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「回天」大神基地 戦争遺構

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大神基地(おおがきち)は、太平洋戦争末期に大分県速見郡大神村(現在の日出町東部)に存在した人間魚雷回天の訓練基地である。

当初、大神村の周辺は海軍によって海軍工廠建設のために25ヘクタールという広大な土地が強制買収された。しかし、戦局の変化により、この計画は建設途中にして台湾の高雄に変更された。
1944年(昭和19年)8月に人間魚雷回天が正式な兵器として認められると、回天の訓練基地が山口県の大津島に開設され、続いて光基地や平生基地が開設されていった。海軍用地として買収済みだった大神でも、その一部を回天基地として転用することが決定して建設を開始。朝鮮人労働者や学徒動員など3,000人近い労働力を使い建設が進められ、1945年(昭和20年)4月25日に兵員2,000人を擁する大神基地が開設された。また、4月20日に第二特攻戦隊所属「大神突撃隊」が編成され、同25日に開隊式を行った。

大神突撃隊には最大24基の回天が配備され、285人の搭乗員が5月23日から別府湾で訓練を行った。回天の数が搭乗員の数に対して絶対的に不足していたため、搭乗員の中から20名近くを「出撃予定者」として選抜し、集中的に実施された。8月3日には8基の回天が第8特攻戦隊の愛媛県宿毛湾の麦ヶ浦基地へ出航し、同12日に出撃待機命令を受けたが、出撃することなく終戦を迎えた。
大神突撃隊は8月25日に解隊し、大神基地はその後、武器・弾薬・施設・物資等を連合軍と大分県に引き渡すが、最初に11月15日付けで武器・弾薬を連合軍に引き渡したのを皮切りに、大分県への引渡しも含む計4回が実施された。。残った回天は海洋投棄された。

大神基地跡には、地下格納壕、魚雷調整場、変電所、浄水場プール等の跡が残っている。基地内にあった回天神社は、大神基地跡付近の住吉神社境内に遷座し、回天の電動縦舵機(ジャイロ部分)、発停装置、燃焼器推進軸受等の部品が御神器として祀られ、回天の1/3模型や九三式魚雷機関が奉納されている。日出町では2014年度に基地の跡地を大神回天訓練基地記念公園(仮称)として整備する計画で、4月3日には跡地に回天の実物大レプリカが設置されている。


 昭和20年8月3日の夕方に第二十号一等輸送艦が大神基地に入港してきました。神社下の格納壕に格納していた戦備回天を兵器や資材と一緒に積載しました。

大神基地には追躡艇(ついしょうてい)に使用してきた「震洋」が10隻ありました。本土決戦に備えて使用できる全ての兵器をもって対抗するために、回天だけでなく震洋も使うということが昭和20年7月下旬に決まりました。



5隻の震洋による「大神震洋隊」が結成され、人員は少尉jの隊長以下、乙飛20期の二飛曹50名の中から6名を選抜し、次席指揮官の少尉候補生を入れて8名でした。数名の整備員も配属されています。

大神基地では地上構造物だけでなく、待避及び物資貯蔵用壕がいくつも掘られていました。



代表的なものは受信室壕・送信室壕・各科倉庫壕(北・南)・燃料格納壕・回天格納壕・実用頭部隧道(酸素圧縮喞筒(ポンプ)室壕)・変電所です。

 大神基地では終戦を不満とする将兵の爆発もありませんでした。  それは終戦の大詔が発表された直後、司令自ら隊所属の水偵で東京に飛び、終戦の真相・状況を把握して戻ってきたと言われています。そして、全隊員に対し軽挙妄動を戒め国家再建のために死力を尽くすことを掌握説得したのです。
 不測の事態に備え、16日以降も発射訓練を継続したのです。
 しかし、その発射訓練も数日で終わり、復員及び解隊に向けた終戦業務を着々と進めていったのでした。特攻隊の基地は米軍による報告を恐れ速やかに解隊するようにという通達があったと言われています。    8月24日には本部に祀られていた回天神社を現在の住吉神社の境内に移しています。また別れを惜しんでの酒宴が設けられました。
 8月25日の早朝、松尾秀輔少尉が練兵場で自決しました。遺書を書いた後、中央部で故郷・台湾の方角へ向かって正座し、左胸に手榴弾を抱いて爆発させ自決したのです。享年21でした。
 軍人として国を守れなかった事への強い自責の念が自決という道を選択したのかもしれません。


 


塩入駅 JR四国)土讃線

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塩入駅は、香川県仲多度郡まんのう町帆山にある四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅です。


「塩入」は同駅から約5Km山へ入った塩入集落に由来する駅名。

かつて、塩入集落を通るルートと猪鼻トンネルで池田へ抜けるコースが誘致合戦を行い、敗れた塩入集落に配慮して駅名に採用された。

周囲には人家も少なく閑散としています。日本一大きなため池、満濃池が至近にあります。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅相対式ホーム2面2線で一線スルー。

2つのホームは屋根なしの跨線橋で結ばれている。駅舎側1番線が上下副本線、2番線が上下本線(琴平駅方制限速度120km/h、阿波池田駅方制限速度100km/h)。


入口に装飾が施されている駅舎は改装済みの木造で、中はがらんどうの長椅子が2脚設置されるのみの待合室となっている。無人駅である。
1970年(昭和45年)に無人化され、以後しばらくの間は駅前の商店で近距離切符を扱う簡易委託駅となっていた。その後商店も閉店し、駅前は閑散としたものとなった。


ホーム 路線 方向 行先
1・2 ■土讃線 下り 佃・阿波池田・大歩危方面
上り 琴平・多度津・高松方面


駅前には土讃線の塩入を通っての建設に貢献した益田穣三という人物の銅像がある。

1923年(大正12年)5月21日 - 開業。
1970年(昭和45年)10月1日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により四国旅客鉄道の駅となる。

電報略号 シイ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 42人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1923年(大正12年)5月21日
備考 無人駅

 

 

日本国有鉄道 クハ481 603号 九州鉄道記念館

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昭和33年に登場した電車特急「こだま」型の発展型で、熊本電化にあわせて誕生したのが交流・直流の両方で運転できる481系です。
この車両は昭和44年にクロ481-5として誕生、東北地方で活躍していましたが、昭和58年に鹿児島車両所に配属となり、普通座席車へ改造されてクハ 481-603と車号が変わりました。九州では特急「にちりん」、「かもめ」、「有明」として使用されたのち、平成9年以降は小倉工場で保存されていました。


■製造初年:1969
■製作社等:日本車両
クロ481-5 予算:43年第4次債務 落成日:1969.06.27
新製配置:仙台 九州地区転属:1983.10.31鹿児島 
クハ481改造 603 廃車日:1995.03.24南福岡
九州鉄道記念館 静態保存車
クハ481-603(元・クロ481-5)
廃車後も解体されずJR九州小倉工場に留置されていたが、修復され2003年に開館した福岡県北九州市門司区の九州鉄道記念館で一般公開

1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化では地上設備の低廉性などから交流電化を推進し、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。さらに特急列車の運転区間が地方線区に拡大され、上述の異電源方式区間への直通運転要求に応えるために製造されたのが本系列である。
1964年(昭和39年)から関西⇔北陸・九州用に直流/交流60Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東⇔東北用に直流/交流50Hz対応の483系電車が製造された。

本系列は1979年(昭和54年)まで製造が行われ、四国を除く日本各地の特急列車に投入された。当初は主に東京・大阪・名古屋などの大都市圏と交流電化された東北・北陸・九州方面直通特急で、山陽・東北・上越の各新幹線開業後は新幹線連絡特急などで運用された。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)・東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)に継承され、引続き特急運用に投入された。ただしJR北海道へは改造用種車として付随車のみの継承であったが、1両も改造されずに全車廃車となった。1990年代以降では団体専用列車用ジョイフルトレインへの改造も施工された。しかし新幹線の延伸開業などによる運用の減少・老朽化・後継系列の置換えにより廃車が進行し、2015年4月現在で他系列への改造車を除くと定期運用が存在するのはJR東日本のみであり、定期運用が終了したJR西日本は全車廃車。JR九州では波動運用対応車のみが車籍を有する。

外観は151・161系→181系の流れを踏襲しており、先頭部は同様のボンネット型を採用した。ただし1972年以降製造の後期形クハ481形は、ほぼ同時期に登場した183系電車と同様のデザインに変更されたため定員が8人増加した。
床下機器の寸法に合わせ床面の高さを近郊形・急行形の車両よりも10mm高い1,230mmとし、屋根高さも151系に比べて120mm高くなった。運用路線のプラットホーム高さに合せるべく扉にはステップを設置し、東北・北陸などの寒冷地区投入を考慮した耐雪耐寒構造で製造された。また側扉は当初は普通鋼製であったが、1968年以降の製造車は内側が無塗装のステンレス製に変更された。
サービス面では側面行先表示に当初は従来通りサボを使用したが、481系・483系では自動巻取式方向幕搭載準備工事が国鉄車両としては初めて施工され、1968年以降製造された485系では新製時より搭載された。装置は方向幕使用開始時は18コマ対応、後期形以降は40コマ対応となり後に後者へ統一された。

