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Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
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銀水駅 JR九州)鹿児島本線

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銀水駅(ぎんすいえき)は、福岡県大牟田市大字草木にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅です。駅周辺には高校が3校至近にあり朝夕は多数の通学生で賑わう駅です。
2011年3月12日より、熊本方面からの列車の約半数が当駅で折り返すようになった。このうち大牟田 - 熊本間で快速運転となる「くまもとライナー」については、上り1本が鳥栖行き、下り1本が大牟田発となっているのを除いて当駅発着となっている。

開業時の地名(三池郡銀水村)が由来。「銀水」とはこの土地を流れる「白銀川」の水の事である。この川は別名を「銀水川」と言い、かつては白銀のような美しく澄み渡った名水が流れていたと言う。この白銀川流域の村が合併して出来たのが「銀水村」であった。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。大正15(1926)年4月開業時の古い木造の駅舎ですが外板、瓦ともよく補修手入れされてます。

互いのホームは跨線橋で連絡しています。駅前には「皇紀弐千六百年記念」石碑があります。


JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、POS端末や近距離きっぷの自動券売機が設置されている。SUGOCAの利用が可能ですがカード販売は行わずチャージのみ取り扱いを行い改札機は置かれていません。待合室にはFRP製の椅子が背中合わせに設置されています。

のりば
1・2■鹿児島本線 (下り) 大牟田・熊本・八代方面
折り返し列車は2番線を使用します。
3■鹿児島本線 (上り) 久留米・鳥栖・博多方面

1926年(大正15年)4月1日 - 鉄道省が開設。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄民営化により九州旅客鉄道が継承。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 キン
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線


乗降人員
-統計年度- 1,337人/日
-2010年-
開業年月日 1926年(大正15年)4月1日
備考 業務委託駅


造水機給水タンク 航空自衛隊

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飲料用貯蔵タンク。造水装置によって造水した飲料水等を貯蔵するためのポータブル型タンクで、小型で軽量であり、車輌による運搬が可能になっている。


容量2t
NS-2000
日本軽金属

吉野駅 JR九州)鹿児島本線

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吉野駅は、福岡県大牟田市大字倉永にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅です。大牟田市の北部にあり周辺は住宅地である。駅の約400m西側を国道208号および西鉄天神大牟田線が鹿児島本線に並行する形で通っています。福岡県立ありあけ新世高等学校、明光学園中学校・高等学校の通学客で朝夕は賑わう駅です。また在来線に接続しない新幹線新大牟田駅の在来最寄駅でもあります。

駅の所在地は「倉永」だが、実際には倉永地区と吉野地区の境目に位置する。倉永地区には既に西鉄天神大牟田線によって倉永駅が設置されていたため、吉野地区の住民の請願によって「吉野駅」と命名された。近鉄吉野線にも同じ駅名が存在するが、JR線にはなかったためそのまま「吉野駅」となった。
「吉野」は甘木山の麓の原野を開発して出来た土地で、「その土地(原野)が吉祥の地になりますように」と願って名づけられた地名である。吉野山や吉野神宮等との関係はない。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。小さい三角屋根の小さな駅舎です。券売機や窓口はありますが、待合という機能はありません。互いのホームは跨線橋で連絡している。2番ホーム銀水寄りに、明光学園敷地内に直結する改札口が設けられており、朝のみ開放されている。
JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されている。駅舎側面で委託の窓口が営業しています。また近距離きっぷの自動券売機が設置されている。SUGOCAの利用が可能であるが、カード販売は行わずチャージのみ取り扱いを行う。

のりば
1■鹿児島本線 (下り) 大牟田・熊本・八代方面
2■鹿児島本線 (上り) 久留米・鳥栖・博多方面


1991年(平成3年)3月16日 - 開業。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 シノ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 939人/日
-2011年-
開業年月日 1991年(平成3年)3月16日
備考 業務委託駅

渡瀬駅 JR九州)鹿児島本線

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渡瀬駅(わたぜえき)は、福岡県みやま市高田町濃施にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅です。旧所在地は三池郡高田町で、平成19(2007)年1月に合併により、みやま市となりました。みやま市高田町の中心部に立地しています。国道208号の一部と国道209号は高田町内で鹿児島本線に並行している。

開業当時の地名(三池郡二川村字渡瀬)が由来。
「渡瀬」は古くから楠田川と隈川に挟まれた三池街道の宿場町として栄えた町で、駅名が「二川」にならなかったのは当時は「二川村」よりも「渡瀬宿」の方が知名度が高かったことや、隣郡の八女郡(現・筑後市)にも「二川村」が存在していたからである。駅名を「二川駅」にする案もあったのだが、1896年(明治29年)に東海道本線に二川駅が開業してしまったため、結局「二川駅」になる事は無かった。


渡瀬地区は地区改正で縮小したものの、今も西鉄渡瀬駅との中間くらい(下楠田付近)に現存している。
なお「渡瀬」の由来は、この地が隈川を徒渉して渡れる瀬(浅瀬)が多い事から来ており、二川村の「二川」とは「楠田川」と「隈川」の事である。

単式ホーム2面2線を有する地上駅。2006年に新築された清楚な和風駅舎です。以前はもう1線を有していたが中線が撤去された。互いのホームは跨線橋で連絡している。駅舎は西側にある。


JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されています。近距離きっぷの自動券売機が設置されている。SUGOCAの利用が可能であるが、カード販売は行わずチャージのみ取り扱いを行う。

待合室は狭く畳張りの長椅子が一脚、飲料自販機が設置されていません。駅舎左手にバリアフリー化としてスロープの入口があります。

のりば
1 ■鹿児島本線(上り)久留米・鳥栖・博多方面
2 ■鹿児島本線(下り)大牟田・熊本・八代方面
2番線は旧3番で、旧2番線は撤去されています。


1891年(明治24年)6月7日 - 九州鉄道(初代)が開設(矢部川駅(現・瀬高駅) - 大牟田駅間に増設)。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され帝国鉄道庁が所管。
1978年(昭和53年)4月15日 - 貨物業務取扱廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR九州が継承。
2006年(平成18年)- 駅舎新築。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 ワタ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1891年(明治24年)6月7日
備考 業務委託駅

南瀬高駅 JR九州)鹿児島本線

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南瀬高駅(みなみせたかえき)は市街地外れの田園地帯、福岡県みやま市瀬高町太神にある九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅です。駅周辺は小さな集落を形成しています。

開業当時の地名(山門郡瀬高町字井手ノ上)から「井手ノ上駅」と命名されたが、1942年(昭和17年)に隣駅の瀬高地区の中心駅だった「矢部川駅」が「瀬高町駅」に改称された後に、「南瀬高地区の中心駅」と言う意味合いで「南瀬高駅」に改称された。

「井手ノ上」は「井出ノ上」とも書き、「井戸から豊富に湧き出る湧水の上に築かれた集落」と言う意味で、この地が古くから水が豊富な水郷集落だった事を表した地名である。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。プレハブ風簡易駅舎を備える。


無人駅であるが社員が派遣され、特別改札を実施する事もある。また近距離きっぷの自動券売機が設置されている。待合室にはFRP製の椅子が設置されています。SUGOCAの利用が可能であるが、カード販売とチャージの取り扱いは行わない。

のりば
駅舎とホームの間に若干のスペースがあります。
1 ■鹿児島本線(上り)久留米・鳥栖・博多方面
2 ■鹿児島本線(下り)大牟田・熊本・八代方面
下りホームには駅舎より大きな待合所が設置されています。

1935年(昭和10年)3月23日 - 井手ノ上駅として鉄道省が開設。
1942年(昭和17年)11月15日 - 南瀬高駅に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。


2006年(平成18年)3月18日 - 近距離きっぷ自動券売機を設置。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 ミセ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1935年(昭和10年)3月23日
備考 無人駅(自動券売機 有)
* 1942年に井手ノ上駅から改称。

広島湾要塞・鷹ノ巣低砲台周辺

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鷹ノ巣低砲台の近くには海上を照らす電灯所や発電所も造られてい
ました。

