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野木駅 JR東日本)東北本線

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野木駅(のぎえき)は、栃木県下都賀郡野木町大字丸林にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅である。

「宇都宮線」の愛称区間に含まれており、上野駅発着系統と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車する。
栃木県最南端の駅。栃木県内のJR線の駅では宇都宮駅、小山駅、栃木駅に次ぐ第4位である。

島式ホーム1面2線を有する地上駅で古い昭和の香りのする橋上駅舎です。
みどりの窓口は閉鎖されましたがJR東日本ステーションサービスが業務を受託する業務委託駅であり、自動券売機、指定席券売機(営業時間 5:30 - 23:00)、Suica対応自動改札機が設置されている。

改札口にはLED式の発車案内が設置されています。

のりば
番線 路線 方向 行先
1■宇都宮線(東北線)下り 小山・宇都宮・黒磯方面
2 上り 大宮・東京・新宿・横浜・大船方面
(■湘南新宿ライン・■上野東京ライン含む)


湘南新宿ラインの列車は前述のように横須賀線へ直通する。本項では湘南新宿ラインのラインカラーを■青、上野東京ラインのラインカラーを■紫で示すが、実際のホーム案内はすべて■オレンジで案内されている。

ホームの上屋も長く立派です。1978年10月2日ダイヤ改正まで運行されていた客車による普通列車は当駅と東大宮駅を通過していた。いずれも戦後になって開設された新駅である点が共通している。なお客車による普通列車が設定されていた当時は土呂駅、新白岡駅、東鷲宮駅、自治医大駅は未開設であった。

東北新幹線開業以前は優等列車や貨物列車が多く設定される過密ダイヤであったため、当駅の古河寄り上下線間に、貨物列車待避用の中線が設けられていた。のちに撤去されたが、上下線間に中線跡の細長い空き地が存在する。

1963年(昭和38年)2月16日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
2007年(平成19年)3月9日 - みどりの窓口営業終了。

電報略号 ノキ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 5,093人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1963年(昭和38年)2月16日
備考 業務委託駅

 


ベンチュリー、Mk104航空音響掃海具

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ベンチュリー、Mk104航空音響掃海具はターボシャフト双発の大型ヘリコプターCH-53Eヘリコプターなどで曳航できる小型の音響機雷用掃海具で、船舶のキャビテーション音に似た音響を発生させる事で音響機雷や振動起爆型機雷を誘発処分する。ヘリコプターから海中への投入や揚収ができるが、機体から電力を送る事はできないので、プロペラ付きのベンチュリー管を水中曳航し、水流によって管内のディスクを回転させて音響を発生させる。このためベンチュリー掃海具とも言う。音響掃海具Mk105と組み合わせる事で、音響・磁気の複合掃海も可能です。

音響掃海は発音体を400ヤード位の軽いロープを速力は約24ノットで引っ張る。

小山駅 JR東日本)東北本線・水戸線・両毛線・東北新幹線 JR貨物)

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小山駅(おやまえき)は、栃木県小山市城山町三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。

1900年(明治33年)に作詞された「鉄道唱歌 第三集奥州磐城篇」(大和田建樹作)では、小山駅を以下のように歌った。
8. 小山をおりて右にゆく 水戸と友部の線路には 紬産地の結城あり 桜名所の岩瀬あり
9.左にゆかば前橋を 経て高崎に至るべし 足利桐生伊勢崎は 音に聞えし養蚕地

東北新幹線と、在来線の東北本線・水戸線・両毛線が乗り入れ、東西南北に伸びる路線が集まる結節点となっている。このうち在来線における当駅の所属線は東北本線であり、水戸線と両毛線は双方とも当駅が起点となっている(ただし、両毛線については当駅に向かう列車が下りとして扱われる)。また東北本線は旅客案内上の愛称「宇都宮線」の設定区間に含まれており、同線の列車は上野駅発着系統と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車する。
なお、貨物列車を運行するJR貨物は上記路線のうち、東北本線と水戸線にのみ第二種鉄道事業者として事業免許を有している。

高架上にある単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を使用する。ホームは副本線にあり、中央の2線(2・3番線)は通過線となっている。これは、東北新幹線の小山実験線の一部として早期に建設されたものである。上り列車は原則4番線を使用しており、5番線は小山新幹線車両センターへ出入りする回送列車の発着に使われている。ホーム上に待合室はない。待合室はコンコース、下り線の階段わきにある。
実験線基地の名残として当駅北方に小山新幹線車両センターがあり、当駅始発の東京行「なすの」が朝に1本設定されている。一方、当駅止まりの列車は設定されていない。

駅西口が当駅の古くからの表口である。1969年(昭和44年)に駅東臨時改札口が設置されるまでは、改札は西口のみであった。
西口改札を出ると新幹線の高架下を利用した3階建ての駅ビルVAL小山がある。洋服店を中心にアクセサリ、ドラッグストアなど、さまざまな店舗がテナントとして入居している。2003年(平成15年)に「ロブレ」との連絡通路も完成し、駅西口周辺の周遊性が高まった。
また、駅前の駅西地区では、再開発事業によって建設された地下1階・地上7階建てのビル「ロブレ」が大型スーパーのイズミヤを核店舗として1994年6月9日に開業したが[8]、郊外との競争で売上が減少したことから2015年8月末で核店舗のイズミヤが撤退することが発表された。ROBLEには5スクリーンの映画館「小山シネマロブレ5(銀星会館)」が入居している。
西口周辺は元々が日光街道の宿場町(小山宿)であり、日光街道や駅前通り沿いなどに神社、寺、城山公園などの史跡の他、小山市役所や小山市立文化センター、宇都宮地方法務局小山出張所、小山簡易裁判所、小山区検察庁など公共施設も多く立地する。
近年では駅東口再開発事業により東口に白鷗大学東キャンパスが立地し、分譲マンションが多数建設され、ヤマダ電機など商業施設が出店し、小山駅構内にDila小山が開業するなど、駅構内や東口周辺の開発が進行した結果、西口周辺は以前に比べ求心力が低下し、人口が減少している。
また、西口周辺はコーヒーショップが多く立地する激戦区でもある(BECK'S COFFEE SHOP・スターバックスコーヒー・タリーズコーヒー・カフェ・コロラド・ポールショップカフェ)。
かつては、北西方向の両毛線沿いに小山ゆうえんちがあったが閉鎖され、小山温泉「思川」とメリーゴーラウンドを除き全ての施設は撤去された。その後跡地には商業施設「おやまゆうえんハーヴェストウォーク」が2007年(平成19年)3月30日に開業した。このおやまゆうえんハーヴェストウォークへは、駅西口より無料送迎バスが平日は30分間隔、土日は15分間隔で運行されている。

東口は、1969年(昭和44年)に小山駅東側の区画整理事業の進行および都市化の進行により、臨時改札口として開設された。
東口周辺にはオフィスビルや歓楽街が形成されている。少し駅から離れると閑静な住宅街が広がり、その先は山林原野や田園地帯となる。
以前は森永製菓小山工場(現在は郊外移転)や日本製粉小山工場(1917年(大正6年)に東洋製粉として操業開始し、2000年(平成12年)9月末日に閉鎖[11])が東口駅前に立地していた。工場跡地には2004年に白鴎大学東キャンパス(法科大学院・法学部)とヤマダ電機が出店したほか、駅隣接部分は2008年2月に駅東口新駅前広場として一部供用が開始され、バスプールが白鷗大学裏手に移設された。北側の隣接区域にはイトーヨーカドー小山店などが立地する。西口の項目でも記述した通り、近年では東口周辺が目覚しい発展を遂げており、その勢いは西口を凌ぐものとなっている。

改札口は東西自由通路に面した中央改札口1か所のみである。新幹線独自の改札口はなく、新幹線のコンコースに入るには、一旦在来線コンコースを経由して乗換改札(事実上の中間改札)を通る必要がある。
NEWDAYSは、中央コンコース内にDila小山店(Dila小山開業前は小山中央店)、中央自由通路「さくら道」にVAL小山(駅ビル扱い)の2ヶ所それぞれ1店ずつ設置されている。また、小山駅構内の工事のために閉鎖していたベックスコーヒーショップが2013年3月26日に再開した。西口コンコース時代にはNEWDAYSはもう1店新幹線改札口付近に設置されていた。また、旧南口改札外にもNEWDAYS(小山南店)が1店設置されていた。
自動改札機は中央改札口に7組(うち中央1組はSuica専用改札)、新幹線のりかえ口に5組(うち1台は定期専用)が設置されており、すべての自動改札機でSuicaが利用可能であり、Suicaオートチャージにも対応している。Suica専用改札は2005年(平成17年)10月26日に設置された。
2005年(平成17年)10月16日に、ATOS(東京圏輸送管理システム)の路線ホストの稼動が古河以北で開始され、同月18日より発車標のATOS対応がなされた。
新しい市の玄関口として東口の整備が進められている。整備中であった旧東口エスカレーターは、2004年(平成16年)11月17日より供用が開始された。また、2006年(平成18年)度に自動体外式除細動器 (AED) が設置された。
南口改札口は2012年9月7日をもって閉鎖された。閉鎖後も改札外の通路は南自由通路として使用されており、南口から旧東口への通り抜けや駅ビルVAL小山への出入りが可能である。改札内であった通路も宇都宮線ホーム - 水戸線ホームの乗換通路として使用されている。

在来線
地上にある4面8線のホームを使用する。両毛線の6・8番線は頭端式ホームになっており、他の在来線ホームからやや離れている。7番線は6・8番線の先にある切り欠き式のホームであるが、線路は撤去されている。また、11・14番線は貨物列車などの待避線となっている。宇都宮線ホームには各ホーム1台ずつ計2台のSuica専用グリーン券自動券売機が設置されている。
ホーム上の店舗として宇都宮線上りホームに立食いそば店(TASTY KIOSK)があり、KIOSK(小山4号店)が宇都宮線上りホーム、オートキヨスクが水戸線ホームに設置されている。
水戸線ホーム・両毛線ホームの立食いそば店は2015年3月31日をもって営業終了となった。また、以前は宇都宮線下りホームと両毛線ホームにもKIOSKがあったが撤去されている。

のりば
番線 路線 方向 行先
新幹線 高架ホーム
1 ■東北新幹線 下り 郡山・仙台方面
4 上り 大宮・東京方面
5 (回送列車の発着のみ)

在来線 地上ホーム
6・8 ■両毛線 - 栃木・佐野・桐生・高崎方面
9・10 ■宇都宮線(東北線) 下り 宇都宮・黒磯・仙台方面
12・13 上り 大宮・東京・新宿・横浜・大船・熱海方面
(■湘南新宿ライン・■上野東京ライン含む)
15・16 ■水戸線 - 下館・真岡・水戸・いわき方面
(真岡方面は下館で真岡鐵道真岡線に乗換)
湘南新宿ラインのラインカラーを■青、上野東京ラインのラインカラーを■紫で示すが、実際のホーム案内はすべて■オレンジで案内されている。
宇都宮線は10番線・12番線が本線である。9番線・13番線は待避線で一部列車が使用するほか、9番線に到着する両毛線の列車もある。
通勤快速・快速「ラビット」・快速は当駅を境に宇都宮・黒磯方面が各駅に停車、上野方面が快速運転となり、いずれも上野方面は次の停車駅が古河駅となる。なお、かつては宇都宮・黒磯方面へも快速運転を続けていた(当駅から先は、石橋駅・宇都宮駅以北の各駅に停車。なお、快速運転は快速「ラビット」のみで、通勤快速(「スイフト」の愛称付き時代も含む)は各駅に停車していた)。
新幹線下りの旅客案内では「東北・山形・秋田新幹線」と表記されているが、2012年12月時点で山形新幹線ならびに秋田新幹線の定期列車は当駅に停車しない。

