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向日町駅 JR西日本)JR貨物)東海道本線

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向日町駅(むこうまちえき)は、京都府向日市寺戸町久々相にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)東海道本線の駅です。また、京都総合運転所で有名な駅です。JR西日本による路線愛称「JR京都線」の設定区間に含まれている。向日市の代表駅ですが、阪急の東向日駅のほうが市役所には近いです。


構内に京都市南区との境界がある。阪急電鉄京都線東向日駅とは約500mほどの距離がある。
同じ向日市内にある阪急京都線の東向日駅(旧 東向日町駅)・西向日駅(旧 西向日町駅)は1972年10月の市制施行とともに現在の駅名に改称されたが、当駅は市制を施行しても改称されなかった。周囲は工場が多く市街中心からは離れている。

利用の少ない早朝と深夜、利用の増える平日の朝ラッシュ時を除き、1時間に高槻以西快速の普通が4本、全駅停車の普通が4本停車する。平日の11時台から14時台、土休日の13時時台と14時台は全駅停車の普通の運転はなく、高槻以西快速の普通のみが停車する。

島式ホーム2面4線を有する地上駅(12両編成対応)であるが、外側ホームには柵があり、内側のみ乗降の取り扱いを行う。平屋のコンクリート造駅舎は線路西側にあり、ホームへは連絡地下道で結ばれている。駅改札は西側にしか無い為、駅東側へは200m北にある地下道か250m南にある踏切を経由する。2010年12月現在、エスカレーターとエレベーターは設置されていない。トイレは、設置されている。


京都貨物駅からの貨物専用線が当駅構内で旅客線と合流するほか、京都総合運転所への入出庫駅でもあるため、場内・出発信号機を有する。
直営駅(長岡京駅の被管理駅)かつICOCA利用可能駅で、提携ICカードも利用可能。駅の大阪駅寄りにはJR西日本の京都総合運転所(旧・向日町運転所)がある。オープンカウンター式のみどりの窓口があり切符売場には券売機は3台と定期券発売機が設置されています。

向日町駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先
1 □JR京都線 上り(外側線) (通過列車のみのため閉鎖)
2 ■JR京都線 上り(内側線) 京都・草津方面
3 ■JR京都線 下り(内側線) 新大阪・大阪・三ノ宮方面
4 □JR京都線 下り(外側線) (通過列車のみのため閉鎖)

1876年(明治9年)
7月26日 - 官設鉄道が大阪駅から延伸した際の終着として開業。
9月5日 - 官設鉄道が大宮通仮停車場(1877年2月6日の京都駅開業までの暫定的な終着)まで延伸し、途中駅となる。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
1999年(平成11年)6月24日 - 当駅には住友大阪セメント向日町サービスステーションの専用線が接続し、近江長岡駅(同社伊吹工場)からのセメント輸送が行われていたが、この日の到着便をもって廃止。


2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
2006年(平成18年)3月27日 - 本巣駅(住友大阪セメント岐阜工場)からのセメント輸送がこの日の到着便をもって廃止され、貨物列車の設定が廃止された。
かつては、日本石油・シェル石油の油槽所が付近にあり、そこへも専用線が続いていた。その他、陸上自衛隊桂駐屯地やキリンビール京都工場(1999年に閉鎖)までの専用線もあった。

キロ程 520.0km(東京起点)
京都から6.4km
電報略号 ムコ
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線(乗降は2面2線のみ)
乗車人員
-統計年度- 7,797人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1876年(明治9年)7月26日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
* 定期貨物列車の発着はなく、実質休止状態。

 

 


春日駅 JR九州)鹿児島本線

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春日駅は、福岡県春日市春日原北町五丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅です。春日市の北東部にある。駅から春日市役所まで250m程度の距離で、駅周辺には住宅が多く建ち、クローバープラザや春日公園などの公共施設があるが、商業施設は500mほど離れた西鉄春日原駅周辺地域に多く立地しており春日市の代表駅は西鉄・春日原駅になります。

県道56号が線路を跨ぐ形で立体交差している。駅出入口はこの県道56号に直結して橋上にバス乗り場が設けられました。入口には大きなキャノピーがかかりスペースも広く取られています。

相対式ホーム2面2線と近代的な橋上駅舎(平成元年開業・平成15(年3月改築)の設備を有する地上駅です。上りホームの鹿児島側に交交セクションが存在いたします。
JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、狭いスペースにみどりの窓口、券売機が2台設置されています。トイレなどは駅舎外にあります。

のりば
1 ■鹿児島本線(下り) 二日市・久留米・大牟田方面
2 ■鹿児島本線(上り) 博多・赤間・小倉方面
ホームには上屋が設置されています。

1989年(平成元年)3月11日 - 開業。当初は無人駅であった。
2003年(平成15年)3月15日 - 駅舎改築工事で橋上駅化、同時に多目的トイレ・エレベータ設置によりバリアフリー化。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 カス
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 3,459人/日(降車客含まず)
-2005年-
開業年月日 1989年(平成元年)3月11日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

 

田向山(手向山)砲台 下関要塞

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「砲台」は対艦射撃用の砲台、「保塁」は陸戦用の砲台の事である。下関要塞は、関門海峡周辺に設置された大日本帝国陸軍の要塞。当初は下ノ関要塞と表記した。

砲台)とは、大砲などの火器を設置するための台座である。 大きな大砲を防衛上の重要地点や交通の要衝など軍事戦略的・地理的に有利な地点で射界が広く取れる高所に設置して、敵の侵攻に対して効果的な防衛拠点とするものである。

また、反動の大きな大砲を専用の砲台に設置することで運用の利便性を高め、同時に命中精度の向上も期待している。

土地を整地しただけの仮設のものから、石組みやレンガ組み、コンクリート造で掩体を作り陣地や保塁としたもの、さらに火薬庫、兵舎などの関連施設を併設して要塞化したものもある。
代表的なものに海上の艦船を砲撃するために海岸線近くに設けられる沿岸砲台があり、幕末に築かれた台場もその一種である。


設置される大砲はカノン砲か榴弾砲であり、沿岸砲台の場合には移動目標である軍艦に命中させるためにカノン砲であることが多い。
旧日本陸軍では、海岸の沿岸砲台を「砲台」、陸戦砲台を「保塁」として区別した。


現代の戦場では、恒久的な砲台が築かれることはなくなった。自軍の砲の位置が固定されると、敵火砲やミサイル、あるいは空爆の的になるからである。対砲迫撃レーダーや航空偵察で正確かつ短時間で発射位置を特定されるようになったため、砲兵は射撃後、すぐに発射地点から移動するのである。

高い防御力そのもので敵の進撃を阻害するための永久築城(要塞)もまた、電撃戦に代表される戦術の進化の前に陳腐化してしまった。沿岸砲台もやはり移動式の対艦ミサイルの登場でその役目を終え姿を消しつつある。

明治時代、四面を海に囲まれた大日本帝国は外敵を防ぐため、全国に砲台を整備する必要に迫られていた。1886年(明治19年)には陸軍省が全国に砲台を建築する事を計画し、関門海峡でも1887年(明治20年)9月より、田の首砲台・田向山砲台を起工し要塞の建設が開始された。

この時代の防衛は、敵が海岸付近まで攻めてきた所を船と協力して撃滅する、まさに「陸に砲台、海に船」といったものであった。そのため、陣地は関門海峡の沿岸に集中しており、多くの大砲が設置された。


1895年(明治28年)4月には東京湾要塞司令部と共に下関要塞司令部が設置された。その後、1899年には要塞地帯法により下関要塞地帯と名付けられ、写真撮影などが禁止された。重要な拠点であった下関要塞は重要な軍事機密でもあった。1893年(明治26年)には英国汽船クレーブランド号の「乗組員」が下関要塞の古城山砲台に侵入、施設図面を記録し逮捕されるという事件がおきている。


日露戦争が終わり、平和な時代になると要塞の整理が行われ、特に街中にあった敷地の一部が払い下げられた。現在では市民の憩いの場である老松公園もこの敷地を使ったものである。昭和に入ると日本と朝鮮、満州との間を守るため、玄界灘の島々に砲台を設置し、壱岐要塞や対馬要塞とも協力して朝鮮海峡全体を防衛するようになった。

また、関門海峡一帯には空襲を防ぐために高射砲を多く設置した。小倉は小倉陸軍造兵廠を持つ軍都であったので激しい空襲も行われたが、要塞は終戦までその任務を全うした。戦後、1974年には地元の有志が九州側の陣地跡に石碑を建て、歴史を今に伝えている。

1864(元治元)年8月5日、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの四国艦隊が、関門海峡周辺の長州藩の砲台を砲撃しました。1886(明治19)年、陸軍省は全国の重要な地に砲台を築造し、沿海の防備を厳しくすることにしました。当時、定遠・鎮遠という巨大戦艦を有する清国の北洋艦隊の脅威を感じていた関門地区には、関門海峡を挟んだ下関と北九州に砲台と堡塁が築造されました。

陸軍は、敵艦船を砲撃するのを砲台、砲台の背面防御し、陸戦砲撃をするのを堡塁としました。北九州では、田向山(手向山)・笹尾山・矢筈山・古城山・和布刈砲台が、また富野・高蔵山堡塁が築造されました。1994(明治27)年8月日清戦争が勃発しました。

清国の北洋艦隊は壊滅し、1895(明治28)年4月日清講和条約は調印されました。関門海峡を挟む砲台・堡塁を統合した関門要塞は、1895(明治28)年下関要塞と呼称されることが正式に決まり、下関要塞司令部が発足し、砲兵連隊が配備されました。これらの地域は下関要塞地帯と呼ばれました。

これらの砲台・堡塁は明治末には廃止となりますが、機密保持のため立ち入りは制限され、地域内の測量・撮影などは1945(昭和20)年の終戦まで要塞司令部の許可が必要でした。

円形のコンクリート部分には目標となる地名がどの方角にあるか刻まれている。

1887年(明治20年)、関門海峡周辺の要塞化にともない、下関側の田の首砲台とともに手向山は最初に砲台の設置がはじまった。長崎事件は前年であり、日清戦争は7年後のことだった。これより手向山は一般人の入山が禁止された。山は小倉にあった帝国陸軍第12師団支配下の下関要塞司令部によって1945年(昭和20年)まで管理された。

太平洋戦争の末期には、市街地空襲で西鉄北九州線の車両基地が被災する事態に備えて電車の退避場所を確保することとなり、手向山トンネル西側の北九州本線から山腹へ分岐する引込線を設け、山腹に2本の退避線が設置された。

所属 下関要塞
起工 明治20年9月
竣工 明治21年9月
備砲 24cm臼砲12門 6砲座×各2門 計12門
任務 大瀬戸制圧
廃止 明治末期

神戸駅 JR西日本)山陽本線

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神戸駅は、兵庫県神戸市中央区相生町三丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅です。東海道本線の終点、山陽本線の起点駅となります。明治7年に日本で2番目に開業した鉄道の終着駅として開業。ターミナル駅ですが、分岐路線がないため、現実にはJR神戸線の途中駅というイメージしかありません。

線路が南北方向に走り、周辺の地域はほぼ東西に相対している。多くの市民は、神戸ハーバーランド側の方角を「浜手」、六甲山側の方角を「山手」と言い表す。
東寄りの一帯は、市内でも有数の繁華街『神戸ハーバーランド』であり、大規模な商業施設や高層ビルが並んでいる。国鉄時代には貨物ターミナルの湊川駅があり、廃止後の駅跡地の再開発により誕生した。