また鷹ノ巣中砲台砲台としても遺構がある様子です。

沿岸要塞:領海内に侵入した敵の艦艇に対して砲撃・雷撃を加える沿岸地域や港湾、島嶼に構築される要塞。人工島を構築して砲台とするものは海堡と呼ばれた。

長距離砲を備えた砲台が主体となり、旧戦艦・巡洋艦の大口径砲が使用される砲塔砲台もあった。また、沿岸要塞の大きな特徴としては、ソナーや対艦レーダーを備えており、機雷敷設設備や魚雷発射施設も構築される場合が多い。

戦前の日本本土に構築された全ての要塞はこうした沿岸要塞であった。

対艦ミサイルが無い時代に敵艦隊の攻撃から重要都市や湾口を防衛したり海峡を封鎖するには大口径砲を備えた沿岸要塞が必要だった。

井原駅 /井原鉄道井原線

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井原駅(いばらえき)は、岡山県井原市七日市町にある、井原鉄道井原線の駅です。パークアンドライド用に、駅南側に第一・第二あわせて153台分の駐車場があります。

井原駅の名物・名産品として:いばららーめん(井原線沿線の食材を使用した醤油ラーメン) ごんぼうバーガー(井原線沿線の食材を使用したハンバーガー 井原線バーガー第1弾)があります。また井原産デニム直売所もあります。ご当地色の強い第三セクターにあっても、非常に異色の店舗です。


島式1面2線のホームを持ち列車交換が可能な地上駅。

直営駅かつ井原線最大の拠点駅となっており、駅舎のデザインはガラスを多用し井原にゆかりのある那須与一の弓矢をモチーフとしています。また、近年建築された新線にしては珍しく、ホーム西側には改札とを結ぶ遮断機付きの構内踏切でホームと結ばれています。

天井が高くガラス張りの開放的な駅舎内には有人改札窓口に自動券売機、そのほかには売店・飲食店・特産品展示販売スペース等があります。

また、中央のコミュニティホールでは各種イベントが開かれ鉄道利用者以外にも開放されている。

主要駅らしく、ホールの上屋は比較的長く設置されています。


井原駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■井原線 下り 神辺方面
2 ■井原線 上り 清音・総社方面


2番線を上下本線、1番線を上下副本線とした一線スルー構造であるが、実際の運用では、井原線に各駅停車しか運行されていないため、方向別にホームを使い分けている。

観光名所としては田中美術館(駅から徒歩10分)井原市が生んだ木彫界の巨匠平櫛田中の作品170余点と、田中翁と親交のあった作家の作品を展示。 3階には東京上野桜木町のアトリエが再現されています。 嫁いらず観音院(駅から車で10分)天平9年(737)、行基が開山した観音院です。本尊の十一面観音に「年老いるも嫁の手を煩わすが如き病難なく、健康にして、幸福なる生涯を全うする」というご利益があるとされることから、「嫁いらず」の名が付きました。春と秋の彼岸の大祭には、中国地方はもちろん、四国や九州、関西からも多くの参詣客が訪れます。 

名勝天神峡(駅から車で15分)小田川渓谷約1kmにわたり、楓、樅、樫などの巨樹・老木が清流に影を落とす天神峡。自然の変化が四季折々に美しく、大人から子供まで年中楽しめる景勝地です。 葡萄浪漫館(駅から車で15分)各種葡萄の販売はもちろん、ぶどう生産団地の発展や特長がわかる寿記念館や生産団地を360度見渡せる展望台などがあり、楽しくぶどうのことが学べます。 興譲館(駅から車で3分)1853(嘉永6)年に創立された郷校「講堂」、講堂に附属している「書斎」、「校門」及び「紅梅」が県の史跡に指定されています。初代館長は、漢学者阪谷朗廬。

 永祥寺・袖神稲荷(駅から車で10分)合格祈願で知られる永祥寺は那須氏の菩提寺。隣接する袖神稲荷は那須与一が、扇の的を射た際に破り捨てた片袖が奉納されています。 道祖渓(駅から車で10分)明治池の下流にある渓谷の景勝地。浸食によって削られた岩の起伏を大小の滝が流れ落ちています。県の名勝に指定されています。 

1999年(平成11年)1月11日 - 井原線開業と同時に設置。
2009年(平成21年)4月 - 駅舎建物内に社直営のラーメン店 開店。

電報略号 イハ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1999年(平成11年)1月11日
備考 直営駅

瀬高駅 JR九州)鹿児島本線

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瀬高駅(せたかえき)は、福岡県みやま市瀬高町下庄にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅です。


旧・瀬高町の代表駅で、国鉄時代は筑後川の可動橋で有名な廃止された佐賀線等の発着駅でもあった。以前は、特急「リレーつばめ」号の一部列車が停車していたが、現在は日中に停車する特急の運行は無い(快速・準快速列車が停車する)。

瀬高地区が矢部川に沿って栄えた町である事から「矢部川駅」と命名された。「瀬高」は「この地を流れる矢部川が瀬に阻まれて非常に川の水が溢れやすい地形」だった事から付いた地名である。

昔は佐賀線のほか、私鉄である東肥鉄道(後の九州肥筑鉄道)も分岐しており駅前には柳河軌道も存在した。開業当初の駅名が矢部川だったのは高瀬駅(現在の玉名駅)との混同を避けるためであった。


駅名を矢部川から変更する際、新駅名を「瀬高駅」にすることが希望されていたが、やはり高瀬と混同を避けて「瀬高町駅」とされ、この駅は高瀬駅が玉名駅に改称された日に現在の瀬高駅に改称となった。


なお、瀬高 - 山鹿温泉間のバス路線(山鹿線)は2006年(平成18年)3月1日よりJR九州バスから産交バスに移管されたが、2009年(平成21年)10月1日に廃止された。


単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。旧国鉄にある平屋建てのコンクリート造駅舎で正面の壁面には地元の伝統工芸のきじ車、清水寺の三重塔が描かれています。互いのホームは跨線橋で連絡している。

西側に駅舎がある。現駅舎は1979年(昭和54年)6月に改築された3代目である。2012年3月にバリアフリー工事が完成し、エレベーターが新設されたが、改正に伴い、2番ホームは使用が停止された。


JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、みどりの窓口が設置されている。駅舎内には観光案内所が併設されています。童謡詩人與田準一の生地であることが紹介されています。

のりば
1 ■鹿児島本線(上り)久留米・鳥栖・博多方面
3 ■鹿児島本線(下り)大牟田・熊本・八代方面


1891年(明治24年)4月1日 - 矢部川駅の名称で九州鉄道(初代)が開設。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され帝国鉄道庁が所管。
1931年(昭和6年)9月24日 - 佐賀線が部分開業。
1942年(昭和17年)4月1日 - 瀬高町駅に改称。
1956年(昭和31年)4月10日 - 瀬高駅に再改称。
1979年(昭和54年)6月 - 現駅舎に改築。

1987年(昭和62年)
2月6日 - みどりの窓口開設。
3月27日 - 国鉄佐賀線が特定地方交通線に指定され廃線。
4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2009年(平成21年)
2月19日 - 自動改札機を導入。
3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 セカ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1891年(明治24年)4月1日

備考 業務委託駅
みどりの窓口 有
改称履歴
* 1942年 矢部川駅→瀬高町駅
* 1956年 瀬高町駅→瀬高駅


大久野島 /南部砲台跡

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大久野島のここ南部砲台跡では、全体で8門の大砲が置かれ、現在4門の砲台跡が残っています。1900年に竣工、24cm砲4門と9cm砲4門が置かれていました。

島には三か所砲台がありましたが南部砲台が一番規模が小さい。大久野島は芸予要塞の防禦線の一翼を担っていました。芸予要塞は、瀬戸内海の忠海海峡と来島海峡の線に設置された大日本帝国陸軍の要塞です。1897年(明治30年)3月に建設が開始されました。

瀬戸内海への敵艦船の進入を阻止するため、紀淡海峡・鳴門海峡・豊予海峡・下関海峡に要塞砲台の設置が検討されました。しかし豊予海峡のみは、当時の要塞砲の射程距離よりも広い幅であったため、芸予要塞が計画されました。


芸予要塞の防禦線の選定は、1873年に、陸軍雇教師・フランス軍マルクリー中佐の海岸防禦法案を始めとして種々検討を重ね、1897年6月に6箇所に砲台を設置する最終案を決定しました。砲台建設は、1897年3月、大久野島北部砲台から開始され、1902年2月までにすべての砲台が竣工し、備砲工事も完了しました。

