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Channel: 観光列車から! 日々利用の乗り物まで
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彦崎駅 /宇野線

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彦崎駅は、周囲は比較的住宅が多い岡山県岡山市南区彦崎にあります。西日本旅客鉄道(JR西日本)宇野線の駅です。旧所在地は児島郡灘崎町で、平成17(2005)年3月に岡山市と合併しました。現在は普通電車のみの運転となっているが、宇高連絡船が現役だった頃には優等列車や四国への貨物列車が運転されていた名残で、行き違いの線路有効長が長い。

有人駅時代の駅舎の跡地や、貨物扱いをしていた名残の跡地も下りホーム宇野側に残っている。駅前には、タクシー乗り場、駐車場、駐輪場、ポスト、公衆電話があります。


駅舎はなくホーム上に待合室があります。相対式ホーム2面2線を持ち、列車交換が可能な地上駅です。両ホームは屋根のない跨線橋で連絡しています。出入口は、2か所で両側ホームの中央付近にそれぞれある(表口、駅前ロータリーがあるのは下りホーム側)。

裏口に当たる新しい出入口部分のスロープがちょっと洒落ています。交換設備があるが、安全側線は設置されていません。児島駅管理の無人駅だが、上り(岡山方面)ホームに近距離切符の自動販売機があります。


早朝に岡山から当駅折り返しの回送列車が1本設定されています。これはダイヤの都合上、隣の茶屋町駅でサンライズ瀬戸を待避することが出来ないため当駅まで回送される。この車両は再び茶屋町駅まで回送された後、茶屋町〜宇野間の区間運転列車として使用される。上りホーム中央の待合室はかなり大きな造りですが逆に下りホームの待合室は少し小ぶりです。

彦崎駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■宇野線 上り 茶屋町・岡山方面
2 ■宇野線 下り 宇野方面


1910年(明治43年)6月12日 - 国有鉄道宇野線開業と同時に、味野駅(あじのえき)として設置。
1914年(大正3年)7月1日 - 彦崎駅に改称。
1960年(昭和35年)10月1日 - 宇野線電化完成。電車の運転開始。
1961年(昭和36年)9月1日 - 宇野線の単線自動化。
1970年(昭和45年)
4月5日 - 宇野線CTC化完成。
4月30日 - 宇野線の手小荷物運搬電車運転終了(茶屋町駅 - 宇野駅間の途中駅での荷物扱い廃止)。
5月1日 - 備前田井駅・八浜駅・迫川駅と共に無人化。荷物の取扱を廃止。
1987年(昭和62年)
3月23日 - 当駅を含む岡山駅 - 宇野駅間に213系電車を使用した快速「備讃ライナー」の運転開始。
4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)4月10日 - 瀬戸大橋開通。本四備讃線が開業し快速「マリンライナー」などが運転開始。同時に岡山駅 - 宇野駅間の快速「備讃ライナー」は廃止。

電報略号 ヒコ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 262人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1910年(明治43年)6月12日
備考 無人駅(自動券売機 有)
* 1914年に味野駅から改称。

 

 


廃油船 YB105 /海上自衛隊

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廃油船 YB105

支援船: YB  − Yard Bilge Barge
バージタイプの廃油船で主として基地港務隊に所属し、艦艇から出る廃油(ビルジ)の回収を行います。
100番台の廃油船は非自走式で、移動時は曳船に曳航され移動します。

所属:呉警
排水量:100
船質:鋼


船体寸法(単位:m) 17.0×5.2×2.5×2.0
推進方式:固定翼
エンジン:なし
速力:なし
造船所:東和造船?

 

早島駅 /宇野線

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早島駅(はやしまえき)は、イグサの生産で知られた早島町の代表駅ですが、現在は生産量も減少し、岡山のベッドタウンとして宅地化が進んでいます。

岡山県都窪郡早島町前潟にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)宇野線(瀬戸大橋線)の駅です。快速「マリンライナー」の約半数が停車いたします。


駅周辺の複線化の計画について、用地買収などで難航していたが、2009年(平成21年)1月25日に備中箕島 - 茶屋町間の複線工事区間の供用が開始されました。


相対式ホーム2面2線を有する地上駅。平屋の鉄骨コンクリート造駅舎は岡山方面行きホーム側にあり、上下ホームは屋根無しの跨線橋で結ばれています。

複線化工事完成によりホーム前後の分岐器はなくなったが、隣の備中箕島駅手前で単線となる箇所までの複線部分も早島駅の構内扱いとなったため、場内・出発信号機は引き続き設置されている。この観点から見た場合、当駅は岡山方単線・茶屋町方複線の行き違い駅といえます。


