビールサーバーを新設して内装材を木材に変更し、ビュッフェ隣に4人掛けセミコンパートメント席を設けた。
なお「ゆふ」として運行される際は「ゆふ」と同様のキハ185系3両編成で運行される。その場合は自由席が連結され、ビュッフェの営業はない。


キハ71系気動車は久大本線沿線の湯布院町(現・由布市)・日田市・九重などの観光地と福岡市・北九州市を結ぶ観光特急として1989年3月11日のダイヤ改正にあわせて登場した。当初は中間車1両の3両編成だったが、利用が好調だったことから1990年(平成2年)4月29日より中間車を1両追加して4両編成とされた。

外装は改造扱いであるが車体は完全に新製している。1930年代のヨーロッパ(特にドイツ)の流線型気動車を彷彿とさせる、レトロ感覚の曲線的デザインを取り入れた車体構造である。先頭車・中間車とも客室部はハイデッカー構造とされ、側面窓も大型になっている。また、窓の部分は内側に10度傾斜している。先頭部は非貫通構造で、前面窓は上下2段に配置されている。塗装はオリーブグリーンのメタリック塗装を施し、金色の帯が入っている。

内装は客室部はハイデッカー構造で、乗降デッキ部分とは60cmの高低差がある。座席はすべて前後間隔96cm、インアームテーブル(肘掛内蔵テーブル)設置のリクライニングシートである。床材に難燃性木材を使用し、荷棚などの金属部分は金メッキ処理として豪華さを演出している。ハイデッカーであるため天井を高くすることができず、荷棚に大きな荷物を置くことができないので、荷物置き場やコインロッカーが設置されている。


クラシカルな雰囲気が漂う車内の客席はゆっくり座れるシートが自慢。自由に利用できるサロンスペースでは、ゆふいん到着前に客室乗務員による観光案内が行われています。(ゆふいんの森3号・4号)3~4人での旅行には、テーブルがついたボックスシート(要予約)が利用できます。

駆動装置は台車・エンジンはキハ58・65形から流用しており、キハ65形改造のキハ71形はDT39B・TR218B空気ばね台車でDML30HSDエンジン (500PS/1600rpm) 1台、キハ58形改造のキハ70形はDT22Cコイルばね台車でDMH17Hエンジン (180ps/1500rpm) 2台を装備した(なお、キハ70形以外のJR特急用車のコイルばね台車装備車には、同じJR九州で「はやとの風」用に改造されたキハ140形・キハ147形・キハ47形も存在する)。冷房用電源エンジンはキハ65形以来の4VK電源装置をキハ71形に搭載するが、ハイデッカー構造とされたため冷房装置は床下設置方式のものを新製している。
2003年のリニューアルにあわせて機関換装が行われた。キハ71形のエンジンはコマツ製SA6D125HD-1に、キハ70形のエンジンもコマツ製SA6D125H-1Aにそれぞれ変更され変速機もあわせて更新を受けている。
そのため現在は最高速度も登場時の95km/hから120km/hに引き上げられている。

1989年(平成元年)3月11日:博多駅 - 別府駅間に、急行用のキハ58系・キハ65系を改造したキハ71系気動車を充当する臨時特急「ゆふいんの森」の運転開始。「ゆふいんの森I世」という俗称もある。

1992年(平成4年)7月15日に変更。「ゆふいんの森」は博多駅 - 由布院駅 - 小倉駅間の列車を増発し2往復となる。なお、増発分には「オランダ村特急」で使用していたキハ183系気動車を改造のうえで充当され、「ゆふいんの森II世」の愛称が付けられた。
1995年(平成7年)4月20日:「ゆふいんの森」別府駅 - 小倉駅間の運転を終了。

1999年(平成11年)3月13日:キハ183系による「ゆふいんの森II世」の使用を終了し、新造されたキハ72系気動車を投入。これの気動車は、「ゆふいんの森III世」という俗称もある。キハ71系を用いた博多駅 - 別府駅間1往復と、キハ72系を用いた博多駅 - 由布院駅間2往復の運転になる。また、由布院駅発着の「ゆふいんの森」に接続する形で、由布院駅 - 別府駅間の「ゆふ」が1往復設定された。