中央自由通路は2005年秋に発表された小山市の総合計画で、駅中央部に新東西自由通路を駅ビル内を貫通する形で新設し、中央改札口を設置する方針が示された。なお、現東西自由通路については自由通路としての設備のみ維持する方針が示されている(南口改札口は廃止)。新聞報道によると新東西自由通路は市とJRの間での工費負担割合についての協議が難航しており、当初予定されていた2008年(平成20年)度の供用開始がずれ込む見通しとなった。
その後、小山市は2008年度 - 2011年度を事業予定期間とし中央自由通路の建設に向けJR側と調整を進めていたが、2010年7月にJR東日本上信越工事事務所と施工協定を締結、同年10月12日に着工した。その後工事は順調に進み、2012年6月23日に自由通路が開通した。なお、本通路の愛称は公募により「さくら道」と命名されてい]。通路部分は小山市道であり、エレベーターを使用して自転車での通行も可となっている。中央自由通路は、中央コンコース南側に駅舎を貫く幅10メートル、延長約90メートルの通路とし、西口と新東口の駅前広場を結ぶ。南口改札は廃止し、西口改札を移転した中央改札口に統合。東口、西口双方にエレベーターとエスカレーターを整備し、バリアフリー化を進める。

JR貨物の駅は、臨時車扱貨物の取扱駅となっている。
駅北東部に東光高岳小山地区があり、当駅から全長4.8キロの専用線が続いている。発送されるのは大型変圧器で、大物車に積載され輸送される。運行頻度は毎年1-2ヶ月に1回程度である[7]。近年、その区間に路面電車を導入する計画が市から提案されている模様である。
かつて、当駅でもコンテナ貨物の取扱があった。1996年(平成8年)3月16日よりコンテナ輸送貨物列車は廃止され、トラック便が設定される自動車代行駅となった。しかし利用の減少は続き、1999年(平成11年)4月1日よりトラック便も廃止され、現在は宇都宮貨物ターミナル駅で直接集配するようになっている。
1950年に東北本線の間々田駅方面から水戸線に直通可能な短絡線(小山駅構内扱い)が新設され、上野方面から小山駅でスイッチバックせずに水戸線に入れるようになっていたが、1986年以降は使用されなくなり、2006年には短絡線の撤去工事が行われた。

当駅から東北新幹線に沿って北へ2キロほどの場所に、東北新幹線の小山新幹線車両センターがある。車両配置はなく、電留基地として仕業検査のみを行う。
かつては駅に隣接して「小山機関区」が存在した。蒸気機関車の動態保存が計画された時点では大都市圏の近くにあることから施設設置の第一候補とされた。
自動改札機導入前の1993年(平成5年)6月に、思川緑地で行われた栃木県民の日記念行事「ハートフルおやま'93」においてJR東日本が実物の自動改札機を展示し、特製の切符を配布。自動改札体験コーナーを設置していた。
東北新幹線内の休日おでかけパスのフリーエリアは当駅までである。なお、宇都宮線は自治医大駅、両毛線は足利駅、水戸線は下館駅までフリーエリアとなっている。ちなみにかつての宇都宮線内の「ホリデー・パス」のフリーエリアは当駅までであり、水戸線と両毛線はホリデー・パスのエリア外であった。
水戸線は当駅のみが栃木県内にあり、そのほかの駅は全て茨城県内に所在する。

1885年(明治18年)7月16日 - 日本鉄道線(現在の東北本線)の駅として開業。
1888年(明治21年)5月22日 - 両毛鉄道線(現在の両毛線)が開通。
1889年(明治22年)1月16日 - 水戸鉄道線(現在の水戸線)が開通。
1892年(明治25年)3月1日 - 水戸鉄道が日本鉄道に営業譲渡。
1897年(明治30年)1月1日 - 両毛鉄道が日本鉄道に営業譲渡。
1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道が国有化。国有鉄道の駅となる。
1969年(昭和44年)1月6日 - 小山駅東臨時改札口開設。 
1971年(昭和46年)10月12日 - 東北新幹線、小山駅停車が決定。
1972年(昭和47年)12月25日 - 東北新幹線の建設着工。
1978年(昭和53年)
5月30日 - 小山駅新駅舎(現行駅舎)完成、使用開始。
6月9日 - 東北新幹線総合試験線 試験電車運転開始。
1982年(昭和57年)6月23日 - 東北新幹線開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本・JR貨物の駅となる。
2001年(平成13年)11月18日 - 交通系ICカードSuica供用開始。
2005年(平成17年)10月16日 - 宇都宮線野木以北のATOS路線ホスト接続により、ATOS稼動開始(旅客案内は18日より)。
2011年(平成23年)12月4日 - 中央改札口完成、供用開始。西口改札廃止。
2012年(平成24年)6月23日 - 小山駅中央自由通路完成、供用開始。
2012年(平成24年)9月7日 - 南口改札閉鎖。
2013年(平成25年)3月 - 改札内商業施設「Dila小山」開業。
2014年(平成26年)3月 - 東口に新しい駅前広場が完成。

電報略号 ヤマ
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅(在来線)
ホーム 2面3線(新幹線)
4面8線(在来線)
乗車人員
-統計年度- 21,864人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1885年(明治18年)7月16日
乗入路線 4 路線
所属路線 ■東北新幹線
所属路線 ■東北本線(宇都宮線)
所属路線 ■水戸線
所属路線 ■両毛線
備考 直営駅
みどりの窓口 有

内田駅 平成筑豊鉄道田川線

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内田駅(うちだえき)は、福岡県田川郡赤村大字内田にある平成筑豊鉄道田川線の駅である。

駅周辺は田畑や林である。登録有形文化財の内田三連橋梁は当駅が最寄り駅になります。

内田三連橋梁(うちださんれんきょうりょう)は、福岡県田川郡赤村大字内田にある平成筑豊鉄道田川線の鉄道橋である。内田川橋梁、地元では「みつあんきょ」とも呼ばれている。田川線の赤駅 - 内田駅間に所在する橋長13m、スパン長3.35mの三連アーチ橋である。1895年(明治28年)8月に竣工、同年8月15日に供用開始した。設計は野辺地久記。基本計画にはドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルも関係している。
本橋梁の特徴として、内田川の下流(橋梁西)側は煉瓦積み、上流(橋梁東)側は切石積みとなっている。煉瓦積みのほうは将来の複線化の際の橋梁増設を考慮して煉瓦を交互に突き出させた「げた歯構造」と呼ばれる積み方で、縞模様および市松模様に見える。
本橋梁は1999年(平成11年)11月18日に、国の登録有形文化財に登録された。

平成19年1月から放送されたフジテレビ系月9ドラマ『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』
筑豊と東京を舞台にしたこのドラマの中でも登場しています。


単式ホーム1面1線を持つ地上駅である。駅舎はなく、ホームに待合所が設置されています。ホームへは階段でアプローチします。ホーム待合所にはFRP製の椅子が設置されています。


国鉄時代には田川伊田寄りに同名の信号場が設置されていましたが、転換時に廃止され、半年を置いて開設されています。

1990年(平成2年)4月1日 - 平成筑豊鉄道により開業。

所属事業者 ■平成筑豊鉄道
所属路線 ■田川線
キロ程 20.7km(行橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1990年(平成2年)4月1日
備考 無人駅

勾金駅 平成筑豊鉄道田川線

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勾金駅(まがりかねえき)は、福岡県田川郡香春町大字中津原にある平成筑豊鉄道田川線の駅である。香春町南端の集落に位置する駅です。

当駅の約500m西側にある福岡県立田川高等学校がネーミングライツを取得し、2009年(平成21年)4月1日より愛称付きの駅名が田川高校前 勾金駅となっている。

添田線があった頃は、当駅と上伊田駅 (国鉄)とが近く、乗換客もいたという。

田川高校の生徒の通学駅として賑わう駅です。昔は運炭路線で行違い駅のスペースが残っています。朝夕を中心に比較的利用客が多く見られます。

地上駅であり、右半分が撤去された木造駅舎です。相対式ホーム2面2線を有する列車行違い(交換)可能な無人駅である。駅舎の旧事務室部分にはにはラーメン店が入っている。

ホーム間は構内踏切で結ばれています。上りホーム待合所。FRP製の椅子と木製の長椅子が設置されています。また非常に背が低い出発信号機がホームにあります。

日本セメント専用線
当駅では、開業時から平成筑豊鉄道転換前の1989年(平成元年)まで貨物営業を行っていた。

また、1976年(昭和51年)から1989年まで日本セメント(現・太平洋セメント)の専用線が接続していた。


日本セメントの香春工場は、香春駅近くで1935年(昭和10年)6月に操業を開始し、香春駅に繋がる専用線を保有していた。香春工場の生産量増強による新しい船積み基地が苅田港に新設されると、1976年(昭和51年)12月に日本セメント専用線が当駅側にも敷設され、セメント輸送が苅田港駅との間で開始された。工場と当駅を結ぶ専用線は総延長3.0kmで、そのうち2.3kmは当駅と国鉄の旧・夏吉駅を結ぶ田川線の貨物支線を転用した。旧・夏吉駅は4本の線路を持つヤードとなり、このヤードから当駅まではDE10形ディーゼル機関車、工場までは日本セメントの私有機が貨物列車を牽引していた。


この日本セメント専用線は、香春駅の専用線が廃止された後も使用され続けたが、JR田川線の平成筑豊鉄道転換が行われる直前の1989年7月9日限りで廃止された。廃止時点では、セメント輸送列車は当駅と苅田港駅の間で1日3往復(火・土曜日は1日4往復)、20両の貨車を牽引する形態で運転されていた


1885年(明治18年)8月15日 : 豊州鉄道の香春駅(かわらえき・初代)として開業、旅客・貨物営業を開始。
1899年(明治32年)1月25日 : 当駅 - 夏吉駅間の支線が開業。
1901年(明治34年)9月3日 : 九州鉄道が豊州鉄道を合併。
1905年(明治38年)3月1日 : 当駅 - 夏吉駅間の旅客営業を廃止。
1907年(明治40年)7月1日 : 九州鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 : 線路名称制定、当駅を通る路線を田川線と命名。
1943年(昭和18年)5月1日 : 勾金駅に改称。なお、旧・小倉鉄道の上香春駅が2代目香春駅に改称した。
1973年(昭和48年)4月1日 : 当駅 - 夏吉駅間の貨物支線を廃止。
1980年(昭和55年)10月1日 : 貨物の取り扱い範囲を、専用線発着の車扱貨物のみに縮小[1]。
1984年(昭和59年)2月1日 : 荷物の取り扱いを廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 : 国鉄分割民営化により、九州旅客鉄道(JR九州)・日本貨物鉄道(JR貨物)が継承。
1989年(平成元年)10月1日 : JR九州から平成筑豊鉄道に転換、同社田川線の駅に。JR貨物勾金駅は廃止。
2009年(平成21年)4月1日 - ネーミングライツにより「田川高校前」の愛称が付く。