兵庫県の県庁所在地・神戸市を代表する駅。駅舎は堂々とした洋風の高架駅舎で近代化遺産の指定を受けており、貴賓室などの由緒ある施設も保存されている。また、第2回近畿の駅百選にも選出された。
東海道本線の西側の終点および山陽本線の東側の起点となっており、東海道本線を所属線としている。線路自体はそのまま東西方向に繋がっており、直通運転が行われている。実際に、大阪駅(東海道本線所属)から当駅を介して姫路駅(山陽本線所属)に至る区間を「JR神戸線」の愛称で乗客向けに案内しており、当駅を起終点とする列車もごく一部の普通列車に限られている。また、当駅から分岐する別の路線もない。
ホームの南(浜側)には、両路線の起終点を示すキロポストが設置されている。なお、歴史的には東海道本線が元々から国有路線であったのに対し、山陽本線は民間の山陽鉄道によって作られ、後から国有化されたという経緯がある。
都市名を冠する主要な駅ではあるが、神戸市役所や商業地域の中心地に近いのは二つ東隣の三ノ宮駅、県庁は一つ東隣の元町駅が最寄駅であり、山陽新幹線の停車駅は北に離れた新神戸駅である。かつては、当駅の西側の新開地一帯が市内で最も繁華な地区であった。


乗降客数でも当駅より三ノ宮駅の方が多い関係で、特急列車は三ノ宮駅のみに停車し、当駅を通過するものが多い。ただし、かつて運転されていた寝台特急『彗星』は特急列車の中で唯一、三ノ宮駅を通過し当駅に停車していたが、2000年3月に『あかつき』との併結運転開始と同時に当駅から三ノ宮駅に停車駅が変更となった。その後、『彗星』は2005年9月30日で廃止され、それと引き換えに『はまかぜ』が当駅に停車するようになった(『はまかぜ』は三ノ宮駅にも停車する)。
アーバンネットワークエリアおよびICOCA利用エリアに含まれている。また、長距離乗車券の特定都区市内制度における「神戸市内」の中心駅である。駅長が配置された直営駅であり、管理駅として神戸市内の山陽本線所属駅である兵庫駅 - 舞子駅間の各駅および山陽本線支線(和田岬線)の和田岬駅を管轄している。

島式ホーム3面6線のプラットホームを有する高架駅。上りの外側線のみ、待避線(1番のりば)を用いて列車の追い越しが可能である。
兵庫駅側の下り内側線と上り内側線の間及び5番線東側に引上線(6番線)があり、平日朝ラッシュ時と毎日深夜の折り返し列車が使用している。
当駅の前後は、両方向とも急カーブ(半径・400メートル)を描いている。
改札口は中央口とビエラ神戸口の2ヶ所。いずれもバリアフリーの一環として、段差が解消されている。改札口とホームを結ぶエレベーター・エスカレーターは、1番のりばには設置されていない。オープンカウンター式のみどりの窓口があり中央切符売場の券売機は6台ですべて新型のタッチパネル式になっております。

日中時間帯は1時間あたり新快速と快速がそれぞれ4本、各駅停車が8本停車する。朝ラッシュ時の大阪方面は新快速と外側快速がそれぞれ8分間隔、各駅停車が4分間隔で発車する。夕方の姫路方面は新快速が7分半間隔、外側快速が2本停車する。
早朝5時台には当駅始発の各駅停車が京都駅・西明石駅の両方向に設定されている(西明石駅から回送列車で運行し、客扱いを開始している)。平日朝7時台と毎日深夜0時(前日23時32分着)に当駅折り返しが2本設定されているが、事故などでダイヤが乱れた場合は日中にも運行されることがある。1986年11月1日 - 1996年7月19日の間は折り返しが日中にも設定されていた。
国鉄分割民営化後、1989年3月11日のダイヤ改正で特急『スーパー雷鳥』の1本が当駅発着となったが、1997年3月8日の改正で廃止された。

のりば
神戸駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先 備考
1 ■JR神戸線 上り(外側線) 三ノ宮・尼崎・大阪方面 待避用(平日朝の快速のみ使用)
2 ■JR神戸線 上り(外側線) 三ノ宮・尼崎・大阪方面 特急・新快速(快速の一部も使用)
3 ■JR神戸線 上り(内側線) 三ノ宮・尼崎・大阪方面 快速・普通
4 ■JR神戸線 下り(内側線) 西明石・姫路方面 快速・普通
5 ■JR神戸線 下り(外側線) 西明石・姫路方面 特急・新快速(快速の一部も使用)

普通列車はすべて中央の3番・4番のりば、新快速・特急はすべて外側の2番・5番のりばを使用する。当駅を通過する貨物列車も、2番・5番のりばを通過する。
快速は基本的に3番・4番のりばに停車するが、大阪方面は平日朝ラッシュ時に新快速を待避する場合には1番のりば、平日朝の終わりの列車と土曜・休日の朝の一部は2番のりばに停車する。また、姫路方面は快速のうち平日朝に外側線を走行する列車は5番のりばに停車する。
1番のりばは平日朝ラッシュ時のみ使われており、停車する列車がない時間帯は閉鎖されている。この1番ホームは、もともと当駅始発の東京方面への優等列車用に割り当てられ、戦前は特急『燕』・『鴎』や急行列車が、また戦後も急行『銀河』や電車特急『こだま』(1958 - 61年)・『つばめ』(1960 - 61年)・『富士』(1961 - 64年)がこのホームから発車していた。しかし、東海道新幹線の開業で1964年に『富士』が廃止、翌1965年には『銀河』も姫路発着となり、当駅発着となる定期の特急・急行列車は消滅した。その後、阪神・淡路大震災の発生前まで使用を停止していた。なお、2011年3月11日までは夜間に西明石からの回送列車が入り、引き上げ線経由で留置線に入る運用があった。
1・2・3番のりばは外側線・内側線の双方向への出発が可能であり、ダイヤの乱れが生じた場合には快速が明石駅 - 兵庫駅間を列車線で運行させ、当駅の2番のりばから内側線へ転線させる措置が執られる場合がある。
当駅東側の下り線には、かつて内側線から5番のりば(外側線)へ転線できる渡り線が設置されていたが、過去に快速列車(113系)が脱輪事故を起こし、その後の現場検証でポイント部分のレールが磨耗していたことが原因だと判明、使用停止を経て撤去された。

1874年(明治7年)5月11日 - 官設鉄道の駅として開業。新橋駅 - 横浜駅間の鉄道開通に続く2番目の鉄道の大阪駅 - 当駅間の路線の終着駅で、駅舎はレンガ造りだった。
1889年(明治22年)
7月1日 - 東海道本線の原型となる新橋駅 - 当駅間が全通、2代目の駅舎になる。また、神戸鉄道局(後の大阪鉄道管理局)が置かれた。
9月1日 - 山陽鉄道が兵庫駅から延長され、当駅に乗り入れ。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線の所属となる。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道が国有化され、国有鉄道のみの駅になる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。東海道線の本線部分が東海道本線となり、旧・山陽鉄道線は山陽本線となる。
1928年(昭和3年)12月1日 - 東海道本線貨物支線の湊川駅に貨物取扱業務を移管。当駅での貨物取扱廃止。湊川駅自体は神戸駅の敷地を客貨分離により分割したもの。
1930年(昭和5年)7月 - 駅高架化に先駆け、三代目の現在の駅舎に改築。近代的設備を備えたこの駅は、貴賓室などもそなえた豪華なものともなっていた。
1931年(昭和6年)10月10日 - 高架駅化。
1978年(昭和53年)10月2日 - 新快速の停車駅となる。
1985年(昭和60年)3月14日 - 湊川駅廃止。跡地は再開発され神戸ハーバーランドとなっている。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。

電報略号 コヘ
駅構造 高架駅
ホーム 3面6線
乗車人員
-統計年度- 66,935人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1874年(明治7年)5月11日
乗換 大倉山駅(地下鉄山手線)
ハーバーランド駅(地下鉄海岸線)
高速神戸駅(神戸高速線)
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
神 神戸市内駅(中心駅)
* 元町方 - 東海道本線
* 兵庫方 - 山陽本線

日本国有鉄道 ED72 1 号 九州鉄道記念館

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ED72形は、日本国有鉄道(国鉄)が1961年(昭和36年)から製造した交流電気機関車である。1961年の鹿児島本線門司港 - 久留米間交流電化の際に開発・投入された九州地区向けの交流電気機関車である。

東北本線向けに製造されたED71形の試作車2で製造メーカーの東芝は乾式変圧器・風冷式イグナイトロン水銀整流器方式を提案した。試験の結果としてED71形では不採用であったものの、好成績を残したことから本形式と姉妹形式となるED73形で採用された。

前面は非貫通型とし、正面が「く」の字になった独特の形状を採用した。そのため『鳩胸』という俗称もある。九州地区では電気機関車牽引の旅客列車についても蒸気暖房を継続使用の方針が採られたため、列車暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載した。このため重量が増加し、国鉄の電気機関車としては初めて中間台車を採用し、Bo-2-Bo軸配置とすることで軸重16t級とした。

制御方式は高圧タップ切換方式・水銀整流器格子位相制御・弱め界磁制御を採用する。
動台車には固定軸距2,800mmで「逆ハ」リンクを用い軸重移動対策を施した全側受式のDT119A形、中間台車はスポーク車輪が特徴のTR100形である。
主電動機ならびに駆動装置は、試作車と量産車で相違がある。本形式で施工された主な改造工事は以下に示す2件がある。なお、施工はすべて小倉工場である。

シリコン整流器交換工事
水銀整流器は保守運用の非効率と信頼性の低さという弱点があり、1970年代に入って保守・取扱が容易なシリコン整流器に交換する工事が施工された。しかし、これには格子位相制御によるタップ間連続制御を喪失し、速度制御は高圧タップ切換に依存することとなり、トレードオフとして起動時の粘着性能低下や衝動の増加などの弊害を招いた。
SG撤去工事
1970年代半ばになると一般客車による旅客列車が減少するとともに、本形式に搭載されたSGは後継機種のED76形に比較すると取扱に若干の難があったことから、一部車両はSG・燃料タンク・水タンクを撤去する工事が施工された。
量産車
1962年に製造された3 - 22が該当する。試作車からの設計変更は以下に示す。
内部機器や配置の見直しが行われ、車重が83.4t→87.0tに増加した。
駆動方式が他形式も含め運用面で不具合が発生していたクイル式から吊り掛け式へ変更。
駆動方式変更に伴い主電動機もMT52形へ変更されて定格出力は1,900kWとなった。
運転台中央上部にあったシールドビーム式前照灯を左右に振り分ける位置に変更。
側面はエアフィルタの上列に採光窓を配して横一列連続配置に変更。
これ以降の製造は打ち切られ、1965年以降の九州地区での電化区間拡大による機関車の需要増については、ED76形を製造することで対応した。

本形式はSGを搭載することから、暖房源が必要な一般客車列車を中心に、ブルートレイン牽引や貨物列車運用にも入るなど、客貨両用に運用を開始した。しかし、軸重の関係で脆弱軌道路線には入線ができないために九州の主要幹線が全面的に電化された後も北部九州地区のみで運用された。
しかし、1968年以降は20系客車のブレーキシステム変更により、その対応装備の一切を持たない本形式はブルートレイン牽引から撤退し、対応改造が施工された姉妹機ED73形に任務を譲っている。さらに山陽新幹線博多開業による本州直通夜行急行列車の大幅な廃止などで一般客車列車が減少したことから、これらの運用もSG操作が容易なED76形に集約されるようになっていた。だがその一方で、牽引機関車側に特別な装備を必要としない14系・24系客車に寝台特急車両の置換が進んだことから、再びブルートレイン牽引運用にも投入された。
1976年に試作車の1・2が廃車されたのを皮切りに、量産機についても1978年より廃車が始まり、1980年には北陸本線よりEF70形の大量転入をしたため多くの車両が運用離脱し、1982年までに全車が廃車された