2001年(平成13年)3月3日:「ゆふ2・5号」を大分駅発着とする。また「ゆふいんの森」の博多寄りの1両(4号車)を自由席としたが、同年の7月1日には再び全車指定席に戻された。

2008年(平成20年)3月15日:大分駅高架化工事に伴い、「ゆふ(DX)」「ゆふいんの森」の大分駅 - 別府駅間を臨時列車扱いとする。
8月24日:「ゆふ(DX)」「ゆふいんの森」、大分駅 - 別府駅間の臨時延長を終了する。
2009年(平成21年)3月14日:全車禁煙となる。

2012年(平成24年)
3月17日:「ゆふ」「ゆふいんの森」の大分駅 - 別府駅間の運転再開。別府駅への乗り入れ本数は2008年以前と同じ。
7月21日:この月の11日から14日にかけて発生した平成24年7月九州北部豪雨により久大本線のうきは駅 - 日田駅間が不通となったため、「ゆふ」「ゆふいんの森」は日田駅 - 大分駅・別府駅間で以下のように暫定的に運行再開。
「ゆふ」は100 - 103号の2往復で、101・102号が別府駅発着、100・103号が大分駅発着で運転。
「ゆふいんの森」は90 - 93号の2往復で、91・92号が別府駅発着、90・93号が大分駅発着で運転。
なお「ゆふいんの森」は90・91号がキハ72系、92・93系がキハ71系での運転で、キハ72系は初めて大分駅・別府駅発着の「ゆふいんの森」に充当されることとなった。また車両輸送の都合上「ゆふいんの森」は通常と車両の上下方向が逆転していた。
停車駅は「ゆふ」「ゆふいんの森」とも、通常の「ゆふ」の日田駅 - 別府駅間の停車駅に準じた。
8月28日:久大本線の復旧作業が完了し、「ゆふ」「ゆふいんの森」は通常ダイヤでの運行再開。

 

吉ヶ原駅 同和鉱業片上鉄道の駅(廃駅)

$
0
0

吉ヶ原駅(きちがはらえき)は岡山県久米郡柵原町(現・美咲町)吉ヶ原に位置していた同和鉱業片上鉄道の駅(廃駅)である。

三角屋根の木造の駅舎を持つ有人駅だったが、最晩年は駅員配置は朝夕のみで昼は無人駅となっていた。
2面3線の相対式ホームをもつほか、貨物ホームや詰所、操車場があった。
当駅から中鉄バスの路線バスが津山駅との間を結んでいて、同鉄道の路線図にもこの路線が掲載されていた。

旧吉ヶ原駅は駅舎より片上方の線路は全て撤去されていたが一部配線を変更して復元され柵原ふれあい鉱山公園の一施設となっており、展示運転の駅舎として現役で使用されている。
駅構内には計12両が展示・保存され、このうち動態保存されている10両(ディーゼル機関車1両、気動車3両、客車3両、貨車3両)のいずれかが片上鉄道保存会によって毎月第1日曜日に約300mの区間で展示運転を行っている。

構内では旧国鉄キハ07形気動車であるキハ702などを使用して、映画撮影(アキレスと亀 (映画) - 当駅構内で動態保存車両(キハ702)を使用し、2008年2月24日にワンシーンのロケが行われた。)やドラマの収録(砂の器‐2011年テレビ朝日製作版において、2011年1月17日、1月22日に「羽後亀田駅」としてロケが行われた。)が行なわれたこともある。CM(もう逢えないかもしれない - 菊池桃子が歌ったグリコポッキーのCMソング。同駅でロケが行われた。その際駅名は「高ヶ原駅」となっていた。)

コトラ - 片上鉄道保存会会員の飼い猫で、同会が旧片上鉄道車両の動態保存活動を行う日に「駅長猫」を務めている。

1931年(昭和6年)2月1日 - 開業。
1991年(平成3年)7月1日 - 鉄道路線廃止に伴い廃駅。その後は鉄道代行バスの停留所の待合室として再利用。
1998年(平成10年)11月15日 - 柵原ふれあい鉱山公園が開業。
2006年(平成18年)3月2日 - 駅舎が登録有形文化財に登録。

