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阿波中島駅 JR四国牟岐線

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阿波中島駅(あわなかしまえき)は普通列車のみが停車する徳島県阿南市那賀川町赤池にある、四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅です。那賀川河口に位置し、水運盛んな頃は木材の集散地として賑わいました。

現在でも当時の名残で襖や障子などの生産が盛んです。旧那賀川町(現:阿南市)の中心駅であるが、町の中心部からは少し離れたところにあります。駅番号はM11。

単式1面1線のホームを持つ駅である。平屋の古い木造駅舎が残っています。かつては旅客用島式1面2線、貨物用(材木搬出用)単式1面1線の時代もあった。ホームには形状が非対称の上屋があります。


駅舎は地上駅舎で、JR四国の契約社員による業務委託駅。かつては駅長官舎も併設されていた。切符売場に簡易型券売機があります。平日のみ窓口が営業しています。

待合室には木造の長椅子が設置されています。
わたしの旅スタンプがある。かつてはアゴヒゲアザラシのナカちゃん人形があった。現在は、阿南駅にある。

旧1番線跡のさらに駅舎側にも側線の痕跡が残り、車両点検用の「堀」が残っています。

駅の誘致に尽力した「山田隆二」の石碑が駅前に設置されている。山田隆二翁碑:碑面:(牟岐線は羽ノ浦駅から古庄駅経由で富岡方面に抜ける予定だった。羽ノ浦駅から古庄駅前商店街に続く安全道路がその名残。)

1936年(昭和11年)3月27日 - 阿波中島(あわなかじま)駅開業。
1936年(昭和11年)10月15日 - 阿波中島(あわなかしま)に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。
2010年(平成22年)9月1日 - 無人化。

電報略号 ナカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 205人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1936年(昭和11年)3月27日
備考 無人駅

 


地蔵橋駅 JR四国)牟岐線

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地蔵橋駅は徳島県徳島市西須賀町西開にある四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅です。

駅番号はM04。駅周辺は田畑が多く、駅裏は野原。

駅のある地域は新しい住宅が建ち、徳島市のベッドタウンとなった。駅の裏は、田畑が目立つ。

桜の開花の季節には駅の前にある大きな桜の木がライトアップされる。自然にできた山では日本一低い山、弁天山が近い。

1面1線のホームを持つ地上駅。駅正面入口に三角屋根の取り付けられた、古い(大正15年建築)木造の駅舎です。しっかりした庇もあります。かつては島式ホーム1面2線の構造でした。


1975年頃に無人化され、以後駅舎内の売店が近距離切符を扱う簡易委託駅となっていたが、現在は完全な無人駅となり、2008年12月に自動券売機が設置されている。

1913年(大正2年)4月20日 - 阿波国共同汽船の駅として開業。同時に国有鉄道が借上げ(小松島軽便線)。駅名は駅の東側を流れる多々羅川に架かる橋の名から。


1917年(大正6年)9月1日 - 阿波国共同汽船が買収・国有化。
1961年(昭和36年)4月1日 - 小松島線徳島~中田間の分離により牟岐線に所属変更。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 チソ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線


乗車人員
-統計年度- 269人/日(降車客含まず)
-2010年-


開業年月日 1913年(大正2年)4月20日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

水中処分母船・YDT 1号型300t 3番艇 YDT-03 海上自衛隊

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●基準排水量:300t
●主要寸法:全長46.0m×幅8.6m×深さ4.0m×喫水2.2m
長船首楼型
●エンジン:ディーゼル2軸(搭載主機:ニイガタ6NSDL)
 出力:1500PS
●船質:鋼
●速力:約15kt
造船所: 前畑造船 平成13年3月21日竣工
●船質:鋼
乗員 15名(他に水中処分隊員15名便乗可
所属:横須賀水中処分隊

現在のところYDT-01から06まで6隻建造されています。支援船第2種に分類される新型の支援船で、従来、退役掃海艇を転用していた特務船(YAS)に代わって、専用の母船として設計建造されている船で、支援機能や居住設備などが格段に向上しています。水中処分隊「機雷や不発弾、水中の爆発物処理」の母船です。

船楼後端には再圧タンクを備えた水中処分隊支援室が設けられ船尾には機力で昇降するダイビング台 が装備されている。水中処分具の整備格納、潜水用機材、処分艇、揚収用クレーン(荷重2t)などを装備しています。また船尾にはダイバー用の昇降機が付いており、海中への進出、帰還がスムーズに行えるようになっています。搭載艇は複合艇とゴムボートです。

水中処分員は海上自衛隊の特技(兵科)のひとつです。敷設された機雷や、海中で見つかった不発弾の処理が主な任務となります。海上自衛隊では水中処分員は重複可能な特技のひとつとされているため、隊員の中から志願者を選抜して育成する。幹部自衛官と曹士とで若干教育課程が異なるが、いずれの場合も海上自衛隊第一術科学校にて養成される。
海曹・海士の場合、最初に「海曹士専修科開式スクーバ課程」(約7週間)にて訓練を受ける。次に「海曹士特修科潜水課程」(約14週間)にて訓練を受ける。それから更に上級の課程である「専修科水中処分課程」(約12週間)を経て水中処分員となる。幹部自衛官の場合は「開式スクーバ課程」が無く、「幹部特修科潜水課程」(約14週間)から始まる。その後は「専修科水中処分課程」(約12週間)を経て水中処分員となる。

1957(昭和32)年 機雷や不発弾の処分技術習得のため米海軍UDTra(Under Water Demolition Training)課程に隊員を派遣
1964(昭和39)年 米海軍EOD(Explosive Ordnance Disposal)課程に隊員を派遣、技術輸入の本格化
1969(昭和44)年 海上自衛隊第一術科学校にて水中処分員の養成開始

豊後豊岡駅 JR九州日豊本線

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豊後豊岡駅は国道10号線北の旧街道海沿い、大分県速見郡日出町大字豊岡にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。豊岡駅は開通当初は《頭成駅》(かしらなり駅)の駅名でした。

地域住民は駅名《豊岡駅》を希望していましたが、山陰本線に同名の豊岡駅があると言う事で、許可されませんでした。

現在の「豊岡駅」になったのは、昭和15年8月1日、駅が現在の位置に移り、新しい駅舎が造られ、漸く「豊後豊岡駅」と名前が変わりました。頭成駅の位置も現在の位置とは違い、200mほど別府よりにありました。