 

北九州電化で使用する交流電気機関車として登場。暖房用ボイラーを載せているため、車長が長く中央に動力の伝わらない中間台車があるのが特徴です。
暖房が蒸気から電気に変わり、ボイラーも不要となったため、旅客用に限定する必要もなくなり晩年は貨物列車にも使用されていました。この車両は試作機関車で他の同型機とは若干趣が異なっていますが、九州初の交流電気機関車として北九州市門司区の老松公園に保存されていました。

■製造初年:1961
■製作社等:東芝
最高速度 100 km/h
最大寸法
(長・幅・高) 17,400 × 2,800 × 4,260 (mm)
車両質量 87.0t(3 - 22)
83.4t(1・2)
軌間 1,067 mm
電気方式 架空電車線方式単相交流交流20kV・単相60Hz
総出力 1,900kW(3 - 22)
2,050kW(1・2)
主電動機 直巻電動機MT52形X4基(3 - 22)
MT103形X4基(1・2)
定格速度 49.1 km/h
定格引張力 14,100kg
歯車比 16:71=1:4.44(3 - 22)
15:68=1:4.53(1・2)
駆動装置 1段歯車減速吊り掛け式(3 - 22)
1段歯車減速クイル式(1・2)
台車 DT119A形(両端)
TR100形(中間)
制動方式 EL14形自動空気ブレーキ増圧装置
保安装置 ATS-S

 

元町駅 JR西日本)

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元町駅 (もとまちえき)は、兵庫県神戸市中央区にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)と、阪神電気鉄道の駅である。所在地は、JR西日本が元町高架通、阪神電気鉄道が元町通二丁目です。JRでは、兵庫県庁への最寄り駅になります。 

地上のJR西日本元町駅と地下の阪神元町駅は連絡通路で結ばれてはいるが、連絡改札口・連絡運輸扱いはなく、事実上別の駅である。ただし、JR神戸駅以西から阪神神戸三宮駅経由での連絡運輸に関しては当駅での乗継も認める特例がある。かつて、阪神電鉄では「神戸元町駅」と呼称していたこともあった。
毎年12月に開催される「神戸ルミナリエ」会場へは当駅が最寄り駅の一つとなる。神戸市営地下鉄海岸線の旧居留地・大丸前駅も最寄り駅ではあるが、当駅の方が利用客が多い。なお、神戸市営地下鉄海岸線のみなと元町駅は近隣であるが、異なる駅である。

JR西日本の駅の乗り入れ路線は東海道本線であるが、アーバンネットワークエリアに属しており、「JR神戸線」の路線愛称設定区間に含まれている。また、JR三ノ宮駅・JR神戸駅・新長田駅の各駅と同様に山陽新幹線新神戸駅との連絡扱いを行っている。特定都区市内制度における「神戸市内」エリアに属している。
阪神電鉄の駅は阪神本線の終点かつ神戸高速線の起点となっている。神戸高速線は神戸高速鉄道会社が第三種鉄道事業者(線路保有者)で、阪神電鉄が第二種鉄道事業者(運行者)として運行を行っており、神戸高速鉄道としての名称は東西線となっている。この両線間は直通運転が行われている。
JR西日本の駅はICOCA、阪神の駅はPiTaPaの各IC乗車カードの利用エリアに含まれており、それぞれ相互利用可能なカードにも対応している。

駅は神戸随一の繁華街に位置し、大丸神戸店の最寄り駅でもある。周囲は東京・銀座、大阪・心斎橋と並ぶ老舗商店街として全国的に有名な元町通商店街、日本の三大中華街の一つである南京町、明治以来の伝統を伝え神戸でもハイセンスな街とされる旧居留地、そして最も神戸らしい通りであるトアロードなどで、年間を通して賑わっている。
隣接する西のJR神戸駅へは元町高架通商店街(モトコー)、東の神戸三宮駅へはピアザ神戸が延びており、ほぼ雨に当たらずに通行することが可能である(駅近辺のみ若干高架下商店街の無い所がある)。

島式ホーム2面4線を有する高架駅である。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。改札口は東西2か所にあり、東西口改札には改札機がそれぞれ6台。みどりの窓口は東口に設置され東口切符売場には券売機は6台、指定席券売機も設置されています。ている。直営駅(三ノ宮駅の被管理駅)。

元町駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先 備考
1 ■JR神戸線 下り(外側線) 西明石・姫路方面 平日朝の快速の一部
2 ■JR神戸線 下り(内側線) 西明石・姫路方面
3 ■JR神戸線 上り(内側線) 三ノ宮・尼崎・大阪方面
4 ■JR神戸線 上り(外側線) 三ノ宮・尼崎・大阪方面 朝の快速の一部
ホームは神戸方面に大きく右にカーブしています。

当駅に停車しない特急・新快速と駅の営業時間帯の貨物列車は1・4番のりばを通過する(通過時はアナウンスが流れる)。停車列車は後述の列車を除き2・3番のりばに発着するため、1・4番のりばは基本的にロープをかけている。
4番のりばに停車する大阪方面の列車は、平日ダイヤの朝ラッシュ時のすべての快速と土曜・休日ダイヤでの朝の一部の快速のみである。
1番のりばに停車する姫路方面の列車は、平日ダイヤの朝に運転される快速のみであり、土曜・休日ダイヤで1番のりばに停車する列車はない。
開業当初は中央の内側線上下線に挟まれた島式1面2線のホームが設置され、外側線には上下線それぞれに相対式ホームが1面ずつ設置されるという混合式(3面4線)だったが、1960年代に現行の形式に改造された。上り外側線のホームは神戸高速鉄道建設をはじめとする市街地再開発のためすぐに撤去された一方、下り外側線のホームはJR移行後にら撤去されたが、骨組みの一部は東出口南側などに残っている。
以前は駅弁が販売されていた。

日中時間帯は1時間あたり快速が4本、普通が8本停車する。朝ラッシュ時の大阪方面は外側快速が8分間隔、普通が4分間隔で発車する。

1874年(明治7年)5月11日に大阪駅 - 神戸駅間へ官営鉄道(現在の東海道本線)が営業を開始した際、途中に神崎(現在の尼崎駅)・西ノ宮駅(現在の西宮駅)・住吉駅・三ノ宮駅の4駅が設置された(ただし神崎駅と住吉駅は20日遅れての開業)が、そのうち三ノ宮駅は現在地より西より、現在の当駅付近に設けられていた。この時は地上に線路が敷設されており、名前の通り三宮神社に近い位置に設けられた三ノ宮駅は、相対式ホームが曲線上にあるだけの中間駅となっていた。
その後、昭和に入ると神戸市の都市計画に絡み、市街を分断する形になっていた鉄道省線(国有鉄道線)を地下線とする案が市から出された。鉄道省は費用の問題もあり、これを高架線に変更して1929年(昭和4年)3月から工事に取り掛かり、都市計画との絡みで1931年(昭和6年)10月10日の完成とともに現在地へ駅が移転された。
しかし、地元からは、旧地も市街地となっていたことから、旧・三ノ宮駅の位置に再び駅を設置して欲しいと請願が出された。そのため、1934年(昭和9年)7月20日、吹田駅と山陽本線須磨駅の間が電化されて省線電車の運転が開始された際、塚本駅・立花駅・甲子園口駅・六甲道駅の各駅とともに当地に駅が設けられ、神戸市の原型となった町で1874年(明治7年)に神戸村・二つ茶屋村・走水村が合併してできた時の名である「元町」にちなみ、元町駅と命名された。
三宮神社の最寄り駅が三ノ宮駅・三宮駅ではなく当駅である背景には、以上のような経緯がある。
開業時は高架線上にやはり相対式ホームが設けられていたが、1937年(昭和12年)に同駅を挟む区間が複々線化され、現行の形態になった。

1934年(昭和9年)7月20日 - 国有鉄道東海道本線の三ノ宮駅 - 神戸駅間に新設開業。
1936年(昭和11年)4月1日 - 急行電車の停車駅となる(阪急神戸線三宮駅・阪神本線元町駅それぞれの延長に伴う対抗措置として)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。

電報略号 モト
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 49,236人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1934年(昭和9年)7月20日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
神 神戸市内駅

 

あくびカフェー 尾道市

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「尾道空き家再生プロジェクト」として内装デザインや工事のほぼ全てをスタッフの手で行ったという店内は懐かしさいっぱいの教室。メニューは個性的。

昔の小学校の雰囲気で給食タイム。
 小学校の廃材を使って商店街の町屋を再生。昭和初期の教室をイメージした店内には1時ごとにチャイムが流れ、メニュー表は昔の出席簿。ランチはアルミトレイにのせて運ばれる給食スタイルで頂きま~す。当然、先割れスプーンです。カフェーの奥には町家を改装したゲストハウス『あなごのねどこ』を併設。

店内、引き戸を開けて、入ると入ってすぐのところに駄菓子が並ぶ。

❶木製の下駄箱を利用した本棚には旅のガイドブックも 
❷あくびのしまなみカリーライス 
❸コンセプトは「旅と学校」。ドミトリーも併設される 
❹理科室の実験道具がインテリアに

スタッフのユニフォームも割烹着というこだわり。
お子さまランチ風カレー

 

電話:0848・38・1005 住所:尾道市土堂2-4-9 営業時間11時~22時(ラストオーダー21時30分) 駐車場なし

三ノ宮駅 JR西日本)東海道本線

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三ノ宮駅(さんのみやえき)は、兵庫県神戸市中央区布引町四丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅です。「JR神戸線」の愛称区間に含まれています。神戸、繁華街への最寄駅でたいへん多くの利用客があります。

神戸市中心部のターミナル駅である。明治初期、当時の神戸中心部のやや東寄りの地域に神戸駅が設置された。神戸外国人居留地の誕生による開発と、戦後における三宮地区の復興での神戸の商業地域拡大および市役所の移転などを経て中心部が三宮に移動した経緯がある。
神戸市の代表駅は神戸駅で、JRの長距離乗車券の神戸市内の中心駅ともなり、新幹線の営業キロ計算においても新神戸駅は(最寄の在来線駅である当駅ではなく)神戸駅と同じ扱いになっている。だが、当駅は商業地区の中心部に近く多くの鉄道路線が集まっているため、神戸市のみならず兵庫県内で最も利用客が多い駅である。また、各社高速バスの神戸におけるターミナルも神戸駅前ではなく当駅前にある。特急列車は「はまかぜ」以外、神戸駅には停車せず当駅に停車する。さらにはJR西日本各駅構内の方面案内でも「三ノ宮・姫路方面」(大阪駅の場合)というように、神戸駅よりも当駅の扱いが優先されている。ただし、敷地面積やホーム数や駅ビルの建坪という規模の面での兵庫県内で最大の駅は姫路駅になる。
兵庫県内で最も利用客が多い駅であるが、分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類されている[2]。つまり折り返し・待避設備がないため通常は当駅発着の電車は設定されていない。ただし、神戸ルミナリエ・みなと神戸海上花火大会(下りのみ)の開催時など、多客時は当駅を始発とする電車が運転されることがある。
当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として甲南山手駅 - 灘駅間の各駅と元町駅を管轄している。アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCA利用可能駅である。神戸市内における山陽新幹線の駅として新神戸駅があるが、同駅は新幹線単独駅であり、在来線に直接乗り換えることができない。そのため、特例で当駅が乗り換え最寄り駅とされており、神戸市内発着の乗車券により当駅で途中下車後、新神戸駅へ再入場することが可能である。但し、三ノ宮駅から新神戸駅への移動費用(地下鉄運賃、タクシー料金等)は別途支払う必要がある。