電報略号 キチ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1931年(昭和6年)2月1日
廃止年月日 1991年(平成3年)7月1日
備考 路線廃止に伴う駅廃止

新野駅 JR四国牟岐線

$
0
0

昭和12(1937)年6月開業した新野駅(あらたのえき)は、徳島県阿南市新野町信里にある、四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅です。駅番号はM16。特急「むろと」が1往復(2・5号)停車する。

周囲は新野の集落からは外れており住宅がそこそこある農村地帯という感じである。また付近には青色LEDの開発で一躍有名になった会社の日亜化学工業旧本社工場が立地することでも知られています。

徳島県立新野高等学校の最寄駅で、高校生の利用が多い。そのため、利用客数は全特急列車が停車する隣駅桑野駅を上回る。


島式1面1線のホーム。かつては、島式1面2線のホームであった。駅舎は妻面に入口のある木造駅舎です。地上駅舎。

国鉄時代に無人化後はJRになってからも暫く簡易委託駅として窓口で切符を発売していたが、現在は無人駅で出札口も塞がれている。ただし、自動券売機が設置されている。

ホームにはかつては交換駅だった様子が窺える上屋があります。嵩上げされたホームと駅舎はスロープで結ばれています。ホーム一部は低いままの部分があります。

1937年(昭和12年)6月27日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 アラ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 211人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1937年(昭和12年)6月27日
備考 無人駅

 

 

 


桑野駅 JR四国牟岐線

$
0
0

桑野駅(くわのえき)は、徳島県阿南市桑野町岡元にある四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅。

駅番号はM15。那賀町の玄関駅であり、特急を含む全列車が停車する。また、徳島県南部健康運動公園(アグリあなんスタジアム)の最寄り駅でもある。

桑野駅から徳島県南部健康運動公園(アグリあなんスタジアム)までは県道24号を約200m北上し国道195号交差点を西へ約1.2km。また桑野は西の高野と呼ばれ、古来より霊場めぐりの三大難所として知られていました二十一番札所太龍寺への入口でもあります。古来より霊場めぐりの三大難所として知られていましたが、現在では西日本一の規模を誇るロープウェイが結んでいます。太龍寺ロープウェイの鷲の里駅までは駅から少し距離があります。

午前中に1本のみ、当駅始発の徳島方面の普通列車(折り返し)が設定されている。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。小ぶりなモルタル木造駅舎を持つ。

駅前にミニ日本庭園があります。簡易型の券売機が設置されています。

業務委託駅で委託の窓口には電飾があります。

ホームはゆるくカーブしています。ホームと駅舎とは構内踏切で結ばれています。折り返しの列車が設定されているため、上り1/2番線両方に対してと下り2番への出発信号機があります。

1936年(昭和11年)3月27日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。
2001年(平成13年)10月1日 - 特急列車がすべて停車するようになる。これ以前には、一部のみが停車していた。
2010年(平成22年)9月1日 - 無人化。

電報略号 クワ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 100人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1936年(昭和11年)3月27日
備考 無人駅

 

 

阿波橘駅 JR四国)牟岐線

$
0
0

阿波橘駅(あわたちばなえき)は阿南市の元の南端、徳島県阿南市津乃峰町東分にある四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅です。

駅番号はM14。特急「むろと」が1往復(2・5号)停車する。駅周囲に住宅や商店は多いが、橘集落の中心から外れていることと、列車本数が少ないのとで利用者数が伸びていない。

路線建設時に津乃峰地区と橘地区のどちらに駅をおくかでもめ、位置は津乃峰、駅名は橘で決着したという経緯がある。

 