所属事業者 ■平成筑豊鉄道
所属路線 ■田川線
キロ程 23.6km(行橋起点)
電報略号 カネ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1885年(明治18年)8月15日
備考 無人駅

LVSR-T 兵站車両システム アメリカ海兵隊

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シュコシュ社が製造する兵站車両システム(Logistics Vehicle System, LVS)を運用している。LVSはHEMTTと違いセミトレーラーのような連結式車両となっており、前部の牽引ユニットに後部ユニットを結合させるモジュラー構造となっている。逆に、HEMTTは単一の車体である。物流車両システム(LVSは )、アメリカ海兵隊8輪駆動のモジュラー品揃えで全地形車で使用される。

LVSは、海兵隊重い戦術車両システムとして1985年に擁立された。これはによって設計され、製造されたオシュコシュ株式会社。米国陸軍は、と呼ばれる同様の戦術車両持つ重拡張モビリティ戦術トラック(HEMTTを)。両者の主な違いはリアのボディユニットと前面の電源ユニットを交換するLVSの能力です。LVSはまた、(典型的な自動車のような)標準ホイールピボットとの両方を通って操縦する油圧(リヤボディユニットに対して前面の電源ユニットを明確による)ヨーステアリング。これは、そのサイズのため、LVS顕著操作性を提供します。これとLVSRは、高速道路で22.5トン(5万ポンド)まで運ぶことができます。

物流車両システムの交換(LVSRは )アップグレード版で、最初の2009年に擁立オシュコシュで$ 740.2百万の契約は2006年6月に署名した海兵隊に36フィート(11メートル)単位の1592が得られます。関節システムは、10輪システムで使用TAK-4サスペンションシステムを支持して廃棄されたミディアム戦術車両の交換オフロード機能のため、電気モーターを有する改良された武器タレット、およびアドオンと統合された車両の装甲入手可能なキット。前面2、背面2車軸はなし90,100フィート(27と30メートル)から83フィート(25メートル)に旋回半径を小さく、操縦することができます。

LVSはフロントで構成されている電源ユニット後部車体ユニット(RBU)に結合された(FPU)。FPUは、独自に駆動するが、ブレーキをかけたときに、このモードでは重フロントや鼻ダイビングの傾向があることができます。サスペンションロックアウトストラットは、この問題を軽減します。それは両方のユニットの組み合わせにより留意され、トラックを説明するとき、例えば、MK18 RBUに添付MK48 FPUは「18分の48」と呼ばれています。48 "/ 16 / 870A2」、すなわち、M870のセミトレーラーをけん引MK16年代については、トレーラーの種類も同様に追加されます。

前面の電源ユニット
MK48の家独特のターボチャージャー装備の450 馬力 デトロイト・ディーゼル V8が、4速に釣り合わせアリソン・トランスミッション。また、エンジンはパワーオルタネータ、空気圧縮機と油圧ポンプ。MK48はまた、2名の乗組員のために、タクシーを収容します。


MK48A1は元MK48に若干の改良を提供しています。これらの改善は、改訂された電池ボックスとカバー、両面のための余分なキャブエントリステップ、修正されたエアインテークカバー、および追加されたハンドルと電源ユニットの上に登山を容易にするためのステップを含みます。


リヤボディユニット
MK14フラットベッドは、20フィート(6.1メートル)の長さであり、ロックのための特徴のISOコンテナを。MK14は、単一の保持できる20フィート同等単位(TEU)大きさの容器、または3 SIXCONユニット(ポンプやタンクモジュール)。貨物を確保するためのタイダウンフックとラチェットストラップのための宿泊施設もあります。牽引棒を備えた場合、2つのMK14さんが参加し、単一MK48電源装置により曳航することができます。これは、「タンデムトウ」または「TT」と呼ばれます。
MK15復旧車両はLVSS、回収可能なMTVRsやハンビーを。
MK16 フィフスホイールはセミトレーラーのM870ファミリを牽引するように設計されています。これは、より小さな回転半径を作成し、FPU / RBUの組み合わせの最短です。M870のトレーラーを牽引するとき、それは海兵隊最長戦術車両になると、これは便利です。


MK17クレーン(MHC)のマテリアルハンドリングは、MK14よりもわずかに短いフラットベッド(16フィート(2.4メートル4.9による)で8)を備えています。これは、ユニットの背面にMHCに対応することです。ブームは15000ポンド(6800キロ)の最大吊り上げ能力で評価されています。MK17も20戦闘ロード海兵隊を運ぶためにベンチに取り付けることができます。人員輸送は現在、主によって処理され、これは、しかし稀であるMTVRsとHMMWVs。
MK18 / 18A1セルフローダーは、ロードが可能なリボンブリッジ、小型船舶、コンテナ、および外付け重機器をサポートしたSIXCONモジュール。18A1は、ロードとオフロードプロセスの改善を提供しています。18A1は、車両の途中から上昇目立つ「スティックfigure'状のフロントリフトアダプタ(FLA)を備えています。


クルー: 2
幅: 96インチ(240センチメートル)
身長: 102インチ(260センチメートル)
最高速度: LVSR用道路(時速65マイル(29メートル/秒)に時速57マイル(25メートル/秒)
最大範囲: 300マイル(480キロ)
最高よじ登ることができるグレード: 60%
最も急なアプローチ角度: 45°
最も急な出発角度: 45°(MK48 / 16用の48°、MK48 / 17 40°)
最大サイドスロープ: 30%
最大渡河の深さ: 60インチ(150センチ)

川越駅 川越線(JR東日本)・東武鉄道(東上本線)

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川越駅(かわごええき)は、「小江戸」の名称を持つ観光都市である埼玉県川越市脇田町および脇田本町にある、東武鉄道・東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅です。

東武鉄道の東上本線と、JR東日本の川越線が乗り入れている。東武鉄道の駅にはTJ-21の駅番号が付与されている。なお、川越線は朝の下り一部電車を除いて当駅で系統が分割されており、当駅以東へ向かう電車は大宮駅から埼京線に直通し、当駅以西へ向かう電車は高麗川駅から八高線に直通する。

東上線が川越に到達した時点では駅がなく、やや遅れて開業した。開業時は「川越西町」と称し、川越の市街地からはずれた位置にあった。当時の東上線における川越市の玄関駅は、隣の川越町(現在の川越市)駅である。川越線の開業に伴う駅名改称と、市街地の南下により市を代表する駅となった。

駅舎は1989年3月に完成した駅ビルを併設した橋上駅舎で、改札口は東武鉄道、JR東日本それぞれに有しており、両社の乗り換えを行う利用客はいったん改札を出る必要がある。橋上駅舎完成前まではJR東日本(旧国鉄)の駅業務も東武鉄道が委託を受けており、両社間の中間改札は設置されていなかった。
商業施設として、東武鉄道(東口)側には「エキア (EQUIA) 川越」(駅構内商業施設)が、JR東日本(西口)側には「ルミネ川越店」(駅ビル)がそれぞれ改札外にある。「エキア川越」は、2007年9月20日に従来の「ファイン (Fine) 川越」に代わり、リニューアル開業した。
東武鉄道・JR東日本ともに改札内にユニバーサルデザインとしての多機能トイレが設置されている(東武:オストメイト対応多目的シート付き、JR東日本:オストメイト対応ベビーシート付き)。ほか、全ホームにエレベーターとエスカレーターを設置している。また、コインロッカーも設置している。

JR東日本のホームは島式ホーム2面3線を有する地上駅。番線の表示は東武東上線からの通しとなっている。
当駅は、川越線における運用上の拠点駅となっており、早朝の一部列車を除き、大宮駅方面(埼京線方面)、高麗川駅方面(八高線方面)のいずれの両方向からも川越線を乗り通すには当駅で乗り換えが必要である。
上下本線の間に中線が入る形で、平日朝ラッシュ時以外は主に中線に高麗川方面への列車が発着する。中線は両側にホーム(4・5番線)を有しており、大宮方面への列車が3・6番線いずれのホームに入線しても階段の上り・下りなしに乗り換えができるようになっている。

のりば
番線 路線 方向
3 - 6 ■川越・埼京線 大宮・池袋・新宿・大崎・りんかい線方面
■川越線 高麗川・東飯能・八王子方面


高麗川方面のラインカラーを■灰色で表すが、実際の案内は両方向とも■グリーンのみ用いられている。
朝ラッシュ時は、主に大宮方面が4・5番線を、高麗川方面が3・6番線を交互に使用する。これは、大宮方面行において乗降分離による整列乗車を実施しているためである[3]。
日中時間帯は、5・6番線は使用されず、大宮方面が3番線を、高麗川方面が4番線を使用する。なお、2010年3月のダイヤ改正までは大宮方面が3・6番線を、高麗川方面が4・5番線を交互に使用していた。
夕ラッシュ時以降は、主に大宮方面が3・6番線を、高麗川方面が4・5番線を交互に使用する。
高麗川方面の電車は終日ボタン操作による乗降ドアの半自動扱いを実施しているが、発車時刻の約1分前になると半自動扱いが解除され、すべての乗降ドアが開く。
3・4番線にはホーム上に常時立ち番が配置されており、案内放送や客扱終了合図を行う。
改札周辺には、びゅうプラザ、みどりの窓口、自動券売機(指定席券売機併設)、VIEW ALTTE、KIOSKなどがある。
貨物駅でもあった時期なら川越線と東武東上線は線路が繋がっており、当時は東武の車両を出搬入する際に当駅を使用しており、連絡線では貨物列車以外でも稀に団体列車の行き来もあった。
非電化の頃は、1面2線の島式ホームだった。


1915年(大正4年)4月1日 - 東上鉄道の新河岸 - 川越町間に川越西町駅(かわごえにしまちえき)として開業。
1920年(大正9年)7月27日 - 東上鉄道が東武鉄道に合併し、東武鉄道東上本線の駅となる。
1940年(昭和15年)7月22日 - 国有鉄道川越線川越駅が開業。同時期に東武鉄道は川越駅に改称。
1976年(昭和51年)6月1日 - 国鉄川越駅の貨物営業廃止。
1985年(昭和60年)9月30日 - 国鉄川越線が電化され、埼京線との直通運転を開始。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、川越線は東日本旅客鉄道の駅となる。
1989年(平成元年)3月 - 橋上駅舎の供用開始。東武鉄道とJR東日本の改札が分離。JR東日本の駅も自社管轄に変更。
2001年(平成13年)11月18日 - JR東日本でICカードSuica供用開始。
2004年(平成16年)2月19日 - JR東日本側の大幅な駅舎改修が行われ、窓口移動のほか、階段がもう一組大宮側に増設され、川越線ホーム上にはルミネ川越店が開店。
2007年(平成19年)
3月18日 - 東武鉄道でICカードPASMO供用開始。
9月20日 - 東武鉄道側の駅ナカ商業施設「ファイン川越」が「エキア川越」としてリニューアルオープン。
2008年(平成20年)3月18日 - 東武東上線ホームで発車メロディ使用開始。
2014年(平成26年)3月26日 - 西口駅前広場改修工事完了。ペデストリアンデッキ供用開始。

駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 37,327人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1940年(昭和15年)7月22日
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
* 当駅で運転系統分離

宇都宮駅 JR東日本)東北本線 日光線 東北・山形新幹線:JR貨物

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宇都宮駅(うつのみやえき)は、栃木県宇都宮市川向町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)および日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。