「三宮」の地名の由来でもある三宮神社が駅名の由来である。1931年までは現在の元町駅の位置、すなわち現在よりも三宮神社に近い位置に当駅があった。
他の交通機関の駅名などはすべて「三宮」であるのに対し、JRのみ「三ノ宮」と“ノ”の文字を含んでいるのは、開業が最も早く、駅創設時からあえて“ノ”をつけることによって地名の読み違いをさせないよう配慮していた名残であると考えられている。ただし「三ノ宮」という表記は、三ノ宮駅開業前の1873年(明治6年)に三宮町が名づけられた際に生田宮筋の西側(おそらく現在の「トアロード」)の道路に「三ノ宮筋」という名称が付けられたのがはじまりのようである。表記の相違は、今ではJRと他交通機関の駅名を区別するのに役立っている(一方で、近隣の類似事例であり当駅と同日に西宮町(現在の西宮市)に開業した西ノ宮駅は、市の長年の要望もあって2007年3月18日、“ノ”を省いた「西宮駅」に改称された)。
長らくプラットホーム上屋(屋根)は8両編成分のみ設置されていたほかホームの嵩上げもなされていない状態が続き、新快速が平日ラッシュ時や土曜・休日に12両編成での運転を開始して以降も大阪側の4両分には屋根がないほか、ホームと車両の床面が揃わず水平ではなかった。この部分は2003年ごろに整備されたが、それ以降もさらに大阪側(12両編成以上)の部分には上屋が設置されていない。また2008年11月には、ホームの電光掲示板6つがすべて高輝度のものに交換されたほか、各改札口の電光掲示板も2010年3月に交換された。
開業当初の阪神三宮駅は現在のJR三ノ宮駅南側の至近にあり、駅名も「三ノ宮」を名乗っていた。なお、阪神が地上にあった頃は現在の位置に駅はなかった。
かつては東京駅始発・終着の客車寝台列車が停車していたが、2005年3月1日のダイヤ改正をもって最後の停車列車であった九州方面の特急「富士」が通過となったことにより、同種の列車の停車は無くなった。なお、ダイヤ改正前日時点における下り「富士」の次の停車駅は、山口県の小郡駅(現在の新山口駅)であった。

島式ホーム2面4線を持つ高架駅。昭和56(1981)年3月改築のホテル、デパートの入ったターミナルビルです。西口・中央口・東口がある。西口駅舎は阪急三宮駅の東駅舎と改札外で直結している。ホームは外側線に面する方は15両対応で、内側線に面する方は12両対応になっている。中央切符売場にオープンカウンター式のみどりの窓口があります。中央改札口、改札機は7台。東切符売場には券売機4台、中央改札口付近に、天井から金色の鈴が吊り下げられている場所がある。このエリアは「金の鈴広場」と命名されている。神戸中央ライオンズクラブからの寄贈であることが明記されている。神戸中央郵便局三宮駅内分室(郵便窓口のみ)・ ゆうちょ銀行大阪支店JR三宮駅構内出張所 (ATM) が当駅内にある。なお、店名はいずれも「三ノ宮駅」ではなく「三宮駅」と呼称されている。


のりば
三ノ宮駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先 備考
1 ■JR神戸線 上り(外側線) 尼崎・大阪・京都方面 特急・新快速(快速の一部も使用)
2 上り(内側線) 快速・普通
3 下り(内側線) 西明石・姫路方面 快速・普通
4 下り(外側線) 特急・新快速(快速の一部も使用)
日中時間帯は1時間あたり新快速・快速がそれぞれ4本、各駅停車が8本停車する。朝ラッシュ時の大阪方面は新快速・外側快速がそれぞれ8分間隔、各駅停車が4分間隔で発車する。夕方の姫路方面は新快速が7分半間隔で停車する。

特急・新快速(および当駅を通過する貨物列車)はすべて1・4番のりば、各駅停車はすべて2・3番のりばに停車する。日中は新快速と各駅停車(JR東西線直通)が当駅で相互接続する。
快速は基本的に2・3番のりばに停車する。ただし、大阪方面の快速で平日朝ラッシュ時のすべての列車と土曜・休日ダイヤの朝の一部列車は1番のりばに、姫路方面の平日朝の快速は4番のりばに停車する。
コンコースには売店がある。新型インフルエンザの影響で一時営業休止したが、後に営業再開された。

隣の元町駅との駅間は0.8kmであり、JR神戸線で最短である。電光掲示板の遅延表示は、「2分遅れ」から表示される(当駅以外のほとんどの駅は「3分遅れ」から表示される。この駅より西の駅で同様の対応をしているのは垂水駅のみである)。第4回近畿の駅百選選定駅。「火垂るの墓」で主人公が亡くなった駅である。「布引町」は旧葺合区(1980年に旧生田区と統合して中央区となる)の地名であり、当駅は葺合区に所在していたが、ホームの神戸・姫路方がフラワーロードの上にあり、さらに現在の西口は生田区にあった。すなわち、当駅は葺合区と生田区にまたがっていた。なお、阪急三宮駅は生田区内に、阪神三宮駅は葺合区内にそれぞれ収まっていた。ベルリンのZoo.動物園駅Bahnhof Berlin Zoologischer Gartenをモデルにしている


1874年(明治7年)5月11日 - 官設鉄道大阪駅 - 神戸駅間開通と同時に開業する。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称が制定され、東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
1918年(大正7年)5月1日 - 神戸港駅に貨物取扱業務を移管し、当駅での貨物取扱が廃止される。
1931年(昭和6年)10月10日 - 高架駅化により現在の元町駅の位置から現在地に移転する。
三宮神社に近い旧駅舎からわざわざ現在地へ移転したのは、そごうが現在地へと移転するなど、三宮の地域を中心地として整備する計画があったためである。駅移転後の1934年に、旧駅舎に近い場所に元町駅が設置された。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1995年(平成7年)
1月17日 - 阪神・淡路大震災発生に伴い東海道本線が不通となったため、当駅も営業を休止する。
2月20日 - 神戸駅から灘駅までの運転再開にあわせて営業を再開する。この時点では、フラワーロードの真上部分のホームは撤去されたままであったため、中央口と東口のみで客扱いを行った。西口が再開したのは同年6月末で、この再開にあわせて旧神戸新聞会館から伸びていた新聞運搬用地下専用通路へのエレベーターが撤去された。
2003年(平成15年)
中央口上階をリニューアルした、レストラン街「ダイニングロード」が開業する。
11月1日 - IC乗車カード「ICOCA」の供用を開始する。

電報略号 サン
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 117,800人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1874年(明治7年)5月11日
乗換 三宮駅(接続路線はリンク先参照)
神戸三宮駅(阪急電鉄)
三宮・花時計前駅(地下鉄海岸線)
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
神 神戸市内駅

 

 

 


軍艦防波堤

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軍艦防波堤は北九州市若松区響町の北九州港にある防波堤の通称。正式名称は響灘沈艦護岸。

太平洋戦争終結後、旧日本海軍艦艇の多くは戦時賠償として連合国に引き渡されるか解体されるかしたが、何隻かの艦艇は解体された船体が防波堤として利用された。 北九州市にある若松港(現在の北九州港)の場合、運輸省第4港湾局により構築された長さ770mの防波堤のうち約400mを、駆逐艦「涼月」「冬月」「柳(初代)」の3隻の船体を沈設して作られた。

設置当初は船体そのものが防波堤の役割を果たしていたが、のちに埋設または周囲をコンクリートで覆われた。近年、文化財としての価値が見いだされ、港湾管理者である北九州市港湾局(現・港湾空港局)による修復および由来を解説した看板が設置されたほか、土木学会による「近代土木遺産2800選」に選出されている。


沈設は1948年(昭和23年)6月から7月にかけて行われ、船体内部には岩石や土砂が詰め込まれてコンクリートで固定された。沈設当初は船で渡る必要があったが観光名所となり、船首楼の内部に入れたほか、各室入口のネームプレートも残されている状態だった。1950年(昭和25年)頃には歩いて行けるようになり良い釣り場となったが、このころから金属泥棒が目立ちはじめたため防波堤の役目を果たさなくなる虞があることから立入禁止となった。


その後は船体の崩壊が急速に進んだ。また、1961年(昭和36年)9月の台風によって内部の土砂が大きく流失したため、翌年の復旧工事のさい「涼月」「冬月」はコンクリートで完全に埋設されたが、「柳」は船体上部の原形を約80mにわたり留めた。しかし、「柳」の船体は更に劣化が進み1999年(平成11年)に艦首部分が崩壊したため翌年、船体の周囲をコンクリートで補強する修復が行われた。「柳」の船首楼は既に無くなっていたが、修復によって船体は現在もその形状を留めている。

この防波堤に使われた船体は初代「柳」(桃型駆逐艦、1917年竣工)であるが、多くの文献で間違って2代目「柳」(松型駆逐艦、1945年竣工)の紹介がされているという。

1976年(昭和51年)4月7日、遺族会や有志の協賛により、3艦艇の戦没者慰霊碑が北九州市若松区修多羅(すたら)の高塔山に建立された。登山道から少しだけ外れた場所です。

澤章 「軍艦防波堤へ―駆逐艦凉月と僕の昭和二〇年四月」 作者は「凉月」の最後の艦長である平山敏夫中佐の孫である。

 

 

 

灘駅 JR西日本)東海道本線

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灘駅(なだえき)は、兵庫県神戸市灘区岩屋北町七丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅である。「JR神戸線」の愛称区間に含まれている。

島式ホーム2面4線を持つ地上駅である。かつて地上駅舎であったが、2009年に橋上駅舎化された。改札は1か所となっている。南側の阪神本線岩屋駅からは直線距離で約200m、北側の阪急神戸線王子公園駅からは約600mある。南口と阪神岩屋駅との間に旧JR貨物支線(神戸臨港線)の跡がある。一部はそのまま遊歩道として整備されている。


アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCA及び提携ICカードが利用可能な駅である。直営駅(三ノ宮駅の被管理駅)。みどりの窓口があり切符売場には券売機は4台と指定席券売機1台が設置。


列車の運行障害時に折り返し運転が行えるように、駅構内に列車折り返し設備が新設されることが発表され、当駅三ノ宮方に内側上り線から下り線、下り線から上り線への渡り線2本が新設され、2012年3月19日より運用が開始された。

定期運用は毎日早朝の西明石駅→当駅(折り返し)→神戸駅間の回送列車1本のみである。それまでは分岐器や絶対信号機を持たない停留所であったが、下り2~4番線は出発信号機に、また上り当駅手前は場内信号機に置き換えられ連動駅となった。上り1・2番線は従来通り出発信号機ではなく東灘信号場の場内信号機である。


灘駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先
1 □JR神戸線 上り(外側線) (通過列車のみのため閉鎖)
2 ■JR神戸線 上り(内側線) 尼崎・大阪・北新地方面


3 ■JR神戸線 下り(内側線) 三ノ宮・姫路方面
4 □JR神戸線 下り(外側線) (通過列車のみのため閉鎖)
日中時間帯は1時間あたり8本が停車する。朝ラッシュ時の大阪方面は4分間隔で発車する。


1917年(大正6年)12月1日 - 国有鉄道東海道本線の灘駅(初代) - 三ノ宮駅間に新設開業(旅客営業のみ)。同時にその初代「灘駅」は東灘駅に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。