大久野島島内には、北部、中部、南部の3ヵ所の砲台が設置され、合計22門の砲台が置かれていました。豊予要塞の建設が決定したことから存在意義を失い、1924年12月に廃止されました。

1873年(明治6年) マルクリー中佐の海岸防禦法案提出
1897年(明治30年)3月 大久野島北部砲台着工
6月 最終案決定
1898年(明治31年)2月 大久野島南部砲台着工
10月 大久野島中部砲台着工
1899年(明治32年)3月 来島南部砲台着工
5月 来島中部砲台着工
11月 来島北部砲台着工
11月 芸予要塞砲兵大隊設置。同月11日、大隊本部、広島県豊田郡忠海町で事務を開始。
1900年(明治33年)6月 大久野島北部砲台・来島南部砲台竣工
6月25日 - 芸予要塞司令部が豊田郡忠海町に開庁。
8月 大久野島南部砲台竣工


1901年(明治34年)3月 大久野島中部砲台・来島中部砲台竣工
1902年(明治35年)2月 来島北部砲台竣工
1924年(大正13年)12月 廃止

筑後船小屋駅 JR九州)鹿児島本線・九州新幹線

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筑後船小屋駅(ちくごふなごやえき)は、福岡県筑後市大字津島字東にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅です。

筑後市の南端部にありみやま市との市境に近い。駅の周囲は田園地帯です。新幹線の停車本数は少なく、久留米駅からもほど近いため、乗換駅としてはあまり機能していない。なお、筑後市の中心部は当駅ではなく隣の羽犬塚駅の周辺です。

江戸時代頃より、矢部川の一帯に土木用の船を格納する「小屋」がたくさん堤防に設けられた事が「船小屋」の由来である。旧藩時代の1689年(元禄2年)に矢部川の河川工事用の平田舟を格納する小屋が設置され、小屋番の役職の監督下に置かれていたことから土地の住民は「御船小屋」と呼んでいたのが「船小屋」の通称になり地名に転じたと言われている。
開業時の地名は八女郡水田村であったが温泉の採掘などにより「船小屋」の知名度が高かったため、そのまま駅名に採用された。


新幹線開業時に、従来の「船小屋」の前に、当駅の所在する市名「筑後」を付加し、「筑後船小屋」とされた。元来「筑後」は現在の福岡県南部に存在した令制国(旧国名)であり、現在でも福岡県南部地域一帯は筑後地方と称される。

九州新幹線(鹿児島ルート)と、在来線の鹿児島本線の2路線が乗り入れている。新幹線は新大阪駅発着の「さくら」が下り1本・上り2本停車しているが、それ以外は「つばめ」のみが毎時1本ないし2本停車するダイヤとなっている。1日1往復、当駅始発・終着の「つばめ」が設定されている。在来線は普通列車の他に快速列車も全て停車するが、朝・夜間に運行される特急「有明」は全て通過する。
当駅はもともと在来線(鹿児島本線)の船小屋駅(筑後市大字津島401番地・地図)として開業したが、2011年(平成23年)3月12日の鹿児島ルート全線開業に合わせて従来の場所から約500メートルほど南に移設されたうえで新幹線併設駅(乗り換え駅)となり、同時に現在の駅名に改称された。なお、船小屋駅時代は普通列車のみが停車していました。

新幹線駅と在来線駅でそれぞれ駅舎を有するほか、両線のホームは約50メートル離れており、乗り換えの際には一旦改札口を出る必要がある。
新幹線駅は高架駅の構造をとった直営駅で、みどりの窓口を有する。ホームは単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線を有しており、各ホームには可動式安全柵が設けられている。


在来線駅は地上駅の構造をとり、JR九州鉄道営業への業務委託駅である。また、SUGOCAの利用が可能である。ホームは相対式ホーム2面2線を有し、互いのホームは跨線橋で連絡している。移転前は旧国鉄熊本鉄道管理局管内に多数存在するカプセル式の簡易な駅舎であったが、移転に際して駅舎が新設された。

のりば
1 ■鹿児島本線(下り) 瀬高・大牟田・熊本方面
2 ■鹿児島本線(上り) 久留米・博多・小倉・門司港方面
11 ■九州新幹線(上り) 博多・新大阪方面
12・13 ■九州新幹線(下り) 熊本・鹿児島中央方面

1928年(昭和3年)7月20日 - 鉄道省により、鹿児島本線の船小屋駅(ふなごやえき)として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
2011年(平成23年)3月12日 - 九州新幹線鹿児島ルート全線開業に伴い、従来の位置より南へ約500m移転の上で、鹿児島ルートと鹿児島本線の接続駅として筑後船小屋駅(ちくごふなごやえき)に改称。同時に有人化される。

電報略号 コヤ
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅(在来線)
ホーム 2面3線(新幹線)
2面2線(在来線)
乗降人員
-統計年度- 1,370人/日
-2011年-
開業年月日 1928年(昭和3年)7月20日*
乗入路線 2 路線
所属路線 九州新幹線(鹿児島ルート)
所属路線 鹿児島本線
キロ程 129.7km(門司港起点)
◄羽犬塚 (3.6km)(2.5km) 瀬高►
備考 新幹線:直営駅
在来線:業務委託駅
みどりの窓口 有
* 2011年(平成23年)3月12日に現在地に移転。同時に船小屋駅から改称。

ハンヴィーM998四輪駆動軽汎用車 アメリカ軍

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ハンヴィー(HMMWV, Humvee:High Mobility Multipurpose Wheeled Vehicle=高機動多用途装輪車両)は、M998四輪駆動軽汎用車とその派生型で、1985年からM151(ケネディジープ)の更新用車両としてアメリカ軍に配備が始まった軍用車両に対する総称。先代の「ジープ」同様、特定の一車種を指すものではない。AMゼネラルで生産されている。

軍用の汎用輸送車両として1970年代より検討が開始された。1979年に発注仕様が固まり、AMゼネラル(アメリカン・モーターズの軍用車部門。ルノーとの合弁に際し1982年分離独立)が試作車を製造する事となった。これが採用され、1985年より量産が開始された。
初の実戦投入は1989年のパナマ侵攻においてである。なお、1995年からは能力向上型(Expanded capacity)の生産も開始されている。
追加装備にM2重機関銃、荷物牽引用ウインチ、追加用の装甲板が存在し、改良型のM1025、M1043/M1044では追加武装として、M2重機関銃に加えMk.19 グレネードランチャー、M240汎用機関銃、M249軽機関銃が追加された。また、M134 ミニガンを装備した車両も存在する。
また、アメリカ軍の特に特殊部隊では独自の改造を施しており、自分達の用途に見合った改造が成されている。そのため、海兵隊や海軍特殊部隊が戦線に配備されても、まずは陸軍が置いて行ったハンヴィーの改造から始めるといったことも少なくない。この場合、隊員たちの改造(溶接や加工まで行う)により純正ではない武器が搭載されたり、座席の配置が変更されるなどということも多々あるため、搭載される武器は何通りにもなる。中には、急ぎの改造で座席に事務用椅子が使われているものまであり、それぞれ隊員達が好きな名前を付けて呼んでいる。


仕様の異なる榴弾砲の牽引車両や救急車、TOW対戦車ミサイル搭載車両なども存在し、特にTOWについては、M151では弾薬や人員を2台に分乗させる必要があり、非効率だったのを受けて、ハンヴィーの設計要求に1台でTOW運用機材・人員を全て収めることが含まれていた。
ソマリア内戦などでは市街戦において装甲の脆弱性が問題となり、新たに装甲追加キットや強化改良仕様車が開発された。さらに、イラク戦争では地雷やIEDに対する脆弱性も問題となり、それらに対応したMRAP(耐地雷待ち伏せ防護)車両への置き換えが進められている。
イスラエル国防軍では独自に装甲強化改造を施しており、角張った形状のキャビンが特徴的である。
また、アーノルド・シュワルツェネッガーの要請でハンヴィーを民生化した車種がハマー(HUMMER)である。

全長 4.84m
全幅 2.16m
全高 1.87m
重量 2.34t
乗員数 4-6名
速度 125km/h(路上)
エンジン 6.2L水冷V型8気筒ディーゼル
190hp
行動距離 443km