市街地の東部・田川の対岸に建設された当駅と宇都宮中心市街地の西部に立地する東武宇都宮駅とは西に約1.5km離れており、徒歩の場合、大通りやオリオン通りなどを経由して約20分を要する。

東日本旅客鉄道宇都宮駅の所属路線は、東北本線、日光線、東北新幹線、山形新幹線および秋田新幹線である。なお、正式な線路名称上では東北新幹線は東北本線に包括され、山形新幹線、秋田新幹線という線路名称は存在しない。
当駅は1885年(明治18年)7月16日に日本鉄道第二区線の駅として開業、1890年(明治23年)6月1日には同じく日本鉄道が宇都宮駅から日光に至る支線を開業し、国有化後の1909年(明治42年)10月12日、日本鉄道第二区線および日光に至る支線の線路名称はそれぞれ東北線および日光線と制定された。その後、国有鉄道時代の1982年(昭和57年)6月23日には東北新幹線の開業と同時に東北新幹線の駅となり、分割民営化され東日本旅客鉄道に継承された後の1990年(平成2年)3月10日には上野-黒磯間が宇都宮線の愛称へと改称された。
現在、当駅には在来線の宇都宮線列車(上野駅発着、湘南新宿ライン、黒磯駅発着など)、日光線列車、烏山線列車[注釈 1]、東北新幹線「やまびこ」「なすの」、山形新幹線「つばさ」が発着し、在来線の列車はほぼ全ての列車において当駅が始発、終着駅となっている。また、東北新幹線「はやぶさ」、同「はやて」および秋田新幹線「こまち」は当駅を通過するが、仙台駅や盛岡駅などで改札を出ずに乗り換える場合に限り、いずれも1枚の新幹線特急券で利用可能となっている。

1885年(明治18年)7月16日 - 日本鉄道第二区線の駅として開業、第二区線の終着駅となる。当時、栗橋駅 - 中田仮駅間の利根川架橋が未了の状態で開業したため、この間は連絡船が結んでいた。翌1886年(明治19年)6月に利根川橋梁が完成し、上野から宇都宮までが全通した。
線路は当時の宇都宮市街を避けて設置され、駅は田川を挟んで対岸に設けられた。現在も駅舎及び交通・商業複合設備は線路西側にある。日本初とされる駅弁(おにぎり2個にたくあんが添えてあるもの)が販売される。


南北に伸びる地上の東北本線(宇都宮線)、高架の東北新幹線の線路西側に沿うように建設された地上3階建ての駅舎である。うち3階設備は新幹線ホームのみで、1-2階は主に南側がJR東日本の駅施設、北側は宇都宮ステーション開発の駅ビル「パセオ」として利用されている。駅ビル「パセオ」と駅改札前「とちぎグランマルシェ」を中心に駅舎ビル全体で商業施設が展開されている。


駅施設
改札は駅舎ビル2階にあり、改札外にはみどりの窓口(営業時間 6:00 - 22:00)やびゅうプラザ(営業時間 平日10:30 - 18:30、土曜日10:30 - 17:30)、駅事務室、近距離自動券売機、指定席券売機(営業時間 初電 - 23:50)、えきねっと券売機(営業時間 5:30 - 23:00)などのほか、インフォメーションセンター(観光案内所)などが置かれている。また改札内には待合室や新幹線乗り換え改札、精算所・精算機、コインロッカー、多目的トイレ等が設置されている。在来線ホームは駅舎ビルの東側地上、新幹線ホームは駅舎ビル3階に敷設されており、駅改札内コンコースと各ホーム間には階段のほかエスカレーター、エレベーターが設置されている。駅北東には宇都宮運転所が併設されている
駅舎ビル2階には駅西口にペデストリアンデッキ、および駅東口への東西自由通路が取り付けられており、それぞれ階下はバスのりば、タクシーのりばとなっている。東西両口にも階段に加えエスカレーター、エレベーターが設置されており、バリアフリー化されている。

駅構内施設
構内には駅ビルパセオやとちぎグランマルシェをはじめ、駅舎2階を中心にカフェBECK'S COFFEE SHOP(改札外および新幹線改札内)やコンビニエンスストアNEWDAYS(在来線改札内および新幹線改札内)、駅売店KIOSK(駅舎1階西口交番脇、在来線改札内および新幹線改札内)、喜多そば(改札外および新幹線改札内)などの商業施設各種小売店が入居している。
駅舎ビル北側1、2階に入る駅ビル「パセオ」にはカフェ(スターバックスコーヒー)やファーストフード(モスバーガー)、讃岐うどん専門店(丸亀製麺)などの飲食店のほか、スーパーマーケット(成城石井)、ドラッグストア(マツモトキヨシ)、菓子専門店(東京風月堂・おかしのまちおか)など食料・生鮮食品(以上1階)、雑貨、服飾品の小売店や書店(八重洲ブックセンター、以上2階)などが入居している。また宇都宮駅改札に面する「とちぎグランマルシェ」には土産店やNEWDAYS、餃子専門店、足利銀行ATMなどが入居しているほか、東西自由通路口にはロッテリア宇都宮駅ビル パセオ店が出店している[32][38][39]。
また3階は宇都宮みんみん、銀座コージーコーナー等が入居するレストランエリア、およびホテル アール・メッツ宇都宮フロントがあり、4階以上は同ホテルの客室となっている。

駅舎ビル南側1階には宇都宮東警察署の『宇都宮駅KOBAN』が所在する。1903年(明治35年)2月に『宇都宮警察署停車場巡査派出所』として設置されたのが起源で、1982年(昭和57年)6月の東北新幹線開業に際して現在の駅舎ビル1階に移設された。

新幹線ホームは、高架上に16両編成対応の相対式ホーム2面を有し、この間に通過線(本線)2線(2・3番線)をはさむ。
在来線ホームは単式、島式ホーム3面5線の地平ホーム(15両編成対応)となっているほか、5番線と7番線の間に貨物列車等待避線(6番線)を有する。島式ホームの7・8番線および9・10番線ホーム上にはグリーン券券売機が設置されている。


すべての新幹線ホームおよび在来線ホームには、改札階である2階コンコース間を結ぶ階段のほかエスカレーターおよびエレベーターが設置され、バリアフリーに対応している。
番線     路線    方向    行先     備考
新幹線 高架ホーム
1 ■東北・山形新幹線 下り 仙台・盛岡・山形・新庄方面
4 ■新幹線 上り 大宮・東京方面


在来線 地上ホーム
5 ■日光線 - 鹿沼・今市・日光方面 一部は7番線


7 - 10 ■宇都宮線(東北線) 下り 氏家・矢板・黒磯方面 一部は5番線
上り 小山・大宮・東京・新宿・横浜方面
(■湘南新宿ライン・■上野東京ライン含む)
■烏山線 - 仁井田・大金・烏山方面

宇都宮駅は、日本国有鉄道の駅構内販売機関自らの沿革において「地元業者『白木屋』がホームで発売したおにぎりが最初の駅弁である」「駅弁発祥の地」とされている。
かつては、富貴堂弁当部と松廼家の2社が営業していたが、富貴堂の撤退に伴い現在は松廼家1社のみの営業である。かつては松廼家・富貴堂の両社とも駅構内で立ち売りを行っていたが、現在は消滅した。

JRの駅としては北関東3県で最も多く、南関東1都3県を除くJR東日本管内の駅では仙台駅、新潟駅に次いで3番目に多い数字である。JR東日本全体では第119位となっている。なお旅客収入額はJR東日本で第13位(2009年度)で、東京電車特定区間以外のJR東日本の駅では仙台駅、新潟駅に次いで三番目に多い。

宇都宮市の中心市街地は、駅西側を流れる田川の対岸1 - 2km西方に広がり、栃木県庁や宇都宮市役所などの地方行政の諸主要機関や国の地方機関などが二荒山神社やオリオン通り周辺の中心市街地とその周縁部に所在する。宇都宮駅西口はこの中心市街地に面し、ビジネス客や観光客が訪れる宇都宮の玄関口である。
宇都宮駅は日本鉄道第二区線大宮 - 宇都宮間の開業に伴い開設されたが、当時より国内有数の人口を擁する地方都市であった宇都宮では、線路が街中(市街地)を避けた田川対岸、宇都宮の東側に謂わば追いやられた格好で設置された。一方で路線敷設工事が急ピッチで進められたこともあり駅周辺整備が十分でないまま開業となったこともあって、当初は駅と現中心街を結ぶ大通りが開通しておらず、日本鉄道第二線区の開通式に参列し栃木県庁を訪問した宮内卿伊藤博文、鉄道局長井上勝、東京府知事渡辺洪基らは田川下流部にかかる押切橋を渡って宇都宮の街中に入り県庁を目指した。その後小袋町(現在の上河原付近)と簗瀬村の土地を買い上げて道路とし、田川には宮の橋を架けることによって現在の大通りが開通した。
現在、駅前広場の南側ロータリーには5面のプラットホームに計18のバス乗降場とタクシー降車場が、また北側ロータリーにはタクシー乗降場と一般車両乗降場、タクシープールが設けられている。一般車両については、広場内で待機する車両への市営駐車場(20分まで無料)利用と、南側ロータリーへの進入を回避し博労町交差点(旧奥州街道との交差点)方面への走行を誘導している。当駅西口と市街中心地の間は大通りで結ばれ、関東自動車、東野交通、JRバス関東の路線バスが頻回運行され(所要時間5分程度、運賃大人片道150円)、広い歩道も整備されている(所要時間は15分から20分程度)。大通り沿いにはビジネスビルが立ち並ぶが、一歩路地裏に入ると寺社が林立し、城下町宇都宮の面影を残している。なお現在西口は宇都宮市の市街地再開発事業の一環として再開発中で、西口第四B地区の住宅棟とホテル棟の建設が進められており、うちホテル棟は2010年(平成22年)12月1日に開業し、残る住宅棟も同年度中には竣工する計画となっている。
一方、宇都宮駅東口は、宇都宮駅開業時より構内の車両留置線や貨物の積み下ろし設備等として機能してきた用地を、1971年(昭和46年)に宇都宮貨物ターミナル駅へと移転し、また車両基地宇都宮運転所の機能の一部を田端運転所に移し、余剰となった線路跡地に設置されたものである。東口再開発事業の開始とともに20線を超えた留置線も撤去され、2008年(平成20年)11月1日には宇都宮東警察署交番『宇都宮駅東口KOBAN』、バスのりば、タクシーのりば、一般車乗降場が新設された。2つのプラットホームに6つのバスのりば、タクシー乗降所、および一般車両乗降場が設けられている。また再開発にあわせて川向町および東宿郷一丁目のそれぞれ一部の町名称が変更され、市の公募により宮みらいと命名された。東口には高層商業施設が建設される予定であったが、2009年3月、再開発事業への参画を予定していた建設大手清水建設を中心とする企業グループ(グループ七七八)が折からの不況を理由に事業からの撤退を表明し、再開発事業は頓挫している。その後、2013年3月まで期限付きで暫定利用されている。

