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彦山駅 JR九州)日田彦山線

彦山駅(ひこさんえき)は、福岡県田川郡添田町大字落合にある、九州旅客鉄道(JR九州)日田彦山線の駅。

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駅名は『ひこやま』とは読まない。日本三大修験山の一つ、霊峰英彦山の玄関口駅です。

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次駅の筑前岩屋駅との間で旧国境を越える(当駅は豊前国、次駅は筑前国)。駅周囲の平地に小さな集落があるだけのひなびた山中の駅です。

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駅舎に接して単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。中線(2番線)は折返し列車専用である。

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駅舎は英彦山神社をイメージした赤屋根で木造の大きなものです。

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駅の開業と同じ1942年(昭和17年)8月に建てられたもので英彦山神宮を模して赤い柱を使用するなど英彦山への入り口駅にふさわしく優雅なつくりであるとの評判が高い。

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右端にある離れのトイレまで駅の造りが統一されています。

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1980年(昭和55年)の無人化後しばらくこの駅舎はほとんど待合所として使用されるのみであったが1994年(平成6年)にある女性陶芸家がこの駅の旧事務室部分に工房と陶芸のギャラリーおよび喫茶室(翔房舎)を設け以後はこの陶芸家が乗車券の販売を受託していた(簡易委託駅)。

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しかしながら2004年(平成16年)7月には乗車券販売の委託は解除され、この駅は再び完全な意味での無人駅となった。

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待合室は天井が高く広い。

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ホーム間は構内踏切で結ばれています。駅舎南側には大きな観光地では必ずあった団体専用出入り口がこの駅にも残っています。

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1番ホームが大きな駅舎の上屋に覆われるのに対し、2・3番ホームは雨ざらしです。2番線は使用していないようです。

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観光拠点としては立派に機能しており、駅前にはタクシー会社の営業所、土産物屋、食堂、旅館などが並んでいます。

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また、添田町営バスが添田駅からこの駅を経由し、英彦山方面まで走っています。

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1942年(昭和17年)8月25日 - 鉄道省が西添田 - 彦山間延伸に伴い田川線の駅として開設。
1945年(昭和20年)11月12日 - 二又トンネル爆発事故で駅本屋中破。

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1960年(昭和35年)4月1日 - 区間分離・統合に伴い日田彦山線の所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

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電報略号 サン
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1942年(昭和17年)8月25日
備考 無人駅(自動券売機 有)

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筑前岩屋駅 JR九州)日田彦山線

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筑前岩屋駅(ちくぜんいわやえき)は、福岡県朝倉郡東峰村大字宝珠山にある、九州旅客鉄道(JR九州)日田彦山線の駅である。

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駅周辺は山深く人家も希薄で利用客がわずかな無人駅です。

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駅の利用者より釈迦岳からの湧き水を汲む為の来客の方がおおい。

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駅脇には日田彦山線釈迦岳トンネルの湧水が引かれており、これを汲むことができる(岩屋湧水)。この湧水は元は旧国鉄が蒸気機関車の給水用に、トンネルの掘削時に湧出した地下水を引く導水管を敷設したものである。

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その後2003年に地元の宝珠山村(当時)が給水場を整備した。当初は誰でも自由に汲める湧水であったが、2008年に環境省が平成の名水百選に選出したことで訪問者が急増し、悪質な例も続出したことから、2009年12月より有料による自動給水装置での供給に変更されている。

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単式ホーム1面1線を有する地上駅。元々は島式ホーム1面2線だったが、駅舎側の線路は彦山寄りで切断されており、使用されているのは1線のみである。

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ホームから駅舎へは、この使われていない線路を構内踏切で渡る。

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英彦山神社をイメージした駅舎は1996年(平成8年)に出来たもので、消防団の倉庫と合築で手前はトイレになっています。無人駅である。

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待合室はガラス張りで明るい。木製の長椅子が設置されています。鯉が泳いでいる池もあります。

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ホームに待合所がありFRP製の長椅子が1脚設置されています。

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ホーム城野方面には長大な(約4㎞)分水トンネルである釈迦岳トンネルがすぐそばにあります。

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1956年(昭和31年)3月15日 - 日田線彦山 - 大行司間延伸に伴い開業。
1960年(昭和35年)4月1日 - 日田線の彦山線との区間統合により日田彦山線の所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により九州旅客鉄道の駅となる。

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電報略号 チイ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線

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開業年月日 1956年(昭和31年)3月15日
備考 無人駅

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救命浮舟 1人用(JC-2B改) 藤倉ゴム工業

非常用救難装具で会場に不時着水した航空機搭乗者の救命浮舟として使用いたします。

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用途 航空機搭乗員が水上遭難した時の保命用
適用 C-1、C-130、U-125、CH-47、YS-11、MU-2、U-4
長さ 1.625m
幅 0.880m
高さ 0.305m
重量 3.0kg
製作 藤倉ゴム工業

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 水上遭難時の保命用で、常にサバイバル・キット・コンテナ(座席型)内に収納され、海中に着水すると炭酸ガスによって自動的に膨張する。また手動によって解放、膨張させることもできる。浮舟本体、炭酸ガス充気装置、付属品収納袋からなる。マジックテープ式のシールドが付いており、身体をすっぽり包んで波や雨風を防ぎ保湿性を確保できる構造になっている。

大鶴駅 JR九州)日田彦山線

大鶴駅(おおつるえき)は、大分県日田市大字大肥にある、九州旅客鉄道(JR九州)日田彦山線の駅です。駅周囲は少しひらけており、日田市立静修小学校・日田市立大明中学校や大鶴郵便局、市役所支所なども設置されています。

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大分県内の福岡近郊区間の駅は、当駅と隣の今山駅の二駅のみである。

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駅名板の書は、まちおこし団体「おおつる華の会」石井勝誠会長によるもの。

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単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎は2010年に旧駅舎の雰囲気を引き継ぎ改築された木造駅舎です。奥にトイレ、手前に炊事場のような流し台があります。

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かつては島式ホーム1面2線でした。ホームへの連絡通路があります。

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無人駅(簡易委託駅だった時期もある)。古い木造駅舎が残っていたが、2010年2月に解体され、新たな木造駅舎が建設された。以前は自動券売機が設置されていたが、建て替えられる前に撤去された。

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コミュニティスペースが設けられ待合室には造り付けの木造長椅子が設置されています。

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木材輸送などで賑わった駅でかつては側線が多数設置されていました。2~3線分の路盤があります。

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ホームには鉄骨造りの待合所がありFRP製の椅子が並んでいます。背板には募集による俳句。

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旧駅舎に掲げられていた駅名標も引き継がれています。

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1937年(昭和12年)8月22日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2010年(平成22年)2月 - 旧駅舎を解体。
2011年(平成23年)4月18日 - 新駅舎が落成。

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電報略号 オル
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線

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乗車人員
-統計年度- 42人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1937年(昭和12年)8月22日
備考 無人駅

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今山駅 JR九州)日田彦山線

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今山駅(いまやまえき)は、大分県日田市大字夜明にある、九州旅客鉄道(JR九州)日田彦山線の駅である。駅の周辺には小さな集落がある。

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当駅が福岡近郊区間の末端である。大分県内の福岡近郊区間の駅は、当駅と隣の大鶴駅の二駅のみである。

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単式ホーム1面1線を有する地上駅。かつては島式ホーム1面2線であった。国鉄時代の木造駅舎は、無人化後も残され地元の集会所として利用されていました。

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しかし、JR移管後に取り壊されて、現在ではホーム上に待合所があるのみである。無人駅となっている。ホームに隣接して路盤跡が駐輪場になっています。