 

羽犬塚駅 JR九州)鹿児島本線

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羽犬塚駅(はいぬづかえき)は、福岡県筑後市大字山ノ井にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅。かつては矢部線が分岐していました。新幹線の高架にすっぽりと覆われた立地です。筑後市の中心駅としてだけでなく、八女地区の玄関口としての役割も果たしている。旧来の宿場町で、鉄道としても戦前は西方の大川市方面への三潴軌道、東方の八女市方面への南築軌道が接続しており、戦後も昭和60年まで八女方面への国鉄矢部線が分岐していました。

快速停車駅であり、2011年3月11日以前は博多方面からの快速・準快速の約半数は当駅で折り返していたが12日以降は荒尾駅まで延長運転されることとなり、当駅発着列車の運転は朝夕ラッシュ時に限定されている。また、一部の特急も停車する。新幹線駅が併設され、新規開業区間一の不遇をかこっています。駅名は、開業当時当駅が八女郡羽犬塚村(のち羽犬塚町→筑後市)に所在した事に由来する。

駅前には「羽犬塚」の地名の由来とされる羽の生えた犬の銅像があった。銅像は九州新幹線高架橋建設工事によって市民の森公園に移転された。 駅周辺は筑後市の中心部となっています。

線路東側に駅舎があり、駅舎側に単式ホーム1面1線の下り本線、駅本屋と反対側に島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。


駅舎は鉄筋コンクリート造平屋建で自動改札機、自動券売機2台が設置されている。コンコースは広くはないものの観光案内所やコンビニ、飲食店、お菓子、特産の八女茶の店舗も設置されている。九州新幹線の計画ルートがちょうど駅本屋と重るため、在来の駅舎を取り壊して仮駅舎で営業していたが、2009年12月26日より新駅舎での営業を開始した。
JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、みどりの窓口がある。 待合室には木製長椅子があります。

のりば
1 ■鹿児島本線(下り) 大牟田・玉名・熊本方面
2・3 ■鹿児島本線(上り) 久留米・鳥栖・博多方面
1985年(昭和60年)迄は、当駅始発「矢部線」の発着する0番ホームが存在していた。

1891年(明治24年)4月1日 - 九州鉄道の駅として開業。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道の国有化により国鉄の駅となる。
1945年(昭和20年)12月26日 - 矢部線 当駅~黒木間が開業。
1965年(昭和40年)11月 - 2代目本屋完成。
1985年(昭和60年)4月1日 - 矢部線廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道・日本貨物鉄道の駅となる。


1996年(平成8年)3月16日 - 貨物列車の設定廃止。
1996年(平成8年)8月 - 駅舎改装。
2001年(平成13年)4月1日 - JR貨物の駅(貨物の取扱)が廃止。
2006年(平成18年)10月28日 - 九州新幹線高架橋工事に伴い仮駅舎に業務を移転。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
2009年(平成21年)12月26日 - 新駅舎の使用を開始。

電報略号 ハヌ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 3,065人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1891年(明治24年)4月1日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

PM-29 やまくに 350トン型巡視船 PM「とから」型

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PM-29 やまくに 350トン型巡視船 PM「とから」型

竣工:H21.06.29
造船所:USC京浜
管区:第七管区
配置:大分


総トン数 335t
全長 56.0メートル (183.7 ft)
全幅 8.5メートル (28 ft)
深さ 4.4メートル (14 ft)


機関 ディーゼル(5,000 hp)×3基
ウォータージェット推進×3基
速力 35ノット以上

兵装 JM61-RFS Mk.2 20mm多銃身機関砲×1門
搭載艇 6m型複合艇


C4ISTAR RFS射撃指揮装置(機関砲用)
赤外線捜索監視装置
遠隔監視採証装置
航行区域:近海

とから型巡視船は海上保安庁の巡視船。分類上はPM型、公称船型は350トン型巡視船(高機能型)。

1999年の能登半島沖不審船事件において、当時配備されていた海上保安庁の巡視船艇では、高速かつ重武装の北朝鮮工作船への対応が困難であることが明らかとなった。

このことから海上保安庁は、遠隔操作型JM61 20mm多銃身機関砲による精密射撃能力と、30ノット以上の大速力を備えた、警備機能強化型の中・小型巡視船の整備を計画した。

これによって開発された中型巡視船(PM)が本型である。一方、小型巡視船(PS)としてはつるぎ型(高速特殊警備船)が開発された。


小型のつるぎ型が不審船対応任務に特化しているのに対し、本型はより大型であることから、従来の500トン型巡視船が担っていた密漁、密輸の取り締まりや海難救助も含めた警備救難業務をもこなせる汎用性が求められ、その上で建造費用を抑えることを要求された。


本型は2001年度計画より建造を、2003年より就役を開始し、びほろ型巡視船の後継として急速に整備が進められ、てしお型巡視船をも代替する予定である。
1隻の建造費は25億円である。

本型の設計は、先行して配備された中型巡視船であるあまみ型をもとに、つるぎ型の技術を導入したものということができる。
船体全長はあまみ型と同じであるが、幅と上部構造を拡大しており、あまみ型と比べて、船首ブルワークを廃止しつつも優れた凌波性を実現している。一方、限られた予算の範囲内で建造せざるを得なかったため、機関部についてはつるぎ型と同じ構成が採用されており、5,000馬力のディーゼルエンジン 3基によって、3基のウォータージェット推進器を駆動する。つるぎ型と同じ機関構成で同等の公称速力を確保するため、船体は全アルミ合金製とされたほか、3基のウォータージェットのうち中央軸には推力偏向装置を装備しないなど、徹底した軽量化対策を施されている。また、部品、資機材には民生品を採用することに努め、船価の低減を図った。これらの努力により、調達価格は1隻あたり約25億円に抑えられる一方、35ノットを越える高速能力を獲得することに成功した。「くなしり」就役の際の公式資料で、速力は35ノット以上とされており、京都新聞が「えちぜん」を取材した際の報道や毎日新聞社の報道でも、とから型の最大速力は「時速64キロメートル(35ノット)以上」とされている。
なお、中型巡視船としては初めて公称速力30ノットを越えたことから、高速航行時の振動は想定を超える過酷なものとなっており、3番船以降では、体のホールド性に優れたハイバックシートが採用され、乗員への負担を軽減している。


主武装としては、つるぎ型(高特船)と同様、JM61 20mm多銃身機関砲の遠隔操作型単装砲塔をRFS射撃指揮システムと連接することで、遠距離において精密な射撃を行なうことを可能としている。

このRFS連接の遠隔操作型20mm機関砲システムは、一世代前の警備重視型巡視船であるあまみ型やびざん型、みはし型にもバックフィットされている。

本型の建造開始と同年に発生した九州南西海域工作船事件において、その威力を実証した。

赤外線捜索監視装置、遠隔監視採証装置、停船命令等表示装置、遠隔放水銃も装備している。


航走しながら作業が行える搭載艇の発進・揚収装置は本型で初めて採用されたものです。また3番船には体のホールド性に優れたハイバック・シートも巡視船として初めて採用されています。

 

 

軌道モータカーラッセル JR東海

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線路上に降り積もった雪を排雪するモータカーロータリーです。前位側には排雪する為の雪鋤を装備し、後位側には投雪するロータリー装置が装備されています。 雪の無い季節には、雪装備を取外し、レール運搬や、材料運搬のモータカーとして使用されます。

積雪地帯では、雪かき車の代用として営業線の除雪作業でもよく見かけることができ「排モ("排"雪"モ"ーターカー)」と呼ばれる。特にモーターカーによるロータリー除雪について「モロ」と言う場合もあるが、現在のほとんどの排雪モーターカーはロータリー/ラッセル兼用であり特雪と区別する必要がなければ一括りに「排モ」と言ってしまうことが多い。
変り種は長良川鉄道のNTB209で、車籍がありトロッコ列車を牽引していたが、保守作業や除雪作業にも使用されていました。