481系
交流60Hz対応車で新製時には向日町運転所(後の京都総合運転所→現・吹田総合車両所京都支所)へ集中配置された。
北陸本線金沢 - 富山操車場(現・富山貨物)間交流電化完成により1964年10月1日のダイヤ改正で新設された「雷鳥」「しらさぎ」に充当を目的にモハ481形・480形電動車ユニット11組22両と制御・付随車19両の計41両が新製されたが、車両落成が同年10月末と遅れた影響などにより運転開始は12月25日に延期された。
翌1965年には151系で運転されていた九州特急「つばめ」「はと」の下関以西電気機関車牽引ならびに山陽本線上り広島 - 八本松間補助機関車連結解消目的の置換えで増備された。


クロ481
1968年の奥羽本線山形・磐越西線喜多方電化完成により「やまばと」「あいづ 」が本系列化されることになったが、仙台運転所の編成には次の制約が課された。
奥羽本線板谷峠急勾配区間で自力走行のためM:T比2:1以上の確保。
磐越西線でのホーム有効長問題から食堂車と1等車を同時連結の上で9両化。
このため日本車輌製造で製造され仙台運転所に集中配置されたのが本形式である。定員は36名。車掌室・トイレ・洗面所・出入口を客室後位側に設置し、冷房装置はAU12形を4基搭載する。また既配置のサロ481形→クロ481形50番台改造工事も施工されたが、新造車も改造車に合わせた設計となったため全長はクハ481形0番台よりも短い21,100mmとなった。
1・2は1975年に南福岡へ、3 - 5は1983年に鹿児島車両管理所でクハ481形600番台へ改造施工された上で同所へ転出したが、1両はクロ481形に復元ならびに原番号復帰。全車とも分割民営化時にはJR九州に承継。1995年までに廃車となった。

クロ481-5 43年第4次債務 1969.06.27 1983.10.31
鹿児島 603 1995.03.24
南福岡 九州鉄道記念館
静態保存車

 

 

広域公園前駅 広島高速交通

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広域公園前駅は、広島県広島市安佐南区大塚西四丁目にある広島高速交通広島新交通1号線(アストラムライン)の駅である。

副駅名は広域公園前(修道大学前)。広島広域公園には陸上競技場、球技場などがありJリーグの公式戦やコンサートなどイベント開催時や朝夕大学生でにぎわっている。

時点での終点・発車駅。JR西広島駅・広島電鉄西広島(己斐)駅までの延伸・接続計画があるが、現在は道路沿いに線路(高架)が延びてしばらく行った先で途切れており、この間が引上げ線として活用されている。


コインロッカー設置駅。定期券発売駅。

島式ホーム1面2線の高架駅。

ホームから1フロアー降りたところに、4台の券売機・定期券発売窓口・改札(改札機4台)がある。

他駅と比べて利用の集中に備えて規模が大きくなっています。
ステーションカラーは紫色。


のりば
1 降車専用ホーム


2 本通方面
本通方面から到着した列車は1番線降車専用ホームで乗客を降ろしたあとそのまま直進して引上げ線に回送し、折り返して2番線ホームへ入線し再び本通方面へ向かう。

副駅名が示すとおり、広島広域公園の南東、広島修道大学正門前に位置する。
駅出口は広島県道71号広島湯来線(広島県道265号伴広島線重複)広域公園南口交差点にあたる。

バス停留所は駅直下の県道沿いの道路上にある。


一般路線バスは「広域公園前駅(修道大学入口)」を名乗る。以前は「広島修道大学」バス停だったが、広島修道大学キャンパス内にある「広島修道大学キャンパス」バス停と紛らわしいため、2007年12月21日に改称された。広電バスの五月が丘団地・免許センター線(広島バスセンター/市役所前 - 高速4号線 - 五月が丘団地・免許センター)と石内線(JR五日市駅北口 - 市立大学前)が停車する。
高速バスは「広域公園前(修道大学前)」を名乗る。広福ライナーや防長交通の広島バスセンターと山口県内を結ぶ都市間路線(広島線)が停車する(広島行きは降車のみ、広島発は乗車のみ扱い)。


このほか、サンフレッチェ広島ホームゲームなど、広島ビッグアーチでサッカーの試合が行われるときは、試合前に駅前(広島修道大学正門前)の臨時バス乗り場からビッグアーチに向かう無料シャトルバスが運転されていたが、2015年度は駅周辺の環境諸事情を鑑みて運行が取りやめられている。

1994年(平成6年)8月20日 - 開業。
1999年(平成11年)3月20日 - ダイヤ改正で新設された急行列車の停車駅となる。
2004年(平成16年)3月20日 - ダイヤ改正で急行列車が廃止。
2009年(平成21年)8月8日 - PASPY導入。

駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 1,150人/日(降車客含まず)
-2007年-
乗降人員
-統計年度- 2,339人/日
-2007年-
開業年月日 1994年(平成6年)8月20日

広電西広島駅 広島電鉄

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広電西広島駅は、広島市西区己斐本町一丁目にある、広島電鉄の駅である。

市内線である本線の終点(一番西)の停留場かつ宮島線の起点の駅である。
かつては市内線の停留場は己斐電停(こいでんてい)と称し、宮島線の駅(広電西広島駅)とは隣接する別の駅とされていたが、1962年(昭和37年)から市内線と宮島線との直通運転が始まり、1991年(平成3年)8月8日からはほぼすべての電車が直通運転するようになった。そして2001年(平成13年)1月中旬から同年7月末まで、宮島線の広電西広島駅に市内線の己斐電停を統合する駅舎の工事が行われ、同年11月1日に統合された。このような経緯があることから、当駅について「広電西広島(己斐)駅」との表現を用いていることもある。

4面6線の島式ホームを有する。1番線に宮島線方面の、4・5・7番線に市内線方面の車止めがあり、行き止まり構造となっている。なお、4・5番線は同じ線路の両側にホームがある構造となっている。前述のような経緯から宮島線が本線のやや北寄りにずれた位置に線路が配置されていたため、1番線と7番線以外は構内でS字カーブする構造となっている。
運行系統
1 2⃣ 広電宮島口行き・JA広島病院前行き・広電廿日市行き 平日朝ラッシュ時の折り返しのみ
2 2⃣ 広島駅行き
3 2⃣ 広電宮島口行き 通常はこのホーム
4 0⃣ 広電前行き・日赤病院前行き
  3⃣ 宇品二丁目行き 朝ラッシュ時は広島港(宇品)行き
5 3⃣ (降車専用)
6 0⃣ 広電前行き 平日朝ラッシュ時のみ
  2⃣ 広電宮島口行き・JA広島病院前行き・広電廿日市行き 平日朝夕ラッシュ時の折り返しのみ
7 0⃣ (臨時ホーム) 通常は使用せず[2]※クリスマス電車が使用する場合がある


広島電鉄は朝夕ラッシュ時を中心に駅員が数名配置され、可搬式カードリーダーを用いた運賃収受、両替、PASPYの発売、安全管理や案内等を行う。駅員配置は概ね以下の通り。
直通電車上り…7時 - 11時半、15時半 - 19時半(平日の午前9時半までに2番のりばに到着する電車はホーム出口の臨時改札で運賃を支払う)
直通電車下り…17時 - 21時
3号線(折り返し)…16時半 - 21時
早朝、昼間の閑散時、夜間は無人となる。
構内踏切には一部を除いて遮断機が無い。駅員配置時間帯には駅員が両手を広げて通行を遮断する。
当駅の東高須寄りには構内踏切があり、その先には鉄軌分界点がある。
2番線から広電宮島口方面へ出発、広電宮島口方面から3番線へ到着できる信号があるが、回送・臨時を除い運用がない。

所属事業者 広島電鉄
駅構造 地上駅
ホーム 2面7線
乗車人員
-統計年度- 13,488人/日(降車客含まず)
-2008年-
開業年月日 1912年(大正2年)12月8日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■本線(市内線)
駅番号 M19
キロ程 5.4km(広島駅起点)
◄M18 福島町 (0.7km)
所属路線 ■宮島線
駅番号 M19
キロ程 0.0km(当駅起点)

 

金蔵寺駅 JR四国)土讃線

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金蔵寺駅(こんぞうじえき)は、香川県善通寺市稲木町にある、四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅である。駅番号はD13。

駅周辺には金倉寺 …四国霊場七十六番札所。駅名とちがい「倉」と表記する。ただし同寺院の所在地は当駅の表記と同じ「金蔵寺町」である。通常とは逆に地名が寺の名前に採用されたとされています。徒歩5分ほど。駅前にはちょとした空間があり、自転車置き場となってます。

相対式ホーム2面2線の交換可能な地上駅で、駅舎側1番線が上下本線(制限速度120km/h)、2番線が上下副本線の一線スルー、線路間隔が狭いこともあって、通過の瞬間は待ち合わせ中の列車の車体が風圧で結構揺れる。