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かつては交換駅だった。

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取り付け道路から直接ホームへの通路が続いています。ホーム中央に波板で囲った簡素な待合所があり貧相な椅子が設置されています。

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1937年(昭和12年)8月22日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

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電報略号 マヤ←イヤ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 13人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1937年(昭和12年)8月22日
備考 無人駅

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新幹線 座席

普通車(1969年まで二等車)の座席は、海側を3列とした合計横5列配置の輸送力重視型である。

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開業以前に二等車(現・普通車)はシルバークラス、一等車(現・グリーン車)はゴールドクラスとする案があったため、モケットはそれに合わせた配色となった。

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普通車
当初普通車はその銀色と青色のモケットを張っている転換式座席(W-12、W-70)だったが、1981年以降の新造車両(2000番台)は東北新幹線200系とほぼ同様のオレンジ基調のフリーストップタイプ・回転式簡易リクライニングシート(D-23、D-32)に変更、交換された。

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3列側は回転させるスペースがないため、一方向固定(集団見合型との比較アンケートの結果、集団離反型を採用)とされた。残存する在来車も順次同仕様に交換されたが、「こだま」用の編成に組み込まれた車両の中にはJR化後も廃車されるまで転換式のままだったものもある。

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この転換式座席と同じ色のモケットが在来線車両の優先座席に使われたことが「シルバーシート」の名称の由来である。また、交換後の転換式座席は、キハ31形など新製費を抑えた在来線車両に再利用される例も多かった。

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後年、オレンジ色の D 系シートはJR東海の新幹線待合室に再利用されている。
東海旅客鉄道(JR東海)の「こだま」用Y編成とYK編成の指定席車(9 - 12号車)、西日本旅客鉄道(JR西日本)のSK編成「ウエストひかり」、WR編成の全車は左右それぞれ二人掛けの4列に付け替えられた。

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「こだま」用Y・YK編成の4列シートはR-56形を[、「ウエストひかり」用SK編成と「ウエストひかり・こだま」用WR編成のシートはWRK-201形を名乗る。

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しかし、ドア位置は以前の3列+2列のままであったため、デッキから車内に入る際の動線がやや屈曲したものとなった。

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夜明駅 JR九州日田彦山線・久大本線

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夜明駅(よあけえき)は、日田市最西部の駅で大分県日田市大字夜明にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅です。立地は筑後川縁の狭い段丘で駅周辺には小さな集落があります。

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久大本線を所属線とし、日田彦山線を加えた2路線が乗り入れる。日田彦山線は当駅が線路名称上の終点であるが、列車はすべて久大本線経由で日田駅まで乗り入れこの駅での転回はありません。

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日田市西端部の山間部に位置する。駅前を国道386号および筑後川(当地域での通称は三隈川)が久大本線に並行する形で通っており、筑後川を挟んだ対岸には国道210号が通る。また当駅の約300m北西から国道211号と大肥川が日田彦山線に並行する形で通っている。
駅付近は崖が連続し、降雨時は危険なため降雨計が設置されている。
駅名は当駅開設当時に存在した日田郡夜明村(1955年(昭和30年)に日田市に編入)にちなむ。「夜明」の地名は、焼畑開墾地であることから最初は夜焼(よやけ)と付けられたが、「焼」の発音を嫌って夜開(よあけ)、夜明(よあけ)の順で改字されたことによる。

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単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。
駅へは少し階段を上がる。古い木造駅舎があったが2010年(平成22年)2月9日から解体工事が始まり、木造の新駅舎は3月下旬に完成した。

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2009年(平成21年)6月30日までは、駅前の商店で乗車券を発売する簡易委託駅であったが、現在は完全な無人駅となり、商店も廃業している。駅前には駐輪場があります。待合室には造り付けの木造長椅子があり周辺の観光案内が設置されています。

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ホームは1番線が久大本線上り、2番線が久大本線下り、3番線が日田彦山線(上下線共用)。

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のりば
1 ■久大本線 (上り)久留米方面
2 (下り)日田・由布院方面
3 ■日田彦山線 (上り)田川後藤寺方面、(下り)日田方面
ホーム間は屋根なしの跨線橋で結ばれています。2・3番ホームには簡単な待合所があります。

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日田彦山線は隣の今山駅以北の全駅が福岡近郊区間に入っている。当駅はわずか一駅ではあるが同区間外のため、久大本線はもちろん日田彦山線に乗車しても実際の乗車経路で運賃計算される。
知名度の高い駅で映画『男はつらいよ 寅次郎紙風船』でロケに使用されたり歌にも登場する。

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国道のちょっとした駐車帯の脇に階段があり、駅はその上にあります。

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駅前は狭く、崖下の国道への通路と狭い広場があるだけです。

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1932年(昭和7年)3月12日 - 鉄道省(国有鉄道)の駅として開業。
1937年(昭和12年)8月22日 - 彦山線の当駅 - 宝珠山間が開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2010年(平成22年)
1月8日 - 駅舎改築工事着工。
3月 - 新駅舎完成。

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2012年(平成24年)
7月14日 - 平成24年7月九州北部豪雨の影響で休止。
7月16日 - 筑後吉井駅 - 日田駅間にて、代行バスの運行開始。
7月27日 - 日田彦山線の運行再開。日田彦山線直通列車のみ停車。久大本線の筑後吉井駅 - 日田駅間は、引き続き代行バスにて運行。
8月25日 - 久大本線の筑後吉井駅 - 日田駅間の運行を再開。

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電報略号 ヨア
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線

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乗車人員
-統計年度- 49人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1932年(昭和7年)3月12日
乗入路線 2 路線
所属路線 久大本線
所属路線 日田彦山線
備考 無人駅
* 全列車が日田駅まで乗り入れ。

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光岡駅 JR九州)久大本線

光岡駅(てるおかえき)は、大分県日田市大字友田にある、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅です。駅の周囲は住宅地、大分県立日田三隈高等学校の最寄り駅として学生の利用で朝夕賑わっている駅です。

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夜明駅から乗り入れる日田彦山線の列車も利用が可能である。駅からは離れていますが九州三大稲荷のひとつ、萩尾稲荷神社の最寄り駅です。

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島式ホーム1面2線を有する地上駅。かつて木造駅舎があったが2006年(平成18年)12月に解体され、跡地には「すこやか光岡」と名づけられた待合所室と便所が一体となった施設が設けられ、事実上の新駅舎として機能している。

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コンパクトな待合室には造り付けの木製長椅子が向かい合わせに設置されています。

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駅舎とホームは構内踏切で連絡している。
無人駅。2006年11月25日をもって、駅前の森山青果店で行っていた乗車券の委託販売を終了した。駅前の駐輪場はきっちり整備されてないため自転車が散乱しています。

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のりば
1 ■久大本線(待避線)
2 ■久大本線(主本線)
2番線を主本線とする一線スルー方式で、各乗り場の振り分けは、以下の通りで一定しない。

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当駅で交換がない場合、上り下りとも2番線に入る。
当駅で普通列車が特急列車を待避する場合は、普通列車が1番線に、特急列車が2番線を通過する。
当駅で普通列車同士が交換する場合、先に入線した方が1番線に入る。
なお、通常ダイヤでは当駅での特急列車同士の交換は設定されていない。

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ホームの中央に短い上屋が設置されています。

1934年(昭和9年)6月25日 - 鉄道省(国有鉄道)の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2006年(平成18年)
11月25日 - 簡易委託を解除、無人化。
12月 - 旧駅舎を解体。