児島駅が管理し、ジェイアール西日本岡山メンテックが駅業務を受託する業務委託駅で、簡易型の自動改札機、近距離切符の自動券売機、みどりの窓口があります。

待合室にはFRP製の椅子があります。トイレは、男女兼用。ICOCAおよびその相互利用対象ICカードの利用可能駅。


早島駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■瀬戸大橋線・宇野線 上り 岡山方面
2 ■瀬戸大橋線・宇野線 下り 児島・高松・宇野方面
※岡山駅 - 茶屋町駅間では、児島方面発着系統が「瀬戸大橋線」、宇野発着系統が「宇野線」と、それぞれ案内される。

1910年(明治43年)6月12日 - 宇野線開通と同時に開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。


2007年(平成19年)
7月12日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機導入。
9月1日 - ICOCA使用開始。

電報略号 ハヤ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 951人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1910年(明治43年)6月12日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

 

 

久々原駅 /宇野線

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久々原駅は、「くぐはらえき」と読みます。早島町と倉敷市境界ギリギリの岡山県都窪郡早島町前潟にある駅です。住宅地と田園の中に在り、周囲に商業施設などはありません。西日本旅客鉄道(JR西日本)宇野線(瀬戸大橋線)の駅です。普通列車のみの停車で早島駅からもほど近いため、利用客はわずかで閑散としています。瀬戸大橋高速鉄道保有株式会社による久々原駅と備中箕島駅間の複線化工事が2006年(平成18年)完成をめどに計画が立てられたが、環境アセスメントを盛り込まず計画したミスが発見され、2008年(平成20年)度に完成することとなった。2009年(平成21年)1月25日に備中箕島-茶屋町間の複線区間の供用が開始、同時に現在のホームの東側に下りホームが新設され、2面2線化された。新設された下りホームは全長145 メートルで7両編成対応、自動改札機と待合室が設置されています。

2009年(平成21年)1月25日より相対式ホーム2面2線を有する地上駅となりました。児島駅管理の無人駅で駅舎はなく、直接ホームに入る形になっています。ICOCA利用可能駅。
上りホームは側面部に出入口があり、入口付近に乗車券回収箱が、上り待合所内に自動券売機(ICOCAチャージ対応)と簡易型自動改札機が無理な設置をされています。中のベンチに座ると出られなくなりそうです。下りホームはホーム茶屋町寄りに簡易駅舎があり、集札箱付きの簡易型自動改札機がある。トイレは無い。また、建設コスト削減のため、以前からあった踏切を活用する形で上下ホームを結ぶ跨線橋は設置されていません。駅前の道路先に自転車置き場が設けてあります。


久々原駅と茶屋町駅の間の高架橋の手前からは、その茶屋町駅まで再び単線となるが、単線区間に入るポイントまでが久々原駅の構内として扱われており、上り場内信号機もこのポイントの茶屋町方に設けられています。駅南側の踏切が通る道路が早島町と倉敷市の境界となっているため、当駅は正確にはこの両市町にまたがっていることになります。
かつては無人駅でありながら接近メロディの「瀬戸の花嫁」が列車の到着・通過時に流れていたが、現在はJR西日本標準メロディのみ流れます。

久々原駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■瀬戸大橋線・宇野線 上り 岡山方面
2 ■瀬戸大橋線・宇野線 下り 児島・高松・宇野方面
なお、岡山駅 - 茶屋町駅間では、児島方面発着系統が「瀬戸大橋線」、宇野発着系統が「宇野線」と案内される。

1952年(昭和27年)3月20日 - 宇野線の早島駅 - 茶屋町駅間に新設開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)
7月15日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機導入。
9月1日 - ICOCA使用開始。
2009年(平成21年)1月25日 - 複線化完成に伴い、下りホームを新設し2面2線化。

電報略号 クク
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 52人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1952年(昭和27年)3月20日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 

 

妹尾駅 /宇野線

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妹尾駅(せのおえき)は岡山のベッドタウンとして宅地化が著しい岡山県岡山市南区東畦にあります。西日本旅客鉄道(JR西日本)宇野線(瀬戸大橋線)の駅です。駅から八浜駅までの海側は干拓地となっています。

快速「マリンライナー」の約半数(15時台以降の高松行きは全部)が停車し、岡山駅から妹尾駅までの間は最混雑区間となっています。周辺は岡山市南部の住宅地で、利用者の大半は岡山市中心部への通勤・通学利用です。

反面茶屋町・高松方面へ(から)の需要は皆無に近く、1列車あたり10人にも満たないほどです。路線バスも従来の駅北口は道路が狭いために以前は駅から200mほど離れた旧道まで両備バスが乗り入れていたこともあるが(現在廃止)、近年開発された駅南口も下電バスが1日数本しか乗り入れていないため、必然的に妹尾駅周辺での主な交通機関はJRかタクシーになっています。業務委託駅であるため、みどりの窓口が閉まっている時間があります。南口は団地に直接面する出入口で、公園となっており、車の寄りつけができません。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有しています。駅舎の改築費用は駅裏手の分譲地の不動産が全額負担しました。複線の区間が岡山方面へ延長されており、走行しながら列車の行違いが可能。上屋はわずかに階段付近に設置されるのみです。