JR東日本が提供しているロケーションサービスの一環として、宇都宮駅でも種々の作品で撮影が行われている。
2009年度
2009年(平成21年)
11月12日撮影 - テレビ朝日ドラマ『西村京太郎トラベルミステリー第53作 ― 山形新幹線つばさ111号の殺人』。
宇都宮駅で撮影。2010年(平成22年)2月6日放映。
2010年(平成22年)
3月28日撮影 - 日本テレビドラマ『Mother』。
宇都宮駅および宮の橋周辺。第1話(同年4月14日)と第2話(同年4月21日)放送分で放映。
3月31日撮影 - テレビ東京『ルビコンの決断~エキナカビジネス』。
宇都宮駅構内。同5月6日放送。
撮影日不明 - テレビ東京『出没!アド街ック天国』。
宇都宮駅構内。同11月2日放送。

1886年(明治19年)10月1日 - 日本鉄道第二区線として宇都宮駅 - 那須駅(現・西那須野駅)間を延伸[19]。
1890年(明治23年)6月1日 - 現在の日光線にあたる路線が、日本鉄道により今市駅まで開通(のち日光まで延伸)。
1902年(明治35年)4月1日 - 2代目の駅舎(2階建て)に改築。この駅舎は京都鉄道二条駅の駅舎の模範にされた。
1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道が国有化される。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称が制定され、当駅を通る路線が東北本線および日光線と命名される。
1910年(明治43年)10月15日 - 建設中の大日本製粉宇都宮工場を日清製粉が買収し、宇都宮駅鉄道引込線使用契約を締結。
1925年(大正14年)12月27日 - 駅舎の改築工事着工。
1926年(大正15年)4月9日 - 駅長室の拡張工事着工。
1945年(昭和20年)7月12日 - 宇都宮大空襲により駅舎(2代目)が焼失。
1946年(昭和21年)3月10日 - 駅舎が木造1階建て、スレート葺きバラック建築で復旧(3代目駅舎)。
1958年(昭和33年)
2月27日 - 4代目駅舎が落成、3月1日に供用開始。
3月7日 - 駅舎2階に駅デパートが開業。
1966年(昭和41年)7月 - 宇都宮駅(日清製粉宇都宮工場) - 大川駅(同鶴見工場)間でホッパ車のホキ2200形による原料小麦輸送が始まる。
1973年(昭和48年)9月25日 - 車扱貨物の取り扱い範囲を、専用線発着のみに縮小。
1974年(昭和49年)11月1日 - 新幹線工事のための5代目駅舎(仮駅舎)供用開始。駅ビル「ラミア」を併設する。
1980年(昭和55年)
6月10日 - 現駅舎が完成、6代目駅舎となる。駅ビル「ラミア」に和食店「どんど」(うどん・そば)が開店。
8月1日 - 駅東側地区の宅地化を受け、東西自由通路が開通。
9月5日 - 駅ビル「ラミア」が全面営業開始[23]。
1982年(昭和57年)6月23日 - 東北新幹線が開業し同線の駅となる。
1983年(昭和58年)10月4日 - ペデストリアンデッキが完成。
1987年(昭和62年)
4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本とJR貨物が継承。
12月 - 駅ビル「パセオ」が開業。
1990年(平成2年)12月 - 和食店「どんど」(うどん・そば)が「パセオ」に移転。
1994年(平成6年)2月 - 在来線改札に自動改札機を導入。
1996年(平成8年)11月30日 - 日清製粉宇都宮工場が操業を停止。この頃貨物列車の発着がなくなる。
2001年(平成13年)11月18日 - Suica導入。
2003年(平成15年)10月12日 - Suica定期券による新幹線(東京 - 宇都宮、高崎間)利用開始。
2004年(平成16年)10月16日 - 湘南新宿ライン、宇都宮線普通列車へのグリーン車導入、駅ホームでのグリーン券売機運用開始。
2006年(平成18年)7月8日 - 宇都宮線の15両編成列車の運行が当駅まで延長される。従来は小金井駅までの運行であった。
2007年(平成19年)
5月7日 - びゅうプラザとみどりの窓口一体化工事開始。5月13日から仮設券売機を使用開始。
7月30日 - 上記工事終了、供用開始。
2008年(平成20年)
1月29日 - 在来線Suica専用改札機使用開始。
11月1日 - 東口新駅前広場オープン。

所属事業者:東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)
電報略号 ミヤ
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅(在来線)
ホーム 2面2線(新幹線)
3面5線(在来線)
乗車人員
-統計年度- 35,769人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1885年(明治18年)7月16日
乗入路線 5 路線
所属路線 ■東北新幹線
■山形新幹線
キロ程 109.5km(東京起点)
◄小山 (28.9km)(48.3km) 那須塩原►
所属路線 ■東北本線(宇都宮線)
(■烏山線直通含む)
キロ程 109.5km(東京起点)
◄雀宮 (7.7km)(6.2km) 岡本►
所属路線 ■日光線
キロ程 0.0km(宇都宮起点)
(4.8km) 鶴田►
備考 みどりの窓口 有


国鉄80系電車 クハ8600

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国鉄80系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が1949年に開発した長距離列車用電車形式群の総称である。

「湘南電車」と呼ばれる車両の初代に該当する。太平洋戦争後、東海道本線東京地区普通列車のラッシュ輸送対策として電気機関車牽引客車列車からの運用置換えを目的に、当初から長大編成組成を前提として開発・設計された。
これ以前は客車列車を輸送の本流として扱い、電車は大都市圏の短距離輸送に重点を置く補助的な存在と捉えていた国鉄が、100kmを越える長距離輸送に本格投入した最初の電車であり、走行性能で電気機関車牽引客車列車を大きく凌駕し、居住性でも初めて肩を並べた。電車が長距離大量輸送に耐えることを国鉄において実証し、その基本構想は後年の東海道新幹線の実現にまで影響を及ぼした。
メカニズム面では基本的に国鉄が大正時代から蓄積してきた伝統的設計の流れを継承するが、内容は大幅な強化・刷新が図られ、1950年代に続いて開発された70系・72系全金属車体車とともに「国鉄における吊り掛け駆動方式旧形電車の集大成」と評すべき存在となった。
1950年から1957年までの8年間にわたり、大小の改良を重ねつつ合計652両が製造され、普通列車・準急列車用として本州各地の直流電化区間で広く運用されたが、1983年までに営業運転を終了し形式消滅した。


基本的共通事項として、乗降を円滑にするため幅1m(サロ85形は700mm)の片開き片側2ドア客用扉と車端部デッキを採用する。
当初からの構造的特徴として、台枠のうち台車心皿中心間で船の竜骨に相当する中梁を簡素化し、車体側板と接する側梁を強化することにより梯子状の台枠構造全体で必要な強度を確保しつつ軽量化を図っている点が挙げられる。これは1930年製造の16m車・湘南電気鉄道デ1形電車(のちの京浜急行電鉄デハ230形電車)で川崎車輛の設計により採用されたのが日本における初出であるが、その先進的軽量化設計の意義を(合理的な強度計算手法を含めて)理解しようとしなかった無理解な鉄道省の担当官による硬直的な対応[11][12]で増備車では中梁装備への退行を強制され[13]、以後戦後に至るまで約20年にわたり顧みられていなかった手法であった。80系ではかつて鉄道省の担当官が「妥当ナラザル」として禁止したこの設計手法を、その後身である日本国有鉄道の工作局自らがより長く重い20m級車両で採用したものである。以後、この設計手法は後続の国鉄70系電車や各私鉄の新造車など、張殻(モノコック)構造の設計手法が導入されるまでの時期に設計製作された日本の鉄道車両で積極的に用いられる一般的な軽量化手法として広く普及した。
初期の半鋼製車では窓の高さが客車や従来の電車よりも若干高い位置とされた。引き続き改良も実施されており、通風器が初期車での大型砲金製風量調節機能付から、2次車では製造コスト低減のため皿形の簡素なものになるなどの変更点もある。
なお、設計変更も含む大改良のため以下の番台区分も実施された。

本系列は東海道本線東京 - 沼津間の客車普通列車置換えを目的とし、1949年にモハ80形32両・クハ86形20両・サハ87形16両・サロ85形5両の計73両が田町電車区(後の田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)に新製配置されたのをきっかけに、その後は京都 - 神戸間の急行電車52系「流電」置換えや高崎線電化開業に伴う客車普通列車置換えなどに続々と投入された。

湘南色
当時の日本において斬新であったこの塗色は、「静岡県地方特産のミカンの実と葉にちなんだもの」と俗に言われ、国鉄も後にはそのようにPRしている。しかし、実際にはアメリカのグレート・ノーザン鉄道の大陸横断列車「エンパイア・ビルダー」用車両の塗装にヒントを得て、警戒色も兼ねてこれに近い色合いを採用したことを開発に携わった国鉄技術者が証言している。
当初は窓周りが比較的濃い朱色であったが、評判が悪かったためにみかん色に変更した。ほかにも彩度や明度は、塗料退色が関係する耐久性の問題・時代・担当工場により、塗り分け線とともに幾度か変更されてきた。
3枚窓のクハ86001 - 86020では、前面のオレンジ色面積が比較的小さく、数種類の塗り分けをテストした後に2次車以降同様に大きくした。
この塗色は以後国鉄の直流近郊形・急行形電車の標準塗色の一つとなり、現在の本州JR各社にまで引き継がれ、東海道本線で運用された211系、さらにJR化後に製造されたE231系・E233系にも、帯色としては多少色が薄いものの湘南色が受け継がれている。
また本系列および70系で採用された、運転台周りでの前窓を囲んで菱形を呈した曲面塗り分けは「金太郎塗」と呼ばれ、初期の試作型気動車をはじめ多くの私鉄でも採用された。

 

クハ86形(クハ86001- 86080・86082・86084・86100 - 86142・86300 - 86373・86375)
トイレ付の3等制御車。定員は基本番台が79人、100番台と300番台が76人。
1949年末から製造されたクハ86001 - 86020は運転台正面が従来のモハユニ61形などのデザインを踏襲した非貫通3枚窓構成[31]で落成したが、1950年下期以降製造の2次車からは、当時としては極めて斬新な正面2枚窓デザインに変更となった。この形状は本系列の通称に基づいて「湘南型」と呼ばれ、以後本形式の基本スタイルとなった。
正面3枚窓の一次車のうち、川車製のクハ86003・004、日車東京支店製のクハ86009・010、新潟鉄工製のクハ86017・018は、正面に取り付けられた手摺の位置や形状が他の一次車と異なり、それぞれ奇数向き偶数向き1両ずつの存在だった為、正面を見ただけで容易に車号の特定が出来た。003・004はウインドシル上左右に取り付けられた一対の手摺が他車の物と比べ倍以上の長さであった。009・010は前照灯両脇に取り付けられた一対の手摺の位置が他車より遥かに低い位置だった。017・018は窓間の2本の柱に沿うように五対の手摺が梯子状に取り付けられていた。営業開始前の試運転で火災事故に遭って復旧された017も含めて、これらの特徴は晩年まで失われる事はなかった。

クハ86001:2016年4月29日より、梅小路蒸気機関車館を拡張してオープンした京都鉄道博物館で保存展示されている。

営業最高速度 100 km/h
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 1.25km/h/s(MT比2:3)
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V
直流600V(駿豆鉄道乗り入れ対策)
出力 568kW(電動車1両あたり)
主電動機 MT40形直流直巻電動機
定格速度 全界磁56.0km/h 60%界磁70.0km/h
歯車比 2.56
駆動装置 吊り掛け駆動方式
制御装置 CS10電動カム軸式制御装置
抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
台車 DT16・DT17・DT20A(モハ80)
TR43・TR45・TR48(クハ86・サハ87)
TR43A・TR45A・TR48A(サロ85)
制動方式 中継弁・電磁同期弁付自動空気ブレーキ
保安装置 ATS-S
(後年に装備)
製造メーカー 日本車輌製造・川崎車輌・近畿車輛・汽車製造・日立製作所・帝國車輛工業・東急車輛製造・新潟鐵工所・宇都宮車輛・国鉄大井工場