駅舎は装飾の鉄骨が新しいタイルづくりの簡易なものだが、駅前の食料品の店で2008年(平成20年)6月まで乗車券販売を受託していた。

ホーム間に通路が無いため、駅舎側でないホーム(2番のりば)へは南側の道路から直接入る。無人駅。待合室には木製の長椅子が設置されています。トイレもあります。


改札口にはラッチが残り簡易型の券売機が設置されています。駅舎内に入口付近に大きな大黒柱と天井には丸い天窓があります。

ホーム 路線 方向 行先
1・2 ■土讃線 上り 多度津・高松・岡山方面
下り 琴平・阿波池田・高知方面


跨線橋はなく、駅南の踏切が通路の代わりです。駅舎側のホームには駅舎の一部のような鉄骨の上屋があります。

1896年(明治29年)10月16日 - 讃岐鉄道の駅として開業。
1904年(明治37年)12月1日 - 讃岐鉄道が山陽鉄道に買収され、同社の駅となる。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道が国有化され、官有鉄道(後に国鉄)の駅となる。
1970年(昭和45年)10月1日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。
2008年(平成20年)6月 - 簡易委託中止、無人化。
2010年(平成22年)3月 - 駅舎北側に駐輪場が整備される。

電報略号 コソ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 199人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1896年(明治29年)10月16日
備考 無人駅

器材牽引装置(ターレットトラック)海上自衛隊

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ターレットトラックは、日本の卸売市場をはじめ、工場や倉庫、鉄道駅の構内などで荷役用として広く利用されている運搬車の総称で、円筒形の動力部が回転する構造(ターレット)からこの名が付いた。株式会社朝霞製作所の登録商標であったが、普通名称化して他社製のトラックも同様に呼ばれるようになった。なお、朝霞製作所は破産により2012年に消滅し、商標権がどこにも承継されなかったため、商標登録は取り消された。道路運送車両法上ではターレット式構内運搬自動車として定義される。ターレット、ターレ、ターレーと略して呼ばれる場合や、市場関係者は「ぱたぱた」もしくは「ばたばた」と呼ぶ場合もある。
一方、英語のTurret forklift truckは、前方のフォーク(つめ)機構が左右に旋回する機能をもつフォークリフトを指し、ターレットトラックとは別の輸送機械である。

ターレットトラックの主要な構造は、動力源となるエンジンまたはモーター、操舵装置、駆動輪の全てが車台前部に回転可能に保持されたターレットに納められている。ターレットのすぐ後方に運転台があり、運転者はターレット全体を回転させて操舵する。駆動輪となる前輪は360度回転するため最小回転半径は小さく、狭い場所での運用にも適している。前輪を90°横に向けた場合、内側の後輪を軸とした旋回が可能で、そのときに最も回転半径が小さくなる。重量のあるユニットごと回して操舵する必要があるため、他の乗り物に比べると取り回しが重い。


定員は1名で、ターレット後部に立った姿勢で運転操作を行う。一部の車種には簡素な椅子を備えたものもある。操舵用のハンドルはターレットの上縁に沿って、手すり状に直に取り付けられている。その内側のやや小さい同心円のハンドルがアクセルスロットルになっており、押し下げる(軸を傾ける)ことで加速する。速度は機種により異なるが、最高速度でも時速15km程度しか出ない。ブレーキは右足操作のフットブレーキ式で、その他にレバーを引いて操作するパーキングブレーキも備えている。
ほとんどの機種は小型特殊自動車として登録が可能で、登録すれば公道走行も可能である。


ガソリンエンジンを搭載した機種の他、生鮮食料品を扱う現場などでは低公害の天然ガスを燃料とするエンジンを搭載した機種が用いられる例が多く、構内や冷蔵設備を備えた倉庫では排気ガスを出さない電動式の車種に限定して用いられる場合もある。しかし、電動式は充電時間が長く、一回の充電で運用できる時間が短いため、2006年からは燃料電池を搭載した機種の開発が進められている。


ホイールベースが長く、後部に荷台を有して荷物を直接積載する機種と、ホイールベースが短く、牽引専用で荷台を有しない機種(ターレットトラクター)が存在する。市場や工場、倉庫などの構内運搬用としては、前者が主流である。後者はかつて、旧国鉄や旧郵政省の鉄道郵便において、駅構内での荷物や郵便物を運搬する台車の牽引に用いられていた。運搬台車を吊ってプラットホームの間を移動させるテルハと組み合わせて利用する駅も多数あった。

 

武並駅 JR東海)中央本線

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武並駅(たけなみえき)は、岐阜県恵那市武並町竹折にある、東海旅客鉄道(JR東海)中央本線の駅です。駅周辺は賑わっています。


相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎は南北双方に設置されている。2008年に新築された、鉄骨造の駅舎はデザインがアーバンチックで細長い窓がアクセントになっている平屋建てです。

北口は構内北側、1番線に隣接しておかれている。

2番線に隣接して置かれている南口はホームより低いのでエレベーターおよび階段が設置されています。2つのホームは跨線橋で繋がっている。

構内は大きくカーブしています。


中津川駅管理の簡易委託駅で指定券も扱いが可能。北口駅舎にある窓口は毎日7:00から12:00までと13:00から14:30の営業である(この時間帯以外にも係員が不在になる場合もある)。

コンパクトな待合室には区切りのある椅子が背中合わせに並んでいます。

のりば

番線 路線 方向 行先
1 ■中央本線 下り 中津川・長野方面


2 ■中央本線 上り 多治見・名古屋方面
ホームは透水性アスファルトで整備されています。

駅前には路線バスのバス停があります。

1919年(大正8年)11月25日 - 国有鉄道中央本線の大井(現・恵那) - 釜戸間に竹折信号所(たけおりしんごうしょ)として開設。
1922年(大正11年)4月1日 - 竹折信号場に変更。
1926年(大正15年)4月1日 - 駅に昇格、武並駅開業。旅客営業のみ。


1928年(昭和3年)6月15日 - 貨物の取扱いを開始。
1959年(昭和34年)10月15日 - 貨物の取扱いを廃止。
1970年(昭和45年)10月19日 - 荷物の取扱いを廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。
2006年(平成18年)11月25日 - TOICA導入。


2008年(平成20年)
2月 - 駅舎が改築され、供用開始。
3月19日 - 南口が設置され、供用開始。

電報略号 ケナ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 950人/日
-2013年-
開業年月日 1926年(大正15年)4月1日
備考 簡易委託駅


湯河原駅 JR東日本)東海道本線

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湯河原駅(ゆがわらえき)は、神奈川県足柄下郡湯河原町宮下にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道本線の駅である。大正13年開業駅で開業当時は1年間だけ熱海線の終着駅となっていました。

神奈川県最南端の駅である。湯河原温泉の最寄り駅となっており、特急「踊り子」や一部の特急「スーパービュー踊り子」が停車し多くの観光客で賑わいます。かつては、2007年3月18日のダイヤ改正で廃止となった特急「東海」も停車していた。
JR東日本のATOSによる東海道線の進路・信号・案内放送制御は当駅までとなっている。 当駅より約1kmほど進んだ千歳川との橋梁が起点の東京駅より100kmの位置である。また静岡県と神奈川県の県境でもある。
駅の所在する地点の海抜は、30.1mとなっている。

島式ホーム1面2線を有する地上駅。平屋のコンクリート造駅舎は斜面の地形に合わせたような作りになっていて屋根の高さに構内が見えます。駅舎とホームは地下通路で連絡しています。駅前は客待ちのタクシーで賑わっています。電留線があり、夜間には翌日の「湘南ライナー」4号に使用される185系が留置されている。
指定席券売機・みどりの窓口(営業時間 6:30 - 19:30)設置駅。改札口の改札機は4台(Suica対応自動改札機)。頭上にはLED式の発車案内が設置されています。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■東海道線 下り 熱海・伊東・沼津方面
2 ■東海道線 上り 小田原・横浜・東京方面

1924年(大正13年)10月1日 - 熱海線真鶴駅 - 当駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
1925年(大正14年)3月25日 - 熱海線当駅 - 熱海駅間が開通。
1934年(昭和9年)12月1日 - 熱海線所属から東海道本線所属に変更。


1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物取扱が廃止。有蓋車用の貨物ホームが設置されていた。
1985年(昭和60年)3月14日 - 荷物取扱が廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。

電報略号 ユハ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 6,071人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1924年(大正13年)10月1日
備考 みどりの窓口 有

E217系電車 JR東日本)

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E217系電車は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の直流近郊形電車。

横須賀線と総武快速線で運用されていた113系の置き換えを目的として、1994年(平成6年)8月に量産先行車(1次車)となる基本編成11両+付属編成4両の第01・02編成が落成し、同年12月3日より営業運転を開始した 。翌1995年(平成7年)11月以降には量産型となる2次車の落成が始まり、以降1999年(平成11年)11月落成の8次車までに基本編成51本、付属編成46本となる計745両が製造された。
本系列は国鉄 - JR化以来の近郊形車両で初めての4扉構造を採用した 。それまでの近郊形車両は国鉄時代から3扉構造が踏襲されており、4扉近郊形車両は国鉄時代に導入が検討されたこともあったが実現には至っていなかった。車内の座席配置については混雑緩和を最優先とし、通勤形タイプとなるロングシート構造を基本としながら編成中の一部車両(基本編成11両中3両のみ)には遠距離旅客や観光客へ配慮したクロスシートを設けたセミクロスシート構造とした。また、基本編成のみ2階建て構造のグリーン車を組み込んでいる。
JR東日本が「新系列車両」として開発した通勤形車両209系を近郊形車両へと改良・発展させたのが本系列である 。本系列のデザイン開発はGKインダストリアルデザイン研究所によるものである。1995年(平成7年)度通商産業省(現・経済産業省)選定グッドデザイン商品(現・日本産業デザイン振興会所管グッドデザイン賞、商品デザイン部門)受賞。
車両の製造は川崎重工業、東急車輛製造およびJR東日本新津車両製作所、同大船工場(中間車12両[7]のみ製造)で行われた。ただし、大船工場製は東急車輛製造から車両構体を購入し、内装組み立てや艤装作業を大船工場で行ったものである (ノックダウン生産)。