橋上駅舎の自由通路は丸い屋根が特徴です。
児島駅が管理し、ジェイアール西日本岡山メンテックが駅業務を受託する業務委託駅であり、みどりの窓口があります。営業時間は7:00 - 20:05だが、11:15 - 13:00、13:40 - 16:25の間は休止時間となっています。

開閉式の自動改札機が設置されICOCA利用可能。かなり大きな駐輪場があります。トイレは、男女別の水洗式。ミニコンビニ型のキヨスクがあります。


妹尾駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■瀬戸大橋線・宇野線 上り 岡山方面
2 ■瀬戸大橋線・宇野線 下り 児島・高松・宇野方面
※岡山駅 - 茶屋町駅間では、児島方面発着系統が「瀬戸大橋線」、宇野発着系統が「宇野線」と、それぞれ案内されます。
特急列車、快速列車、普通列車、貨物列車と、通過する列車が単線区間にしては非常に多いため、頻繁に行き違いが行われます。

1910年(明治43年)6月12日 - 宇野線開通と同時に開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1991年(平成3年)10月22日 - 橋上駅舎化。
1992年(平成4年)11月 - みどりの窓口営業開始。
2007年(平成19年)
7月 - ICOCA対応の自動改札機導入。
9月1日 - ICOCA利用開始。

電報略号 ノオ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,974人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1910年(明治43年)6月12日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

 

 

和牛の絶品カレー 広島三次ワイナリー

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広島三次ワイナリーは、1994年(平成6年)に広島県内初のワイナリーとして、中国山地のほぼ中央に位置する三次市にオープンしました。2007年(平成19年)には2.0haの自社農園を確保し、ピノ・ノアールやシラーなど新たな品種を植栽し、個性あるワイン造りに積極的に取り組んでいます。4.6haの面積を持つ専用圃場ではシャルドネ・セミヨン・メルローなど欧州系品種を栽培し、貴腐ワインの醸造にも力を注いでいます。
施設は、無料試飲が楽しめるワインコーナーをはじめ、地域特産品を取り揃えた物産館や、広島和牛など地元食材を使用したバーベキューガーデン、喫茶ヴァインがあります。

喫茶ヴァイン ランチメニュー 11:00〜14:00
おすすめです。和牛の絶品カレー。
広島和牛を贅沢、ふんだんに使い十分に煮込んだカレーはボリュームも100点満点です。サラダ付きで、手軽にブランド牛を堪能できる人気メニュー!

住所 広島県三次市東酒屋町445-3
TEL 0824-64-0200
FAX 0824-64-0222
Mail wine@miyoshi-wine.co.jp
営業時間 喫茶ヴァイン 4月〜11月  7:30〜18:00
            12月〜3月  8:00〜18:00
     物産館            9:30〜18:00
     バーベキューガーデン     11:00〜18:00

定休日  毎月第2水曜日 12月28日〜1月1日
駐車場  バス6台・乗用車100台
                        

備前西市駅 /宇野線

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備前西市駅の周辺はかつて戦時中は休止されるほど田園地帯でしたが、現在は岡山市のベッドタウンとして宅地化が進み、国道2号を超えた駅の南側を中心に高層マンションが林立しています。岡山県岡山市南区西市にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)宇野線(瀬戸大橋線)の駅です。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎はなく、各方面のホームにそれぞれ待合室が設置されています。上下ホームは屋根無しの陸橋で結ばれています。一線スルー型配線になっており、通過列車は直線側の1番線(上下本線)を通過するが、ダイヤによっては当駅に停車しない快速「マリンライナー」が対向列車の待ち合わせのため、分岐側の2番線(上下副本線)に進入して運転停車する。なお2011年(平成23年)9月時点では、停車列車については方向別にホームを使い分けている。
児島駅管理の無人駅だが、両ホーム岡山寄りに簡易駅舎が設けられ、そこに簡易式の自動改札機と、近距離切符の自動券売機(ICOCAを挿入するホルダーあり)がある。トイレは無い。ICOCA利用可能駅。
「マリンライナー」は初発の2号と、朝ラッシュ時の10号の計2本のみ停車するが、当駅のホームが6両分しかないため、増結ができない原因となっている。10号が当駅に停車しているのは、線路容量の関係でこれ以上の増発が不可能なことから、朝ラッシュ時の「マリンライナー」の増発の要望に応える苦肉の策として、児島駅始発だった普通列車を高松駅まで延長する形を採ったためである。駅入口付近は平地ということもあって、自転車が溢れています。