2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
2006年(平成18年)11月 - 駅舎建て替え工事着工。
2009年(平成21年)9月23日 - 始発より橋上駅舎営業開始。

電報略号 ナタ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線(乗降は2面2線のみ)
乗車人員
-統計年度- 22,619人/日(降車客含まず)
-2012年-


開業年月日 1917年(大正6年)12月1日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
神 神戸市内駅
* この間に東灘信号場有り(当駅から0.9km先)。

PL71いわみ いわみ型巡視船 海上保安庁

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PL71「いわみ」は海上保安庁のいわみ型巡視船です。

いわみ型巡視船は、海上保安庁の巡視船の船級。分類上はPL(Patrol vessel Large)型、公称船型は1,000トン型。建造費用は56億円。

1970年代の海上保安庁は、昭和52年度補正計画から昭和55年度計画にかけて1,000トン型PL(しれとこ型)28隻を建造し、排他的経済水域の制定に伴う新海洋秩序時代の到来に対応できる勢力を確立した。これは大型巡視船としては異例の大規模整備であったが[7]、2000年代から2010年代にかけて相次いで耐用年数を迎えることから、更新が必要とされていた。
2000年代、1,000トン型PLとしては、平成14・15年度では高速高機能大型巡視船(あそ型)、平成17年度以降は拠点機能強化型巡視船(はてるま型)と、いずれも従来の系譜とは異なり、警備能力を重視した滑走船型の高速船が建造されており、特にはてるま型は、しれとこ型の代船としての量産も期待された。しかしこれらの高速巡視船は、高速航行時の運動性は優れていたものの、特にフィンスタビライザーの効果が落ちる低速・停船時の動揺が大きく、また船殻軽量化のため船型を切り詰めたために、船内容積や航続力の面で妥協した部分も多かった。一方のしれとこ型は汎用型として、警備・救難のいずれにも用いられていたことから、これらの警備型巡視船では代船として不安が残った。
このことから、平成21年度補正計画では、速力の要求を緩和した汎用型としてくにがみ型が建造された。しかし汎用性を求めた結果として、建造費が74億円(はてるま型の5割増)と高騰したことから、しれとこ型の代船としての量産は困難と考えられた。このことから、多少のスペックダウンとトレードオフで建造費低減を図ったのが本型である。

水線下形状は排水量型、船質は鋼と、いずれもくにがみ型と同様、従来の方式に回帰している。また船首にはバルバス・バウが付された。船型は全通船楼型(遮波甲板型)である。コスト低減のため航空運用能力が省かれているが、要救助者の移送や遭難船の曳航などの作業に備えて、船尾甲板は極力クリアにデザインされた。また航空運用能力の廃止に伴い、フィンスタビライザーも省かれたが、船橋構造物直後から煙突直後にかけてビルジキールが設置され、また在来船よりも幅広とされた[6]。
船橋の配置はくにがみ型と同様で、指揮機能の集約を図っており、船橋に機関管制盤2基を配置したほか、操舵室の後方にはOIC(Operation Information Center)室が配置され、通信区画や武器管制区画が設けられている。
コスト低減のため、くにがみ型よりも更に速力の要求が緩和されており、主機関の出力も抑えられている。推進器はスクリュープロペラである。出入港などに備えてバウスラスターを2基備えた。なお舷側排気ではなく煙突を備えているのはくにがみ型と同様だが、曳航時の後方視界確保のため、おじか型と同様に左右2本に分離する方式に改められた。なお本型では、行動不能に陥った大型タンカーなどの曳航を想定し、陸岸曳引力45トンという、極めて強力な曳航能力を備えている。

主兵装は、はてるま型と同様、赤外線捜索監視装置との連接によって射撃管制機能(FCS)を備えたブッシュマスターII 30mm機銃とされた。また操舵室上には、射撃指揮に用いられる赤外線捜索監視装置とともに、遠隔監視採証装置も設置されている。
なお、機銃の前方に高圧放水銃を備えるのは、はてるま型・くにがみ型と同様である。これは消防船「ひりゆう」が船橋上に装備しているものをもとに多少圧力を高めて使用しており、放水能力は毎分2万リットルに達する。消火用とともに非致死性兵器としての性格もある。
搭載艇としては、煙突の左舷側には高速警備救難艇を、右舷側と後方には複合艇を、それぞれ1隻ずつ搭載した。
また、平成23年度第3次補正計画分2隻(5・6番船)は災害対応能力強化型とされ、後に第1次補正計画分2隻(3・4番船)も同規格に設計変更された。これは東日本大震災に対する支援活動の教訓を踏まえたもので、造水装置の能力を強化するとともに、給水装置と給油装置、更に荷役用として大型の多目的クレーンを追加した。


PL-71
計画年度  平成22年度
船名   いわみ
建造   三菱重工業 下関造船所
竣工・転属 2013年(平成25年)9月27日
所属    浜田(第8管区)
種別 1,000トン型PL
運用者 海上保安庁
就役期間 2013年 -
前級 くにがみ型


要目
総トン数 約1,250トン
全長 92.0メートル (301.8 ft)
全幅 11.0メートル (36.1 ft)
深さ 5.0メートル (16.4 ft)
主機関 ディーゼルエンジン×2基
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 8,000馬力
速力 21ノット以上
乗員 定員 42名、若しくは40名
実乗員 約30名


兵装 30mm単装機銃×1基
搭載艇 高速警備救難艇×1隻
高速複合警備艇×2隻
FCS FCS射撃指揮装置 (30mm機銃用)
レーダー 対水上捜索用、航海用
光学機器 遠隔監視採証装置
赤外線捜索監視装置 (FCS兼用)
その他 遠隔放水銃×1門
停船命令表示装置

 

 

六甲道駅 JR西日本)東海道本線

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六甲道駅(ろっこうみちえき)は、兵庫県神戸市灘区永手町四丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅である。「JR神戸線」の愛称区間に含まれている。神戸市灘区の中心市街地で、灘区総合庁舎や大規模商業施設、超高層マンションなどが集積している。区役所が移転してからは名実共に区の中心市街地機能を有している。当駅の南約600mには阪神電車本線の新在家駅、北約700mに阪急電鉄神戸線の六甲駅がある。

吹田駅 - 須磨駅間で省線電車の運転が開始された時に塚本駅・立花駅・甲子園口駅・元町駅とともに新設された。名前の通り六甲山への登山道が通じていた所であったが、沿線の宅地化が進んでいたことも開設の背景にあった。


阪神・淡路大震災によって当駅付近は、高架線もろとも駅舎が倒壊するという甚大な被害を受けた。当初、復旧には瓦礫の撤去を行った後、高架線を新造するため2年はかかると言われていたが、診断の結果、レールを敷く部分の梁や床は崩れていなかったため、これらの路盤をジャッキで元の10メートルの高さまで持ち上げて水平に戻し、崩壊した橋脚のみ復旧する、という前代未聞の工事が奥村組により行われ、震災発生の約3ヶ月後の4月1日に営業を再開した。この時の復旧作業についてはNHK総合テレビ「プロジェクトX~挑戦者たち~」(2005年(平成17年)1月11日放映「鉄道分断 突貫作戦 奇跡の74日間」~阪神・淡路大震災~)で取り上げられた。
その後、神戸市の震災復興事業により、駅周辺は神戸東部副都心として再起を遂げている。


島式2面4線(12両編成対応)のホームを持つ高架駅でペデストリアンデッキを備えています。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。駅舎内にジェイアール西日本交通サービスが運営する駅ナカ託児所「JR六甲道キッズルーム」がある。当駅の神戸方から住吉駅の手前までスラブ軌道となっている。改札口に改札機は7台、ICカード専用機も設置されています。


直営駅(三ノ宮駅の被管理駅)。アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCAと提携ICカードが使用可能である。オープンカウンター式のみどりの窓口があり切符売場には券売機は5台、指定席券売機も複数設置されています。駅弁も販売されている。

のりば
六甲道駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先 備考
1 ■JR神戸線 下り(外側線) 三ノ宮・姫路方面 平日朝夕の快速の一部
2 ■JR神戸線 下り(内側線) 三ノ宮・姫路方面
3 ■JR神戸線 上り(内側線) 尼崎・大阪・京都方面
4 ■JR神戸線 上り(外側線) 尼崎・大阪・京都方面 朝の快速の一部
日中時間帯は1時間あたり快速が4本、各駅停車が8本停車する。朝ラッシュ時の大阪方面は外側快速が8分間隔、各駅停車が4分間隔で発車する。

当駅に停車しない特急・新快速・貨物列車は、1・4番のりばを通過していく。停車列車は後述の列車を除き2・3番のりばに入るため、1・4番のりばは基本的にロープで封鎖されている。
1番のりばに停車する三ノ宮・姫路方面の列車は、平日の朝に運転される快速のみである。土曜・休日ダイヤで1番のりばに停車する列車はない。
4番のりばに停車する大阪方面の列車は、平日朝ラッシュ時のすべての快速と、土曜・休日ダイヤの朝の一部の快速のみである。

1934年(昭和9年)7月20日 - 国有鉄道東海道本線の吹田駅 - 須磨駅間の電気運転開始と同時に、住吉駅 - 東灘駅(貨物駅、現在は信号場)間に新設開業。旅客営業のみ。
1972年(昭和47年)4月20日 - 快速の停車駅となる(外側線の快速は通過)。
1976年(昭和51年)10月26日 - 住吉駅 - 東灘駅間高架化事業完成。
この高架化事業の一環で、1871年(明治4年)7月完成の旧・石屋川隧道(日本初の鉄道トンネル)は廃棄された。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。


1988年(昭和63年)3月13日 - 外側線の快速も停車するようになる(すべての快速が停車)。
1995年(平成7年)
1月17日 - 阪神・淡路大震災により駅舎が倒壊し不通となる。
4月1日 - 当駅を含む灘駅 - 住吉駅間が運転再開し、JR神戸線は全線で運転再開。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
2014年(平成26年) - 3番のりばで可動式ホーム柵を試験運用(予定)。

電報略号 ロコ
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 24,929人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1934年(昭和9年)7月20日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
神 神戸市内駅
* この間に東灘信号場有(1.4km先)

鉄道院ナデ6110型➡デハ6285型

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鉄道院ナデ6110型/デハ6285型

1913年(大正2年)と1914年(大正3年)に製造された木造電車です。それ以前の車輌と共に当初はナデ6110型となっていましたが、1914年の称号改訂でデハ6285型となっています。

デハ6285形は、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道院、鉄道省に在籍した直流用電車です。

デハ6285形は、デハ6280形の増備として製造された木製で両運転台式の制御電動車で、1913年(大正2年)から1914年(大正3年)に鉄道院新橋工場で12両が製造された。
本形式は製造時にはナデ6110形(6133 - 6144)と称した。1913年4月4月以降に落成したため、最初から記号は「ナデ」であった。1914年(大正3年)8月29日付けでデハ6285形(6285 - 6296)に改称されている。
車体は16m級の木製車体で、出入り台は両端部に設けられているが、幅が狭められ910mmとされ、従来のような折戸ではなく開き戸とされた。また、デハ6280形と同様、車体中央部にも引戸式の客用扉が設置され、客室と直結されていたが、中央扉に圧搾空気で自動的に上下する踏段(ステップ)が設けられている。
運転台と出入り台は本形式から一応仕切りが設けられ、前面は左右に軽い後退角がついた三面折妻となり、前面中央部に貫通扉が設けられている。側面窓は下降式の一段窓となっており、窓配置は1D222D222D1。屋根は、出入り大部分を含めてモニター屋根とされ、製造当初から水雷形通風器が片側4個設けられた。車体幅は、車両限界の小さい中央線でも共通に使用できるよう、2500mm幅[2]とされた。
台車は1913年度製の6両(6133 - 6138)は試験的に輸入した3種の台車(ブリル27GE-1、同27E、ボールドウィン84-35-A)が2両ずつ装備された。1914年製の6138 - 6144は釣合梁式の明治43年電車標準形であった。
制御装置は総括制御可能な間接式で、電動機は、6137, 6138はゼネラル・エレクトリック製のもの(70PS)、である。集電装置は、トロリーポールがモニター屋根の前後に2本ずつ装備されている。