相対式ホーム2面2線の設備と古い木造駅舎を有する地上駅です。互いのホームは跨線橋跨線橋で連絡しています。

別府湾に近くホームや跨線橋から海を眺められます。下りホームには待合室も設置されています。ホームの幅は広くありません。


JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅。切符売場の券売機は簡易型です。

マルスは無いがPOS端末が設置されている。ICカードSUGOCAは出入場とチャージのみ対応。


待合室にはFRP製の緑の椅子が設置されています。駅前には植栽があります。

駅名標のイラストは魚のカレイです。

1911年(明治44年)7月16日 - 鉄道院が頭成駅(かしらなりえき)として現位置から約200m亀川駅寄りに開設。
1926年(大正15年)8月1日 - 現位置に駅移転し頭成駅から豊後豊岡駅(ぶんごとよおかえき)に駅名変更。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 フト
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 430人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1911年(明治44年)7月16日
備考 業務委託駅
* 1926年に現在地に移転。同時に頭成駅から改称。

 

 

由布院駅 JR九州久大本線

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由布院駅(ゆふいんえき)は、大分県由布市湯布院町川北にある、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅です。

駅名「由布院駅」由布市合併以前の旧町名「湯布院町」とで「ゆ」の字が異なるのは、由布院駅があった旧由布院町が旧湯平村と合併した際に、両方の名を合わせて「湯布院町」という町名にしたためです(湯平+由布院=湯布院)。


温泉地として名高い由布市の代表駅で、特急「ゆふ」・「ゆふいんの森」を含め全列車が停車するほか、当駅を始発・終着とする列車もある。

「ゆふいんの森」の一部もここで折り返し運転を行う。

全国屈指の温泉街として栄える由布院の市街地にあり、由布市湯布院庁舎(旧湯布院町役場)や由布院温泉にも近い。

また、駅からは由布岳を真正面に望むことができる。

野矢駅方面から線路は北東の方向に進んできたが、当駅の前後から向きを180度変え、今度は南西の方向に進みはじめる。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。単式ホームに接して駅舎が置かれる。

駅舎は黒い色調でイタリア・フィレンツェのメディチ家の礼拝堂をイメージしています。

単式ホームと島式ホームは階段のほか、スロープと踏切でも接続し、車椅子でも利用できる。
直営駅で、みどりの窓口が設置されている。自動改札機はないが、駅舎のデザインに準じた独自の自動券売機が1台設置されている。
駅舎は1990年(平成2年)竣工で、設計は大分県出身の建築家磯崎新。湯布院町(当時)とJR九州が約2億円の建築費用を半分ずつ負担して完成した。


待合室は、1ヶ月ごとに展示物が変わるアートギャラリーを兼ねている。風を防ぐ大型で厚いガラス扉や温泉水を利用した床暖房の設備がある。


1番のりばホーム端には足湯(有料:大人160円、小人80円)がある。男女共用の足湯の他、周囲に壁が張り巡らされた女性専用の足湯もある。

当駅と同じく駅構内に足湯を持つ京福電気鉄道嵐山本線嵐山駅および阪急電鉄箕面線箕面駅と姉妹提携を行っている。


駅舎構内に由布院温泉観光案内所があり、辻馬車やスカーボロ(観光タクシー)の予約などもここで行う。

駅舎内、印象的な大きな吹き抜けがあります。駅と温泉宿泊施設との間での手荷物託送サービス「ゆふいんチッキ」も、駅前通りを挟んだ駅舎向かいの建物で提供されている。
駅レンタカーや、一般の軽快車と電動アシスト自転車の貸し出しを行うレンタサイクルも営業している。楽チャリ設置駅。

利用客の8割を女性が占めるため、当初あった男性トイレは撤去され女子トイレが拡大される工事が行われた。駅舎に隣接して公衆トイレが設置されている。駅の制服は通常の標準の制服と異なっている。

1925年(大正14年)7月29日 - 鉄道省(国有鉄道)の北由布駅として開業。
1950年(昭和25年)1月1日 - 由布院駅に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。


電報略号 ユフ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線


乗車人員
-統計年度- 844人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1925年(大正14年)7月29日


備考 直営駅
みどりの窓口 有
* 1950年に北由布駅から改称。

 

ぐるっと松江レイクライン 松江市交通局

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ぐるっと松江レイクラインは、島根県松江市で運行する周遊バス。


松江駅と松江しんじ湖温泉駅から、主要施設・観光施設を周遊する。時間帯により2ルートが運行されている。

料金は200円(子供100円)。一日乗車券(500円・子供250円)もある。定期券・回数券・バスカードは利用できない。(2015年時)
運行は松江市交通局が担当。

JR松江駅7 番乗場より → くにびきメッセ前 → くにびき駐車場前 → 鍛冶橋 → 栄橋 → 京橋 → 松江城(大手前) → 大手前堀川遊覧船乗場 → 塩見縄手 → 小泉八雲記念館前 → 堀川遊覧船乗場 → 堀川遊覧船乗場西入口 → 黒田町 → 四十間堀川 → 月照寺前 → 清光院下 → 松江しんじ湖温泉駅 → 千鳥南公園 → (松江イングリッシュガーデン前) → 福祉センター前 → 千鳥町 → 松江しんじ湖温泉駅 → 宍道湖大橋北詰 → 須衛都久神社前 → カラコロ工房前 → 大橋南詰 → 灘町 → 県立美術館 → (夕日公園 → ホテル宍道湖前 → 嫁ヶ島西 → 嫁ヶ島) → 魚町 → 宍道湖遊覧船乗場 → 松江駅
日中は、夕日公園・ホテル宍道湖前・嫁ヶ島西・嫁ヶ島に入らない。
早朝及び夕方以降は、松江イングリッシュガーデン前に入らない。

共通二日乗車券・レイクライン1 日乗車券をご利用の方は、以下の観光施設で利用料金の割引を受けることが出来ます。

団体割引扱
松江城、小泉八雲記念館、武家屋敷、堀川遊覧船、県立美術館、
松江歴史館、松江ホーランエンヤ伝承館、小泉八雲旧居、明々庵
1 割引
宍道湖遊覧船はくちょう号、月照寺