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2007年(平成19年)3月 - 事実上の新駅舎である「すこやか光岡」完成。
2012年(平成24年)
7月14日 - 平成24年7月九州北部豪雨の影響で休止。
7月16日 - 筑後吉井駅 - 日田駅間にて、代行バスの運行開始。道路事情から、代行バスは駅前まで乗り入れない。
7月27日 - 日田彦山線の運行再開。日田彦山線直通列車のみ停車。久大本線の筑後吉井駅 - 日田駅間は、引き続き代行バスにて運行。
8月25日 - 久大本線全線で列車の運行を再開。

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電報略号 テル
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線

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乗車人員
-統計年度- 137人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1934年(昭和9年)6月25日
備考 無人駅

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国鉄ED40形電気機関車

国鉄ED40形電気機関車(こくてつED40がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が1919年(大正8年)から製造した直流用電気機関車である。

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信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)用のアプト式電気機関車で、1919年に4両、1920年(大正9年)に4両、1921年(大正10年)に3両、1922年(大正11年)に2両、1923年(大正12年)に1両の計14両が鉄道院大宮工場(現在のJR東日本大宮総合車両センター)で、10000形(後のEC40形)の増備用として製造された。国鉄が初めて導入した国産電気機関車である。本形の増備により、1921年に碓氷峠区間での蒸気機関車の運転が廃止された。
製造時の形式番号は、10020形 (10020 - 10033) であったが、1928年(昭和3年)10月の車両形式称号規程改正により、ED40形 (ED401 - ED4014) に改番された。
車体は箱形の切妻車体で、中央部の屋根上に停車場内で使用するパンタグラフを1基搭載している。本線上では第三軌条から集電するため、集電靴が片側2か所に設備されている。また、運転台は坂下の横川寄りにのみ設けられた片運転台型で、軽井沢方は連結器上に張り出す形で抵抗器室が設けられている。電動機は、動輪用、歯車用に各1基、計2基が床上に設置されており、動力は歯車で減速した後、連結棒で4軸の動軸及び2軸の歯車に伝達される。

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運用
基本的に一貫して横川機関庫(1936年9月1日付で横川機関区に改称)に配置され、信越本線の横川 - 軽井沢間で使用されたが、ED42形の増備と老朽化により、1943年(昭和18年)7月から廃車が開始され、1952年(昭和27年)3月に廃車された13号機をもって、全車が除籍された。
国有鉄道時代に横軽間以外の線区で使用された記録としては、1951年(昭和26年)7月にED40 13がラック関係機器を下ろして富山港線で使用されていたという記録がある。
私鉄への譲渡
国鉄から私鉄へは、2両(6, 10)が1947年(昭和22年)に東武鉄道へ、3両(9, 11, 14)が駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道駿豆線)へ、2両(3, 4)が南海電気鉄道へ譲渡されている。その際、アプト式用の機器(ピニオン(歯車)用の電動機、歯車等の駆動装置)は取り外されている。また、南海電気鉄道へ譲渡された2両のうちED404は後年秋田中央交通へ再譲渡された。

東武鉄道に譲渡された2両は、譲渡以前の1944年(昭和19年)から同社の日光軌道線に貸出されていたもので、譲渡後は、ED4000形4001・4002に改番されたが、昭和30年(1955年)に電気機関車の一斉改番の際にED4000の形式は本線系統のED10形に譲り、本形式はED600形601・602に再改番された。同年、新型機ED610形ED611が投入されたことに伴い、ED601は翌年4月に廃車されたが、ED602は1968年(昭和43年)1月、日光軌道線の廃止に先駆け貨物輸送廃止まで予備車として使用され、同年2月24日の路線廃止と共に廃車となり廃車後は復元保存のため国鉄に寄贈された。日光軌道線では、古河電気工業日光電気精銅所への軍需輸送のために使用され、パンタグラフのほかにポールを併用しており、また、急勾配が介在するため、電気機関車は常に坂上側に運転台を向けた形で坂下側に連結され、登坂列車については推進運転となった。一方降坂列車については、運転台のない側が先頭ととなることから、第2エンド側にステップを設けて、前方警戒のための車掌がそこに乗務した。

2007年(平成19年)10月14日、さいたま市大宮区に開館した鉄道博物館で展示されている。展示に際して重整備が行われ、ラック式機構が復元された。展示に際しては、車体の下に設けられた通路からピニオンギアとラックレールが噛み合う仕組みを観察できるようになっている。

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営業最高速度 粘着区間:25 km/h
ラックレール区間:18 km/h
全長 9,924 mm
全幅 2,606 mm
全高 4,080 mm
車両質量 60.70 t
軸配置 Db
軌間 1,067(狭軌) mm
電気方式 直流600V
(第三軌条方式、架空電車線方式併用)
総出力 940 kW
主電動機 直流直巻電動機 MT3A
主電動機出力 470 kW (一時間定格)
搭載数 2基 / 両
定格速度 15.0 km/h
定格引張力 粘着区間:5,700 kgf
ラックレール区間:11,400 kgf
歯車比 動輪:6.47 (15:97)
歯輪:5.82 (17:99)
駆動装置 歯車1段減速、連結棒式
制御装置 抵抗制御・電磁単位スイッチ式制御器
制動方式 EL-14B自動空気ブレーキ
発電ブレーキ・手用動輪用ブレーキ、手用ラック歯車用帯ブレーキ
製造メーカー 鉄道院大宮工場

 

日田駅 JR九州)久大本線

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日田駅(ひたえき)は、大分県日田市元町にある、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅である。日田市の代表駅。
日田彦山線の列車も全列車が当駅まで乗り入れ、利用が可能である。

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駅は杉の産地で平安時代以後に城下町、そして江戸時代には天領として栄華を誇り、古い町並みも残る水郷の町日田市の中心部にあり、周辺には大型店や商店街などがあります。

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鉄筋コンクリート造りの駅舎に接した相対式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合計2面3線と留置線3本を有する地上駅で、ホーム間は地下道で結ばれており、バリアフリーの観点から2013年4月より各ホームに地下道と接続するエレベーターが設置されている。

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直営駅で、みどりの窓口・自動券売機・液晶ディスプレイ式の小型発車標が設置されている。待合所にキヨスクと楽チャリが設置されている。

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かつては「天領弁当」や「鮎すし」などの駅弁が販売されていたが、現在は「寶屋本店」の弁当がキヨスクで販売されている。駅弁は、たかな巻すし、たかなそぼろ弁当、鮎すしが販売されてる。
2014年3月15日のダイヤ改正で久留米発最終列車の同駅終着時刻がはじめて日付を跨ぐ形となった(0時05分)。

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独立した待合室が設置される他、室外にも椅子が設置されています。

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のりば
1 ■久大本線 (上り)久留米方面

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2・3
(下り)由布院・大分方面
■日田彦山線 (上り)田川後藤寺方面

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ホーム間は地下道で結ばれています。構内には多数側線も設置されています。

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駅南側に待合室、売店などを備えた日田バスセンターがあり、福岡へ向かう高速バスや、日田バス、大交北部バスの運行する路線バスが発着している。

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路線バスでは、市内各方面や、鉄道路線のない旧大山町・旧中津江村・旧前津江村方面、杖立温泉方面、耶馬渓を経由して中津市へ向かう路線などがある。駅前広場には客待ちのタクシーが列を連ねています。

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1934年(昭和9年)3月3日 - 鉄道省(国有鉄道)の筑後吉井駅 - 当駅間の開通に伴い開業。
1934年(昭和9年)11月15日 - 当駅 - 天ヶ瀬駅間の開通により久大線全通。
1937年(昭和12年)6月27日 - 宮原線の開通に伴い久大線を現在の呼称である久大本線に改称。

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1987年(昭和62年)
2月5日 - みどりの窓口開設。
4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道に継承。