1916年(大正5年)11月24日、新宿電車庫が火災により焼失し、同庫に配属されていた電車20両が焼失した。本形式では、4両(6286, 6287, 6291, 6292)が被災し、同年11月23日付けで廃車されている。当時、電装品は輸入に頼らざるを得ず、貴重品であったことから、焼け残った電装品はデハ6380形新製の際に再用されている。

標準化改造については、1920年(大正9年)8月から翌年3月にかけて、火災で廃車となった4両を除く8両に対して実施された。この際、前後の客用扉(開き戸)が引戸に改められ、中央扉の自動踏み段も撤去された。妻の三面折妻形状については、後退角がごくわずかであることもあって、折妻のまま存置された。

1972年(昭和47年)3月、日立電鉄で廃車となったデワ101は、日本国有鉄道に引き取られ、日本の鉄道100年の記念事業として大井工場においてナデ6141に復元された。同車は、同年10月14日、鉄道記念物に指定されている。1987年(昭和62年)には東日本旅客鉄道に引き継がれ、同年8月には動態復元され、引き続き大井工場(東京総合車両センター)に保管されていたが、2007年(平成19年)10月、さいたま市大宮区に開館した鉄道博物館に移され、保存展示されている。

 

 

 

国鉄キハ04形気動車

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国鉄キハ04形気動車は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した、一般形機械式ディーゼル動車である。

本形式は1932年(昭和7年)に鉄道省が設計し、1933年(昭和8年)に竣工したキハ36900形(キハ36900 - 36935)を第一陣とする一連の16 m級機械式気動車シリーズを、太平洋戦争後の機関換装によりディーゼル動車化し、形式称号を変更したものである。


設計全般は鉄道省によるものだが、その構造・機構面での基本となったのは、これに先立って日本車輌製造(日車)本店が開発した、日本初の18 m級ガソリンカーである江若鉄道C4形(1931年製造)などの私鉄向け大型気動車であり、その影響は、4枚窓構成の前面窓、型鋼と薄板を多用して軽量化された車体、菱枠構造の軸バネ式台車、それに駆動メカニズムなどに、顕著に現れている。これらは日本車輌製造が1920年代末期から試行錯誤を繰り返した末に実用領域に到達したものであった。


しかし、鉄道省36900形には日本車輌式のシステムやノウハウ、あるいは設計がほとんどそのまま導入されているにも関わらず、鉄道省・国鉄側の設計担当者はこれについて一切言及していない。そればかりか、日本車輌製造が特許や実用新案を保有していた設計や機構について、鉄道省がその使用料を支払った形跡は発見されていない。
気動車の分野に限らず、鉄道省および後身の日本国有鉄道の技術陣には、日本国内での圧倒的な最大手ユーザーという強い立場もあって一種の官尊民卑意識が強く、民間メーカーの独自開発技術をそのまま導入した場合でさえ、そのことに言及しないか「共同開発」という表現で実態を曖昧にする事例が少なくなかった。当時の設計担当者・北畠顕正は、キハ36900形開発から60年余りを経た最晩年にインタビューを受けたが、日本車輌製造からの技術導入・援用についてはまったく言及せず、その全てを鉄道省で開発したかのように証言している。
1936年(昭和11年)までに138両が新造されたキハ41000形、および試作ディーゼル機関搭載車であるキハ41500形(初代)2両の計140両は、木炭ガス発生炉を搭載して代燃車として運行された一部を除き、戦時中の燃料統制で一時使用を停止されていたが、戦後になって一部が天然ガス動車化の上で復活した後、燃料事情の好転を受けて1950年(昭和25年)以降、機関を各種新型ディーゼルエンジンへ換装しディーゼル動車として再生された。
その結果これらは使用燃料や搭載機関の相違から、一旦キハ41200形・キハ41300形・キハ41400形・キハ41500形(2代目)の4形式に細分された。

キハ41000グループは、16m級の車体が地方私鉄には手頃な大きさだったことや、戦時中の休車が復活せずに廃車された際の譲渡例は多く、中には複数の鉄道会社を渡り歩いた車両もある。

住吉駅  JR西日本 東海道本線

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住吉駅は東灘区の中心、兵庫県神戸市東灘区住吉本町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・神戸新交通の駅である。駅周囲は商業施設が多く、六甲ライナーの乗り換え利用も多い。駅番号は神戸新交通はR01。

JR西日本の東海道本線と、神戸新交通の六甲アイランド線(愛称「六甲ライナー」)の2路線が乗り入れている。六甲アイランド線は当駅が始発駅である。


JR西日本の駅はアーバンネットワークエリア内であり、東海道本線は「JR神戸線」の路線愛称設定区間に含まれている。また特定都区市内制度における「神戸市内」エリアに属している。JR西日本の駅はICOCA、神戸新交通の駅はPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)および各種「スルッとKANSAI」対応カードの利用エリアに含まれている。

島式ホーム2面4線(12両編成対応)を持つ地上駅であり、駅ビルを併設した橋上駅舎です。北口駅前は狭い。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。
構内には自動体外式除細動器 (AED)が1台設置されている。駅スタンプは、改札外のオープンカウンター式のみどりの窓口に設置されている。切符売場、券売機は5台。
JRの乗車券・定期券などで、券面の駅名が「(東)住吉」と表記されることがあるが、これは熊本県にある住吉駅(三角線)との区別のためである。(東)は東海道本線の東を指す。直営駅で、三ノ宮駅の被管理駅である。改札口の改札機は8台。

JR住吉駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先 備考
1 ■JR神戸線 上り(外側線) 尼崎・大阪・京都方面 朝の快速の一部
2 ■JR神戸線 上り(内側線) 尼崎・大阪・京都方面
3 ■JR神戸線 下り(内側線) 三ノ宮・姫路方面
4 ■JR神戸線 下り(外側線) 三ノ宮・姫路方面 平日朝の快速の一部
日中時間帯は1時間あたり快速が4本、各駅停車が8本停車する。朝ラッシュ時の大阪方面は外側快速が8分間隔、各駅停車が4分間隔で発車する。

当駅に停車しない特急・新快速・貨物列車は、1・4番のりばを通過していく。停車列車は後述の列車を除き2・3番のりばに停車するため、1・4番のりばは基本的にロープをかけている。
1番のりばに停車する大阪方面の列車は、平日朝ラッシュ時のすべての快速と、土曜・休日ダイヤの朝の一部の快速のみである。
4番のりばに停車する三ノ宮・姫路方面の列車は、平日の朝の快速のみで、土曜・休日ダイヤで4番のりばに停車する列車はない。

1874年(明治7年)6月1日 - 官設鉄道の西ノ宮駅(現在の西宮駅) - 三ノ宮駅間に新設開業。客貨取扱を開始。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年より東海道本線)の所属となる。
1912年(大正元年)8月11日 - 南寄りに移転。
1923年(大正12年) - 構内拡張。
1926年(大正15年)11月 - 地下道完成。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物取扱が廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)4月14日 - 橋上駅舎化。
1989年(平成元年)3月3日 - ターミナルビル完成。
1990年(平成2年)3月10日 - 快速停車駅となる。
1995年(平成7年) - 震災に伴い、一時的に全列車終着駅になる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。


駅が設けられる頃、この辺りは酒造地帯であったことから「汽車の煙のすすで酒が腐る」といった一種の鉄道忌避運動があったと伝える。しかし、村長が村民に説得を行った結果、村の中に線路は通され、神戸駅 - 大阪駅間鉄道開業の20日後に駅は設けられた。開業当時の駅舎は、英国風の赤煉瓦を用いた駅舎であった。
駅開設当初は、駅南方には人家も多かったが北側には何もないという状況であった。しかし、駅の開設によって急速に発展し、高級住宅街も造成されるようになった。その後、1892年には駅設置に反対していた酒造家が、今度は貨物の積み下ろしに便利なよう南西側に移設して欲しいといった請願を行った。この結果、1912年に南よりの現在地に駅は移された。
1934年7月20日に吹田駅 - 須磨駅間で電気運転が開始されたが、当初は当駅に電車が停車せず、9月20日になってようやく電車の停車駅になった。

電報略号 スミ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 34,715人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1874年(明治7年)6月1日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
神 神戸市内駅

2002年7月2日午前10時45分頃、当該駅ホームにて、約100km/hで通過中の新快速電車から赤い服を着た若い男がホームに飛び降り、その勢いからホーム端の鉄製フェンスに激突するも、何事も無かったように歩いて立ち去るという、単なる危険行為以上の不可解な事件が発生した。
問題の男は車両間の連結面にしがみついていて、そこから飛び降りたとおぼしい。男が歩き去る姿は現場で複数の利用客が目撃しており、新快速電車の乗客にも連結面にしがみつく男の姿を車内から目撃した者があった。更に男の激突したフェンスは衝撃を受け損傷を被っていたことから、男が住吉駅で列車飛び降りの挙に出たことは事実と見られている。兵庫県警は鉄道営業法違反で、改札から駅外に去ったらしい男の行方を探したが、2011年時点に至るまで男の消息は不明である。
人間が100km/h走行する列車にしがみついていて飛び降りた場合、その瞬間には列車の速度に近い慣性が身体に働いており、フェンスへの激突は通常であれば瞬間的な減速を伴って、飛び降りた者の身体に著しいダメージを与えることになる。そのような衝撃を受けた男が、即座に立ち上がって無事に歩き去ったという目撃情報は、通常ならあり得ないような事態であり、男の消息不明も伴って、奇怪な未解決事件となっている。


摂津本山駅 JR西日本)東海道本線

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摂津本山駅は、兵庫県神戸市東灘区岡本一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅です。「JR神戸線」の愛称区間に含まれている。駅名は旧摂津国と武庫郡本山村にちなむ。本山駅が既に香川県に存在したため、令制国名の「摂津」をつけて区別したものである。当駅開業から約1年後の1937年1月1日に、宇部電気鉄道(現小野田線)の本山駅(後に長門本山駅に改称)が開業している。なお、旧国名としての「摂津」を冠した駅は、摂津富田駅(JR京都線)と当駅のみである。甲南大学を初めとして、付近は大学の多く、学生の利用も多い。

島式ホーム2面4線を持つ地上駅で橋上駅舎を有する。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。
地上駅舎時代はエレベーター・エスカレータが設置されておらず、周辺住民からはバリアフリー化を求める声が挙がり、2008年9月には地元自治会・婦人会により約2万3千人分の署名が集められ、JR西日本と神戸市にバリアフリー化を要請した。これを受けて、JR西日本と神戸市は旧駅舎を解体し、橋上化した新駅舎を設置することを決定した。橋上化に併せて、改札内とホームを結ぶエレベーターとエスカレータ、および線路を跨いで往来できる南北自由通路も整備された。工事は2011年秋に始まり、2013年11月24日より供用開始となった。