中田駅 JR四国)牟岐線

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中田駅(ちゅうでんえき)は徳島県小松島市中郷町長手にある四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅です。

駅番号はM05。かつては国鉄最短路線として知られた小松島線はここ中田駅から分岐していました、現在は廃止され跡地は遊歩道として整備されています。


島式ホーム1面2線を有する地上駅。左右の端は外板が補修された古い木造駅舎があります。駅舎は昭和11(1936)年7月改築、昭和60(1985)年3月の小松島線の廃止後に駅舎がリニューアルされました。ホームとの間は構内踏切で結ばれています。

1985年までは小松島線の分岐駅で、北側にある駅舎正面にもホームがある2面3線の構内配線であった。小松島線は駅東方(南小松島側)から分岐してました。


業務委託駅であったが、2010年10月1日に無人化されました。待合室。長椅子が設置されています。


駅前にはポストや公衆電話があります。

のりば
1■牟岐線(下り)南小松島・阿南・牟岐・海部方面
2■牟岐線(上り)徳島・板野・鳴門・穴吹方面


ホーム中央部には短い上屋が設置されています。


1916年(大正5年)12月15日 - 阿南鉄道(牟岐線の前身)と阿波国共同汽船(国有鉄道が小松島軽便線として借り上げ、後の小松島線)の接続駅として、小松島軽便線の地蔵橋 - 小松島間に開業。
1917年(大正6年)9月1日 - 小松島軽便線(阿波国共同汽船)が国有化される。
1936年(昭和11年)7月1日 - 阿南鉄道が国有化されて牟岐線となり、国鉄の駅に一本化される。
1961年(昭和36年)4月1日 - 小松島線と牟岐線の起点変更により、小松島線の起点となる。
1985年(昭和60年)3月14日 - 国鉄小松島線廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。
2010年(平成22年)10月1日 - 無人化。

電報略号 チテ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 434人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1916年(大正5年)12月15日
備考 無人駅

JR西日本宮島フェリー(連絡船駅)宮島口駅

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JR西日本宮島フェリー(連絡船駅)宮島口駅(みやじまぐちえき)は、広島県廿日市市宮島口一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・JR西日本宮島フェリーの駅である。

JR西日本の山陽本線(鉄道)と、JR西日本宮島フェリーの宮島連絡船(宮島航路・JR宮島フェリー)が乗り入れる。1988年(昭和63年)に青函連絡船、1990年(平成2年)に宇高連絡船が廃止された後は、JRでは唯一の「鉄道と航路の連絡駅」となっている。


JR西日本宮島フェリー(連絡船駅)
広島県の実業家早速勝三により、鉄道駅開業の同日の1897年(明治30年)9月25日に桟橋が設置された。所有者が幾度変わった後 1903年(明治36年)3月に山陽鉄道の航路になった。1906年(明治39年)12月1日の国有化。1987年(昭和62年)4月1日の分割民営化。そして、2009年(平成21年)4月1日の連絡船会社の分社化を経て現在に至っている。
宮島航路ではPASPYを導入しているためICOCAも使用できるが、ICOCAと相互利用可能な他のICカードは使用できない。

駅周辺は厳島(宮島)への玄関口として、土産物店や名物のあなご飯屋・カキ小屋などが並ぶ。一方で、桟橋側の景観に関しては「廿日市市景観計画」において、駅舎並びに周辺の広告看板について「国際的な観光地『宮島』の玄関口としては必ずしもふさわしくない色彩や規模の建築物や屋外広告物が見られる」との問題点が指摘されている。
鉄道駅と航路桟橋の間は国道2号(宮島街道)が横断しているが、車両通行量・横断歩行者とも多いこともあり、地下横断歩道を設けて平面横断禁止としている。正月の初詣、GW、お盆、宮島水中花火大会(毎年8月14日)、紅葉などの行楽シーズンは周辺道路が大変な混雑となる。
国道2号から桟橋までの道路は広島県道43号厳島公園線の一部である。桟橋前のロータリーは天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会の3区中継点となっており、放送などで「しゃもじコーナー」「しゃもじロータリー」の名前で呼ばれる。広島電鉄宮島線の広電宮島口駅はこのロータリー沿いにあり、JRの鉄道駅よりも桟橋に近い。
宮島競艇場は当駅の約300m北側に位置しており、最寄り駅の一つとなっている。
山陽本線の山側は新興住宅街が広がる。同駅の西方約1km(ジェイ・エム・エス大野工場付近)を山陽新幹線が通過しており、以前はここに新駅を請願駅として設置し、宮島観光の活性化を図ろうとする運動があったが、JR西日本は線路勾配の問題により駅の設置は不可能と回答したため、現在では駅設置運動は終息している。

鉄道駅とは国道2号(宮島街道)を挟んで隔てた南側にあり、連絡運輸の旅客も一旦改札を出て国道2号を地下道(地下横断歩道)で横断して航路桟橋に向かう必要がある。同じく宮島航路を運航する宮島松大汽船の乗り場と並んでいる(西側がJR西日本宮島フェリー)。
桟橋1本で、旅客と車両は塀1本で分けている。旅客部には屋根を設置している。1976年3月に現在の桟橋の建物が完成した。
JR西日本宮島フェリーの入居する駅舎があり、宮島航路専用の自動券売機(ICカード非対応)と有人の発券窓口が設けられている。乗船口では改札をおこなっておらず、乗船券(乗車券)の確認は宮島駅で行う(宮島航路はPASPYが利用可能だが、当駅にはカードリーダーは設置されていない)。
駅舎の前(入口)にミニ鳥居が設けられており、桟橋への目印となっている。
桟橋付近の埋め立て工事を2014年(平成26年)から開始。2019年(平成31年)完成予定になっている。完成時には、宮島松大汽船 宮島口桟橋と発着場所を統合する予定にしている。

「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり……」の出だしで知られる「鉄道唱歌」(1900年第一集発表)では、当時の宮島駅(現・宮島口駅)が4番にもわたって歌われており、当時の知名度を窺うことができる。
(鉄道唱歌 第二集 山陽・九州より抜粋)
19. 己斐の松原五日市 いつしか過ぎて厳島 鳥居を前に眺めやる 宮島駅につきにけり
20. 汽笛ならして客を待つ 汽船に乗れば十五分 早くもここぞ市杵島(いちきしま) 姫のまします宮どころ
21. 海にいでたる廻廊の 板に浮べてさす汐に うつる燈籠の火の影は 星か蛍か漁火(いさりび)か
22. 毛利元就この島に 城をかまえて君の敵 陶晴賢を誅せしは のこす武臣の鑑なり