小金井駅 JR東日本)東北本線

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小金井駅(こがねいえき)は、栃木県下野市小金井にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅である。
「宇都宮線」の愛称区間に含まれており、上野駅発着系統と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車する。


2014年より首都圏で行われる年末年始の終夜運転は当駅までの運転となる。駅北側には東北本線の車両が所属する小山車両センターがある

島式ホーム2面4線を有する地上駅で、新幹線高架下に設置された橋上駅舎を有している。駅構内にはKIOSK・自動券売機・みどりの窓口(営業時間 7時 - 18時)・指定席券売機(利用可能時間 4時40分 - 23時50分)・Suica対応自動改札機・トイレ・両ホームへのエレベーターが設置されている。

改札口に改札機は3台。
商店なども少なく、賑わいがない東口の施設はエレベーター・トイレ・駐輪場。西口にはエレベーター・下野市観光案内所(貸し自転車あり)。ホーム:Suicaグリーン券専用券売機・自動販売機

のりば
番線 路線 方向 行先 備考
1 ■宇都宮線(東北線) 下り 宇都宮・黒磯方面
2 上り 小山・大宮・東京・新宿・横浜方面
(■湘南新宿ライン・■上野東京ライン含む) 一部の始発
下り 宇都宮・黒磯方面 待避・始発
3・4 上り 小山・大宮・東京・新宿・横浜方面
(■湘南新宿ライン・■上野東京ライン含む)


湘南新宿ラインの列車は前述のように横須賀線へ直通する。本項では湘南新宿ラインのラインカラーを■青、上野東京ラインのラインカラーを■紫で示すが、実際のホーム案内はすべて■オレンジで案内されている。
下り主本線は1番線、上り主本線は3番線である。2番線は下り待避線であるが上野方面への折り返しに対応しており、折り返しの上り列車の半数程度は2番線を使用する。

当駅の宇都宮寄りには小山車両センター(旧・小山電車区)が設置されており、当駅始発・終着の列車と夜間滞泊などの留置運用が多く設定されている。また、宇都宮方面発着の15両編成の列車は当駅で基本編成10両または付属編成5両を増解結する列車がある。多くの場合は付属編成5両を増解結するが、一部基本編成10両を増解結する。2006年7月9日に自治医大駅 - 宇都宮駅間各駅のホーム有効長を15両編成分に延伸するまでは当駅が宇都宮線内での15両編成対応ホームの北限だったため、15両編成で運行される宇都宮方面への列車は全列車が増解結を行っていた。


当駅以外に「小金井」が付く駅名は、東京都小金井市にある、中央本線(中央線快速)の「武蔵小金井駅」と「東小金井駅」、西武多摩川線の「新小金井駅」、東京都小平市にある西武新宿線の「花小金井駅」がある。当駅がそれらより古いため、新小金井駅は東京都小金井市内では最も古いにもかかわらず「新」を冠している。
西口に小金井運転区事務所がある。エレベーター付近にグリーンアテンダントセンターがある。

1893年(明治26年)3月25日 - 日本鉄道の駅として開業。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称が制定され、東北本線の駅となる。
1945年(昭和20年)7月28日 - 大戦中の空襲で宇都宮市に来襲した米軍B29機が東北本線上り旅客列車を追尾し、当駅で急襲。乗客乗員や列車を待っていた人等30余名が死亡した。西口にこの空襲を記念する「平和の礎」がある。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道の駅となる。
2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。

キロ程 88.1km(東京起点)
上野から尾久経由で84.7km
電報略号 カネ
駅構造 地上駅(橋上駅)


ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 3,911人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1893年(明治26年)3月25日
備考 みどりの窓口 有

自治医大駅 JR東日本)東北本線

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自治医大駅(じちいだいえき)は、栃木県下野市医大前三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅である。


「宇都宮線」の愛称区間に含まれており、上野駅発着系統と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車する。
2014年現在、栃木県では最も最近出来たJRの駅である。

駅の東側に広がる住宅地開発(グリーンタウンしもつけ)に伴う駅として、また自治医科大学付属病院への通院、見舞い客の足として開業した。西口は駅前を離れると田園風景が広がる。かつては駅を境に(正確には駅舎および東口の一角は旧国分寺町であった)自治体が分かれており、東口に比べ西口の開発は遅れていたが、下野市誕生で地域一体となった開発が行い易くなった上、2015年度内に下野市役所の新庁舎が完成されるため今後の発展に期待される。


開業時の駅名選定の際には駅の所在する旧国分寺町が「新小金井駅」を、また駅に隣接しグリーンタウンしもつけの大部分を占める旧南河内町が「薬師寺駅」(日本三戒壇の1つである下野薬師寺が町内にある)を推し、開業直前まで駅名が定まらない事態となったが、当時の渡辺文雄栃木県知事の意向により近接する自治医科大学の名を冠することで収束した。ちなみに、旧国鉄で地名以外の駅名は当時初のことであった。

島式ホーム1面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を有している。改札階からホームまではエスカレータ・エレベーターがある。改札外においては東口・西口それぞれにエレベーターが設置されている。当駅のすぐ西側には東北新幹線が走っており、橋上駅舎からは通過している新幹線列車の姿がよく見える。


業務委託駅(JR東日本ステーションサービス委託)[2]。Suica対応自動改札機、指定席券売機(稼動時間 6:40頃 - 23:50)、駅員不在時対応として改札窓口・多機能券売機・自動精算機脇にインターホンが設置されているほか、自動体外式除細動器(AED)も常備されている。駅売店はないが、改札口附近の駅東西自由通路上に清涼飲料水の自動販売機と共に、新聞(朝刊)の自動販売機が並ぶ。その横に、コインロッカーが設置されている。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■宇都宮線(東北線) 上り 小山・大宮・東京・新宿・横浜方面
(■湘南新宿ライン・■上野東京ライン含む)
2 下り 宇都宮・黒磯方面


湘南新宿ラインの列車は横須賀線へ直通する。本項では湘南新宿ラインのラインカラーを■青、上野東京ラインのラインカラーを■紫で示すが、実際のホーム案内はすべて■オレンジで案内されている。

年表
1983年(昭和58年)4月27日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道の駅となる。
2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
2006年(平成18年)7月8日 - ダイヤ改正により15両編成列車の停車開始(その数か月前にホームの延長工事が行われた)。


2007年(平成19年)
3月18日 - ホームへの発車標を設置。
6月8日 - ホーム上のSuicaグリーン券券売機稼動開始(宇都宮~大宮の中では石橋とともに一番遅い) 。
10月18日 - 指定席券売機稼動開始。

2013年(平成25年)

4月23日 - みどりの窓口の営業が終了。
5月1日 - 業務委託化[2]。
2015年(平成27年)3月8日 - 遠隔操作システム導入に伴い、始発 - 6:40頃まで駅員無配置化。

電報略号 チイ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 3,702人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1983年(昭和58年)4月27日
備考 業務委託駅

「小江戸巡回バス」ボンネットバス

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レトロなボンネット仕様の「小江戸巡回バス」は川越駅西口発着、主な観光スポットをくまなく巡回することができどのバス停からも観光名所へ徒歩1分以内で便利です。このバスで蔵の町や菓子屋横丁付近に行けば、タイムスリップした気分を味わえます。500円で1日乗り放題の「1日フリー乗車券」がお得で便利です。協賛店でサービスや割引などを受けることもできますので、食事やショッピングもお得にすることができます。

バス車内のアナウンスは、英語・中国語に対応していますので、外国人の方も楽しめます。

川越市は、埼玉県南西部に位置する人口約35万人の市で池袋から電車で30分、新宿からも45分の位置にあります。古くから中心的な街として栄え、新河岸川を利用した物流の中心として、商業の街として栄えました。現在、明治の大火後頑丈な蔵造りの家ができ「蔵の町」がベースとなり観光スポットとして人気があります。

重レッカー 陸上自衛隊

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重レッカーの用途としては戦車部隊だけでなく特科や部隊整備を担当する後方支援連隊整備大隊において榴弾砲や他の重量物の運搬、牽引などに使用される。


戦闘職種部隊などで器材搬送、重量物据付、小型車両の牽引、車両の回収等に運用される。

横転などをして自立走行ができなくなった高機動車以上の車両牽引に必須の車両である。

4800kgを超える重量物や高機動車以上の車両等(戦車のエンジン、砲塔など)は重レッカが担当いたします。


塗色は迷彩柄にはなっておらず、オリーブドラブ色です。
なお戦場に同伴するものではない、後方支援の装備なので基本的に装甲は施されていません。
レッカー車としての役割を最大限発揮するために、車体前部のバンパーにはウインチが装着されている。
普段は車両の牽引よりも整備の際に使われていることのほうが多いと思われます。

特科連隊などでは本部付隊・大隊本部管理中隊(特科隊などは本部管理中隊整備小隊)、戦車連隊(大隊など)は本部管理中隊整備小隊が保有している。

また、戦車の整備に使用されることがある。戦車などのエンジン、砲塔を持ち上げて整備するためには必須の装備である。砲塔を持ち上げることは、軽レッカにはできない。

レッカー車としての役割を最大限発揮するために、車体前部のバンパーにはウインチが装着されている。

 

 

全長:9,320mm

全幅:2,490mm

全高:3,180mm

重量:18,780kg

最高速度:95km/h

出力:355ps

吊上能力:10,000kg

製作:三菱ふそうトラック・バス

クレーン:東急車輌(現:東邦車輌) HW101型

 

勝幡駅 名古屋鉄道津島線

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勝幡駅(しょばたえき)は旧佐織町の中心駅で、愛知県愛西市勝幡町にある、名古屋鉄道津島線の駅です。
全ての旅客列車が停車する。駅周辺には大型店など商業施設が多数立地します。


相対式2面2線のホームを持つ地上駅で、ホームの有効長は津島方面が6両分、名古屋方面が8両分である。駅舎は上り線側にあり、改札口は駅舎内の1箇所(北改札口)のみであったが、2009年から進められた駅周辺整備事業の一環として、北側駅舎の建て替えおよび南側駅舎の新設が行われ、2014年(平成26年)3月24日に完工式が行われた。

跨線橋が設置されているが、エレベーターなどの昇降設備は設置されていないほか、ホームの嵩上げがなされていないなど、バリアフリー対応は不十分である。


自動券売機は2台あり、うち1台でミューチケットの購入が可能である。
2005年(平成17年)7月13日まで有人駅であったが、翌日より駅集中管理システムが導入され、須ヶ口駅を管理拠点とする無人駅となった。


のりば
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■津島線 下り 津島・佐屋・弥富・森上・一宮方面 回送列車も使用する。
2 ■津島線 上り 須ヶ口・名古屋・東岡崎・太田川方面

1914年(大正3年)1月23日 - 開業する。
1925年(大正14年)1月 - 初代駅舎が竣工する
1983年(昭和58年)9月28日 - 跨線橋の供用を開始する。
2001年(平成13年)10月1日 - 特急停車駅となる。