1994年より大船電車区(現・鎌倉車両センター)に集中投入、1997年からは幕張電車区(現・幕張車両センター)にも投入され、1999年(平成11年)12月4日のダイヤ改正をもって横須賀線・総武快速線のすべての113系を置き換えた。
その後本系列の動向に変化はなかったが、2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正より幕張車両センター(千マリ)所属の全編成の所属が鎌倉車両センター(横クラ)へ変更になった 。変更後、同形式は幕張車両センターにおいて車両留置のみとなった。また、同改正に合わせて一部の編成が国府津車両センター(横コツ)に転属し、東海道本線に転用された。詳しくは下記の「#東海道本線」の節を参照されたい。
本系列の後、近郊形電車の生産は「一般形電車」として統一されたE231系近郊タイプに引き継がれたが、同系列の車体の基本構造や内装デザインに大きな相違はない。

東海道本線

E217系湘南色
2004年10月16日のダイヤ改正で朝ラッシュ時の湘南新宿ライン増発による横須賀線運転本数の削減と湘南新宿ラインの運用がE231系へ統一されたことにより、横須賀線・総武快速線のE217系には運用数に対して余剰車が発生した。このため、鎌倉車両センター所属のE217系のうち、初期に製造された基本F-01 - F-03編成と付属F-51 - F-53編成の15両編成3本(45両)が東海道本線と伊東線の113系の置き換えのために国府津車両センターへ転属し、2006年3月18日のダイヤ改正より運転を開始した。
転属に際しては東京総合車両センターにおいて改造が行われ、211系やE231系と同じく熱海方に基本編成10両、東京方に付属編成5両の構成に組み替えられた。当初は基本編成の7号車(ロングシート車)を付属編成に移動する予定であったが、混雑率の偏りを避けるため、実際にはセミクロスシート設置の旧10号車が付属編成へ移動した。
帯色はE231系と同じ新湘南色となった。車体側面のJRマークは横須賀線・総武快速線時代と同じ戸袋部に存置され、また先頭車の正面にある「E217」ロゴも残されたが、その左にあった横須賀色の帯色ロゴは撤去された。
転属当初の2006年3月改正時点では、1本が終日にわたって運用される以外はラッシュ時間帯のみの運用で、昼間の時間帯の充当列車は少なめであったが、翌2007年3月改正時に運用が一部変更され、昼間の充当列車の本数が若干増加した。快速「アクティー」での運行は下り2本、上り1本(いずれも毎日)が設定されている。
運行区間は、半自動ドア装置などの寒冷地装備がないため湘南新宿ラインへの運用はなく、前述のように終日15両編成で運用されているため、東海旅客鉄道(JR東海)管内(東海道本線の熱海駅以西および御殿場線)や伊東線への直通運用もなく、運用区間が東京 - 熱海(非営業の回送では来宮まで)間に限定され、運転室のモニタ装置筐体には『この車両は東京⇔熱海(来宮)間限定運用です』と表記されている。


その後、2008年にF-02+F-52編成が鎌倉車両センター所属車両の更新工事施工による車両不足を補うため、2010年度にはF-01+F-51編成が横須賀線武蔵小杉駅開業に伴う同線の輸送力増強のため、それぞれ鎌倉車両センターへ出戻っており、これらの穴埋めとしてE233系3000番台が国府津車両センターへ導入されている。その後、2012年11月・12月にF-02+F-52編成が再度、鎌倉車両センターから国府津車両センターに転属している。
運用は固定されており、基本編成と付属編成を常時連結した15両編成で終日運行される。予備編成を持たないため、検査などにより編成に不足が生じた際にはE231系やE233系が代走する。また、付属編成が検査に入った場合は、E231系の基本編成(10両)単独の運用(平日朝1往復のみ)に入ることがある。
行先表示器はF-52編成のみ転用改造時にLED式に変更され、それ以外の編成は従来どおりの字幕式となっていたが、2007年6月までに全編成がLED式となった。東海道本線用として新たに作成された字幕表示の書体は、横須賀線・総武快速線用と同様のものではなく、漢字部分のみが211系と同じ旧国鉄書体となった。また、非常用ドアコックなどの使用方法のステッカーが他編成や209系などと同じタイプのものに貼り替えられた。前面種別幕は、普通列車では黒地に白文字で「普通」(小田原・熱海方面行き)または「東海道線」(東京行き)、快速「アクティー」では黒地に赤文字で表示され、通勤快速も「アクティー」と同色のものである。
E231系やE233系と異なり東海道本線向けの本系列には車内自動放送は設置されていない。
2007年7月9日から同年9月30日まで、横浜 - 国府津間開業120周年記念ステッカーが先頭車の前面中央に貼付された。このステッカーは、編成ごとにデザインが異なっていた。
2009年4月中旬から2010年3月上旬まで、「東海道線全通120周年 - 新橋・神戸間 - 」記念としてE233系3000番台とともに基本編成1号車・付属編成15号車前面にヘッドマークが装着された。デザインは1種類のみであった。
戸塚 - 小田原間では最高速度 120 km/h で運転されている。

 

熱海駅 JR東・JR東海

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熱海駅は、静岡県熱海市田原本町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)の駅です。

 静岡県東部に位置する温泉街熱海市の代表駅。JR東海に所属する東海道新幹線と、JR東日本およびJR東海に所属する東海道本線、JR東日本に所属する伊東線の合計3線が乗り入れる。在来線における当駅の所属線は東海道本線である。

東京方面から見た場合、静岡県に入って最初の駅である(新幹線・在来線とも)。新幹線部分はJR東海新幹線鉄道事業本部が管理し、在来線部分はJR東日本横浜支社が管理・駅業務を実施する。

駅の開業は1925年(大正14年)3月である。開業当初は国府津駅を起点とする熱海線の終着駅であったが、1934年(昭和9年)12月に当駅西側の熱海 - 沼津間が開業し、東海道本線の中間駅となった。伊東線は翌年の1935年(昭和10年)3月から乗り入れている。東海道新幹線の熱海駅は、同線が開業した1964年(昭和39年)10月から存在する12駅のうちの一つである。

1987年3月まで、これらの路線はすべて日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、同年4月の国鉄分割民営化によって、在来線は当駅がJR東日本とJR東海の会社境界駅となり、東海道本線の当駅以東(東京方面)と伊東線はJR東日本、東海道本線の当駅以西(静岡方面)はJR東海の管轄となった。鉄道資産の境界は駅構内ではなく丹那トンネル東側坑口付近にある来宮駅上り場内信号機(来宮駅北西)である。JR東日本とJR東海の共同使用駅であり、在来線構内および駅舎はJR東日本、新幹線構内はJR東海の管轄である。

在来線ではJR東日本の熱海運輸区が構内に存在するなど運行上の拠点でもあるため、当駅を経由するすべての旅客列車が客扱い停車していたが、2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正で臨時列車とされた「ムーンライトながら」は運転停車扱いとなった。特急列車や一部普通列車(朝夕の沼津駅発着列車など)を除く大半の列車が当駅で系統が分離されている。

JR東海の管轄となっている新幹線は、「こだま」と、東京 - 岡山間の「ひかり」が1日3往復停車している。

東海道本線は当駅を境に管轄会社が異なっているが、当駅では両方向とも「東海道線」(上り・下りの表記もあり)と案内されている。本稿でも必要に応じて、その案内方式に準じた表記も用いる。

IC乗車券「Suica」対応自動改札機も設置されているが、当駅で乗車・下車する場合は東海道本線の湯河原方か伊東線からのみ利用可能である。また、当駅から東海道本線の函南方に関しては、2008年(平成20年)3月1日よりSuicaとの相互利用が可能なIC乗車券「TOICA」が導入されたが、その利用エリアは当駅までではなく西隣の函南駅以西となっており、当駅と函南駅間(を含む経路の場合)は両方向ともIC乗車券のサービスエリア外となる。

東海道本線は当初、小田原 - 熱海 - 三島の山岳地帯にトンネルを開削する技術がなかったこともあり、後の御殿場線ルートで建設された。そのルートから外れた小田原・熱海では、国府津駅より小田原電気鉄道という路面電車で小田原市街へ、さらに豆相人車鉄道→熱海鉄道→大日本軌道→熱海軌道組合の人車軌道・軽便鉄道により熱海まで連絡を図った。