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電報略号 ヒタ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線

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乗車人員
-統計年度- 896人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1928年(昭和3年)12月24日

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備考 直営駅
みどりの窓口 有

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豊後三芳駅 JR九州)久大本線

豊後三芳駅(ぶんごみよしえき)は、大分県日田市大字日高にある、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅である。

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かつては、近くに商店街(小渕商店街)があったが、スーパーマーケットの開業と林業の衰退等に伴い、商店街も衰退した。周辺には、木材の積み出し駅の名残で木材に関係する製材所等が幾つかある。林業の衰退などにより往時の賑わいはない。

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単式ホーム1面1線を有する地上駅である。駅舎はコミュニティー消防センター(実体は倉庫)・菓子屋を併設している。菓子屋が近距離切符を販売していた簡易委託駅であったが、現在は菓子屋が閉店したため、無人駅である。

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かつては木材の積み出し駅として賑わいを見せており、当時の駅舎には現在の消防センターの部分に大衆食堂があった。

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待合室には造り付けの長椅子が設置されていますが、実質的には通路です。右のシャッター奥にはかつて売店が営業していたようです。

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ホーム中央には待合所が設置されています。

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1934年(昭和9年)11月15日 - 鉄道省(国有鉄道)の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

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電報略号 フミ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線

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乗車人員
-統計年度- 8人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1934年(昭和9年)11月15日
備考 無人駅

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91式携帯地対空誘導弾 SAM-2 自衛隊装備

91式携帯地対空誘導弾は、日本の東芝が開発した国産の携帯式防空ミサイル・システム(MANPADS)。略称は携SAM及びSAM-2、広報向け愛称はハンドアローで部隊内通称はスティンガー、PSAMと呼称されている。

アメリカ製のスティンガー携帯式防空ミサイルの後継として、1983年(昭和58年)から開発が開始され、1991年(平成3年)に制式採用された国産開発の携帯式防空ミサイルである。派生型としてOH-1観測ヘリコプターに搭載する空対空ミサイル型や、高機動車に発射機を搭載した93式近距離地対空誘導弾が存在する。

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通常の赤外線誘導に加え、CCDカメラによる画像認識により、人の目と同じように可視光のイメージで誘導できる。これにより目標機体正面方向からでも発射が可能になり、フレアなどの妨害装置にも強くなった。ミサイルの発射後に展開する前部の小型可動翼4枚で姿勢制御を行う。ミサイル後部は、収納チューブに合わせるため胴体が細くなっており、4枚の安定翼がある。信管は設定秒時に作動する自爆機能を持つ。携行型は、発射筒に封入された誘導弾および発射機、外部電池、敵味方識別装置(IFF)によって構成される。
主に陸上自衛隊の普通科・機甲科(戦車)部隊や特科部隊の自衛用に配備されているが、航空自衛隊や海上自衛隊でも1993年(平成5年)から基地防空用に配備されている。航空自衛隊では当初、操作要員に予備自衛官を充てることを想定していたが、操作法が難しく短期間の訓練で習熟することが不可能と判断され、現職の基地防空隊員と運用要員が扱っている。
2007年(平成19年)度からライフサイクルコストの低減や、低空目標への対処能力の改善、携行SAMとしては世界初の赤外線画像(IIR)誘導方式による夜間戦闘能力の向上、煙の少ない推進薬の使用等の改良を加えた個人携帯地対空誘導弾(改)(SAM-2B)の調達が開始されました。

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ミサイル直径 80mm
ミサイル全長 1,430mm
ミサイル全幅 0.9 m
ミサイル重量 9kg(本体)
17kg(発射セット)
弾頭 指向性弾頭
信管 着発式
射程 5,000メートル (2.7 nmi)
推進方式 固体燃料ロケット
誘導方式 -2: 赤外線ホーミング(IRH)+画像(TV)
-2B: 赤外線画像(IIR)
飛翔速度 マッハ1.9
設計 東芝

 

高取駅 広島高速交通

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高取駅(たかとりえき)は、広島県広島市安佐南区高取北一丁目にある広島高速交通広島新交通1号線(アストラムライン)の駅である。

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駅は駅周辺の高取団地だけでなくマンションなどの住人が利用します。

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島式ホーム1面2線の高架駅。ホームから1フロアー降りたところに券売機・改札がある。

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ホームにはクーラーを始め空調設備は無く扇風機しかありません。

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切符売場にタッチパネル式の券売機が2台と改札口に改札機が2台設置されています。

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ステーションカラーは桃色。

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のりば
1 下り 広域公園前方面
2 上り 本通方面

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少し離れた所に駐輪場があります。

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改札フロアとホーム 地上と改札フロアへは階段、のぼり専用エスカレーター、エレベーターを利用します。

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1994年(平成6年)8月20日 - 開業。

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1999年(平成11年)3月20日 - ダイヤ改正で急行列車が新設されたが、当駅は通過駅となる。

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2004年(平成16年)3月20日 - ダイヤ改正で急行列車が廃止され、5年ぶりに全ての列車が停車するようになる。

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2009年(平成21年)8月8日 - PASPY導入。

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駅構造 高架駅
ホーム 1面2線

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乗車人員
-統計年度- 1,522人/日(降車客含まず)
-2007年-
乗降人員
-統計年度- 2,910人/日
-2007年-
開業年月日 1994年(平成6年)8月20日

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レムフ10000形(レサ10000形の緩急車)

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10000系貨車とは、日本国有鉄道の貨車のうち、最高運転速度100km/hに対応し、空気バネ台車(TR203)を装備する高速貨車を指す。形式の数字が10000で揃えられていたため、この名がある。1966年に製造された高速運転用冷蔵車レサ10000系の緩急車。11輌が製造されたが1986年に形式消滅した。

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レサ10000形で編成された高速鮮魚輸送列車 の緩急車です。レサ10000系は昭和39年から量産された重保冷冷蔵 車レム5000形を大型化した車体に、コキ10000系の足廻りを組み合 わせた冷蔵車で、昭和41年と43年にレサ10000形が137両、レムフ 10000形が11両製造されました。台車は空気バネのTR203、二つに 仕切られた荷室に対応し台車ごとに制御する応荷重式電磁自動ブレ ーキ、ブレーキ管・元空気ダメ管を同時に接続する密着式自動連結 器など、貨車の標準からは高級な仕様です。

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レムフ10000形には電磁直通ブレーキを構成するためのユニットが あり、レムフ抜きでは高速で走行することが出来ません。そのため 昭和60年3月の車掌車廃止後も連結されていましたが、鮮魚輸送の 終了によりレサ10000形ともども昭和61年度に全車廃車となりました。

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豊後中川駅 JR九州)久大本線

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豊後中川駅(ぶんごなかがわえき)は、大分県日田市天瀬町合田にある、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅である。立地は旧天瀬町の中心部より北側の山間部にある。国道210号が久大本線に並行して駅前を通る。

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「高塚さん」の愛称で親しまれる高塚愛宕地蔵尊の最寄り駅。駅前の高塚愛宕地蔵尊入口交差点から県道54号線を約5km進む。

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地蔵尊の駐車場横にインターチェンジを設置したので、参拝客の大半は自家用車かバス利用の様子です。かつては急行「由布」の一部が停車していた。

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単式ホーム1面1線を有する地上駅である。駅舎は小さな鉄骨造の駅舎です。無人駅。駅舎はJA(農業協同組合)のスーパーマーケット・Aコープとの併設駅舎だったが、2011年にスーパーマーケット部分は解体され待合室のみとなっている。

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待合室にはFRP製の椅子が左右に設置、駅の規模に不釣合いな参拝客を当て込んでのコインロッカーがある。