1897年(明治30年)9月25日 - 山陽鉄道 広島駅 - 徳山駅間の開通と同時に、宮島駅として開業。旅客・貨物の取扱を開始。
同日 - 広島県の実業家早速勝三により宮島連絡船開設。その時に桟橋も開業する。
1903年(明治36年)3月 - 山陽鉄道が宮島航路を買収し、鉄道連絡船とする。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
1942年(昭和17年)4月1日 - 宮島口駅に改称。
1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物の取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2007年(平成19年)
6月14日 - ICOCA対応自動改札機設置。
9月1日 - ICカード乗車券『ICOCA』使用開始。
2009年(平成21年)4月1日 - 宮島航路がJR西日本宮島フェリーに移管。
2014年(平成26年)10月30日 - 桟橋。埋め立て工事のために桟橋を移設し営業開始。桟橋移転はそれに先がけ、同月28日深夜に行われた。

所属事業者 JR西日本宮島フェリー
所属路線 ■宮島航路(JR宮島フェリー)
キロ程 0.0km(宮島口起点)
駅構造 桟橋のみ
開業年月日 1897年(明治30年)9月25日


弾薬リフトトラック

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ミサイルや爆弾、パイロン等、重量物の航空機への搭載、卸下に使用するもので、車輌前部に油圧で上下するテーブルがついている。

このテーブルは搭載物の種類によっていくつかのアタッチメントが用意されている。

また、前輪の付いたアームは横方向へ広げる事が可能で、車幅を1.8mから3.55mまで変えられるようになっている。

全長 5.64m
全幅 1.8~3.55m
全高  1.15m
自重 3.5t

搭載能力 3t
排気量 3,000cc

別府駅 JR九州日豊本線

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別府駅(べっぷえき)は、大分県別府市駅前町にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。

日本一の湧出量を誇る別府温泉として全国的に知られる別府市の代表駅で全列車が停車する。特急「ゆふ」、「ゆふいんの森」、「九州横断特急」が当駅始発・終着で運転されています。
2003年・2004年に「ソニック」と「にちりん」の系統分割が行われた際、「にちりん」はほとんどの列車が当駅始発・終着となり、当駅は大分駅と共に「ソニック」と「にちりん」の接続駅として位置づけられたが、2009年以降「にちりん」は大分駅発着への変更が進み、2012年3月17日のダイヤ改正によって当駅始発・終着の「にちりん」の設定はなくなりました。

駅周辺は別府温泉を中心に数々の温泉施設があります。旅館やホテルなどの宿泊施設も多い。また、別府市の中心部で各行政機関等が集中する。

駅前には観光地別府と由布院の父、油屋熊八像の銅像のほか足湯ならぬ「手湯」があります。

島式ホーム2面4線と留置線2線を有する高架駅です。駅舎は伝統工芸の竹細工のかごをイメージです。留置線2線は2本の島式ホームの間に設置されており、主に当駅発着列車の留置に使用される(ただし、間合いの長い列車は亀川駅まで回送されることがある)。駅本屋は1966年(昭和41年)に高架化とともに完工した2代目のものである。数度のリニューアル工事が行われており、ここ最近では2005年(平成17年)4月に構内外と北側専門店街が改装され、現在の外観となっている。現ホーム完工時は日豊本線の無煙化前であり、また夜行列車も数多く運転されていたため、2013年までホームに洗面台や鏡が設置されていた。
2001年からしばらくの間、415系(2編成)が保留されていた。


直営駅で、みどりの窓口が設置されている。ただし、南改札口はJR九州子会社の別府ステーションセンターへの業務委託です。自動放送・楽チャリ設置駅です。中央口のみ自動改札機が導入されています。


ICカードSUGOCAの発売も行っています。また、各ホーム1か所ずつにICカードチャージ機とICカード専用自由席特急券売機が設置されている。また、2013年にはホームの嵩上げを伴う大規模改装が実施された。駅構内に別府外国人観光客案内所(ビジット・ジャパン案内所)があります。


のりば
1 ■特急「ソニック」 大分行(一部、佐伯行)
■特急「にちりん・にちりんシーガイア」 大分・延岡・宮崎方面
■日豊本線 大分・臼杵・佐伯方面


2 ■特急「ゆふいんの森」 由布院・日田・博多方面
■日豊本線(特急待避する列車) 大分・臼杵・佐伯方面


3 ■特急「九州横断特急」 豊後竹田・熊本・人吉方面
■特急「ゆふ」 由布院・日田・博多方面
■日豊本線(特急待避する列車) 杵築・柳ヶ浦方面
4 ■特急「ソニック」「にちりん・にちりんシーガイア」 小倉・博多方面
■日豊本線 杵築・柳ヶ浦・中津方面
上下線の間には留置線も設置されています。


駅内高架下中央改札横に観光案内所がある。また商業施設としては、南側に南名店街「BIS南館(核店舗: マルミヤストア別府駅店・明林堂書店JR別府駅店)」「別府駅市場」、北側に北名店街「B-Passage(核店舗: ヤマダ電機別府駅前店)」という商店街があり、食料品店や衣料品店の他に土産物屋やペット温泉なども存在する。なお南名店街については、南改札口と直結している他に構内と接続する通路がないため、中央改札付近から南名店街へ移動する際には一度駅コンコースから構外に出る必要がある。また、ヤマダ電機別府駅前店は別府駅に隣接する別の建物である。B-Passage内にはファミリーマートもあり、24時間利用出来る。


商業床のB-Passage、北名店街、BIS南館専門店街、駅市場商店街、駅ビル駐車場などはJR九州の子会社で亀の井バス等も出資する「別府ステーションセンター」が管理・運営をしており(北駅ビル(ヤマダ電機、駐車場、駐輪場が入居)のみJR九州の直接管理)、1967年(昭和42年)の開業時には「日本一の高架下商店街」とも言われていた。現在でも営業店舗数は100店以上、延べ売場面積は1万m²を超えており、近年は駐車場や駐輪場も増設・再整備されたため多くの買い物客で賑わう。