その後、御殿場経由は急勾配が存在し輸送力増強の障壁になることや、トンネル掘削の技術が進展したことなどから、当初見送られた熱海経由での路線整備が決定する。そして1925年(大正14年)、熱海線として、熱海駅まで鉄道路線が開業して路面電車や軽便鉄道は全廃。1934年(昭和9年)、丹那トンネルが開通すると熱海線は東海道本線となった。

 

国際観光文化都市熱海市の主要部である熱海市市街地の北側に立地し、駅前には熱海温泉のホテル・旅館・みやげ物店が立ち並ぶ。駅前広場には足湯(利用可能時間は9:00-16:00)があります。

 

 

駅はJR東日本が管轄する在来線駅(東海道本線・伊東線)、JR東海が管轄する新幹線駅ともに地上駅である。

 

乗降設備は単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線のホームが設けられている。構内の南側に単式ホームがあり、その北側に島式ホームが並ぶ。ホームの番号は、単式ホーム側から1番線・2番線…の順で、5番線まである。そのうち、2番線が下り本線、5番線が上り本線となっている。 なお、JR東日本の管理駅である都合上、JR東海が利用できるのは1線のみであり、そのため大雨等でダイヤが乱れた際は、沼津駅方面からの列車がホームに入線できないため沼津駅や東田子の浦駅で打ち切りになることもしばし発生する。

駅舎は1番線に隣接する場所に設置されている。2010年3月31日までは駅ビルの「熱海ラスカ」が併設されていた。改札口は駅舎内の1か所のみで、改札口から各ホームに直結する地下道が存在する。改札外にはJR東日本が営業するみどりの窓口に加え、駅レンタカー営業所とスルガ銀行のATMが設置されている。観光案内所もあり、2007年5月からはエフエム熱海湯河原のサテライトスタジオも併設されていたが、2011年12月1日より観光案内所はサテライトスタジオと共に仮駅舎に移動した。毎週土・日曜に公開生放送が行われている。

飲食施設は1番線東京寄りにJTS運営の「駅そば」、4・5番線沼津寄りにNRE運営の「熱海そば」がある。

構内に熱海CTCセンター(熱海運輸区の管理下)がある。JR東日本東海道本線の東京駅 - 湯河原駅間では東京圏輸送管理システム (ATOS) が導入されているが、当駅・来宮駅ならびに伊東線の運行管理・進路制御は熱海CTCセンターで行っている。そのため駅自動放送は1992年から使用されている古いタイプ(東海道型)となっている。

のりば

番線       路線       方向       行先       備考

1            ■伊東線              -             伊東・伊豆急下田方面       普通(当駅始発は1本を除きこのホーム)

2・3       ■東海道線           下り       三島・沼津・静岡・浜松方面           一部は4番線から発車

■伊東線              -             伊東・伊豆急下田方面       特急と一部の普通

4・5       ■東海道線           上り       小田原・大船・横浜・川崎・東京方面           一部は3番線から発車

在来線はJR東日本とJR東海の境界駅であり、両社線を直通する普通列車は2004年10月のダイヤ改正で大幅に削減され、朝夕の通勤時間帯と夜間を除いて当駅で乗り換えが必要となっている。乗り換え時間が短い場合でも、同一ホームではないケースも少なくない。

新幹線乗降設備は待避線のない相対式ホーム2面2線の構造である。番号は南側(在来線ホーム側)から6番線・7番線の順。山肌に沿った高い位置にホームがあり、列車通過の際に危険がないようにホーム可動柵が設置されている。可動柵は1974年(昭和49年)に設置されたが、老朽化のため、上りホームは2011年12月、下りホームは2012年7月に取り替えられ、開口幅や扉の位置も変更された[3]。当駅はスペースの都合で待避線が設置されなかったため、ダイヤ作成上のネックとなっている。また、当駅付近は大都市部を除くと新幹線有数の急カーブとなっており、列車の通過速度は185km/hに制限される。この速度は、東海道新幹線の駅通過速度としては最も遅い。

JR東日本の地下道とJR東海新幹線コンコースの間には、乗換改札が設置されている。乗換改札口はかつて2か所あり、東京方は入口・出口兼用、新大阪方は出口専用だったが、1997年(平成9年)のリニューアル工事で改札口が1か所に集約された。新幹線乗換口の在来線側にはJR東海が営業するみどりの窓口がある。地形の関係上、新幹線独自の改札口は設けられておらず、JR東海の新幹線改札内へはJR東日本の在来線駅構内を経由しなければならない構造となっているため、JR東海のみが扱うの乗車券・サービスを受ける旅客はJR東日本の改札口で「熱海駅構内通過票」の交付を受けた上で、JR東海のみどりの窓口まで出向く必要がある。EX-ICカードやプラスEXカードを所持している場合は、Suicaなどの都市圏のICカードをJR東日本の自動改札機にタッチさせた上で、新幹線の自動改札機に都市圏のICカードとEX-ICカードまたはプラスEXカードを2枚重ねてタッチすることで、新幹線ホームへの入出場が可能となっている。

のりば

番線       路線       方向       行先

6            ■東海道新幹線    下り       名古屋・新大阪方面

7            ■東海道新幹線    上り       新横浜・東京方面

 

 

1895年(明治27年) - 吉浜(現湯河原町内)まで豆相人車鉄道開通(翌年小田原延伸)。

1907年(明治40年) - 豆相人車鉄道改め熱海鉄道により、小田原 - 熱海で蒸気機関車運転開始。

1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災のため、熱海鉄道より改めた熱海軌道組合線休止(後に廃止)。

1925年(大正14年)3月25日 - 鉄道省(日本国有鉄道の前身組織)により、熱海駅が開業(熱海線 湯河原 - 熱海間の開通と同時)。旅客・貨物営業を開始。

1934年(昭和9年)12月1日 - 熱海 - 沼津間の開通に伴い、熱海線は東海道本線に編入される。

1935年(昭和10年)3月30日 - 伊東線 熱海 - 網代間が開通。

1964年(昭和39年)10月1日 - 東海道新幹線が開業し、停車駅となる。

1966年(昭和41年)9月1日 - 貨物の取扱を廃止。

1974年(昭和49年) - 新幹線ホームに可動柵を設置。

1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物の取扱を廃止。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、当駅を境に東海道本線(東京方面)・伊東線はJR東日本、東海道本線(静岡方面)・東海道新幹線はJR東海が継承。駅業務は在来線がJR東日本、東海道新幹線はJR東海が継承。

2001年(平成13年)11月18日 - JR東日本でICカードSuica供用開始。

2006年(平成18年) - 伊東線のCTC装置が当駅構内の進路制御も可能な装置に更新され、CTCセンターが来宮駅構内より当駅に移転。

2010年(平成22年)3月31日 - 熱海ラスカが閉鎖。12月下旬に解体工事が完了。

2011年(平成23年)

4月-9月 - 熱海駅バスターミナルにおいて、仮バス停の使用開始(4月1日から)。解体工事。

11月 - 仮駅舎完成、11月10日に一部使用開始。(NEWDAYSミニ熱海・BECK'S COFFEE SHOP熱海店)

12月1日 - ドトールコーヒー熱海店閉店。熱海観光案内所移動開設。

2012年(平成24年)

1月10日 - 旧ドトールコーヒー熱海店横にあった旅客トイレが1番線ホーム東京方へ移動。これに伴い静岡県警鉄道警察隊熱海分駐所も移動。

2月15日 - 駅前広場の改良工事再開。

8月25日 ‐ 足湯裏のコインロッカーが使用停止。後日撤去された。

2013年(平成25年)

3月15日-バス乗り場、タクシープール完成。供用開始

12月12日 ‐ 熱海軽便鉄道の7号機関車の移送作業が行われる。

 

電報略号              アタ

駅構造    地上駅

ホーム    2面2線(新幹線)

3面5線(在来線)

乗車人員

-統計年度-            (JR東日本)-2012年-

9,239人/日(降車客含まず)

(JR東海)-2012年-

4,260人/日(降車客含まず)

開業年月日           1925年(大正14年)3月25日

乗入路線 3 路線

所属路線              ■東海道新幹線

所属路線              ■■東海道本線

所属路線              ■伊東線

備考       JR東海:駅長配置駅(管理駅)

みどりの窓口 有

新幹線駅はJR東海、在来線駅はJR東日本管理

* 湯河原方 - JR東日本

* 函南方 - JR東海

伊予氷見駅 JR四国)予讃線

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伊予氷見駅(いよひみえき)は、愛媛県西条市氷見乙にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。西条市郊外の住宅地にある1960年代前半の気動車列車の急速な普及に合わせて開設された小駅です。

四国八十八箇所六十三番吉祥寺の最寄り駅です。昭和36年開業の後発駅なので、ホームが狭い。


単式1面1線の地上駅。駅舎はなく、ホームに待合所が設置されています。駅前には駐輪場、新しいトイレが隣接して設置されています。

ホーム中央待合所脇に入口が設置され階段でのアプローチ。また駅西入口からはホームへバリアフリー対応のスロープで連絡します。

駅前に西条だんじり祭りのオブジェと説明書き石碑があり花いっぱい運動石碑と高尾城戦没供養碑もあります。

隣の伊予小松駅との駅間は1.3kmで、予讃線としてはかなり短い。

1961年(昭和36年)6月1日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。

電報略号 ヒミ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1961年(昭和36年)6月1日
備考 無人駅