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ホームにも待合室があり作り付けの木造長椅子が設置。以前は交換可能駅だったようです。

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駅名標の所在地が「天ケ瀬町」になっていますが、日田郡天瀬町は平成17(2005)年3月に合併により日田市となっています。

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1934年(昭和9年)11月15日 - 鉄道省(国有鉄道)の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

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電報略号 フハ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線

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乗車人員
-統計年度- 61人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1934年(昭和9年)11月15日
備考 無人駅

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天ヶ瀬駅 JR九州)久大本線

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天ヶ瀬駅(あまがせえき)は、大分県日田市天瀬町桜竹にある、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅である。

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特急「ゆふ」・「ゆふいんの森」の停車駅である。

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駅前には湯布院、別府と並んで豊後の三大温泉に数えられる天ヶ瀬温泉の温泉街が広がっている。

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駅周辺はそれほどの賑わいはありません。駅のすぐ上を国道210号の高架が通っている。

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島式ホーム1面2線を有する地上駅。現駅舎は1996年(平成8年)8月2日から供用開始されているもので、観光情報センター「天の国プラザ」が駅舎に併設される合築駅舎です。

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前後の閉塞区間が長いため、ここで交換する列車が多くなっています。

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JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、マルスはないがPOS端末が設置されている。券売機は設置されていません。

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待合室はガラス張りで明るく木製の長椅子が向かい合わせで設置されています。

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ホームには上屋下に長椅子が設置され、待合所として使用されています。

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1933年(昭和8年)9月29日 - 鉄道省(国有鉄道)の駅として開業。

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1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

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電報略号 アマ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線

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乗車人員
-統計年度- 129人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1933年(昭和8年)9月29日
備考 業務委託駅

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国鉄101系電車

国鉄101系電車は、1957年(昭和32年)に登場した日本国有鉄道(国鉄)の直流通勤形電車。
登場当時はモハ90系電車と称していたが、1959年の称号改正に伴い、101系と改番された。

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国鉄の電車として初めて中空軸平行カルダン駆動方式などの近代的メカニズムを搭載し、いわゆる「新性能電車」のはしりとなった系列で、この基本システムは、1980年代前半に至るまでの国鉄電車に広く応用された。
車体は切妻形で運転台は傾斜した平面3枚窓のシンプルなデザイン、両開き4扉を持つ軽量構造の全金属車体、車内は扉間7人掛け、車端部3人掛けのロングシート。コイルばね台車で、ウイングばね軸箱支持、直巻整流子電動機を抵抗制御、発電ブレーキ併用の電磁直通ブレーキと、続く103系電車にもほぼそのまま引き継がれた、国鉄通勤形電車の一時代を画した仕様である。また2両の電動車を1ユニットとして必要機器を分散して搭載するMM'ユニット方式も以後の基本となった。
また101系は、通勤電車としては10両編成2分間隔運転と輸送力増強が頭打ちになっていた中央線快速に投入することを想定して仕様が決められ、従来の旧形電車の加減速のほぼ倍の性能をもってラッシュ時の運転間隔を短縮することで、輸送力を増強することとされた。私鉄各社でも高性能車と呼ばれる高加減速の電車が出てきていたこの時期、開発当初は加減速性能の向上を狙って全電動車方式(オールM編成)を採用したのが大きな特徴である。個々の電動機の能力を極限まで高めるのではなく、全車両を電動車として編成全体の出力を高める方針が取られ、電動機は高回転型で小型軽量になり急行形などとも共通の標準形としたMT46A形が用いられた。
しかしこの構想は、以下に詳述の通り、電力設備等の問題により変更を迫られることになり、後には例えば電動車6両に付随車を2-4両連結して使用された。これでは所期の性能が発揮できず、またなお残る経済性の問題から、新形として103系電車が開発され、国鉄の標準通勤電車の位置を譲ることになった。これらのことから国鉄においては、カルダン駆動の車両を「高性能車」と呼ぶのをやめて、「新性能車」と呼ぶようになった。

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1956年(昭和31年)に試作された72系全金属車の基本構造を引き継いだ。すなわち全金属製セミ・モノコック構造、前面が非貫通型で切妻形の極めてシンプルなデザインもほとんど変わらない。車体長は19.5m、ウィンドウ・シル/ヘッダーのない車体の断面は幅2.8mで両側がまっすぐ立ち上がる形であり、近郊形などに最大幅2.9mの裾絞り車体が現われて以後も製造時の経済性を重んじた国鉄通勤形では標準として長く使われることになった。なお、台車軸距の減少に伴い、台車中心間距離は13,800mmに延長されている。客車に比較すると用途の関係上それほど軽量化できなかったものの、台枠厚さをそれまでの180mmから150mmとし、プレス品を多く採用することで、構体重量を約10トンとしている。
全室式の運転台の前面は上部が室内に約10度傾いた3枚窓で、運転台上方に方向幕がとりつけられたが、これも72系全金属車で採用されたデザインの踏襲である。しかし、客用ドアは従来のモハ72系の94cm幅の片開き扉から1.3m幅の両開き扉に変更され、開閉速度と客扱い能力が向上した。国鉄車両での両開き扉の採用は、1941年に試作されたサハ75形021号の例があるが、本格的な採用は101系が最初である。サハ75形は1ドアにつきドアエンジンを2個使用していたが、101系では1ドアに1個となっている。また車体は路線毎にきまった明るい1色で塗装された。
客室窓はアルミサッシを用いた全開可能な2段上昇式で、ドア間は2組を1セットにまとめたデザインとなっている。客室の換気については特に留意して設計されたため、通風器は900番台試作車が80系と同様の押込吸出兼用式(ただし80系のものに比べると大きかった)であったが、量産型は通風能力を重視して72系と同様の大型グローブ式に逆戻りしている。また、側面雨樋は、900番台試作車では外板をそのまま立ち上げてきれいに隠していたが、量産型では生産性・保守性を重視して通常の外付け型となっている。

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内装は72系全金属車の延長上にあり、ビニール化粧板を用いて薄緑色基調で簡素にまとめられている。蛍光灯照明と当時としては広い窓面積で、車内は明るかった。なお、蛍光灯は72系920番台では20Wであったが、この系列では40Wに出力増強されている。座席は扉間7人掛け、車端部3人掛けのロングシートで、中間車で座席定員54人(側扉が広くなったため、72系の64人より減少)、また一部私鉄と異なり運転台と扉の間には座席がないが、これが以後国鉄通勤形の標準として長く使われることになった配置である。運転台に貫通路がなく、客室から運転台への扉は客室から見て右側に設けられているが、この配置も後に長く用いられている。
床は新設計とされ、鋼板の上に低圧回路用ビニル管の大部分を配管、その間にリノールを埋め込み、上にネオプラスリウムを敷いた。床厚は45 - 50mmである。また、当時の国鉄では通勤電車には扇風機さえ設けないのが普通だったが、上述の換気面への配慮により居住性改善に資するため、扇風機を標準装備とし、試作車では通風器通風口のアルミ合金製グリルにガードなしで常時設置するものだった。1970年代以降、主に中央線特別快速に運用されていた車両など一部が国鉄時代にAU75形冷房装置を搭載して冷房化されたほか、JR化以後も最後まで南武支線に残存していた車両も1990年に集約分散型クーラーAU712形により冷房化された。