北海道旅客鉄道(JR北海道)には、日本除雪機製作所製の排雪用モーターカーHTR600形を基に、鉄道車両として製造されたDBR600形が存在する。これは除雪作業の際、通常は線路閉鎖をしなければならないところを、自身も「排雪列車」として一般の列車の運行を阻害せず除雪作業が行えるようにするため、鉄道車両として法規上の要件を満たすべく、機器や装備を搭載、整備したものです。
また、これとは別に同社では、排雪用モーターカーHTR600形2両を連結し、両端にラッセル除雪装置を装着して総括制御運転することで老朽化したDE15形ディーゼル機関車の置き換えを行っているが、こちらは鉄道車両ではなく保線係員が運転するため、線路閉鎖が必要である。
通常は1エンド側にV字型のラッセルヘッド、2エンド側にロータリー装置を装着するが、日本除雪機製作所開発のHTR400RB型のようにロータリー除雪装置を双方に装着した車両やHTM350VBのような両エンドにラッセル装置を装着し排雪を行う車両の他、新潟トランシス製のTMC500AS型のように可変式のラッセル装置を取り付け左右それぞれ任意の方向に排雪が可能になった車両があり、用途に応じて運用しています。


東日本旅客鉄道(JR東日本)では、新潟トランシス製の大型排雪用モーターカーENR1000型を導入している。こちらはロータリーヘッドの掻き寄せ翼をプラウ状に変形させることができ、ラッセル・ロータリー双方を兼ねる機能をヘッドの着脱なしに実現させたものである。また、本線上では軌道回路に反応する状態で運行し、位置確認の確実化・踏切通過時の安全確保などを図っている。モーターカー本体は軸配置B-Bの箱形両運転台で機関車然としているが、こちらも車籍はなく機械扱いである。

久留米駅 JR九州

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久留米駅(くるめえき)は、福岡県久留米市城南町にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅です。開業時は久留米市の中心部に位置したが、その後中心街が東(西鉄久留米駅方面)へ移動したために、現在の駅周辺は中心街からやや西側に離れているが、駅前では新幹線の開通に伴う再開発事業が行われ、商業施設やバスロータリーが新たに作られた。


駅前には旧駅舎時代の2005年ごろからからくり時計が設置されている。再開発に伴い新駅舎完成直後から一時撤去されていたが、2011年3月上旬に再設置された。その他にも、ディスプレイボードには青木繁の「海の幸」と坂本繁二郎の「放牧三馬」が、一般車ロータリーにはブリヂストン提供の世界最大のタイヤのモニュメントも新たに設置されている。


ダイヤの面からしても、以前は日中の多くの普通電車・快速電車の運行系統が鳥栖で分かれるようなダイヤ設定で、長らく久留米駅近辺を都市部として扱わないような運行形態であったが、新幹線開通以後は大牟田・荒尾どまりの電車が多く設定され、快速電車の所要時間短縮などと相まって在来線の利便性も向上した。

福岡県第三の都市・久留米市の代表駅であるが、繁華街などの市街地からやや西に位置する。東に2kmほど離れた西鉄久留米駅と区別するため、バス停留所の名称や地元での通称は「JR久留米駅」などとなっているが、略して「JR駅」や「JR」とも呼ばれる。
一方、乗降客数は繁華街に近い西鉄久留米駅の方が多く、当駅の約3倍となっている。

九州新幹線(鹿児島ルート)に、在来線の鹿児島本線と久大本線(ゆふ高原線)を加えた3路線が乗り入れる。久大本線は当駅が起点である。なお在来線における所属線は鹿児島本線である。
新幹線は各駅停車の「つばめ」と、速達列車「さくら」の全列車が停車する。最速達列車の「みずほ」は停車しない。
在来線は鹿児島本線で朝・夜に運行されている特急「有明」、久大本線に乗り入れる特急「ゆふ」「ゆふいんの森」、鹿児島本線の快速列車も含めて全列車が停車する。

新幹線ホームは3階に位置する相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。通過線がなく、安全のために可動式安全柵が設けられている。
在来線ホームは島式ホーム2面4線と切欠きホーム1面1線の、合計3面5線のホームを有する地上駅で1階にホームがある。実際は側線を含めて6本の線路が敷かれているが一般旅客用に使用されるのはこの内5本で、東側(駅舎側)のホームには1・3番と切り欠きホームの2番のりば、西側のホームには4・5番のりばが配置されている。リニューアル前は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線が並ぶ配線であった。
直営駅であり、みどりの窓口と自動券売機が3台設置されています。在来線の自動改札機はSUGOCAに対応している。ただし新幹線との連絡改札口では利用できない。改札口に改札機は3台。

鉄筋コンクリート3階建ての駅舎は2010年に完成した橋上駅舎で、「久留米の新たな出発点」をテーマに、久留米の説話、名物などを描いたステンドグラスによる装飾が多用されており、5代目にあたる。駅舎内には待合所・出札口・改札の他にJR九州旅行久留米支店やキヨスク、久留米市観光案内所、地場産くるめJR久留米駅店があり、駅舎・ホーム間のエスカレーターや、バリアフリー仕様のトイレが設置されている。また、新幹線開業時に小規模な駅ビルである「フレスタくるめ」が設置され、コンビニエンスストアやラーメン屋などが入居する。
駅の開業以来市街地寄りの東側にしか出入口がなかったが、現在の駅舎完成とともに西側にも出入口が設置された。駅舎開業後しばらくは「西口」「東口」という名称になっていたが、新幹線開業から1年ほど経った2012年4月よりそれぞれ「水天宮口」「まちなか口」と改称された。
また、駅舎内の床タイルは久留米絣をモチーフとした幾何学模様を採用し、コンコース、在来線改札、新幹線改札ともに違う柄が採用されている。駅前広場に設置された案内標識も同様に、紺色をベースとした久留米絣の意匠が取り入れられている。橋上駅舎の自由通路には「ほとめき広場」という名の広場があります。

のりば
新幹線ホーム。安全柵がある
1■鹿児島本線(上り)博多・小倉方面
       (下り)大牟田・熊本方面
■久大本線 日田・由布院方面
2■久大本線 日田・由布院方面
2番乗り場は行止まりの非電化線
3■鹿児島本線(上り)博多・小倉方面
       (下り)大牟田・熊本方面


■久大本線 日田・由布院方面
4■鹿児島本線(上り)博多・小倉方面
5■鹿児島本線(上り)博多・小倉方面


■久大本線 日田・由布院方面


11■九州新幹線 (上り) 博多・新大阪方面
12■九州新幹線 (下り) 熊本・鹿児島中央方面


快速列車と普通列車の緩急接続は、当駅でなく1駅下った隣の荒木駅で行われている。在来線2番のりばは、久大本線の列車の発着のみであるため、架線がない。

在来線のりばは東口から1、2・・・と番数が割り当てられているが、新幹線のりばは、反対に西口から11、12番と割り当てられている。2面3線だった頃は1番のりばは鹿児島本線下りと久大本線(主に特急列車)、2番のりばは久大本線、3番のりばは鹿児島本線上りが使用し、鹿児島本線上りと久大本線の対面乗り換えも可能だった。


かつては日本貨物鉄道(JR貨物)の施設があったが、九州新幹線の駅設置に伴い用地を明け渡すため鳥栖貨物ターミナル駅(田代駅前)に移転した。駅舎の北側に1面1線のコンテナホームが、構内西側に1面2線で上屋付きのコンテナホームが設置されていた。また、1980年代ごろまでは、駅の周囲にあるブリヂストン久留米工場やアサヒコーポレーション久留米工場、日本製粉久留米工場、ムーンスター久留米工場への専用線もあった。

かつて駅弁を販売していた久留米中央軒は2003年末に廃業し、その後は鳥栖駅を拠点とする中央軒が営業を引き継いでいる。駅舎改築工事や新幹線建設の関係で、ホーム配置の入れ替えや新駅舎の建設工事が行われていた2007年から2010年まで駅弁販売は休止されていたが、現在は改札の向かい側にキヨスクが設置されており、再開されている。

最高裁判例にもなった労働判例として有名な国労久留米駅事件(1962年(昭和37年)3月30日発生)の舞台である。「筑後川花火大会」の際の最寄駅である。1965年から2006年3月まで駅のホームでクジャクを飼育しており、長年利用客に親しまれていた。このクジャクは久留米市鳥類センターで飼われているクジャクが千羽に達した記念で久留米駅で公開され、小学生の女の子がお年玉を寄付して鳥舎が建てられたとのエピソードがある。九州新幹線の工事に伴い鳥舎が取り壊されることになり、飼われていたクジャクは久留米市鳥類センターに引き上げられている。