2005年(平成17年)7月14日 - 乗車カード「トランパス」の、当駅における供用を開始する。無人駅となる。
2011年(平成23年)2月11日 - ICカード乗車券「manaca」のサービス開始に伴い、当駅でも供用を開始する。
2012年(平成24年)2月29日 - 「トランパス」のサービス終了に伴い、当駅でも供用を終了する。
2014年(平成26年)3月2日 - 南改札口の供用を開始する。

駅構造 地上駅
ホーム 相対式 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,270人/日(降車客含まず)
-2008年-
開業年月日 1914年(大正3年)1月23日

国鉄ED14形電気機関車 近江鉄道

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近江鉄道 ED144・国鉄ED14形電気機関車(こくてつED14がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省がアメリカ合衆国から輸入した直流用電気機関車である。輸入当初は1060形と称した。

ED11形に続いて輸入された米国ゼネラル・エレクトリック(GE)社製の電気機関車である。電気部分・機械部分ともにGEによる一貫製造である。
4両が1926年(大正15年)に輸入された。
車体形状はED11形とよく似ており、箱型車体の両端に乗務員出入用のデッキを配している。多数のリベットで接合された車体と、十字の桟のある「田の字形」の側窓が特徴である。この窓は後に横桟を撤去したものや、窓桟自体を取り去ったものがあり、各車両にバラつきが出ている。ED11形と同様、製造当初は前面中央の出入口と左右の前面窓の間に砂箱と短い梯子が設けられており、前面窓は横幅が狭く細長となっていたが、のちに砂箱が台車部分に移設されて梯子も撤去され、前面窓も横幅が広げられた。


台車の構造はED11形と異なり、2つの台車を中間連結器で連結し、台枠や車体を経ずに両端の連結器と台車のみで牽引力を伝達する方式が採用されている。このためED11形では連結器が車体部分に取り付けられているのに対して、ED14形では連結器が台車に取り付けられているという相違点がある。

国鉄時代
製造当初は、ED15形などと共に東京機関区に配置され、東海道本線の貨物列車にまず投入された。
1930年(昭和5年)に大型機の登場で甲府機関区に移り、中央本線八王子 - 甲府間で使われた。戦後は一時豊橋機関区に移って飯田線で使われたが、1950年(昭和25年)に作並機関区に移り、仙山線作並 - 山寺間で使われた。
1960年(昭和35年)、転属配置されたED17形と新製配置されたED60形に置き換えられ、4両とも休車となった。2・3号機はこの時点で除籍され、近江鉄道へ譲渡された。3号機については、近江鉄道を傘下にもつ西武鉄道へ一旦貸し出された後、近江鉄道へ渡された。1・4号機は仙山線の変電所容量不足によりED60形が転出したため休車を解除され、再び仙山線で使用されたが、1966年(昭和41年)に除籍され、2・3号機と同様、近江鉄道へ譲渡された。


近江鉄道時代
近江鉄道では、譲渡された後、石灰石・石油貨物列車などに使用したが、軸重が15tもあるため、犬上川に架かる鉄橋が重量制限の為に渡れず、運用区間は多賀 - 米原間に限定されていた。主に多賀 − 彦根間の石灰石輸送に使用されていたが、1988年(昭和63年)までに貨物列車が廃止されたため、本来の目的を失った。その後も1・4号機はイベント、あるいは豪雪時の除雪作業や構内の入れ替えなどの事業用として、時おり使用されており、2012年現在も車籍を保持しているが、現在4号機は故障の為休車中。2・3号機は使用されることなく彦根工場内で長期休車となっていたが、2004年(平成16年)7月1日付けで廃車された。
1 - 3号機は同社の標準である水色塗装であるが、4号機は国鉄時代の茶色塗装に復元されている。
現在ではATSの装備が困難な点、部品調達の問題、車体重量の問題、そして電気機関車の運転免許を持っている運転士がほとんどいない状態から事実上、本線走行は困難な状態となっている。
近江鉄道では、廃車除籍された2・3号機を含め、4両全機が現存しており、2007年(平成19年)3月から、彦根駅に整備された、近江鉄道ミュージアムに展示されている。

全長:11,200mm
全幅:2,740mm
全高:3,912mm
運転整備重量:59.97t
電気方式:直流1500V(架空電車線方式)
軸配置:B+B
台車形式:イコライザ付板台枠式
主電動機:MT8形(244kW)×4基
歯車比:16:69=1:4.31
1時間定格出力:975kW
1時間定格引張力(全界磁):11,600kg
1時間定格速度:30km/h
最大運転速度:65km/h
動力伝達方式:歯車1段減速、吊り掛け式
制御方式:非重連、抵抗制御、2段組み合わせ制御、弱め界磁制御
制御装置:電磁空気単位スイッチ式
ブレーキ方式:EL14A空気ブレーキ、手ブレーキ
制御回路電圧:100V


新那加駅 名古屋鉄道各務原線

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新那加駅(しんなかえき)は、岐阜県各務原市那加新那加町にある名古屋鉄道各務原線の駅である。当駅で種別変更する列車が多く、日中の半数の列車は当駅で種別変更する(岐阜行きは普通に、犬山行きは急行になる)。

渡り線や引き上げ線がないため通常当駅発着の列車は設定されていないが、航空自衛隊岐阜基地で航空祭が行われるときなどに当駅始発犬山方面行きの急行などが臨時に設定されることがある。

6両編成対応の1面2線の島式ホームを持つ。ホームは地上にあり、改札口はホーム地下に1箇所ある。有人駅である。

改札口とホームは自由通路も兼ねた地下通路と2箇所の階段でつながっている。駅南口に以前は名鉄パレ那加店を核とする駅ビルがあったが、名鉄パレ閉店と老朽化に伴い取り壊された。

エレベーターやエスカレーターは設置されていない。

切符売場にはICカード対応のタッチパネル式券売機が1台設置されています。

のりば
ホーム 路線 方向 行先
1 ■各務原線 下り 三柿野・新鵜沼・犬山方面
2 ■各務原線 上り 名鉄岐阜・(名鉄岐阜乗り換え)名鉄名古屋方面
島式1面2線のホームは中央に大きな上屋が設置されています。

1926年(大正15年)
1月21日 - 各務原鉄道の各務野駅(かがみのえき・初代)として開業。
7月3日 - 新那加駅(しんなかえき)に改称(「那」は旧字体で表記されていた)。
1935年(昭和10年)
3月28日 - 合併により名岐鉄道の駅となる。
8月1日 - 社名変更により名古屋鉄道の駅となる。
1967年(昭和42年)3月26日 - 業務委託駅となる(1985年(昭和60年)2月28日まで)。
1971年(昭和46年)
車庫廃止。
3月27日 - 新那加駅ビル竣工。同ビル内に名鉄ストア(後のパレマルシェ)新那加店開業。駅業務を名鉄ストアに委託。


1985年(昭和60年)3月1日 - 名鉄ストアへの駅代行委託業務を解約。
1987年(昭和62年)12月18日 - 地下駅舎完成。
2000年(平成12年)2月20日 - 駅ビルの名鉄パレが閉店。
2005年(平成17年)1月29日 - 現在の表記(新那加駅)に改称。
2006年(平成18年)12月16日 - トランパス導入。
2011年(平成23年)2月11日 - ICカード乗車券「manaca」供用開始。
2012年(平成24年)2月29日 - トランパス供用終了。

駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 3,296人/日
-2013年[1]-
開業年月日 1926年(大正15年)1月21日
乗換 JR東海高山本線 那加駅
備考 終日駅員配置駅

那加駅

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那加駅(なかえき)は、岐阜県各務原市那加本町にある、東海旅客鉄道(JR東海)高山本線の駅。

周囲は商店や人家も多い。JRで各務原市役所に行くならば、当駅からが最も近いのですが市代表駅とは言えません。。名鉄新那加駅がすぐ近くにあり利用者数は名鉄新那加駅の方が多い。

相対式ホーム2面2線を有し、列車交換が可能な地上駅。

かつては木造の駅舎を有したが、コンクリートのものに改築された。トイレは無い。切り妻屋根の組み合わせたデザイン。また下りホームには、シースルーの待合室がある。ホーム間は屋根無しの跨線橋で結ばれています。


高速通過(110km/h)可能な両開き分岐器(Y字ポイント)に取り換えられている。

岐阜駅管理の無人駅で、TOICA専用の簡易改札機が設置されたが自動券売機は設置されていない。

待合室には、FRP製の椅子が設置されています。


出入り口は南側しかなく、北側からは出入りできない。舗装路に白線が引かれただけの駐輪所があります。

のりば
ホーム 路線 方向 行先
1 ■高山本線 上り 岐阜・名古屋方面


2 ■高山本線 下り 美濃太田・高山方面

かつては各務原線新那加駅との間に連絡線があり、陸軍各務原飛行場への貨物輸送が行なわれていた。ホームには美濃太田公務区の詰所があります。

駅前を名鉄各務原線が走っています。

1920年(大正9年)11月1日 - 高山線(1934年に高山本線へ改称)岐阜 - 各務ヶ原間開通と同時に開業。旅客及び貨物の取扱を開始。
1968年(昭和43年)10月1日 - 貨物の取扱を廃止。
1985年(昭和60年)4月1日 - 無人駅化。ただししばらくの間、鵜沼駅からの出張扱いで乗車券類を発売。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道の駅となる。
1998年(平成10年)2月 - 簡易駅舎に改築。
2010年(平成22年)3月13日 - TOICA導入。

電報略号 ナカ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 958人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1920年(大正9年)11月1日
乗換 新那加駅(名鉄各務原線)
備考 無人駅

長森駅 JR東海)高山本線

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長森駅(ながもりえき)は県代表駅・岐阜駅の隣、岐阜県岐阜市蔵前二丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)高山本線の駅。駅周辺はのどかな田園風景が広がっています。

駅の利用客は多くありません。

相対式ホーム2面2線を有し、列車交換が可能な地上駅。無人化時に建てられた平屋の駅舎は簡易な鉄骨造駅舎です。高速通過(100km/h)可能な両開き分岐器(Y字ポイント)に取り換えられている。


岐阜駅管理の無人駅。2010年3月よりTOICA専用簡易改札機が設置された。トイレは設置されていない。

また、下りホームからも駅の北側へ直接出入りできる。

待合室にはFRP製の区分された椅子が設置されています。

駅舎前は砂利で未舗装、多数の自転車が駐輪されています。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 ■高山本線 上り 岐阜・名古屋方面


2 ■高山本線 下り 美濃太田・高山方面


ホーム間は屋根無しの跨線橋で結ばれています。


構内上り方に留置線が1線あります。

駅の南側に373バス(岐阜市コミュニティバス)の「長森駅」バス停がある。

1920年(大正9年)11月1日 - 高山線(1934年に高山本線に改称)岐阜 - 各務ヶ原間開通と同時に開業。旅客及び貨物の取扱を開始。
1969年(昭和44年)1月1日 - 貨物の取扱を廃止。無人駅化。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる。
2010年(平成22年)3月13日 - TOICA導入。

電報略号 ナモ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 643人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1920年(大正9年)11月1日
備考 無人駅

 

PS-205あさま つるぎ型巡視船 海上保安庁

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PS-205「あさま」は、海上保安庁のつるぎ型巡視船です。