JRの特定都区市内制度における「神戸市内」の駅である。アーバンネットワークエリアに属しておりICOCA及び提携ICカード利用可能駅である。直営駅(三ノ宮駅の被管理駅)。みどりの窓口があり指定席券売機もあります。切符売場にはタッチパネル式券売機が3台設置されています。改札口の改札機は5台。タクシー乗り場(南口のみが正式な乗り場で、北口の北側の山手幹線上は正式な乗り場ではない)岡本駅(阪急神戸線) へ徒歩6分。公式な乗換駅とはなっていないが距離は近く、乗換検索ソフトには両駅間を徒歩で乗り換えるよう案内するものもある。

摂津本山駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先
1 □JR神戸線 上り(外側線) (通過列車のみのため閉鎖)
2 ■JR神戸線 上り(内側線) 尼崎・大阪・北新地方面
3 ■JR神戸線 下り(内側線) 三ノ宮・姫路方面
4 □JR神戸線 下り(外側線) (通過列車のみのため閉鎖)
日中時間帯は1時間あたり8本が停車する。朝ラッシュ時の大阪方面は4分間隔で発車する。ホームには支柱に古レールを使用した上屋が残っています。

1番線と4番線のホームは、かつては鉄柵と鎖で封鎖されていたが、人身事故防止のため2003年ごろから列車線の非常停車時に対応できる可動柵に強化された。

吹田駅 - 須磨駅間で省線電車の運転が開始された1934年(昭和9年)7月20日に、塚本駅・立花駅・甲子園口駅・六甲道駅・元町駅の各駅が開設されたが、この摂津本山駅はそれに一足遅れる形で開設されたものである。なお、当駅設置前の1920年(大正9年)7月16日には既に、阪神急行電鉄(のちの阪急電鉄)岡本駅がすぐ北側に開設されていた。
当時この地域は、まだ神戸市に編入されず本山村となっていたが、電気運転計画の発表に伴い駅設置の請願を行ったものの、外されてしまった。そのため村では協議会を開いて1934年(昭和9年)3月15日に大阪鉄道局へ請願を実施、5月5日に用地買収に伴う補償を村が行うこと、4000坪の土地を提供することにより、開設が認められた。
阪神・淡路大震災後には、阪急電鉄側が摂津本山駅から新快速停車駅の芦屋駅を経由して大阪方面へ向かう乗客の流れを阻止すべく、岡本駅に特急の停車を行うなどして対抗している。


1935年(昭和10年)12月25日 - 国有鉄道東海道本線の芦屋駅 - 住吉駅間に新設開業。旅客取扱のみ。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
2007年(平成19年)
3月 - 北口及び南口の改札内にプラズマの案内板が設置される。
8月 - 北口及び南口の改札外にAEDが設置される。
2011年(平成23年)12月18日 - 南口駅舎が仮設に切り替えられる。
2012年(平成24年)
1月10日 - 橋上駅舎化工事の進捗により駅脇に設置された南北を結ぶ歩道橋が使用停止になったのに伴い、券売機で発行する無料の「南北通行証」で構内地下通路を通行可能とした。
6月10日 - 北口駅舎が仮設に切り替えられる。
2013年(平成25年)11月24日 - 自由通路及び橋上駅舎の供用開始。

電報略号 モヤ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線(乗降は2面2線のみ)
乗車人員
-統計年度- 23,041人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1935年(昭和10年)12月25日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
神 神戸市内駅

はやぶさ型ミサイル艇 PG-828うみたかPG-824はやぶさ

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はやぶさ型ミサイル艇(JMSDF PG HAYABUSA class)は日本の海上自衛隊が保有するミサイル艇。2002年から2004年に6隻が竣工した。

海上自衛隊は1993年と1995年に全没型水中翼艇の1号型ミサイル艇3隻を就役させたが、就役後波浪時の船体強度や耐航性、中速域での運用が不能などの問題が明らかとなった。そのため1号型ミサイル艇の建造は3隻で打ち切られた。


そして問題点を改良して新たに建造が計画されたのが「はやぶさ型」である。平成11年度計画で2隻が予算化されたが、能登半島沖不審船事件を受けて、本格的な侵略事態における対艦ミサイルと主砲を活用した対水上戦闘はもちろんのこと、不審船対処も考慮に入れた性能向上のための改良で予算が追加された。

耐航性向上のため基準排水量はミサイル艇1号型の4倍の200トンになっている。船型は予算概算要求の段階では双胴型として検討されていたが、不審船事件後、同事件を教訓に要求速力が40ノットから44ノットに高められ、双胴型では要求達成が困難なため単胴型となった。

また、船体強度や耐航性確保、高速時における安定した航行のため、船底はV字型とし、船体の長さに対し幅が狭くなっている。

船殻にはアルミニウム合金が多用されている。


船体は、同様の理由により、ほぼ同時期に建造に着手された海上保安庁のつるぎ型巡視船とほぼ同サイズで、3基のウォータージェット推進により推進する点も(主機がガスタービンとディーゼルの違いはあるが)共通である。

海上自衛隊の艦船では、ウォータージェット推進は、本型が初となる。
他の特長にはステルス性が重視された設計になっている点があげられる。

これはレーダー反射断面積(RCS) のシミュレーション計算をもとに行われており、船体の各部にはレーダー波を直接反射しないようにするため傾斜がつけられている。

また、マストも三脚構造のステルス性が重視された形状になっており、前甲板のオート・メラーラ(62口径)76ミリ単装砲もステルスシールドが採用されている。

舷側手すりやウォータージェットノズルの防護材も、通常の円筒状材ではなく、断面が菱形になるようにするなど、徹底している。

主機はアメリカのゼネラル・エレクトリック社が開発し、石川島播磨重工がライセンス生産しているLM500-G07ガスタービンエンジン(出力5,400馬力)を3基搭載している。主機についても当初の予算概算要求段階では、ガスタービンは2基として検討されていたが、不審船事件後の要求速力増加に対応し変更された。

各エンジンは船体に並列に並べられ、それぞれ一基のウォータージェット推進のノズルに接続されている。LM500-G07エンジンはミサイル艇1号型に搭載されているものと同型であるが出力が400馬力向上している。最大速力は44ノットに達する。


また、始動速度が他の護衛艦の主機よりも速く、有事に即時対応することが可能である。

日本テレビの報道番組「きょうの出来事」では、「蒸気タービンを採用している艦艇では、主機を出撃可能な状態にするのに2時間を要するところだが、はやぶさ型ミサイル艇はガスタービンを採用しているため諸作業があっても主機を30分以内に出撃可能な状態にできる。」というミサイル艇「わかたか」乗員のコメントが紹介されていた。

主兵装は前甲板の62口径76ミリ単装砲と、後部に搭載している90式艦対艦誘導弾連装発射筒2基である。

加えて、海上自衛隊では武装ではなく、搭載品としての扱いになるが、12.7mm重機関銃M2用の銃架が艦橋後部に両舷各1基ずつ搭載されている。


76ミリ単装砲は日本製鋼所がライセンス生産したもので、海上自衛隊で初のステルス型シールドを備え、毎分約100発の発射速度を有する。射撃指揮装置2型31Cによって管制される。

射撃指揮装置のレーダーは、ステルス性に配慮してやや仰角をかけた状態を係止位置としている。シールドの形状変更は製造ライセンスの関係上、開発元のオート・メラーラ社からの承認に時間を要したという。

目立たないが、砲基部の甲板とのリブにもステルス対策が施されている。

他には対不審船用に赤外線暗視装置OAX-2や臨検用の複合型作業艇なども搭載されている。


はやぶさ型のウエポン・システムは、OYQ-8B戦術情報処理装置を中心に構成されている。

これは、小型のAN/UYK-44コンピュータを使用しているが、一世代前の小型コンピュータであるUYK-20よりも性能は飛躍的に向上しており、UYK-20を使用していたOYQ-5では果たせなかったリンク 11の対応を果たしている。

これにより、他の洋上部隊や航空部隊との攻撃の調整が可能となっている。

データリンクは、水平線の向こう側にいてレーダーに捕捉できない敵艦に対して射撃するためには必須の機材である。

また、海上自衛隊の基幹指揮システムである海上作戦部隊指揮管制支援システム(MOFシステム)を搭載しており、衛星通信を介して、地方総監部などから攻撃命令や攻撃に関する情報資料を受け取ることができる。


科員のベッドは3段ベッドである。
小型のため艦内に厨房を設置できず、食事は航空機用の加温ボックスや電気ポットで暖めたレトルト食品やレーション、あるいは電子レンジ調理の食材や弁当を食することとなる。


高速航行中は、乗組員全員が座席に着席し、両肩と腰にシートベルトを装着する。

平成33年度末から順次退役し、代替として防衛省技術研究本部が開発中の「コンパクト護衛艦(通称名)」が複数、就役する予定である。

現在、はやぶさ型を代替するミサイル艇を開発する計画は存在しない。

「しらたか」の進水命名式は、上記のとおり2003年8月8日に行われたが、おりから接近した平成15年台風第10号の強風の為、実際の進水(このクラスは全艇、クレーン船による釣り上げ進水である)作業は翌9日に実施された。

造船所職員以外では、フリーカメラマン1名のみの立ち会いであり、このカメラマンは全艇の進水に立会っていることが「世界の艦船」誌から特定される。


「くまたか」のニックネームは、部隊帽に書かれるなど「Turbulence Hawk」であるが、意図した「猛烈な鷹」より、一般的に「騒々しい鷹」「(乱流に)翻弄される鷹」と翻訳されてしまう。(出典:佐世保時代の乗組員から。同隊員は佐世保誘導弾整備所勤務経験を持つ)。


「はやぶさ」以外は「たか」で統一された命名となったが、当時の命名起案者は東北出身で、JR東日本の東北新幹線八戸開業で失われる特急の「ゆうづる」「はくつる」「はつかり」などを命名する誘惑にかられたという話が残っている(当時の海幕総務課課員による)。(出典:起案文書作成者(第40期一般幹部候補生出身)。出身は盛岡である。)
海上保安庁に同名の航空機がある(「しらたか」除く)


このクラスには、隊司令室が無い為、「司令乗艇時は、艇長は艇長室を司令に譲り士官室で仮眠する」と「はやぶさ」艇長小出渚3等海佐(当時)は語っている。


振動が激しいため、ブリッジなどのシートは、スポーツカーや航空機で実績が高いレカロ社製である。


排水量 基準:200トン
満載:240トン
全長 50.1m
全幅 8.4m
深さ 4.2m
吃水 1.7m


機関 LM500-G07ガスタービンエンジン(5,400PS) 3基
ウォータージェットポンプ 3基
速力 最大44ノット
定員 21名


武装 90式 SSM連装発射筒 2基
62口径76ミリ単装速射砲 1基


12.7mm単装機銃M2 2基
C4I MOFシステム
海軍戦術情報システム
(OYQ-8B + リンク 11)
FCS-2-31C 砲FCS
レーダー OPS-18-3対水上レーダー 1基
OPS-20航海レーダー 1基
電子戦 NOLR-9 ESM
暗視装置 OAX-2 赤外線暗視装置

芦屋駅 JR西日本)東海道本線

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芦屋駅(あしやえき)は、兵庫県芦屋市船戸町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅です。「JR神戸線」の愛称区間に含まれている。新快速の停車駅です。

高級住宅地として名高い芦屋市の中心で、駅ビルには大丸芦屋店がある。芦屋市の代表駅ですが、市役所は阪神電鉄の芦屋駅が最寄です。阪神間の都市の多くと同じく、他社の同名の駅とは離れている。西宮市・尼崎市・伊丹市などでは他社の駅の方が市の中心市街地を形成するが、芦屋市においては当JR駅が市の中心部に当たる。しかし、駅前から一歩奥に入ればすぐに震災後少なくなったとはいえ豪壮な邸宅、ステンドグラス窓の洋館など、谷崎潤一郎の作品「細雪」の世界さながらのお屋敷街が存在する。
芦屋・西宮の高級住宅地からは一見、山手側を走行する阪急神戸線の方が便利なように見えるが、芦屋川駅や夙川駅の駅前が未整備なのに対して、当駅周辺は整備されており自家用車でのアクセスが容易なため、芦屋市内のみならず西宮市西部の高級住宅地の住民も当駅を利用する傾向にある。近年の新快速停車でさらに拍車がかかった。