1890年(明治23年)3月1日 - 九州鉄道の駅として開業。
1891年(明治24年)4月1日 - 九州鉄道線が玉名駅まで開通。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道の国有化により国鉄の駅となる。
1911年(明治44年) - 陸軍特別大演習を控え、駅舎を拡張・改築。
1928年(昭和3年)12月24日 - 久大本線が筑後吉井駅まで開通。
1945年(昭和20年)8月11日 - 久留米空襲で駅舎が全焼。
1948年(昭和23年)10月 - 菊竹清訓設計による新駅舎が完成。戦災で失われた駅舎としては、全国で最初に竣工。
1965年(昭和40年) - 名物となるクジャクの飼育を開始。
1967年(昭和42年) - 先代と同じく、菊竹清訓設計による新駅舎竣工。
1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物の取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、九州旅客鉄道・日本貨物鉄道の駅となる。


2006年(平成18年)3月18日 - 鳥栖貨物ターミナル駅開業により貨物列車の設定廃止。
2006年(平成18年)4月1日 - 日本貨物鉄道の駅が廃止され、貨物の取扱が終了。
2006年(平成18年)11月26日 - 九州新幹線工事に伴い線路およびのりば配置を変更。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
2010年(平成22年)4月2日 - 終電をもって旧駅舎の使用を停止。
2010年(平成22年)4月3日 - 始発電車から新駅舎の使用を開始。
2011年(平成23年)3月12日 - 九州新幹線の駅が開業。

電報略号 クル
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅(橋上駅)(在来線)
ホーム 2面2線(新幹線)
3面5線(在来線)


乗車人員
-統計年度- 6,871人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1890年(明治23年)3月1日
乗入路線 3 路線
所属路線 Shinkansen red.svg 九州新幹線(鹿児島ルート)
所属路線 鹿児島本線
所属路線 久大本線
備考 直営駅
みどりの窓口 有

 


M-ATV 全地形型車両MRAP アメリカ軍

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MRAP(英語:Mine Resistant Ambush Protected、エムラップ、耐地雷・伏撃防護車両)は、アメリカ国防総省がイラク駐留軍やアフガニスタンに配備するために大量購入を行っている装輪装甲車輌の一群である。

イラクにおいて多発するIEDや路肩爆弾などを使用した強力な爆発から、輸送車列やパトロール車輌に搭乗するアメリカ軍兵士を守ることを目的に取得された装輪装甲車輌が、2007年からイラクへの配備が開始された。また、IEDによる攻撃手法はアフガニスタンへも持ち込まれ、国際治安支援部隊(ISAF)にも被害が拡大しているため、同様の対応がとられている。
現在進められているMRAP-I計画では車輌の用途によってカテゴリー1-3に分けられている。MRAP-I計画と同時平行されているMRAP-II計画によって新たな対爆性(Blast-resistant)をそなえた装輪装甲車輌の開発も行なわれている。

車体の側面や底面の装甲が強化されているほか、車体下部構造をボートの底面のようにV字型にすることで爆発のエネルギーを受け流すデザインが採用されている。V-hull shapeと呼ばれるV字型車体は、1980年代に南アフリカ共和国の装甲車両がナミビアにおけるSWAPO掃討作戦(South African Border War)やアンゴラ内戦への介入において敵が対戦車地雷を多用した戦訓を取り入れて採用したもので、その後各国の対爆装甲車輌に模倣されたものである。
MRAP-Iの車輌に共通する点は、V字型で厚い底面装甲のために非常に車高が高く、車体全体の厚い装甲やそれらで増加した重い車体を高速で駆動するタイヤ、サスペンション、エンジンの拡大化が、さらに車体全体を巨大なものにしていることである。車両の装甲の一部は軽量な複合装甲が用いられているが、複合装甲は軽量化と引き替えに容積が大きくなる傾向があり、これがさらに車体を巨大化させている。遠方から容易に視認され大きな目標となるため正規戦用の兵器としては使えない。対爆戦闘に特化した装甲車両である。このため、アメリカ軍が現在保有しているMRAPの大半は将来的にはイラク、アフガニスタンの各政府および地域紛争を抱える国家に引き渡されると考えられている。

オシュコシュ社のM-ATVは アフガニスタンの荒れた地形を走破でき、地雷防御性能を高めた全地形対応対地雷軽装甲機動車です。 M1114 HMMWVの後継車両として2009年から実戦配備が進められている最新鋭車両です。

オシュコシュM-ATVがある保護された鉱山耐性待ち伏せによって開発された(MRAP)車両オシュコシュ社のオシュコシュ、ウィスコンシン州 MRAP全地形車(M-ATV)プログラムの。これは、大きく重い以前MRAPsとしてではなく、改善された移動度を有する保護の同じレベルを提供するように設計され、M1114 HMMWVsと置き換える予定です。

高性能。高い保護。ミッションのための柔軟な。操作のための右の車を持つことは、部隊が任務の要求を実現するために装備されていることを意味します。オシュコシュのM-ATVファミリは、操作と脅威レベルのスペクトルのための右のオフロードモビリティ、ペイロード、スピードと保護機能を備えたプラットフォームを提供しています。艦隊は、車のオシュコシュM-ATVファミリのすべてのvariantsが小さく、狭く集中や大規模かつ広範な、設計、構築および軍隊をサポートするために証明されているされているかどうかを任意の場所にミッションが必要です。

 M-ATV variantsは泥を通じてクロスカントリー動作のための耐久性のあるオフロードドライブトレインを使用して構築され、砂、-32℃(-26°F)から54°C(130°F)の範囲の温度で雪と深い水。 60%の成績を上昇するように設計され30%の側斜面横断し、顕著ホイールトラベルと優れたグランドクリアランスを提供します。

M-ATVは、また共通のプラットフォームと互換部品の恩恵を受けながら、それらの特定のニーズを満たしています。

オシュコシュ株式会社、旧オシュコシュトラックは、専門のトラック、軍用車両、トラック車体、およびアクセス機器を設計し、構築するアメリカの工業企業です。基づきオシュコシュ、ウィスコンシン州、同社は世界中の12,000人を雇用している。これは、4つの主要事業グループに編成されています。アクセス機器、防衛、火災、救急、および商業。

 

イラク駐留が開始されてから2009年初頭に至るまで、イラク駐留多国籍軍兵士の最大の死傷原因は道路脇や道路地面下に仕掛けられたIEDによるものであった。
米軍の死者数は、2007年5月には1ヶ月間としては過去最高の90人を記録し、開戦時から2007年8月末までに合計3,800人になったが、IEDによる米兵の死亡者は4割以上の1,620人であった。IEDによる攻撃回数は2004年に5,607回、2005年に12,556回、2006年に30,515回、2007年は40,000回以上(見積)とされる。これら米兵への被害の多くが兵站業務を担う民間軍事会社のコンボイに随伴していた護衛の軽装甲車輌がゲリラの標的となるケースであった。
アメリカ合衆国本土では、2003年5月の戦闘終結宣言後もいつまでも続く自国兵士の損失と、戦地から伝えられるハンヴィー(HMMWV、M998四輪駆動軽汎用車)の脆弱さに対する不満のニュースによって、イラク政策に対する米政府への信頼が大きく傷付けられた。
イラク駐留部隊の将兵の多くが、必要な種類と量の装甲車輌が与えられていないと考える状況になり、国防総省でも早急な対応が迫られていたが、当初は、要求を満たした新たな装甲車輌の開発と量産が完了するまでは、既に駐留軍の保有する評判の落ちたハンヴィーの装甲化によって対応する計画であった。
ハンヴィーの装甲化によって小口径の機関銃弾程度が防げるようになるなど防護性能が向上したため、現地からの不満も一時は沈静化すると思われたが、戦車をも行動不能にするIEDに対して装甲化ハンヴィーは従来通り全く脆弱であったため死傷者数はむしろ増える傾向を示していた。米国防総省は結局、装甲化ハンヴィーだけではイラクの状況に対応できないことを受け入れて、既に始まっていた海兵隊のMRAP計画を拡大し、イラク向けに採用することにした。