備前西市駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■瀬戸大橋線・宇野線 上り 岡山方面
2 ■瀬戸大橋線・宇野線 下り 児島・高松・宇野方面
※岡山駅 - 茶屋町駅間では、児島方面発着系統が「瀬戸大橋線」、宇野発着系統が「宇野線」と案内される。

1939年(昭和14年)1月1日 - 宇野線の大元駅 - 妹尾駅間に新設開業。
1940年(昭和15年)11月1日 - 営業休止。
1950年(昭和25年)11月14日 - 営業再開。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)
7月12日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機導入。
9月1日 - ICOCA利用開始。
2009年(平成21年)頃 - 1番線にスロープ設置。

電報略号 ニシ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 973人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1939年(昭和14年)1月1日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

備中箕島駅 /宇野線

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備中箕島駅は、駅の周辺には田園が広がり閑静な雰囲気が広がっている岡山県岡山市南区箕島字濱前にある駅です。西日本旅客鉄道(JR西日本)宇野線(瀬戸大橋線)の駅。普通列車のみ停車する駅です。

茶屋町方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎はなく、ホームに待合所が設置された簡易駅です。棒線駅のため、岡山方面行きと四国方面行きの双方が同一ホームに発着する。なお、2007年(平成19年)4月までにホームのかさ上げ工事がなされました。


児島駅管理の無人駅で駅舎はなく、直接ホームに入る形になっている。入口付近に乗車券回収箱が、待合所内に簡易式の自動券売機(以前は、乗車駅証明書発行機さらに2007年(平成19年)にICOCAのチャージ可能な機種に変更)、簡易型自動改札機が設置されています。駅前には自転車置場もあります。トイレはありません。ICOCA利用可能駅。待合所の中にはFRP椅子の前に窮屈な状態で改札機が置かれてあります。

瀬戸大橋高速鉄道保有株式会社による備中箕島駅と久々原駅間の複線化工事が2006年(平成18年)完成をめどに進められていたが、環境アセスメントを盛り込まず計画したミスが発見され、複線化区間の供用開始は2009年(平成21年)1月25日と大幅に遅れることとなりました。駅の岡山方に岡山県道21号岡山児島線の跨線橋があり、複線化が考慮されていないため、妹尾駅と備中箕島駅との間の複線化は困難となっている。複線区間自体も正確には備中箕島駅より茶屋町寄りからとなっており、駅は単式ホームのままとなりました。なお、これに伴い複線区間の分岐の前後に場内・出発信号機が設けられたが、これはあくまで早島駅の設備であり、備中箕島駅付近から早島駅まではの複線部分は同駅の構内扱いです(この解釈に従うと、備中箕島駅 - 早島駅間は複線区間に含まれないことになる)。よって、備中箕島駅の旅客設備自体は停留所の状態のままです。

1939年(昭和14年)1月1日 - 宇野線の妹尾 - 早島間に新設開業。
1940年(昭和15年)11月1日 - 営業休止。
1950年(昭和25年)11月14日 - 営業再開。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2007年(平成19年)
7月15日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機設置。
9月1日 - ICOCA使用開始。

電報略号 ミマ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 101人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1939年(昭和14年)1月1日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 

 

 


大元駅 /宇野線

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大元駅(おおもとえき)の駅名は西方にある新興宗教の本山に因んだものです。岡山県岡山市北区大元駅前にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)宇野線(瀬戸大橋線)の駅です。
大正期のルート変更により開業した駅で、戦後から昭和59年までは岡山臨港鉄道が分岐していました。また、岡山操車場(現:西岡山駅)への連絡線もあったが、1984年(昭和59年)にいずれも廃止されている。現在、廃止された岡山臨港鉄道の線路跡は遊歩道となっています。
大元駅を境に西側(マルナカ大元店がある側)は北区西古松、東側(駅前バス停等のある側)は北区大元駅前に住所が変わる。ちなみに北区大元駅前は住所に大元が入っているが、市立大元小学校の学区ではありません。

相対式ホーム2面2線を持ち、列車交換が可能な近代的な高架駅。1階の改札から2階ホームへは階段もしくはエレベーターで移動する。行違い可能駅で、複線部分は駅の前後で長めに取られており、走行しながらの行違いも可能。

児島駅が管理し、ジェイアール西日本岡山メンテックが駅業務を受託する業務委託駅で、みどりの窓口がある。トイレは、男女別の水洗式。ICOCA利用可能駅。自動改札機は集札機能のない簡易式のため、降車客の乗車券は駅係員が集札する(窓口非営業時は改札機裏側の集札箱に乗車券を投入する)。待合所は改札内の中2階にあります。
駅前にはロータリーがあり東口側、西口側ともタクシー乗り場が常設されてある。 西口側は、隣のマルナカ大元店とロータリー外周の歩道で接し、歩道とマルナカの敷地の境目には、高速運転の自転車がそのまま進入しないように公園入り口にあるような門が設置されている。