つるぎ型巡視船は海上保安庁の巡視船の船級。分類上はPS型で、公称船型は高速特殊警備船(高特船)型。建造費用は1隻あたり約23億円。

1999年の能登半島沖不審船事件で出動した高速巡視艇は、船型過小のために外洋域で高速を維持できず、高速で逃走する不審船を追尾しきれなかった。この反省から、外洋域で高速を維持できる小型巡視船として、同年度の第2次補正計画に急遽盛り込まれたのが本型である。
まず平成11年度第2次補正計画で3隻が建造されたが、長大な日本の海岸線をカバーするには隻数不足が指摘されていた。その後、2001年の九州南西海域工作船事件で、不審船が予想以上に重武装であることが判明したことから、単独の巡視船ではなく、ユニット単位で対応する体制が整備されることになった。当初、警備救難部では、2,000トン型PL(ひだ型)1隻を指揮船として、1,000トン型(あそ型)2隻、本型3隻でユニット(機動船隊)を構成し、これを5隊整備することを構想した。しかし予算当局の査定を受けた結果、太平洋岸に配備予定だった2隊が削られるとともに、各ユニットからも1,000トン型と本型が1隻ずつ削られて、4隻×3隊の整備となった。これを受けて、本型も3隻が追加建造された。同時期、海上自衛隊では、航洋性の有る、ミサイル艇「はやぶさ」型 を就役させています。

設計面では、昭和62年度から整備されてきた180トン型PSの運用実績を踏まえて、堪航性強化のため船型を多少大型化して220トン型とされた。任務の性格から設計の詳細は未公表であるが、やや先行して平成10年度第3次補正計画で建造されていた180トン型PSの捕捉機能強化型を発展させたものとされている。従来の180トン型PSではディーゼルエンジン3基の主機関とスクリュープロペラ2軸とウォータージェット推進器1軸を組み合わせていたが、同型でウォータージェット推進器の性能が確認されたこともあり、本型ではディーゼルエンジン3基とウォータージェット推進器3基の方式とされた。これによりプロペラによる振動がなくなり、またエンジンの振動が吸収されるように設計されたこともあって、全速運転中に舵をいっぱいにとっても船体の振動をほとんど感じないなど、振動・騒音の低減に大きく益した。またウォータージェット推進器の特性として、小さい旋回径や優れた加速性能、短い最短停止距離など、運動性能は非常に優れたものとなっている。
なお速力については、北朝鮮の工作船の速力性能を考慮して、要求性能としては40ノット以上とされているが、実際にはこれを大きく上回り、50ノット以上との情報もある。
主兵装としては、JM61-RFS 20mm多銃身機銃を竣工当初より装備した。これは暗視装置を兼ねた光学FCS(RFS)と連動した遠隔操作式のものであり、平成元年度補正計画で建造された「しきしま」で搭載されたものを標準的な装備に加えたものであった。また赤外線捜索監視装置により、夜間の捜索監視能力も飛躍的に向上している。

種別 高速特殊警備船
就役期間 2001年 - 現在
前級 びざん型 (180トン型)
次級 -
要目
総トン数 220トン
全長 50.0 m
全幅 8.0 m
深さ 4.0 m
主機関 ディーゼルエンジン×3基
推進器 ウォータージェット×3軸
出力 15,000馬力以上
速力 40ノット以上
兵装 JM61-RFS 20mm多銃身機銃×1門
FCS RFS射撃指揮装置(機関砲用)
レーダー 対水上捜索用×1基、航海用×1基
光学機器 赤外線捜索監視装置 (RFS兼用)

ps205
建造所 三井造船玉野事業所 
起工  2003年(平成15年)6月24日
進水  2003年(平成15年)12月3日
竣工  2004年(平成16年)4月21日
配備先 浜田(第8管区)

 

多治見駅 JR東海)・JR貨物)

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多治見駅(たじみえき)は、岐阜県多治見市音羽町二丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。

当駅の所属線であ中央本線と、当駅を起点とする太多線との接続駅となっている。両路線ともJR東海が第一種鉄道事業者として旅客営業を行い、中央本線はJR貨物が第二種鉄道事業者として貨物営業を行っている。


特急「(ワイドビュー)しなの」を含めた全ての旅客営業列車が停車する。中央本線の列車は一部が当駅で名古屋方面に折り返すほか、中津川方面へ向かう快速は当駅から終点まで各駅に停車する。また、太多線の列車はすべての列車が当駅で折り返す。

単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、計3面5線のホームを持つ地上駅で橋上駅舎を有する。
駅長・駅員配置駅(直営駅)である。

管理駅として、中央本線の古虎渓駅 - 釜戸駅間の各駅および太多線の小泉駅・根本駅・姫駅を管理している。みどりの窓口・自動券売機・自動改札機が設置されている。自動券券売機は4台。すべてICカード対応しています。みどりの窓口はオープンカウンター式で指定券券売機も併設されています。改札口の改札機は6台設置されています。
駅構内には、JR子会社の旅行代理店「ジェイアール東海ツアーズ」の支店が入居している。

のりば
番線 路線 方向 行先 備考
1 ■中央本線 上り 名古屋方面
2 ■中央本線 上り 名古屋方面 待避列車と始発列車


3 ■中央本線 下り 中津川・長野方面
4 ■中央本線 上り 名古屋方面 始発列車
下り 中津川・長野方面 一部の列車
■太多線 - 可児・美濃太田方面 ごく一部の列車
5 ■太多線 - 可児・美濃太田方面


中央本線は1番線が上り本線、3番線が下り本線であり、特急「しなの」もこれらのホームを使用する。1・2番線の間にはホームのない副本線が存在する。
2番線は、愛・地球博に対応する輸送に伴い留置(滞泊)線としても使用されていた。また、2番線は中央本線と太多線との直通運転時にも使用するが、2012年3月のダイヤ改正でホームライナー太多が廃止されたため、定期運用で中央本線と太多線の直通運転のために2番線を使用する列車はない。


5番線は太多線専用ホームであるため駅名標の隣の駅は小泉のみであるが、4番線は中央本線の列車が入線するにも関わらず駅名標の隣の駅は小泉のみである。反対側は引き上げ線として使われており、架線も張られている。ステップ付きの気動車が入線するため、4・5番線はホームのかさ上げが行われていない。
夜間滞泊は設定されていない。

多治見駅北都市整備計画とともに多治見市が中心となって進めてきた駅改良工事計画の中には、駅のバリアフリー化に伴う駅舎の橋上化と、幅10メートル長さ102メートルに及ぶ南北自由通路の建設などが盛り込まれた。工事は2007年度に着手され、2009年11月1日には、南口のエスカレーターなど建設予定の一部の施設を除いて供用が開始された。南口のエスカレーター設置予定地は旧駅舎の敷地にまたがっていたため、設置工事は旧駅舎の解体後に着手され、2010年8月11日に供用が開始された。その後、駅南口広場周辺や、ホーム上に残る旧施設の周辺も整備され、2010年10月に完成した。なお、駅北口広場周辺は未整備部分が多く、現在工事が進められている。自由通路部分はガラスを多用し、開放感があります。

ASTY多治見
駅南口のエスカレーターと直結した通路横にある商業施設。JR子会社の名古屋ステーション開発が運営し、東海キヨスクが運営するコンビニエンスストア「ベルマート」のほか、書店・惣菜店・ベーカリーが入居している。各店舗とも、TOICA電子マネーの利用が可能である。なお、ASTYはかつては駅コンコースにあったが、2009年9月末に閉鎖ののち、2010年10月に現在地にて再開業した。かつては岐阜県が設置する就業支援センター「ジンチャレ!東濃」(駅前のビルに移転)のほか、弁当店・土産店・携帯電話店が入居していた。

南口と北口にバスのりばがあり、南口は「多治見駅前バスのりば」、北口は「多治見駅北口バスのりば」となっている。前者には一般路線バスの東鉄バスのほか、高速バスの「中央ライナー号」、コミュニティバスのききょうバス・多治見市自主運行バスが、後者には東鉄バスがそれぞれ乗り入れている。 また下半田川線は瀬戸市に乗り入れている。東濃鉄道で唯一愛知県内を運行している。


貨物駅
JR貨物の施設は旅客駅の北側に位置する。東濃地区の鉄道貨物輸送の拠点駅である。通称は「多治見駅貨物取扱所」。
1面1線コンテナホームを有する。荷役線には架線が張られているが着発線にはなっておらず、着発線に到着した貨物列車は瑞浪方の引き上げ線へ入った後、推進運転でホームへ進入する(ホームから発車する貨物列車は、推進運転で同じ引き上げ線へ入った後、通常運転で着発線へ進入)。荷役線と旅客5番線の間に側線が1本あり、機回しに使用されている。
コンテナホームはコンテナ車8両編成分ある。なお、それ以上の長さの列車でも編成を分割せず、列車を少しずつ動かしながら荷役作業を行う。
名古屋貨物ターミナル駅との間に高速貨物列車が1日1往復設定されている。同駅以外の全国各地へは、同駅にて別の貨物列車に継走(コンテナを載せ替え)され輸送される。
取扱貨物
コンテナ貨物 - 12ftコンテナのみを取り扱う。
産業廃棄物・特別産業廃棄物の取扱許可を得ている。

1900年(明治33年)7月25日 - 名古屋駅から官設鉄道が敷設され、終着駅として多治見駅(一般駅)が開業する。
1902年(明治35年)12月21日 - 官設鉄道が中津駅(現 中津川駅)まで延伸され、途中駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称が制定され、中央西線の所属となる。
1911年(明治44年)5月1日 - 線路名称が改定され、中央西線は中央本線に編入される。
1918年(大正7年)12月28日 - 東濃鉄道(初代)が新多治見駅から広見駅(現 可児駅)まで敷設され、新多治見駅(初代)が開業する。


1926年(大正15年)9月25日 - 東濃鉄道(初代)が国有化され、太多線の所属となる。同時に新多治見駅を多治見駅に統合する。
1928年(昭和3年)7月1日 - 笠原鉄道が新多治見駅から笠原駅まで敷設され、新多治見駅(2代目)が開業する。
1937年(昭和12年)6月1日 - 笠原鉄道の貨物線が多治見駅に乗り入れる。
1944年(昭和19年)3月20日 - 笠原鉄道など6社が合併し、東濃鉄道(2代目)が成立。笠原鉄道線は東濃鉄道笠原線となる。
1971年(昭和46年)6月12日 - 笠原線の旅客営業が廃止されるとともに、新多治見駅を廃止する。
1978年(昭和53年)11月1日 - 笠原線の貨物営業が廃止され、同線は廃止される。
1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物の取扱を廃止する。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道・日本貨物鉄道の駅となる。
2006年(平成18年)11月25日 - 乗車カード「TOICA」の供用を開始する。
2008年(平成20年)2月2日 - 駅舎整備事業に伴い前日をもって旧駅舎の使用を停止し、仮駅舎(旧駅舎より西に約90m)の供用を開始する。
2009年(平成21年)11月1日 - 橋上駅構造となる新駅舎の一部の供用を開始する。
2010年(平成22年)8月11日 - 南口のエスカレーターと階段(土岐市側)の併用を開始する。

電報略号 タミ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 3面5線
乗車人員
-統計年度- 13,884人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1900年(明治33年)7月25日
乗入路線 2 路線
所属路線 中央本線
所属路線 太多線
備考 駅長配置駅(管理駅)
みどりの窓口 有

 

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