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量産車ではMT編成としつつ、扇風機や蛍光灯の交流電源を確保するため、電動発電機(MG)に同調装置を組み込み、サービス電源を編成で1回路とし、試作車も同様に改造した。より本格的な冷房車はそれまでにも存在していたものの、自車かあるいは付随車が隣接する動力車からいわゆる「おこぼれ」をもらって稼動させる方法が主流であり、編成単位でサービス電源を確保した画期的な構造となった。この方式は全車冷房完備の151系特急電車や20系ブルートレインへと発展していくことになる。 運転室は72系全金属車の構成をほぼ踏襲する形となった。101系では多段式電動カム軸制御器や電磁直通空気ブレーキなど新技術の採用があったためマスコンハンドルやブレーキ弁が新型のものとなっているが、その他メーター類やスイッチ類をはじめとする設備類は、72系全金属車とほとんど変わらない仕様となっている。

 

杉河内駅 JR九州)久大本線

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杉河内駅(すぎかわちえき)は、大分県日田市天瀬町赤岩にある、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅である。

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駅は山浦川と玖珠川の合流点付近に位置しています。名所・慈恩の滝への最寄り駅で車窓から見える慈恩の滝は沿線でも有数のビューポイントとして知られています。

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単式ホーム1面1線を有する地上駅である。山肌にへばりつくように駅舎とホームが設置されています。

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駅が急な斜面にあるため狭い。無人駅。

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駅入口から長いスロープを上ると待合室があり、駅舎入口には木製の看板が掲げられています。

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待合室は広く、椅子と机が設置されています。

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ホーム上に待合所があり、木製の長椅子が設置されています。

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1957年(昭和32年)3月15日 - 日本国有鉄道の駅として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

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電報略号 スカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 14人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1957年(昭和32年)3月15日
備考 無人駅

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61式戦車 陸上自衛隊

61式戦車は、日本の陸上自衛隊が運用していた戦後第1世代戦車に分類される戦後初の国産戦車である。

第二次世界大戦後、初めて開発された国産戦車であり、戦後第1世代主力戦車に分類される。開発・生産は三菱日本重工業(1964年から三菱重工業)が担当し、それまで供与されていたアメリカ製戦車との共用、もしくは置き換えにより全国の部隊に配備された。
1955年(昭和30年)に開発が開始され、1961年(昭和36年)4月に制式採用された。採用された西暦の下二桁の年をとり、61式戦車と命名された。主砲に「61式52口径90mmライフル砲」として制式化された52口径90mmライフル砲を装備し、鉄道輸送を考慮して当時の国鉄貨車に搭載できるよう車体が小型化されている。
1974年(昭和49年)に74式戦車が採用されるまで560輌が生産され、2000年(平成12年)に全車が退役した。

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第二次世界大戦終結後、GHQにより全ての軍需産業を廃された日本は、戦前から培ってきた戦車や装甲車の技術を失ってしまった。後に朝鮮戦争の勃発により極東情勢が変化し、日本はGHQに再武装を指示されて1950年(昭和25年)に警察予備隊が創設された。1952年(昭和27年)にはアメリカ軍から供与されたM24軽戦車が、当時編成中の4個管区隊の各普通科連隊内に編成された戦車中隊に配備された。朝鮮戦争において国連軍と対峙したT-34/85戦車に対してM24では対抗できず、退役したものが日本に送られている。その後、陸上自衛隊に改組された1954年(昭和29年)にM4A3E8戦車(通称「M4シャーマン・イージーエイト」)約200輌が供与された。
当時供与された戦車は第二次大戦や朝鮮戦争の中古品であり、日本人の体格にあわないことや、整備業務を効率化できなかったことから故障が頻発していた。また、当時、世界各国で戦後第一世代の戦車の開発配備が進んでおり、特に第二次大戦後期には既に能力不足が指摘されていたM4や、朝鮮戦争でT-34/85に完敗したM24の更新が課題となっていた。

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90mm戦車砲を搭載するM47パットンやM48パットン戦車の導入を支持する声も存在したが、その当時のアメリカ陸軍は朝鮮戦争の結果をうけて戦車ならびに対戦車兵器の更新に取り組んでおり、ヨーロッパ第一主義の方針もあって日本に戦車を供与する余裕を完全に失っていた。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約の発効に伴い在日米軍駐留経費の日本への返還がおこなわれることになり、また、MSA協定に基づくアメリカによる対外援助により開発費用の目処が立ったため、国産開発が検討されることとなる。その際には当時の貧弱な国内道路網を勘案し、鉄道輸送が可能な車体容積であることが要求事項に盛り込まれた。
1955年(昭和30年)4月の防衛分担金減額に関する日米共同声明によって国産兵器の開発が促進されることとなり、ここに新中戦車試作の方針が決定された。同年5月に防衛庁長官より新型戦車の開発指示がなされた。

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1955年(昭和30年)に「SS」(後の60式自走105mm無反動砲)と共に研究開発がスタートした。戦後10年の空白があったものの、開発を担当した三菱日本重工業は朝鮮戦争中の朝鮮半島から後送されてくる戦車や車輌の修理やオーバーホールで技術を蓄積していた。
警察予備隊創設当時から国産戦車の希望はあったものの、具体化したのは陸上自衛隊に改組した1954年(昭和29年)になってからで、この年に陸上幕僚監部、富士学校などの装備計画委員による議論が始まり、翌1955年(昭和30年)1月に次の開発目標案が示された。
重量:25トン
火砲:90ミリ砲
強力なエンジンと低接地圧
装甲は以上を実現する範囲で忍ぶ
25トンという重量とそれを実現するために不可欠な軽装甲は、朝鮮戦争におけるバズーカ砲や無反動砲の成形炸薬弾などの歩兵用携行対戦車兵器の活躍や、世界初の対戦車ミサイル(SS10)の開発などによるフランスを中心とした装甲無用論を受けたもので、当時の陸上自衛隊内部においては一定の勢力を持っていた。また、創設期から第4次防衛力整備計画策定まで防衛官僚として強い影響力を発揮した海原治も、生産単価を低くする目的で戦車の軽量化を強く主張していた。主要な幹線国道でさえ大半が土道・砂利道だった当時の国内の道路事情、山地や水田が多いという地形的事情などを考慮し、低接地圧の実現と機動性確保の面からも、車体の軽量化は強く求められていた。
しかし、基礎設計を行ったところ25トンの重量には収まらず、相当に装甲を薄くしても30トンは必要だと明らかになり、同年中頃に「90ミリ砲搭載、30トン」を主軸とした要求性能が陸幕長から防衛庁長官に上申され、協議の上で32トンに修正された。重量増による機動性の問題も、M24軽戦車とM4A3E8を用いた踏破試験において必ずしも重量が問題となるわけではなく、むしろM4A3E8の方が良好であったことから沙汰止みとなった。