大元駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1 ■瀬戸大橋線・宇野線 上り 岡山方面
2 ■瀬戸大橋線・宇野線 下り 児島・高松・宇野方面
※岡山駅 - 茶屋町駅間では児島方面発着系統が「瀬戸大橋線」、宇野発着系統が「宇野線」と案内される。
かつては接近メロディとして瀬戸の花嫁が流れていたが、現在はJR西日本標準メロディのみである。

平成8年から続いていた「JR宇野線大元駅付近連続立体交差事業 」も平成13年に完成。
JR宇野線 大元駅付近 連続立体交差事業:岡山市南西部のJR宇野線大元駅付近は、鉄道により地域が分断されていたため一体的な土地利用が妨げられていた上に、瀬戸大橋線の開業に伴う列車本数の増加等により踏切での交通渋滞が著しく、都市の交通が阻害されていた。このため、連続立体交差化することにより、市街地の一体的な発展・都市交通の円滑化を図るために整備したものです。
◇ 延 長:3,270m
  事業費:約170億円
  除去踏切数:6箇所
  交差道路数:23路線(新規を含む)

1925年(大正14年)3月6日 - 旧ルートを西寄りに移設、旧ルート上にあった「鹿田(しかた)」駅(1910年6月12日開業)を移転する形で開業。
当初は駅の所在地名を取って「西古松」駅となる予定だったが、開業直前に現駅名になったとされる。
1951年(昭和26年)8月1日 - 岡山臨港鉄道開業。
1984年(昭和59年)12月30日 - 岡山臨港鉄道廃止(実際の運行廃止は前日の12月29日)。岡山操車場への連絡線も廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2001年(平成13年)12月16日 - 駅周辺3.3kmの高架化に伴い、高架化。高架化により、駅構内の複線区間が延長された。
2007年(平成19年)
7月6日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機を導入。
9月1日 - ICOCA利用開始。

電報略号 オモ
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,224人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1925年(大正14年)3月6日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

 

 

 

島原鉄道C12形蒸気機関車(C1201号機):霊丘神社(静態保存)

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霊丘神社での島原鉄道C12形蒸気機関車(C1201号機)

霊丘神社(れいきゅうじんじゃ)は、長崎県島原市に鎮座する神社で旧社格は県社。島原の乱の後、当地を治めた高力氏により東照宮が勧請されたことに始まる。1883年(明治16年)には高力氏の後を受けた島原藩主松平氏(深溝松平家)七代の霊を合祀し現在の名称になりました。

島原鉄道で活躍したC12:5両の内の1両です。1948年・日本車輛製造(製造番号1497) → 1952年改番C1201

国鉄C12形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式のタンク式蒸気機関車です。軸重制限のある簡易線規格路線用の小型軽量な機関車として設計され、本形式からテンダー式のC56形が派生しました。

昭和時代に入り主要幹線の整備が一通り終わると、大きな需要の見込めない閑散支線の建設が進められました。しかし折から経済恐慌が深刻化し、建設費を安く抑えるため簡易線が数多く建設されました。このような路線には軸重が軽く、運転コストの安い新型の小型機関車が要求されたため、C12形が製造されることになりました。

鉄道省(国鉄)向けとしては1932年(昭和7年)から1940年(昭和15年)まで、および1947年(昭和22年)に282両が製造されている。製造メーカーは川崎車輛、汽車製造会社、日立製作所、日本車輌製造、三菱重工業の5社である。火室は深く設計され焚火しやすく、38号機以降は、アーチ管を増設して伝熱面積を増加し蒸発量を増やす改良が行なわれています。このほか鉄道省以外に納入され、戦時買収などにより鉄道省に引き継がれ、C12形に編入された同形車が11両 (C12 265 - 275) あるため、ラストナンバーはC12 293となっています。基本的にはデフレクターを装備していないが、C11形と同型のデフレクターを装備した車両も少数だが存在しました。

 

 

 

82式指揮通信車:陸上自衛隊

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82式指揮通信車は、日本において第二次世界大戦後初めて実用化された装輪装甲車です。陸上自衛隊で使用され、主に師団司令部や普通科連隊本部、特科連隊本部などに1983年から配備されています。防衛省は略称を「CCV (Command Communication Vehicle) 」、公式愛称を「コマンダー」としており、自衛隊内では単に「指揮通信車」又は名称を略して「シキツウ」とも呼ばれています。

陸上自衛隊は、悪路走破性の高さから戦闘車両は無限軌道による装軌式を採用してきたが、1974年に防衛庁(当時)は装輪式の車両の機動性研究を行う事を決定し、三菱重工業と小松製作所に車両試作を発注しました。走破性に関する試験を行った防衛庁は、1978年から三菱重工業と小松製作所に新型指揮車の開発を依頼し、1980年までに4輌の試作車が完成。1982年に小松製作所の車両を制式採用しました。生産は小松製作所が担当し、最終調達契約年度は1999年、231両が調達されました。1両当たりの価格は1億円近いと推定されています。