日中時間帯は1時間あたり新快速・快速がそれぞれ4本、各駅停車が8本停車する。朝ラッシュ時の大阪方面は新快速・外側快速がそれぞれ8分間隔、各駅停車が4分間隔で発車し、外側線の列車は4分間隔になる。夕方の姫路方面は新快速が7分半間隔で停車する。

島式2面4線のホーム(12両編成対応)の両側に、通過線が1本ずつ設けられた2面6線の地上駅で、駅舎は橋上化されています。併設した駅ビルと駅前のビル群とはペデストリアンデッキで連絡します。外側線の本線は特急や貨物列車などの通過線で、ホームがない。そのため、新快速は当駅構内のみ内側線の待避線(1・4番のりば)に移る。内側線の本線は2・3番のりばである。


各駅停車と新快速・快速との接続駅であるが、接続列車によって各駅停車の到着ホームが変わる。大阪駅基準で夜22時(土・休日ダイヤでは21時)以降はJR神戸線が20分サイクル運転になるが、当駅での緩急接続は行われる。当駅には折り返し設備もあり、現在は使用されていないが実際に阪神・淡路大震災のとき使われたことがある。2007年度後半、朝ラッシュ時に当駅始発の普通列車(西明石駅から回送)が設定されていた。なお、阪神・淡路大震災でホームが壊れたため、大阪方面のホームは東側にずれている。


当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として立花駅・甲子園口駅・西宮駅・さくら夙川駅の4駅を管轄している。アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCA及び提携ICカード利用可能駅です。オープンカウンター式のみどりの窓口には指定席券売機も設置。切符売場の。券売機は5台です。改札口にはICカード専用機もあり改札機は6台になっております。

のりば
芦屋駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1・2 ■JR神戸線 上り 尼崎・大阪・京都方面
3・4 ■JR神戸線 下り 三ノ宮・姫路方面


構内には6線あり、ポイントが複雑であることから、列車が構内に入線する時は下記の通りに速度規制がかかる。下り線大阪側のポイントの改良工事が行われ、大阪方面外側線から1番のりばに入線する際は45キロ制限から60キロ制限に緩和された。

新快速及び外側線経由の快速は1番・4番のりばにのみ停車できる。
内側線経由の快速は原則として2番・3番のりばを使用する。夕方のラッシュ時は東西線からの各駅停車が新快速と快速を連続して待避する関係で、快速も新快速に合わせる形で4番のりばを使用する。
各駅停車は快速とのみ相互接続する場合1番・4番のりばを使用する(主に東西線方面の列車)。新快速と相互接続する場合及び緩急接続が行われない場合は2番・3番のりばに停車する(主に大阪方面発着の列車)。

1913年(大正2年)8月1日 - 国有鉄道東海道本線の西ノ宮駅(現在の西宮駅) - 住吉駅間に新設開業。旅客・貨物取扱を開始。当時の精道村の請願、工事費1万円の寄付により建設。当時の1日の乗降客数は80人。
なお駅の設けられた時の村名は「精道」であったが、国鉄では知名度を理由に1889年(明治22年)まで存在した村名で、当時字名として残っていた「芦屋」をつけた。後の1940年(昭和15年)に市制が施行されたときに、「芦屋」の名は新しい市名として復活している。


1960年(昭和35年)10月1日 - 貨物取扱が廃止。
1980年(昭和55年)10月 - 駅ビルとしてモンテメール開業(主要テナントは大丸と三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行))
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1990年(平成2年)3月10日 - 日中時間帯に新快速が停車するようになる(同時に高槻駅にも停車)。


1993年(平成5年) - 休日の新快速が朝にも停車するようになる(夕方以降は通過のまま)。
1995年(平成7年)
1月17日 - 阪神・淡路大震災により一時営業休止。
9月1日 - 土曜・休日の新快速が全列車停車。
2003年(平成15年)


11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
12月1日 - 新快速が全日・全列車停車するようになる。
1957年(昭和32年)に東海道本線の快速停車駅を増やすことが検討された際、当時は隣接駅であった西ノ宮駅と当駅で争奪戦が繰り広げられた。結局、複々線の内側(電車線)を走る快速列車は当駅、外側線(列車線)を走る快速列車は西ノ宮駅に停車させることで決着をみている。
普通列車の待避駅が西宮駅でなく当駅である理由は、待避駅のバランスがよいからである。当駅と西宮駅は昔から停車列車などで争ってきたが、阪急・阪神中心の西宮に比べて芦屋市の中心部にある当駅のほうが利用者は多く、優先されている。

電報略号 アシ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 28,669人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1913年(大正2年)8月1日
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有

近江鉄道821 近江鉄道800系電車

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近江鉄道821
近江鉄道800系電車(は、近江鉄道の通勤型電車である。
本系列は西武401系を1990年(平成2年)から1997年(平成9年)にかけて譲り受け、自社彦根工場にて改造の上で登場したもので、近江八幡・貴生川寄りからモハ800形(820形)-モハ1800形(1820形)の順に編成されている。・ワンマン運転対応工事施工(車外バックミラー・料金表・運賃箱設置等)・空気制動の電気指令ブレーキ化・連結面寄り裾角の切り欠き・電気連結器の撤去・モハ800形の連結面寄りのパンタグラフ撤去
主要機器に関しては上述制動装置の改造以外はほぼ西武在籍当時のまま使用されている。車体塗装は西武時代と変わらず黄色一色とされており、本系列全編成の標準塗装となっている。また現在、従来ステンレス地むき出しで無塗装とされていた客用扉の黄色塗装化およびシートモケットの更新、つり革の交換が順次施工されている。
15編成計30両を数えた元401系譲受車のうち大半が本系列に改造され、2011年(平成23年)1月現在13編成26両が在籍している。


800系
本系列のうち11編成22両を占める基幹形式である。正面形状が220形類似の額縁タイプの三面折妻形態に、前照灯および標識灯が角型タイプの一体ケース収納型に改造されているが、本形式では非貫通構造とされた点が異なる。また、種車401系の形態上の相違点の存在や、改造が長期にわたっていることから、編成ごとに形態の差異が見られる。
以下、編成ごとに仕様の詳細を述べる。なお、竣工に際しては全編成とも近江鉄道従来車の改造扱いとされ、西武鉄道時代からの車籍は継承されていない。


820系
種車は同じく西武401系であり,基本仕様も800系806F以前の編成と同一であるが、コスト削減のため改造内容が簡易化されたため別形式に区分される。車体関連の改造は裾角の切り欠きと正面ステンレス飾り板の撤去程度に留まっており、800系と比較すると割合原形を保っている。2編成4両が在籍するが、本形式は改造時期がほぼ同時期であることに加え、種車が同一仕様であり、形態的な差異はない。なお、両編成とも800系と異なり近江鉄道従来車からの車籍継承は行われず、西武鉄道時代からの車籍がそのまま引き継がれている。竣工は822Fが1997年(平成9年)3月と早く、追って同年8月に821Fが竣工している。

車両定員 136 名(座席56名)
最大寸法
(長・幅・高) 20,000 × 2,937 × 4,150 mm
車両質量 37.8 t
軌間 1067 mm
電気方式 直流 1500 V
編成出力 960kW
主電動機 直巻電動機HS-836-Frb
主電動機出力 120 kW / 個
歯車比 15:84=1:5.60
駆動装置 中空軸平行カルダン
制御装置 抵抗制御MMC-HT-20A
制動方式 HRD電気指令ブレーキ
製造メーカー 西武所沢車両工場
備考 数値はモハ800形のもの。

さくら夙川駅 JR西日本)東海道本線

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さくら夙川駅(さくらしゅくがわえき)は、兵庫県西宮市神楽町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅です。2007年の開業駅で「JR神戸線」の愛称区間に含まれています。普通列車のみの停車駅。
駅名は、駅西方約200mの所を流れる夙川の河川敷にある夙川公園に桜が多く植えられ、ここでの花見が例年名物になっていることに由来している。駅の自動改札機が桜をイメージした意匠となっているほか、駅専用のロゴマークが制定されている。

当駅は、地元自治体などから働き掛けて設置となる請願駅ではなく、鉄道事業者であるJR西日本の主導により設置が決められており、また設置に至った経緯には特殊な事情がある。
当駅の真下を通る県道大沢西宮線では予てから片側1車線を2車線に拡幅する工事が行われており、駅新設工事は『県道拡幅工事の付帯事業』とみなされるため、国から補助金が出ることになっている。このため、地元自治体である西宮市にとっては多大な費用負担の必要がないことから、JR西日本が単独で新駅設置の方針を固めた後、地元自治体の西宮市側に新駅設置を働き掛け、設置が決まった。

駅名が「さくら夙川」に決まる前には、近隣にある大学の学識者からはえびす宮総本社の西宮神社も近くにある事から「戎前」という候補が挙げられた。実際に十日戎や初詣では多くの乗降客がある。駅前は道路に面していて狭い。

複々線の内側線(電車線)のみ島式ホーム1面2線(8両編成対応)が設置されている高架駅である。改札口は南側に1箇所設置されている。
分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。駅手前の内側線第0閉塞信号機及び外側線第4閉塞信号機手前には、運転士に停車を知らせる「夙川停車」の看板が掲示されている。
駅舎のデザインについては、「自然のうるおいを感じられる駅」を基本コンセプトとし、夙川の流れを波状の屋根で、夙川公園の桜を駅舎の壁のイメージカラーとする事で表現していると説明されている。


駅業務はジェイアール西日本交通サービスに委託されており、芦屋駅が当駅を管理している。駅員に女性のみを配置している数少ない駅の一つである。開業当初は駅員の制服は当駅オリジナルであったが、現在は他の同社による業務委託駅と同じものである。始発から6時までの間のみ無人となるため、この時間帯に自動券売機で発券される乗車券には委託・無人駅を示す「ム」マークが印字される。アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCAおよび提携ICカードが利用可能である。みどりの窓口があり切符売場には指定席券売機とタッチパネル式の券売機が3台設置されています。
開業当初から喫煙コーナーを設置しておらず、終日全面禁煙である。

さくら夙川駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■JR神戸線 下り 三ノ宮・姫路方面
2 ■JR神戸線 上り 尼崎・大阪・北新地方面
日中時間帯は1時間あたり8本が停車する。朝ラッシュ時の大阪方面は4分間隔で発車する。

開業時から約3年間、列車接近時のメロディとしてコブクロの『桜』のサビの部分をアレンジしたインストルメンタルが流されていたが、駅の認知度向上という目的を達成したとして、2010年3月2日からJR神戸線標準メロディの『さざなみ』に変更された。終了時期についてJRは、当初は2008年度で終了する予定だったものを観光キャンペーンの関係で1年延長したとしているが、年間数百万円といわれる著作権料の支払いが影響したとの報道もなされた。

2001年(平成13年) - 起工する。仮駅名はJR夙川駅であった。
2006年(平成18年)11月22日 - 正式駅名をさくら夙川駅に決定する。
2007年(平成19年)3月18日 - 東海道本線の西宮駅 - 芦屋駅間に新設開業する。

電報略号 シク
駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 7,783人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 2007年(平成19年)3月18日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

 

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