LST-4003くにさき (輸送艦) 一般公開 海上自衛隊

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くにさき(ローマ字:JS Kunisaki, LST-4003)は、海上自衛隊の輸送艦。おおすみ型輸送艦 (2代)の3番艦。艦名は国東半島に由来する。

「くにさき」は、中期防衛力整備計画に基づく平成11年度計画8,900トン型輸送艦4113号艦として、日立造船舞鶴工場で2000年(平成12年)9月7日に起工し、2001年(平成13年)12月13日に進水、2003年(平成15年)2月26日に就役の後に自衛艦隊第1輸送隊に配属された。


2004年(平成16年)12月26日に発生したスマトラ沖地震の被災地援助の為、国際緊急援助隊派遣法に基づき護衛艦「くらま」、補給艦「ときわ」とともに派遣された。

援助物資のほか、CH-47JAヘリコプター3機、UH-60JAヘリコプター2機を輸送し、海上基地としても利用された。


2010年(平成22年)5月23日、6月にカンボジアおよびベトナムにて行われるアメリカ太平洋軍主催の医療・文化活動「パシフィック・パートナーシップ2010」に参加するため呉から出航する。

6月28日にカンボジアのシアヌークビルで活動を終了、7月1日にシンガポールで補給の後、7月15日に呉に帰港する予定。


2011年(平成23年)3月23日、東日本大震災の被災者のために宮城県石巻湾に展開して船内に仮設浴槽を設けて提供し、任務終了後の7月には映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』の撮影に使用された。


現在は護衛艦隊第1輸送隊に所属し、定係港は呉である。

おおすみ型輸送艦は海上自衛隊が運用する輸送艦の艦級。英語呼称と艦種記号では戦車揚陸艦(LST)とされているが、同様の艦船は、他国海軍においてはドック型揚陸艦(LPD)などに分類されている。

おおすみ型1隻の建造費は272億円前後とされる。


艦内後部ウェルドックには2隻の輸送用ホバークラフトを搭載しており、大きな船体と見通しの良い全通甲板のおかげでヘリコプターの発着も容易であることから、従来の輸送艦よりも輸送・揚陸能力が向上した。

陸上自衛隊の部隊であれば330名の1個普通科中隊戦闘群と装備品を搭載でき、民間人輸送時には約1,000名の乗艦が可能。また優れた医療機能も備えている。

設計にあたっては、エア・クッション型揚陸艇の運用が前提とされており、艦の寸法の決定要因の一つとなった。

速力に関しては、護衛艦とともに行動する必要、有事に協同運用されうる民間フェリーが高速化していること等を考慮して、最大速力22ノットが必要と考えられた。


在来型LSTでは、ビーチング用装備であるバウドア/ランプ、底の平たい艦底が外洋航行能力を損なう要因になっていたのに対し、エア・クッション型揚陸艇の利用を前提としたおおすみ型では艦首をバルバス・バウとし、水線下の設計も合理化されて、速力・安定性等が大幅に改善している。

主機関はとわだ型補給艦(59AOE)のものがおおむね踏襲され、三井造船の16V42M-A型V型16気筒ディーゼルエンジンを1基ずつ計2基、両舷2軸に配している。機械室は1区画構成とされている。


上甲板(第1甲板)は、艦首錨甲板を除いてほぼ全長にわたる全通甲板となっており、艦橋構造物は右舷側に寄せたアイランド型とされている。

電波ステルス性を高めるため、艦体、艦橋構造物ともに傾斜をつけ、なるべく凹凸を減らした平面で構成されている。

船体設計は軍艦構造ではなく一般の商船ベースとされており、艦首の揚錨機も一般舶用品である[7]。就役時は赤色の艦底塗料が喫水線下まで塗られていたが、就役後に喫水付近は黒色に塗りなおされている。


上甲板(第1甲板)のうち、艦橋構造物より後方はヘリコプター甲板、それより前方は車両・資材用の甲板として使用する。ヘリコプター甲板の下、第4甲板後部には長さ60メートル×幅15メートルのウェルドックがあり、ここに搭載された各種舟艇は、艦尾にある下ヒンジ式の扉から直接海上に出入りさせることができる。


諸外国の場合、この規模のドック型揚陸艦では船体前部に大型の上部構造物を作り、ここにヘリコプター格納庫を設置する例がほとんどであり、全通甲板にしたことでかえって航空機運用能力を損なっていると批判する意見もあったが、本型における全通甲板の採用は、来るべきDDH後継艦(現在のひゅうが型(16DDH))を強く意識したものであったともされている。

上甲板(第1甲板)前半部のほか、艦体内の第4甲板にも長さ100メートル×幅13メートルの車両甲板が設けられており、車両は艦体両舷の高さ7.6メートル×幅5メートルのサイドランプから車両甲板に直接出入りする。第1甲板と第4甲板の間の車両上げ下ろしには、第4甲板の車両甲板前端エレベーター(力量20トン, 長さ14メートル×幅6メートル)と艦橋構造物後方エレベーター(力量15トン)を使用する。収容能力は下表のとおり。戦車を搭載した場合、第4甲板へのトラックの収容能力は減少する。


収容能力
陸自隊員 330名
大型トラック 第1甲板 38台
第4甲板 27台
戦車 (90式または74式) 10両/18輌


第4甲板の車両甲板は、前部エレベータの前方部分を除く大部分で2甲板分の高さを確保しており、その上の第2甲板はギャラリー・デッキを形成している。

第2・3甲板には、乗員用居住区とは別に、数区画に分けられた陸自隊員用の居住区が設けられており、1隻で完全武装した陸自隊員330名と戦車などが相当する中隊戦闘群を輸送できる。

第1輸送隊に所属する3隻の全力なら隊員約2,000名、戦車1個中隊、特科1個大隊などの普通科連隊戦闘団(RCT)半個の輸送が可能となる。

また、被災者など民間人を輸送する際には、車両甲板などのその他スペースも活用して、最大で1,000名を収容できる。

舟艇運用機能ですがあつみ型やみうら型など、海上自衛隊がおおすみ型以前に使用してきた輸送艦は物資を揚陸する際に直接砂浜に乗り上げるビーチング方式を採用していたが、おおすみ型では艦内に2機を搭載するエアクッション艇1号型(エア・クッション型揚陸艇、LCAC)を使用して揚陸を行う。

ビーチングでは揚陸に利用できる海岸が世界の海岸線の15%ほどだったのに対して、ホバークラフトによる揚陸では世界の海岸線の70%程度が利用できるとされる。

また、従来用いられてきた上陸用舟艇(LCM)の設計を踏襲した交通船2150号型も搭載できるが、こちらは普段は呉基地での港内支援任務に従事している。


舟艇に車両を搭載する場合は、第4甲板前部の車両甲板から直接に自走して乗り込む。資材の搬入、搬出は艦橋構造物、煙突横に設置されたクレーン(力量15トン)で行うこともできる。

LCACを運用する場合は艦尾門扉を開くだけでよいが、交通船などの在来型舟艇を運用する場合は、バラストタンクに注水して艦尾を下げることで、ドックに海水を導く必要がある。船体姿勢制御のための海水バラストは、約1,300-3,000トン搭載できる。


LCACは大量の兵員や重火器等を搬入する能力が低いこと、また同規模のアメリカ海軍ドック型揚陸艦がLCACを3隻搭載しているのに対して本型の搭載数は2隻であることから、従来のLSTが揚陸艦としての機能に重点をおいていたのに対し、本型では輸送艦としての機能に重点をおいているとも指摘されている。


ヘリコプター用の格納庫やエレベーターはなく、固有の搭載機は持たない。必要に応じて陸上自衛隊の輸送ヘリコプターを搭載、運用するとされており、航行しながらヘリコプターを発着艦させる機動揚陸戦ではなく、漂泊ないし錨泊状態での海上作戦輸送方式が前提とされた。


ヘリコプター甲板には、CH-47輸送ヘリコプターの駐機スポット・発着スポット各1個が設定されている。甲板にはアメリカ海軍の航空母艦(ニミッツ級)や強襲揚陸艦(タラワ級、ワスプ級)、ひゅうが型ヘリコプター搭載護衛艦と同じ滑り止め材(MS-440G)が施されている。

前甲板の車両用エレベータ(力量20トン)は、H-60系ヘリコプターの揚降に対応しており、第4甲板の車両甲板を航空機格納庫として転用することができる。この場合、ローターブレードを全て取り外す必要があるため、エレベータでの揚降状態と飛行可能状態との間の転換には相当の時間を要する。

スマトラ沖地震被災地への人道援助活動のため、3番艦「くにさき」が陸上自衛隊のヘリコプター5機を搭載し派遣された際には、UH-60JAは、ブレードをはずして第4甲板の車両甲板に収容されたものの、CH-47JAは防錆シート等で梱包されて上甲板に搭載された。

航空機整備能力は持たないため、UH-60JAの整備はしらね型ヘリコプター搭載護衛艦「くらま」で行い、陸上自衛隊のCH-47については、派遣期間中、点検以外の整備はできなかった。