温泉街・オオムラサキ・鶴見岳をイメージしたイラストの描かれた駅名標と別に温泉マークの描かれた駅名標も設置されていなす。

1911年(明治44年)7月16日 - 鉄道院が開設。
1965年(昭和40年)9月25日 - 別府駅付近の一部が高架化。
1966年(昭和41年)8月9日 - 別府駅付近高架化工事完工。
1966年(昭和41年)9月15日 - 現駅舎開業。当時は別府民衆駅と呼ばれた。10月1日には別府ステーションセンターが開業。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2005年(平成17年)2月25日 - 大規模リニューアル工事完成。
2010年(平成21年)3月13日 - 自動改札機が設置される。
2012年(平成24年)12月1日 - SUGOCA対応となる。
2013年(平成25年)4月 - ホームを全面改装、かさ上げ工事が実施される。
なお、1929年(昭和4年)から1956年(昭和31年)まで別府駅前から大分交通別大線別府駅前支線の路面電車が発着していた。

電報略号 ヘフ
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 5,369人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1911年(明治44年)7月16日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

 

 

 

 

和泉鳥取駅 /阪和線

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和泉鳥取駅は、線内では新しく戦後に設置された駅で、市街中心からは大きく外れており大阪府阪南市和泉鳥取にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅です。阪南市の駅ですが、市役所からはかなり離れています。

市の中心部は南海電鉄の尾崎駅でそこが市の代表駅になっています。最寄り停留所は、府道64号線にある和泉鳥取駅西(さつき号)、和泉鳥取となる。以下の路線が乗り入れ、南海ウイングバス南部により運行されています。2010年(平成22年)6月に駅前広場が完成し、コミュニティバスの乗り入れが開始されました。

相対式ホーム2面2線を持つ盛土上の地上駅で、分岐器や絶対信号機がない停留所に分類
されます。駅ホーム全体がカーブ上にあるため、電車到着前には、足元注意を促す車掌
の放送が行われています。

国有化後に設置されたため、阪和電鉄とは異なる曲線の屋根をもつ駅舎です。駅舎(改
札口)は上り(天王寺方面)ホーム側にあるため、下りホームには線路の下の通路を通
る必要があります。また、駅舎自体もホームより下層にあるため、どちらのホームへ行
く際にも階段を登る必要があります。

改札口を入って左側は、天王寺方面行きホームへ の階段になっています。
和泉砂川駅が管理している直営駅。利用客はそれほど多くありませんがみどりの窓口が
設置されており、ICカード乗車券「ICOCA」が利用することができます。

和泉鳥取駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■阪和線 下り 紀伊・和歌山方面
2 ■阪和線 上り 関西空港・日根野・天王寺方面


ホームは大きく右にカーブしているので、乗降の際には注意が必要です。またホームが
カーブしているのでとても見晴らしの良い景色です。

1963年(昭和38年)4月1日 - 国鉄阪和線の和泉砂川駅 - 山中渓駅間に新設開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の
駅となる。
1992年(平成4年)11月 - みどりの窓口営業開始。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」供用開始

電報略号 トツ
駅構造 地上駅(盛土上)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,258人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1963年(昭和38年)4月1日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

栗橋駅 JR東日本)・東武鉄道

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栗橋駅(くりはしえき)は、埼玉県久喜市にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東武鉄道の駅である。
JR東日本の東北本線と、東武鉄道の日光線の2路線が乗り入れ、接続駅となっているが、両線ともに優等列車は停車しない。東北本線は旅客案内上の愛称「宇都宮線」の設定区間に含まれており、上野駅発着系統と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車する。市境の近い加須市旧大利根町は勿論のこと、利根川対岸の古河市中田地域や権現堂川対岸の五霞町も駅勢圏に入る。

自由通路を兼ねた橋上駅舎を有しており、JR東日本と東武鉄道それぞれに改札がある。
JR東日本:
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅である。
みどりの窓口(営業時間 7:00 - 18:00)、Suica対応自動改札機、指定席券売機が設置されている。


のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■宇都宮線(東北線) 上り 大宮・東京・新宿・横浜・大船方面
(■湘南新宿ライン・■上野東京ライン含む)
2 上り 予備ホーム
3 下り 小山・宇都宮・黒磯方面


湘南新宿ラインの列車は前述のように横須賀線へ直通する。本項では湘南新宿ラインのラインカラーを■青、上野東京ラインのラインカラーを■紫で示すが、実際のホーム案内はすべて■オレンジで案内されている。
2番線は待避線であるが、2006年3月18日ダイヤ改正以降はダイヤが乱れた場合や貨物列車・臨時列車の待避以外では使用されていない。そのため、コンコースでは「臨時上りホーム」と案内されている。

東武鉄道:
島式ホーム1面2線を有する地上駅である。駅番号はTN 04。PASMO対応自動改札機設置。
のりば
番線 路線 方向 行先
1 TN 日光線 上り 南栗橋・東武動物公園・
TS 東武スカイツリーライン 北千住・とうきょうスカイツリー・浅草方面
2 TN 日光線 下り 新栃木・東武日光・TN 鬼怒川線 鬼怒川温泉・
TN 宇都宮線 東武宇都宮方面
上記の路線名は旅客案内上の名称(「東武スカイツリーライン」は愛称)で表記している。
2013年3月16日のダイヤ改正で、当駅は区間快速の停車駅から外され、当駅から東武動物公園方面に直通する列車は、上りの始発列車(区間急行浅草行き)と下りの最終列車(区間急行新栃木行き)のみとなった。当該列車以外で東武動物公園方面を行き来する場合は、隣の南栗橋駅で対面乗り換えとなる。

当駅にはJR東日本の線路と東武鉄道の線路をつなぐ連絡線が設置されている。これは、2006年3月18日より新宿 - 東武日光・鬼怒川温泉間で特急列車「(スペーシア)日光・きぬがわ」を相互直通運転することになったため、それにあわせて新設されたものである。総工費は約16億円である。
連絡線は両社の土地の境界線付近に設置され、東武の側線跡の土地も利用している。連絡線の途中には、両社の乗務員が交代するためのデッキおよび乗務員詰所が設置されている。JRと東武を直通する特急は当駅で乗客の乗降扱いを行わないため、旅客用ホームは設けられておらず、列車は運転停車となる。線路の配置は運転本数が少ないため、単純な平面交差となっている。