1面1線のホームを持つ地上駅。かつては島式ホーム1面2線の構造を有した。赤いトタン屋根の木造駅舎を有する。汲み取り式のトイレがある。

簡易委託駅である。委託の窓口が営業しています。ほかの阿南駅の被管理駅と同じく窓口に電飾が設置されています。

駅舎の幅の広い庇下には自動販売機、白い円筒型ポストがあります。

広い待合室には木造の長椅子が設置されています。

ホーム高さが低いため、桑野行普通1往復が通過していたが、ホーム改良工事を行い、2009年3月14日より再び全ての普通列車が停車するようになった。

ホーム全体は車4両分の長さがあるが、嵩上げされたのは半分の2両分の長さだけとなっています。ホームには上屋があり、その形からも交換駅だった様子が窺えます。

旧下り1番線跡は花壇になっています。構内は2度に渡ってバリアフリー化されています。

1936年3月27日 - 開業。
1987年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。
2011年3月12日 - この日のダイヤ改正で、特急「むろと」が1往復臨時停車するようになる。

電報略号 タチ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 106人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1936年(昭和11年)3月27日
備考 簡易委託駅

 

多用途支援艦「げんかい」ひうち型4番艦

$
0
0

げんかいは、海上自衛隊の保有する多用途支援艦。諸外国海軍の航洋曳船(オーシャンタグ)に相当する。ひうち型多用途支援艦の4番艦である。

各種射撃訓練の支援の他、自走不能になった僚艦や標的艦の曳航・消火・救難・物資輸送・離島に対する災害派遣など多目的に使用するために建造された。81号型特務艇の後継となる艦であり、1番艦は2001年に起工、2002年に就役している。
船体は後部甲板が一段低いものとなっており、構造物もなくスペースがとられている。射撃訓練支援の場合は、ここに自走式水上標的(通称バラクーダ)や曳航式水上標的を搭載し作業を行うほか、ここに各種物資を積載することもできる。自走不能になった僚艦を曳航することも任務の一つであることから、機関出力は5,000馬力と排水量に対してかなり強力になっており、ましゅう型補給艦も単艦で曳航することが可能である。艦の中央に大型の煙突を1本備えており、艦橋構造物とは独立している。
当初、3番艦のすおうまでは武装を有しておらず、放水銃が艦橋上にあるのみだったが、4・5番艦の「げんかい」と「えんしゅう」は警備上の理由から12.7mm機関銃用の銃架を艦橋上左右舷に追加装備した。また、1~3番艦も修理時等に順次装備するよう改装された。ただし、海自では12.7mm機関銃は武装ではなく搭載火器扱いとなる常時銃架に設置されているわけではなく、必要に応じて設置されので表記はされていない。その他に、「げんかい」と「えんしゅう」は潜水艦の訓練支援も念頭に置いて水中通話機を、また、外洋での活動を考慮して減揺タンクを装備するなど、3番艦までと比べてある程度の改良が施されている。
機関は「ひうち」、「げんかい」、「えんしゅう」が新潟原動機6MG28HXディーゼルを、「すおう」と「あまくさ」はダイハツ6DKM28ディーゼルを採用している。
各艦の名前は、灘の名前に由来する(燧灘、周防灘、天草灘、玄界灘、遠州灘)。
ひうち型は前期建造艦と後期建造艦で装備が異なるが、「げんかい」は後期建造艦であるため、外洋行動時の運用性・居住性向上のための減揺タンクと、潜水艦に対する訓練支援用に水中通話機が装備されている。

 

「げんかい」は、中期防衛力整備計画に基づく平成17年度計画980トン型多用途支援艦4304号艦として、ユニバーサル造船京浜事業所で2006年11月7日に起工し、2007年5月24日に進水、2008年2月20日に就役した後、呉地方隊呉警備隊佐伯基地分遣隊に配属された。

種別 多用途支援艦
クラス ひうち型
排水量 基準 980トン
満載 1,400トン
全長 65.0m
全幅 12.0m
吃水 3.5m
機関 ディーゼル推進、2軸推進
新潟原動機6MG28HX ディーゼル・エンジン × 2基
出力 5,000PS
速力 15ノット
乗員 45名
兵装 12.7mm機関銃M2 × 2丁
(分類上は小火器扱い)
レーダー OPS-20航海用
その他 消防装置一式
艦艇曳航装置一式
自走式水上標的・管制装置一式
魚雷回収装置一式