1番艦「おおすみ」には、外洋航海やヘリ離発着時の安定性を向上させるフィンスタビライザー(横揺れ防止装置)が、政治的判断から装備されず、2番艦からの装備となった。

後に、平成18年度防衛庁予算において、国際緊急援助活動に対応するための大型輸送艦の改修費としてスタビライザー取り付け改修費用が予算化され、同時に航空燃料の容量も増大される。就役当初にはなかった戦術航法システム(TACAN)も搭載された。


2013年(平成25年)6月14日に実施された日米共同演習「ドーン・ブリッツ13」において、アメリカ海兵隊のMV-22Bオスプレイが「しもきた」に着艦している。

また平成26年(2014年)度以降、オスプレイの運用に対応した改修が計画されている。

艦橋構造物内の第1甲板レベルに手術室、歯科診療室、集中治療室(2床)、病床(6床)を備えており、これは登場当時、自衛艦としてもっとも充実した医療能力であった。

その他の自衛艦艇も、医師さえ乗り組めば簡単な手術が可能になる、充実した医務室を持つが、本型と同等以上の医療能力を備えているのは、ましゅう型補給艦とひゅうが型護衛艦のみである。


スマトラ沖地震直後の国際緊急援助隊派遣の後、2005年(平成17年)6月には「しもきた」の車両甲板上で陸上自衛隊の野外手術システムを展開する技術試験が行われた。

2006年度には野外手術システムの電源を艦内から取るための改装が順次行われ、複数の野外手術システムを展開して、医療機能をさらに増強できるようになった。

2013年(平成25年)8月には、「しもきた」に陸上自衛隊の野外手術システム(コンテナ式医療モジュール5つ)を搭載し、災害派遣医療チーム(DMAT)やドクターヘリとも連携して、病院船(医療モジュール搭載船)の実証訓練が行われた。

おおすみ型は、その多用途能力を活かして、自衛隊海外派遣や災害派遣などの戦争以外の軍事作戦にも利用される。


「おおすみ」が1999年(平成11年)9月、トルコ北西部地震の被災者救援のため、補給艦「ときわ」、掃海母艦「ぶんご」を伴い仮設住宅、テント、毛布等をイスタンブルに輸送した時には、歴史的に大国ロシアの圧力を常に感じていた同国民は「バルチック艦隊を破った日本海軍の末裔が我々の救助に来た」と歓迎したという。

また2002年(平成14年)には、東ティモールへPKO部隊を輸送した。2004年(平成16年)にはイラク復興支援法に基づき、陸上自衛隊がイラクで使用する軽装甲機動車や給水車など車両70台を護衛艦「むらさめ」による護衛の下で輸送している。


「しもきた」はテロ対策特別措置法に基づき、タイ王国陸軍工兵部隊と建設用重機をアフガニスタン近縁のインド洋沿岸へ輸送しており、「くにさき」も、2004年末に発生したスマトラ沖地震被災地への人道援助活動の為、国際緊急援助隊派遣法に基づき護衛艦「くらま」、補給艦「ときわ」とともに派遣された。援助物資のほか、CH-47JA 3機、UH-60JA 2機を輸送し、海上基地としても利用された。


東日本大震災に対する災害派遣においても、その輸送・揚陸能力を活かして出動している。

艦が直接接岸しての物資陸揚げのほか、港湾施設が使用不能となった地域ではLCACによる揚陸も行われた。

また車両甲板に入浴設備を設置しての入浴支援や健康調査など、多彩な支援活動が行われた。


建造者 日立造船 舞鶴工場
運用者 Flag of Japan.svg海上自衛隊
計画 平成11年度計画
発注 1999年
起工 2000年9月7日
進水 2001年12月13日
就役 2003年2月26日

艦種 輸送艦
艦級 おおすみ型
排水量 基準 8,900トン
満載 13,000トン
全長 178.0m
全幅 25.8m
深さ 17.0m
吃水 6.0m


機関 2軸推進
* 三井造船16V42M-Aディーゼル × 2基
機関出力 26,400PS
速力 最大速 22ノット
乗員 137名(ほか揚陸要員330名)
兵装 高性能20mm機関砲CIWS × 2基


レーダー * OPS-28D水上
* OPS-14C対空
* OPS-20航海
電子戦・
対抗手段 Mk137チャフ発射機 × 4基

 

安東駅 広島高速交通

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安東駅(やすひがしえき)は、広島県広島市安佐南区安東二丁目にある広島高速交通広島新交通1号線(アストラムライン)の駅である。

副駅名は、安東(安田女子大学前)。

安田女子大への通学利用が多く、全体の利用客数も多い駅です。

島式ホーム1面2線の高架駅。ホームから1フロアー降りたところに券売機・改札がある。

切符売場には券売機が2台。

利用客が多いため改札口の改札機は3台設置されています。

ステーションカラーは水色。


のりば
1 下り 広域公園前方面


2 上り 本通方面

ホームと改札フロアは分離された階段とのぼり専用エスカレーター、加えてエレベーターで結ばれています。


駅前には駐輪場があります。


1994年(平成6年)8月20日 - 開業。
1999年(平成11年)3月20日 - ダイヤ改正で急行列車が新設されたが、当駅は通過駅となる。


2004年(平成16年)3月20日 - ダイヤ改正で急行列車が廃止され、5年ぶりに全ての列車が停車するようになる。
2009年(平成21年)8月8日 - PASPY導入。

駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 3,205人/日(降車客含まず)
-2007年-
乗降人員
-統計年度- 6,183人/日
-2007年-
開業年月日 1994年(平成6年)8月20日

宇品二丁目停留場 広島電鉄宇品線

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宇品二丁目停留場(通称:宇品二丁目電停)は、広島市南区宇品神田一丁目および二丁目にある広島電鉄宇品線の路面電車停留場。
周辺の住居表示は宇品神田、宇品御幸ということで、「宇品二丁目」という住所は実在しない。
3号線と1号線・5号線の乗換え電停に指定されている。駅周辺は古くからの住宅街である。

2面2線の相対式ホームで、交差点の北側に広島港方面、南側に広島駅方面ホームがある。3両・5両連接車に対応している。また、隣の宇品三丁目電停との間に渡り線を有しており、2011年(平成23年)4月11日より当電停の折り返し便が復活した。


広島港方面行きホーム。
ホームには横断歩道からスロープで連絡します。
(交差点東側) 1号線3号線5号線 広島港ゆき   ※広島港行きの3号線は午前ラッシュ時のみの運行
3号線5号線 当電停止まり
ホーム北端には列車近接案内が設置されています。
比治山下・紙屋町方面行きホーム
(交差点西側) 0号線 広電前ゆき
1号線 紙屋町経由広島駅ゆき
3号線 広電西広島ゆき
5号線 比治山下経由広島駅ゆき
連接車に対応したホームですが、上屋は申し訳程度しかありません。

1935年12月27日 御幸橋 - 宇品間新線開業に伴い、女専前として開業
1942年5月頃 いったん廃止
1945年8月頃 復活
1950年頃 女子大前に改称
1953年頃 宇品十三丁目に改称
1958年6月20日 当電停 - 草津(宮島線)で、午前ラッシュ時のみ鉄軌道直通運転開始
1968年9月1日 宇品二丁目に改称
2003年4月20日 ダイヤ改正により、平日午前ラッシュ時の宮島線からの宇品二丁目行きが広島港まで延伸される
2004年11月16日 5号線の最終電車が皆実町六丁目ゆきに変更となり、当電停止まりの電車は一旦なくなる
2011年4月 渡り線の折り返し自動化が完了
2011年4月11日 ダイヤ改正により当電停折り返し電車が復活し、同日より乗換電停に指定される

駅番号 U12
所属事業者 広島電鉄
所属路線 宇品線
キロ程 3.8km(紙屋町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1935年12月27日


広島高速交通6000系電車

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広島高速交通6000系電車は、広島高速交通(アストラムライン)で1994年の同線開業から使用されている、新交通システムの案内軌条式鉄道車両。

案内軌条式鉄道とは、走行路面上の中央または側壁にある案内軌条に案内輪をあてて、ゴムタイヤで走行する交通機関である。ゴムタイヤで走行するが鉄道の分類形態の一つである。 日本では鉄道事業法において鉄道、軌道法において軌道(案内軌条式)と定義され、法的には鉄道・軌道の一種となっている。

方式:Automated Guideway Transit(AGT):AGT(Automated Guideway Transit)とは、自動運転により専用軌道を案内軌条に従って走行する中量輸送の旅客輸送システムである。案内軌条に併設された側部の給電線より給電しモーターで走行する。したがって架線がないため沿線の景観を損ねにくいが、電源供給が側部になるため踏切は作れず、高架橋か地下トンネルの完全立体交差となる。また、大量輸送鉄道(都市高速鉄道)のような高速運転には適していない。
AGTの共通的な特徴として以下が挙げられる。