両社連絡線設置に伴い、長さ80メートルのデッドセクション(死電区間)が設置された。東北本線東京 - 黒磯間と東武日光線はいずれも直流1,500ボルト電化であるが、双方の電源の混触を防ぐために設置され、列車は惰行で通過する。デッドセクション内の架線は断路器を介して東武側の饋(き)電線に接続されており、何らかの理由で列車がデッドセクション内に停止した場合には東武側からの加圧で列車を動かすことができる。
なお、2009年時点では東武本線においてJR線と東武線が直結されている唯一の地点である。南栗橋車両管区は至近であるものの、新車搬入には使用されていない。新車は熊谷貨物ターミナル駅から秩父鉄道線・羽生駅・東武動物公園駅を経て南栗橋車両管区まで搬入される。


東口北方にある木造の建物、野本タクシー車庫は橋上駅舎化前・西口開設前の駅舎のそのまた前の当駅駅舎である。1947年、カスリーン台風により利根川が決壊、決壊の原因は利根川橋梁に漂流物が引っかかり流れが悪くなったためとされる。さらに1948年にはアイオン台風により、橋梁の線路部分まで浸水した。そのため1949年から橋梁持ち上げ工事を行い、翌年に持ち上げ工事完了。それにともない200m南の現在の位置に駅舎を新設、東北本線ホームは移動して建て直された。かつては東武線ホームと並んで東北本線ホームがあった。

1900年(明治33年)に作詞された「鉄道唱歌 第三集奥州磐城篇」(大和田建樹作)では、栗橋駅を以下のように歌った。
5.中山道と打わかれ ゆくや蓮田の花ざかり 久喜栗橋の橋かけて わたるはこれぞ利根の川
6.末は銚子の海に入る 板東太郎の名も高し みよや白帆の絶間なく のぼればくだる賑わいを
1885年(明治18年)7月16日 - 日本鉄道(現・東北本線)の駅として開業。当時利根川の架橋は完了しておらず、この区間には鉄道連絡船が運行され、当駅 - 古河駅間の現在の利根川畔には中田仮停車場が設けられて利根川鉄橋の開通まで運用された。
1886年(明治19年)6月17日 - 当駅 - 中田仮駅間の利根川橋梁が開通。中田仮駅を中田信号所に変更。
1886年(明治19年)7月9日 - 明治天皇が利根川橋梁を展覧した。
1906年(明治39年)11月1日 - 買収により日本鉄道が国有化される。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称が制定され、東北本線の駅となる。
1922年(大正11年)3月5日 - 当駅 - 中田信号所間複線化。
1922年(大正11年)4月1日 - 中田信号所を中田信号場に改称。
1929年(昭和4年)4月1日 - 東武日光線の駅が開業。
1932年(昭和7年)5月1日 - 中田信号場廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化にともない、東北本線の駅はJR東日本に継承。
2000年(平成12年)12月10日 - 橋上駅舎化・西口開設。JRと東武の駅舎・改札が分割される(それまで東武鉄道の発券業務はJRに委託されていた)。多機能トイレにオストメイトを日本の鉄道駅では初めて設置。
2001年(平成13年)11月18日 - JR東日本でICカードSuica供用開始。
2006年(平成18年)3月18日 - JR東日本と東武鉄道との間に連絡線が設置され、直通特急「(スペーシア)日光・きぬがわ」が運行を開始。同時に当駅での運転停車が実施される。
2007年(平成19年)3月18日 - 東武鉄道でICカードPASMO供用開始。
2012年(平成24年)3月17日 - 東武鉄道の駅にTN 04の駅ナンバリングを導入。

JR 栗橋駅:
電報略号 クリ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 11,843人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1885年(明治18年)7月16日
備考 みどりの窓口 有

東武 栗橋駅:
電報略号 クリ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 11,180人/日
-2012年-
開業年月日 1929年(昭和4年)4月1日

 

旧唐津銀行

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唐津市民生活や産業界を財政面で支え、また西洋文化の象徴であった旧唐津銀行本店。建築を発注したのは、弱冠26歳にして唐津銀行を開業し、初代頭取になった大島小太郎。

大島は藩の洋学校「耐恒寮」のかつての同窓生、建築家の辰野金吾に設計を依頼しますが、辰野は国家プロジェクト「東京駅」設計工事の真っ只中。そこで辰野は愛弟子の田中実に設計を委ねました。辰野は監修者として設計を見守り、田中は師匠の故郷を前に、崇高な使命感と意欲で建築に挑んだのです。

旧唐津銀行は、まさに3人の情熱が生んだ珠玉の作品。彼らの情熱を無駄にしないよう、復原修復においては、最先端技術を駆使しながらも、職人たちの手によりディテールの一つ一つに至るまで徹底して忠実に再現されています。

シックでモダンな受付カウンター

1854年、唐津藩に生まれた辰野金吾は大変な努力家として知られています。工部大学校造家学科(東京大学工学部建築学科の前身)入学時には学力不足で下位入学でしたが、猛勉強の末、主席で卒業。のちにロンドン留学を通じて建築学を究めます。留学後、同大学校の日本人初の教授として日本建築教育の礎を築き、また日本人初の建築設計事務所を開設して日本に初めて“建築家”という職能を確立させました。生涯で携わった設計は、日本銀行本店や奈良ホテルなど200余り。明治20年には日本建築学会を設立し、会長に就任しています。

かつては行員が忙しく行き交っていた空間も、今では多目的ホールとして一般に広く利用されています。市民ギャラリーや音楽演奏会、公開講座などの文化イベントが不定期で開催される。

赤レンガと白御影石によるコントラストが印象的な旧唐津銀行は、「辰野式」と呼ばれるデザインが特徴。辰野は晩年、赤レンガスタイルの建築をこよなく愛したといいます。設計スタイルは、まちを賑やかに飾ることを意図したイギリスの「クイーンアン様式」を日本化したもので、アーチ窓や王冠のような尖塔などに辰野式の特徴を見ることができます。田中実は、師の故郷に対する思いを汲み取り、全体に辰野式を取り入れながらも独自のモダンな感覚をプラス。当時最新の建築材料であるタイルをはじめ、飾り柱、壁の漆喰仕上げなども最新の器具・意匠で仕上げられています。