ハイリフトローダー(HL)

$
0
0

(HL・ハイリフト。貨物室内の航空コンテナの搭降載に使用する車両)

航空機にはコンテナ専用の貨物室を装備した機材(飛行機)と、そうではないものとがあります。荷台に載せた貨物は、航空機の貨物室の高さまで荷台ごと持ち上げ、ローラーを動かして貨物室の中までいれます。

航空機内部にもローラーが付いており、駆動装置で前後へコンテナごと動かせます。降ろす際も同様です。
HL車からソーティング場(コンテナに荷物を搭載する所)までの区間は、ドーリートラクターという車両でコンテナに入れられた貨物を運びます。


このハイリフトローダーは20トンの積載荷物を、6.0メートルの高さまで、約2分で上げる事が出来ます。海上自衛隊の時期輸送機C-130Rにおいて貨物の積み下ろしに使用致します。
貨物は専用パレットを使用して運ばれ、一度にパレット4枚分載せることができます。HL車の荷台は上下、前後(ローラー)に動きます。

全長    10.15m
全幅    2.87m
重量    11.67m
最大積載量 20t

阿南駅 JR四国牟岐線

$
0
0

阿南駅(あなんえき)は、徳島県阿南市富岡町今福寺にある、四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線(阿波室戸シーサイドライン)最大の駅です。阿南市の代表駅で半数以上の列車が当駅止まりとなります。駅番号はM12。1936年に「阿波富岡駅」として開業。1966年11月1日に現駅名に改称されました。

ホームは相対式2面2線である。駅の東側に、留置側線が2本あり、夜間滞泊が設定されている。
2003年11月19日にオープンした駅舎は円筒を並べた斬新なデザインで徳島県では唯一の橋上駅舎です。構内は東西の自由通路を兼ねている。

改札口とホーム上にLED式列車発車案内板がある。自動改札機は設置されておらず有人窓口です。切符売場には傾斜型の券売機が2台設置されています。2003年(平成15年)11月までは地上駅舎で、当時は改札口に幕式の列車発車案内板があった。


エレベーターが各ホームに1基ずつ設置されている。このうち1番線ホームに設置されているものはウォークスルー型(前後2ヶ所に扉があるもの)であり、外部との共用となっている(1階は南側扉がホームとのみ乗降可能で、北側扉が駅前ロータリーとのみ乗降可能。2階は南側扉が改札外自由通路とのみ乗降可能で、北側扉が改札内コンコースとのみ乗降可能。これによりキセルを防止している)。最大の特徴は橋上コンコースがカーブしていることです。


キヨスク(6時55分 - 19時40分)がある。かつて旧駅舎横にJR四国経営の喜多方ラーメン麺小町阿南店があったが撤退した。現駅舎内にワーププラザ阿南が入居している。
アゴヒゲアザラシのナカちゃん人形がある。
特急列車もすべて停車し、徳島方面からの列車のほぼ半数はここで折り返す。
阿波富岡駅と称していた頃の駅名表示板が、阿南市立阿波公方・民俗資料館に保管されている。


のりば
1 ■牟岐線 南小松島・徳島方面
     日和佐・牟岐・海部方面(一部)
2 ■牟岐線 日和佐・牟岐・海部方面
     南小松島・徳島方面(一部)


他に一番東側に一本留置側線があります。

駅東口付近の商業施設として、大規模店のほか全国チェーンのファストフード店などが立地している。さらに東口は、そのまま陸橋で阿南市商工業振興センターに繋がっており、東口階段の踊り場には徳島電気区阿南駐在室の出入口がある。

1936年(昭和11年)3月27日 - 国有鉄道牟岐線の阿波富岡駅として開業。
1966年(昭和41年)11月1日 - 阿南駅に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により四国旅客鉄道(JR四国)の駅となる。
1992年 - 駅舎改築完成。
2003年(平成15年)11月19日 - 橋上駅舎に改築。
2011年(平成23年)1月26日 - この日の営業をもって、みどりの窓口を廃止。

電報略号 アン
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,213人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1936年(昭和11年)3月27日

Viewing all 3250 articles
Browse latest View live