2009年7月には、最初の46のM-ATVでは配信された、11月に第千M-ATVは、引き渡されました。オシュコシュは、2009年12月に前倒しで月1,000 M-バギーを生成するために、その契約上の義務に達し、中に既存の製造設備を使用して、オシュコシュ、ウィスコンシン(50%)、およびその不況に見舞われたJLGを利用することテレスコピックハンドラー McConnellsburgに施設を、PA(50%)。最初の車両はに到着したアフガニスタン 2009年10月に、すべて2010年3月で配信されるようにした

合計8722 M-ATVでででの使用のために米陸軍、米海兵隊、米空軍と米特殊作戦コマンド(SOCOM)に配信されたアフガニスタン。M-ATVでは、2つの主要なバリアントで提供されていました。ベースモデルは[OGPK]有人タレット目的ガンナー保護キットM1240)が指定されています。足回り改善キット(UIK)を装着したときにはM1240A1を指定します。第二主バリアントはM1277指定され、M153 CROWSが装備されて遠隔操作兵器ステーション(RCWS)。少ない数で生産、SOCOM固有のはvariants、M1245に指定されています。UIKとM1245A1を装着。

戦時MRAPの売却の一環として、米国政府は、これらの5651(SOCOMためINC。250)は陸軍によって保持されるように、M-ATV隊の(7000前後)約80%を維持します。現在進行中であるオシュコシュの ウィスコンシン州の施設、レッドリバー軍デポ共通のビルド規格に保持周りの7000 M-バギーをリセットします。オシュコシュは100台ごとに、3つの追加の契約オプションは2014年の総契約額は$ 77百万米ドルを超えている12月に受賞した8月2014年に最初の500車載M-ATVリセット契約を授与されました。配達が進行中であると9月2015年まで継続されます。

車を返すに作業センターをリセット低レート初期生産最終M-ATVの生産バッチのために、基本的にビルド標準:(LRIP)22標準。LRIP 22は、UIKと強化された自動消火システム(AFES)などのアップグレードが含まれています。仕事はまた、音響信号の減少(マフラー)、モジュラー弾薬拘束システム(MARS)弾薬の保管、およびいくつかの政府家具付き機器(GFE)移転を含む設計変更の提案(環境調和型製品)を追加します。

2015年5月28日、オシュコシュは、米軍はそれを360追加のM-ATVでのリセットのための契約の変更を授与したと発表しました。変更には、最大1,440の追加M-ATVでのリセットのためのオプションが含まれています。この最新の変更のために出荷が開始されているオシュコシュが終わっ$ 115万ドルの合計値と合わせ1,160 M-バギーをリセットするための契約。

 

今川河童駅 平成筑豊鉄道田川線

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今川河童駅(いまがわかっぱえき)は、福岡県行橋市大字流末にある平成筑豊鉄道田川線の駅である。
駅名は、付近を流れる今川のかっぱ伝説にちなんだものである。


山口県周南市に本社を置き来店型保険代理店「保険ひろば」を運営する国際貿易株式会社がネーミングライツを取得し、2009年(平成2年)4月1日より愛称付きの駅名が保険ひろばゆめタウン行橋店 今川河童駅となっている。

駅周辺には河童(カッパ)関連の施設が多い。行橋駅方面に向かって今川左岸にある行橋今川郵便局には、カッパ美術館コーナーがあります。

「その昔、いたずら好きの河童がいた。あまりにいたずらが過ぎるので、村人たちは河童に人間の子どもと相撲をとらせたのである。河童は投げられ、悪行を詫び、それからは子どもたちと仲良しになったという。そんな昔ばなしを持つ今川。この今川に沿って走る平成筑豊鉄道。そんな(河童伝説)にちなみ、(今川河童)の名が付けられた。」

単式ホーム1面1線有する棒線の地上駅である。無人駅。駅舎はなく、ホームに待合所が設置されています。

ホーム待合所にはFRP製の椅子が設置されています。

駅北入口は階段でホームへアプローチ。ホーム脇には河童の銅像が建っています。

ホーム南側にスロープが設置されています。

ホーム中心、左右に別れて駐輪場がありますが車の駐車場や車寄せのスペースはありません。

1990年(平成2年)10月1日 - 開業。
2009年(平成21年)4月1日 - ネーミングライツにより「保険ひろばゆめタウン行橋店」の愛称が付く。

所属事業者 ■平成筑豊鉄道
所属路線 ■田川線
キロ程 3.0km(行橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1990年(平成2年)10月1日
備考 無人駅

佐古駅 JR四国)高徳線・徳島線

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佐古駅(さこえき)とは、徳島県徳島市佐古二番町にある、四国旅客鉄道(JR四国)の駅です。駅番号は高徳線がT01、徳島線がB01です。


徳島線 - 線路名称上は当駅が終点であるが、全ての列車が徳島駅まで乗り入れ。
鳴門線 - 線路名称上は池谷駅が起点であるが、ほとんどの列車が高徳線を通して乗り入れ。
国鉄分割民営化以前は徳島線(当時は徳島本線)の終点を徳島駅としており、当駅 - 徳島駅間は高徳線と徳島線の重複区間とされていた。また高徳線全通時に先に開通していた徳島線との合流地点に開設された駅であり、その名残から、当駅の所属線は徳島線となっている。ただし、民営化時の基本事業計画では徳島本線ではなく高徳本線の方に所在地が記載され、高徳本線の駅とみなされていたようである。本稿では基本事業計画に倣い高徳線を優先して表記する。

島式ホーム1面2線を有する高架駅。高徳線上下列車の列車交換は出来るが、徳島線上下列車の列車交換は出来ない。ホームの両側は防音壁で囲まれている。
駅全体は、青色を基調としており、駅舎(コンコースなど)の天井や防音壁などに、青色が使われている。駅舎(高架下)の北半分がガラス張りであるなど、かなり近代的な構造となっている。

1階のコンコースから2階のホームまで、エレベーターで上ることができる。階段もある。
トイレは、駅舎内(改札内)に男女用が1つずつと、車イス用のトイレが1つ、駅舎の外に男女用が1つずつある。1階の駅舎内、コンコースや2階のホームなど、いろいろな場所に、点字ブロックが設けられている。 キヨスクや駅事務室、コンコース、自動券売機、有人きっぷうりばなどが、1階にある。駐輪場(仮)が、駅の横(高架下)にある。
青春18きっぷの常備券を購入できる駅である。

のりば
ホーム 路線 方向 行先
1・2 ■高徳線 (上り) 板野・高松方面
         (下り)徳島方面
■徳島線 穴吹・阿波池田方面
■鳴門線 鳴門行き
2番のりばはホーム側にかなり傾いている。

佐古駅 - 徳島駅間は線路は2線あるが、単線が2本(徳島線と高徳線)併設されている単線併設区間であり、複線とは見なされない。そのため高徳線・徳島線の列車がこの区間を並走する光景がたまに見られる。列車の接近時には、2階のホームで、自動アナウンス(接近放送)が流れる。ホームは1番のりば、2番のりばともに線路側に傾いているため、ベビーカーや車イス利用者に対して、注意する旨の表記がある。


2番のりばに停車する列車や、2番のりばを通過する列車は頭上をかすめる。また、その際に警笛が鳴らされることも少なくない。1階のコンコースでは、列車の運行状況を案内するアナウンスのみが流れる。当駅は全特急列車停車駅の徳島駅の隣の駅ということもあり、特急列車は停車しない。

ただし、ごく一時期だが、ダイヤの制約上徳島駅で「うずしお」と徳島線普通列車との接続が出来ないために、高松行きが1本のみ停車したことがあった。駅事務室には、早朝、夜間、昼休み時間以外は、駅員が常駐している。


電報略号 サコ
駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 722人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1935年(昭和10年)3月20日
乗入路線 3 路線
所属路線 ■高徳線(■鳴門線直通含む)駅番号○T01
所属路線 ■徳島線駅番号 ○B01
* 全列車が徳島駅まで乗り入れ。