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74式戦車・90式戦車より車高は高い
当初陸上幕僚監部(陸幕)では76ミリ砲搭載の20トン戦車を予定したものの、朝鮮戦争でM24がT-34に対抗できなかった戦訓から、90ミリ砲が必要とされた。90ミリ砲については、アメリカ軍よりM36駆逐戦車を試験用に供与を受け、同車に搭載されたM3砲を研究した結果、国産も可能であるとされ、日本製鋼所で試作された結果、長砲身化された52口径90ミリライフル砲が「61式52口径90mmライフル砲」(型式 M3改)として制式化された。戦後世代90mm戦車砲との砲弾共有のため、砲身・薬室はより高い腔圧に耐えられるよう強化されている(規定最大腔圧:約330Mpa)。
1955年10月、三菱日本重工東京製作所でモックアップの検討会が開かれた際、富士学校から臨時で参加した機甲科の砲術、ならびに操縦、整備担当者がこれに対し「姿勢が高く、装甲が薄く、これでは戦車らしい働きをする前に敵の小火器の餌食となってしまう」、「戦車乗りの良心にかけて、本案の戦車を装備化することは同意し難い」との意見を表明した。委員ではない、いわば部外者の意見ではあったが、装備研究委員長はこれを受け入れ、富士学校、技術研究所、三菱重工を交えた要求性能の練り直しを行った。最終的に「車重35トン、最高速度時速45キロ、90ミリ砲搭載、車高2.5メートルでなるべく低くする」とし、12月に、防衛庁長官に対して再度の要求性能の変更が上申された。
61式戦車の一次試作車STA-1及びSTA-2が完成する直前の1956年10月にハンガリー動乱が発生した。この時西側諸国は初めて投入されたソ連のT-54の存在を確認することになった。
開発中にT-54・T-55が出現したこともあり、より強力な砲を求める声もあったが、当時の西側の主体はイギリスの20ポンド砲とアメリカの90ミリ砲であり、日本独自の大口径新型砲の開発は時間と経費の問題から断念され、射撃精度とHEAT、HVAPなどの砲弾の改良で対抗するとした[4]。
エンジンは新たに高馬力の空冷ディーゼルエンジンを開発することとなり、変速機は当時としては斬新なトルクコンバータ付きオートクラッチ機構の導入と、戦後の西側戦車同様にエンジンと変速機を直結して車体後部に収めるパワーパック方式の後輪駆動が望まれたが、技術的問題や車幅の不足、さらに当時の自衛隊にパワーパックを丸ごと交換できる機材と技術が無かったため断念された。最終的に国産技術による乾燥多板式高低速用二列クラッチと前進5段、後進1段の常時噛合歯車式トランスミッション(クラッチ以外はごく一般的なマニュアルトランスミッション)を車体前部に置く前輪駆動方式が採用された。
中特車の試作
自衛隊内の装備審議会の結果、90ミリ砲を搭載する30トン程度の中特車を試作することが決定した。 分類上は中戦車だが、当時の国内の政治的状況から戦車ではなく「特車」と呼び変えていたもので、1962年(昭和37年)1月から「戦車」と呼ばれるようになった。
前提とされたのは、敵からの発見を避けるためできうる限りの低姿勢と、鉄道輸送時に求められる在来線の車両限界を超えないため、全幅を3メートル以下とする二点だった。
開発ではまずSTA-1、STA-2という2種類の試作車が製作された。大きな違いは車高で、STA-1は低姿勢(高さ2.2メートル)を追求したため全長は長く、材質は普通鋼板で製作され1956年12月に完成した。STA-2は高さ2.5メートルでSTA-1より全長が短くなり、空冷ディーゼルエンジン、トーションバーサスペンション、トルクコンバータ、動力付き操縦装置などを搭載、防御鋼板で製作され1957年2月に完成した。エンジンはまだ開発中だったため、既存の民生用ディーゼルエンジンを改造したものが搭載されていた。当初の予定ではこの2輌の試作車だけで要求性能を達成、量産準備のための増加試作に入る予定であったが、第1次試作の2輌は要求性能に達しなかった。
STA-1の低車高は評価されたものの、砲塔の旋回時に機関室が干渉し、これを避けるため全長が長くなり、履帯の接地長に対して相対的に輪間が狭くなってしまった。これでは旋回時などに抵抗が増し、運動性に悪影響を与えるため、実用化にはエンジンとトランスミッションの更なる小型化が必要であるとしてSTA-1の案は採用されず、STA-2の車高2.5メートルの配置が採られた。また、STA-1にて新型エンジンのテストが行われ、オートクラッチのパワーロスが大きいことが判明、機械式2段クラッチに変更された。
(当初、試作車STA-1、STA-2ではスウェーデンのSRM社製2段型トルクコンバーターを導入し搭載したもののパワーロスと敏捷性に問題があり、要求を満たす性能ではなかった)1950年代後半当時の国産技術では、500馬力超のディーゼルエンジン出力に見合う戦車用トルクコンバーターの開発ノウハウは不足しており、後にSTA-2ではトランスミッションと操向装置は、戦時中の四式中戦車を参考にした「チト式」に変更されている(試作車STA-3、STA-4では、トランスミッションは機械式ハイ・ロー切換2段クラッチ、操向装置はクレトラック式となった)。
1956年(昭和31年)末から約1年かけて行われた技術試験と実用試験の結果、第2次試作が決定され、STA-3が1960年(昭和35年)1月、STA-4が1959年(昭和34年)11月に完成し、1960年4月に防衛庁に引き渡された。砲口制退器の変更、エンジン出力の増強、携行機関銃弾の増加、制限重量までの余裕を防御装甲に振り向ける、半自動装填装置の採用などが行われたが、両車の違いはSTA-3には防楯付き砲塔機関銃、STA-4にはM48戦車と似た密閉型砲塔が設けられたことである。
制式採用
第2次試作車両のテスト結果、STA-4を基に更なる装甲の増強、砲塔を後方にずらして操縦席に余裕をつくる、測遠器の新型化などの他、細部の変更も加えたものが1961年(昭和36年)4月、61式特車(後に61式戦車と改名)として制式化され、量産と配備が開始された。
1962年度(昭和37年度)予算において最初の量産車10輌が調達され、量産第1号車は1962年10月15日に納入された。

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生産・配備
61式特車(61式戦車)として制式化された型は1962年(昭和37年)-1966年(昭和41年)までの第二次防衛力整備計画に90輌が発注された。さらに40輌が追加され、1973年(昭和48年)の製造終了までに560輌が生産された。
富士教導団戦車教導隊を皮切りに全国の戦車部隊に配備が進められ、1984年にはM41軽戦車を装備する最後の部隊での装備更新が終了し、陸上自衛隊の全ての戦車装備部隊が74式戦車もしくは61式戦車によって編成されることになり、戦車装備の完全国産化を実現した。
なお、試作車のうちSTA-4は教育部隊で「教材」として長らく使用されている。
1961年(昭和36年)の制式採用から39年後の2000年(平成12年)、90式戦車の配備に伴い、全車退役した。現役末期には赤外線探照灯の追加装備、スモークディスチャージャー(発煙弾発射機)を増設するなどの細かい改修が行われているが、大きな改良が施されることはなかった。
制式採用から39年間、生産・配備された全ての車両は一度も実戦投入されることなく退役した。
退役後は全国各地の陸上自衛隊駐屯地で展示品とされている車両が少数ある。
特徴
車両の基本構造は鋳造砲塔と鋼板溶接車体の組み合わせである。車体前面は60度傾斜、砲塔はお椀形状であり、避弾径始が考慮されている。砲塔上面までの全高は2.49mとなったが、当時の陸上自衛隊が保有していたM4A3E8戦車、M41軽戦車や米軍のM47・M48戦車よりは低く抑えられた。
主砲先端部のハンマーヘッド型(T字型)マズルブレーキや後部へ張り出した砲塔、履帯のたるみを支える3個の上部転輪など、全体的な印象はアメリカのM41軽戦車に近い。また、ヘッドライトは左右フェンダーの先端上方に、排気管は左右フェンダーの後部上方に取り付けられているが、こうしたレイアウトは同時代の西側各国の戦車にはほとんど見られない外見的特徴である。