一般的に指揮通信車は既存の装甲戦闘車両(主に車内容積の広い装甲兵員輸送車か歩兵戦闘車)に通信機材等を追加する形で開発されることが多いが、本車は当初から通信機能に特化した車両として開発されました。
3軸6輪駆動による装輪式を採用しており、水深1m程度の渡河能力を有しています。前部の操縦室上面にはハッチがあり、銃架が設けられている為、62式7.62mm機関銃もしくは5.56mm機関銃MINIMIを装備することができます。また、操縦席前面と左右側面の窓には、装甲板が取り付けられており、必要に応じて開閉が可能。操縦者は車体側面から車体上部に登り、操縦席上部のハッチから出入りする。車体前部右側に操縦手席があり、前部と後部が通路で繋がれ、通路左側にエンジンがあります。後部乗員席には指揮通信要員が6名搭乗できる。車体の中央部から後部に指揮・通信室があり、折り畳み式のテーブルや各通信機器が装備されています。また、同室の上面にある2つのハッチには銃架が設けられており、12.7mm重機関銃M2を据え付けられています。
冬季間は車両に合うスタッドレスタイヤが無いため、夏タイヤにチェーンをはめて走行をします。後に本車輌をベースとした87式偵察警戒車と化学防護車が開発されました。また、同じく小松製作所が製造している96式装輪装甲車の開発にも経験が活かされ、開発期間の短縮に繋がった。


CCV
コマンダー

乗員:8人
全備重量:約13.6t
全長:5.72m
全幅:2.48m
全高:2.38m
最高速度:100km/h
エンジン:水冷4サイクル10気筒|ディーゼル機関|305ps/2,700rpm
武装:12.7mm重機関銃|62式7.62mm機関銃もしくは5.56mm機関銃MINIMI×1(必要に応じ)
懸架・駆動:装輪式(3軸6輪駆動)
行動距離 :500 km

開発:防衛庁技術研究本部
製作:小松製作所

7月18日(木)のつぶやき

大正駅 /島原鉄道島原鉄道線

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大正駅の周辺は漁港のそばに開けた小さな集落となっています。南側を国道251号が東西に走り、北側すぐ近くが有明海です。

駅は、国道から海に下る坂の途中に位置しています。長崎県雲仙市瑞穂町岡に所在する島原鉄道島原鉄道線の駅です。

駅から国道に出た東側に島鉄バスの大正駅前バス停があり、当駅の待合所内にもこのバス停の通過予定時刻表が掲示されています。

駅前にはいけす料理の店とJA島原雲仙瑞穂経済営農センターがあります。雲仙市立大正小学校が近い。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南側に置かれています。駅舎はなく、ホーム上に古部方からそれぞれ飲み物の自動販売機、自転車置き場、待合所が設置されています。ホームの古部方の端から駅に出入りする。

無人駅。待合室には色々な種類の長椅子が設置されています。

1955年(昭和30年)3月9日 - 開業。

所属路線 ■島原鉄道線
キロ程 20.8km(諫早起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 94人/日
-2005年度-(島原鉄道線内44駅中第31位)。
開業年月日 1955年(昭和30年)3月9日

西郷駅 /島原鉄道島原鉄道線

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西郷駅(さいごうえき)は、雲仙市瑞穂総合支所(旧・瑞穂町役場)の最寄り駅で、周辺には住宅も多い。長崎県雲仙市瑞穂町伊古に所在する、島原鉄道島原鉄道線の駅です。急行が停車する主要駅です。

駅付近には商店等の他、小さな医院や薬局も立地する。 駅前の道を南へ100メートルほど行くと東西に走る国道251号にぶつかるが、その東側に島鉄バスの西郷駅前バス停が置かれ、駅舎内部にもこのバス停の通過予定時刻表が掲示されています。 その他、駅周辺の公共施設としては、国道を西へ行ってすぐの地点に瑞穂郵便局があります。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。二つのホームは互い違いに設置されており、南側のホームが神代町方、北側のホームが大正方にややずれています。二つのホームは構内中ほどの構内踏切(遮断機・警報機なし)で結ばれています。なお、構内は全体的にカーブしています。

南側のホームの大正方の端に接して島鉄標準の灰色駅舎があります。北側のホームには待合所が、設置されています。駅舎は一階建ての建物で、内部にはトイレ、待合所および駅事務室があります。

無人駅であり、事務室の窓や集札口にはブラインドが下ろされているほか、出札口はシャッターが下りたままの状態となっています。待合所の中は背もたれの小さい長椅子が設置されています。