徳島駅 JR四国)高徳線・牟岐線・徳島線・鳴門線

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徳島駅は、徳島県徳島市寺島本町西一丁目にある四国旅客鉄道(JR四国)の駅です。駅番号は、高徳線がT00、牟岐線がM00です。駅表示パネルのコメントは阿波踊りの駅。高徳線、徳島線、牟岐線、鳴門線の各列車が発着しています。

2007年度の1日の乗客数は8,438人であった。これはJR四国では高松駅に次いで2番目に多い乗降客です。

駅周辺は県下最大の繁華街となっており商業施設が多く、駅前広場に隣接してそごう徳島店といったショッピングビルや各種商業施設が建ち並んでいる。
商業が集積し拠点性をもつことから、徳島県民が「駅前」と言えば当駅前のことを指すことが多い

地上駅。ホテル、駅ビルの同居するJR四国一の規模を誇る駅舎です。敷地南側に建つ駅舎に接する単式ホーム1面1線、跨線橋を渡ったプラットホーム1面2線に加えて単式ホーム高松方の切欠き部に1番のりばがあり、合わせて2面4線を持つ構造となっている。

のりばは切欠ホームから順番に1番、2番、3番、4番のりばとなる。改札口は単式ホーム2番のりばの正面に1つあるのみである。4番のりばの北側には約2.7ヘクタールの車両基地が広がり、徳島運転所も併設されている。

オープンカウンター式のみどりの窓口が設置。自動券売機は4台(タッチパネル式・オレンジカード利用可)設置。 かつては5番のりばまで存在し、現在の4番のりばが5番のりば、同じく、3番のりばが4番のりば、2番のりばが3番のりばで、現在のクレメント駐車場に1番のりばと2番のりばがあり、この箇所が頭端式ホームであった。階段にはかつて5番のりばがあったことを示す痕跡が残っている。

しかし、2008年にJR四国は徳島都市圏輸送改善の一環として再度ホームを増設すると発表しました。駅舎はショッピング施設のクレメントプラザおよびホテルクレメント徳島が併設された駅ビルで、規模は地上18階地下1階建てと駅ビルとしては四国最大である。近隣には駅ビル直結の立体駐車場もあり地下1階にはJR四国直営のパン店「ウィリーウィンキー」徳島店がある。

出口はバスターミナルのある南側にしかなく、繁華街もそちらに集中している。なお、北側へ行くには迂回して跨線橋を経由することになる。当駅周辺では連続立体交差事業が計画されている。

のりば
イベント車両の展示は主に1番線で行われることが多い。
高松・阿波池田方向に行き止まりとなる1番線から牟岐線方面・鳴門線方面(発車は可能だが現在は設定がない)の列車がない以外はどのホームからも各方面に列車が発車する。


徳島駅プラットホーム
ホーム 路線                    備考
1主に■徳島線普通


2主に■高徳線・■徳島線特急         高徳線特急は全列車このホーム
3・4主に■牟岐線特急、■高徳線・■鳴門線・■牟岐線普通


駅弁の販売はアンパンマン弁当、阿波結び、阿波地鶏弁当、徳島牛弁当、御弁当(紀乃國屋)、寿司(紀乃國屋)。

1899年(明治32年)2月16日 - 徳島鉄道の駅として開業する。
1907年(明治40年)9月1日 - 徳島鉄道が国有化される。


1913年(大正2年)4月20日 - 阿波国共同汽船により、当駅 - 小松島間が開業。同時に官設鉄道が借上げ、小松島軽便線として営業を行う。
1917年(大正6年)9月1日 - 小松島軽便線が国有化される。


1935年(昭和10年)3月20日 - 高徳線が全通し、当駅に乗り入れを開始する。
1945年(昭和20年)7月4日 - 未明の徳島大空襲により駅舎を焼失する。
1946年(昭和21年)2月 - 2代目駅舎が完成する。


1951年(昭和26年)4月 - 3代目駅舎が完成する。
1963年(昭和38年)2月1日 - 佐古 - 当駅間が徳島本線と高徳本線の単線並列区間となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国の駅となる。


1992年(平成4年)9月15日 - 4代目となる現駅舎が完成する。
1993年(平成5年)5月 - 駅ビルが全面開業する。

電報略号 トク
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 8,153人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1899年(明治32年)2月16日
乗入路線 4 路線
所属路線 ■高徳線(■徳島線・■鳴門線直通含む)
駅番号 ○T00
所属路線 ■牟岐線
駅番号 ○M00
備考 みどりの窓口 有

新幹線用保全車両 MW-3555

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京都駅のMW-3555です。MWは「保全車」、メンテナンスワゴン

北陸重機工業が三菱重工業に納めた新幹線用MW(メンテナンスワゴン車)主に架線や構造物の検査に使用します。新幹線用架線作業車(SW/HW/MW/TW)の一つ

保全車両 MWは人力作業又は,熟練作業者の機械操作により行われていた保全作業の機械化により,短時間に多数の作業が計画できる多機能な車両です。

特徴的なことは,保全車両の機械操作は,自動装置においても,各動作毎に目視確認を行い,機器の破損を防止していることです。・車両方向転換機能 ・横取基地(新幹線軌道に平行に設けられた機械式小型基地)格納機能 ・作業者の作業可能範囲(上昇・張り出し)拡大機能・目視点検補助機。

保全車両には故障した場合においても,他の保全作業の計画遂行への影響を回避する自己復旧機能があります。・車輪脱輪時の自車単独復旧機能 ・作業用油圧動力喪失時の補助動力機能 ・ディーゼル機関機能喪失時の補助動力機能 ・電気系制御装置機能喪失時の手動操作機能。

作業台は,トロリ線の点検や張り替えのため,最大 900mm 上昇し,軌道カント範囲では,ローリング方向に任意角度調整が出来,作業台上の水平確保が可能な設計となっている.
これらの動作は,作業台を支持する2本2組の油圧シリンダ移動量を同期制御することで実現している.
テーブルリフタは,客先作業内容を分析し,鉛直方向移動に加え,車両幅方向にも移動機構を設け,トンネル天井点検の作業範囲の拡大を図った.

車体昇降転車装置
車両中央下部にあるこの装置は,油圧シリンダ2本を鉛直方向に左右に配置し,水平方向に旋回用の大型ベアリングをもつ構造で,シリンダ移動量の同期制御により,車体全体を約240mm 上昇できる.これは,車体重心が左右の油圧シリンダ間の限られた範囲に納まるよう
に,製品バランスを考慮した機器配置を行うことで実現している.
車体上昇後は,保全車用の横取基地への収庫や,車体を 180 度旋回し,片側の搭載装置(クレーン等)の作業範囲を左右両方への拡大を実現している.

接地パンタ
接地パンタは,トロリ線点検中の接地を目的として作業台前後端に配置し,車両走行によるトロリ線の高さ変動を吸収し,その押しつけ力の一定化を実現すべく,既存のバネ力から空圧に変更することで押しつけ力精度向上と調整範囲の拡大を図った.

全 長 7140mm 積 載 荷 重 1000kg 以下
全 幅 3000mm 最大定格出力 200kW/2200min-1
全 高 4450mm 0‰ 70km/h 以上
軌 間 1435mm 単車走行 15‰ 60km/h 以上
軸 間 距 離 3700mm 0‰ 60km/h 以上
車 輪 直 径 762mm 20t 牽引時 15‰ 30km/h 以上
乗 員 6 名 0‰ 10km/h 以上
重 量(運転整備時) 22400kg 以下
走行性能
定速走行 15‰ 5km/h 以上
最 高 速 度 70km/h 以上

北陸重機工業 株式会社

事業内容 :
鉄道車両、特殊装備車、荷役産業機械、設備省力機械の設計・製作・販売並びに上記品目の修繕・改造

鉄道車両:
ディーゼル機関車、ハイブリッド機関車、サーボモーター搭載機関車 、バッテリーロコ、機関車、軌道モーターカー、モーターカー、保線作業車、構造物(橋梁下)検査車、レール運搬車、レール研磨車、ダンプトロ、鉄製トロ、機材運搬車、人員輸送車、巡回車、検測車、測定車、架線作業車、高所作業車、延線車、保守用車、保守車、トンネル点検車、橋梁点検車、道床掘削機、道床作業車、軌陸車、トロッコ列車、客車、グランビー車、モノレール工作車、シミュレーター装置、各種保線機器



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