旧唐津銀行
所在地:佐賀県唐津市本町1513-15
竣工:1912年(明治45年)
設計監修:辰野金吾(唐津市出身)
設計者:田中実(辰野金吾の愛弟子、清水組技師)
敷地面積:1,431.73㎡
延床面積:906.99㎡
階数・高さ:地上2階、塔屋、地下1階
建築構造:煉瓦造り
用途:2F:展示施設
    1F:多目的ホール、休憩スペース
    B1F:レストラン唐津迎賓館
営業時間:午前9時~午後6時
休館日:12月29日~12月31日
施設観覧料:無料
展示施設観覧料:常設展示:無料

 

見能林駅 JR四国牟岐線

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見能林駅(みのばやしえき)は阿南の市街地、徳島県阿南市見能林町清水山東にある四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅です。駅番号はM13、普通列車のみが停車する駅です。四国最東端の駅であり駅の周囲は住宅地や商店が多い。徳島県最大の海水浴場「北の脇海水浴場」は当駅が最寄りとなります。

旧見能林村(その後合併して阿南市に)の玄関口。今は阿南の市街地の外れという感じである。駅の規模の割には学生を中心に利用客が多い。

ホームは単式1面1線である。駅舎はかつてあったが、国鉄時代(1986年夏)に不審火で焼失し今はなく今はコンクリートの基礎の一部のみが残っています。

ホーム上に簡易の待合所があり木製の簡素な長椅子がのみの設置で自動券売機などは設置されていません。汲み取り式のトイレがある。 ホームはゆるくカーブしています。
「切符は栗飯原雑貨店で購入を」の看板あり。数年前は簡易委託駅だった。

1936年3月27日 開業。
1986年夏 火事で焼け残った駅舎が撤去される。
1987年4月1日 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。

電報略号 ミハ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1936年(昭和11年)3月27日
備考 無人駅

 

 

 

 

いこいの村駅 JR九州豊肥本線

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いこいの村駅は、熊本県阿蘇市竹原にある、九州旅客鉄道(JR九州)豊肥本線の駅です。観光施設いこいの村への最寄り駅として開設された新駅です。隣駅阿蘇からわずか1km。通学の学生が駅の主な利用者です。

駅名となったキャンプ場「いこいの村」は、徒歩20分程度の距離にある。駅前は国道57号が走っているが、周辺の集落は当駅西側で国道57号と交差する道路沿いにある。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎はありません。無人駅である。
ホームには上屋がありFRP製の椅子が設置されています。

1989年(平成元年)3月11日 - 開業。

電報略号 イコ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 43人/日(降車客含まず)
-2005年-
開業年月日 1989年(平成元年)3月11日
備考 無人駅

 

 

 


南行橋駅 JR九州日豊本線

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昭和63年、JR化後初のダイヤ改正で開業した南行橋駅は行橋市郊外の住宅街、福岡県行橋市泉中央二丁目にある駅です。所属は九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線です。住宅地の中にある駅であり、行橋高等学校、京都高等学校の最寄り駅である事から、通学時間帯は高校生でにぎわう。行橋市南部は北九州都市圏の経済圏に属すため、ラッシュ時には小倉方面を中心に利用客が多い。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。平屋のこぢんまりとした小さな駅舎です。駅舎からホームへは段差があります。ホームとは屋根付きの跨線橋で結ばれています。駅前には小さなロータリーがあります。

九州交通企画が駅業務を行う業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されています。改札口にはSUGOCA対応の簡易型自動改札機と液晶式の発車案内が設置されています。SUGOCAの利用が可能であるが、カード販売は行わずチャージのみ取り扱いを行う。

のりば
1 ■日豊本線(上り) 行橋・小倉・門司港方面
2 ■日豊本線(下り) 中津・宇佐方面

1988年(昭和63年)3月13日 - 九州旅客鉄道により開設。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 ミユ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1988年(昭和63年)3月13日
備考 業務委託駅

DE10 1209 JR九州

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DE10 1209

製造所 川崎重工業大阪車両部

製造番号 第3755号

製造区分 昭和47年度第2次債務車

仕様 A寒地仕様

平成25年4月1日現在 熊本車両センター配置

昭和62年5月24日 唐津線 有田~西唐津間でお召し列車牽引。

昭和62年5月25日 唐津線 西唐津~肥義麓間でお召し列車牽引。

1000番台
1969年 - 1973年に210両 (1001 - 1210) が製作された。
基本番台の機関の設計を変更し、燃料噴射ポンプや予燃焼室の形状を改良して出力を向上したDML61ZB形 (1350PS / 1550rpm) を搭載した区分で、全車がSGを搭載する。
1972年製の1153以降は3軸台車の揺れ枕支持機構を変更し構造を簡素化したDT141形に変更した。1973年製の1188以降は運転室の天井に扇風機を設け、屋根上に扇風機カバーが突出している。

本形式は新造時や転属の際に、使用地域の気候条件を考慮した各種装備が付加された。配置された気候条件によって以下の仕様がある。A寒地仕様:気候が極めて寒冷な地域で使用するための装備群で、主な追加装備は耐雪ブレーキ・スノープラウ・旋回窓・ジャンパ栓や砂撒管の凍結防止用加熱装置などである。北海道・東北地区の各線区や高山本線などに配置された。

DE10形ディーゼル機関車は、日本国有鉄道(国鉄)が開発・設計した中型ディーゼル機関車です。九州旅客鉄道(JR九州)には19両が承継された。久大本線では普通客車列車の牽引に使用されていたが、1999年に客車列車の全面気動車化により消滅した。また豊肥本線で運行されていた「あそBOY」の補助機関車あるいは代替機としても使用された。
2010年8月、NHKがデジタル放送普及のために企画した鉄道による九州一周プロジェクト「BSデジタル号がゆく!~ブルートレイン 九州一周の旅~」(9月3日 - 5日)で運行される臨時列車「BSデジタル号」の牽引に熊本車両センター配置の1753が起用されることになり、塗装を黒基調のオリジナル塗装へ変更した。当形式での「BSデジタル号」の牽引は、全行程のうち人吉駅 - 鹿児島中央駅 - 門司港駅間(肥薩線・日豊本線・鹿児島本線・日豊本線・久大本線・日田彦山線・日豊本線・鹿児島本線経由)で行われた。その後も同機は塗り替えられず、臨時列車などに使用されている。また2012年11月には同じく熊本車両センター配置の1638が1753と同じ色に塗り替えられた。