1912年(大正元年)10月10日 - 開業。
1966年(昭和41年)8月1日 - 業務委託化。
1968年(昭和43年)3月31日 - 貨物営業廃止。
2000年(平成12年)4月1日 - 無人化。

所属路線 ■島原鉄道線
キロ程 23.0km(諫早起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 205人/日
-2005年度-(島原鉄道線内44駅中第17位)
開業年月日 1912年(大正元年)10月10日

 

 

海上自衛隊TC-90 固定翼機

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TC-90 固定翼機

TC-90は、ビーチクラフト キングエアC90を改造した連絡輸送機です。海上自衛隊各航空基地に一機ずつ計5機配備されています。また、大型航空機パイロット養成の計器飛行過程など学生航法訓練機(B-65)の後継機として1974年から採用された機体で海上自衛隊練習機として、派生型のTC-90が第202教育航空隊(徳島)に28機配備されています。初期調達分はすでに退役が始まっているが、それに伴って新規調達も引き続きおこなわれています。2009年2月に納入された6835号機以降はGT型と呼ばれ、プロペラが従来の3翅から4翅に変更されています。


製作:米国ビーチクラフト社、新日本航空整備(改造)
全幅:15.3 m
全高: 4.3 m
全長:10.8 m
重量: 4.4 t
主翼面積 27.30m2
運用重量 2,530kg
最大離陸重量 4,380kg
プロペラ直径 2.36m
燃料搭載量(機内)384gal
最高速度:220 ノット
巡航速度:196 ノット
航続距離:2,150 km(25,000ft)
実用上昇限度: 9,084 m
海面上昇率 12,000ft/min
航続時間 5時間
エンジン:プラット・アンド・ホイットニー PT6A-20A/21 ターボプロップエンジン(580馬力×2基)
乗員:6名
徳島教育航空群第202教育航空隊(徳島)


宇賀本郷駅 山陰本線

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宇賀本郷駅は、駅は周辺の人家に隠れており、遠くからはわかりづらくなっています。国道から海に向かって坂を下りたところに駅があります。

前は車は回転するにも大変なぐらいのスペースしかありません。駅は戦後に設置された新しい駅ですが利用者は大変少ない。

畑を挟んで海が近く、隣の長門二見駅から小串駅までは海岸沿いを通過するため、車窓からの景色が良い場所です。

山口県下関市豊浦町大字宇賀字上田にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅です。

小串方面に向かって左側(山側)に単式ホームが配された、1面1線の地上駅(停留所)。

 

長門鉄道部管理の無人駅で自動券売機等の設備はなく、待合室兼用の簡素な駅舎があるのみで、事実上は直接ホームに入る形になります。

待合室には造り付けの長椅子が設置されていました。棒線構造のため、小串方面行きと長門市方面行きの双方が同一ホームを共用する形です。


待合室脇には駅開設記念碑がありました。

1958年(昭和33年)7月19日 - 国鉄山陰本線の長門二見駅 - 湯玉駅間に新設開業。旅客営業のみ。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。

電報略号 ウカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 15人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1958年(昭和33年)7月19日
備考 無人駅

 

島原鉄道キハ2500形気動車

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島原鉄道キハ2500形気動車:島原鉄道キハ2500形気動車は、島原鉄道に在籍する気動車(ディーゼル動車)です。1994年から2000年にかけて、新潟鐵工所で製造されました。改良類形車のキハ2550形気動車は2001年に製造されました。

従来の老朽化したキハ55形・キハ26形・キハ20形の置き換えを目的として、1994年に新潟鐵工所でキハ2501 - キハ2505の5両が製造され、その後、1997年にキハ2506 - キハ2510の5両が、2000年にキハ2511 - キハ2513の3両が増備された。2001年にはブレーキを二重系統化して形式を変更したキハ2550形2両(キハ2551・キハ2552)が新潟鐵工所で製造されました。2011年に、キハ2512の事故による廃車代替としてキハ2550形の新車・キハ2553が新造され、2011年3月12日より運行を開始しました。2009年現在、島原鉄道の全列車に使用されており、全車ワンマン運転に対応しています。

新潟製NDCの第二世代にあたる車両。車体形状・寸法は九州旅客鉄道(JR九州)のキハ125形気動車と類似しているが、キハ125形はトイレを設置しなかった(現在は設置改造済み)のに対して、キハ2500形・キハ2550形では諫早側の車端部にトイレを設置しており、トイレ側の扉間の側面ユニット窓は製造当初から6枚です。


車体塗色は“豊穣の実り”を表す黄色地に、裾部分には有明海を表す青のラインが入っている。また、「島原の子守唄」にちなんだイラストが描かれています。
車内は中央部に2列+2列若しくは2列+1列ボックスシート、車端部にロングシートを配置したセミクロスシートとなっています。冷房装置は機関直結式のAU26J。
キハ2504は一時期ラッピングを施し「まぼろしの邪馬台国号」となっていました。