電気動力による走行
ゴムタイヤ車輪付き小型軽量車両による連結運転
高架ガイドウェイを設置
急曲線・急勾配に支障がない
自動(無人)運転が可能である
列車の運行管理はコンピュータにより一箇所で集中管理
最大輸送力は5000-15000人/h程度
高架構造物の荷重制限のため定員乗車を規定[要出典]
車輪にゴムタイヤを使用する方式が多く、走行による外部への騒音や振動が少なく、摩擦力の大きさを活かした急勾配路線も可能となるため、過密な都市内や幹線道路上に建設することも可能である。またバス同様に急加速急減速が可能なので短い駅間距離でも対応可能である。
また、技術的にも無人運転を前提に開発されたことから、無人運転の導入が容易で労務コストの低減や、その近未来的なイメージが大都市近郊の自治体などに注目され、一般の鉄道よりも簡易な公共交通機関として、郊外や港湾地域に造成されたニュータウンやオフィス街などの通勤・通学の足として建設が進んだ。現在では日本以外でも多く採用され、世界の大規模空港内の無人運転の旅客輸送システムとしても活躍している。

開業に際して製造された車両で、製造会社は新潟鐵工所(現 新潟トランシス)、川崎重工業、三菱重工業である。 「6000系」の名称は開業年の和暦(平成6年)から取られている。
車体の客用扉は1扉で、中央部に両開きのものがある。室内の客席はロングシート。
車両の制御方式は電機子チョッパ制御方式を採用している。全車電動車(0.5M)となっている。
6100形-6200形-6300形-6400形-6500形-6600形の6両編成で、全23編成が製造された。車番の百の位は車両番号で、下2桁が1 - 23の編成番号となっている。
2014年から第12編成がサンフレッチェ広島のラッピング車両となっている。「12」は、同クラブのサポーターの背番号に割り当てられている。

編成 6両固定
営業最高速度 60 km/h
設計最高速度 70 km/h
起動加速度 3.2 km/h/s
減速度 (常用)2.5 km/h/s
(常用最大)3.5km/h/s
(非常)4.5 km/h/s
編成定員 286 人
編成長 50,700 mm
車体長 先頭車 8,150 mm
中間車 8,000 mm
車体幅 2,380 mm
車体高 3,290 mm
編成質量 65 t
軌間 1,700 mm
案内輪間隔 2,900 mm
電気方式 直流 750 V

伊予小松駅 JR四国)予讃線

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伊予小松駅(いよこまつえき)は、愛媛県西条市小松町新屋敷、旧小松町の中心に位置し、今治・本州方面への国道や高速道路が分岐する交通の要衝にあります。

駅の周辺は商店も多く賑やかです。四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅で利用の大多数は通学の高校生です。

普通列車のみが停車する小駅です。かつては一部の急行列車が停車していたが、停車駅整理により原則通過駅となりました(現行のダイヤでは特急列車の交換が多く設定されていて、運転停車が多い)。

1番線が上下副本線、2番線が上下本線(制限速度100km/h)となっている一線スルーで対向式2面2線の交換可能な地上駅。旧急行停車駅だったので大き目の木造駅舎です。


1981年(昭和56年)頃簡易委託化され、駅舎内で近距離乗車券を販売していたが、JR四国になってから事務室部分にパン屋「ウィリーウィンキー」が出店し無人化されました。

待合室には木製の長椅子が2脚設置。現在、「ウィリーウィンキー」は閉店してその後に陶芸教室、現在の事務室部分は公文式の教室になっています。

駅前には石鎚山登山口の最寄り駅であることを主張するモニュメントと大型の駐輪場があります。

ホーム間は屋根なしの跨線橋で結ばれています。上りホームには小ぶりな待合所が設置されています。駅舎側に留置線があり、行止りのホームもあります。ホーム上は駐車場となっています。

1923年(大正12年)5月1日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 イコ
駅構造 地上駅


ホーム 2面2線
開業年月日 1923年(大正12年)5月1日
備考 無人駅

玉之江駅 JR四国)予讃線

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玉之江駅(たまのええき)は、昭和38年開業の後発駅で愛媛県西条市石田にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅です。駅周辺は小さな集落を形成するのみで主要な道路からも離れており、ホーム目前には田園風景が広がっています。駅から徒歩1分程度のところに、簡易郵便局があります。

1961年開業で当初は通過する普通列車も多かったが、現在は全ての普通列車が停車いたします。

単式1面1線の地上駅。駅舎はなく、ホームにオープン構造の小さな待合所が設置されています。ホーム待合所にはFRP製の椅子が少数設置されるのみです

宇和島方面にホームは緩く左にカーブしています。高松方面は石鎚山をはじめとした四国山地の山並みが望まれます。
ホームは元々は3両分の長さしかなかったが、後に1両分が延長されています。

ホーム入口は公道踏切脇、ホーム端のスロープ。遮断機内側の入口です。


1963年(昭和38年)2月1日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。

電報略号 タエ
駅構造 地上駅
ホーム 単式1面1線
開業年月日 1963年(昭和38年)2月1日
備考 無人駅

 

お好み村 山ちゃん 広島

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広島といえばお好み焼き。その数ある店の中での人気店。これが正統派の味じゃけぇ。
 1965年から変わらない焼き方で、キャベツやもやしがどっさり。お好み焼きにはうるさい地元民にも人気の店で、オススメは定番の「豚玉そば」を鉄板の上で。おばちゃんの人柄もいい味。

お好み焼きを食べるときはぜひヘラで。不慣れな人にも使い方を親切に教えてくれる
スルメに衣をつけて揚げたイカ天はトッピングの王道

ピカピカに磨き込まれた鉄板に楽しく笑顔でいっぱいでおもてなし。お好み焼きへの想いを感じるお店です。

お好み焼き(肉玉)・そば入り(肉玉)・山ちゃんスペシャル(肉玉・エビ・イカ)・うどん入り(肉玉)810円

トッピング:イカ天・キムチ・生イカ・生エビ・ニンニク・生ネギのせ

鉄板焼き・ドリンク・その他メニュー:カキ焼き・イカ焼き・トンペイ焼き・ネギ焼き・すじ肉煮込み・ホルモン焼き・白肉(ミノ焼き)・おでん各・生ビール・清酒・焼酎・ハイボール・冷奴・つけもの

電話:082・248・3424 場所:広島市中区新天地5-13(お好み村2階) 営業時間11時~22時 定休日:不定 広島駅南口より市内電車で10分、八丁堀電停より徒歩5分



木質化改装車 一畑電気鉄道5000系電車

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一畑電気鉄道5000系電車(いちばたでんきてつどう5000けいでんしゃ)は一畑電車への分社前の一畑電気鉄道が1998年に導入した急行形電車です。

木質化改装車
2013年、当車両の木質化改装が島根県産木材の需要拡大を目的に制定された「島根県森林整備加速化・林業再生事業費補助金」の平成25年度事業として採択された。

2014年より5009編成(デハ5009 - デハ5109)が後藤工業にて木質化改装工事を受け、同年7月14日より営業運転を開始した。この改造にて座席はボックスシート化されており、各座席を杉のパーテーションで区切られている。

一畑電気鉄道の車両近代化に際して、1998年(平成10年)に登場した。2両編成2本の計4両が在籍する。本系列の導入によって一畑電気鉄道の全定期列車の近代化が完了している。本系列は2100系と同じく京王5000系を京王重機整備にて改造の上、譲受した車両であるが、出雲大社方面への観光輸送を重視した車両であるため、外観・内装は2100系と全く異なる。

塗装は在来車両から一新し、出雲平野の雲をイメージとした白をベースして、屋根と車体裾部分には宍道湖をイメージとした青、前面窓周りと車体下部には出雲大社厳粛の趣である黒が配色されている。


前面は貫通扉が埋められて非貫通形になっており、前照灯は2灯式から1灯式に変更され、元の標識灯は撤去されて丸形のものが新設された。行先表示器があった場所には羅針盤を模したヘッドマークが取り付けられ、行先表示器は助手席側窓の上側に設置された。ワンマン運転用としてサイドミラーも設置されている。側面は2100系2103・2104編成と同様、中央の扉が埋められて2扉となっている。

内装は当初青を基調とし、座席は車端部とドア付近を除いてクロスシートに改装された。クロスシートは運転台に向かって左側に1人掛けの転換式クロスシート、右側に2人掛けの回転式クロスシートとなった。

ちなみに回転式クロスシートは廃車になった小田急3100形(NSE)のシートを流用し、この部分の吊革は撤去した。車内天井には出雲の神話にまつわるイラストが描かれていた。各車同様、ワンマン運転用として連結面側の側扉付近に乗車整理券発行器、運転台後部に運賃表示機と自動両替機付運賃箱、連結面に防犯カメラを設置した。

京王線の軌間は1372mm、一畑電車の軌間が1067mmである関係から、改軌のために台車を帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)3000系から流用したFS510に履き替えるなど、基本的な改造箇所は2100系と同じ。

冷房装置は分散式のRPU-2203AJをデハ5001形に3基(パンタグラフ設置のため連結面の1基を撤去)、デハ5010形に4基搭載している。

かつては平日朝の特急「スーパーライナー」と、休日の急行「出雲大社号」及び電鉄出雲市~出雲大社前間の特急に限定運用されていたが、2100系2104編成「ご縁電車しまねっこ号」登場後は同運用から撤退した。現在は他車との共通運用に就いている。 非貫通のため、4両編成では前後の車両を行き来することはできない。

 

 

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