ローカル線の貨客列車牽引や入換用途を主目的として開発された。1966年(昭和41年)から1978年(昭和53年)までに合計708両が製作され、日本各地のローカル線で蒸気機関車を置き換え、動力近代化を促進した。
ロード・スイッチャー(支線用貨客列車の牽引と入換を兼用する機関車。)としては、1957年(昭和32年)からDD13形が使用されていた。同形式は軸重14tで線路規格の低い支線区への入線が難しく、暖房用蒸気発生装置 (SG) 非搭載で旅客列車への使用に制約がある、軸数が少なく重入換の用途では制動力に不足[1]があるなどの短所を内包しており、支線区や入換用途でディーゼル機関車を汎用的に使用するための設計手法が模索されていた。
1962年(昭和37年)に本線用ディーゼル機関車DD51形でDML61系1,000PS級V型12気筒ディーゼル機関の実用化がなされると、同系統の機関を1基搭載とした中型機の構想が具体化した。エンジンや変速機を1系統とするなど、部品点数の削減で保守性の向上と軽量化を図り、支線区でも広汎に使用できる機関車を目標としたもので、これは1963年(昭和38年)と1965年(昭和40年)の2回に分けてDD20形として試作されたが、軸重過大や粘着性能不足に起因する空転多発などの欠点が顕在化し、量産化は断念された。


DD20形の試用結果を受け、軸重・牽引性能と汎用性の両立を実現するため開発されたのが本形式である。動軸を5軸として13t級の軽軸重を実現し、3軸+2軸の台車配置・前後非対称の車体構造など、広汎に使用可能とするための設計が随所に盛り込まれた。
入換作業はもとより、臨時列車や貨物列車の牽引までをこなす高い汎用性から、国鉄の一形式単独としては唯一JR7社すべてに継承され使用されてきたが、近年では客車列車や貨物列車を牽引する機会が減少しており、東海旅客鉄道(JR東海)では全車が廃車されている。

内牧駅 JR九州豊肥本線

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内牧駅は、旧阿蘇町中心の最寄り駅で熊本県阿蘇市乙姫にある、九州旅客鉄道(JR九州)豊肥本線の駅です。

夏目漱石の二百十日ゆかりの内牧温泉の入口(バスで約10分)になります。

島式ホーム1面2線を有する地上駅。天井の高い木造駅舎ですが平屋建てです。駅舎とホームは構内踏切で連絡しています。

駅舎は木造建築で天井が高く外部からは二階建に見える。


駅舎の中で手売りの乗車券を販売する簡易委託駅である。マルス及びPOS端末の設備は無い。

待合室も広くFRP製の椅子が設置。駅左の事務室部分には、地元特産品を扱う会社が入居しています。

のりば
1 ■豊肥本線(下り) 阿蘇・大分方面
2 ■豊肥本線(上り) 肥後大津・熊本方面

1918年(大正7年)1月25日 - 鉄道院により開設。
1945年(昭和20年)7月27日 - 空襲により駅本屋構内被災全焼。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

電報略号 ウチ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線


乗車人員
-統計年度- 174人/日(降車客含まず)
-2005年-
開業年月日 1918年(大正7年)1月25日
備考 簡易委託駅

赤水駅 JR九州豊肥本線

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赤水駅(あかみずえき)は、熊本県阿蘇市赤水にある、九州旅客鉄道(JR九州)豊肥本線の駅である。阿蘇外輪山の眺めがとて綺麗な駅です。


標高467mに位置しており、近隣に阿蘇ファームランドや牧場、温泉などの観光レジャー施設が豊富で観光客の乗降も多いため、ななつ星in九州を除く全列車が停車する。

島式ホーム1面2線を有する地上駅。昭和13(1938)年4月改築された古い木造の駅舎があります。

駅舎とホームは構内踏切で連絡している。ホームには小さな上屋があるが列車が停車しない位置にあります。


駅舎の中で手売りの乗車券を販売する簡易委託駅である。
待合室にはFRP製の椅子が設置されています。

のりば
1 ■豊肥本線(上り) 熊本方面
2 ■豊肥本線(下り) 阿蘇・大分方面

国鉄行灯型駅名標があります。

1918年(大正7年)1月25日 - 鉄道院により開設。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

電報略号 アカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 105人/日(降車客含まず)
-2005年-
開業年月日 1918年(大正7年)1月25日
備考 簡易委託駅

南阿蘇鉄道MT-3000形気動車

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南阿蘇鉄道MT-3000形気動車は南阿蘇鉄道が保有する軽快気動車です。「おおるりしじみ」の愛称を持つ。

1993年(平成5年)に1両 (MT-3001) が、新潟鐵工所で製造され、旧国鉄キハ52形のMT-2105を置き換えた。NDCの第2世代にあたり、側面形状はNDC標準の2段窓であるが、全長はMT-2000形に比べて約1m長い17.1mとなっており、前面は大きくスラントした大型の窓を持つ非貫通の展望構造である。

同種のデザインは、高千穂鉄道TR300形や、秋田内陸縦貫鉄道AN-8900形に見ることができるが、本形式は両運転台式である。
片側2か所にある客用扉は幅850mmの引き戸で、運転席側には乗務員用扉が設置されている。


台車は空気ばねを装備したNP125DおよびNP125T1で、動力台車は2軸駆動である。走行用機関はDMF13HS(250PS/2000rpm)を1基搭載する。動力伝達方式は液体式である。


車内は、当初は中央部がボックスシート、乗降口付近はロングシートであったが、後に全てロングシートに改造された。改造前の定員は99人(座席55人、立席44人)としている。冷房装置は20600kcal/hの集中型を屋根上に搭載しており、暖房装置は機関冷却水を熱源とする5300kcal/hの温水温風式暖房機を8基客室内に設置している。また、運転席はワンマン運転対応となっており、足踏み式のデッドマン装置、整理券発行機、自動両替機付き運賃箱が設置されている。


南阿蘇鉄道株式会社は、熊本県で旧国鉄特定地方交通線の鉄道路線高森線を運営している南阿蘇村・高森町など沿線自治体が出資する第三セクター方式の鉄道会社である。本社所在地は熊本県阿蘇郡高森町大字高森1537-2。
高森線には駅名が日本一長い「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」がある。

 

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