 

島原鉄道の現有車両(キハ2500形:キハ2550形)
キハ2500形(2501 - 2513)新潟鐵工所製で1994年から2000年にかけて製造されました。2512は2011年の事故により運用離脱中。
キハ2550形(2551・2552・2553) 新潟鐵工所製で2001年に製造されました。

 

株式会社新潟鐵工所は、東京都大田区蒲田本町に本社を置いていた総合重機の中堅メーカー。「新潟鉄工」また新潟県内では単に「鉄工」とも通称され、生産拠点のある新潟では有力企業の代表格であった。経営破綻後、主要事業は他社に譲渡され(譲渡先は後述)、2007年夏に清算業務を完了して解散した。現在、新交通システム・鉄道車両・除雪機械・産業用車両部門がIHI(旧石川島播磨重工業)の出資により、新潟トランシスとして2003年2月3日設立。更に富士重工業の鉄道車両製造部門の事業も承継され、国内のディーゼルカーのシェアの約8割を占める企業となっています。

 

多比良町駅 /島原鉄道島原鉄道線

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多比良町駅(たいらまちえき)は、長崎県雲仙市国見町船津にあり駅の北側は国道251号がすぐの所を東西に走り、その北側に漁協関係などの建物があって、その北側は海となっています。駅の南側は駅前から東南方向に市街地が広がっており、駅前などには商店があります。市街地には国見郵便局、正覚寺などがあり、多比良町駅はその最寄り駅となります。


雲仙市の国見総合支所は元国見町の役場であって、土黒川を超えた当駅の西約600メートルの地点に置かれている。また熊本県の長洲港までのフェリーも発着する多比良港は多比良町駅の北西にあって、これも土黒川の対岸です。
高校サッカーの有名校、長崎県立国見高等学校は、市街地のさらに南にあり、多比良町駅の南、約800メートルの所に位置しています。島原鉄道島原鉄道線の所属駅です。急行が停車する駅です。高速バスの「島原号」が駅前から発車しており、競合関係となっています。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。二つのホームは互い違いに設置されており、南側のホームが島鉄湯江方、北側のホームが神代町方にずれている。駅舎は南側のホームの神代町方、南側に接して置かれており、南側のホームの中ほどに置かれた待合所と向かい合う。


二つのホームを結ぶ構内踏切が二本あり、駅舎の前と待合所の前、および北側ホームの島鉄湯江方の端と南側ホームのほぼ中央を、それぞれ結んでいます。なお、二つの構内踏切に遮断機・警報機はありません。待合室にはFRP製の長椅子が設置されています。

多比良町駅は全国的に有名なサッカーの強豪校である長崎県立国見高等学校の最寄り駅であり、北側のホームの待合所の神代町方には、この国見高等学校サッカー部の活躍をたたえ、サッカーボールを模した石碑が建立されています。


駅舎は一階建てで、内部には駅の事務室と旅客の待合室がある。有人駅。自動券売機の設置はなく、切符を待合室内の窓口で販売しています。

1913年(大正2年)5月10日 - 開業。
1984年(昭和59年)9月30日 - 業務委託化。

キロ程 29.4km(諫早起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 564人/日
-2005年度-(島原鉄道線内44駅中第4位)。
開業年月日 1913年(大正2年)5月10日

 

7月23日(火)のつぶやき

神代町駅 /島原鉄道島原鉄道線

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神代町駅(こうじろまちえき)は、長崎県雲仙市国見町川北にあり、駅の北から海の近くを走る国道251号沿いにかけて市街地が広がっており、商店なども多い。

島原鉄道島原鉄道線の駅です。急行が停車します。

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。線路はほぼ東西に走り、駅舎は島鉄標準の四角い木造駅舎。北側のホームのやや多比良町寄り、北側に接して置かれています。

また、二つのホームは駅舎の前から出ている構内踏切(遮断機・警報機なし)によって結ばれています。南側のホームには待合所が置かれており、構内踏切を挟んで駅舎と向かい合う。

駅舎内部には西郷方からそれぞれ駅事務室、待合所、トイレがあります。待合室には広告入り木製長椅子が設置されています。無人駅であり、事務室の窓や集札口にはブラインドが下りている他、出札口はシャッターが下りたままの状態となっています。

1912年(大正元年)10月10日 - 開業。
1970年(昭和45年)6月30日 - 貨物営業廃止。
1971年(昭和46年)8月1日 - 業務委託化。
2000年(平成12年)10月7日 - 無人化。

所属路線 ■島原鉄道線
キロ程 25.5km(諫早起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 236人/日
-2005年度-(島原鉄道線内44駅中第13位)。
開業年月日 1912年(大正元年)10月10日

 

 

 

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