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攻撃力
主砲には「61式52口径90mmライフル砲」と呼ばれる52口径90mmライフル砲(携行弾数50発)を搭載し、主砲同軸機銃に7.62mm機関銃M1919A4(携行弾数4,000発)、砲塔上面の銃搭にリモコン式の12.7mm重機関銃M2(携行弾数525発)を各一挺装備した。
主砲の使用弾種は榴弾(HE)、曳光対戦車榴弾(HEAT-T)、曳光高速徹甲弾(HVAP-T)、曳光被帽徹甲弾(APC-T)、発煙弾(WP)などがある。製造は日本製鋼所が行い、開発の際はアメリカ軍の砲弾との共有化が図られている。
本車の装備する61式52口径90mmライフル砲の諸元は、1961年4月26日の旧防衛庁『仮制式要綱 61式90mm戦車砲 XB3002』によれば、以下の通りである。
本砲の砲身全長は約4730mm(制退機を除く)の52口径、弾丸経過長(ライフリング長)は約3,975mm、本砲の全備重量は約2,500kg、砲身重量は約1,150kg、防盾重量は約750kgである。砲身構造は単肉砲身、砲腔にはクロムメッキが施されている。ライフリングは等斉右旋回32条、25口径に付1回転である。本砲の仰俯角は+13度~-10度、後座長は通常で約314mm、最大で約356mm である。本砲はアメリカ軍制式の90ミリ戦車砲(90mm M3系列、M36系列等)と使用弾薬に互換性がある。本砲の最大腔圧は約267Mpa(アメリカ軍制式M71 HE射撃時)、約310Mpa(アメリカ軍制式M318 AP-T射撃時)、規定最大腔圧は約330Mpa である。
旧防衛庁『仮制式要綱 61式戦車 XD9001』によれば、砲塔及び戦車砲の動力照準器の最高速度は、砲塔の旋回速度が約24度/秒(420ミル/秒)、戦車砲の仰俯角速度が約4度/秒(70ミル/秒)となっている。
本砲の正確な砲威力については不明であるが、使用弾薬に互換性のあるアメリカのM47・M48パットンの90mm M41戦車砲と比較した場合、90mm M41戦車砲ではM318 AP-Tを射撃した場合の砲口初速は853m/s、61式52口径90mmライフル砲で同砲弾を射撃した場合の砲口初速は約910m/sとなっており、長砲身・高初速である61式52口径90mmライフル砲の砲威力は90mm M41戦車砲よりも高いと思われる。

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動力・機動性能
旧防衛庁『仮制式要綱 61式戦車 XD9001』によれば、以下の通りである。
61式戦車の最高速度は45km/h、加速性能は 0-200m加速が25秒(JISD 1014自動車加速試験方法による)、登坂能力は31度(堅硬土質において)、超堤能力は0.8m(水平堅硬土質において)、超壕能力は2.7m(水平堅硬土質において)、最小回転半径は約10m、履帯幅は500mmとなっている。12HM21WTディーゼルエンジンの裸最高軸出力は650PS/2,100rpm(冷却ファンや空気清浄器を除いた場合)、最高軸出力は570PS/2,100rpm で、最高軸トルクは200mkg。全負荷における最低燃料消費率は210g/PSh。搭載燃料は主タンクが450リットル、補助タンクが200リットルとなっている。
61式の加速性能、0-200mまで25秒という数値であるが、後に登場する諸外国の第3世代戦車と同一条件で比較した場合、レオパルト2A4が推定23.5秒、M1エイブラムスの試作車XM1が推定29秒[10]であることから、61式の加速性能は0-200m区間に限定した場合、諸外国の第3世代戦車と同等水準と言える。本車のパワーウェイトレシオを考慮すると最高速度よりも加速性能を重視したものと考えられる。
動力系は戦後設計された戦車では唯一、車体後部のディーゼルエンジンと前部の変速機とをドライブシャフトで接続する方式の前輪駆動が採用されている。そのため車高を低くすることができず、また、車体前部装甲板の一部が変速機の整備のためのボルト留めパネルになっているなど、防御性能において不安を抱えることとなった。
操縦席は日本の交通法規に合わせて車体右側に配置されていたが、砲塔内の車長・砲手と合わせて車輌右側に乗員4人中3人が偏在するためリスクコントロール面で問題となり、74式戦車では車体左側に移されている。操縦は左右2本のレバー操作式で、変速機の歯車の回転が少しでもずれると変速できないなど、アメリカ軍から供与されたM24軽戦車やM41軽戦車に比べて操縦が難しく、乗員から「世界一操縦が難しい戦車」と言われたことがある。また、操縦する際に左手に腕時計をしていると、変速に失敗した際に弾き戻されるシフトレバーが左手に当たり腕時計が壊れるため、操縦する際は腕時計を右手に付け替えた、という話が伝えられている。
サスペンションは第二次世界大戦後の各国戦車の主流となっていたトーションバー方式を採用し、履帯は生産コストと整備・修理の簡便性を考慮して、センターガイド方式のシングルピン・シングルブロック型が採用された。

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全長 8.19m
車体長 6.30m
全幅 2.95m
全高 2.49m(砲塔上のM2重機関銃を含んだ場合、3.16m[1])
重量 35t
懸架方式 トーションバー式
速度 45km/h
(加速性能0-200mまで25秒)
行動距離 200km
主砲 61式52口径90mmライフル砲
砲口初速910m/s(M318AP-T 使用時)
副武装 7.62mm機関銃M1919A4(主砲同軸)
12.7mm重機関銃M2(砲塔上部・車長展望塔)
装甲 砲塔 114mm、車体 55mm
エンジン 三菱12HM21WT
空冷4ストロークV型12気筒直噴式ターボチャージド・ディーゼルエンジン
570hp/2,100rpm
排気量 29,600cc
乗員 4名
登坂力 31° 燃料消費量 0.3km/L 最小旋回半径 10m

 

南大分駅 JR九州)久大本線

南大分駅は、大分県大分市大字荏隈(えのくま)にある、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅である。

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かつて、駅周辺は田んぼが広がっていた。現在では、駅の北には団地(城南団地)、南側には大石町などといった住宅地が広がっている。また、駅周辺には福徳学院高等学校をはじめ大分市立南大分中学校、小学校、市立城南中学校、小学校、荏隈小学校など学校が多く学生の利用がとても多い駅です。

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駅名標は高瀬石仏をイメージしたイラストの描かれています。

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相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎は木造駅舎です。互いのホームは構内踏切で連絡している。

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駅舎にはギフトショップが併設されている。かつてはコンビニエンスストア「生活列車」を併設しており、「人が消えるコンビニ」としてテレビ番組「投稿!特ホウ王国」で紹介されたこともある。コンビニが閉店した後はその部分は空き地になっていたが、区画分けを行った後写真のようにシャディの店舗になっている。以前は大分市内でも珍しいホームから線路を横切って渡る構内通路があり、構内通路をふさぐ長い編成の列車が停車するときや、夜間などで駅員がいない場合は通路が閉鎖され、賀来駅側にあるスロープの通路を渡ることになっていた。2011年になりホーム東側(大分方面寄り)に遮断機付きの渡線路が設けられたため、終日これを介してホームと駅舎を行き来することになった。

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JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅。マルスは無いがPOS端末が設置されている。また、現金専用の自動券売機が設置されている。ICカードSUGOCAは出入場とチャージのみ対応。

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待合室は細長くFRP製の椅子がずらりと並んでいます。

1915年(大正4年)10月30日 - 大湯鉄道の永興駅(りょうごえき)として開業。
1916年(大正5年)11月15日 - 交換設備を増設して停車場化。
1922年(大正11年)12月1日 - 大湯鉄道の国有化により、鉄道省の駅となる。

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1925年(大正14年)12月1日 - 南大分駅に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、九州旅客鉄道が継承。
2008年(平成20年)3月15日 - ダイヤ改正により、臨時列車のTORO-Qが停車(以前は通過扱い)。
2009年(平成21年)11月29日 - 車輌老朽化によりTORO-Qが廃止。
2012年(平成24年)12月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

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電報略号 ウイ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 498人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1915年(大正4年)10月30日
備考 業務委託駅
* 1925年に永興駅から改称。

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